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Call of darkness」(2018/03/10 (土) 19:19:56) の最新版変更点

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*Call of darkness ◆HOMU.DM5Ns 悪夢(タタリ)は去った。 初めての戦い、聖杯戦争の一幕を神崎蘭子とランサーは超えた。 真昼に沸いた陽炎。演目の合間に差し込まれた短い即興劇だとしても、行われたのは確かに殺し合いだった。 サーヴァントの戦い。伝説に残る英雄譚の再現……それとは反転した、恐怖劇。 一人の少女を象徴とした真昼の幻影は、光の幻想の前に虚偽を暴かれ、神威の焔に貫かれ蒸散した。 残るものは確かな実数。生き残ったマスターである蘭子と、そのサーヴァントであるランサー、カルナの二人だけだ。 「近づいてくる気配が複数ある。火の騒ぎを聞きつけて集まってきたようだな。このままでは人目につくのも時間の問題か。  マスター、動けるか」 「……うん、なんとか」 膝を折って倒れていた蘭子に傍らのランサーが声をかける。よろよろと、緩慢ながらも立ち上がって答える。 一気に体力を奪い取られた倦怠感も、悪夢を目にした震えも今は喉元を過ぎて治まりつつある。 発汗で背筋にじっとりと張り付いた服が、少し気持ち悪い。着替えるか、シャワーでも浴びれば気持ちよくなれるだろうか。 そんな風に、どこか現実逃避気味に考えを巡らせる程度には、精神も安定を見せていた。 「ぅ―――――」 思わず口を塞ぐ。一瞬、鼻をつく臭気に吐き気がこみ上げた。 そこは戦場跡。切り取られた区画に吹く風に、溶けたゴム素材特有の悪臭が乗っている。 ランサーの放出した炎で黒一色に染め上げられた、スタジオ裏の空き地だ。 最後の一合以外は最大限加減された出力だったのだが、それでも元あったバスケットコートのラインも見えなくなるほど黒く焼け焦げていた。 ブスブスと焦げ付く地面から昇る煙が、鉛色をした天に繋がれて消えていく。 毒と害を生産し続ける黒い染み。底の見えない、深い洞穴に繋がっているように蘭子の目には映る。陽の光を浴びれぬ、影に潜み血を啜る怪物がねぐらにするような。 恐怖の空想をトリガーにして、数分前の記憶が紐解かれる。堕ちた天使のイメージが蘭子の脳内で踊る。グロテスクな情景が脳髄をくすぐる。 磨き上げた武技や練り上げた魔法。天界や魔界、本来なら在り得ぬ世界に生きた住人。 一般人の常識の枠に留まらない超越した者達。 黄金に貪欲な魔物を屠り財宝を手に入れた勇者のような、救国の為に立ち上がった聖女のような、幾多の困難を踏破する冒険譚。 そんな綺羅星の如く眩い物語の主題となる誇りある英雄達が一同に集い、互いに鎬を削る絢爛たる光景。 それが神崎蘭子の想像だった。会場の外から見ているだけで高揚するような、迫力と鮮烈さに満ちた舞踏会。 いつも脳裏に思い描いている幻想。輝きを持った生命の飛翔だった。 まったく、違っていた。 先程まで自分に迫って来ていたモノは、そんな幻想とは遠すぎる、埒外にあたる存在だ。 戦いとは即ち殺人だ。 名高き英雄であるほどに、奪った命の数は数多に登り、手に担う剣には常に血が滴っている。 英雄など殺戮者の偽称。獣の醜さを覆い隠し華美に彩ったに過ぎない欺瞞。 血潮を見せつけ、希望を手折り、絶望を顔に突きつけ、殺すという意思に耐えられなくなり、器が割れるまで注ぎ込む。 今更語るまでもない。人は人を殺す。人類史は人間の死で溢れている。 蘭子が直視を避けてきた、当たり前の現実(リアル)。 その、血なまぐさい酸鼻な現実を、都市に流布された恐怖(フォークロア)で脚色した劇が―――あの姿だった。 初めての殺意との遭遇。恨み呪いをぶつけられる経験。 邪神の神秘。恐怖の噂の具現。自分自身の悪夢。 有無を言わさず流れ込んだ数多の忌まわしき情報は、蘭子の純真無垢な精神に禍々しい爪を立て、疵をつけた。 それがアーカムで行われる聖杯戦争のルール。英霊と宝具を認識する事で発症する精神汚染。 今まで受ける事のなかったあまりに濃い恐怖の形は、アイドルになるより以前から持っていた蘭子の期待を、嘲り笑いながら破壊していった。 何枚も自分の想いを込めて描いた絵をまとめて、大事に抱えていたお気に入りのスケッチブックを、目の前で破り裂かれたのにも等しい。 疵というのなら、それが一番の疵痕だ。アイドルとして壇上で歌いファンから声援をもらうようになって、久しく忘れていた寂しさ。 今までの自分の趣味を、ひいては人生そのものを否定される。それはどんな怪異よりも蘭子の心を壊す恐怖となる。 「やはり、調子が優れないようだな」 狂想に駆られていた心が、現実に引き戻される。 顔を上げると、頭一つ分上から蘭子を窺う翠の瞳と目が合った。 無表情であるが、こちらを気遣うようなランサーの眼差しに暫し見入る。 白昼の悪夢に蘭子が囚われずこうして生きていられるのは、全てランサーのおかげだ。 一人では為す術なく殺されていた。孤独では縋れず耐えられなかった。 体も心も死ぬ以外ない闇中から救い出してくれたのは、容赦なく敵を討つ烈火の激しさと、寒さから守る焚き火の暖かさを兼ね備えた、炎のようなひとだった。 "いいや、この勝利は我がマスターに捧げられるものだ。  彼女の求心力(ひかり)がお前の虚飾(カゲ)を払った。オレはそこに槍を刺しただけにすぎん" 幕間の終わりの間際、ランサーはそう影の魔王に宣告した。 彼を傷つけたものはマスターの噂が生み出した影だ。言ってみれば自分が傷つけたようなもの。 それを前にして命を危機に晒されていながら、ランサーは蘭子を責める事もなく、その輝きを肯定した。 己が背負う太陽に劣らぬ眩き光だと。闇に打ち克ったのは彼女の功績だと華を添えたのだ。 黄金の鎧を纏った体は命を守り、誠実な言葉は心を救ってくれた。 恐怖から解放された蘭子の胸の中に残るのは、ささやかな、華開く前の蕾のような誇らしさだ。 それだけで何も変わらない。現実に何かを起こす事もない。けれどそれは背中を小さく押して前に進む力をくれる。 家の窓を開いて外の世界に足を踏み入れた時のように。アイドルとして成功した蘭子はその力を信じていた。 「……ククク、案ずるな我が友よ。