Libra ribrary ◆HOMU.DM5Ns




―――結局、行き着く所はここしかないのだった。



書物の匂い、窓から差す日の光の照らし、積もった歴史を感じさせる雰囲気は、今日も文香を迎え入れてくれる。
読み尽くせぬ本に囲まれた空間は未知が潜む森に似て、魔術を知らぬ身にも知識の泉という神秘を思わせる。
代わり映えのない自分の家にいるより、ずっと文香の気分を落ち着かせていた。
ミスカトニック大学・附属図書館。文香が殆ど入り浸りになって本を捲る毎日を送っているこの閲覧室は、このアーカムの何処よりも慣れ親しんだ場所になっていた。
すっかり定位置になった閲覧室の椅子に腰掛け、そこで文香は今までの徒労を思って項垂れた。

「……どうすれば、いいのでしょう」

アーカムから無事に抜け出す手がかりの捜索は、ここまでどれもが空振りに終わっている。
相談相手の候補に定めていたパチュリー・ノーレッジとは会えずじまいで終わり。
偶然会った応用化学部のプレシア・テスタロッサ教授にはすげなく突き放された。
頼みの綱は断たれた。取れ得る『行動』の選択肢は、現状何もない。デスクの上には大量の本が目の前に虚しく並んでいる。
件のプレシア教授と接触する際に持ち寄っていた館外へ持ち出した書物だ。
アーカムの歴史書、魔術・オカルトの関連本……普段は好んで読もうという気にはならなかったジャンルは新鮮ではあるが、あくまで関心止まりでしかない。
都市の成り立ち、風土や伝わる逸話などにはそれなりに詳しく知れたが、当然ながら聖杯戦争の脱出に繋がるような情報が見つかることはない。
一般生徒でも閲覧・貸し出しが可能な範囲の本ではそこが限界だ。より真に迫るには……普通には見ることはない秘書に手を出す必要がある。

地下に置かれた禁書庫……世界各地から蒐集された稀覯書を封じてある開かずの間。
そこには記者の妄想や嘘八百の伝記として書店に置かれるようなインチキ本とは違う、力ある魔術に基いて記された『本物』の魔導書が幾つも眠るという。
図書館に通う学生なら誰もが一度は耳に挟む噂話だ。噂は噂でしかなく、現実に目にしたと吹聴する話はとんと聞かない。
しかし文香の生還に必要な知識があるとしたら、恐らくその場所だろう。
魔術やアーカムの秘密の知識を探すような、情報収集を目的とした、つまりは比較的穏健な人間であればここを訪れに来るかもしれない――――
その程度の考えくらいは巡らせていた。

網を張る、というには心許ないか細い糸。
あくまでも待ち。どこまでも受け身。希望的観測に頼るだけ。
仕方のないことでも、それ以外何か進展になる考えが思いつかなくても、待つだけの時間は憂鬱だ。
アイドルとして活動していた鷺沢文香としての時間まで消し飛ばされてしまったのか、自分一人では何も変えられない無力感は、じわじわと首を締め付ける真綿のようだ。
時が刻むたび、無力さを思い知られ、無意味であると嘲弄されていると錯覚する負の循環。
それでもそこで諦観に投げ出さず、前を見て道を模索しているのは確かな成長の証か。


『マスター』


文香の中だけで渦巻いていた重苦しい雰囲気は、そこで唐突に終わった。文香にだけ届く無機質な男の声で。

『今すぐ席を変えろ。ひとつ隣でいい』
「……え?』

未だその手に銃を握らぬ男、自ら沈黙を破ったアーチャーの声が明瞭な指示として飛んできたのだ。

『その位置では守り辛い』

聞き返すよりも先に理由が述べられる。意味を斟酌し、それについて詳しく聞こうとしても、さらなる変化がそれを許さなかった。
今度は外界。図書館の入り口から軽く話し合いながら歩いてくる、おかしな格好の、おかしな組み合わせをした男女。


