大分、この<新宿>での生活も睦月は慣れて来ていた。
さざ波の音、潮の香り、目に鮮やかな木の葉の緑。それら全てが一切合切なくなった<新宿>での生活は、睦月は結構当惑していた。
特に、艦娘である睦月にとって、<新宿>と言う海のない内陸の土地であると言う要素は、この地に慣れるまで結構な時間を要させた。
艦娘と言う存在が、海と不可分の存在である事をいやがおうにも認識させられた瞬間でもある。
この街に順応するのが遅れた要因の一つに、此処が都会であると言う事もあった。
睦月が所属していたあの鎮守府は、結構な僻地に存在した要所である。所謂都会までは、結構な時間をかけて移動しなければ辿り着けない。
そう言った場所にあまり赴いた事のない睦月には、この<新宿>と言う土地は何から何まで目新しいものばかりで、当惑するばかりであった。
最近ではそう言った事はもうないとは言え、まだまだ知らないものが睦月にはたくさんある。
早い所、慣れねばならないと認識する睦月。……聖杯戦争が始まったのであれば、猶更であった。

 聖杯戦争が正式にスタートした事を知ったのは、今日の七時頃の事。
ベッドから起床し、立ち上がりかけたその時、自分をこの街へと導いたあの契約者の鍵が、光り輝いている所を睦月は見たのだ。
待機させていたパスカルと共に、鍵を調べた所、ホログラムが投影。其処で初めて睦月達は、戦いの火蓋が切って落とされた事を知ったのである。

 結論から言って、契約者の鍵が参加者達に知らせた情報。
即ち、討伐令周りの情報は、この鍵のホログラムが投影される一昨日程前に二名は知っていた。
睦月の魂に導かれてやって来た、ビーストのサーヴァント、パスカル。彼が持つスキルである動物会話は、文字通り動物との完全な対話を可能とするスキル。
と言うだけでなく、パスカル程の威容の持ち主にかかれば、対話だけでなく、命令すらも下す事が出来るのだ。
パスカルは召喚されるや否や、自らのこのスキルを用いて、ある事を実行していた。それは<新宿>中の動物。
より詳しく言えば野良犬や野良猫、ネズミに鳩、スズメに至るあらゆる小動物に、<新宿>に不穏な動きはないかどうかの監視を命令したのである。
つまり彼は、動物によるネットワークを形成したと言う訳だ。これによりパスカルと睦月の主従は、自宅に居ながらにして、<新宿>中のあらゆる情報を網羅出来ていた。
キャスターが使役する様な使い魔などと違い、戦闘能力も魔力も持たないただの動物を使役していると言う点が、大きなメリットだった。
つまり、怪しまれないのだ。まさか単なる動物が、一匹のサーヴァントの完全な支配下に置かれている等とは、誰も思うまい。その意表を、彼らは見事に突いていた。

 誰と誰が戦っていたか、誰かがNPCを超常的な手段で殺していたか、と言う情報に至るまで彼らは把握。
その情報の中に、遠坂凛とバーサーカー、セリュー・ユビキタスとバーサーカーの主従に関してのものも存在した。
……尤も、前者に関しては、連日ニュースで大々的にその内容を報道されていた為、動物会話のスキルを使うまでもなく、まぁ聖杯戦争の参加者なのだろうな、
と言う事に関しては大体アタリを付けられていたのだが。何れにしてもこの二人は、情報戦については大きく他の主従を突き放している、と見て間違いはなかった。
後は、誰とどう戦うか、と言う吟味。パスカルは戦闘を得意とするサーヴァントだ。待ちの一手だけでは、腐らせるだけだ。
その事についてどうしようかと、睦月はうんうん唸って考えていた、そんな時であった。

 庭の軒先に、一匹の鳩が止まり、リビングに設置されたソファに座っている睦月の方をジッと見ていた。
その事に気づいたパスカルが、霊体化をした状態で外に向かって行き、庭先で実体化。
窓を隔てて睦月が二匹の様子を眺める。何かを話し合っている。一度パスカルの動物会話の模様をじっくり聞いた事があるのだが、全く何を話しているのか解らなかった。
唸り声だけで本当にコミュニケーションが取れるのかと常々疑問に思っているのだが、其処は人と動物の違い。彼らには彼らにしか解らない、意思伝達の在り方が存在するのだろう。

【マスター】

 脳内に、パスカルの声が音響の良いアリーナの中で打楽器をめい一杯叩いた様に広がった。
どうにも、この念話と言うものにはなれない。頭の中に直接語り掛けて来る、と言う表現がこれ以上となく相応しいこの意思伝達手段は、便利ではあるのだが、
それ以上に睦月には当惑の感の方が強い。早い所、慣れたい感覚であった、

【サーヴァントト目サレル、少年ノ姿ヲシタ存在ガ此処ノ所、早稲田鶴巻町ノ辺リニ姿ヲ見セルト言ウ。……オ前ノ判断ヲ伺オウ】

 ああ、やっぱり、私の住んでる近くにもいたんだ、と言う実感が、漸く睦月にも湧いてきた。
<新宿>は狭い。面積約十八平方kmの都市で戦争を行おうと言うのだ。冷静に考えれば、気付かなかっただけで参加者とご近所さんであった、
と言う事態だって往々にして起り得る。それは予測出来ていたのだが、いざそれが起ってしまうと、及び腰になってしまうものであった。

 早稲田鶴巻町。此処から非常に近い場所である。自転車を使わずとも、歩いて散歩がてらに寄って行ける所だ。
そんな所に参加者がいて今まで睦月が気付かなかったのは、その場にいるだけで様々な情報がインターネットの如く入手出来る、と言う、
パスカルの動物会話スキルがそれだけ便利だったからに他ならない。今ならば、電撃戦を仕掛ける事だって出来る。
しかしそれは、睦月の決断に全てが掛かっていると言っても過言ではない。睦月は所謂、駆逐艦モティーフの艦娘である。
駆逐艦には通常、そう言った重要な局面を強いられる局面は少ない。生まれて初めての重大な選択に、睦月は大いに悩んでいた。

