パーディックの愚か者

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パーディックの愚か者」(2015/08/06 (木) 18:38:50) の最新版変更点

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パーディックの愚か者  ※ソードワールドをよく知りません。カマール他登場人物はMTGの人とはあんまり関係ないです。変な敵がでてきます。   超長いです。あとカマールの妹はジェシカじゃなくてジェスカですが、うちのカマールの妹はジェシカです。間違えてません。 〈一〉  一人の青年が薄闇の中を歩いている。 青年は何百年も彷徨ってきたアンデッドのように薄汚れ、汚らしい恰好をしていた。上着か何かであったであろうぼろぼろの何かの毛皮を腰に巻き付け、全身は傷に覆われ、目はほとんど開いていないほどだった。 しかしその青年が憔悴している、と思うものは誰もいないであろう。 両手を固く握りしめ、歩幅は大きく、背には巨大な諸刃の剣を負っている。 そして何より、その青年は前を見据え、視線を決してそらさず歩いているからだ。 青年の名はカマール。パーディック山の名もなき村の最後の生き残りであった。 〈二〉  パーディック山の場所を町の人に尋ねても、誰も答えられないであろう。パーディックというのはその山に住むものたちの言葉で〝山〟を指すだけのものであるからだ。深い山脈の中、その中心がパーディック。しかし、十歳のカマールにとって、パーディックは生活のすべてであった。 村人は山に成る木の実を蒐集したり、山で動物を狩ったりして生活をしていた。カマール少年もまた、イボイノシシを追ってパーディックを駆け巡って育った。 「ジェシカ! 見てくれ、大物だ! 乾し肉や木の実を食べるよりこいつを喰おう!」 「兄さん、大声を出さないで。それも乾し肉にします。毛皮をはいでバルソーの所へ持って行って。今夜は木の実のシチューよ」  一つ年下の妹、ジェシカはパーディックの人間にしてはとても白い肌をしている少女だった。幼い頃体が弱かった所為かあまり外に出たがらず、いつも両親が残した本を読んでばかりいて、たまに外に出ても冬越しの準備のために木の実を集めるだけだったため、肌が焼けていないのだ。 「ジェシカ、たまには本なんて読んでないで外に出ろよ。戦士になれなんて言わないけど、そう肌が白くちゃ嫁の貰い手がないぞ?」 「いいのよ、嫁になんていかないわ。兄さんとバルソーがいれば、私は他にいらないもの」  ジェシカはそういってそっぽを向くと、また本を読み始めた。カマールは溜息を吐くと、身の丈ほどもあるイボイノシシを背負って部屋を出ようとした。 「兄さん」 「ん?」  ジェシカの呼びかけに振り返る。ジェシカは相変わらず本に視線を落としたままだったが、少し顔を赤らめ、 「毛皮をはいで千貫が終わったら、前足だけ持ってきて。今日のシチューに入れてあげる」  といった。 カマールは口角を少し上げ、部屋を出た。  いそいそと毛皮を剥いでそれを樹液でなめした後、カマールはまだ血の滴るイボイノシシを担いで家にもどると、ジェシカがいた部屋の隣のドアを開けた。 「おいバルソー、起きて……」 「今日のは大物だな! よくやったカマール!」  部屋に入った途端、地響きのように低い声でがなり立てる男がカマールをがっと捕まえた。首元を捕まれたカマールは逃れようと暴れ、男はがっはっはと笑い、イボイノシシは床に落ちる。 「バルソー! 首をつかむのはやめろ! とれちまう!」 「男がこんなことぐれぇで泣きそうな声出してんじゃねえやい!」  無理やり男の手から逃れたカマールは、男に向き直る。  男はドワーフだった。背は低いながらもカマールよりも大きく、口元から髭を蓄え、突き出た腹をバンバンと叩いている。そして、頭は剃髪だ。  剃髪はパーディックの戦士の証だ。十歳を迎える冬至の日、戦士になる男は師となる男から剃髪され、それ以降髪を伸ばさない。髪は戦いのとき邪魔になるからだ。  しかし、この男が戦士として現役ではないことは、一目瞭然であった。  この男、バルソーには右足がなく、右手は杖を握っているのだ。 「バルソー、いい加減子供扱いするな! 俺は今年戦士になる男だぞ!」 「がっはっは! 人間の十歳なんてガキもガキじゃねぇか!」  バルソーはまたばんばんと腹を叩くと、左手で軽々イボイノシシを持ち上げた。 「あ! 千貫が終わったら前足だけはくれよ! 今日のシチューにいれてもらうんだからな!」 「あーわかったわかった! いいからお前は皮をなめしてこい! 戦士服を作るんだからいつもみたいにぱっぱと終わらすんじゃねぇぞ!」 「あっ…あー、わかったよ……」  カマールはバツが悪そうな顔をすると、適当に処理しただけの皮を取りに外に出た。 「ったく、誰に似たんだかおおざっぱでいけねえや……」  というバルソーの呟きが聞こえるが、自分の愛用の剣で千貫をしてしまうバルソーに言われる筋合いはない、とカマールは思う。  バルソーは、当たり前だがカマールとジェシカの本当の親ではない。二人の両親はとうの昔に他界し、友人であったバルソーがまだ物心もつかない二人を引き取ったのだ。二人の両親はいわゆる〝冒険者〟という奴で、この村にあるお宝をもとめて外からやってきたのだが、滞在する内にバルソーと意気投合し、バルソーは二人について一度村を出てしまったのだという。  そして数年たってバルソーは戻ってきたのだが、その時には幼い人間の子供二人を連れてきて、その上片足を失っていた。パーディック一の戦士をここまで傷つけたものの正体を村の戦士たちはは知りたがったが、バルソーは口を閉ざし決して語ろうとはしなかった。だから、カマールとジェシカも自分の本当の両親が死んだ原因は知らない。  しかし、それでもカマールもジェシカもバルソーを本当の父のように慕い、バルソーもまた、無き友人の代わりたろうと二人を厳しくも優しく導かんとしていた。 〈三〉  こんな山奥の村にあって戦士が名誉ある職業としてなりたっているのにはとても大きな訳がある。 それはカマールが戦士となった冬至の夜の事であった。  カマールはバルソーによって剃髪された頭を触りながら、夜中寝具を抜け出した。初めて風に曝されたイガグリ頭がむずがゆく、なかなか寝つけないからであった。 「ジェシカ、起きてる?」 「ん……なに、兄さん」  カマールは隣で寝ていたジェシカを揺り起こすと、ジェシカは面倒臭そうにしながらも半身をお越し、カマールに応えた。 「眠れないの、兄さん?」 「うん……」 「だから、戦士になんてならなければよかったのに……もう」  仕方ない、とばかりにジェシカはカマールの手を取り、 「少し夜風に当たれば眠くなるわ。行きましょう」  と言ってカマールを外に連れ出した。  カマールとジェシカは地響きのようないびきを上げるバルソーの寝所を横切り、沢までやってきた。二人はその水を少し口に含み、冬に向かっている冷たい水でのどを潤した。 「これじゃあ目が覚めちゃうわね」 「そうだな」  二人は少し笑いあうと、ジェシカが急に黙り込んだ。 「ジェシカ?」 「ねぇ、カマール」  カマールは少し肩を震わせる。ジェシカが名前を呼ぶときは、真面目なお説教の時だからだ。 「そんな顔しないでよ。少し聞きたいことがあるだけだから」 「……脅かすなよ。それで?」 「勝手に驚いたんじゃない。……カマールは、さ」  ジェシカはしばらく考えこみながら、沢に月明かりで反射する顔を覗き込んだ。 「カマールは、将来何になりたい?」 「え?」  カマールはジェシカの言葉を聞き返す。真意を測りかねた、というより、自明のことを聞かれたような気がしたからだ。  戦士になった、今日から俺は戦士だ、と意気込んでいた自分を、彼女はずっと見ていたはずだ。自分が戦士になることになんら疑いを持たなかったカマールは、ジェシカの顔を覗き込もうとする。 「ううん、聞き方が違うわね。将来どうなりたい? 戦士になったカマールは、将来どうなりたいの?」 「どう、って……」 「この村を守る? それとも名誉をもらって綺麗なお嫁さんが欲しい? 強くなって世界を征服したい?」 「……そんなの……」  そこまできて、カマールは口ごもる。 戦士になって、強くなって、自分はどうするのだろう? 戦士への憧れだけで戦士になってしまったカマールには、その質問に応える言葉がなかった。 「……ジェシカはどうなりたいんだ?」 「私? 私はね」  苦し紛れに出た言葉に、ジェシカは笑いかける。 「私は、世界が知りたい」 「え?」  今度は本当に真意を測りかねた。 「この世界は、四本の剣から生まれたって、父さんが残した本に書いてあったの」 「四本の剣……?」 「ええ。全ての種族はその剣から生まれて、この世界を満たしたそうよ。私たちも、そう」 「そんなわけ……」 「そんなわけない。でも、それは見てみないと分からないわ。私はいつか、『はじまりの剣』を見つけてみたい。それがそんな力のあるものなのか、見て、手に取って、確かめてみたいの。だから私はいつか〝冒険者〟になる」 「冒険者って、父さんや母さんみたいな?」 「そう」  ジェシカは立ち上がり、木々の間から見える星空に手を伸ばす。 「世界は別にパーディックだけじゃないわ。私は本で読んだだけの世界なんてもういやよ。世界を見て、触って、確かめにいく」  ジェシカは長い髪をかきあげ、カマールに笑いかける。 「それが、私の夢」 「………」  月明かりに照らされたジェシカの姿を、カマールは尊いものと感じだ。自分などより数段先へ行き、なおも前に向かって行こうとする姿勢を、失い難いものだと感じた。それと同時に、自分はとても遠いところで立ち止まっているということに気付く。この少女が、いつも部屋で本ばかり読んでいる妹が、すぐに自分の手の届かないところに行ってしまう気がして、カマールは言い知れぬ焦りを覚えた。 「じゃ、じゃあ!」  いてもたっても居られなかった。自分を置いて先へ行ってしまった妹への焦りで、カマールは必死に言葉を探す。夢などない、自分が夢だと思ってきたものはただの手段であると言われてしまったカマールは、自分にできることをただ探す。 「じゃあ俺は、お前を守る! 戦士として強くなって、お前が危なくなっても守れるようになる!」  カマールは口から零れ落ちたような言葉を腹筋で飛ばし、精一杯の意地を張る。兄として、男として、この子だけには置いて行かれたくなかった。  ジェシカはカマールの言葉にしばらく呆けていたが、やがて少し口角を上げると、 「頑張って守ってね、カマール」  とカマールに笑いかけた。 ――『頑張って守ってね、カマール』  と、何かが気持ちの悪い声でオウム返し。 カマールとジェシカはハッとして見上げる。沢の上流、何かの影がこちらをみている。 『頑張って守ってね、カマール』  その影は、ゆらゆらと揺らめきながらこちらへやってくる。その影は人のような、蝙蝠のような、ドワーフのような、トロールのような、エルフのような。とらえどころなく体を変えながら、作り物のような声でこちらへ向かってくる。 「……蛮族だ!」  咄嗟に声を上げてカマールはジェシカの手をとって走り出した。戦士になって間もない自分が戦えるとは、露ほども思えなかった。そして何より、それが自分の見たことのある蛮族ではなかった、気持ち悪い存在だったことが、彼をすぐさま走らせた。   この村は定期的に蛮族に襲われる。二人の両親がやってきた理由でもある、とある〝お宝〟を狙い、蛮族は徒党をなしてこの村にやって来る。〝蛮族〟とは人間やドワーフに対する『敵対者』の総称だった。一か月間もこないこともあれば、二時間も隙を待たずにくることもある。しかしそれらは徒党をなしているとはいえ、コボルトやボガードなどある意味で相手にもならない奴らばかりであり、見ているだけだったとしても二人にとってそいつらは『いつもの奴』だった。 だが、こいつは違う。こいつはなんだ。ゆらゆらと形を変えながら、こちらへやってくるそいつに、二人はいつもの蛮族の襲撃より遥かに強い恐怖を抱いた。 「あ!?」 「ジェシカ⁉」  慣れない山道だったためだろう、ジェシカは躓いてしまった。カマールはとっさにジェシカの手を引いて転ばないように踏ん張ろうとしたが、焦って足を滑らせ、もつれるようにして転んでしまう。  ゆらゆらと揺らめくソレは、倒れそうな歩幅の割に異常なほど素早く動き、二人に迫る。焦って立ち上がろうとしても、体が上手く動かない。膝立ちになってジェシカを助け起こそうとするが、スカートのすそを踏んでしまってまた転ぶ。 ダメだ、目の前にきた、助からない、カマールがジェシカを抱きしめる。 「あああああああらぁ!」  突然地鳴りのような声を上げ二人とそれの間に誰かが割り込んできた。ガキン、と鈍い音が響いた。二人は咄嗟に顔を上げる。  そこには、片足と杖で踏ん張り、片手だけで頑強な剣を振りソレの手のようなものを受け止めているバルソーの姿があった。 「バルソー!」 「逃げっ、……この!」  バルソーは片腕だけで巨大な剣をぶんぶんと振り回しそいつを退けようとするが、やはり片足だけではうまく扱えないのか、そいつがダメージを食らっている様子はない。しばらくするとハッとしたカマールは立ち上がり、ジェシカの手を引いて立ち上がろうとする。 「立て、ジェシカ!」 「え、あ……」  ジェシカは兄の言葉に反応して立ち上がろうとするが、転んでしまう。見れば、ジェシカのスカートは濡れて足に張り付いてる。腰が抜けて、失禁してしまっているのだ。 「くそっ!」  カマールは悪態をつくとジェシカを担ぎ上げ、よろめきながらも山道を下ろうとする。失禁など自分もしている。今更いくら濡れようが構うものか。  しかし幼く非力な体はジェシカを背負って山道を下るというのにうまく対応できず、すぐに息が切れる。十メートルも離れていないであろうところで、また転がってしまった。 「うおぁあ!?」  バルソーの悲鳴が聞こえる。転がって前後不覚になっている場合ではない、立ち上がらなければ! 強く思い、顔を上げた。 『頑張って守ってね、カマール』  それの顔が、目の前にあった。 顔、と呼べるほどのものか。 