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アイドル学概論」(2016/11/03 (木) 16:39:36) の最新版変更点

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 高い所から眺める風景は、気持ちが良い物である。 ビル街の最中に聳える超高層ビルからでも良い、雲よりも高い所を飛ぶジャンボジェットの窓からでも良い、富士山の頂上からでも良い。 何故、高い所から目にする光景が良いものなのか。地上では仰ぎ見ない限りその全貌を目の当たりに出来ない物がちっぽけに見えるからか。 それともただ単に、高い所に自分がいると言う事実からか。確かにそれらもあるであろう。 しかし、一部の者は、違うと考える。旧約聖書に語られるバベルの塔の説話において、何故人は高い建物を建てようとしたのか。 それは、自分達の技術力の高さを見せつけようとしたのではなく、高い建物を建てる事で神に近付こうと考えたからだ。 その浅慮を神から咎められ、バベルの塔は雷であえなく破壊され、人は世界中に散り散りになり、結果、言葉の異文化と言う結果が生まれてしまったのだが。  特殊な強迫観念を患ったと言うケースを除き、人が何故高い所を好むのか? それは即ち、支配欲と征服欲等を筆頭とした、諸々の欲求を同時に満たせているような感覚になれるからである。 建物の大きさと高さは、強権を得た人間の特権と言っても良い。自らが勝ち得た高層建築の最上階から俯瞰する光景と言うのは、所謂勝ち組にだけ許されたビジョンなのだ。  <新宿>に聳え立つ超大手レコード会社、UVM社は、東京タワーにも匹敵する程の高さを誇る、超高層建築の見本のようなビルである。 音楽会社に勤めて見たいと言う大学生や、この会社で名を上げたいと言うミュージシャンの憧れの御殿であるこのビルの最上階から眺める、 <新宿>の街並みや<亀裂>、そしてその裂け目の先に広がる他区の街並みは絶景と言う他ないらしく、天気の良い日には富士山すらも目視出来ると言うのは、 この会社に勤める社員やミュージシャン、バンドメンバー達の言である。UVM社に所属出来ている喜びをさぞ噛みしめられている事だろう。 社員や所属ミュージシャンですらこれなのだ。このレコード会社を率いる社長ともなれば、自身の社会的な立ち位置やステータスを実感出来ているに違いない。  ……と言うのは、連中の勝手な思い込みと言う奴であった。 確かに、高い所からの風景は気持ちが良いものだとダガー・モールスだって思う。しかし、何事にも慣れと言うものがある。 毎日体験して慣れてしまえば、美味い食事や面白い小説も映画も飽きて来るものだ。風景にしたって、それは同じ事。 率直に言うとダガーは、慣れたと言うよりも最早ウンザリしていると言っても良かった。自社であるUVMの最上階から眺める、<新宿>の街並みにだ。  <新宿>、いや、<新宿>が存在するこの世界と言い換えても良いか。 この世界が、嘗てダガーが活動していたサウンドワールドとは根本的に、何から何まで違う場所である事に気付いたのは、大分前の事である。 成り立ちも違えば、音楽があらゆる事象の前に立つと言う世界の法則もこの世界には無い。 だがもっと違う点は、この世界にはサウンドワールドの住民であるミューモンと呼ばれる生命体が一匹たりとも存在しないと言う点だ。 世界が違うのだから当然と言えば当然の事柄であるのだが、この世界に於いては非常に重要な事であった。  結論から言えば、ダガー・モールスはUVM社の社長室から身動きが出来ない状態にある。彼の姿はこの世界の常識に照らし合わせれば、ありえない姿をしている。 頭の大きさは成人した人間の三倍以上も大きく、自身の肩幅よりも大きい横長のそれ。 元居た世界で、骨が通っているとは思えない位ブヨブヨしたその頭を、黒いクラゲのようだと揶揄されていた事もダガーは知っている。 ミューモン達が多数存在したサウンドワールドでもダガーの姿は目立つのだ。此処<新宿>で、彼の姿が目立たない筈がなかった。 無策で社外に出ようものなら、怪物扱いされる事は自明の利だ。いや、怪物扱いで済むのならまだ良い。この場合、UVM社の社長であると言う肩書が足枷になる。 国内最大手の企業の社長が怪物だったなどと言うニュースは、瞬く間に日本中を駆け抜けるだろう。そうなってしまえば即座に、<新宿>中の聖杯戦争参加者に、 自身が参加者であると割れてしまう。誰もが認める、詰みの状態と言うべきであろう。これを防ぐには、此処UVM社から一歩も出ないと言う方針で行くしかない。  アーチャーのサーヴァントを召喚してからダガーはずっと、UVMの社長室に籠城していた。 外は愚か、自分がいるフロアーからも迂闊に出られないと言う事は、相当なストレスである。此処は間違いなく自分の会社であるのに、自由に全フロアを移動出来ないのだ。 事実上の軟禁とほぼ同義だ。最上階から眺める街の風景も、既に見飽きている。今では地上の光景の方が見たいとすら思っている程だった。 グレイトフルキングに音楽を作らせる為に、彼を監禁した因果が、今になって巡って来たのかともダガーは考えた。 全く、因果応報とはよく出来たシステムだとダガーは自嘲する。いや、全く笑えない事に気づき、ダガーは真顔になる。  外に出たいのは事実と言えば事実だが、現状それが最も悪手である事には気付いている。 今彼が出来る最良の行動は、自らの中にも宿るメロディシアンストーンを音楽の力で増幅させ、魔力を生み出す事である。 これを行う事でいつかは、サウンドワールドで振るった強大な力を発揮出来る事だろう。幸い、ダガーが引き当てたサーヴァントは、アイドルとしての資質が強く、 彼女の身体に宿っているだろうメロディシアンストーンも、磨けばそれは強大な力の原石になると彼は踏んでいる。 故に今出来る事は、ダガーのサーヴァントである、アーチャーの那珂のアイドル性や歌唱力を磨き、 メロディシアンストーンを高いレベルのそれにまで昇華させる事。だが流石にそれだけでは不安が残る。 聖杯戦争と言うものはその名前が示す通り、本質的には力と闘争が物を言う催しである。此処UVM社だって、何時戦塵戦火に呑まれるか解ったものではない。 其処で、那珂をアイドルとしてではなく、サーヴァントとして利用する必要が出てくる。つまり、積極的にUVM社の外に出し――彼女はこれを遠征と呼ぶ――、 <新宿>の情報を集めさせ、弱そうな主従を見かければ積極的に戦いを挑み、改二と呼ばれる宝具の布石を打つ。これが重要になる。  自分の身体的特徴のせいで、やる事なす事が無意味に多くなっているが、これは最早仕方がない事だとダガーは割り切る事とした。 全ては、音楽による全ての世界の制服の為に。この世界も、そして、志半ばで頓挫してしまった、サウンドワールドの支配の為に。此処は敢えて、雌伏の時を過ごしてやる事とした。  紅色に光る瞳で、無感動に<新宿>の夜景を眺めるダガー。 全体的に薄暗い社長室に、身に覚えのない群青色の光が、自らの背後で生まれた事に彼は気付く。 何事だと思い振り返る。光源は、直に見つかった。聖川詩杏達に敗れた自分を此処まで導いた契約者の鍵が、一人でに青々と光っているのだ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  UVM社は<新宿>に本社を置く、日本最大のレコード会社である。 しかし、唯一絶対、或いは、国内で他に並ぶ者がいない音楽会社なのか、と言えば、それは少々驕りが過ぎる。 対抗馬がないわけではないし、此処に所属するミュージシャンだけが、超一流である訳ではないのだ。  歌って踊れて愛想がよく、トークもバリバリこなせるだけがアイドルではない。 誰も見ていないその裏方で、地味で、地道で、薄皮を張り合わせて行くような努力を重ねに重ねられる一つまみの女性こそが、アイドルなのだ。 誰もが皆、より良いアイドルになろうと努力をし、誰もが皆、その中の頂点であるトップアイドルの地位を狙っている。 頂点と言う立場程、転ばせやすい所はない。少し努力を怠り慢心するだけで、その地位から人は転落する。 それを分かっているから、那珂は努力を欠かさない。歌や踊りを磨くだけではない、他の対抗馬を見て研究する事も、努力の内の一つである。  UVM社は最上階、ダガーが業務を行う社長室とは別の小部屋である。 一般的には、楽屋、或いは休憩室とも言える場所だ。しかし、此処を楽屋や休憩室と言う、雑多なイメージを拭えない言葉で表現するのは、気が引けるだろう。 UVM社が用意する、アイドルや歌手の為の控室ともなれば、それは最早ホテルの一室と変わりがないのだ。 人一人を捕まえて、目隠しをした状態で此処まで案内し、この部屋を見てどんな印象を受けるか、と問われれば、多くの人物がホテルのスウィートルームと言うだろう。 広い部屋、絹の様な柔かさの絨毯、何十インチもある液晶テレビ、一人で寝るには大きすぎるベッド、シャワールーム、常にドリンク類を備えた冷蔵庫。 確かにホテルの高級ルームの印象を受けるだろうが、此処は事実、那珂の為にダガーが用意した一室なのである。 その証拠が、部屋を出て向かい側に存在する、那珂がいつも持ち歌の練習をしているスタジオであった。  その部屋で那珂が、ベッドに腰を下ろしながら、区外で活動するバンドやアーティスト達の活動模様を、七十五インチもある液晶テレビで視聴していた。 彼らの歌唱力と、それを聞き熱狂している観客達の姿を見聞すると、自分もうかうかしていられないと言う気持ちになれるのだ。 特に今見ているバンドなど凄い。和服をベースにした衣装を身に纏った三人組の女性のバンドなのだが、これが実に、観客の心を捕らえている。 三人のビジュアルもそうである、ライブのパフォーマンス性もそうである。だが何よりも凄いのが、その歌唱力と演奏力だ。 和の楽器とメロディをベースに彼女らはライブを行っているのだが、これが、決して奇を衒っただけに終わっていない。 同じアイドルの那珂から見ても素晴らしいのである。さぞ日頃から練習と研究を欠かしていないのだろう事が見て取れる。 一流とは、かくあれかし。そんな事を那珂に強く思わせる、見事な演奏であった。そしてこれを見てると、自分も負けてはいられないと言う対抗意識が燃えて来る。 「よーし、明日も一日、頑張ろう!!」  そう強く宣言し、テレビの電源を落とし、就寝しようとする那珂。リモコンに手を伸ばした、その時。 入室の許可を得る為のチャイムの音が鳴り響き、那珂は動きを停止させる。自分に用がある人物など大抵予想は出来ているが、念の為だ。 ドアの前にいる人物が誰なのか、ドアに設置された小型カメラで確認出来るモニタのもとまで移動し、彼女はその姿を確認する。 液晶に移り切らない程の、黒くて大きいクラゲの様な頭を持った、自分のマスター。深海棲艦の出来損ないを思わせるその人物は、ダガー・モールス。 今の自分のプロデューサー兼マネージャー兼、聖杯戦争におけるマスターである。 那珂はドアの電子ロックを解除する。彼女が玄関に向かうまでもなく、ダガーは部屋へと繋がるドアを開け、入室して来た。 「君に仕事だ、アーチャー」  ドアを閉じ、部屋に入るなりダガーはその旨を告げた。 「アイドルとしての私に? 日頃の努力がとうとう!?」 「悪いが、サーヴァントとしての君に用がある」  やや食い気味にダガーに詰め寄ろうとした那珂であったが、無慈悲に彼の方が那珂の思う所を否定した為、ガックリと肩を落とした。露骨に残念そうである。 とうとうレギュラー番組の一つを持たせられるか、大きな仕事が入ったのかと、那珂としては期待していたのである。 「きょ、今日はほら。夜も遅いから、お休みしようかと思ったんだけどな~。夜更かしはお肌に悪いんだよ?」 「サーヴァントにそんな物は関係ないだろう」  これまた鉄の様に冷たい口調でダガーは否定する。うぐっ、と那珂が言葉に詰まる。 彼には俄かに信じ難いが、目の前にいるサーヴァントは、触れもするし傷付けば血すらも流す。 であるのに彼女の体は、蛋白質で構成されていないのだ。那珂を構成する物質とは即ち、自前の、或いはダガー・モールスから供給される魔力なのだ。 魔力を以て、可能な限り肉体的特質を生前のそれに近づけているだけに過ぎない。つまり本質的には彼らは、尋常の物理法則の影響下の外にある者と言っても良い。 それであるから、彼らの肉体は、魔力で構成されている限りは老化もしないし飢えも起きない。