決戦III

決戦III

part36-132~134,221,222,225,226、part37-22~25,205~208


132 :決戦Ⅲ:2008/02/19(火) 19:46:56 ID:+SMPOd5D0
天正10年6月2日、京・本能寺。
この地に宿泊していた織田軍総帥・織田信長は、何者かが率いる軍団の襲撃を受ける。
奮戦する信長。だが敵は圧倒的な数。側近の森蘭丸は地下通路(注1)から逃げ延びるように言う。
蘭丸は信長が地下通路に入った直後、敵の銃撃の前に倒れた。炎に包まれた地下通路を進んでいく信長。
その前に1人の男が現れた。男は信長に話しかけ、そして鉄砲を向ける。
男の放った銃弾によって信長は右胸を貫かれ、倒れた。

注1:本作では本能寺は武装要塞となっていて、大砲や逃げ道となる地下通路を備えている。

第1章・信長初陣
16世紀の日本は、室町幕府の権威が衰え、戦国大名が割拠する乱世となっていた。
尾張は織田信秀の支配下にあったが、駿河の今川義元の攻撃を受けていた。
吉良大浜の戦い
今川軍が尾張に侵攻し、村に火を放っていた。
その村の中から少女を救出する青年がいた。彼こそが織田信長である。
信長は少女を護衛していた男に託し、今川軍に初陣を挑んだ。
信長には以下の3名の武将が従っている。
前田利家…豪放な青年武将。信長に憧れている。
丹羽長秀…利家の古馴染。心配性で几帳面。
森可成(もりよしなり)…織田家古参の重臣。信長の傅役(注2)。
今川軍を蹴散らした信長は、乱世を平定すると誓いを立てた。
犬山の合戦
吉良大浜の戦いから数年後、信長は美濃の斎藤道三の娘・帰蝶を妻にすることになった。
だが、帰蝶を乗せた輿が犬山城主・織田信清の襲撃を受けた。
信長は信清軍と戦い帰蝶と対面した(注3)。
帰蝶はかつて信長に救出された少女の成長した姿であった。信長は早くも帰蝶に愛情を注いでいく。

注2:教育係。
注3:帰蝶は武芸の心得があり、このとき信清軍を剣技で撃退している。

133 :決戦Ⅲ:2008/02/19(火) 20:09:46 ID:+SMPOd5D0
第2章・尾張激闘
信秀の死後、信長は織田家を継いだ。しかしそれを快く思わない者たちが反抗した。
赤塚の戦い
尾張の豪族・山口左馬助が今川氏の支援を受けて挙兵した。
討伐に赴く最中、信長はある男に声をかけられる。男の名は木下藤吉郎。
左馬助との戦いの最中、藤吉郎は友人の蜂須賀小六とともに軍勢を率いて信長に加勢した。
合戦の後、信長は藤吉郎に刀を手渡し、藤吉郎と小六を配下に加えた。
稲生の合戦
柴田勝家は織田家の家臣であったが、信秀の死後信長に反抗してきた。
彼は信長を「うつけ」と見なし、尾張を任せられないと考えていたのである。
しかし信長に敗れ、信長の器量を認め彼に仕えることにした。
村木の戦い
三河の松平元康は今川氏に服属していた。元康は幼少のころ人質として織田家にいた時、信長と知り合っていた。
合戦の最中、信長は元康と一騎打ちをするが、信長は元康を落馬させただけで立ち去った。
信長は一応の勝利を収めた。
信長は尾張を統一したが、そこに今川義元の大軍が侵攻してきた。
桶狭間決戦
戦いの前、藤吉郎は観天望気(注4)の才を持つ少女、吉乃を見つけ出してきた。
吉乃は雨が降ることを予言した。雨が降れば、今川の本陣に気づかれることなく近寄ることができる。
彼女の予言は当たった。信長は奇襲をかけ義元を討ち取ることに成功した。
勝利に浮かれる家臣たち。信長は次の狙いを見定めていた。