何かの塊が頭のようなものを為しているだけの、それ。 「あ、あああああ!?」  カマールはジェシカを探して辺りを見渡す。 すぐに見つかった。  それの、腕の中。 まるで始めからそこにそうあったように、腕の一部とジェシカが溶け合っていた。 「あ、は……?」 「に、兄……」  ジェシカはもがいた。カマールに向かって手を伸ばした。カマールもその手を取ろうとした。  しかしそれは、まるで用がすんだというように立ち上がると、翼、のようなもの、を広げ、飛び上がろうとする。 カマールの手は、ジェシカには届かない。  カマールは辺りを見渡す。 「バルソー!?」  バルソーは松葉杖が折れ、立ち上がろうとしているが、すぐに動けそうではない。  バルソーの助けはない。  しかし、カマールの足元。闘っている最中に飛ばされたのであろう、バルソーの剣がそこには転がっていた。迷うことはなにもなかった。自分は戦士になったのだ! 妹を守るために、闘わなければ!  バルソーの剣を拾い上げる。 「妹を、返せ!」  重たい。でも、振らなければ!  やっと振り上げたそれを、しかしその化け物は軽く一瞥しただけでかわす。剣に振り回され、狙いが定まっていない。ならば!  カマールは咄嗟に近くの石を柄の後ろにあった爪の装飾に噛ませ、刃の方に偏重していた重心を柄に寄せて、もう一度その化け物に振り上げる。先ほどよりも重く感じるがそれでもまだ狙いが定まる、ジェシカが捕まっている腕を切り落とせば!   ガキン、と、重たい音がなる。 まるで鋼鉄に阻まれたかのように、肩を狙って振り下ろした剣はそのうねる表皮に阻まれる。 「えっ……あああああああ!」  もう一度振り上げて、降ろす。ガキン、と鈍い音を立ててはじかれる。  何度も、何度も、何度も、はじかれる。  そしてまるで『気が済んだか?』とでも言いたげに、振り上げる力がなくなってよろめいたカマールを見おろした化け物は、空へ飛びあがった。 「ジェシカ! 行くな!」  カマールは手を伸ばす。ジェシカは既に気を失っている。それでもと手を伸ばす。  カマールの指先はジェシカの指先に触れることもできず空を切り、化け物は飛び上がって木々の間を抜け、力の限り走り出したカマールを置いて、やがて山間に消えた。    〈四〉  それからというものカマールはひたすらに修行に明け暮れた。ただひたすらに来る日も来る日も剣を振るい、野山を掛け、たまに来る蛮族に戦いを挑んだ。ストイックに自分を追い込み続けるその姿は同じ戦士たちからも異様に思えるほどで、畏敬の念すら飛び越えて恐怖を抱かせるものであった。  事情を知るものは少ない。なにせ、戦士というのは早死にだ。休む暇なく襲われた日には、顔見知りが二、三人いなくなっているなどというのはザラにある。二回の大きな襲撃を受けたパーディックは、彼の二十歳を数える冬至の日を迎えるころには、カマールは既に戦士の中でも上から数えた方が早いほどの古株になっていた。 「おいカマール、それくらいにしたらどうだ」 「……テッドか」  カマールはその声にも構わず大上段に構えると、その剣を裂帛の声と共に目の前の樹に振り下ろした。まるで雷が落ちたかのような音が響くと、バリバリと音をたてて木が左右に割れて、倒れる。  そんな木の残骸が、そこらじゅうに転がっていた。 「『カマールが修行した場所にいくと、槇拾いが楽で助かるワ』、なんて女連中は言ってるが、俺は関心しないな。槇を作りたいなら斧でやれ。剣が可愛そうだろ」 「ぬ……」  同じ戦士であり、戦士の武器を修理する係でもあるテッドに言われ、剣を見る。これは自分が戦士になってからいくつめの剣だっただろうか……それにしたって新品のはずである。しかし、剣は歯がこぼれ、切っ先は既に丸くなっていた。 「分からなくもないけど、あれから十年も経ってるんだ。いい加減落ち着けよ、カマール」 「落ち着いている」 「どこがだ。いつかそのよくわかんない化け物が現れたとして、そいつを殺せばジェシカちゃんが生き返るのか?」 「関係ない」  カマールは振り返ると、テッドを睨み付けた。おお怖い、とテッドは肩を竦め、犬耳を軽く震わせた。その顔は毛むくじゃらで、ウルフのように口と鼻が突きだしている。  テッドはコボルトだ。種族で言ってしまえば蛮族と呼ばれる種族だが、実はこのパーディックでは珍しくもない。  たびたび戦死者が出るこのパーディックで人口が減らない理由の一つであるが、ここへやってきた蛮族や夜盗たちで、勇ましく戦ったものたちはもちろん死んでしまうが、中には命乞いをするものもいる。そういうものを、パーディックでは殺さず捕虜にする。そしてそいつらは一世代、二世代とへるごとに野心を失い、いつの間にか定住していることが多い。比較的人間寄りに生きることがあるコボルトは、実は人間と同じくらいの数がいる。ドワーフがパーディックを取り仕切ってはいるが、寿命に反比例するように彼らは数が少ない。そういう訳だから、戦士の中にテッドのようなコボルト、たまにエルフ、またそれらの混血などが含まれている。    そしてそんな有象無象の中にあって、カマールは今や最強であった。テッドが止めるのも無理からぬ話である。それ以上強くなっても、戦士の中から孤立するだけだということはカマールにも分かっていた。 「ふぅ……」  カマールは溜息をつくと剣を背負い、テッドの横を通りぬける。 「関係ないんだ、ジェシカのことは……」  テッドに聞こえないくらいに呟いて、カマールは村の方へ戻っていく。テッドは少し溜息を吐くと、カマールの後を追った。  〝宝〟を守り続けているこのパーディックで、野心をもったものたちを野放しにしておける理由の一つは、絶対的な秘密主義にある。〝宝〟の隠し場所はもちろん、まずその〝宝〟とやらがなんなのかさえ、パーディックに住む人々は知らない。知っているのは本来長老のドワーフたちだけだ。  本来、というのは、カマールはあることを通してその隠し場所を知ってしまったためである。しかし、何故そんなものが宝物であるか、ということは、よく分かっていない。知らなくていいことだとすら思っている。 「バルソー」 「おう、帰ったか」  松葉杖をついて部屋の中を往復していたバルソーに、呆れたようにカマールは言う。 「何をしているんだバルソー。じっとしていろ」 「ああ? ベッドの上でじっとしてら体が腐っちまうわ」  バルソーはあの一件で健在だった左足に怪我を負い、まともに歩くだけでひどい苦痛を覚える体になっていた。こうやって本人は歯を食いしばって体の衰えを食い止めようとしているが、しかし、声からして以前の地鳴りのような覇気がなく、日に日にやつれていっている。育ちざかりのカマールたちよりも遥かに食っていた乾し肉も、二日に一遍という有様だった。 「……おい、カマール。その剣……」 「ああ、またガタがきている。直せそうか?」 「ん? ……まぁ、直せるは直せるが、こりゃあ一度鋳つぶした方がマシかもなぁ。ったく、この山で採れる鉄はもろくていけねぇぜ」 「そうか」 「時間がかかることだし、今はやめておいたほうがいいだろうな。しばらくは無理させるもんでもないぜ、それ」 「……そうだな」  最近、二回も大規模な蛮族の襲撃があり、多くの戦士が死んでしまった。その結果、残っているまともな戦士はカマールを除けばテッドなどの古株ぐらいしかおらず、小規模の襲撃ですら凌げるか怪しい、というのが現状だった。カマールとて武器なしで蛮族をなんとかできるわけでもなし、ガタがきているとしてもこれを使うしかないのだ。  カマールはちらり、とバルソーのベッドの脇にある剣を見るが、すぐに視線を逸らした。 「冶金に詳しい長老がいたな。そこへ行ってみる」  カマールはそれだけいうと自分の寝室へ入ろうとする。 「おい、カマール。いい加減落ち着いたらどうだ? こんなことを言うのもと思って言わないで置いたが、ジェシカはもう……」 「またその話か」  カマールは溜息を吐いてから、バルソーに向き直る。 「分かっているさ、バルソー。俺は本当に落ち着いている」 「………」  バルソーはカマールの瞳をじっとみる。確かに、そこには悲しみこそあれ、激しさや怒りなどの感情は見えなかった。 「バルソー。俺は戦士だ。パーディックを守るために生き、パーディックを守るために死ぬ。ジェシカを守れなかった弱い俺じゃない。強き戦士カマールが、この村を守るんだ」  カマールはそれだけ言うと寝所にもどって地鳴りのようないびきをかいて眠り始めた。   バルソーはただひっそりと、ベッドに腰掛けて溜息をついた。 「人間ってのは、どうしてこう偏っちまうんだろうなぁ……なぁ、ジェシカよ」  バルソーはそうつぶやいて、やがて静かに眠り始めた。  〈五〉 「た、大変だカマール!」  冶金に詳しい長老に話を聞こうと村を歩いていたカマールが、テッドに呼び止められる。 「どうした、テッド。吐息をかけるな犬臭い」 「そんなことはどうでもいい! この間捕虜にした奴が口を割ったんだが、あの二回の襲撃、本隊じゃなかったらしい」  カマールは肩を震わせ、そのまま走り出した。 「……どうやら、本当らしいな」 「なんで俺の言葉だけで信用しないんだよ!」  テントを引き裂かんばかりにテッドが吠えたける中、カマールは戦士たちの集まりの中で顔を顰める。口を割ったという捕虜を何度かつるし上げたが、同じことしか言わなかった。 「捕虜の話ではこの近くに本営を構えているそうだが、場所が分かる奴いるか?」 「西に二山超えたあたりにそれらしき場所はある。静かにしていればここまで何にも聞こえない場所だ。大隊を隠しておいても発見は遅れるだろう」  と、エルフのチェイナーが言う。 「捕虜の言ってる話とも合う……やばいぜカマール、どうすんだよ!? 西って言ったら二山超えっていっても大したとこじゃない、一日で来ちまうぜ!?」  テッドの悲痛な吠えに、そのテントの中にいたすべての戦士がカマールを見つめる。老いも若きも、皆。  戦士にリーダーと呼ばれるものはない。ないが、皆の畏敬を集める最強の戦士が、当然の如くその役割を担わされる。暴れだしたとしたらパーディック中の戦士が束になっても止められるか怪しいカマールは、恐怖と存在感をもってその場で扱われていた。 「………」 「黙ってないでなんか言えよカマール!」 「ええいうるさい黙れ! 考えている途中だ!」 「キャン!」  テッドの鼻に裏拳を見舞うと、またカマールは頭を抱えてうんうんうなり始めた。  もともと頭を使うことは苦手だったカマールである。それらしく振舞ってはいるが、差し迫った脅威にたいして的確な判断をすることは基本的にできない男だ。 「くそ、今の人員で前回や前々回以上の襲撃を止められるか……? どう考えても不可能だ、武器もなければ練度もたりん……どうすれば」 「夜襲すれば?」  ふとした呟きに、全員がその発生源である小さな物体を見る。 「あ、オイラまずいこと言った。口チャック!」 「スクイー! 貴様俺たちの誇りを侮辱するつもりか!?」 「ひぇええ口チャック間に合わなかったよぉ」  鍋の蓋を被ったゴブリン、スクイーはまるで穴に潜るようにぴょこん、と姿を消したが、激昂したチェイナーに捕えられていた。  パーディックの戦には掟がある。決して不意打ちをしない、ということだ。相手が戦いの準備をしていない状態で戦うことはせず、戦いの前に高らかに名乗りを上げる。それを破ったものは戦士ではなくなってしまうし、誇りなき戦いをしたものはパーディックにはいられない。  戦士がある種神聖視すらされているこのパーディックにおいて、それは決して許されることではない。ないが。 「……いや、それしかない」 「カマール!?」  皆がカマールの顔を見る。カマールの瞳にはギラギラとした光が宿っていた。 「残された手でパーディックを守るなら、夜襲、奇襲、伏兵、どれも必要だ」 「正気かカマール!? 貴様誇りを捨ててまで守らなければならないものなどない!」 「ある。パーディックだ。俺たちの故郷だ。決してなくしてはならない!」  カマールはぎらつく瞳でチェイナーを威圧したが、一瞬だけチェイナーはその眼光にひるんだ後、軽蔑するように肩をすくめた。 「誇りと共に死を選ぶ覚悟が、俺たちにないと思っているのか、お前は。パーディックという場所は、もともとそういう場所だ」 「関係ない。誇りだろうが生だろうが死だろうがパーディックを守るためならば選ばねばならん」  静まりかえった中でスクイーが辺りを見渡し、 「け、喧嘩はやめてー……ね?」  などと言ったが、戦士たちは聞かず、しばらくすると 「すまない、お前にはついていけない」  といってまずチェイナーが出て行った。  それを合図にするように、古参、新参がぱらぱらとテントを抜けていき、最後に残されたスクイーが視線をテントの出口とカマールで往復させた後、ゆっくりと出て行った。  残されたのはカマールと気絶したテッドだけだ。しかしカマールはぎらぎらとした瞳で一点を見つめ、決して逸らそうとはしなかった。  〈六〉 「……いくのか」 「ああ。もう戻らない」 「気を付けてな」  バルソーとの別れは、それだけで済んだ。子供のころから慣れ親しんだ養父との別れだというのに簡潔に済まされたそれをカマールは気にも留めず、ただギラギラとした視線だけを前に向けていた。    西に向けて歩を進めるカマールを、パーディックの人間は口々に非難した。石をぶつけるもの、誇りを捨てた愚か者めと罵るもの、ただ避けて歩くもの、命を取らんとして周りに止められるもの。その全てが、カマールの存在を心の底から疎んじていた。  閉鎖された社会において、絶対である価値観を覆すということは、外の人間からは理解できない反発を生む。パーディックを守るための行動を起こそうとする彼を、誰もが認めようとしなかった。  しかしそれでも、彼は視線を一点からそらさず、決して歩みを止める事はなかった。 「よう愚か者」  そんな彼に、一人だけ話しかけたものがいた。テッドだ。村を出てしばらくたったところで、樹木に寝そべるようにして話しかけてくる。 「聞いたぜ、俺がおねんねしている間に随分なことをやらかしたそうじゃないの」 「関係ない」 「……まぁないわな。それでも、ちょっと俺の話を聞く気はないかい?」  