「のり」(2006/01/30 (月) 19:48:27) の最新版変更点
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<p>「その……ごめんなさい」<br>
「え、どうして」<br>
断って、追い縋ろうとする相手の言葉を聞かずに走り去る。<br>
何度目だろうか、こんな風に告白されたのは。<br>
何度目だろうか、相手を待たせて、期待させてから切り捨てるのは。<br>
申し訳なくて振り返ることなんてできやしない。<br>
ああ、なんて私は嫌な女なんだろう。<br>
こんな酷い性格だから、きっと誰にも愛してもらえない。<br>
そう、本当に好きな人にもきっと……</p>
<p>J「あーもう離れろよ暑苦しい」<br>
銀「いいじゃなぁい。誰も見てないわぁ」<br>
翠「ここで見てるです!!とっとと離れやがれですぅ!!」<br>
蒼「少し落ち着きなよ……とか言いつつ手を握ってみるテスト」<br>
紅「貴方も落ち着きなさい蒼星石……私の下僕に手を出さないで頂戴」</p>
<p>遠くに見えるのは、桜田ジュンとその取り巻きたち。<br>
何れ劣らぬ美少女たちに囲まれ、やぶさかではなさそうに見える。<br>
――心が痛む。もう見慣れているというのに、やはり辛い。<br>
駆け足で、見つからないように家へ帰る。普段通りの笑顔を作らなければならない。<br>
私は、笑わなければいけない。</p>
<p>の「ねぇジュン君。ジュン君は誰が好きなの?」<br>
J「なんだよ急に……どういう風の吹き回しだ」<br>
食後の軽い会話。にこにこしながらのりが話しかけてくる。<br>
の「あれだけ可愛い女の子たちに囲まれてるんだもの。誰?」<br>
J「誰って……そんなこと考えたことないよ。皆大事な友達だ」<br>
の「えー?皆はそうは思ってないのに?」<br>
J「あーもう鬱陶しい!!関係ないだろ!!もう部屋帰る」<br>
の「あーん、ごめんなさいジュン君~。お姉ちゃんが悪かったわ~」<br>
半泣きで謝ってくるのりを無視して部屋へと帰り、鍵をかける。<br>
扉を叩きながら謝る姿は、本当に昔から変わらない子どものままだ。<br>
の「……本当に。どうするかは早く決めないとね」<br>
J「え?」<br>
急に、のりの口調が変わった。<br>
J「姉ちゃん?」<br>
鍵を開けて外を確認する。もうそこにのりの姿はなかった。</p>
<p>パリン。<br>
「あ……またやっちゃった」<br>
これで3枚目。こんなに皿を割ることなんて普段はまずない。<br>
「何やってるんだろう、私」<br>
本当に何をやっているのだろうか。ロクな考えが浮かばない。<br>
無駄で思考が埋め尽くされる。否、単なる無駄じゃあない。<br>
これ以上ないほどに大切で、ありえない、無意味な無駄だ。<br>
「なんであんなこと言っちゃったかな……」<br>
何を言ったのだろうか。何を言おうとしていたのだろうか。<br>
やめよう。意味がない。実を結ぶことなど許されないのだから。<br>
「あー、痛いなあ」<br>
笑おう。もう笑うしかない。笑って笑って笑って、心を消そう。<br>
駄目な自分。醜い自分。こんな自分が嫌いで仕方ない。<br>
それでも、彼の前でだけは優しい自分でいたい。<br>
「あはは……もう、ヤダよ」</p>
<p>
少女たちに囲まれて帰る中、少しだけ昨日のことを考える。<br>
あんな姉の姿を見るのは覚えている限りでははじめてだった。<br>
桜田のりは、いつも笑っていて、たまに泣いて、謝って。<br>
僕が馬鹿をやったら怒ってくれて、また泣いて。<br>
思えばあれだけ助けられてきた。ずっとずっと。<br>
今こんなふうにいられるのは誰のおかげだろう。<br>
考えるまでもない。<br>
J「なあ、真紅」<br>
紅「何かしら、ジュン」<br>
J「昔の僕って、のりに対してどうだったかな」<br>
