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*■ジェイサチとは 落ちるのイヤっ!合格したいならJ&Sachi塾 小学校受験・中学入試・高校入試・大学入試・定期テスト対策・ 大学入学後も全てJ&Sachi塾・予備校へお任せください。 総ヒノキ造りの安全・安心な環境と情熱あふれる先生たちにぜひ会いに来てください。 最高の学習環境を提供します。 *■ジェイサチの夢 1、子どもたちの自信溢れる笑顔。 2、目と目が合って言葉を交わさなくとも気持ちが伝達可能になる時の豊かさ。 3、何よりも「自分ですごいぞ」と感じてくれる場面をたくさん体感してもらいたい。 4、ジェイ・サチに勤務する140名全てが心1つに自己犠牲愛を発揮し、伸びやかな人材を育て上げる事に感動すること。 5、溢れる子ども達への関心が指導技術、言葉かけ、挨拶、マナーなどに、全てあらわれています。 *■ジェイサチの教室へのこだわり 校舎の特徴 ・御影石と天然しっくいの外壁 ・ガラス窓には電波カットフィルム、壁・床・天井にはアルミシートで電磁波対策 ・ヒノキの机・椅子&ヒノキ(塗装はドイツ製天然系) ・有機化合物を分解して空気清浄できる照明 ・床下には室温で遠赤外線を出して植物・人間を元気にする天然石 ・蛍光灯は生徒の帰宅後の睡眠を妨げない電球色を使用 ・天井クロスは、小麦粉のでんぷんを主成分とした接着剤や天然綿でシックハウス対策 *■校舎 ミッドランドスクエア校、いりなか駅前校、一社駅前校、江南駅前校 ジェイアンドサチ - 予備校・大学受験・幼児教育・小学校受験・中学受験・高校受験 http://www.j-sachi.com/main/ *■ジェイサチの講師育成プロジェクト 塾の指導方法には、「一斉指導」、「個別指導」と2種類の教え方があり、「一斉指導」は20~30人を教室へ集め指導する 昔からあるスタイルです。それに対して「個別指導」はその子の学力や性格的なことを考慮し、きちんと消化できる カリキュラムを各担当講師が組みます。 ・個別指導塾講師の現状 J&Sachi塾では1978年の開校以来「こんな塾があったらいいな」をテーマに責任者2人、森先生とさち子先生が 世の中の常識を物ともせず、追求してきました。そのこだわりの一番大きなところが個別指導です。 個別指導塾と聞くと、学生アルバイト講師がメインであまり評判のよくない塾が多いらしいです。 更に、ほとんどの個別指導塾ではたいした研修を行っていないというのも良く耳にします。 ・奇跡の合格率は塾生だけではなく、講師育成がしっかりしているから生まれる!! J&Sachi塾では、身だしなみから始まり、指導に入る前・指導に入ってからの指導の始め方、採点方法(科目別)、 宿題の出し方、授業終了時の挨拶の仕方まで100を超えるチェック項目を日々確認してから指導に入っております。 大切なお子様達の未来のために、社員講師であっても学生講師であっても、指導内容に差が出てしまっては、 個別指導を行う意味がありません。 講師は入塾からしっかりと3ヶ月以上の基礎講習を行い、VTRを見せて終わりや、マニュアルを読ませて終わり ではなくこちらも個別指導を行いながら講師のスキルアップを図っています。 *■良くある質問 ・自分の受けたい科目だけ受けることは可能ですか? 当塾ではさまざまなコースを準備しております。全ての科目をトータルにアドバイスさせていただくものから、ご自分の苦手とする科目のみを選択するコースまで様々です。 ・入塾学力テストの結果で落ちるということはありますか?科目数は? 入塾テストは入塾できるできないを決めるものではありません。今の自分の力を認識し、 それにあったプログラムからスタートしなければ成績が伸びるものも伸びなくなってしまいます。あくまでこれからの自分(お子様)の未来の為に実施します。その一つのきっかけになればと思います。科目に関しては学年で違いますので詳細はお問い合わせください。 ・定期テスト対策などもこの塾でして頂けるのでしょうか? はい実施します。学校で使われている教科書や普段の授業から学ぶ事によって、 短期間で定期テストの学年順位を100番近く上げた方も多数いらっしゃいます。 ・偏差値40で年齢も20代後半の僕でも入塾することは可能ですか? もちろん大丈夫ですよ。今の年齢、学力が大切ではありません。これから自分がどうしたいのかと思う気持ちがとても大切です。そんな人を全力で私たちはサポートしていきます ・夏期講習(春期、冬期など含め)だけ受ける事はできますか? もちろん大丈夫ですよ。休み期間中に集中して勉強したいと思われる方は多数いらっしゃいます。その声にお応えして聴講生として入塾することができます。休み期間中一緒に頑張りましょう。 *■教室へのこだわり **・ミッドランドスクエア校 所在地 〒450-6204 名古屋市中村区名駅 4丁目7番1号 ミッドランドスクエア4F JR名古屋駅とは名駅通を挟んですぐ、信号を渡り徒歩約1分で名古屋駅桜通口、名鉄名古屋駅に行くことができるので、学校帰りにも便利。また、名古屋駅地下街から直結しているため、天気を気にすることなく通塾することができる。 地下からは地下鉄東山線名古屋駅まで徒歩1分程度で、近鉄名古屋駅は徒歩数分程度で到着する。 教室内に入るとジェイ・サチ独特の木の香りとともに、天井の高さに圧倒される。高さは3.5メートルを超え、ビルの中とは思えない開放感を感じる。また最新設備により防音効果も優れていて、一歩中に入れば商業施設とは思えない静けさとなっている。 生徒の学習の集中力UPを追求した環境に、必ず満足してもらえるよう努めている。 **・いりなか駅前校 所在地 〒466-0833 名古屋市昭和区隼人町7番地1 南山小・中・高をはじめとする文教地区として有名な「いりなか」にある本校へは、広範囲から多くの塾を飛び越えて生徒が集まって来ている。場所は、2番改札口を出て川名駅方面に歩いてすぐの4階建て。 一階が9台収容、冷暖房完備の駐車場、2階と3階が教室および事務所となっている。そして4階は、設計オフィスと印刷スペース。他校舎同様、自然素材にこだわった造りで安心安全のオーガニック空間となっている。 ジェイ・サチ本部機能を備え、本部校の活気あふれる雰囲気の中、充実した学習環境を提供できる。 ・江南駅前校 〒483-8213 江南市古知野町朝日165番地 ナガタニビル4階 0120-096-124 名古屋鉄道犬山線江南駅西口を出てすぐの5階建てのビルの4階。お子様の安全面での上でも、駅前は明るく人通りも多く防犯上安全性の非常に高い立地条件ともいえる。西口から徒歩一分もかからないため帰宅におけるバス、電車などの待ち時間の無駄な時間はありません。 教室内に入るとジェイ・サチ独特の木の香りとともに、ビルの中とは思えない開放感を感じる。ヒノキの机・椅子&ヒノキ(塗装はドイツ製天然系)と大理石の内装です。床下には室温で遠赤外線を出して植物・人間を元気にする天然石を並べた。 蛍光灯は生徒の帰宅後の睡眠を妨げない電球色を使用するだけではなく、イタリア製の天然綿でシックハウス対策もしている。お子様の学習の集中力UPを追求した環境は満足度も高い。 *J.Sachiキッズ 幼児さん対象のクラスには、小学校受験に対応した 『小学校受験コース(年中児・年長児用の各コース)』と、 好奇心いっぱいのお子さまの心と興味を育てる 『幼児コース(1才10ヶ月~年長児)』がある。 どちらのコースも、幼児期に大切な、 「考える力」「創造する力」「集中する力」「切り替える力」を伸ばす。 お子様が大きく、柔らかく、すばらしく成長される。 *高卒生メディカルクラス **・特徴 ■厳選された教材群を使用し、一人一人に合わせたレベルで提案する。 ■平均月2回模試を受験し、実践力を鍛える個人指導。 ■基礎の反復と応用力の強化。 ■戦略性の高いカリキュラム+定期的に行われる1:1での面談により個人カリキュラムの展開。 ■小論文・面接・リスニング対策も担当講師によりフォロー。 **・カリキュラム(代表例) <前期> 1.個人カリキュラムの作成を行い、課題となる教材を列挙し、予定を組む。   センター試験レベルを軸とした基礎力の養成(数学に関してはⅢCまで学習) 2.基礎力の定着を徹底しつつ、英・数を中心に応用力を強化。   夏場の模試にそなえて追い込みもかけていく。 <前期> ■英語・数学に加えて理科も応用力を養成する。 ■過去問研究を始め、必要とされる学力を確認、自分との差を詰めていく。 ■後期より始まる模試に備えて猛特訓。 <後期> 本格的に始まる模試を中心に一週間ローテ学習で実践力を養成する。 この時点で、合格へのある程度見通しを立てる。 *ジェイサチ予備校 戦略 そもそも合格するとはなんでしょうか?当たり前ですが、入試本番当日に合格点以上の答案を書いてくることです、では、それに近づくためにはどうすればよいのでしょうか?J.Sachi予備校には答えがあります。 戦略 1自分だけのカリキュラム J.Sachi予備校には,個々の生徒の学習能力を伸ばす基本カリキュラムがあります。それを基盤に担任講師と1対1で面談をじっくりと行い、一人一人に合った個人カリキュラムをオーダーメイド感覚で作っていきます。そのカリキュラムを羅針盤に、志望校合格への道のりを着実に歩んでいただきます。 戦略 2圧倒的な学習量 J.Sachi予備校のカリキュラムでは年間約2100時間(季節毎の講習含)の個別指導が受けられます。 この膨大な学習時間があってこそ、合格への自信が生まれるのです。 またJ.Sachi予備校ならではの快適な学習環境が、これだけ長い時間机に向かう座力を可能にするのです。 戦略 3個人の能力を最大限に発揮する、個別授業形態 個別指導ですから、分からないところはすぐに質問して解決できます。選りすぐりの優秀な講師が、一人一人の生徒へ丁寧に説明し、確実な理解を導き出します。また自分のペースで学習ができるので、やる気があればどんどん先へ進むこともできますが、逆に必要があればしっかり復習する時間もとれます。答えが『反射的に』出てくるようになるまで、繰り返し復習することが合格への王道。この信念の基に、J.Sachi予備校では復習を重視したカリキュラムを組んでいます。 *ジェイサチ 高卒生のサポートシステム サポートシステム ■予備校担当者と本人との定期的な面談により生活サポート及びメンタルケアをしながらあなたの大切な  一年を完全サポートします 。 ■実力者ぞろいの先生が非常に近くにいるので、大手予備校とは違い先生と直接コミュニケーションを通した  学習が容易にできます。 ■毎週のホームルームにて、みなさんの進学先の最新受験情報を提供していきます。 ジェイサチの戦略 そもそも合格するとはなんでしょうか?当たり前ですが、入試本番当日に合格点以上の答案を書いてくることです、では、それに近づくためにはどうすればよいのでしょうか?J.Sachi予備校には答えがあります。 戦略 1自分だけのカリキュラム J.Sachi予備校には,個々の生徒の学習能力を伸ばす基本カリキュラムがあります。それを基盤に担任講師と1対1で面談をじっくりと行い、一人一人に合った個人カリキュラムをオーダーメイド感覚で作っていきます。そのカリキュラムを羅針盤に、志望校合格への道のりを着実に歩んでいただきます。 戦略 2圧倒的な学習量 J.Sachi予備校のカリキュラムでは年間約2100時間(季節毎の講習含)の個別指導が受けられます。 この膨大な学習時間があってこそ、合格への自信が生まれるのです。 またJ.Sachi予備校ならではの快適な学習環境が、これだけ長い時間机に向かう座力を可能にするのです。 戦略 3個人の能力を最大限に発揮する、個別授業形態 個別指導ですから、分からないところはすぐに質問して解決できます。選りすぐりの優秀な講師が、一人一人の生徒へ丁寧に説明し、確実な理解を導き出します。また自分のペースで学習ができるので、やる気があればどんどん先へ進むこともできますが、逆に必要があればしっかり復習する時間もとれます。答えが『反射的に』出てくるようになるまで、繰り返し復習することが合格への王道。この信念の基に、J.Sachi予備校では復習を重視したカリキュラムを組んでいます。 *ジェイサチキッズ 保護者の声紹介 ・ひらがな頑張ったよ Tちゃんのお母様より 「先生、ひらがな頑張ったよ!」