368karasu @Wiki 家宝、加波山寝不動尊、神霊、たまゆら


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家宝、加波山寝不動尊、神霊、たまゆら

 我が家の家宝です。鳥居の中央にたまゆらが鎮座し(薄いのでよく見てください)、もう一つのたまゆらが、あせって鳥居の上に地より飛んで来ています。
浮かばれる、浮かぶことが出来る神霊です。花火みたいですね。
不動明王は、ひふみ神示では人に近い神ですが、ありがたい。
ひふみ神示 第十三巻 雨の巻 第十三帖(347) 昭和二十年十二月十八日、旧十一月十四日(1945年)
 世界中から神示通りに出て来て足元から火が付いても、まだ我張りてゐる様では今度は灰にするより方法(ほか)ないぞ。恐しなっての改心では御役六ヶ敷い ぞ。因縁あるミタマでも曇りひどいと、御用六ヶ敷い事あるぞ、神示頂いたとて役員面(やくいんづら)すると鼻ポキンぞ、と気付けてあろがな、五十九柱いく らでもあるのざぞ、かへミタマあると申してあろがな、務めた上にも務めなならんぞ、因縁深い程罪も借銭も深いのざぞ、岩戸閉めにもよき身魂あるぞ、岩戸開 きにも悪きあるぞ、気付け合ってよき御用結構ざぞ、勇んで務め下されよ。心から勇む仕事よき事ぞ、此の方の好く事ざぞ。木の葉落ちて冬となれば淋しかろが な、紅葉(もみじ)ある内にと気付けおいたが紅葉の山も落ちたであろがな、他で判らん根本のキのこと知らす此の方の神示ぢゃ、三千世界のこと一切の事説い て聞かして得心させて上げますぞや。落ち付いて聞き落しのない様になされよ、悔しさ目に見へておろがな、どぶつぼに我と落ち込む人民許り出て来て、神の国 臭くて足の踏場もないぞ、なれども見て御座れ、三千世界一度にひらいて世界一列一平一つのてん詞(四)で治めるぞ。地の世界に大将なくなって五大州引繰り 返りてゐると申すことまだ判らんのか、目に見せても耳に聞かしても、まだ判らんか、尻の毛まで悪魔に抜かれてゐてまだ判らんのか、あんまりな事ぢゃなあ。 是までは高し低しの戦でありたが、是からは誠の深し浅しの戦(いくさ)ざぞ、誠とはコトざぞ口でないぞ、筆でないぞコトざぞ、コト気付けと申してあろが な。コト、コト、コト、ざぞ。始めウタあったぞ、終もウタぞ、今も昔もウタざぞ、人民も動物もウタ唄ふのざぞ、終の御用の始はウタぞ、ウタの集団(つど ひ)とせよ。此の神示ウタとして知らす集団とせよ、ウタの集団 始ざぞ、表ざぞ、裏の裏ざぞ、表の表ぞ、道開く表の終の御用ぞ、江戸の御用すみたから、尾張の御用と申してあろがな、カイの御用も忘れてならんのざぞ。食 物(おしもの)の集団も作らなならんぞ、カイの御用の事ぞ、此の集団も表に出してよいのざぞ、時に応じてどうにでも変化(へんげ)られるのがまことの神の 集団ざぞ。不動明王殿も力あるに、あそこ迄落してあるは神に都合ある事ぞ。世に落ちて御座る守護神と世に落ちてゐる神々様と 世に出てゐる神々様と 世に落ちて出てゐる守護神殿と 和合なさりて物事やって下されよ、二人でしてくれと申してあろがな、判りたか。十二月十八日、ひつくのかみ神示。
http://image02.wiki.livedoor.jp/n/8/niwaka368/28e3f965bce9c544.JPGhttp://image02.wiki.livedoor.jp/n/8/niwaka368/33e8dd5f3f994b26.jpghttp://image02.wiki.livedoor.jp/n/8/niwaka368/859d442a11bd7589.jpghttp://image01.wiki.livedoor.jp/n/8/niwaka368/bbf5ddbed4caf789.jpg
http://www.geocities.jp/sizen_junnosuke/ichigoroom1.html
〜いちごの神社参拝物語〜
今回は加波山の麓にあります加波山神社本宮を訪ねました。
 加波山は茨城県は筑波山の北側に位置する標高709mの山です。
古代、この山頂に日本武尊により三柱の神が祀られ後、弘法大師によって山岳信仰・天狗信仰の修験場として開かれました。かつては女人禁制の時期もあったと 言います。明治17年の加波山事件は、自由民権運動のひとつとして日本の歴史に残る舞台となった所でもあります。山頂付近には、このときの「旗立石」の碑 があるそうです。

