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六本木ラッキーセブン天祖神社(龍土神明宮)

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六本木ラッキーセブン天祖神社(龍土神明宮)

六本木ラッキーセブン天祖神社(龍土神明宮)
天祖神社(龍土神明宮)東京都港区六本木7-7-7
 天祖神社(龍土神明宮)の御由緒
 この天祖神社(龍土神明宮)の御祭神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)で、今か ら約六百年前、南北朝の後小松院の御代、至徳元年八月十六日に、芝西久保、飯倉城山(ホテル・オークラの南側付近)に、はじめて祀られたものと伝えられて います。
 このお宮に、品川沖から毎夜龍が御灯明を献じたということで、この地を「龍灯山(りゅうどうやま)」といったといわれています。有名な太田道灌が、方五丁の祭田を寄進し、神社の社殿を再建し信仰したことも伝えられています。
元和の時代、徳川二代将軍秀忠の時に江戸城郭改築の際に社寺の移転があって現在の地に移り、この地一帯を龍灯(りゅうどう)からとって、龍土村と唱えるよ うになり神社の名前も「龍土神明宮」と称えられ、氏子の町々も龍土六本木、龍土材木町と呼ばれ開けてきました。以来代々の将軍家より尊崇篤く、この近くの 諸大名わけては肥前蓮池の鍋島藩(旧三連隊、現東大生産技術研究所)、毛利大膳太夫の長州藩(旧一連隊、現防衛庁跡)、幕府の諸役人などの信仰篤く「東都 歳時記」の九月二十一日の条には「龍土神明宮祭」と記されているほどです。江戸三ヶ所の神明又は東都大神宮十八社の一つに数えられており、文・武・官の神 様として広く信仰を集めております。不幸にして、明暦三年の振袖火事や延享二年の青山火事などで社殿は類焼しました。その後瓦葺き権現造(ごんげんづく り)の社殿、神楽殿などが再興され、明治四十二年の大修理を経て、威容を誇りましたが、昭和二十年戦災にて、手水舎のみを残して、烏有に帰しました。しか しながら、境内の石造りのものに江戸をしのぶよすがの記録が残り、往時の歴史を物語っております。
 現在の御社殿は、戦後昭和三十二年に神明造(しんめいづくり)として再建されたもので、その木肌の美しさ、簡素にして厳(いが)しい姿は、日本の伝統の象徴ともいえましょう。
御祭日・御縁日
1月1日元朝詣元旦祭
1月2日新年祭
2月節分節分祭
4月15日満福稲荷祭
6月30日大祓式
9月第3日曜日例大祭
11月15日七五三詣
12月31日大祓式
ラッキー7の神社。
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