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オンリー・ロンリー・グローリー」(2021/03/31 (水) 20:10:58) の最新版変更点

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「なるほど、お話の方はよく理解出来ました」  十代の若々しい、大人と子供の中間に位置する様な青年らしい声音かと言われれば、そうでもなく。 かと言って、酸いも甘いもかみ分けた三十~四十代の落ち着いた声音かとも問われれば、そうとも言えず。 二十代の、青年らしい声音からは既に脱却し、大人らしい落ち着きを漸く得始めた、とも言うべき。そんな男の声が、ミーティングルームに響き渡った。 良く通る上に、何処となくセクシーさと言うものを感じ取れる良い声だった。本人がその気になれば、舞台声優としても通じる程の魅力的な声であろう。 だが現実は違った。男の選んだ仕事は、日本に於いて知らない社会人などいないと言っても間違いない程の超大手銀行の銀行マン、しかも男は、 数千を超す程の従業人の中のほんの一つまみとも言うべき、超が付く程のエリートだった。 「貴社の中の一部門である、アイドル部門をより世間的に認知させ、そして、社全体の業績を伸ばそうと言うプロジェクト。その遂行の為に、三億の融資が必要である、と」 「その通りです」  男の言葉に対してそう答えたのは、妙齢の女性であった。 もう華の二十代は過ぎたと言うべき年齢である事が、立ち居振る舞いからも窺える。着こなすスーツが、とても凛々しい。 大学を卒業したての女性では、醸し出せない空気だった。だがそれでも、日々摂生に努めた生活を、忙しい合間を縫って何とかこなしているのだろう。 化粧をしていると言う事実を差し引いても、彼女の肌は二十代後半の張りを未だキープしており、顔つきも、三十路を越えた年齢であると言うのにとても若々しい。 その厳しそうな顔つきと声音、そして身体から発散される風格は、一流企業に勤めるOLと言うよりは寧ろ、新進気鋭の企業の女社長とも言うべきものであった、  一方で、女性の眼前で、ミーティング・デスクの適当な一席に座るのは、なまめかしい黒色の、如何にも名の立つテーラーに仕立てて貰ったスーツを着こなす男だった。 サラリーマンの道を志して居なければ、きっと俳優にでもなれたであろう程の整った顔立ちをした男で、腕に巻いたロレックスと、 勝ち組の特権だと言わんばかりに履きこなすジョンロブが、この男をただのサラリーマンでないと言う事を雄弁に物語っていた。 男は――結城美知夫は、<新宿>は当然の事、日本全国津々浦々、果ては海を越えて外国にすらも支店を持つ、某有名メガバンク。その<新宿>支店の貸付主任であるのだ。  三億円である。事業融資の額としては、珍しくない。 それどころか、結城程の銀行マンであれば、億の金など毎日の様に右から左へと動かしている。三億など、ポンと貸してやる事だって、ある。 だがそれは、誰の目から見ても実績と信頼が確かな大企業である、と言う場合に限る。 実際には最近のメガバンクは従来通り大企業、或いは中小企業への融資を主としており、特に中小企業など、余程優れた業績やここ数年の決算、そして、 融資係を口説き落とせる見事なプレゼン力がなければ、先ず融資は受けられない。当たり前だが銀行は慈善活動で金を貸している訳ではない。 利子を設定し、本来設定した貸付金の額+利子で利益を上げる組織である。当然、貸し付けた本来の額が回収出来ねば、当然赤字であり、貸した融資係は大目玉だ。 況してや三億円など、到底回収出来ませんでしたで済まされる金額ではない。少しのミスで、エリートが窓際族にまで転落するのが当たり前なのがメガバンクだ。 それに相談者が推し進めようとしているプロジェクトは、いわば新しい芸能分野の開拓だ。先行きが見通せず、時の運次第でどうとでも転がる計画の為、真っ当な銀行マンであれば、いわゆる『貸し渋り』をしてしまう事であろう。  これが、弱小の芸能事務所やプロダクションであれば、結城は貸す気など微塵も起こさなかっただろう。 だが、相談された先の企業が、あの『346プロダクション』と言う事実が、結城に熟考の時間を余儀なくさせた。 346プロと言えば、国内の芸能プロダクションの大手とも言うべき事務所の一つである。 本社は<新宿>に構えられており、<魔震>前から存在した歴史あるプロダクションである。一時は<魔震>の影響で操業停止寸前にまで追い込まれるも、 当時所属していた俳優や歌手の頑張りや、当時の幹部首脳陣の精力的な指揮能力で、見事<魔震>前以上の地位を獲得するにまで成長した、強い企業だ。 芸能事務所の中では、間違いなく大手と呼んでも差し支えのない団体であった事だろう。但し、此処<新宿>での346プロの地位は、現在二位だ。一位から転落していた。 近年、悪魔的な手腕で急速にその版図を広げさせている、旧フジテレビ本社と同じ位置に、巨大なタワーと言う形の社屋を構える、日本最大のレコード社。 通称、UVM社の超が付く程の大躍進により、346は当然の事、日本中の音楽・芸能プロダクションはその頭を抑えられる形になっていた。  UVMだけが一強と言う訳ではないが、それでも、天を貫くバベルの塔のような本社を持つあの会社の牙城は、驚く程堅固だ。 それを突き崩す神の雷を、結城美知夫の顧客(クライアント)となる女性、美城は、アイドル事業に求めたのである。 彼女は言う。極めて悔しい話だが、UVM社が擁する歌手陣の層は、日本所か世界中の全プロダクションの中でも類を見ぬ程分厚く、高レベルだと。 真っ当な歌唱力やプロモーション能力で勝負を仕掛けるのは、無理があると美城、及び346プロは判断。だが手を打たぬ事には、何時までもUVMに頭を垂れ続ける事になる。 そして最近、と言っても此処数ヶ月の話であるが、346プロは、UVMは所謂、アイドル事業が手薄であると言う結論を弾き出したのだ。 手を出していないと言う訳ではないが、それでも、UVMのアイドル事業は、他の部門に比べて業績が奮わないと言うのが現状だった。 此処を狙わぬ手はない。アイドル活動と言うのは、無論歌唱力やダンスの技術も求められるが、それ以上に、年頃の女性が『頑張っている姿』を演出するのが重要である。 これを演出する事で、ファンの庇護欲やエールを送りたいと言う気持ちを助長させる事こそが、肝要なのだ。UVMは、その年頃の少女の活かし方を学んでいなかった。 『女の子の輝く夢を叶えるためのプロジェクト』、と言う御題目を掲げ、美城を含めたプロダクション全体が一丸となって推し進めるこのプロジェクト。 社の人間は、これを『シンデレラプロジェクト』と呼んでいた。シンデレラとは、この世で最も有名かつ理想的なサクセスストーリーだ。成程確かに、女の子の夢を叶える計画の名を冠するに、相応しい。  プロジェクトは今の所順調な経過を見せていたが、それでもやはり、躍進と言う程ではない。 年頃の子供と言うのは、堪え性がない。直に目に見えた成果を欲しがる生き物だ。早い話、直にでも大舞台に上がりたがると言う性を持つ。 美城にしたってそれは同じである。今のままでは、UVMに並ぶまで何年掛かるか。況してや相手は、プロデュース業に掛けては悪魔的な才能を持つブレーンがいるのだ。 つまり、此方のプロジェクトを考察し、自分達も同じようなプロジェクトを立てるかも知れないのである。そうなったら、UVMと346の間には、大きな差が開き、 永久にそれが埋まらなくなる。美城は、これを危惧した。だからこそ、即効的に効果が表れる自身の計画を推し進めようとしたのだ。  その為には、金が入用になる。 だからこその、今の融資相談であった。美城は、上に語ったような事柄を、パワーポイントなどで懇切丁寧に、そして自身の計画の有効性や効率の良さをプレゼン。 経営者、そしてアイドルを導く為の責任者としての目線からも、自分の計画が全く間違いでない事を、結城に今まで説明していたのである。  美城のプレゼンは、畑違いの結城から見ても、素晴らしい物だった。 346プロの業績や決算の良好さ、及び、プロジェクトにかける熱意を主張した上で更に、結城にも解りやすくこのシンデレラプロジェクトについて説明する、 と言う配慮が至る所に成されていた。更に、美城自体の人間性も優れている。プレゼンの最中に結城は、カマかけや試す意味で、 美城のプレゼンをつまらなそうに聞く演技をしていたが、「そんな演技など見飽きた」とでも言わんばかりに、彼女は平時の様子でプレゼンを続けていたのだ。 相当な手練である事が一目で見ても結城には解ったが、想像以上の傑物らしい。並の銀行マンならば、逆に呑まれかねないだろう。  美城の方からは、説明出来る事は全て説明し尽くした。 後はもう、結城からの鶴の一声を待つだけだ。彼が肯じるか、それとも首を横に振るかで、今後が決まると言っても良い。 「……宜しい。融資を致しましょう」  結城はたっぷり十秒程の時間を置いてから、そう言った。 「ありがとうございます」、と平素と変わりない声音と態度で、美城が一礼した。 特に喜んだ様子を見せないのは、この融資は言わばゴールではなく第一歩であり、言わばこの三億が振り込まれる事で、漸くスタートを切ったに等しいのである。 おちおち喜んでなぞいられない、と言うのが美城の本音であるのだろう。つくづく、抜け目のない切れ者だった。  とは言え、そんな美城の態度とは裏腹に、結城は全くリラックスしていた。 緊張した態度を演出しているのは、表面上だけ、内心は全く落ち着き払っている。 346プロダクションならば三億程度の金、自分の腕前なら容易く回収出来ると言う自信もそうであるが――もう一つ。 三億の融資を快諾したのには、上記の自信を上回る絶対の理由があったからに他ならない。 「シンデレラプロジェクト、素晴らしいお名前ではありませんか」  スックと席から立ち上がり、美城と、プロジェクターからスクリーンに投影されるプレゼン画面を交互に見渡しながら、結城は続けた。 「夢見る原石である女の子達を磨き上げ、立派な宝石へと仕立てるプロジェクト。まさに、全ての女性の夢である『シンデレラ』の名に相応しいですな」 「恐縮です」  我ながら、全ての歯が浮いて歯茎からすっぽ抜ける程の営業トークだと冷笑する結城。 無論、今しがた口にした言葉の通りの事など、全く思っていない。本心から、どうでも良いとすら思っている。 優れた社会人である美城なら、結城の歯の浮く台詞など、御見通しであろう。何せ相手は銀行マン。融資金の回収と利息の回収が出来ればそれで良い、禿鷹であるのだ。少女の夢の成就を願う人種の、反対に位置する人間である。 「それでは、お互いの為に、頑張りましょう。美城様」 「えぇ、今後とも、よろしくお願いいたします、結城様」  そう言って二人は互いに近付いて行き、固い握手を交わした。かくて、346プロへの三億円の融資が決定した。 <新宿>での聖杯戦争が開催される、二日前の出来事であった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「聖杯戦争も始まったと言うのに、出勤か。精が出るな」  結城には、果たしてそれが何を意味し、何のバロメーターを表しているのか。 到底理解出来ない計器が無数についた大規模な機械の塊を見上げながら、手に持った資料に時たま目を配らせるジェナ・エンジェルがそんな事を口にした。結城の方には、目もくれない。 「貧乏人とエリート程暇のない人種はないのさ」  ネクタイを巻き終え、腕時計を確認し、時間的にまだ余裕がある事を確認してから、結城が言った。 大企業に就職出来たから、冷房の効いた部屋で優雅にデスクワークをして、高給を……。 そんな甘っちょろい現実など、ありえないと言う物だ。実際には見ていてうんざりする程の量の書類を処理したり、またある時は実地で様々な交渉事を行ったりと。 やる事は山ほどあるのだ。パレートの法則と言うものが有る。全体の数値の大部分は、全体を構成する二割が生み出していると言う冪乗則である。 これを企業に当て嵌めるとつまり、企業の利益の大部分は、二割の従業員が生み出しているのであり、残りの八割はいてもいなくても差し支えのない人間と言う事だ。 結城は当然、利益を生み出す二割に該当する人間であり、その中でも特に有能とされる彼の業務は、多忙を極めるのだ。暇など、ある訳がなかった。 「いいね、研究職って言うのは。暇がありそうで」 「馬鹿を言うな」  拗ねたような口調でそんな事を言う結城に対し、即座にジェナは切り返した。 「ルーラーなるクラスから、公式に聖杯戦争の開催の直達があったのだ。まさかこれを見逃す愚鈍な輩は、よもやいるまい」 「だろうねぇ」 「当然、<新宿>での戦いが激化する事は想像に難くない。今のお前の地位は、<新宿>の戦いを勝ち抜く上で有利に働くかも知れないそれだ。 業務を放棄して、そうそうに捨てて良い役割(ロール)ではない。それは解っているだろうが、どちらにせよ警戒しておけ」 「了解っと」  タバコを一本、吸い終え、ガラスの灰皿の上に突き立てながら、結城は返した。 如何にも適当そうな立ち居振る舞いだが、自身をエリートと公言するように、結城は恐ろしく頭のキレる男だ。ジェナの言葉を適当に流しなどいなかった。 「今日の予定は告げておけ、マスター」 「ハハハ、その言い方。何か役に立たない部下の動向を予め聞いて置きたい上司みたいだぜ」 「お前にはジョークの才能がない。さぞやあの神父も、愛想笑いに疲れた事だろうな」  最早ジェナには、さっさと話せ、とせかす事すらも億劫になり掛けていた。 彼女の心境の変化を読み始めた結城が、はいはい、と口にしながら、二本目の煙草に手を伸ばした。 「一昨日話しただろう? 僕の新しい融資先の話。其処に向うのさ」 「下らぬ芸能プロダクションの事だろう?」 「全くだよ、下らな過ぎて足を運ぶのもウンザリする。うちの銀行のヒラがやってるみたいな飛び込みの営業の方が、まだマシってもんさ」 「其処まで言うか」  タバコを口元にまで持って行き、紫煙をダラしなく吐き散らしながら、結城は言葉を続ける。 「美城とか言う女と融資交渉をしに行った時も、アイドルと言うか、所属してた奴らの顔を見て来たよ。笑っちゃうよ、小学生までいると来た。ガキの頃からアイドル活動何てしてたら、ロクな大人にならないぜ」 「お前のようにか?」 「随分と辛く当たるねぇ、キャスター」  キャスターの嫌味など、何処吹く風。痛痒すら、感じていない様子であった。 「それで、話を戻すけどさ。此処までの流れから凡そ解ると思うけど、僕はその芸能プロダクション……346プロって言うんだが、其処に視察に赴く事になってるんだ。一応融資先の様子を具に観察するのも、僕らの仕事だからね」 「346プロ……?」  まるで、家を出てから一時間程経過して、ふと、何かを忘れたのではないかと思い立ったような声音で、ジェナが言った。彼女にしては珍しい声のトーンだった。 その引っ掛かりの正体が何なのか確認する為、彼女は、部屋に置かれた端末状の装置に近付いて行き、慣れた手つきでそれを動かす。 端末に取り付けられた液晶画面に流れる文字。それを見て、得心した様にジェナが首を肯じた。「成程」、彼女は納得の様子を口にする。 「一人で納得しないでくれないかな」 「単刀直入に言おう、そのプロダクションにチューナーがいる」 「ワオ」  軽く驚いた様子を結城は見せる。自身の引き当てたサーヴァントが、<新宿>中に悪魔化ウィルス感染者……つまり、チューナーの事だが、これを撒いている事は知っていた。 だがそれも、<新宿>で活動している人間の総数を分母にして割り算すれば、ほんの微々たる総数に過ぎない。 これは、ジェナの、少数の優れた悪魔達のみをチューナーとして生かす事を許し、それ以外の雑魚悪魔はその場で処分する、と言う方針に基づいていた。 その方針がなかったらきっと、現在<新宿>で活動しているチューナーの数は倍増していた事だろう。 そんな現実を知っている結城だから、驚いていた。まさかチューナーが、融資先に所属しているなど、偶然にしては出来過ぎていた。 「もっと早くに、融資先の名前を言っておいた方が良かったかな? 君には興味がないだろうと思ってさ」 「気にするな。元々チューナーの管理をする気のない私に落ち度がある」 「する気がない、何だね」  悪辣な笑みが、結城の顔に刻まれた。銀行マンと言うよりは寧ろ、前科を重ねに重ね、それでもなお反省をしない生粋の犯罪者の貌だった。 対するジェナも、微笑みで返した。人を殺して喰ったような、そんな笑み。実際に、何百人もの人間をそうして喰らい尽くして来たのだから、始末に負えない。彼女こそは現代の、ソニー・ビーンであった。 「元々貴様も私も、この街が――世界がどうなろうが、知った事ではないだろう。今更な事を言うな」 「ハハ、ごめんごめん」 「今言った様な事もチューナー放任の理由でもあるが、それ以上に、職や年齢、住まいに纏まりもない、アトランダムにNPCをチューナーにしているのだ。これらを纏め上げるのは、限度と言うものが有る」  チューナーに選んだ人間達は、ジェナの言う通り何から何までバラバラだった。 性別を筆頭に、身長、年齢、人種等々、全てが全て、これと言った共通項を持たない。 ジェナが、素質があると睨んだNPCをチューナーを、選んでいるのだ。素質は性別や年齢を選ばない。上は八十を過ぎた老人、下は小学生の子供までいる。 これらだけなら、ジェナが保有するカリスマスキルで無理やり率いる事も出来るが、ある理由からこれは出来ずにいた。 住所の問題である。当たり前だが、ジェナがチューナーに選んだNPC全てが、同じところに住んでいる訳ではない。全員が全員てんでバラバラの所に住み、 NPCによっては区外も区外、埼玉や神奈川を住まいとしている者もいる。ジェナ・エンジェルと言う人物がチューナーの数だけ存在出来るのならばまだしも、そんな事は出来ない。 だからこそ、放任と言う選択を採らざるを得なくなる。ジェナとて、全てのチューナーを管理下に置いた方が良い事は百も承知だが、地理的、距離的問題から、それを出来ずにいるのだった。 「まぁ、キャスターの意図する所は理解した」  二本目の紙タバコを灰皿に押し付けながら、結城は腕時計に軽く目線をやった。 時刻は七時四十五分を回ろうとしていた。職場の近くの賃貸マンションを借りた為に、まだまだジェナと話すだけの時間的余裕はある。 「ところで、僕として知りたい情報は、誰がチューナーか、何だけどな。スタッフかい? それとも、歌手か、俳優?」 「貴様が嫌悪して已まないアイドルさ」 「な~るほど、近付きたくもないし視界に入れたくもない」  冗談めかして言う結城だったが、その黒く粘ついた瞳の奥底には、冷ややかな輝きがあった。 此処<新宿>に来る前も、何人もの女を冷淡を通り越して、冷酷とも言える程物扱いしてきた彼だからこそ放てる、凍て付いた眼光だった。 「名前は宮本フレデリカ。名前からも凡その察しは付くだろうが、混血だ。後藤君の調べでは、母親の方がフランス人らしい」 「ハーフか。あのプロダクションには外人も多かったからな。まぁ、フランス人ならば、ある程度は絞り込めるかな」 「この検体は、変身前の人間と変身後の悪魔に全く関連性がない事をお前にも解りやすく伝えられる良いケースだ。つまり、変身前の人間が強かろうが弱い悪魔にもなり得るし、その逆も然り、と言う事さ」 「で、強いのかい。この、フレデリカって言う女が変身する悪魔はさ」 「生前私が確認して来た悪魔のデータには無い存在だったが、確信を持って言える。高位の悪魔であると、な」 「成程ね。差支えなければ、その変身出来る悪魔の名前をお聞かせ願いたいんだが?」  結城としても、聞いて置きたい事柄だった。 ジェナの口から聞かされる、悪魔化ウィルスと言う作成物と、それによって得られる果実は、聞くだけで興味がたえない。 そして、チューナーが変身すると言う実際の現場を一度たりとも見た事がないと言う事実がより、結城の興味に拍車をかける。 