メニュー



喧嘩用語辞典

| | | | | | | | |
わ行
|

現代喧嘩師リスト(表)

現代喧嘩師リスト(裏)

古代喧嘩師リスト(表)

古代喧嘩師リスト(裏)

戯言

|

リンク

冷やし猫鍋

主に喧嘩界のwiki

apocalypse


更新履歴

16/7/12 更新のための更新

15/9/24 大幅に加筆修正

項目追加:古代喧嘩師リスト(裏)

喧嘩サイトの起源とかその他いろいろ


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

適当に喧嘩サイトの起源とかについてあれこれ考えてみるコーナー
とりとめのない乱雑な文章の上長いだけで大したことは書いてないです


【喧嘩サイトの起源】


筆者の経験上、2001年以前から「喧嘩サイト」が存在し、
(MSN喧嘩部屋なんかは2000年以前から)
またその時点で既に現在の喧嘩と殆ど変わらない
(ただ罵倒しあうだけでなく、発言の穴を見つけて論理的に攻める)
スタイルが確立されていたことは判明しているが、
はっきり言って、一番初めの喧嘩サイトはどこでいつ出来たのか、
ということは全くもって不明である。

喧嘩サイトとは文字通り喧嘩を行うための場所であり、
トップページを基に構成されたものだけでなく、掲示板単体であってもそれに含まれる。
「喧嘩界」とは数多くある喧嘩サイトを一纏めにした言い方と捉えている。


※どうでもいい余談だが、
「喧嘩」の定義は未だ確立されておらず、個々人それぞれの認識に任されているのが現状である。
そもそも「喧嘩界」という枠組み時代が非常にあやふやなもので、纏まりがない。
(喧嘩サイト全体を指す言葉ではあるが、喧嘩サイトの数自体が明確になっていない。
 毒殺天国や平成喧嘩塾などとは無縁の喧嘩サイトも多数存在するだろう。
 喧嘩界が拡大傾向にあるのか縮小傾向にあるのかも、いまいちはっきりしない)
喧嘩師の定義についても未だ議論は絶えず、もう面倒臭いったらありゃしない状況なのだ。
まあ、大多数の認識として、
「喧嘩っちゅーのは二人以上の人物で口論することだろ」
というのはあると思う。
最も分かりやすいのは罵倒の応酬で、現在はそれを交えながら、
相手の発言の矛盾を突き、論破する、というのが主流となっている。
罵倒を一切含まない討論などの扱いが難しいが、そこらへんを考えるとまた面倒臭いので
「喧嘩サイトにおける一切の意見のぶつかり合い」を喧嘩と呼ぶことにする、
と俺は今決めたのである。


さて、喧嘩サイトがなぜ誕生したかについてだが、
その起源はやはりアングラ系サイトにあると思う。
昨今の喧嘩サイトは綺麗に整備されているものの、
昔の喧嘩サイトはアングラ色が強かった。

・黒を基調としたホラー系デザイン(黒基調は現在にも受け継がれている)
・荒らし,ブラクラ何でもありの無法地帯チャット
・トップページに脳髄曝け出したグロ画像を採用していたキチガイサイト
・論理とは無縁の誹謗中傷を繰り返す輩が跳梁跋扈

例を挙げればこんなところである。
(そもそも口論自体が一般ユーザーの間では忌み嫌われているものであり、
 それを好んでやっている連中、または専門的に扱うサイトなんて、危険以外の何物でもない。)


※前述した通り、現在の喧嘩サイトはけっこー小綺麗であり、
変人は多いものの荒らしの類は一切規制しているため、以前よりは格段に敷居が下がったと言える。
しかし、誹謗中傷を許可しているのは変わらず、大衆の目に晒せないという点から見ると、
やはり現在でもアングラに分類されるんじゃねーのって感じです。