この身の翼はいまだもがれてはおらぬ。片翼の天使へと堕ちはしないわ!」 片方の手を突き出し、もう一方の手で顔を覆う。蘭子にとってのいつものポーズ。アイドルとして受け入れられ、求められた形。 プロデューサーがアイドルの魅力を引き出し、アイドルはプロデューサーの期待に応える。 今の自分を通すのが、称賛してくれた彼に対する一番の礼儀だ。 「本来我とは相容れぬ属性。されど光と闇は同時に隣り合い、高め合う運命を背負っている……。  比翼たる貴方がいる限り、たとえ嵐に見舞われようとも、共に羽撃き空を舞う時を待っているわ……!」 ややぎこちなく不敵な表情を形作る蘭子を、ランサーはじっと見てどこか感心したように頷いた。 「……そうか、なるほど。虚勢でも口に出せるうちは正常の範囲だ。その迂遠な言葉回しもまさしくいつものお前だ。安心したぞ」 「う、迂遠……?あ、我が友こそ、その体は壮健か?」 「傷なら問題はない。既に治癒は済んでいる」 「おお、さすがは金色の羽衣……あらゆる魔を弾く神の真結界ね……」 申告どおり、ランサーの肉体にはあれほどあった傷は跡形もなく消えていた。 傷の殆どは鎧の内側の肉体にあったものなのだから正しく装着している今見えないのは当然でもあったが、それを抜きにしても健全な状態にまで治癒されている。 何者をも弾く黄金の鎧、伝承に疑わぬ姿の英霊カルナは元の万夫不当さも完全に取り戻していた。 裏路地に細く差す日差しの温もりと別の、心の凍えを解かす存在感。 これこそが太陽の具現。生まれた頃より神に賜った日輪の具足。 日常を照らす象徴に護られているという感覚が、底に溜まった澱を焼却していく。 「時に主よ、話を戻すがこの場をどうやって離脱するつもりだ?じきに駆けつけてくる、この街の救急隊員とやらに保護を願うのなら、それも手だが」 「そ、それは困る……ンンッ、今は我らの神秘を衆目の民に晒すわけにはいかぬ。急ぎ翼を羽撃かせ退かねば……」 人気のない場での火事騒ぎなど、まずアイドルが関わっていてはいけない状況だ。 付近には蘭子が所属しているプロダクションも入っているスタジオもある。 プロデューサーや仲間のアイドルにも迷惑をかけてしまう。……聖杯戦争には無用の配慮だが、アイドルの目線でいえば自然な対応だ。 「神秘の漏洩は魔術師の禁忌と聞くが、お前にもそのような気構えがあったとはな。  しかし翔ぶか。ふむ、確かに上に逃げるならまず一般人には目につくまい」 「え?」 そしてランサーは何か、見当違いの方向で納得した風に、蘭子の細い手首を軽く掴んだ。 「ふぇ、ぅぇ!?な、何故我が手を取って……!?」 青ざめていた顔が一瞬で赤くなる。引いていた熱がまた上がっていく。 ゆるりと伸ばされた蘭子の華奢な腕を誤って壊さないように慎重に手に取るランサー。 見る構図によっては、場所さえ考えなければダンスを踊る二人の男女、と捉えられなくもない。 ……ランサーは一切感じていないし、蘭子にもいつもの口調を保つ余裕もなかったが。 「案ずるな、お前から魔力を貰う必要もないぞ。オレが担ぎ上げるだけで事足りる」 「そ、そうじゃなくてぇ……」 「……?ここを離れるのではなかったのか?」 「あぁぅぅ……」 ちぐはぐとした、噛み合わない会話。 死線を共にし、互いに確かな信頼が通っているのにどうしてか、こうした普段にするような会話の時二人の意見は奇妙なまでにすれ違うのだった。 「え?」 急に手を放してランサーが背後へ振り返る。マスターである蘭子を背にして、彼女を庇う位置に回る。 緩やかさを取り戻していた空気が凍りつく。警戒と殺気を表層に出してビル影の奥を睨む。 「――――何者だ」 暗い、ビル影の向こう側。 そこには、闇があった。 闇が固形となって光の下を謳歌している、そんな混沌の具現のような存在。 この大英雄をして、今の今まで気配すら悟らせずにいつの間にかそこにいた、男のような闇が佇んでいた。 「おや、お邪魔だったかな?これは失敬。  仲睦まじき事で実に結構。マスターとサーヴァント、互いの奉仕と信頼こそ聖杯戦争の華だ」 ずるり、と闇が這い出てきた。 赤い衣に身を包んだ、神父風の男だった。 風、としたのはあくまで見た蘭子がイメージした中で一番近しいと思ったのが、神父の衣装というだけでしかない。 鮮血を想起させるほど毒々しい赤に濡れた装束を纏う聖職者が実際にいるかなどは、蘭子には想像もつかない。 嫌でも目につく派手な服装は、しかし男の持つより強烈な特徴で印象を塗りつぶされていた。 真昼の空において、一点だけ破り裂けられたような夜の色。 空間に孔が空いていると錯覚してしまう黒。 人種だけでは到底説明がつかないほど濃く染まった肌が、男の不気味な存在感を決定づけている。 衣装と相まってよりイメージを収束させる。蘭子がいつも心の中で思い描く物語に登場する、『悪の魔法使い』そのものだった。 火を見て駆けつけた住民、と考えるはずもなかった。 コレはとっくに、日常に含まれる範囲を逸脱している。蘭子にもそれは理解できていた。 マスター。サーヴァント。アーカムに紛れる自分達の間でしか意味の伝わらない力を持った言霊。 唇までも黒い口から、既に呪いの言葉は吐かれている。 「聖杯戦争の監督役か」 「如何にも」 薄い笑み。 「私は呼び声を聞き遂げて現れた者。大いなる日の降誕を待ち望む者。  魔女の流刑地、アーカムにて執り行われる儀式。血の陣の上に贄を乗せ開かれるサバト。  此度の聖杯戦争の名を見届ける者。名をナイ神父という。  以後お見知りおきを。灰かぶりの姫。そして太陽の子よ」 恭しく頭を垂れる、ナイと名乗った男。 恐ろしい容貌とは裏腹に語りかける口調は穏やかなものだ。 それが逆に誤魔化しの利かない齟齬になって、よりおぞましさが増している。蘭子にはそんな気がした。 対してランサーは恐れを感じた様子は微塵も見せず、臆せずナイへと尋ねた。 「それで、用件はなんだ?ただマスターに顔を見せるためにこの場に現れたわけでもあるまい。  ここでの損壊を責めるというのなら、それは確かにオレの落ち度だ。叱責があれば甘んじて受けよう」 目を見開いて、ナイは白の手袋をはめた手を出して破顔した。 「落ち度?叱責?まさか!私は罰する者などではない。私は見届けるだけのものだ。それに君の手際は完璧だったとも。  襲い来る敵を滅ぼし、己がマスターを守護する。