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She`s so Happy☆」(2016/11/03 (木) 18:51:11) の最新版変更点

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          変化は人生の薬味というけれどね、あたしたちアイルランド人は馬鈴薯を作ってればいいのさ。      当たり前のことを規律正しくやってればいいの。それが幸福というものだよ。                                         ――スティーヴン・キング、ミルクマン ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「愚かな選択ばかりして」  歳も四十、いや、五十にも手が届こうかと言う、初老の男の声が、壁紙やフローリングのニスの剥がれた、如何にも退廃的な部屋に響いた。 「……お前はまたしても……」  鏡に亀裂の入った化粧台の前で、上着を脱ぎ、ブラジャーだけになった黒髪の女性がいた。 左肩周辺をきつく、包帯と針金を巻き合せた物で縛り、簡易なギプス代わりにしている作業中であった。 彼女の――ロベルタと言う名前の、ヒスパニック系の女性の左肩は、砕かれていた。 「この世界にも、やって来るのかお前は。お前の住む世界は、此処じゃないだろう」 「私は、君の心の影だ。君が私を忘れない限り、私も消えない。私が消えたいと思っても、だ」  ロベルタはバッと、声のする方角に顔を向けた。 洗濯をしないせいで黄ばんだシーツをかけたマットレスの簡易ベッドの上に腰を下ろしていたのは、白髪の大分混じった黒髪をした日本人男性だった。 白いワイシャツに、スラックス。正しく巻かれたネクタイと、首にぶら下げられた、何処かの会社の社員証。 一目見ただけでは、うだつの上がらない、何処にでもいる中年のサラリーマンの様にしか見えない。彼は憂いと、何処かロベルタを静かに非難するような瞳で、静かに彼女の方を見据えていた。 「君は取り返しのつかない所まで来てしまった。何故君は、何度も選択を違えてしまうのだ」 「誰が、拷問していた相手が持っていた鍵を手にしたら、ジャパンに飛ばされるなど予測出来ると言うの?」 「無論、それを君の落ち度と言うのは、酷だろう。私も予想出来なかった。だがこのような事になる前に、それを未然に防げる機会が君には幾らでもあった」  其処で、ロベルタが押し黙った。 「何故君は、君の愛する少年の待つ荘園(アジェンダ)で、いつも通り蘭を愛でていられなかったのだ? 君の取れる最良の選択は、彼の待つあの屋敷で、彼と、屋敷の仲間達と共に哀しみを分かち合う事だけだったと言うのに」 「それだけでは、私と若様の溜飲が、下がらなかったからだ」 「君の身勝手を正当化するのに、彼の名前を出すのはよしたまえ。卑怯な物言い以外に私には聞こえないよ」 「黙れ」  女性の放つ声とは思えない程低く、恫喝的な声音でロベルタが唸った。中年は、怯まなかった。 「何故君は、私の忠告を聞けなかったのだ。君はずっと我が意に従って走り続けて、その結果、君は此処にいると言うのに」 「私は、自分が此処にいる事が失敗だった等と思ってはいない」  途端にロベルタは、饒舌さを取り戻した。 「聖杯が手に入るのよ? 私が痛みに耐え、私が罪を背負えば、若様の哀しみは晴れ、神の懐に戻った御当主様の無念が――」 「違う」  放っておけば長く語りそうなロベルタとは対照的に、それを受ける男の返答は、短くて、とてもシンプルなものだった。 「君だけだ。聖杯を手に入れて解消されるのは、君の暴力性だけだ」 「違う」 「聖杯を手に入れる為に力を振い、聖杯を手に入れて君の主を殺した者達を殺したとして、溜飲が下がるのは君だけだ。君の愛する彼は、喜びすらしない」 「違う」 「目を覚ませ、ロザリタ。君の居場所は此処でなく、君のやる事は聖杯の獲得でもない。<新宿>にいるであろう、聖杯戦争の主催者に義憤を抱く者と結託し、主催者を打倒し、あの荘園に戻る事だ」 「違う!! 私のやる事は、聖杯を手に入れて、当主様を醜く殺した狐共を地獄に叩き落とす事だ!!」  其処までロベルタが言った瞬間、男の額に、孔が空いた。 後頭部を突きぬけて、その孔から背後の破れた壁紙が見えたと思ったのは、ほんの一瞬。直にそれは、血色の孔に変貌し、其処から血液が、彼の額から鼻梁を伝って行く。 「君が本当は正義感がある人間だと言う事を、私は知っているよ。そして、物事を背負いやすいと言う事も。だからこそ君は、道を誤った」  血が、流れ続ける。ベッドのシーツは色水の張られたバケツをぶちまけた様に紅く染まり、フローリングにも徐々に血が滲みだした。 「思えば全ては、腐った政体を打倒せんと、革命をめざし、FARCに入隊した事が、コトの始まりだったな。それ自体は、崇高な事だと思うよ。だが君は、其処から道を違え始めた」 「そうだ。其処は、認めてやる。間違った政治を正そうと、私は確かにあの時燃えていた。そして、殺し続けた」 「フローレンシアの猟犬、か。凄まじい綽名だ。だが君は、麻薬カルテルと手を結び始めた組織に疑問を持ち始め、組織から手を引いたね。其処だけは、英断だった」  「なのに……」、そう言った男の声音は、酷く残念そうだった。そして、憂いと悲しみが涙となって、今にも彼の瞳から零れ落ちそうだった。 「再び、革命に目をギラつかせていたあの日の君に、ロザリタ。君は戻りつつある。私は何度でも言おう。君が選べた最良の選択は、君の愛する、ガルシア・フェルデナンド・ラブレスと哀しみを分かち合う事だけだったのだ」 「それでは若様も当主様も納得が行かないから!!」  ロベルタが烈火の如き剣幕で叫ぶが、それを受ける男は、不気味な程平静を保ったままであった。 「君は何故、君の主を殺した者達を殺そうとするのかね」  普通に話を進めて行けば、事態は堂々巡りになるだけだと考えたのか。男は、アプローチの方法を変えた。 「敬愛するディエゴ・ホセ・サン・フェルナンド・ラブレスを殺された復讐……それもあるのかも知れないな」  「――だが」 「本当は、君の見ている所は、違うのではないのか」  ロベルタは、緘黙を貫いていた。男の方も。 彼女の方から、本音を口にする事を待っている風にも見える。