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「心より影来たりて」(2016/05/30 (月) 18:15:28) の最新版変更点
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未知との遭遇というフレーズを聞いて余人が思い浮かべる物と言えば、それはなんであろうか。
例えばUFOに代表される未確認物体であったり、あるいはタイムスリップのような異常空間遭遇であることも考えられるだろう。人によってはそれこそ御伽噺めいた代物を想起するかもしれない。
例示されるものは枚挙に暇がないが、それらは総じて未知の言葉が示す通り、普段通りの日常を過ごす分にはまずお目にかかれない非日常の産物となるのが通例である。
そして実際に「そういうもの」と遭遇した場合、その瞬間に人は一体何を感じるのか。
驚き、戸惑い、恐怖といった感情。もしくは生命に関わる危険であるとか、豪気な者であるなら関心や興奮を覚えるだろうか。
それこそ十人十色の反応を見せるだろうが、そういった「怪異」と遭遇した者の多くに共通する証言のいくつかに、こういったものがある。
曰く、「一切の音が聞こえなかった。無音だった」というものがそれだ。
それは突如の事態に脳内処理が追いつかず、五感が麻痺していたのだ……と、そういうこともあるだろうが、しかしこうも考えられる。
つまり、目撃者の聴覚が麻痺していたのではなく、"普通"でないモノの近くには雑音というものが存在しないのだと。
無音領域、無音円錐域、コーンオブサイレンス。"異界"はあらゆる音を排除する。周囲の雑音は一切消え失せ、そこには当事者と、当事者に対峙する異物だけが存在するのだ。
ならば、この時間、この場所において。
眼前に聳え立つ無人の大邸宅を覆う無音の領域もまた、この現実離れした豪奢な邸宅がある種の"異界"であることを証明しているのかもしれなかった。
「はい、お邪魔しますよっと」
そんな、静謐という言葉をこれ以上もなく体現する、しんと静まり返った邸宅敷地内に、明らかに場違いな声が響いた。
声の主は青年だった。黒よりも深い夜色の廊下に、対照的に白く映える頭髪と服装。小さく呟かれた声はそのままに、しかしそれ以外のあらゆる動作音を立てないまま、青年は突如としてこの場所に現出したのだ。
何故、あるいはどうやって、という疑問は青年には通じはしない。この異界めいた邸宅と同様、彼もまた通常とは異なる存在であるのだから。
「そんじゃ、捜索開始といきますか」
言うが早いか、青年は素早く、しかし音と無駄を一切排した動きで歩みを進める。
手近な部屋のノブに手をかけ、躊躇することなく中に押し入った。そしてそのまま、何かを探すように行動を開始する。
棚を漁り、引き出しを開け、あるいは物と物の間の隙間を見て周る。天井裏や床だって見逃さない。
都合五分ほどあくせく動き回った彼はふと動きを止め、ふぅと一息つく
表情は優れず、首に手を当て、一言。
「……外れやな、こりゃ」
部屋の中を一通り見まわって舌打ちひとつ。青年は無造作に部屋を出て、次の部屋へと入り再度作業を続行した。
単純作業を繰り返す肉体と同様に、体内のI-ブレイン絶え間なく情報収集を続けている。脳内に展開される空間座標図には、周囲数十mに動く人間が存在しないことをはっきりと表示されていた。
見ようによっては新手の空き巣とも解釈できる行動を取る青年の名前はイリュージョンNo.17。この新宿においてはアサシンのクラスで召喚されたサーヴァントである。
勿論のこと、彼は本来盗みといった露骨で自分本位な犯罪行為に走る者ではない。ならば、彼は一体何をしているのか。
それは、他ならぬこの場所自体に理由がある。
神楽坂の一等地に居を構える西洋式の屋敷、あの有名な遠坂凛がかつて住んでいたのが、現状彼が忍び込んでいる邸宅だ。
真昼間の大通りでまさかの大量虐殺を行い、一般の警察機構に指名手配され、今や全国どころか全世界で時の人となっている、聖杯戦争においてはバーサーカーのマスターである、あの遠坂凛の元住所だ。
今も少なからぬ武装した警察官が24時間体制で警戒し、捜査を続けている場所である。彼らの目を潜り抜け、遠坂邸そのものに配備されている魔力感知の魔術さえも容易くすり抜け、彼は今この場にいた。
(けどまあ、どっかに必ずあるはずなんやけどな)
二つ目の部屋も収穫なしのまま退出し、ぽりぽりと頭を掻きながらイルは一人ごちる。
今彼がやっているのは、言うまでもなく手がかりの捜索だ。右も左も分からぬ新宿において、どれほど僅かでも情報は重要な存在である。
だからこそ、渦中の人物である遠坂凛の住んでいたこの場所まで遠路はるばるやってきたのだが……今の所、特にめぼしいものは見つかっていない。
生前のイルは時折諜報のような任務も請け負ったことはあるが、大抵は軍のバックアップがついて、専門の機材による情報収集を主としていたため、自分一人による捜索は想定よりもずっと難しいものとなっていた。
元より頭脳労働は専門外だし、そもそも既に警察の手によりガサが入れられている以上は目立つ証拠品など残されているはずもなし。そんな状況で成果を期待するほど、彼も楽観的な人物ではない。
しかし、あるはずなのだ。仮に遠坂凛が"そういった人種"なら、確実に存在するものが。
三つ、四つと次々に捜索を続け、最初に屋敷に押し入ってから数十分が経とうかという頃。漆黒の帳に沈んだ長い廊下を歩いている最中、彼のI-ブレインにとある反応が感知された。
情報制御を感知、という短い文言が脳内に走り、それを認識したイルは、口の端を知らず吊り上げた。
「……おし、おれの勘が当たったな」
そして反応のあった場所に、気持ち早足で近づく。辿りついた一見するとただの壁で、そこには何もないように見える。
しかしそれは間違いだ。実際にはドアが存在し、それを魔術によって視覚的に誤魔化しているに過ぎない。I-ブレインには極めて物質密度の低い空間が広がっていることが如実に表示されている。
