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鉛毒の空の下  ◆q4eJ67HsvU



鉛色の、という表現がある。


概ねの場合、重い雲が垂れ込めて淀んだ色になった空を形容する言葉だ。
もちろん単なる雲の色を表すだけではなく、大抵は陰鬱で、憂鬱で、不安を煽るような空だというニュアンスを併せ持つ。
そういう語意に照らし合わせば、架空都市アーカムの空はここ数日、まさしく鉛色そのものをしている。
単に曇りがちだというだけではなく、陰鬱で、憂鬱で不安を煽る、そんな色の空をしている。

そういう意味では、このアーカムという街は、常に鉛色の大気で覆われている。

もっとも、あくまで表向きは、現代においては当たり前の街だ。
地方都市らしくいくらか古い因習が残ってはいるものの、それもまた時代の波に削られ風化しつつある、当たり前の街。

社会人はビジネス街を足繁く行き交い、学生は勉学に励みながら青春を謳歌する。
富裕層は社交と慈善事業に勤しみ、落伍者は路地裏で夜を明かす。
この街の中核であるミスカトニック大学の存在を除けば、極めて一般的な、悪く言えば特徴のない街。

しかし、誰もが気付いている。
言葉にしないだけで誰もが無意識に感じているのだ。

このアーカムの当たり前の街というベールの下に沈殿した、暗く昏く淀んだもうひとつのアーカムを。
普通に生活していれば決して触れることのないはずの、おぞましい何ものかの気配を。
はっきりと目に見えないからこそ神経を逆撫でする、薄気味悪い粘性の瘴気の存在を。

鉛色の空の下で暮らす誰もが知っている。
架空都市アーカムの裏側には、目には映らぬ何かが横たわっていると。


聖杯戦争。


この血と生贄を求める魔術儀式も、そのおぞましきもののひとつに他ならない。



                ▼  ▼  ▼




――崩れ落ちる瓦礫の中で続いていく日常。


ここ最近頻繁に見るようになった「崩落する日常の夢」から目覚め、木戸野亜紀は朝から最悪の気分だった。

この不愉快極まりない夢は、亜紀がアーカムに迷い込んでから見るようになったものだ。
正確には、亜紀が聖杯戦争のマスターとして選ばれ、サーヴァントを従えるようになってから。


虚無のバーサーカー、広瀬雄一。


魔力によって仮初めの受肉を果たしたサーヴァントにあって、確かな実体を持たない異端の存在。
外宇宙から飛来した『アクロの心臓』と同化した結果、僅かな記憶と破壊衝動だけを有した殺戮の化身となってしまった少年。
そんな彼がかつて人間だった頃――気弱な虐められっ子だった頃の記憶を、夢を介して覗き見るのは、亜紀にとってはストレスだった。

苛烈で理不尽ないじめを受け続けてきた亜紀自身の、思い出したくもない過去を掘り起こされるからでもある。
自分へ向けられる他人の感情を拒絶し続けて生きてきた亜紀にとって、虐げられて卑屈に笑う広瀬の姿が癇に障るからでもある。
そうして他人を見下すことでしか自己を保てない自分を思い知らされて、目が覚めてから心底嫌気が差すからでもある。

だが、木戸野亜紀と広瀬雄一が別の人間である以上、広瀬の記憶は所詮広瀬のものでしかない。
いくら不快感を覚えようが、そんなものは理性で統制できる。
他人の記憶ごときに振り回されることなど亜紀のプライドが許さなかった。

事実、当初はこの夢を客観視することが出来ていたのだ。
だがここしばらくで、その事情が変わりつつある。

その変化は、端的に言えば「記憶の混淆」だった。

虐げられる日常。無関心な周囲。自分を置き去りにして過ぎていく平穏な日々。
その光景に、崩れ落ちる建物のイメージが二重映しになる。
破滅の願い。
何の力も持たぬがゆえ、そうやって自分を慰めることしか出来ない卑屈な逃避行動。

そこまでは、最初の夢と同じだった。
だが、いつの間にか、夢の中の「僕」は幼い「私」と混ざり合っていた。

他でもない自分自身が体験した、陰惨ないじめが続く日々。
そのただ中で、「僕」と混ざった「私」が願うのだ。
崩れてしまえ。壊れてしまえ。何もかも。
いや、いっそ、■■■なんてなくなってしまえばいい――

寝汗でびっしょりになってベッドから跳ね起き、理性を総動員して暴れる感情をねじ伏せる。
そんなことを、ここのところ毎朝のように繰り返しているような気がする。
当時の自分は夢の中のような願いなど抱いてはいないと、目覚めてからであれば正しく認識できるのに。


もしかしたら彼の記憶が流れ込んでいるのではなく――彼の「無」に、自分が引き込まれているのではないか?