二十秒程の時間をたっぷりとった後で、ロベルタはゆっくりと口を開いた。 「……殺されるのならば、私の方だとずっと思ってた」  獣が唸るが如き口調であった。 「殺した兵士の数何て、もう数えるのを止めた。政治家や企業家、反革命思想の教師だって飽きる程葬った。女子供を誘拐して、用が済めば撃ち殺す事にだって抵抗感を憶えなかった」  続ける。 「信じていた組織がコカイン畑とそれで腹を醜く肥やすマフィアに魂を売っていると知り、組織を抜けてから……、私は当主様の計らいで、安息と幸せの日々を享受していた」  男は黙って聞いていた。血は今も、流れ続ける。 「ベッドの上で死ねる訳がないと、思ってた。何故ならば私は、人を殺し過ぎたから。罪を重ね過ぎたから。だから、本当に殺されて、地獄の業火で炙られるのは、私だった……!!」 「なのに殺されたのは、君を匿ってくれて、幸福と安息を約束してくれた御当主様だった」 「そうだ!! 御当主様も若様も、『父』に祝福されて、幸福の内に天寿を全うするべき人間だった!! だから――」 「殺した者達を追い続け、その者達を葬る為に聖杯を、か。君の行動原理は責任……いや、贖罪なのかも知れないな」 「答えろ、亡霊風情が……!! 何故、御当主様が殺されねばならなかった!! その御当主様を殺した者達に鉄槌を下す私は、悪だとでも言うのか!!」  光彩に炎が燃え上がっているみたいに瞳を血走らせ、口角泡を飛ばして激しく詰問するロベルタとは対照的に、 亡霊と呼ばれた中年男性は、何処までも冷めた態度と変わらぬ口調で、滔々と語り始める。彼は、何かを超越していた。 「間と、運が悪かったからさ」  ロベルタを取り巻く諸問題に全く無関係にも近しい亡霊の男の答えは、何処までも残酷だった。 彼の返事を受けたロベルタは、臆面も何もなくそう答えた彼を、まるで白痴の老婆の様に間抜けな表情で見つめていた。 「悪い事と時の不運が重なれば、身の危険が迫るリスクが高くなる。セニョール・ディエゴの場合は、それが最悪の形で振りかかった。それだけの話なのだよ。君も、心の何処かでそれを理解している筈だろうに」 「……認めない。そんな事で、当主様が……!! 撤回しろ……!!」 「いいや、取り消さない。何故ならば私も、間と運が悪かったが故に、殺されてしまった男なのだから。よもや君ともあろう者が、それを否定するまい」 「うるさい、うるさいうるさい!! 黙れ黙れ!! 私から離れろ!! この――」 「ああ、もう一つの質問に答えておこう」  身体が今にも燃え上がりそうな程激情するロベルタに冷水でも差し込むように、男は冷ややかに言葉を挟み込んだ。 「君が悪なのか、と言う質問についてだが――」  言った。 「解り切った質問をするのは感心しないな。君が悪でないと言うのならば、一体何だと言うのだ」  其処でロベルタが震えだした。恐れや怒りと言った感情的な発露から来る現象でなく、生命体が有する抗いがたい生理反応から来る震えであった。 瞳の焦点が、亡霊の男からあらぬ方向に、浮気をするかのように向いたり向かわなかったりを繰り返す。 「君には本来、その罪を償う機会と、この私の存在を完全に忘却する機会が無数に用意されていた。君はその全てを蹴り、此処にいる。まだ罪の全てを償う前に、更に罪の上に罪を糊塗しようとしている。これを、悪でなくて何と呼ぶのだ、ロザリタ」  耐え切れずロベルタは、化粧台の上に置いてあった、色とりどりの錠剤の入った真空パックの小袋に手を伸ばす。 正しい手順で袋を開けず、引きちぎるようにそれを開け、ピンクやブルー、オレンジにレッド等の色をしたそれを口に流し込み、キャンディーを噛み砕く感覚で咀嚼し、呑み込んだ。 「ロザリタ。君には最早私の言葉は遠いかも知れないが、私の本心を言おう。私は、君に殺された事など最早どうでも良い事なんだ。より言えば、君には君の幸せを掴んでいて欲しかったが、こうまで堕ちては、仕方がない。言わせて貰おう」  一呼吸程の間を置いて、未だ嘗て見せた事のない位据わった瞳をしたロベルタの方を見て、男は言った。 「君は裁かれて死ぬべき――」 「黙れと言っているこのジャップがぁッ!!」  肩甲骨を砕かれていない右腕で乱暴に化粧台をとっつかみ、ソファに座る中年男性の方にそれを、いとも簡単に投擲した。 ガシャァンッ!! と言うガラスが完膚なきまでに砕ける音と、化粧台の構築する木材が乾いて破壊される音が部屋中にけたたましく鳴り響く。 その音に気付き、別所に待機させていた、ロベルタが引き当てたバーサーカー、高槻涼が、急いで実体化をして室内に現れた。霊体化した状態で室内に入っていたらしい。 彼は、ロベルタと、破壊された化粧台の方向を交互に見比べている。何が起っているのか、理解が出来ないと言う体であった。 「――あぁ、ジャバウォック。ごめんなさい。驚かせてしまったわね」  肩を上下させ、荒い息を吐くロベルタであったが、珪素に似た鉱物状の右手を持った、自身のバーサーカーを見た瞬間、冷静さを取り戻した。 女性美に溢れた優美な笑みを彼に投げかけるロベルタであったが、直に、ベッドに座る男の方をに顔を向けた。笑みに、冷たい物が過った。 額に血の孔を空けた男は、既にベッドから立ち上がって、此方を見つめている。化粧台に直撃したはずなのに、平然としているのは、亡霊の類だからか。 「ジャバウォック、其処にいる亡霊を、あなたの暴力で破壊しなさい」  この<新宿>にやって来た際に、令呪と共に刻まれた、聖杯戦争に纏わる知識。 サーヴァントはこれ自体が埒外の神秘――未だにそれが如何なる概念なのかロベルタは知らない――であり、一般的な物理的干渉力とは別に、 強い魔力的・霊的な干渉能力も有していると、彼女は記憶している。乱暴な解釈だが、幽霊や亡霊も、葬り返せるかも知れない。 それを期待しての、この命令だった。自身が引き当てたジャバウォック(魔獣)に、自らに憑いて回る悪霊を殺して貰う。その事を、ロベルタは強く期待していた。 「……」  しかし、命令を受ける高槻の表情は、呆然としたそれであった。 きょとん、と言う表現が相応しいのかも知れない。命令の内容自体は、理解しているのだろう。 だが理解してもなお、未だに腑に落ちない所があるらしい。化粧台の壊れた所とロベルタの方とを、彼は交互に見比べているのだ。  ――何を言っているんだ、マスターは――  そんな態度が、今の高槻からも、ありありと見て取れる。 