と、宿題をうれしそうに見せてくれるTちゃん「”な”の字が難しいかったけどがんばったよ」「今度、カタツムリをたくさん書いてくるね!」など、教室での様子を楽しそうに話ししてくれます。私が言わなくても自分で楽しくどんどん進めているんですよ。自分で考え、感じ、取り組める。自立した心を育てて頂き、感謝しています。 ・木のお家で勉強したい! 年中児のCちゃんのお母様より 娘が「木のお家で勉強したい!」と自分から言ってくれています。 字に興味がなかったのに、あっという間に、自分の名前が書けるようになってきてびっくりです。授業後に先生より、一人一人にアドバイスをいただき、授業内容を説明していただけるので、塾だけで家庭学習の目安がしっかりできます。 ・ジェイ・サチのトマトは(お日さまで)あたたかかった 年中児のKちゃん、ジェイ・サチからもらったトマトの苗を、おばあちゃんの家の畑に植えましたと報告がありました。数日後・・・お母様よりお手紙を頂きました 子供が「赤い小さなトマトが3個できたよ!食べたら、お日さまの味がしたよ。おうちのトマトは(冷蔵庫に入っているので)冷たいけれど、ジェイ・サチのトマトは(お日さまで)あたたかかったよ!」と喜んでいます。自然を通じたお勉強などができ、とても感謝しています。 ・探究心が出てきた 年長児のBちゃんのお母様より テキストに、にじが出てきたので、「虹の色は何色だろう?」と、親子で百科事典で調べました。 言葉さがしでは、「”ひゃ”のつくものな~んだ?」「”きゃ”のつくものな~んだ?」と質問攻めにあい、この機会にと、国語辞典の使い方を教えました。多方面から勉強する機会を、幼児のうちから与えてもらっています。最近、ますます探究心が出てきたように思います。 *学習塾とは 学習塾は、主に小中学校の放課の後に、有償で学力の補強や学習の補助などをする施設である。一般的には、単に塾(じゅく)と呼ぶことが多い。また特に受験対策を行う塾を進学塾ともいう。 平成21年経済センサス(2009年)によると、日本国内に5万1千箇所あまりの事業所があるとされる。 多くの塾は主要5教科(国語、社会、算数 / 数学、理科(物理、化学)、英語)の学習に特化しているが、保護者や生徒の希望が英語・数学(算数)・国語に集中することから、個人塾には英語のみ、英・数(算)・国のみなど科目を限定しているところも多い。学校が総合的な人間形成を目指しているのに対して、学習塾は主要科目に関しての弱点補強や高度な学習、入試対策などに力を入れている。保護者の要望に答え、通常の学習よりも中学入試、高校入試での合格を主な目的とする大手進学塾も多くその合格実績を競っている。また、ごく一部には定期テスト前に中学副教科(保健体育・音楽・技術家庭・美術)の記述学習に対応するところもあるほか、理科実験など実技的なものを学ばせ注目度をあげる塾も存在する。学習塾の数だけでいえば個人塾が圧倒的に多く、それぞれ個性的な指導で実績を上げているところも多い。 多くの塾は模擬試験を実施しており、個人の学力レベルをある程度正確に知ることもできる。大手の塾では塾生が多いため塾内模試を、中小の塾では模擬試験専門会社の模試や教材会社が主催する模試、塾団体が設立運営する模試を採用している。 **学習塾の分類 学力別 難関校進学クラスを持つ塾と持たない塾に分かれるが、大手進学塾では学力に応じてクラス分けしていることが多い。中小の大半の塾では人数の都合上クラス分けをしていない。個別指導塾や自習式の塾は個人の実力に応じて対応できるためこのようなクラス分けがない。 難関校進学クラスを持つ塾 難関の学校に進学希望する生徒に、学校の授業より難しい内容を加え指導するクラスを持つ塾。入塾試験でクラス分けするところがほとんど。難関校を目指す生徒のみの塾はほとんどなく、ほとんどが学力別クラスを作った形を取っている。 一般の塾 学力別のクラスを持たない塾。中程度の学力レベルに合わせ、学校の授業より先行して授業を行ったり補習授業を行うもの。中小の学習塾の多くがこれに属する。 人数別 集団授業の塾 1クラス概ね10人以上のクラス構成の塾。大手塾では、社員扱いの講師が高度な内容のクラスを担当し、大学生などのアルバイト講師がそれ以外のほとんどのクラスを担当することが多い。社員と大学生アルバイトなどの見分けが付かないので、習う側からは講師の質の判断が難しい。社員扱いの講師が担当するクラスは、1クラスの人数が多くなり授業料も高額になる。規模の拡大に伴い、主に下位クラスで講師の質が落ちている場合もあるという。 中堅塾では集団授業塾でも全てアルバイト講師というところも多く、この場合は授業料が比較的安価であることが多い。 自習形式の塾 クラスはなく広い部屋に異学年の小中学生を集め、様々な科目を自習形式で同時に学習する。解説の書いた専用のプリントと問題用紙をもらい自学自習する。採点者は採点に追われるので、ほとんど指導ができない。人数の多いところでは、アルバイト講師が巡回指導することもある。ほとんどがフランチャイズ形式で、家庭の主婦が指導者として行っているところが多い。公文式や学研教室がこれに当たる。 少人数制授業の塾 1クラス概ね5〜10名のクラス構成で個人経営の塾にこのタイプが多い。集団授業と違い個人指導もある程度できる。 個別指導の塾 1人の講師が概ね1〜4名の生徒を指導する。個人指導ができるが、講師1人に対する生徒が少ない分、授業料が高額。時間単価で比較すると、集団授業の塾の3〜6倍となる。苦手科目のフォローとして補修程度に使うのが無難だという声もある。 少人数制授業へのシフト 少子化傾向に対応し、個別指導や概ね10人以下の少人数制授業の塾が多くなっている。集団授業の塾は大手塾で教室数を拡大する傾向にあるが、姉妹校として個別指導の塾を併設したり、塾内に個別指導ブースを併設する場合もある。もっとも、個別指導といっても家庭教師のように1対1で教えるとは限らない。1人の講師が学年や科目の違う生徒3〜4人程度に対し、同時に巡回指導するものも個別指導という。つまり「個別授業」ではなく「個別指導」なのである。当然1人の講師に対して生徒の人数が少ない分授業料はかなり高額になる。それでも学力が中程度かそれ以下の生徒には、従来の集団授業に比べると行き届いた指導ができる。 個別指導の場合、巡回しながら学年や科目の違う指導に同時に対応できる能力と要領が求められる。一人の講師が全ての学年や科目を担当すると思われがちだが、講師の指導できる科目や学年のみを担当するので、講師が不得意な科目を教えることはほとんどない。しかし、これらの塾では「学習内容」の指導だけでなく「勉強の方法」の指導も行うことが多く、全体の流れを熟知し担当する生徒に応じたペース配分ができるようになるまで、少人数に対する指導とはいえ講師にかかる負荷は大きい。 *予備校とは 予備校とは、各種試験を受験する者に対し、前もって知識や情報を提供する教育施設である。 種別としては、専修学校、各種学校、無認可校のいずれかにあたる。設置者としては、学校法人、財団法人、株式会社、有限会社、個人など多様である。 予備校が対応している選抜試験としては、学校への入学試験と資格試験が主であるため、受験(進学)予備校、司法試験予備校、公務員試験予備校などが一般的に「予備校」と認知されている。 その他、特定の会社・職種の採用試験(客室乗務員、パイロット、アナウンサー、気象予報士、医師国家試験、薬剤師国家試験など)に対応した予備校も存在している。 予備校の中には、卒業試験や期末試験などの学習補助を行う部門が併設される例も多く、その場合は「学習塾」との混合型と見ることも出来る。 また、あまり予備校とは認識されていないが、運転免許取得のための自動車教習所(自動車学校)も予備校の一種である。 ・大学受験予備校 明治時代の旧制高校・旧制専門学校の設置以来、予備校は存在しており、最も歴史の古いものには、研数学館、駿台予備学校などがある。今日の大手予備校は概ね1950年代の中盤から後半にかけて作られている。戦後の高度経済成長期頃から、大学受験の大衆化が進み、河合塾や代々木ゼミナールなどの大手予備校が急成長する下地が生まれた。 1970年代、1980年代、1990年代前半のいわゆる受験バブルの時代においては、現役での進学のほかに大学浪人等で大学進学することも一般化し(「一浪 【いちろう: 一年浪人すること】」と書いて、「ひとなみ」=「人並み」と読む、などと俗に言われた)、独自の予備校文化も形成されるに至った。 1990年代後半に入り、バブル経済の崩壊、少子化の進展につれて、浪人生の数は減少し、予備校の中には浪人生を中心とした本科から、現役生を対象とするコースへと重点を移す傾向にあり、推薦入試やAO入試の対策、それに伴う高校の内申点・定期テスト対策などのニーズも高まっている。ただし、依然として難関校の一般入試は高倍率であり、大手予備校は規模を縮小しながら、存続し続けると見られる。 編入学予備校 短期大学卒業者は、以前は一部系列化している学校関係を別にすれば、そのまま就職先を見つけて、そこに就職するのが普通だった。しかし近年の少子化傾向で、大学全入時代に入ったと言われる中、3年次編入学を中心に、編入学の受け入れを実施したり、受け入れ定員枠を毎年一定数にまで引き上げる大学が増えてきた。その背景の中、編入学予備校が最近では多く見られるようになった。 中央ゼミナールや、英会話教室を中心に、全国に自社ビルや教室を構えるECC、臨床心理士指定大学院受験教育から派生した日本編入学院、池研ネオアカデミー、中央大専門のSTD転部・編入セミナー、進研アカデミー グラデュエート大学部、東京転籍、経済編入予備校、トランスファースクール などが 主要都心部に編入学予備校を開校している他、通常の大手受験予備校や、後述の資格試験系の予備校も編入学部門の予備校を併設している。 高卒認定試験予備校 高等学校卒業程度認定試験(旧大検)対策の予備校で、高卒認定試験予備校、高認対策専門予備校 高認予備校、高校卒業認定予備校ともよばれる。 大手予備校や学習塾などの他、サポート校やフリースクールなどを運営している専門校などが開設運営しているものが多い。 全国区で第一高等学院、中央高等学院、トライ式高等学院、高卒認定試験対策協会、ZENKYOSHIN(全教振)、高卒資格サポートセンター、があり、河合塾は河合塾コスモや大検・大学受験併願コースを開校している。 この外に、高卒認定予備校パーソナルアカデミー、受験準備高ウェッズ、Campus NEXT、大検専門予備校学習社ゼミナール、JIA日本国際学院大検部、松長学院、大検講座マイウェイゼミ、アクセス桜桃会、塾・芳春庵、北野大検学院、専修学校あすなろ予備校、TCC高等学院、明修塾大検部、教栄高等学院、国際アカデミー、BB-School、WAO高等学院、渋谷高等学院大検コース、PAS個別予備校が、北海道は札幌市北区にA EDUCATION PROJECT(エイ・エデュケイション・プロジェクト)、豊平区に池上学院池上オープンスクール、亀田郡七飯町にチーフーキリスト教学園、東北で青森県の学習サークル「サンハウス」、宮城県塩釜市のアテネ受験ゼミナール、仙台市の東北大検専門予備校、福島県いわき市の蛍雪ゼミナールなどがある。 関東圏では大宮予備校、LETS、J-web Schoolの他、茨城県で鹿嶋市の鹿島大検予備校(総香教育ゼミ)、栃木県で宇都宮市の堀江スクール Vitalスクール、夢作志学院、群馬県で前橋市のKATEKYO学院群馬家庭教師ネットワークや太田市の私立志學館、埼玉県はさいたま市大宮区に少年ボランティアスクール、KATEKYO学院埼京家庭教師会、千葉県は茂原市に成美学園などがある。 *周辺環境 いりなか駅 いりなか駅(いりなかえき)は、愛知県名古屋市昭和区隼人町にある、名古屋市営地下鉄鶴舞線の駅である。駅番号はT14。 駅名の由来である周辺の地名は、漢字表記の杁中であるが、杁(いり)が常用漢字ではなく、読めない人が多いいわゆる難読地名であるため、駅名はひらがな表記となった。なお、最寄のバス停名は漢字表記の杁中である。名古屋市営地下鉄の中では、ひらがなのみで表記される唯一の駅である。なお、現在「杁中」の名は交差点名やバス停名、及び「杁中支店」等の店名に使われるのみで、「杁中町」「杁中○丁目」等の地名は存在しない。 南山大学や中京大学附属中京高等学校など付近に学校が多いため、学生を中心として利用者が多い。 