那珂が気にする肌荒れなど、起きる訳がないのである。 「う~……、わかったよぅマスター。それで、何をするの?」  目の前のマスターを誤魔化す事は最早不可能だと考えた那珂は、大人しくベッドに腰を下ろし、両足をブラブラ動かし始めた。 観念した、と言った様子であるが、何処か不服な様子は拭えない。それ以上の事は、ダガーも突っ込まない事とした。 「何も戦ってこいと言っている訳ではない。少し、<新宿>の様子を見て来てくれないか」 「ここの?」 「そうだ」  意図するところが読めない、と言った表情で、那珂はダガーの頭を覗き見て来る。 「契約者の鍵を通して、通達が来た。今日の0:00を以て、聖杯戦争が開催されたそうだ」 「嘘っ、早っ!? 私のステージは!?」 「すまない、用意出来なかった」 「アイカツは!?」 「出来ると思うのか?」 「やだやだ!! 歌い足りない踊り足りない!!」  案の定か、と思いダガーは頭を抱えた。 目の前の存在は、サーヴァントと言うより、どちらかと言えば自らをアイドルだと認識しているフシがある。 那珂の名誉の為に説明しておくと、彼女自身は全くの無能かと言えば、それは嘘になる。 戦略面で素人のダガーは、一度彼女と聖杯戦争に関してのミーティングを行った事があるが、ダガーの戦略上の作戦の甘さを指摘する時に見せる、 『水雷戦隊の那珂』としての側面は、スタジオで持ち歌を熱唱している彼女からは想像もつかない程冷徹な物があるのだ。間違っても、彼女はハズレの類ではない。 ないのだが……欠点はこれであった。水雷戦隊としての那珂の顔も本当なら、アイドル活動をしている時の那珂の顔も本当の姿なのだ。 アイドルとして活動している那珂の頑張り振り等、凄いものだ。下手をしたら、サーヴァントよりもこっちの方が本業なのかと錯覚しているのではと思う程だ。 つまり那珂は、アイドルとしての意識が強すぎるせいで、聖杯戦争に関する意識が薄くなる傾向にある。 ダガーのミューモンとしての生態を加味すれば、それは決して欠点ではないのだが、今回はその欠点が噴出している形になってしまった。 此処は何とか、彼女の不機嫌を宥めてやる必要がある、とダガーは結論付けた。つくづく面倒だが、彼女は優秀な手駒だ。臍を曲げたままでは、支障を来たす。 「まぁ落ち着きたまえ。君に全く利益がない事ではないぞ」 「……本当?」  ジトリとした目で那珂はダガーの方を見て来た。完全に拗ねている。 「先ず仕事自体は私が先程言った様な、<新宿>の様子の調査だ」 「何でそんな事するの?」 「私はこの姿だ。君以上に外に出れば目立つ」  うんうん、と那珂が頷いた。さにあらん、下手すれば、艦装を装着した状態で街中で実体化したとしても、隣にダガーがいた場合、ダガーの方に視線が集まるだろう。 それ程までに、彼の姿はよく目立つ。何せ、人のフォルムをそもそもしていないのであるから。 「<新宿>に呼び寄せられてから、私は一歩もこのUVMから出ていない。それはそうだろう、私が外に降り立つと言う事は、途方もないリスクがあるのだから。 パソコンを通して<新宿>の街並みがどれ程の物か見てみたりもしたが、実際にその道を見て歩くのとでは大違いだ。故に私は、このUVMから外に出る、と言う事を諦めた。 だが、街並みを把握しておかねば流石に拙いだろう。其処で、君だ。アーチャー。君の単独行動スキルを以て、ある程度<新宿>を散策して来てくれたまえ」 「せめて私だけでも~、って事?」 「そうだ」  流石に、自分に付き合って、那珂までUVM社内で待機させておく必要性は皆無だ。 寧ろダガーよりも戦略面に明るい彼女にこそ、<新宿>と言う街がどう言った所なのか、見て欲しいのである。 「私も得をするし、アーチャー。君も得をするのだぞ、これは」 「? 何で?」 「君の目で、君に相応しいコンサートの場所選びをしてきたまえ」  カッと那珂が目を見開く。食い付いた。 「君ほどの【アイドル】に【ライブ】をやらせないなど、レコード会社の指揮を執る者として失格の烙印を押さざるを得ないだろう。 君には、君自身の目で、【ライブ】を行うに相応しい場所を、今回の<新宿>の調査で見つけて来て欲しいのだ」  アイドル、ライブ。この二つの単語を特に強調して、ダガーは説得を試みた。 「了解しましたマスター!!」  凄まじい速度で那珂は即答した。ビッと背筋を伸ばし、敬礼をするその様は、如何にも軍隊仕込みと言う風格が漂って来る。 何とも現金なサーヴァントであるが、この程度で御せるのであれば、まだ扱いやすいし可愛い方であった。  無論、ダガーが言った、ライブの為のステージを探す為でもある、と言うのは方便であった。 ダガーは那珂をアイドルとして振る舞わせる事には異存はないが、彼女の為の専用のステージを設けるつもりなど、更々ないのである。リスクが大きすぎる。 結局今回の調査の核は、最初にダガーの言った、<新宿>の調査が半分と、もう半分。那珂にサーヴァントと交戦して貰い、改二の条件を満たさせて貰うのだ。 まだまだ、ダガーはサウンドワールドで振るった力の半分も取り戻せていない。漸く、四分の一と言った所だろうか? 本調子には至らない。何とか嘗ての力を取り戻したいのである。  何れにしても、那珂からの言質を取る事が出来た。 後は、那珂の調査の成功率を高める為の、『生贄』を用意する必要がある。そしてその役を担わされる存在は、既に決まっていた。 懐からダガーはスマートフォンを取り出し、哀れなるスケープゴートにTELを掛け始める。 「――私だ」  威圧的な、口調であった。 「お前に緊急かつ秘密の仕事を与える。早急に本社に来い。以上だ」  電話を切り、ダガーはズボンのポケットにスマートフォンを入れた。 「誰に掛けたの?」と、那珂が問うてくる。彼は答えた。 「君のマネージャーだ」 「本当!?」  顔の周りに、花の咲き誇るエフェクトでも立ち現れるのではと思う程の輝かしい笑みを浮かべて那珂が言った。 今にも小躍りでも始めそうなテンションで、彼女はベッドに腰を下ろし、持ち歌である恋の2-4-11を口ずさみ始める。  電話をよこした相手がUVM社に来るまで、三十分ほどの時間が掛かるだろうか。 その間は、この部屋で暇をつぶす事とした。上機嫌な那珂を横目に、ダガーはテレビの元まで近づき、リモコンでその電源を落とした。 「消しちゃうんですか?」  ご機嫌な気持ちが消えないのか、喜びの感情の強い表情で那珂が聞いて来た。 「まぁな」 「そっか」  これ以上、那珂も問うてくる事はなかった。 液晶テレビに映っていたバンドグループ達は、確かにダガーの目から見ても超一流のアーティストである事は疑いようもなく、BGMにするにはもってこいの音楽ではあった。 しかし、もといた世界でその名を馳せさせていた、徒然なる操り霧幻庵の。ダガーの計画を頓挫させた連中の演奏を、聞く気にはなれない。 苦虫を噛み潰したような表情で、ダガーは、黒曜石の様に艶やかな黒をした、電源の落されたテレビの液晶部分を睨みつけている。 彼女らはこの世界でも、人気のバンドグループなのであった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  UVM社に勤務する社員の一人、オガサワラは、負け組であると思っていた。 これは万人が認める評価と言う訳ではなく、彼自身の思い込みによるものだ。彼の業績は可もなければ不可もなくのノーマルなそれで、 ペースこそ遅いが、このまま頑張れば出世は出来るだろうと言う程度には仕事は出来る。  そんな、窓際族とは言えないこの男が、何故自分の事を負け組だと思っているのか。 それは入社以降、それこそ入社面接の段階から、自分が人事に主張していたやりたい事を、一向にやらせて貰えないからに他ならない。  オガサワラは単刀直入に言えば、マネージャー業務をやりたかったのである。 UVM社に社員として働きたい、と言う事のホンネは何か? 収入が良い、福利厚生もしっかりしている、と言った事もあるであろう。 だがこの会社の門戸を叩く者の中には、自分がプロデュースしたアイドルやミュージシャンを一流に育て上げたい、と言う野望を胸に秘めた者も大勢いるのだ。 彼はその野望を秘めた社員の内の一人であった。それを夢見て、オガサワラはUVM社に入社したのである。 しかし、流石に入社してすぐのペーペーに、希望通りにマネージャーをやらせるとは流石に思っていない。 事務も営業も経験したし、経理もやコールセンターもこなした。六年近くこの会社で下積みと経験値を積み上げ、さあ自分はもう準備は出来ているぞ、 と意気込んでから早四年が経過した。一行に、マネージャーの仕事に配属させて貰えない。  自分には才能がないのだろうか、と今日も思い悩んでいたオガサワラの下に、電話が一本掛かって来たのだ。 電話の主は、なんとあの、UVM社の社長のダガーからである!! その仕事ぶりは大胆かつ繊細。 休む事を知らない程の超人的なスタミナの持ち主で、四六時中社内にいると言う。更に、『原石』を見つけ出す審美眼にも長けた、 UVMの誰もが認めるナンバーワンプロデューサーにして敏腕社長。しかし彼には謎が多い。 その最たるものが、社員は愚か株主にもその姿を見せないと言う事であろう。十年もUVMに勤務するオガサワラですらその姿を拝んだ事はない。 入社式にすら顔を見せなかった程だ。社内の至る所に設置されたスピーカーを通して指示を出す、と言う、他社では中々見られない命令系統を徹底させているダガーは、 余程の事では社員に電話を掛けて来ない。そんな彼が、このオガサワラに緊急の命令を下したのである。  現在に至る。 数年前に購入した軽自動車を運転し、ダガーは、住まいの板橋区からUVM本社まで急いでいた。 ダガーから直々に命令が下るなど、ただ事ではない。オガサワラの頭にはそんな意識があった。 ただならぬ事が起きるかも知れない。故にオガサワラは、目的の場所まで急いでいた。  目的地に到着したオガサワラは、UVM近くの駐車場に軽を止め、月にすら届きそうな程高いタワー状の建物である、UVMに走って向って行く。 守衛に社員証を見せ、入館の許可を得たオガサワラは、社内に入って行く。向かう先は、本社二階の応接間であった。 其処に着くころには、オガサワラは体中から汗を流し、ぜぇぜぇと苦しそうに肩を上下させていた。もう自分も三十過ぎである。 十代の頃の様な全力疾走は、もう出来る歳ではない事を思い知らされていた。 「ご足労いただき感謝しているよ、オガサワラ」  応接間にも、ダガーの声を届けるスピーカーが設置されている。 その声を聞くや、オガサワラは、疲れてが瞬間的ではあるが吹っ飛んでしまい、慌てて背筋を正し始めた。 「ハッ、きょ、恐縮でございます!!」  一見すればオガサワラは誰もいない部屋に一人で声を出しているように見えるだろう。 客観的に見ればそれは事実ではあるが、ダガーが社内に仕掛けたものはスピーカーと言う発信機だけでなく、声の受信機も設置しており、これにより社員との応答も出来るのである。 「電話でも話した事だが、君には一つ用事を頼みたいのだよ」  オガサワラの身体が、強張った。 「長ったらしい前置きが嫌いだからな、単刀直入に言おう。君にプロデュースして欲しいアイドルがいる」  数秒程、オガサワラの身体が、固まった。スピーカーを通して下された、ダガーの言葉の咀嚼に時間が掛かったのである。 ダガーが告げた言葉の意味を頭で理解した瞬間、それはもう、様々な感情が綯交ぜになった表情で、オガサワラは声を上げ始めた。 「ほ、ほ、本当ですかボス!?」 「嘘は吐かない。オガサワラ、お前は異動の度にマネージャーをやりたいやりたいと人事に希望していたな? お前もUVMで働いて十年になる。もう新人ではないし、素人でもないのだ。そろそろ、お前の希望も叶えてやろうと思ってな」  手の甲の皮膚をオガサワラは爪を立てて抓って見る。痛い。夢ではない!! 入社してからの悲願がようやく叶うと思うと、駐車場から此処まで走って来た疲労が全て、水で埃汚れを落とすように消え去って行く。 「オガサワラ。お前に担当して貰うアイドルは、どのマスメディアにもその存在を知られていない。宣伝すらもしていない お前はそのアイドルを全く無名の状態からプロデュースしろ。だが、安心してくれ。確かに彼女は無名だが、才能は本物。 今まで彼女の存在を秘匿して来たのは、私としては彼女を、突如現れた新星、と言った触れ込みで彼女を推そうとしていたからだ。秘密兵器、と言う奴だな。 無論、お前にマネージャーをしてもらう以上、彼女の活躍のさせ方はお前に一任する。