「ジャバウォック」  ロベルタの、高槻に対する呼び方が、熱っぽいそれから、冷たいそれに変貌した。 声のトーンを感じ取った高槻が、仕方がない、と言うような挙措で右腕を動かし、それを化粧台が突き刺さったベッドの方に振り下ろした。 ビスケットめいてそれら二つは粉砕され、その破片が宙を舞い、ロベルタ達の方に四散した。それを見て、満足そうで、そして、狂的な笑みを浮かべるのは、ロベルタ当人であった。 「これで、少しはマシに動ける」  一千万ドルにも上る借金を漸く完済して身も心も完全に軽々とした状態にでもなった、とでも言うような雰囲気で、ロベルタが言った。 対する高槻の方は、未だに納得が行かないような表情で、ロベルタの方を見つめていた。  確かに、ロベルタの考える通り、サーヴァントはそれ自体が霊体の存在である為、幽霊や亡霊、悪霊の類にだって干渉を可能とする。 しかし、幽霊と言われる物ですら、その世界に魔術的、霊的に『存在』する概念であるからこそ、サーヴァントも干渉を可能とするのである。 その世界に存在しない生き物は、例えサーヴァントと言えど、害する事など出来やしない。それが例え、地球すらも破壊出来るバーサーカー、高槻涼であろうとも。  ロベルタが高槻に殺せと命令した亡霊は、ロベルタにしか見えていなかった。 高槻涼の狂った瞳には、壊された化粧台と黄ばんだシーツをかけた簡易ベッド。そして、瞳の据わり切った自身のマスターしか、映していなかった。 亡霊など初めからいなかった。いたのはただの、気狂い(ジャンキー)の女一人だけであった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  素人目による客観的な見地からも、医学・臨床的な見地からも、ロベルタもといロザリタ・チスネロスが、重度の薬物中毒者である事は明らかであった。 最初に薬物に手を出した理由は、何だったのか。自らの戦闘に対する気分を昂揚させる為だったか?  それとも、一個中隊に匹敵する人員数で、しかもその全員が軍用火器を有した組織を単騎で相手取ると言うプレッシャーを解消させる為だったか? もしかしたら、弾みだったのかも知れない。今となってはロベルタは、自身が何故中枢神経に作用するあの薬物を口にしていたのか、理解が出来ずにいた。  自身が薬物に犯され、そしてその中毒者であると言う事を、ロベルタは理解していた。 彼女が所属していたFARCとは、後々コカインを売り捌いて私腹を肥やしていたマフィアと結託して利益を結んでいた事もある組織であった。 そう言った組織の構成員であった都合上、薬物中毒にした、或いは、された人間と言う物を多く見て来た。 それに、こう言った多幸感を与える薬物とは、拷問にも用いられる。最も幸福を味わえる分量の薬物を注射し、禁断症状が起きれば放置。 相手が薬物欲しさに情報を吐くまで待つ、と言う拷問も、ロベルタは見た事が何度もある。その様な経験則に基づいて自身の症状を考えた場合、 自分がとうとう堕ちる所まで堕ちてしまったと言う事は、彼女自身の目から見ても、明らかな事柄なのだ。  ロベルタが亡霊と認識していた、あのうだつの上がらなそうな中年の男は、彼女が元居た世界で服用していた興奮剤の副作用が見せた幻覚だった。 ただ、その幻覚は全く過去に依拠していないと言うイメージでなく、FARCのゲリラ時代に彼女が殺した、日本人のビジネスマンの姿を取って現れている。 多くの人間を殺して来たと言う自覚がロベルタにはあったが、その中で何故、あの男の姿を取って現れるのか。彼女には未だに理解が出来ずにいた。 何れにせよこの幻覚は、彼女にだけしか見えず、彼女にしか知覚する事が出来ない存在だ。他人には当たり前の事だが、認識すら出来ない。 サーヴァントであろうとも、それは同じ事。高槻の目には、彼女が『いる』と認識した空間には、何も見えていなかった事を、彼女は知らない。 尤もあのバーサーカーは空気を読んで、その方向を破壊してくれはしたのだが。  幻覚症状は、元の世界にいた頃よりも深刻な物に発展していた。 契約者の鍵をロベルタが手に入れたのは、全くの偶然であり、<新宿>に飛ばされる事など全く予期していなかったので、服用していた興奮剤は元より、 常備薬代わりのあの薬物よりも肌身離さず持っていた筈の重火器類すらも元の所に置いて来てしまっていた。 ディエゴを爆殺した人間の関係者を殺して回っていたあの時の薬物の依存症状は今に比べればまだ末期と言うには程遠かったので、まだ回復の見込みは認められた。 此処<新宿>で、火器の調達代わりにヤクザの事務所を破壊して回ったのが、より悪い結果を招いた。 裏ビデオの流通や性風俗等の運営で利益を上げている組も当然あったが、違法ドラッグや覚醒剤を流通させて利益を喰っているヤクザを潰したのが、運のツキだった。 依存症状は軽かったと言うだけで、回復していなかった。禁断症状が出かけていたロベルタは、組員を皆殺しにする際に、事務所に溜められていた薬物を全て応酬。 そして、服用していたのである。中年男性の幻覚症状を消そうと彼女が噛み砕いたあの薬は、この国でMDMAと呼ばれている違法ドラッグの一種で、 多幸感や全能感を服用者に与える依存性の強い違法薬物だ。これ以外にも彼女は、自身のアジトに覚醒剤やコカイン、ヘロインの類を幾つか溜めている。  元々ロベルタが服用していた、中枢神経系に影響を与える興奮剤は、リタリンとも呼ばれ、用法容量を守れば、 鬱やナルコレプシーにも有効性を発揮する立派な医療薬品なのである。過度に摂取すれば依存性を筆頭とした諸々の副作用を招くが、これは、 精神病に対して処方される薬全般にある意味では言えた事である。今ロベルタが服用している覚醒剤やコカイン、脱法ドラッグの類は、 多幸感や全能感、覚醒効果のみを高めさせるだけの、医療目的には到底使えない程の代物で、その上依存度が高く副作用も悪辣、と言う、 薬に依存させて金だけを吐き出させたいドラッグのブローカー達にとってはこれ以上となく便利な代物なのである。 こんな物を服用していれば、当然幻覚症状もより酷くなる。その結果が、あの中年男性の幻覚と言う訳であった。  短期決戦を志さねば、自分が破滅する。 ロベルタの頭は、こと戦闘に関して言えばゾッとする程冷静な動きを見せる。 自分が疑いようもなく薬物中毒者になっていると言う事実もそうである。