周辺には、南山大学短期大学部や南山中学校・高等学校、中京大学附属中京高等学校があり、学生の利用者が多い。かつては、南山大学名古屋キャンパスの最寄り駅だったが、2004年までに名城線の延伸工事が完了し、八事日赤駅や名古屋大学駅が最寄り駅となったため、同大学学生の利用者は減っている。 名古屋市統計年鑑によると、当駅の一日平均乗車人員は以下の通り推移している。 2004年度 7,756人 2005年度 7,299人 2006年度 7,423人 2007年度 7,380人 2008年度 7,559人 2009年度 7,461人 2010年度 7,898人 *新栄 新栄(しんさかえ)は、愛知県名古屋市中区及び千種区にある地名。従来からの町名である「新栄町(しんさかえまち)」と住居表示の実施による「新栄(しんさかえ)」がある。 「新栄町」は全域が中区所在、「新栄」はそのほとんどが中区所在であるが、JR中央線沿いの新栄三丁目の一部は千種区所在となっている。 特色としてはビジネス街、商業地、住宅街が混在した地域であると言える。「新栄町」地区は広小路通沿いに大小のオフィスビルが立ち並ぶ。「新栄」地区のうち空港線と広小路通に面した地域は歓楽街(東新町)としても発展している。外国系の店も多く、それに伴って外国人の居住者も多い。「新栄」地区南部の新栄二丁目・三丁目の市道赤萩町線沿線、新栄一丁目の若宮大通沿線には、広範囲にわたって名古屋市市営住宅(新栄荘1棟~7棟、千種荘、千早荘1棟~2棟)が点在する。 ランドマークとしては雲竜フレックスビル(新栄二丁目、地上高90m)、アクシオス千種(新栄三丁目、地上高108.43m)などが挙げられる。 「新栄町」地区は広小路通の北側(広小路久屋東交差点-東新町交差点間)に接する地域であり、錦通(錦通久屋交差点-東新町北交差点間)との間に挟まれる形となっている。「新栄」地区は、北側の境は広小路通、南側の境は若宮大通、東側の境はJR中央線、西側の境は空港線となる地域である。また、新栄二丁目・三丁目を国道153号(飯田街道)が貫通している。 地形的な面では「新栄町」地区は、東新町交差点から広小路久屋東交差点に向け西向きに登り坂となっている。「新栄」地区はアクシオス千種が所在する北東端が明確な登り坂となっているが、名古屋台地の特徴である緩やかな南西方向への下り斜面となっている(体感的にはほぼ平坦である)。 地名を冠する地下鉄新栄町駅は、当地区内ではなく東区葵一丁目の錦通地下に所在している。新栄町駅から見た場合、「新栄」地区は区境を越えた駅南側に位置することとなる。 「新栄」地区の北部では基本的に新栄町駅が最寄り駅となるが、地区北部でも東寄りの千郷町交差点(広小路通・市道赤萩町線交点)周辺では千種駅の方が利便性が高い。新栄町駅・千種駅とも地区の南部から見ると距離が開いており、千早交差点(若宮大通・市道赤萩町線・市道葵町線交点)周辺では、JR鶴舞駅の方が便が良い。さらに、南西端の丸田町交差点(空港線・若宮大通交点)付近では、わずかな差ではあるが矢場町駅(地下鉄名城線)が徒歩での最寄り駅となる。 「新栄町」地区の場合は、広義の栄地区に属することもあり、最寄り駅として栄駅(地下鉄東山線・名城線)を利用するのが最も便利である。 公立小中学校の学区 「新栄町」地区は名古屋市立新栄小学校区に属している。「新栄」地区もその大部分を新栄小学校区が占めるが、地区南部は名古屋市立千早小学校区であり、南東部丸田町交差点周辺には名古屋市立老松小学校区となっている地域がある。また千種区新栄三丁目については、名古屋市立千石小学校区となっている。 中区の3小学校の進学先となる公立中学校は名古屋市立白山中学校である。また千石小学校の進学先中学校は名古屋市立今池中学校である。名古屋市では公立学校選択制が導入されていないため、住居の移転を伴わない場合、卒業した小学校により進学先の公立中学校が決まることとなる。 2010年国勢調査実施時における世帯数・人口は、新栄町が4世帯13人、新栄一丁目が3334世帯4486人、新栄二丁目が2505世帯3560人、新栄三丁目が2250世帯3897人となっている。新栄町および新栄以外も含まれることとなるが、各小学校区の人口密度はkm2あたりでそれぞれ、新栄小学校区11849人、千早小学校区10294人、老松小学校区14077人、千石小学校区10815人となっている。 **交通 鉄道駅は当地域内にはない。新栄町駅などの近隣地域に所在する駅を利用するか、名古屋市営バスなどを用いて栄、名古屋駅などのターミナル駅に出ることとなる。 道路についても、名古屋市内の主要幹線道路は当地域と他地域の境に位置しているケースが大半であり[注 12]、当地域内を通過するものは国道153号(飯田街道)ぐらいである。 なお、名古屋高速都心環状線の東新町入口は新栄一丁目に接する空港線に所在しており、当地域から利用可能である(東新町出口は東区東桜に所在する)。 また、「新栄」地区南西端の丸田町交差点上で名古屋高速都心環状線と2号東山線が交差し、丸田町ジャンクションとなっている。 鉄道 当地域内には所在しない 道路 飯田街道(国道153号) 広小路通(愛知県道60号名古屋長久手線) 空港線(名古屋市道堀田高岳線) 若宮大通 名古屋市道葵町線 名古屋市道赤萩町線 高速道路 名古屋高速都心環状線 名古屋高速2号東山線 丸田町ジャンクション 東新町入口 *個別指導 個別指導(こべつしどう)とは、教育現場での指導方法の一つで、対象となる生徒の人数に着目していう言い方。反対は、一斉授業で、両者の中間に、分団指導、もしくはグループ指導がある。個別指導の利点はその生徒にあった指導ができることであるが、欠点は指導者が絶対的に足りず指導技術や経験の少ない大学生講師が中心となることである。 歴史 フランス革命以後、ヨーロッパでは公教育が始まったが、近世初期は貴族や上流階級の家では、教育は学校に通わせるのではなく、家庭教師(ガヴァネス)を雇って家で学ばせることが一般的であった。イギリス経験主義の哲学者ジョン・ロックが書いた『教育についての考察』は、そうした家庭で学ぶ子どもの指導についての教育論で、個別指導についての教育論としてはユニークなものである。 *学習塾の形式 多くの塾は主要5教科(国語、社会、算数 / 数学、理科(物理、化学)、英語)の学習に特化しているが、保護者や生徒の希望が英語・数学(算数)・国語に集中することから、個人塾には英語のみ、英・数(算)・国のみなど科目を限定しているところも多い。学校が総合的な人格形成を目指しているのに対して、学習塾は主要教科に関しての弱点補強や高度な学習、入試対策などに力を入れている。保護者の要望に答え、通常の学習よりも中学入試、高校入試での合格を主な目的とする大手進学塾も多くその合格実績を競っている。また、ごく一部には定期テスト前に中学副教科(保健体育・音楽・技術家庭・美術)の記述学習に対応するところもあるほか、理科実験など実技的なものを学ばせ注目度をあげる塾も存在する。学習塾の数だけでいえば個人塾が圧倒的に多く、それぞれ個性的な指導で実績を上げているところも多い。 多くの塾は模擬試験を実施しており、個人の学力レベルをある程度正確に知ることもできる。大手の塾では塾生が多いため塾内模試を、中小の塾では模擬試験専門会社の模試や教材会社が主催する模試、塾団体が設立運営する模試を採用している。 学力別 難関校進学クラスを持つ塾と持たない塾に分かれるが、大手進学塾では学力に応じてクラス分けしていることが多い。中小の大半の塾では人数の都合上クラス分けをしていない。個別指導塾や自習式の塾は個人の実力に応じて対応できるためこのようなクラス分けがない。 難関校進学クラスを持つ塾 難関の学校に進学希望する生徒に、学校の授業より難しい内容を加え指導するクラスを持つ塾。入塾試験でクラス分けするところがほとんど。難関校を目指す生徒のみの塾はほとんどなく、ほとんどが学力別クラスを作った形を取っている。 一般の塾 学力別のクラスを持たない塾。中程度の学力レベルに合わせ、学校の授業より先行して授業を行ったり補習授業を行うもの。中小の学習塾の多くがこれに属する。 人数別 集団授業の塾 1クラス概ね10人以上のクラス構成の塾。大手塾では、社員扱いの講師が高度な内容のクラスを担当し、大学生などのアルバイト講師がそれ以外のほとんどのクラスを担当することが多い。社員と大学生アルバイトなどの見分けが付かないので、習う側からは講師の質の判断が難しい。社員扱いの講師が担当するクラスは、1クラスの人数が多くなり授業料も高額になる。規模の拡大に伴い、主に下位クラスで講師の質が落ちている場合もあるという。 中堅塾では集団授業塾でも全てアルバイト講師というところも多く、この場合は授業料が比較的安価であることが多い。 自習形式の塾 自習形式の塾 クラスはなく広い部屋に異学年の小中学生を集め、様々な科目を自習形式で同時に学習する。解説の書いた専用のプリントと問題用紙をもらい自学自習する。採点者は採点に追われるので、ほとんど指導ができない。人数の多いところでは、アルバイト講師が巡回指導することもある。ほとんどがフランチャイズ形式で、家庭の主婦が指導者として行っているところが多い。公文式や学研教室がこれに当たる。 少人数制授業の塾 1クラス概ね5〜10名のクラス構成で個人経営の塾にこのタイプが多い。集団授業と違い個人指導もある程度できる。 個別指導の塾 1人の講師が概ね1〜4名の生徒を指導する。個人指導ができるが、講師1人に対する生徒が少ない分、授業料が高額。時間単価で比較すると、集団授業の塾の3〜6倍となる。苦手科目のフォローとして補修程度に使うのが無難だという声もある[2]。 ※ここで言う社員とは、塾を専業として働き社会保険(厚生年金・健康保険・雇用保険)に加入した一般的な正社員を言う。アルバイト講師は、主に学生や主婦、他に仕事を持っている者や1年以内の短期契約又は短期契約の雇用期間自動更新などの契約社員を示す。社員とアルバイトの違いが明確でないため、1〜2年で講師が入れ替わる実質アルバイトのような就労実態であっても正社員(常勤講師)などと表現している塾も多い。元塾生が大学生アルバイト講師から始め、社員を目指し教室管理者となることもある。 **少人数制授業へのシフト 少子化傾向に対応し、個別指導や概ね10人以下の少人数制授業の塾が多くなっている。集団授業の塾は大手塾で教室数を拡大する傾向にあるが、姉妹校として個別指導の塾を併設したり、塾内に個別指導ブースを併設する場合もある。もっとも、個別指導といっても家庭教師のように1対1で教えるとは限らない。1人の講師が学年や科目の違う生徒3〜4人程度に対し、同時に巡回指導するものも個別指導という。つまり「個別授業」ではなく「個別指導」なのである。当然1人の講師に対して生徒の人数が少ない分授業料はかなり高額になる。それでも学力が中程度かそれ以下の生徒には、従来の集団授業に比べると行き届いた指導ができる。 個別指導の場合、巡回しながら学年や科目の違う指導に同時に対応できる能力と要領が求められる。一人の講師が全ての学年や科目を担当すると思われがちだが、講師の指導できる科目や学年のみを担当するので、講師が不得意な科目を教えることはほとんどない。しかし、これらの塾では「学習内容」の指導だけでなく「勉強の方法」の指導も行うことが多く、全体の流れを熟知し担当する生徒に応じたペース配分ができるようになるまで、少人数に対する指導とはいえ講師にかかる負荷は大きい。 *教育方法学 教育方法学とは、教育学・教育実践を、方法論的な視点から研究する学問である。 教育方法学の研究分野には、教授学(Didactic_method)をはじめ、カリキュラム・教育評価に関すること、授業・教室に対する研究、教師教育に関することなどがある。また、コンピューターなどの機器を応用した教育工学を含む。 また、教育方法学は、大きく分けて、次の2つの方向で研究が進んでいる。 特定の学問分野を基礎として探求する研究 教育史・教育哲学・教育心理学・教育社会学・教育行政学などをもとに研究が進められている。 教室の具体的問題の解決を追求する実践的研究 実際の授業実践を分析し、反省・批評していく形の研究である。 なお、各教科の指導にあたって、教育方法学は教科教育学に応用される。 ・歴史 古典的な教育方法 原始的には、伝聞・口述による伝承が古くから行われていた。文書の暗唱・輪読などはその一例である。そこから一歩進んだ方法が、古代ギリシアの哲学者によって探求されはじめた。