一般の警官は騙せても、サーヴァントを騙すことはできない。イルはそのまま、ドアに手をかけようとして―――
「っと、そうやな」
(固有値捕捉。波動関数展開。『シュレーディンガーの猫は箱の中』)
寸前、イルは脳内に撃鉄を叩き込み、己が宝具を発動させる。そして改めて右手を伸ばした。
次の瞬間、その手はドアに触れることなく、まるで霧の中に手を突っ込むかのように「するり」と向こう側にめり込んだ。
最初は手首が、そして肘、肩と続き、遂には体が丸ごと向こうに消えていく。
最早ドアが持つ物質的な隔たりは一切意味を為さず、それはドアに仕込まれた魔術―――恐らくは感知式の防御魔術か―――すら発動の予兆を見せないほどだった。
そして、イルは部屋へ一歩足を踏み入れる。これまでの無機質なまでに整理された空気から一転、そこには乱雑に置かれた物品が所狭しと並び、この部屋の主が持っていた強い目的意識が感じられるようだった。
大量の書物がばら撒かれた机を横目に、イルは壁の書棚へと足を向ける。
そこに置かれた冊子を取り出し、開く。
「……とりあえずビンゴ、ってとこか」
イルは呟き、手の中の紙片をポケットに突っ込んだ。
▼ ▼ ▼
神楽坂は表通りから少し外れた箇所、そこに荒垣の姿はあった。夏場の東京で着るにはあまりにも不自然な厚手のコートを羽織り、目つきが悪いを通り越して凶眼とさえ形容できそうな視線を中空の一点に向けている。いかにもこれから戦場にでも行きますと言わんばかりの圧を放つ彼は、しかし何をするでもなくコンクリ壁に背を預けていた。
周囲に人の気配はなかった。元々神楽坂は、一本路地を入れば、人通りの多い表通りとは違い閑静な雰囲気を保つ静かな場所だ。もっとも、そういう事情や現在時刻が午前2時過ぎであるという事実を差し引いても、無差別大量殺人が話題になっている今、好き好んで夜中に出歩くような人間は皆無と言っていいだろう。
ならばそんな状況において荒垣は何をしているのかと言えば、なんのことはない、ただ待っているのだ。偵察という名のガサ入れに赴いた己がサーヴァントの連絡と帰りを待っている。
効率や戦略を語るならば、マスターである荒垣がわざわざ現場近くまで来る必要はないのだが、しかしこの青年にそんな理屈は通じない。そもそも彼らが行おうとしている"聖杯を破壊する"という生産性の欠片もない反逆行為は、元々荒垣が主導して行おうとしているのだから。そんな精神的な気負いを除いても、荒垣真次郎は安穏とした場所で待機するようなまどろっこしい真似を是とする人間ではない。
仮にアサシンが潜入した遠坂邸で戦闘が起こったならば、自分も即座に参戦する気概でいる。常道云々など関係ない、自分がそうと決めたのだからどこまでも突き進むだけなのだと、既に彼は心に決めていた。
「……遅ぇな」
とはいえ、彼は見境なく暴れまわるような馬鹿ではない。
故に今はその時ではないと、大人しくこうして機を待っているのだが、どうにもアサシンからの連絡が遅いように感じる。
二人が別行動を取ってから既に1時間。荒垣は今まで潜入行為に関わったことがないため推定などできはしないが、何かしらの進展があってもいいのではないかと、そう思う。
先に言った通り、荒垣はまどろっこしい行為は好いていない。有体に言ってあまり気の長いほうではないため、手持無沙汰な状況はどうにも落ち着かないのだ。
何某かの魔力感知に引っ掛かるかもしれないから控えるようにと言われた念話でもしてみるか、などと考え始めた、その矢先。
ふと、視界の向こうに黒い影が垣間見えた。
見れば、それは年若い、けれど妙に老けて見える女であった。
マタニティドレスのような余裕のある服を着て、それ以外には特に飾り気のない女だ。痩せた体は不健康さをひしひしと感じさせ、こけた頬は街灯の白い光を反射して死人のような青白さをこれでもかと浮き出させている。
窪んだ眼窩からはこれだけは異様なまでに生気の溢れた眼球がぎょろりと存在を示し、ふらふらとした足取りと合わせて、まるで幽鬼のようだというのが女への第一印象であった。
だが、荒垣は女のそんな異様な風体にも、不気味な雰囲気にも、一切目をくれない。
荒垣が目を向けるのは、女の口と胸元。
そこには、明らかに真新しいと分かる、大量の血反吐がへばり付いていた。
「……おい、あんた。俺が言えることでもねぇが、夜中の一人歩きは感心しねぇな。
早いとこ家に帰ったほうがいい」
分かりきった茶番のようなことを言いながら、左手を懐に忍ばせた召喚器に伸ばす。
既にこちらの準備はできていた。
声をかけられた女は、ぴくりと痙攣するように反応し、緩慢な動作で振り返った。
焦点の合わない目でこちらを見る女は、やはりふらふらとした足取りで荒垣へと近づいてくる。
徐々に鮮明に見えてくるその顔は、何かを失い慟哭しているような、そんな風にも見えた。
「ミンチ殺人……週刊誌で読みましたわ。
ふふ……犯人はきっと正気の者ではないのでしょうね」
外見から来る印象とは裏腹に、女の言葉は流暢なものだった。言葉尻からは確固たる知性が感じられる、そんな語り口調であった。
「人が死ぬ悲しみは痛いほどに分かります……私にも赤ちゃんがいてね、もうじきあなたくらいの歳になるのよ。
生きていれば、だけどね」
「……死んだのか」
会話を続けながらも、荒垣の警戒心は一切緩みを見せない。
背は既に背後の壁から離れ、足は適切な間合いを定めて地を踏みしめている。
「ええ。でも、もう悲しくはないの。分かったから。もうすぐ戻ってくるって」
そこで、女の言葉が微かに変質したのを荒垣は感じた。
いや、声だけではない。見れば女の体の震えは勢いを増して、最早痙攣の域に達していた。
「きょ、今日こそは、今日こそは間違いない!
あなた、あなたよ赤ちゃん。私の、私の赤ちゃん。
さあ、戻っておいでぇ」
「……」
……万が一の可能性を考えて話に付き合ったが、結果は無情にも予想通りだったらしいと、荒垣はそう考える。
最早疑う余地などなかった。この女は、狂っている。
そして、異常なのはその思考のみでは決してない。
何故ならば―――この女から発せられる、ある種慣れ親しんだ気配の正体は……!