だがそれ以上に、自身のバーサーカーである高槻涼と言う存在が重くのしかかっている。 彼を運用するには、特に莫大な魔力が必要となる。それはロベルタも知っている。だからこそ、火器の調達代わりに、彼にヤクザの魂喰いをさせたのだから。 短時間の戦闘の連続ならば全く問題がない程度には、今のロベルタには魔力のプールがある。――そのプール量の三割近くが、今や消失していた。 その理由は単純明快で、新宿二丁目で高槻が見せた、ARMSの最終形態変化が原因である事は疑いようもない。 あの形態こそが、バーサーカー・高槻涼の真骨頂だと言う事は疑いようもない。あれを慢性的に維持出来るのならば、自身は間違いなく聖杯を勝ち取れる。 ロベルタの公算はそれだった、が、世の中そう簡単には甘くない。その強さの代償と言わんばかりに、あの形態で活動している時の魔力消費量は凄まじかった。 あれはここぞと言う時にしか使ってはならない力だろう。しかし、聖杯を勝ち取るのであれば、あの力を頼らねばならない事は明白な事柄だ。ならば、如何するべきなのだろうか。それについて、考える必要があった。  解決策は二つだ。 一つ。全参加者を一ヶ所に集め、其処で、高槻の真なる力を解放させ、一網打尽にする事。 そしてもう一つ。恒常的に高槻をあの形態で行動させられる程の大量の魔力を獲得する事。 どちらも非常に達成困難な難題である。特に後者だ。ロベルタは戦闘技術にこそ優れるが、そもそも魔力回路の一本も持たない、 こと聖杯戦争の参加者として見るのならば落第点のマスターである。彼女では、魔獣・ジャバウォックを御す事は、困難を極る事柄であるのは、一般的な魔術師の観点から見れば、当たり前の事なのだ。  魔力。そう、魔力さえあれば解決するのだ。 これさえあれば、聖杯目掛けて走るだけで良い。立ちはだかる敵を、ジャバウォックの顎と爪とで裂けば良い。 自身の中毒症状と、高槻涼の維持コストの事もある。なるべくなら短期決戦を志したい。如何したものかと考え、頭を掻きながら、 東京都の地図が掛かれた名所刊行誌を見ていたロベルタだったが――閃いた。彼女の目線は、<新宿>は信濃町に存在する、K大学の大学病院に目を付けた。 いや正確には、この病院は現在、K大の大学病院ではないのだ。此処<新宿>では現在、K大学病院は、『メフィスト病院』と言う名前に名を変えている。 そんな病院名があり得る訳はないだろうと思い、ロベルタは一度その病院を調査した事があったが、案の定そこは、サーヴァントの拠点であった。 刻まれた知識から推察するに、恐らくあの病院は何かの陣地の様な物であり、これを打ち立てたサーヴァントのクラスはキャスターだろう。 当初は、都会の真っただ中に陣地を建てるなど、何か罠があると思い無視を決め込んでいた。ただ、完璧に無視を決める訳にも行かない為、 評判調査も並行して行った所、その病院の評判は頗る良いと言うではないか。格安の治療費、最高度のサービス、そして医療スタッフ達の治療の腕前。 都内の他の病院の存在価値を全て奪うような医療サービスの練度の高さだけが、兎に角ロベルタの耳に入って来るのだ。  ロベルタはその噂を全て、メフィスト病院によって言わされている事柄だと判断していた。 そもそも、NPCの患者を病院に搬入して治療したり、外来の患者の診察などをすると言う行為自体が、理解に苦しむ事柄だし、狂気の沙汰としか思えない。 何か裏がある、と彼女は考えていた。恐らくはNPCから効率よく魔力を徴収しているのではと、この稀代の女軍人は推理していた。  ――これは使える……!!――  先に述べた解決策の二つを、一時に解消する作戦であった。 電撃戦の要領でメフィスト病院に急襲をしかけ、其処の主であるキャスターを消滅させ、魔力プールを奪う。 そしてその騒ぎを聞きつけてやってきた主従を蹴散らした後、残りの雑魚を破壊する。 無論、相手もサーヴァントである為そう簡単には行かないだろうが、いざとなれば、虎の子である、ジャバウォックの切り札を発動させる。 あの形態の高槻涼が、サーヴァント二人がかりによる猛攻すらも意に介していなかった現場をロベルタは目の当たりにしている。問題は全くないではないか。急いで、プランを建てねばならない。  亡霊は、ディエゴの不運と、間の悪さと時の不運が重なったのだと説明した。 果たして、ロベルタの場合は、どうなってしまうのだろうか。ロベルタよ、気付いているのか。 お前が向かう先こそは、お前が経験したこの世の如何なる地獄よりも恐ろしい魔窟であり、そして、其処を治める男が、 悪鬼羅刹の類ですら震え上がらせる程の美しき魔人であると言う事を。聖杯戦争のクラスシステムと言う枠組みなど何の意味も持たぬ程の怪物であると言う事を。  曇ったガラスから差し込む昼の<新宿>の陽の光は、彼女に対しても等しく投げ掛けられている。 この<新宿>が魔界都市であったらば、太陽はきっと彼女に、こう答えただろう。ロザリタよ――お前はそれで良いのか、と。 ---- 【四谷、信濃町方面(四ツ谷駅周辺の雑居ビル)/1日目 午前11:50分】 【ロベルタ@BLACK LAGOON】 [状態]左肩甲骨破壊、重度の薬物症状、魔力消費(中)、肉体的損傷(中) [令呪]残り二画 [契約者の鍵]有 [装備]銃火器類多数(現在所持している物はベレッタ92F) [道具]不明 [所持金]かなり多い [思考・状況] 基本行動方針:聖杯を獲るために全マスターを殺害する。 1.ジョナサンを殺害する為の状況を整える。 2.勝ち残る為には手段は選ばない。 [備考] ・現在所持している銃火器はベレッタ92Fです。もしかしたらこの他にも、何処かに銃器を隠しているかもしれません ・高槻涼の中に眠るARMS、ジャバウォックを認識しました。また彼の危険性も、理解しました ・モデルマン(アレックス)のサーヴァントの存在を認識しました ・現在薬物中毒による症状により、FARCのゲリラ時代に殺した日本人の幻覚を見ています ・昼過ぎの時間にメフィスト病院に襲撃を掛ける予定を立てました **時系列順 Back:[[インタールード 白]] Next:[[Abaddon]] **投下順 Back:[[軋む街]] Next:[[機の律動]] |CENTER:←Back|CENTER:Character name|CENTER:Next→| |16:[[かつて人であった獣たちへ]]|CENTER:ロベルタ|| ----