状況は進展する。混沌は渦を巻いていく。
文香の意図などお構いなしに、聖杯戦争は着々と進行していく―――。




 ◆ ◆ ◆



―――つまりは、この衝突は必然であるべきだった。



二人分の足音が廊下に響いて鳴っている。
大きいが慎重さが足運びにまで移っている音と、小さいが大胆にふてぶてしくすらもある音。実に対照的な存在感であり、互いのスタンスの違いを感じさせる男と少女だ。

「さて助手のマスクくんよ、いま私達が何処に向かっている先がわかるかい?」
「見物人がいるならいざしらず、二人だけの今なら私と貴様は捜査官と重要参考人の間柄だと憶えているのか?」
「大学内にいる限りは教授と助手のまま継続だと思うけどねぇ」

警察官兼客員教授という体でミスカトニック大学内へと潜入したマスクとDR.ネクロだ。
関係者との挨拶もそこそこに済ませ、自由の身となった二人は何を相談するでもなく同じ方向へ歩いている。

「そもそも舞台のロール以前に我々は協力し合うマスター同士だろうに。ならば立場は対等だろう?」
「その言葉はシラフのままでこちらをからかっていると受け取ろう」

いま二人以外にはすれ違う学生や教員の影はない。外でまばらに見えるぐらいだ。マスクは偶然であると捉えたが、あるいはネクロが根回しをしたのか。
そのためマスターという身分を明かすこともリスクは薄い。それも、構内に隠れ潜んだ他のマスターであると目する首吊り犯の存在を考慮しなければだが。

「冗談の通じん奴め」
「時と場合を選ぶだけだ」

底意地の悪いからかいを切り捨てつつも、マスクはバイザー越しの情報でネクロの最初の質問に対する解答を選んでいた。
ネクロと出会う以前にマスターとしての資格を得て以降、聖杯戦争に勝利するために収集してきた情報の一部を閲覧する。

「……ミスカトニックの大学を根城にする輩なら、まず初めに押さえるべきは書庫だろう。貿易商の遺産を元手に建てられたたここはアーカムの隆盛に一役買っている。
 さらに魔術書という黴臭い遺産が大量に眠るという場所だ。網を張るには最良の定位置にもなろうさ」
「さすが、素人なりに当たりはつけてるか」
「伊達と酔狂目当てのマスクだと思われては困るのでな」
「えっ違ったのか?そういうかわいそうな趣味かと……」

仮面越しでもどういう表情をしているか分かる視線がネクロに突きつけられる。無視してネクロは、マスクの推理を引き継ぐ。
幼い顔の眼差しに影を這わせ、百年を超える時を生きた魔術師は語る。

「―――そうだ。ミスカトニック大学の禁書庫には叡智を記した魔術書が貯蔵されている。
 魔術の王ソロモンの魔術書。極東を支配し忽然として姿を消した半神的存在。アヴァロン、ティル・ナ・ノーグに連なる幻想の異界。
 ヘンリー・アーミティッジを初めにかき集めた世界各地の神秘の断片が眠るそこは、アーカムに潜む闇の側面の象徴でもある。
 聖杯戦争に関わるマスターにとってこれ以上の要所はあるまい。そして餌としては極上の部類だ」

ネクロにもアーカムという都市に根付く黒き知識は完全に把握するには至らない。それほどまでに此処の神秘は『濃い』。そして異常な形をしている。
館内の禁書庫はマスターという立場を除いた、魔術師のネクロとしても垂涎の的だ。故に、そこにかかる魔術師を獲物として見る、冷酷な狩人が伏せている可能性もまた高い。

「獣の口に飛び込むも同じ真似か」
「それか屠殺場だな」

マスクもネクロもそれは承知している。敵の存在を知ったからこそこうして潜り込んでいるのだ。
一時という限定とはいえ共に行動しているのは敵サーヴァントの打倒のため。所在が絞り込めているならば、二の足を踏む理由はない。
勝利への戦意という点のみでいえば、二人は確かに対等であり、同等であった。

「しかし、許可証を得た足でもうはらわたを開ける気か?」
「それを調べるためにも一度見ておくべきなのさ。それにまだ私達の存在が知れ渡ってない今なら監視の目も届かないかもしれない。
 兵は拙速を尊ぶ、ってのは東洋の格言だったか?」