注4:小気から大気を読み、天候を予測できる能力。

続く

221 :決戦Ⅲ:2008/02/24(日) 22:08:47 ID:3RoaLtZj0
第3章・美濃攻略
信長は美濃攻めを開始した。美濃を治めているのは斎藤龍興、帰蝶の甥である(注5)。
まず信長は今川から独立した三河の松平元康(注6)、北近江の浅井長政と同盟を結んだ。
墨俣攻略戦:信長は拠点・墨俣に砦を築こうとした。だが龍興が攻め込んできて妨害されてしまう。
そこで信長は藤吉郎に砦造りを命じた。藤吉郎は小六率いる野武士集団「蜂須賀党」の協力を得て砦を造ることに成功した。
木曽川の戦い:帰蝶は龍興に降伏を求めるが、龍興はそれを拒否。
戦いの後、吉乃は自分が生まれ持った能力のために疎まれてきたことを信長に話す。信長は吉乃を励ますのだった。
関ヶ原突破戦:信長は妹のお市を長政に嫁がせるために龍興が立ちはだかる関ヶ原を強行突破した。
稲葉山城攻略戦:龍興の居城、稲葉山城に達した信長軍。
その夜、信長は帰蝶に自分が幼いころから何度も見続けていた夢のことを話す。
その夢の中で信長は炎の中で何者かに倒されていたのだった(注7)。
信長は帰蝶にこの世は夢のようなものだと語り、愛し合うのであった。
織田軍の攻勢の前に稲葉山城は陥落し、龍興は落ち延びていった。
信長は稲葉山城を岐阜城と改めた。そこに松永久秀に殺された前将軍の弟、足利義昭が訪ねてきた。

注5:斎藤道三は息子の義龍に殺され、義龍が殺された後龍興が後を継いだ。
なお『決戦Ⅲ究極攻略ガイド』によると、龍興の設定段階のイメージは「極悪ヤンキー」であるらしい。
注6:元康はこの後、名を徳川家康と改めた。
注7:以降この夢のことを「滅びの夢」と呼ぶことにする。

222 :決戦Ⅲ:2008/02/24(日) 22:13:45 ID:3RoaLtZj0
第4章・信長上洛
信長は足利義昭を奉じて上洛し、将軍となった義昭の後見人になった。
信長一行は幕臣・細川藤孝の屋敷で松永久秀配下の忍者集団の襲撃を受ける。
数の多い忍者たちに苦戦しながらも信長たちは反撃していく(注8)。
そんな中、危機に陥った帰蝶を助けに現れた1人の男がいた。彼の名は明智光秀。在野の士である。信長は光秀を家臣とした。
勝龍寺の合戦:信長は三好三人衆(注9)との戦いの前に、ポルトガル出身の宣教師フロイスから西洋の知識を得た。
合戦の後、帰蝶は光秀を森の中に呼び出す。実はかつて光秀は帰蝶に仕えていた。
光秀は帰蝶の織田への輿入れに反対したことにより帰蝶の父、斎藤道三の怒りにふれ、美濃を追放され、諸国を放浪していた。
美濃にいたころの光秀は気弱で繊細な男だったが、今では冷徹な性格に変わっていた。光秀の変貌にとまどう帰蝶。
2人の会話を吉乃はこっそりと目撃していた。
多聞山の戦い:松永久秀は義昭の兄義輝を殺した人物である。信長は久秀を攻め降伏させた。
池田の戦い:信長は摂津の豪族・荒木村重を降伏させた。
戦いの後、信長は義昭に各地の大名と無断で連絡を取らないことと、寺や商人から多額の銭を取り立てるのを止めることを求めた。
しかし義昭の家臣・一色藤長は将軍をないがしろにするつもりかと信長を批判した。
堺攻略戦:堺の商人たちは傭兵を雇って信長に抵抗した。その中には南蛮兵や美濃を追われた斎藤龍興の姿もあった。
戦いの前、吉乃は利家と勝家に帰蝶が反信長勢力に情報を流しているのではと話す。
利家は信長の人を信じやすい性格を気にしていた。
戦いの末、信長は南蛮兵を率いていた女戦士、アマリアを捕らえた。アマリアはネーデルランド(注10)の出身らしい。
信長は彼女を傭兵として雇うことにした。
越前進攻戦:信長は越前の朝倉義景を攻めた。しかし朝倉家と関係の深い義弟・浅井長政が裏切った。
信長は秀吉にしんがりを任せ、何とか撤退することができた。
しかし、近江から伊勢へ抜ける道の途中で信長は何者かに銃撃され、負傷してしまう。

