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The Keeper of Arcane Lore  ◆q4eJ67HsvU




(朝のうちはまだ青空も見えていたのにな……)


いつの間にか澱みきった雲に覆われた空へちらりと目を向けながら、真壁一騎はアーカムの南へ向かってスクーターを飛ばしていた。
すでに喫茶店の仕込みは終わっている。次のピークは夕食時だから、客入りが激しくなるまではまだ間があるだろう。
ざっと見て七、八時間。目的地へ行って調べて帰るだけならそれだけ十分過ぎると一騎は踏んでいた。
店のマスターが厚意で持たせてくれた賄いのサンドイッチがあるから、昼食の心配はない。
何事もなければ、ここのところ溜まっていた鬱屈した気分を晴らすちょっとした寄り道で済むのだろうが。


(嫌な予感がする。何事もない、なんてことはないか)


何しろ、これから一騎が向かうのはアーカム市内で最も物騒な地区であるロウワー・サウスサイド。
たとえ陽が高くなる時間帯であろうとも、事実上のスラム街であるあの地区にわざわざ足を運ぶのは世間知らずか物好きだ。
一騎自身は、おそらく後者だろう。
少なくともロウワーの実態を知った上で、目的を持ってこうしてスクーターを走らせている。


――白髪の食屍鬼(グール)。


ダウンタウンに出没したという怪人「包帯男」などと並んで、今やアーカム中を騒がせている『都市伝説』だ。
元々この地方には地下鉄の構内に棲み着いて死肉を喰らう食屍鬼の伝説があるらしいが、今回の噂は明らかに異質だ。
喫茶「楽園」の雇われ調理師として働く傍ら、一騎が客の会話を耳にした限りだと、少なくとも複数の犠牲者が出ていることになる。

ただの噂ならばいい。ただのよくある怪談で、何の実態も無いのであれば。
だが、そうと言い切れないだけの理由が今のこのアーカムにはあり、よりにもよって真壁一騎はその当事者だ。
もしも現実に死者が出ているにも関わらず、ロウワーの治安の悪さゆえに捜査の手が及び切らずに実態が明らかになっていないだけだとしたら。
つまり、『白髪の食屍鬼』が実在し、今も犠牲者を生み続けているとしたら。
『それ』がサーヴァントであり、聖杯戦争の糧とするために人間の魂を喰らっている可能性は、高い。


(そっちはどうだ、アーチャー?)
『まだここからじゃ分かんないな……もうちょっと先行してみる?』
(……そうだな、頼む)
『任せといて。一騎も気をつけてよ』


通り沿いのアパートメントの屋上に目をやると、フードを被った褐色の少女が、屋根から屋根へ飛び移りながら手を振るのが見えた。
アーチャーのサーヴァント、ストレングス。
感知範囲を広げ、霊体化した状態では捕捉困難な魔術的に不審な存在をいち早く見つけるため、既に実体化している。
現在地点はとっくにリバータウンを出てフレンチ・ヒルへと入っているが、流石に邸宅地といっても街の外れにまで屋敷が広がっているわけではない。
それなりに高さのある建物が並ぶこのあたりなら、屋根づたいに移動すれば地上から発見されることもそうないだろう。
アーチャーは正面を向くとみるみるうちに加速し、瞬く間に一騎の視界から消えた。
これまでは魔術師ではない一騎が念話を維持できる距離を保って先行していたが、偵察するならばサーヴァントの身体能力を生かしたほうが効率的だ。
無表情なあの幼い少女がその鉄面皮の下に優しく真っ直ぐな性格を秘めているのは、短い付き合いながら十分伝わっている。
うまくやってくれるだろうと一騎は信じ、スクーターの速度を上げた。

アーカム、いやアメリカにおいて、スクーターという乗り物はあまり一般的ではない。
州によっては法律上自動二輪車とすら見なされず、免許も取らずに乗れてしまうくらいだ。
バイクと違って保険に入る義務もないので、万が一事故を起こした際にいろいろと面倒なことになりがちだから敬遠されているのかもしれない。
しかし一騎はアーカムにおいてもスクーターを愛用していた。理由は単純で、竜宮島にいた頃から乗り慣れていたからだ。
喫茶「楽園」(アーカムではなく、竜宮島で溝口さんが店長を勤めている方だ)で出前を届ける時も、いつもスクーターだった。