なおかつ外の往来を歩く有象無象の市民への被害にも配慮した。  残留した神秘の残り香に誘われてそのまま精神を焼かれる者はいるだろうが、まあそれは自己責任さ」 ランサーの言葉が心底意外だと言わんばかりに説明を施す。 「私が来たのはその始末のためでもある。単なる火消しだよ。儀式は序盤に入ったばかり。神秘の漏洩はまだ避けるべきだからね。  ああそれと、そこのお嬢さんの顔見せの意図も含めているよ」 そこまで言って、ナイは口を止めた。赤く濡れた、蛇のように艶めかしい視線が妖しく光る。 ランサーの後ろでおっかなびっくり顔を覗かせていた蘭子は生理的嫌悪を覚えた。 「どうかね。お楽しみ戴けているかな?聖杯戦争は」 「―――!」 心臓が裏返りそうになった。 ただ見られただけで身が竦む。気持ちの悪さが肉の底から這い上がってくる。 見ることは原始の魔術である。目は口ほどに物を言う、と言われるように視線にはある種の意思が宿る。 邪視。魔眼。言葉が発達するより前から人は視線に力を見出していた。 今蘭子が感じているのもそれだ。見てはならない断崖の淵。底から覗く眼を見てしまった。 「ふふ」 神父はずっと、言葉を投げかけるランサーに注視しているとばかり思っていた。 監督役といえど、サーヴァントと正面で相対するのなら警戒は怠るまいと勘違いしていた。 実際は違う。視線の焦点が当たってるのはひとつのみだ。ランサーはその射線上にいただけでその実眼中に入っていない。 現れた最初の時から、ナイの眼球はたった一点、一人にぴったりと張り付いて見ていたのだ。 「そのご様子では、あまりお気に召されてはいないようだ。意外ではあるね。  是非再び神秘を目の当たりにした喜びと興奮の感想を聞かせてもらいたかったのだが―――」 「そんなの、わ、我は―――私は、このような儀式など、求めていないわ」 「ほう?」 神父の眼が細められる。震えながら自らに拒否の言葉を返してきた少女に、大きく関心を寄せられていた。 「求めてない?何故?  神秘との遭遇、魔と幻想の体験は君の念願であった筈だろう?」 故に的確に、嘲笑を以て少女に刃を突き刺した。 「ぁ……―――――――」 蘭子の心臓に痛みが襲う。攻撃ではない。物理の刃、魔的な呪詛であれば傍にいる英霊が弾く。 しかし幻痛は、言霊の重みは耳を塞いで何も聞かない限り防げるものではない。 「此処には在るのだよ。魔術も、英霊も、君が求めしかし掴めなかった神秘の全てが。  このアーカムでなら君はそれを目にする事も、手に取る事もできる。自ら使役し、行使する事だってできる。  かつて君が夢見た空の世界、再びその神秘を着飾れる舞踏会場に招かれた。それなのに、どうして快楽の海に耽溺しないのかね?」 ―――痛みの次は、胸が穿たれたような空虚。 翼を生やし、手の内から魔法を放ち魔獣を討つ。蘭子が思い出した、冒険の日々の記憶。 楽しかった。歓喜に満ちていて、嬉しくて、その後のことなんて忘れてしまって。 ずっとこんな時間が続けばいい。永遠に愛したものと幸福に包まれていたい。そんな駄々をこねたこともあった。 忘れていた記憶を思い出して、もう一度行きたいと願っていた。条理の外を超えてもう一度彼らに会いたい、流れ星に願う小さな欠片。 その結果、辿り着いたのがこの世界。 一握りの奇跡を追い求める殺し合い。 酸鼻な殺撃を広げるのみに狂信する怪物。化物。 それは違う。そんな世界は求めていない。けれど――― あの世界でも、陽の当たらない裏では同じような地獄が起きていたのだろうか?目を逸した向こう側には、怨嗟が沼のように沈んでいたのか。 これが、自分の楽しんできたものの正体―――? 神父の言葉の意味を問い返す余裕も、今の蘭子にはない。 胃の内容物どころか、内蔵もろとも体の中から排出したくなるような拒絶感が体内で暴れまわっていた。 まるで腹腔の奥の奥にイキモノが棲みついてるよう。自分の体を内側から食い破って出て来る怪物の姿が浮かぶ上がる。 いっそ、吐き出してしまえ。黒い誰かが耳元で囁く。 ああそれはなんて甘い誘い。極めて堕落。安易な失楽。 喉に手を肩まで突っ込んで引き摺り出す。するとほら、出て来るのはこんなに綺麗で艶めかしい君の■■が――― 「―――――――――」 不意に、上を見た。高い空にではなく、すぐ隣に佇む金色の太陽を。 伸びた前髪から見え隠れする瞳は、鮮やか色で自分を見返している。濁りのない、吸い込まれるような色に、暫し蘭子は恐怖を忘れた。 ランサーは静かに、ただそこにいるだけ。主に慰めの言葉ひとつ授けずに、何も語らず黙している。 それが無関心からくる放棄の沈黙ではないと、もう蘭子は知っている。 英雄であり、けれど少し不器用で人に伝える事が苦手な所がある、温かな性根があると知っている。 だって、彼はそこにいる。 そこに、いてくれているのだ。 一人では耐えられなかった。誰かに傍にいて欲しかった。 サーヴァントはマスターに従うもの。そんな、ルール上に記載されているだけの理由だとしても、傍を離れないでいた。 ならば他に、ここで何を望むというのだろう。それだけで蘭子は救われているのに。 彼は待っている。蘭子が口を開くのを。 自身への命令であれ、目の前にいる神父への返答であれ、選んで取るのは蘭子の意思。彼女にしか背負えない役目であると理解している。 そっと、鎧の上からでも細い腕に手を乗せた。振り払いもせず青年は受け入れる。 硬い、金属質の触感。けれど冷え切っていた指先には暖かさが戻ってくる。 「は、ぁ―――――――」 暗転しそうな意識を懸命に保つ。えづきそうになりながらようやく重い息を吐き出す。それで、気持ちの悪さは一旦引いてくれた。 「でも……私が行きたい世界は、ここじゃないから」 喉には唾液がからみつき、心臓の鼓動は不穏に高鳴っている。 「ならば君は、何処を目指す?」 声は掠れ掠れて、歌声なんて聴かせられないぐらいみっともない。 「もっと綺麗で、輝いていて、皆に声を届けられる場所」 今にも崩れ落ちそうな体を支え、泣きそうな顔を抑えて、それでも言葉は断ち切れる事なく、 弱々しくも、こう告げた。 「―――星みたいな、煌めく舞台を、昇っていきたい」 「ああ――――――素晴らしい」 黒肌の男は目を閉ざして顔を上向け、まるで聖歌に聴き入ってるかのように深く頷いた。 胸に当てられた手が震えている。感動か、はたまた別種の感情か。 「そうだ。