 必死に悩み、悩み、悩み。そんな時間が一分程経過したある時、睦月はふと、結局この逡巡の原因は何なのかと言う事を考える事にした。
それはすぐに見つかった。何て事はない。聖杯戦争と言う戦いが睦月にとって初めての物である、と言う事が一番大きい事柄であった。
自分が初めて、深海棲艦との戦いを行う為に出撃した記憶を彼女は思い出す。あの時だって出撃前夜は、緊張で緊張で夜も眠れなかった筈だ。
しくじれば命を失うと言う本質は、サーヴァント同士が行う聖杯戦争も、深海棲艦との戦いも同じの筈。丘か海かで戦いを行う程度の違いしかない筈である。

 ――ならば、答えは決まった。
戦わずに事が済むのならば睦月としては万々歳であったが、そんな甘い事も言ってはいられないだろう。
もしも……聖杯の奇跡で如月を生き返らせるとするのならば、戦闘行為は絶対に避けられない事なのである。
どちらにしても、早い所聖杯戦争の感覚に慣れておかねば、後々の対応が利かなくなる可能性が高い。今はその絶好の機会であった

【……パスカル。行こう。その鳩さんに案内して貰って】

【心得タ】

 そう言う事となった。パスカルの頭に響く睦月の声は、そう。鋼だった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「一応、学校には出るんだね」

 制服に着替え、学生鞄を肩に下げる刹那を見て、タカジョーはそんな事を口にした。
刹那の潤沢な魔力により、常に実体化していても問題のない彼は、テーブルの上に腰を下ろし、いつもの笑みを浮かべて刹那の事を見つめている。

「剣士でもあるが、それ以前に学生でもある」

 神鳴流の剣士である事もそうだったが、桜咲刹那と言う少女は中学生。花も盛りの思春期の少女なのだ。
当然学生生活と言うものが有り、麻帆良学園の裏で剣士として活動する一方で、表向き学生として生活する事は、最早義務にも等しかった。
学生であるのならば、学生らしく、と言うあの学園の学園長の方針である。この<新宿>でその方針に従う道理はない筈なのだが、如何にも落ち着かないのだ。
だから刹那は、この世界でも、学生らしく振る舞う事としたのである。

「ま、悪い事じゃないと思うけど」

 小言の一つは言われるかと覚悟をしていた刹那であったが、意外にもタカジョーからそう言った言葉は飛び出さなかった。
この聖杯戦争、開催場所の狭さと言う観点から考えた場合、待ちの一手にも限界がある。それにそもそも、ランサーのタカジョーは、
キャスターの如く籠城戦を得意としない。寧ろ積極的に前に出て相手を迎え撃つタイプのサーヴァントなのだ。
よって彼を上手く運用するには、ただ外に出て動き回るしかないのだ。だからこそ、タカジョーは刹那の判断に対して何も文句を言わなかったのである。

 如何なる基準で決めたのかは解らないが、聖杯戦争は既に開催されてしまったらしい。
今朝方に、群青色に光る契約者の鍵を見、其処に投影されたホログラムを見て刹那は悟った。
其処に書かれていた事柄は、聖杯戦争がスタートしたと言う事実の報告、失点を重ねすぎた参加者の討伐令。
一組は、テレビ放送で散々と言っても良い程報道されていた程の有名人である為、然程驚きはなかったが、もう一組の方はまるで知らない。
聖杯戦争を勝ち抜いていけば、何れは彼らともぶつかる事になるであろう。だが今は、何はともあれ通学である。其処から、全てが始まるのだ。

 机自体に腰を下ろしていたタカジョー。
何処か遠い目で、窓から見える<新宿>の住宅街を眺めていた彼だった、刹那。
キッと、瞳が急激に鋭くなり、目にも映らぬ速度で窓際の所にまで移動した。瞬間移動、刹那達の世界に於いても高級技術とされる術だ。
不意にやられると、刹那も慣れないし、少し驚く。その事を嗜めようとした、その時だった。

「――『いる』ぜ。マスター」

 言葉の意味を理解するのに、半秒程の時間を要した。「馬鹿な」、刹那が本当に驚いた口ぶりで言葉を零す。

「ああ、早すぎる。幾ら<新宿>が狭いって言っても、なぁ。運が良いのか悪いのか」

 クルッ、と刹那の方に向き直り、タカジョーは言った。

「選択の時だぜ、セッちゃん」

 最早、セッちゃん、と呼ばれて怒る余裕すらない。
それよりも重大な、タカジョーが言う所の選択を、刹那は強いられていたのであるから。
愛刀の夕凪を仕込ませた竹刀袋を持って、彼女は――。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 其処は、早稲田鶴巻町に存在する、とある公園であった。
何処にでもある公園だ。遊具もあり、砂場もあり、ベンチもある。子供や主婦の憩いの場としても打って付けである。
今は朝も早い為、人も少ない――いや。全くと言っていい程人がいなかった。見渡して見ても、人影らしい人影は存在しない。
それどころか、公園と面した通りにすら、人の姿を確認する事が出来ない。まるで、この公園と其処を取り巻く空間だけ、別世界にでも隔絶されたかのようだった。

 人がいない。従って気配もない。音響も、ほぼ皆無に近い。
比較的風のない日であった。岩倉の中の如き静けさのこの公園に、突如として一人の少年が姿を見せた。
緑色を基調とした服装を身に纏ったその少年は、入り口から、ではなく、まるで初めから其処にいたかのように、公園の真ん中辺りに現れたのだ。
瞬間移動。任意の場所に、まるで書き割りを変えたかのように、障害物や距離と言う物理的制約を無視して現れる、移動と言う概念の究極系。
彼は――タカジョーは、そのような高等技術を、息を吸うように扱う事が出来る。

 タカジョーがこの公園に現れたのに呼応するが如く、彼の真正面九m先に、それが姿を現した。
全長六m、体高二m程にも達しようかと言う、巨大な獅子(ライオン)であった。鋼色の獣毛が、陽光を反射し、キラキラと光り輝いていた。
黒い珊瑚の様な色味をした、これまた長大な、二m程もあろうかと言う節くれだった尻尾を有している。先の全長六mとは、この尻尾を含めない時の大きさだ。
巨大(デカ)い、と言う言葉がこれ以上となく相応しい巨獣である。人間であれば、並の英霊であれば。その威容を目にすれば、忽ち卒倒してしまうかも知れない。
是非もなし。今タカジョーの目の前にいるその獣こそが、冥府の君主であるかの神霊、ハデスが統治するタルタロスの番犬を任されていた獅子、ケルベロスなのだから。