          変化は人生の薬味というけれどね、あたしたちアイルランド人は馬鈴薯を作ってればいいのさ。      当たり前のことを規律正しくやってればいいの。それが幸福というものだよ。                                         ――スティーヴン・キング、ミルクマン ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「愚かな選択ばかりして」  歳も四十、いや、五十にも手が届こうかと言う、初老の男の声が、壁紙やフローリングのニスの剥がれた、如何にも退廃的な部屋に響いた。 「……お前はまたしても……」  鏡に亀裂の入った化粧台の前で、上着を脱ぎ、ブラジャーだけになった黒髪の女性がいた。 左肩周辺をきつく、包帯と針金を巻き合せた物で縛り、簡易なギプス代わりにしている作業中であった。 彼女の――ロベルタと言う名前の、ヒスパニック系の女性の左肩は、砕かれていた。 「この世界にも、やって来るのかお前は。お前の住む世界は、此処じゃないだろう」 「私は、君の心の影だ。君が私を忘れない限り、私も消えない。私が消えたいと思っても、だ」  ロベルタはバッと、声のする方角に顔を向けた。 洗濯をしないせいで黄ばんだシーツをかけたマットレスの簡易ベッドの上に腰を下ろしていたのは、白髪の大分混じった黒髪をした日本人男性だった。 白いワイシャツに、スラックス。正しく巻かれたネクタイと、首にぶら下げられた、何処かの会社の社員証。 一目見ただけでは、うだつの上がらない、何処にでもいる中年のサラリーマンの様にしか見えない。彼は憂いと、何処かロベルタを静かに非難するような瞳で、静かに彼女の方を見据えていた。 「君は取り返しのつかない所まで来てしまった。何故君は、何度も選択を違えてしまうのだ」 「誰が、拷問していた相手が持っていた鍵を手にしたら、ジャパンに飛ばされるなど予測出来ると言うの?」 「無論、それを君の落ち度と言うのは、酷だろう。私も予想出来なかった。だがこのような事になる前に、それを未然に防げる機会が君には幾らでもあった」  其処で、ロベルタが押し黙った。 「何故君は、君の愛する少年の待つ荘園(アジェンダ)で、いつも通り蘭を愛でていられなかったのだ? 君の取れる最良の選択は、彼の待つあの屋敷で、彼と、屋敷の仲間達と共に哀しみを分かち合う事だけだったと言うのに」 「それだけでは、私と若様の溜飲が、下がらなかったからだ」 「君の身勝手を正当化するのに、彼の名前を出すのはよしたまえ。卑怯な物言い以外に私には聞こえないよ」 「黙れ」  女性の放つ声とは思えない程低く、恫喝的な声音でロベルタが唸った。中年は、怯まなかった。 「何故君は、私の忠告を聞けなかったのだ。君はずっと我が意に従って走り続けて、その結果、君は此処にいると言うのに」 「私は、自分が此処にいる事が失敗だった等と思ってはいない」  途端にロベルタは、饒舌さを取り戻した。 「聖杯が手に入るのよ? 私が痛みに耐え、私が罪を背負えば、若様の哀しみは晴れ、神の懐に戻った御当主様の無念が――」 「違う」  放っておけば長く語りそうなロベルタとは対照的に、それを受ける男の返答は、短くて、とてもシンプルなものだった。 「君だけだ。聖杯を手に入れて解消されるのは、君の暴力性だけだ」 「違う」 「聖杯を手に入れる為に力を振い、聖杯を手に入れて君の主を殺した者達を殺したとして、溜飲が下がるのは君だけだ。君の愛する彼は、喜びすらしない」 「違う」 「目を覚ませ、ロザリタ。君の居場所は此処でなく、君のやる事は聖杯の獲得でもない。<新宿>にいるであろう、聖杯戦争の主催者に義憤を抱く者と結託し、主催者を打倒し、あの荘園に戻る事だ」 「違う!! 私のやる事は、聖杯を手に入れて、当主様を醜く殺した狐共を地獄に叩き落とす事だ!!」  其処までロベルタが言った瞬間、男の額に、孔が空いた。 後頭部を突きぬけて、その孔から背後の破れた壁紙が見えたと思ったのは、ほんの一瞬。直にそれは、血色の孔に変貌し、其処から血液が、彼の額から鼻梁を伝って行く。 「君が本当は正義感がある人間だと言う事を、私は知っているよ。そして、物事を背負いやすいと言う事も。だからこそ君は、道を誤った」  血が、流れ続ける。ベッドのシーツは色水の張られたバケツをぶちまけた様に紅く染まり、フローリングにも徐々に血が滲みだした。 「思えば全ては、腐った政体を打倒せんと、革命をめざし、FARCに入隊した事が、コトの始まりだったな。それ自体は、崇高な事だと思うよ。だが君は、其処から道を違え始めた」 「そうだ。其処は、認めてやる。間違った政治を正そうと、私は確かにあの時燃えていた。そして、殺し続けた」 「フローレンシアの猟犬、か。凄まじい綽名だ。だが君は、麻薬カルテルと手を結び始めた組織に疑問を持ち始め、組織から手を引いたね。其処だけは、英断だった」  「なのに……」、そう言った男の声音は、酷く残念そうだった。そして、憂いと悲しみが涙となって、今にも彼の瞳から零れ落ちそうだった。 「再び、革命に目をギラつかせていたあの日の君に、ロザリタ。君は戻りつつある。私は何度でも言おう。君が選べた最良の選択は、君の愛する、ガルシア・フェルデナンド・ラブレスと哀しみを分かち合う事だけだったのだ」 「それでは若様も当主様も納得が行かないから!!」  ロベルタが烈火の如き剣幕で叫ぶが、それを受ける男は、不気味な程平静を保ったままであった。 「君は何故、君の主を殺した者達を殺そうとするのかね」  普通に話を進めて行けば、事態は堂々巡りになるだけだと考えたのか。男は、アプローチの方法を変えた。 「敬愛するディエゴ・ホセ・サン・フェルナンド・ラブレスを殺された復讐……それもあるのかも知れないな」  「――だが」 「本当は、君の見ている所は、違うのではないのか」  ロベルタは、緘黙を貫いていた。男の方も。 彼女の方から、本音を口にする事を待っている風にも見える。二十秒程の時間をたっぷりとった後で、ロベルタはゆっくりと口を開いた。 「……殺されるのならば、私の方だとずっと思ってた」  獣が唸るが如き口調であった。 「殺した兵士の数何て、もう数えるのを止めた。政治家や企業家、反革命思想の教師だって飽きる程葬った。