368karasu @Wiki 八咫烏


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やたがらすの名前

太田さんは368のやたがらすの名前で爆笑問題の太田、田中が面白いのですが、田○○の名前もやたがらすの名前ですが、季節をすぎていて、田中真紀子、田中康夫も一定の力のみです。小和田(おわだ)さん(小和田雅子様の)より始まり、2005年より10年間は、太田(おおた)さん、岡田(おかだ)さん、沖田(おきた)さん、奥田(おくだ)さんに注目しています。とりわけ、ア行の重ねの、おおたさんは時代の先駆者です。有職故実は平安ですので、現代の神道を復活し、将来に民が蘇るようにしてください。

八咫烏

八咫烏(やたがらす、やたのからす)は日本神話で、神武東征の際、タカミムスビによって神武天皇の元に遣わされ、熊野から大和への道案内をしたとされる三本足の鴉。

熊野三山において烏はミサキ神(死霊が鎮められたもの。神の使い)として信仰されており、日本神話に登場する八咫烏はこの信仰に関連するものと考えられている。明治時代になる前に起請文として使われた熊野の牛玉宝印には烏が描かれている。
『新撰姓氏録』では、八咫烏はカミムスビの孫である鴨建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身であり、その後鴨県主(かものあがたぬし)の祖となったとする。奈良県宇陀郡榛原町の八咫烏神社は鴨建角身命を祭神としている。
咫(あた)は長さの単位で、親指と人差指を広げた長さのことであるが、ここでいう八咫は単に「大きい」という意味である。
熊野本宮大社では白、志摩市にある九鬼氏の宝物などでは金色、その他では黒で描かれていることが多い。
戦国時代には、紀伊国の雑賀を治めた鈴木家の旗ともなっている
現代では、日本サッカー協会のシンボルマークにも用いられている。これは、日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助に敬意を表し、その出身地である和歌山県那智勝浦町にある熊野大社の八咫烏をデザインした物である。
小惑星について
群馬県大泉町の天文家・小林隆男は、1997年に発見した小惑星(仮符号1997AY1)に「八咫烏」と命名、2004年8月9日に(9106)八咫烏として登録された。
世界の三本足の烏
三本足の鳥の神話は、世界に広がっており、太陽と関連付けられている場合が多い。三本目の足は太陽の黒点という説もある。
東夷民族
『淮南子』に昔、広々とした東海のほとりに扶桑の神樹があり、十匹の三足烏が住んでいた……。と見える。この10匹の三本足の烏が順番に空に上がり、口から火を吐き出すと太陽になるという。中国の三本足烏は太陽そのものの象徴であった。高句麗の壁画古墳にも三本足の烏が描かれている。高句麗では天孫の象徴であるとされる。
ギリシャ神話
太陽神アポロンの烏。本来白かったが、後にアポロンの怒りを買い黒くなった。古い星座絵図の中には3本足で描かれている物もある。また、熊野本宮大社の八咫烏も色は白である。何れも太陽神の使い。オルフェウスの黄泉の国行き同様、ギリシャ神話と日本の神話が似ているという共通項として取り上げられることもある事象。

やたがらす
<やたがらすの由来>
 「記紀」によれば、神武天皇が熊野山中において道に迷われた時、熊野権現のお使いとして「やたがらす」が現れ道先案内を務め、そのおかげで天皇は大和の国に入ることが出来、日本初代の天皇として即位されたと伝わります。
 この故事のように「やたがらす」は熊野速玉大社をはじめとする熊野三山、また三山の元宮とされる神倉神社にとって最も縁の深い「瑞鳥」としてよく知られています。
その出典は日本書紀にみえるように「頭八咫烏族」と呼ばれる豪族であるらしく、神武天皇は即位のあと、いわゆる論功行賞を行い、この中で頭八咫烏を賞しており、その名称から「鳥」の烏に展開していったのではと考えられます。
<やたがらすは三本足>
 春日神社の「鹿」と同じように、熊野においては「烏」は熊野権現の使者とされていますが、その中で最も尊崇されているのが三本足を持つといわれている「八咫烏」です。
三本足は「天・地・人」を象徴するとも、神倉神社の御祭神である高倉下命(たかくらじのみこと)を始祖とする熊野三党(宇井、鈴木、榎本)の威を表しているとも言われています。
 この三家は熊野速玉大社を中心として、代々熊野神にお仕えしてきたと伝えられ、今でもその名残を留めています。広く一般には、三本足の一本は神様が支えておられ、普通のからすではないなにか特別の霊能を授かった烏と理解されています。したがって神殿の装飾や授与品に昔からよく使われていて、なかでも特に有名なのが「熊野牛王」(くまのごおう)です