かつてファフナーを駆り人類のエースとまで呼ばれた真壁一騎だが、マークザインに乗ることを禁じられた今や、操縦できるものなどこのスクーター程度だ。

五指の付け根にファフナー搭乗時の後遺症であるリング痕の残った手で、一騎はスクーターのハンドルを握り込んだ。
外宇宙から飛来したシリコン生命体フェストゥムの力を利用し、フェストゥムに対抗するために開発された人型兵器ファフナー。
まさに対フェストゥム戦の切り札と呼ぶべき存在だが、それは同時に搭乗者を容赦なく蝕む呪いでもある。
このリング痕もその一端だ。
同化現象。機体と文字通り「一体化」するファフナー特有の機能により、操縦者は徐々に「人」をはみ出してゆく。
そのファフナーに乗ってこれまで戦い続けた一騎に残されたのは、束の間の平和と、このリング痕と、心身を酷使した結果としての余命三年という現実だった。

それでも、あと三年もあれば。
少なくとも「ここからいなくなる」覚悟くらいは、出来ると思っていたのに。

架空都市アーカム。そして、聖杯戦争。
目の前の現実は、そんな僅かな時間すらも奪い去ろうとしている。

(だとしても……生きたいのは俺だけじゃない。誰だってここにいたいんだ。命を弄ぶやつに、好きにさせるわけにはいかない……!)


駆動音を上げてスクーターが走る。風を切り、母親似の黒い長髪がなびいた。



       ▼  ▼  ▼



(やっぱり変だ。なんだかざわざわする……)


打ちっ放しの屋上を駆け、貯水タンクを踏み台にして隣のアパートメントへ。
フレンチ・ヒル外れの通り沿いに建物から建物へと飛び移りながら、巨腕のアーチャー・ストレングスは穏やかならぬものを感じていた。

それは漠然とした違和感であると同時に、一歩足を進めるごとに確かな不安となっていく。
ロウワー・アウトサイドに近づくにつれ人はざわめき、車は落ち着きをなくし、鳥達ですら慌てふためいているようだ。

何かがあった。何かが。
それが白髪の食屍鬼に由来するものかは分からない。
だが、聖杯戦争に関わる事柄である可能性は、高いように思えた。

黒いフードを向かい風でばたばたと膨らませながら、ストレングスは跳ぶ。
やむを得ず大通りを横断する時以外は、白昼堂々と実体化したままだ。
ストレングスは弓兵のクラスとして限界したが感覚補助のスキルを持たず、霊体化した状態では探知能力に不安が残る。
一方、クラススキルである単独行動をAランクで保有しているため、例え常時実体化していても一騎の負担はゼロに近い。
加えてこの世界の裏側、夢の世界に生きた英霊であることを示すスキル「アンノウン」により、ストレングスはこの世界に一切の逸話を持たない。
魔力消費と真名看破。
それら、実体化がもたらすデメリットの両方を無効化できるストレングスは、偵察用のスキルを持たずとも十分斥候向きのサーヴァントであった。

そして、彼女にはもうひとつの強みがある。

一際大きく跳躍し、ストレングスは屋上から地上の歩道へと降り立った。
そして着地と同時に、全方位へ無差別に幻術スキルを発動。
目撃者全員に暗示を掛け、ストレングスを普通の少女だと思い込ませる。
幻術のスキルランクはDと低いものの、サーヴァントならともかく一般人相手ならほとんど抵抗されることなく思考の誘導が可能だ。


「……驚いたな、お嬢ちゃんいつからいたんだい?」
「細かいことは気にしない。それよりおじさん、なんだか南の方が騒がしいけど何かあったの?」


道端で目をぱちぱちとしばたたかせる中年のタクシー運転手に尋ねると、彼は少し渋い顔をして通りの先をちらりと見やった。
視線の先はまさにロウワー・サウスサイドの方角である。
町外れとはいえ、基本的にフレンチ・ヒルの人間は目と鼻の先にスラム街があることをよく思っていないことが多い。
出来ることならば関わりたくないし、話題に出すのもなんとか避けたいと思っているのだろう。
逆に言えば、このタイミングで顔をしかめるのは「ロウワーで厄介事が起きた」と口にしているようなものだ。


「……爆発事故か何かがあったらしくてな。ビルが倒壊して、死人が出たんだと」
「サウスサイドで爆発? スラムで人が死んだの?」
「でかい声出すんじゃねえよ嬢ちゃん。俺だって又聞きだ、詳しくは知らんよ」


運転手がわざとらしく声を潜めるので、ストレングスもそれに合わせて小声で訊いた。


「ごめんなさい。でも、本当なの?」
「さぁな、所詮チンピラどもの与太話かもしれん。だが警察やら救急がさっきから――」


タイミング良くサイレンを唸らせ、赤と青のランプを交互に光らせて通りを走り抜けるパトロールカー。


「――見ての通りだな。少なくとも何かあったのは確からしい」
「ありがと、助かったよ」
「だが、野次馬はやめときなお嬢ちゃん。あっちにゃ喰屍鬼の噂もあるし――」

最後まで男の言葉を聞くこともなく跳躍。
ストレングスは再び建物の屋根まで駆け上がり、全速力で疾駆した。
たった今まで会話していた運転手も含め、目視できる距離にいる一般人はとっくに幻術で認識を書き換えられている。
魔術に耐性を持たない限り、ストレングスの人間離れした動きを不審に思う人間はこの周辺には存在しないだろう。