亜紀は虚空を睨みつけた。
姿こそ見えないが、そこに霊体化したバーサーカーがいるのは分かっている。
バーサーカーはサーヴァントの理性および魔力消費の増加引き替えにステータスを強化するクラスだと「記憶」している。
だがそんなものは聖杯戦争に積極的に関わるつもりのない亜紀にとっては何の足しにもならず、もはやバーサーカーの存在は枷でしかなかった。
ただでさえ魔力消費で気が立っているのに、その上不快な夢まで見せられたのではたまったものではない。

「どうせ実体がないんだったら、そのまま薄くなって消えてくれればいいのに……」

ぼやいたところで始まらない。
亜紀は寝不足の頭を軽く振って、洗面台に向かった。



                ▼  ▼  ▼





「――相席しても構わないかな?」



キャンパス地区のオープンカフェで朝食を終え、そのまま読書していた亜紀は突然の申し出に対して、心からの疑念の眼差しで応えた。
だが、この状況においてはあながち失礼とも言えないだろう。
何しろ声を掛けてきたのは、アーカムの空気から明らかに遊離した風貌の男だったからだ。


「……申し訳ありませんが。下らないお誘いならよそを当たってください」
「おや、これは心外だな。見ての通り、私は聖職者でね。下心で女性に声を掛けるなどもってのほかなのだが」


何が見ての通りだ。亜紀は露骨に顔をしかめた。

深紅のローブに、純白の手袋。
天下の往来をそんな奇抜な服装で闊歩する聖職者がいてたまるものか。
もっとも、そんな見たこともないような僧衣など、彼自身の容貌に比べれば大した印象など残さないのかもしれないが。

一言で言うならば、暗黒の肌をした男だった。
星の見えない宇宙の果てのように、陽の届かない深海の底のように。
まるで光という概念を拒絶するような色をした男だった。
日本で育った亜紀にとっても、この男の肌の色は単に黒色人種というだけでは説明がつかないように思えた。


動揺が顔に出た。
亜紀は強ばる表情を無理やり平静に取り繕った。
普段通りの声色であるよう努めながら、亜紀は問う。


「……監督者。つまり、例の『戦争』とかいう、あれの関係者ですか」
「ふむ。なるほど、乗り気ではないように見えてなかなか慎重だな。だが安心したまえ、誰も聞いてはいない」


神父の言葉で、亜紀は気付いた。
同じカフェの客はおろか、往来を行き交う人々でさえ、誰も亜紀を――いや、正確にはナイ神父を気に留めていない。
あからさまに目を引く風貌をしていながら、ナイ神父はアーカムから隔絶されているかのようにそこにいた。
彼と話をしている亜紀だけが、同じように街から切り離され、こうして彼を認識しているようだ。


「……これも魔術ですか?」
「さて、そうだとも言えるしそうでないとも言える」
「何のために私のところに?」
「参加者の顔を見ておきたかった、では不満かな?」
「なら、すでに目的は果たしたでしょう」


亜紀のあからさまな拒絶の視線も、ナイ神父にとっては痒くもないようだった。


「君だって時間を潰していたのだろう? そうでなければ、こんなところで何をしているのかね」
「……別に。ただ、家に一人でいたくなかったので」


半ば吐き捨てるような口調だったが、概ね本心だった。

最悪の目覚めを経て登校の準備をする前にハイスクールの休校の報せが届き、亜紀の今日の予定は白紙になってしまっていた。
なんでも、アーカム市内で起きた集団衰弱事件の影響で、多くのスクールは本日の授業を見合わせているようだった。
ルーチンでもなければ誰がこんな見も知らぬ土地で学校なんかに通うかと思っていた亜紀にとっては願ったり叶ったりだったが、
いざ自宅でひとり過ごすとなると、途端に耐え難いものを感じた。

あの空っぽなバーサーカーと二人きりだなんて、考えただけで気が滅入る。
アーカムに友人らしい友人もおらず、ボランティア団体などに加入するほど社交的でもない亜紀の、数少ない逃げ場所がここだった。


「……それで? 神父様が暇な私にいったい何のようです?」


問うと、ナイ神父は待っていたと言わんばかりの笑みを口元に浮かべた。
この監督役はいちいちしぐさが大げさで、それでいて慇懃無礼だ。



「なに。せっかく強力なサーヴァントを得ておきながら、一向に動く気配がないのは何故かと思ってね」
「興味がないからです」


神父がわざとらしく驚いてみせた。


「ふむ、興味がない?」
「だってそうでしょう。聖杯探求? 神話伝承の時代ならいざ知らず、今の時代にそんなことをするのは漫画ですよ」
「その聖杯が、万能の願望器だとしてもかね?」
「馬鹿馬鹿しい」