私のやり方に拘泥する必要はない。しっかりと仕事をしろ、オガサワラ」 「も、勿論ですボス!! 誠心誠意粉骨砕身、頑張らせていただきます!!」  凄まじい勢いでお辞儀をするオガサワラ。入社以来の悲願が漸く叶った瞬間だった。 今日のこの瞬間から、睡眠をせず明後日の終業時間まで働けるのではないのかと言う程の喜び方であった。 スピーカーの通信を切る音に、オガサワラは気付かなかった。当たり前の事であるが、切れたスピーカーのその先で、ダガーが「馬鹿が」と漏らした事など、知る訳もなかった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  ダガーが意図したオガサワラの使い道は、那珂の<新宿>調査を円滑に進める為のデコイであった。有体に言えば、生贄だ。 大抵のサーヴァントは、マスターを殺されればその時点で、詰みに等しい状況に陥ってしまう。魔力供給が断たれるからである。 サーヴァントとマスターの戦闘力には、大きな隔たりがある。其処で、マスターとサーヴァントが共に行動していた時、通常どっちを狙った方が楽か。 無論、マスターを狙った方が遥かに早い。それはそうだろう。しかしこれは少し考えれば自明の利であり、サーヴァントの側もこれを解っているから、そうはさせじとマスターを守る。此処から、サーヴァント同士の戦いに発展するのである。  こう言った意識をダガーは逆手に取った。 余程注意深い存在でもない限りは、相手の主従は、マネージャーと言う触れ込みで那珂と一緒に行動しているオガサワラをマスターと誤認するだろう。 つまりオガサワラは、万一那珂がサーヴァントと露呈した時に、彼女がダガーの下へと逃げ果せられる為の保険である。 聖杯戦争の主従はマスターを狙うかも知れないと言う意識を利用した、撒き餌である。  本来こう言った役割は誰でも良かった。アトランダムに決めても良かったのだ。 三千人を容易く超える従業員を擁するUVM社のなかで、何故オガサワラが那珂のマネージャー――デコイ――に選ばれたのかと言えば、 ダガーとオガサワラは、サウンドワールドで少なからぬ関係を持っていた事に起因する。 ダガーの認識では、オガサワラは出し難い無能であった。クリティクリスタと言う、自分が選んだアイドルグループを折角貸し与えたにも拘らず、 あの聖川詩杏が所属していたとは言え、有象無象のアイドルグループであるプラズマジカに対バンで敗れた程である。無能と言わずして、何と呼ぶ。 この世界にやって来て、NPCとしてのうのうと自社に所属していたオガサワラの、あのモアイに似た不細工な顔と小柄な体躯を見たら、 驚きよりも怒りの方が湧いてきたのである。制裁の意味も込めて、三千人超の従業員の中から、彼をデコイに任命した。こう言う経緯であった。  ――そんな裏事情など、オガサワラが知る由もなく。 UVM二階の応接間で、そわそわと目当ての人物が来るのを期待していた。初めてデリヘルを注文した男子学生レベルの緊張ぶりだった。 あの後メールで、ダガーからこんなメールを送られて来た。「彼女は地方からやってきた女子高生で、<新宿>はおろか東京の事情にすら疎い。 夜の<新宿>は迂闊に出歩くと危険だと言う意味も込めて、軽く<新宿>の目ぼしい所を回って欲しい」と。 この程度はお安いごよう、と言うものである。少々狭くてむさくるしいかも知れないが、オガサワラは自身の軽自動車に那珂を乗せて、命令を果たそうとしていた。  ガチャッ!! と、勢いよく応接間の扉が開け放たれる。 驚いた様にその方向に顔を向けると、二つのシニョンを茶味がかった髪で作った、オレンジ色の制服の少女がやって来た。 美麗と言うよりは可愛いに属する顔立ちで、清潔感とヒマワリの様な明るさで輝いていた。成程、一流のアイドルに成り得る素質はある。 これを、自分はプロデュースするのかと、オガサワラは気を引き締めた。 「UVMのアイドル、那珂ちゃんで~す!! よっろしく~!!」  夜も十二時四十分を回っていると言うのに、昼の一時か二時みたいなテンションで、那珂と呼ばれた少女は自己紹介をして見せた。 那珂は早くも、UVMの顔でありシンボルだと思い込んでいるらしいが、オガサワラは突っ込まなかった。 「え~っと、私については、聞かされて……ますよね?」  少し疑問調子にオガサワラが訊ねる。 「も~っちろん。私のマネージャーさんでしょ?」  本当に、夢ではない。自分は本当に、マネージャーとしての仕事を任されたのだ!! 「それでは、積もる話はお車の中で。早速ですが那珂さん――」 「うんうん、それじゃ、行きましょう!!」  そう言う事になった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「へー、じゃあオガサワラさんは私が初めてのマネージャーなんだね」 「そうなんですよ。苦節十年。漸く巡り巡ったチャンスなんです」  オガサワラが運転手を務める、スズキのスペーシアの車内であった。 二人は早速打ち解けており、車内で軽い自己紹介を交わした後に、身の上話に花を咲かせていた。 互いの出身地やら、現在の住まい。オガサワラによる業界での苦労話諸々等、話す事は色々だ。 元よりこの業界は、トークの展開力が物を言う世界である。伊達にオガサワラも十年の時を其処で過ごしていない。 話に間が発生しないよう配慮された彼の話に、那珂も退屈はしていなかった。零れる笑みからも、それは伺えようと言うものであった。 「オガサワラさんは幸運だよ、この那珂ちゃんが担当アイドルになったんだもんね!!」 「ハハハ、全くです。これで、郷里の家族にも自慢が出来るってものです」  そんな他愛もない事を話ながら、オガサワラは運転を続けている。 目指す当てなど特にはない。適当に、<新宿>の主要な街を車で周ったら、今日の所は取り敢えず、那珂の健康面を配慮してすぐに彼女を帰らす積りであった。 カーナビも使わず、当てもなくブラブラと車を走らせる。主要な大通りを通ったかと思えば、車の通りの少ない小道を走ったりと、一定しない。 流石にこれでは目的性がなさ過ぎる。次は歌舞伎町や西新宿の辺りでも案内するか? とオガサワラが考えていた、その時であった。 「? ねぇ、オガサワラさん」 「何かしましたか?」  疑問調子で那珂が言葉を投げ掛けて来た為、オガサワラもそれに応えた。 「あれは一体、何なんですか?」  言って那珂は助手席からフロントガラスの前方を指差した。  那珂の指差した方向には、フロントライトと街灯の光に照らされた、正四角錐柱状の細長いモニュメントがあった。 車のライトの強い光に当てられたそれは、天から降り注がれたまま数十年は経過した槍の様な佇まいを見せている。 スマートフォンのカーナビアプリを起動、GPSで現在地を確認した所、<新宿>歴史博物館にまでやって来てしまったらしい。 現在位置と、<新宿>と言う『土地の歴史』から判断するに、あのモニュメントは―― 「『慰霊碑』ですよ」 「慰霊碑、ですか? するとあれは……」 「<魔震(デビルクエイク)>の、です」  ああ、やっぱりと言った風に那珂は納得した。 オガサワラは、地方からやって来たアイドルの為、東京の建物などには疎いから、解らなかったのだと解釈する。  現代日本で起った、教科書に載るレベルの震災の顛末を見れば解る通り、震災とは一度起これば、行政、財政、景気などあらゆる面で影響を及ぼす。 無論、その殆どが負の影響である。震災復興の為に行政や立法活動は滞り、被災地の景気は一時的に大きく落ち込み、それを立て直す為に財を捻出する。 今でこそ<新宿>は持ち直しこそしたが、震災から十年程は、まさに暗黒期だった。 あちらこちらに散らばる建造物の瓦礫、それに埋もれた死者の数々。震災の為に大小の犯罪が被災地で多発し、国や自治体からの補償を求める被災者達。 東京都、もとい日本国は、首都東京の主要区の一つを何時までもこのような状態に陥らせる訳には行かないと、国の威信を掛けて<新宿>の復興に力を尽くした。 瓦礫は異様な速度で撤去された。これを一々最終処分場まで持って行くのは莫大な金が掛かる為に、<亀裂>へと棄てた。それでもまだ<亀裂は>埋まらない。 神憑り的な速度で仮設住宅やインフラ、道路や鉄道が整備しなおされた。普段からこれ位のやる気を以て道路整備を行えと言う批判が国中から起った。 国庫から莫大な金を惜し気もなく投下し、国内外から集まった寄付金や支援団体、軍隊派遣により、<新宿>は今の街に返り咲く事が出来たのだ。  しかし復興を果たしたと言えど、<魔震>によって命を失くした、四万五千人と言う死亡者の数は消えはしないのだ。 行方不明者も死亡者にカウントするのなら、その数は倍以上の大台にも達する。 死亡者の数だけでも良いから、区内に墓地を立てるべきだと言う声も上がったが、これは却下された。 当たり前だ、四万五千人分の死亡者の墓地など、それこそ<新宿>の土地全域が墓場になりかねない勢いである。 納骨堂や屋内霊園で済まそうにも、四万人超と言う数字分を供養、彼らの分の墓石や施設を用意する事は並大抵の事ではない。 だからこその、慰霊碑と言うモニュメントなのだ。<魔震>が起った際には、<新宿>全土はまさに死者の山河と言う表現が相応しい状態で、 一歩歩けば死体か瓦礫を踏んでいる状態だったと言うのは、当時救出活動に当たっていた自衛隊員の言である。 そう言った状況であった事を加味して、現在の<新宿>の至る所に、こう言った慰霊碑が建てられているのである。 つまりこの慰霊碑は、<魔震>に遭い死亡してしまった被害者達の魂を慰める為の物であると同時に、墓地の類を用意は出来なかったがこの辺りで手打ちにして欲しい、と言う行政の意思表示の為のモニュメントであるのだ。 「でも何だか特徴的な形の慰霊碑ですね。何だか、何処かで見た様な形の……」 「オベリスク、ですか?」 「そうそれ!!」  出そうで出ないクシャミのように、目の前のモニュメントの名前が思い浮かばなかった那珂であるが、オガサワラの指摘で漸く思い出した。 そう、この特徴的な形のモニュメントは、オベリスクではないか。日本特有のそれではなく、エジプトの古い時代の物であるとは那珂も知っている。 遠く離れたエジプトの記念碑或いは慰霊碑が、何故日本に建てられているのか。その事を那珂は聞いて見た。 「一目見て、慰霊碑のそれと解るから、だとは聞いた事がありますね。」  オガサワラもそれが事実なのかどうかは解らない。 そもそもオガサワラが地方から上京する頃には、<新宿>は既にアジア有数の繁華街だったのだ。 直接的に被災したわけでもない、興味を払う筈などなかった。  何にしても、<新宿>を案内するのである。楽しい場所である事を教える一方で、怖い所だと言う事も教えなければならない。 だが、湿っぽい話をするのは、違うだろうとオガサワラは考えていた。早い話、今この状況で<魔震>の話は、色気がない。 パーキングモードを解除し、ドライブモードにシフトレバーを変えた、その時だった。 「――? あれ? オベリスクにあんなのあったっけ?」  キョトンとした表情で那珂が呟いた。今度は何が、と思い、オガサワラは目線をフロントガラス越しの前方方向から、 那珂の目線に合わせてオベリスクの先頭付近に向け始める。  一匹の鳥が止まっていた。いや、あれは、鳥なのか? オガサワラは動物の事などよく解らないが、大きい鳥と言えば、彼の中では鷹や鷲などと言った猛禽類だ。 だがそれらにしたって大きいのは、翼を広げた時、つまり『横』に大きいわけで、『縦』に大きいわけではない。 今オガサワラ達が見ている時は、明らかに縦長の上に、翼を広げている時の大きさが鷲や鷹に倍するそれなのだ。  明らかにおかしいと思いよく目を凝らして――絶句した。 オベリスクの先端部分に止まっているその鳥は、人間の女の胴体と頭を持っているのだ!! 本来ならば両腕に置換されて然るべきその部位は、地上の如何なる鳥のそれよりも大きな鳶色の大翼に変化しており、 その脚部は人の肉など容易く切り裂けてしまいそうな程鋭い猛禽のそれになっている。 他の部分がリアルな猛禽のそれであるが故に、乳房をあられもなく露出したその人間の胴体部とのコントラストが、酷く不気味で怪物的だった。  女性の上半身に、鳥の下半身を持った怪物。 ギリシア神話に造詣の深い者がオベリスクに止まる怪物を見たのなら、直に、ハーピー、或いはハルピュイアと言う名を連想した事だろう。 