単独行動、幻術、アンノウン。
かつて夢幻の住人でありながら現実世界で生きていたストレングスのスキルは、「見つからないこと」ではなく「人々の中に溶け込むこと」に特化している。
ゆえに他のサーヴァントでは正体露見の可能性のあるような行動も、比較的低いリスクで取ることが出来る。
これは同じ偵察向きのサーヴァントであっても、気配遮断スキルを持つアサシンでは不可能な、ストレングスならではの利点と言えた。

大胆にその身をアーカムの大気に晒しながら、ストレングスは考える。

(謎の爆発。ビルの倒壊。既に死傷者も出てる……嘘じゃなさそうだ。人も車も、そういう動きをしてる)

確かめなくても分かる。屋根から屋根へ移るたびに、街のざわめきが一層強くなっていく。
ストレングスは、その幼いながらも整った鉄面皮を保ったまま、目的地へと急いだ。
これが聖杯戦争に関わる者の仕業であるならば、その下手人を突き止めなければならない。
ビルが崩壊するほどの破壊があったならば、その跡地には何らかの魔術的な痕跡が残っている可能性は大いにある。

これは聖杯戦争だ。
当事者が命を落とすのは、たとえ巻き込まれただけのマスターであろうとも当然起こり得ること。
だが無関係の市民を巻き込むようなやり方を許すわけにはいかない。
ストレングス自身にとっても、マスターの一騎にとってもだ。

だが、ストレングスは一騎を極力戦いには巻き込みたくないと思っている。

(……一騎は強い。弱くて、強い。だから自分の痛みを押し殺してでも、誰かの痛みを取り除くために戦おうとするんだ)

一騎の理解者を標榜するつもりはない。
ストレングスに対して、彼が思いの丈のすべてを打ち明けてくれているとは思えない。
たとえ、彼が不器用ながらもストレングスのことを信じ、また信じようとしているとしても、だ。
理解とは、対話とは、一朝一夕で成し得るものではない。
それをストレングスは知っているし、それこそ真壁一騎は誰よりも痛感しているだろう。

それでも、短い付き合いの中で既に何となく感じ取っている。
真壁一騎が、痛みを内に秘めて戦い続けるタイプの人間だということを。

今はいい。でも、このままではいずれ、きっと無理をする。
一騎は魔術師ではない。体だって万全の状態とは言えない。
遠くないうちに、己の無力を嘆き、その身を擲つような無茶をすることになるかもしれない。

(だけど、そうさせないために、私がいる。私の存在意義はずっと――痛みを引き受けるためにあったんだから!)

小さな拳を握りしめる。
誰かの存在する痛みを引き受けるために戦う――それが英霊ストレングスの本質であり、真壁一騎との魂の縁(えにし)である。
ストレングスだけではない。虚の世界の少女達は皆、現実世界を生きるもう一人の自分の痛みを引き受けて戦ってきた。
だからこそ、この現実世界に何一つ伝承を残さなかった異端の英霊に、何かひとつ矜持と呼べるものがあるとしたら。
それは人の痛みを知り、人の悩みを、寂しさを知り、そのために戦ってきたという自負に他ならない。

もはやロウワー・サウスサイドは目と鼻の先だ。
一騎のスクーターよりもずいぶんと先行してしまったが、万が一の場合は敵のサーヴァントとの遭遇戦へ突入する可能性もある。
Aランクの単独行動スキルを持つストレングスならば、マスターと完全に分断された状態だろうと十全の戦力をもって戦える。
令呪による援護が一切望めなくなるとはいえ、戦闘力を持たない一騎を巻き込まずに戦えるならばいっそ別行動の方がやりやすい。
いや、一騎に余計な重荷を背負わせないためにも、ストレングスひとりでケリをつけなければ――




――違和感。



「…………!? 何、今の感覚…………!!」


たった一瞬だけ感じた。
今、何かを飛び越したのを、感じた。
だが、いったい何と。
自分は今、何とすれ違った?

