スパイ――別名諜報員、潜入工作員など――の仕事は主に政治・経済・軍事・科学技術のような重要な情報を素早く入手して味方に知らせつつ、敵の活動を阻害・攪乱することである。
近代以降では各国に情報機関が組織されており、スパイはそこに従事して任務を遂行するケースが多い。
アメリカの中央情報局(CIA)、ロシアのロシア連邦軍参謀本部情報部(GRU)、日本の内閣官房内閣情報調査室などがあるが、
冷戦においてはロシアがアメリカにスパイを送り込み、尻尾を掴もうとしていたのはよく聞く話である。
一方でアメリカもそれに対策を打たないはずもなく、捕えたロシアのスパイの生活を保障することを餌に寝返らせて逆にロシアの機密情報を得ていたのもまた、よく聞く話である。

さて、イギリス情報局秘密情報部(MI6)の潜入工作員(エージェント)・塞は<新宿>のありとあらゆる情報を網羅している。
幸い、仕事柄情報を収集することには長けている。新華電脳公司でのいつもの仕事のように、難なくその手に収めることができた。
<新宿>の地理歴史、下水道の所在、裏社会の事情に天気情報はもちろんのこと、
最近頻発している陰惨な殺人事件の詳細に加えてマスターと思しき怪しい人物も噂レベルの情報さえあればマークしている。
これらの情報は自分の足や己がサーヴァントの鈴仙を使って調べ上げたのも事実だが、それ以外に情報収集で欠かせないものがある。
それは政府や警察の役員とのコネクションだ。
塞は現在、警察と新宿区役所の役員に協力者がおり、内部の情報提供を得ている。
これにより市民が知り得ない殺人事件の詳細や、マスターと思しき人物の個人情報をも手にすることができる。
所謂「獲得工作」という、諜報活動で最もポピュラーな手法の一つによって手にした貴重な情報筋だ。
協力者になりそうな人物の身辺調査から始まり、工作対象の選定に工作をかける計画立てを経て、対象に接触、
その人物の問題を解決するなどして恩義や親近感を得たり、金銭を渡したりして既成事実を積み上げていく。
最終的に身分を明かして対象に協力を仰ぐことで『獲得』が完了する。
これらの過程でかなりの大金が聖杯戦争が始まる前に無くなってしまったが、
この工作を行うために持ち込んだ金にはまだ余裕があるためさして問題ではない。
そもそも、些細な情報のために金を惜しんでいては潜入工作員失格である。

「さて、と――」

夜が明け、太陽が顔を出すか出さないかという頃、塞は西新宿・京王プラザホテルの一室で、ノートPCと向き合っていた。
塞が新宿に来て割り当てられた役割は、奇しくも「イギリス本国より<新宿>の内情を調査するべく送り込まれたエージェント」という立場であった。
先の獲得工作がスムーズにいったのもこの役職であることが大きい。

鈴仙はこの部屋にはいない。単独行動である場所の偵察に向かっている。
塞の大方の方針は、「無益な戦闘はせず、情報収集に徹すること」だった。
鈴仙は基礎能力こそサーヴァントとしては平凡な部類だが、契約者の鍵に内蔵されている彼女の情報を把握する内にその強みが理解できた。
彼女の真価は直接的な戦闘ではなく、情報収集や偵察で発揮される。
「波長を操る程度の能力」による気配遮断と正体隠蔽、さらに高ランクの単独行動により二手に分かれて効率よく情報収集ができる。
また、ここぞという時には『アレ』もある。
この聖杯戦争において、マスター及びサーヴァントの力量も大切だが、その裏で物を言うのは即ち「情報」なのだ。
孫子の格言にも『彼を知り己を知れば百戦殆からず』とある。
今は表舞台に出ず、地道にマスターのあぶり出しと敵の情報解析を進めるのが賢明だろう。

ノートPCを操作して集めた情報をまとめたファイルを開き、それに目を通す。
そこにはマスターと思しき人物やそれにまつわる噂が記されていた。

「レコード会社の社長…ねぇ」

通称UVM社。旧フジテレビに代わって本社を河田町に構える会社だ。
選考の厳しさでは日本どころか世界でも有数と言われており、そこで活動しているだけで天才と目されるとのことだ。
しかし塞が注目したのはそこではなく、情報収集で<新宿>を周る中で小耳にはさんだ、ある噂だ。