「――やれやれ」

 武辺を轟かせた豪傑ですら震え上がらせる、ケルベロス、もとい、パスカルの魁偉を見ても、タカジョーは不敵な笑みを浮かべるだけ。
それどころか、自分の奇縁を皮肉る様な、自嘲気味な笑みを浮かべて、パスカルの事を見つめるだけだった。

「幼馴染と同じ名前のマスターに当たったかと思えば、今度はその幼馴染が連れてた相棒に似た奴が最初の相手か。何の因果だか」

 タカジョーはパスカルの姿を見ても、全く怯まない。どころかまじまじとパスカルの姿を観察する始末だ。
ケルベロス。彼は確かに上位の魔獣であり、もしも十全の力で世界に顕現出来たらの話であるが、その時は下手な神霊や全盛期の英霊すらをも超越した強さを発揮する。
しかしタカジョーは、そのケルベロスをも超える程の力と魔力を内包した魔王なのである。故に、怯まない、恐れない。
そもそも彼は生前、この魔獣よりも恐るべき魔王と対峙した経験が、あるのだから、畏怖する道理がないのである。

「キミ、一応名前確認しておくけど、ケルベロスって名前じゃないよね?」

「……当タラズトモ遠カラズ、トダケ言ッテオコウカ」

 そんな動作は億尾にも出さないが、パスカルは内心で大いに驚いていた。
自分の姿が特徴的である事は、パスカル自身自覚していた。人間としての名残を残したサーヴァントならばいざ知らず、完全な獣の姿をしたサーヴァントなど限られている。
特定も容易いだろうとは思ってはいたが、まさか此処まで早く真名の一部を当てられるとは思っても見なかった。
恐らく相手は、パスカル自身が認識する世界群、アマラの宇宙の一つに連なる存在の一人なのかも知れない。その証拠にパスカルは、目の前の存在が何者なのか。その確証を一目見たその瞬間から得ていた

「ソウ言ウ貴様ハ、カノ暴食ノ魔王デハナイノカ」

「僕は一応小食なんだ、これでもね」

 解りやすい否定の言葉ではなかった。相手がもしもケルベロスであるのならば、自分の正体について察しがつくのも、予期せぬエラーと言う訳ではない。だからタカジョーの場合は、パスカルに比べれば驚きはなかった。

「僕のマスターは本当にヘタレでね。未だに相手を殺す決心が曖昧なんだよね。君にその気があれば、僕は同盟を組みたいんだけど、どうかな」

「断ル。……主以外ハ信ジナイ事ニシテイル。特ニ、天使ト、魔王ハナ」

 生前の事も重なり、パスカルは、非常に疑り深い性格をしている。 
主を謀殺した天使達、様々な権謀術数と暴力的な手段で覇権を握ろうとした魔界の大公や魔王達。
その様な存在を直に目の当たりにして来たパスカルに、魔王だと解っているタカジョーの言葉を信じろと言う方が、無茶な物であった。

「聡明なイヌだね、君は。間違った事は言っちゃいないよ」

 小言の一つは送ってやろうかと思ったタカジョーであったが、全く間違った事を言っていなかった為に取りやめた。
パスカルの言う通り、天使も魔王も、ロクな存在ではないのだ。どちらも恣意と我欲が強くて、何かの上に立ちたがる。そんな性分の生物である事を、タカジョーもまた、よく知っているから。

「じゃ、僕とキミはご縁がなかった、って事で良いのかな。それじゃ帰って良い?」

「俺ハ聖杯ノ奇跡ヲ望ンデイル」

 数百tもある鉄塊が佇んでいるような、パスカルの重圧感と存在感が、倍加したような感覚をタカジョーは憶える。
パスカルの周りを取り巻く空間だけが、過重力で歪んでいるような錯覚すら彼は見た。遠回しな、お前は逃さないと言う言葉に、タカジョーはハハと笑った。

「自信がないから逃げる、って訳じゃないんだぜ? 君如きいつでも捻り潰せるから、今日は見逃してあげるって意味だったんだけどな」

 ズボンの両ポケットに手を入れて、不敵な笑みを浮かべながらタカジョーは口にする。
パスカルが放出する殺意が、鉛の様に重いそれであるのならば、タカジョーが放出する殺意は、冷気の様なそれ。
凍土の空気にも似たさっきを放射して佇むタカジョーの様子は正しく、魔王と言う名に偽りがなかった。

「魔王デアルガ故ニ、実力ガ矮化ガ著シイ貴様ナラ、俺デモ殺セル」

「言うじゃないか」

 ズチャッ、とタカジョーが一歩距離を詰める。パスカルが、低く唸った。
場の空気の緊密度が、最高潮に達しようとしていた。それは同時に、ちょっとした衝撃で、蔕が今にも枝から離れ地に落ちそうなリンゴと同じである。
本当に他愛のない切欠で、戦闘が始まると言う事をも意味する。何が契機となるかは、解らない。当人次第だ。
例えばそれは、この公園に彼ら以外の闖入者が入って来たか。例えばそれは、鳥や犬、猫の鳴き声が響いたか。例えばそれは、この場に風が吹いたか。
死闘の鐘を鳴らす要因は、今はまだ解らない。だが二人は、その要因を確実に待っていた。今動けば、確実に不利になる事は解っていたからだ。

「蠅ノ王、貴様ヲ喰イ殺ス」

 死そのものの様な冷酷かつ重圧的な響きを込めた言葉を、タカジョーに投げかけるパスカル。この瞬間、場の緊張が最高度に達した。

「やってみろ」

 声は、パスカルの真正面九m程先――『ではなく』。
『パスカルの左脇五十cm圏内から聞こえてきた』。彼の目線の先に、タカジョーはいなかった。
まるで自分が幻覚でも見ていたかのように、だ。タカジョーが直立していた証である、地面に刻まれた足跡すらも、見当たらない。
バッ、と声がする方向をパスカルが振り向いた。タカジョーが既に腕を振り被っていた。肩甲骨の辺りから、白色の魔力をジェットの様に噴射させながら。