注8:義昭だけは逃げまどっていた。
注9:三好三人衆とは以下の3人のことである。
三好長逸(みよしながゆき)三人衆の筆頭。すぐ調子に乗る。
三好政康:友通の言うことに「そーそー」と同意する。
岩成友通:長逸のやることをほめまくる。
注10:オランダ。

225 :決戦Ⅲ:2008/02/24(日) 22:21:38 ID:3RoaLtZj0
第5章:姉川の狼煙
負傷した信長だったが、こちらから浅井・朝倉に戦いを挑むことにした。
姉川決戦:姉川に布陣した信長のもとに、徳川家康の援軍が到着する。奮起する信長。
戦いの末、織田・徳川軍は浅井・朝倉軍に勝利した。だが、浅井・朝倉の勢力に致命的な打撃を与えるまでには至らなかった。
この戦いで戦果を挙げた光秀は、人々から「織田の白鷹」と賞賛されるようになった。
光秀は京での信長の拠点・本能寺の防御の弱さを指摘。修復作業を行った。

第6章・元亀騒乱
足利義昭は信長に従うふりをしながら、裏では浅井・朝倉・三好三人衆を操って信長を倒そうとしていた。
野田福島の戦い:三好三人衆が摂津に上陸、野田福島を占領した。
可成は軍を2つに分け、一方を浅井・朝倉に当たらせるべきだと進言したが、聞き入れられない。
やむを得ず可成は手勢を率いて、近江坂本に向かった。
三好軍を破った織田軍。そこに可成の息子、蘭丸が悲報を知らせる。
可成は浅井長政との一騎打ちの最中、斎藤龍興率いる鉄砲隊の銃撃を横合いから受け、討ち死にしたのだ。
信長は可成の進言を聞き入れなかったことを後悔するのだった。
多聞山攻防戦:義昭は兄の仇である松永久秀にも協力を求めた。久秀はこれに応じて挙兵したが、またも敗れて降伏した。
佐和山攻防戦:信長は佐和山にて浅井・朝倉軍と戦った。
三河決戦:甲斐の虎・武田信玄が上洛のための軍を起こした。武田軍は遠江の三方ヶ原で徳川家康を破り、三河に達した。
信長は信玄に決戦を挑んだ。激戦の末、織田軍は武田軍を破った。病の身であった信玄は敗れた直後に病死した。
京洛の戦い:ついに義昭は信長を打倒するために三好三人衆や斎藤龍興を率いて挙兵した。信長は義昭と戦う決意を固める。
長秀は幕府と戦うことにとまどうが、光秀が「幕府は滅ぶべき戦国の業」と説き、長秀も納得する。
一方、帰蝶はまだ光秀の変貌を受け入れられずにいた。
戦いは足利軍の作戦の失敗もあり、織田軍の勝利に終わった(注11)。
義昭は降伏するふりをして信長に近づき、短刀で首を狙うも防がれてしまう。

注11:細川藤孝は義昭を見捨てて逃亡した。

22 :決戦Ⅲ:2008/03/03(月) 22:57:42 ID:QCqYBGuY0
第7章・天正攻勢
信長は義昭を京から追放し、室町幕府を滅ぼした。
信長は領内の関所や商人組合を廃止するなどの新政策を行い、人々の心をつかんでいった。
光秀は帰蝶に今も想いを抱いていることを打ち明ける。
朝倉討伐戦:朝倉義景が斎藤龍興と共に軍を動かしてきた。これに対して、信長は嵐の中奇襲を仕掛けた。
義景と龍興はこの戦いで命を落とした。
小谷城攻略戦:浅井長政を小谷城に追い詰めた信長。城には信長の妹・お市もいる。
火攻めによって城は陥落、長政はお市と自害しようとする。
そこに秀吉(注12)が駆けつけてきた。「お市さまを傷つけたら、容赦せん!」
長政はお市を秀吉に託し、自らの命を絶った。
明智城救出戦:信長は東美濃に侵攻してきた武田信玄の息子・勝頼と戦った(注13)。
長篠決戦:勝頼は徳川領の三河に侵攻、長篠城を包囲した。勝頼との決戦を行おうと考える信長。
光秀は丹波・丹後に出兵することになった(注14)。
徳川軍と合流し、長篠に到着した織田軍。
武田家の重臣、山県昌景らは勝頼に一時撤退するか、長期戦に持ち込むべきだと主張するが聞き入れられない。
信長は武田軍の騎馬隊を足止めする柵を築いた。降っていた雨は吉乃の予言どおりに上がった。これで鉄砲の威力を発揮できる。
そして決戦が始まった。織田・徳川軍は柵の向こうから武田軍に対して鉄砲の射撃を放つ。
昌景ら武田軍の武将たちは銃弾の前に倒れていった。
武田騎馬隊は壊滅し、織田・徳川軍は大勝利を手にした。戦の後、吉乃とアマリアは奥三河の温泉で恋について語り合った。
そのころ、丹波にいた光秀は一通の書状を帰蝶に送った。