女子供を誘拐して、用が済めば撃ち殺す事にだって抵抗感を憶えなかった」  続ける。 「信じていた組織がコカイン畑とそれで腹を醜く肥やすマフィアに魂を売っていると知り、組織を抜けてから……、私は当主様の計らいで、安息と幸せの日々を享受していた」  男は黙って聞いていた。血は今も、流れ続ける。 「ベッドの上で死ねる訳がないと、思ってた。何故ならば私は、人を殺し過ぎたから。罪を重ね過ぎたから。だから、本当に殺されて、地獄の業火で炙られるのは、私だった……!!」 「なのに殺されたのは、君を匿ってくれて、幸福と安息を約束してくれた御当主様だった」 「そうだ!! 御当主様も若様も、『父』に祝福されて、幸福の内に天寿を全うするべき人間だった!! だから――」 「殺した者達を追い続け、その者達を葬る為に聖杯を、か。君の行動原理は責任……いや、贖罪なのかも知れないな」 「答えろ、亡霊風情が……!! 何故、御当主様が殺されねばならなかった!! その御当主様を殺した者達に鉄槌を下す私は、悪だとでも言うのか!!」  光彩に炎が燃え上がっているみたいに瞳を血走らせ、口角泡を飛ばして激しく詰問するロベルタとは対照的に、 亡霊と呼ばれた中年男性は、何処までも冷めた態度と変わらぬ口調で、滔々と語り始める。彼は、何かを超越していた。 「間と、運が悪かったからさ」  ロベルタを取り巻く諸問題に全く無関係にも近しい亡霊の男の答えは、何処までも残酷だった。 彼の返事を受けたロベルタは、臆面も何もなくそう答えた彼を、まるで白痴の老婆の様に間抜けな表情で見つめていた。 「悪い事と時の不運が重なれば、身の危険が迫るリスクが高くなる。セニョール・ディエゴの場合は、それが最悪の形で振りかかった。それだけの話なのだよ。君も、心の何処かでそれを理解している筈だろうに」 「……認めない。そんな事で、当主様が……!! 撤回しろ……!!」 「いいや、取り消さない。何故ならば私も、間と運が悪かったが故に、殺されてしまった男なのだから。よもや君ともあろう者が、それを否定するまい」 「うるさい、うるさいうるさい!! 黙れ黙れ!! 私から離れろ!! この――」 「ああ、もう一つの質問に答えておこう」  身体が今にも燃え上がりそうな程激情するロベルタに冷水でも差し込むように、男は冷ややかに言葉を挟み込んだ。 「君が悪なのか、と言う質問についてだが――」  言った。 「解り切った質問をするのは感心しないな。君が悪でないと言うのならば、一体何だと言うのだ」  其処でロベルタが震えだした。恐れや怒りと言った感情的な発露から来る現象でなく、生命体が有する抗いがたい生理反応から来る震えであった。 瞳の焦点が、亡霊の男からあらぬ方向に、浮気をするかのように向いたり向かわなかったりを繰り返す。 「君には本来、その罪を償う機会と、この私の存在を完全に忘却する機会が無数に用意されていた。君はその全てを蹴り、此処にいる。まだ罪の全てを償う前に、更に罪の上に罪を糊塗しようとしている。これを、悪でなくて何と呼ぶのだ、ロザリタ」  耐え切れずロベルタは、化粧台の上に置いてあった、色とりどりの錠剤の入った真空パックの小袋に手を伸ばす。 正しい手順で袋を開けず、引きちぎるようにそれを開け、ピンクやブルー、オレンジにレッド等の色をしたそれを口に流し込み、キャンディーを噛み砕く感覚で咀嚼し、呑み込んだ。 「ロザリタ。君には最早私の言葉は遠いかも知れないが、私の本心を言おう。私は、君に殺された事など最早どうでも良い事なんだ。より言えば、君には君の幸せを掴んでいて欲しかったが、こうまで堕ちては、仕方がない。言わせて貰おう」  一呼吸程の間を置いて、未だ嘗て見せた事のない位据わった瞳をしたロベルタの方を見て、男は言った。 「君は裁かれて死ぬべき――」 「黙れと言っているこのジャップがぁッ!!」  肩甲骨を砕かれていない右腕で乱暴に化粧台をとっつかみ、ソファに座る中年男性の方にそれを、いとも簡単に投擲した。 ガシャァンッ!! と言うガラスが完膚なきまでに砕ける音と、化粧台の構築する木材が乾いて破壊される音が部屋中にけたたましく鳴り響く。 その音に気付き、別所に待機させていた、ロベルタが引き当てたバーサーカー、高槻涼が、急いで実体化をして室内に現れた。霊体化した状態で室内に入っていたらしい。 彼は、ロベルタと、破壊された化粧台の方向を交互に見比べている。何が起っているのか、理解が出来ないと言う体であった。 「――あぁ、ジャバウォック。ごめんなさい。驚かせてしまったわね」  肩を上下させ、荒い息を吐くロベルタであったが、珪素に似た鉱物状の右手を持った、自身のバーサーカーを見た瞬間、冷静さを取り戻した。 女性美に溢れた優美な笑みを彼に投げかけるロベルタであったが、直に、ベッドに座る男の方をに顔を向けた。笑みに、冷たい物が過った。 額に血の孔を空けた男は、既にベッドから立ち上がって、此方を見つめている。化粧台に直撃したはずなのに、平然としているのは、亡霊の類だからか。 「ジャバウォック、其処にいる亡霊を、あなたの暴力で破壊しなさい」  この<新宿>にやって来た際に、令呪と共に刻まれた、聖杯戦争に纏わる知識。 サーヴァントはこれ自体が埒外の神秘――未だにそれが如何なる概念なのかロベルタは知らない――であり、一般的な物理的干渉力とは別に、 強い魔力的・霊的な干渉能力も有していると、彼女は記憶している。乱暴な解釈だが、幽霊や亡霊も、葬り返せるかも知れない。 それを期待しての、この命令だった。自身が引き当てたジャバウォック(魔獣)に、自らに憑いて回る悪霊を殺して貰う。その事を、ロベルタは強く期待していた。 「……」  しかし、命令を受ける高槻の表情は、呆然としたそれであった。 きょとん、と言う表現が相応しいのかも知れない。命令の内容自体は、理解しているのだろう。 だが理解してもなお、未だに腑に落ちない所があるらしい。化粧台の壊れた所とロベルタの方とを、彼は交互に見比べているのだ。  ――何を言っているんだ、マスターは――  そんな態度が、今の高槻からも、ありありと見て取れる。 「ジャバウォック」  ロベルタの、高槻に対する呼び方が、熱っぽいそれから、冷たいそれに変貌した。 声のトーンを感じ取った高槻が、仕方がない、と言うような挙措で右腕を動かし、それを化粧台が突き刺さったベッドの方に振り下ろした。 