「遅いよ」

 タカジョーの右腕が、鬣に包まれたパスカルの首元に突き刺さる。
全体重と、『魔力の放出』による勢いを乗せた、鋼の如き堅牢さの拳がパスカルに叩き込まれたその瞬間。
重さ一tを優に超す程の魔獣の巨躯が、丸めた紙を投げた様に吹っ飛んで行き、大型の遊具に直撃する。凄まじい轟音が公園中に鳴り響く。
遊具を構成するプラスチックや金属が悲鳴と、tクラスの重量が地面に落ちた事による轟音のせいだ。
ズゥン、と、パスカルの落下に地面が緩く応える。振動が、タカジョーの方まで伝わって来た。

 緊張が最高度に達したその瞬間を狙い、不意打ちをすると言うタカジョーの作戦は成功した。
瞬間移動で瞬時に距離を詰め、怪力と魔力放出スキルを利用した一撃を、パスカルに叩き込む。この様な手筈であった。
この二つのスキルを同時に発動させる事で、タカジョーは筋力Aのサーヴァント並の一撃を叩き込む事が出来、下手な耐久のサーヴァントを一撃で沈めさせる事が出来る。
豊富なスキルを利用した立ち回りこそが、このランサーの最大の武器。――だが。

 ――やってないな――

 先ず間違いなく、あのケルベロスは戦闘不能に陥っていない。
それは殴ったタカジョーが一番よく知っていた。パスカルを殴った感覚はまるで、中身のキッチリと詰まった鋼の塊を殴ったような感覚に似ていた。
殴打したタカジョーの拳が逆に痛い位で、腕全体に軽度の痺れが走っている。あの鋼色の獣毛を初めて見た時から、生半な硬度ではない事は解り切っていた。
だが、此処までとは。厄介な相手に出くわしたものだと舌打ちをする。身体的な特徴だけならば、タカジョーも苦戦はしない。
パスカルに一撃を加えた瞬間、この魔王は即座に理解した。あのサーヴァントは、生半な死線を潜り抜けていないと言う事を。
実は右拳でインパクトを行うその瞬間、パスカルはわざと、拳が伸びた方向に跳躍していた。こうする事で、拳の衝撃をある程度まで減らす事が出来るのだ。
普通の獣形悪魔にはそのような芸当は出来ない。こうする事で威力を殺せる事を、パスカルは経験から知っていたのだろうとタカジョーは解釈した。
恐らくは、甲斐刹那が従えていた、黒い獣毛のケルベロス、クールよりもずっと、あの魔獣は手強いかも知れない。
そんな予感を抱いていたタカジョーの目線の先に、爛々と光る二つの点が浮かび上がった。朦々と立ちこめる砂煙の中でも、その二点はよく目立つ。

 ドンッ、と言う腹に響く音と同時に、パスカルが砂煙を突き破り、時速百三十㎞程の速度でタカジョーの下へと猛進して来た。
その巨体、その重量に見合わぬ、とんでもなく軽やかな動きぶりと速度。十分な距離さえあれば、これに倍する速度だって十分に出せたであろう。
速度と言う勢いを乗せた、パスカルの一撃を真っ向から迎え撃つと言う判断は、『今の』タカジョーには存在しない。
瞬間移動を用い、即座にパスカルの視界から消え、攻撃の範囲外まで移動する。その頃には丁度、先程タカジョーがパスカルを殴り飛ばした地点に、この魔獣はいた。腕を振り下ろせる間合いであった。

 革の鞭の如くに、尻尾を勢いよく撓らせるパスカル。
――獲物を勢いよく打擲する手ごたえを、魔獣は得た。水平に飛んで行くロケットみたいな勢いでタカジョーが吹っ飛んで行く。
両足を地面に着け、その摩擦で吹っ飛ぶ勢いを殺そうとするタカジョー。ギャリギャリと言う音と砂煙が生じる。吹っ飛びの強さが窺える証拠だった。
何とか動きが止まった頃には、既にパスカルから三十m弱も距離を離されていた。パスカルを鋭い瞳で睨むタカジョー。相手もまた、同じ目つきで彼を見ていた。

 背後に回っての攻撃は見事に失敗した。あの魔獣の尻尾も十分凶器になるであろう事も、やはりタカジョーは認識していた。
だがまさか、自分が背後に回り、攻撃を仕掛けようとしていた事を読まれていたとは思わなかった。でなければ、尻尾を勢いよく振い攻撃すると言う行動はなかった筈だ。
威力は、両腕を交差させて急所を守る事で何とか減らす事は出来たが、痛みと痺れは両腕に強く残っている。
撓りと柔軟性はゴムの様なのに、衝撃の強さは金属の棒に倍する、と言う恐るべきケルベロスの尻尾の一撃であった。

「俺如キ、イツデモ捻リ潰セルノデハナカッタカ?」

 体勢を整え、直立の状態に戻ったタカジョーの方を見て、パスカルは挑発染みた言葉を投げ掛けた。

「スロースターター何だよ、僕は」

 自嘲混じりにタカジョーは切り返すが、これは恐らく本当の事だろうとパスカルは見ていた。
記憶の中の魔王ベルゼブブの強さを彼は反芻する。彼はその生涯で二度、蠅の王と戦った事がある。
強かった。主であった男も、偽りの救世主であった男も、苦戦は免れなかった程に。その記憶の中の強さと、余りにも目の前の魔王は乖離し過ぎている。
聖杯戦争に招かれたサーヴァントは、クラスシステムに当て嵌められたために、全盛期の強さを発揮出来ない事が多い。持ち込める宝具の数とステータスなどその典型だ。
だが、元が強い存在は、例え矮小化されたとしても、並の英霊を大きく引き離す程の強さでサーヴァント化される事が多いのも事実である。
魔王・ベルゼブブ。サーヴァント化しても強い存在である事は論を俟たないのに、このサーヴァントは弱体化が著しい。
何か、裏がある。パスカルがそう言った疑惑を抱くのも、無理からぬ事であった。

 鷹揚とした態度を崩さぬタカジョーを見て、底知れなさをパスカルは感じる。
可能ならば、マスターを葬って魔力の供給元を断つのが、一番安全であろうか。しかし、この場にマスターの気配がないのが疑わしい。
公園周辺に人が全くいないのが、人払い或いは、認識阻害の魔術に類するもののせいである事は、パスカルもとうに見抜いていた。
睦月では断じてない、となれば、タカジョーのマスターによるものである事は間違いない。マスターに関して言えば、タカジョーは当たりを引いていたと見るべきだ。
となると、マスター同士の衝突に陥った場合、睦月は最悪殺される可能性が高い。彼女がパスカルのマスターだと気取られないような措置は施してはいるが、
憂いの要素が消えている訳ではない。マスターは、葬っておきたい所存であった。