注12:木下藤吉郎は京入りの際、名を羽柴秀吉と改めた。
注13:戦いの前に、信長は武田軍の忍者と馬上で激しい追走劇を繰り広げた。
注14:光秀はこの時、斎藤龍興の元家臣、斎藤利三を連れていった。

23 :決戦Ⅲ:2008/03/03(月) 23:03:08 ID:QCqYBGuY0
第8章・平安楽土
帰蝶に送られた光秀の書状には、近い将来信長に謀反を起こそうと考えていることが書かれていた。
帰蝶は救援のためと称して光秀を説得しに行こうとするが、信長はそれを認めない。
信長は琵琶湖に面した安土に城を築き、居城とした。
信長の当面の敵は越後の上杉謙信、安芸の毛利輝元、大坂にて一揆衆を率いる本願寺顕如である。
足利義昭は毛利氏の庇護の下、反信長勢力と連携を図っていた。
信長は軍団を再編成し、北陸地方に勝家・利家を、中国地方に秀吉・小六を、大坂に長秀・村重を向かわせた。
松永討伐戦:松永久秀が大和・信貴山城にてまたしても謀反を起こした。
信長は降伏勧告をしに信貴山城に乗り込むが、久秀はそれに応じず「人をすぐに信じるのがアンタの悪い癖や」と言う。
城は落ち、久秀は愛用していた茶器に火薬を詰めて火をつけ、爆死して果てた。
明石の戦い:信長は秀吉の援軍として播磨・明石に到着した。秀吉は播磨の豪族・黒田官兵衛を軍師として配下にしていた。
毛利軍との戦いが終わって信長が帰路についた後、秀吉は丹波の光秀に不審な行いがあるとの情報を耳にした。
秀吉は蜂須賀党の者を調査に当たらせた。
木津川口の合戦:毛利水軍はしばしば大坂湾に出没し一揆衆を支援していた。
信長は秘密兵器「鉄甲船」を用いて毛利水軍を撃破。上陸してきた毛利軍に勝利した。
九頭竜川決戦:越後の龍・上杉謙信が手取川で勝家率いる織田軍に勝利し、九頭竜川にまで進軍してきた。
信長は謙信に決戦を挑み、勝利した。病を患っていた謙信は上杉家を甥の景勝に託し、息を引き取った。
石山決戦:一揆衆の拠点・石山本願寺を包囲した織田軍。
帰蝶は本願寺と和議を結ぶべきだと主張する。信長は帰蝶の様子がおかしいことに気づく。
戦いが終わり一揆衆は壊滅した。
帰蝶はある覚悟を決め、単身光秀のいる丹波・亀山城に向かった。

24 :決戦Ⅲ:2008/03/03(月) 23:08:39 ID:QCqYBGuY0
第9章・一統前夜
信長は京で「大馬揃え(注15)」を行った。京の人々は織田の天下がまもなく訪れることを確信するのであった。
安土城に戻った信長は、帰蝶が蝶をかたどった髪飾りを残して姿を消したことに気づき、動揺する。
摂津平定戦:荒木村重が摂津・有岡城にて突如として謀反を起こした。
信長は官兵衛を説得に赴かせたが、官兵衛は一色藤長に捕らえられてしまう。
織田軍は城を攻め、村重は逃亡。救出された官兵衛は村重が足利・毛利とつながっていたことを信長に報告した。
伊賀平定戦:信長は伊賀にて抵抗を続ける百地三太夫(ももちさんだゆう)を攻め勝利した。
甲斐平定戦:信長は徳川家康と共に、武田勝頼を甲斐に追い詰めた。
武田家家臣・真田昌幸が立ちはだかったが、勢力の衰えた武田軍はもはや織田軍の敵ではなかった。
敗れた勝頼は天目山にて自害して果て、武田家は滅亡した。信長の天下平定は近づいた。