ビスケットめいてそれら二つは粉砕され、その破片が宙を舞い、ロベルタ達の方に四散した。それを見て、満足そうで、そして、狂的な笑みを浮かべるのは、ロベルタ当人であった。 「これで、少しはマシに動ける」  一千万ドルにも上る借金を漸く完済して身も心も完全に軽々とした状態にでもなった、とでも言うような雰囲気で、ロベルタが言った。 対する高槻の方は、未だに納得が行かないような表情で、ロベルタの方を見つめていた。  確かに、ロベルタの考える通り、サーヴァントはそれ自体が霊体の存在である為、幽霊や亡霊、悪霊の類にだって干渉を可能とする。 しかし、幽霊と言われる物ですら、その世界に魔術的、霊的に『存在』する概念であるからこそ、サーヴァントも干渉を可能とするのである。 その世界に存在しない生き物は、例えサーヴァントと言えど、害する事など出来やしない。それが例え、地球すらも破壊出来るバーサーカー、高槻涼であろうとも。  ロベルタが高槻に殺せと命令した亡霊は、ロベルタにしか見えていなかった。 高槻涼の狂った瞳には、壊された化粧台と黄ばんだシーツをかけた簡易ベッド。そして、瞳の据わり切った自身のマスターしか、映していなかった。 亡霊など初めからいなかった。いたのはただの、気狂い(ジャンキー)の女一人だけであった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  素人目による客観的な見地からも、医学・臨床的な見地からも、ロベルタもといロザリタ・チスネロスが、重度の薬物中毒者である事は明らかであった。 最初に薬物に手を出した理由は、何だったのか。自らの戦闘に対する気分を昂揚させる為だったか?  それとも、一個中隊に匹敵する人員数で、しかもその全員が軍用火器を有した組織を単騎で相手取ると言うプレッシャーを解消させる為だったか? もしかしたら、弾みだったのかも知れない。今となってはロベルタは、自身が何故中枢神経に作用するあの薬物を口にしていたのか、理解が出来ずにいた。  自身が薬物に犯され、そしてその中毒者であると言う事を、ロベルタは理解していた。 彼女が所属していたFARCとは、後々コカインを売り捌いて私腹を肥やしていたマフィアと結託して利益を結んでいた事もある組織であった。 そう言った組織の構成員であった都合上、薬物中毒にした、或いは、された人間と言う物を多く見て来た。 それに、こう言った多幸感を与える薬物とは、拷問にも用いられる。最も幸福を味わえる分量の薬物を注射し、禁断症状が起きれば放置。 相手が薬物欲しさに情報を吐くまで待つ、と言う拷問も、ロベルタは見た事が何度もある。その様な経験則に基づいて自身の症状を考えた場合、 自分がとうとう堕ちる所まで堕ちてしまったと言う事は、彼女自身の目から見ても、明らかな事柄なのだ。  ロベルタが亡霊と認識していた、あのうだつの上がらなそうな中年の男は、彼女が元居た世界で服用していた興奮剤の副作用が見せた幻覚だった。 ただ、その幻覚は全く過去に依拠していないと言うイメージでなく、FARCのゲリラ時代に彼女が殺した、日本人のビジネスマンの姿を取って現れている。 多くの人間を殺して来たと言う自覚がロベルタにはあったが、その中で何故、あの男の姿を取って現れるのか。彼女には未だに理解が出来ずにいた。 何れにせよこの幻覚は、彼女にだけしか見えず、彼女にしか知覚する事が出来ない存在だ。他人には当たり前の事だが、認識すら出来ない。 サーヴァントであろうとも、それは同じ事。高槻の目には、彼女が『いる』と認識した空間には、何も見えていなかった事を、彼女は知らない。 尤もあのバーサーカーは空気を読んで、その方向を破壊してくれはしたのだが。  幻覚症状は、元の世界にいた頃よりも深刻な物に発展していた。 契約者の鍵をロベルタが手に入れたのは、全くの偶然であり、<新宿>に飛ばされる事など全く予期していなかったので、服用していた興奮剤は元より、 常備薬代わりのあの薬物よりも肌身離さず持っていた筈の重火器類すらも元の所に置いて来てしまっていた。 ディエゴを爆殺した人間の関係者を殺して回っていたあの時の薬物の依存症状は今に比べればまだ末期と言うには程遠かったので、まだ回復の見込みは認められた。 此処<新宿>で、火器の調達代わりにヤクザの事務所を破壊して回ったのが、より悪い結果を招いた。 裏ビデオの流通や性風俗等の運営で利益を上げている組も当然あったが、違法ドラッグや覚醒剤を流通させて利益を喰っているヤクザを潰したのが、運のツキだった。 依存症状は軽かったと言うだけで、回復していなかった。禁断症状が出かけていたロベルタは、組員を皆殺しにする際に、事務所に溜められていた薬物を全て応酬。 そして、服用していたのである。中年男性の幻覚症状を消そうと彼女が噛み砕いたあの薬は、この国でMDMAと呼ばれている違法ドラッグの一種で、 多幸感や全能感を服用者に与える依存性の強い違法薬物だ。これ以外にも彼女は、自身のアジトに覚醒剤やコカイン、ヘロインの類を幾つか溜めている。  元々ロベルタが服用していた、中枢神経系に影響を与える興奮剤は、リタリンとも呼ばれ、用法容量を守れば、 鬱やナルコレプシーにも有効性を発揮する立派な医療薬品なのである。過度に摂取すれば依存性を筆頭とした諸々の副作用を招くが、これは、 精神病に対して処方される薬全般にある意味では言えた事である。今ロベルタが服用している覚醒剤やコカイン、脱法ドラッグの類は、 多幸感や全能感、覚醒効果のみを高めさせるだけの、医療目的には到底使えない程の代物で、その上依存度が高く副作用も悪辣、と言う、 薬に依存させて金だけを吐き出させたいドラッグのブローカー達にとってはこれ以上となく便利な代物なのである。 こんな物を服用していれば、当然幻覚症状もより酷くなる。その結果が、あの中年男性の幻覚と言う訳であった。  短期決戦を志さねば、自分が破滅する。 ロベルタの頭は、こと戦闘に関して言えばゾッとする程冷静な動きを見せる。 自分が疑いようもなく薬物中毒者になっていると言う事実もそうである。だがそれ以上に、自身のバーサーカーである高槻涼と言う存在が重くのしかかっている。 彼を運用するには、特に莫大な魔力が必要となる。それはロベルタも知っている。だからこそ、火器の調達代わりに、彼にヤクザの魂喰いをさせたのだから。 