と言うのも悪魔に初めて変身する際と言うのは高い確率で暴走を引き起こす可能性が高く、自分がその場に立ち会っていない時に絶対に見てはならない、 とジェナから厳重に注意されていた。暴走の余波で殺される可能性が高いからだ。この事実を語る時にジェナの真面目な口ぶりを、結城は重く受け止めている。 別段死ぬのは怖くないが、確かに、自分の引き当てたサーヴァントが作り上げたチューナーに殺されるなど、結城でも御免だった。 御免ではあるが、やはり怖い物見たさと言うものは確かにある。が、その怖いものをジェナは見せてくれない。だから仕方なく、その悪魔の情報を知る事で、溜飲を下げようとしていた。 「フレデリカと言う検体は、<新宿>のNPCを用いて作ったチューナー群の中で、特に抜きん出た強さを得るに至った」  其処で、一息程吐いてから、ジェナは続けた。 「――その悪魔の名前は――」 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  パタン、と、黒光りするノートパソコンを閉じてから、一口。ムスカはカップに注がれたコーヒーを口元へ運んだ。 挽き立ての豆を使ったそれはとても馥郁たる香りを放っており、此処に、砂糖をほんの一つまみアクセント代わりに入れ込むのが、ムスカ流であった。  役割上ムスカは、嘗て<魔震>により壊滅的打撃を受けた<新宿>の調査を行う、某国の諜報員と言う事になっている。 何でも各国の軍部や研究機関は、<魔震>を研究し、それを軍事兵器に転用或いはエネルギー問題を解決させる重要な足がかりにしたい、と言う者がいるのだそうだ。 東京は世界でも類を見ない程スパイの潜伏数が多いと言うが、こと<新宿>を根城にする諜報員に関しては、ただの産業スパイなどとは一線を画するのだ。 ムスカは確かに諜報員であるが、その制約は驚く程緩い。定期的にやってくる本国の連絡員或いは、パソコンから送られてくるデータを確認するだけなのだ。 これではスパイと言うよりは単なる、金を持て余した富裕層の道楽と言った感は否めない。しかし、職務でガチガチに拘束されるよりも、動き易いと言うのは事実。 聖杯戦争の参加者として。偉大なる白貌の帝王の下で奔走するマスターとして。これ以上と軽やかなフットワークを行える役割はなかった。  国防に関わる組織、特に軍部であるが、此処では一般国民や諸外国向けに発表出来る研究と、そうでない研究が存在する。 どれだけ情報の開示権を国民が行使しようとも、絶対に表には発表出来ないしするつもりもない研究。 それは非人道的な実験や研究と言う訳ではなく、国防国益に関わる最先端の研究と言うべきものだ。軍部や国家機関では、そう言った物が研究され、 そう言った組織に関わる公務員達に真っ先にその最先端技術で拵えられた物品が、実験代わりに配られたりするものである。 今ムスカが使っているノートパソコンにしてもそうだ。諜報機関向けに作られたこれは、祖国――この世界での、だ――に報告或いは報告を受ける時のみ自動で、 彼が今いる国のプロバイダーを経ずにネット環境に繋げるモードに変更。如何なる方法でも、ムスカ個人を特定する事が不可能になる。 またそれだけでなく、祖国から報告をしたり連絡を受けとる時に使われる超プライベートコンピューターは、疑似的なカオス理論で構築されたプログラム故に、 外部からの侵入は現代の技術ではほぼ不可能。パスワードを解読し真正面から入ろうにも、パスワードは耐えず流動的に変動している為それも出来ない。 このプライベートルームに入るには、何と常にパスワードページが自動かつ秘密裏に行っている『虹彩認証』をクリアせねばならないのだ。 これをクリアする事で初めて、本国の諜報機関と連絡が取れる訳なのだが……これが全く使われない為に、今の今までムスカは存在自体を忘れていた。  それが、今になって急に使われ始めた。 プライベートコンピューターに入ってみると、ムスカに送られた連絡は何て事はない。 <新宿>で暴れ回ったとされる、あの黒礼服の殺人鬼の詳細が解ったら本国に連絡しろ、と言うのだ。 如何も諜報部はあれを、日本やアメリカに匹敵する先進国のバイオテクノロジーの薫陶を受けたテロリストなのではないか、と疑っているのだ。 無理もない、あの殺人の手際を見せられれば、そうも思いたくもなる。だが実際には、それは違うのだ。あの黒礼服の男は、聖杯戦争に参加しているサーヴァント。 遠坂凛と呼ばれる女子高生が召喚した、狂戦士なのだ。真実はまさにこの通りだが、これを言った所でムスカの正気を疑われるだけだ。当然報告もしなかったし、そもそもする気も起きない。 「ふん、ランスローめ。そうとう出世と保身に必死と見える」  コーヒーを飲み終えてから、ムスカは忌々しげにそう呟いた。 ランスロー。フルネームをシン・ランスローと呼ぶこの男は、この世界におけるムスカの上司に当たる人物だ。 階級は准将。元居た世界でのムスカの階級より上である。ランスローは国益は当然の事、それ以上の自身の出世と安寧たる地位を固める事に躍起になっている人物だ。 有能である事は間違いないが、ムスカとは馬が合わない。ムスカ本人は否定する所だろうが、彼自身も同じような性格だからだ。これでは性格が合う訳がない。 ランスローは何としても黒礼服のバーサーカーの情報が欲しいらしく、<新宿>を担当するムスカに、その情報の収集を緊急かつ別件の任務と言う形で連絡してきたのである。 無論、ムスカとしてはその収集は聖杯戦争の参加者として行うべきものであるが、ランスローに報告するつもりなど毛頭なかった。  ムスカと、彼が引き当てたキャスターのサーヴァント、タイタス一世の聖杯戦争は、思わぬ横槍を入れられ、本来意図していたそれから逸脱してしまう事になる。 ムスカが、一世の生み出した骨董品や戯曲の類を<新宿>に流布するだけでなく、メディア等を通じてアルケア帝国の想念を蓄積させると言う作戦。 それは、キャスターの真の領地である、帝国の首都アーガデウムの顕現と言う王手まであと一歩の所で、難航を極めてしまっていた。 アーガデウムの顕現には、NPCが夢を見ると言うプロセスを経る事が大前提になるのだが、何者かが、<新宿>のNPC達に細工を施した結果、NPCが夢を見なくなり、 アーガデウムの顕現が予定より遅滞してしまったのである。現在ムスカは、そのフォローとリカバリーの為に、動かざるを得ないと言う訳だ。  まさかこんな早く、一世の神算鬼謀が露見したと言う事はあるまい。そう願いたかった。 ムスカも一世も、下手人は狙って一世の計画を邪魔したのではなく、向こうが目指す目的の過程と、此方の目指す目的の過程が、不運にも噛み合っただけだと、 思っているのだ。何れにせよ、そのサーヴァントはムスカ達にとって目下最大の敵であり、撃ち滅ぼされるべき存在だった。 聖杯戦争開始前に行っていたあのメディア戦略と並行して、一世の目となり耳となり<新宿>の情報を知悉し、彼に報告する事が現在のムスカの任務。 その一環として、今日ムスカは、在る場所に赴かなくてはならない。346プロ本社……今ムスカが贔屓にしている芸能プロダクションである。 言い換えれば、宝具・『廃都物語』を広く流布させる為の広告塔だ。その大事な広告塔が今日、大規模なライブを行う事になっている。 その打ち合わせに、ムスカは立ち会おうと言うのだ。他に重要な仕事は多いが、それと同じ程に、今回のライブも重要である。 「……頃合いか」  腕時計を確認してから、出かけの準備を行うムスカ。無論行き先は、346プロだ。 行きがけに、テレビの電源を彼は入れた。秘密裏に戦闘を行う事が鉄則の聖杯戦争で、まだ朝の八時すら回ってないこの時間帯に、サーヴァント同士の戦闘が近代メディアの俎上に上がるとは思えないが、一応、だ。 「それでは、次のニュースです。EUの社交界に衝撃が走っています。先日発表されました、イギリスのテオル公爵と日系人女性のカナエ・淡・アマツさんとの電撃結婚の――」  其処でムスカは、液晶テレビの電源を落とした。どうでも良いニュースだったからである。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  本来ならば結城は、八時前に出社した後、中身も何もあったもんじゃない朝礼を済ませてから、前日に仕上げた諸々の書類を確認。 訪問先である346プロへの準備を三十分程度で仕上げ、支度を終え次第其処に向かう予定であった。到着時刻は凡そ、九時かそこらだ。 だが現実は、予定時刻を大幅にオーバーして、九時半の到着となってしまった。時間にルーズな社会人は、何処でも嫌われる。 いくら結城の内面は悪辣と言う言葉でもなお足りない程醜悪なそれであったとしても、ビジネスマンとしての仮面を被っている時は、弁えるべき所は弁えるのだ。 それなのに、此処まで遅刻をしてしまった理由は、一つ。<新宿>二丁目周辺で大暴れを繰り広げたと言うサーヴァントのせいだ。 移動しながらスマートフォンで、事の詳細を調べてみると――詳しい情報が載っているとは思えない――、異形の右腕を持った少年が、外国人女性を抱き抱えがら、 突如<新宿>二丁目の交差点の前に出現。それを追うように、馬に騎乗したアングロサクソン系の外人が二名追随。 彼らと、何処からか現れた、頭に鉢巻を巻いた槍を持つ成人男性が交戦――其処からの詳細は、不明だった。 交差点周辺で巻き起こる、地獄から丸々持って来たのではと言わんばかりの灼熱と業火のせいで、現場まで中々レポーター達が入り込めなかったせいだ。 メディアから確認出来る情報はこれまでだが、TwitterやGALAXを筆頭としたSNS、Aちゃんねると言った巨大掲示板からだと、違う。 良く言えば度胸のある、悪く言えば目立ちたがりで命知らずの馬鹿が、身体を張って戦闘の模様を撮影してくれていたのだ。 此処が、組織だって動かねばならないメディアの情報提供力と、確証性や信憑性こそ薄いが個人と言うフットワークの軽さを活かしたアマチュアの情報提供力の差だった。 撮影者の腕の震えがダイレクトに伝わる、撮影された映像を確認した。まるで昔話の中に登場する鬼か何かかと見紛う、巨大な怪物が、炎を吐いて暴れ回っていたのだ。 何処の馬の骨かは解らないが、よく撮影出来た物だと結城も呆れてしまう。この化物の大立ち回りを撮影出来てなお生き残れていると言う事実。一生分の運を使い果たしたのではないだろうか。  間違いなくサーヴァント同士の交戦だろう。 独断と偏見から考えるに、鬼の方はバーサーカー、槍を持った方はランサーなのだろうが、帽子を被った男の方は、全く予想が出来ない。 この三者が暴れに暴れまくったせいで、交通機関に大幅な遅滞が生じていた。自動車の渋滞によってバスやタクシーも足止めを喰らい、<新宿>二丁目周辺の交通網は、 今や完全に麻痺しているに等しい状態だった。その頃には既に結城はバスに乗車している状態で、丁度渋滞に足止めを喰う形になってしまった。 亀のような運行速度でやっと一つ目の停留所に到着した結城は、このままでは埒が明かないと思い、電車で移動する事を決意。急な交通機関の変更。これが、結城が遅刻した理由であった。  移動の最中、ジェナが電話経由で連絡を入れて来た。向こうも、パソコンやらテレビ、はたまた別の情報網を使って、サーヴァント同士の大規模な戦闘を知り得ていたらしい。 電話の内容は当然、サーヴァント同士の戦いに巻き込まれてなかったのかと言う確認だったが、無事を告げると、「悪運の強い奴だ」、と。 心配していたのか否か解らないいつもの口調にジェナは戻っていた。そしてすぐに、「危険だからあのサーヴァント達が誰だったのかの確認に首を突っ込むな」、 と釘を打たれた。尤も結城としては、そんな事する気が起きない。動画を断片的に見ただけだから何とも言えないが、あんなのを調査する等、命が幾つあっても足りた物ではないからだ。  ――話を元に戻す。 遅れに遅れた結城が、346プロのオフィスビルで美城と顔を合わせ、先ず行った事は、遅刻に対しての謝罪だ。 予め遅れると言う連絡を入れてはいたが、それとは別に謝る必要があるのだ。美城も、結城が遅れたのは已むに已まれぬ天災に等しい事柄だと既に理解していたか。 特に彼を責めるでもなく、一言二言の労いの言葉の後、直に本題に移った。  本題とは即ち、346プロの各芸能部門等の様子確認である。 こう言った芸能界の事情は結城にとっては畑が違うにも程がある故に、彼らの活動風景を見た所で、本当ならば意味はない。 融資交渉の際に美城が行ったプレゼンで全ては完結している。――と、言ってもだ、それはそれ、である。 やはり三億もの大金を融資する以上は、それなりに慎重にならざるを得ないのだ。如何に346プロが大手の会社だと言っても、だ。 ……尤も、聖杯戦争の参加者である結城にとって、NPCが舵を取るメガバンクや、NPCが重役を務める芸能プロダクションの事情など、如何でも良い。 三億をポンと貸す事に簡単に同意した最も大きな理由がこれだ。じきに死ぬ人間である結城にとって、融資云々の話など知った事ではないのだ。だから、適当に済ませてしまったのである。 「それでは本日は、主にアイドル部門の仕事ぶりを視察する、と言う方向性で宜しいでしょうか?」  と、訊ねるのは美城である。場所は346プロのオフィスビルの応接間だ。ガラスのテーブルを挟んだ向かいのソファに、美城は座っていた。 訊ねられた事柄について、特に結城の方から異議はない。「それで結構です」、と彼が答えると、直に美城は、「では、別館の方へとご案内させて頂きます」と口にしながらソファから立ち上がる。  表面上はつとめて冷静そうに振る舞っているが、如何にも結城から見て、美城は焦っていると言うか、急いでいる風に見える。 ビジネスの場に関しては単刀直入さを好む傾向が強い事は、先の融資交渉で結城も把握していたが、今日に限ってはかなりキビキビとしていた。 無理もない、これは今日になって結城も知った事であるが、今日346プロのアイドル部門は、部門の存続が掛かっていると言っても過言ではない大舞台に立つ事になっているのだ。 つまりは、野外ライブである。魔震から<新宿>が完全復興してから丁度二十年が経過、『嘗ての悲愴さを吹き飛ばす程明るく、そして同時に被災者を偲ぶような荘厳さを』、 と言う御題目をコンセプトにしたこのライブは、大手プロダクションや各民放、芸能新聞の記者等の耳目が集まる事が既に確定しており、注目されているイベントだった。 346プロが主導するこのイベントには、上に上げたコンセプトも重要だが、其処には美城の、自社のアイドルを世間に強くアピールさせると言う怜悧な計算も、当然含まれていた。  美城は、このイベントを特等席から結城に見させる事で、自分達の実力を見せつけようと踏んでいるらしいのだ。 「随分な自信がおありだなこのお局様はよ」、と思わないでもない結城だったが、そっちの方針の方が、芸能プロダクションらしくて面白いではないか。 長々だらだらと、主力アイドルの自己紹介をされたり、練習風景を見せられるよりは、よっぽど面白いし、実力を見せつけると言う点でも理に叶っている。 この辺りのプロモーション能力は、流石芸能プロダクションの中で高い位置に存在する人物、と言えるだろう。 「ところで、美城様」  所謂、芸能人が練習、活動している離れの棟に移動する傍ら、結城が、世間話のつもりで話し始めた。 「何でしょうか」 「今日のライブについてですが、346プロは数多くのアイドルグループを、擁しているのでしょう」 「そうです。尤も、アイドルグループと言いましても、メンバーによっては他のグループを掛け持ちしている者もいるのですが……。無論これは、此方の戦略です」 「成程、掛け持ちしたメンバーのファンが増えれば、自動的に他のグループにもそのファンが流れる、と。その目測は今のところは?」 「数値の面から見ても、良好な結果を残せています」 「優れた戦略を立てる力をお持ちのようで。それでですが、今回のライブは貴社からしましても、絶対に失敗は許されないイベントと私は見たのですが、当然、今回参加するグループは皆、虎の子と言う事で間違いないのですか?」 「その認識で間違いはありません。ただ今回のイベントは、私の意向で全てが決まると言う訳でなく、私を含めためいめいのプロデューサーが担当する肝入りのグループも参加する事になっています」  結城は今の美城の一言で、本当ならば自分が推しているグループだけでイベントを仕切りたかった、と言う思いを感じ取った。 如何やら相当なワンマン気質であるらしいし、自分なりの強い軸を持っているらしかった。 「美城様の担当されているグループのお名前は?」 「プロジェクトクローネです。今回のコンセプト、『明るく、そして荘厳さを』、というコンセプトの後者の部分に相当するグループです」 「成程。ではそのグループが、今回の主役、と言う事で?」  其処まで言うと、鉄面皮とも言うべき美城の表情が、苦虫を噛み潰したような渋いそれへと変貌する。 「……本日の主役がそのグループのメンバーの一人である、と言う事実を鑑みれば、今回の主役、と言う言い方に嘘はないでしょうね」 「おや、随分持って回った言い方ですな」 「私としても、346としても、本来想定『していた』主役のグループは、間違いなくこのクローネでした。ですが何時だって、芸能人と言う生き物を人気と言う形で定義づけ、形作るのは、ファンや聴衆と言った存在なのです」 「ははぁ。つまり、ライブに赴くファンとしては、メインディッシュは別にある、と」 「そうなります」  とどのつまり美城が言っているのは、此方が意図した今回のイベントの主役と、実際ファンが捉えている今回のイベントの主役に、乖離が起こっていると言う事だ。 当たり前だが、芸能界程人気商売と言う言葉が当てはまる業界はない。基本的にファンは丁重に扱うべき存在だ、余程理不尽な欲求でない限りは、 プロダクションや芸能人はその意向にある程度従わねばならない。主役の逆転位は、受け入れなければならないのだろう。それが堪らなく、美城には悔しいらしいが、その悔しがり方が、結城には尋常ではないように映っていた。 「それで、ファンが捉える今回の主役とは一体誰なのでしょう?」 「『宮本フレデリカ』、と言うアイドルです」 「ほう、フレデリカさん」  内心で結城が驚いた事は言うまでもない。今朝方ジェナから知らされたチューナーの一人であり、特に強い悪魔に変身出来ると言うハーフの女であったからだ。 「元々はクローネのメンバーの一人だったのですが、此処最近、特に彼女が抜きん出て人気を獲得するようになって……。その事実を、彼女のプロデューサーが上に熱意を込めて主張し……イベントの最後に、ソロで持ち歌を複数歌う、と言う運びになったのです」 「私には余り想像が出来ませんが……、彼女は元々、そのクローネと言うメンバーの一員だったのでしょう? ある日突然彼女だけが、突出した人気を得ると言うのは……」 「そう、考えられません。ですがこれが事実なのです」 「原因の方は?」  結城がそう訊ねた瞬間、極限まで不快そうな表情をして、吐き捨てるように美城は言った。 「……此処最近、346プロのアイドル達に、フレデリカの担当プロデューサーを経由して取り入ろうとしている男がいるのです」 「……かなり下品で、下衆な考えである事を承知で言わせて貰いますが、かなり下心が見え透いた人のようですな」 「全くです」  考える所は、美城としても結城と同じであるらしい。 と言うよりは誰だって、同じ帰結に行き着くに違いないだろう。誰がどう見たってその男は、アイドルを食い物にして自らの汚れた欲求を満たしたい人間である以外、見られまい。 「私にはその男とフレデリカさんの人気の相関性が見えないのですが、一体どんな関係が?」 「簡単に言えば、メロディや詩の提供です。今フレデリカは、その男から供給されるメロディや詩を駆使して新曲を出しているのですが……これが予想以上にヒットしてしまいまして」 「それを流用しているのですか? お堅い346プロの事、そう言った外部からのアイデア提供は、一笑に付すものかと思っていましたが」 「普通であれば門前払いです。