話が脱線したが、恐らく荒らし掲示板などの簡易なアングラ系コンテンツに混じって、
喧嘩掲示板(あるいは罵倒掲示板)なるものが設置されていたのだろう。
そこで口論を繰り返す内、喧嘩の素晴らしさに目覚めたある物好き(変態)が、
喧嘩を専門的に行う場所として喧嘩サイトを設置したのだと考えられる。
華やかなインターネット発展の歴史の裏で、喧嘩サイトは細々と運営を続け、
やがて今日の「喧嘩」という概念が形作られていった、と。

余談だが、「もなちゃと」の場合はどうなのだろうか。
喧嘩界とはまた違った独自の文化を築き、
2002年の時点で既に喧嘩が隆盛を極めていることから、
もなちゃとの喧嘩の歴史というのは相当に古いものであると推測できる。
元は雑談系サイトであったあそこに、何故喧嘩文化が興ったのか。
原因としては、喧嘩サイト住人が流れ込んだ

「外部流入」

と、もなちゃと利用者が独自に発展を遂げた

「独自進化」

の二つが考えられるが、恐らくは後者の「独自進化」の色合いの方が大きいだろう。
しかし、一つ気になるのが、喧嘩が広まる上で非常に大きな役割を果たしたキーマンが、
過去メインにおいて活動し、今も尚その名が語り継がれている

「鬼畜なゅう様」

であるとされている点。
筆者はもなちゃとについてはあまり詳しくないが、最早伝説と化しているメイン全盛時代こそが、
もなちゃと喧嘩文化の新たなスタート地点と言えるということだけは確かだろう。
彼は元々は(多分)喧嘩界の住人であるため、爆発的な喧嘩流行の火種は、
外部から持ち込まれたとの見方もできる。


【喧嘩サイト誕生の後】


適当な推察により喧嘩サイトが誕生したまではいいが、
その後喧嘩サイトはどのように発展を遂げていったのか。

推測に過ぎないが、当時の喧嘩師たちは気ままに喧嘩サイト(掲示板)を作ったり、
そこで喧嘩したりして有意義、或いは無意義な生活を送っていたのだろう。
よしひろ板やコミュニティROOM、死人の館、悪魔の館、蒼二郎の掲示板、
大和殺楽喧嘩帝国、天上天下唯我独尊などがこの頃にできた・・・と思われるサイトである。
喧嘩殺伐、喧嘩上等、KTAなど、あっち方面のサイトも、多分この時期から存在していただろう。
(「この時期」と言っても資料が少なすぎて時系列が非常に曖昧なため、
 成立時期が一年以上ばらついている可能性もある。)

その中で喧嘩師たちはそれぞれ修練を積み、実力を上げ、
またお互いにコミュニケーションを重ねて顔見知りも増えていった。
喧嘩サイト古代より昔、歴史で言えば先史時代に該当する時期だ。(~2003年)
では、この後はどうなったのか?

そのまま発展を遂げていたら、恐らく今のような喧嘩界にはなっていなかっただろう。

喧嘩界に絶大な影響をもたらし、あの「毒殺天国」誕生の契機にもなった集団。

いわゆる「隠し」と呼ばれる謎の勢力の登場により、喧嘩界は大きく揺れ動くことになる。

→「隠しサイトと喧嘩界の移り変わりについて」に続いている、はず。


【喧嘩サイトの利用者たち】


何故筆者が喧嘩サイトに通うことになったのかと言うと、
あるゲーム系雑談サイトの掲示板に貼られていた宣伝にまんまと釣られたからである。
当初は「喧嘩?馬鹿じゃねーのかこいつら」と一般ピーポーの考えを持っていたが、
試しに宣伝されていたそのサイトで喧嘩をしてたりあーだこーだしてたら、
なんか知らん内に雑談サイトより喧嘩サイトに居座る時間の方が長くなってしまった。
あそこで喧嘩に出会わなければまた違う人生があったのかもしれないと考えると、
何だか感慨深いものがある、というわけでもない。

このように、喧嘩サイトの利用者、
いわゆる喧嘩師の皆さんはどうやって喧嘩サイトに辿り着いたのだろうか。
それを考えてみたいんだけど、めんどうですね。
履歴