加波山神社本宮(別称:加波山三枝祇神社)
 御祭神 伊弉冉(イザナミ)大神 速玉男(ハヤタマオ)大神 事解男(コトサカオ)大神
【相殿】天神七代・地神五代の大神 天津彦根神 建許呂(タケコロ)神 八雷神(大雷神 火雷神 土雷神    雅雷神 黒雷神 山雷神 野雷神 裂雷神) 日本武尊 猿田彦神 稲荷大神 荒沢神 岩切神      を始め七百三十七の神様
鎮座地 茨城県桜川市真壁町長岡809
ご由緒 社伝によれば、第12代景行天皇の御代、日本武尊東夷御征伐のみぎり、当山に登り御神託に依り祭祀せられたる社なりと伝わる。第23代顕宗天皇の 御代に、常陸国造筑紫刀禰額田部湯座連の裔、当社の崇敬篤く、国造の祖神なる天津彦根神、建許呂神を配祀し神祇官となり奉仕せられたるという。古代は加波 山大権現と称し藩士武将は祈願社と定め尊崇されたる社なり。

奈良時代より江戸時代末期に至るまで、両部神道による教しが普及したが明治初年神社に復元する。加波山親宮は本宮より分祀せられたる社にして社務、祭事、その他一切の事務は本宮において管理をして居ります。   

−神社辞典より−
第一・第二鳥居

加波山本宮は、加波山の麓桜川市真壁町に鎮座します。小山の駅で「JR水戸線」に乗り換えて「岩瀬駅」で降り、その後バスで「かばほ小学校前」で降りて 10分位です。境内はお掃除が行き届いていて、本殿裏まで塵一つ落ちてなくて、とても気持ちが良かったです。そのせいどうかは解かりませんが、7月の暑い 時期に参拝したにも拘らず、お参り中、蚊に刺されなかったことを今でも不思議に思っています(*^^*)v。
「加波山五社稲荷社」本殿左奥にあります。京都の伏見稲荷より来られたお稲荷様のようでした。とても明るいお稲荷様でした。
「天狗社」加波山が元は天狗信仰の霊山であった遍歴をここに見ることが出来ます。この他にも、境内には「山の神」の石碑や、 「八大龍神」の碑や、登山道に繋がる参道には、修験者たちの石碑が立ち並んでいました。今でも、8月に行われる「夏山禅定祭」には、日本全国から修験者が 集まり、荒行に臨んでいるそうです。
境内です。
12月の冬至の日に行われる星祭並びに鎮火祭「火渡り神事」は、燃え盛る薪の上を素足で踏み渉り無病息災を祈るお祭りです。この時の燃えさしを持ち帰り軒先に吊るして置くと病気にならないと言われ、氏子は競って燃えさしを拾うそうです。
「慎岳不動尊」です。境内にある川の傍の目立たない場所にいらっしゃいました。実は、ここへ来る途中の電車の中で、どんな所だ ろうと想いながら眼を閉じたら、燃え盛る真っ赤な炎の中にお不動様が浮かんできたので、?と、不思議に思っていました。なので、このお不動様を拝した時に は大変驚きました(^^;が、宮司様ご夫妻とお話しをして納得しました。この神社を一心に守っておられる・・・そう思いました。
?参拝を終えて?
 いちごルームを見て下さった方から(小生です。)のご紹介で加波山神社本宮(加波山三枝祗神社)を訪ねました。東京より北に ある神社参拝はこれが初めてでしたので、幾分緊張感を持っての参拝でしたが、訪ねてみると境内の隅々まで綺麗に掃き清められた本当にすばらしい斎の庭、聖 地でした。宮本宮司様ご夫妻とも親しくお話しをさせて頂きました。その時奥様の仰った一言を今も忘れることが出来ません。「参拝に来られた方に気持ち良く 参拝してもらいたい」その言葉をお聞きして、なるほどこの言葉の中に全てが集約されているな〜と納得しました。初めて訪れた北の聖地で、心優しい素晴らし い方に巡り会えて、とても心和む嬉しい神社参拝でした。夏の禅定祭へのお誘いを頂いたのですが、都合により参加できなかったので、いつか必ず実現したいと 思っています。

 この場を借りて御礼申し上げます。きれいな写真と詳細な見聞記を書いていただいて、まことにありがとうございました。(368カラス一家一同)。
http://image02.wiki.livedoor.jp/n/8/niwaka368/e2ae26d00322c6f7.jpghttp://image01.wiki.livedoor.jp/n/8/niwaka368/a46206061f3b850b.jpg