「もう一度……私の、お腹にぃ!」
「ペルソナァ!」
瞬間―――人の身の丈ほどに巨大化した女の口に、黒く巨大な鉄槌がカウンターで打ち込まれた。
先ほどまで女だった何かは、潰れた蛙のような絶叫を上げながら後方10m近くまで弾き飛ばされ、金属の軋む音と共に街灯をへし折り、そこでようやく地面に落下した。
「てめえがどこのどいつで、どんな事情があるかは知らねえ。だが、襲ってきたってんなら容赦はしねえ」
銃を手にした荒垣の頭上には、半透明の、霊的あるいは精神的な一つの"像"が出現していた。
たなびく金の長髪、髑髏の如き無機質な白き仮面、全身を覆う黒の意匠、黒馬を模した異形の騎乗物。機械めいた性質をも併せ持ったそれは、荒垣の心象具現。
ペルソナ、名をカストール。古代ギリシアの大英雄にして勇壮なるディオスクーロイの片割れを模したヴィジョンだ。
今の荒垣の全身からは、青色の魔力が荒れ狂う暴威となって逆巻き溢れ出ている。
人を喰らう超常を、更なる超常を以て撃滅せんが為に、かつて忌避した"力"をここに顕現させたのだ。
「うぅ……が、ァ、アガアアァァッ!!」
倒れ伏した異形から、歪んだ狂声が迸る。想定外の攻撃に身悶えていたそれは、しかし苦痛とは別種の蠢動を更に加速させた。
次の瞬間、かつて背中であったろう場所を巨大な脚が幾本も突き破って出現した。硬質の物がひしゃげ、粘性の液体が飛び散る音を振りまきながら、辛うじて人型を保っていた肉体が急速な変質を遂げた。
「……そうか。それがてめえの正体なんだな」
呟く荒垣の眼前に"それ"はあった。
体高およそ3m、人の胴体ほどの脚を何本も持ち、後ろには丸々と肥えた腹部。全体的に蜘蛛を象った異形なれど、頭部から角が二本生えており、面はまるで鬼の如し。
鬼族・ギュウキ―――近畿、四国に伝承が残る半牛半鬼の妖物にして、蜘蛛の胴体を持ち人を喰らう悪鬼とされている。
荒垣はそんな伝承の類は知らなかった。けれど、眼前のこいつが人類と相容れない正真正銘の怪物であることは、嫌でも理解することができた。
「ォォォオオオオオオオオオッ!!」
人間では発声不可能な音域の咆哮と共に、ギュウキが瞬時に距離を詰めて襲い掛かる。
10mはあった相対距離は一瞬にして0となり、鉄骨の太さと日本刀の鋭さを持った脚が荒垣を串刺しにせんと唸りを上げる。
常人であるなら反応不可能な神速の動き。荒垣は、しかしその動きを一から十まで把握し、そして上体を逸らすことで回避した。
狙いの逸れたギュウキの脚が、背後のコンクリ壁を段ボールを破るかのような気軽さで粉々に破壊した。
喰らえば即死。そんな攻撃に、しかし荒垣は一切動じていない。捻った上体を戻し、つま先で軽くバックステップを取る。
ステップにより浮いた一瞬、それを狙ったのか否か、ギュウキによる薙ぎ払いが荒垣を襲った。中空に留まる彼に回避の術はなく、払われるままに建物の上部へと弾き飛ばされた。
しかし荒垣はギュウキの脚に合わせ蹴り上げることで衝撃を緩和、空中にて身を捻ると、何の危うげもなく屋根に着地した。
接地した荒垣が即座に後方へ跳躍すると同時、一瞬前まで彼がいた屋根部分が下から盛り上がるように破砕される。同じように飛び跳ねたギュウキが、文字通り食い破ってきたのだ。
幾本もの脚を器用に用いて屋根上に上がるギュウキを前に、荒垣は冷静な目で事態を見つめていた。
獲物の健在に苛立ち吼えるギュウキ姿からは、人であった残滓など僅かも感じられない。
野獣など比にならない唸りをあげる凶面は恐ろしく、けれどそれ以上に哀れで―――
しかし、荒垣は微塵の躊躇もなく引き金を引き絞った。
ガラスが砕けるような音と共に、カストールの鉄槌がギュウキを真上から叩き潰す。肉を潰す湿った音が響き渡り、着弾点の胴体が瞬時に下へとめり込む。ギュウキの体は階下へ落とされ、その姿は見えなくなった。
……戦闘の喧騒は、呆気なく終わりを告げた。最後の攻撃によって開いた穴に近寄り見下ろせば、元型の無くなった胴体に上を向いた数本の脚がくっついた前衛的な肉塊が、建物内部にへばり付いていた。
「……ったく、面倒かけやがって」
その言葉に、勝利の喜びも、額面通りの侮蔑もなかった。荒垣は女であった成れの果てから視線を外し、音もなく地面に降りる。
やはり聖杯戦争なんざ欠片も好きになれねぇ、と。彼の心中はそんなものであった。
▼ ▼ ▼
事が終わって数分、荒垣は既に戦闘のあった場所を後にし、今は別の道を歩いていた。理由は無論、凄惨な屠殺現場を目撃されて厄介に巻き込まれないようにするためである。
不意の襲撃であったため手加減ができなかったがために、後先を考えず全力で攻撃したのが仇となったのか、かの戦場跡は今や発破工事さながらの廃墟と化し、大量の血と肉片と臓物が溢れかえる地獄のような様相を呈していた。
それをNPCに見られたらどうなるかなど、よほどの馬鹿でもない限り理解できるというものだ。故の移動である。
わざわざ事態を厄介事に昇華させる趣味は荒垣にはない。そして、ぶち撒けた後始末をするつもりも、また。
「お待ちどうさん、しっかり物証掴んで……って、なんやその返り血。物騒やなぁ」
とはいえ、服にべったり付着した血は如何ともし難いようだ。
パスを辿って帰還したイルが、明らかに血生臭い荒垣を前に呆れたような口調で言う。確かに物騒だったことは否定できないが、それをサーヴァントに言われるのは腑に落ちないと、荒垣は心の隅でそう思った。
「人間に擬態したバケモンが襲ってきた、だから返り討ちにしただけの話だ。誰の仕業かは知らねぇがな。
……んなどーでもいい与太話はともかく、なんかいい情報は見つけられたのか?」
「いや、どうでも良くはないやろそれ。人を変異させるっちゅーと、多分キャスターかそこらの仕業やと思うが……
……まあこっちの話からにするとな、仕事はバッチリこなしてきたで。おれに抜かりはないってな」
ポケットから取り出した紙片をひらひらと振るイルに、荒垣はただ「そうか」とだけ返す。
明らかな無愛想にも特に動じることもなく、イルは話を続けた。
「で、結論から言うと、遠坂凛は黒でもあり白でもある、ってとこやな」
「……おい、ちょっと待て。言ってることが矛盾してるって自分で気付いてんのか」
「まあまあ、人の話は最後まで聞くもんやで」
ほれ、と軽い調子で渡されたメモを見遣る。それを傍目に、イルの言葉が続いた。
「まあ掻い摘んで言うと、遠坂凛は魔術師で間違いない。屋敷にはセンサーの役割を果たす魔術がかかってたし、魔術で隠蔽された部屋もあった。
そんで、このメモ見る限り聖杯戦争にもそれなりに意欲的だったみたいやな」
「なるほどな、それが"黒"ってやつか」
「そゆこと」
走り書きに書かれた内容を、荒垣もまた理解した。魔術が云々、聖杯を狙う、セイバーかランサーが欲しい等々、自分のような巻き込まれではありえない記述が散見される。
「そんで"白"ってのは、多分やけど遠坂凛は望んであの惨事を起こしたわけやないってことやな。
さっき意欲的だった言うたけど、"意欲的"言う程度には綿密に計画やら作戦やらを練ってたことは明らかや。そないな奴があんな無計画に無差別殺人起こすか?