しかし原典のハーピーは偉大なる大地母神ガイアの息子であるタウマスと、大海の化身である神・オケアノスの子であり、 虹を司る女神のイーリスの姉妹と言う、由緒正しい神の系統に連なる女神なのだ。 目の前の怪物には、神の系譜に連なる存在が放つような神韻や神秘さの欠片もない。ただただ醜く、不快なだけであった。  オベリスクの怪鳥の姿に漸く気付いた那珂。 ギロリ、とハーピーのできそこないの様な怪物が、オガサワラ達の乗るスペーシアを見下ろした。 鳥は夜目、と言う風説を怪物は覆していた。明らかに、フロントガラス越しのオガサワラ達の方を睨めつけているのだから。 「――始祖のくびきは砕かれたり」  怪鳥は、狂った様なかん高い声で、歌の様なものを口にし始めた。 「此星は我らが産まれし星に非ず。我らが星の民が崇めし諸神はその姿を隠したり。清冽なる川の調べを司る女神も見えねば、猛々しき霹靂神(はたたがみ)も、縹渺たる夜空を司る神も、その崇信の名残欠片も感じず」  尚も、怪鳥は歌い続ける。 「なれば、この地に響くは、始祖の雷霆。遠くに、近くに。かなたに、こなたに」  ブンッ、と、髪を振りしだく。 「奈落のこつぼに落ちるが良い。我らはこの地に呪いを掛ける者なり」  そう言うや、ターボチャージャーを搭載した自動車の様な初速を以て、その怪鳥はオガサワラの車へと向かって行った。 ボンネットに怪鳥の脚部が衝突する。巨人にでも殴られたが如き衝撃が車体に走り始め、車内にいるオガサワラ達を上下左右に揺らしまくる。 「きゃっ……!?」  驚いた様な声を那珂が上げる。 重なった様々なアクシデントに、オガサワラは白痴に近しい状態に陥ってしまったが、直に最優先事項を思い出す。 このような危難に直面した場合、マネージャーが真っ先に優先すべきはアイドルの安全を確保する事だ。 那珂は未来のアイドルと言う高い商品価値を持った人物である事もそうだが、それ以前に未来ある未成年である。最優先で大人が保護せねばならない存在だ。 「那珂さん、この場は俺に任せて逃げて下さい!!」  こうするのが、最善の方法なのは、当たり前の事であった。 「え、そ、その、大丈夫なんですか!?」 「任せて下さい、こう見えて高校大学と柔道で慣らした身ですから!!」  二秒程逡巡する那珂であったが、危険な光を宿してオガサワラの方を睨みつけている怪鳥を見ると、何時までも迷ってはいられないと思ったらしい。 「……お願いします!!」、とそう言って那珂はスペーシアから飛び出し、一目散にその場から逃げ出していった。 怪物の方は逃げ出した那珂には興味がなかったらしい。と言うよりは、逃げた所で追いつくとでも思っているのだろう。何せ相手は地上を不様に走る人間で、此方は悠然と空を飛翔出来る魔鳥なのだから。  車内から転がり出るオガサワラ。柔道をやっていたなど酷いにも程がある嘘八百だった。 そもそもこの男は文化系のクラブに所属していた為、運動などからっきしだ。だから、真っ当に勝負など挑まない。 彼の右手には車体の塗装用のボデーペンスプレーの缶が握られており、これを相手の顔に噴射しようとしているのである。 「クソが、とっとと離れろ!!」  言ってオガサワラは目の前の怪鳥にスプレーを噴射しようとしたが、それよりも速く相手は翼を勢いよくはためかせ、突風を巻き起こす。 生物の単なる一動作によって生み出される風圧など、たかが知れている、と言う常識を根底から覆す程の勢いだった。 六m程もオガサワラは吹っ飛ばされ地面に不様に転がった。「ひいいぃ……!!」と情けない声を上げる。 家を出てから水の類を呑んで、膀胱に水を溜めていなくて良かった。年甲斐もなく、失禁でスーツを汚しそうになっていた。 いや、よくはない。自分はこれから、目の前の化物に嬲り殺される事が既に決定しているも同然なのだ。全く喜べない。  折角任された大仕事を果たせず死ぬなんて嫌だ嫌だ、と心の中で叫び続けるオガサワラ。 化物が飛び上がり、十数m程の高さに滞空し始めた。猛禽の爪先は、彼の頭に標準を向けている。 これから何が起こるのか、朧げながらも予測出来てしまう自分が嫌になって来る。 砕けた腰でその場から逃げ果せようと、怪鳥に背を向け始めた、その時だった。  ドゥン、と言う、鼓膜を強打させ、腹に響く様な重低音が、先ず鳴り響いた。その次の瞬間、世界が一瞬昼になったかの様なオレンジ色の光が頭上で輝いた。 何事かと思い、恐る恐る、オガサワラは怪鳥の方向に顔を向けた。 ――化物は、いなかった。嘗てあの怪物が飛翔していた所には、橙色の焔の花弁と灰色の煙が舞い散っているだけである。 パラパラと、オガサワラの近くにこまやかな粒上の物が落下して行く。これは何だと思い、指で摘まんで見る。 それは、砂だった。やけに粘ついている。あの怪物の、血で濡れているのだろうか。  ガクガクと膝と腰を笑わせながら、オガサワラは立ち上がろうとする。那珂の様子が、心配であったからだ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「もう、那珂ちゃんのライブステージに相応しい場所を考えてる最中だったのに、空気読めてない!!」  オガサワラが恐らくいるであろう、オベリスク状のモニュメントから二十m程離れた所に建てられたビルの屋上からであった。 其処で那珂は一人でプリプリと、怒気を露に一人で怒っている。何に対して憤っているかと言えば、それは当然、あの得体の知れない怪物であった。 あの時那珂は、震災からの復興からn年記念のコンサートを開き、其処で鮮烈なデビューを飾ろうか、と言うビジョンを脳内で思い描いていたのだ。 この<新宿>の住民にとってきっと<魔震>とは拭い難い負の思い出であり、忘れられない出来事の筈。 そんな出来事を吹っ飛ばすような明るい曲を以て、自分はアイドルデビューするのだ!!  そんな妄想を膨らませていると、ニヘラと言う笑みが、止まらない。隠せない。 無論この目論見は、震災から今の年まで、キリの良い数字でなければ効力が半減する事は那珂も解っていた。 <魔震>が<新宿>を襲ったのは何時の事か、聞こうとしていた、そんな矢先に、あの空気の読めない魔鳥が姿を見せたのである。  聖杯戦争の参加者の手による物だと言う事位、那珂には解る。この程度が見抜けないようでは、水雷戦隊失格だ。 聖杯戦争のセオリーに照らし合わせると、恐らくはキャスターが創りだした魔物、と言う事になるのだろうか。 艦娘として海上で戦闘を繰り広げていた那珂には、未だに聖杯戦争と言う催しはピンと来るものではなかったが、さしあたってはそんな解釈に止めて置く事とした。 これは後で、ダガーに優先して報告しておくべき事柄であろう事は、間違いなかろう。  あの怪鳥は、消え失せていた。これでオガサワラは、命を取られる心配はなかろう。   那珂の白く、細く伸びた両腕に、彼女の可憐な容姿に全くそぐわぬ、鋼色の砲台が取り付けられていた。 彼女のアーチャーとしての、いや。艦娘としての象徴である、宝具・艦装を限定的に搭載。この宝具で、あの怪鳥を狙撃。粉々に爆散させた、と言う事である。 流石に地上にいる状態で連装砲を撃ち放てば、オガサワラも爆発の余波で無事では済まなかったろうが、都合よくあの化物が空を飛んだので、 これ幸いと言わんばかりに那珂が狙った。以上が、事の顛末だ。二十m程度の距離からの砲撃など、全く問題がない。 全く障害物のない状態であるのなら、三百m以上も離れた所からでも、着弾させられる自信が那珂にはあるのだから。  那珂は考える。 恐らくあの怪物は、自分の事をサーヴァントだと認識出来ていなかったに相違あるまい。 那珂に限った事ではないが、艦娘と言う存在は、自らの象徴である艦装を外した状態であると、全くその力を発揮出来ないのである。 これは一見すればデメリットとしか思えない特質であろうが、逆に言えば、艦装を外した状態であるならば、誰がどう見ても普通の人間であると言う事も意味する。 この性質はサーヴァントと化した那珂にも受け継がれている。彼女は宝具、艦装を非展開の状態に限り、余程優れた察知能力の持ち主でない限りは、 自分の事をサーヴァントと認識出来なくさせるスキルを持っている。ダガーが己のサーヴァントに、アイドル活動などと言う本来ならば絶対許容してはならない約束を、 口約束の上でとは言え交わしている訳は、那珂のこの特殊なスキルに由来している。  このスキルがある限り、確かに自分はサーヴァントだと認識され難くなるし、アイドル活動も出来る事だろう。 しかし、このスキルがある限り、マネージャーのオガサワラにも危難が及ぶ事も意味する。 今回はサーヴァントではなく、サーヴァントが生み出した雑兵が相手だったからまだ良い。 相手が正真正銘本物のサーヴァントであった場合、自分と常に行動する事になるだろうオガサワラは、当然要らぬ火の粉を負い被る事となる。  那珂は一見すれば明るくぽわぽわした、戦闘など全くこなせそうもない女性に、見える事だろう。 しかしその実彼女は、常に轟沈と重傷と隣り合わせの、深海棲艦との死闘を演じて来た歴戦の艦娘なのである。 状況次第ではサーヴァントも、或いは敵のマスターですらも、その手に掛ける事に躊躇いはない。 そんな、女傑としての素質を裡に秘めた那珂でも、聖杯戦争とは無関係の。しかも、自分の為に頑張ろうとしている人物が死んで行くのは、良い気持ちはしない。 「……守ってあげなきゃねっ」  艦娘が深海棲艦を相手に、鎬を削っていた理由は、人々の平和を海の上と底から脅かす怪物達から、人類と彼らが享受する平和を守る為であった。 この世界には深海棲艦は存在しない。そもそも<新宿>には海などない。故に那珂が、艦娘としての役割に固執する必要性は、ゼロに等しい。 そうであったとしても、彼女は艦娘であり、アイドルであった。自分に希望を見出した人物には、応えてあげるのが、艦娘ではないか。『アイドル』ではないか。 歌で、愛想で、行動で。彼らの希望を満たさせ果たしてやるのが、そう、アイドルなのだ。その意識は、忘れていない。  この世界で那珂がその希望を果たさせる相手は、オガサワラと、そして、ダガー。この二人だった。 ……しかし、那珂は気付かない。そのオガサワラの希望があわよくば命ごと絶たれてしまえば良いと言うのが、ダガーの本音であると言う事が。 そしてそもそもダガーの真の目的が、那珂をとことんまで利用し、サウンドワールドで見せた暴威をこの<新宿>でも振い、聖杯戦争を制する事に在ると言う事が。  アイドルとはそもそも、偶像を意味する言葉である。 偶像は、崇拝される物であり、愛される物である。そして同時に――骨の髄まで利用される物でもあった。 那珂は、そんな事にも気付かずに、オガサワラの所へと向かって行く。花咲く輝かしい未来を夢見ながら彼の下へと向かうその姿は、何処までも一人の少女であった。 ---- 【市ヶ谷、河田町(UVM本社)/1日目 午前0:45分】 【ダガー・モールス@SHOW BY ROCK!!(アニメ版)】 [状態]健康 [令呪]残り三画 [契約者の鍵]有 [装備]スーツ [道具]メロディシアンストーン [所持金]超大金持ち [思考・状況] 基本行動方針:聖杯確保 1.那珂をとことんまで利用し、自らが打って出られる程の力を確保する 2.オガサワラには不様に死んで貰う [備考] ・UVM社の最上階から一切出られない状態です ・那珂を遠征任務と言う名の<新宿>調査に出しています ・原作最終話で見せたダークモンスター化を行うには、まだまだ時間と魔力が足りません 【四ツ谷、信濃町方面(三栄町、<新宿>歴史博物館)/1日目 午前0:45分】 【アーチャー(那珂)@艦隊これくしょん】 [状態]健康、艦装解除状態 [装備]オレンジ色の制服 [道具]艦装(現在未装着) [所持金]マスターから十数万は貰っている [思考・状況] 基本行動方針:アイドルになる 1.何処か良いステージないかな~ 2.ダガーもオガサワラも死なせないし、戦う時は戦う [備考] ・現在オガサワラ(SHOW BY ROCK!!出典)と行動しています ・キャスター(タイタス1世{影})が生み出した夜種である、告死鳥(Ruina -廃都の物語- 出典)と交戦。こう言った怪物を生み出すキャスターの存在を認知しました **時系列順 Back:[[夢は空に 空は現に]] Next:[[二人の少年]] **投下順 Back:[[DoomsDay]] Next:[[夢は空に 空は現に]] |CENTER:←Back|CENTER:Character name|CENTER:Next→| |00:[[全ての人の魂の夜想曲]]|CENTER:ダガー・モールス|41:[[さくらのうた]]| |~|CENTER:アーチャー(那珂)|~| ----