そうだとも。そうでなくては意味がない。  自身の『願望』のため、生きて、考え、動き、戦い、呼吸し、走り、足掻き、傷つき、泣き、笑い、叫び、奪い、失い、築き、壊し、血を流し、怒り、這いずり、狂い、死に、蘇る……。  君のような愛しい人間が足掻くからこそ、定命の華は美しく咲き誇るのだ」 やがて目を見開いたナイの顔には、変わらぬ微笑が張り付いていた。 分け隔てなく振り撒かれる慈愛の如く、しかし全てを見透かし睥睨する薄っぺらい笑み。 「やはり、聖杯戦争とは面白い。私も監督など暇な役職(ロール)でなくいっそ参加者として関わりたかったが……いや、言うまい。  『私』という可能性は遍在する。思い至った時点で、既に別の『私』が実行に移しているだろう。  それに相応しい英雄の仮面(ペルソナ)も、あることだしね。知っているかね?全ての人には心の闇に潜む普遍的無意識の住人が―――」 本人にしか意味のない言葉を呟いて、再び蘭子へ向き直ったナイが冒涜的な真実を並び立てようとした時、焼き焦がす熱気に次の句を遮られた。 「悪いが、そこまでにしてもらおうか。それ以上は害意ある干渉と見做さざるを得ん」 主の意思を聞き届けたランサーが口を開く。 周囲に炎の翼が舞い降りたかと思う火の熱は、しかし現実には火の粉の一片も舞ってはいなかった。 今のはあくまでランサーの視線の威。太陽神の子たるカルナとなれば、眼力だけでも燃焼の現象を齎す。魔力ではなく単純な覇気としてもだ。 「用向きが済んだのならば疾く去るがいい暗黒。蘭子はオレの主人だ。監督役といえど手を出さない訳にはいかない。  それこそお前の中立としての立場も揺らぎ出すぞ」 マスターの許可なく戦闘力を開放する軽率さは持ち合わせてない。翻せば、命令さえ下ればカルナの槍は音速で神父に迫りくるだろう。 ナイはその間合いに入っていた。物理的な距離にも、蘭子の精神の許容量においてもだ。 「それは怖い。生ける炎が如し君を相手にしては、私のような影は消えるしか他ないな。……確かに、些かからかいが過ぎたようだ。少し『貌』が覗いてしまった」 白い手袋をはめた手で表情を覆い隠し、さっと身を引くナイ。 そこに口にするほど、ランサーの炎を畏れている風には見受けられない 「これでは叱責を受けてしまうのは私の方だな。望み通り素直に立ち去るとしよう」 するすると遠ざかっていく様子は波が引いていく様子にも似ていた。 「しかし、覚えておきたまえ施しの英雄。人はいずれ、太陽(きみ)にも手が届く時が来る。  かのアインシュタイン、オッペンハイマーが発明し、アンブローズ・デクスターが推し進めた滅びの兵器。終末の時計の針はいつ進んでもおかしくはないのだから」 「警句、感謝する。有難く受け取っておこう」 皮肉を交えていたらしきナイの言葉にも至極真面目に取り合う。ナイもさして不快にした気もなく笑みのまま流した。 路地裏にまで引き込み、そのまま影の中に溶け込んでしまいそうな段になって、思い出したように言い残した。 「……ああ、そうそう。隔離の為この辺りの時間を少しかしいであるが、君達が去るまでは解除しないでおこう。  何処へ向かおうと、君達のその過程が他人に捉えられる事はないだろう」 時間を取らせたお詫び代わりだよ、と付け足して、今度こそ神父の姿は路地の奥に吸い込まれて完全に消失した。 影から生じた闇が元の影に戻り、今度こそ世界は色を取り戻す。 『ではさようなら、暗雲に覆われしアーカムで、なお輝きを見失わぬ少女よ。汝に星の智慧があらんことを』 なのに、声だけが明瞭なほど耳に反響して、去る最後まで跡を濁していった。 アーカムという水面に投げ入れられた小石。広がる波紋は次なる波の呼び水になり、より大きな波を作る。 この邂逅は、その流れのうちのどれに値するのか。 暗黒の神父に脆く決意を宣言した少女の行為に、如何なる意味を持つのか。 真実は暗雲に包まれている。正答は仄暗い海の底に沈み落ちていく。 全ては闇の中にあり、闇もただ黒い笑みを浮かべるのみ――――――。 神崎蘭子の緒戦。聖杯戦争ではありきたりの一幕はこうして下ろされた。 【商業区域・スタジオビル裏/一日目 午前】 【神崎蘭子@アイドルマスターシンデレラガールズ】 [状態]魔力の消費による疲労、ストレスにより若干体調が優れない [精神]大きなストレス(聖杯ルール、恐怖、流血目視、魔王ブリュンヒル登場によるショック)、ナイ神父との接触により症状持続 [令呪]残り三画 [装備]なし [道具]なし [所持金]中学生としては多め [思考・状況] 基本行動方針:友に恥じぬ、自分でありたい 0.…… 1.我と共に歩める「瞳」の持ち主との邂逅を望む。 2.我が友と魂の同調を高めん! 3.聖杯戦争は怖いです。 4.私が欲しいのは――― [備考] タタリを脅威として認識しました。 商業区域・スタジオビル裏にて、ナイ神父と接触しました。 【ランサー(カルナ)@Fate/Apocrypha+Fate/EXTRACCC】 [状態] [精神]正常 [装備]「日輪よ、死に随え」「日輪よ、具足となれ」 [道具]なし [所持金]なし [思考・状況] 基本行動方針:マスターに従い、その命を庇護する。 1.蘭子の選択に是非はない。命令とあらば従うのみ。 2.今後の安全を鑑みれば、あの怪異を生むサーヴァントとマスターは放置できまい。 3.だが、どこにでも現れるのであれば尚更マスターより離れるわけにはいかない [備考] タタリを脅威として認識しました。 タタリの本体が三代目か初代のどちらかだと思っています。 【アーカム市内?/一日目 午前】 【ナイ神父@邪神聖杯黙示録】 [状態]? [精神]? [装備]? [道具]? [所持金]? [思考・状況] 基本行動方針:この聖杯戦争の行方を最後まで見届ける 1.? [備考] [全体の備考] ナイ神父の措置により、現在位置を離れるまで、蘭子達が一般人に発見される事はありません。 |BACK||NEXT|| |022:|[[吊るしビトのマクガフィン]]|投下順|023:[[Libra ribrary]]| |022:|[[吊るしビトのマクガフィン]]|時系列順|0XX:[[]]| |BACK|登場キャラ|NEXT| |014:[[Arkham Ghul Alptraum(前編)]]|[[神崎蘭子]]&ランサー([[カルナ]])| :[[ ]]|