亜紀は一言で切って捨てた。

なるほど、全く別の世界へと人間を誘う、神隠しにも似た儀式だ。
常識では考えられないような神秘が隠れていても今さら不思議には思うまい。
だが、仮に聖杯が本物だとしても、そんなものに望みを託すのは亜紀のプライドが許さない。
自らの願望を曝け出すなど――亜紀にとっては、己の醜さと向き合うことと同義だ。


「失礼します、これ以上無駄な時間につき合う気はないので」


一方的に突き放し、亜紀は席を立とうとした。
現時点では、ナイ神父の印象はお世辞にも良いものだとは言えなかった。
そもそも亜紀は過去の経験からいって坊主という人種にあまりいい印象がない。
この手の胡散臭い輩の言うことなどこれ以上聞いても仕方ない。
そう、思っていたはず、なのだが。



「ああ、そういえば――『魔王』と呼ばれる少年が、このアーカムにはいるそうだね」



がたん、という激しい音で亜紀は我に返った。
その音が、反射的に立ち上がった亜紀の勢いでひっくり返った椅子が立てたものだと気付くまでに、ほんの僅かなタイムラグがあった。
まったく関心を向けてこない周囲の人々を一瞥してから椅子を起こし、元通りに腰掛ける。
それから一瞬置いて、無性に腹が立ってきた。
神父に対してだけではない。この程度のことで平静を容易に失う、自分自身の隙に対してもだ。
それでも、あくまで声だけは冷静を装って聞き返す。
決して弱みを見せまいとするのは、亜紀の半ば自動的な防衛本能だった。



「……このアーカム市内に、彼――空目恭一がいると?」


魔王。魔王様。魔王陛下。――『人界の魔王』。
木戸野亜紀にとって、魔王と呼ばれる少年などただひとりしかいない。
亜紀の文字通り突き刺すような視線を受け、ナイ親父はわざとらしく首を振ってみせた。


「それは君の早とちりだ。私は魔王としか言っていないよ。君の言う少年かもしれないし、違うかもしれない。
 加えて言うならば、仮にその空目君がいたとして、君と同じ宇宙から来たとは限らない。この街はそういう街なのだから」
「何を言いたいのか分かりませんね」


苛立ちが声に乗っている。我ながら腹立たしいほどに感情的になっていた。


「やれやれ、お嬢さんは回りくどい言い方を好まないようだ。私としては不本意だが、仕方ない。
 私が君にあげたいのは動機だよ。闇雲にこのアーカムを脱出する術を探したところで埒があくまい?」
「…………」


ナイ神父の視線の先には、先ほど立ち上がった時に床へ落ちた本の山があった。
どれもタイトルを一瞥しただけで、オカルト絡みのものだと分かる。
亜紀がキャンパス地区の学生向けに営まれている古書店で見繕ってきたものだ。
神父が見透かした通り、これらはこの異変から抜け出す糸口を探すためのもので、現状何の実を結んでいないのもまた事実だった。


「仮に貴方のいうその少年が空目恭一なら、それが私と同じ世界の人間であろうとなかろうと、私の力になってくれると?」
「さて、そこから先は私には言えないな。私はこれでも中立でね。あまり特定の参加者に肩入れしては、彼女に叱られる」
「……彼女? 『キーパー』のことでしょうか」
「先ほど森で出会ったお嬢さんといい、この聖杯戦争に参加しているご婦人方はなかなか聡い」


つくづく人を小馬鹿にした言い方をする男だ。
亜紀の眉間の皺が深くなる。
そもそもここから『先ほど』と表現できる時間で行ける距離に森はないのではないか、という疑問は一旦押し止め、亜紀は慇懃無礼な厚顔を見据えた。


「肩入れなら、とっくにしているのでは? なんのメリットがあって、私にそんなことを伝えるんです?」
「聖職者が善意で行動してはいけないかね?」
「私の知る聖職者は、自分たちに益のないことはしませんでしたが」
「これは手厳しい。滅多なことは言えないな」


暗黒の貌の、口元だけが笑みを作った。



「私は水面に小石を放っただけに過ぎないよ、お嬢さん」
「私に動機を与えることが、小石ですか。だとすると、水面は――」
「アーカムだ」


ナイ神父は言う。


「アーカムという水面に小石が落ちれば、さざ波が立つ。
 さざ波はいずれ更に大きな波を呼び、いずれは船をも呑み込もう。
 アーカムとはそういう街だ。聖杯戦争とは、そういうものだ」