 高い所から眺める風景は、気持ちが良い物である。 ビル街の最中に聳える超高層ビルからでも良い、雲よりも高い所を飛ぶジャンボジェットの窓からでも良い、富士山の頂上からでも良い。 何故、高い所から目にする光景が良いものなのか。地上では仰ぎ見ない限りその全貌を目の当たりに出来ない物がちっぽけに見えるからか。 それともただ単に、高い所に自分がいると言う事実からか。確かにそれらもあるであろう。 しかし、一部の者は、違うと考える。旧約聖書に語られるバベルの塔の説話において、何故人は高い建物を建てようとしたのか。 それは、自分達の技術力の高さを見せつけようとしたのではなく、高い建物を建てる事で神に近付こうと考えたからだ。 その浅慮を神から咎められ、バベルの塔は雷であえなく破壊され、人は世界中に散り散りになり、結果、言葉の異文化と言う結果が生まれてしまったのだが。  特殊な強迫観念を患ったと言うケースを除き、人が何故高い所を好むのか? それは即ち、支配欲と征服欲等を筆頭とした、諸々の欲求を同時に満たせているような感覚になれるからである。 建物の大きさと高さは、強権を得た人間の特権と言っても良い。自らが勝ち得た高層建築の最上階から俯瞰する光景と言うのは、所謂勝ち組にだけ許されたビジョンなのだ。  <新宿>に聳え立つ超大手レコード会社、UVM社は、東京タワーにも匹敵する程の高さを誇る、超高層建築の見本のようなビルである。 音楽会社に勤めて見たいと言う大学生や、この会社で名を上げたいと言うミュージシャンの憧れの御殿であるこのビルの最上階から眺める、 <新宿>の街並みや<亀裂>、そしてその裂け目の先に広がる他区の街並みは絶景と言う他ないらしく、天気の良い日には富士山すらも目視出来ると言うのは、 この会社に勤める社員やミュージシャン、バンドメンバー達の言である。UVM社に所属出来ている喜びをさぞ噛みしめられている事だろう。 社員や所属ミュージシャンですらこれなのだ。このレコード会社を率いる社長ともなれば、自身の社会的な立ち位置やステータスを実感出来ているに違いない。  ……と言うのは、連中の勝手な思い込みと言う奴であった。 確かに、高い所からの風景は気持ちが良いものだとダガー・モールスだって思う。しかし、何事にも慣れと言うものがある。 毎日体験して慣れてしまえば、美味い食事や面白い小説も映画も飽きて来るものだ。風景にしたって、それは同じ事。 率直に言うとダガーは、慣れたと言うよりも最早ウンザリしていると言っても良かった。自社であるUVMの最上階から眺める、<新宿>の街並みにだ。  <新宿>、いや、<新宿>が存在するこの世界と言い換えても良いか。 この世界が、嘗てダガーが活動していたサウンドワールドとは根本的に、何から何まで違う場所である事に気付いたのは、大分前の事である。 成り立ちも違えば、音楽があらゆる事象の前に立つと言う世界の法則もこの世界には無い。 だがもっと違う点は、この世界にはサウンドワールドの住民であるミューモンと呼ばれる生命体が一匹たりとも存在しないと言う点だ。 世界が違うのだから当然と言えば当然の事柄であるのだが、この世界に於いては非常に重要な事であった。  結論から言えば、ダガー・モールスはUVM社の社長室から身動きが出来ない状態にある。彼の姿はこの世界の常識に照らし合わせれば、ありえない姿をしている。 頭の大きさは成人した人間の三倍以上も大きく、自身の肩幅よりも大きい横長のそれ。 元居た世界で、骨が通っているとは思えない位ブヨブヨしたその頭を、黒いクラゲのようだと揶揄されていた事もダガーは知っている。 ミューモン達が多数存在したサウンドワールドでもダガーの姿は目立つのだ。此処<新宿>で、彼の姿が目立たない筈がなかった。 無策で社外に出ようものなら、怪物扱いされる事は自明の利だ。いや、怪物扱いで済むのならまだ良い。この場合、UVM社の社長であると言う肩書が足枷になる。 国内最大手の企業の社長が怪物だったなどと言うニュースは、瞬く間に日本中を駆け抜けるだろう。そうなってしまえば即座に、<新宿>中の聖杯戦争参加者に、 自身が参加者であると割れてしまう。誰もが認める、詰みの状態と言うべきであろう。これを防ぐには、此処UVM社から一歩も出ないと言う方針で行くしかない。  アーチャーのサーヴァントを召喚してからダガーはずっと、UVMの社長室に籠城していた。 外は愚か、自分がいるフロアーからも迂闊に出られないと言う事は、相当なストレスである。此処は間違いなく自分の会社であるのに、自由に全フロアを移動出来ないのだ。 事実上の軟禁とほぼ同義だ。最上階から眺める街の風景も、既に見飽きている。今では地上の光景の方が見たいとすら思っている程だった。 グレイトフルキングに音楽を作らせる為に、彼を監禁した因果が、今になって巡って来たのかともダガーは考えた。 全く、因果応報とはよく出来たシステムだとダガーは自嘲する。いや、全く笑えない事に気づき、ダガーは真顔になる。  外に出たいのは事実と言えば事実だが、現状それが最も悪手である事には気付いている。 今彼が出来る最良の行動は、自らの中にも宿るメロディシアンストーンを音楽の力で増幅させ、魔力を生み出す事である。 これを行う事でいつかは、サウンドワールドで振るった強大な力を発揮出来る事だろう。幸い、ダガーが引き当てたサーヴァントは、アイドルとしての資質が強く、 彼女の身体に宿っているだろうメロディシアンストーンも、磨けばそれは強大な力の原石になると彼は踏んでいる。 故に今出来る事は、ダガーのサーヴァントである、アーチャーの那珂のアイドル性や歌唱力を磨き、 メロディシアンストーンを高いレベルのそれにまで昇華させる事。だが流石にそれだけでは不安が残る。 聖杯戦争と言うものはその名前が示す通り、本質的には力と闘争が物を言う催しである。此処UVM社だって、何時戦塵戦火に呑まれるか解ったものではない。 其処で、那珂をアイドルとしてではなく、サーヴァントとして利用する必要が出てくる。つまり、積極的にUVM社の外に出し――彼女はこれを遠征と呼ぶ――、 <新宿>の情報を集めさせ、弱そうな主従を見かければ積極的に戦いを挑み、改二と呼ばれる宝具の布石を打つ。これが重要になる。  自分の身体的特徴のせいで、やる事なす事が無意味に多くなっているが、これは最早仕方がない事だとダガーは割り切る事とした。 全ては、音楽による全ての世界の制服の為に。この世界も、そして、志半ばで頓挫してしまった、サウンドワールドの支配の為に。此処は敢えて、雌伏の時を過ごしてやる事とした。  紅色に光る瞳で、無感動に<新宿>の夜景を眺めるダガー。 全体的に薄暗い社長室に、身に覚えのない群青色の光が、自らの背後で生まれた事に彼は気付く。 何事だと思い振り返る。光源は、直に見つかった。聖川詩杏達に敗れた自分を此処まで導いた契約者の鍵が、一人でに青々と光っているのだ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  UVM社は<新宿>に本社を置く、日本最大のレコード会社である。 しかし、唯一絶対、或いは、国内で他に並ぶ者がいない音楽会社なのか、と言えば、それは少々驕りが過ぎる。 対抗馬がないわけではないし、此処に所属するミュージシャンだけが、超一流である訳ではないのだ。  歌って踊れて愛想がよく、トークもバリバリこなせるだけがアイドルではない。 誰も見ていないその裏方で、地味で、地道で、薄皮を張り合わせて行くような努力を重ねに重ねられる一つまみの女性こそが、アイドルなのだ。 誰もが皆、より良いアイドルになろうと努力をし、誰もが皆、その中の頂点であるトップアイドルの地位を狙っている。 頂点と言う立場程、転ばせやすい所はない。少し努力を怠り慢心するだけで、その地位から人は転落する。 それを分かっているから、那珂は努力を欠かさない。歌や踊りを磨くだけではない、他の対抗馬を見て研究する事も、努力の内の一つである。  UVM社は最上階、ダガーが業務を行う社長室とは別の小部屋である。 一般的には、楽屋、或いは休憩室とも言える場所だ。しかし、此処を楽屋や休憩室と言う、雑多なイメージを拭えない言葉で表現するのは、気が引けるだろう。 UVM社が用意する、アイドルや歌手の為の控室ともなれば、それは最早ホテルの一室と変わりがないのだ。 人一人を捕まえて、目隠しをした状態で此処まで案内し、この部屋を見てどんな印象を受けるか、と問われれば、多くの人物がホテルのスウィートルームと言うだろう。 広い部屋、絹の様な柔かさの絨毯、何十インチもある液晶テレビ、一人で寝るには大きすぎるベッド、シャワールーム、常にドリンク類を備えた冷蔵庫。 確かにホテルの高級ルームの印象を受けるだろうが、此処は事実、那珂の為にダガーが用意した一室なのである。 その証拠が、部屋を出て向かい側に存在する、那珂がいつも持ち歌の練習をしているスタジオであった。  その部屋で那珂が、ベッドに腰を下ろしながら、区外で活動するバンドやアーティスト達の活動模様を、七十五インチもある液晶テレビで視聴していた。 彼らの歌唱力と、それを聞き熱狂している観客達の姿を見聞すると、自分もうかうかしていられないと言う気持ちになれるのだ。 特に今見ているバンドなど凄い。和服をベースにした衣装を身に纏った三人組の女性のバンドなのだが、これが実に、観客の心を捕らえている。 三人のビジュアルもそうである、ライブのパフォーマンス性もそうである。だが何よりも凄いのが、その歌唱力と演奏力だ。 和の楽器とメロディをベースに彼女らはライブを行っているのだが、これが、決して奇を衒っただけに終わっていない。 同じアイドルの那珂から見ても素晴らしいのである。さぞ日頃から練習と研究を欠かしていないのだろう事が見て取れる。 一流とは、かくあれかし。そんな事を那珂に強く思わせる、見事な演奏であった。そしてこれを見てると、自分も負けてはいられないと言う対抗意識が燃えて来る。 「よーし、明日も一日、頑張ろう!!」  そう強く宣言し、テレビの電源を落とし、就寝しようとする那珂。リモコンに手を伸ばした、その時。 入室の許可を得る為のチャイムの音が鳴り響き、那珂は動きを停止させる。自分に用がある人物など大抵予想は出来ているが、念の為だ。 ドアの前にいる人物が誰なのか、ドアに設置された小型カメラで確認出来るモニタのもとまで移動し、彼女はその姿を確認する。 液晶に移り切らない程の、黒くて大きいクラゲの様な頭を持った、自分のマスター。深海棲艦の出来損ないを思わせるその人物は、ダガー・モールス。 今の自分のプロデューサー兼マネージャー兼、聖杯戦争におけるマスターである。 那珂はドアの電子ロックを解除する。彼女が玄関に向かうまでもなく、ダガーは部屋へと繋がるドアを開け、入室して来た。 「君に仕事だ、アーチャー」  ドアを閉じ、部屋に入るなりダガーはその旨を告げた。 「アイドルとしての私に? 日頃の努力がとうとう!?」 「悪いが、サーヴァントとしての君に用がある」  やや食い気味にダガーに詰め寄ろうとした那珂であったが、無慈悲に彼の方が那珂の思う所を否定した為、ガックリと肩を落とした。露骨に残念そうである。 とうとうレギュラー番組の一つを持たせられるか、大きな仕事が入ったのかと、那珂としては期待していたのである。 「きょ、今日はほら。夜も遅いから、お休みしようかと思ったんだけどな~。夜更かしはお肌に悪いんだよ?」 「サーヴァントにそんな物は関係ないだろう」  これまた鉄の様に冷たい口調でダガーは否定する。うぐっ、と那珂が言葉に詰まる。 彼には俄かに信じ難いが、目の前にいるサーヴァントは、触れもするし傷付けば血すらも流す。 であるのに彼女の体は、蛋白質で構成されていないのだ。那珂を構成する物質とは即ち、自前の、或いはダガー・モールスから供給される魔力なのだ。 魔力を以て、可能な限り肉体的特質を生前のそれに近づけているだけに過ぎない。つまり本質的には彼らは、尋常の物理法則の影響下の外にある者と言っても良い。 それであるから、彼らの肉体は、魔力で構成されている限りは老化もしないし飢えも起きない。那珂が気にする肌荒れなど、起きる訳がないのである。 「う~……、わかったよぅマスター。それで、何をするの?」  目の前のマスターを誤魔化す事は最早不可能だと考えた那珂は、大人しくベッドに腰を下ろし、両足をブラブラ動かし始めた。 