足を止め、魔力探知の能力を全開に。
目を凝らすように、魔力の感覚で周囲を観察する。
ストレングスは決して探知に優れた英霊ではない。
だが曲がりなりにもサーヴァント、この距離ならばやってやれないことはない。
いや、やらなければならないのだ。

あれは間違いなく、魔力を有する何者かとすれ違った感覚だった。
その魔術的存在感から推測するに、恐らくはサーヴァント。
速度こそサーヴァントらしからぬ遅さだが、身の毛もよだつ不快な魔力を垂れ流している。
進路は北。ロウワーから遠ざかる方角だ。
しかし地上にそれらしき存在は見つけられなかった。
だとしたら……。


「――地下かっ!!!」


屋上から躊躇うことなく路地裏へと飛び降りる。
恐らくは下水道。何らかの理由で地上を移動するわけにはいかず、地下を逃走経路としているようだ。
移動速度から推測するに、スピードに優れたサーヴァントではないらしい。
スペックで圧倒されるのでないならば、マスター不在のストレングスでも勝算はある。
既に一騎とは、念話も届かない距離まで離れてしまった。自分で決断しなければならない。

そして、既にストレングスの中には、見逃してやるという選択肢は無かった。
判断基準は限りなく直感に近い。
まだ実際に倒壊現場を調べてすらいない以上、この時点でスラムを爆破したという犯人だと判断するのは不可能だ。
だが、ここで見逃せばきっと取り返しの付かないことになる。
英霊としての第六感が、ストレングスを動かした。

(ごめん、一騎。勝手に行動して……でも、きっと「あいつ」はみんなを、一騎を傷つけるやつだ!)


謝罪はしても決断と行動に一切の躊躇はない。
地下へと続くマンホールをその細腕で引き剥がし、ストレングスはその中の闇へとその身を躍らせた。
       ▼  ▼  ▼



下水道のコンクリート壁に、品性に欠けた口調の男達の会話が反響している。


「本当にこっちでいいのかよォ?」
「マジだってマジマジ! 怪しいやつが地下に潜るとこ、ダチが見たんだって」
「え、オメーが見たんじゃねえの? マジに白髪のヤツなんだろうな?」
「ンだよ疑うのかよォーっ!」
「うるせえよただでさえ下水がクッセぇのに騒ぐんじゃねえよ」

懐中電灯を先頭に、四人の若者が連れ立って歩いていた。
四人とも外見はチンピラそのもので、お世辞にも高度な教育を受けたようには見えない風貌をしていた。
はだけた肩にはトライバル調のタトゥーがあったし、着崩し方には良くも悪くも秩序に喧嘩を売っていこうという気概が感じられる。
先頭を行くドレッドヘアの男はまだ冷静さを保っていたが、後ろへ続くスキンヘッドと鼻ピアスの二人は、しきりに最後尾の野球帽を小突いていた。
この野球帽の男が、彼らが地下に潜ることになる大元の情報を持ってきていたのだった。

彼らの目的は、「白髪の食屍鬼」の確保だ。

いや、確保という言葉は正確ではない。
要は、きっちり落とし前を払わせたうえでリンチにかけてブチ殺す。そういうことになっていた。
既に彼らの中では、ロウワー・サウスサイドを襲った災厄の原因は白髪のヤツだというのが確定事項になっていた。
だが、少なくともそれは全くの妄想ではない。
雑居ビルの倒壊に居合わせた目撃者たちから、白髪のやつが大暴れしているのを見たという証言をいくつも得ているのだ。
若かったとかババアだったとか、女のガキだとかゴツい野郎だとか、白髪のヤツの風貌にいまいち統一感は無かったが、
捕まえりゃ分かると彼らは半ば思考放棄めいて結論づけた。

肩を怒らせて彼らは歩く。
何しろ、白髪のヤツがぶっ壊したという建物の下敷きになって死んだ連中のうちには、彼らのダチもいた。
確かに銃の横流しをやるような社会のクズだったかもしれないが、だからって死ぬ道理はない。
必ずそのツケは払わせる。苦痛と死をもってだ。

ついでに、あくまでついでにだが。
白髪のヤツをブチ殺して、その功績をもってロウワーで名を上げてやるのもいい。
そうすれば、もう市警とギャングの板挟みでびくびくする生活は終わりだ。
大して金にもならないシケた仕事で命をすり減らすようなつまらない生き方はしなくてすむ。
スラムに住み着く非差別階級の子孫――クンタラなどというナメた呼び方をしてくるヤツらに思い知らせてもやれる。

いや、そんなつまらないことにこだわらなくとも、カネも女も名声もすべてが手に入るに違いない。
何しろ、相手はアーカム全域を騒がす邪悪の化身、「白髪の食屍鬼」なのだ。
ロウワー・サウスサイドに限っても、ヤツに対して恨みを持っている人間は積み上げれば腐り出すほどに多い。
ぶっ殺したいと思っている人間なんてそれこそ星の数だけいるだろう。
白髪の食屍鬼はアーカムの恐怖の象徴であると同時に、多額の報奨をかけられた賞金首も同然なのだ。
彼らが手柄に逸っているのは、実を言うと復讐よりもこちらの動機の方が強い。