光秀のもとにたどり着いた帰蝶は謀反を思いとどまるよう光秀を説得した。
しかし光秀は「下克上などこの乱世では当たり前のことではありませぬか」と言う。
光秀は幼かったころの帰蝶を思い出していた。
帰蝶は説得を1年間も続けた。光秀のもとに足利義昭が訪ねてきて、謀反を早く起こすように催促する。
帰蝶は光秀に投獄されてしまった。そこに蜂須賀党の者が救出に現れた。
信長は光秀に西国出陣の命令を下し、自身は蘭丸やわずかな供を従えて本能寺に泊まった。
光秀はこの時を待ち構えていた。ついに光秀は謀反を決行、本能寺の信長を襲った。
蘭丸は明智兵の銃撃の前に倒れた。
「滅びの夢は現実(うつつ)だったというわけか…」地下通路を進んでいく信長。
信長の前に光秀が現れ、信長に銃口を向ける。そして光秀は引き金を引いた。

注15:軍事パレード。

25 :決戦Ⅲ:2008/03/03(月) 23:16:02 ID:QCqYBGuY0
第10章・動乱
銃声の直後、帰蝶が信長のもとに駆けつけてきた。信長は倒れている。
「私は、あなたを許さない…!」手にした刀で光秀を刺す帰蝶。
信長が死んだと思い込んだ帰蝶は後を追おうと考え、自らの首をはねようとする。
「早まるな」信長が帰蝶に声をかける。信長は死んでいなかったのだ。
銃弾は確かに信長の右胸に当たった。だが、信長が懐に忍ばせていた蝶の髪飾りが銃弾を食い止めていたのだ。
信長は帰蝶と愛を確かめ合う。「さあ行くぞ、オレたちの新しい世界へ!」信長と帰蝶はその場から立ち去ろうとする。
だが、光秀が背後から銃口を向ける。「行かせるものか…!」銃撃を受けた帰蝶は倒れる。
信長は帰蝶を抱きかかえ、本能寺から脱出していった。
翌日、光秀の謀反の情報は、秀吉のもとにもたらされた。
秀吉は毛利軍と和睦しようと考えるが、本能寺の変を知った毛利軍は攻撃を仕掛けてきた。

光秀謀反、信長の生死不明。この知らせは衝撃となって全国にもたらされた。
秀吉は毛利輝元に大敗し、淡路へと逃れた。
北陸では勝家が上杉景勝に敗れ、越前・北庄城に篭城。
駿河では徳川家康が北条氏政と対峙。
足利義昭は輝元・光秀(注16)に擁立されて京に戻り、室町幕府を再興させた。

関ヶ原遊撃戦:本能寺の変から4カ月後、潜伏していた信長は関ヶ原に姿を現した。
信長は長秀、吉乃、アマリア、そして蘭丸の兄・長可(ながよし)と合流していた。
光秀の親族、明智秀満の陣に奇襲を仕掛けた信長。勝利を得たものの、秀満を討ち取ることはできなかった。
信長はお市に帰蝶の看病を任せ、岐阜城へと向かった。
岐阜城奪還戦:岐阜城を守っているのは斎藤利三、光秀の腹心である。
信長は夜討ちを仕掛け、岐阜城に火を放った。戦いの末、織田軍は利三を討ち取り、丸焼けになった岐阜城を奪還した。
顔に笑みを浮かべる信長。吉乃とアマリアはそんな信長を頼もしそうに見つめていた。

注16:光秀は帰蝶に刺されて倒れていたところを部下に救出されたようだが、そのシーンは描かれていない。

続く

205 :決戦Ⅲ:2008/03/13(木) 19:58:21 ID:3E/fRJXR0
第11章・反撃
京の将軍御所には、足利義昭のもとに明智光秀、一色藤長、毛利輝元、三好三人衆が集結していた。
彼らは再起を果たした信長にどのように対処するか話し合っていた。
光秀は迅速に信長を討つべきだと主張し、再起後の信長は脅威ではないと考える義昭たちと対立。
信長討伐に赴こうとする光秀に対し、義昭は「そちも将軍をないがしろにするか」と憤った。
義昭は配下の忍者に命じて光秀を捕らえさせ、御所の獄に幽閉させた。

