世間の一般的な認識として、探偵と言う職業はそも、正規の職業ではないと言う傾向が強い。
界隈の最大手は探偵と言うよりは調査会社と言う形態を取っていると言っても過言ではなく、パイプを燻らせ洒落た帽子を被って……、
と言った一般的な探偵のイメージとは程遠い。ではそれより下の、中堅及び下位層の探偵は如何かと言うと、これも世間一般的な、
事件を名推理で解決、と言う、ステロタイプなイメージからも掛け離れている。探偵と言う職業で最も多く依頼される事柄が浮気調査と言う事柄からも解る通り、
社会が探偵に求めている事と言うのは、水面下での秘密調査なのである。尾行、張り込み、と言った手法を用い、クライアントが知りたい情報を入手する。
これこそが探偵の仕事なのである。情報会社等がこれをやるのならばいざ知らず、個人レベルでの探偵では、これでは正規の職業と見做されなくても仕方がない。
これに加え、日本では探偵業など諸外国と違い、なりたいと思えば免許もなしで開業出来る仕事なのだ。殆ど、虚業に等しいものなのだった。

 歌舞伎町の某貸しビルにオフィスを置く鳴海探偵事務所に勤務する、葛葉ライドウの尾行調査が終了したのは、7月14日の金曜23:55分のこと。
新大久保の大久保通りから外れた裏路地で秘密裏に、韓国系のヤクザが開業していると言う裏カジノの実在を確認する為の調査。それがライドウの仕事だった。
こう言った大それた仕事が、鳴海探偵事務所には結構来る。と言うのも、所長の鳴海が警察方面に太いパイプを通じさせており、その方面から依頼が来るのだ。
ライドウの知る、大正時代の鳴海も、そもそもは帝国陸軍方面にパイプを持っていた人間であったが、どうやらその来歴がこの<新宿>でも多少反映されているようだ。
その様なコネクションもあって、鳴海探偵事務所はそれなりにではあるが忙しかったりする。
ごく普通の探偵社が、そのそれなりの忙しさすらない事を鑑みれば、十分な事であろう。
……尤もライドウにとっては、所長の鳴海には申し訳ない事だが、暇であった方が、聖杯戦争に打ち込める、と言うものなのだが。

 大久保通りに出ようとした矢先の事だった。
聖杯戦争に参加する為の、文字通りのキーアイテムである、契約者の鍵が、群青色に光り輝き始めたのは。
異変を感じ取ったライドウはすぐに、人気の少ない裏路地へと引きかえし衆目に晒されない場所で、鍵を取り出したのだ。
そしてこの時になって初めてライドウは知った。聖杯戦争が始まった事を。

【いよいよ、だな】

 契約者の鍵から投影されるホログラムを見て、霊体化したダンテが念話でそう話しかけて来た。

【ああ】

 ライドウも短く返事をする。
別段二人には、驚きの念もなければ緊張感もない。近い内に聖杯戦争が始まると言う事は、この二人には予測出来ていたのだ。
ただ、始まった、と言う事実を受け止めるだけ。後はこの聖杯戦争を仕組んだ輩の野望を挫くのみである。……筈だったが。
どうやら一筋縄ではいかないらしい。主催者、に類する存在を討ち果たすまでに、やり遂げねばならない事がある事をライドウは知った。
それは、ホログラムに投影された、聖杯戦争の開催の旨を知らせる情報とは違う、もう一つの情報。即ち、討伐令に関する事柄だった。

【……案の定、聖杯戦争の参加者だったようだな、この殺人鬼は】

【みたいだな】

 契約者の鍵が投射するホログラムに映し出された、二人の男女。
この二人は、今更聖杯戦争の主催者が情報開示をするまでもない程の有名人であった。その規模たるや、日本どころか世界レベル。
女性の方は、遠坂凛。日本の女子高校生である。そして、黒い略礼服の男が、世界中を震撼させた大量殺人鬼である。
たったの数分で百三十名を超す人間を殺して見せた、手練の殺人鬼だ。どちらも今や世界規模の有名人である。……無論、良い意味ではない事は明らかな事であるが。
何れにせよ、この主従を取り巻く問題は、最悪を極る事は誰の目から見ても自明の利と言うものであろう。
聖杯戦争の参加者であると言う事実は、通常伏せていた方が絶対に良い。この主従は、主催者から早々に討伐令を出されているだけでなく、
警察などの国家機関からもマークされ、一般の人間にも知られている程の有名人だ。どう動いても、動きが逐次把握されてしまう。
言ってしまえばこの主従は、詰んでいる状態に等しい。周りを敵の駒で囲まれた王将の駒に等しい。