多鳩神社と八咫烏(やたがらす)伝承
多鳩神社由来
 神社は江津市二宮町神主イ107番地通称宮の谷の多鳩山にあり、祭神は積羽八重事代主命で、社歴千数百年に及び、石見の国の二宮として近郷の25社の末社と別当寺5坊をもつ、総社としてかっては権勢を誇った神社である。二宮村史によれば、神代のころ多鳩山の奥の天狗山古瀬谷にタマト神(海神)を祀るタマト社があり、ここに出雲の事代主命が石見治政のため来られ、この地で終焉されたとし、また天武朝(673〜686)の時、事代主命を祭神とする社が建立されこれがタマト社の始まりともいう。いつのころ多鳩となったか定かでない。或いは清和天皇貞観3年(861)田中臣嘉平が大和国高市郡高市社(祭神事代主命)の分幣を持ち帰り、祀ったのが始まりともいわれる。古来この神の神威は、航海中の船をしばしば停止させることがあったと伝えられている。寛平3年(891)正一位,醍醐天皇延喜の制(901)石見国筆頭式内社、高倉天皇承安2年(1172)石見国二宮明神号勅許。明治6年県社となる。石高60石2斗3升、神威3722?、市指定文化財:俳諧額、絵馬、ナギ他自然林がある。
多鳩神社と八咫烏
 多鳩神社の祭神(積羽八重事代主命)は出雲の美保神社の祭神事代主命とは別の神様とも言われ、賀茂建角身命(八咫烏)(カモタケツノノミノミコト)と仲間の神様とされる。多鳩神社の境内には、八咫烏と妻のイカコヤ姫を祭神とする高神神社が摂社として鎮座している。多鳩神社の本殿軒下には八咫烏を招くために神饌台(祭りのあと供物の一部をこの台に供える)が設置されている。
八咫烏(やたがらす)由来
 当神社に由来する烏で足が3本ある烏といわれている。神代のころ、賀茂建角身命(カモタケツノノミノミコト)という神が、妃を角の里(二宮町飯田)に住まいさせ、自らはあちこちと出歩き商売をなされていたと云う。神武天皇の東征のおり、合力を求める使いが来たので、夫婦して高角山から舞い立って行かれ、大和討ち入りに熊野路の峻険を案内されたと云われ、このとき、コガアして歩け、カアすぐそこだ、カア峠に上がるとカアみえる、などと石見弁丸出しだったので、疲れた兵士達も笑いこけてくたびれが直りカアカアいう命(ミコト)に八咫烏のあだを付けたと云われる。妃も兵士達の先に立って歩き、女が通れる道を男が通れぬことがあるか、イカコヤ、イカコヤといいながら案内した。イカコヤとは出雲地方の方言で行こうこいと言う意味であり、兵士たちは妃をイカコヤ姫と呼ぶようになった。夫婦は国造りの貢献大として京都の葵祭りで有名な下賀茂神社の祭神として祀られ、人々の崇敬を得ている。
葛城の賀茂神社は高鴨神社・中鴨神社・下鴨神社の3社からなりますが、実際にはこれに長柄神社を加えた4つの神社が平行四辺形状に並んでいます。

【下鴨神社】正式には、鴨都波神社といいます。御祭神は積羽八重事代主神と下照比売命。ここは事代主神の最初の誕生の地です。神社の由緒書きには下記のように書かれています。本神の御祭神は、古く鴨都波八重事代主神と申し奉り、それは鴨の水辺で折目ごとに祀られる田の神という御神名で、弥生時代の中期初頭、この葛城川の岸辺に鎮め祀ったのに始まる本社は高鴨社に対して下鴨社ともいい、鴨族の発祥地として、この地方を治め、全国に分布する鴨社(加茂)の源である。
 御祭神は宮中八神の一つとして尊宗され、神功皇后の朝鮮遠征や天武天皇の壬申の乱に御神託を授け給いし神徳高き神にて、延喜の制では名神大社に列した古社である。
 事代主神はここから出発して、木津川・淀川水系、出雲、三島へと展開していかれたのです。なお、ここの神社の御祭神について、事代主と一緒に下照姫が祀られているというのは不自然です。同母妹の高照姫なら分かるのですが。下照姫を高姫ともいうので、どこかで混乱が生じた可能性もあります。またこの神社の名前が鴨都波なのですが、これは元々は鴨弥都波だったのではないか、つまり最初は鴨の神(事代主神)と水の神(弥都波女神)がお祭りされていたのではないかとの説もありますが、事代主神と弥都波女神の関連は薄いのでやや根拠が弱いかも知れません。もしお祭りされたとしても後世併せられたものでしょう。