これには、ソクラテスが用いた対話による問答法などがある。佐藤学は、この2つについて、「その成立の出発点から「探求のレトリック」を教える市民の教育と、権威づけられた正解への手続きとしての「服従のレトリック」を教える奴隷の教育との分裂」をした[1]と述べている。 中世では、自由七科の修辞学として教育方法が扱われた。たとえば、アウグスティヌスの『教師論』で、教師の語りの修辞学が提示されている。また、問答法が宗教改革に伴う子どもへの宗教教育で行われた。このときには、教理問答書(想定問答集のようなもの)を使用していた。 一斉授業の成立 このように教育の方法自体は、すでに古代ギリシャより探求されはじめていたが、教育の方法・技術が自覚的・体系的に研究され始めたのは、学校が構想・組織され始めた近代に入ってからである。コメニウスによって近代の学校が構想され、その2世紀近い年月を経て、ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチがルソー等の教育思想を実践して、教育方法の探求へと結合させた。 その後、一斉授業の普及と制度化を基礎づけたのはヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトであり、そのヘルバルト学派の人々によって各国に浸透した。その中で、トゥイスコン・ツィラー、ヴィルヘルム・ラインの教育学は、日本などで学校教育の制度化と授業の定型化を進めた際の、中心的な理論となった。 新教育運動と教育方法 20世紀に入ると公教育制度の画一性と硬直性が批判されるようになり、新教育運動と呼ばれる世界的な学校改革運動が展開された。 まず、ジョン・デューイなどの手によって、「子ども中心主義」の教育が推進されたことである。 その一方で、フランクリン・ボビットは教育課程を最初に体系化し、カリキュラムの科学的研究を初めて行った。彼は、教育文献の中で、「教育目標」という言葉を最初に使ったほか、「活動分析」も推し進めた。そして、これは、チャーターズの「仕事分析」に引き継がれた。チャーターズは、95,000人の女性の一週間の仕事の記録を分析し、総計7300の目標のカテゴリーを設定したうえで、この目標を教科・単元に分配したカリキュラムの構成を提案した。 また、単元学習としては、ウィリアム・ヒアド・キルパトリックの「プロジェクト・メソッド」と、ヘレン・パーカーストの「ドルトン・プラン」などがある。アメリカ国内よりも、日本などのアジア諸国への影響が大きかった。 その後の西洋教育方法学 行動科学に基づき教育方法学を研究した人には、ラルフ・タイラー(英語版)とベンジャミン・ブルームがあげられる。特に、ベンジャミン・ブルームは、教育評価の考え方を示している。 認知心理学を基礎とした教授理論の出発点は、ジェローム・ブルーナー、レフ・ヴィゴツキーなどの研究成果に見ることができる。 日本の教育方法学史 明治に至るまでの寺子屋・藩校などでは自学自習・手習い・暗唱など、模倣と習熟を伝統としていた。 日本での授業・授業研究の出発点は「学事奨励に関する多い仰出書」(1872年)による近代学校の成立とその制度化にある。 その後、大正自由教育運動などの新教育運動が起こり、ドルトン・プランなどが取り上げられた。しかし、昭和期においては戦時色が強くなり、ファシズム教育へと収斂していった。 第二次世界大戦の後、国家中心の教育から子ども中心の教育への転換が試みられた。しかし、「這い回る経験主義」という批判もあったほか、基礎学力の充実に対する要望、修身科の復活要望等もあった。そして、1958年版に行われた学習指導要領は「官報による告示」がなされ、法的拘束力を持つカリキュラムとなった。この学習指導要領は、系統学習の色合いが強いものであった。 その後、授業の科学的研究が進み始めた。1963年に雑誌『授業研究』が創刊され、1964年には日本教育方法学会が結成された。また、現職教諭の研修制度も整えられ、そこで教育方法学が扱われるようになった。諸外国の教育方法・授業分析の理論が導入され、心理学の授業への応用が模索された。 また、1960年代以降、「教育方法の現代化」の取り組みが各所で行われ、各種の教材プログラムの開発が盛んになった。主なものには、遠山啓の「水道方式」(数学)、板倉聖宣らの「仮説実験授業」(理科)、細谷純・高橋金三郎らが開発した「極地形式」(理科)、明星学園をベースに開発された「にっぽんご」(国語)などがある。 1980年頃以降は、校内暴力・いじめ・学級崩壊など「教育方法の現代化」以降の課題解決に方向が向いてきているほか、コンピュータ・マルチメディアを応用した教育工学的なアプローチも研究・実践されている。 *日本教育史 日本教育史では、古代から現代までの日本の教育のあり方とその歴史、教育観、教材、制度などの変遷を掲載する。教育学の一般的な教養の一つの部門でもある。 奈良時代から平安時代まで 古代日本の教育について、多く知られているとはいえない。しかし、山上憶良の「貧窮問答歌」などにも見られるように、親が子を思い、そのために何かをしてやりたいという気持ちは時代が違っていても変わることはなかったようで、資料の残っている以前から、親や大人たちが子どもや若者が1人前になっていく上で、何かの手助けや指導をしていたことは想像に難くない。 施政にあたる人物で、日本史上最も早く教育に関心を示したといわれるのは、、飛鳥時代の政治家、聖徳太子(574年-622年)である。厩戸(うまやど)皇子・上宮(うえのみや)王・豊聡耳(とよとみみ)などともいう。 理想主義的な哲人政治を志向したが、書物としての教育論は残していない。 冠位十二階、十七条憲法の制定、遣隋使(小野妹子)の派遣、四天王寺、法隆寺などの建立などが主だった業績である。経典を研究し「三経義疏」という注釈書を書いたが、これに彼の教育思想、「一乗思想」が色濃く反映されている。つまり、すべての人に等しく教育を説き、理想の実現と人間平等の考え方である。教育についての日本では初めて思想として提起されたものになる。 最初の教育の制度というのは、大宝律令(701年)による教育制度の確立である。これが、日本で最初の成文化された教育の制度になる。この骨格は中国唐の国子監制度から持ちこまれたものである。 その仕組みは、大学寮が中央(都)に一つ設けられた。式部省の所管で、明経道(経書)、算道(算術)および副教科の音道(中国語の発音)、書道(書き方)の四学科があり後に紀伝道(通称「文章道」、中国史・文章)と明法道(法律)が加わった。これらの「明」は、それについて「明るい」(ことの次第によく通じた)という意味である。 その他にも、専門的な技術者養成機関としては典薬寮、陰陽寮、雅楽寮などがあった。これらでは医、薬、針、按摩、陰陽、天文占術、暦、雅楽などを教授した。 当時の学生は、大半は大学寮内に寄宿しており、代表的なものとして菅原清公(菅原道真の祖父)が設立して菅原氏・大江氏の管理下にあったとされる文章院がある。これに対して有力な氏族は大学別曹のような特別な寮舎(りょうしゃ)を設けて、一族の師弟をそこに収容した。これらは独立性を持ち、寄宿舎で、同時に研究所的な性格を持っていた。和気氏の弘文院、藤原氏の勧学院、橘氏の学館院、王氏の奨学院など。大学寮という公的機関を巡る氏族対立の副産物のような存在で、貴族政治の台頭を背景としていた。また、菅原氏などの学者が公務以外に私邸などを使って門人を教育するなど、私立学校の萌芽のようなものもこの時代から現れるようになる。 だが、平安時代後期から官司請負制のもとで官職の世襲化が進み、大学寮の教官も特定の氏族の世襲となって、教官たちは世襲の存続のために自己の子弟・一族や限られた門人に対してのみ限定して、大学寮外の自宅などで教授するという家学化が進んだ。更に1177年の大火で大学寮や文章院が焼失すると、再建されることなく放置され、公的教育機関としての大学寮は消滅することになる。 鎌倉時代から室町時代まで 鎌倉時代から室町時代には、京都の貴族が古典研究や有職故実の学問の担い手となっていた。しかし、都の衰退と共に、仏教寺院や学識僧が徐々にその担い手として台頭し、その中でも鎌倉五山を中心とした五山文学はその代表である。 また武家階級という新たな社会層も、自らの後進のために、学問を身につけるための施設、学校の整備に配慮するようになり、鎌倉時代には北条実時が金沢称名寺(現、神奈川県横浜市金沢区)に金沢文庫を設置し、多くの文書を収集した。また、遅れて室町時代には関東地方において上杉憲実が足利学校を再興する。これは、キリスト教の宣教師たちに「坂東の大学」といわれ、当時の日本の中心的な学校と考えられた。また西洋人の目からみて、その当時の代表的な学校は、他に高野山、比叡山などがそれに並べられていた。 庶民の間では、芸事や趣味の道が次第に洗練されたものになり始め、『風姿花伝』のように芸の道を人間の道と重ね合わせて修行のありようを考えるという視点も、この武家階級の時代の産物である(芸道論)。 江戸時代初期・中期 江戸時代中期の教育は教育機関となる区分が存在せず、幕府によって選定された人物が学問の研究を行い書物を刊行し、武士・百姓・町人の身分制度の中で自学自習するといったことが行われていた[1]。 元禄文化 17世紀半ばから18世紀初めの幕藩体制安定期の元禄文化は社会の安定と経済の発展に伴い、町人に受け入れられる文学や芸能が生まれ、身分秩序の枠内で生きる人々の言葉をつかんだ。特色は武士と上方豪商が担い手で、現実主義・合理的・実証主義的傾向であった。儒学、自然科学、古典研究が発達し、自由な人間性の追求が行われた(町人文学)。華麗で洗練された美も特徴。 文学では、俳諧(松尾芭蕉)、小説(井原西鶴)、脚本(近松門左衛門)。絵画では、琳派(尾形光琳)、土佐派(土佐光起)、住吉派(住吉具慶)、浮世絵(菱川師宣)、(鳥居清信)、風俗画(英一蝶)。歌舞伎では、江戸(市川団十郎)、上方(坂田藤十郎)、女形(芳沢あやめ)などがよく知られている。 儒学 政治のあり方や自己の生き方についての指針を求めるものが多くなった。 忠孝・礼儀を重視した林羅山らの朱学派は、文治政治を裏付ける学問として学会の主流となるとともに、封建社会を支える教学として幕府や藩に支持された。朱子学から転じて陽明学派をおこした中江藤樹は知行合一を説いた。また、山鹿素行や伊藤仁斎ら古学派は、古典を研究し儒学本来の精神を学ぶことを主張した。 諸学問の発達 儒学の影響により、現実的で合理的な思考が発達し、歴史学をはじめとする実証的な学問が芽生えた。また、国文学にも目が向けられ、古典の研究がさかんになった。 歴史学の分野では、1657年に徳川光圀が大義名分論に基づく紀伝体の『大日本史』編纂を開始し、1906年(明治39年)に完成した。中国歴代の正史の体裁を採用した史書で幕末の尊王論に大きな影響を与えた。国文学では、真言宗の僧であった契沖が下河辺長流の影響をうけ、万葉集を初めとする古典の研究に専念し、国学の基礎を築いた。 天文学の分野では、幕府の碁方であった暦学・天文学者の渋川春海(安井算哲)は平安時代以来使われていた宣明暦の誤差を、元の授時暦と天体観測によって修正した貞享暦を1684年(貞享元年)に幕府に建言して採用され、初の天文方に任命された。貞享暦にかな書きされた注は人々が生活するうえでも参考になった。数学(和算)の分野では、関孝和が筆算を創始し、円周率の研究などに業績を挙げた関流和算を完成させた。算額は、各地の和算家たちが神社に奉納した自作問題の絵馬を飾り、回答を絵馬にして答えたりした。和算の入門書とも言える『塵劫記』は吉田光由が完成させ、1627年に刊行された。平易な例題で実生活における数量計算や解法を示した。本草学の分野では、和漢洋の1362種類の動物・植物・鉱物を分類、解説した書である『大和本草』を貝原益軒が記し、1709年に刊行された。観察や経験を重視した益軒は日本の博物学発展の先駆けとなり、実用書としての価値も高かった。 享保・寛政・天保 第8代将軍徳川吉宗は享保の改革を行い、実学奨励にて漢訳洋書の輸入制限の緩和(1720年)と天文台の設置(1744年)を行った。 幕府直轄の昌平坂学問所は、昌平坂に面していたので昌平坂学問所、または昌平黌(こう)とよばれた。1790年(寛政2年)老中松平定信は、寛政の改革の一環として、柴野栗山・岡田寒泉を湯島聖堂付きの儒者に登用し、湯島聖堂あずかりの林家に対し朱子学擁護を命じた。この「寛政異学の禁」の後、学舎が増設され、旗本・御家人だけでなく、藩士・郷士・浪人らも聴講ができるようになった。1793年に林述斎が林家をついで大学頭となると、それまで林家の家塾だった「湯島聖堂」が、正式に幕府直轄の学問所となった。 学問所では、毎月の定日に経書の講義や会読、小試・大試などの試験もおこなわれた。また、初学者のための学問所直轄の教授所が深川・麻布・麹町にあった。さらに、『寛政重修諸家譜』『新編相模国風土記稿』など、幕府の編纂事業も学問所がおこなっていた。そして、このような学問所は藩校のモデルとなり、江戸時代後期には、藩校の教官養成の機能も果たしていた。 老中水野忠邦は天保の改革にて軍事改革を行い、清がアヘン戦争に敗れたことから西洋砲術を採用し、高島秋帆を長崎から招き、軍事学・軍事戦術の研究、訓練が行われた。またこの頃、大塩平八郎の乱が勃発、化政文化が開花した。