【どう思うよ、このマスター達について。少年】

 ダンテがライドウに意見を求めて来る。

【俺はこの遠坂凛と言う少女が、区内の某高校に通っていて、素行も真面目でかつ学園のマドンナ的な存在だったと言う事と、この少女がバーサーカーを引き当てたと言う情報しか知らない】

 前者の情報は、ウンザリする程ニュース番組で報道されていた事柄であった。

【だが、バーサーカーを引き当てている、と言う事実から一つ、推測出来る事がある】

【この遠坂って嬢ちゃんが『自分の引いたサーヴァントに振り回されている』って可能性か?】

【そうだ】

 ニュース番組が伝える遠坂凛の実情は、非常に頭も良く、物腰も優雅な、才色兼備の美女であったと言う。
この情報を頭から信じるのであれば、そんな少女がこのような愚挙に出るとは考え難い。
聖杯戦争に限った話ではないが、人の肉体や魂と言うものは、超常存在のエネルギー源として打って付けの物である。ライドウが使役する悪魔にしてもそれは同じなのだ。
ライドウは非常に潤沢な魔力を持つが、この聖杯戦争の参加者の中には、サーヴァントを使役するには少々心許ない魔力量の者もいるであろう。
これを解決する為に、魂喰いを行うと言うならば、人道面の問題はさておいてだが、まだ理屈は解る。――だが、この遠坂凛の行為は、余りにも無軌道過ぎる。
恐らくであるが、この遠坂と言う少女は魂喰いすらしていないのではないか。いや、例え魂喰いを行わない、悦楽目的の殺しであったとしても、
公衆の面前でそれを行うメリットは百に一つもない筈である。無論遠坂凛と言う少女が、そう言ったカオスを求める性格の女性ならば話も変わってくるが、今の所彼女がそう言う風には、ライドウにはとても見えない。

 現状考えられる、最もあり得そうな可能性は、ダンテの言った通りの事だ。
即ち、遠坂凛は『自らが引き当てたバーサーカーを制御出来ていない』、と言う事である。
熟達した魔術師やデビルサマナーでも、狂暴化した超常存在を御す事は非常に骨の折れる事なのだ。
これも推測の域を出ないが、遠坂凛は魔術的な知識など欠片も知らない、元々は単なる一般人の少女だったのではないかとライドウは考えた。
故に、自らのバーサーカーを制する術を知らず、結果、彼の虐殺を許してしまった。こうライドウは推理したのである。
となれば、現状このバーサーカーは、可能な限り早めに討つべきなのだろう。例え異世界とは言え、この<新宿>は帝都の一部。
その帝都の平和を潰乱させる存在は、隠密に葬り去るのが、十四代目葛葉ライドウの仕事なのであるから。

【続きがあるみたいだぜ、少年】

 ダンテが、討伐令がもう一つ敷かれている事に気づく。ライドウもその事は言われるまでもなく知っていた。
その情報を開示すると、これまた女性の顔写真が投影された。そして、彼女に従うサーヴァントも。
あの礼服のバーサーカーは誰が見ても人間の顔だったが、此方は誰が見ても怪物としか思えない顔立ちをしていた。ワニに似た動物の頭をしているのだ。
クラスは、バーサーカー。此方の方が狂戦士のクラスとしては、説得力のある容貌をしているであろう。見るからに狂暴そうで、一度暴れたらどうなるか解らなそうである。

 キルスコアでは遠坂凛のバーサーカーには劣るが、此方も大層な人数を葬っている。百二十一名、尋常な数値ではない。
だがこの、セリュー・ユビキタスと言う女性の場合は、遠坂凛の時と決定的な違いがある。殺しが表沙汰になっているか否かである。
真犯人が明らかになっていない事件と言うものは、世界には数多い。しかし、殺した事が明らかになっていない事件と言うものは、世界には極端に少ない。
百名を超す大人数を殺めて回っているにも拘らず、世間の話題の俎上に、セリュー・ユビキタスと言う女が上がって来た事は、全くない。
これは何故なのか。探偵としての憶測になるが、ライドウには思い当たるフシが一つだけあった。

 近頃、<新宿>を跋扈するヤクザや不法滞在外国人の数が、急激に減って来ていると言う話を、鳴海から聞いた事がある。
こう言う情報が入って来るのが、元警察関係者である鳴海と関係を持っているライドウの強みだ。
初めて聞いた時から、警察がいよいよ暴力団などの取り締まりに力をいれた、と言う訳ではないな、と考えてはいた。
警察は面子や体裁を重んじる、髪型や服装を気にする思春期の高校生みたいな組織である。自分達の手柄は絶対に、ニュース経由で報道する。
暴力団や不法滞在者の取り締まりと言う、誰もが諸手を上げて称賛する様な事柄が、今までニュースになった事などない。
となれば、考えられる事は一つ。アウトロー達は、誰にも知られる事なく消えているのではないか? と言う事だ。
もっと言えば、アウトロー達は、殺されているのではないか?