*Call of darkness ◆HOMU.DM5Ns 悪夢(タタリ)は去った。 初めての戦い、聖杯戦争の一幕を神崎蘭子とランサーは超えた。 真昼に沸いた陽炎。演目の合間に差し込まれた短い即興劇だとしても、行われたのは確かに殺し合いだった。 サーヴァントの戦い。伝説に残る英雄譚の再現……それとは反転した、恐怖劇。 一人の少女を象徴とした真昼の幻影は、光の幻想の前に虚偽を暴かれ、神威の焔に貫かれ蒸散した。 残るものは確かな実数。生き残ったマスターである蘭子と、そのサーヴァントであるランサー、カルナの二人だけだ。 「近づいてくる気配が複数ある。火の騒ぎを聞きつけて集まってきたようだな。このままでは人目につくのも時間の問題か。  マスター、動けるか」 「……うん、なんとか」 膝を折って倒れていた蘭子に傍らのランサーが声をかける。よろよろと、緩慢ながらも立ち上がって答える。 一気に体力を奪い取られた倦怠感も、悪夢を目にした震えも今は喉元を過ぎて治まりつつある。 発汗で背筋にじっとりと張り付いた服が、少し気持ち悪い。着替えるか、シャワーでも浴びれば気持ちよくなれるだろうか。 そんな風に、どこか現実逃避気味に考えを巡らせる程度には、精神も安定を見せていた。 「ぅ―――――」 思わず口を塞ぐ。一瞬、鼻をつく臭気に吐き気がこみ上げた。 そこは戦場跡。切り取られた区画に吹く風に、溶けたゴム素材特有の悪臭が乗っている。 ランサーの放出した炎で黒一色に染め上げられた、スタジオ裏の空き地だ。 最後の一合以外は最大限加減された出力だったのだが、それでも元あったバスケットコートのラインも見えなくなるほど黒く焼け焦げていた。 ブスブスと焦げ付く地面から昇る煙が、鉛色をした天に繋がれて消えていく。 毒と害を生産し続ける黒い染み。底の見えない、深い洞穴に繋がっているように蘭子の目には映る。陽の光を浴びれぬ、影に潜み血を啜る怪物がねぐらにするような。 恐怖の空想をトリガーにして、数分前の記憶が紐解かれる。堕ちた天使のイメージが蘭子の脳内で踊る。グロテスクな情景が脳髄をくすぐる。 磨き上げた武技や練り上げた魔法。天界や魔界、本来なら在り得ぬ世界に生きた住人。 一般人の常識の枠に留まらない超越した者達。 黄金に貪欲な魔物を屠り財宝を手に入れた勇者のような、救国の為に立ち上がった聖女のような、幾多の困難を踏破する冒険譚。 そんな綺羅星の如く眩い物語の主題となる誇りある英雄達が一同に集い、互いに鎬を削る絢爛たる光景。 それが神崎蘭子の想像だった。会場の外から見ているだけで高揚するような、迫力と鮮烈さに満ちた舞踏会。 いつも脳裏に思い描いている幻想。輝きを持った生命の飛翔だった。 まったく、違っていた。 先程まで自分に迫って来ていたモノは、そんな幻想とは遠すぎる、埒外にあたる存在だ。 戦いとは即ち殺人だ。 名高き英雄であるほどに、奪った命の数は数多に登り、手に担う剣には常に血が滴っている。 英雄など殺戮者の偽称。獣の醜さを覆い隠し華美に彩ったに過ぎない欺瞞。 血潮を見せつけ、希望を手折り、絶望を顔に突きつけ、殺すという意思に耐えられなくなり、器が割れるまで注ぎ込む。 今更語るまでもない。人は人を殺す。人類史は人間の死で溢れている。 蘭子が直視を避けてきた、当たり前の現実(リアル)。 その、血なまぐさい酸鼻な現実を、都市に流布された恐怖(フォークロア)で脚色した劇が―――あの姿だった。 初めての殺意との遭遇。恨み呪いをぶつけられる経験。 邪神の神秘。恐怖の噂の具現。自分自身の悪夢。 有無を言わさず流れ込んだ数多の忌まわしき情報は、蘭子の純真無垢な精神に禍々しい爪を立て、疵をつけた。 それがアーカムで行われる聖杯戦争のルール。英霊と宝具を認識する事で発症する精神汚染。 今まで受ける事のなかったあまりに濃い恐怖の形は、アイドルになるより以前から持っていた蘭子の期待を、嘲り笑いながら破壊していった。 何枚も自分の想いを込めて描いた絵をまとめて、大事に抱えていたお気に入りのスケッチブックを、目の前で破り裂かれたのにも等しい。 疵というのなら、それが一番の疵痕だ。アイドルとして壇上で歌いファンから声援をもらうようになって、久しく忘れていた寂しさ。 今までの自分の趣味を、ひいては人生そのものを否定される。それはどんな怪異よりも蘭子の心を壊す恐怖となる。 「やはり、調子が優れないようだな」 狂想に駆られていた心が、現実に引き戻される。 顔を上げると、頭一つ分上から蘭子を窺う翠の瞳と目が合った。 無表情であるが、こちらを気遣うようなランサーの眼差しに暫し見入る。 白昼の悪夢に蘭子が囚われずこうして生きていられるのは、全てランサーのおかげだ。 一人では為す術なく殺されていた。孤独では縋れず耐えられなかった。 体も心も死ぬ以外ない闇中から救い出してくれたのは、容赦なく敵を討つ烈火の激しさと、寒さから守る焚き火の暖かさを兼ね備えた、炎のようなひとだった。 "いいや、この勝利は我がマスターに捧げられるものだ。  彼女の求心力(ひかり)がお前の虚飾(カゲ)を払った。オレはそこに槍を刺しただけにすぎん" 幕間の終わりの間際、ランサーはそう影の魔王に宣告した。 彼を傷つけたものはマスターの噂が生み出した影だ。言ってみれば自分が傷つけたようなもの。 それを前にして命を危機に晒されていながら、ランサーは蘭子を責める事もなく、その輝きを肯定した。 己が背負う太陽に劣らぬ眩き光だと。闇に打ち克ったのは彼女の功績だと華を添えたのだ。 黄金の鎧を纏った体は命を守り、誠実な言葉は心を救ってくれた。 恐怖から解放された蘭子の胸の中に残るのは、ささやかな、華開く前の蕾のような誇らしさだ。 それだけで何も変わらない。現実に何かを起こす事もない。けれどそれは背中を小さく押して前に進む力をくれる。 家の窓を開いて外の世界に足を踏み入れた時のように。アイドルとして成功した蘭子はその力を信じていた。 「……ククク、案ずるな我が友よ。この身の翼はいまだもがれてはおらぬ。片翼の天使へと堕ちはしないわ!」 片方の手を突き出し、もう一方の手で顔を覆う。蘭子にとってのいつものポーズ。アイドルとして受け入れられ、求められた形。 プロデューサーがアイドルの魅力を引き出し、アイドルはプロデューサーの期待に応える。 今の自分を通すのが、称賛してくれた彼に対する一番の礼儀だ。 