安濃津の戦い:秀吉・小六・官兵衛は淡路から船で伊勢・安濃津に上陸し、信長と合流した。
信長に抱きついて再会の喜びを表す秀吉。
たが、信長が生きていたことで秀吉がわずかながら抱いていた天下取りの野望は消え去った。
その夜、秀吉はアマリアに愛の告白をされた。困惑する秀吉であった。
織田軍は藤長と輝元が率いる幕府軍に勝利した。
岐阜に戻った秀吉は、お市に長い間抱いていた愛を伝えるが、お市はそれをやんわりと拒否した。
北庄城救出戦:北庄城に籠城している勝家と利家は信長が生きていることを知らなかった。
勝家と利家は上杉景勝の軍に決死の突撃をかけた。そこに信長が到着し上杉軍を打ち破った。
勝家と利家は信長との再会に涙を流して喜んだ。
富士の合戦:信長は家康と共に北条氏政、真田昌幸(注17)、伊達政宗(注18)ら東国の諸大名の連合軍と戦い勝利した。
戦いの後、家康は本能寺の変の後、天下を取ろうと考えたことと、信長の存命を知り野望を断念したことを思い出すのであった。
信長は各地の軍団と合流し、上杉景勝や関東の諸大名を服属させた。
これで京の幕府軍主力部隊と決戦できる陣容が整った。
京洛決戦:戦いを前に、傷の治った帰蝶も復帰。士気の上がる織田軍。
一色藤長は市街地に火を放ち、織田軍を迎え撃つ。
激戦の末、義昭は逃亡し、織田軍は京を取り戻した。信長と帰蝶は本能寺跡にたたずむ。
そこに光秀が現れる(注19)。将軍御所の獄から自力で脱出してきたのだ。
光秀は信長の瞳が重瞳(ちょうどう、注20)であることを指摘する。
そのことから信長は梟雄であり、乱世が産み落とした最大の業だと言い放つ。
そして光秀はその場を立ち去っていった。

注17:武田家滅亡後、信濃にて独立した。
注18:合戦の進め方によっては彼を織田軍に寝返らせることもできる。
注19:このときの光秀は無精ヒゲを生やしていた。
注20:1つの目に2つの重なった瞳があること。英雄の象徴とされている。

206 :決戦Ⅲ:2008/03/13(木) 20:06:48 ID:3E/fRJXR0
第12章・決戦
播磨・姫路城に幕府軍は再集結した。足利義昭は光秀をこの城に招き、協力を求めようとした。
黙っている光秀。義昭は自分の幕府再興にかける思いを語る。
そんな中、光秀は突如として一色藤長に斬りかかり、藤長を斬殺した。
光秀の凶行に恐れおののく義昭たち。
光秀は「これより幕府の一切のことをこの光秀がお引き受けいたしましょう。
まずは君側の奸を手打ちにした」と高らかに宣言した。
こうして幕府の兵権を握った光秀は、まず織田軍についていた細川藤孝を寝返らせた。
さらに薩摩の島津氏、土佐の長宗我部氏を味方につけた。
信長は本能寺の変の後も滅びの夢を見続けていた。

播磨決戦:光秀は陣中である西洋人の男と話していた。
男の名はペドロ。イスパニア(注21)国王フェリペ2世の使者である。
光秀はペドロにイスパニアの兵を借り受けたいと求める。
ペドロは日本侵略の野望を持っていた。
日本で戦乱が長引けばイスパニア王国による植民地化が容易になると考えたペドロは光秀の求めを受け入れた。
一方、信長は徳川家康に援軍を依頼していたが、家康の到着は遅れていた。
信長の脳裏に、藤孝だけでなく家康までも自分を裏切るつもりではないかとの不安がよぎる。
そこに家臣たちが現れた。帰蝶から滅びの夢のことを聞いた家臣たちは信長に絶対の忠誠を誓う。
長秀は殿がたとえ亡霊であってもついていくと言う。感激する信長。
決戦の末、織田軍は徳川軍の支援を受けて明智秀満を討ち取り(注22)、明智軍に勝利した。
家康の到着が遅れていたのは、徳川領内で反乱が起きていたためであった。
2カ月後、博多湾にイスパニアの大艦隊が到着した。勝利を確信する光秀。