 やはり人道面では兎も角、ヤクザ達を殺して魂喰いをすると言うのは、遠坂の一件に比べたら合理的な判断である。
世間一般のバイアスとして、彼らは悪者である。そして、裏社会の住民、言い換えれば日陰者だ。そんな者が消え去った所で、気にする者は少ないだろう。
それどころか人によっては称賛すらされるかも知れない。少なくとも表社会の人物を殺すよりは、目立つ可能性は少ない。
次に、ヤクザ達の気質である。彼らは通常、警察と言うものを嫌っている。当然と言えば当然だろう、警察はヤクザを逮捕し牢にぶち込む側の住人であるのだから。
これが、何を意味するのか。ヤクザは絶対に、一般人が行うような、警察に被害届を出すと言う行為を出来ないと言う事を意味するのである。
それに彼らも警察同様、面子や体裁を気にする組織なのだ。自分達の仲間が殺されましたと言って、のこのこ警察に被害届を出してみるが良い。
馬鹿にされるのは、当然の帰結なのだ。これが我慢出来ない。出来ないからこそ、彼らは内輪で問題を解決しようとする。
その結果、血みどろで、凄惨な内部抗争に発展と言う事も珍しくない。警察に通報される事もない以上、ヤクザ達で魂喰いを行おうと言う判断は、妥当と言える。

 ――と言った推測を、ダンテに話すライドウ。

【あり得る話ではあるな】

 否定はしなかった。尤もこの男は、そう言った推理能力が全くないので、こう言った頭脳労働はライドウに譲る事にしているのだが。

【で、少年はこのセリューって言う嬢ちゃんと、クロコダイルみてぇなサーヴァントを追うのか?】

 ライドウと言うマスターに従う者としては、当然の疑問を聞いて来る。

【放っておけるような人物ではないだろう。尤も、探し当てるのは難しいだろうが……これも、俺の仕事だ】

【OKOK、少年に従う事にするよ】

 従順の意を示すダンテ。決して仕方なくとか、折れたとかではなく、自らの意思によりて、の発言だった。
ダンテもまた、誇り高き伝説の魔剣士の血と魂を持ったセイバー。こう言った、無暗矢鱈に人を殺すような存在は、許容出来ないのである。

【ま、方針は固まったな。敵を探す、出会う、お前が話す、話の通じない奴なら俺が。だな】

【そうだな。結局それが一番良い。<新宿>も狭い。俺の足を酷使すれば、何人かは出会えるだろう】

【おう。んじゃま、今日は帰るかね、少年】

【あぁそうす――!!】

【――】

 裏路地を歩き、今一度大久保通りに出ようとした、その時、二名の動きが、止まった。左足を前に踏み出した状態から、ライドウは動かない。

【気付いたか、少年】

 平時と変わらないような声音でダンテが語り掛けて来る。
しかし、ライドウには解る。今ダンテは、警戒している。剣呑な声音でライドウに念話している。

【向うぞ、セイバー】

【OK、楽しいパーティーにしてやろうぜ】

 マントを翻し、ライドウは大久保通りへと繋がる出口に背を向け颯爽と走り始めた。
感じたのは、血の臭い。そして、魔力。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 黒いマントを着用した影法師めいた青年が、それをたなびかせ、一陣の疾風となりて新大久保の裏路地を走っていた。
身体に重力が掛かっていないのでは、と感じずにはいられない程の軽やかな走法。だが驚くべきは、その速度。
人の身で、何故これだけの速度が出せるのか。時速六十㎞超。とてもではないが、人間の脚力で出せる速度の限界を超えている。

 葛葉一族は、悪魔を使役する為に必要不可欠な、MAG、即ち、マグネタイトの扱いに極めて長ける。
悪魔の肉体を構築するこの霊的物質、或いは精神的活動エナジーは、使い手の身体能力の強化にも用いる事が出来る。
今ライドウが行っている、人間の枠組みを超越した身体能力は、MAGの応用の賜物だ。今のライドウを余人が見たら、きっと、色のついた黒い風にしか、見えぬ事であろう。

 ザッ、とライドウは急停止。目的の場所にやって来た。
人気の極端に少ない、コリアタウンの裏路地だった。蒸し暑い夏の夜。悪臭が、こもっている。
腐敗した菜物の匂い。果実の腐った発酵臭。野菜クズを齧るゴキブリやネズミが、夜目の利くライドウの瞳に映った。
だがライドウもダンテも、そんな物に目もくれない。彼らの目線を集めさせるのは、両サイドの石壁に色水をぶちまけた様に飛び散った大量の褪紅色の液体。
そして、両肩を抑えてガクガクと震える、半袖短パンの、体格の良い男。懐に隠した赤口葛葉の柄を、ライドウは卵を握る様な優しさで手にし始める。
マントで上手く隠されている為、男の目からはライドウの手は見えない。既に相手を斬る準備は、出来ていた。