カマールは視線をそらさず、しかし立ち止まって言葉をまった。  すべての非難をうけようと思っていた。カマールも同じ社会で育ったもの。これが軽蔑を受けるに値する行動であると分かっている。そして、そのそしりを受けて猶、自らを通そうというのである。  しかし、テッドが口にしたのは非難ではなかった。 「俺はお前の行動、かっこいいとおもうぜ」 「……なんだと?」  テッドは樹木の上から飛び降り、カマールの前に立つ。 「俺はもともとアンタらに拾われたケチな蛮族だ。つっても、ちょっと人間の社会にもいたんだぜ? だから知ってるぜその行動、自己犠牲ってやつさ。町じゃ最高にクールな奴がすること。いくら夜襲っつったって相手は一人じゃねぇ、一人で闘うってなったら死ぬだろうよ。それをアンタはやろうとしてる。パーディックとかいう胸糞悪い糞田舎のためにな」 「……誇りを捨てた、それがクール?」 「違う違う、ちゃんと目的のために生きて、死ぬ。その行動こそがクールってやつさ」  テッドはぽん、とカマールの肩をたたいた。 「剣が一本じゃ背中を守れねぇだろ? 付き合うぜ」 「……俺一人で十分だ。お前まで愚か者になる必要はない」 「分かってないねぇ、田舎者は。町じゃこれもクールってやつなんだぜ? それに俺はケチな蛮族やってたが、料理には自信があるし、武器の整備もできる。村を出て町で暮らしていくには十分だ。いいから行こうぜ、日が出てきたら夜襲じゃなくなっちまうだろ」  テッドが先を歩き始めて、カマールはしばらく呆然とした後、口角を少し上げた。 「おい、テッド」 「あん?」 「お前、最高にクールだぜ」 「よせやい」    〈七〉  一日はかかる、と言っても、それは大隊の、それも飛べない蛮族たちと計算してのことだ。二人、しかも山に慣れ親しんだパーディックの民ならば、その道は半日とかからない。 「おいカマール、そろそろチェイナーが予想した場所だぜ。何か臭くなってきたし、ビンゴだ。覚悟はいいか?」 「関係ない。ただ戦い、殺すだけだ」 「おー怖い……よし、ここからは隠れていくぞ」  テッドの指示に従うように、木々の間を音もなく駆け抜けるカマール。そして、二人は焚き火の残り香を頼りにその野営地に向かって突き進んだ。 「……よし、ここだ。どんぴしゃだな」 「……妙だ」  鼻をクンクンと鳴らして親指を立ててくるテッドを無視しながら、カマールは怪訝そうな顔をする。 「静かすぎる。蛮族にしては寝つきが良すぎやしないか?」 「そりゃあ、蛮族だって夜は寝るしよ……ん? 寝るのか? 俺は寝るけど……」 「……まぁ、考えていてもしょうがないか。いくぞ」 「は? いくって……おいおいおい!?」  カマールはここまでやってきた時と同じようにずかずかと茂みの中から野営地に躍り出た。そして、ぼろぼろの剣をかかげ、口を開いたのだ。 「我はパーディックの――うぐぅ!?」 「うぐうしゃねぇよこの馬鹿ちんが! 夜襲だって言ってんだろ!? 寝首をかくんだろ!? 何起こそうとしてんだよ!」 「――た、闘うなら一緒じゃないか!」 「こいつあんな顔しながら夜襲のことわかってなかったのかよ!? かぁー! ついてこなきゃよかった!」  二人がぎゃあぎゃあ言い争っていて、ふと、テッドがいぶかしげな顔をした。 「……なんだ、これ」 「何?」 「いや、この……岩? なんか、くせぇ」 「臭い?」 「焼けた臭い……あ」  テッドは何か気付いたように後ずさる。 「……なんだこれは」  カマールもそれに近づき、そして気付く。    それは何か堅い表皮をもった巨大な生物だということ――否、それが巨大な生物であったもの、だということに。 「……これは、なんだ」 「ドラゴンの丸焼き……ってとこかなぁ」 「!」  カマールは辺り一面を見渡す。焦げた臭い、散らばる岩石、野営の後。 ……違う、それらは全て、蛮族の死体だった。百や二百ではきかない蛮族が、そこらじゅうに転がっているのだ。 「……既に壊滅している?」 「おいおいちょっと待てよ、ざっと見ただけでもとんでもない奴らだぞ? どうしてこんなことになってんだよ? 火山でも噴火したってのか」 「別のものに夜襲を受けたとかか」 「どんな奴だよ!? こいつらほとんど動いた跡がねぇ! 一瞬で丸焼きになってんだぞ!」 「……!」  そこでカマールは、月影に照らされて移る動くものをとらえ、追いかけ始める。 「おいどうしたんだよ!?」 「生きてる奴がいた! あいつを捕まえて何があったのか吐かせる!」 「あ、待てって! ――うわぁあ、す、すんませんすんません……あ、待てよカマール!」  慌てて追おうとして強面のドラゴンの顔を蹴ってしまったテッドが反射的に謝っていると、カマールはすでに野営地を抜けて再び森の中へ入ってしまっていた。  〈八〉  身長百八十センチメートル、歩幅は常人の倍はあろうかというカマールが飛ぶように走るというのは、山に置いて追い抜けるもののいないスピードである。しかし、その白い影はつかず、かと言って離れることもなく進んでいき、カマールを苛立たせた。 「くそっ、あの子供、イボイノシシより速いな!」  言葉を荒げ、ただ弾丸のように進んでいく。  しかし、ここもパーディックだ。地形も覚えている。確かこの先は。    しばらく突き進むと、すぐに開けた場所に出た。その白い小さな影はそこで立ち止まっている。当たり前だ。 「鬼ごっこは終わりだ。さぁ、あそこで何があったか吐いてもらおうか」  カマールは立ちすくむ白い少女にゆっくりと近づく。焦る必要はない。  なぜなら、その先は崖だから。その少女がどんなものなのかは知らないが、すすんで崖に進めるような姿ではない。 「鬼ごっこは終わりかぁ、残念ね、カマール」 「……なんだと?」  少女の透き通るような肌が月光に照らされている。髪は黒く、長い。パーディックではポピュラーな童女の服をまとったそれは、ゆっくりとこちらを振り向いた。 「久しぶりね、カマール」 「……ジェシカ?」 「十年ぶりかしら。無事なようで安心したわ」  と、静かな笑みを浮かべるそれは、まぎれもなくあの冬至の日に居なくなったジェシカそのものだった。 「……生きていたのか」 「なんとかね。貴方こそ生きていてよかったわ」  そういって、ジェシカはゆっくりと歩み寄ると、カマールを抱擁した。 「また会えるなんて思わなかったわ……」 「……俺もだ」  カマールはしゃがみこみ、その小さな体を抱きしめる。 「お前が居なくなってから、何を守っていいのか分からなくなった。村を守ってみても、戦士は次々死んだ。もう、俺より強い戦士もいない。戦士は俺より年下ばかりだ」 「頑張ったのね、カマール」 「お前が居なくなってから、バルソーが足を悪くしてな。すっかり弱ってしまった。俺たちの強い父はもう、いない」 「つらかったのね、カマール」 「二度の大きな戦があった。ダメかもしれないと思う瞬間が沢山あった。それでも耐えきったが、次は耐えきれそうになかった。誇りを捨てでも、認められなくても、村を守るために闘わなければならなかった」 「苦しかったのね、カマール」  カマールはぼろぼろと涙をこぼしていた。泣いたことなど、あの冬至の日から一度もなかった。泣く暇もなく、強くなろうと必死だった。あの日ジェシカを助けられなかった弱い自分を殺したかった。しかし、今、ジェシカはここにいる……ああ。 「そうか、俺は、許されたかったのか……」 「カマール」  ジェシカはカマールの耳元で優しく囁く。 「貴方は十分頑張ったわ。決して折れず、決して綻ばず、ただ、まっすぐに道を貫いた」  甘い声だった。 「世界は貴方を認めなかったけど、私が許す。あなたはもう休んでいいわ」  ずぶずぶ、と、深い愛におぼれていくような。 「今はゆっくり眠りなさい……起きたらまた」  ずぶすぶ、と、深い眠りに落ちていく。 「一緒にパーディックのイボイノシシを追いましょうね」  ああ、それは母のような―――。    待て。頭が警鐘を鳴らす。  待て。こいつは今なんといった。  待て、そうだ。こいつは今、『一緒に』と言った。    ジェシカは自分から外へなど出ない奴だった。俺が誘おうとしても狩になどくることはなかった。いつも部屋で本を読んでばかりいたんだ。  そもそも、ジェシカは今生きていれば十九のはず。〝これ〟が、十九の人間か!? 「……?」  掌にいつのまにか何かを握りこんでいた。これは、破片? あの〝かけら〟? でも、これは確かまだ――。  頭に鈍痛が走る。この感覚は良く知っている。蛮族の中で魔法が得意なものがときどきやってくる、あの痛み。 「……どうしたの、兄さん。眠っていいのよ?」 「お前は、誰だ。なぜ、俺の記憶を読んだ!?」 「……解けちゃった?」 ジェシカの姿をしたそれは、にやり、と大きく顔を変形させて笑った。  〈九〉 ハッと目が覚め、カマールは体の異常事態を悟る。ずぶずぶと底なし沼につかるように、何かやわらかい物が全身を覆っていた。  俺は体を覆うそれをめちゃくちゃにしながらもがく。まるで粘液のように絡みつくそれを、力任せに振り払う。  〝ソレ〟はまるで、カマールを体の中に取り込むように埋没させていたのだ。 「ッ、無理矢理振り払うなんて……なんて野蛮なのかしら」 「ふざけるな、化け物が」  その、ジェシカの姿をした薄気味悪いものから距離を取る。もう、既に戦士服の一部は溶かされていた。 「お前は、あの時の〝アレ〟か」 「怖いわ、カマール。どうしたの?」 「うるさい」  背に負った剣を大きく振りかぶり、裂帛の気合と共に脳天に振り下ろす。躊躇などしない。こいつはジェシカなどではない! 「相変わらず馬鹿なカマール」  ソレはまるで日差しを遮るように、掌を眼前に突出した。そんなもので遮れるパーディックの戦士の一撃ではない。そんなものは、槇を割るより容易く崩れる壁でしかない。  はたして、力任せに振り下ろされた剣が、脳天を叩き割ることはなかった。  甲高い音をたてて、剣だったものが辺りに散乱している。  何が起こった!? それをカマールが理解するより先に、首元に強烈な衝撃が走った。  少女のそれとは思えないほどの力でカマールの喉を締め上げる腕に、カマールは一切抵抗できない。 「勝てないことも分からないなんて、何も成長してないじゃない……私はこんなにも成長したのに」  聞いたことのないような声が、ジェシカの姿をしたそれの声帯から放たれた。 「全て燃やし尽くした後に場所が分からないんじゃ面倒だと思って〝探って〟みたけど、まさか一人目で当たりなんて……人間ならこう言うでしょうね。 私運がいいわ、カマール」 「ふざけるな!」  首を締め上げる腕を全力で引きはがそうとするが、それはいつの間にか先ほどまでの少女のそれとは違い、人よりも固く、強く、醜悪なものに変形していた。  指は三本しかなく、人よりも巨大で、脈動するイボのようなものに覆われていた。  カマールはその腕がなんなのかは分からない。しかし、それでもそれは、カマールのような〝人間〟が適うものではないことがすぐに分かった。  絞り出すように挙げていた声が止まり、睨み付ける瞳から光を失い、そして最後まで抵抗し続けていた両の手は、一本一本、だらり、と垂れさがった。 「あっけないものねぇ……私が食べれなかった初めての人間なのに……」  ジェシカの姿をしたそれは、動かなくなったそれに興味をなくしたかのように冷たい目線を向けていた。 「その手を離せ化け物おおお!」  その時だった。背後の物陰から現れたテッドが、裂帛の気合と共に〝ソレ〟を横薙ぎに切り裂こうとした。〝ソレ〟ははっとして振り返るが、もう遅い。強靭なパーディックの戦士の剣ならば、腕と胴体ごと両断することすら容易い。テッドにとって、それは確定した勝利であった。  そう、〝ソレ〟が普通のものであったならば。 「いっ」 「え――あ」  テッドは確かに肉を切る手ごたえを感じていた。しかし、それが一瞬のうちに何かに阻まれたことを感知した。そして、自分の体がバラバラになったことを理解したのは、自分の体を巨大な何かが通過した、と思ったその一瞬後だった。  テッドは唖然としたまま、空中を飛び散る。  巨大な何かは、少女の肉体には不釣り合いなほど大きな、機械の腕。 「駄犬、貴方のようなものが傷つけていい体じゃないわ」    テッドは空中に飛散しながら、ついてねぇな、と自分の不幸を呪った。視界には両の腕を異形に変えた少女。もう目がかすんでそれがどうなっているかも分からなかったが、茂みに隠れている時から自分のようなものが敵対して勝てるわけもないものだということは理解していた。  それでも。  それでも、体は勝手に動いた。力を失う屈強な戦士を見捨てておけなかった。皆に畏れられているくせに実はたいしたこともない中身の青年、カマール。外様と腫れ物のように扱われながらも戦士として扱ってくれた友を見捨てるほど、テッドは蛮族できていなかった。  ああ、どうせだったら村なんか見捨ててカマールを外に連れて行ってやればよかった。こんな所で死ぬくらいだったら、奴にもっと世界を見せてやればよかった。そんな後悔の中で、ふと、視線が合う。  ありがとう、と口が動いたのが見える。  なんだ、生きてるじゃん。テッドは薄れゆく意識の中で、口角を歪ませた。  〈十〉  カマールはふと、体中の痛みで目を覚ました。  全身の至る所に枝が刺さり、体中の血液が抜かれているようだった。重すぎる瞼をこじ開けると、目の前には葉と枝。それをかき分けるようにして、顔を出す。  目の前に巨大な岩肌が見えた。山々を見渡すようにして位置を確認すると、先ほどの崖の下のようである。 「死んだと思って俺を崖に投げ捨てたか……それとも生きていると分かって俺が絶望するようにか?」  この崖を見上げる。ここが平地とほぼ同じ高さで、切り立った崖はパーディックの山々と差支えない高さだ。迂回する道もあるが、そんなことをしていてはいくらカマールでも二日ほどはかかる。アレに記憶を読まれたのだから、どうしたってそんな時間をかけるわけにもいかない。 「……どちらにせよ、俺が生きていたことを後悔させてやらなければな」  カマールは満身創痍の体を引き摺り、自分を受け止めた樹木から転げ落ちる。  まともに動きもしない手足に鞭を打って、崖の前までたどり着いた。  