それにな、これは前にも教えたことやけど、あの瞬間の遠坂凛の顔、ありゃ完全に予想外って面やったで」
イルが言うのは、ニュース報道における遠坂凛の映像のことだ。
今や特番にもなっている遠坂凛関連のニュースにおいて、嫌というほど流されたのが殺人現場における二人の映像だ。
それは周辺の監視カメラによる不鮮明で荒いものであり、礼服のバーサーカーが殺人を犯したことは分かれど、両者の表情などといった細かい部分は一切確認できない代物だった。
その不鮮明な映像を、しかしイルはI-ブレインによって修正・補正し、鮮明な代物へと作り変えて荒垣に提示していた。
それを見て荒垣は思う。確かに、あの画像に映っていた遠坂凛の表情は明らかな驚愕に染まっていた。とてもじゃないが、狙ってあの惨事を引き起こしたようには見えなかった。
「だが、それだけで白ってのは言い過ぎじゃねぇのか。大量殺人をやる気がなかったってだけで、別に野郎が善人だとか決まったわけじゃねぇ。むしろ、聖杯戦争に乗り気な魔術師って時点で俺としちゃ黒そのものだ」
「ま、おれかてこいつが善い奴とか言うつもりはあらへん。ここで言う白ってのは、あくまでキチガイやないって程度の意味や。
それに、仮に遠坂凛が善人でも、従えてるバーサーカーは何がなんでも排除せなあかん。わかっとるやろうけど、これは絶対や」
どちらにせよ、遠坂凛とかち合ったならば戦闘は不可避であると、二人は互いに承知し合っていた。
もしもの話、遠坂凛が善人あるいはそれに準ずる良識を持っていて尚あのような惨事を巻き起こしたというならば、つまりはそれだけ礼服のバーサーカーが凶悪な存在であることの証左になる。
遠坂凛が外道であろうと、そうでなかろうと、出会ったならば排除すべく戦わなくてはならないのだ。
「ああ。そもそも俺に言わせりゃ、自分で制御できねえ力なんざ持ってるだけで罪みてぇなもんだ。
それで誰かを傷つけたってんなら尚更な。だから、俺は容赦しねえ」
語る荒垣が思うのは、先ほど自分に襲い掛かってきた女だった。
奴も、自分では御することのできない力を持っていた。いや、無理やり持たされたと言ったほうが正しいのだろうか。
ともかく、自らの分を超える力など、どう足掻いたところで毒にしかならないのは明白なのだ。遠坂凛然り、怪物の女然り、かつての自分然り。
それを身を以て知っているからこそ、荒垣は躊躇しない。力には力で、理不尽には理不尽で対抗するのだと決めている。
「遠坂凛も、セリュー・ユビキタスって奴も、他人を化け物にする糞野郎も纏めて相手にしてやるさ。
……まあ、遠坂凛は事情如何によっちゃ、病院送りくらいで済ませてやってもいいがな」
あくまでも平静した呟きではあったが、そこに隠し切れない怒りの念と、どこか憐憫を感じさせる響きが含まれていることに、イルは気付いた。
この荒垣という男は、本人は無頼漢ぶっているが、実のところかなり人情味のある人間なのだ。そのことを、短い付き合いながらもイルはよく知っている。
「OK、お前のやりたいことはおれかて重々わかっとる。馬鹿は馬鹿なりに突っ走って、やらかしてる連中共々裏でふんぞり返っとる奴らをブッ飛ばしてやろうやないか」
だからこそ、イルは荒垣の方針を笑顔で以て迎え入れる。
軽口を叩きつつ、その先に待っているであろう苦難を見つめて、それでも尚馬鹿らしく突き進もうと決意して。
二人はただ、自らの感情に従い聖杯の破壊を目指すのだった。
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【早稲田・神楽坂方面(神楽坂一等地、元遠坂邸の近く)/一日目 午前2時】
【荒垣真次郎@ペルソナ3】
[状態]魔力消費(小)、疲労(小)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]召喚器
[道具]遠坂凛が遺した走り書き数枚
[所持金]孤児なので少ない
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を企む連中を叩きのめす。自分の命は度外視。
1.ひとまずは情報を集めたい
2.遠坂凛、セリュー・ユビキタスを見つけたらぶちのめす。ただし凛の境遇には何か思うところもある。
3.襲ってくる連中には容赦しない。
4.人を怪物に変異させる何者かに強い嫌悪。見つけたらぶちのめす。
[備考]
・ある聖杯戦争の参加者の女(ジェナ・エンジェル)の手によるチューナー(ギュウキ)と交戦しました。
・遠坂邸近くの路地の一角及び飲食店一軒が破壊され、ギュウキの死骸が残されています。
【アサシン(イリュージョンNo.17)@ウィザーズ・ブレイン】
[状態]魔力消費(小)、霊体化
[装備]
[道具]
[所持金]素寒貧
[思考・状況]
基本行動方針:荒垣の道中に付き合う。
1.敵意ある相手との戦闘を引き受ける。
[備考]
・遠坂邸の隠し部屋から走り書きを数枚拝借してきました。その他にも何か見てきてる可能性があります。詳細は後続の書き手に任せます。
未知との遭遇というフレーズを聞いて余人が思い浮かべる物と言えば、それはなんであろうか。
例えばUFOに代表される未確認物体であったり、あるいはタイムスリップのような異常空間遭遇であることも考えられるだろう。人によってはそれこそ御伽噺めいた代物を想起するかもしれない。
例示されるものは枚挙に暇がないが、それらは総じて未知の言葉が示す通り、普段通りの日常を過ごす分にはまずお目にかかれない非日常の産物となるのが通例である。
そして実際に「そういうもの」と遭遇した場合、その瞬間に人は一体何を感じるのか。