「へ、ヘヘ……兄ちゃん、随分と洒落た格好だな……バンカラ、ってのか」

 その男がライドウに対して、いやに爛々とした黒瞳を向けて語り始めた。顔がやつれている。髪も痛んでおり、油でベト付き始めている。
だがそれ以上にライドウとダンテは、彼から香る血香に対して、敏感に反応していた。

「兄ちゃん、お、俺の独り言だと思ってよ、聞いてくれよ」

 警戒は解かない。ライドウの返事は無言だった。彼のそんな性質を男は理解したのか、勝手に喋り始めた。

「俺はさ、ヤクザモンだよ。っつっても、下っ端のチンピラみてーなもんだけどな」

「……」

「何日か前にさ、俺の組の上部組織がさ、壊滅させられたんだよ。ひでーもんだったさ。内臓は飛び散るわ、体中が粉々にされてるわ、闇ルート経由で蓄えてたチャカもドスも奪われるわ……」

 ――……組が壊滅?――

 もしやこれは、渡りに船なのではないか?
このチンピラから話を聞くに、被害は相当甚大な物であるとみて間違いはないだろう。
暴力団組織に此処までの被害を負わせる者。それは即ち、今の<新宿>の事情から考えれば、聖杯戦争の参加者とみて、間違いはないだろう。
となれば、この男が語っている件の下手人こそが、セリュー・ユビキタスなのではないか?
ライドウは、話を促すのではなく、あえて沈黙を保ち聞き手になる事で、目の前のチンピラから話を聞き出す事にした。

「その組によぉ、俺が世話になった兄貴分の人がいてなぁ……半分以上消し飛ばされた頭から、脳みそ垂れ流して死んでたんだよなぁ……」

 声に哀しみが混じり始めた。

「悔しくて悔しくて、俺は血眼になってジュクを探したよ。だけど、見つからねぇ。見つからねぇんだ、そいつがよぉ……」

 「そんな時だ」――

「あの『女』が現れたのは」

「女……」

 本題と、核心を引き摺り出せそうな感覚。ライドウとダンテが集中した。

「そいつはさ、俺に力を与えてくれたんだ。兄貴を殺したクソ野郎を、瞬き一つする間に殺せそうな力をな」

 【――少年】、ダンテが念話で語り掛けて来る。ダンテも感じ取ったらしい。確実にこのヤクザは、聖杯戦争の一端に関わっている。
……いや、関わってしまった、と言う方が適切なのか。

「でもさ、……駄目なんだ。お、俺が間違ってた。力なんて、受け取らなければ良かったんだ……」

「どうした」

「は、腹が……腹が減るんだよ」

 目線をライドウの方に男が向け始めた。正気の色が、その瞳には無かった。重心をライドウは変え始めた。

「どんだけ飯を食っても、腹が満たされねぇんだよ。い、何時頃かな……人間を見て、美味そうって思い始めたのはさ……」

【セイバー。霊体化解除を視野に入れておけ】

【おう】

 チンピラの男の身体に纏わりつく空間が、陽炎めいて揺らぎ始めたのを二人は見逃さなかった。
裏路地に満ちている、野菜や果物の腐った臭いが消し飛ばされている。チンピラの男が醸し出している、下っ端とは思えない程危険な、燃え上がる程の殺意で。
ライドウが放出する、研ぎ澄まされ、凍結した黒色の殺気で。これから起ころうとしている何かに、ネズミもゴキブリも、路地から一匹残らず消え失せていた。
小さき者には解るのだ。これから起ろうとしている事態が、敏感に。

「飢えで飢えで苦しくてよぉ、さ、さっき……、俺に喧嘩を売って来た、向こうの国のヤクザを『喰』ったんだよ……、う、うめぇ……泣く程うめぇんだこれが……。
人を喰らう何て事、やっちゃいけねぇって解ってるのに、う、美味くて、しかたが、ね、ねぇ……」

 自分自身の事を限りなく侮蔑し、嘲るような声音でそう揶揄し終えた、その時。
バッと左手の甲を、ライドウ達に見せつけるようにヤクザが構えた。その手には、タトゥーが刻まれていた。「令呪か……!?」と身構える二人だったが、違う。
令呪が醸す特有の、無色の魔力が感じられない。それによく見れば、それは入れ墨と言うより、ある種の痣に等しかった。
口と牙を凝らしたような独特のデザインの痣。――それが、突如として光り始めたのだ。