――『UVM社』の社長は黒いクラゲのような姿をしているらしい。

それを聞いたNPCは苦笑しながら首を横に振って否定するだろうが、塞は噂だからといって馬鹿にはしなかった。
というのも、近頃はどうも耳を疑いたくなるような噂が塞の情報網に引っ掛かるのだ。

『全く同じ姿をした少女が互いに気付かずに歩いていた。ドッペルゲンガーか?』
『突如人間が化け物になって周囲の人間に襲いかかるのを見た知人がいる』
『人間が誰一人としていない、天空に浮かぶ街を夢で見たことを話したら家族全員が同じ夢を見ていた』

といった具合に。

――サーヴァントを召喚したマスターが増えているんじゃない?

鈴仙に意見を求めたところ、返ってきた答えだ。
確かに、これら全てが全てというわけではないだろうが、<新宿>で既に活動を始めている主従の仕業となれば合点がいく。
当の塞も、兇眼で生気を吸収して大戦当時より変わらぬ姿のまま長寿を全うしており、
鈴仙はその能力で気配遮断はおろか自身をただの人間と思わせる芸当ができる。
元の世界でも転生の法とかいう疑似的な不老不死も存在していた以上、突飛な噂は「アタリ」だと思った方がいいだろう。
この街そのものが「闇の世界」に染まろうとしている…そう思わずにいられない。
世間では人間の悲鳴が着メロとして流行している始末だ。
趣味が悪いとかそういう次元ではない。

「この間の当たらない天気予報も『アタリ』なのかもしれねぇな。さてお次は…俺と同じイギリス人か」

新宿御苑で英国紳士風の男が現れる事は塞の耳に届いていた。
名は「ジョナサン・ジョースター」。通称「ジョジョ」。
190cmを超える長身に筋肉隆々の体格であり、それでいて物腰は穏やかで子供たちからも人気。
塞にも同じことが言えるが、英国人にも関わらず流暢な日本語を話す。
「まるで漫画の主人公みたいね」とは鈴仙の弁だ。
鈴仙がジョナサンと遊んだことのある子供から「誰にもナイショ」という条件付きで聞き出した話なのだが、
『ひざをけがした時にジョナサンがへんな声をだしたと思ったらきずがなおっていた』らしい。
恐らくは怪我をした子供の傷を何らかの手法で治してあげたものの、それがバレたらマズいので子供と他言無用の約束をしたのだろう。
変な声を出して傷を癒すなど、手品のようなチャチなものでは断じてない。
特殊な呼吸法を用いてでもいるのだろうか?

「マッチョな男ってのは変な呼吸法を使うのが定番なのかい」

このジョナサンという男はマスターだと目星をつけておくべき人物だろう。
かつて拳を交えたモヒカン頭の兇手を思い出しながらも、次に進んだ。

「佐藤クルセイダーズのことはさておき…メフィスト病院、ねぇ」

佐藤クルセイダーズ。
<新宿>にあるハイスクールの学生の間で組織されており、構成員は佐藤という人物の命令に従っているらしい。
日本の学生の集団にも関わらず"十字軍"という大層な名前を冠している。
そのリーダーの佐藤という人物がマスターで、部下をいいように利用している可能性を視野に入れておくべきか。
<新宿>で調べものをさせているようだが、情報機関に務めるプロの塞に比べれば集まる情報は量も質もこちらに分がある。
リーダーの佐藤以外では特に気にする必要もないだろう。

しかし、問題はこのメフィスト病院である。
入手した資料によると、つい最近までK義塾大学病院であったはずが、突如『メフィスト病院』と名前を変えていたのだ。
メフィストフェレスというおっかない名前の病院など誰も近づかないといえばそうではなく、むしろ多くの患者がそこを頼りにして門を叩いていた。
現代から数世紀先を行っているかのような卓越した医療技術に、他の大学病院ならば百年に一度の名医とも称されているほどの腕を持つ医療スタッフ、
ボランティアで医者をやっているのかと問いたくなるほどの安い治療費と、非の打ちようがない病院だった。
それもあってすぐに<新宿>の住民に受け入れられた。