ですが……」 「……ですが?」  余程、言いたくないらしいのか。結城の目には美城が、言葉が喉元までせり上がっていると言うのに、中々それを吐き出せずにいるように見えた。 口にするのもストレスらしい。今にも耳や鼻の孔から、怒りの余り血でも噴き出んばかりだ。 「……優れているのですよ。その、提供される詩やメロディが」  その一言を口にするのに、三十分も掛かったみたいな重苦しい様子で、美城は言った。 結城は何となくであるが、何故アイドルに取り入って来たその男を、彼女が蜥蜴の如く嫌っているのか。その理由が大体掴めた。 要するに、只でさえ本心の読み取れないその胡散臭い男が気に入らないと言うのに、素性の知らぬそんな男が素晴らしいアイデアを此方に持ち込み、 事実それが功を奏している、と言う事実が受け入れ難いのである。話を聞くに、その男は346プロの正規の登用プロセスを受けた社員でもなければ、 その下請けの人間でも上役とコネで繋がった人間ですらない。本当に外部の住民なのだ。 美城の心情も、解らないでもない。彼女からしたら面白くも何ともないだろう。業界の関係者どころかアマチュアですらない素人の提供したメロディや歌詞が、 会社の庇護下にあるアイドルに歌われ、それがヒットを飛ばされるなど。プロとしての矜持を持っている人間ならば、誰だって眉を顰めてしまうだろう。  ――ただのNPCとは思えんな――  美城の話した男の話を聞き、結城が先ず思った事はそれだった。 NPCと聖杯戦争の参加者の最大の違いは、日常に沿った動きをしているのか、それとも聖杯戦争に沿った動きをしているのか、と言う事だ。 九割九分九厘のNPCは、聖杯戦争の存在を知らないし、存在しているとすら思わない。彼らにとって神秘の類など、ないものなのだ。 故に、神秘や魔術の事を説明しても、信じるまい。だから彼らは、普段通りの日常に従事する事になる。 だが、ジェナの助手となっている後藤の例を見れば解る通り、聖杯戦争の参加者達が直接NPCにコンタクトを取る事により、彼らの間にいわば『バグ』が発生する。 そのバグとは即ち、聖杯戦争についての認識、或いは、神秘に類する力の獲得である。そのバグの発生したNPCは、高い確率で、元の日常に戻らない。 と言うよりは、戻れないと言うべきか。これもジェナに纏わるケースを見れば明らかだが、例えば悪魔化ウィルスを注入されてチューナーになったNPCは、 強烈な餓えや、悪魔の強大な力に酔いしれ、暴れる傾向にある事からも、戻れないと言う表現はある意味的を射ている。  フレデリカに接触した件の男の行動は、明らかに正常なNPCの活動とは言い難いものがある。 彼が聖杯戦争の参加者そのものなのか、或いは彼らにかどわかされたNPCなのか。それは結城にも解らない。 だがどちらにしても、警戒して然るべき存在である。自身のサーヴァントがジェナと言うキャスターだからこそ解るが、サーヴァントの中には、 NPCを手駒に変容させて扱うと言う者もいるのだ。戦闘力もなく、況してや余命いくばくもない結城では、最悪殺される可能性が高い。慎重に、事を見極める必要があるのだった。  美城と話しながら歩いている内に、別館の方へとたどり着いた。 此方の方は専ら、アイドルや歌手、俳優達の歌唱、演技の練習用、或いは憩いの場として使われる為の場であるらしい。 芸能プロダクションである以上、芸能人と会社の従業員が活動する場所を厳密に区切る必要があるのだ。 それを建物単位で分けるとは、346プロの資産の潤沢さ、と言うものが窺い知れると言うものだろう。 「今はライブ本番に向けて、参加アイドルの殆どが、めいめいの過ごし方をしていますので、結城様が見たい、と思われているだろうアイドルの練習風景は、見れない可能性があるかもしれません」 「おや、本番までもう十時間を大きく切っていると言うのに、最後の予行のような物をしないのですか」 「無論、しているグループもいるでしょう。ですが彼女らは本番に向けて、前日所か開催の遥か前から入念なリハーサルを行っています。 開催前の最後の数時間を、練習に当てるグループもあれば、極度の緊張を紛らわす為にリラックスして過ごすアイドルも、珍しくありません」 「成程、此処までスタートが近付いてしまえば、練習よりも気の持ちようの方が重要と考える娘も多い、と」 「その通りです」 「まぁ私としては……そうですね。美城様が先程口にしていた、宮本フレデリカ、と言う娘を見てみたいですね」 「……フレデリカですか。初めに申しておきますが、彼女はその……かなりのマイペースでして……、結城様の機嫌を損ねないかどうか……」  「彼女はその」、の部分で随分と美城は、次に続ける言葉を考えていた。 肯定的な意味でのマイペースと言う訳ではないのは、ニュアンスから察する事が出来る。 チューナーになる前のフレデリカは、結構な問題児か、美城にとっての頭痛の種か何かであったのだろう。 「いえいえ、問題はありません」 「そ、そうですか。それでは、中の方をご案内――」  其処まで言った時であった。 背後から明白に、美城を呼ぶ男の声が聞こえて来たのは。美城がその方向に顔を振り向かせるのと同時に、結城もつられてその方向に身体を向けてしまう。 果たして、其処には一人の西欧系の男性がいた。ネクタイ代わりにリボンを首元に巻き、濃いブラウンのスーツを身に纏った、一目見て紳士と解る男であった。 かけた眼鏡の奥の瞳に宿る光が知性的なこの男は、そう。ムスカその人であった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  ムスカもまた、予定の時刻を大幅にオーバーして、346プロに到着した一人だった。 いざホテルから出よう、と言う段になり、フロントに設置された大型の液晶テレビが流していた、緊急速報。 それに、目が止まったのである。そして同時に、驚愕の表情も浮かべた。当たり前だ、こんな早々に、大規模と言うべきサーヴァント同士の抗争が、 テレビで放映されていたのだから。すぐにムスカは、ホテル地下のタイタス帝の拠点に赴き、これを報告。 事態を重く見たのは、ムスカよりもタイタスだった。タイタスはキャスタークラスとしては破格とも言うべきステータスと、近接戦闘能力の技量を持つ。 故に、相手の実力次第であるとは言え、中途半端な強さの三騎士程度なら、軽くあしらう事がタイタスは可能である。 但し、複数人で襲い掛かられた場合は、話は別になる。況してタイタスのクラスはキャスター。キャスターの陣地や拠点程、残しておいて得のないものはない。 同盟を組んで叩かれる可能性も高いし、タイタスがこれから行おうとしている目的が知られた場合、真っ先に叩かれる可能性があるとすら予測していた。 無論、露見しないように十重二十重の対策は練っているし、アーガデウム顕現の為にムスカ自身を積極的に動かしてもいる。 後は順調に時間が過ぎるのを待つだけ、なのだが、早々に此処まで派手な戦闘が起きたとなると、最早悠長に時間が過ぎるのを待つ、と言う事は出来ない。 最早平等に、戦塵と戦火が降り注ぐ可能性があるのだと言う事を把握、理解したタイタス帝は、今までムスカには働いて貰いつつ、拠点の防御力を向上させる事を決意。 そして同時に、タイタスから離れて一人で行動する事が多いムスカをサーヴァントの害意から守るべく、タイタスはある『魔将』にムスカの護衛を命じた。 このお膳立てに、時間が掛かった。何せその魔将はナムリスとは違い、まだ現世に呼び寄せていない存在であったからだ。『彼』を<新宿>に呼び寄せるのに、一時間ほどの時間が経ってしまった。  現在ムスカから離れた所から、その魔将は彼の動向を逐次見守っている。 その存在は、生前のタイタスと関わりを持っていた魔将の中では最も強い者であり、始祖帝が王位を獲得する遥か以前から彼に従って来た親友にして忠臣。 そして、世界中の英雄譚や神話の中に語られているような、竜殺しを成し遂げた英雄でもある。 それ故に気位が高く、気難しい性格の為、滅多にムスカの方に自発的にコミュニケーションを取ろうとしない。 どこか見えない所から、ムスカの事は見ている。少なくとも、美城や結城からは見えない所で。 「これはこれは、ムスカさん」  と言って美城は、気難しそうな顔つきを、営業用のスマイルに即座に返事させて、ムスカと呼ばれた男に声を掛けた。 あれだけオフィスビルでは嫌悪の念を示していたのに、実際に顔を合わせるとなると、業務用の笑みの刻まれた仮面を被る。やはり、この女性は中々の食わせ物らしい。 「結城様、此方が先程話された……」 「あぁ、この方が」  心中で結城は、この言葉の後、「アイドルを食い物にしようとしてる変態か」と続けた事は、言うまでもない。 「美城さん、そちらの紳士は、何方ですかな?」  と言ってムスカが、結城の方に目線を投げ掛けた。瞳の奥で、此方を疑うような光が静かに輝いている。ただの馬鹿ではないらしいと、結城は察した。 「此方は、我が346プロに新たに資金を融資して下さる、結城美知夫様です」 「結城です。評判の方は、美城様から伺っております。優れた作詞と作曲活動をなさる、と」 「ははは、齧った程度の文学と、道楽で世界中を旅した経験が、首の皮一枚で繋がっただけですよ」  美城の目には、さぞや厭味ったらしい謙遜に映った事であろう。 だが、ムスカとしては、自分が作詞作曲した……と『される』、アルケア帝国についての詩歌の事を聞かれる度に、ハラハラするのである。 そもそも、フレデリカに提供される歌詞の全ては、タイタス一世が手ずから仕上げた物なのである。 一世はそもそも、大帝国を裸一貫、徒手空拳で創り上げた建国者にして大王であると同時に、人間に様々な技術や文明を与えた文化英雄としての側面も持つ。 その文化の中には、文学や音楽と言ったものも含まれており、彼はそう言った詩歌を紡ぐ才能にも優れていたらしく、白く輝く毛並みを持った美しい白鹿を、 素晴らしい笛の音で油断させきった所を、首を刎ねて殺したと言う伝承すらある程だ。  ムスカが、メディアを通じてアーガデウム顕現の布石を打つと上奏した時、タイタスは自ら、アイドルに歌わせる歌を作詞作曲し、 これをムスカに下賜したのである。346プロの面々は、フレデリカが歌っている歌は、ムスカが考えた物だと誤認しているのだが、実際にはその大本は一世なのだ。 346プロの関係者に何時、「即興で作詞作曲してみて下さい」と言われるか、内心でムスカはかなりドキドキしていた。 出来る訳がない。文学の才能や世界中を旅した経験があると言う事実はある程度は本当だが、文学を作る才能ともなると、ムスカは門外漢の人物だ。 要するに、タイタスが作った詩歌を自分が作ったと主張しているのだ。その才能を今此処で示して見せろと、今の今まで問われなかった事自体が、不思議でならない。 「ところで、結城さんは346プロダクション様に融資をされた、と言うらしいですが……」 「346プロダクション様程の資産とその運用能力、お客様である美城様の経営ヴィジョンが素晴らしい物だった、と言うのもそうですが……。若い女の子の夢を叶えさせてあげたい、と言うその心意気に口説かれましてね。フフ、ポンと融資してしまいましたよ。おっと、私が助平だとかそう言うのではないですよ?」 「ははは、面白い冗談を言うじゃあないか」  と、実に快活そうな笑みを浮かべるムスカであったが、内心では限りなく目の前の結城と言う男を嘲ると同時に、憐れんでやっていた。 恐らくこのプロダクションは、後数時間のうちに、破産寸前か、倒産にすら追い込まれる程の未曾有の大虐殺に巻き込まれる事を、結城も美城も知らない。 後数時間で、黒礼服のバーサーカーに扮したタイタス十世が、ライブに乱入し、其処に存在する観客やアイドルを殺し尽す事になっているのだ。 そんな事を予測するなど、NPC達は愚か、聖杯戦争参加者でも不可能だろう。そう言った意味で、ムスカは結城の事を憐れんでいた。 今の346プロは、砂上の楼閣。泥の上に建つレンガの塔だ。何時崩れてもおかしくない状態のそんな企業に大金を融資するとは、何とも間の悪い男であった。 ……尤も結城としては、融資した三億円が回収出来ようが出来まいが、如何でも良い事なのだが。そんな心境を、ムスカが読み取れる筈などなく。 「ところで、ムスカ様。フレデリカさん、と言う少女に歌詞等のアイデアを供給していると御伺いしたのですが、一体如何なる理由で?」 「元々私自身、フランスの出でね。彼女の母親は、フランスでも名家の御令嬢で有名なのだよ。最も、フレデリカ嬢の御母上は、私の事など知る由もないだろうが。兎に角、そんな彼女の娘さんが、アイドルとしてデビューしていると言うではないか。同じ国を母とする者として、何かサポートをしてやらねばと思いましてね」  無論これは、全て嘘である。フレデリカと接触する前に、予めムスカが練り上げた嘘八百の作り話だ。 とは言え、整合性も取れているし、何処か引っかかる要素もない。精々疑われる事があるとすれば、フレデリカの助けになりたいのではなく、 フレデリカの母親の名家と繋がりを持ちたいと言う下心のある男、程度であろう。無論それも織り込み済みだ。肝心なのは、聖杯戦争の参加者だと疑われない事。 果たして誰が、今のムスカの口上を聞き、ムスカが聖杯戦争の参加者だと疑えようか。  確かに、並のNPCや参加者であれば、今の嘘で騙し果せたかも知れない。 ムスカにとって最大の誤算があったとすれば、彼がただの金貸しだと思っている結城美知夫がその実、『枕』で政財界にパイプを繋いだ、二重の意味でのやり手であった事だろう。  ――後で動かしてみるかな――  結城は頭もキレるし、行動力もある。今のムスカの証言で、彼への疑いが払拭出来ていたかと言えば、全く出来ていない。 結城はムスカをまだ疑っていた。自らの肉体を用いた接待でコネクションを得た、数々の有識者や有力者を動かし、この男の素性を調べる必要がある。 これでもなお、何の疑いもなければ、ムスカは確かに白なのたが……。人並み優れた演技力や、それを看破出来る瞳を持った結城は、高い確率で裏を調べれば、 ムスカなる男が白ではあり得ないだろうと考えていた。この男は現時点では黒とも言い難いが、しかし同時に、完璧な白でもなかった。黒寄りのグレー。それが、今のムスカの立ち位置であった。 「……所で、ムスカ様は今回如何なる御用向きで此方に?」  と、結城が訊ねると 「美城さんからお話を伺っているとは思いますが、私の提供した歌詞を歌ってくれる、フレデリカ嬢が主役になるコンサートなのでね。少し融通を効かせて、特等席で見させて欲しいと言う打診と、諸々の御話しをプロデューサー君に通しておこうと思いましてね」  これについても特に、疑うに足る要素はないだろう。 だが、この男が聖杯戦争に何らかの形で関わっているのではないかと思い始めている結城は、別の事を考えていた。 そもそもこの男は、何が目的で346プロに関わっているのか。ただの利益を掠め取りたいハイエナと言うのであればそれまでだが、直感が、違うのではないかと告げている。 告げてはいるが、それ以上の証拠はない。やはり後で、自分が動かせる有力者から情報を掻き集める必要があるだろう。 「実は私も、融資をした者の特権として、フレデリカさんのライブを特別に見させて貰う事になっているのですよ」 「ほう、それは幸運な!! 私の作った歌詞は、それはそれはお恥ずかしい物ですが、彼女の歌声は、きっと貴方の心にも響くと思いますよ」 「ハハハ、それは楽しみですなぁ」  燃えるような太陽が、純潔そのもののような、雲一つない青空に浮かんでいる。 全ての邪悪や猥雑な下心を灼き祓うようなその光の下で、二人の男は、如何にも紳士然とした態度と立ち居振る舞いで当たり障りのない会話を繰り広げていた。 二人は邪悪だった。腹に小刀を隠し持った曲者だった。自分以外の全てがどうなっても良いと考えている、我儘な子供だった。 この状況の本質が、蛇の格好をした道化が、互いに化かし合っていると言う事実を、まだ、誰も知らない。 ---- 【高田馬場、百人町方面(346プロダクション)/1日目 午前9:30】 【結城美知夫@MW】 [状態]いずれ死に至る病 [令呪]残り三画 [契約者の鍵]有 [装備]銀行員の服装 [道具] [所持金]とても多い [思考・状況] 基本行動方針:聖杯戦争に勝利し、人類の歴史に幕を下ろす。 0.とにかく楽しむ。賀来神父@MWのNPCには自分からは会わない。 1.<新宿>の有力者およびその関係者を誘惑し、情報源とする。 2.銀行で普通に働く。 [備考] ・新宿のあちこちに拠点となる場所を用意しており、マスター・サーヴァントの情報を集めています(場所の詳細は、後続の書き手様にお任せ致します) ・新宿の有力者やその子弟と肉体関係を結び、メッロメロにして情報源として利用しています。(相手の詳細は、後続の書き手様にお任せ致します) ・肉体関係を結んだ相手との夜の関係(相手が男性の場合も)は概ね紳士的に結んでおり、情事中に殺傷したNPCはまだ存在しません。 ・遠坂凛の主従とセリュー・ユビキタスの主従が聖杯戦争の参加者だと理解しました。 ・346プロダクション(@アイドルマスター シンデレラガールズ)に億の金を融資しました。 ・宮本フレデリカがチューナーである事を知っています。 ・ムスカと接触、高い確率で彼が聖杯戦争に何らかの形で関わっているのではと疑っています。 【ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ@天空の城ラピュタ】 [状態]得意の絶頂、勝利への絶対的確信 [令呪]残り二画 [契約者の鍵]有 [装備]普段着 [道具] [所持金]とても多い [思考・状況] 基本行動方針:世界の王となる。 0.アルケア帝国の情報を流布し、アーガデウムを完成させる。 1.本日、市ヶ谷方面で行われる生中継の音楽イベントにタイタス十世を突撃させて現場にいる者を皆殺しにし、その様子をライブで新宿に流す。 2.タイタス一世への揺るぎない信頼。だが所詮は道具に過ぎんよ! [備考] ・美術品、骨董品を売りさばく運動に加え、アイドルのNPC(宮本フレデリカ@アイドルマスター シンデレラガールズ)を利用して歌と踊りによるアルケア幻想の流布を行っています。 ・タイタス十世は黒贄礼太郎の姿を模倣しています。模倣元及び万全の十世より能力・霊格は落ち、サーヴァントに換算すれば以下のステータスに相当します。 ・一日目の市ヶ谷方面の何処かで生中継の音楽イベントが行われます。(時間・場所の詳細は、後続の書き手様にお任せ致します) ・遠坂凛の主従とセリュー・ユビキタスの主従が聖杯戦争の参加者だと理解しました。 ・結城美知夫とコンタクトを取りました ・黒贄礼太郎に扮させた十世は、後述の魔将に託しています。 ・現在ある魔将が、ムスカの近辺防衛を行っています。 ---- ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  撮影、或いはステージ本番直前の芸能人の過ごし方は様々だ。 時間まで楽屋で眠って過ごす者もいれば、穴が開く程見て来た台本をもう一度確認して見たり、或いはもう全てをやり尽くしたので時間まで身体を休めるなど。 大舞台を控えた歌手や俳優、役者にこそ、その当人の生の姿が拝めると言っても過言ではない。舞台に上がる芸能人は皆、テレビに向けた仮面を被っている。 その仮面を剥いだその下の顔こそが、その芸能人のある種の素であり、そして、本当の姿であるのだから。そしてそれは、生を映すその通りの鏡である。  346プロダクションのアイドル部門に所属する女性達の過ごし方も、種々様々だ。 リラックスして過ごしたり、本を読んで安定を図ったり、もう一度台本を読んだり踊りのリハーサルを行ってみたり、 酒を飲もうとして周りに止められたり、サイキックと称してスプーン曲げをやろうとして全然曲げられなかったり、後なんかドーナッツとか食ってたり。此処でも過ごし方は、十人十色だった。  