 音もなく、タカジョーの姿がパスカルの視界から消え失せる。
ザッ、と地面を蹴り、パスカルは一m半程右方向にステップをし、移動。パスカルがステップを行う前にいた地点、その左側でタカジョーが右足による前蹴りを行っていた。
しかし、蹴りを行う前にパスカルが飛び退いていた為に、蹴りの直撃は不発に終わり、無防備な隙を彼は曝け出している。
瞬間移動からの攻撃を読まれていた。と、タカジョーが認識した頃にはもう遅い。パスカルは、今しがたステップした方向とは逆方向にステップを刻んでいた。
それは即ち、タカジョーの居る方向。少年の姿をした魔王の目には、鋼色の巨大な壁が凄まじい勢いで此方に迫って来るように見えていた。
パスカルの巨体が、タカジョーの小柄な体に激突。木の葉みたいな勢いで、少年の魔王は中空を舞った。
無理もない事である、tを超す程の重量の生物が、勢いをつけて体当たりをかまして来たのである。吹っ飛ばないわけがなかった。

 高度二~三m程の間を舞い飛ぶタカジョーに、パスカルが照準を合わせる。
噛み合わされた牙と牙の間から、火の粉が舞った。魔獣の口内に、灼熱のエネルギーが収束する。
思いっきりその牙を開いたその瞬間、世界が橙色に染まった。オレンジ色のフラッシュが、パスカルの口腔を中心に瞬くや否や、
地獄の番犬の口から灼熱の火炎が迸った。これぞ、パスカルもとい、ケルベロスと呼ばれる魔獣の十八番である、火炎の吐息である。
それは最早炎と言うよりは、火炎を練り集めたレーザーとも言うべき代物で、一直線にタカジョーの方へと向かって行った。
摂氏五千度を越え、供給される魔力次第では一万度にも達し、それを超え得る可能性を秘めた温度の火炎は、あらゆる金属を溶解、気化させる程の威力を内包している。
音に聞こえたケルベロスの火炎を喰らう事は、流石のタカジョーも良しとしなかったらしく、直に瞬間移動で、火炎の軌道上から転移。
灰にするべき対象を見失った火炎は、そのまま直進。公園内に設置されたベンチや東屋、公園の周りを取り囲む植え込みを一瞬で焼却、あわや一軒家に直撃するか、
と言った所で消え失せる。パスカルが口腔を閉じ、迸るエネルギーを断ったからである。

 パスカルの視界の外に瞬間移動したタカジョー。パスカルから十m程距離を離していた、その地点で。
魔王は地面を蹴り、パスカルの方へと向かって行った。瞬間移動に頼らなくても、この魔王は凄まじい速度での移動を可能としていた。
怪力スキルを限定的に脚部に適用させ、踏込の際の力を増大させる事で、短距離を爆発的な速度で移動する事が出来るのである。

 タカジョーの方を振り向いたパスカルが、右前脚を振り上げ、彼の頭目掛けて勢いよく叩き付けた。
頭上に、交差させた腕を配置。何とこれで、タカジョーはパスカルの強烈な一撃を耐えようと考えたのだ。
魔王の腕に、魔獣の前足が激突する。パスカルらを中心とした、半径十m程の範囲の地面が上下に激震する。
局所的な地震を引き起こす程のパスカルの筋力もそうであるが、実に恐るべきは、それを耐え切ったタカジョーの膂力よ。
しかし、怪力スキルと魔力放出スキルを同時に発動させねば、その一撃には耐えられない。彼の背中からは、白色のフレアーが迸っていた。
例え他の英霊がこの二つのスキルを持っていたとしても、パスカルの一撃を防ぎきる事は、至難の技であろう。それを成すタカジョーの規格外性が、今の状況からも窺い知れるだろう。

「んのっ……」

 鍛えた格闘家の腕を枯れ枝の様に圧し折る程の、パスカルの前脚による圧力と拮抗しながら、タカジョーは口からそんな言葉を漏らす。
パスカルは圧力を強めた、このままタカジョーを頭から押し潰そうと言う算段であった。

「雑魚がぁッ!!」

 言ってタカジョーが、思いっきりパスカルの横腹を蹴り飛ばした。
三m程吹っ飛んだパスカルであったが、直に地面に着地。蹴り足を地面に戻したタカジョーの方を、血走った瞳で睨みつける。
怒気と殺気が混じり合った魔獣の瞳は、まるで中で焔が燃えあがっている宝玉の様であった。

「ヌルイワ、魔王!!」

「今お前が言った言葉が同じ口癖の狼を知ってるよ、お前と同じで取るに足らない雑魚だったぜ!!」

 左掌に自身の莫大な魔力を収束させて、タカジョーが叫んだ。
掌をパスカルに向けた、その瞬間。其処から、ケルベロスを呑み込む程の大きさと規模をした、魔力の奔流が噴出する。
人は愚か、悪魔ですらも塵も残さず消滅させる程のエネルギーの嵐。それに魔獣の巨躯が呑み込まれる。
火炎などの熱エネルギーとは違う次元の熱と、痛みが彼の身体に舞い込んで行く。消滅を免れているのは、偏にパスカルの存在の格の高さが故である。
タカジョーが放出した魔力の奔流が止んだ、と同時に。パスカルは肺の中の空気を、獣の雄叫びに変換。公園所か、今二名が戦っている早稲田鶴巻町及び、
その町と近接している町にすら轟く程の咆哮が張り上がった。

「ぐぉっ……!?」

 凄まじい声量であった。パスカル周りの地面の砂は、十m以上も舞い上がり、公園周辺の建造物の窓ガラスが粉々に砕け散る。
何百m先まで均質に響き渡りそうな程のパスカルの咆哮。悪魔達はこれを、『バインドボイス』と呼ぶ。その凄まじい音圧で、相手の動きを止める技である。
余りの音量に、タカジョーの両耳からどす黒い血が流れ出ていた。鼓膜が破れたのである。
動きこそ止まらなかったが、魔王の身体にすら影響を与える程の、パスカルの咆哮の凄まじさであった。

