「トリックオアトリート!」
「菓子ならないぞ」
今年も例のあの日がやってきた。10月31日。ハロウィンだ。実際にどんなイベントかは知らない。クリスマス然りバレンタイン然り、この手の行事はとにかく騒いで楽しめればそれでいいのだ。
さてハロウィンの前を楽しむ前に話しておかねばならないことがある。
三日前、俺は女体化した。
初日で制服だの髪の毛だの女としての準備を終え、二日目に書類的なことを済ませ、三日目にやっと登校したわけだ。で、四日目である今日がハロウィン。楽しみじゃないわけがない。この時期なんて周りの反応を見るだけでも楽しいというのに。
そんなわけで心が踊り出すような気分で登校したのだが、いかんせん早すぎた。教室にはボケーっとしてる男一人しかいなかったのだ。早すぎたのは仕方ない。席も近く結構話すので、俺はその男、望月に話しかけることを決めた。が、結果は前述の通りだ。
「…………今日ハロウィンだぜ? もっとこう……エンジョイしようぜ! 菓子もってないなら購買の自販機で買ってくれるだけでいいからさ」
「やだ。金もったいない」
「ドケチ…………どこがダメなんだよ?」
ふぅ、と望月がため息をついた。そして表情を変えずに口を開いた。
「そもそもお前――仮装してないだろ」
「あっ…………」
しまった。菓子をもらうことだけ考えてすっかり忘れていた。持ってきたアレをカバンから素早く取り出す。オマケとばかりに教室の片隅に置いてある箒も手に取り。
「キミの心に魔法をかけちゃうぞ? トリックオアトリート!」
「う、うわあ…………」
アレ、というのは黒い三角錐の帽子だ。シンプルな黒地で、ファンタジーの世界で若い魔女がつけているようなものを想像すれば多分その通りだ。
が、望月の反応はどうも芳しくない。つーか普通に悪い。
「…………そういうセリフってリアルで聞くとなんか…………微妙」
ひでえ! せっかく頑張ったのに!
「あと帽子と箒はともかく、制服着てるってどうよ」
「そこは見逃してくれよ…………コスプレ持ってくるわけにもいかないし…………」
これがブレザーじゃなくてセーラー服ならそういう何かにもなったかもしれないんだけどな……
それにしても少しくらい乗ってくれてもいいのに。そこまで聞いて、少しだけ。ほんの少しだけ悪戯心が芽生えた。幸い教室にはまだ誰もいない。
「お菓子くれないと…………イタズラだぞ?」
「は?」
つい頬が緩む。完全に油断し切ってるな。
素早く望月の足首を掴み、股を広げる。所謂電気あんまの姿勢だ。当然目標はある一点。足を上げてソコを――
「あー! わかったから! 買ってやるから! 買えばいいんだろ!」
「いやーうまいうまい。でも俺はチョコ味のが好きだったかな」
「買ってもらったうえに文句まで言うのかお前は」
望月から買ってもらった菓子への感想を述べながらもしゃもしゃと口の中へ運んでいく。美味い。ちなみち箒は教室に置いてきた。邪魔だし。だが帽子は被っている。せっかく買ったんだからな。
買うものも買ってもらったしもここに用事はない。帰るか。望月に背を向け足を一歩踏み出した。
「おい」
「なに?望月」
急に何かを思い出したかのように呼び止められた。なんなんだ?
「トリックオアトリート」
…………なんだ。そういうことか。てことは俺にもなんかおごれってことか。
とはいえついノーと言ってしまいたくなる。
「ん~。どーすっかなー。ちなみに、嫌、って言ったらどうなんの?」
「イタズラ…………だったよな?」
望月がニヤリと笑った。
瞬間、両方の手首を掴まれ身体ごと壁に押し付けられた。ドンっと音がし、帽子が地面に落ちた。手の甲や首筋が壁に当たってひんやりと冷たい。
「あー。髪いい匂いする。お前が三日前まで男だったなんてほんと信じらんないわ」
え? 望月の表情が読めない。顔は笑ってるのに、何を考えてるのかわからない。 いくら女になったとはいえ、つい最近まで俺は男だったんだぞ。
顔が近づく。あと十センチも近づけば触れてしまいそうなくらいに。なぜか心臓の鼓動がうるさい。顔がみるみる赤くなっていくのがわかった。
「お前さ、さっき足あげた時にパンツ見えてんのわかっててやってたの?」
「え、い、いや………………」
「無防備なんだよ。遅かれ早かれ、こーなってたと思うぜ」
ドクン。鼓動がどんどん早くなっていく。
「ユウタ…………じゃなくてもうユウカだったか。まだ誰もきてないってことわかってんだよな?」
心臓が何かに掴まれたような気がした。わかりたくなくてもその意味がわかってしまう。頭がクラクラするような、取り返しのつかない何かをしてしまったかのような。
どうしよう。どうすればいいんだろう。
「ま、まてよ……俺もお菓子買うからさ…………そろそろ終わりにしようぜ? 冗談だよな?」
「もうおせーよ。まだ誰かくるまで時間もあるし…………いや場所かえりゃなんだってできるかもな。お前、女になって力弱くなってんだろ?」
その通りだ。さっきから抜け出そうと力を入れてはいるのだがまるで動かない。きっと抵抗なんてできないだろう。前に腕相撲したときはここまでの差なんてなかったはずなのに。よく見れば腕の太さからして全然違っていた。
「ユウカ」
名前を呼ばれただけなのにまだ顔が熱くなる。熱でも帯びているかのように。
望月の手に力が入ってるのがわかる。少しずつ、距離が縮まって――
「ジョーダンジョーダン! そんなに焦るなって!!」
すっと手が軽くなった。手はもう握られていない。
望月は笑っていた。今まで見たことのないくらい。
「いやー、悪い悪い! ついやりすぎた! 少しマズイかと思ったけど、菓子奢ってやったしそれくらいいいよな? ………………あれ?」
安堵した瞬間、全身の力がスルスルと抜けて行き、そのままスルスルと壁に倒れこんだ。立とうと思っても立てない。腰も抜けたみたいだ。
「もち…………づきぃ…………」
自然と涙までこぼれてきた。すごく怖かった。襲われるとかそういうのもあったけど、自分の知ってる人が豹変してしまったみたいで。自分が女になった、それだけで。
「すす、す、すまん! 本当にやりすぎた! 許してくれ!」
元の望月だった。今はだいぶ慌てているが、それでもさっきまでの望月ではなかった。
「はは…………ビックリした…………。今後はもうこんなのごめんな。すっげー怖いから」
「…………本当に悪かった」
「もう気にすんなって。ほら、教室に戻ろうぜ。もしかしたら誰か来てるかもしんないし。帽子と箒の感想聞かないとな!」
「まだやるのか」
「次は襲われねーようにするよ。…………結構身にしみたし。それよりもハロウィンだからさ、楽しまなきゃ損だろ?」
しょうがないやつだな、と愚痴をもらしつつも望月も少しだけ楽しそうだった。
ハロウィンはまだまだ始まったばかりだ。
最終更新:2014年11月17日 00:40