魔震復興からニ十周年と言う節目に行う、346プロ主導の盛大なライブイベントに参加する事になっているアイドル達は、 プレッシャーの感じ方の差異こそあれど、その殆どが緊張状態と言っても良かった。理由は無論言うまでもない、そのライブイベント自体が問題なのだ。 参加するアイドル達の中には、大なり小なりの『ハコ』を借りて、ライブ等のイベントを行い、場数を踏んで来た者も、確かにいる。 だが、今回参加するアイドル達の殆どは、今回程大きなイベントを体験した事はない。 魔震復興からキリの良い数字に年に行う盛大なイベントであるだけに、各種キー局や芸能プロダクションが注目しているだけでなく、 観客動員数も、346プロが本気を出した為に相当数来る事が理解している。そして何よりも、このイベントを成功させた暁には、シンデレラプロジェクトは、 UVM社の台頭を一気に崩しかねない程の勢力になるかもしれない、と言う展望自体が、緊張の種となっていた。 大勝する可能性があると言う事は同時に、大敗する可能性も高いと言う事を意味する。今回のイベントでしくじれば、間違いなくシンデレラプロジェクトは痛手を喰う。それが解っているからこそ、皆は、気が気でない状態なのだ。  特に、プロジェクトクローネの面々など、今回の顔とも言えるグループである為、余計に緊張感が凄まじい。 真面目な性格をした鷺沢文香や橘ありす、アナスタシアの三人や、渋谷凛、神谷奈緒、北条加蓮のトライアドプリムスのメンバー達も勿論の事、 普段は緩く活動している塩見周子や大槻唯、果てはリーダー格の速水奏も。等しく、今回ばかりは緊張の面持ちを隠せていなかった。 気負い易く張り切りがちなありすは、疲労が残らない程度に本番時の動きをシャドーしているが、後数時間でスタートと言う現実からが、動きが固い。 書痴の気が強かった鷺沢は、最近フレデリカが歌っている歌に触発されてか、アルケア帝国の英雄について記された書物である『廃都物語』を読んではいるが、 如何にも泳ぎがちな目を見るに、内容は頭の中に入っていないだろう。大槻も塩見も、一見すれば落ち着いた様子を見せてはいるが、 普段のキャラクターが緩くて喋りたがりで通っている二人が落ち着いていると言うのは、今回のライブの重大性を認識している証でもあった。 トライアドプリムスとして場数を踏んで来た凛や奈緒、加蓮、LOVE LAIKAの片割れとして同じく数をこなしたアナスタシア、そして、クローネのまとめ役である奏も。 めいめいが、台本を読んでいたり、スマートフォンを弄っていたり、或いはただ座って落ち着いていたりとしているが、やはり、瞳から感じられる感情が普段と違う。  これが本当に、日本有数の芸能プロダクションのアイドル部門の中でも、指折りと言っても過言ではない実力を誇るアイドルユニットの、 本番前の姿なのかと疑いたくもなろう。年相応の少女達が発散させる、騒がしくも華やかな雰囲気が欠片も感じられない。 絶対にしくじれないと言う緊張感から、レッスンルームは、まるで通夜の様に静まり返っていた。 誰かが、思った。「こんなテンションで、本当にライブに成功するんだろうか」、と。その一人が思った事が、皆に伝播して行く。 感情は、伝わる。水面に落とした小石が落とした波紋のように。糸で牽引される人形のように。咳で風邪が移るように。  ――そんな空気を根底からひっくり返し、ナノマイクロレベルにぶち壊すように、レッスンルームに存在しなかった最後のメンバーにして、 今回のライブイベントの実質的な主役とも言える少女が、部屋にやって来た。勢いよくドアを開け、今日のライブなど何処吹く風、と言ったような様子で 「ボヌニュ~~~~イ!! クローネの皆さん!!」  皆が一様に、レッスンルームに突如現れた闖入者。 プロジェクトクローネの一員にして、今回のライブの大トリをピンで飾る主役、フランス人の母親譲りの金髪が眩しい少女、宮本フレデリカの方に顔を向けた。 なお余談であるが、ボヌ・ニュイ、Bonne nuitとは、フランス語でおやすみなさいの意味である。 「お~っとととありすちゃーん、元気?」  今の今まで、曲中の動きのシャドーをやっていたありすであったが、唐突なフレデリカの入室にビクッと身体を硬直させてしまった。 それに目を付けたフレデリカは、フンフンといつもの鼻歌を口ずさみながら、ありすの方へと近付いて行く。 「げ、元気かと言われれば、何も支障はないですが……と言うより、緩すぎですよフレデリカさん!! もうすぐ本番ですよ!?」 「ん~? 緊張してるよりはリラックスしてた方が、気が楽だよあ~りすちゃん」 「名字の方で呼んで下さい名字の方で!!」 「ままま、良いじゃん良いじゃん。あそうだ、緊張をほぐす方法知りたい? 知りたいでしょ。しょうがないなーありすちゃんは」  頭の中に思い浮かんだ言葉を、感情の赴くがままに口に出しているとは思えない程のマシンガン・トーク。この適当で弛緩した雰囲気は、正しく、平時の宮本フレデリカその人であった。 「そんじゃありすちゃん、手を出して」 「……人、って書いて呑み込むあれですか?」 「おぉ、物知り~ありすちゃん。そうそう、あれをやるんだけどさ、ほら? 私フランス人っぽいキャラでしょ? だからフランス語で書いてあげる」 「っぽいと言うか、アンタまんまフランス人とのハーフじゃん……」  一人だけ別の星からやって来たとしか思えない程のハイテンションを維持するフレデリカを見て、呆れたように口にするのは奈緒であった。 ありすの方は、これは手を出さないと次のステップに進まないな、と観念し、普通に右掌を差し出した。 白く嫋やかなその手を見て、フンフン、とフレデリカが一人で納得する。 「良い手相だね」 「書くんじゃないんですか?」 「あっははは、フレンチジョークフレンチジョーク。それじゃ書くね。鉛筆で良い?」 「指です!!」  「解ってるって解ってるって」、そう言ってフレデリカは、ありすの右掌に人差し指で文字を書いて行く。  「はい、どうだ!!」 「……私の気のせいでなければ、Humanって書いた気がするんですが」 「あ、凄いありすちゃん。小学生なのに良く解ったね、ひょっとしてTOEIC100点取っちゃったりする?」 「あ、あの……フレデリカさん……。あのテストは990点満点ですから、その点数は……凄く低いです」  遠慮気味に突っ込む鷺沢。後ろで、「と言うか今時の小学生だったらその程度の英単語位は……」、とひそひそ会話するのは、凛と加蓮が会話していた。 「……ぷっ、あは、あはははは!!」  一連の流れを見て、今まで茫然状態だった唯が笑い始め、吊られて、周子の方も笑い出す。 「あ~、何かばっかみたい☆ 絶対失敗出来ないライブだからって、緊張し過ぎだよ唯達はさ☆」 「そうそう、気負い過ぎだよあたし達。要するにさ、人が沢山見てる所で、リハーサルをやれば良いだけなんだよ本番って。いつも練習してる事を、練習通りに人前でやれば良い。変に緊張してたら、余計にミスっちゃうでしょ」  そう言って唯と周子は、今まで自分達が如何に、失敗出来ないライブと言う巨大な壁に怯えていたのか、と言う事を語り始めた。 本番までもう時間がないと言うのに、いつも通りのテンションのフレデリカを見て、彼女らも悟ったのだ。 ライブとリハーサルの違いなど、人が見ているか否かでしかない。リハーサルではミスなく、完璧に出来るのなら、人前で同じ事をやって失敗する訳がない。 後は、気の持ちようだろう。テレビ放映がある、日本のみならず世界のプロダクションも注目している。その事実に、委縮し過ぎた。 人がいる前で、リハーサルでいつもやっていた事を恙なくやって行けば良い。所詮、その程度に過ぎないのだ。 「……確かにそうかもね。変に肩筋張ってたら、出来るものも出来にくくなるし」  凛がそう言うと、加蓮やアナスタシアの方も首を縦に振る。 「ふふ、何か皆、素のキャラクターに戻って、緊張感が吹っ飛んじゃったわね。でも、これ位の心持ちの方が、かえってやり易いのは確かね」 「か、奏さん達がそう言うのなら……たまにはフレデリカさんも良い事をしますね。ね、鷺沢さん」 「え!? 私は、フレデリカさんは何時もムードに寄与してると思ってると……」 「ちょっと文香ちゃ~ん? 声がすっごい疑問気なんだけど?」  と言うフレデリカ。漸く皆が、クローネとしての仮面を被っている時の彼女らでない。 クローネと言うペルソナを剥いだ時の、素にして生の姿が戻って来た。後は、この精神的な安定感を維持したまま、クローネとしての姿を演じ、ライブを成功させるだけだ。 「リハーサル中何度も確認し合った事だから、もう今更って感じがしないでもないけど、やっぱ、やっておきたいから言うわね」  奏が、すぅ、と一息吸ってから、心の中に浮かんできた言葉を、口にし始めた。 「絶対、成功させるわよ!!」  アイドル全員が、威勢よく返事をした。 「うん」だったり、「はい」、だったり、一人だけ「ちゃーっす!!」だったり。返し方こそ種々様々だが、皆、ライブを成功させると言う決意だけは本物だった。 それを見て、フフン、と言った感じの笑みを浮かべるフレデリカだったが、突如、親の訃報でも聞かされたような真顔に表情を変え、そしてすぐに、痛みに苦しむような顔に成り始めた。 「……? シトー、如何しましたかフレデリカ? 顔色が優れないようですが」  真っ先に異変に気付いたのは、アナスタシアの方だ。 彼女の言葉を疑問に覚え、皆がフレデリカの方に顔を向けると、クローネの雰囲気を盛り上げた立役者は、腹に刀でも突き差されたように、顔を苦悶に歪めさせていた。 「ど、どうしたのフレデリカ? 体調が悪いの?」  訊ねる加蓮に対しフレデリカは。 「う、ううん大丈夫大丈夫!! ちょっとお腹が痛くなっただけだから、陣痛かな?」 「いやいやいや、駄目だろそれは!!」  真っ先に突っ込んだのは奈緒である。この歳のアイドルが妊娠は、それはもう、駄目だ。 「ねぇフレデリカ、本当に大丈夫なの? ひょっとして、その右腕の包帯から、痛みが来るんじゃ……」 「ほ、本当に大丈夫だから凛ちゃん!! この包帯は……そう、アレだよアレ!! 蘭子ちゃんや飛鳥ちゃんリスペクト!! ……でもちょっと、お腹痛いから、トイレ行ってるね!!」  「心配ないからホントホント!!」、その言葉がレッスンルームから廊下の方にフェードアウトして行く。 後には、キョトンとした表情を浮かべる、クローネの面々が遺される体となった。  ――一人として、今のフレデリカの言葉と強がりが真実だと、信じているアイドルはいなかった。 だって彼女が去り際に見せた表情は、今にも泣き出しそうなそれであったからだ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  あの白衣の女に、実験と称されて変なアンプルのような物を打ちこまれてから、一週間以上は経過しただろうか? 日に日に、餓えが強くなっていく。グラノーラシリアルを丸々平らげても、少ししかお腹が膨れない。お惣菜をこれでもかと食べても、結果は同じ。 体重が一日で二kgも増えるのではと思う程の量を食べても、体重にも体型にも、全く影響が出ない。つまり、何を食べても、飢えが満たされない。  何時からだろう。 人を見て、『美味しそう』だと思うようになったのは。そして、それに抗おうとする度に、全身が切り刻まれるような強い餓えに襲われるようになったのは。 それを抑えるのに、フレデリカは必死だった。此処最近は、プロダクションのアイドルを見る度に、強すぎる飢餓が彼女を苛む。  ――美味しそうだった。 ありすは、身体全部が美味しそうだった。鷺沢は、胸が柔らかくて、食べごたえがありそうだ。 アナスタシアは、雪国生まれのシミ一つない白い肌を舐めまわして剥いであげたい程に、食欲を喚起させる。 凛の内臓は、どんな味がするのか。奈緒の腸は? 加蓮は元々病弱だったと言うが、それが味に影響してないだろうか? 奏は手足が美味しそうだった。唯は飴ばかり舐めているから、ほのかに肉も甘い味がするのか? いや、そうしたら周子の方も――  おぞましい考えが、フレデリカの脳裏を過って行く。 胃液が喉から逆流して行くのを、必死に抑える。水洗金具を弾みでぐっと握る。果たして、誰が信じられようか。 見るからにか弱そうなフレデリカの握力で、金具が捩じ切れたのだ。それについても、驚く様な素振りを彼女は見せない。 アンプルを打ちこまれてから、ずっとこんな感じだった。本気で握れば、コップが砕ける、コンクリートの壁を殴れば、その部位が凹む。 今の彼女は、人喰いの衝動と引きかえに、人智を逸した身体能力を誇るようになった、怪物であった。  何を食べても、美味しいと感じられなくなったし、どんな料理の映像や画像を見ても、食欲を刺激されなくなった。 <新宿>を行き交う人。人を見て、フレデリカは美味しそうだと思うようになり始めた。怖い。日に日にその衝動が強くなって行く。 飢餓を抑えれば抑える程、其処らを行き交う人間が、ずっと魅力的に、美味しそうに見えて来るのだ。 「やだ……怖いよ……助けて……」  普段のフレデリカからは、想像もつかない程の弱気のトーンでそんな言葉を吐き出した。言葉と一緒に、吐瀉すらしかねない程の、消耗ぶりだ。 レッスンルームでは、必死にあの場にいたメンバーを励まし、そのテンションの向上に寄与した。 自分があのテンションでなければ、フレデリカは完全に崩れてしまいそうだったからだ。これが――今のフレデリカの、生の姿だった。 無理やりにでも元気を装わねば、人喰いの衝動に呑まれかねない。何時如何なる時、人間の身体を貪らないか、今の彼女ですら解らなかった。  控室に置いてあった自分鞄を急いで持って来たままトイレに籠ったフレデリカは、そのチャックを勢いよく開け、中からある物を取り出した。 鶏のもも肉だった。無論、調理されていない。生のままのそれだ。これを彼女は無理やり口へと持って行き、それを齧り出したのだ。 今の彼女は、生の鳥どころか、焼かねば中の寄生中のせいで到底食べられない豚肉すら、食べても大丈夫な身体になっていた。 急いでそれを咀嚼し、彼女はそれを呑み込む。もう、生肉を食べて餓えを凌ぐ、と言う手段すら、余り通用しなくなっていっている。 「今日、今日を凌いだら……」  休もう。志希ちゃんみたいに休む時間を美城常務に申請して、メフィスト病院って所で治療して貰おう。  その為には、先ずライブを終わらせる必要がある。ライブは成功させる、クローネの皆と、笑顔で最高のライブを迎えたい。 絶対に、失敗は出来ない。だから――だから。 「神様……お願いします、私を……私を……」  救って下さい。掠れるような小声で、フレデリカは呟く。捩じ切れた水道金具を握り締め、フレデリカは涙を流し祈った。 彼女は知らない。この<新宿>には、救う神もいなければ、祈る神もいない魔都になってしまった事を。 彼女はもう、アートマを抱えたまま、夜を迎え、昼を迎え。そしてまた、夜を迎えるしかない。 彼女がその事実を知る事は、永遠に、ない。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆        クーム・ルーム・ディーム クーム・ルーム・ディーム      七つの命のクーム・ルーム・ディーム      一人で旅立つクーム・ルーム・ディーム 二又道で迷っていたら      三つの国の 王様が来て 四ツ目の竜を 倒せと言った      五つの門をくぐり抜け 六年がかりで探しだし 七度死んで竜を倒した      クーム・ルーム・ディーム クーム・ルーム・ディーム      七つの命のクーム・ルーム・ディーム ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  誰も知らぬ暗がりで、その大男は<新宿>の闇を堪能していた。此処は、アーガデウムが辺境の田舎としか思えない程、発展した街だった。 大量に行き交う人々。露天商がどの道にもおらず物を運ぶ馬車すら存在しないのに、確かに流通している大量の物資。そして、人々の活気。 全てが、アーガデウムとは比較にならない。そんな所に、男はいた。そして、死と言う安寧すらも奪われたのだと、半ば諦めていた。  自分を呼びだしたあの男が、嘗て同じ釜の飯を食い、同じ杯の酒を回して呑んで。 一角獣を仕留めた事を喜び合い、黄金樹の立ち並ぶ河縁を歩いた男とは、別の男である事は理解している。 理解していても、魔将としての宿命が、彼への反逆を許さない。自らを始祖帝と称するあの男は、大男が認めてるタイタス一世とは、全く別の存在である。 それなのに彼に犯行が出来ないのは、全く別の存在であるのに、彼もまたタイタスの影であるからに他ならない。 故に、魂と、その在り方を縛られている。あの男の理想に殉じ、魔将になった事に悔いはない。 だが、大男が嘗て無二の友と認め、嘗ての崇高な理想から既に乖離を始めたあの男は、既にタイタスではなかった。  そんな男に魂を縛られた生前。自らの宿命を御子が漸く断ち切り、魔将の全員が死と言う安息を得られたのに。 今また、彼らはその魂と肉体を縛られ、タイタスの傀儡となっている。これが宿命(さだめ)であるか。大男は、自らの境遇を嘆きつつも、最早どうにもならないのだと、諦めていた。 「……お前もまた、奴に囚われたるか」  護衛を行うようタイタスから命令された、ムスカと呼ばれる男を思いながら、最強の魔将は口にした。 お前の行く道は破滅だと、助言したくともそれが出来ずにいた。タイタスの魔術の為だ。  擦り切れた黒灰色のローブから覗く、鷹の如く鋭い瞳には、憂いの輝きが悲しげに沈んでいた。 鬼神の如き強さを誇る魔将、『ク・ルーム』は、この星の大気の底で、自らの滅ぶその時の到来を、待ち望んでいるのだった。 ---- 【高田馬場、百人町方面(346プロダクション)/1日目 午前9:30】 【宮本フレデリカ@アイドルマスター シンデレラガールズ】 [状態]精神的疲労(極大)、飢餓(極大)、チューナー [装備]クローネのアイドル衣装 [道具] [所持金] [思考・状況] [備考] ・ジェナの手によりチューナーにさせられています。アートマは、右腕の半ばに巻かれた包帯に隠されています。 ・変身出来る悪魔は[検閲]です。 【高田馬場、百人町方面(???)/1日目 午前9:30】 【魔将ク・ルーム@Ruina -廃都の物語-】 [状態]健康、憂鬱 [装備]二振りの大剣、準宝具・魔将の外衣(真) [道具]タイタス十世@Ruina -廃都の物語- [所持金]とても多い [思考・状況] 基本行動方針:タイタスの為に動く 1.ムスカの護衛 2.道具である十世を守り抜く [備考] ・タイタスにより召喚された、魔将です。サーヴァントに換算すれば以下のステータスに相当します。 【クラス:セイバー 筋力A 耐久B 敏捷B 魔力A 幸運E- スキル:勇猛:C 対魔力:C 戦闘続行:EX 異形:A 心眼:C 】 ・準宝具の魔将の外衣は、Cランク相当の対魔力を付与させると同時に、『7回までは死んでも即座に復活出来る』と言う効果を持ちます。 ・タイタス十世は黒贄礼太郎の姿を模倣しています。模倣元及び万全の十世より能力・霊格は落ち、サーヴァントに換算すれば以下のステータスに相当します。 【クラス:バーサーカー 筋力D+ 耐久E 敏捷C 魔力D 幸運E- スキル:狂化:E+ 戦闘続行:E 変化:- 精神汚染:A- 呪わし血脈:EX】 ※十世を直接的、間接的問わず視認すると、NPC・聖杯戦争の参加者に幸運判定が行われ、失敗するとアルケアの想念が脳裏に刻まれます。(実害は皆無だが、アルケアの夢を見るようになる) **時系列順 Back:[[満たされるヒュギエイア]] Next:[[仮面忍法帖]] **投下順 Back:[[太だ盛んなれば守り難し]] Next:[[ワイルドハント]] |CENTER:←Back|CENTER:Character name|CENTER:Next→| |15:[[夢は空に 空は現に]]|CENTER:結城美知夫|| |15:[[夢は空に 空は現に]]|CENTER:ムスカ|| ----