驚き、戸惑い、恐怖といった感情。もしくは生命に関わる危険であるとか、豪気な者であるなら関心や興奮を覚えるだろうか。
それこそ十人十色の反応を見せるだろうが、そういった「怪異」と遭遇した者の多くに共通する証言のいくつかに、こういったものがある。
曰く、「一切の音が聞こえなかった。無音だった」というものがそれだ。
それは突如の事態に脳内処理が追いつかず、五感が麻痺していたのだ……と、そういうこともあるだろうが、しかしこうも考えられる。
つまり、目撃者の聴覚が麻痺していたのではなく、"普通"でないモノの近くには雑音というものが存在しないのだと。
無音領域、無音円錐域、コーンオブサイレンス。"異界"はあらゆる音を排除する。周囲の雑音は一切消え失せ、そこには当事者と、当事者に対峙する異物だけが存在するのだ。
ならば、この時間、この場所において。
眼前に聳え立つ無人の大邸宅を覆う無音の領域もまた、この現実離れした豪奢な邸宅がある種の"異界"であることを証明しているのかもしれなかった。
「はい、お邪魔しますよっと」
そんな、静謐という言葉をこれ以上もなく体現する、しんと静まり返った邸宅敷地内に、明らかに場違いな声が響いた。
声の主は青年だった。黒よりも深い夜色の廊下に、対照的に白く映える頭髪と服装。小さく呟かれた声はそのままに、しかしそれ以外のあらゆる動作音を立てないまま、青年は突如としてこの場所に現出したのだ。
何故、あるいはどうやって、という疑問は青年には通じはしない。この異界めいた邸宅と同様、彼もまた通常とは異なる存在であるのだから。
「そんじゃ、捜索開始といきますか」
言うが早いか、青年は素早く、しかし音と無駄を一切排した動きで歩みを進める。
手近な部屋のノブに手をかけ、躊躇することなく中に押し入った。そしてそのまま、何かを探すように行動を開始する。
棚を漁り、引き出しを開け、あるいは物と物の間の隙間を見て周る。天井裏や床だって見逃さない。
都合五分ほどあくせく動き回った彼はふと動きを止め、ふぅと一息つく
表情は優れず、首に手を当て、一言。
「……外れやな、こりゃ」
部屋の中を一通り見まわって舌打ちひとつ。青年は無造作に部屋を出て、次の部屋へと入り再度作業を続行した。
単純作業を繰り返す肉体と同様に、体内のI-ブレイン絶え間なく情報収集を続けている。脳内に展開される空間座標図には、周囲数十mに動く人間が存在しないことをはっきりと表示されていた。
見ようによっては新手の空き巣とも解釈できる行動を取る青年の名前はイリュージョンNo.17。この新宿においてはアサシンのクラスで召喚されたサーヴァントである。
勿論のこと、彼は本来盗みといった露骨で自分本位な犯罪行為に走る者ではない。ならば、彼は一体何をしているのか。
それは、他ならぬこの場所自体に理由がある。
神楽坂の一等地に居を構える西洋式の屋敷、あの有名な遠坂凛がかつて住んでいたのが、現状彼が忍び込んでいる邸宅だ。
真昼間の大通りでまさかの大量虐殺を行い、一般の警察機構に指名手配され、今や全国どころか全世界で時の人となっている、聖杯戦争においてはバーサーカーのマスターである、あの遠坂凛の元住所だ。
今も少なからぬ武装した警察官が24時間体制で警戒し、捜査を続けている場所である。彼らの目を潜り抜け、遠坂邸そのものに配備されている魔力感知の魔術さえも容易くすり抜け、彼は今この場にいた。
(けどまあ、どっかに必ずあるはずなんやけどな)
二つ目の部屋も収穫なしのまま退出し、ぽりぽりと頭を掻きながらイルは一人ごちる。
今彼がやっているのは、言うまでもなく手がかりの捜索だ。右も左も分からぬ新宿において、どれほど僅かでも情報は重要な存在である。
だからこそ、渦中の人物である遠坂凛の住んでいたこの場所まで遠路はるばるやってきたのだが……今の所、特にめぼしいものは見つかっていない。
生前のイルは時折諜報のような任務も請け負ったことはあるが、大抵は軍のバックアップがついて、専門の機材による情報収集を主としていたため、自分一人による捜索は想定よりもずっと難しいものとなっていた。
元より頭脳労働は専門外だし、そもそも既に警察の手によりガサが入れられている以上は目立つ証拠品など残されているはずもなし。そんな状況で成果を期待するほど、彼も楽観的な人物ではない。
しかし、あるはずなのだ。仮に遠坂凛が"そういった人種"なら、確実に存在するものが。
三つ、四つと次々に捜索を続け、最初に屋敷に押し入ってから数十分が経とうかという頃。漆黒の帳に沈んだ長い廊下を歩いている最中、彼のI-ブレインにとある反応が感知された。
情報制御を感知、という短い文言が脳内に走り、それを認識したイルは、口の端を知らず吊り上げた。
「……おし、おれの勘が当たったな」
そして反応のあった場所に、気持ち早足で近づく。辿りついた一見するとただの壁で、そこには何もないように見える。
しかしそれは間違いだ。実際にはドアが存在し、それを魔術によって視覚的に誤魔化しているに過ぎない。I-ブレインには極めて物質密度の低い空間が広がっていることが如実に表示されている。
一般の警官は騙せても、サーヴァントを騙すことはできない。イルはそのまま、ドアに手をかけようとして―――
「っと、そうやな」
(固有値捕捉。波動関数展開。『シュレーディンガーの猫は箱の中』)
寸前、イルは脳内に撃鉄を叩き込み、己が宝具を発動させる。そして改めて右手を伸ばした。
次の瞬間、その手はドアに触れることなく、まるで霧の中に手を突っ込むかのように「するり」と向こう側にめり込んだ。