あちこち探りを入れて慎重に立ち回り結果後手に回るよりも、真っ先に見ておきたい場所の調べを済ませてしまいたいというわけだ。そこはマスクも同感だ。
そうこうしてる内に館の前にまで辿り着く。歴史を重ねた扉は今の話もあり、マスクには秘島に隠された宝物庫にも感じられる。
あるいはそこに隠れ住む、それこそはらわたに繋がる人食いの怪物の口か。
当然まず始めに会うのは守衛か館長かだ。マスクの感覚は一瞬の気の迷いでしか無い。
しかしそれに飲まれてしまうだけの雰囲気が、この館からは放たれていた。吸い込まれれば二度と引き返せない、ブラックホールにも似た引力。
魔術神秘に既知のないマスクにとって、ここでの探索はともすれば宇宙でのモビルスーツ戦と同様の死地にすら成り得る。

「では行くとするか。サーヴァント以外の脅威が出て来る可能性もある。気を張っておけよ」
「絵に書かれた魔物が飛び出てくるとでもいうのか」
「案外そういうのも有り得るぞ?ここの禁書を盗もうとした異形の男は番犬に噛み殺されたそうだ。
 自分の常識に縋りいているようなら捨てておけよマスク。外なるものから奪われるよりは、自分の意志で捨てる方がまだマシな選択だ」

脅し。というよりは警告に近い色。
飄々として得体の知れないネクロにしては、今の台詞には真剣な意味合いを感じさせる。
引き返すことは出来ない、ここを超えれば自分の中の何かを捨てる羽目になると臓(ハラ)が訴えている。

「―――ここで退いて、おめおめと帰っていられるか」

本能の警鐘を自覚しつつも、マスクの中のルイン・リーは理性と感情を優先する。
命の危機はとうに覚悟している。マスターになる前から、キャピタル・アーミーとなってから。
あるいは、それよりずっと前に決めていたのかもしれない。クンタラと蔑まれてきた己が身、民族の血を浄化しようという野心を孕んだ時から。
そして今、ルインはこれまでにないほど本懐を果たす道に近づきつつある。呪われた宿命を一代で払拭できる奇跡の御業。
既にネクロへの貸しという高い授業料を払う羽目にもなっている。ここで命を取るようなら男が廃るというものだ。
ひょいひょいと先を行くネクロを追って、意を決しマスクは中に足を踏み入れた。


閲覧室はその名が示す通り、見渡す限りの棚という棚に本が詰められていた。
これまでのマスクの情報収集の供給源は警察署の事件ファイル、ネットワークを通じてのもので占められている。
虎穴となる大学に潜る口実が思いつかなかったのもあるが、単に電子上のデータである方が馴染み深いだけの理由だ。
人類が母なる星を飛び越え幾百年、技術は過渡期を超え衰退し今また復元を果たそうとする流れにいるリギルド・センチュリーのマスクにしてみれば、
まさに埋もれた旧時代の遺跡に立ち入ったような気分にもなる。

「一般生徒でも貸し出し可能な範囲で、本物が収まってるわけはないか」
「だろうな。まあだからこそ逆にそこに紛れ込ませているって手もあるが……」

観光目的で来たわけでもないので、傍に積もる本の題に目移りすることなく通り過ぎる。
少なくともこれだけの蔵書、マスク一人で調べをするには効率が悪すぎる。それこそ魔術を知り自ら行使するネクロの管轄となるが……

『マスター。耳に入れておきたいことがある』
『何だ』

念話で己のアサシンから告げ口がされた内容にマスクの動きが止まる。
そのやりとりの間に、ネクロは本が山と積まれた席についていた女生徒に近づき声をかけていた。

「昼時だというのに熱心だな。講師に課題をたんまり出されたか?」

果たして暗示とやらは使用しているのか、不躾にネクロは話しかける。かけているとして、それがどういう姿に見えているかはマスクにも与り知らぬが。
一方の生徒である少女はびくりと肩を揺らし、ネクロとマスクを交互に見やって困惑した様子でいた。
顔立ちは東洋人らしく、前に下ろされた黒髪の隙間から蒼い瞳が見え隠れしていた。