「けどよォ、首尾よく見つけたとして、そんなうまくいくもんかね?」
「なんだオメェ、今さら日和ろうってか?」
「そうじゃねえけどよ。今まで白髪の食屍鬼を見たってやつはいてもよ、喧嘩売って帰ってきた奴、いねえだろ」

鼻ピアスの言葉に、弱気を咎めようとしたスキンヘッドが黙り込む。
そうなのだ。白髪の食屍鬼と呼ばれる男の存在は謎に包まれているが、少なくとも実際に挑むと息巻いて、五体満足で戻ってきた者はいない。
そもそも戻ってこないか、あるいは二度と元のような生活が出来ないような状態で見つかるかだ。
噂は今のところスラム外までは広がっていないようだが、少なくともロウワーの人間にとっては彼らの惨状こそが白髪の食屍鬼の実在を示す証拠だった。
たとえ四対一とはいえ、そんな化け物じみた(もしかしたら本当に化け物かもしれない)相手に勝てるのか?

「……いいや、いい知らせがある。どうやら、ヤツは手負いらしい」

先頭のドレッドヘアが屈んで足下を照らすのを、後ろの三人ものぞき込んだ。
水路脇のコンクリートに、赤黒い痕。
血痕だ。それもまだ新しい。
懐中電灯を向けると、このまま水路に沿って先へ先へと続いている。

「間違いねえ……この先にいるのは確かみたいだな」
「ざまァねえな白髪のヤツ! おおかたビルを爆弾かなんかで吹っ飛ばした時に自分まで喰らいやがったか!」
「こうしちゃいられねえ! 他の奴らに先を越される前に、俺達で白髪の食屍鬼を引きずり出すぞ!」
「おうよ! 白髪野郎に目にもの見せてやるぜぇ!」
「な、なあ、でもさ……おい、待ってくれよォ!」

勢い勇んで、若者達の歩みが速くなる。
先頭のドレッドヘアですら、口には出さないものの興奮を隠し切れていない。
最後尾の野球帽は「怪我しただけにしちゃこの血痕、多くねえかな」と思ったが、置いて行かれそうになって慌てて駆け出した。

ほんの僅かな後に、彼らはここで引き返さなかったことを後悔することになるが、いずれにせよ全てはもう遅い。



       ▼  ▼  ▼



……血の臭いが濃くなってきた。

ストレングスはその無表情を崩すことなく、内心では不快感を募らせながら、下水道の通路を駆けていた。
血の臭いだけではない。隠しようもない、濃厚な魔力の残滓。
あまりに冒涜的な、人間の世の理からはみ出したモノが垂れ流した痕跡。

いる。間違いなく、いる。
人々の敵。アーカムの敵。そしていずれは一騎を傷つけかねない、敵。
ロウワー・サウスサイドを脱出し、ここまで逃げおおせてきた、邪悪なるサーヴァントが、この先に。

(この先で何をしているかなんて、考えたくもない、けど……!)

人としての心が結論を避けたがろうと、戦士としての心は既に結論を導き出している。
この状況で何が起こっているか想像も出来ないほど、ストレングスは呆けた英霊ではない。
そう、とっくの昔に気がついている。
この血は。水路沿いに点々と、それでいて明らかに傷口から垂れたにしては多すぎる量の血は。
はじめから謎のサーヴァントのマスターのものでも、当然サーヴァント自身のものでもない。
だとすれば、これは。

足音を殺しながら地下を走る。
疑念はほんの僅かな時間を経ただけで確信へと変わった。
髪――女の髪の毛が束になって、下水に浮かんで流れていくのをストレングスは見た。
遅かったか。いや、まだ新鮮な血の匂いが先へ続いている。

そして新たに水路の角を曲がったところで、ストレングスは見た。

最初に視界に入ったのは、これ見よがしに彫り込まれた皺くちゃのトライバルタトゥーだった。
それがどこに彫ってあるのかに気付くのが一瞬遅れたのは、その体がどちらが上なのか咄嗟には分からなかったからだった。
奇妙にへしゃげて雑巾みたいに絞られた体から、いびつな木の実めいて萎びた何かがぶら下がっていた。
それは頬が裂けるほどに口を歪ませた人間の頭部だった。

続いて、通路の隅できらりと光を反射するピアスを見た。
持ち主はどうやら鼻の真ん中から体を左右に切開されたようで、そのピアスが元々どこに付いていたのか分かるはずもなかった。
開きにされているだけでなく、水分という水分を奪い尽くされて平べったく乾燥しているのが、いよいよ干物めいて滑稽だった。

それから、汚水の上に浮かぶ枯れ枝に引っかかったドレッドヘアを見た。
はじめに見たのは髪だけだったが、ほどなくしてそれが本当に髪だけだと気付いた。
それが生えているべき頭部は別のところに無造作に捨ててあった。
懐中電灯を握ったままの右腕と左足、胴体と右足が同様に打ち捨ててあったが、左腕は見当たらなかった。
だが、よく目を凝らすと、最初に枯れ枝だと思っていたのがそれだった。