「なるほど、お話の方はよく理解出来ました」  十代の若々しい、大人と子供の中間に位置する様な青年らしい声音かと言われれば、そうでもなく。 かと言って、酸いも甘いもかみ分けた三十~四十代の落ち着いた声音かとも問われれば、そうとも言えず。 二十代の、青年らしい声音からは既に脱却し、大人らしい落ち着きを漸く得始めた、とも言うべき。そんな男の声が、ミーティングルームに響き渡った。 良く通る上に、何処となくセクシーさと言うものを感じ取れる良い声だった。本人がその気になれば、舞台声優としても通じる程の魅力的な声であろう。 だが現実は違った。男の選んだ仕事は、日本に於いて知らない社会人などいないと言っても間違いない程の超大手銀行の銀行マン、しかも男は、 数千を超す程の従業人の中のほんの一つまみとも言うべき、超が付く程のエリートだった。 「貴社の中の一部門である、アイドル部門をより世間的に認知させ、そして、社全体の業績を伸ばそうと言うプロジェクト。その遂行の為に、三億の融資が必要である、と」 「その通りです」  男の言葉に対してそう答えたのは、妙齢の女性であった。 もう華の二十代は過ぎたと言うべき年齢である事が、立ち居振る舞いからも窺える。着こなすスーツが、とても凛々しい。 大学を卒業したての女性では、醸し出せない空気だった。だがそれでも、日々摂生に努めた生活を、忙しい合間を縫って何とかこなしているのだろう。 化粧をしていると言う事実を差し引いても、彼女の肌は二十代後半の張りを未だキープしており、顔つきも、三十路を越えた年齢であると言うのにとても若々しい。 その厳しそうな顔つきと声音、そして身体から発散される風格は、一流企業に勤めるOLと言うよりは寧ろ、新進気鋭の企業の女社長とも言うべきものであった、  一方で、女性の眼前で、ミーティング・デスクの適当な一席に座るのは、なまめかしい黒色の、如何にも名の立つテーラーに仕立てて貰ったスーツを着こなす男だった。 サラリーマンの道を志して居なければ、きっと俳優にでもなれたであろう程の整った顔立ちをした男で、腕に巻いたロレックスと、 勝ち組の特権だと言わんばかりに履きこなすジョンロブが、この男をただのサラリーマンでないと言う事を雄弁に物語っていた。 男は――結城美知夫は、<新宿>は当然の事、日本全国津々浦々、果ては海を越えて外国にすらも支店を持つ、某有名メガバンク。その<新宿>支店の貸付主任であるのだ。  三億円である。事業融資の額としては、珍しくない。 それどころか、結城程の銀行マンであれば、億の金など毎日の様に右から左へと動かしている。三億など、ポンと貸してやる事だって、ある。 だがそれは、誰の目から見ても実績と信頼が確かな大企業である、と言う場合に限る。 実際には最近のメガバンクは従来通り大企業、或いは中小企業への融資を主としており、特に中小企業など、余程優れた業績やここ数年の決算、そして、 融資係を口説き落とせる見事なプレゼン力がなければ、先ず融資は受けられない。当たり前だが銀行は慈善活動で金を貸している訳ではない。 利子を設定し、本来設定した貸付金の額+利子で利益を上げる組織である。当然、貸し付けた本来の額が回収出来ねば、当然赤字であり、貸した融資係は大目玉だ。 況してや三億円など、到底回収出来ませんでしたで済まされる金額ではない。少しのミスで、エリートが窓際族にまで転落するのが当たり前なのがメガバンクだ。 それに相談者が推し進めようとしているプロジェクトは、いわば新しい芸能分野の開拓だ。先行きが見通せず、時の運次第でどうとでも転がる計画の為、真っ当な銀行マンであれば、いわゆる『貸し渋り』をしてしまう事であろう。  これが、弱小の芸能事務所やプロダクションであれば、結城は貸す気など微塵も起こさなかっただろう。 だが、相談された先の企業が、あの『346プロダクション』と言う事実が、結城に熟考の時間を余儀なくさせた。 346プロと言えば、国内の芸能プロダクションの大手とも言うべき事務所の一つである。 本社は<新宿>に構えられており、<魔震>前から存在した歴史あるプロダクションである。一時は<魔震>の影響で操業停止寸前にまで追い込まれるも、 当時所属していた俳優や歌手の頑張りや、当時の幹部首脳陣の精力的な指揮能力で、見事<魔震>前以上の地位を獲得するにまで成長した、強い企業だ。 芸能事務所の中では、間違いなく大手と呼んでも差し支えのない団体であった事だろう。但し、此処<新宿>での346プロの地位は、現在二位だ。一位から転落していた。 近年、悪魔的な手腕で急速にその版図を広げさせている、旧フジテレビ本社と同じ位置に、巨大なタワーと言う形の社屋を構える、日本最大のレコード社。 通称、UVM社の超が付く程の大躍進により、346は当然の事、日本中の音楽・芸能プロダクションはその頭を抑えられる形になっていた。  UVMだけが一強と言う訳ではないが、それでも、天を貫くバベルの塔のような本社を持つあの会社の牙城は、驚く程堅固だ。 それを突き崩す神の雷を、結城美知夫の顧客(クライアント)となる女性、美城は、アイドル事業に求めたのである。 彼女は言う。極めて悔しい話だが、UVM社が擁する歌手陣の層は、日本所か世界中の全プロダクションの中でも類を見ぬ程分厚く、高レベルだと。 真っ当な歌唱力やプロモーション能力で勝負を仕掛けるのは、無理があると美城、及び346プロは判断。だが手を打たぬ事には、何時までもUVMに頭を垂れ続ける事になる。 そして最近、と言っても此処数ヶ月の話であるが、346プロは、UVMは所謂、アイドル事業が手薄であると言う結論を弾き出したのだ。 手を出していないと言う訳ではないが、それでも、UVMのアイドル事業は、他の部門に比べて業績が奮わないと言うのが現状だった。 此処を狙わぬ手はない。アイドル活動と言うのは、無論歌唱力やダンスの技術も求められるが、それ以上に、年頃の女性が『頑張っている姿』を演出するのが重要である。 これを演出する事で、ファンの庇護欲やエールを送りたいと言う気持ちを助長させる事こそが、肝要なのだ。UVMは、その年頃の少女の活かし方を学んでいなかった。 『女の子の輝く夢を叶えるためのプロジェクト』、と言う御題目を掲げ、美城を含めたプロダクション全体が一丸となって推し進めるこのプロジェクト。 社の人間は、これを『シンデレラプロジェクト』と呼んでいた。シンデレラとは、この世で最も有名かつ理想的なサクセスストーリーだ。成程確かに、女の子の夢を叶える計画の名を冠するに、相応しい。  プロジェクトは今の所順調な経過を見せていたが、それでもやはり、躍進と言う程ではない。 年頃の子供と言うのは、堪え性がない。直に目に見えた成果を欲しがる生き物だ。早い話、直にでも大舞台に上がりたがると言う性を持つ。 美城にしたってそれは同じである。今のままでは、UVMに並ぶまで何年掛かるか。況してや相手は、プロデュース業に掛けては悪魔的な才能を持つブレーンがいるのだ。 つまり、此方のプロジェクトを考察し、自分達も同じようなプロジェクトを立てるかも知れないのである。そうなったら、UVMと346の間には、大きな差が開き、 永久にそれが埋まらなくなる。美城は、これを危惧した。だからこそ、即効的に効果が表れる自身の計画を推し進めようとしたのだ。  その為には、金が入用になる。 だからこその、今の融資相談であった。美城は、上に語ったような事柄を、パワーポイントなどで懇切丁寧に、そして自身の計画の有効性や効率の良さをプレゼン。 経営者、そしてアイドルを導く為の責任者としての目線からも、自分の計画が全く間違いでない事を、結城に今まで説明していたのである。  美城のプレゼンは、畑違いの結城から見ても、素晴らしい物だった。 346プロの業績や決算の良好さ、及び、プロジェクトにかける熱意を主張した上で更に、結城にも解りやすくこのシンデレラプロジェクトについて説明する、 と言う配慮が至る所に成されていた。更に、美城自体の人間性も優れている。プレゼンの最中に結城は、カマかけや試す意味で、 美城のプレゼンをつまらなそうに聞く演技をしていたが、「そんな演技など見飽きた」とでも言わんばかりに、彼女は平時の様子でプレゼンを続けていたのだ。 相当な手練である事が一目で見ても結城には解ったが、想像以上の傑物らしい。並の銀行マンならば、逆に呑まれかねないだろう。  美城の方からは、説明出来る事は全て説明し尽くした。 後はもう、結城からの鶴の一声を待つだけだ。彼が肯じるか、それとも首を横に振るかで、今後が決まると言っても良い。 「……宜しい。融資を致しましょう」  結城はたっぷり十秒程の時間を置いてから、そう言った。 「ありがとうございます」、と平素と変わりない声音と態度で、美城が一礼した。 特に喜んだ様子を見せないのは、この融資は言わばゴールではなく第一歩であり、言わばこの三億が振り込まれる事で、漸くスタートを切ったに等しいのである。 おちおち喜んでなぞいられない、と言うのが美城の本音であるのだろう。つくづく、抜け目のない切れ者だった。  とは言え、そんな美城の態度とは裏腹に、結城は全くリラックスしていた。 緊張した態度を演出しているのは、表面上だけ、内心は全く落ち着き払っている。 346プロダクションならば三億程度の金、自分の腕前なら容易く回収出来ると言う自信もそうであるが――もう一つ。 三億の融資を快諾したのには、上記の自信を上回る絶対の理由があったからに他ならない。 「シンデレラプロジェクト、素晴らしいお名前ではありませんか」  スックと席から立ち上がり、美城と、プロジェクターからスクリーンに投影されるプレゼン画面を交互に見渡しながら、結城は続けた。 「夢見る原石である女の子達を磨き上げ、立派な宝石へと仕立てるプロジェクト。まさに、全ての女性の夢である『シンデレラ』の名に相応しいですな」 「恐縮です」  我ながら、全ての歯が浮いて歯茎からすっぽ抜ける程の営業トークだと冷笑する結城。 無論、今しがた口にした言葉の通りの事など、全く思っていない。本心から、どうでも良いとすら思っている。 優れた社会人である美城なら、結城の歯の浮く台詞など、御見通しであろう。何せ相手は銀行マン。融資金の回収と利息の回収が出来ればそれで良い、禿鷹であるのだ。少女の夢の成就を願う人種の、反対に位置する人間である。 「それでは、お互いの為に、頑張りましょう。美城様」 「えぇ、今後とも、よろしくお願いいたします、結城様」  そう言って二人は互いに近付いて行き、固い握手を交わした。かくて、346プロへの三億円の融資が決定した。 <新宿>での聖杯戦争が開催される、二日前の出来事であった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「聖杯戦争も始まったと言うのに、出勤か。精が出るな」  結城には、果たしてそれが何を意味し、何のバロメーターを表しているのか。 到底理解出来ない計器が無数についた大規模な機械の塊を見上げながら、手に持った資料に時たま目を配らせるジェナ・エンジェルがそんな事を口にした。結城の方には、目もくれない。 「貧乏人とエリート程暇のない人種はないのさ」  ネクタイを巻き終え、腕時計を確認し、時間的にまだ余裕がある事を確認してから、結城が言った。 大企業に就職出来たから、冷房の効いた部屋で優雅にデスクワークをして、高給を……。 そんな甘っちょろい現実など、ありえないと言う物だ。実際には見ていてうんざりする程の量の書類を処理したり、またある時は実地で様々な交渉事を行ったりと。 やる事は山ほどあるのだ。パレートの法則と言うものが有る。全体の数値の大部分は、全体を構成する二割が生み出していると言う冪乗則である。 これを企業に当て嵌めるとつまり、企業の利益の大部分は、二割の従業員が生み出しているのであり、残りの八割はいてもいなくても差し支えのない人間と言う事だ。 結城は当然、利益を生み出す二割に該当する人間であり、その中でも特に有能とされる彼の業務は、多忙を極めるのだ。暇など、ある訳がなかった。 「いいね、研究職って言うのは。暇がありそうで」 「馬鹿を言うな」  拗ねたような口調でそんな事を言う結城に対し、即座にジェナは切り返した。 「ルーラーなるクラスから、公式に聖杯戦争の開催の直達があったのだ。まさかこれを見逃す愚鈍な輩は、よもやいるまい」 「だろうねぇ」 「当然、<新宿>での戦いが激化する事は想像に難くない。今のお前の地位は、<新宿>の戦いを勝ち抜く上で有利に働くかも知れないそれだ。 業務を放棄して、そうそうに捨てて良い役割(ロール)ではない。それは解っているだろうが、どちらにせよ警戒しておけ」 「了解っと」  タバコを一本、吸い終え、ガラスの灰皿の上に突き立てながら、結城は返した。 如何にも適当そうな立ち居振る舞いだが、自身をエリートと公言するように、結城は恐ろしく頭のキレる男だ。ジェナの言葉を適当に流しなどいなかった。 「今日の予定は告げておけ、マスター」 「ハハハ、その言い方。何か役に立たない部下の動向を予め聞いて置きたい上司みたいだぜ」 「お前にはジョークの才能がない。さぞやあの神父も、愛想笑いに疲れた事だろうな」  最早ジェナには、さっさと話せ、とせかす事すらも億劫になり掛けていた。 彼女の心境の変化を読み始めた結城が、はいはい、と口にしながら、二本目の煙草に手を伸ばした。 「一昨日話しただろう? 僕の新しい融資先の話。其処に向うのさ」 「下らぬ芸能プロダクションの事だろう?」 「全くだよ、下らな過ぎて足を運ぶのもウンザリする。うちの銀行のヒラがやってるみたいな飛び込みの営業の方が、まだマシってもんさ」 「其処まで言うか」  タバコを口元にまで持って行き、紫煙をダラしなく吐き散らしながら、結城は言葉を続ける。 「美城とか言う女と融資交渉をしに行った時も、アイドルと言うか、所属してた奴らの顔を見て来たよ。笑っちゃうよ、小学生までいると来た。ガキの頃からアイドル活動何てしてたら、ロクな大人にならないぜ」 「お前のようにか?」 「随分と辛く当たるねぇ、キャスター」  キャスターの嫌味など、何処吹く風。痛痒すら、感じていない様子であった。 「それで、話を戻すけどさ。此処までの流れから凡そ解ると思うけど、僕はその芸能プロダクション……346プロって言うんだが、其処に視察に赴く事になってるんだ。一応融資先の様子を具に観察するのも、僕らの仕事だからね」 「346プロ……?」  まるで、家を出てから一時間程経過して、ふと、何かを忘れたのではないかと思い立ったような声音で、ジェナが言った。彼女にしては珍しい声のトーンだった。 その引っ掛かりの正体が何なのか確認する為、彼女は、部屋に置かれた端末状の装置に近付いて行き、慣れた手つきでそれを動かす。 端末に取り付けられた液晶画面に流れる文字。それを見て、得心した様にジェナが首を肯じた。「成程」、彼女は納得の様子を口にする。 「一人で納得しないでくれないかな」 「単刀直入に言おう、そのプロダクションにチューナーがいる」 「ワオ」  軽く驚いた様子を結城は見せる。自身の引き当てたサーヴァントが、<新宿>中に悪魔化ウィルス感染者……つまり、チューナーの事だが、これを撒いている事は知っていた。 だがそれも、<新宿>で活動している人間の総数を分母にして割り算すれば、ほんの微々たる総数に過ぎない。 これは、ジェナの、少数の優れた悪魔達のみをチューナーとして生かす事を許し、それ以外の雑魚悪魔はその場で処分する、と言う方針に基づいていた。 その方針がなかったらきっと、現在<新宿>で活動しているチューナーの数は倍増していた事だろう。 そんな現実を知っている結城だから、驚いていた。まさかチューナーが、融資先に所属しているなど、偶然にしては出来過ぎていた。 「もっと早くに、融資先の名前を言っておいた方が良かったかな? 君には興味がないだろうと思ってさ」 「気にするな。元々チューナーの管理をする気のない私に落ち度がある」 「する気がない、何だね」  悪辣な笑みが、結城の顔に刻まれた。銀行マンと言うよりは寧ろ、前科を重ねに重ね、それでもなお反省をしない生粋の犯罪者の貌だった。 対するジェナも、微笑みで返した。人を殺して喰ったような、そんな笑み。実際に、何百人もの人間をそうして喰らい尽くして来たのだから、始末に負えない。彼女こそは現代の、ソニー・ビーンであった。 「元々貴様も私も、この街が――世界がどうなろうが、知った事ではないだろう。今更な事を言うな」 「ハハ、ごめんごめん」 「今言った様な事もチューナー放任の理由でもあるが、それ以上に、職や年齢、住まいに纏まりもない、アトランダムにNPCをチューナーにしているのだ。これらを纏め上げるのは、限度と言うものが有る」  チューナーに選んだ人間達は、ジェナの言う通り何から何までバラバラだった。 性別を筆頭に、身長、年齢、人種等々、全てが全て、これと言った共通項を持たない。 ジェナが、素質があると睨んだNPCをチューナーを、選んでいるのだ。素質は性別や年齢を選ばない。上は八十を過ぎた老人、下は小学生の子供までいる。 これらだけなら、ジェナが保有するカリスマスキルで無理やり率いる事も出来るが、ある理由からこれは出来ずにいた。 住所の問題である。当たり前だが、ジェナがチューナーに選んだNPC全てが、同じところに住んでいる訳ではない。全員が全員てんでバラバラの所に住み、 NPCによっては区外も区外、埼玉や神奈川を住まいとしている者もいる。ジェナ・エンジェルと言う人物がチューナーの数だけ存在出来るのならばまだしも、そんな事は出来ない。 だからこそ、放任と言う選択を採らざるを得なくなる。ジェナとて、全てのチューナーを管理下に置いた方が良い事は百も承知だが、地理的、距離的問題から、それを出来ずにいるのだった。 「まぁ、キャスターの意図する所は理解した」  二本目の紙タバコを灰皿に押し付けながら、結城は腕時計に軽く目線をやった。 時刻は七時四十五分を回ろうとしていた。職場の近くの賃貸マンションを借りた為に、まだまだジェナと話すだけの時間的余裕はある。 「ところで、僕として知りたい情報は、誰がチューナーか、何だけどな。スタッフかい? それとも、歌手か、俳優?」 「貴様が嫌悪して已まないアイドルさ」 「な~るほど、近付きたくもないし視界に入れたくもない」  冗談めかして言う結城だったが、その黒く粘ついた瞳の奥底には、冷ややかな輝きがあった。 此処<新宿>に来る前も、何人もの女を冷淡を通り越して、冷酷とも言える程物扱いしてきた彼だからこそ放てる、凍て付いた眼光だった。 「名前は宮本フレデリカ。名前からも凡その察しは付くだろうが、混血だ。後藤君の調べでは、母親の方がフランス人らしい」 「ハーフか。あのプロダクションには外人も多かったからな。まぁ、フランス人ならば、ある程度は絞り込めるかな」 「この検体は、変身前の人間と変身後の悪魔に全く関連性がない事をお前にも解りやすく伝えられる良いケースだ。つまり、変身前の人間が強かろうが弱い悪魔にもなり得るし、その逆も然り、と言う事さ」 「で、強いのかい。この、フレデリカって言う女が変身する悪魔はさ」 「生前私が確認して来た悪魔のデータには無い存在だったが、確信を持って言える。高位の悪魔であると、な」 「成程ね。差支えなければ、その変身出来る悪魔の名前をお聞かせ願いたいんだが?」  結城としても、聞いて置きたい事柄だった。 ジェナの口から聞かされる、悪魔化ウィルスと言う作成物と、それによって得られる果実は、聞くだけで興味がたえない。 そして、チューナーが変身すると言う実際の現場を一度たりとも見た事がないと言う事実がより、結城の興味に拍車をかける。 と言うのも悪魔に初めて変身する際と言うのは高い確率で暴走を引き起こす可能性が高く、自分がその場に立ち会っていない時に絶対に見てはならない、 とジェナから厳重に注意されていた。暴走の余波で殺される可能性が高いからだ。