観念した、と言った様子であるが、何処か不服な様子は拭えない。それ以上の事は、ダガーも突っ込まない事とした。 「何も戦ってこいと言っている訳ではない。少し、<新宿>の様子を見て来てくれないか」 「ここの?」 「そうだ」  意図するところが読めない、と言った表情で、那珂はダガーの頭を覗き見て来る。 「契約者の鍵を通して、通達が来た。今日の0:00を以て、聖杯戦争が開催されたそうだ」 「嘘っ、早っ!? 私のステージは!?」 「すまない、用意出来なかった」 「アイカツは!?」 「出来ると思うのか?」 「やだやだ!! 歌い足りない踊り足りない!!」  案の定か、と思いダガーは頭を抱えた。 目の前の存在は、サーヴァントと言うより、どちらかと言えば自らをアイドルだと認識しているフシがある。 那珂の名誉の為に説明しておくと、彼女自身は全くの無能かと言えば、それは嘘になる。 戦略面で素人のダガーは、一度彼女と聖杯戦争に関してのミーティングを行った事があるが、ダガーの戦略上の作戦の甘さを指摘する時に見せる、 『水雷戦隊の那珂』としての側面は、スタジオで持ち歌を熱唱している彼女からは想像もつかない程冷徹な物があるのだ。間違っても、彼女はハズレの類ではない。 ないのだが……欠点はこれであった。水雷戦隊としての那珂の顔も本当なら、アイドル活動をしている時の那珂の顔も本当の姿なのだ。 アイドルとして活動している那珂の頑張り振り等、凄いものだ。下手をしたら、サーヴァントよりもこっちの方が本業なのかと錯覚しているのではと思う程だ。 つまり那珂は、アイドルとしての意識が強すぎるせいで、聖杯戦争に関する意識が薄くなる傾向にある。 ダガーのミューモンとしての生態を加味すれば、それは決して欠点ではないのだが、今回はその欠点が噴出している形になってしまった。 此処は何とか、彼女の不機嫌を宥めてやる必要がある、とダガーは結論付けた。つくづく面倒だが、彼女は優秀な手駒だ。臍を曲げたままでは、支障を来たす。 「まぁ落ち着きたまえ。君に全く利益がない事ではないぞ」 「……本当?」  ジトリとした目で那珂はダガーの方を見て来た。完全に拗ねている。 「先ず仕事自体は私が先程言った様な、<新宿>の様子の調査だ」 「何でそんな事するの?」 「私はこの姿だ。君以上に外に出れば目立つ」  うんうん、と那珂が頷いた。さにあらん、下手すれば、艤装を装着した状態で街中で実体化したとしても、隣にダガーがいた場合、ダガーの方に視線が集まるだろう。 それ程までに、彼の姿はよく目立つ。何せ、人のフォルムをそもそもしていないのであるから。 「<新宿>に呼び寄せられてから、私は一歩もこのUVMから出ていない。それはそうだろう、私が外に降り立つと言う事は、途方もないリスクがあるのだから。 パソコンを通して<新宿>の街並みがどれ程の物か見てみたりもしたが、実際にその道を見て歩くのとでは大違いだ。故に私は、このUVMから外に出る、と言う事を諦めた。 だが、街並みを把握しておかねば流石に拙いだろう。其処で、君だ。アーチャー。君の単独行動スキルを以て、ある程度<新宿>を散策して来てくれたまえ」 「せめて私だけでも~、って事?」 「そうだ」  流石に、自分に付き合って、那珂までUVM社内で待機させておく必要性は皆無だ。 寧ろダガーよりも戦略面に明るい彼女にこそ、<新宿>と言う街がどう言った所なのか、見て欲しいのである。 「私も得をするし、アーチャー。君も得をするのだぞ、これは」 「? 何で?」 「君の目で、君に相応しいコンサートの場所選びをしてきたまえ」  カッと那珂が目を見開く。食い付いた。 「君ほどの【アイドル】に【ライブ】をやらせないなど、レコード会社の指揮を執る者として失格の烙印を押さざるを得ないだろう。 君には、君自身の目で、【ライブ】を行うに相応しい場所を、今回の<新宿>の調査で見つけて来て欲しいのだ」  アイドル、ライブ。この二つの単語を特に強調して、ダガーは説得を試みた。 「了解しましたマスター!!」  凄まじい速度で那珂は即答した。ビッと背筋を伸ばし、敬礼をするその様は、如何にも軍隊仕込みと言う風格が漂って来る。 何とも現金なサーヴァントであるが、この程度で御せるのであれば、まだ扱いやすいし可愛い方であった。  無論、ダガーが言った、ライブの為のステージを探す為でもある、と言うのは方便であった。 ダガーは那珂をアイドルとして振る舞わせる事には異存はないが、彼女の為の専用のステージを設けるつもりなど、更々ないのである。リスクが大きすぎる。 結局今回の調査の核は、最初にダガーの言った、<新宿>の調査が半分と、もう半分。那珂にサーヴァントと交戦して貰い、改二の条件を満たさせて貰うのだ。 まだまだ、ダガーはサウンドワールドで振るった力の半分も取り戻せていない。漸く、四分の一と言った所だろうか? 本調子には至らない。何とか嘗ての力を取り戻したいのである。  何れにしても、那珂からの言質を取る事が出来た。 後は、那珂の調査の成功率を高める為の、『生贄』を用意する必要がある。そしてその役を担わされる存在は、既に決まっていた。 懐からダガーはスマートフォンを取り出し、哀れなるスケープゴートにTELを掛け始める。 「――私だ」  威圧的な、口調であった。 「お前に緊急かつ秘密の仕事を与える。早急に本社に来い。以上だ」  電話を切り、ダガーはズボンのポケットにスマートフォンを入れた。 「誰に掛けたの?」と、那珂が問うてくる。彼は答えた。 「君のマネージャーだ」 「本当!?」  顔の周りに、花の咲き誇るエフェクトでも立ち現れるのではと思う程の輝かしい笑みを浮かべて那珂が言った。 今にも小躍りでも始めそうなテンションで、彼女はベッドに腰を下ろし、持ち歌である恋の2-4-11を口ずさみ始める。  電話をよこした相手がUVM社に来るまで、三十分ほどの時間が掛かるだろうか。 その間は、この部屋で暇をつぶす事とした。上機嫌な那珂を横目に、ダガーはテレビの元まで近づき、リモコンでその電源を落とした。 「消しちゃうんですか?」  ご機嫌な気持ちが消えないのか、喜びの感情の強い表情で那珂が聞いて来た。 「まぁな」 「そっか」  これ以上、那珂も問うてくる事はなかった。 液晶テレビに映っていたバンドグループ達は、確かにダガーの目から見ても超一流のアーティストである事は疑いようもなく、BGMにするにはもってこいの音楽ではあった。 しかし、もといた世界でその名を馳せさせていた、徒然なる操り霧幻庵の。ダガーの計画を頓挫させた連中の演奏を、聞く気にはなれない。 苦虫を噛み潰したような表情で、ダガーは、黒曜石の様に艶やかな黒をした、電源の落されたテレビの液晶部分を睨みつけている。 彼女らはこの世界でも、人気のバンドグループなのであった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  UVM社に勤務する社員の一人、オガサワラは、負け組であると思っていた。 これは万人が認める評価と言う訳ではなく、彼自身の思い込みによるものだ。彼の業績は可もなければ不可もなくのノーマルなそれで、 ペースこそ遅いが、このまま頑張れば出世は出来るだろうと言う程度には仕事は出来る。  そんな、窓際族とは言えないこの男が、何故自分の事を負け組だと思っているのか。 それは入社以降、それこそ入社面接の段階から、自分が人事に主張していたやりたい事を、一向にやらせて貰えないからに他ならない。  オガサワラは単刀直入に言えば、マネージャー業務をやりたかったのである。 UVM社に社員として働きたい、と言う事のホンネは何か? 収入が良い、福利厚生もしっかりしている、と言った事もあるであろう。 だがこの会社の門戸を叩く者の中には、自分がプロデュースしたアイドルやミュージシャンを一流に育て上げたい、と言う野望を胸に秘めた者も大勢いるのだ。 彼はその野望を秘めた社員の内の一人であった。それを夢見て、オガサワラはUVM社に入社したのである。 しかし、流石に入社してすぐのペーペーに、希望通りにマネージャーをやらせるとは流石に思っていない。 事務も営業も経験したし、経理もやコールセンターもこなした。六年近くこの会社で下積みと経験値を積み上げ、さあ自分はもう準備は出来ているぞ、 と意気込んでから早四年が経過した。一行に、マネージャーの仕事に配属させて貰えない。  自分には才能がないのだろうか、と今日も思い悩んでいたオガサワラの下に、電話が一本掛かって来たのだ。 電話の主は、なんとあの、UVM社の社長のダガーからである!! その仕事ぶりは大胆かつ繊細。 休む事を知らない程の超人的なスタミナの持ち主で、四六時中社内にいると言う。更に、『原石』を見つけ出す審美眼にも長けた、 UVMの誰もが認めるナンバーワンプロデューサーにして敏腕社長。しかし彼には謎が多い。 その最たるものが、社員は愚か株主にもその姿を見せないと言う事であろう。十年もUVMに勤務するオガサワラですらその姿を拝んだ事はない。 入社式にすら顔を見せなかった程だ。社内の至る所に設置されたスピーカーを通して指示を出す、と言う、他社では中々見られない命令系統を徹底させているダガーは、 余程の事では社員に電話を掛けて来ない。そんな彼が、このオガサワラに緊急の命令を下したのである。  現在に至る。 数年前に購入した軽自動車を運転し、ダガーは、住まいの板橋区からUVM本社まで急いでいた。 ダガーから直々に命令が下るなど、ただ事ではない。オガサワラの頭にはそんな意識があった。 ただならぬ事が起きるかも知れない。故にオガサワラは、目的の場所まで急いでいた。  目的地に到着したオガサワラは、UVM近くの駐車場に軽を止め、月にすら届きそうな程高いタワー状の建物である、UVMに走って向って行く。 守衛に社員証を見せ、入館の許可を得たオガサワラは、社内に入って行く。向かう先は、本社二階の応接間であった。 其処に着くころには、オガサワラは体中から汗を流し、ぜぇぜぇと苦しそうに肩を上下させていた。もう自分も三十過ぎである。 十代の頃の様な全力疾走は、もう出来る歳ではない事を思い知らされていた。 「ご足労いただき感謝しているよ、オガサワラ」  応接間にも、ダガーの声を届けるスピーカーが設置されている。 その声を聞くや、オガサワラは、疲れてが瞬間的ではあるが吹っ飛んでしまい、慌てて背筋を正し始めた。 「ハッ、きょ、恐縮でございます!!」  一見すればオガサワラは誰もいない部屋に一人で声を出しているように見えるだろう。 客観的に見ればそれは事実ではあるが、ダガーが社内に仕掛けたものはスピーカーと言う発信機だけでなく、声の受信機も設置しており、これにより社員との応答も出来るのである。 「電話でも話した事だが、君には一つ用事を頼みたいのだよ」  オガサワラの身体が、強張った。 「長ったらしい前置きが嫌いだからな、単刀直入に言おう。君にプロデュースして欲しいアイドルがいる」  数秒程、オガサワラの身体が、固まった。スピーカーを通して下された、ダガーの言葉の咀嚼に時間が掛かったのである。 ダガーが告げた言葉の意味を頭で理解した瞬間、それはもう、様々な感情が綯交ぜになった表情で、オガサワラは声を上げ始めた。 「ほ、ほ、本当ですかボス!?」 「嘘は吐かない。オガサワラ、お前は異動の度にマネージャーをやりたいやりたいと人事に希望していたな? お前もUVMで働いて十年になる。もう新人ではないし、素人でもないのだ。そろそろ、お前の希望も叶えてやろうと思ってな」  手の甲の皮膚をオガサワラは爪を立てて抓って見る。痛い。夢ではない!! 入社してからの悲願がようやく叶うと思うと、駐車場から此処まで走って来た疲労が全て、水で埃汚れを落とすように消え去って行く。 「オガサワラ。お前に担当して貰うアイドルは、どのマスメディアにもその存在を知られていない。宣伝すらもしていない お前はそのアイドルを全く無名の状態からプロデュースしろ。だが、安心してくれ。確かに彼女は無名だが、才能は本物。 今まで彼女の存在を秘匿して来たのは、私としては彼女を、突如現れた新星、と言った触れ込みで彼女を推そうとしていたからだ。秘密兵器、と言う奴だな。 無論、お前にマネージャーをしてもらう以上、彼女の活躍のさせ方はお前に一任する。私のやり方に拘泥する必要はない。しっかりと仕事をしろ、オガサワラ」 「も、勿論ですボス!! 誠心誠意粉骨砕身、頑張らせていただきます!!」  凄まじい勢いでお辞儀をするオガサワラ。