「本来我とは相容れぬ属性。されど光と闇は同時に隣り合い、高め合う運命を背負っている……。  比翼たる貴方がいる限り、たとえ嵐に見舞われようとも、共に羽撃き空を舞う時を待っているわ……!」 ややぎこちなく不敵な表情を形作る蘭子を、ランサーはじっと見てどこか感心したように頷いた。 「……そうか、なるほど。虚勢でも口に出せるうちは正常の範囲だ。その迂遠な言葉回しもまさしくいつものお前だ。安心したぞ」 「う、迂遠……?あ、我が友こそ、その体は壮健か?」 「傷なら問題はない。既に治癒は済んでいる」 「おお、さすがは金色の羽衣……あらゆる魔を弾く神の真結界ね……」 申告どおり、ランサーの肉体にはあれほどあった傷は跡形もなく消えていた。 傷の殆どは鎧の内側の肉体にあったものなのだから正しく装着している今見えないのは当然でもあったが、それを抜きにしても健全な状態にまで治癒されている。 何者をも弾く黄金の鎧、伝承に疑わぬ姿の英霊カルナは元の万夫不当さも完全に取り戻していた。 裏路地に細く差す日差しの温もりと別の、心の凍えを解かす存在感。 これこそが太陽の具現。生まれた頃より神に賜った日輪の具足。 日常を照らす象徴に護られているという感覚が、底に溜まった澱を焼却していく。 「時に主よ、話を戻すがこの場をどうやって離脱するつもりだ?じきに駆けつけてくる、この街の救急隊員とやらに保護を願うのなら、それも手だが」 「そ、それは困る……ンンッ、今は我らの神秘を衆目の民に晒すわけにはいかぬ。急ぎ翼を羽撃かせ退かねば……」 人気のない場での火事騒ぎなど、まずアイドルが関わっていてはいけない状況だ。 付近には蘭子が所属しているプロダクションも入っているスタジオもある。 プロデューサーや仲間のアイドルにも迷惑をかけてしまう。……聖杯戦争には無用の配慮だが、アイドルの目線でいえば自然な対応だ。 「神秘の漏洩は魔術師の禁忌と聞くが、お前にもそのような気構えがあったとはな。  しかし翔ぶか。ふむ、確かに上に逃げるならまず一般人には目につくまい」 「え?」 そしてランサーは何か、見当違いの方向で納得した風に、蘭子の細い手首を軽く掴んだ。 「ふぇ、ぅぇ!?な、何故我が手を取って……!?」 青ざめていた顔が一瞬で赤くなる。引いていた熱がまた上がっていく。 ゆるりと伸ばされた蘭子の華奢な腕を誤って壊さないように慎重に手に取るランサー。 見る構図によっては、場所さえ考えなければダンスを踊る二人の男女、と捉えられなくもない。 ……ランサーは一切感じていないし、蘭子にもいつもの口調を保つ余裕もなかったが。 「案ずるな、お前から魔力を貰う必要もないぞ。オレが担ぎ上げるだけで事足りる」 「そ、そうじゃなくてぇ……」 「……?ここを離れるのではなかったのか?」 「あぁぅぅ……」 ちぐはぐとした、噛み合わない会話。 死線を共にし、互いに確かな信頼が通っているのにどうしてか、こうした普段にするような会話の時二人の意見は奇妙なまでにすれ違うのだった。 「え?」 急に手を放してランサーが背後へ振り返る。マスターである蘭子を背にして、彼女を庇う位置に回る。 緩やかさを取り戻していた空気が凍りつく。警戒と殺気を表層に出してビル影の奥を睨む。 「――――何者だ」 暗い、ビル影の向こう側。 そこには、闇があった。 闇が固形となって光の下を謳歌している、そんな混沌の具現のような存在。 この大英雄をして、今の今まで気配すら悟らせずにいつの間にかそこにいた、男のような闇が佇んでいた。 「おや、お邪魔だったかな?これは失敬。  仲睦まじき事で実に結構。マスターとサーヴァント、互いの奉仕と信頼こそ聖杯戦争の華だ」 ずるり、と闇が這い出てきた。 赤い衣に身を包んだ、神父風の男だった。 風、としたのはあくまで見た蘭子がイメージした中で一番近しいと思ったのが、神父の衣装というだけでしかない。 鮮血を想起させるほど毒々しい赤に濡れた装束を纏う聖職者が実際にいるかなどは、蘭子には想像もつかない。 嫌でも目につく派手な服装は、しかし男の持つより強烈な特徴で印象を塗りつぶされていた。 真昼の空において、一点だけ破り裂けられたような夜の色。 空間に孔が空いていると錯覚してしまう黒。 人種だけでは到底説明がつかないほど濃く染まった肌が、男の不気味な存在感を決定づけている。 衣装と相まってよりイメージを収束させる。蘭子がいつも心の中で思い描く物語に登場する、『悪の魔法使い』そのものだった。 火を見て駆けつけた住民、と考えるはずもなかった。 コレはとっくに、日常に含まれる範囲を逸脱している。蘭子にもそれは理解できていた。 マスター。サーヴァント。アーカムに紛れる自分達の間でしか意味の伝わらない力を持った言霊。 唇までも黒い口から、既に呪いの言葉は吐かれている。 「聖杯戦争の監督役か」 「如何にも」 薄い笑み。 「私は呼び声を聞き遂げて現れた者。大いなる日の降誕を待ち望む者。  魔女の流刑地、アーカムにて執り行われる儀式。血の陣の上に贄を乗せ開かれるサバト。  此度の聖杯戦争の名を見届ける者。名をナイ神父という。  以後お見知りおきを。灰かぶりの姫。そして太陽の子よ」 恭しく頭を垂れる、ナイと名乗った男。 恐ろしい容貌とは裏腹に語りかける口調は穏やかなものだ。 それが逆に誤魔化しの利かない齟齬になって、よりおぞましさが増している。蘭子にはそんな気がした。 対してランサーは恐れを感じた様子は微塵も見せず、臆せずナイへと尋ねた。 「それで、用件はなんだ?ただマスターに顔を見せるためにこの場に現れたわけでもあるまい。  ここでの損壊を責めるというのなら、それは確かにオレの落ち度だ。叱責があれば甘んじて受けよう」 目を見開いて、ナイは白の手袋をはめた手を出して破顔した。 「落ち度?叱責?まさか!私は罰する者などではない。私は見届けるだけのものだ。それに君の手際は完璧だったとも。  襲い来る敵を滅ぼし、己がマスターを守護する。なおかつ外の往来を歩く有象無象の市民への被害にも配慮した。  残留した神秘の残り香に誘われてそのまま精神を焼かれる者はいるだろうが、まあそれは自己責任さ」 ランサーの言葉が心底意外だと言わんばかりに説明を施す。 「私が来たのはその始末のためでもある。単なる火消しだよ。儀式は序盤に入ったばかり。神秘の漏洩はまだ避けるべきだからね。  