くつくつと。暗黒の男は口元だけで笑う。


「だからお嬢さん、信じる道を往きたまえ。私は、その行いを心から祝福しよう」


亜紀は立ち上がった。
神父への印象は、もはや胡散臭いとか信用ならないという段階を超えていた。
いや、それどころか――これ以上話せば「引きずり込まれる」、そんな印象すら受けた。
認めたくはないが、今、亜紀の背筋には鳥肌が立っている。

いや、ありえない。今感じているのが、得体の知れないものへの恐怖だなんて、あるわけがない。

精神で心を押さえつけ、椅子に座ったままの暗黒の男を見下ろして、亜紀は最後に聞きたかった言葉を投げた。


「……ひとつだけ。貴方がどんな魔術を使うか知りませんが、この距離でならバーサーカーは貴方を容易く消し飛ばせる。
 もし私が力ずくで貴方から情報を引き出そうとしたら……その時はどうするのですか、神父様?」
「仮にそういうことが出来る人間なら、君は今まで燻ってはいない。違うかね」
「……失礼します」


本当に不愉快だ。
亜紀はもはや神父に一瞥もくれずに、床に散らばった本を拾い集め、鞄に入れようとした。
その時、ふと落とした弾みに開かれていた一冊の本の、ページの一節が目に入った。



《――人類の最も旧く最も強烈な感情は恐怖であり、恐怖の中で最も旧く最も強烈な感情は未知なるものへの恐怖である》


                        《ハワード・フィリップス・ラヴクラフト『文学における超自然の恐怖』より》



ポケットへ入れたままにしていた、ガラスのケモノが彫り込まれた銀の鍵が、ずしりと重みを増したように感じられた。



                ▼  ▼  ▼



――結局。

忌々しいことに、木戸野亜紀にとって、ナイ親父と名乗る監督役の言葉は無視できるものでもなかった。

「恭の字の自宅が本来のものを模しているとすれば、場所はリバータウンかフレンチヒル……」

自分だけにしか聞こえないような声で呟きながら、肩で風を切ってアーカムの往来を行く。

「いや、恭の字のことだから、ミスカトニック大学の図書館に入り浸っているってほうがイメージしやすいかな……」

オカルト本の山に埋もれて仏頂面で読書に没頭する姿は、似合い過ぎて思い浮かべただけで笑えてくる。
そんなことを考えながら、考えている自分にほとほと嫌気が差す。
考えざるを得ない、考えることを辞めることが出来ない自分自身に。
その理由は他でもない。尋ね人が、空目恭一だからだ。他の人間ならば、多分こうはならなかった。

こういう形で、自分の恋心を改めて自覚させられるなんて。

「――ほんと、馬鹿やってるね、私は」

だが、認めたくはないが、ナイ神父の言った通りだ。
聖杯戦争への参加の意志がなく、脱出の手掛かりが皆無である以上、他に選択肢はない。
ならば彼の真意などを邪推するのは無駄と切り捨て、出来ることをやることが理性的な行いというものだ。
決して、私情で動くことへの理論武装などではない。断じてだ。


「あんたはいいね、バーサーカー。そうやって狂ってれば、悩みなんてないでしょ」


蔑みの言葉に、虚無の狂戦士は応えない。
下らないことをしてしまったと自覚した亜紀は、溜息を付いて空を見上げた。

今にも落ちてきそうな鉛色をしたアーカムの空は、その毒で下界の人間達を蝕もうとしているように、亜紀には思えた。



【キャンパス・アップタウン沿いの通り/一日目 早朝】


【木戸野亜紀@Missing】
[状態]健康
[精神]苛立ち
[令呪]残り三画
[装備]なし
[道具]鞄(中身はオカルト関係の本など)
[所持金]一人暮らしに不自由しない程度
[思考・状況]
基本行動方針:脱出する。聖杯戦争など知ったことではない。
1.空目恭一を探す。
[備考]
キャンパス地区外れのカフェでナイ神父と接触しました。


【バーサーカー(広瀬雄一)@アライブ -最終進化敵少年】
[状態]健康
[精神]狂化
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:――――
1.――――
[備考]



【アーカム市内?/一日目 早朝】


【ナイ神父@邪神聖杯黙示録】
[状態]?
[精神]?
[装備]?
[道具]?
[所持金]?
[思考・状況]
基本行動方針:この聖杯戦争の行方を最後まで見届ける
1.?
[備考]


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OP:運命の呼び声~Call of Fate~ 木戸野亜紀&バーサーカー(広瀬雄一 :今は鉛毒の時間
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