そして、最後に。

「ひゅーっ……ひゅーっ………………いやだぁ…………死にたくねぇ……よぉ……」


弱々しい断末魔を残して、野球帽の男、正確にはその絞りカスが、人体が立てたとは思えないほど乾いた音を立ててコンクリートの上に転がった。
血を吸い尽くされて死んだのだと、一目で分かった。
ストレングスは睨みつける。死体を放り捨てたばかりの、人の形すら取っていないそのおぞましいなにものかを。

流動する影。黒々しく蠢く夜。
緋色の鮮血を吸い尽くしてなお、地の底よりも暗きもの。

――吸血種。

英霊と呼ぶにはあまりに悍ましく、英雄と呼ぶにはあまりに禍々しい。
キャスター、ワラキアの夜は、今まさに飲血鬼の逸話をアーカムにて再現していた。


「――これはこれは。よくぞ来た、銀の鍵にて繋がれた番犬よ」


だが、最初に口を開いたのはアーチャー/ストレングスでもキャスター/ワラキアの夜でもなく。

キャスターが変化した渦巻く影の中からぬらりと姿を現した、火傷だらけの皮膚をボロボロの包帯とコートで包んだ奇怪な男だった。
かつては新聞記者、マイクル・ゼーバッハと呼ばれた男。
真実を追い求め、真実に取り付かれ、真実という炎にその身を焼かれた男。
だが、もはやこのアーカムで彼をその名で呼ぶ者はいない。

しかし、誰もが知っている。そしてその名を恐れている。
架空都市アーカムで囁かれる、もうひとつの都市伝説。
人間が持つ潜在的な恐怖を象徴するという黒き森の名を持つ怪人。
真実の探求者にして狂気の深淵を覗き込む者。


「包帯男……『シュバルツ・バルト』……!!」


その名を呼んだ来訪者――ストレングスを水路の対岸から値踏みするように眺め回し、包帯男は歯を剥いて嘲笑った。

「既に私の名まで嗅ぎ付けているとは。魔術師の飼い犬にしては鼻が利く」
「あれだけ派手に署名入りのビラをバラ撒いておいて、よく言うよ」


あまりにも白々しい言い草に、ストレングスは吐き捨てるように答えた。
包帯男が起こしたというダウンタウンでのビラ騒ぎはとっくにアーカム中の知るところだ。
喫茶「楽園」の客が眉を顰めて話していたのをストレングスも耳にしたことがある。
ビラそのものも遠目でだが見た。あまりにも前時代的なデモンストレーションだと感じた。
だが、狂人の妄動と切り捨てるのを躊躇う奇妙な迫力もまた、同時にそこにあったのだった。

だが、たとえサーヴァントとして召喚されてなお、実際に対面してみなければその実在は信じ切れなかっただろう。
それほどに常軌を逸した噂だったが、しかし、目の前の存在が何よりも雄弁に語っている。


――包帯男『シュバルツ・バルト』は実在した。彼は、アーカムの敵である。


「吸血だけでここまで……魔力補充のための魂食い、ってだけではなさそうだね」
「我がサーヴァントはこの舞台にいささか不満を抱いていてな。気晴らしを兼ねたちょっとした即興(アドリブ)だ」
「……死ななくてもいい人間を殺してまでやることなの、それ」
「死ななくてもいい?」

シュバルツは口角を釣り上げた。

「端役ならば盲目でも許されるというのか? 真実を求めず、疑問すら持たず。違うな。盲目は罪だ。罪そのものだ。
 たとえエキストラであろうとも、この喜劇に必要なのはただ目の前のゴミにかじりつくだけの盲いたドブネズミではない」

包帯の隙間からぎょろりと狂人の目が蠢く。

「お前もサーヴァントならば――この穢れた舞台に登った役者の端くれならば、自覚を持つべきだ。
 この舞台の筋書きを書いているのは誰か。この劇を動かしているのは何物か。この物語はどこへ辿り着こうというのか」

嗤う。嘲笑う。
一介のマスターに過ぎないはずの包帯男は、ストレングスを通してこの舞台すべてを嗤っている。

「架空都市アーカム。聖杯戦争。万能の願望機。英霊が集う魔術儀式――そんなものはまやかしだ。すべて張りぼての書き割りだ」

ストレングスは大きくひとつ息を吐いた。
もうこれ以上の会話は無駄だ。目の前の男は、何かストレングスには理解し得ない道理を元に動いている。
その使命感のためならば、どれだけの命を踏みにじろうとも一顧だにしないに違いない。