登れるわけがない。山を踏破することにはいくらか自信があるが、巨大な岩肌を曝す絶壁を登ったことなど、一度たりとてない。 「山育ちをなめるな」  岩肌をつかむ。握力はほとんどなく、今にもかかった指がはずれそうだった。  しかし、絶対に離さない。足をかける、岩に手を伸ばす、体を引き上げる。 「なめるなよ、化け物」  うわ言のようにつぶやき、カマールは岩肌に体を削られるようにして、ただ登り始めた。   岩肌に生えた木に、テッドの腕が引っかかっている。カマールは一瞬だけ一瞥すると、その腕に笑いかけた。 「ありがとう、友よ」  あの時アレが怯まなかったら、とうにカマールは意識を手放し死んでいただろう。茂みから飛び出してきたテッドにひるんだアレは、一瞬だけ拘束を弱め、その瞬間に頭に回った血液が、ちぎれとびそうな意識を繋ぎ止めたのだった。 「それと、もう一つ……」  あいつはテッドの攻撃を防御するために、巨大な機械の腕を使った。しかしその腕にはテッドの剣が食い込んでいて、テッドを吹き飛ばした後光の粒のようなものを飛ばしていた。  あれが、奴の血。どうしてもダメージを与えられないものなのかと思っていたが、そういうわけではないらしい。ダメージを与えるにはコツがあるのだ。 「先を急ぐ。世話になったな、テッド」  もうテッドの腕に視線は無かった。上空一点を睨み付け、ただ登って行く。まだ夜だが、時期に日が昇る。 ぎらぎらと輝く眼光が、薄闇の中で光った。  〈十二〉  必要なことは強さだ、とバルソーはカマールに教えた。今をもって、それは正しいことだと証明している。 炎に焼けた世界で、バルソーはただ一人その少女の前に立っていた。 「ジェシカではないな」 「ごきげんよう、あなたはバルソーね。お久しぶり」  その物言いに思うところはあったが、バルソーはそれを頭から排除した。 「素直に渡してくれると助かるんだけど」 「やなこった。なんでも思い通りになると思うなよ、化け物」  バルソーは巨大な剣を片手だけで構えると、片足だけで地面を蹴った。  こいつが何者かは知らない。長いドワーフの人生のわずかな間だけだが冒険者だったバルソーにとっても、こんな敵は見たことがなかった。パーディックにこいつが現れた時、上空に太陽が現れたのかと思うような光があふれ、一瞬のうちにパーディックは焼き払われた。第三の襲撃に備えていた戦士たちはそれでも生き残っていたが、この面妖な生物によって先ほど全滅させられた。  ソレは右手を硬質な機械の腕に変えると、バルソーの一撃を受け止めた。  どういうわけか、こいつは自在に姿を変えられる。そんなことはバルソーも見ていた。 「んっ!?」 「おらあ!」  ソレは諸刃の剣を受け止めたとたん、顔を顰め、巨大な蝙蝠の翼のようなものを広げて飛び退いた。 「……やっぱり、貴方がもっているのね」  それは苦々しげに機械の掌を抑え、飛び散る光の粒を抑えた。顔は苦しい表情を浮かべているが、それはすぐに喜悦と変わった。 「剣の柄に隠してるんでしょ? その剣の柄の後ろ、爪の意匠の中から取れるのよね」 「……カマールが喋るわけねぇよなぁ。おい化け物、カマールはどうなった」 「死んだわ。馬鹿なコボルトも一緒よ」  ソレは左手を突きだすと、呪文を唱え始める。バルソーにとってそれは、ある種の懐かしさすら感じるものだった。  二人の母親は凄腕のソーサラーだった。彼女は炎の魔術を好んで使い、バルソーと父親を援護していた。それは確か彼女の使っていた呪文の一つだったはずだ。 「因果なもんだな……そいつを撃たれることになるなんて」 「〝この子〟は本当にいい拾いものだったわ。独学でここまでの魔術を身に着けていたんだから。使い方さえわかっていれば、あの時私がこの子を攫う事はできなかったでしょうね」  バルソーはそれを黙って見ているわけにはいかなかった。  ドワーフというのは元来火に強い性質を持っている。しかし、多くのドワーフは既に炎に焼かれて死んでいる。強いといっても限度はあるのだ。切り札は持っているが、それを使うのは最後にしたい。  バルソーは熊のイメージを思い浮かべる。それはパーディックの山の、戦士の次に強い生物だ。彼らは人間やドワーフよりも強靭な筋肉を持ち、イボイノシシを狩る。戦士が勝てるのは、単純にそれより知恵で優れているからだ。 バルソーのイメージはその熊を模倣する。そしてそのイメージはバルソーの体にも宿る。衰えたる体に、活力がみなぎる。体内に蓄えられた魔力が駆け巡り、全身の筋肉を震わせる。 バルソーは跳躍した。その弾丸の如き跳躍は垂直にまっすぐと、火球を生成するソレの懐へと潜りこんだ。巨大な鋼鉄の腕は間に合わない、火球を作る腕は非力すぎる。バルソーは剣を小さな胸へと突き進んだ。 はたして、その突進をとめたのは鋼鉄の腕でも、非力な腕でもなかった。 ぞぶり、という音とともに、バルソーの突進は慣性を失い失速する。撃ち落とされたのか、とバルソーは思った。しかし、その瞬間ソレと目が合った。 それは既にジェシカの形をしていなかった。鱗のある、巨大な頭部を、バルソーは見たことがある。ドラゴンだ。ドラゴンの頭が、自分の腕と剣を咥えていた。 「うっ」  強く打ち付けられた体は、総ての酸素を吐き出してしまう。既に左腕はなく、剣は手の中になかった。しかし、バルソーは右手の杖をぐっと握りこむと、ふらふらと立ち上がった。 「おかしいわ。柄の中に入ってるはずなのに……」 「はっ、知恵が働かねェのなぁお前。ジェシカはもっと頭がよかったぜ」  人の姿になったソレが剣を投げ捨てると、抵抗の術をなくしたバルソーに近づいた。 「まだ貴方が持ってるのね?」 「お前みてぇな奴にわたせねぇからな。さっき飲み込んでやったぜ。二日もしたら出てくるだろうよ」 「そんなに待てないわ」  またぞぶり、という音がした。バルソーの喉から漏れ出るような苦悶の声が漏れる。隆々とした筋肉をもった何かの腕に変わったソレの右腕が、いつの間にかバルソーの体に差し入れられていた。 「っ」 「どこかしら」  体の中に侵入した異物は、バルソーの内臓をかき回しながら探す。バルソーは悶えるようにして倒れ、血に塗れた臓物を握りこんだ腕を引き抜いたソレは、また小首をかしげた。 「ないじゃない。まだ喉のどこかに引っかかってるのかしら」  投げ捨てられた内臓がべちゃり、と音を立てる。そしてソレはおもむろにバルソーへと近づくと笑った。 「面倒だけど全部食べてあげるわ」 「ふざけるな」  横合いから現れたその拳は、〝ソレ〟の脇腹をえぐった。バルソーの視界からは〝ソレ〟が横っ飛びに消え去り、代わりにこの二十年毎日見てきた逞しい青年の姿をとらえた。 「今戻った」 「おう」  パーディック最強の戦士カマールは、怒りに燃える眼で〝ソレ〟が消えた方を見据えていた。  〈十三〉  カマールはバルソーを見下ろし、その腹部に開いた大穴、無くなってしまった左腕を認めると、近くに突き刺さっていた巨大な諸刃の剣を抜いて、バルソーに向けた。 「介錯はいるか」 「いるか、バカヤロー……ドワーフはタフなんだよ……」 「そうか」  バルソーはへ、と軽く笑うと、ポケットから取り出したものをカマールに投げ渡した。 「やるよ。その剣も、それも」 「これは」  カマールが握っているのは、こぶし大の石だった。カマールはそれを回す。  そこには、小さな何かのかけらが突き刺さっていた。 「……抜かなかったのか」  この石は見覚えがあった。初めてこの剣を使った時、爪の意匠に挟み込んだものだ。その時偶然にも外に出てしまったかけらは、この石に突き刺さってしまったのだ。 「別にそんなもの真剣に守る気なんてなかったんだよ……しみったれた村の掟なんかどうだってよかった。だけどな、〝その石〟は別だった。それはお前が最初に闘うと決めた時の記念だったからな。アレに渡すわけにはいかねぇだろ」 「……そのために死ぬのか、お前は」  馬鹿だな、と呟きかけたカマールに、バルソーは笑いかけた。 「男なんてのぁ、やりたいことのために死ぬもんだ。いいか、よく聞いておけ」  バルソーの言葉は次第に弱まる。 「お前は村を守ることが使命みたいに思ってたかもしれないが、そんなものはくそくらえだ。使命なんてものぁ偉い勇者様がもらうもんで、俺たちにはいらねぇんだ」 「……だが、俺は戦士だ」 「村はもうねぇ。お前はもう戦士じゃねぇんだ。 だからな、もう縛られるな。お前はお前の好きなことをやれ。好きなだけ食って、好きなだけ寝て、好きなだけ手に入れ、好きなだけ捨てろ。笑いたいときに笑って、怒りたいときに怒って、泣きたいときは泣けばいい。後悔なく生きる秘訣だぜ」  カマールはバルソーに背を向ける。 「言っていることが昔と違うぞ、バルソー」 「そうか? そうだっけな……忘れたぜ」  バルソーは乾いた笑いを上げる。それはもうほとんど音になっていなかった。 「一つ聞いてもいいか」 「なんだ」 「〝親〟が死ぬとき、男は泣いていいものだろうか」 「……ああ。子供が泣けば、それだけ親が笑うってもんだ」  爆音が響く。崩れた瓦礫を押しのけ、炎が上がった。カマールは剣を構えると、その剣首の爪の意匠に石を噛ませると、走り出した。  その背中を見送り、バルソーは一人、笑って死んだ。 「やってくれたわね、カマール」  ソレはぼろぼろになりながらも瓦礫の中から這い出し、カマールを睨み付けた。 「一体どうやってあそこから戻ってきたのかしら」 「登った。山育ちをなめるな」 「……あなた相当な馬鹿ね」 「そうだ」 「は?」  カマールは剣を掲げ、高らかに謳い上げる。 「我はパーディックの愚か者――ジェシカの兄、テッドの友にして、バルソーの剣を継ぎしもの――復讐に燃え、今貴様を屠らんとするもの」 「……ただ死にに帰ってきただけじゃない。いいから、かけらを渡しなさい。じゃないと」  それはジェシカの姿のまま呪文を唱える。左手の先に現れた火球は、ぐらぐらと空間を歪ませ、燃えたぎる。 「苦しんで死ぬことになるわよ?」 「おおおおお!」  カマールは剣を大上段に構え、怒号を挙げて突進する。 「自分から向かってくるなんて、イノシシにもほどがあるわ!」  狙いをつける必要すらない。ソレは燃え盛る火球をカマールに向けて放った。  爆音が響く。辺り一帯を溶かしつくすような熱が駆け巡り、火の子を巻き上げる。ソレは口角を上げてその光景を眺めた。    ソレは知らなかった。その感情は油断と呼ばれるものであり、戦いの最中に最も危険な感情だと。    ブン、という風切りの音。ソレは炎を割って飛び込んできたものに、ただ狼狽えた。翼を生やし上空へ逃れようとするが、もう間に合わない。もう一度の風切り。その一閃は光の粒を巻き上げ、ソレの左腕を天高く飛ばした。 「ああああああああああ!?」 「もう一度言う、山育ちをなめるな」  なんとか天に逃れたソレだが、左手を抑えて悲鳴を上げた。 「あああああ!? も、漏れちゃう! 出て行っちゃう! 」  左腕だったところは光の粒子をまき散らし、それは一瞬ドラゴンやトロールの姿を形作ると、そのまま天へと昇って行く。  カマールは跳躍する。迫りくるその姿にソレは初めて恐怖というものを知った。必死に翼をはためかせ、それから逃れる。カマールの剣は寸でのところで空を切り、再び落下した。 「カマール! 絶対に貴方を許さない!」 「ああ、俺もだ」   カマールは落下し、ソレは飛び去る。山は燃え上がり、空は明けた。  パーディックはこうして、一日の内に滅びを迎えた。    〈十四〉  扉をけ破らんばかりの勢いで開けて入ってきた男に、防具店の店主は顔を顰めた。  ムキムキの上半身を露出させ、腰には何の毛皮か分からない焦げ付いたものを巻き付け、背には巨大な諸刃の剣、頭はつるっぱげで、全身が傷と火傷で覆われていた。 「……いらっしゃい」  それでも客商売だ。防具店の店主はその珍妙な乱入者に声をかけ、しかし机の中のナイフにいつでも手が届く準備をした。  その男はずかずかとカウンターまで歩み寄ってくると、剣の剣首についていた汚らしい石を取り出し、そこにめり込んだ何かのかけらを外してこういった。 「これを買い取ってくれないか」 「………」  店主は胡散臭そうにその男の顔を覗き込んだ後、そのかけらを見る。そして、鼻糞をほじくって 「なんだいこれ」  とたずねた。 「何かは知らない。価値あるものだということは知っている」 「ほーん」  店主は鼻糞をほじくった手でそれを受け取ると、ナイフの隣にあったルーペを取り出し眺めた。  すると店主は一瞬動きをとめ、目を擦り、鼻糞を自分の服で拭った後、もう一度ルーペを覗き込んだ。 「あ、あああああ? たたたた多分魔動機文明の遺産だな! にににに二千ガメルくらいでいいかな? な?」 「……邪魔をした」 「まままま待て待て待て、二千五百、いや、三千でどうかな!?」 「あ!?」 「よ、四千、いや六千……一万! 一万五千でどうだ!?」   「もうこの店全部上げるのでそれを譲ってください」  十分後、男の前には在庫を含めたすべての物品が並べられ、店主は深々と土下座をしていた。 「……冗談だ」  男は店主に笑いかける。 「へ?」 「すまんな。〝やりたくなったからやった〟。許してくれ」  男は笑うと、近くにあったハードレザーの鎧と、片手でつかめるだけの金貨を握る。 「これで十分だ」  その瞬間飛び上がった店主はかけらを握りしめて狂喜乱舞した。 「買った! 買ったからな!? これは俺のものだぞ! もう返さないもんね!」 「ああ、別に要らないものだ。ありがとう」  男は鎧をその場で着こむと、ポケットに金貨を詰めて、店を出ようとした。 「……アンタ、冒険者かい?」 「………」  男はふっと遠くを見るような顔をした後、少し笑って答えた。 「ああ、そうだ」 「ふぅん。なら、ここからずっと西にある国で最近冒険者を募ってるらしいぜ。アンタがいい人だから特別に教えてやるんだぞ? 後でこれの価値を知って逆恨みすんなよ?」 「……西か。ありがとう、行ってみるよ」  男は店主に礼を言って店を出ると、西に向かって歩き始めた。  男の名はカマール。パーディック山の名もなき村の最後の生き残り。    カマールは進む。握りこぶしを作り、大股で、ずんずんと、ただ前を向いて。                                                                了