紅「酷かったわ。人として終わってたわね」<br>
J「そうですか……聞いた僕が馬鹿でした」<br>
紅「ええ、そうね。しっかりと彼女に感謝するべきだわ」<br>
ああ、それはきっと恥ずかしいけれど。喜んでくれるだろう。<br>
家に帰って、ご飯を一緒に食べて、「ありがとう」と言おう。</p>
<p>
相変わらずの喧騒の中、今日の彼は少し元気がなさそうに見えた。<br>
自分のせいでもないだろうに、そんな姿を見ていると哀しくなる。<br>
支えて、助けてあげたいと思うのに、私はそこにはいられない。<br>
遠くからひっそりと、こんな風に見ているだけ。<br>
こんな風に、嫉妬に満ちた醜い感情を抑え付けているだけ。<br>
自己嫌悪に吐き気がする。こんな姿で近くにいけない。<br>
日を追うごとに痛みが増していく。想いが増していく。<br>
笑え、笑え、笑え。穢い自分に蓋をしろ。<br>
辛いだなんて思ってはいけない。当然を当然として受け止めろ。<br>
迷惑だけはかけたくないから、自分自身なんて押しつぶしてしまえばいい。<br>
そうだ――潰れて、消えてしまえばいい。</p>
<p>の「どう~美味しい?」<br>
心底嬉しそうに、僕が食べるのを見ているのり。<br>
少々気恥ずかしい。適当に返事をしながら食べる。<br>
たぶん美味しいとは思うが、味なんてロクにわかりやしない。<br>
さっさと食べ終わる。ほとんど食べた気はしない。<br>
の「ひょっとして、美味しくなかった?」<br>
J「い、いやそうじゃない……」<br>
不安そうな表情で無邪気に覗き込んでくるのも、昔から変わらない。<br>
何度この笑顔に救われて来たのだろう。何度この笑顔を哀しみに染めてしまったのだろう。<br>
J「ね、姉ちゃん」<br>
の「どうしたの、急に改まって」<br>
J「そ、その……今まで本当にありがとう。こ、これからもよろしく」<br>
これは予想以上に恥ずかしい。というか、急にこんなこと言うか普通。<br>
リアクションが気になって、のりの表情をちらりと見る……<br>
J「ね、姉ちゃん?」<br>
そこにあったのは、酷く、辛そうな、泣き顔に見えた。<br>
の「あ、ごめ、ごめんね。急だったからちょっと驚いて」<br>
J「あ、そ、そうだよな。変な事言ってごめん」<br>
の「い、いいのよ~。じゃあ、お、お風呂さっさと入ってきてね」<br>
いつもと変わらない笑顔を見せながら、部屋へと走っていくのり。<br>
変わらないのに、変わらないはずなのに、ぎこちない笑顔だった。</p>
<p>
熱いシャワーを頭から被っていても、その言葉が消えない。<br>
際限なく押し寄せてくる、本音と建前、自分を責め立てる自分。<br>
わけがわからない。どうにかしてしまったのかもしれない。<br>
……違う。最初から、気持ちに気付いてしまったときからどうにかしていた。<br>
どうにかしている壊れた自分はもう直らない。誤魔化しながら生きるだけ。<br>
「あは、あはははははは」<br>
泣きそうなのに笑っている。<br>
「あはは、あはははははは」<br>
まだ、笑えている。まだ、きっと大丈夫。<br>
シャワーを止めて、体を拭いて、鏡を見てしまった。<br>
「あ、はは……は……」<br>
どんな顔をしているのか、見えてしまった。<br>
もう、笑えない。</p>
<p>なんだったのだろうか、あの表情は。<br>
電気を消して、布団に入っていても眠気が訪れない。<br>
頭から辛そうなのりの表情が離れない。<br>
J「なんだよ……僕なんかに感謝されても嬉しくなかったのか」<br>
わからない。わからないから、もう寝てしまおう。<br>
布団を頭から被って、もう何も考えないようにしようとしたとき。<br>
扉の軋んで開く音。<br>
の「ジュン君……起きてる?」<br>
のりの声。咄嗟に寝た振りをする。<br>
近づいてくるのが気配でわかった。何故、ここにのりが?<br>