 この程度の損傷なら、自らの再生スキルですぐに治ると踏んだタカジョーは、地面を蹴り、パスカルの方へと接近。
魔獣の方もまた、ダメージを負っていた。と言っても、少し程度であるが。
接近と同時にパスカルは大きく口を開け、タカジョーを頭から噛み砕こうとする。
ガチンッ!! と言う牙と牙とが噛み合う音が鳴り響く。火花すら巻き起こりそうな程の勢いで、パスカルは思いっきり口を閉じたのだが、其処に肉と衣服の感触はない。
空気を噛んだ感触しか、彼の顎は捉えられていない。閉じた下顎に、車の衝突にも似た衝撃が舞い込んで来た。パスカルの上体が上擦った。
パスカルが顎を開いたその瞬間に、タカジョーはスライディングをし、ギリギリ牙が届かない位置まで身体の位置を下にさせ、相手が口を閉じた瞬間に、両足でその顎を蹴り抜いたのである。

 体勢を整えないままに、タカジョーは瞬間移動でその場から消え失せ、パスカルの背後に回った。瞬間移動を終えた頃には既に体勢は整えられている。
今度は、尻尾を振り回させない。直に尻尾を右手で握ったタカジョーは、そのまま魔獣を、子供が小枝を振り回すように軽々と持ち上げた。
そしてそのまま、アーチ状の軌道を描かせて、背部からパスカルを地面に叩き付けた!! 先程とは違い、今度は公園中が激震する。勢いが段違いだからだ。
これにはパスカルも堪えたらしい、苦悶の声が彼から上がった。

 この機を逃さず、タカジョーは勢いよく飛び上がり、ある高度にまで達した瞬間、勢いよく魔力を上向きに噴射。
鋭い角度で、彼はパスカルの腹部目掛けて急降下。膝を、落そうとした。が、流石にザ・ヒーローやアレフ達と共に死線を掻い潜って来た歴戦の魔獣である。
タカジョーが魔力を噴出した瞬間にはもう起き上がり、攻撃から逃れるべく飛び退いていた。
膝が地面に衝突する。公園中に深さ二m程のクレーターが生じ、公園に面した道路のアスファルトにも、亀裂が走った。

 口を閉じた状態で、パスカルがタカジョーの方へと向かって行く。迎撃しようと彼は立ち上がり、鋼色の巨獣を迎え撃とうとする。
彼我の距離が丁度中頃にまで差し迫った辺りで、パスカルが立ち止まり上顎と下顎を思いっきり開かせた。
拙い、とタカジョーが思った頃には、魔獣の口腔から地獄の業火が放たれていた。瞬間移動。座標の計算が間に合いそうになかったので、反射的に身体を動かした。
右方向に大きくステップを刻む。左腕の手首より先が炎に呑まれる。腕を通じ身体中に、凄まじい熱が伝わって行く。左手がブスブスと白煙を上げていた。
一瞬で炭化したらしい。対魔力スキルがあったからこの程度で済んでいたものの、彼以下の対魔力の持ち主であれば、文字通り、灰すらも残らなかった事であろう。

 パスカルの炎が着弾した地面は、一瞬でマグマ化と気化を引き起こした。
科学の炎を遥かに超える、神代の魔獣の火炎の威力が、窺い知れようと言うものであった。

 炭化した左手は、自らの再生スキルならば、時を経れば時期に回復するであろう。それまでは、両手を使えないと言うのが癪である。
自らの弱体化を嘆くタカジョー。生前の状態であれば、ケルベロスなど――と思った彼であったが、それは相手も同じであろう。
ケルベロス程の悪魔が、聖杯戦争において十全の状態で召喚される事などありえない。となれば彼もまた、何かしらの弱体化を背負わされているのだろう。
それが何なのかは、タカジョーには解らない。きっと相手も、そんな事教えはしないであろう。

 ――この場で、このサーヴァントは葬っておきたい。
対峙する二名の共通見解であった。どちらも生かしておいては厄介になる事は目に見えている強さの持ち主。
タカジョーの身体に魔力が漲る。パスカルの筋肉の密度が跳ね上がる。ジリジリと、一秒に十数cmづつ、二人は距離を詰めて行く。
もう数秒経過したら、飛び掛かる。と、二人が決め込んでいた、その時である。
機先を制する、と言う言葉がこれ以上となく相応しい程の不意打ちであった。やはり、動いたのはタカジョーの方であった。
瞬間移動。パスカルの視界から姿を消え失せさせた。但し、パスカルの知覚は理解している。タカジョーがこの公園から姿を消したと言う事に。

「逃ゲタカ!?」

 と口にし周りを見渡したその時。クルクル、と頭上でハトが忙しなく鳴いていた。
その鳴き声の内容を咀嚼し、理解した瞬間、パスカルの方も地面を蹴っていた。時速百数十㎞。地理条件さえ整えば、更にここからの加速をも可能とする。
急がなくてはならない。頭上を飛んでいたハトは、睦月が敵のマスターに見つかったと言う事実をパスカルに告げていたのであるから。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 凄まじい獣の咆哮に、睦月はビクリと身体を跳ねさせた。
彼女の足元にいた、緊急時の伝達に使う鳩も、驚いたように飛び上がろうとするも、パスカルに課せられた使命を思い出し、直に睦月の足元に戻って行く。
音の壁を叩きつけられたかのような衝撃であった。元居た世界で、戦艦の艦娘の主砲を間近で聞いた時の事を彼女は思い出す。
自分のサーヴァントの物であるからこそ、身構えられていたが、そうでない物達は腰を抜かし卒倒した事であろう。
空が鳥の飛翔で埋まる。スズメ、ハト、ムクドリ、カラス。様々な鳥類が、その咆哮に怯えた様子で、空を飛び逃げようとする。
きっと、自分達の王が激怒したに違いないと、彼らは思っているのだろう。そう思うのもむべなるかな、と言う物だ。
これだけの蛮声である。声の主が激昂したと考えるのも、致し方のない事であろう。