パーディックの愚か者  ※ソードワールドをよく知りません。カマール他登場人物はMTGの人とはあんまり関係ないです。変な敵がでてきます。   超長いです。あとカマールの妹はジェシカじゃなくてジェスカですが、うちのカマールの妹はジェシカです。間違えてません。 〈一〉  一人の青年が薄闇の中を歩いている。 青年は何百年も彷徨ってきたアンデッドのように薄汚れ、汚らしい恰好をしていた。上着か何かであったであろうぼろぼろの何かの毛皮を腰に巻き付け、全身は傷に覆われ、目はほとんど開いていないほどだった。 しかしその青年が憔悴している、と思うものは誰もいないであろう。 両手を固く握りしめ、歩幅は大きく、背には巨大な諸刃の剣を負っている。 そして何より、その青年は前を見据え、視線を決してそらさず歩いているからだ。 青年の名はカマール。パーディック山の名もなき村の最後の生き残りであった。 〈二〉  パーディック山の場所を町の人に尋ねても、誰も答えられないであろう。パーディックというのはその山に住むものたちの言葉で〝山〟を指すだけのものであるからだ。深い山脈の中、その中心がパーディック。しかし、十歳のカマールにとって、パーディックは生活のすべてであった。 村人は山に成る木の実を蒐集したり、山で動物を狩ったりして生活をしていた。カマール少年もまた、イボイノシシを追ってパーディックを駆け巡って育った。 「ジェシカ! 見てくれ、大物だ! 乾し肉や木の実を食べるよりこいつを喰おう!」 「兄さん、大声を出さないで。それも乾し肉にします。毛皮をはいでバルソーの所へ持って行って。今夜は木の実のシチューよ」  一つ年下の妹、ジェシカはパーディックの人間にしてはとても白い肌をしている少女だった。幼い頃体が弱かった所為かあまり外に出たがらず、いつも両親が残した本を読んでばかりいて、たまに外に出ても冬越しの準備のために木の実を集めるだけだったため、肌が焼けていないのだ。 「ジェシカ、たまには本なんて読んでないで外に出ろよ。戦士になれなんて言わないけど、そう肌が白くちゃ嫁の貰い手がないぞ?」 「いいのよ、嫁になんていかないわ。兄さんとバルソーがいれば、私は他にいらないもの」  ジェシカはそういってそっぽを向くと、また本を読み始めた。カマールは溜息を吐くと、身の丈ほどもあるイボイノシシを背負って部屋を出ようとした。 「兄さん」 「ん?」  ジェシカの呼びかけに振り返る。ジェシカは相変わらず本に視線を落としたままだったが、少し顔を赤らめ、 「毛皮をはいで千貫が終わったら、前足だけ持ってきて。今日のシチューに入れてあげる」  といった。 カマールは口角を少し上げ、部屋を出た。  いそいそと毛皮を剥いでそれを樹液でなめした後、カマールはまだ血の滴るイボイノシシを担いで家にもどると、ジェシカがいた部屋の隣のドアを開けた。 「おいバルソー、起きて……」 「今日のは大物だな! よくやったカマール!」  部屋に入った途端、地響きのように低い声でがなり立てる男がカマールをがっと捕まえた。首元を捕まれたカマールは逃れようと暴れ、男はがっはっはと笑い、イボイノシシは床に落ちる。 「バルソー! 首をつかむのはやめろ! とれちまう!」 「男がこんなことぐれぇで泣きそうな声出してんじゃねえやい!」  無理やり男の手から逃れたカマールは、男に向き直る。  男はドワーフだった。背は低いながらもカマールよりも大きく、口元から髭を蓄え、突き出た腹をバンバンと叩いている。そして、頭は剃髪だ。  剃髪はパーディックの戦士の証だ。十歳を迎える冬至の日、戦士になる男は師となる男から剃髪され、それ以降髪を伸ばさない。髪は戦いのとき邪魔になるからだ。  しかし、この男が戦士として現役ではないことは、一目瞭然であった。  この男、バルソーには右足がなく、右手は杖を握っているのだ。 「バルソー、いい加減子供扱いするな! 俺は今年戦士になる男だぞ!」 「がっはっは! 人間の十歳なんてガキもガキじゃねぇか!」  バルソーはまたばんばんと腹を叩くと、左手で軽々イボイノシシを持ち上げた。 「あ! 千貫が終わったら前足だけはくれよ! 今日のシチューにいれてもらうんだからな!」 「あーわかったわかった! いいからお前は皮をなめしてこい! 戦士服を作るんだからいつもみたいにぱっぱと終わらすんじゃねぇぞ!」 「あっ…あー、わかったよ……」  カマールはバツが悪そうな顔をすると、適当に処理しただけの皮を取りに外に出た。 「ったく、誰に似たんだかおおざっぱでいけねえや……」  というバルソーの呟きが聞こえるが、自分の愛用の剣で千貫をしてしまうバルソーに言われる筋合いはない、とカマールは思う。  バルソーは、当たり前だがカマールとジェシカの本当の親ではない。二人の両親はとうの昔に他界し、友人であったバルソーがまだ物心もつかない二人を引き取ったのだ。二人の両親はいわゆる〝冒険者〟という奴で、この村にあるお宝をもとめて外からやってきたのだが、滞在する内にバルソーと意気投合し、バルソーは二人について一度村を出てしまったのだという。  そして数年たってバルソーは戻ってきたのだが、その時には幼い人間の子供二人を連れてきて、その上片足を失っていた。パーディック一の戦士をここまで傷つけたものの正体を村の戦士たちはは知りたがったが、バルソーは口を閉ざし決して語ろうとはしなかった。だから、カマールとジェシカも自分の本当の両親が死んだ原因は知らない。  しかし、それでもカマールもジェシカもバルソーを本当の父のように慕い、バルソーもまた、無き友人の代わりたろうと二人を厳しくも優しく導かんとしていた。 〈三〉  こんな山奥の村にあって戦士が名誉ある職業としてなりたっているのにはとても大きな訳がある。 それはカマールが戦士となった冬至の夜の事であった。  カマールはバルソーによって剃髪された頭を触りながら、夜中寝具を抜け出した。初めて風に曝されたイガグリ頭がむずがゆく、なかなか寝つけないからであった。 「ジェシカ、起きてる?」 「ん……なに、兄さん」  カマールは隣で寝ていたジェシカを揺り起こすと、ジェシカは面倒臭そうにしながらも半身をお越し、カマールに応えた。 「眠れないの、兄さん?」 「うん……」 「だから、戦士になんてならなければよかったのに……もう」  仕方ない、とばかりにジェシカはカマールの手を取り、 「少し夜風に当たれば眠くなるわ。行きましょう」  と言ってカマールを外に連れ出した。  カマールとジェシカは地響きのようないびきを上げるバルソーの寝所を横切り、沢までやってきた。二人はその水を少し口に含み、冬に向かっている冷たい水でのどを潤した。 「これじゃあ目が覚めちゃうわね」 「そうだな」  二人は少し笑いあうと、ジェシカが急に黙り込んだ。 「ジェシカ?」 「ねぇ、カマール」  カマールは少し肩を震わせる。ジェシカが名前を呼ぶときは、真面目なお説教の時だからだ。 「そんな顔しないでよ。少し聞きたいことがあるだけだから」 「……脅かすなよ。それで?」 「勝手に驚いたんじゃない。……カマールは、さ」  ジェシカはしばらく考えこみながら、沢に月明かりで反射する顔を覗き込んだ。 「カマールは、将来何になりたい?」 「え?」  カマールはジェシカの言葉を聞き返す。真意を測りかねた、というより、自明のことを聞かれたような気がしたからだ。  戦士になった、今日から俺は戦士だ、と意気込んでいた自分を、彼女はずっと見ていたはずだ。自分が戦士になることになんら疑いを持たなかったカマールは、ジェシカの顔を覗き込もうとする。 「ううん、聞き方が違うわね。将来どうなりたい? 戦士になったカマールは、将来どうなりたいの?」 「どう、って……」 「この村を守る? それとも名誉をもらって綺麗なお嫁さんが欲しい? 強くなって世界を征服したい?」 「……そんなの……」  そこまできて、カマールは口ごもる。 戦士になって、強くなって、自分はどうするのだろう? 戦士への憧れだけで戦士になってしまったカマールには、その質問に応える言葉がなかった。 「……ジェシカはどうなりたいんだ?」 「私? 私はね」  苦し紛れに出た言葉に、ジェシカは笑いかける。 「私は、世界が知りたい」 「え?」  今度は本当に真意を測りかねた。 「この世界は、四本の剣から生まれたって、父さんが残した本に書いてあったの」 「四本の剣……?」 「ええ。全ての種族はその剣から生まれて、この世界を満たしたそうよ。私たちも、そう」 「そんなわけ……」 「そんなわけない。でも、それは見てみないと分からないわ。私はいつか、『はじまりの剣』を見つけてみたい。それがそんな力のあるものなのか、見て、手に取って、確かめてみたいの。だから私はいつか〝冒険者〟になる」 「冒険者って、父さんや母さんみたいな?」 「そう」  ジェシカは立ち上がり、木々の間から見える星空に手を伸ばす。 「世界は別にパーディックだけじゃないわ。私は本で読んだだけの世界なんてもういやよ。世界を見て、触って、確かめにいく」  ジェシカは長い髪をかきあげ、カマールに笑いかける。 「それが、私の夢」 「………」  月明かりに照らされたジェシカの姿を、カマールは尊いものと感じだ。自分などより数段先へ行き、なおも前に向かって行こうとする姿勢を、失い難いものだと感じた。それと同時に、自分はとても遠いところで立ち止まっているということに気付く。この少女が、いつも部屋で本ばかり読んでいる妹が、すぐに自分の手の届かないところに行ってしまう気がして、カマールは言い知れぬ焦りを覚えた。 「じゃ、じゃあ!」  いてもたっても居られなかった。自分を置いて先へ行ってしまった妹への焦りで、カマールは必死に言葉を探す。夢などない、自分が夢だと思ってきたものはただの手段であると言われてしまったカマールは、自分にできることをただ探す。 「じゃあ俺は、お前を守る! 戦士として強くなって、お前が危なくなっても守れるようになる!」  カマールは口から零れ落ちたような言葉を腹筋で飛ばし、精一杯の意地を張る。兄として、男として、この子だけには置いて行かれたくなかった。  ジェシカはカマールの言葉にしばらく呆けていたが、やがて少し口角を上げると、 「頑張って守ってね、カマール」  とカマールに笑いかけた。 ――『頑張って守ってね、カマール』  と、何かが気持ちの悪い声でオウム返し。 カマールとジェシカはハッとして見上げる。沢の上流、何かの影がこちらをみている。 『頑張って守ってね、カマール』  その影は、ゆらゆらと揺らめきながらこちらへやってくる。その影は人のような、蝙蝠のような、ドワーフのような、トロールのような、エルフのような。とらえどころなく体を変えながら、作り物のような声でこちらへ向かってくる。 「……蛮族だ!」  咄嗟に声を上げてカマールはジェシカの手をとって走り出した。戦士になって間もない自分が戦えるとは、露ほども思えなかった。そして何より、それが自分の見たことのある蛮族ではなかった、気持ち悪い存在だったことが、彼をすぐさま走らせた。   この村は定期的に蛮族に襲われる。二人の両親がやってきた理由でもある、とある〝お宝〟を狙い、蛮族は徒党をなしてこの村にやって来る。〝蛮族〟とは人間やドワーフに対する『敵対者』の総称だった。一か月間もこないこともあれば、二時間も隙を待たずにくることもある。しかしそれらは徒党をなしているとはいえ、コボルトやボガードなどある意味で相手にもならない奴らばかりであり、見ているだけだったとしても二人にとってそいつらは『いつもの奴』だった。 だが、こいつは違う。こいつはなんだ。ゆらゆらと形を変えながら、こちらへやってくるそいつに、二人はいつもの蛮族の襲撃より遥かに強い恐怖を抱いた。 「あ!?」 「ジェシカ⁉」  慣れない山道だったためだろう、ジェシカは躓いてしまった。カマールはとっさにジェシカの手を引いて転ばないように踏ん張ろうとしたが、焦って足を滑らせ、もつれるようにして転んでしまう。  ゆらゆらと揺らめくソレは、倒れそうな歩幅の割に異常なほど素早く動き、二人に迫る。焦って立ち上がろうとしても、体が上手く動かない。膝立ちになってジェシカを助け起こそうとするが、スカートのすそを踏んでしまってまた転ぶ。 ダメだ、目の前にきた、助からない、カマールがジェシカを抱きしめる。 「あああああああらぁ!」  突然地鳴りのような声を上げ二人とそれの間に誰かが割り込んできた。ガキン、と鈍い音が響いた。二人は咄嗟に顔を上げる。  そこには、片足と杖で踏ん張り、片手だけで頑強な剣を振りソレの手のようなものを受け止めているバルソーの姿があった。 「バルソー!」 「逃げっ、……この!」  バルソーは片腕だけで巨大な剣をぶんぶんと振り回しそいつを退けようとするが、やはり片足だけではうまく扱えないのか、そいつがダメージを食らっている様子はない。しばらくするとハッとしたカマールは立ち上がり、ジェシカの手を引いて立ち上がろうとする。 「立て、ジェシカ!」 「え、あ……」  ジェシカは兄の言葉に反応して立ち上がろうとするが、転んでしまう。見れば、ジェシカのスカートは濡れて足に張り付いてる。腰が抜けて、失禁してしまっているのだ。 「くそっ!」  カマールは悪態をつくとジェシカを担ぎ上げ、よろめきながらも山道を下ろうとする。失禁など自分もしている。今更いくら濡れようが構うものか。  しかし幼く非力な体はジェシカを背負って山道を下るというのにうまく対応できず、すぐに息が切れる。十メートルも離れていないであろうところで、また転がってしまった。 「うおぁあ!?」  バルソーの悲鳴が聞こえる。転がって前後不覚になっている場合ではない、立ち上がらなければ! 強く思い、顔を上げた。 『頑張って守ってね、カマール』  それの顔が、目の前にあった。 顔、と呼べるほどのものか。 何かの塊が頭のようなものを為しているだけの、それ。 「あ、あああああ!?」  カマールはジェシカを探して辺りを見渡す。 すぐに見つかった。  それの、腕の中。 まるで始めからそこにそうあったように、腕の一部とジェシカが溶け合っていた。 