五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第三帖(62) 昭和三十六年八月三日、旧六月二十二日(1961年)(ひふみ神示 第三十四巻)(911)
 世界中が霊かかりとなると申してあるのは今のことであるぞ、かかりてゐる世界自身わからなくなっているぞ、サニワせねばならん、サニワの方法書き知らす ぞ。世界を、日本を、自分をサニワせねばならん。目に見へぬ所からの通信は高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、暗示的となるものであるぞ、ドタンバ タン、大声でどなり散らすのは下の下。神もフトマニに従わねばならん。順を乱すわけには参らん、高度の霊が直ちに肉体人に感応することはなく、それぞれの 段階を経て感応するのであることを忘れてはならんぞ、下級霊は現実界と紙一重の所に住んでゐるのであるから、その感応は極めて強く、如何にも尤(もっと) もらしく人民の目にうつるものであるぞ、高度のものは、その人民のミタマの如何(いかん)によって、それと同一波調の神霊に伝達され、その神霊の感応に よって表現されるのであるぞ。特別の使命をもつ天使は、最下級の霊界まで降って来て、人民に特別な通信をなし、指示することもあるぞ。また天使の霊が母体 に宿り人民として生れてくる事もあるぞ、末世にはこの種の降誕人が沢山あるぞ。

五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第四帖(63) 昭和三十六年八月三日、旧六月二十二日(1961年)(ひふみ神示 第三十四巻)(912)
 ?(霊)界と申しても神界と幽界に大別され、又神界は天国と霊国に分けられ、天国には天人、霊国には天使が住み、幽界は陽界と陰界に分れ、陽霊人、陰霊 人とが居る、陽霊人とは人民の中の悪人の如く、陰霊人とは善人の如き性をもってゐるぞ。高い段階から申せば善も悪も、神界も幽界もないのであるが、人民の 頭で判るように申してゐるのであるぞ。幽界は本来は無いものであるが、人民の地獄的想念が生み出したものであるぞ。
 
五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第五帖(64) 昭和三十六年八月三日、旧六月二十二日(1961年)(ひふみ神示 第三十四巻)(913)
 幽界は人間界と最も深い関係にあり、初期の霊かかりの殆どは この幽界からの感応によることを忘れるでないぞ。霊かかりの動作をよく見極めればすぐ判る。高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名 を名乗ったりするものは必ず下級霊であるぞ、インチキ霊であるぞ、インチキ霊にかかるなよ、たとへ神の言葉でも尚サニワせよと申してあろう。迷信であって もそれを信ずる人が多くなれば、信ずる想念によって実体化し、有力な幽界の一部をつくり出すことがあるから気付けておくぞ。無き筈(はず)のものを生み出 し それが又地上界に反影してくるのであるから心して下されよ。今の人民 九分九厘は幽界とのつながりをもつ、胸に手をあててよくよく自分をサニワせよ。

五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第六帖(65) 昭和三十六年八月三日、旧六月二十二日(1961年)(ひふみ神示 第三十四巻)(914)
 霊的良識は、神示や神典類によって、又体験によって養はれ、又高度な科学書も参考となるものぞ、科学を馬鹿にしてはならん。幽界の霊であっても高度のも のともなれば、神界の高級神霊と区別することが六ヶ敷いぞ。初歩のサニワの誤り易いところであり、又霊眼するものの誤り易いところ、注意しなければなら ん、例へば霊光の如きものも強く大きくて中々にサニワ出来ないぞ。

五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第七帖(66) 昭和三十六年八月三日、旧六月二十二日(1961年)(ひふみ神示 第三十四巻)(915)
 仙人と申すものは如何に高度なものであっても、それは幽界に属す、仙人界には戒律があるからぞ、神界には戒律なし、戒律ある宗教は亡びる、マコトの宗教には戒律はないぞ。しかし神界にも仙人的存在はあるぞ。

五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第八帖(67) 昭和三十六年八月三日、旧六月二十二日(1961年)(ひふみ神示 第三十四巻)(916)
 竜体をもつ霊は神界にも幽界にもあるぞ、竜体であるからと申して神界に属すると早がってんならん。

五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第九帖(68) 昭和三十六年八月三日、旧六月二十二日(1961年)(ひふみ神示 第三十四巻)(917)
 霊界にすむものは多くの場合、自分の住む霊界以外のことは知らない。その霊界が総ての霊界であるかの如く思ふものであるぞ。同じ平面上につながる霊界の ことは大体見当つくのであるなれど、段階が異なってくると判らなくなるのであるぞ。他の霊界は霊自身のもつ感覚の対象とならないからである。人民界のこと をよく知ってゐる霊は、人民界を去って間もない霊か、地上世界に長く住んでゐた動物霊か、人民に憑依してゐた霊であるぞ。特別な使命をもつ天使は別とし て、人霊以外の霊で人民に憑依するのは、日本では天狗風(てき)、神風(てき)、仙人風(てき)、狐風(てき)、狸風(てき)、猫風(てき)などが大部分 であるから気つけおくぞ。