「……もうひとつだけ。サウスサイドの喰屍鬼騒ぎ、あれもあんたたちの仕業?」
「我々は演者であり演出家、観客にして傍観者。白髪の喰屍鬼は我々であって我々ではない」
「…………」

関わっているということさえ分かれば、もはや十分だった。
ストレングスの背後で金属が軋む音が上がり、続いて一瞬にして膨れ上がった魔力が凝縮した。
それは腕だった。彼女の小柄で華奢な上体を覆わんばかりのサイズを誇る、鋼鉄の巨大な一対の腕。
英霊ストレングスの宝具たる『掴み、明日へ繋ぐために(Orga Arm)』 。
地下の空間を塞がんばかりに存在するその暴力的な質量そのものが武器であり、同時にアーチャーの証でもある。

「……もしかしたら、これを見せただけで怯むかもって思ったんだけど」
「はははははは! お前も所詮は門に繋がれた飼い犬か! まだ真実から目を背けるか、薄汚い英霊の端くれよ!」
「もうこれ以上、あんたの癇に障る声は聞きたくない」


――ストレングスの感情を殺した声とともに、空間がひずんだ。

シュバルツが嘲笑を止めた。
周囲に渦巻いていた形ある影が大きく脈打ち、せり上がって形を成さんとシュバルツの背後に殺到した。

「キャスター!」

包帯男の叫びに耳を傾けることなく、ストレングスは魔力を開放した。
Aランクの単独行動スキルをもってしても、宝具の連続使用の負担は完全には無効に出来ないかもしれない。
ただでさえ万全でない体調の一騎に対して、少なからぬ負担をかけてしまう可能性もある。
だが、逃がす訳にはいかない。この世界すべてを嘲笑する包帯男と、血を啜り影を纏うサーヴァントは。

世界が歪む。理が歪む。


表と裏が反転する。ストレングスの心象風景が、現実を塗りつぶす。


それは魔法に最も近い禁術。最大の秘蹟にして最後の到達点。




「固有結界――――『遥か遠き故郷(ウツロのセカイ)』 !!」




シュバルツ・バルトとそのサーヴァントを飲み込んで、世界の裏側が表出する――。
                ▽  ▽  ▽






【SANITY CHECK――固有結界発動】



キャスター/ワラキアの夜……精神汚染スキルにより目標値を修正――『成功』


マスター/シュバルツ・バルト……正気度ゼロのため判定をキャンセル――『無効』







                ▽  ▽  ▽

先程までの薄暗い下水道の面影は、すでに跡形もなく消失していた。

煮え立つマグマの上に浮かぶ、不規則な直方体の集合。

巨大な、あまりにも巨大なルービック・ミラーブロックス。

この不安定な足場だけが存在する橙色の世界がストレングスの固有結界であり、もうひとりの彼女である忍足ユウの心象風景である。

一辺数十メートルに及ぶキューブを構成するブロックのひとつの上に立ち、アーチャー・ストレングスは眼下の包帯男を睥睨した。
この架空都市アーカムの聖杯戦争における、本来の聖杯戦争との最大の相違。
それは、宝具をはじめとして英霊が引き起こす神秘の発現が、それを目撃した人間の正気を揺るがすという点である。

この事実は召喚されたサーヴァント達にとっては、イレギュラーであると同時に使い方によっては武器ともなりうる。
ストレングスの固有結界が象徴的だ。自分に有利な空間を創り出すだけの宝具でありながら、同時にこの異界は精神を決定的に侵食する。

だが、ここまであからさまな異界に足を踏み入れてなお、シュバルツ・バルトは先程までと全く様相を変じていなかった。
正気を保っているのではない。はじめから狂っているのだ。狂った上で、狂った秩序をもって振舞っているのだ。

この男にはおそらく、神秘の発現による一切の正気度ダメージが通用しない。
常人の、もしかしたら人間の枠からもはみ出しているかもしれない、このアーカムの聖杯戦争における鬼札。
鉄面皮の裏で苦虫を噛み潰すストレングスを下の足場から見上げ、シュバルツ・バルトは先程までとはまた違った喜色を挙げた。


「……ほほう! 興味深いな。これが固有結界――君のものとは随分と違うな、キャスター?」
「本来『タタリ』を固有結界などという括りで理解しようとするのが誤りなのだよ。それは我が魔術の窮極を貶めることでもある」


いつの間にか、シュバルツを取り巻く影はひとりの男の姿を取っていた。
舞台役者めいて優雅に立つその姿は、本来ズェピア・エルトナム・オベローンという名で呼ばれた錬金術士であり、
形なき現象であるはずのタタリがキャスターというクラスを得て『英霊へと貶められた』事実を象徴する姿であった。
キャスターはただひとりの観客へと身振りだけで訴えかけるように両手を広げ、詠うように語る。