「あ、は……?」 「に、兄……」  ジェシカはもがいた。カマールに向かって手を伸ばした。カマールもその手を取ろうとした。  しかしそれは、まるで用がすんだというように立ち上がると、翼、のようなもの、を広げ、飛び上がろうとする。 カマールの手は、ジェシカには届かない。  カマールは辺りを見渡す。 「バルソー!?」  バルソーは松葉杖が折れ、立ち上がろうとしているが、すぐに動けそうではない。  バルソーの助けはない。  しかし、カマールの足元。闘っている最中に飛ばされたのであろう、バルソーの剣がそこには転がっていた。迷うことはなにもなかった。自分は戦士になったのだ! 妹を守るために、闘わなければ!  バルソーの剣を拾い上げる。 「妹を、返せ!」  重たい。でも、振らなければ!  やっと振り上げたそれを、しかしその化け物は軽く一瞥しただけでかわす。剣に振り回され、狙いが定まっていない。ならば!  カマールは咄嗟に近くの石を柄の後ろにあった爪の装飾に噛ませ、刃の方に偏重していた重心を柄に寄せて、もう一度その化け物に振り上げる。先ほどよりも重く感じるがそれでもまだ狙いが定まる、ジェシカが捕まっている腕を切り落とせば!   ガキン、と、重たい音がなる。 まるで鋼鉄に阻まれたかのように、肩を狙って振り下ろした剣はそのうねる表皮に阻まれる。 「えっ……あああああああ!」  もう一度振り上げて、降ろす。ガキン、と鈍い音を立ててはじかれる。  何度も、何度も、何度も、はじかれる。  そしてまるで『気が済んだか?』とでも言いたげに、振り上げる力がなくなってよろめいたカマールを見おろした化け物は、空へ飛びあがった。 「ジェシカ! 行くな!」  カマールは手を伸ばす。ジェシカは既に気を失っている。それでもと手を伸ばす。  カマールの指先はジェシカの指先に触れることもできず空を切り、化け物は飛び上がって木々の間を抜け、力の限り走り出したカマールを置いて、やがて山間に消えた。    〈四〉  それからというものカマールはひたすらに修行に明け暮れた。ただひたすらに来る日も来る日も剣を振るい、野山を掛け、たまに来る蛮族に戦いを挑んだ。ストイックに自分を追い込み続けるその姿は同じ戦士たちからも異様に思えるほどで、畏敬の念すら飛び越えて恐怖を抱かせるものであった。  事情を知るものは少ない。なにせ、戦士というのは早死にだ。休む暇なく襲われた日には、顔見知りが二、三人いなくなっているなどというのはザラにある。二回の大きな襲撃を受けたパーディックは、彼の二十歳を数える冬至の日を迎えるころには、カマールは既に戦士の中でも上から数えた方が早いほどの古株になっていた。 「おいカマール、それくらいにしたらどうだ」 「……テッドか」  カマールはその声にも構わず大上段に構えると、その剣を裂帛の声と共に目の前の樹に振り下ろした。まるで雷が落ちたかのような音が響くと、バリバリと音をたてて木が左右に割れて、倒れる。  そんな木の残骸が、そこらじゅうに転がっていた。 「『カマールが修行した場所にいくと、槇拾いが楽で助かるワ』、なんて女連中は言ってるが、俺は関心しないな。槇を作りたいなら斧でやれ。剣が可愛そうだろ」 「ぬ……」  同じ戦士であり、戦士の武器を修理する係でもあるテッドに言われ、剣を見る。これは自分が戦士になってからいくつめの剣だっただろうか……それにしたって新品のはずである。しかし、剣は歯がこぼれ、切っ先は既に丸くなっていた。 「分からなくもないけど、あれから十年も経ってるんだ。いい加減落ち着けよ、カマール」 「落ち着いている」 「どこがだ。いつかそのよくわかんない化け物が現れたとして、そいつを殺せばジェシカちゃんが生き返るのか?」 「関係ない」  カマールは振り返ると、テッドを睨み付けた。おお怖い、とテッドは肩を竦め、犬耳を軽く震わせた。その顔は毛むくじゃらで、ウルフのように口と鼻が突きだしている。  テッドはコボルトだ。種族で言ってしまえば蛮族と呼ばれる種族だが、実はこのパーディックでは珍しくもない。  たびたび戦死者が出るこのパーディックで人口が減らない理由の一つであるが、ここへやってきた蛮族や夜盗たちで、勇ましく戦ったものたちはもちろん死んでしまうが、中には命乞いをするものもいる。そういうものを、パーディックでは殺さず捕虜にする。そしてそいつらは一世代、二世代とへるごとに野心を失い、いつの間にか定住していることが多い。比較的人間寄りに生きることがあるコボルトは、実は人間と同じくらいの数がいる。ドワーフがパーディックを取り仕切ってはいるが、寿命に反比例するように彼らは数が少ない。そういう訳だから、戦士の中にテッドのようなコボルト、たまにエルフ、またそれらの混血などが含まれている。    そしてそんな有象無象の中にあって、カマールは今や最強であった。テッドが止めるのも無理からぬ話である。それ以上強くなっても、戦士の中から孤立するだけだということはカマールにも分かっていた。 「ふぅ……」  カマールは溜息をつくと剣を背負い、テッドの横を通りぬける。 「関係ないんだ、ジェシカのことは……」  テッドに聞こえないくらいに呟いて、カマールは村の方へ戻っていく。テッドは少し溜息を吐くと、カマールの後を追った。  〝宝〟を守り続けているこのパーディックで、野心をもったものたちを野放しにしておける理由の一つは、絶対的な秘密主義にある。〝宝〟の隠し場所はもちろん、まずその〝宝〟とやらがなんなのかさえ、パーディックに住む人々は知らない。知っているのは本来長老のドワーフたちだけだ。  本来、というのは、カマールはあることを通してその隠し場所を知ってしまったためである。しかし、何故そんなものが宝物であるか、ということは、よく分かっていない。知らなくていいことだとすら思っている。 「バルソー」 「おう、帰ったか」  松葉杖をついて部屋の中を往復していたバルソーに、呆れたようにカマールは言う。 「何をしているんだバルソー。じっとしていろ」 「ああ? ベッドの上でじっとしてら体が腐っちまうわ」  バルソーはあの一件で健在だった左足に怪我を負い、まともに歩くだけでひどい苦痛を覚える体になっていた。こうやって本人は歯を食いしばって体の衰えを食い止めようとしているが、しかし、声からして以前の地鳴りのような覇気がなく、日に日にやつれていっている。育ちざかりのカマールたちよりも遥かに食っていた乾し肉も、二日に一遍という有様だった。 「……おい、カマール。その剣……」 「ああ、またガタがきている。直せそうか?」 「ん? ……まぁ、直せるは直せるが、こりゃあ一度鋳つぶした方がマシかもなぁ。ったく、この山で採れる鉄はもろくていけねぇぜ」 「そうか」 「時間がかかることだし、今はやめておいたほうがいいだろうな。しばらくは無理させるもんでもないぜ、それ」 「……そうだな」  最近、二回も大規模な蛮族の襲撃があり、多くの戦士が死んでしまった。その結果、残っているまともな戦士はカマールを除けばテッドなどの古株ぐらいしかおらず、小規模の襲撃ですら凌げるか怪しい、というのが現状だった。カマールとて武器なしで蛮族をなんとかできるわけでもなし、ガタがきているとしてもこれを使うしかないのだ。  カマールはちらり、とバルソーのベッドの脇にある剣を見るが、すぐに視線を逸らした。 「冶金に詳しい長老がいたな。そこへ行ってみる」  カマールはそれだけいうと自分の寝室へ入ろうとする。 「おい、カマール。いい加減落ち着いたらどうだ? こんなことを言うのもと思って言わないで置いたが、ジェシカはもう……」 「またその話か」  カマールは溜息を吐いてから、バルソーに向き直る。 「分かっているさ、バルソー。俺は本当に落ち着いている」 「………」  バルソーはカマールの瞳をじっとみる。確かに、そこには悲しみこそあれ、激しさや怒りなどの感情は見えなかった。 「バルソー。俺は戦士だ。パーディックを守るために生き、パーディックを守るために死ぬ。ジェシカを守れなかった弱い俺じゃない。強き戦士カマールが、この村を守るんだ」  カマールはそれだけ言うと寝所にもどって地鳴りのようないびきをかいて眠り始めた。   バルソーはただひっそりと、ベッドに腰掛けて溜息をついた。 「人間ってのは、どうしてこう偏っちまうんだろうなぁ……なぁ、ジェシカよ」  バルソーはそうつぶやいて、やがて静かに眠り始めた。  〈五〉 「た、大変だカマール!」  冶金に詳しい長老に話を聞こうと村を歩いていたカマールが、テッドに呼び止められる。 「どうした、テッド。吐息をかけるな犬臭い」 「そんなことはどうでもいい! この間捕虜にした奴が口を割ったんだが、あの二回の襲撃、本隊じゃなかったらしい」  カマールは肩を震わせ、そのまま走り出した。 「……どうやら、本当らしいな」 「なんで俺の言葉だけで信用しないんだよ!」  テントを引き裂かんばかりにテッドが吠えたける中、カマールは戦士たちの集まりの中で顔を顰める。口を割ったという捕虜を何度かつるし上げたが、同じことしか言わなかった。 「捕虜の話ではこの近くに本営を構えているそうだが、場所が分かる奴いるか?」 「西に二山超えたあたりにそれらしき場所はある。静かにしていればここまで何にも聞こえない場所だ。大隊を隠しておいても発見は遅れるだろう」  と、エルフのチェイナーが言う。 「捕虜の言ってる話とも合う……やばいぜカマール、どうすんだよ!? 西って言ったら二山超えっていっても大したとこじゃない、一日で来ちまうぜ!?」  テッドの悲痛な吠えに、そのテントの中にいたすべての戦士がカマールを見つめる。老いも若きも、皆。  戦士にリーダーと呼ばれるものはない。ないが、皆の畏敬を集める最強の戦士が、当然の如くその役割を担わされる。暴れだしたとしたらパーディック中の戦士が束になっても止められるか怪しいカマールは、恐怖と存在感をもってその場で扱われていた。 「………」 「黙ってないでなんか言えよカマール!」 「ええいうるさい黙れ! 考えている途中だ!」 「キャン!」  テッドの鼻に裏拳を見舞うと、またカマールは頭を抱えてうんうんうなり始めた。  もともと頭を使うことは苦手だったカマールである。それらしく振舞ってはいるが、差し迫った脅威にたいして的確な判断をすることは基本的にできない男だ。 「くそ、今の人員で前回や前々回以上の襲撃を止められるか……? どう考えても不可能だ、武器もなければ練度もたりん……どうすれば」 「夜襲すれば?」  ふとした呟きに、全員がその発生源である小さな物体を見る。 「あ、オイラまずいこと言った。口チャック!」 「スクイー! 貴様俺たちの誇りを侮辱するつもりか!?」 「ひぇええ口チャック間に合わなかったよぉ」  鍋の蓋を被ったゴブリン、スクイーはまるで穴に潜るようにぴょこん、と姿を消したが、激昂したチェイナーに捕えられていた。  パーディックの戦には掟がある。決して不意打ちをしない、ということだ。相手が戦いの準備をしていない状態で戦うことはせず、戦いの前に高らかに名乗りを上げる。それを破ったものは戦士ではなくなってしまうし、誇りなき戦いをしたものはパーディックにはいられない。  戦士がある種神聖視すらされているこのパーディックにおいて、それは決して許されることではない。ないが。 「……いや、それしかない」 「カマール!?」  皆がカマールの顔を見る。カマールの瞳にはギラギラとした光が宿っていた。 「残された手でパーディックを守るなら、夜襲、奇襲、伏兵、どれも必要だ」 「正気かカマール!? 貴様誇りを捨ててまで守らなければならないものなどない!」 「ある。パーディックだ。俺たちの故郷だ。決してなくしてはならない!」  カマールはぎらつく瞳でチェイナーを威圧したが、一瞬だけチェイナーはその眼光にひるんだ後、軽蔑するように肩をすくめた。 「誇りと共に死を選ぶ覚悟が、俺たちにないと思っているのか、お前は。パーディックという場所は、もともとそういう場所だ」 「関係ない。誇りだろうが生だろうが死だろうがパーディックを守るためならば選ばねばならん」  静まりかえった中でスクイーが辺りを見渡し、 「け、喧嘩はやめてー……ね?」  などと言ったが、戦士たちは聞かず、しばらくすると 「すまない、お前にはついていけない」  といってまずチェイナーが出て行った。  それを合図にするように、古参、新参がぱらぱらとテントを抜けていき、最後に残されたスクイーが視線をテントの出口とカマールで往復させた後、ゆっくりと出て行った。  残されたのはカマールと気絶したテッドだけだ。しかしカマールはぎらぎらとした瞳で一点を見つめ、決して逸らそうとはしなかった。  〈六〉 「……いくのか」 「ああ。もう戻らない」 「気を付けてな」  バルソーとの別れは、それだけで済んだ。子供のころから慣れ親しんだ養父との別れだというのに簡潔に済まされたそれをカマールは気にも留めず、ただギラギラとした視線だけを前に向けていた。    西に向けて歩を進めるカマールを、パーディックの人間は口々に非難した。石をぶつけるもの、誇りを捨てた愚か者めと罵るもの、ただ避けて歩くもの、命を取らんとして周りに止められるもの。その全てが、カマールの存在を心の底から疎んじていた。  閉鎖された社会において、絶対である価値観を覆すということは、外の人間からは理解できない反発を生む。パーディックを守るための行動を起こそうとする彼を、誰もが認めようとしなかった。  しかしそれでも、彼は視線を一点からそらさず、決して歩みを止める事はなかった。 「よう愚か者」  そんな彼に、一人だけ話しかけたものがいた。テッドだ。村を出てしばらくたったところで、樹木に寝そべるようにして話しかけてくる。 「聞いたぜ、俺がおねんねしている間に随分なことをやらかしたそうじゃないの」 「関係ない」 「……まぁないわな。それでも、ちょっと俺の話を聞く気はないかい?」  カマールは視線をそらさず、しかし立ち止まって言葉をまった。  すべての非難をうけようと思っていた。カマールも同じ社会で育ったもの。これが軽蔑を受けるに値する行動であると分かっている。そして、そのそしりを受けて猶、自らを通そうというのである。  