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「さよなら」 by久留間 芹香
読むに際に一言。
時代背景等は、史実に基づいて書いているつもりですが、すべて久留間の妄想であり、また戦争に対しての意見、思想などは含まれておりません。
記
大貫 茂 1944年9月1日をもって大日本帝国海軍第一遊撃部隊第一部隊第1航空艦隊への兵役を命ずる。
「ごめん、折角婚約したのに・・・赤紙きちゃったよ。」
「えっ・・・あ、おめでとうございます」
「あぁ、ありがとう。まぁお国のために働いてくるよ。」
「では、結婚はお帰りになってからですか?」
「そうだね。直ぐもどってくるから、待っててくれ、渚。」
「わかりました。お待ちしてます。後御守です、これを」
「ありがとう、じゃ、逝ってくる。」
「いってらっしゃいませ、ご武運を。」
茂は招集後1ヶ月間の飛行訓練を受け実線部隊への配置が決定した。
そのころ日本軍は同年6月にマリアナ沖海戦に敗北し、マリアナ諸島を消失、次なる防衛作戦とし捷一号作戦を計画し舞台はフィリピン防衛戦へとシフトしていっていた。資源の乏しい日本において、フィリピンを失うことは、南方資源地帯から切断されることとなり、まさしく生命線でもあった。
一方アメリカは次ぎの攻撃目標をフィリピンとし、制空権確立のため台湾沖にて空戦を行った。
10月10日アメリカ軍第38任務部隊が沖縄本島及び周辺の島々を爆撃、茂はその防衛へ借り出された。
「茂!発進準備完了、お前は無理をせず、低空飛行の練習も行え。」
「はっ」
茂は始めての実戦に出撃した。
『さすが三菱中島製の零戦・・・訓練機より性能がいいな』
上官に命令された通り、海上での低空飛行を主に行い、敵艦、航空機に近寄らず、この日は終わった。
翌日の出撃の際には上官より低空飛行状態で敵艦に近づくよう命令され茂は、その通り行うが被弾命からがら空母へ帰還した。
この後16日まで戦闘を行ったが日本軍312機の損害
一方アメリカは巡洋艦2隻の大破のみであった。
1944年10月16日、台湾沖航空戦の敗北により、組織的な戦闘が事実上不可能になっていた航空戦活用のため、大西瀧治郎海軍中将により特別攻撃隊、通称特攻隊が提唱され、実行されることとなった。
特攻部隊として敷島隊が結成され隊長を関 行男大尉とし、茂もそこに組み込まれた。
1944年10月24日 シブヤン海海戦
いよいよ、フィリピン防衛をかけての決戦が開始された。
栗田健男中将指揮下に組み込まれた茂は出撃に備え、結婚を約束した渚に結婚が出来ないことを手紙につつた。
渚へ
すまない、約束が守れそうにない。お国のために敵艦目掛けて突撃します。
俺のことは忘れて他の人と幸せになってください。
さようなら、愛したのは確かに君だけ、そのままの君だけ。
この御守だけはもらっていくね。
それでは元気で。 茂より。
『たぶん、届く頃には死んでるだろうなぁ。すまない渚。』
しかしシブヤン海海戦では、出撃命令がなく。空母で待機状態であった。
1944年10月25日未明 スリガオ海峡海戦
西村艦隊及び志摩艦隊はアメリカの反撃に会い、1隻のみ生き残り他は撃沈。
茂のいた西村艦隊は、援軍をだすも、救援途中で空襲にあい撃沈された。
なお、茂の出撃命令はでなかった。
1944年10月25日 エンガノ岬沖海戦
多くの味方艦隊が撃沈されていくなかいよいよ、敷島隊に出撃命令がでた。
「整備は最高の状態にしました。給油もすんで満タンです。」
「ありがとう。整備さんのおかげで安心して飛べますよ。」
「ご武運を」
「いってきます。」
関隊長以下24名は出撃した。しかし、天候悪化により帰還。
再度出撃するも敵艦隊を発見できず帰還した。
1944年10月25日 サマール沖海戦
戦闘も中盤をむかえること、敗戦濃厚な中3度目の出撃命令がでた。
しかし、敵航空機と遭遇戦闘となったため、一時帰還命令により帰還。
三度の出撃にかかわらず特攻できない関少尉は自らの指揮の不首尾を涙ながらに悔やんだ。
4度目の出撃命令が出され、敷島隊、特攻機とそれを護衛及び戦果確認のための僚機を従えて出撃した。
「敵艦隊発見!」
「よし、直ちに特攻を行う。」
「関少尉に続け~」
次々と敵艦隊に突撃するが、そのほとんどは特攻前に打ち落とされて行く。
「敵レーダーをかいくぐるために低空で近づけ!」
「敵空母発見!」
「よし、突撃する!」
関少尉は敵艦セントロー目掛けて特攻を行い、見事突入し戦死した
茂も覚悟を決めた。関少尉の体当たりだけでは、沈没しないセントロー目掛け突撃を開始する。
次々と発射される砲弾をかいくぐり、どんどん近づくセントロー。
「大日本帝国万歳!渚すまん、さようなら」
茂の機体は敵艦セントローに突撃した。
「特攻機すべての突撃完了!戦果護衛空母1隻の撃沈を確認、護衛機帰還します。」
「あ、茂さんから手紙が来てる!」
しかしその時既に茂は・・・。
4回の海戦を行ったレイテ沖海戦は日本軍の敗北で終わり、その後フィリピンはアメリカの手に落ち硫黄島、沖縄へと
敗北を重ねていった。
1945年8月15日本土空襲、2発の原爆を受け無条件降伏を受けた。
BGM
「さよなら」 :オフコース
「戦場のメリークリスマス」:坂本 龍一
「オネスティ」 :ビリー ジョエル
参考資料
http://ja.wikipedia.org/wiki/
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