 睦月はパスカル達が戦っている所から三十m程離れた場所で待機していた。
本当を言えば、もっと近くでサーヴァント同士の戦いを目にし、慣れさせる筈であった。
しかし、パスカルが、戦う場所として選んだ公園の周りの空間に、人払いに使う為の魔力を察知し始めた瞬間、方針を変更。
相手が魔術に造詣のあるマスターである事を即座に悟った彼は、直に睦月を自分達が戦う場所から移動させたのだ。
何か危難が迫れば、彼が従えた鳩を常に近くに侍らせるので、それを自分の所に飛ばせ。そう言う算段で、事を進めようとした。

 建造物で公園の風景を遮られているのせいで、パスカルと、相手のサーヴァントがどうやって戦っているのか見えない。それが、何だか悔しい。
パスカルにだけ苦労を背負わせているのでは、と言う感覚が睦月にはあった。

 今度は、ズゥン、と言う大音が鳴り響いた。少し、地面が揺れた……?
気のせいかと思ったが、戦っているのが、あの鋼の巨獣である。地面を揺らす程の攻撃手段を持っていても、おかしくない。
誰と、どんな戦いを繰り広げているのか。見たい。だが、見れない。ジレンマに睦月は苦しんでいた。

 だが此処は、パスカルの言う事に従う事とした。
自分が魔術やらと言った世界に疎いと言うのは厳然たる事実であり、そのセオリーや定石を理解していないと言う事が大きいからだ。
睦月の引いたサーヴァントは、そう言った戦い方が当たり前のように横行する世界の住民であり、その世界で天寿を全うした存在であると言う。
つまりは、そう言った戦い方のプロフェッショナルである。だから大人しく、パスカルの言う事を唯々として守る事にしたのである。
正しい判断である。パスカルの方も、睦月の方も。

 ――睦月も、或いはパスカルも、予想出来なかった事があるとすれば。相手のマスターが、善良な性格であったと言う事であろう。
そんな性格だからこそ、人払いの魔術を、公園周辺だけに止めず、余計な二次被害の拡大を防ぐ為、公園周辺からより広げて展開しようとしていると言う事に。
彼らは気付けなかった。人払いの結界を拡大中の刹那の目線に、睦月は果たして気付けたであろうか。
今睦月は、タカジョーのマスターである刹那が展開していた人払いの範囲内にいる事に、彼女は気付けたであろうか。
その範囲内に人がいると言う事が、刹那にどう言った疑惑を齎すのか。そう、その答えは、一つである。

 軽やかな足取りで、刹那が睦月に方に近付いて行く。睦月は偶然、刹那が向かって来る方向に顔を向けてしまう。
そして気付く。明らかに、自分と同年代と思しき、竹刀袋と学生鞄を背負った少女が、此方に向かって来ると言う事に。
明らかにその少女が、自分に向けての敵意を見せていると言う事に。

 睦月が身構える、よりも速く。
刹那は彼女の両足の甲を踏みつけ、両手首をガッと、自らの両手で掴み上げ、その状態で背後の一軒家の塀に睦月を縫い付けた。
足元の鳩がバサバサと飛んで行く。今こそ、使命を果たす時であった。
縫いつけられた際に勢いよく、睦月は後頭部を塀にぶつけてしまう。その時の衝撃に痛がる事を睦月は忘れてしまう。
息が掛かりそうな程、刹那の顔が近かった。瞳は、睦月が深海棲艦と戦う時のそれよりもずっと鋭い。この歳で、艦娘ではない人間が。
どのような経験を経れば、こんな目をするに至るのかと、睦月は考えてしまう。今の状況は、誰が見ても危機的な状況であると言うのに。

「答えなければ、痛い目を見ると思え。……お前は、聖杯戦争の参加者か?」

 威圧的な声音で刹那が詰問した。睦月は此処で初めて、刹那が今パスカルと戦っているサーヴァントのマスターである事に気づく。
艦娘として一応体術の手解きを受けている睦月は、抵抗しようと身体をもじらせるが、動けない。それはそうだ。
刹那は今、気を以て自らの身体能力を強化させている。艤装のない睦月が幾ら抵抗した所で、その拘束を解ける筈がなかった。

「な、何の事ですか……?」

 如月の死に動揺し、現実逃避めいた事をしていた時期があったとは言え、流石に艦娘である。
このような状況においても、シラを突き通そうとしたのは、見事な胆力、と言うべきであろう。
しかし、聖杯戦争の参加者かどうかは、判別が難しいようで、意外と簡単である。令呪か、この<新宿>に限って言えば、契約者の鍵の有無を確認すれば良いのだから。
先ずは令呪を確認をするべく、抑えた睦月の両手を、手首を握ったまま下に降ろさせ、確認する。見事に、刻まれていた。
三つ首の犬を模したようなトライバルタトゥー。これが、睦月の令呪であった。

 バレた、と思った瞬間、睦月は刹那の額に頭突きをかまそうとする。
だが、相手の方が一枚上手であった。上体を反らさせ頭突きを回避した刹那。
躱されたと睦月が思った瞬間、手首に急激な痛みを感じ始める。「痛いっ!!」と口にするよりも速く、身体が宙を舞い、そして、回転する。
背中から地面に叩き付けられる睦月。受け身は取れた為、痛み自体は軽微である。それよりも、左腕全体に走る痛みである。
動いて反撃に転じようにも、関節の駆動上の問題で刹那に手足の攻撃が届かない上に、何よりも、腕の関節を極められている。
古流柔術に近い関節技を極められた、と思った時にはもう遅い。少し力を込めれば、刹那は完全に睦月の腕を圧し折る事が出来るであろう。
京都神鳴流は何も剣術や格闘術だけではない。キッチリと、関節技も教え込まれる。睦月は、刹那に手首を抑えられたその時点で、既に詰んでいたに等しい状況だった。

 ここから人を葬る事は容易い。
その様な方法は刹那は教え込まれている。と言うよりそもそも、手首を握り動きを拘束したその時点で、既に殺せた筈なのだ。
それを行わなかった訳は、まだ刹那も、人を殺すと言う決断に悩んでいるからに他ならない。タカジョーは、この少女のサーヴァントと戦わせるべく、
鶴巻町の公園に向わせはした。その時に、マスターの姿が見えない事も、タカジョーの念話から確認した。
何処かに潜伏しているとは思っていたが、まさかこんなにも早く見つかるとは思っても見なかった。そう、刹那にとっても睦月を発見した事は、不測の事態であったのだ。