「あの…………ぇと」

文香にとって、自分に話しかけてきた少女は青天の霹靂そのものだった。
数少ない知り合いではないし、大学で見かけるような出で立ちでもない。
濃い紫色の長髪、椅子に座る自分より頭一つ分ほどしかない体躯に大人用のロングコートを羽織った少女など、一度見れば中々記憶から抜け落ちてくれそうにないイメージだ。

「ここの生徒で間違いないな。少し話を聞かせてくれるとありがたいんだが」

年齢に似合わぬ口調と雰囲気は、同じく高校生らしからぬ体つきで話題の元の世界でのアイドル仲間を思い起こさせる。
見た目は少女でしかない謎の人物からの質問に文香は閉口するしかなかった。
人見知りだから、という理由ではない。それだけであればまだ多少なりともまともな受け答えもできただろう。
―――先程伝えられたアーチャーからの提言。『襲撃の可能性がある来訪者への対処』が、いつも以上に思考を鈍重にしていた。

目の前の人が……まさか……?

俄には信じられない。確かに一般人からは外れた格好をしてはいるが、文香が見知ったアイドルにもそうした『きわどい』格好をした人もそれなりには、いた。
それがそのまま危険に直結するなどとは考えつかなかった。
しかし自分のサーヴァントからの忠告。第一級クラリック。ガン=カタの達人。卓越した戦闘における情報処理能力を疑うのは致命的な判断であるような気がする。

―――途端、急速に喉が乾きを訴えてきた。

長く、砂漠を彷徨い続けてきたような、罅割れた飢餓感。飲み込む唾すら急速に乾燥する。
本能は貪欲に今すぐに水分を欲しがっている。コップ一杯―――いや足りない、足りない、到底足りはしない。
肺の中を完全に水で満たさねければ収まらないと。そのまま地上で溺れてしまいたくなるような衝動。
目の前の机に水溜まりが出来ていれば、みっともなく頭をそこに突っ込んでいただろう。

「ん?どうしたよそんなにびくついて」

目の前の相手は威圧や脅しをかけているわけではない。明確な敵意は完全に見られない。
なのに口元は微かに震えるばかりで、何一つ言葉が出てこない。早鐘を打つ心臓の鼓動だけが耳に響き、脳を痺れさせる。
言うべきことは。取るべき行動は。アーチャーに指示するべき対応は?
思考は霞がかって、目の前が暗闇になったみたいに『次』が見えないでいた。
向こうは何もしていないのに、自分だけが一方的に怯えている。相手が■■■■の可能性があるというだけで。
今の文香は震えて見えるのだろう。無様に、哀れに、蛇に睨まれた蛙のように。これでは自分が敵―――ですらない、餌であると看板を掲げているのと同じなのに。


「見知らぬ相手に問い詰められて黙りこくる理由に思い至らないなら、鏡を見ておくことだ」


聞く人に耳を傾けさせる、どこか爽やかな感触のある声だった。
横から入り込んだ助け舟の声に、恐怖で凝り固まっていた文香の体に僅かばかり自由が戻る。

「ああ、名を聞くならまず自分からってやつか?東洋の習わしは厄介だな」
「一般教養と言われているものだ、それは」

顔を上げた文香に映るのは、そのまま舞踏会にでも出れそうな四つ目の仮面で目元を隠した、少女に負けず劣らずデザインの強い男だ。

「失礼したね。ついさっきここの客員として招かれた教授のネクロという。ここの書庫にはかねてから興味があってね。タイミングがいいのか悪いのか凶事があったおかげで少し時間を食ってしまったんだ
 そして彼は助手のマスク君だ。まんますぎるだろ?」

ネクロと名乗った少女は背後の男を指差して笑いつつ、首元にかけられたプレートを指で摘んで見せびらかす。
そこには「客員研究員(仮)」と小さく記されている。外から招かれた学者に渡される臨時の許可証だろう。ちなみに男―――マスクの方は助研究員だった。