【中鴨神社】 正式には葛木坐御歳神社(かつらぎにましますみとせじんじゃ)といいます。御祭神は御歳神で、相殿に大年神・高照姫命が祀られています。あるいはここが高照姫の本拠地なのかも知れません。

【高鴨神社】 御祭神は味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)・下照姫命(したてるひめ)・天稚彦命(あめのわかひこのみこと)の三柱。味耜高彦根神の本拠地でしょう。下照姫はその妹。天稚彦はその夫。ということで一緒に祀られているものと思われます。
境内の摂社は下記の通り。
市杵島姫命神社 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと=弁天様)
東神社    天児屋根命(あめのこやねのみこと)・天照大御神(あまてらすおおみかみ)・住吉三柱大神
佐味護国神社
大山咋神社   大物主命(おおものぬしのみこと)
春日神社    建御雷命(たけみかずちのみこと)
雷神社     高?大神(たかおかみのおおかみ)
細井神社    水都波能売命(みずはのめのみこと)
西佐味神社   高御産巣日神(たかみむすびのかみ)・高天彦神(たかまごひこのかみ)・高?大神(たかおかみのおおかみ)・闇?大神(くらおかみのおおかみ)・十二将軍大神
境内はかなり広いです。境内の広さでは下鴨神社とこの高鴨神社が双璧になるかと思います。つまり下鴨神社に弟の事代主神がおられ、高鴨神社に兄の味鋤高彦根神がおられる。そしてこの両社が全国賀茂神社の原点なのだろうと思います。すると、事代主の妹の高照姫は中鴨神社、味鋤高彦根神の妹の下照姫は長柄神社ということで、きれいに平行四辺形が形成されています。みごとな配置です。この4つの神社は最初から計画してこの地に配置されたのであろうと想像されます。

【長柄神社】これは大きな神社です。近くの民家に「長柄神社掃除当番」という札がさがっていました。みんなで交替でお世話をしているのでしょう。境内もよく整備されている感じでした。
御祭神は下照姫命で、別名・姫の宮とのこと。長柄は長江(葛城山の尾根)から来たのではないか。ナガラは急斜面の扇状地をさした古語であろう、と書かれていました。

下鴨神社
下鴨神社(しもがもじんじゃ)は、京都市左京区下鴨泉川町にある神社。上賀茂神社の祭神の祖神を祀る。正式名称は賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)
祭神:玉依姫命、賀茂建角身命
創建:伝神代
社格:官幣大社、式内社、二十二社、勅祭社、一の宮
由緒
祭神:玉依姫命は上賀茂神社の祭神の賀茂別雷命の母。賀茂建角身命は玉依姫命の父で、いわゆる八咫烏である。
祭事
1月15日:御粥祭
5月3日:流鏑馬神事
5月12日:御蔭祭
5月15日:葵祭