ああそれと、そこのお嬢さんの顔見せの意図も含めているよ」 そこまで言って、ナイは口を止めた。赤く濡れた、蛇のように艶めかしい視線が妖しく光る。 ランサーの後ろでおっかなびっくり顔を覗かせていた蘭子は生理的嫌悪を覚えた。 「どうかね。お楽しみ戴けているかな?聖杯戦争は」 「―――!」 心臓が裏返りそうになった。 ただ見られただけで身が竦む。気持ちの悪さが肉の底から這い上がってくる。 見ることは原始の魔術である。目は口ほどに物を言う、と言われるように視線にはある種の意思が宿る。 邪視。魔眼。言葉が発達するより前から人は視線に力を見出していた。 今蘭子が感じているのもそれだ。見てはならない断崖の淵。底から覗く眼を見てしまった。 「ふふ」 神父はずっと、言葉を投げかけるランサーに注視しているとばかり思っていた。 監督役といえど、サーヴァントと正面で相対するのなら警戒は怠るまいと勘違いしていた。 実際は違う。視線の焦点が当たってるのはひとつのみだ。ランサーはその射線上にいただけでその実眼中に入っていない。 現れた最初の時から、ナイの眼球はたった一点、一人にぴったりと張り付いて見ていたのだ。 「そのご様子では、あまりお気に召されてはいないようだ。意外ではあるね。  是非再び神秘を目の当たりにした喜びと興奮の感想を聞かせてもらいたかったのだが―――」 「そんなの、わ、我は―――私は、このような儀式など、求めていないわ」 「ほう?」 神父の眼が細められる。震えながら自らに拒否の言葉を返してきた少女に、大きく関心を寄せられていた。 「求めてない?何故?  神秘との遭遇、魔と幻想の体験は君の念願であった筈だろう?」 故に的確に、嘲笑を以て少女に刃を突き刺した。 「ぁ……―――――――」 蘭子の心臓に痛みが襲う。攻撃ではない。物理の刃、魔的な呪詛であれば傍にいる英霊が弾く。 しかし幻痛は、言霊の重みは耳を塞いで何も聞かない限り防げるものではない。 「此処には在るのだよ。魔術も、英霊も、君が求めしかし掴めなかった神秘の全てが。  このアーカムでなら君はそれを目にする事も、手に取る事もできる。自ら使役し、行使する事だってできる。  かつて君が夢見た空の世界、再びその神秘を着飾れる舞踏会場に招かれた。それなのに、どうして快楽の海に耽溺しないのかね?」 ―――痛みの次は、胸が穿たれたような空虚。 翼を生やし、手の内から魔法を放ち魔獣を討つ。蘭子が思い出した、冒険の日々の記憶。 楽しかった。歓喜に満ちていて、嬉しくて、その後のことなんて忘れてしまって。 ずっとこんな時間が続けばいい。永遠に愛したものと幸福に包まれていたい。そんな駄々をこねたこともあった。 忘れていた記憶を思い出して、もう一度行きたいと願っていた。条理の外を超えてもう一度彼らに会いたい、流れ星に願う小さな欠片。 その結果、辿り着いたのがこの世界。 一握りの奇跡を追い求める殺し合い。 酸鼻な殺撃を広げるのみに狂信する怪物。化物。 それは違う。そんな世界は求めていない。けれど――― あの世界でも、陽の当たらない裏では同じような地獄が起きていたのだろうか?目を逸した向こう側には、怨嗟が沼のように沈んでいたのか。 これが、自分の楽しんできたものの正体―――? 神父の言葉の意味を問い返す余裕も、今の蘭子にはない。 胃の内容物どころか、内蔵もろとも体の中から排出したくなるような拒絶感が体内で暴れまわっていた。 まるで腹腔の奥の奥にイキモノが棲みついてるよう。自分の体を内側から食い破って出て来る怪物の姿が浮かぶ上がる。 いっそ、吐き出してしまえ。黒い誰かが耳元で囁く。 ああそれはなんて甘い誘い。極めて堕落。安易な失楽。 喉に手を肩まで突っ込んで引き摺り出す。するとほら、出て来るのはこんなに綺麗で艶めかしい君の■■が――― 「―――――――――」 不意に、上を見た。高い空にではなく、すぐ隣に佇む金色の太陽を。 伸びた前髪から見え隠れする瞳は、鮮やか色で自分を見返している。濁りのない、吸い込まれるような色に、暫し蘭子は恐怖を忘れた。 ランサーは静かに、ただそこにいるだけ。主に慰めの言葉ひとつ授けずに、何も語らず黙している。 それが無関心からくる放棄の沈黙ではないと、もう蘭子は知っている。 英雄であり、けれど少し不器用で人に伝える事が苦手な所がある、温かな性根があると知っている。 だって、彼はそこにいる。 そこに、いてくれているのだ。 一人では耐えられなかった。誰かに傍にいて欲しかった。 サーヴァントはマスターに従うもの。そんな、ルール上に記載されているだけの理由だとしても、傍を離れないでいた。 ならば他に、ここで何を望むというのだろう。それだけで蘭子は救われているのに。 彼は待っている。蘭子が口を開くのを。 自身への命令であれ、目の前にいる神父への返答であれ、選んで取るのは蘭子の意思。彼女にしか背負えない役目であると理解している。 そっと、鎧の上からでも細い腕に手を乗せた。振り払いもせず青年は受け入れる。 硬い、金属質の触感。けれど冷え切っていた指先には暖かさが戻ってくる。 「は、ぁ―――――――」 暗転しそうな意識を懸命に保つ。えづきそうになりながらようやく重い息を吐き出す。それで、気持ちの悪さは一旦引いてくれた。 「でも……私が行きたい世界は、ここじゃないから」 喉には唾液がからみつき、心臓の鼓動は不穏に高鳴っている。 「ならば君は、何処を目指す?」 声は掠れ掠れて、歌声なんて聴かせられないぐらいみっともない。 「もっと綺麗で、輝いていて、皆に声を届けられる場所」 今にも崩れ落ちそうな体を支え、泣きそうな顔を抑えて、それでも言葉は断ち切れる事なく、 弱々しくも、こう告げた。 「―――星みたいな、煌めく舞台を、昇っていきたい」 「ああ――――――素晴らしい」 黒肌の男は目を閉ざして顔を上向け、まるで聖歌に聴き入ってるかのように深く頷いた。 胸に当てられた手が震えている。感動か、はたまた別種の感情か。 「そうだ。そうだとも。そうでなくては意味がない。  自身の『願望』のため、生きて、考え、動き、戦い、呼吸し、走り、足掻き、傷つき、泣き、笑い、叫び、奪い、失い、築き、壊し、血を流し、怒り、這いずり、狂い、死に、蘇る……。  君のような愛しい人間が足掻くからこそ、定命の華は美しく咲き誇るのだ」 やがて目を見開いたナイの顔には、変わらぬ微笑が張り付いていた。 