五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第十帖(69) 昭和三十六年八月三日、旧六月二十二日(1961年)(ひふみ神示 第三十四巻)(918)
 人間の肉体に他の霊が入って自由にしてゐるのだと、多くの霊覚者やサニワが信じてゐるなれど、事実そう見へるなれど、それは誤りであるぞ。人間の肉体は 原則として真理の宿り給ふ神の生宮であるから、下級霊は中々に入ることは出来ん。例外はあるなれど、肉体霊、外部霊、副守護霊等の想念は、時によって動物 的、幽界的となるものであるから、それと同一波調の動物的霊が感応する、感応はするが肉体の内部迄は入り込めない、しかし感応の度が強ければ入ったと同様 に見へる状態となるのである。先祖霊も大体同様であるぞ

五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第十一帖(70) 昭和三十六年八月三日、旧六月二十二日(1961年)(ひふみ神示 第三十四巻)(919)
 霊には物質は感覚の対象とはならない、霊には、人間の肉体は無いのと同じである。祖先霊に化けて何かを企てる動物霊が多いから注意せよ。動物霊が何故祖先のことを知るかと申せば、その憑依の対象となる人間の肉体霊の知ってゐることを、直ちに知り得るからである。

五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第十二帖(71) 昭和三十六年八月三日、旧六月二十二日(1961年)(ひふみ神示 第三十四巻)(920)
 動物霊が人間の言葉を使ふことは、フに落ちないと申すものが沢山あるなれど、よく考へて見よ、例へば他人の家に入って、其処にある道具類をそのまま使用 するのと同じ道理ぢゃ、判りたか、動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば、その人間のもつ言葉を或る程度使いこなせるのであるぞ、故に日本人に感応す れば日本語、米人なれば英語を語るのであるぞ。今の偉い人民がこの神示をよむと、理屈に合わん無茶苦茶な文章であるから、下級霊の所産だと断ずるなれど、 それは余りにも霊界の事を知らぬ霊的白痴であることを、自分で白状してゐるのぞ、気の毒ぢゃなあ、ましてこの神示は八通りに読めるのであるから、いよいよ 判らん事になるぞ。

五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第十三帖(72) 昭和三十六年八月三日、旧六月二十二日(1961年)(ひふみ神示 第三十四巻)(921)
 時に、例外として人間の魂と動物の魂と入れ替ってゐることもあるぞ、この場合は肉体に入り込んだと考へてよいぞ。こう言ふ場合、例へばそれが狐ならば狐 の様相を露呈するから、誰にでもすぐ判るなれど、悪行を積んだ霊ともなれば巧みに、その時代々々の流れに合せて化けているから、中々見破ること六ヶ敷い ぞ、心得なされよ。或る種の霊は、自分自身は高度な神界に住んでゐると誤信してゐるものもあるが、こうした霊が感応した場合は自信を以って断言する場合が 多い、人間が知らぬ世界のことを、自信を以って強く告げられると、多くのサニワは参って了ふぞ。

五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第十四帖(73) 昭和三十六年八月三日、旧六月二十二日(1961年)(ひふみ神示 第三十四巻)(922)
 幽界霊も時により正しく善なることを申すなれど、それは只申すだけであるぞ。悪人が口先だけで善を語るようなものであるぞ、よいことを語ったとて直ちに 善神と思ってはならん。よい言葉ならば、たとへ悪神が語ってもよいではないかと申すものもあるなれど、それは理屈ぢゃ、甘ければ砂糖でなくサッカリンでも よいではないかと申すことぞ。真の善言真語は、心、言、行、一致であるから直ちに力する、言葉の上のみ同一であっても、心、言、行、が一致しておらぬと力 せぬ。偽りの言葉は、落ちついてきけばすぐ判るぞ、同じ「ハイ」と言ふ返事でも、不満をもつ時と喜びの時では違ふであろうがな。われは天照太神なり、など と名乗る霊にロクなものないぞ、大言壮語する人民はマユツバもの。

五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第十五帖(74) 昭和三十六年八月三日、旧六月二十二日(1961年)(ひふみ神示 第三十四巻)(923)
 サニワは、場合によって霊媒を誘導してもよいぞ、又霊に向って常に愛を持って接しなければならんぞ。誰でも絶へず霊界とのつながりがあり、霊界からの呼びかけがあるから、サニワはそれを助け、導くように努力しなければならんぞ。

五十黙示録 第四巻 竜音の巻 第十六帖(75) 昭和三十六年八月三日、旧六月二十二日(1961年)(ひふみ神示 第三十四巻)(924)
 はじめに出て来る霊は殆ど下級霊であるぞ、玄関に先づ出て来るのは玄関番であるぞ。祖霊の出る場合は、何か頼みたい場合が多いぞ、浄化した高級霊ともなれば、人民に判るような感応は殆どないぞ。http://image02.wiki.livedoor.jp/n/8/niwaka368/e345b33d9452b104.jpghttp://image02.wiki.livedoor.jp/n/8/niwaka368/859d442a11bd7589.jpg
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