からす

鴉(からす、烏とも表記する)は、カラス科・カラス属 Corvus の鳥類の総称。その多くは黒い羽色で知られる(羽色の白い部位もあるホシガラス等の例もあり、必ずしも黒いわけではない)。
分布
日本には、留鳥として、ハシブトガラスとハシボソガラスの2種が棲息している。渡り鳥(冬鳥)と迷鳥を含めると、7種が記録されている。
この内、ハシブトガラスの分布は、東アジアと南アジアに限られる。 ヨーロッパでは、ハシボソガラス、ワタリガラス (raven) 、ミヤマガラス (rook) が一般的である。
尚、ハシボソガラス等を指す crow と区別して、raven は普通、「大ガラス」と訳される。エドガー・アラン・ポーの詩「大鴉」はその一例である。
生態
翼長は50?60センチ。雑食性でゴミや動物の死体をついばんでいるところがよく目撃される(都市部では、エサを得る為にごみ集積所を荒らすという行動が 問題となっている)。繁殖期は春?夏で、一夫一妻制で協力して子育てを行う。巣は樹上に小枝を組んで作るが、最近では電信柱や看板などに営巣することもあ り、また巣の材料も針金・プラスチックなどさまざまなものを新規採用するようになっている(電線に針金類で営巣した場合、しばしばショートの原因となり、 問題となっている)。営巣期間中は縄張り意識が強く、不用意に巣に近づいた人間や動物を攻撃するといった行動が見られる。抱卵期間は20日前後、巣立ちま での期間は30?40日程度。産卵数は2?5(ハシブト)ないし3?5(ハシボソ)程度。巣立ち後も2?3ヶ月程度は家族でグループを組んで生活し、その 後ひとり立ちをする。繁殖期以外は大規模な群れを作る。
鳥類では最も知能が発達しているとされる。協力したり、鳴き声による意思の疎通を行っている事が知られ、遊戯行動をとる事も観察されている。
仙台市の青葉山では、ハシボソガラスが道路にクルミを置き、自動車に轢かせて殻を割るという行動が報告されている。これはカラスの知能が非常に高い事の証左である。
1996年、神奈川県で鉄道のレールの上にカラスが石を置くという事件が頻発した。その後も同様の事件が全国各地で散発している為、鉄道各社は対策に苦慮している。
電線にぶら下がって「ブランコ」のような遊びをしていたという報道がされた。
イメージ
黒い姿から、『カラスが鳴くと人が死ぬ』、『カラスが集まる場所では死人が出る』等と言われ、不吉であると信じる人もあるが、カラスの実際の羽色は、「烏 の濡羽色(からすのぬればいろ)」という表現もある通り、深みのあるつややかな濃紫色である。(「烏の濡羽色」は、黒く青みのあるつややかな色の名前で、 特に女性の美しい黒髪の形容に使われる事が多い。烏羽(からすば)色、烏羽とも。)
神話・伝説
日本
日本において、カラスは古来、吉兆を示す鳥であった。神武天皇の東征の際には、3本足のカラス「八咫烏(やたがらす)」が松明を掲げ導いたという神話がある。日本サッカー協会のシンボルマークはこの八咫烏である。
但し、3本足のカラスという外形そのものは、中国起源の「日烏」である。中国では古来、太陽にはカラス、月にはウサギまたはヒキガエルが棲むとされてそれ ぞれの象徴となった。月日の事を「烏兎(うと)」と呼ぶ用例等にこれが現れている。足が3本あるのは、中国では奇数は陽・偶数は陰とされるので、太陽の象 徴であるカラスが2本足では表象にずれが生じるである。このカラスの外形の起源に付いては、黄土の土煙を通して観察された太陽黒点から来ているのではない かとする説がある。
カラスは熊野三山の御使いでもある。熊野神社等から出す牛王宝印(ごおうほういん)は、本来は護符であり、近世には起請文を起こす用紙ともされたが、その 紙面では、カラスの群れが奇妙な文字を形作っている。これを使った起請を破ると、熊野でカラスが3羽死に、その人には天罰が下るという。尚、熊野は、神武 天皇が東征の際に八咫烏と会った地である。
イギリス
イギリスに於いては、アーサー王が魔法をかけられてワタリガラス(大ガラス)に姿を変えられたと伝えられる。この事から、ワタリガラスを傷付ける事は、 アーサー王(さらには英国王室)に対する反逆とも言われ、不吉な事を招くとされている。また、ロンドン塔に於いては、ロンドンの大火の際に大量に繁殖した ワタリガラスが時の権力者に保護され、ワタリガラスとロンドン塔は現在に至るまで親密な関係にある。尚、J.R.R.トルーキンのホビットの冒険作中に、 ワタリガラス(訳書によってはオオガラスと訳されている物もあるが、どちらも英語では Raven である)の一族が登場するが、これも英国王室に少なからぬ関係を持つワタリガラスを尊重しての登場だと言われている。
北欧神話
北欧神話では、主神であり、戦争と死を司る神、オーディンの斥候として、2羽のワタリガラス「フギン(=思考)とムニン(=記憶)」が登場する。このワタリガラスは世界中を飛び回り、オーディンに様々な情報を伝えているとされる。
ギリシア神話
ギリシア神話では、賢い白ガラスが太陽神アポロンに使者として仕えていたとされている。そしてある日、その白ガラスが誇張し過ぎた報告を行ったため、(一説では全身を焼かれ)現在の黒色に変ったといわれている。
旧約聖書
大洪水の間、カラスは禁を破って箱舟の中で交尾を行った為、全身を黒色にされてしまったとされている。 また、洪水の後初めて外に放たれた動物でもある。
飛行機
二宮忠八は、カラスが翼を広げて滑空する姿から、この翼の原理を応用すれば空を飛ぶ機械が作れると発想。1891年(明治24年)にゴム動力模型飛行機(カラス号)の初飛行を成功させた。
また、ナチス・ドイツの戦闘機は全体的に黒色だったためカラスに例えられた。
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