入社以来の悲願が漸く叶った瞬間だった。 今日のこの瞬間から、睡眠をせず明後日の終業時間まで働けるのではないのかと言う程の喜び方であった。 スピーカーの通信を切る音に、オガサワラは気付かなかった。当たり前の事であるが、切れたスピーカーのその先で、ダガーが「馬鹿が」と漏らした事など、知る訳もなかった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  ダガーが意図したオガサワラの使い道は、那珂の<新宿>調査を円滑に進める為のデコイであった。有体に言えば、生贄だ。 大抵のサーヴァントは、マスターを殺されればその時点で、詰みに等しい状況に陥ってしまう。魔力供給が断たれるからである。 サーヴァントとマスターの戦闘力には、大きな隔たりがある。其処で、マスターとサーヴァントが共に行動していた時、通常どっちを狙った方が楽か。 無論、マスターを狙った方が遥かに早い。それはそうだろう。しかしこれは少し考えれば自明の利であり、サーヴァントの側もこれを解っているから、そうはさせじとマスターを守る。此処から、サーヴァント同士の戦いに発展するのである。  こう言った意識をダガーは逆手に取った。 余程注意深い存在でもない限りは、相手の主従は、マネージャーと言う触れ込みで那珂と一緒に行動しているオガサワラをマスターと誤認するだろう。 つまりオガサワラは、万一那珂がサーヴァントと露呈した時に、彼女がダガーの下へと逃げ果せられる為の保険である。 聖杯戦争の主従はマスターを狙うかも知れないと言う意識を利用した、撒き餌である。  本来こう言った役割は誰でも良かった。アトランダムに決めても良かったのだ。 三千人を容易く超える従業員を擁するUVM社のなかで、何故オガサワラが那珂のマネージャー――デコイ――に選ばれたのかと言えば、 ダガーとオガサワラは、サウンドワールドで少なからぬ関係を持っていた事に起因する。 ダガーの認識では、オガサワラは出し難い無能であった。クリティクリスタと言う、自分が選んだアイドルグループを折角貸し与えたにも拘らず、 あの聖川詩杏が所属していたとは言え、有象無象のアイドルグループであるプラズマジカに対バンで敗れた程である。無能と言わずして、何と呼ぶ。 この世界にやって来て、NPCとしてのうのうと自社に所属していたオガサワラの、あのモアイに似た不細工な顔と小柄な体躯を見たら、 驚きよりも怒りの方が湧いてきたのである。制裁の意味も込めて、三千人超の従業員の中から、彼をデコイに任命した。こう言う経緯であった。  ――そんな裏事情など、オガサワラが知る由もなく。 UVM二階の応接間で、そわそわと目当ての人物が来るのを期待していた。初めてデリヘルを注文した男子学生レベルの緊張ぶりだった。 あの後メールで、ダガーからこんなメールを送られて来た。「彼女は地方からやってきた女子高生で、<新宿>はおろか東京の事情にすら疎い。 夜の<新宿>は迂闊に出歩くと危険だと言う意味も込めて、軽く<新宿>の目ぼしい所を回って欲しい」と。 この程度はお安いごよう、と言うものである。少々狭くてむさくるしいかも知れないが、オガサワラは自身の軽自動車に那珂を乗せて、命令を果たそうとしていた。  ガチャッ!! と、勢いよく応接間の扉が開け放たれる。 驚いた様にその方向に顔を向けると、二つのシニョンを茶味がかった髪で作った、オレンジ色の制服の少女がやって来た。 美麗と言うよりは可愛いに属する顔立ちで、清潔感とヒマワリの様な明るさで輝いていた。成程、一流のアイドルに成り得る素質はある。 これを、自分はプロデュースするのかと、オガサワラは気を引き締めた。 「UVMのアイドル、那珂ちゃんで~す!! よっろしく~!!」  夜も十二時四十分を回っていると言うのに、昼の一時か二時みたいなテンションで、那珂と呼ばれた少女は自己紹介をして見せた。 那珂は早くも、UVMの顔でありシンボルだと思い込んでいるらしいが、オガサワラは突っ込まなかった。 「え~っと、私については、聞かされて……ますよね?」  少し疑問調子にオガサワラが訊ねる。 「も~っちろん。私のマネージャーさんでしょ?」  本当に、夢ではない。自分は本当に、マネージャーとしての仕事を任されたのだ!! 「それでは、積もる話はお車の中で。早速ですが那珂さん――」 「うんうん、それじゃ、行きましょう!!」  そう言う事になった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「へー、じゃあオガサワラさんは私が初めてのマネージャーなんだね」 「そうなんですよ。苦節十年。漸く巡り巡ったチャンスなんです」  オガサワラが運転手を務める、スズキのスペーシアの車内であった。 二人は早速打ち解けており、車内で軽い自己紹介を交わした後に、身の上話に花を咲かせていた。 互いの出身地やら、現在の住まい。オガサワラによる業界での苦労話諸々等、話す事は色々だ。 元よりこの業界は、トークの展開力が物を言う世界である。伊達にオガサワラも十年の時を其処で過ごしていない。 話に間が発生しないよう配慮された彼の話に、那珂も退屈はしていなかった。零れる笑みからも、それは伺えようと言うものであった。 「オガサワラさんは幸運だよ、この那珂ちゃんが担当アイドルになったんだもんね!!」 「ハハハ、全くです。これで、郷里の家族にも自慢が出来るってものです」  そんな他愛もない事を話ながら、オガサワラは運転を続けている。 目指す当てなど特にはない。適当に、<新宿>の主要な街を車で周ったら、今日の所は取り敢えず、那珂の健康面を配慮してすぐに彼女を帰らす積りであった。 カーナビも使わず、当てもなくブラブラと車を走らせる。主要な大通りを通ったかと思えば、車の通りの少ない小道を走ったりと、一定しない。 流石にこれでは目的性がなさ過ぎる。次は歌舞伎町や西新宿の辺りでも案内するか? とオガサワラが考えていた、その時であった。 「? ねぇ、オガサワラさん」 「何かしましたか?」  疑問調子で那珂が言葉を投げ掛けて来た為、オガサワラもそれに応えた。 「あれは一体、何なんですか?」  言って那珂は助手席からフロントガラスの前方を指差した。  那珂の指差した方向には、フロントライトと街灯の光に照らされた、正四角錐柱状の細長いモニュメントがあった。 車のライトの強い光に当てられたそれは、天から降り注がれたまま数十年は経過した槍の様な佇まいを見せている。 スマートフォンのカーナビアプリを起動、GPSで現在地を確認した所、<新宿>歴史博物館にまでやって来てしまったらしい。 現在位置と、<新宿>と言う『土地の歴史』から判断するに、あのモニュメントは―― 「『慰霊碑』ですよ」 「慰霊碑、ですか? するとあれは……」 「<魔震(デビルクエイク)>の、です」  ああ、やっぱりと言った風に那珂は納得した。 オガサワラは、地方からやって来たアイドルの為、東京の建物などには疎いから、解らなかったのだと解釈する。  現代日本で起った、教科書に載るレベルの震災の顛末を見れば解る通り、震災とは一度起これば、行政、財政、景気などあらゆる面で影響を及ぼす。 無論、その殆どが負の影響である。震災復興の為に行政や立法活動は滞り、被災地の景気は一時的に大きく落ち込み、それを立て直す為に財を捻出する。 今でこそ<新宿>は持ち直しこそしたが、震災から十年程は、まさに暗黒期だった。 あちらこちらに散らばる建造物の瓦礫、それに埋もれた死者の数々。震災の為に大小の犯罪が被災地で多発し、国や自治体からの補償を求める被災者達。 東京都、もとい日本国は、首都東京の主要区の一つを何時までもこのような状態に陥らせる訳には行かないと、国の威信を掛けて<新宿>の復興に力を尽くした。 瓦礫は異様な速度で撤去された。これを一々最終処分場まで持って行くのは莫大な金が掛かる為に、<亀裂>へと棄てた。それでもまだ<亀裂は>埋まらない。 神憑り的な速度で仮設住宅やインフラ、道路や鉄道が整備しなおされた。普段からこれ位のやる気を以て道路整備を行えと言う批判が国中から起った。 国庫から莫大な金を惜し気もなく投下し、国内外から集まった寄付金や支援団体、軍隊派遣により、<新宿>は今の街に返り咲く事が出来たのだ。  しかし復興を果たしたと言えど、<魔震>によって命を失くした、四万五千人と言う死亡者の数は消えはしないのだ。 行方不明者も死亡者にカウントするのなら、その数は倍以上の大台にも達する。 死亡者の数だけでも良いから、区内に墓地を立てるべきだと言う声も上がったが、これは却下された。 当たり前だ、四万五千人分の死亡者の墓地など、それこそ<新宿>の土地全域が墓場になりかねない勢いである。 納骨堂や屋内霊園で済まそうにも、四万人超と言う数字分を供養、彼らの分の墓石や施設を用意する事は並大抵の事ではない。 だからこその、慰霊碑と言うモニュメントなのだ。<魔震>が起った際には、<新宿>全土はまさに死者の山河と言う表現が相応しい状態で、 一歩歩けば死体か瓦礫を踏んでいる状態だったと言うのは、当時救出活動に当たっていた自衛隊員の言である。 そう言った状況であった事を加味して、現在の<新宿>の至る所に、こう言った慰霊碑が建てられているのである。 つまりこの慰霊碑は、<魔震>に遭い死亡してしまった被害者達の魂を慰める為の物であると同時に、墓地の類を用意は出来なかったがこの辺りで手打ちにして欲しい、と言う行政の意思表示の為のモニュメントであるのだ。 「でも何だか特徴的な形の慰霊碑ですね。何だか、何処かで見た様な形の……」 「オベリスク、ですか?」 「そうそれ!!」  出そうで出ないクシャミのように、目の前のモニュメントの名前が思い浮かばなかった那珂であるが、オガサワラの指摘で漸く思い出した。 そう、この特徴的な形のモニュメントは、オベリスクではないか。日本特有のそれではなく、エジプトの古い時代の物であるとは那珂も知っている。 遠く離れたエジプトの記念碑或いは慰霊碑が、何故日本に建てられているのか。その事を那珂は聞いて見た。 「一目見て、慰霊碑のそれと解るから、だとは聞いた事がありますね。」  オガサワラもそれが事実なのかどうかは解らない。 そもそもオガサワラが地方から上京する頃には、<新宿>は既にアジア有数の繁華街だったのだ。 直接的に被災したわけでもない、興味を払う筈などなかった。  何にしても、<新宿>を案内するのである。楽しい場所である事を教える一方で、怖い所だと言う事も教えなければならない。 だが、湿っぽい話をするのは、違うだろうとオガサワラは考えていた。早い話、今この状況で<魔震>の話は、色気がない。 パーキングモードを解除し、ドライブモードにシフトレバーを変えた、その時だった。 「――? あれ? オベリスクにあんなのあったっけ?」  キョトンとした表情で那珂が呟いた。今度は何が、と思い、オガサワラは目線をフロントガラス越しの前方方向から、 那珂の目線に合わせてオベリスクの先頭付近に向け始める。  一匹の鳥が止まっていた。いや、あれは、鳥なのか? オガサワラは動物の事などよく解らないが、大きい鳥と言えば、彼の中では鷹や鷲などと言った猛禽類だ。 だがそれらにしたって大きいのは、翼を広げた時、つまり『横』に大きいわけで、『縦』に大きいわけではない。 今オガサワラ達が見ている時は、明らかに縦長の上に、翼を広げている時の大きさが鷲や鷹に倍するそれなのだ。  明らかにおかしいと思いよく目を凝らして――絶句した。 オベリスクの先端部分に止まっているその鳥は、人間の女の胴体と頭を持っているのだ!! 本来ならば両腕に置換されて然るべきその部位は、地上の如何なる鳥のそれよりも大きな鳶色の大翼に変化しており、 その脚部は人の肉など容易く切り裂けてしまいそうな程鋭い猛禽のそれになっている。 他の部分がリアルな猛禽のそれであるが故に、乳房をあられもなく露出したその人間の胴体部とのコントラストが、酷く不気味で怪物的だった。  女性の上半身に、鳥の下半身を持った怪物。 ギリシア神話に造詣の深い者がオベリスクに止まる怪物を見たのなら、直に、ハーピー、或いはハルピュイアと言う名を連想した事だろう。 しかし原典のハーピーは偉大なる大地母神ガイアの息子であるタウマスと、大海の化身である神・オケアノスの子であり、 虹を司る女神のイーリスの姉妹と言う、由緒正しい神の系統に連なる女神なのだ。 目の前の怪物には、神の系譜に連なる存在が放つような神韻や神秘さの欠片もない。ただただ醜く、不快なだけであった。  