「まだ腹が減って仕方がねぇんだ、俺に食われてくれよぉ兄ちゃぁん!!」

 血走った目でそう叫んだ瞬間、男の身体全体に赤色に光る筋が刻み込まれ始め、身体中を蜘蛛の巣みたいにびっしりと、光の筋が走り終えた、その後で。
光の柱が彼を包み込んだ。魔力、いや、マグネタイト? 感じ慣れた二つの霊的エネルギーが暴走しているとライドウが考えたのは、刹那の様に短い時間の事。
カオスみたいに暴れ狂っていた魔力が、時を推移するごとに、ヤクザの身体に収斂して行くのをライドウは見逃さなかった。
暴走した魔力やマグネタイトを制御する術と言うものは、訓練を経ねば得られない。目の前の男がそう言った厳しい鍛錬をこなしたとは思えない。
ならば考えられる可能性は、一つ。遺伝子或いは本能レベルで、そのやり方が刻み込まれている、と言う事であった。

 光の柱が消え失せる。一瞬ライドウの瞳が大きく見開かれた。
鉄面皮のライドウの表情を、ほんの短い時間とは言え、驚愕に彩らせるとは何事か?
それはライドウの知識に照らし合わせ、この<新宿>には通常紛れ込む可能性は絶対的に低い存在が、目の前にいたからに他ならない。
そう、ライドウはその存在の事を知っていた。赤色の体表を持った、筋骨隆々としたその鬼を。
後ろ髪の長い黒髪を流した頭頂部から、鍾乳石の様な角を生やすその鬼を。ペルシャの刀剣、シャムシールに似た双振りの剣を手に持ったその鬼を!!

「邪鬼・ラクシャーサか……」

 マントで隠した懐に下げた鞘から、赤口葛葉の剣身を引き抜くライドウ。
夜気と夜闇を切り裂く様な鋭い鋼色の刀身が露になる。光の届かぬ路地の闇の中でも、その名剣の鋼色は、犯される事がなかった。

 ――ラクシャーサ。インドに伝わる悪鬼の一種であり、日本においては、羅刹と言う名前の方が有名だろう。
仏教にとりいれられた彼らは、羅刹天として天部に吸収され、仏法を守護する者として毘沙門天、引いては釈迦に仕える存在として活躍している。
だが、今ライドウ達の目の前にいる存在は羅刹天ではなく、仏教に吸収される以前のラクシャーサ。つまりは、仏法を護る為の善なる存在ではない。
人を喰らって生きる文字通りの悪鬼、文字通りの羅刹なのだ。決して人類と相いれる存在ではなかった。

【セイバー。訂正する。実体化はしなくて良い】

【いいのか? 少年】

【この『程度』の悪魔を相手にお前を実体化させて戦わせるのはマグネタイトの無駄だ。俺が葬る】

【……それでいいのかい? 少年】

 この場合のいいのか、とは、自分が戦わなくても良いのか、と言う意味合いとはまた違うだろう。
本当に、目の前の人間を、帝都を護ると誓ったお前が殺して良いのか? と言う意味合いが其処には多分に含まれていた。
だが、ライドウの返答は、正しく、彼が振う赤口葛葉の如く、鋼であった。

【悪魔になった人間を救う術は存在しない。下手に生かして混沌を振り撒かれるより、ここで殺してやるのが慈悲だ】

【――ひと思いにやってやんな】

 半秒程の真を置いてから、ダンテはそう告げた。それ以外に、もう方法はない、と言う諦観めいた物を、ライドウは感じた。
彼だって、心苦しい訳ではない。救える方法があるのならばそれを行ったかも知れないが、本当に、悪魔になった人間を救う術はないのだ。
ないのだから、葬るしかない。帝都と、其処に住まう人間の平穏の為に。

 ガァッ!! と言う獣じみた方向を上げて、ラクシャーサが向かって来た。
ライドウと悪鬼の彼我の距離、七m程を瞬時に詰める、邪鬼の身体能力。極瞬間的な速度で言えば、自働車よりもこの悪魔は速く移動していただろう。
剣の間合いに入った瞬間、赤色の肌をした悪鬼が、黒衣の書生を唐竹割りにしようと曲刀を振り下ろす。
剣道の有段者程度ならば、一切の反応すら許さず真っ二つにする程の速度と気魄が漲っていた。
ライドウはこれを、赤口葛葉を振り下ろされたラクシャーサの剣の軌道上に配置する事で防御する。