「紹介に預かったマスクだ。……がしかし、今は別の身分の使い時でな」

顔の一部のパーツが隠れてるのでわかりにくいが、声からしてまだ青年だろう。マスクはそう言って懐から黒い艶の手帳を取り出す。
そこにつけられたバッジを見た文香の瞳が、前髪の隙間で大きく揺れた。

「改めまして、連邦捜査局のマスクだ。大学生徒である君にはご協力願いたい。案件は……言うまでもないね?」

ほんの少し声を落としたマスクの声が、文香には先程より一段凄みの色を帯びたように感じた。

「……警察の方が、助手を?」

どこかピントのずれた疑問を聞いてしまうものの、マスクは律儀に、肩をすくめる調子で答えてくれた。

「閉鎖かつ保守的な大学とFBIを目の敵にする警察署の双方に睨まれては、猫を被らざるを得ないのさ」
「被ってるのは仮面だがな」

横から口を挟むネクロ。口を歪ますマスクからして、仮面の下の目は鬱陶しそうにしているのだろう。

「それで、あの、協力とは……」
「単なる事情聴取さ。市警は今ひとつ踏み切れんでいるが、自殺にせよ他殺にせよ大学内の者を洗うのが常套だろう。
 君は東洋人だし、ここの風土やしがらみにとらわれてないだろうとね」

首吊り事故……いや、犯人に聖杯戦争が関わっている事実があるなら事件だろう。それに気づけているのは文香だけ。
その現場に現れるのは職務に忠実な警察官として自然な流れだ。あくまで、表向きには。
治まりかけていた胸の動悸が、また起こる。聖杯戦争に比べて、確かな事実として起きた殺人の報にこそ、よりリアルで身近な恐怖があった。

「……わかりました」

文香は了承した。警官相手に反抗して目をつけられたくはないし、もとよりその気もない。あくまで一生徒として受け答えすれば、それでいいはずだ。


「確か被害者は応用科学部だったな。君は?」
「私は文学部です……その人とは顔も合わせてはいません……」
「では、その教授は?」
「……プレシア・テスタロッサ教授とは……先程、廊下ですれ違いました……。角でぶつかって、本を落としてしまい……」
「ふむ。その人に不審な点は?」
「いえ、特には……。神経を尖らせてるようでしたが……元々気難しい方だとは聞いていましたので……」


文香も、そしてマスクも、決して核心へ触れないままに聴取は続いた。
確かめるのは簡単なのに、決定的な亀裂が生まれるのを良しとしないから。
断絶ほどに致命的ではない、けれどそれに直面したら対応を取らざるを得なくなる事態を。

いっそこのまま生きているか死んでいるか曖昧な箱の中身の猫のように、曖昧なまま話が終わって欲しいと文香が考えていた時。


「しかし随分持ち込んでいるな。顔に似合わずオカルト趣味か?文学というか民俗学の範疇じゃないかコレ」
「―――」

聴取も粗方終わろうとした頃、傍で聞いていただけのネクロが突然話を振ってきたのだ。
手には机に置かれていた本の山から適当に見繕ったらしい書物。表紙には不気味さを煽るグロテスクな表記で「GHOUL」と書かれている。

「屍食鬼(グール)か。この街で題材にするには確かに今が旬だな」
「……はい……気になって……しまいましたので……」

今や街中に広がり知らぬ者はいないとまでいわれている、『白髪の屍食鬼(グール)』の噂は文香も耳にしていた。
直接的に、サーヴァントなりマスターであると結びつけるには至らないが、その噂の爆発的な感染度は目に留まるものであった。
聖杯戦争の参加者でなくとも、関連性ぐらいはあるかもしれないと、こうして書を当たってみていたのだ。結果は、知識が積まれていくのみでまるで奮わないが。