ただ、その病院が突如大学病院を取って代わったことからわかるようにサーヴァントが噛んでいることは間違いないだろう。
しかし、塞はこの病院の中を調べようという気にはなれなかった。

「こいつは敵に回しちゃあいけないやつだな」

長年培ってきた勘からわかる。
この病院を建てた(或いは建ててしまった)黒幕を嗅ぎ回ることは殺されにいくようなものだ、と。
仮にあの病院がキャスターの陣地であるならばなおのこと危険だ。
幸い、この病院で行方不明になった者はゼロで、入院した患者はみな退院している。
魂食いのようなやましいことはしておらず、黒幕はそこまで好戦的ではないようだ。
今はその動向に目を光らせておくだけでいいと結論付けた。

そしてノートPCに表示しているページを進めた時、塞は身を僅かに乗り出した。
そこには<新宿>の空気を重苦しくしている直接的な原因ともいえる、殺人事件の数々が事細かく記されていた。
その中には、日付が変わったと同時に発令された遠坂凛及びセリュー・ユビキタスと密接に関わっている事件も含まれていた。
特にギャングやマフィア――日本でいうヤクザや暴力団がここ数日でかなりの数が壊滅状態に追いやられてていることは興味深い。

塞は懐にしまっていた契約者の鍵を取り出し、クエストの討伐対象の顔写真をホログラムに投影した。

「このセリューって女がヤクザマンションの件の下手人ってことは確定か」

塞はセリューの顔を見て、やはりかと言わんばかりに得意げな表情を浮かべる。
塞は先日、鈴仙と共に住民のほとんどがヤクザの関係者という曰く付きのマンションの住民が全員殺されたという情報をいち早く掴み、まだ血生臭いニオイのする現場へ訪れていた。
気配を遮断した鈴仙に周囲を索敵させながら、まだ身内のヤクザに手をつけられていない惨殺された死体の数々に目をしかめながらもヤクザマンションに潜入、
たどり着いた警備室で監視カメラの映像をチェックしたところ、鬼のような形相でエントランスを破壊している女がはっきりと見て取れた。
ホログラムに映るセリューの顔を再度見る。間違いなく、塞の記憶に残る監視カメラの女の顔と一致していた。

「ここから目と鼻の先にある事務所の騒動のメイド女とは別人と考えるべきか」

京王プラザホテル付近に事務所を置くヤクザがメイドに壊滅させられたことも考慮しておかねばなるまい。
その情報は面子が潰れることを危惧した同系列の組織の尽力により、あくまで「噂」という形で世間に出回っている。
今では若者の間の取り留めのないおしゃべりでたまに話題に上る程度で済んでいる。
しかし、『メイドがヤクザを壊滅させた』という文言は塞にとってはどこか胡散臭かった。

なぜわざわざメイド服を着て殺人を犯す必要があるのか。
なぜ下手人がメイドであることが明らかになっているのか。

塞の中では、その答えとして2つの候補が挙がっている。
一つはメイド服を着用することで目撃者の目を顔などの身体的特徴からメイド服へ逸らし、自身が特定されることを防ぐため。
人は他人の外見を記憶する際には、『その人の目立つ部分』のみを記憶にとどめている。
それは黒子であったり、サングラスであったり、髪型であったり、服装であったりもする。
服装を目立たせることにより顔など個人を特定できる情報の記憶を薄れさせ、捜査をかく乱できる。
もう一つは敢えて『メイド服の女がヤクザを壊滅させた』という情報を流すことで敵マスターを怪しませ、その現場にたどり着いたところを奇襲するため。
<新宿>にいる現在、怪しい情報に食いついてくる人間はマスターであると疑った方がいいだろう。
聖杯戦争が始まった今なら尚更だ。
後者が目的であった場合、下手人のマスターは近場に隠れてその事務所に近づいたところを狙い撃ちすればいい。

事実、塞は後者を警戒してそのヤクザの事務所には行っておらず、監視カメラに映る下手人の確認もできていない。
セリューの犯行かと考えたこともあったが、監視カメラで見たセリューはメイド服を着ていなかったのでメイド服の女が別人であろうことは容易に想像がついた。