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J&Sachi塾では、身だしなみから始まり、指導に入る前・指導に入ってからの指導の始め方、採点方法(科目別)、 宿題の出し方、授業終了時の挨拶の仕方まで100を超えるチェック項目を日々確認してから指導に入っております。 大切なお子様達の未来のために、社員講師であっても学生講師であっても、指導内容に差が出てしまっては、 個別指導を行う意味がありません。 講師は入塾からしっかりと3ヶ月以上の基礎講習を行い、VTRを見せて終わりや、マニュアルを読ませて終わり ではなくこちらも個別指導を行いながら講師のスキルアップを図っています。 *■良くある質問 ・自分の受けたい科目だけ受けることは可能ですか? 当塾ではさまざまなコースを準備しております。全ての科目をトータルにアドバイスさせていただくものから、ご自分の苦手とする科目のみを選択するコースまで様々です。 ・入塾学力テストの結果で落ちるということはありますか?科目数は? 入塾テストは入塾できるできないを決めるものではありません。今の自分の力を認識し、 それにあったプログラムからスタートしなければ成績が伸びるものも伸びなくなってしまいます。あくまでこれからの自分(お子様)の未来の為に実施します。その一つのきっかけになればと思います。科目に関しては学年で違いますので詳細はお問い合わせください。 ・定期テスト対策などもこの塾でして頂けるのでしょうか? はい実施します。学校で使われている教科書や普段の授業から学ぶ事によって、 短期間で定期テストの学年順位を100番近く上げた方も多数いらっしゃいます。 ・偏差値40で年齢も20代後半の僕でも入塾することは可能ですか? もちろん大丈夫ですよ。今の年齢、学力が大切ではありません。これから自分がどうしたいのかと思う気持ちがとても大切です。そんな人を全力で私たちはサポートしていきます ・夏期講習(春期、冬期など含め)だけ受ける事はできますか? もちろん大丈夫ですよ。休み期間中に集中して勉強したいと思われる方は多数いらっしゃいます。その声にお応えして聴講生として入塾することができます。休み期間中一緒に頑張りましょう。 *■教室へのこだわり **・ミッドランドスクエア校 所在地 〒450-6204 名古屋市中村区名駅 4丁目7番1号 ミッドランドスクエア4F JR名古屋駅とは名駅通を挟んですぐ、信号を渡り徒歩約1分で名古屋駅桜通口、名鉄名古屋駅に行くことができるので、学校帰りにも便利。また、名古屋駅地下街から直結しているため、天気を気にすることなく通塾することができる。 地下からは地下鉄東山線名古屋駅まで徒歩1分程度で、近鉄名古屋駅は徒歩数分程度で到着する。 教室内に入るとジェイ・サチ独特の木の香りとともに、天井の高さに圧倒される。高さは3.5メートルを超え、ビルの中とは思えない開放感を感じる。また最新設備により防音効果も優れていて、一歩中に入れば商業施設とは思えない静けさとなっている。 生徒の学習の集中力UPを追求した環境に、必ず満足してもらえるよう努めている。 **・いりなか駅前校 所在地 〒466-0833 名古屋市昭和区隼人町7番地1 南山小・中・高をはじめとする文教地区として有名な「いりなか」にある本校へは、広範囲から多くの塾を飛び越えて生徒が集まって来ている。場所は、2番改札口を出て川名駅方面に歩いてすぐの4階建て。 一階が9台収容、冷暖房完備の駐車場、2階と3階が教室および事務所となっている。そして4階は、設計オフィスと印刷スペース。他校舎同様、自然素材にこだわった造りで安心安全のオーガニック空間となっている。 ジェイ・サチ本部機能を備え、本部校の活気あふれる雰囲気の中、充実した学習環境を提供できる。 ・江南駅前校 〒483-8213 江南市古知野町朝日165番地 ナガタニビル4階 0120-096-124 名古屋鉄道犬山線江南駅西口を出てすぐの5階建てのビルの4階。お子様の安全面での上でも、駅前は明るく人通りも多く防犯上安全性の非常に高い立地条件ともいえる。西口から徒歩一分もかからないため帰宅におけるバス、電車などの待ち時間の無駄な時間はありません。 教室内に入るとジェイ・サチ独特の木の香りとともに、ビルの中とは思えない開放感を感じる。ヒノキの机・椅子&ヒノキ(塗装はドイツ製天然系)と大理石の内装です。床下には室温で遠赤外線を出して植物・人間を元気にする天然石を並べた。 蛍光灯は生徒の帰宅後の睡眠を妨げない電球色を使用するだけではなく、イタリア製の天然綿でシックハウス対策もしている。お子様の学習の集中力UPを追求した環境は満足度も高い。 *J.Sachiキッズ 幼児さん対象のクラスには、小学校受験に対応した 『小学校受験コース(年中児・年長児用の各コース)』と、 好奇心いっぱいのお子さまの心と興味を育てる 『幼児コース(1才10ヶ月~年長児)』がある。 どちらのコースも、幼児期に大切な、 「考える力」「創造する力」「集中する力」「切り替える力」を伸ばす。 お子様が大きく、柔らかく、すばらしく成長される。 *高卒生メディカルクラス **・特徴 ■厳選された教材群を使用し、一人一人に合わせたレベルで提案する。 ■平均月2回模試を受験し、実践力を鍛える個人指導。 ■基礎の反復と応用力の強化。 ■戦略性の高いカリキュラム+定期的に行われる1:1での面談により個人カリキュラムの展開。 ■小論文・面接・リスニング対策も担当講師によりフォロー。 **・カリキュラム(代表例) <前期> 1.個人カリキュラムの作成を行い、課題となる教材を列挙し、予定を組む。   センター試験レベルを軸とした基礎力の養成(数学に関してはⅢCまで学習) 2.基礎力の定着を徹底しつつ、英・数を中心に応用力を強化。   夏場の模試にそなえて追い込みもかけていく。 <前期> ■英語・数学に加えて理科も応用力を養成する。 ■過去問研究を始め、必要とされる学力を確認、自分との差を詰めていく。 ■後期より始まる模試に備えて猛特訓。 <後期> 本格的に始まる模試を中心に一週間ローテ学習で実践力を養成する。 この時点で、合格へのある程度見通しを立てる。 *ジェイサチ予備校 戦略 そもそも合格するとはなんでしょうか?当たり前ですが、入試本番当日に合格点以上の答案を書いてくることです、では、それに近づくためにはどうすればよいのでしょうか?J.Sachi予備校には答えがあります。 戦略 1自分だけのカリキュラム J.Sachi予備校には,個々の生徒の学習能力を伸ばす基本カリキュラムがあります。それを基盤に担任講師と1対1で面談をじっくりと行い、一人一人に合った個人カリキュラムをオーダーメイド感覚で作っていきます。そのカリキュラムを羅針盤に、志望校合格への道のりを着実に歩んでいただきます。 戦略 2圧倒的な学習量 J.Sachi予備校のカリキュラムでは年間約2100時間(季節毎の講習含)の個別指導が受けられます。 この膨大な学習時間があってこそ、合格への自信が生まれるのです。 またJ.Sachi予備校ならではの快適な学習環境が、これだけ長い時間机に向かう座力を可能にするのです。 戦略 3個人の能力を最大限に発揮する、個別授業形態 個別指導ですから、分からないところはすぐに質問して解決できます。選りすぐりの優秀な講師が、一人一人の生徒へ丁寧に説明し、確実な理解を導き出します。また自分のペースで学習ができるので、やる気があればどんどん先へ進むこともできますが、逆に必要があればしっかり復習する時間もとれます。答えが『反射的に』出てくるようになるまで、繰り返し復習することが合格への王道。この信念の基に、J.Sachi予備校では復習を重視したカリキュラムを組んでいます。 *ジェイサチ 高卒生のサポートシステム サポートシステム ■予備校担当者と本人との定期的な面談により生活サポート及びメンタルケアをしながらあなたの大切な  一年を完全サポートします 。 ■実力者ぞろいの先生が非常に近くにいるので、大手予備校とは違い先生と直接コミュニケーションを通した  学習が容易にできます。 ■毎週のホームルームにて、みなさんの進学先の最新受験情報を提供していきます。 ジェイサチの戦略 そもそも合格するとはなんでしょうか?当たり前ですが、入試本番当日に合格点以上の答案を書いてくることです、では、それに近づくためにはどうすればよいのでしょうか?J.Sachi予備校には答えがあります。 戦略 1自分だけのカリキュラム J.Sachi予備校には,個々の生徒の学習能力を伸ばす基本カリキュラムがあります。それを基盤に担任講師と1対1で面談をじっくりと行い、一人一人に合った個人カリキュラムをオーダーメイド感覚で作っていきます。そのカリキュラムを羅針盤に、志望校合格への道のりを着実に歩んでいただきます。 戦略 2圧倒的な学習量 J.Sachi予備校のカリキュラムでは年間約2100時間(季節毎の講習含)の個別指導が受けられます。 この膨大な学習時間があってこそ、合格への自信が生まれるのです。 またJ.Sachi予備校ならではの快適な学習環境が、これだけ長い時間机に向かう座力を可能にするのです。 戦略 3個人の能力を最大限に発揮する、個別授業形態 個別指導ですから、分からないところはすぐに質問して解決できます。選りすぐりの優秀な講師が、一人一人の生徒へ丁寧に説明し、確実な理解を導き出します。また自分のペースで学習ができるので、やる気があればどんどん先へ進むこともできますが、逆に必要があればしっかり復習する時間もとれます。答えが『反射的に』出てくるようになるまで、繰り返し復習することが合格への王道。この信念の基に、J.Sachi予備校では復習を重視したカリキュラムを組んでいます。 *ジェイサチキッズ 保護者の声紹介 ・ひらがな頑張ったよ Tちゃんのお母様より 「先生、ひらがな頑張ったよ!」と、宿題をうれしそうに見せてくれるTちゃん「”な”の字が難しいかったけどがんばったよ」「今度、カタツムリをたくさん書いてくるね!」など、教室での様子を楽しそうに話ししてくれます。私が言わなくても自分で楽しくどんどん進めているんですよ。自分で考え、感じ、取り組める。自立した心を育てて頂き、感謝しています。 ・木のお家で勉強したい! 年中児のCちゃんのお母様より 娘が「木のお家で勉強したい!」と自分から言ってくれています。 字に興味がなかったのに、あっという間に、自分の名前が書けるようになってきてびっくりです。授業後に先生より、一人一人にアドバイスをいただき、授業内容を説明していただけるので、塾だけで家庭学習の目安がしっかりできます。 ・ジェイ・サチのトマトは(お日さまで)あたたかかった 年中児のKちゃん、ジェイ・サチからもらったトマトの苗を、おばあちゃんの家の畑に植えましたと報告がありました。数日後・・・お母様よりお手紙を頂きました 子供が「赤い小さなトマトが3個できたよ!食べたら、お日さまの味がしたよ。おうちのトマトは(冷蔵庫に入っているので)冷たいけれど、ジェイ・サチのトマトは(お日さまで)あたたかかったよ!」と喜んでいます。自然を通じたお勉強などができ、とても感謝しています。 ・探究心が出てきた 年長児のBちゃんのお母様より テキストに、にじが出てきたので、「虹の色は何色だろう?」と、親子で百科事典で調べました。 言葉さがしでは、「”ひゃ”のつくものな~んだ?」「”きゃ”のつくものな~んだ?」