この事実を語る時にジェナの真面目な口ぶりを、結城は重く受け止めている。 別段死ぬのは怖くないが、確かに、自分の引き当てたサーヴァントが作り上げたチューナーに殺されるなど、結城でも御免だった。 御免ではあるが、やはり怖い物見たさと言うものは確かにある。が、その怖いものをジェナは見せてくれない。だから仕方なく、その悪魔の情報を知る事で、溜飲を下げようとしていた。 「フレデリカと言う検体は、<新宿>のNPCを用いて作ったチューナー群の中で、特に抜きん出た強さを得るに至った」  其処で、一息程吐いてから、ジェナは続けた。 「――その悪魔の名前は――」 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  パタン、と、黒光りするノートパソコンを閉じてから、一口。ムスカはカップに注がれたコーヒーを口元へ運んだ。 挽き立ての豆を使ったそれはとても馥郁たる香りを放っており、此処に、砂糖をほんの一つまみアクセント代わりに入れ込むのが、ムスカ流であった。  役割上ムスカは、嘗て<魔震>により壊滅的打撃を受けた<新宿>の調査を行う、某国の諜報員と言う事になっている。 何でも各国の軍部や研究機関は、<魔震>を研究し、それを軍事兵器に転用或いはエネルギー問題を解決させる重要な足がかりにしたい、と言う者がいるのだそうだ。 東京は世界でも類を見ない程スパイの潜伏数が多いと言うが、こと<新宿>を根城にする諜報員に関しては、ただの産業スパイなどとは一線を画するのだ。 ムスカは確かに諜報員であるが、その制約は驚く程緩い。定期的にやってくる本国の連絡員或いは、パソコンから送られてくるデータを確認するだけなのだ。 これではスパイと言うよりは単なる、金を持て余した富裕層の道楽と言った感は否めない。しかし、職務でガチガチに拘束されるよりも、動き易いと言うのは事実。 聖杯戦争の参加者として。偉大なる白貌の帝王の下で奔走するマスターとして。これ以上と軽やかなフットワークを行える役割はなかった。  国防に関わる組織、特に軍部であるが、此処では一般国民や諸外国向けに発表出来る研究と、そうでない研究が存在する。 どれだけ情報の開示権を国民が行使しようとも、絶対に表には発表出来ないしするつもりもない研究。 それは非人道的な実験や研究と言う訳ではなく、国防国益に関わる最先端の研究と言うべきものだ。軍部や国家機関では、そう言った物が研究され、 そう言った組織に関わる公務員達に真っ先にその最先端技術で拵えられた物品が、実験代わりに配られたりするものである。 今ムスカが使っているノートパソコンにしてもそうだ。諜報機関向けに作られたこれは、祖国――この世界での、だ――に報告或いは報告を受ける時のみ自動で、 彼が今いる国のプロバイダーを経ずにネット環境に繋げるモードに変更。如何なる方法でも、ムスカ個人を特定する事が不可能になる。 またそれだけでなく、祖国から報告をしたり連絡を受けとる時に使われる超プライベートコンピューターは、疑似的なカオス理論で構築されたプログラム故に、 外部からの侵入は現代の技術ではほぼ不可能。パスワードを解読し真正面から入ろうにも、パスワードは耐えず流動的に変動している為それも出来ない。 このプライベートルームに入るには、何と常にパスワードページが自動かつ秘密裏に行っている『虹彩認証』をクリアせねばならないのだ。 これをクリアする事で初めて、本国の諜報機関と連絡が取れる訳なのだが……これが全く使われない為に、今の今までムスカは存在自体を忘れていた。  それが、今になって急に使われ始めた。 プライベートコンピューターに入ってみると、ムスカに送られた連絡は何て事はない。 <新宿>で暴れ回ったとされる、あの黒礼服の殺人鬼の詳細が解ったら本国に連絡しろ、と言うのだ。 如何も諜報部はあれを、日本やアメリカに匹敵する先進国のバイオテクノロジーの薫陶を受けたテロリストなのではないか、と疑っているのだ。 無理もない、あの殺人の手際を見せられれば、そうも思いたくもなる。だが実際には、それは違うのだ。あの黒礼服の男は、聖杯戦争に参加しているサーヴァント。 遠坂凛と呼ばれる女子高生が召喚した、狂戦士なのだ。真実はまさにこの通りだが、これを言った所でムスカの正気を疑われるだけだ。当然報告もしなかったし、そもそもする気も起きない。 「ふん、ランスローめ。そうとう出世と保身に必死と見える」  コーヒーを飲み終えてから、ムスカは忌々しげにそう呟いた。 ランスロー。フルネームをシン・ランスローと呼ぶこの男は、この世界におけるムスカの上司に当たる人物だ。 階級は准将。元居た世界でのムスカの階級より上である。ランスローは国益は当然の事、それ以上の自身の出世と安寧たる地位を固める事に躍起になっている人物だ。 有能である事は間違いないが、ムスカとは馬が合わない。ムスカ本人は否定する所だろうが、彼自身も同じような性格だからだ。これでは性格が合う訳がない。 ランスローは何としても黒礼服のバーサーカーの情報が欲しいらしく、<新宿>を担当するムスカに、その情報の収集を緊急かつ別件の任務と言う形で連絡してきたのである。 無論、ムスカとしてはその収集は聖杯戦争の参加者として行うべきものであるが、ランスローに報告するつもりなど毛頭なかった。  ムスカと、彼が引き当てたキャスターのサーヴァント、タイタス一世の聖杯戦争は、思わぬ横槍を入れられ、本来意図していたそれから逸脱してしまう事になる。 ムスカが、一世の生み出した骨董品や戯曲の類を<新宿>に流布するだけでなく、メディア等を通じてアルケア帝国の想念を蓄積させると言う作戦。 それは、キャスターの真の領地である、帝国の首都アーガデウムの顕現と言う王手まであと一歩の所で、難航を極めてしまっていた。 アーガデウムの顕現には、NPCが夢を見ると言うプロセスを経る事が大前提になるのだが、何者かが、<新宿>のNPC達に細工を施した結果、NPCが夢を見なくなり、 アーガデウムの顕現が予定より遅滞してしまったのである。現在ムスカは、そのフォローとリカバリーの為に、動かざるを得ないと言う訳だ。  まさかこんな早く、一世の神算鬼謀が露見したと言う事はあるまい。そう願いたかった。 ムスカも一世も、下手人は狙って一世の計画を邪魔したのではなく、向こうが目指す目的の過程と、此方の目指す目的の過程が、不運にも噛み合っただけだと、 思っているのだ。何れにせよ、そのサーヴァントはムスカ達にとって目下最大の敵であり、撃ち滅ぼされるべき存在だった。 聖杯戦争開始前に行っていたあのメディア戦略と並行して、一世の目となり耳となり<新宿>の情報を知悉し、彼に報告する事が現在のムスカの任務。 その一環として、今日ムスカは、在る場所に赴かなくてはならない。346プロ本社……今ムスカが贔屓にしている芸能プロダクションである。 言い換えれば、宝具・『廃都物語』を広く流布させる為の広告塔だ。その大事な広告塔が今日、大規模なライブを行う事になっている。 その打ち合わせに、ムスカは立ち会おうと言うのだ。他に重要な仕事は多いが、それと同じ程に、今回のライブも重要である。 「……頃合いか」  腕時計を確認してから、出かけの準備を行うムスカ。無論行き先は、346プロだ。 行きがけに、テレビの電源を彼は入れた。秘密裏に戦闘を行う事が鉄則の聖杯戦争で、まだ朝の八時すら回ってないこの時間帯に、サーヴァント同士の戦闘が近代メディアの俎上に上がるとは思えないが、一応、だ。 「それでは、次のニュースです。EUの社交界に衝撃が走っています。先日発表されました、イギリスのテオル公爵と日系人女性のカナエ・淡・アマツさんとの電撃結婚の――」  其処でムスカは、液晶テレビの電源を落とした。どうでも良いニュースだったからである。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  本来ならば結城は、八時前に出社した後、中身も何もあったもんじゃない朝礼を済ませてから、前日に仕上げた諸々の書類を確認。 訪問先である346プロへの準備を三十分程度で仕上げ、支度を終え次第其処に向かう予定であった。到着時刻は凡そ、九時かそこらだ。 だが現実は、予定時刻を大幅にオーバーして、九時半の到着となってしまった。時間にルーズな社会人は、何処でも嫌われる。 いくら結城の内面は悪辣と言う言葉でもなお足りない程醜悪なそれであったとしても、ビジネスマンとしての仮面を被っている時は、弁えるべき所は弁えるのだ。 それなのに、此処まで遅刻をしてしまった理由は、一つ。<新宿>二丁目周辺で大暴れを繰り広げたと言うサーヴァントのせいだ。 移動しながらスマートフォンで、事の詳細を調べてみると――詳しい情報が載っているとは思えない――、異形の右腕を持った少年が、外国人女性を抱き抱えがら、 突如<新宿>二丁目の交差点の前に出現。それを追うように、馬に騎乗したアングロサクソン系の外人が二名追随。 彼らと、何処からか現れた、頭に鉢巻を巻いた槍を持つ成人男性が交戦――其処からの詳細は、不明だった。 交差点周辺で巻き起こる、地獄から丸々持って来たのではと言わんばかりの灼熱と業火のせいで、現場まで中々レポーター達が入り込めなかったせいだ。 メディアから確認出来る情報はこれまでだが、TwitterやGALAXを筆頭としたSNS、Aちゃんねると言った巨大掲示板からだと、違う。 良く言えば度胸のある、悪く言えば目立ちたがりで命知らずの馬鹿が、身体を張って戦闘の模様を撮影してくれていたのだ。 此処が、組織だって動かねばならないメディアの情報提供力と、確証性や信憑性こそ薄いが個人と言うフットワークの軽さを活かしたアマチュアの情報提供力の差だった。 撮影者の腕の震えがダイレクトに伝わる、撮影された映像を確認した。まるで昔話の中に登場する鬼か何かかと見紛う、巨大な怪物が、炎を吐いて暴れ回っていたのだ。 何処の馬の骨かは解らないが、よく撮影出来た物だと結城も呆れてしまう。この化物の大立ち回りを撮影出来てなお生き残れていると言う事実。一生分の運を使い果たしたのではないだろうか。  間違いなくサーヴァント同士の交戦だろう。 独断と偏見から考えるに、鬼の方はバーサーカー、槍を持った方はランサーなのだろうが、帽子を被った男の方は、全く予想が出来ない。 この三者が暴れに暴れまくったせいで、交通機関に大幅な遅滞が生じていた。自動車の渋滞によってバスやタクシーも足止めを喰らい、<新宿>二丁目周辺の交通網は、 今や完全に麻痺しているに等しい状態だった。その頃には既に結城はバスに乗車している状態で、丁度渋滞に足止めを喰う形になってしまった。 亀のような運行速度でやっと一つ目の停留所に到着した結城は、このままでは埒が明かないと思い、電車で移動する事を決意。急な交通機関の変更。これが、結城が遅刻した理由であった。  移動の最中、ジェナが電話経由で連絡を入れて来た。向こうも、パソコンやらテレビ、はたまた別の情報網を使って、サーヴァント同士の大規模な戦闘を知り得ていたらしい。 電話の内容は当然、サーヴァント同士の戦いに巻き込まれてなかったのかと言う確認だったが、無事を告げると、「悪運の強い奴だ」、と。 心配していたのか否か解らないいつもの口調にジェナは戻っていた。そしてすぐに、「危険だからあのサーヴァント達が誰だったのかの確認に首を突っ込むな」、 と釘を打たれた。尤も結城としては、そんな事する気が起きない。動画を断片的に見ただけだから何とも言えないが、あんなのを調査する等、命が幾つあっても足りた物ではないからだ。  ――話を元に戻す。 遅れに遅れた結城が、346プロのオフィスビルで美城と顔を合わせ、先ず行った事は、遅刻に対しての謝罪だ。 予め遅れると言う連絡を入れてはいたが、それとは別に謝る必要があるのだ。美城も、結城が遅れたのは已むに已まれぬ天災に等しい事柄だと既に理解していたか。 特に彼を責めるでもなく、一言二言の労いの言葉の後、直に本題に移った。  本題とは即ち、346プロの各芸能部門等の様子確認である。 こう言った芸能界の事情は結城にとっては畑が違うにも程がある故に、彼らの活動風景を見た所で、本当ならば意味はない。 融資交渉の際に美城が行ったプレゼンで全ては完結している。――と、言ってもだ、それはそれ、である。 やはり三億もの大金を融資する以上は、それなりに慎重にならざるを得ないのだ。如何に346プロが大手の会社だと言っても、だ。 ……尤も、聖杯戦争の参加者である結城にとって、NPCが舵を取るメガバンクや、NPCが重役を務める芸能プロダクションの事情など、如何でも良い。 三億をポンと貸す事に簡単に同意した最も大きな理由がこれだ。じきに死ぬ人間である結城にとって、融資云々の話など知った事ではないのだ。だから、適当に済ませてしまったのである。 「それでは本日は、主にアイドル部門の仕事ぶりを視察する、と言う方向性で宜しいでしょうか?」  と、訊ねるのは美城である。場所は346プロのオフィスビルの応接間だ。ガラスのテーブルを挟んだ向かいのソファに、美城は座っていた。 訊ねられた事柄について、特に結城の方から異議はない。「それで結構です」、と彼が答えると、直に美城は、「では、別館の方へとご案内させて頂きます」と口にしながらソファから立ち上がる。  表面上はつとめて冷静そうに振る舞っているが、如何にも結城から見て、美城は焦っていると言うか、急いでいる風に見える。 ビジネスの場に関しては単刀直入さを好む傾向が強い事は、先の融資交渉で結城も把握していたが、今日に限ってはかなりキビキビとしていた。 無理もない、これは今日になって結城も知った事であるが、今日346プロのアイドル部門は、部門の存続が掛かっていると言っても過言ではない大舞台に立つ事になっているのだ。 つまりは、野外ライブである。魔震から<新宿>が完全復興してから丁度二十年が経過、『嘗ての悲愴さを吹き飛ばす程明るく、そして同時に被災者を偲ぶような荘厳さを』、 と言う御題目をコンセプトにしたこのライブは、大手プロダクションや各民放、芸能新聞の記者等の耳目が集まる事が既に確定しており、注目されているイベントだった。 346プロが主導するこのイベントには、上に上げたコンセプトも重要だが、其処には美城の、自社のアイドルを世間に強くアピールさせると言う怜悧な計算も、当然含まれていた。  美城は、このイベントを特等席から結城に見させる事で、自分達の実力を見せつけようと踏んでいるらしいのだ。 「随分な自信がおありだなこのお局様はよ」、と思わないでもない結城だったが、そっちの方針の方が、芸能プロダクションらしくて面白いではないか。 長々だらだらと、主力アイドルの自己紹介をされたり、練習風景を見せられるよりは、よっぽど面白いし、実力を見せつけると言う点でも理に叶っている。 この辺りのプロモーション能力は、流石芸能プロダクションの中で高い位置に存在する人物、と言えるだろう。 「ところで、美城様」  所謂、芸能人が練習、活動している離れの棟に移動する傍ら、結城が、世間話のつもりで話し始めた。 「何でしょうか」 「今日のライブについてですが、346プロは数多くのアイドルグループを、擁しているのでしょう」 「そうです。尤も、アイドルグループと言いましても、メンバーによっては他のグループを掛け持ちしている者もいるのですが……。無論これは、此方の戦略です」 「成程、掛け持ちしたメンバーのファンが増えれば、自動的に他のグループにもそのファンが流れる、と。その目測は今のところは?」 「数値の面から見ても、良好な結果を残せています」 「優れた戦略を立てる力をお持ちのようで。それでですが、今回のライブは貴社からしましても、絶対に失敗は許されないイベントと私は見たのですが、当然、今回参加するグループは皆、虎の子と言う事で間違いないのですか?」 「その認識で間違いはありません。ただ今回のイベントは、私の意向で全てが決まると言う訳でなく、私を含めためいめいのプロデューサーが担当する肝入りのグループも参加する事になっています」  結城は今の美城の一言で、本当ならば自分が推しているグループだけでイベントを仕切りたかった、と言う思いを感じ取った。 如何やら相当なワンマン気質であるらしいし、自分なりの強い軸を持っているらしかった。 「美城様の担当されているグループのお名前は?」 「プロジェクトクローネです。今回のコンセプト、『明るく、そして荘厳さを』、というコンセプトの後者の部分に相当するグループです」 「成程。ではそのグループが、今回の主役、と言う事で?」  其処まで言うと、鉄面皮とも言うべき美城の表情が、苦虫を噛み潰したような渋いそれへと変貌する。 「……本日の主役がそのグループのメンバーの一人である、と言う事実を鑑みれば、今回の主役、と言う言い方に嘘はないでしょうね」 「おや、随分持って回った言い方ですな」 「私としても、346としても、本来想定『していた』主役のグループは、間違いなくこのクローネでした。ですが何時だって、芸能人と言う生き物を人気と言う形で定義づけ、形作るのは、ファンや聴衆と言った存在なのです」 「ははぁ。つまり、ライブに赴くファンとしては、メインディッシュは別にある、と」 「そうなります」  とどのつまり美城が言っているのは、此方が意図した今回のイベントの主役と、実際ファンが捉えている今回のイベントの主役に、乖離が起こっていると言う事だ。 当たり前だが、芸能界程人気商売と言う言葉が当てはまる業界はない。基本的にファンは丁重に扱うべき存在だ、余程理不尽な欲求でない限りは、 プロダクションや芸能人はその意向にある程度従わねばならない。主役の逆転位は、受け入れなければならないのだろう。それが堪らなく、美城には悔しいらしいが、その悔しがり方が、結城には尋常ではないように映っていた。 「それで、ファンが捉える今回の主役とは一体誰なのでしょう?」 「『宮本フレデリカ』、と言うアイドルです」 「ほう、フレデリカさん」  内心で結城が驚いた事は言うまでもない。今朝方ジェナから知らされたチューナーの一人であり、特に強い悪魔に変身出来ると言うハーフの女であったからだ。 「元々はクローネのメンバーの一人だったのですが、此処最近、特に彼女が抜きん出て人気を獲得するようになって……。その事実を、彼女のプロデューサーが上に熱意を込めて主張し……イベントの最後に、ソロで持ち歌を複数歌う、と言う運びになったのです」 「私には余り想像が出来ませんが……、彼女は元々、そのクローネと言うメンバーの一員だったのでしょう? ある日突然彼女だけが、突出した人気を得ると言うのは……」 「そう、考えられません。ですがこれが事実なのです」 「原因の方は?」  結城がそう訊ねた瞬間、極限まで不快そうな表情をして、吐き捨てるように美城は言った。 「……此処最近、346プロのアイドル達に、フレデリカの担当プロデューサーを経由して取り入ろうとしている男がいるのです」 「……かなり下品で、下衆な考えである事を承知で言わせて貰いますが、かなり下心が見え透いた人のようですな」 「全くです」  考える所は、美城としても結城と同じであるらしい。 と言うよりは誰だって、同じ帰結に行き着くに違いないだろう。誰がどう見たってその男は、アイドルを食い物にして自らの汚れた欲求を満たしたい人間である以外、見られまい。 「私にはその男とフレデリカさんの人気の相関性が見えないのですが、一体どんな関係が?」 「簡単に言えば、メロディや詩の提供です。今フレデリカは、その男から供給されるメロディや詩を駆使して新曲を出しているのですが……これが予想以上にヒットしてしまいまして」 「それを流用しているのですか? お堅い346プロの事、そう言った外部からのアイデア提供は、一笑に付すものかと思っていましたが」 「普通であれば門前払いです。ですが……」 「……ですが?」  余程、言いたくないらしいのか。結城の目には美城が、言葉が喉元までせり上がっていると言うのに、中々それを吐き出せずにいるように見えた。 