の「ごめんね、ジュン君」<br>
何を謝るのだろう。何故謝られるのだろう。何故辛そうなのだろう。<br>
寝たフリをしたまま、必死に考える。<br>
考えていたのに――意識が散った。<br>
なに?<br>
僕の背中に、湿った温かい体が密着している。<br>
のりの腕が、僕の体を抱き締めている。</p>
<p>の「起きてるよね、ジュン君。ごめんね」<br>
J「ね、姉ちゃん?」<br>
の「ごめんね、こんなお姉ちゃんでごめんね」<br>
J「な、何言ってるんだよ。どうしたんだよ」</p>
<p>の「お姉ちゃんね、ジュン君のこと好きなの」</p>
<p>――今、何を言った?</p>
<p>
の「いつからかわからないけどね、ずっと好きだったの」<br>
語りだすのりに、僕が何を言えるだろうか。<br>
の「ジュン君が他の子と一緒にいると、辛かったの」<br>
こんなに、辛そうな声で。どうして言うのだろうか。<br>
の「嫉妬してたけど、何も言えなかったの、お姉ちゃんだから」<br>
……<br>
の「お姉ちゃんなのに、弟が好きなの。変だよね、気持ち悪いよね」<br>
J「そ、そんなこと……ない」<br>
の「ずっと我慢してたんだけど。本当に、言わないつもりだったんだけど」</p>
<p>の「もうね、無理だったの」</p>
<p>背中にのりの顔が押し付けられている。<br>
泣いている。彼女は泣いている。涙も流さずに。<br>
の「わかってるから。迷惑だってわかってるから」<br>
J「姉ちゃん、僕は……」<br>
の「お姉ちゃんって言わないで……今日だけだから」<br>
J「……のり」<br>
の「今日だけだから、これっきりだから……」<br>
何かが壊れていく。何かが終わってしまう。<br>
の「だから今日だけ……何もしないから、こうさせていて」<br>
桜田のりは、こんなにも何も望んでいない。<br>
この人の頭の中には、僕と一緒に並んでいる未来なんてないのだろう。<br>
だから今晩だけ、こうして僕のことを抱き締めて眠るだけ。<br>
僕が応えてあげられないのも理解して、こうするだけ。<br>
泣きそうになった。こんなにも愛されているなんて、気付かなかった。<br>
でも、気付かなければ、彼女だけ苦しめて僕は幸せに生きていけたんだ。<br>
――虫唾が走る。そんなことの、何が幸せか。<br>
J「のり。……おやすみ」<br>
他に言葉は思い浮かばなかった。ただ、それだけ。<br>
のりの体に包まれて、僕はひどく安心しながら眠った。</p>
<p>目覚める。隣にのりの姿は、もうない。<br>
夢なんかじゃあ絶対にない。あの暖かさは、嘘なんかじゃない。<br>
でも、何をするべきかはわかっている。制服に着替えて、下に降りる。<br>
食卓に並ぶトーストにサラダ、目玉焼き。<br>
いつもと変わらない、桜田家の朝食。<br>
の「おはよう、ジュン君」<br>
笑うのり。笑顔の素敵な、僕のお姉ちゃん。<br>
J「うん、おはよう。姉ちゃん」<br>
何かが変わってしまった。何かが終わってしまった。<br>
それでも僕の人生は終わらない。僕たちの生活は変えられない。<br>
自分を押し殺して彼女が選んだ、こんなにも大切な日常。<br>
僕の幸せだけを願って、僕の重荷にならないように独りで泣いた姉。<br>
引き篭もって一人で腐っていた自分を、必死で助けてくれた姉。<br>
もう、戻らない。幸せになろう。誰よりも幸せになろう。<br>
見ているだけで幸せになってくれるような、そんな人間になろう。<br>
それで、幸せになれたら――お姉ちゃんにもう一度、「ありがとう」を言おう。</p>
<p>「いってきます、姉ちゃん」<br>
「いってらっしゃい、ジュン君」</p>
<p>二人とも笑顔のままで、玄関先、別れた。</p>
<p>END</p>
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