と質問攻めにあい、この機会にと、国語辞典の使い方を教えました。多方面から勉強する機会を、幼児のうちから与えてもらっています。最近、ますます探究心が出てきたように思います。 *学習塾とは 学習塾は、主に小中学校の放課の後に、有償で学力の補強や学習の補助などをする施設である。一般的には、単に塾(じゅく)と呼ぶことが多い。また特に受験対策を行う塾を進学塾ともいう。 平成21年経済センサス(2009年)によると、日本国内に5万1千箇所あまりの事業所があるとされる。 多くの塾は主要5教科(国語、社会、算数 / 数学、理科(物理、化学)、英語)の学習に特化しているが、保護者や生徒の希望が英語・数学(算数)・国語に集中することから、個人塾には英語のみ、英・数(算)・国のみなど科目を限定しているところも多い。学校が総合的な人間形成を目指しているのに対して、学習塾は主要科目に関しての弱点補強や高度な学習、入試対策などに力を入れている。保護者の要望に答え、通常の学習よりも中学入試、高校入試での合格を主な目的とする大手進学塾も多くその合格実績を競っている。また、ごく一部には定期テスト前に中学副教科(保健体育・音楽・技術家庭・美術)の記述学習に対応するところもあるほか、理科実験など実技的なものを学ばせ注目度をあげる塾も存在する。学習塾の数だけでいえば個人塾が圧倒的に多く、それぞれ個性的な指導で実績を上げているところも多い。 多くの塾は模擬試験を実施しており、個人の学力レベルをある程度正確に知ることもできる。大手の塾では塾生が多いため塾内模試を、中小の塾では模擬試験専門会社の模試や教材会社が主催する模試、塾団体が設立運営する模試を採用している。 **学習塾の分類 学力別 難関校進学クラスを持つ塾と持たない塾に分かれるが、大手進学塾では学力に応じてクラス分けしていることが多い。中小の大半の塾では人数の都合上クラス分けをしていない。個別指導塾や自習式の塾は個人の実力に応じて対応できるためこのようなクラス分けがない。 難関校進学クラスを持つ塾 難関の学校に進学希望する生徒に、学校の授業より難しい内容を加え指導するクラスを持つ塾。入塾試験でクラス分けするところがほとんど。難関校を目指す生徒のみの塾はほとんどなく、ほとんどが学力別クラスを作った形を取っている。 一般の塾 学力別のクラスを持たない塾。中程度の学力レベルに合わせ、学校の授業より先行して授業を行ったり補習授業を行うもの。中小の学習塾の多くがこれに属する。 人数別 集団授業の塾 1クラス概ね10人以上のクラス構成の塾。大手塾では、社員扱いの講師が高度な内容のクラスを担当し、大学生などのアルバイト講師がそれ以外のほとんどのクラスを担当することが多い。社員と大学生アルバイトなどの見分けが付かないので、習う側からは講師の質の判断が難しい。社員扱いの講師が担当するクラスは、1クラスの人数が多くなり授業料も高額になる。規模の拡大に伴い、主に下位クラスで講師の質が落ちている場合もあるという。 中堅塾では集団授業塾でも全てアルバイト講師というところも多く、この場合は授業料が比較的安価であることが多い。 自習形式の塾 クラスはなく広い部屋に異学年の小中学生を集め、様々な科目を自習形式で同時に学習する。解説の書いた専用のプリントと問題用紙をもらい自学自習する。採点者は採点に追われるので、ほとんど指導ができない。人数の多いところでは、アルバイト講師が巡回指導することもある。ほとんどがフランチャイズ形式で、家庭の主婦が指導者として行っているところが多い。公文式や学研教室がこれに当たる。 少人数制授業の塾 1クラス概ね5〜10名のクラス構成で個人経営の塾にこのタイプが多い。集団授業と違い個人指導もある程度できる。 個別指導の塾 1人の講師が概ね1〜4名の生徒を指導する。個人指導ができるが、講師1人に対する生徒が少ない分、授業料が高額。時間単価で比較すると、集団授業の塾の3〜6倍となる。苦手科目のフォローとして補修程度に使うのが無難だという声もある。 少人数制授業へのシフト 少子化傾向に対応し、個別指導や概ね10人以下の少人数制授業の塾が多くなっている。集団授業の塾は大手塾で教室数を拡大する傾向にあるが、姉妹校として個別指導の塾を併設したり、塾内に個別指導ブースを併設する場合もある。もっとも、個別指導といっても家庭教師のように1対1で教えるとは限らない。1人の講師が学年や科目の違う生徒3〜4人程度に対し、同時に巡回指導するものも個別指導という。つまり「個別授業」ではなく「個別指導」なのである。当然1人の講師に対して生徒の人数が少ない分授業料はかなり高額になる。それでも学力が中程度かそれ以下の生徒には、従来の集団授業に比べると行き届いた指導ができる。 個別指導の場合、巡回しながら学年や科目の違う指導に同時に対応できる能力と要領が求められる。一人の講師が全ての学年や科目を担当すると思われがちだが、講師の指導できる科目や学年のみを担当するので、講師が不得意な科目を教えることはほとんどない。しかし、これらの塾では「学習内容」の指導だけでなく「勉強の方法」の指導も行うことが多く、全体の流れを熟知し担当する生徒に応じたペース配分ができるようになるまで、少人数に対する指導とはいえ講師にかかる負荷は大きい。 *予備校とは 予備校とは、各種試験を受験する者に対し、前もって知識や情報を提供する教育施設である。 種別としては、専修学校、各種学校、無認可校のいずれかにあたる。設置者としては、学校法人、財団法人、株式会社、有限会社、個人など多様である。 予備校が対応している選抜試験としては、学校への入学試験と資格試験が主であるため、受験(進学)予備校、司法試験予備校、公務員試験予備校などが一般的に「予備校」と認知されている。 その他、特定の会社・職種の採用試験(客室乗務員、パイロット、アナウンサー、気象予報士、医師国家試験、薬剤師国家試験など)に対応した予備校も存在している。 予備校の中には、卒業試験や期末試験などの学習補助を行う部門が併設される例も多く、その場合は「学習塾」との混合型と見ることも出来る。 また、あまり予備校とは認識されていないが、運転免許取得のための自動車教習所(自動車学校)も予備校の一種である。 ・大学受験予備校 明治時代の旧制高校・旧制専門学校の設置以来、予備校は存在しており、最も歴史の古いものには、研数学館、駿台予備学校などがある。今日の大手予備校は概ね1950年代の中盤から後半にかけて作られている。戦後の高度経済成長期頃から、大学受験の大衆化が進み、河合塾や代々木ゼミナールなどの大手予備校が急成長する下地が生まれた。 1970年代、1980年代、1990年代前半のいわゆる受験バブルの時代においては、現役での進学のほかに大学浪人等で大学進学することも一般化し(「一浪 【いちろう: 一年浪人すること】」と書いて、「ひとなみ」=「人並み」と読む、などと俗に言われた)、独自の予備校文化も形成されるに至った。 1990年代後半に入り、バブル経済の崩壊、少子化の進展につれて、浪人生の数は減少し、予備校の中には浪人生を中心とした本科から、現役生を対象とするコースへと重点を移す傾向にあり、推薦入試やAO入試の対策、それに伴う高校の内申点・定期テスト対策などのニーズも高まっている。ただし、依然として難関校の一般入試は高倍率であり、大手予備校は規模を縮小しながら、存続し続けると見られる。 編入学予備校 短期大学卒業者は、以前は一部系列化している学校関係を別にすれば、そのまま就職先を見つけて、そこに就職するのが普通だった。しかし近年の少子化傾向で、大学全入時代に入ったと言われる中、3年次編入学を中心に、編入学の受け入れを実施したり、受け入れ定員枠を毎年一定数にまで引き上げる大学が増えてきた。その背景の中、編入学予備校が最近では多く見られるようになった。 中央ゼミナールや、英会話教室を中心に、全国に自社ビルや教室を構えるECC、臨床心理士指定大学院受験教育から派生した日本編入学院、池研ネオアカデミー、中央大専門のSTD転部・編入セミナー、進研アカデミー グラデュエート大学部、東京転籍、経済編入予備校、トランスファースクール などが 主要都心部に編入学予備校を開校している他、通常の大手受験予備校や、後述の資格試験系の予備校も編入学部門の予備校を併設している。 高卒認定試験予備校 高等学校卒業程度認定試験(旧大検)対策の予備校で、高卒認定試験予備校、高認対策専門予備校 高認予備校、高校卒業認定予備校ともよばれる。 大手予備校や学習塾などの他、サポート校やフリースクールなどを運営している専門校などが開設運営しているものが多い。 全国区で第一高等学院、中央高等学院、トライ式高等学院、高卒認定試験対策協会、ZENKYOSHIN(全教振)、高卒資格サポートセンター、があり、河合塾は河合塾コスモや大検・大学受験併願コースを開校している。 この外に、高卒認定予備校パーソナルアカデミー、受験準備高ウェッズ、Campus NEXT、大検専門予備校学習社ゼミナール、JIA日本国際学院大検部、松長学院、大検講座マイウェイゼミ、アクセス桜桃会、塾・芳春庵、北野大検学院、専修学校あすなろ予備校、TCC高等学院、明修塾大検部、教栄高等学院、国際アカデミー、BB-School、WAO高等学院、渋谷高等学院大検コース、PAS個別予備校が、北海道は札幌市北区にA EDUCATION PROJECT(エイ・エデュケイション・プロジェクト)、豊平区に池上学院池上オープンスクール、亀田郡七飯町にチーフーキリスト教学園、東北で青森県の学習サークル「サンハウス」、宮城県塩釜市のアテネ受験ゼミナール、仙台市の東北大検専門予備校、福島県いわき市の蛍雪ゼミナールなどがある。 関東圏では大宮予備校、LETS、J-web Schoolの他、茨城県で鹿嶋市の鹿島大検予備校(総香教育ゼミ)、栃木県で宇都宮市の堀江スクール Vitalスクール、夢作志学院、群馬県で前橋市のKATEKYO学院群馬家庭教師ネットワークや太田市の私立志學館、埼玉県はさいたま市大宮区に少年ボランティアスクール、KATEKYO学院埼京家庭教師会、千葉県は茂原市に成美学園などがある。 *周辺環境 いりなか駅 いりなか駅(いりなかえき)は、愛知県名古屋市昭和区隼人町にある、名古屋市営地下鉄鶴舞線の駅である。駅番号はT14。 駅名の由来である周辺の地名は、漢字表記の杁中であるが、杁(いり)が常用漢字ではなく、読めない人が多いいわゆる難読地名であるため、駅名はひらがな表記となった。なお、最寄のバス停名は漢字表記の杁中である。名古屋市営地下鉄の中では、ひらがなのみで表記される唯一の駅である。なお、現在「杁中」の名は交差点名やバス停名、及び「杁中支店」等の店名に使われるのみで、「杁中町」「杁中○丁目」等の地名は存在しない。 南山大学や中京大学附属中京高等学校など付近に学校が多いため、学生を中心として利用者が多い。 周辺には、南山大学短期大学部や南山中学校・高等学校、中京大学附属中京高等学校があり、学生の利用者が多い。かつては、南山大学名古屋キャンパスの最寄り駅だったが、2004年までに名城線の延伸工事が完了し、八事日赤駅や名古屋大学駅が最寄り駅となったため、同大学学生の利用者は減っている。 名古屋市統計年鑑によると、当駅の一日平均乗車人員は以下の通り推移している。 2004年度 7,756人 2005年度 7,299人 2006年度 7,423人 2007年度 7,380人 2008年度 7,559人 2009年度 7,461人 2010年度 7,898人 *新栄 新栄(しんさかえ)は、愛知県名古屋市中区及び千種区にある地名。従来からの町名である「新栄町(しんさかえまち)」と住居表示の実施による「新栄(しんさかえ)」がある。 「新栄町」は全域が中区所在、「新栄」はそのほとんどが中区所在であるが、JR中央線沿いの新栄三丁目の一部は千種区所在となっている。 特色としてはビジネス街、商業地、住宅街が混在した地域であると言える。「新栄町」地区は広小路通沿いに大小のオフィスビルが立ち並ぶ。「新栄」地区のうち空港線と広小路通に面した地域は歓楽街(東新町)としても発展している。外国系の店も多く、それに伴って外国人の居住者も多い。「新栄」地区南部の新栄二丁目・三丁目の市道赤萩町線沿線、新栄一丁目の若宮大通沿線には、広範囲にわたって名古屋市市営住宅(新栄荘1棟~7棟、千種荘、千早荘1棟~2棟)が点在する。 