しかし、テッドが口にしたのは非難ではなかった。 「俺はお前の行動、かっこいいとおもうぜ」 「……なんだと?」  テッドは樹木の上から飛び降り、カマールの前に立つ。 「俺はもともとアンタらに拾われたケチな蛮族だ。つっても、ちょっと人間の社会にもいたんだぜ? だから知ってるぜその行動、自己犠牲ってやつさ。町じゃ最高にクールな奴がすること。いくら夜襲っつったって相手は一人じゃねぇ、一人で闘うってなったら死ぬだろうよ。それをアンタはやろうとしてる。パーディックとかいう胸糞悪い糞田舎のためにな」 「……誇りを捨てた、それがクール?」 「違う違う、ちゃんと目的のために生きて、死ぬ。その行動こそがクールってやつさ」  テッドはぽん、とカマールの肩をたたいた。 「剣が一本じゃ背中を守れねぇだろ? 付き合うぜ」 「……俺一人で十分だ。お前まで愚か者になる必要はない」 「分かってないねぇ、田舎者は。町じゃこれもクールってやつなんだぜ? それに俺はケチな蛮族やってたが、料理には自信があるし、武器の整備もできる。村を出て町で暮らしていくには十分だ。いいから行こうぜ、日が出てきたら夜襲じゃなくなっちまうだろ」  テッドが先を歩き始めて、カマールはしばらく呆然とした後、口角を少し上げた。 「おい、テッド」 「あん?」 「お前、最高にクールだぜ」 「よせやい」    〈七〉  一日はかかる、と言っても、それは大隊の、それも飛べない蛮族たちと計算してのことだ。二人、しかも山に慣れ親しんだパーディックの民ならば、その道は半日とかからない。 「おいカマール、そろそろチェイナーが予想した場所だぜ。何か臭くなってきたし、ビンゴだ。覚悟はいいか?」 「関係ない。ただ戦い、殺すだけだ」 「おー怖い……よし、ここからは隠れていくぞ」  テッドの指示に従うように、木々の間を音もなく駆け抜けるカマール。そして、二人は焚き火の残り香を頼りにその野営地に向かって突き進んだ。 「……よし、ここだ。どんぴしゃだな」 「……妙だ」  鼻をクンクンと鳴らして親指を立ててくるテッドを無視しながら、カマールは怪訝そうな顔をする。 「静かすぎる。蛮族にしては寝つきが良すぎやしないか?」 「そりゃあ、蛮族だって夜は寝るしよ……ん? 寝るのか? 俺は寝るけど……」 「……まぁ、考えていてもしょうがないか。いくぞ」 「は? いくって……おいおいおい!?」  カマールはここまでやってきた時と同じようにずかずかと茂みの中から野営地に躍り出た。そして、ぼろぼろの剣をかかげ、口を開いたのだ。 「我はパーディックの――うぐぅ!?」 「うぐうしゃねぇよこの馬鹿ちんが! 夜襲だって言ってんだろ!? 寝首をかくんだろ!? 何起こそうとしてんだよ!」 「――た、闘うなら一緒じゃないか!」 「こいつあんな顔しながら夜襲のことわかってなかったのかよ!? かぁー! ついてこなきゃよかった!」  二人がぎゃあぎゃあ言い争っていて、ふと、テッドがいぶかしげな顔をした。 「……なんだ、これ」 「何?」 「いや、この……岩? なんか、くせぇ」 「臭い?」 「焼けた臭い……あ」  テッドは何か気付いたように後ずさる。 「……なんだこれは」  カマールもそれに近づき、そして気付く。    それは何か堅い表皮をもった巨大な生物だということ――否、それが巨大な生物であったもの、だということに。 「……これは、なんだ」 「ドラゴンの丸焼き……ってとこかなぁ」 「!」  カマールは辺り一面を見渡す。焦げた臭い、散らばる岩石、野営の後。 ……違う、それらは全て、蛮族の死体だった。百や二百ではきかない蛮族が、そこらじゅうに転がっているのだ。 「……既に壊滅している?」 「おいおいちょっと待てよ、ざっと見ただけでもとんでもない奴らだぞ? どうしてこんなことになってんだよ? 火山でも噴火したってのか」 「別のものに夜襲を受けたとかか」 「どんな奴だよ!? こいつらほとんど動いた跡がねぇ! 一瞬で丸焼きになってんだぞ!」 「……!」  そこでカマールは、月影に照らされて移る動くものをとらえ、追いかけ始める。 「おいどうしたんだよ!?」 「生きてる奴がいた! あいつを捕まえて何があったのか吐かせる!」 「あ、待てって! ――うわぁあ、す、すんませんすんません……あ、待てよカマール!」  慌てて追おうとして強面のドラゴンの顔を蹴ってしまったテッドが反射的に謝っていると、カマールはすでに野営地を抜けて再び森の中へ入ってしまっていた。  〈八〉  身長百八十センチメートル、歩幅は常人の倍はあろうかというカマールが飛ぶように走るというのは、山に置いて追い抜けるもののいないスピードである。しかし、その白い影はつかず、かと言って離れることもなく進んでいき、カマールを苛立たせた。 「くそっ、あの子供、イボイノシシより速いな!」  言葉を荒げ、ただ弾丸のように進んでいく。  しかし、ここもパーディックだ。地形も覚えている。確かこの先は。    しばらく突き進むと、すぐに開けた場所に出た。その白い小さな影はそこで立ち止まっている。当たり前だ。 「鬼ごっこは終わりだ。さぁ、あそこで何があったか吐いてもらおうか」  カマールは立ちすくむ白い少女にゆっくりと近づく。焦る必要はない。  なぜなら、その先は崖だから。その少女がどんなものなのかは知らないが、すすんで崖に進めるような姿ではない。 「鬼ごっこは終わりかぁ、残念ね、カマール」 「……なんだと?」  少女の透き通るような肌が月光に照らされている。髪は黒く、長い。パーディックではポピュラーな童女の服をまとったそれは、ゆっくりとこちらを振り向いた。 「久しぶりね、カマール」 「……ジェシカ?」 「十年ぶりかしら。無事なようで安心したわ」  と、静かな笑みを浮かべるそれは、まぎれもなくあの冬至の日に居なくなったジェシカそのものだった。 「……生きていたのか」 「なんとかね。貴方こそ生きていてよかったわ」  そういって、ジェシカはゆっくりと歩み寄ると、カマールを抱擁した。 「また会えるなんて思わなかったわ……」 「……俺もだ」  カマールはしゃがみこみ、その小さな体を抱きしめる。 「お前が居なくなってから、何を守っていいのか分からなくなった。村を守ってみても、戦士は次々死んだ。もう、俺より強い戦士もいない。戦士は俺より年下ばかりだ」 「頑張ったのね、カマール」 「お前が居なくなってから、バルソーが足を悪くしてな。すっかり弱ってしまった。俺たちの強い父はもう、いない」 「つらかったのね、カマール」 「二度の大きな戦があった。ダメかもしれないと思う瞬間が沢山あった。それでも耐えきったが、次は耐えきれそうになかった。誇りを捨てでも、認められなくても、村を守るために闘わなければならなかった」 「苦しかったのね、カマール」  カマールはぼろぼろと涙をこぼしていた。泣いたことなど、あの冬至の日から一度もなかった。泣く暇もなく、強くなろうと必死だった。あの日ジェシカを助けられなかった弱い自分を殺したかった。しかし、今、ジェシカはここにいる……ああ。 「そうか、俺は、許されたかったのか……」 「カマール」  ジェシカはカマールの耳元で優しく囁く。 「貴方は十分頑張ったわ。決して折れず、決して綻ばず、ただ、まっすぐに道を貫いた」  甘い声だった。 「世界は貴方を認めなかったけど、私が許す。あなたはもう休んでいいわ」  ずぶずぶ、と、深い愛におぼれていくような。 「今はゆっくり眠りなさい……起きたらまた」  ずぶすぶ、と、深い眠りに落ちていく。 「一緒にパーディックのイボイノシシを追いましょうね」  ああ、それは母のような―――。    待て。頭が警鐘を鳴らす。  待て。こいつは今なんといった。  待て、そうだ。こいつは今、『一緒に』と言った。    ジェシカは自分から外へなど出ない奴だった。俺が誘おうとしても狩になどくることはなかった。いつも部屋で本を読んでばかりいたんだ。  そもそも、ジェシカは今生きていれば十九のはず。〝これ〟が、十九の人間か!? 「……?」  掌にいつのまにか何かを握りこんでいた。これは、破片? あの〝かけら〟? でも、これは確かまだ――。  頭に鈍痛が走る。この感覚は良く知っている。蛮族の中で魔法が得意なものがときどきやってくる、あの痛み。 「……どうしたの、兄さん。眠っていいのよ?」 「お前は、誰だ。なぜ、俺の記憶を読んだ!?」 「……解けちゃった?」 ジェシカの姿をしたそれは、にやり、と大きく顔を変形させて笑った。  〈九〉 ハッと目が覚め、カマールは体の異常事態を悟る。ずぶずぶと底なし沼につかるように、何かやわらかい物が全身を覆っていた。  俺は体を覆うそれをめちゃくちゃにしながらもがく。まるで粘液のように絡みつくそれを、力任せに振り払う。  〝ソレ〟はまるで、カマールを体の中に取り込むように埋没させていたのだ。 「ッ、無理矢理振り払うなんて……なんて野蛮なのかしら」 「ふざけるな、化け物が」  その、ジェシカの姿をした薄気味悪いものから距離を取る。もう、既に戦士服の一部は溶かされていた。 「お前は、あの時の〝アレ〟か」 「怖いわ、カマール。どうしたの?」 「うるさい」  背に負った剣を大きく振りかぶり、裂帛の気合と共に脳天に振り下ろす。躊躇などしない。こいつはジェシカなどではない! 「相変わらず馬鹿なカマール」  ソレはまるで日差しを遮るように、掌を眼前に突出した。そんなもので遮れるパーディックの戦士の一撃ではない。そんなものは、槇を割るより容易く崩れる壁でしかない。  はたして、力任せに振り下ろされた剣が、脳天を叩き割ることはなかった。  甲高い音をたてて、剣だったものが辺りに散乱している。  何が起こった!? それをカマールが理解するより先に、首元に強烈な衝撃が走った。  少女のそれとは思えないほどの力でカマールの喉を締め上げる腕に、カマールは一切抵抗できない。 「勝てないことも分からないなんて、何も成長してないじゃない……私はこんなにも成長したのに」  聞いたことのないような声が、ジェシカの姿をしたそれの声帯から放たれた。 「全て燃やし尽くした後に場所が分からないんじゃ面倒だと思って〝探って〟みたけど、まさか一人目で当たりなんて……人間ならこう言うでしょうね。 私運がいいわ、カマール」 「ふざけるな!」  首を締め上げる腕を全力で引きはがそうとするが、それはいつの間にか先ほどまでの少女のそれとは違い、人よりも固く、強く、醜悪なものに変形していた。  指は三本しかなく、人よりも巨大で、脈動するイボのようなものに覆われていた。  カマールはその腕がなんなのかは分からない。しかし、それでもそれは、カマールのような〝人間〟が適うものではないことがすぐに分かった。  絞り出すように挙げていた声が止まり、睨み付ける瞳から光を失い、そして最後まで抵抗し続けていた両の手は、一本一本、だらり、と垂れさがった。 「あっけないものねぇ……私が食べれなかった初めての人間なのに……」  ジェシカの姿をしたそれは、動かなくなったそれに興味をなくしたかのように冷たい目線を向けていた。 「その手を離せ化け物おおお!」  その時だった。背後の物陰から現れたテッドが、裂帛の気合と共に〝ソレ〟を横薙ぎに切り裂こうとした。〝ソレ〟ははっとして振り返るが、もう遅い。強靭なパーディックの戦士の剣ならば、腕と胴体ごと両断することすら容易い。テッドにとって、それは確定した勝利であった。  そう、〝ソレ〟が普通のものであったならば。 「いっ」 「え――あ」  テッドは確かに肉を切る手ごたえを感じていた。しかし、それが一瞬のうちに何かに阻まれたことを感知した。そして、自分の体がバラバラになったことを理解したのは、自分の体を巨大な何かが通過した、と思ったその一瞬後だった。  テッドは唖然としたまま、空中を飛び散る。  巨大な何かは、少女の肉体には不釣り合いなほど大きな、機械の腕。 「駄犬、貴方のようなものが傷つけていい体じゃないわ」    テッドは空中に飛散しながら、ついてねぇな、と自分の不幸を呪った。視界には両の腕を異形に変えた少女。もう目がかすんでそれがどうなっているかも分からなかったが、茂みに隠れている時から自分のようなものが敵対して勝てるわけもないものだということは理解していた。  それでも。  それでも、体は勝手に動いた。力を失う屈強な戦士を見捨てておけなかった。皆に畏れられているくせに実はたいしたこともない中身の青年、カマール。外様と腫れ物のように扱われながらも戦士として扱ってくれた友を見捨てるほど、テッドは蛮族できていなかった。  ああ、どうせだったら村なんか見捨ててカマールを外に連れて行ってやればよかった。こんな所で死ぬくらいだったら、奴にもっと世界を見せてやればよかった。そんな後悔の中で、ふと、視線が合う。  ありがとう、と口が動いたのが見える。  なんだ、生きてるじゃん。テッドは薄れゆく意識の中で、口角を歪ませた。  〈十〉  カマールはふと、体中の痛みで目を覚ました。  全身の至る所に枝が刺さり、体中の血液が抜かれているようだった。重すぎる瞼をこじ開けると、目の前には葉と枝。それをかき分けるようにして、顔を出す。  目の前に巨大な岩肌が見えた。山々を見渡すようにして位置を確認すると、先ほどの崖の下のようである。 「死んだと思って俺を崖に投げ捨てたか……それとも生きていると分かって俺が絶望するようにか?」  この崖を見上げる。ここが平地とほぼ同じ高さで、切り立った崖はパーディックの山々と差支えない高さだ。迂回する道もあるが、そんなことをしていてはいくらカマールでも二日ほどはかかる。アレに記憶を読まれたのだから、どうしたってそんな時間をかけるわけにもいかない。 「……どちらにせよ、俺が生きていたことを後悔させてやらなければな」  カマールは満身創痍の体を引き摺り、自分を受け止めた樹木から転げ落ちる。  まともに動きもしない手足に鞭を打って、崖の前までたどり着いた。  登れるわけがない。山を踏破することにはいくらか自信があるが、巨大な岩肌を曝す絶壁を登ったことなど、一度たりとてない。 「山育ちをなめるな」  岩肌をつかむ。握力はほとんどなく、今にもかかった指がはずれそうだった。  