口にするのもストレスらしい。今にも耳や鼻の孔から、怒りの余り血でも噴き出んばかりだ。 「……優れているのですよ。その、提供される詩やメロディが」  その一言を口にするのに、三十分も掛かったみたいな重苦しい様子で、美城は言った。 結城は何となくであるが、何故アイドルに取り入って来たその男を、彼女が蜥蜴の如く嫌っているのか。その理由が大体掴めた。 要するに、只でさえ本心の読み取れないその胡散臭い男が気に入らないと言うのに、素性の知らぬそんな男が素晴らしいアイデアを此方に持ち込み、 事実それが功を奏している、と言う事実が受け入れ難いのである。話を聞くに、その男は346プロの正規の登用プロセスを受けた社員でもなければ、 その下請けの人間でも上役とコネで繋がった人間ですらない。本当に外部の住民なのだ。 美城の心情も、解らないでもない。彼女からしたら面白くも何ともないだろう。業界の関係者どころかアマチュアですらない素人の提供したメロディや歌詞が、 会社の庇護下にあるアイドルに歌われ、それがヒットを飛ばされるなど。プロとしての矜持を持っている人間ならば、誰だって眉を顰めてしまうだろう。  ――ただのNPCとは思えんな――  美城の話した男の話を聞き、結城が先ず思った事はそれだった。 NPCと聖杯戦争の参加者の最大の違いは、日常に沿った動きをしているのか、それとも聖杯戦争に沿った動きをしているのか、と言う事だ。 九割九分九厘のNPCは、聖杯戦争の存在を知らないし、存在しているとすら思わない。彼らにとって神秘の類など、ないものなのだ。 故に、神秘や魔術の事を説明しても、信じるまい。だから彼らは、普段通りの日常に従事する事になる。 だが、ジェナの助手となっている後藤の例を見れば解る通り、聖杯戦争の参加者達が直接NPCにコンタクトを取る事により、彼らの間にいわば『バグ』が発生する。 そのバグとは即ち、聖杯戦争についての認識、或いは、神秘に類する力の獲得である。そのバグの発生したNPCは、高い確率で、元の日常に戻らない。 と言うよりは、戻れないと言うべきか。これもジェナに纏わるケースを見れば明らかだが、例えば悪魔化ウィルスを注入されてチューナーになったNPCは、 強烈な餓えや、悪魔の強大な力に酔いしれ、暴れる傾向にある事からも、戻れないと言う表現はある意味的を射ている。  フレデリカに接触した件の男の行動は、明らかに正常なNPCの活動とは言い難いものがある。 彼が聖杯戦争の参加者そのものなのか、或いは彼らにかどわかされたNPCなのか。それは結城にも解らない。 だがどちらにしても、警戒して然るべき存在である。自身のサーヴァントがジェナと言うキャスターだからこそ解るが、サーヴァントの中には、 NPCを手駒に変容させて扱うと言う者もいるのだ。戦闘力もなく、況してや余命いくばくもない結城では、最悪殺される可能性が高い。慎重に、事を見極める必要があるのだった。  美城と話しながら歩いている内に、別館の方へとたどり着いた。 此方の方は専ら、アイドルや歌手、俳優達の歌唱、演技の練習用、或いは憩いの場として使われる為の場であるらしい。 芸能プロダクションである以上、芸能人と会社の従業員が活動する場所を厳密に区切る必要があるのだ。 それを建物単位で分けるとは、346プロの資産の潤沢さ、と言うものが窺い知れると言うものだろう。 「今はライブ本番に向けて、参加アイドルの殆どが、めいめいの過ごし方をしていますので、結城様が見たい、と思われているだろうアイドルの練習風景は、見れない可能性があるかもしれません」 「おや、本番までもう十時間を大きく切っていると言うのに、最後の予行のような物をしないのですか」 「無論、しているグループもいるでしょう。ですが彼女らは本番に向けて、前日所か開催の遥か前から入念なリハーサルを行っています。 開催前の最後の数時間を、練習に当てるグループもあれば、極度の緊張を紛らわす為にリラックスして過ごすアイドルも、珍しくありません」 「成程、此処までスタートが近付いてしまえば、練習よりも気の持ちようの方が重要と考える娘も多い、と」 「その通りです」 「まぁ私としては……そうですね。美城様が先程口にしていた、宮本フレデリカ、と言う娘を見てみたいですね」 「……フレデリカですか。初めに申しておきますが、彼女はその……かなりのマイペースでして……、結城様の機嫌を損ねないかどうか……」  「彼女はその」、の部分で随分と美城は、次に続ける言葉を考えていた。 肯定的な意味でのマイペースと言う訳ではないのは、ニュアンスから察する事が出来る。 チューナーになる前のフレデリカは、結構な問題児か、美城にとっての頭痛の種か何かであったのだろう。 「いえいえ、問題はありません」 「そ、そうですか。それでは、中の方をご案内――」  其処まで言った時であった。 背後から明白に、美城を呼ぶ男の声が聞こえて来たのは。美城がその方向に顔を振り向かせるのと同時に、結城もつられてその方向に身体を向けてしまう。 果たして、其処には一人の西欧系の男性がいた。ネクタイ代わりにリボンを首元に巻き、濃いブラウンのスーツを身に纏った、一目見て紳士と解る男であった。 かけた眼鏡の奥の瞳に宿る光が知性的なこの男は、そう。ムスカその人であった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  ムスカもまた、予定の時刻を大幅にオーバーして、346プロに到着した一人だった。 いざホテルから出よう、と言う段になり、フロントに設置された大型の液晶テレビが流していた、緊急速報。 それに、目が止まったのである。そして同時に、驚愕の表情も浮かべた。当たり前だ、こんな早々に、大規模と言うべきサーヴァント同士の抗争が、 テレビで放映されていたのだから。すぐにムスカは、ホテル地下のタイタス帝の拠点に赴き、これを報告。 事態を重く見たのは、ムスカよりもタイタスだった。タイタスはキャスタークラスとしては破格とも言うべきステータスと、近接戦闘能力の技量を持つ。 故に、相手の実力次第であるとは言え、中途半端な強さの三騎士程度なら、軽くあしらう事がタイタスは可能である。 但し、複数人で襲い掛かられた場合は、話は別になる。況してタイタスのクラスはキャスター。キャスターの陣地や拠点程、残しておいて得のないものはない。 同盟を組んで叩かれる可能性も高いし、タイタスがこれから行おうとしている目的が知られた場合、真っ先に叩かれる可能性があるとすら予測していた。 無論、露見しないように十重二十重の対策は練っているし、アーガデウム顕現の為にムスカ自身を積極的に動かしてもいる。 後は順調に時間が過ぎるのを待つだけ、なのだが、早々に此処まで派手な戦闘が起きたとなると、最早悠長に時間が過ぎるのを待つ、と言う事は出来ない。 最早平等に、戦塵と戦火が降り注ぐ可能性があるのだと言う事を把握、理解したタイタス帝は、今までムスカには働いて貰いつつ、拠点の防御力を向上させる事を決意。 そして同時に、タイタスから離れて一人で行動する事が多いムスカをサーヴァントの害意から守るべく、タイタスはある『魔将』にムスカの護衛を命じた。 このお膳立てに、時間が掛かった。何せその魔将はナムリスとは違い、まだ現世に呼び寄せていない存在であったからだ。『彼』を<新宿>に呼び寄せるのに、一時間ほどの時間が経ってしまった。  現在ムスカから離れた所から、その魔将は彼の動向を逐次見守っている。 その存在は、生前のタイタスと関わりを持っていた魔将の中では最も強い者であり、始祖帝が王位を獲得する遥か以前から彼に従って来た親友にして忠臣。 そして、世界中の英雄譚や神話の中に語られているような、竜殺しを成し遂げた英雄でもある。 それ故に気位が高く、気難しい性格の為、滅多にムスカの方に自発的にコミュニケーションを取ろうとしない。 どこか見えない所から、ムスカの事は見ている。少なくとも、美城や結城からは見えない所で。 「これはこれは、ムスカさん」  と言って美城は、気難しそうな顔つきを、営業用のスマイルに即座に返事させて、ムスカと呼ばれた男に声を掛けた。 あれだけオフィスビルでは嫌悪の念を示していたのに、実際に顔を合わせるとなると、業務用の笑みの刻まれた仮面を被る。やはり、この女性は中々の食わせ物らしい。 「結城様、此方が先程話された……」 「あぁ、この方が」  心中で結城は、この言葉の後、「アイドルを食い物にしようとしてる変態か」と続けた事は、言うまでもない。 「美城さん、そちらの紳士は、何方ですかな?」  と言ってムスカが、結城の方に目線を投げ掛けた。瞳の奥で、此方を疑うような光が静かに輝いている。ただの馬鹿ではないらしいと、結城は察した。 「此方は、我が346プロに新たに資金を融資して下さる、結城美知夫様です」 「結城です。評判の方は、美城様から伺っております。優れた作詞と作曲活動をなさる、と」 「ははは、齧った程度の文学と、道楽で世界中を旅した経験が、首の皮一枚で繋がっただけですよ」  美城の目には、さぞや厭味ったらしい謙遜に映った事であろう。 だが、ムスカとしては、自分が作詞作曲した……と『される』、アルケア帝国についての詩歌の事を聞かれる度に、ハラハラするのである。 そもそも、フレデリカに提供される歌詞の全ては、タイタス一世が手ずから仕上げた物なのである。 一世はそもそも、大帝国を裸一貫、徒手空拳で創り上げた建国者にして大王であると同時に、人間に様々な技術や文明を与えた文化英雄としての側面も持つ。 その文化の中には、文学や音楽と言ったものも含まれており、彼はそう言った詩歌を紡ぐ才能にも優れていたらしく、白く輝く毛並みを持った美しい白鹿を、 素晴らしい笛の音で油断させきった所を、首を刎ねて殺したと言う伝承すらある程だ。  ムスカが、メディアを通じてアーガデウム顕現の布石を打つと上奏した時、タイタスは自ら、アイドルに歌わせる歌を作詞作曲し、 これをムスカに下賜したのである。346プロの面々は、フレデリカが歌っている歌は、ムスカが考えた物だと誤認しているのだが、実際にはその大本は一世なのだ。 346プロの関係者に何時、「即興で作詞作曲してみて下さい」と言われるか、内心でムスカはかなりドキドキしていた。 出来る訳がない。文学の才能や世界中を旅した経験があると言う事実はある程度は本当だが、文学を作る才能ともなると、ムスカは門外漢の人物だ。 要するに、タイタスが作った詩歌を自分が作ったと主張しているのだ。その才能を今此処で示して見せろと、今の今まで問われなかった事自体が、不思議でならない。 「ところで、結城さんは346プロダクション様に融資をされた、と言うらしいですが……」 「346プロダクション様程の資産とその運用能力、お客様である美城様の経営ヴィジョンが素晴らしい物だった、と言うのもそうですが……。若い女の子の夢を叶えさせてあげたい、と言うその心意気に口説かれましてね。フフ、ポンと融資してしまいましたよ。おっと、私が助平だとかそう言うのではないですよ?」 「ははは、面白い冗談を言うじゃあないか」  と、実に快活そうな笑みを浮かべるムスカであったが、内心では限りなく目の前の結城と言う男を嘲ると同時に、憐れんでやっていた。 恐らくこのプロダクションは、後数時間のうちに、破産寸前か、倒産にすら追い込まれる程の未曾有の大虐殺に巻き込まれる事を、結城も美城も知らない。 後数時間で、黒礼服のバーサーカーに扮したタイタス十世が、ライブに乱入し、其処に存在する観客やアイドルを殺し尽す事になっているのだ。 そんな事を予測するなど、NPC達は愚か、聖杯戦争参加者でも不可能だろう。そう言った意味で、ムスカは結城の事を憐れんでいた。 今の346プロは、砂上の楼閣。泥の上に建つレンガの塔だ。何時崩れてもおかしくない状態のそんな企業に大金を融資するとは、何とも間の悪い男であった。 ……尤も結城としては、融資した三億円が回収出来ようが出来まいが、如何でも良い事なのだが。そんな心境を、ムスカが読み取れる筈などなく。 「ところで、ムスカ様。フレデリカさん、と言う少女に歌詞等のアイデアを供給していると御伺いしたのですが、一体如何なる理由で?」 「元々私自身、フランスの出でね。彼女の母親は、フランスでも名家の御令嬢で有名なのだよ。最も、フレデリカ嬢の御母上は、私の事など知る由もないだろうが。兎に角、そんな彼女の娘さんが、アイドルとしてデビューしていると言うではないか。同じ国を母とする者として、何かサポートをしてやらねばと思いましてね」  無論これは、全て嘘である。フレデリカと接触する前に、予めムスカが練り上げた嘘八百の作り話だ。 とは言え、整合性も取れているし、何処か引っかかる要素もない。精々疑われる事があるとすれば、フレデリカの助けになりたいのではなく、 フレデリカの母親の名家と繋がりを持ちたいと言う下心のある男、程度であろう。無論それも織り込み済みだ。肝心なのは、聖杯戦争の参加者だと疑われない事。 果たして誰が、今のムスカの口上を聞き、ムスカが聖杯戦争の参加者だと疑えようか。  確かに、並のNPCや参加者であれば、今の嘘で騙し果せたかも知れない。 ムスカにとって最大の誤算があったとすれば、彼がただの金貸しだと思っている結城美知夫がその実、『枕』で政財界にパイプを繋いだ、二重の意味でのやり手であった事だろう。  ――後で動かしてみるかな――  結城は頭もキレるし、行動力もある。今のムスカの証言で、彼への疑いが払拭出来ていたかと言えば、全く出来ていない。 結城はムスカをまだ疑っていた。自らの肉体を用いた接待でコネクションを得た、数々の有識者や有力者を動かし、この男の素性を調べる必要がある。 これでもなお、何の疑いもなければ、ムスカは確かに白なのたが……。人並み優れた演技力や、それを看破出来る瞳を持った結城は、高い確率で裏を調べれば、 ムスカなる男が白ではあり得ないだろうと考えていた。この男は現時点では黒とも言い難いが、しかし同時に、完璧な白でもなかった。黒寄りのグレー。それが、今のムスカの立ち位置であった。 「……所で、ムスカ様は今回如何なる御用向きで此方に?」  と、結城が訊ねると 「美城さんからお話を伺っているとは思いますが、私の提供した歌詞を歌ってくれる、フレデリカ嬢が主役になるコンサートなのでね。少し融通を効かせて、特等席で見させて欲しいと言う打診と、諸々の御話しをプロデューサー君に通しておこうと思いましてね」  これについても特に、疑うに足る要素はないだろう。 だが、この男が聖杯戦争に何らかの形で関わっているのではないかと思い始めている結城は、別の事を考えていた。 そもそもこの男は、何が目的で346プロに関わっているのか。ただの利益を掠め取りたいハイエナと言うのであればそれまでだが、直感が、違うのではないかと告げている。 告げてはいるが、それ以上の証拠はない。やはり後で、自分が動かせる有力者から情報を掻き集める必要があるだろう。 「実は私も、融資をした者の特権として、フレデリカさんのライブを特別に見させて貰う事になっているのですよ」 「ほう、それは幸運な!! 私の作った歌詞は、それはそれはお恥ずかしい物ですが、彼女の歌声は、きっと貴方の心にも響くと思いますよ」 「ハハハ、それは楽しみですなぁ」  燃えるような太陽が、純潔そのもののような、雲一つない青空に浮かんでいる。 全ての邪悪や猥雑な下心を灼き祓うようなその光の下で、二人の男は、如何にも紳士然とした態度と立ち居振る舞いで当たり障りのない会話を繰り広げていた。 二人は邪悪だった。腹に小刀を隠し持った曲者だった。自分以外の全てがどうなっても良いと考えている、我儘な子供だった。 この状況の本質が、蛇の格好をした道化が、互いに化かし合っていると言う事実を、まだ、誰も知らない。 ---- 【高田馬場、百人町方面(346プロダクション)/1日目 午前9:30】 【結城美知夫@MW】 [状態]いずれ死に至る病 [令呪]残り三画 [契約者の鍵]有 [装備]銀行員の服装 [道具] [所持金]とても多い [思考・状況] 基本行動方針:聖杯戦争に勝利し、人類の歴史に幕を下ろす。 0.とにかく楽しむ。賀来神父@MWのNPCには自分からは会わない。 1.<新宿>の有力者およびその関係者を誘惑し、情報源とする。 2.銀行で普通に働く。 [備考] ・新宿のあちこちに拠点となる場所を用意しており、マスター・サーヴァントの情報を集めています(場所の詳細は、後続の書き手様にお任せ致します) ・新宿の有力者やその子弟と肉体関係を結び、メッロメロにして情報源として利用しています。(相手の詳細は、後続の書き手様にお任せ致します) ・肉体関係を結んだ相手との夜の関係(相手が男性の場合も)は概ね紳士的に結んでおり、情事中に殺傷したNPCはまだ存在しません。 ・遠坂凛の主従とセリュー・ユビキタスの主従が聖杯戦争の参加者だと理解しました。 ・346プロダクション(@アイドルマスター シンデレラガールズ)に億の金を融資しました。 ・宮本フレデリカがチューナーである事を知っています。 ・ムスカと接触、高い確率で彼が聖杯戦争に何らかの形で関わっているのではと疑っています。 【ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ@天空の城ラピュタ】 [状態]得意の絶頂、勝利への絶対的確信 [令呪]残り二画 [契約者の鍵]有 [装備]普段着 [道具] [所持金]とても多い [思考・状況] 基本行動方針:世界の王となる。 0.アルケア帝国の情報を流布し、アーガデウムを完成させる。 1.本日、市ヶ谷方面で行われる生中継の音楽イベントにタイタス十世を突撃させて現場にいる者を皆殺しにし、その様子をライブで新宿に流す。 2.タイタス一世への揺るぎない信頼。だが所詮は道具に過ぎんよ! [備考] ・美術品、骨董品を売りさばく運動に加え、アイドルのNPC(宮本フレデリカ@アイドルマスター シンデレラガールズ)を利用して歌と踊りによるアルケア幻想の流布を行っています。 ・タイタス十世は黒贄礼太郎の姿を模倣しています。模倣元及び万全の十世より能力・霊格は落ち、サーヴァントに換算すれば以下のステータスに相当します。 ・一日目の市ヶ谷方面の何処かで生中継の音楽イベントが行われます。(時間・場所の詳細は、後続の書き手様にお任せ致します) ・遠坂凛の主従とセリュー・ユビキタスの主従が聖杯戦争の参加者だと理解しました。 ・結城美知夫とコンタクトを取りました ・黒贄礼太郎に扮させた十世は、後述の魔将に託しています。 ・現在ある魔将が、ムスカの近辺防衛を行っています。 ---- ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  撮影、或いはステージ本番直前の芸能人の過ごし方は様々だ。 時間まで楽屋で眠って過ごす者もいれば、穴が開く程見て来た台本をもう一度確認して見たり、或いはもう全てをやり尽くしたので時間まで身体を休めるなど。 大舞台を控えた歌手や俳優、役者にこそ、その当人の生の姿が拝めると言っても過言ではない。舞台に上がる芸能人は皆、テレビに向けた仮面を被っている。 その仮面を剥いだその下の顔こそが、その芸能人のある種の素であり、そして、本当の姿であるのだから。そしてそれは、生を映すその通りの鏡である。  346プロダクションのアイドル部門に所属する女性達の過ごし方も、種々様々だ。 リラックスして過ごしたり、本を読んで安定を図ったり、もう一度台本を読んだり踊りのリハーサルを行ってみたり、 酒を飲もうとして周りに止められたり、サイキックと称してスプーン曲げをやろうとして全然曲げられなかったり、後なんかドーナッツとか食ってたり。此処でも過ごし方は、十人十色だった。  魔震復興からニ十周年と言う節目に行う、346プロ主導の盛大なライブイベントに参加する事になっているアイドル達は、 プレッシャーの感じ方の差異こそあれど、その殆どが緊張状態と言っても良かった。