ランドマークとしては雲竜フレックスビル(新栄二丁目、地上高90m)、アクシオス千種(新栄三丁目、地上高108.43m)などが挙げられる。 「新栄町」地区は広小路通の北側(広小路久屋東交差点-東新町交差点間)に接する地域であり、錦通(錦通久屋交差点-東新町北交差点間)との間に挟まれる形となっている。「新栄」地区は、北側の境は広小路通、南側の境は若宮大通、東側の境はJR中央線、西側の境は空港線となる地域である。また、新栄二丁目・三丁目を国道153号(飯田街道)が貫通している。 地形的な面では「新栄町」地区は、東新町交差点から広小路久屋東交差点に向け西向きに登り坂となっている。「新栄」地区はアクシオス千種が所在する北東端が明確な登り坂となっているが、名古屋台地の特徴である緩やかな南西方向への下り斜面となっている(体感的にはほぼ平坦である)。 地名を冠する地下鉄新栄町駅は、当地区内ではなく東区葵一丁目の錦通地下に所在している。新栄町駅から見た場合、「新栄」地区は区境を越えた駅南側に位置することとなる。 「新栄」地区の北部では基本的に新栄町駅が最寄り駅となるが、地区北部でも東寄りの千郷町交差点(広小路通・市道赤萩町線交点)周辺では千種駅の方が利便性が高い。新栄町駅・千種駅とも地区の南部から見ると距離が開いており、千早交差点(若宮大通・市道赤萩町線・市道葵町線交点)周辺では、JR鶴舞駅の方が便が良い。さらに、南西端の丸田町交差点(空港線・若宮大通交点)付近では、わずかな差ではあるが矢場町駅(地下鉄名城線)が徒歩での最寄り駅となる。 「新栄町」地区の場合は、広義の栄地区に属することもあり、最寄り駅として栄駅(地下鉄東山線・名城線)を利用するのが最も便利である。 公立小中学校の学区 「新栄町」地区は名古屋市立新栄小学校区に属している。「新栄」地区もその大部分を新栄小学校区が占めるが、地区南部は名古屋市立千早小学校区であり、南東部丸田町交差点周辺には名古屋市立老松小学校区となっている地域がある。また千種区新栄三丁目については、名古屋市立千石小学校区となっている。 中区の3小学校の進学先となる公立中学校は名古屋市立白山中学校である。また千石小学校の進学先中学校は名古屋市立今池中学校である。名古屋市では公立学校選択制が導入されていないため、住居の移転を伴わない場合、卒業した小学校により進学先の公立中学校が決まることとなる。 2010年国勢調査実施時における世帯数・人口は、新栄町が4世帯13人、新栄一丁目が3334世帯4486人、新栄二丁目が2505世帯3560人、新栄三丁目が2250世帯3897人となっている。新栄町および新栄以外も含まれることとなるが、各小学校区の人口密度はkm2あたりでそれぞれ、新栄小学校区11849人、千早小学校区10294人、老松小学校区14077人、千石小学校区10815人となっている。 **交通 鉄道駅は当地域内にはない。新栄町駅などの近隣地域に所在する駅を利用するか、名古屋市営バスなどを用いて栄、名古屋駅などのターミナル駅に出ることとなる。 道路についても、名古屋市内の主要幹線道路は当地域と他地域の境に位置しているケースが大半であり[注 12]、当地域内を通過するものは国道153号(飯田街道)ぐらいである。 なお、名古屋高速都心環状線の東新町入口は新栄一丁目に接する空港線に所在しており、当地域から利用可能である(東新町出口は東区東桜に所在する)。 また、「新栄」地区南西端の丸田町交差点上で名古屋高速都心環状線と2号東山線が交差し、丸田町ジャンクションとなっている。 鉄道 当地域内には所在しない 道路 飯田街道(国道153号) 広小路通(愛知県道60号名古屋長久手線) 空港線(名古屋市道堀田高岳線) 若宮大通 名古屋市道葵町線 名古屋市道赤萩町線 高速道路 名古屋高速都心環状線 名古屋高速2号東山線 丸田町ジャンクション 東新町入口 *個別指導 個別指導(こべつしどう)とは、教育現場での指導方法の一つで、対象となる生徒の人数に着目していう言い方。反対は、一斉授業で、両者の中間に、分団指導、もしくはグループ指導がある。個別指導の利点はその生徒にあった指導ができることであるが、欠点は指導者が絶対的に足りず指導技術や経験の少ない大学生講師が中心となることである。 歴史 フランス革命以後、ヨーロッパでは公教育が始まったが、近世初期は貴族や上流階級の家では、教育は学校に通わせるのではなく、家庭教師(ガヴァネス)を雇って家で学ばせることが一般的であった。イギリス経験主義の哲学者ジョン・ロックが書いた『教育についての考察』は、そうした家庭で学ぶ子どもの指導についての教育論で、個別指導についての教育論としてはユニークなものである。 *学習塾の形式 多くの塾は主要5教科(国語、社会、算数 / 数学、理科(物理、化学)、英語)の学習に特化しているが、保護者や生徒の希望が英語・数学(算数)・国語に集中することから、個人塾には英語のみ、英・数(算)・国のみなど科目を限定しているところも多い。学校が総合的な人格形成を目指しているのに対して、学習塾は主要教科に関しての弱点補強や高度な学習、入試対策などに力を入れている。保護者の要望に答え、通常の学習よりも中学入試、高校入試での合格を主な目的とする大手進学塾も多くその合格実績を競っている。また、ごく一部には定期テスト前に中学副教科(保健体育・音楽・技術家庭・美術)の記述学習に対応するところもあるほか、理科実験など実技的なものを学ばせ注目度をあげる塾も存在する。学習塾の数だけでいえば個人塾が圧倒的に多く、それぞれ個性的な指導で実績を上げているところも多い。 多くの塾は模擬試験を実施しており、個人の学力レベルをある程度正確に知ることもできる。大手の塾では塾生が多いため塾内模試を、中小の塾では模擬試験専門会社の模試や教材会社が主催する模試、塾団体が設立運営する模試を採用している。 学力別 難関校進学クラスを持つ塾と持たない塾に分かれるが、大手進学塾では学力に応じてクラス分けしていることが多い。中小の大半の塾では人数の都合上クラス分けをしていない。個別指導塾や自習式の塾は個人の実力に応じて対応できるためこのようなクラス分けがない。 難関校進学クラスを持つ塾 難関の学校に進学希望する生徒に、学校の授業より難しい内容を加え指導するクラスを持つ塾。入塾試験でクラス分けするところがほとんど。難関校を目指す生徒のみの塾はほとんどなく、ほとんどが学力別クラスを作った形を取っている。 一般の塾 学力別のクラスを持たない塾。中程度の学力レベルに合わせ、学校の授業より先行して授業を行ったり補習授業を行うもの。中小の学習塾の多くがこれに属する。 人数別 集団授業の塾 1クラス概ね10人以上のクラス構成の塾。大手塾では、社員扱いの講師が高度な内容のクラスを担当し、大学生などのアルバイト講師がそれ以外のほとんどのクラスを担当することが多い。社員と大学生アルバイトなどの見分けが付かないので、習う側からは講師の質の判断が難しい。社員扱いの講師が担当するクラスは、1クラスの人数が多くなり授業料も高額になる。規模の拡大に伴い、主に下位クラスで講師の質が落ちている場合もあるという。 中堅塾では集団授業塾でも全てアルバイト講師というところも多く、この場合は授業料が比較的安価であることが多い。 自習形式の塾 自習形式の塾 クラスはなく広い部屋に異学年の小中学生を集め、様々な科目を自習形式で同時に学習する。解説の書いた専用のプリントと問題用紙をもらい自学自習する。採点者は採点に追われるので、ほとんど指導ができない。人数の多いところでは、アルバイト講師が巡回指導することもある。ほとんどがフランチャイズ形式で、家庭の主婦が指導者として行っているところが多い。公文式や学研教室がこれに当たる。 少人数制授業の塾 1クラス概ね5〜10名のクラス構成で個人経営の塾にこのタイプが多い。集団授業と違い個人指導もある程度できる。 個別指導の塾 1人の講師が概ね1〜4名の生徒を指導する。個人指導ができるが、講師1人に対する生徒が少ない分、授業料が高額。時間単価で比較すると、集団授業の塾の3〜6倍となる。苦手科目のフォローとして補修程度に使うのが無難だという声もある[2]。 ※ここで言う社員とは、塾を専業として働き社会保険(厚生年金・健康保険・雇用保険)に加入した一般的な正社員を言う。アルバイト講師は、主に学生や主婦、他に仕事を持っている者や1年以内の短期契約又は短期契約の雇用期間自動更新などの契約社員を示す。社員とアルバイトの違いが明確でないため、1〜2年で講師が入れ替わる実質アルバイトのような就労実態であっても正社員(常勤講師)などと表現している塾も多い。元塾生が大学生アルバイト講師から始め、社員を目指し教室管理者となることもある。 **少人数制授業へのシフト 少子化傾向に対応し、個別指導や概ね10人以下の少人数制授業の塾が多くなっている。集団授業の塾は大手塾で教室数を拡大する傾向にあるが、姉妹校として個別指導の塾を併設したり、塾内に個別指導ブースを併設する場合もある。もっとも、個別指導といっても家庭教師のように1対1で教えるとは限らない。1人の講師が学年や科目の違う生徒3〜4人程度に対し、同時に巡回指導するものも個別指導という。つまり「個別授業」ではなく「個別指導」なのである。当然1人の講師に対して生徒の人数が少ない分授業料はかなり高額になる。それでも学力が中程度かそれ以下の生徒には、従来の集団授業に比べると行き届いた指導ができる。 個別指導の場合、巡回しながら学年や科目の違う指導に同時に対応できる能力と要領が求められる。一人の講師が全ての学年や科目を担当すると思われがちだが、講師の指導できる科目や学年のみを担当するので、講師が不得意な科目を教えることはほとんどない。しかし、これらの塾では「学習内容」の指導だけでなく「勉強の方法」の指導も行うことが多く、全体の流れを熟知し担当する生徒に応じたペース配分ができるようになるまで、少人数に対する指導とはいえ講師にかかる負荷は大きい。 *教育方法学 教育方法学とは、教育学・教育実践を、方法論的な視点から研究する学問である。 教育方法学の研究分野には、教授学(Didactic_method)をはじめ、カリキュラム・教育評価に関すること、授業・教室に対する研究、教師教育に関することなどがある。また、コンピューターなどの機器を応用した教育工学を含む。 また、教育方法学は、大きく分けて、次の2つの方向で研究が進んでいる。 特定の学問分野を基礎として探求する研究 教育史・教育哲学・教育心理学・教育社会学・教育行政学などをもとに研究が進められている。 教室の具体的問題の解決を追求する実践的研究 実際の授業実践を分析し、反省・批評していく形の研究である。 なお、各教科の指導にあたって、教育方法学は教科教育学に応用される。 ・歴史 古典的な教育方法 原始的には、伝聞・口述による伝承が古くから行われていた。文書の暗唱・輪読などはその一例である。そこから一歩進んだ方法が、古代ギリシアの哲学者によって探求されはじめた。これには、ソクラテスが用いた対話による問答法などがある。佐藤学は、この2つについて、「その成立の出発点から「探求のレトリック」を教える市民の教育と、権威づけられた正解への手続きとしての「服従のレトリック」を教える奴隷の教育との分裂」をした[1]と述べている。 中世では、自由七科の修辞学として教育方法が扱われた。たとえば、アウグスティヌスの『教師論』で、教師の語りの修辞学が提示されている。また、問答法が宗教改革に伴う子どもへの宗教教育で行われた。このときには、教理問答書(想定問答集のようなもの)を使用していた。 一斉授業の成立 このように教育の方法自体は、すでに古代ギリシャより探求されはじめていたが、教育の方法・技術が自覚的・体系的に研究され始めたのは、学校が構想・組織され始めた近代に入ってからである。コメニウスによって近代の学校が構想され、その2世紀近い年月を経て、ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチがルソー等の教育思想を実践して、教育方法の探求へと結合させた。 その後、一斉授業の普及と制度化を基礎づけたのはヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトであり、そのヘルバルト学派の人々によって各国に浸透した。その中で、トゥイスコン・ツィラー、ヴィルヘルム・ラインの教育学は、日本などで学校教育の制度化と授業の定型化を進めた際の、中心的な理論となった。 