 藁束に火が付きそうな程大きくて、花火みたいに大きな橙色の火花が飛び散った。鼓膜が引き裂かれるような金属音が鳴り響いた。
そして、脊椎が『く』の字に折れてポッキリと行きかねない程の衝撃がライドウに叩き込まれた。
ラクシャーサは己が膂力を駆使して、ライドウの防御を力付くで抉じ開けようとする。だが、ライドウは全く屈しない。
それどころか、悪鬼が力を込めれば込める程、それを上回る力でライドウは力の均衡を崩そうとして来るのだ。その様子はまるで、足の裏から根が生えて、地面と固着されているかのように、堂々としたものだった。

 真っ当な人間であれば、最早腕が圧し折れてる程のラクシャーサの膂力を、ライドウは涼しげな顔で防いでいた。
羅刹の曲刀とライドウの赤口葛葉の剣身の交合点が、摩擦熱と圧力の為に橙色に赤熱し始める。
そしてラクシャーサの顔も、力み過ぎで、生来の肌の色とは違う赤味が差し始めたのを、ライドウは見逃さなかった。

 このタイミングで、ライドウは赤口葛葉の剣身に、若緑色の、霞がかった霊的エネルギーを纏わせ始めたのだ。
これこそが、悪魔召喚士(デビルサマナー)の生命線であり、悪魔が現世で肉体を維持するのに欠かせぬエネルギー体、マグネタイトであった。
これを武器に纏わせる事で、その武器の性能は倍以上にまで引き上げられる。その効果は即時的に現れ、早速その効能は、覿面と言っても良い程の効果を出し始めた。
赤口葛葉の剣身が、ヌテリ、と。ラクシャーサの曲刀の剣身に食い込み始めたのだ。悪鬼の動揺が、剣越しにライドウに伝わる。
食い込む速度が速過ぎるのだ。砥ぎたての包丁で、スイカでも斬っているかのような容易さで、刀が剣を斬り込んで行く。
拙いと思い、ラクシャーサが飛び退いて距離を離そうとした、その時だった。ほんのゼロカンマ一秒と言う一瞬の間であるが、
ライドウは纏わせたマグネタイトの量を倍加させた。ポーン、と言う擬音すら付きそうな勢いで、曲刀の剣身が素っ飛んで行く。完全に、赤口葛葉に斬り飛ばされた形になってしまった。

 飛び退こうとしたタイミングで、自らとライドウの交合点であった剣と剣の接触部から、自らの得物を斬り飛ばされてしまった為に。
ラクシャーサは姿勢を大きく崩された。無論、ライドウがそうなるように仕向けた事は、言うまでもない事だった。
ダンテが念話で、ヒューッ、と称賛の口笛を吹いたのをライドウは聞いた。「ネロの坊やといい勝負が出来るかもな」と口にしていたが、これが意味する所はよく解ってない。

 剣身に纏わせたマグネタイトを解除してから、ライドウは颯っ、と。赤口葛葉を振り上げた。
鋼の刀身が、ラクシャーサの右腕を肩のほぼ付け根からするりとすり抜けた。いや、その言い方には語弊がある。
すり抜けたとしか思えない程鮮やかに、腕を斬ったと言うべきか。電光が煌めくような速度でライドウは刀を振るった為に、その剣身には血の一滴すら付着していなかった。
そして、余りの速度でライドウが葛葉を振った為に、ラクシャーサの右腕がズレる反応が遅れた。
ライドウが刀を振り終えてから、一秒程経って、漸く悪鬼の腕はボトッと湿った音を立ててアスファルトに落ちた。と同時に、切断面から血液がたばしり出た。

 獣の雄叫び染みた苦悶の叫びが、ラクシャーサの口から迸ろうとした、が。
此処で叫ばれては面倒だと、ライドウは目の前の邪鬼の首を刎ねようと横薙ぎに赤口葛葉を振った。
それに気付いた敵方は、慌てて後方に飛び退く。愛刀の剣先が肉を裂いた感触を、ライドウの右手が捉える。
首こそ斬れなかったが、どうやら、声帯をラクシャーサは裂かれたらしい。声を上げられず、何かの恨み言と思しき、
判別不能な空気の漏れ音をライドウに浴びせかけていた。

 万に一つも勝ち目がないと判断したラクシャーサは、その場で左斜め頭上に跳躍。
左右に不細工なコンクリートの壁があるのだが、左右の壁の幅は約四m程。目の前の邪鬼は元々、鬼族のカテゴリの中では上位に位置する悪魔。
であるならば、左右の壁を蹴って頭上へと逃げる芸当など、朝飯前なのだ。【逃げるぜ、少年】、とダンテが冷静に状況を分析する。
俺を使え、と暗に言っているのだろうが、その必要はない。何故ならばライドウも、この程度の真似事は出来るからだ。