「主に、どのあたりが?」

興味を惹かれたのか、ネクロが再び問い返す。深遠な気配を湛えた謎の少女なら答えに辿り着いているかもしれないが、文香の口からそれを聞きたがっているようだった。

「…………何故、屍食鬼なのでしょうか、と」

それに応じて、文香も言葉を返した。教授から投げられた問題に答える生徒のように。

「吸血鬼や、竜、悪魔……民話や物語に出て来る怪物には様々な名称があります。
 屍食鬼……グールはアラビアの伝承に登場する怪物が発祥とされ、千夜一夜物語の挿話にもその名があります……。
 し……屍肉を漁る、または旅人などを惑わし襲うとされてる悪性の精霊、ジンの一種だとされています。
 アーカムにはとあるアラブ人も住んでいたようで、馴染みもあるかと思えますが……それも一般的では、ないでしょう」
「ははあ。なるほど、出処も分からない屍食鬼という名が当たり前のように使われ、しかも世間に定着してまかり通っているのが疑問だったわけか」

文香は頷く。途切れ途切れ、言葉をつかえつつも。
それは本で読んだ知識を紐解く、すなわちいつも通りの行動であり、だからこそ緩やかに口を開くことができたといえる。
違いと言えば、その内容。常であれば目を背ける、猟奇要素をふんだんに含んだ恐怖を記した伝記や記事。いうなれば黒い知識。
そうしたホラーを大いに好むアイドル、白坂小梅ならば、目を爛々と輝かせて飛びつく題材だろうか。
本のジャンルを選ばない乱読の気がある文香だが、アーカムに来てからは歴史書にせよ風聞にせよこうした知識ばかり溜め込むようになっていた。

蛇に睨まれた蛙も同然の状況だった時と比べれば、それは確かな好転といえただろう。
精神に余裕ができたことで、文香の思考も正常に回り出す。ここが千載一遇の、逃せば二度と訪れない機会であると。
このまま会話を進ませ関係を結べれば、今後に実りある相談ができるかもしれないと、期待が芽生える。

「あるいは……食人文化の方向で調べてみますと、食料難時に止む無く供されたというクンタラ人などが見られ、」



―――次の一言を音に出すまでの秒に満たない数瞬に、その攻防は展開された。



「―――――――――え、」


ぶあ、と、額を覆い隠す前髪が舞い上がり、文香の視界が突如開けた。
目の前で起こった風がさらっていく長髪は絹糸の如く滑らかで、今時の若者にありがちな整髪料や矯正の荒れがない天然の艶やかさを保っていて、
昼下がりの街通りにいればさぞ絵になっていただろうが、その光景に目を奪われた人は生憎この場では皆無だった。

「……!?」

息を呑む。
呼吸を忘れる。
文香の目の前に出現した、互いの両腕を絡ませたまま対峙する二人の男に、筋肉が麻痺硬直しかねないほどの威圧が放たれたからだ。

全身黒服。後ろに撫でつけた変哲のない髪。露わとなった眼光は夜鷹すら射殺す冷ややかな黒鉄の意思。
サーヴァント・アーチャーは、マスターたる文香を守護する任を全うすべく実体化し、手から愛銃を抜き放っていた。

「あ、アーチャーさん……っ」

震える声で、どうにか言う。言葉にするのみで、それだけで精一杯だった。
アーチャーと睨み合う男は、鬼と形容すべきだった。
姿形として、ではない。体つきは服の上からでもわかるほど屈強ではあり、人体の範疇に留まっている。
頭があり、胴体があり、手足が二本ずつの、肌の浅黒いまっとうな人体である。
その、最も人のパーソナルを象徴する顔面には、眉間を境に交差した傷痕が克明に残っている。
元々厳しい顔つきなのだろうが、そこに重ねられた十字の紋が殊更凶悪に見せている。
だが鬼と評した理由はその傷ではない。熾烈な意思の収められた赫い瞳こそが、男を鬼足らしめている元凶だ。

「……っアサシン!」

マスクも叫ぶ。文香と同じくこの相対に衝撃を受けていたが、復帰はより早かった。
二騎の交差の切欠を生んだのは、マスクの激昂にかられての行動だった。
決して聞き流せない言葉、忌まわしくも長きに渡って己の民族を穢し続ける通称。それを口にした文香を問い質そうと詰め寄ったことだ。
華奢な少女の肩へ手を伸ばす……よりも先に、その行動を予測したアーチャーが霊体化を解き先んじてマスクの前に立ち、更にアサシンが対応として躍り出てきたのだ。
背でマスクを突き飛ばし距離を取らせ、アーチャー目掛けて右の掌底を打ち出したアサシンに、アーチャーは半身を逸らすのみでそれをかわす。
のみならずマガジン底で伸びた腕の橈骨を叩きつけ手を封じてさえした。
それはアサシンが拳打を繰り出す速度、タイミングを予め把握していたとしか思えない、最小限で最も効率的な効果を発揮する挙動だった。
かわした勢いを殺さず流れるような動作で右の銃口を向ける。しかしアサシンも虚に囚われることなく冷静に空き手の左で弾き斜線を外す。