207 :決戦Ⅲ:2008/03/13(木) 20:08:22 ID:3E/fRJXR0
博多大戦:信長は光秀との最後の決戦を行うべく、家康とともに明智軍の本拠地・博多へと進軍した。
戦いの前、信長は家臣たちに今まで共に戦ってくれたことへの感謝を述べる。
信長は幕府との戦いが終わったら時代の先駆者として外国を訪れてみようと考えていた。
アマリアはイスパニア軍を率いているのがペドロだと知り、奴は勝つためなら何でもする恥知らずだと説明した(注23)。
決戦が始まった。織田軍は浜辺に上陸し、大砲が降り注ぐ中を進んでいく。
イスパニア兵や足利義昭を倒し、有利に戦いを進めていった。
ペドロは負け戦につきあうことはないと言い、織田軍に寝返った。
そして光秀本隊と激突、信長は光秀と激しい一騎打ちを繰り広げた。
織田軍と明智軍は、死力を尽くしてぶつかりあった。
決戦は終わった。織田軍は明智軍を打ち破った。
信長は帰蝶を抱きしめ、家康や家臣たちとともに勝利の喜びをわかちあう。
光秀は身に何本もの矢を受け、戦場跡をさまよっていた。
光秀の脳裏に数十年前の記憶がよぎる。かつて美濃で幼かったころの帰蝶と共に過ごした日々の記憶である。
光秀は帰蝶に「いつかオレが英雄になって、帰蝶さまが戦わなくてもいい世の中を作る」と誓っていた。
「私は、英雄たりえたのか?」問いかける光秀。
そして光秀はあおむけに倒れ、重瞳の瞳(注24)を静かに閉じ、息絶えた。
空には白鷹が天高く飛んでいった。信長たちはその様子を眺めるのであった。
この日、戦国乱世は終わり、新たな時代が始まった。

注21:スペイン。
注22:信長隊で秀満を撃破すると信長は「明智左馬助秀満、鬼の如き武者であった…」と言う。
カプコンの某ゲームを意識したセリフであるのは言うまでもないだろう。
注23:アマリアはかつてネーデルランド独立のためイスパニアと戦っていたが、ペドロの策略により国を追放されていた。
注24:光秀も信長に匹敵する英雄の才能を持っていたことの証である。

難易度が初級だとこの章で終わりだが、中級以上だと第13章へ進む。

208 :決戦Ⅲ:2008/03/13(木) 20:12:19 ID:3E/fRJXR0
第13章・襲来
博多大戦から1年後。信長は安土のセミナリオ(注25)にいた。
信長はこの教育施設で若者を育てさせるようにフロイスに命じていた。
そこに飛び込んできた利家が、大阪湾にイスパニア艦隊が押し寄せてきたことを報告する。
イスパニア艦隊の中には、幕府復興を目指す足利義昭とペドロの姿があった。
三好三人衆や荒木村重も義昭に従っていた。

注25:神学校。

山崎大戦:足利・イスパニア軍は堺に上陸し、京に攻め込もうと進軍してきた。
織田軍は徳川家康の援軍を得て、山崎の地で迎え撃った。
大激戦の末、織田軍は勝利した。ペドロは世界の果てで死ぬのかと言い残し討ち死にした。
そして義昭も幕府復興への執念を語り討ち死にした。

エンディング
戦いの後、日本とイスパニアの間には休戦協定が結ばれた。
こうして日本国内から戦は絶え、泰平の世が訪れた。
吉乃は戦乱に散った者たちを弔うために出家し、尼になった。
海を見渡せる丘にある光秀の墓の前で手を合わせる吉乃であった。
海の向こう、イスパニアの首都マドリッド。信長はこの地を訪れていた。
信長は帰蝶とアマリアを従え、イスパニア国王フェリペ2世との面会に臨んだ。
「参られたか、ジパングの統領どの!」出迎えるフェリペ2世。
信長とフェリペ2世との間に固い握手が交わされた。湧き上がる拍手。
こうして信長は西洋と東洋が結ばれる時代の先駆者として世界に羽ばたいていったのである。
空には平和の象徴である白い鳩たちがどこまでも飛んでいった。

‐終‐

最終更新:2008年03月14日 00:14