「だが、この舞台は悪くない。悪くないぞ、マスター。このセカイはあまりに奇妙で、奇矯で、奇形的だ。
 人ひとりの心象を映す鏡であり、同時にこの世すべての未熟なる魂の集合意識の発現でもある。こんなものが固有結界だと?
 ――ああ、なるほど。あまりにも広大な心象連続体、その自分の縄張りだけを切り取ってセカイを塗り替える。それがこの舞台の本質か。
 矮小な個人を象徴しながらも更なる奥行きを観客に想像させる――舞台というのはこういう想像力を掻き立てるものでなくては」


キャスターが吟じる台詞に、アーチャーが僅かにたじろいだ。
それはアンノウンスキルによりアーチャーに関わるあらゆる逸話を知らないはずのキャスターが、この固有結界の本質を言い当てたからに他ならない。

「……分かったようなことを言うね」
「アーチャーのサーヴァントよ、私の演出家としての見立てが間違いだと?」
「………………っ」

間違いなわけがない。それどころか、キャスターの言葉は限りなく真実に近い。
本来『虚の世界』は、現実世界に生きる少女が精神世界に持つ半身の、それぞれの心象風景を無数に繋ぎ合わせる形で存在している。
それらのテリトリーは流動的に繋がり合い、アーチャーをはじめとする虚の世界の少女たちは自身のテリトリーでこそ真の力を発揮できる。
固有結界『遥か遠き故郷(ウツロのセカイ)』は、あくまでアーチャー自身のテリトリーを限定的に発現する宝具に過ぎない。

その事実を、なぜ生前のアーチャーと全く無縁のはずのキャスターが知り得ているのか。
彼が舞台監督を標榜するサーヴァントだから、というのも完全な誤りではない。誤りではないが、しかし本質でもない。
ならば何故かと問われれば――その理由は『ワラキアの夜が現象・タタリだから』に他ならない。
故に、彼は知る。この舞台を最も鮮やかに演出する方法を。


「このセカイに太陽はない。故に死徒たる私でも力を発揮できようが、しかし三騎士の一角相手はあまりに荷が重い」
「……だからって、黙って見過ごすと思う?」
「見過ごせない。そう、見過ごせまいよ。この私が見過ごさせない。折角の舞台なのだ、ふさわしい『客演(ゲスト)』を招かぬまではなァ!」

アーチャーはその言葉の意味を図りかねたか、戦闘態勢へ移行しようとしたその動きを一瞬だけ止める。
しかしマスターたるシュバルツは、それを聞いて歯を剥き出しにした。

「なるほど、面白い! 是非、是非呼びたまえキャスター! 確かに二度と観られる舞台ではあるまい!」
「ご理解感謝する――では始めよう! 演者は彼女と『彼女』! これよりタタリ第二幕の開演といこうではないか!」

虚の世界の本質をキャスターが看破した理由はタタリが噂を媒介に伝播する現象であるからだ。
その特性ゆえに、彼はこの固有結界が個人の心象風景ではなく複数の意識によって共有された世界であることを見抜いた。
しかし、それだけではない。キャスターが看破したのは、この世界が心象風景の集合によって成り立つことだけではない。

彼を悦ばせたのは、このセカイを形作る意識達が、あるひとつの共通幻想を持っていたことだ。

本来、虚の世界の少女達は自我も意識も持たず、ただ戦い続けるだけの存在。
しかし、偶発的に自我を得たストレングスが、あるいは現実世界の干渉によって行動するブラック★ゴールドソーが。
彼女達がただひとり特別視する思念体が、元々この虚の世界には存在していた。
そしてストレングスの精神と密接な関係にあるこのテリトリーでならば、その共通認識は『都市伝説』同様の力を持つ。



ゆえに――この固有結界『遥か遠き故郷(ウツロのセカイ)』内部において――『タタリ』は発現する!



「―――― Es gibt Show Zeit(エス・ギプト・ショウ・ツァイト)!!!」



シュバルツ・バルトが叫ぶ。
同時に固有結界内の空間がどろりと変色し、本来この世界に現れるはずのないタタリの血泥がどろりと垂れる。
それは一個の細胞のように蠢き、ひとりでに捏ねられる粘土のように形を変えていった。
そして、次第に一人の少女の姿を形作っていった。

左右非対称のツインテール。
水着同然の上半身にショートパンツという極めて露出の多い体を覆う、フードの付いた漆黒のコート。
片手には日本刀、もう片腕には毎秒二十発の岩石を発射可能な重火器。
そして左目には――――


「そんな……どうして……!?」


絶句するストレングスを、正面から見据え。


――タタリとして虚の世界に舞い戻った『ブラック★ロックシューター』の左目に、蒼い炎が灯った。




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