最初は手首が、そして肘、肩と続き、遂には体が丸ごと向こうに消えていく。
最早ドアが持つ物質的な隔たりは一切意味を為さず、それはドアに仕込まれた魔術―――恐らくは感知式の防御魔術か―――すら発動の予兆を見せないほどだった。
そして、イルは部屋へ一歩足を踏み入れる。これまでの無機質なまでに整理された空気から一転、そこには乱雑に置かれた物品が所狭しと並び、この部屋の主が持っていた強い目的意識が感じられるようだった。
大量の書物がばら撒かれた机を横目に、イルは壁の書棚へと足を向ける。
そこに置かれた冊子を取り出し、開く。
「……とりあえずビンゴ、ってとこか」
イルは呟き、手の中の紙片をポケットに突っ込んだ。
▼ ▼ ▼
神楽坂は表通りから少し外れた箇所、そこに荒垣の姿はあった。夏場の東京で着るにはあまりにも不自然な厚手のコートを羽織り、目つきが悪いを通り越して凶眼とさえ形容できそうな視線を中空の一点に向けている。いかにもこれから戦場にでも行きますと言わんばかりの圧を放つ彼は、しかし何をするでもなくコンクリ壁に背を預けていた。
周囲に人の気配はなかった。元々神楽坂は、一本路地を入れば、人通りの多い表通りとは違い閑静な雰囲気を保つ静かな場所だ。もっとも、そういう事情や現在時刻が午前2時過ぎであるという事実を差し引いても、無差別大量殺人が話題になっている今、好き好んで夜中に出歩くような人間は皆無と言っていいだろう。
ならばそんな状況において荒垣は何をしているのかと言えば、なんのことはない、ただ待っているのだ。偵察という名のガサ入れに赴いた己がサーヴァントの連絡と帰りを待っている。
効率や戦略を語るならば、マスターである荒垣がわざわざ現場近くまで来る必要はないのだが、しかしこの青年にそんな理屈は通じない。そもそも彼らが行おうとしている"聖杯を破壊する"という生産性の欠片もない反逆行為は、元々荒垣が主導して行おうとしているのだから。そんな精神的な気負いを除いても、荒垣真次郎は安穏とした場所で待機するようなまどろっこしい真似を是とする人間ではない。
仮にアサシンが潜入した遠坂邸で戦闘が起こったならば、自分も即座に参戦する気概でいる。常道云々など関係ない、自分がそうと決めたのだからどこまでも突き進むだけなのだと、既に彼は心に決めていた。
「……遅ぇな」
とはいえ、彼は見境なく暴れまわるような馬鹿ではない。
故に今はその時ではないと、大人しくこうして機を待っているのだが、どうにもアサシンからの連絡が遅いように感じる。
二人が別行動を取ってから既に1時間。荒垣は今まで潜入行為に関わったことがないため推定などできはしないが、何かしらの進展があってもいいのではないかと、そう思う。
先に言った通り、荒垣はまどろっこしい行為は好いていない。有体に言ってあまり気の長いほうではないため、手持無沙汰な状況はどうにも落ち着かないのだ。
何某かの魔力感知に引っ掛かるかもしれないから控えるようにと言われた念話でもしてみるか、などと考え始めた、その矢先。
ふと、視界の向こうに黒い影が垣間見えた。
見れば、それは年若い、けれど妙に老けて見える女であった。
マタニティドレスのような余裕のある服を着て、それ以外には特に飾り気のない女だ。痩せた体は不健康さをひしひしと感じさせ、こけた頬は街灯の白い光を反射して死人のような青白さをこれでもかと浮き出させている。
窪んだ眼窩からはこれだけは異様なまでに生気の溢れた眼球がぎょろりと存在を示し、ふらふらとした足取りと合わせて、まるで幽鬼のようだというのが女への第一印象であった。
だが、荒垣は女のそんな異様な風体にも、不気味な雰囲気にも、一切目をくれない。
荒垣が目を向けるのは、女の口と胸元。
そこには、明らかに真新しいと分かる、大量の血反吐がへばり付いていた。
「……おい、あんた。俺が言えることでもねぇが、夜中の一人歩きは感心しねぇな。
早いとこ家に帰ったほうがいい」
分かりきった茶番のようなことを言いながら、左手を懐に忍ばせた召喚器に伸ばす。
既にこちらの準備はできていた。
声をかけられた女は、ぴくりと痙攣するように反応し、緩慢な動作で振り返った。
焦点の合わない目でこちらを見る女は、やはりふらふらとした足取りで荒垣へと近づいてくる。
徐々に鮮明に見えてくるその顔は、何かを失い慟哭しているような、そんな風にも見えた。
「ミンチ殺人……週刊誌で読みましたわ。
ふふ……犯人はきっと正気の者ではないのでしょうね」
外見から来る印象とは裏腹に、女の言葉は流暢なものだった。言葉尻からは確固たる知性が感じられる、そんな語り口調であった。
「人が死ぬ悲しみは痛いほどに分かります……私にも赤ちゃんがいてね、もうじきあなたくらいの歳になるのよ。
生きていれば、だけどね」
「……死んだのか」
会話を続けながらも、荒垣の警戒心は一切緩みを見せない。
背は既に背後の壁から離れ、足は適切な間合いを定めて地を踏みしめている。
「ええ。でも、もう悲しくはないの。分かったから。もうすぐ戻ってくるって」
そこで、女の言葉が微かに変質したのを荒垣は感じた。
いや、声だけではない。見れば女の体の震えは勢いを増して、最早痙攣の域に達していた。
「きょ、今日こそは、今日こそは間違いない!
あなた、あなたよ赤ちゃん。私の、私の赤ちゃん。
さあ、戻っておいでぇ」
「……」
……万が一の可能性を考えて話に付き合ったが、結果は無情にも予想通りだったらしいと、荒垣はそう考える。
最早疑う余地などなかった。この女は、狂っている。
そして、異常なのはその思考のみでは決してない。
何故ならば―――この女から発せられる、ある種慣れ親しんだ気配の正体は……!