短時間の戦闘の連続ならば全く問題がない程度には、今のロベルタには魔力のプールがある。――そのプール量の三割近くが、今や消失していた。 その理由は単純明快で、新宿二丁目で高槻が見せた、ARMSの最終形態変化が原因である事は疑いようもない。 あの形態こそが、バーサーカー・高槻涼の真骨頂だと言う事は疑いようもない。あれを慢性的に維持出来るのならば、自身は間違いなく聖杯を勝ち取れる。 ロベルタの公算はそれだった、が、世の中そう簡単には甘くない。その強さの代償と言わんばかりに、あの形態で活動している時の魔力消費量は凄まじかった。 あれはここぞと言う時にしか使ってはならない力だろう。しかし、聖杯を勝ち取るのであれば、あの力を頼らねばならない事は明白な事柄だ。ならば、如何するべきなのだろうか。それについて、考える必要があった。  解決策は二つだ。 一つ。全参加者を一ヶ所に集め、其処で、高槻の真なる力を解放させ、一網打尽にする事。 そしてもう一つ。恒常的に高槻をあの形態で行動させられる程の大量の魔力を獲得する事。 どちらも非常に達成困難な難題である。特に後者だ。ロベルタは戦闘技術にこそ優れるが、そもそも魔力回路の一本も持たない、 こと聖杯戦争の参加者として見るのならば落第点のマスターである。彼女では、魔獣・ジャバウォックを御す事は、困難を極る事柄であるのは、一般的な魔術師の観点から見れば、当たり前の事なのだ。  魔力。そう、魔力さえあれば解決するのだ。 これさえあれば、聖杯目掛けて走るだけで良い。立ちはだかる敵を、ジャバウォックの顎と爪とで裂けば良い。 自身の中毒症状と、高槻涼の維持コストの事もある。なるべくなら短期決戦を志したい。如何したものかと考え、頭を掻きながら、 東京都の地図が掛かれた名所刊行誌を見ていたロベルタだったが――閃いた。彼女の目線は、<新宿>は信濃町に存在する、K大学の大学病院に目を付けた。 いや正確には、この病院は現在、K大の大学病院ではないのだ。此処<新宿>では現在、K大学病院は、『メフィスト病院』と言う名前に名を変えている。 そんな病院名があり得る訳はないだろうと思い、ロベルタは一度その病院を調査した事があったが、案の定そこは、サーヴァントの拠点であった。 刻まれた知識から推察するに、恐らくあの病院は何かの陣地の様な物であり、これを打ち立てたサーヴァントのクラスはキャスターだろう。 当初は、都会の真っただ中に陣地を建てるなど、何か罠があると思い無視を決め込んでいた。ただ、完璧に無視を決める訳にも行かない為、 評判調査も並行して行った所、その病院の評判は頗る良いと言うではないか。格安の治療費、最高度のサービス、そして医療スタッフ達の治療の腕前。 都内の他の病院の存在価値を全て奪うような医療サービスの練度の高さだけが、兎に角ロベルタの耳に入って来るのだ。  ロベルタはその噂を全て、メフィスト病院によって言わされている事柄だと判断していた。 そもそも、NPCの患者を病院に搬入して治療したり、外来の患者の診察などをすると言う行為自体が、理解に苦しむ事柄だし、狂気の沙汰としか思えない。 何か裏がある、と彼女は考えていた。恐らくはNPCから効率よく魔力を徴収しているのではと、この稀代の女軍人は推理していた。  ――これは使える……!!――  先に述べた解決策の二つを、一時に解消する作戦であった。 電撃戦の要領でメフィスト病院に急襲をしかけ、其処の主であるキャスターを消滅させ、魔力プールを奪う。 そしてその騒ぎを聞きつけてやってきた主従を蹴散らした後、残りの雑魚を破壊する。 無論、相手もサーヴァントである為そう簡単には行かないだろうが、いざとなれば、虎の子である、ジャバウォックの切り札を発動させる。 あの形態の高槻涼が、サーヴァント二人がかりによる猛攻すらも意に介していなかった現場をロベルタは目の当たりにしている。問題は全くないではないか。急いで、プランを建てねばならない。  亡霊は、ディエゴの不運と、間の悪さと時の不運が重なったのだと説明した。 果たして、ロベルタの場合は、どうなってしまうのだろうか。ロベルタよ、気付いているのか。 お前が向かう先こそは、お前が経験したこの世の如何なる地獄よりも恐ろしい魔窟であり、そして、其処を治める男が、 悪鬼羅刹の類ですら震え上がらせる程の美しき魔人であると言う事を。聖杯戦争のクラスシステムと言う枠組みなど何の意味も持たぬ程の怪物であると言う事を。  曇ったガラスから差し込む昼の<新宿>の陽の光は、彼女に対しても等しく投げ掛けられている。 この<新宿>が魔界都市であったらば、太陽はきっと彼女に、こう答えただろう。ロザリタよ――お前はそれで良いのか、と。 ---- 【四谷、信濃町方面(四ツ谷駅周辺の雑居ビル)/1日目 午前11:50分】 【ロベルタ@BLACK LAGOON】 [状態]左肩甲骨破壊、重度の薬物症状、魔力消費(中)、肉体的損傷(中) [令呪]残り二画 [契約者の鍵]有 [装備]銃火器類多数(現在所持している物はベレッタ92F) [道具]不明 [所持金]かなり多い [思考・状況] 基本行動方針:聖杯を獲るために全マスターを殺害する。 1.ジョナサンを殺害する為の状況を整える。 2.勝ち残る為には手段は選ばない。 [備考] ・現在所持している銃火器はベレッタ92Fです。もしかしたらこの他にも、何処かに銃器を隠しているかもしれません ・高槻涼の中に眠るARMS、ジャバウォックを認識しました。また彼の危険性も、理解しました ・モデルマン(アレックス)のサーヴァントの存在を認識しました ・現在薬物中毒による症状により、FARCのゲリラ時代に殺した日本人の幻覚を見ています ・昼過ぎの時間にメフィスト病院に襲撃を掛ける予定を立てました **時系列順 Back:[[インタールード 白]] Next:[[Abaddon]] **投下順 Back:[[軋む街]] Next:[[機の律動]] |CENTER:←Back|CENTER:Character name|CENTER:Next→| |16:[[かつて人であった獣たちへ]]|CENTER:ロベルタ|46:[[It's your pain or my pain or somebody's pain(前編)]]| ----

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