分け隔てなく振り撒かれる慈愛の如く、しかし全てを見透かし睥睨する薄っぺらい笑み。 「やはり、聖杯戦争とは面白い。私も監督など暇な役職(ロール)でなくいっそ参加者として関わりたかったが……いや、言うまい。  『私』という可能性は遍在する。思い至った時点で、既に別の『私』が実行に移しているだろう。  それに相応しい英雄の仮面(ペルソナ)も、あることだしね。知っているかね?全ての人には心の闇に潜む普遍的無意識の住人が―――」 本人にしか意味のない言葉を呟いて、再び蘭子へ向き直ったナイが冒涜的な真実を並び立てようとした時、焼き焦がす熱気に次の句を遮られた。 「悪いが、そこまでにしてもらおうか。それ以上は害意ある干渉と見做さざるを得ん」 主の意思を聞き届けたランサーが口を開く。 周囲に炎の翼が舞い降りたかと思う火の熱は、しかし現実には火の粉の一片も舞ってはいなかった。 今のはあくまでランサーの視線の威。太陽神の子たるカルナとなれば、眼力だけでも燃焼の現象を齎す。魔力ではなく単純な覇気としてもだ。 「用向きが済んだのならば疾く去るがいい暗黒。蘭子はオレの主人だ。監督役といえど手を出さない訳にはいかない。  それこそお前の中立としての立場も揺らぎ出すぞ」 マスターの許可なく戦闘力を開放する軽率さは持ち合わせてない。翻せば、命令さえ下ればカルナの槍は音速で神父に迫りくるだろう。 ナイはその間合いに入っていた。物理的な距離にも、蘭子の精神の許容量においてもだ。 「それは怖い。生ける炎が如し君を相手にしては、私のような影は消えるしか他ないな。……確かに、些かからかいが過ぎたようだ。少し『貌』が覗いてしまった」 白い手袋をはめた手で表情を覆い隠し、さっと身を引くナイ。 そこに口にするほど、ランサーの炎を畏れている風には見受けられない 「これでは叱責を受けてしまうのは私の方だな。望み通り素直に立ち去るとしよう」 するすると遠ざかっていく様子は波が引いていく様子にも似ていた。 「しかし、覚えておきたまえ施しの英雄。人はいずれ、太陽(きみ)にも手が届く時が来る。  かのアインシュタイン、オッペンハイマーが発明し、アンブローズ・デクスターが推し進めた滅びの兵器。終末の時計の針はいつ進んでもおかしくはないのだから」 「警句、感謝する。有難く受け取っておこう」 皮肉を交えていたらしきナイの言葉にも至極真面目に取り合う。ナイもさして不快にした気もなく笑みのまま流した。 路地裏にまで引き込み、そのまま影の中に溶け込んでしまいそうな段になって、思い出したように言い残した。 「……ああ、そうそう。隔離の為この辺りの時間を少しかしいであるが、君達が去るまでは解除しないでおこう。  何処へ向かおうと、君達のその過程が他人に捉えられる事はないだろう」 時間を取らせたお詫び代わりだよ、と付け足して、今度こそ神父の姿は路地の奥に吸い込まれて完全に消失した。 影から生じた闇が元の影に戻り、今度こそ世界は色を取り戻す。 『ではさようなら、暗雲に覆われしアーカムで、なお輝きを見失わぬ少女よ。汝に星の智慧があらんことを』 なのに、声だけが明瞭なほど耳に反響して、去る最後まで跡を濁していった。 アーカムという水面に投げ入れられた小石。広がる波紋は次なる波の呼び水になり、より大きな波を作る。 この邂逅は、その流れのうちのどれに値するのか。 暗黒の神父に脆く決意を宣言した少女の行為に、如何なる意味を持つのか。 真実は暗雲に包まれている。正答は仄暗い海の底に沈み落ちていく。 全ては闇の中にあり、闇もただ黒い笑みを浮かべるのみ――――――。 神崎蘭子の緒戦。聖杯戦争ではありきたりの一幕はこうして下ろされた。 【商業区域・スタジオビル裏/一日目 午前】 【神崎蘭子@アイドルマスターシンデレラガールズ】 [状態]魔力の消費による疲労、ストレスにより若干体調が優れない [精神]大きなストレス(聖杯ルール、恐怖、流血目視、魔王ブリュンヒル登場によるショック)、ナイ神父との接触により症状持続 [令呪]残り三画 [装備]なし [道具]なし [所持金]中学生としては多め [思考・状況] 基本行動方針:友に恥じぬ、自分でありたい 0.…… 1.我と共に歩める「瞳」の持ち主との邂逅を望む。 2.我が友と魂の同調を高めん! 3.聖杯戦争は怖いです。 4.私が欲しいのは――― [備考] タタリを脅威として認識しました。 商業区域・スタジオビル裏にて、ナイ神父と接触しました。 【ランサー(カルナ)@Fate/Apocrypha+Fate/EXTRACCC】 [状態] [精神]正常 [装備]「日輪よ、死に随え」「日輪よ、具足となれ」 [道具]なし [所持金]なし [思考・状況] 基本行動方針:マスターに従い、その命を庇護する。 1.蘭子の選択に是非はない。命令とあらば従うのみ。 2.今後の安全を鑑みれば、あの怪異を生むサーヴァントとマスターは放置できまい。 3.だが、どこにでも現れるのであれば尚更マスターより離れるわけにはいかない [備考] タタリを脅威として認識しました。 タタリの本体が三代目か初代のどちらかだと思っています。 【アーカム市内?/一日目 午前】 【ナイ神父@邪神聖杯黙示録】 [状態]? [精神]? [装備]? [道具]? [所持金]? [思考・状況] 基本行動方針:この聖杯戦争の行方を最後まで見届ける 1.? [備考] [全体の備考] ナイ神父の措置により、現在位置を離れるまで、蘭子達が一般人に発見される事はありません。 |BACK||NEXT|| |022:|[[吊るしビトのマクガフィン]]|投下順|023:[[Libra ribrary]]| |022:|[[吊るしビトのマクガフィン]]|時系列順|024:[[Libra ribrary]]| |BACK|登場キャラ|NEXT| |014:[[Arkham Ghul Alptraum(前編)]]|[[神崎蘭子]]&ランサー([[カルナ]])|025:[[Shining effect]]| |012:[[鉛毒の空の下]]|[[ナイ神父]]|026:[[The Keeper of Arcane Lore(後編)]]|

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