理由は無論言うまでもない、そのライブイベント自体が問題なのだ。 参加するアイドル達の中には、大なり小なりの『ハコ』を借りて、ライブ等のイベントを行い、場数を踏んで来た者も、確かにいる。 だが、今回参加するアイドル達の殆どは、今回程大きなイベントを体験した事はない。 魔震復興からキリの良い数字に年に行う盛大なイベントであるだけに、各種キー局や芸能プロダクションが注目しているだけでなく、 観客動員数も、346プロが本気を出した為に相当数来る事が理解している。そして何よりも、このイベントを成功させた暁には、シンデレラプロジェクトは、 UVM社の台頭を一気に崩しかねない程の勢力になるかもしれない、と言う展望自体が、緊張の種となっていた。 大勝する可能性があると言う事は同時に、大敗する可能性も高いと言う事を意味する。今回のイベントでしくじれば、間違いなくシンデレラプロジェクトは痛手を喰う。それが解っているからこそ、皆は、気が気でない状態なのだ。  特に、プロジェクトクローネの面々など、今回の顔とも言えるグループである為、余計に緊張感が凄まじい。 真面目な性格をした鷺沢文香や橘ありす、アナスタシアの三人や、渋谷凛、神谷奈緒、北条加蓮のトライアドプリムスのメンバー達も勿論の事、 普段は緩く活動している塩見周子や大槻唯、果てはリーダー格の速水奏も。等しく、今回ばかりは緊張の面持ちを隠せていなかった。 気負い易く張り切りがちなありすは、疲労が残らない程度に本番時の動きをシャドーしているが、後数時間でスタートと言う現実からが、動きが固い。 書痴の気が強かった鷺沢は、最近フレデリカが歌っている歌に触発されてか、アルケア帝国の英雄について記された書物である『廃都物語』を読んではいるが、 如何にも泳ぎがちな目を見るに、内容は頭の中に入っていないだろう。大槻も塩見も、一見すれば落ち着いた様子を見せてはいるが、 普段のキャラクターが緩くて喋りたがりで通っている二人が落ち着いていると言うのは、今回のライブの重大性を認識している証でもあった。 トライアドプリムスとして場数を踏んで来た凛や奈緒、加蓮、LOVE LAIKAの片割れとして同じく数をこなしたアナスタシア、そして、クローネのまとめ役である奏も。 めいめいが、台本を読んでいたり、スマートフォンを弄っていたり、或いはただ座って落ち着いていたりとしているが、やはり、瞳から感じられる感情が普段と違う。  これが本当に、日本有数の芸能プロダクションのアイドル部門の中でも、指折りと言っても過言ではない実力を誇るアイドルユニットの、 本番前の姿なのかと疑いたくもなろう。年相応の少女達が発散させる、騒がしくも華やかな雰囲気が欠片も感じられない。 絶対にしくじれないと言う緊張感から、レッスンルームは、まるで通夜の様に静まり返っていた。 誰かが、思った。「こんなテンションで、本当にライブに成功するんだろうか」、と。その一人が思った事が、皆に伝播して行く。 感情は、伝わる。水面に落とした小石が落とした波紋のように。糸で牽引される人形のように。咳で風邪が移るように。  ――そんな空気を根底からひっくり返し、ナノマイクロレベルにぶち壊すように、レッスンルームに存在しなかった最後のメンバーにして、 今回のライブイベントの実質的な主役とも言える少女が、部屋にやって来た。勢いよくドアを開け、今日のライブなど何処吹く風、と言ったような様子で 「ボヌニュ~~~~イ!! クローネの皆さん!!」  皆が一様に、レッスンルームに突如現れた闖入者。 プロジェクトクローネの一員にして、今回のライブの大トリをピンで飾る主役、フランス人の母親譲りの金髪が眩しい少女、宮本フレデリカの方に顔を向けた。 なお余談であるが、ボヌ・ニュイ、Bonne nuitとは、フランス語でおやすみなさいの意味である。 「お~っとととありすちゃーん、元気?」  今の今まで、曲中の動きのシャドーをやっていたありすであったが、唐突なフレデリカの入室にビクッと身体を硬直させてしまった。 それに目を付けたフレデリカは、フンフンといつもの鼻歌を口ずさみながら、ありすの方へと近付いて行く。 「げ、元気かと言われれば、何も支障はないですが……と言うより、緩すぎですよフレデリカさん!! もうすぐ本番ですよ!?」 「ん~? 緊張してるよりはリラックスしてた方が、気が楽だよあ~りすちゃん」 「名字の方で呼んで下さい名字の方で!!」 「ままま、良いじゃん良いじゃん。あそうだ、緊張をほぐす方法知りたい? 知りたいでしょ。しょうがないなーありすちゃんは」  頭の中に思い浮かんだ言葉を、感情の赴くがままに口に出しているとは思えない程のマシンガン・トーク。この適当で弛緩した雰囲気は、正しく、平時の宮本フレデリカその人であった。 「そんじゃありすちゃん、手を出して」 「……人、って書いて呑み込むあれですか?」 「おぉ、物知り~ありすちゃん。そうそう、あれをやるんだけどさ、ほら? 私フランス人っぽいキャラでしょ? だからフランス語で書いてあげる」 「っぽいと言うか、アンタまんまフランス人とのハーフじゃん……」  一人だけ別の星からやって来たとしか思えない程のハイテンションを維持するフレデリカを見て、呆れたように口にするのは奈緒であった。 ありすの方は、これは手を出さないと次のステップに進まないな、と観念し、普通に右掌を差し出した。 白く嫋やかなその手を見て、フンフン、とフレデリカが一人で納得する。 「良い手相だね」 「書くんじゃないんですか?」 「あっははは、フレンチジョークフレンチジョーク。それじゃ書くね。鉛筆で良い?」 「指です!!」  「解ってるって解ってるって」、そう言ってフレデリカは、ありすの右掌に人差し指で文字を書いて行く。  「はい、どうだ!!」 「……私の気のせいでなければ、Humanって書いた気がするんですが」 「あ、凄いありすちゃん。小学生なのに良く解ったね、ひょっとしてTOEIC100点取っちゃったりする?」 「あ、あの……フレデリカさん……。あのテストは990点満点ですから、その点数は……凄く低いです」  遠慮気味に突っ込む鷺沢。後ろで、「と言うか今時の小学生だったらその程度の英単語位は……」、とひそひそ会話するのは、凛と加蓮が会話していた。 「……ぷっ、あは、あはははは!!」  一連の流れを見て、今まで茫然状態だった唯が笑い始め、吊られて、周子の方も笑い出す。 「あ~、何かばっかみたい☆ 絶対失敗出来ないライブだからって、緊張し過ぎだよ唯達はさ☆」 「そうそう、気負い過ぎだよあたし達。要するにさ、人が沢山見てる所で、リハーサルをやれば良いだけなんだよ本番って。いつも練習してる事を、練習通りに人前でやれば良い。変に緊張してたら、余計にミスっちゃうでしょ」  そう言って唯と周子は、今まで自分達が如何に、失敗出来ないライブと言う巨大な壁に怯えていたのか、と言う事を語り始めた。 本番までもう時間がないと言うのに、いつも通りのテンションのフレデリカを見て、彼女らも悟ったのだ。 ライブとリハーサルの違いなど、人が見ているか否かでしかない。リハーサルではミスなく、完璧に出来るのなら、人前で同じ事をやって失敗する訳がない。 後は、気の持ちようだろう。テレビ放映がある、日本のみならず世界のプロダクションも注目している。その事実に、委縮し過ぎた。 人がいる前で、リハーサルでいつもやっていた事を恙なくやって行けば良い。所詮、その程度に過ぎないのだ。 「……確かにそうかもね。変に肩筋張ってたら、出来るものも出来にくくなるし」  凛がそう言うと、加蓮やアナスタシアの方も首を縦に振る。 「ふふ、何か皆、素のキャラクターに戻って、緊張感が吹っ飛んじゃったわね。でも、これ位の心持ちの方が、かえってやり易いのは確かね」 「か、奏さん達がそう言うのなら……たまにはフレデリカさんも良い事をしますね。ね、鷺沢さん」 「え!? 私は、フレデリカさんは何時もムードに寄与してると思ってると……」 「ちょっと文香ちゃ~ん? 声がすっごい疑問気なんだけど?」  と言うフレデリカ。漸く皆が、クローネとしての仮面を被っている時の彼女らでない。 クローネと言うペルソナを剥いだ時の、素にして生の姿が戻って来た。後は、この精神的な安定感を維持したまま、クローネとしての姿を演じ、ライブを成功させるだけだ。 「リハーサル中何度も確認し合った事だから、もう今更って感じがしないでもないけど、やっぱ、やっておきたいから言うわね」  奏が、すぅ、と一息吸ってから、心の中に浮かんできた言葉を、口にし始めた。 「絶対、成功させるわよ!!」  アイドル全員が、威勢よく返事をした。 「うん」だったり、「はい」、だったり、一人だけ「ちゃーっす!!」だったり。返し方こそ種々様々だが、皆、ライブを成功させると言う決意だけは本物だった。 それを見て、フフン、と言った感じの笑みを浮かべるフレデリカだったが、突如、親の訃報でも聞かされたような真顔に表情を変え、そしてすぐに、痛みに苦しむような顔に成り始めた。 「……? シトー、如何しましたかフレデリカ? 顔色が優れないようですが」  真っ先に異変に気付いたのは、アナスタシアの方だ。 彼女の言葉を疑問に覚え、皆がフレデリカの方に顔を向けると、クローネの雰囲気を盛り上げた立役者は、腹に刀でも突き差されたように、顔を苦悶に歪めさせていた。 「ど、どうしたのフレデリカ? 体調が悪いの?」  訊ねる加蓮に対しフレデリカは。 「う、ううん大丈夫大丈夫!! ちょっとお腹が痛くなっただけだから、陣痛かな?」 「いやいやいや、駄目だろそれは!!」  真っ先に突っ込んだのは奈緒である。この歳のアイドルが妊娠は、それはもう、駄目だ。 「ねぇフレデリカ、本当に大丈夫なの? ひょっとして、その右腕の包帯から、痛みが来るんじゃ……」 「ほ、本当に大丈夫だから凛ちゃん!! この包帯は……そう、アレだよアレ!! 蘭子ちゃんや飛鳥ちゃんリスペクト!! ……でもちょっと、お腹痛いから、トイレ行ってるね!!」  「心配ないからホントホント!!」、その言葉がレッスンルームから廊下の方にフェードアウトして行く。 後には、キョトンとした表情を浮かべる、クローネの面々が遺される体となった。  ――一人として、今のフレデリカの言葉と強がりが真実だと、信じているアイドルはいなかった。 だって彼女が去り際に見せた表情は、今にも泣き出しそうなそれであったからだ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  あの白衣の女に、実験と称されて変なアンプルのような物を打ちこまれてから、一週間以上は経過しただろうか? 日に日に、餓えが強くなっていく。グラノーラシリアルを丸々平らげても、少ししかお腹が膨れない。お惣菜をこれでもかと食べても、結果は同じ。 体重が一日で二kgも増えるのではと思う程の量を食べても、体重にも体型にも、全く影響が出ない。つまり、何を食べても、飢えが満たされない。  何時からだろう。 人を見て、『美味しそう』だと思うようになったのは。そして、それに抗おうとする度に、全身が切り刻まれるような強い餓えに襲われるようになったのは。 それを抑えるのに、フレデリカは必死だった。此処最近は、プロダクションのアイドルを見る度に、強すぎる飢餓が彼女を苛む。  ――美味しそうだった。 ありすは、身体全部が美味しそうだった。鷺沢は、胸が柔らかくて、食べごたえがありそうだ。 アナスタシアは、雪国生まれのシミ一つない白い肌を舐めまわして剥いであげたい程に、食欲を喚起させる。 凛の内臓は、どんな味がするのか。奈緒の腸は? 加蓮は元々病弱だったと言うが、それが味に影響してないだろうか? 奏は手足が美味しそうだった。唯は飴ばかり舐めているから、ほのかに肉も甘い味がするのか? いや、そうしたら周子の方も――  おぞましい考えが、フレデリカの脳裏を過って行く。 胃液が喉から逆流して行くのを、必死に抑える。水洗金具を弾みでぐっと握る。果たして、誰が信じられようか。 見るからにか弱そうなフレデリカの握力で、金具が捩じ切れたのだ。それについても、驚く様な素振りを彼女は見せない。 アンプルを打ちこまれてから、ずっとこんな感じだった。本気で握れば、コップが砕ける、コンクリートの壁を殴れば、その部位が凹む。 今の彼女は、人喰いの衝動と引きかえに、人智を逸した身体能力を誇るようになった、怪物であった。  何を食べても、美味しいと感じられなくなったし、どんな料理の映像や画像を見ても、食欲を刺激されなくなった。 <新宿>を行き交う人。人を見て、フレデリカは美味しそうだと思うようになり始めた。怖い。日に日にその衝動が強くなって行く。 飢餓を抑えれば抑える程、其処らを行き交う人間が、ずっと魅力的に、美味しそうに見えて来るのだ。 「やだ……怖いよ……助けて……」  普段のフレデリカからは、想像もつかない程の弱気のトーンでそんな言葉を吐き出した。言葉と一緒に、吐瀉すらしかねない程の、消耗ぶりだ。 レッスンルームでは、必死にあの場にいたメンバーを励まし、そのテンションの向上に寄与した。 自分があのテンションでなければ、フレデリカは完全に崩れてしまいそうだったからだ。これが――今のフレデリカの、生の姿だった。 無理やりにでも元気を装わねば、人喰いの衝動に呑まれかねない。何時如何なる時、人間の身体を貪らないか、今の彼女ですら解らなかった。  控室に置いてあった自分鞄を急いで持って来たままトイレに籠ったフレデリカは、そのチャックを勢いよく開け、中からある物を取り出した。 鶏のもも肉だった。無論、調理されていない。生のままのそれだ。これを彼女は無理やり口へと持って行き、それを齧り出したのだ。 今の彼女は、生の鳥どころか、焼かねば中の寄生中のせいで到底食べられない豚肉すら、食べても大丈夫な身体になっていた。 急いでそれを咀嚼し、彼女はそれを呑み込む。もう、生肉を食べて餓えを凌ぐ、と言う手段すら、余り通用しなくなっていっている。 「今日、今日を凌いだら……」  休もう。志希ちゃんみたいに休む時間を美城常務に申請して、メフィスト病院って所で治療して貰おう。  その為には、先ずライブを終わらせる必要がある。ライブは成功させる、クローネの皆と、笑顔で最高のライブを迎えたい。 絶対に、失敗は出来ない。だから――だから。 「神様……お願いします、私を……私を……」  救って下さい。掠れるような小声で、フレデリカは呟く。捩じ切れた水道金具を握り締め、フレデリカは涙を流し祈った。 彼女は知らない。この<新宿>には、救う神もいなければ、祈る神もいない魔都になってしまった事を。 彼女はもう、アートマを抱えたまま、夜を迎え、昼を迎え。そしてまた、夜を迎えるしかない。 彼女がその事実を知る事は、永遠に、ない。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆        クーム・ルーム・ディーム クーム・ルーム・ディーム      七つの命のクーム・ルーム・ディーム      一人で旅立つクーム・ルーム・ディーム 二又道で迷っていたら      三つの国の 王様が来て 四ツ目の竜を 倒せと言った      五つの門をくぐり抜け 六年がかりで探しだし 七度死んで竜を倒した      クーム・ルーム・ディーム クーム・ルーム・ディーム      七つの命のクーム・ルーム・ディーム ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  誰も知らぬ暗がりで、その大男は<新宿>の闇を堪能していた。此処は、アーガデウムが辺境の田舎としか思えない程、発展した街だった。 大量に行き交う人々。露天商がどの道にもおらず物を運ぶ馬車すら存在しないのに、確かに流通している大量の物資。そして、人々の活気。 全てが、アーガデウムとは比較にならない。そんな所に、男はいた。そして、死と言う安寧すらも奪われたのだと、半ば諦めていた。  自分を呼びだしたあの男が、嘗て同じ釜の飯を食い、同じ杯の酒を回して呑んで。 一角獣を仕留めた事を喜び合い、黄金樹の立ち並ぶ河縁を歩いた男とは、別の男である事は理解している。 理解していても、魔将としての宿命が、彼への反逆を許さない。自らを始祖帝と称するあの男は、大男が認めてるタイタス一世とは、全く別の存在である。 それなのに彼に犯行が出来ないのは、全く別の存在であるのに、彼もまたタイタスの影であるからに他ならない。 故に、魂と、その在り方を縛られている。あの男の理想に殉じ、魔将になった事に悔いはない。 だが、大男が嘗て無二の友と認め、嘗ての崇高な理想から既に乖離を始めたあの男は、既にタイタスではなかった。  そんな男に魂を縛られた生前。自らの宿命を御子が漸く断ち切り、魔将の全員が死と言う安息を得られたのに。 今また、彼らはその魂と肉体を縛られ、タイタスの傀儡となっている。これが宿命(さだめ)であるか。大男は、自らの境遇を嘆きつつも、最早どうにもならないのだと、諦めていた。 「……お前もまた、奴に囚われたるか」  護衛を行うようタイタスから命令された、ムスカと呼ばれる男を思いながら、最強の魔将は口にした。 お前の行く道は破滅だと、助言したくともそれが出来ずにいた。タイタスの魔術の為だ。  擦り切れた黒灰色のローブから覗く、鷹の如く鋭い瞳には、憂いの輝きが悲しげに沈んでいた。 鬼神の如き強さを誇る魔将、『ク・ルーム』は、この星の大気の底で、自らの滅ぶその時の到来を、待ち望んでいるのだった。 ---- 【高田馬場、百人町方面(346プロダクション)/1日目 午前9:30】 【宮本フレデリカ@アイドルマスター シンデレラガールズ】 [状態]精神的疲労(極大)、飢餓(極大)、チューナー [装備]クローネのアイドル衣装 [道具] [所持金] [思考・状況] [備考] ・ジェナの手によりチューナーにさせられています。アートマは、右腕の半ばに巻かれた包帯に隠されています。 ・変身出来る悪魔は[検閲]です。 【高田馬場、百人町方面(???)/1日目 午前9:30】 【魔将ク・ルーム@Ruina -廃都の物語-】 [状態]健康、憂鬱 [装備]二振りの大剣、準宝具・魔将の外衣(真) [道具]タイタス十世@Ruina -廃都の物語- [所持金]とても多い [思考・状況] 基本行動方針:タイタスの為に動く 1.ムスカの護衛 2.道具である十世を守り抜く [備考] ・タイタスにより召喚された、魔将です。サーヴァントに換算すれば以下のステータスに相当します。 【クラス:セイバー 筋力A 耐久B 敏捷B 魔力A 幸運E- スキル:勇猛:C 対魔力:C 戦闘続行:EX 異形:A 心眼:C 】 ・準宝具の魔将の外衣は、Cランク相当の対魔力を付与させると同時に、『7回までは死んでも即座に復活出来る』と言う効果を持ちます。 ・タイタス十世は黒贄礼太郎の姿を模倣しています。模倣元及び万全の十世より能力・霊格は落ち、サーヴァントに換算すれば以下のステータスに相当します。 【クラス:バーサーカー 筋力D+ 耐久E 敏捷C 魔力D 幸運E- スキル:狂化:E+ 戦闘続行:E 変化:- 精神汚染:A- 呪わし血脈:EX】 ※十世を直接的、間接的問わず視認すると、NPC・聖杯戦争の参加者に幸運判定が行われ、失敗するとアルケアの想念が脳裏に刻まれます。(実害は皆無だが、アルケアの夢を見るようになる) **時系列順 Back:[[満たされるヒュギエイア]] Next:[[仮面忍法帖]] **投下順 Back:[[太だ盛んなれば守り難し]] Next:[[ワイルドハント]] |CENTER:←Back|CENTER:Character name|CENTER:Next→| |15:[[夢は空に 空は現に]]|CENTER:結城美知夫|48:[[Cinderella Cage]]| |15:[[夢は空に 空は現に]]|CENTER:ムスカ|~| ----

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