以上が一瞬の攻防。
斜線をずらされたアーチャー。右手で触れることができないでいるアサシン。
互いの必殺の手を封じたことで生じた膠着状態であった。
尤も、所詮はいつ砕けてもおかしくない薄氷の上、仮初の静寂でしかない。
アーチャーは既に先の先まで見越した戦術を構築してあり、いつ戦端を開いたとしても瞬時に完璧な対応をこなしてみせる準備を整えてある。
アサシンもまたとっさに手首を回し、砕かれるのを避けた右腕の術式をいつでも回せる状態にある。
すぐに使わないのはマスターの復帰を待っているのと、アーチャーが右腕の動きに最大の注意を払っているとわかっているからだ。

指示を委ねられた二人のマスター。
文香は言うに及ばず、マスクにもこの状況でどう命令を下すのか瞬時の判断がつかなかった。このまま戦闘を継続すべきか。しかし目を配らせればまだ人の姿が確認できる。
始めれば目につくのは必然。そして被害が及ぶのも自明の理だ。退くにせよ敵は銃使い、アーチャーだ。多少の距離は問題にしない。
こちらにはアサシンがいる限り無様に背中を穿たれる始末にならないという自信はある。つまりは最初に戻り、マスクの判断次第ということだ。
非を詫び穏便に済ませるか、勝負をしかけ頭を取るか。


「オイオイ、なにを急いて始めてるんだお前達」


どのような反応が起こるかわからない、混沌した場にあって、この落ち着き払った態度は実に呑気につきた。
声はネクロ。二人以外にこの場にいたもう一人のマスター。

「お互いさっさとサーヴァントを引っ込めろ。少なくともこの館内は大丈夫だが、どこに目がついてるかわかったもんじゃない」

はっとして文香もマスクも周囲を見回した。閲覧室には遠目に生徒がまばらに歩いていたり本を読んでいるのが見える。
だというのに、誰も自分達に目を向けてない。凶器を突き付けあっているアーチャーとアサシンに至っては存在すら気づいていないようだった。
これもさては魔術の類か―――一度実例を見ているマスクはすぐに不可思議なる事象の正体に気づいたが、やはり驚きは隠せない。絡繰り自体もさっぱりだ。
いったいどれだけの術をその内面に仕込んでいるか分かったものでもない。どこまでも底知れぬ相手だった。

「そっちも、積極的に打って出る気はないんだろう?」
「なぜそう思う」

睨み合ったままの姿勢でアーチャーがそう聞いてきた。意識を外に割いても微塵も体に隙は生み出さず、従ってアサシンも迂闊に動けない。
怯えも昂ぶりもしない、人間らしい感情のブレのない、機械の如き冷却装置。

「マスターが魔術師かそうじゃないかくらいすぐに見分けがつく。怯え方も演技というには過剰だったしな。
 」

言葉が、みるみるうちに浸透していく。沸騰しかけていた場を冷却して、本来の静けさを取り戻していく。
様々な化合物を配合したフラスコの中に、それらを調和させる液体を一滴ずつ垂らしていくように。
少女の―――いや、魔女の台詞は、それこそ呪文だった。文字にして声に聞かせて惑わせる、魔術師の呪言。