オベリスクの怪鳥の姿に漸く気付いた那珂。 ギロリ、とハーピーのできそこないの様な怪物が、オガサワラ達の乗るスペーシアを見下ろした。 鳥は夜目、と言う風説を怪物は覆していた。明らかに、フロントガラス越しのオガサワラ達の方を睨めつけているのだから。 「――始祖のくびきは砕かれたり」  怪鳥は、狂った様なかん高い声で、歌の様なものを口にし始めた。 「此星は我らが産まれし星に非ず。我らが星の民が崇めし諸神はその姿を隠したり。清冽なる川の調べを司る女神も見えねば、猛々しき霹靂神(はたたがみ)も、縹渺たる夜空を司る神も、その崇信の名残欠片も感じず」  尚も、怪鳥は歌い続ける。 「なれば、この地に響くは、始祖の雷霆。遠くに、近くに。かなたに、こなたに」  ブンッ、と、髪を振りしだく。 「奈落のこつぼに落ちるが良い。我らはこの地に呪いを掛ける者なり」  そう言うや、ターボチャージャーを搭載した自動車の様な初速を以て、その怪鳥はオガサワラの車へと向かって行った。 ボンネットに怪鳥の脚部が衝突する。巨人にでも殴られたが如き衝撃が車体に走り始め、車内にいるオガサワラ達を上下左右に揺らしまくる。 「きゃっ……!?」  驚いた様な声を那珂が上げる。 重なった様々なアクシデントに、オガサワラは白痴に近しい状態に陥ってしまったが、直に最優先事項を思い出す。 このような危難に直面した場合、マネージャーが真っ先に優先すべきはアイドルの安全を確保する事だ。 那珂は未来のアイドルと言う高い商品価値を持った人物である事もそうだが、それ以前に未来ある未成年である。最優先で大人が保護せねばならない存在だ。 「那珂さん、この場は俺に任せて逃げて下さい!!」  こうするのが、最善の方法なのは、当たり前の事であった。 「え、そ、その、大丈夫なんですか!?」 「任せて下さい、こう見えて高校大学と柔道で慣らした身ですから!!」  二秒程逡巡する那珂であったが、危険な光を宿してオガサワラの方を睨みつけている怪鳥を見ると、何時までも迷ってはいられないと思ったらしい。 「……お願いします!!」、とそう言って那珂はスペーシアから飛び出し、一目散にその場から逃げ出していった。 怪物の方は逃げ出した那珂には興味がなかったらしい。と言うよりは、逃げた所で追いつくとでも思っているのだろう。何せ相手は地上を不様に走る人間で、此方は悠然と空を飛翔出来る魔鳥なのだから。  車内から転がり出るオガサワラ。柔道をやっていたなど酷いにも程がある嘘八百だった。 そもそもこの男は文化系のクラブに所属していた為、運動などからっきしだ。だから、真っ当に勝負など挑まない。 彼の右手には車体の塗装用のボデーペンスプレーの缶が握られており、これを相手の顔に噴射しようとしているのである。 「クソが、とっとと離れろ!!」  言ってオガサワラは目の前の怪鳥にスプレーを噴射しようとしたが、それよりも速く相手は翼を勢いよくはためかせ、突風を巻き起こす。 生物の単なる一動作によって生み出される風圧など、たかが知れている、と言う常識を根底から覆す程の勢いだった。 六m程もオガサワラは吹っ飛ばされ地面に不様に転がった。「ひいいぃ……!!」と情けない声を上げる。 家を出てから水の類を呑んで、膀胱に水を溜めていなくて良かった。年甲斐もなく、失禁でスーツを汚しそうになっていた。 いや、よくはない。自分はこれから、目の前の化物に嬲り殺される事が既に決定しているも同然なのだ。全く喜べない。  折角任された大仕事を果たせず死ぬなんて嫌だ嫌だ、と心の中で叫び続けるオガサワラ。 化物が飛び上がり、十数m程の高さに滞空し始めた。猛禽の爪先は、彼の頭に標準を向けている。 これから何が起こるのか、朧げながらも予測出来てしまう自分が嫌になって来る。 砕けた腰でその場から逃げ果せようと、怪鳥に背を向け始めた、その時だった。  ドゥン、と言う、鼓膜を強打させ、腹に響く様な重低音が、先ず鳴り響いた。その次の瞬間、世界が一瞬昼になったかの様なオレンジ色の光が頭上で輝いた。 何事かと思い、恐る恐る、オガサワラは怪鳥の方向に顔を向けた。 ――化物は、いなかった。嘗てあの怪物が飛翔していた所には、橙色の焔の花弁と灰色の煙が舞い散っているだけである。 パラパラと、オガサワラの近くにこまやかな粒上の物が落下して行く。これは何だと思い、指で摘まんで見る。 それは、砂だった。やけに粘ついている。あの怪物の、血で濡れているのだろうか。  ガクガクと膝と腰を笑わせながら、オガサワラは立ち上がろうとする。那珂の様子が、心配であったからだ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「もう、那珂ちゃんのライブステージに相応しい場所を考えてる最中だったのに、空気読めてない!!」  オガサワラが恐らくいるであろう、オベリスク状のモニュメントから二十m程離れた所に建てられたビルの屋上からであった。 其処で那珂は一人でプリプリと、怒気を露に一人で怒っている。何に対して憤っているかと言えば、それは当然、あの得体の知れない怪物であった。 あの時那珂は、震災からの復興からn年記念のコンサートを開き、其処で鮮烈なデビューを飾ろうか、と言うビジョンを脳内で思い描いていたのだ。 この<新宿>の住民にとってきっと<魔震>とは拭い難い負の思い出であり、忘れられない出来事の筈。 そんな出来事を吹っ飛ばすような明るい曲を以て、自分はアイドルデビューするのだ!!  そんな妄想を膨らませていると、ニヘラと言う笑みが、止まらない。隠せない。 無論この目論見は、震災から今の年まで、キリの良い数字でなければ効力が半減する事は那珂も解っていた。 <魔震>が<新宿>を襲ったのは何時の事か、聞こうとしていた、そんな矢先に、あの空気の読めない魔鳥が姿を見せたのである。  聖杯戦争の参加者の手による物だと言う事位、那珂には解る。この程度が見抜けないようでは、水雷戦隊失格だ。 聖杯戦争のセオリーに照らし合わせると、恐らくはキャスターが創りだした魔物、と言う事になるのだろうか。 艦娘として海上で戦闘を繰り広げていた那珂には、未だに聖杯戦争と言う催しはピンと来るものではなかったが、さしあたってはそんな解釈に止めて置く事とした。 これは後で、ダガーに優先して報告しておくべき事柄であろう事は、間違いなかろう。  あの怪鳥は、消え失せていた。これでオガサワラは、命を取られる心配はなかろう。   那珂の白く、細く伸びた両腕に、彼女の可憐な容姿に全くそぐわぬ、鋼色の砲台が取り付けられていた。 彼女のアーチャーとしての、いや。艦娘としての象徴である、宝具・艤装を限定的に搭載。この宝具で、あの怪鳥を狙撃。粉々に爆散させた、と言う事である。 流石に地上にいる状態で連装砲を撃ち放てば、オガサワラも爆発の余波で無事では済まなかったろうが、都合よくあの化物が空を飛んだので、 これ幸いと言わんばかりに那珂が狙った。以上が、事の顛末だ。二十m程度の距離からの砲撃など、全く問題がない。 全く障害物のない状態であるのなら、三百m以上も離れた所からでも、着弾させられる自信が那珂にはあるのだから。  那珂は考える。 恐らくあの怪物は、自分の事をサーヴァントだと認識出来ていなかったに相違あるまい。 那珂に限った事ではないが、艦娘と言う存在は、自らの象徴である艤装を外した状態であると、全くその力を発揮出来ないのである。 これは一見すればデメリットとしか思えない特質であろうが、逆に言えば、艤装を外した状態であるならば、誰がどう見ても普通の人間であると言う事も意味する。 この性質はサーヴァントと化した那珂にも受け継がれている。彼女は宝具、艤装を非展開の状態に限り、余程優れた察知能力の持ち主でない限りは、 自分の事をサーヴァントと認識出来なくさせるスキルを持っている。ダガーが己のサーヴァントに、アイドル活動などと言う本来ならば絶対許容してはならない約束を、 口約束の上でとは言え交わしている訳は、那珂のこの特殊なスキルに由来している。  このスキルがある限り、確かに自分はサーヴァントだと認識され難くなるし、アイドル活動も出来る事だろう。 しかし、このスキルがある限り、マネージャーのオガサワラにも危難が及ぶ事も意味する。 今回はサーヴァントではなく、サーヴァントが生み出した雑兵が相手だったからまだ良い。 相手が正真正銘本物のサーヴァントであった場合、自分と常に行動する事になるだろうオガサワラは、当然要らぬ火の粉を負い被る事となる。  那珂は一見すれば明るくぽわぽわした、戦闘など全くこなせそうもない女性に、見える事だろう。 しかしその実彼女は、常に轟沈と重傷と隣り合わせの、深海棲艦との死闘を演じて来た歴戦の艦娘なのである。 状況次第ではサーヴァントも、或いは敵のマスターですらも、その手に掛ける事に躊躇いはない。 そんな、女傑としての素質を裡に秘めた那珂でも、聖杯戦争とは無関係の。しかも、自分の為に頑張ろうとしている人物が死んで行くのは、良い気持ちはしない。 「……守ってあげなきゃねっ」  艦娘が深海棲艦を相手に、鎬を削っていた理由は、人々の平和を海の上と底から脅かす怪物達から、人類と彼らが享受する平和を守る為であった。 この世界には深海棲艦は存在しない。そもそも<新宿>には海などない。故に那珂が、艦娘としての役割に固執する必要性は、ゼロに等しい。 そうであったとしても、彼女は艦娘であり、アイドルであった。自分に希望を見出した人物には、応えてあげるのが、艦娘ではないか。『アイドル』ではないか。 歌で、愛想で、行動で。彼らの希望を満たさせ果たしてやるのが、そう、アイドルなのだ。その意識は、忘れていない。  この世界で那珂がその希望を果たさせる相手は、オガサワラと、そして、ダガー。この二人だった。 ……しかし、那珂は気付かない。そのオガサワラの希望があわよくば命ごと絶たれてしまえば良いと言うのが、ダガーの本音であると言う事が。 そしてそもそもダガーの真の目的が、那珂をとことんまで利用し、サウンドワールドで見せた暴威をこの<新宿>でも振い、聖杯戦争を制する事に在ると言う事が。  アイドルとはそもそも、偶像を意味する言葉である。 偶像は、崇拝される物であり、愛される物である。そして同時に――骨の髄まで利用される物でもあった。 那珂は、そんな事にも気付かずに、オガサワラの所へと向かって行く。花咲く輝かしい未来を夢見ながら彼の下へと向かうその姿は、何処までも一人の少女であった。 ---- 【市ヶ谷、河田町(UVM本社)/1日目 午前0:45分】 【ダガー・モールス@SHOW BY ROCK!!(アニメ版)】 [状態]健康 [令呪]残り三画 [契約者の鍵]有 [装備]スーツ [道具]メロディシアンストーン [所持金]超大金持ち [思考・状況] 基本行動方針:聖杯確保 1.那珂をとことんまで利用し、自らが打って出られる程の力を確保する 2.オガサワラには不様に死んで貰う [備考] ・UVM社の最上階から一切出られない状態です ・那珂を遠征任務と言う名の<新宿>調査に出しています ・原作最終話で見せたダークモンスター化を行うには、まだまだ時間と魔力が足りません 【四ツ谷、信濃町方面(三栄町、<新宿>歴史博物館)/1日目 午前0:45分】 【アーチャー(那珂)@艦隊これくしょん】 [状態]健康、艤装解除状態 [装備]オレンジ色の制服 [道具]艤装(現在未装着) [所持金]マスターから十数万は貰っている [思考・状況] 基本行動方針:アイドルになる 1.何処か良いステージないかな~ 2.ダガーもオガサワラも死なせないし、戦う時は戦う [備考] ・現在オガサワラ(SHOW BY ROCK!!出典)と行動しています ・キャスター(タイタス1世{影})が生み出した夜種である、告死鳥(Ruina -廃都の物語- 出典)と交戦。こう言った怪物を生み出すキャスターの存在を認知しました **時系列順 Back:[[夢は空に 空は現に]] Next:[[二人の少年]] **投下順 Back:[[DoomsDay]] Next:[[夢は空に 空は現に]] |CENTER:←Back|CENTER:Character name|CENTER:Next→| |00:[[全ての人の魂の夜想曲]]|CENTER:ダガー・モールス|41:[[さくらのうた]]| |~|CENTER:アーチャー(那珂)|~| ----

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