【もしもし、聞こえる?取り込み中じゃなければ確認したいんだけど】

その他に得た情報も閲覧してどこから調べをつけようかと一人考えていた塞の脳内に突如、若い女性の高い声が響く。
急に耳元でトライアングルを鳴らされた後に起こる頭痛のような感触を覚えながら、塞は鈴仙からの念話に応じた。

【近くにいるんならまだしも、遠くで単独行動中のサーヴァントから急にお呼びがかかるのはどうにも慣れないな】
【仕方ないじゃない、携帯電話じゃあるまいし。通話記録が残らないからってできる限り念話で話し合うことにしたのは塞の方でしょ】
【そりゃあ便利な能力は使わないわけにもいかないからな。それで、見つかったか?】
【ええ、ついさっき。市ヶ谷っていうんでしたっけ?気配自体は前からあったんだけど、そこにある豪邸から黒い礼服のサーヴァントが出て来くるのをはっきりと見たわ】

現在、鈴仙は塞と別行動し、市ヶ谷にてもう一人の討伐対象である遠坂凛の捜索を行っていた。
無論、気配遮断と正体の隠蔽は徹底しており、たとえ別の主従と遭遇しても相手がよほど感知に長けた能力を持っていない限り気付かれないだろう。
実際に遠坂凛とそのサーヴァントは市ヶ谷の豪邸にいるのだが、塞がその潜伏先を特定できた要因は他でもない、キャッチした情報のおかげだ。
警察が捜査に乗り出すよりも早く市ヶ谷・河田町方面で「黒い礼服の男が出没した」ことを突き止めており、
<新宿>の地理情報と出没した地点を照らし合わせれば捜索範囲を絞るのに時間を要さなかった。

【市ヶ谷だとアーチャーのスキルがあってもここから念話が届かない筈なんだがな…アンタ今どこにいる?】
【だいたい市ヶ谷と戸山の境界あたりかしら】
【そいつはわざわざご苦労だな。その豪邸の住所は覚えてるか?】
【ええと、確かね…】

鈴仙から念話で送られてきた豪邸の住所を書き留め、傍らから取り出した<新宿>の地図に豪邸のある場所へマークをつける。
波長を操る程度の能力は前述の他に、超遠距離の念話をも可能にする。
幻想郷ではこの能力で月の都と通じており、鈴仙は(送られてきた通信の内容が正しいかはさておき)月で何が起こっているかを永琳に伝える役目も担っていた。
鈴仙のいる「市ヶ谷と戸山の境界」あたりが、京王プラザホテルからの念話が不自由なくできる限界の距離だ。
塞は魔術師ほど魔術には詳しくはないが、鈴仙のスキルによって念話の範囲が約2km圏内まで広がったといえばいかに強力かがわかるだろう。

【確かここにある豪邸は…<新宿>どころか日本でも有名な暴力団の組長の家だ】
【大方、あそこの住民は黒い礼服のバーサーカーに殺されたんでしょうね。
かなり遠くから見てたからこっちに気付いてなかったみたいだけど、いつも薄ら笑いを浮かべてる変な男だった。
気色が悪くて背筋が凍りそうだったわ】
【バーサーカーだから予想していたとはいえ…やはりマトモなサーヴァントじゃ無いか】

遠坂凛と大量殺人の実行犯である黒い礼服の男は聖杯戦争の参加者のみならず<新宿>のNPC、果てには世界中の知るところとなっている。
セリューもそうだが、彼女のサーヴァントはマスターの制御から離れやすいといわれるバーサーカークラスのサーヴァント。
高ランクの狂化を有したバーサーカーが欲望のままに通りすがりのNPCを殺していった可能性をあり得る事実の一つに入れるのは難しくない。
サーヴァントでなくマスターが故意で殺戮の限りを尽くしているのならば目的はどうあれ、相手を選ぶはずだ。
しかし、監視カメラで憎しみの籠った顔で裏社会の人間「のみ」を殺戮するセリューはともかくとして、この遠坂凛にまつわる事件は無差別殺人。
それだけでこの哀れな少女を襲った『不運』に察しはつく。