 ダンッ、と言う音と同時に、ライドウの姿がアスファルトの地面から掻き消えた。
左右の壁からも連続的に、ダンッ、ダンッ、と言う音が響いてくる。それは誰あらん、葛葉ライドウがラクシャーサと同じく、壁を蹴っての跳躍をしている音であった!!
但しラクシャーサから出遅れた為に、今回は身体にマグネタイトを纏わせて身体能力を強化している。こうでもしないと、追い縋る事が不可能であったからだ。

 切断面から血液を吹き散らし、壁と言う壁を赤黒い血液で汚しながら逃げていたラクシャーサの双眸が、大きく見開かれる。
人間を超えた力、恐らくこの男にとってはラクシャーサの力はそんな認識であったのだろう。それは、ライドウから見ても事実その通りである。
そんな力に、人間の身でありながら拮抗、いやそれどころか、容易く上回る力を持ったライドウに、彼は恐怖心を抱いていた。
黒いマントを身に纏い、赤口葛葉をその手に握り急激に距離を詰めて行くライドウは、邪鬼と化した男の目には、自らの魂の尾を刈り取ろうとする死神に見えていた。

 ラクシャーサが夜空に舞った。高度は地上から十m弱。
最早蹴って跳躍出来る壁はない。最後に蹴った壁とは逆方向の建物の屋上に、着地するだけだった。
――ゼロカンマ数秒遅れて、ライドウが壁を蹴った。ラクシャーサが最後に蹴った壁とは、反対の位置にある壁だった。つまり、邪鬼と書生は、互いに交差する形になる。
慌てて、ラクシャーサは曲刀を振おうとするが、もう遅かった。ライドウの方が早く、そして速く、赤口葛葉を横薙ぎに振るっていた。

 月明かりに照らされながら<新宿>の夜空を舞う二名の怪物は、互いに交差した後で、各々の着地点にスタリと地に足を付けた。
ラクシャーサは屋上のある建物の平坦なタイル床に。ライドウは屋上のない、やや斜めったウレタン塗装の屋根の上に。
ラクシャーサが着地した瞬間、ラクシャーサの胴体の中頃に、スピッ、と言う音を立てて、極めて鮮やかな紅色の溝が横に走った。
朱色の絹糸を、巻き付けられたかのようであった。彼の体表の赤よりもずっと目立つ。其処から、赤線よりも上の部位は左に、下の部位は右にズレて行った。
桶の中身をひっくり返したみたいに、内臓と血とをぶちまけ、邪鬼は床の上に転がった。

 死後痙攣すらしなくなった、嘗て名も知らぬ男のなれの果てである邪鬼の方を、ライドウが振り返った。 
明けき月の明かりで、ラクシャーサの死体は照らされていた。殺しても、人間に戻る事はないのだとライドウは確信する。
ライドウが刀を振るう瞬間、あの男は声帯を切り裂かれて声を発せないのに、唇を動かして何かを口にしようとしていた。
死にたくない、と彼は声にしたかった事を、ライドウはしっかりと認識していた。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「どう思うよ」

 念話を使わずとも、どうせ誰も聞いていないと思ったのだろう。
ダンテはライドウに、そんな事を聞いて来た。殺したラクシャーサの死体を検分しようと、彼の亡骸が転がる方の建物の屋上に跳躍し着地したライドウが、口を開く。

「聖杯戦争の参加者の手によるものだと言う事は間違いない」

「だろうね」

 人間を悪魔に変える技術。それ自体は、人間の手であろうとも十分可能である。
但しそれは、並々ならぬ魔道の知識があって初めて、と言う枕詞が付く。少なくともこの世界の魔術の水準では、人間を悪魔化させる事など到底不可能な筈。
いやそもそも、初めからこの世界に魔術など存在するのか、と言う根本的な疑問にまで行き着く。
どちらにせよ、この世界の常識に照らし合わせれば、人が悪魔に変貌する等到底考えられない筈なのだ。
で、あるならば。聖杯戦争の参加者が一枚噛んでいる、とみるのが自然な考えであろう。
――だが、誰が? これは、流石のライドウだって解らない。マスターかも知れないし、サーヴァントなのかも知れない。

 死体の近くまで近づき、屈んで死体を検分するライドウ。悪魔はその擬態能力を駆使し、人間に化けると言うケースが往々にしてあるものである。
これらの場合は、悪魔であると見抜き調伏させても、肉体は所詮マグネタイトで構築されたそれである為に、死体が人間界に残らないと言うケースが殆どだ。
しかし今回の場合は、完全に人間が悪魔に変異した状態である。故に、悪魔の死体がそのまま現実世界に残っている、と言う、通常ありえない事態が起っているのだ。
デビルサマナーとしての常識で考えれば、混乱すら引き起こしかねない今回のケース。しかしライドウは冷静である。
数少ない情報から、可能性がかなり高いであろう推理を、彼を導き出せていた。