「もう一度……私の、お腹にぃ!」
「ペルソナァ!」
瞬間―――人の身の丈ほどに巨大化した女の口に、黒く巨大な鉄槌がカウンターで打ち込まれた。
先ほどまで女だった何かは、潰れた蛙のような絶叫を上げながら後方10m近くまで弾き飛ばされ、金属の軋む音と共に街灯をへし折り、そこでようやく地面に落下した。
「てめえがどこのどいつで、どんな事情があるかは知らねえ。だが、襲ってきたってんなら容赦はしねえ」
銃を手にした荒垣の頭上には、半透明の、霊的あるいは精神的な一つの"像"が出現していた。
たなびく金の長髪、髑髏の如き無機質な白き仮面、全身を覆う黒の意匠、黒馬を模した異形の騎乗物。機械めいた性質をも併せ持ったそれは、荒垣の心象具現。
ペルソナ、名をカストール。古代ギリシアの大英雄にして勇壮なるディオスクーロイの片割れを模したヴィジョンだ。
今の荒垣の全身からは、青色の魔力が荒れ狂う暴威となって逆巻き溢れ出ている。
人を喰らう超常を、更なる超常を以て撃滅せんが為に、かつて忌避した"力"をここに顕現させたのだ。
「うぅ……が、ァ、アガアアァァッ!!」
倒れ伏した異形から、歪んだ狂声が迸る。想定外の攻撃に身悶えていたそれは、しかし苦痛とは別種の蠢動を更に加速させた。
次の瞬間、かつて背中であったろう場所を巨大な脚が幾本も突き破って出現した。硬質の物がひしゃげ、粘性の液体が飛び散る音を振りまきながら、辛うじて人型を保っていた肉体が急速な変質を遂げた。
「……そうか。それがてめえの正体なんだな」
呟く荒垣の眼前に"それ"はあった。
体高およそ3m、人の胴体ほどの脚を何本も持ち、後ろには丸々と肥えた腹部。全体的に蜘蛛を象った異形なれど、頭部から角が二本生えており、面はまるで鬼の如し。
鬼族・ギュウキ―――近畿、四国に伝承が残る半牛半鬼の妖物にして、蜘蛛の胴体を持ち人を喰らう悪鬼とされている。
荒垣はそんな伝承の類は知らなかった。けれど、眼前のこいつが人類と相容れない正真正銘の怪物であることは、嫌でも理解することができた。
「ォォォオオオオオオオオオッ!!」
人間では発声不可能な音域の咆哮と共に、ギュウキが瞬時に距離を詰めて襲い掛かる。
10mはあった相対距離は一瞬にして0となり、鉄骨の太さと日本刀の鋭さを持った脚が荒垣を串刺しにせんと唸りを上げる。
常人であるなら反応不可能な神速の動き。荒垣は、しかしその動きを一から十まで把握し、そして上体を逸らすことで回避した。
狙いの逸れたギュウキの脚が、背後のコンクリ壁を段ボールを破るかのような気軽さで粉々に破壊した。
喰らえば即死。そんな攻撃に、しかし荒垣は一切動じていない。捻った上体を戻し、つま先で軽くバックステップを取る。
ステップにより浮いた一瞬、それを狙ったのか否か、ギュウキによる薙ぎ払いが荒垣を襲った。中空に留まる彼に回避の術はなく、払われるままに建物の上部へと弾き飛ばされた。
しかし荒垣はギュウキの脚に合わせ蹴り上げることで衝撃を緩和、空中にて身を捻ると、何の危うげもなく屋根に着地した。
接地した荒垣が即座に後方へ跳躍すると同時、一瞬前まで彼がいた屋根部分が下から盛り上がるように破砕される。同じように飛び跳ねたギュウキが、文字通り食い破ってきたのだ。
幾本もの脚を器用に用いて屋根上に上がるギュウキを前に、荒垣は冷静な目で事態を見つめていた。
獲物の健在に苛立ち吼えるギュウキ姿からは、人であった残滓など僅かも感じられない。
野獣など比にならない唸りをあげる凶面は恐ろしく、けれどそれ以上に哀れで―――
しかし、荒垣は微塵の躊躇もなく引き金を引き絞った。
ガラスが砕けるような音と共に、カストールの鉄槌がギュウキを真上から叩き潰す。肉を潰す湿った音が響き渡り、着弾点の胴体が瞬時に下へとめり込む。ギュウキの体は階下へ落とされ、その姿は見えなくなった。
……戦闘の喧騒は、呆気なく終わりを告げた。最後の攻撃によって開いた穴に近寄り見下ろせば、元型の無くなった胴体に上を向いた数本の脚がくっついた前衛的な肉塊が、建物内部にへばり付いていた。
「……ったく、面倒かけやがって」
その言葉に、勝利の喜びも、額面通りの侮蔑もなかった。荒垣は女であった成れの果てから視線を外し、音もなく地面に降りる。
やはり聖杯戦争なんざ欠片も好きになれねぇ、と。彼の心中はそんなものであった。
▼ ▼ ▼
事が終わって数分、荒垣は既に戦闘のあった場所を後にし、今は別の道を歩いていた。理由は無論、凄惨な屠殺現場を目撃されて厄介に巻き込まれないようにするためである。
不意の襲撃であったため手加減ができなかったがために、後先を考えず全力で攻撃したのが仇となったのか、かの戦場跡は今や発破工事さながらの廃墟と化し、大量の血と肉片と臓物が溢れかえる地獄のような様相を呈していた。
それをNPCに見られたらどうなるかなど、よほどの馬鹿でもない限り理解できるというものだ。故の移動である。
わざわざ事態を厄介事に昇華させる趣味は荒垣にはない。そして、ぶち撒けた後始末をするつもりも、また。
「お待ちどうさん、しっかり物証掴んで……って、なんやその返り血。物騒やなぁ」
とはいえ、服にべったり付着した血は如何ともし難いようだ。
パスを辿って帰還したイルが、明らかに血生臭い荒垣を前に呆れたような口調で言う。確かに物騒だったことは否定できないが、それをサーヴァントに言われるのは腑に落ちないと、荒垣は心の隅でそう思った。
「人間に擬態したバケモンが襲ってきた、だから返り討ちにしただけの話だ。誰の仕業かは知らねぇがな。
……んなどーでもいい与太話はともかく、なんかいい情報は見つけられたのか?」
「いや、どうでも良くはないやろそれ。人を変異させるっちゅーと、多分キャスターかそこらの仕業やと思うが……
……まあこっちの話からにするとな、仕事はバッチリこなしてきたで。おれに抜かりはないってな」
ポケットから取り出した紙片をひらひらと振るイルに、荒垣はただ「そうか」とだけ返す。
明らかな無愛想にも特に動じることもなく、イルは話を続けた。
「で、結論から言うと、遠坂凛は黒でもあり白でもある、ってとこやな」
「……おい、ちょっと待て。言ってることが矛盾してるって自分で気付いてんのか」
「まあまあ、人の話は最後まで聞くもんやで」
ほれ、と軽い調子で渡されたメモを見遣る。それを傍目に、イルの言葉が続いた。
「まあ掻い摘んで言うと、遠坂凛は魔術師で間違いない。屋敷にはセンサーの役割を果たす魔術がかかってたし、魔術で隠蔽された部屋もあった。
そんで、このメモ見る限り聖杯戦争にもそれなりに意欲的だったみたいやな」
「なるほどな、それが"黒"ってやつか」
「そゆこと」
走り書きに書かれた内容を、荒垣もまた理解した。魔術が云々、聖杯を狙う、セイバーかランサーが欲しい等々、自分のような巻き込まれではありえない記述が散見される。
「そんで"白"ってのは、多分やけど遠坂凛は望んであの惨事を起こしたわけやないってことやな。
さっき意欲的だった言うたけど、"意欲的"言う程度には綿密に計画やら作戦やらを練ってたことは明らかや。そないな奴があんな無計画に無差別殺人起こすか?