【それで、どうするの?居場所は突き止めたわけだけど】
【そうだねぇ…】

遠坂凛に接触してみるか、一度引き下がって様子を見るか。
前述の通り、遠坂凛はただの『不運』な少女に過ぎない可能性が高い。
彼女を葬れば貴重な令呪を一画余分にもらえるが、今後邪魔にならないようならサーヴァントのみを倒して解放してやるのも悪くはないかもしれない。
それを決めるのは遠坂凛の真意を確かめてからだが、あくまで塞の任務は皆殺しではなく「聖杯を獲ること」。
見敵必殺の血生臭いやり方はスマートではない。
前者の選択肢を選べばバーサーカーと交戦することになる可能性は高いだろうが――。

【…よし、『アレ』を使うぜ】
【ええっ、『アレ』をー!?私あまり使いたくないんだけど…】
【今がカードを切る「ここぞという時」だ。特に俺達がサーヴァントと戦う前の「今」がな…】
【うう…】

鈴仙の持つ、二人がここぞという時に切る切り札として重要視している『アレ』。
不満を漏らしつつも、鈴仙は渋々それを使う諦めに近い覚悟を固めた。



◆ ◆ ◆


穢れ。
地上に蔓延するモノであり、月の都に住む月人が忌み嫌う生と死。寿命をもたらす死の匂い。
しかし、それと同時に物質や生命から永遠を奪い変化をもたらす。
月から逃亡してきた鈴仙を匿った者の一人である蓬莱山輝夜は、『永遠の魔法』を解いたことで地上を月の都よりも魅力的に感じるなど心境に変化が生じた。
当然、鈴仙も穢土に染まらないはずもなく、臆病な面は鳴りを潜めて月で起きた大異変の際も永琳から受けた任務を全うしてみせた。

『聖杯を持ち帰る』という任務の下<新宿>で活動している塞ではあるが、そんな塞に鈴仙が協力する理由は『主従の契約をしている』から。それだけに他ならない。
元より真面目な部分もある鈴仙だが、英霊の座から召喚され、契約したからには与えられた仕事――ここでの場合は聖杯を獲るという仕事――は果たすべきである、というのが鈴仙が従う理由だ。
詰まる所、鈴仙は不満を漏らすことはあるものの仕事感覚でマスターの指示に従っているのだ。

「…いた」

鈴仙は遠坂凛のサーヴァントのいた市ヶ谷の高級住宅街へ戻ってきた。
空は朝焼けを見せており、徐々に太陽の明るさを取り戻してきている。
その明るみに鈴仙が塞に合わせて着用している黒いスーツが徐々に露わになっていく。
一応、鈴仙はサーヴァントなので一瞬で着替えることができ、いつでも元の服装に戻ることができるのだが。

鈴仙の傍らには、彼女のマスターである塞が歩いていた。
彼らの視界の先には周囲にある敷地の広い小奇麗な高級住宅が霞んで見えてしまうほどの巨大な豪邸がそびえ立っていた。
塞は豪邸の門前に佇む黒い礼服の男をサングラスの奥で見据えているようで、いつでも戦えるようにポケットに手を入れて臨戦態勢を取った。
ポケットに手を入れるだけで何が臨戦態勢だと思われるだろうが、足技を主軸にした中国拳法を使う彼にとってはこの姿こそがファイティングポーズだ。

「ほ、本当にやるのね?」
「あのお嬢ちゃんが大人しく前に出てくれりゃよかったんだが…」
「自分に討伐クエストかけられてるのにノコノコと出てくるマスターなんていないでしょ」

黒い礼服の男の視線が鈴仙達を捉える。
それに続いてゆったりとした歩調でこちらに進んできた。
耳を澄ませると、

「あのー、すいませーん」

と気の抜けるような声で呼びかけてきた。
その顔には面白いものを見ているかのような笑みがこびりついており、第一印象では塞以上に胡散臭い。
右手には、重量感がある黒光りする丸い球体――ボーリングの玉が握られていた。

「話せるのか」

バーサーカーは狂化のせいで言語能力を失っているものと思っていた塞は素直に驚嘆の声を上げた。

「…だめだと思うけど、あいつとコンタクトをとってみる。何かわかるかもしれない。塞はここで待ってて」
「いいのか?相手はバーサーカーだぜ。しかも身体能力だとアンタは比べ物になってない。文字通り雲泥の差だ」
「あらかじめ『障壁波動』を張っておくわ」