しかし、絶対に離さない。足をかける、岩に手を伸ばす、体を引き上げる。 「なめるなよ、化け物」  うわ言のようにつぶやき、カマールは岩肌に体を削られるようにして、ただ登り始めた。   岩肌に生えた木に、テッドの腕が引っかかっている。カマールは一瞬だけ一瞥すると、その腕に笑いかけた。 「ありがとう、友よ」  あの時アレが怯まなかったら、とうにカマールは意識を手放し死んでいただろう。茂みから飛び出してきたテッドにひるんだアレは、一瞬だけ拘束を弱め、その瞬間に頭に回った血液が、ちぎれとびそうな意識を繋ぎ止めたのだった。 「それと、もう一つ……」  あいつはテッドの攻撃を防御するために、巨大な機械の腕を使った。しかしその腕にはテッドの剣が食い込んでいて、テッドを吹き飛ばした後光の粒のようなものを飛ばしていた。  あれが、奴の血。どうしてもダメージを与えられないものなのかと思っていたが、そういうわけではないらしい。ダメージを与えるにはコツがあるのだ。 「先を急ぐ。世話になったな、テッド」  もうテッドの腕に視線は無かった。上空一点を睨み付け、ただ登って行く。まだ夜だが、時期に日が昇る。 ぎらぎらと輝く眼光が、薄闇の中で光った。  〈十二〉  必要なことは強さだ、とバルソーはカマールに教えた。今をもって、それは正しいことだと証明している。 炎に焼けた世界で、バルソーはただ一人その少女の前に立っていた。 「ジェシカではないな」 「ごきげんよう、あなたはバルソーね。お久しぶり」  その物言いに思うところはあったが、バルソーはそれを頭から排除した。 「素直に渡してくれると助かるんだけど」 「やなこった。なんでも思い通りになると思うなよ、化け物」  バルソーは巨大な剣を片手だけで構えると、片足だけで地面を蹴った。  こいつが何者かは知らない。長いドワーフの人生のわずかな間だけだが冒険者だったバルソーにとっても、こんな敵は見たことがなかった。パーディックにこいつが現れた時、上空に太陽が現れたのかと思うような光があふれ、一瞬のうちにパーディックは焼き払われた。第三の襲撃に備えていた戦士たちはそれでも生き残っていたが、この面妖な生物によって先ほど全滅させられた。  ソレは右手を硬質な機械の腕に変えると、バルソーの一撃を受け止めた。  どういうわけか、こいつは自在に姿を変えられる。そんなことはバルソーも見ていた。 「んっ!?」 「おらあ!」  ソレは諸刃の剣を受け止めたとたん、顔を顰め、巨大な蝙蝠の翼のようなものを広げて飛び退いた。 「……やっぱり、貴方がもっているのね」  それは苦々しげに機械の掌を抑え、飛び散る光の粒を抑えた。顔は苦しい表情を浮かべているが、それはすぐに喜悦と変わった。 「剣の柄に隠してるんでしょ? その剣の柄の後ろ、爪の意匠の中から取れるのよね」 「……カマールが喋るわけねぇよなぁ。おい化け物、カマールはどうなった」 「死んだわ。馬鹿なコボルトも一緒よ」  ソレは左手を突きだすと、呪文を唱え始める。バルソーにとってそれは、ある種の懐かしさすら感じるものだった。  二人の母親は凄腕のソーサラーだった。彼女は炎の魔術を好んで使い、バルソーと父親を援護していた。それは確か彼女の使っていた呪文の一つだったはずだ。 「因果なもんだな……そいつを撃たれることになるなんて」 「〝この子〟は本当にいい拾いものだったわ。独学でここまでの魔術を身に着けていたんだから。使い方さえわかっていれば、あの時私がこの子を攫う事はできなかったでしょうね」  バルソーはそれを黙って見ているわけにはいかなかった。  ドワーフというのは元来火に強い性質を持っている。しかし、多くのドワーフは既に炎に焼かれて死んでいる。強いといっても限度はあるのだ。切り札は持っているが、それを使うのは最後にしたい。  バルソーは熊のイメージを思い浮かべる。それはパーディックの山の、戦士の次に強い生物だ。彼らは人間やドワーフよりも強靭な筋肉を持ち、イボイノシシを狩る。戦士が勝てるのは、単純にそれより知恵で優れているからだ。 バルソーのイメージはその熊を模倣する。そしてそのイメージはバルソーの体にも宿る。衰えたる体に、活力がみなぎる。体内に蓄えられた魔力が駆け巡り、全身の筋肉を震わせる。 バルソーは跳躍した。その弾丸の如き跳躍は垂直にまっすぐと、火球を生成するソレの懐へと潜りこんだ。巨大な鋼鉄の腕は間に合わない、火球を作る腕は非力すぎる。バルソーは剣を小さな胸へと突き進んだ。 はたして、その突進をとめたのは鋼鉄の腕でも、非力な腕でもなかった。 ぞぶり、という音とともに、バルソーの突進は慣性を失い失速する。撃ち落とされたのか、とバルソーは思った。しかし、その瞬間ソレと目が合った。 それは既にジェシカの形をしていなかった。鱗のある、巨大な頭部を、バルソーは見たことがある。ドラゴンだ。ドラゴンの頭が、自分の腕と剣を咥えていた。 「うっ」  強く打ち付けられた体は、総ての酸素を吐き出してしまう。既に左腕はなく、剣は手の中になかった。しかし、バルソーは右手の杖をぐっと握りこむと、ふらふらと立ち上がった。 「おかしいわ。柄の中に入ってるはずなのに……」 「はっ、知恵が働かねェのなぁお前。ジェシカはもっと頭がよかったぜ」  人の姿になったソレが剣を投げ捨てると、抵抗の術をなくしたバルソーに近づいた。 「まだ貴方が持ってるのね?」 「お前みてぇな奴にわたせねぇからな。さっき飲み込んでやったぜ。二日もしたら出てくるだろうよ」 「そんなに待てないわ」  またぞぶり、という音がした。バルソーの喉から漏れ出るような苦悶の声が漏れる。隆々とした筋肉をもった何かの腕に変わったソレの右腕が、いつの間にかバルソーの体に差し入れられていた。 「っ」 「どこかしら」  体の中に侵入した異物は、バルソーの内臓をかき回しながら探す。バルソーは悶えるようにして倒れ、血に塗れた臓物を握りこんだ腕を引き抜いたソレは、また小首をかしげた。 「ないじゃない。まだ喉のどこかに引っかかってるのかしら」  投げ捨てられた内臓がべちゃり、と音を立てる。そしてソレはおもむろにバルソーへと近づくと笑った。 「面倒だけど全部食べてあげるわ」 「ふざけるな」  横合いから現れたその拳は、〝ソレ〟の脇腹をえぐった。バルソーの視界からは〝ソレ〟が横っ飛びに消え去り、代わりにこの二十年毎日見てきた逞しい青年の姿をとらえた。 「今戻った」 「おう」  パーディック最強の戦士カマールは、怒りに燃える眼で〝ソレ〟が消えた方を見据えていた。  〈十三〉  カマールはバルソーを見下ろし、その腹部に開いた大穴、無くなってしまった左腕を認めると、近くに突き刺さっていた巨大な諸刃の剣を抜いて、バルソーに向けた。 「介錯はいるか」 「いるか、バカヤロー……ドワーフはタフなんだよ……」 「そうか」  バルソーはへ、と軽く笑うと、ポケットから取り出したものをカマールに投げ渡した。 「やるよ。その剣も、それも」 「これは」  カマールが握っているのは、こぶし大の石だった。カマールはそれを回す。  そこには、小さな何かのかけらが突き刺さっていた。 「……抜かなかったのか」  この石は見覚えがあった。初めてこの剣を使った時、爪の意匠に挟み込んだものだ。その時偶然にも外に出てしまったかけらは、この石に突き刺さってしまったのだ。 「別にそんなもの真剣に守る気なんてなかったんだよ……しみったれた村の掟なんかどうだってよかった。だけどな、〝その石〟は別だった。それはお前が最初に闘うと決めた時の記念だったからな。アレに渡すわけにはいかねぇだろ」 「……そのために死ぬのか、お前は」  馬鹿だな、と呟きかけたカマールに、バルソーは笑いかけた。 「男なんてのぁ、やりたいことのために死ぬもんだ。いいか、よく聞いておけ」  バルソーの言葉は次第に弱まる。 「お前は村を守ることが使命みたいに思ってたかもしれないが、そんなものはくそくらえだ。使命なんてものぁ偉い勇者様がもらうもんで、俺たちにはいらねぇんだ」 「……だが、俺は戦士だ」 「村はもうねぇ。お前はもう戦士じゃねぇんだ。 だからな、もう縛られるな。お前はお前の好きなことをやれ。好きなだけ食って、好きなだけ寝て、好きなだけ手に入れ、好きなだけ捨てろ。笑いたいときに笑って、怒りたいときに怒って、泣きたいときは泣けばいい。後悔なく生きる秘訣だぜ」  カマールはバルソーに背を向ける。 「言っていることが昔と違うぞ、バルソー」 「そうか? そうだっけな……忘れたぜ」  バルソーは乾いた笑いを上げる。それはもうほとんど音になっていなかった。 「一つ聞いてもいいか」 「なんだ」 「〝親〟が死ぬとき、男は泣いていいものだろうか」 「……ああ。子供が泣けば、それだけ親が笑うってもんだ」  爆音が響く。崩れた瓦礫を押しのけ、炎が上がった。カマールは剣を構えると、その剣首の爪の意匠に石を噛ませ、走り出した。  その背中を見送り、バルソーは一人、笑って死んだ。 「やってくれたわね、カマール」  ソレはぼろぼろになりながらも瓦礫の中から這い出し、カマールを睨み付けた。 「一体どうやってあそこから戻ってきたのかしら」 「登った。山育ちをなめるな」 「……あなた相当な馬鹿ね」 「そうだ」 「は?」  カマールは剣を掲げ、高らかに謳い上げる。 「我はパーディックの愚か者――ジェシカの兄、テッドの友にして、バルソーの剣を継ぎしもの――復讐に燃え、今貴様を屠らんとするもの」 「……ただ死にに帰ってきただけじゃない。いいから、かけらを渡しなさい。じゃないと」  それはジェシカの姿のまま呪文を唱える。左手の先に現れた火球は、ぐらぐらと空間を歪ませ、燃えたぎる。 「苦しんで死ぬことになるわよ?」 「おおおおお!」  カマールは剣を大上段に構え、怒号を挙げて突進する。 「自分から向かってくるなんて、イノシシにもほどがあるわ!」  狙いをつける必要すらない。ソレは燃え盛る火球をカマールに向けて放った。  爆音が響く。辺り一帯を溶かしつくすような熱が駆け巡り、火の子を巻き上げる。ソレは口角を上げてその光景を眺めた。    ソレは知らなかった。その感情は油断と呼ばれるものであり、戦いの最中に最も危険な感情だと。    ブン、という風切りの音。ソレは炎を割って飛び込んできたものに、ただ狼狽えた。翼を生やし上空へ逃れようとするが、もう間に合わない。もう一度の風切り。その一閃は光の粒を巻き上げ、ソレの左腕を天高く飛ばした。 「ああああああああああ!?」 「もう一度言う、山育ちをなめるな」  なんとか天に逃れたソレだが、左手を抑えて悲鳴を上げた。 「あああああ!? も、漏れちゃう! 出て行っちゃう! 」  左腕だったところは光の粒子をまき散らし、それは一瞬ドラゴンやトロールの姿を形作ると、そのまま天へと昇って行く。  カマールは跳躍する。迫りくるその姿にソレは初めて恐怖というものを知った。必死に翼をはためかせ、それから逃れる。カマールの剣は寸でのところで空を切り、再び落下した。 「カマール! 絶対に貴方を許さない!」 「ああ、俺もだ」   カマールは落下し、ソレは飛び去る。山は燃え上がり、空は明けた。  パーディックはこうして、一日の内に滅びを迎えた。    〈十四〉  扉をけ破らんばかりの勢いで開けて入ってきた男に、防具店の店主は顔を顰めた。  ムキムキの上半身を露出させ、腰には何の毛皮か分からない焦げ付いたものを巻き付け、背には巨大な諸刃の剣、頭はつるっぱげで、全身が傷と火傷で覆われていた。 「……いらっしゃい」  それでも客商売だ。防具店の店主はその珍妙な乱入者に声をかけ、しかし机の中のナイフにいつでも手が届く準備をした。  その男はずかずかとカウンターまで歩み寄ってくると、剣の剣首についていた汚らしい石を取り出し、そこにめり込んだ何かのかけらを外してこういった。 「これを買い取ってくれないか」 「………」  店主は胡散臭そうにその男の顔を覗き込んだ後、そのかけらを見る。そして、鼻糞をほじくって 「なんだいこれ」  とたずねた。 「何かは知らない。価値あるものだということは知っている」 「ほーん」  店主は鼻糞をほじくった手でそれを受け取ると、ナイフの隣にあったルーペを取り出し眺めた。  すると店主は一瞬動きをとめ、目を擦り、鼻糞を自分の服で拭った後、もう一度ルーペを覗き込んだ。 「あ、あああああ? たたたた多分魔動機文明の遺産だな! にににに二千ガメルくらいでいいかな? な?」 「……邪魔をした」 「まままま待て待て待て、二千五百、いや、三千でどうかな!?」 「あ!?」 「よ、四千、いや六千……一万! 一万五千でどうだ!?」   「もうこの店全部上げるのでそれを譲ってください」  十分後、男の前には在庫を含めたすべての物品が並べられ、店主は深々と土下座をしていた。 「……冗談だ」  男は店主に笑いかける。 「へ?」 「すまんな。〝やりたくなったからやった〟。許してくれ」  男は笑うと、近くにあったハードレザーの鎧と、片手でつかめるだけの金貨を握る。 「これで十分だ」  その瞬間飛び上がった店主はかけらを握りしめて狂喜乱舞した。 「買った! 買ったからな!? これは俺のものだぞ! もう返さないもんね!」 「ああ、別に要らないものだ。ありがとう」  男は鎧をその場で着こむと、ポケットに金貨を詰めて、店を出ようとした。 「……アンタ、冒険者かい?」 「………」  男はふっと遠くを見るような顔をした後、少し笑って答えた。 「ああ、そうだ」 「ふぅん。なら、ここからずっと西にある国で最近冒険者を募ってるらしいぜ。アンタがいい人だから特別に教えてやるんだぞ? 後でこれの価値を知って逆恨みすんなよ?」 「……西か。ありがとう、行ってみるよ」  男は店主に礼を言って店を出ると、西に向かって歩き始めた。  男の名はカマール。パーディック山の名もなき村の最後の生き残り。    カマールは進む。握りこぶしを作り、大股で、ずんずんと、ただ前を向いて。                                                                了

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