それにな、これは前にも教えたことやけど、あの瞬間の遠坂凛の顔、ありゃ完全に予想外って面やったで」
イルが言うのは、ニュース報道における遠坂凛の映像のことだ。
今や特番にもなっている遠坂凛関連のニュースにおいて、嫌というほど流されたのが殺人現場における二人の映像だ。
それは周辺の監視カメラによる不鮮明で荒いものであり、礼服のバーサーカーが殺人を犯したことは分かれど、両者の表情などといった細かい部分は一切確認できない代物だった。
その不鮮明な映像を、しかしイルはI-ブレインによって修正・補正し、鮮明な代物へと作り変えて荒垣に提示していた。
それを見て荒垣は思う。確かに、あの画像に映っていた遠坂凛の表情は明らかな驚愕に染まっていた。とてもじゃないが、狙ってあの惨事を引き起こしたようには見えなかった。
「だが、それだけで白ってのは言い過ぎじゃねぇのか。大量殺人をやる気がなかったってだけで、別に野郎が善人だとか決まったわけじゃねぇ。むしろ、聖杯戦争に乗り気な魔術師って時点で俺としちゃ黒そのものだ」
「ま、おれかてこいつが善い奴とか言うつもりはあらへん。ここで言う白ってのは、あくまでキチガイやないって程度の意味や。
それに、仮に遠坂凛が善人でも、従えてるバーサーカーは何がなんでも排除せなあかん。わかっとるやろうけど、これは絶対や」
どちらにせよ、遠坂凛とかち合ったならば戦闘は不可避であると、二人は互いに承知し合っていた。
もしもの話、遠坂凛が善人あるいはそれに準ずる良識を持っていて尚あのような惨事を巻き起こしたというならば、つまりはそれだけ礼服のバーサーカーが凶悪な存在であることの証左になる。
遠坂凛が外道であろうと、そうでなかろうと、出会ったならば排除すべく戦わなくてはならないのだ。
「ああ。そもそも俺に言わせりゃ、自分で制御できねえ力なんざ持ってるだけで罪みてぇなもんだ。
それで誰かを傷つけたってんなら尚更な。だから、俺は容赦しねえ」
語る荒垣が思うのは、先ほど自分に襲い掛かってきた女だった。
奴も、自分では御することのできない力を持っていた。いや、無理やり持たされたと言ったほうが正しいのだろうか。
ともかく、自らの分を超える力など、どう足掻いたところで毒にしかならないのは明白なのだ。遠坂凛然り、怪物の女然り、かつての自分然り。
それを身を以て知っているからこそ、荒垣は躊躇しない。力には力で、理不尽には理不尽で対抗するのだと決めている。
「遠坂凛も、セリュー・ユビキタスって奴も、他人を化け物にする糞野郎も纏めて相手にしてやるさ。
……まあ、遠坂凛は事情如何によっちゃ、病院送りくらいで済ませてやってもいいがな」
あくまでも平静した呟きではあったが、そこに隠し切れない怒りの念と、どこか憐憫を感じさせる響きが含まれていることに、イルは気付いた。
この荒垣という男は、本人は無頼漢ぶっているが、実のところかなり人情味のある人間なのだ。そのことを、短い付き合いながらもイルはよく知っている。
「OK、お前のやりたいことはおれかて重々わかっとる。馬鹿は馬鹿なりに突っ走って、やらかしてる連中共々裏でふんぞり返っとる奴らをブッ飛ばしてやろうやないか」
だからこそ、イルは荒垣の方針を笑顔で以て迎え入れる。
軽口を叩きつつ、その先に待っているであろう苦難を見つめて、それでも尚馬鹿らしく突き進もうと決意して。
二人はただ、自らの感情に従い聖杯の破壊を目指すのだった。
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【早稲田・神楽坂方面(神楽坂一等地、元遠坂邸の近く)/一日目 午前2時】
【荒垣真次郎@ペルソナ3】
[状態]魔力消費(小)、疲労(小)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]召喚器
[道具]遠坂凛が遺した走り書き数枚
[所持金]孤児なので少ない
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を企む連中を叩きのめす。自分の命は度外視。
1.ひとまずは情報を集めたい
2.遠坂凛、セリュー・ユビキタスを見つけたらぶちのめす。ただし凛の境遇には何か思うところもある。
3.襲ってくる連中には容赦しない。
4.人を怪物に変異させる何者かに強い嫌悪。見つけたらぶちのめす。
[備考]
・ある聖杯戦争の参加者の女(ジェナ・エンジェル)の手によるチューナー(ギュウキ)と交戦しました。
・遠坂邸近くの路地の一角及び飲食店一軒が破壊され、ギュウキの死骸が残されています。
【アサシン(イリュージョンNo.17)@ウィザーズ・ブレイン】
[状態]魔力消費(小)、霊体化
[装備]
[道具]
[所持金]素寒貧
[思考・状況]
基本行動方針:荒垣の道中に付き合う。
1.敵意ある相手との戦闘を引き受ける。
[備考]
・遠坂邸の隠し部屋から走り書きを数枚拝借してきました。その他にも何か見てきてる可能性があります。詳細は後続の書き手に任せます。
**時系列順
Back:[[君の知らない物語]] Next:[[ウドンゲイン完全無欠]]
**投下順
Back:[[Brand New Days]] Next:[[求ればハイレン]]
|CENTER:←Back|CENTER:Character name|CENTER:Next→|
|00:[[全ての人の魂の夜想曲]]|CENTER:荒垣真次郎|32:[[開戦の朝]]|
|~|CENTER:アサシン(イル)|~|
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