「恐らくこれを仕組んだ主従は、キャスターを引き当てた可能性が高い」

「根拠は?」

「悪魔に変身した時のあの迷いのなさ、変身そのものの淀みのなさ。そして、このラクシャーサの強さ。特に三つ目が重要だ。
俺の知るラクシャーサの強さに余りにも肉薄し過ぎている。これら三つの要素を統合して推理すれば、極めて高度な魔術或いは科学的な措置を以て、
この男は悪魔に変身出来る力を得た可能性がある。キャスター以外でそれを成せるクラスは、余程の例外が存在しない限り、ありえないと見た」

「キャスターって事は……魔術か、或いは工房で作った何らかの道具で変身させられた、って可能性があるって事か」

「その通りだ。……尤も、憶測の域を出ないがな。どちらにしても、証拠が少なすぎる。解っている事は、この男に力を与えた存在が、女であると言う事だけだ」

 このラクシャーサが人間であったあの時、彼は女から力を得たと言っていた。
この情報は重要である。二つの性別の内、一つは潰せたと言う事なのだから、これ程大きいものはない。後は、ライドウとダンテがやる事は、一つである。

「セイバー」

「ああ」

「悪戯にしても気分が悪すぎる。これを仕組んだ者を葬るぞ」

「ハハハ、やっぱ気が合うな少年。俺も、こう言う奴には御仕置しねぇと気がすまねぇんだわ。人間の尊厳も誇りも踏み躙る様な奴にはな」

 ダンテの脳裏にはある組織の実態が映像として結ばれていた。
魔剣教団。自分にとっては甥にあたるデビルハンター、ネロが所属していた組織だ。
ある時期まであの組織は、人の魂を鎧に閉じ込め、所謂人工の悪魔として使役していた時期があった。
思い出すだけで、胸糞が悪くなる組織だ。父スパーダはか弱い人間を護るために悪魔としての力を、同胞の悪魔に振ったと言うのに、彼に守られた人間が、
何時しか悪魔の強大な力に魅入られ、罪なき人間や動物の魂を弄んだのだから、伝説の魔剣士の血を引くダンテが、気分が悪くならない筈がない。
結局、そんな悪魔染みた所業を指導した教皇は、甥の手により殺された。あの時は、美味しい所は、彼を立てると言う意味で甥のネロにくれてやったが、
この<新宿>には彼がいるかは解らない。となれば――引導を渡してやれるのは、自分と、相棒のライドウしかいないのだろう。

「悪魔も泣き出す仕置きをしてやろうぜ、少年」

 いつもの軽口を叩きながら、ダンテはライドウに対してそう言った。
隠し切れない怒りの念が、その声音に籠っている事に、ライドウは気付いていたのであった。






【高田馬場、百人町方面(新大久保コリアタウン)/1日目 午前0:10分】

【葛葉ライドウ@デビルサマナー葛葉ライドウシリーズ】
[状態]健康、魔力消費超極小
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]黒いマント、学生服、学帽
[道具]赤口葛葉、コルト・ライトニング
[所持金]学生相応のそれ
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争の主催者の思惑を叩き潰す
1.帝都の平和を守る
2.危険なサーヴァントは葬り去り、話しの解る相手と同盟を組む
[備考]
  • 遠坂凛が、聖杯戦争は愚か魔術の知識にも全く疎い上、バーサーカーを制御出来ないマスターであり、性格面はそれ程邪悪ではないのではと認識しています
  • セリュー・ユビキタスは、裏社会でヤクザを殺して回っている下手人ではないかと疑っています
  • 上記の二組の主従は、優先的に処理したいと思っています
  • ある聖杯戦争の参加者の女(ジェナ・エンジェル)の手によるチューナー(ラクシャーサ)と交戦、<新宿>にそう言った存在がいると認識しました
  • チューナーから聞いた、組を壊滅させ武器を奪った女(ロベルタ&高槻涼)が、セリュー・ユビキタスではないかと考えています
  • ジェナ・エンジェルがキャスターのクラスである可能性は、相当に高いと考えています




【セイバー(ダンテ)@デビルメイクライシリーズ】
[状態]健康、霊体化
[装備]赤コート
[道具]リベリオン、エボニー&アイボリー
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯の破壊
1.基本はライドウに合わせている
2.人を悪魔に変身させる参加者を斃す
[備考]
  • 人を悪魔に変身させるキャスター(ジェナ・エンジェル)に対して強い怒りを抱いています
  • ひょっとしたら、聖杯戦争に自分の関係者がいるのでは、と薄々察しています



時系列順


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00:全ての人の魂の夜想曲 葛葉ライドウ 34:太だ盛んなれば守り難し
セイバー(ダンテ)


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最終更新:2016年05月30日 17:50