「……サーヴァントに自害を要求するんだ」

 これが一番、現実的な手段だと刹那は考えた。やはり、人を殺す事は自分には出来ない。例えタカジョーから甘いと謗られても良い。
だから、このマスターにサーヴァントの自害を要求する。これならば、サーヴァントと言う脅威を一騎減らせるだけでなく、勝ち方は如何あれ勝ち星が一つ着く。
あの小生意気なランサーだって、文句はないだろう。……だが、何処までも事は刹那の思い通りに行かなかった。

「い、いやです……」

 流石に、シラを通そうとした時よりも、語調は弱くなっている。しかし睦月は確かに否定した。

「私のサーヴァントは、絶対に叶えたい願いがあるんです。わ、私にだって……。此処でビーストに自害を要求する何て、か、彼に対する裏切りです……!!」

 予想外の芯の強さに、刹那が歯噛みした。
如何して、解ってくれないんだ。如何して、私に人を殺させようとするんだ。運命は何処までも、刹那に対して残酷だった。

 歯を強く食いしばっていた刹那の付近に、気配が一つ唐突に増えた事を感じ取る。
刹那の正面数m程先に、耳から黒い血を流し、炭みたいに真っ黒になって白い煙を上げている左手の少年がいた。
見慣れた少年である。当たり前だ、自分が引き当てたランサーのサーヴァント、高城絶斗なのだから。
いつもは余裕げな表情で、皮肉や人を見下した発言をする彼が、余裕のない表情で刹那を睨んでいた。彼女も悟る。
あの公園で繰り広げた戦いが、刹那の予想を超えて激しいそれであった事を。

「それがマスターか、早く殺れ!!」

 サーヴァントとしては当たり前の事を叫ぶタカジョー。
タカジョーの言う事の方が、正しい筈なのだ。だが、踏ん切りがつかない。
その心理を読み取ったタカジョーが、「だったら僕が殺る!!」と言い、腕を振り上げようとしたその時だった。
何かに気付いた様な表情を浮かべた後で、刹那を横抱きの要領で抱え上げ、タカジョーが飛び退いた。その瞬間に響き出す、轟音。そして、大小の瓦礫が落ちる音。
鋼色の獣毛を体中に生やした巨大な獅子が、その右前脚を、先程まで睦月を縫いつけていた塀に叩き付けていた。
もしも、タカジョーが刹那を抱いて飛び退いていなかったら。間違いなく刹那はあの魔獣の前脚の一撃を貰い、文字通り『粉微塵』になっていただろう。

 タカジョーの方を見て低く唸るのは、睦月が引き当てたビーストのサーヴァント。
ケルベロス、或いは、パスカル。この世にあるどんな槍の穂先よりも鋭い瞳で、刹那とタカジョーを睨みつけながら、パスカルは口を開いた。

「ソノマスターヲ灰ニスレバ、貴様モ消エルノダロウ。ベルゼブブノ化身ヨ」

 鼓膜をバインドボイスで破られたタカジョーには、パスカルが何と口にしたかなど、解る筈はないのだ。
だが、今回に限って言えば、この地獄の番犬が何て言っているのか、耳が聞こえなくとも理解したらしい。
炭化された手の痛みや熱など感じさせない程、いつもの様な皮肉気な笑みを浮かべた表情で、タカジョーは切り返した。

「そのマスターを殺しちゃえば、その生意気な口も閉じるんだろう? ケルベロスくん」

 両者の周りの空間が、酷く歪み始める。戦端は今まさに、開かれようとしていた。






【早稲田、神楽坂方面(早稲田鶴巻町・住宅街)/1日目 午前7:30分】

【睦月@艦隊これくしょん(アニメ版)】
[状態]健康、魔力消費(小)、弱度の関節の痛み
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]鎮守府時代の制服
[道具]
[所持金]学生相応のそれ
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を手に入れる……?
1.如月を復活させたい。でもその為に人を殺すのは……
2.出来るのならば、パスカルにはサーヴァントだけを倒してほしい
[備考]
  • 桜咲刹那がランサー(高城絶斗)のマスターであると認識しました
  • パスカルの動物会話スキルを利用し、<新宿>中に動物のネットワークを形成してします。誰が参加者なのかの理解と把握は、後続の書き手様にお任せ致します
  • 遠坂凛の主従とセリュー・ユビキタスの主従が聖杯戦争の参加者だと理解しました




【ビースト(パスカル)@真・女神転生】
[状態]魔力消費(小) 、肉体的損傷(小)
[装備]獣毛、爪、牙
[道具]
[所持金]
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯の獲得
1.ザ・ヒーローの蘇生
[備考]
  • ランサー(高城絶斗)と交戦。桜咲刹那をマスターと認識しました
  • ランサーが高い確率で、ベルゼブブに縁があるサーヴァントだと見抜きました
  • 戦闘を行った、早稲田鶴巻町の公園とその周辺は、甚大な被害を負いました
  • 戦闘中に行ったバインドボイスが、もしかしたら広範囲に轟いているかもしれません




【桜咲刹那@魔法先生ネギま!(漫画版)】
[状態]健康、魔力消費(小)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]<新宿>の某女子中学の制服
[道具]夕凪
[所持金]学生相応のそれ
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争からの帰還
1.人は殺したくない。可能ならサーヴァントだけを狙う
[備考]
  • 睦月がビースト(パスカル)のサーヴァントだと認識しました
  • まだ人を殺すと言う決心がついていません




【ランサー(高城絶斗)@真・女神転生デビルチルドレン(漫画版)】
[状態]魔力消費(小) 、肉体的損傷(小)、左手の炭化、両鼓膜の損傷。
[装備]
[道具]
[所持金]
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を楽しむ
1.聖杯には興味がないが、負けたくはない
2.マスターほんと使えないなぁ
[備考]
  • ビースト(パスカル)と交戦。睦月をマスターと認識しました
  • ビーストがケルベロスに縁のある、或いはそれそのものだと見抜きました
  • 左手が炭化し、鼓膜が破れています。が、再生スキルで回復する範疇です。回復にかかる時間はお任せ致します
  • ビーストの動物会話スキルには、まだ気付いていません



時系列順


投下順



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00:全ての人の魂の夜想曲 桜咲刹那 13:DoomsDay
ランサー(高城絶斗)
00:全ての人の魂の夜想曲 睦月 13:DoomsDay
【EX】ビースト(ケルベロス)