新教育運動と教育方法 20世紀に入ると公教育制度の画一性と硬直性が批判されるようになり、新教育運動と呼ばれる世界的な学校改革運動が展開された。 まず、ジョン・デューイなどの手によって、「子ども中心主義」の教育が推進されたことである。 その一方で、フランクリン・ボビットは教育課程を最初に体系化し、カリキュラムの科学的研究を初めて行った。彼は、教育文献の中で、「教育目標」という言葉を最初に使ったほか、「活動分析」も推し進めた。そして、これは、チャーターズの「仕事分析」に引き継がれた。チャーターズは、95,000人の女性の一週間の仕事の記録を分析し、総計7300の目標のカテゴリーを設定したうえで、この目標を教科・単元に分配したカリキュラムの構成を提案した。 また、単元学習としては、ウィリアム・ヒアド・キルパトリックの「プロジェクト・メソッド」と、ヘレン・パーカーストの「ドルトン・プラン」などがある。アメリカ国内よりも、日本などのアジア諸国への影響が大きかった。 その後の西洋教育方法学 行動科学に基づき教育方法学を研究した人には、ラルフ・タイラー(英語版)とベンジャミン・ブルームがあげられる。特に、ベンジャミン・ブルームは、教育評価の考え方を示している。 認知心理学を基礎とした教授理論の出発点は、ジェローム・ブルーナー、レフ・ヴィゴツキーなどの研究成果に見ることができる。 日本の教育方法学史 明治に至るまでの寺子屋・藩校などでは自学自習・手習い・暗唱など、模倣と習熟を伝統としていた。 日本での授業・授業研究の出発点は「学事奨励に関する多い仰出書」(1872年)による近代学校の成立とその制度化にある。 その後、大正自由教育運動などの新教育運動が起こり、ドルトン・プランなどが取り上げられた。しかし、昭和期においては戦時色が強くなり、ファシズム教育へと収斂していった。 第二次世界大戦の後、国家中心の教育から子ども中心の教育への転換が試みられた。しかし、「這い回る経験主義」という批判もあったほか、基礎学力の充実に対する要望、修身科の復活要望等もあった。そして、1958年版に行われた学習指導要領は「官報による告示」がなされ、法的拘束力を持つカリキュラムとなった。この学習指導要領は、系統学習の色合いが強いものであった。 その後、授業の科学的研究が進み始めた。1963年に雑誌『授業研究』が創刊され、1964年には日本教育方法学会が結成された。また、現職教諭の研修制度も整えられ、そこで教育方法学が扱われるようになった。諸外国の教育方法・授業分析の理論が導入され、心理学の授業への応用が模索された。 また、1960年代以降、「教育方法の現代化」の取り組みが各所で行われ、各種の教材プログラムの開発が盛んになった。主なものには、遠山啓の「水道方式」(数学)、板倉聖宣らの「仮説実験授業」(理科)、細谷純・高橋金三郎らが開発した「極地形式」(理科)、明星学園をベースに開発された「にっぽんご」(国語)などがある。 1980年頃以降は、校内暴力・いじめ・学級崩壊など「教育方法の現代化」以降の課題解決に方向が向いてきているほか、コンピュータ・マルチメディアを応用した教育工学的なアプローチも研究・実践されている。 *日本教育史 日本教育史では、古代から現代までの日本の教育のあり方とその歴史、教育観、教材、制度などの変遷を掲載する。教育学の一般的な教養の一つの部門でもある。 奈良時代から平安時代まで 古代日本の教育について、多く知られているとはいえない。しかし、山上憶良の「貧窮問答歌」などにも見られるように、親が子を思い、そのために何かをしてやりたいという気持ちは時代が違っていても変わることはなかったようで、資料の残っている以前から、親や大人たちが子どもや若者が1人前になっていく上で、何かの手助けや指導をしていたことは想像に難くない。 施政にあたる人物で、日本史上最も早く教育に関心を示したといわれるのは、、飛鳥時代の政治家、聖徳太子(574年-622年)である。厩戸(うまやど)皇子・上宮(うえのみや)王・豊聡耳(とよとみみ)などともいう。 理想主義的な哲人政治を志向したが、書物としての教育論は残していない。 冠位十二階、十七条憲法の制定、遣隋使(小野妹子)の派遣、四天王寺、法隆寺などの建立などが主だった業績である。経典を研究し「三経義疏」という注釈書を書いたが、これに彼の教育思想、「一乗思想」が色濃く反映されている。つまり、すべての人に等しく教育を説き、理想の実現と人間平等の考え方である。教育についての日本では初めて思想として提起されたものになる。 最初の教育の制度というのは、大宝律令(701年)による教育制度の確立である。これが、日本で最初の成文化された教育の制度になる。この骨格は中国唐の国子監制度から持ちこまれたものである。 その仕組みは、大学寮が中央(都)に一つ設けられた。式部省の所管で、明経道(経書)、算道(算術)および副教科の音道(中国語の発音)、書道(書き方)の四学科があり後に紀伝道(通称「文章道」、中国史・文章)と明法道(法律)が加わった。これらの「明」は、それについて「明るい」(ことの次第によく通じた)という意味である。 その他にも、専門的な技術者養成機関としては典薬寮、陰陽寮、雅楽寮などがあった。これらでは医、薬、針、按摩、陰陽、天文占術、暦、雅楽などを教授した。 当時の学生は、大半は大学寮内に寄宿しており、代表的なものとして菅原清公(菅原道真の祖父)が設立して菅原氏・大江氏の管理下にあったとされる文章院がある。これに対して有力な氏族は大学別曹のような特別な寮舎(りょうしゃ)を設けて、一族の師弟をそこに収容した。これらは独立性を持ち、寄宿舎で、同時に研究所的な性格を持っていた。和気氏の弘文院、藤原氏の勧学院、橘氏の学館院、王氏の奨学院など。大学寮という公的機関を巡る氏族対立の副産物のような存在で、貴族政治の台頭を背景としていた。また、菅原氏などの学者が公務以外に私邸などを使って門人を教育するなど、私立学校の萌芽のようなものもこの時代から現れるようになる。 だが、平安時代後期から官司請負制のもとで官職の世襲化が進み、大学寮の教官も特定の氏族の世襲となって、教官たちは世襲の存続のために自己の子弟・一族や限られた門人に対してのみ限定して、大学寮外の自宅などで教授するという家学化が進んだ。更に1177年の大火で大学寮や文章院が焼失すると、再建されることなく放置され、公的教育機関としての大学寮は消滅することになる。 鎌倉時代から室町時代まで 鎌倉時代から室町時代には、京都の貴族が古典研究や有職故実の学問の担い手となっていた。しかし、都の衰退と共に、仏教寺院や学識僧が徐々にその担い手として台頭し、その中でも鎌倉五山を中心とした五山文学はその代表である。 また武家階級という新たな社会層も、自らの後進のために、学問を身につけるための施設、学校の整備に配慮するようになり、鎌倉時代には北条実時が金沢称名寺(現、神奈川県横浜市金沢区)に金沢文庫を設置し、多くの文書を収集した。また、遅れて室町時代には関東地方において上杉憲実が足利学校を再興する。これは、キリスト教の宣教師たちに「坂東の大学」といわれ、当時の日本の中心的な学校と考えられた。また西洋人の目からみて、その当時の代表的な学校は、他に高野山、比叡山などがそれに並べられていた。 庶民の間では、芸事や趣味の道が次第に洗練されたものになり始め、『風姿花伝』のように芸の道を人間の道と重ね合わせて修行のありようを考えるという視点も、この武家階級の時代の産物である(芸道論)。 江戸時代初期・中期 江戸時代中期の教育は教育機関となる区分が存在せず、幕府によって選定された人物が学問の研究を行い書物を刊行し、武士・百姓・町人の身分制度の中で自学自習するといったことが行われていた[1]。 元禄文化 17世紀半ばから18世紀初めの幕藩体制安定期の元禄文化は社会の安定と経済の発展に伴い、町人に受け入れられる文学や芸能が生まれ、身分秩序の枠内で生きる人々の言葉をつかんだ。特色は武士と上方豪商が担い手で、現実主義・合理的・実証主義的傾向であった。儒学、自然科学、古典研究が発達し、自由な人間性の追求が行われた(町人文学)。華麗で洗練された美も特徴。 文学では、俳諧(松尾芭蕉)、小説(井原西鶴)、脚本(近松門左衛門)。絵画では、琳派(尾形光琳)、土佐派(土佐光起)、住吉派(住吉具慶)、浮世絵(菱川師宣)、(鳥居清信)、風俗画(英一蝶)。歌舞伎では、江戸(市川団十郎)、上方(坂田藤十郎)、女形(芳沢あやめ)などがよく知られている。 儒学 政治のあり方や自己の生き方についての指針を求めるものが多くなった。 忠孝・礼儀を重視した林羅山らの朱学派は、文治政治を裏付ける学問として学会の主流となるとともに、封建社会を支える教学として幕府や藩に支持された。朱子学から転じて陽明学派をおこした中江藤樹は知行合一を説いた。また、山鹿素行や伊藤仁斎ら古学派は、古典を研究し儒学本来の精神を学ぶことを主張した。 諸学問の発達 儒学の影響により、現実的で合理的な思考が発達し、歴史学をはじめとする実証的な学問が芽生えた。また、国文学にも目が向けられ、古典の研究がさかんになった。 歴史学の分野では、1657年に徳川光圀が大義名分論に基づく紀伝体の『大日本史』編纂を開始し、1906年(明治39年)に完成した。中国歴代の正史の体裁を採用した史書で幕末の尊王論に大きな影響を与えた。国文学では、真言宗の僧であった契沖が下河辺長流の影響をうけ、万葉集を初めとする古典の研究に専念し、国学の基礎を築いた。 天文学の分野では、幕府の碁方であった暦学・天文学者の渋川春海(安井算哲)は平安時代以来使われていた宣明暦の誤差を、元の授時暦と天体観測によって修正した貞享暦を1684年(貞享元年)に幕府に建言して採用され、初の天文方に任命された。貞享暦にかな書きされた注は人々が生活するうえでも参考になった。数学(和算)の分野では、関孝和が筆算を創始し、円周率の研究などに業績を挙げた関流和算を完成させた。算額は、各地の和算家たちが神社に奉納した自作問題の絵馬を飾り、回答を絵馬にして答えたりした。和算の入門書とも言える『塵劫記』は吉田光由が完成させ、1627年に刊行された。平易な例題で実生活における数量計算や解法を示した。本草学の分野では、和漢洋の1362種類の動物・植物・鉱物を分類、解説した書である『大和本草』を貝原益軒が記し、1709年に刊行された。観察や経験を重視した益軒は日本の博物学発展の先駆けとなり、実用書としての価値も高かった。 享保・寛政・天保 第8代将軍徳川吉宗は享保の改革を行い、実学奨励にて漢訳洋書の輸入制限の緩和(1720年)と天文台の設置(1744年)を行った。 幕府直轄の昌平坂学問所は、昌平坂に面していたので昌平坂学問所、または昌平黌(こう)とよばれた。1790年(寛政2年)老中松平定信は、寛政の改革の一環として、柴野栗山・岡田寒泉を湯島聖堂付きの儒者に登用し、湯島聖堂あずかりの林家に対し朱子学擁護を命じた。この「寛政異学の禁」の後、学舎が増設され、旗本・御家人だけでなく、藩士・郷士・浪人らも聴講ができるようになった。1793年に林述斎が林家をついで大学頭となると、それまで林家の家塾だった「湯島聖堂」が、正式に幕府直轄の学問所となった。 学問所では、毎月の定日に経書の講義や会読、小試・大試などの試験もおこなわれた。また、初学者のための学問所直轄の教授所が深川・麻布・麹町にあった。さらに、『寛政重修諸家譜』『新編相模国風土記稿』など、幕府の編纂事業も学問所がおこなっていた。そして、このような学問所は藩校のモデルとなり、江戸時代後期には、藩校の教官養成の機能も果たしていた。 老中水野忠邦は天保の改革にて軍事改革を行い、清がアヘン戦争に敗れたことから西洋砲術を採用し、高島秋帆を長崎から招き、軍事学・軍事戦術の研究、訓練が行われた。またこの頃、大塩平八郎の乱が勃発、化政文化が開花した。 江戸時代後期(幕末期) 江戸時代後期(幕末)の教育制度は、、幕府の財政難や体制の危機が深刻化するなかで、武士の生活難も目立ってきた諸藩は教育の改革を断行する。諸藩では藩学(藩校)・郷学・塾(私塾)を設立して子孫の教育を行った。また、庶民の個別指導教育として寺子屋が開校。これらは全て、我が国の学校制度の始まりとされている。また、子供への訓話教育を手島堵庵が始めるなどした。

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