「わかった。こちらもここで騒ぐのは好ましくはない。此処は、本が多いからな。
 いいな、マスター」

判断は素早く、アーチャーは停戦を受け入れた。元々マスターに気概を加えようとした行動に対応しただけだ。ここで交えるのは本意ではない。

「ぇ―――あ、はい」

呼びかけられた文香の方は、まだ現実に復帰しきってないらしい。呆けたままに頷いた。

「だが、腕を下ろすのはそっちが先だ」
「何……」

一瞬で緊張が戻る。今度はアサシンが睨みをきかせる番だった。
アサシンだけは自分達が折れることに納得していないようだった。同盟相手でもない明確な敵がいながら退く意味があるのかと。
手負いの獣にも似た念を込めらせていたアサシンにマスクが諌める。

「下がれアサシン。無礼を働いたのはこちらが先だ。これ以上蛮行を重ねては我らの名折れになる」
「……」

マスターの声をどう受け取ったか、不承不承といった風ながらもようやくアサシンの腕が下ろされる。一呼吸置いてアーチャーも銃を両腕の袖の中にしまい込んだ。
これで正真正銘、闘争の空気は断たれた。周囲と変わらぬ正午の閲覧室の静けさに戻る。

「とまあ、期せずしてだが、これで本当の自己紹介は済んだわけだな」

いつの間にか仕切る立場を取っていても、ネクロを咎めたてる者はいなかった。
少なくとも今、話を円滑に進めるのには俯瞰して見ていた彼女が適していることは全員が一致している意見だ。


「では本題に入ろうか。ここからは大事な講義の時間だ」


内面とは乖離した印象を振り払うような幼い微笑みを見せて、魔女はそう宣言した。




【キャンパス・ミスカトニック大学付属図書館閲覧室/一日目・午後】


【鷺沢文香@アイドルマスターシンデレラガールズ】
[状態] 健康
[精神] 一時的恐怖
[令呪] 残り三画
[装備] なし
[道具] 本
[所持金] 普通の大学生程度
[思考・状況]
基本行動方針:元の世界に帰りたい
1.プロデューサーさん……
2.パチュリー・ノーレッジに会ってみたい
[備考]


【アーチャー(ジョン・プレストン)@リベリオン】
[状態] 健康
[精神] 正常
[装備] クラリックガン
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:マスターを守る。
1.マスターを守る。
[備考]
※今のところ文香の方針に自ら干渉するつもりはありません。



【マスク@ガンダム Gのレコンギスタ】
[状態]健康
[精神]
[令呪]残り3画
[装備]マスク、自動拳銃
[道具]FBIの身分証
[所持金]余裕はある
[思考・状況]
基本行動方針:捜査官として情報を収集する。
1.ミスカトニック大学内で首縊り事件に関する情報を集める。
2.白髪の食屍鬼を操るサーヴァント(ワラキアの夜)を警戒。
[備考]
※拳銃のライセンスを所持しています。


【アサシン(傷の男(スカー))@鋼の錬金術師】
[状態]健康
[精神]正常
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:基本的にはマスクに従う。
1.Dr.ネクロを警戒しつつ、マスクを護衛する。
[備考]
※盾の英霊(リーズバイフェ)およびそのマスター(亜門)と白髪の食屍鬼の戦闘を目視しています。
 どれだけ詳細に把握しているのかは後続に委ねます。


【Dr.ネクロ(デボネア・ヴァイオレット)@KEYMAN -THE HAND OF JUDGMENT-】
[状態]健康、魔力消費(小)
[精神]正常
[令呪]残り3画
[装備]なし
[道具]魔術の各種媒介
[所持金]そこそこ
[思考・状況]
基本行動方針:他のマスターと協力しながらしばらくは様子見。
1.ミスカトニック大学内で首縊り事件に関する情報を集める。
2.白髪の食屍鬼を操るサーヴァント(ワラキアの夜)を警戒。
[備考]
※盾の英霊(リーズバイフェ)およびそのマスター(亜門)と白髪の食屍鬼の戦闘、
 また白髪の食屍鬼同士(金木とヤモリ)の戦闘を把握しています。
 しかしどちらも仔細に観察していたわけではありません。


【バーサーカー(仮面ライダーシン)@真・仮面ライダー序章】
[状態]健康
[精神]正常
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:???
1.???
[備考]



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マスク&(アサシン)傷の男(スカー)

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最終更新:2017年12月02日 23:06