そう言って鈴仙は塞を置いて眼前のバーサーカーへ重い足取りで向かう。弄った波長を元にもどしてサーヴァントの気配を敢えて出す。
マスターは永琳や月の上層部のように隠蔽したりせず、細部を明かした上で指示してくれるから幾分かはやりやすい。
戦闘力は魔眼を抜きにしても高く、銃を持ったヤクザに囲まれても返り討ちにしてしまうほどにその格闘術は卓越している。
しかし、鈴仙はともかくとしてセイバーのような耐久の高いサーヴァントに比べれば断然脆く、あのバーサーカーの一撃を急所に食らえば一撃で葬られるであろう。
幸い、鈴仙は耐久はサーヴァントとしては並の方だが切り札である宝具の一つに強力なスペルカードが具現化されていた。

『障壁波動(イビルアンジュレーション)』

一部魔力が薄れていくが鈴仙を襲った後、波長を操る能力を駆使した絶対的で不可視、三重の防護壁が鈴仙を包む。
これであらゆる攻撃に3回までは耐えることができる。
たとえバーサーカーが問答無用で攻撃してきたとしても、なんとか凌ぐことはできるであろう。
黒服の男女2人が対峙する早朝の市ヶ谷の高級住宅街。
鈴仙は、そこに月の狂気とはまた違う、おぞましい狂気が立ち込めるのを本能で感じ取った。

「もしかしてあなたは、サーヴァント、ですかな?」
「そ、そうよ」

失われた怯懦のスキルが蘇った感覚を覚えながらも、目前のバーサーカー――黒贄礼太郎に話しかける。

「そしてあちらのサングラスの方はマスターと」
「あ、あなたが遠坂凛のサーヴァント…バーサーカーね」
「はい、そうです。あと、私の名前はバーサーカーではなく黒贄礼太郎です」
「…へ?」

【え、ええええええええええええ!?真名!?真名言っちゃったよこの人!?】
【こいつは想像以上に厄介なサーヴァントらしいな…】

塞と鈴仙はマスターが遠坂凛であることを軽々と認めた挙句本来隠しておくべきはずの真名を堂々と名乗った黒贄に呆れを隠せない。
困惑していた鈴仙だったが、すぐさま気を取り直して続ける。

「ご、豪邸の前で張っているってことはバーサーカーは遠坂の護衛でもしてるの?」
「バーサーカーではありません黒贄です」
「く、黒贄は護衛をしているのかしら?」
「はい。だからここで見張りをしているんですよ――」

――何だか調子崩れるなぁ。
頭上にある兎の耳を垂らしてげんなりとした様子で、鈴仙は本題に入った。

「私達は何も問答無用で討伐対象になったあなたのマスターを殺す気なんてないわ。まずは話を――」

――と鈴仙が言いかけた、次の瞬間。

「ッ!アーチャー!!」
「!!?」
「ありゃりゃ」

塞が咄嗟に呼びかけると同時に、黒贄の持っていたボーリング玉が鈴仙の頭目がけて殺到した。
それに気づいた鈴仙は目を見開いて距離を取るが、塞の元へ戻った時には『障壁波動』は残り一回の残量となっていた。
黒贄は「ありゃ」と間の抜けた声を出しながらボーリング玉と鈴仙の頭を見比べている。
あの時、『障壁波動』を張っていなければ即死だった。
それだけでなく、あの一瞬の間で一振りされたと思っていたものが実は二回もボーリング玉を振っていたことがさらに鈴仙の精神を焦燥へ追い込んだ。

「ハハハ…手荒い歓迎だねぇ。最初だけ普通に応対する分現人神目指してたどっかの誰かさんよりも性質が悪――」
「ほうれストライク」

若干余裕のなさそうな塞の小言は最後まで紡がれることはなかった。
鈴仙の目に飛び込んできたのは時を操るメイドのように時を止めて投げた――まるでそれがその場にいきなり現れたかと見紛うほどのスピードで、
ボーリング玉を塞に投擲して文字通り炸裂させていた黒贄の姿であった。
塞の顔に驚愕と怒りが混ざり合った、鈴仙の初めて見るすさまじい形相が浮かぶ。
鈴仙はあまりの事態に、臓物を弾けさせながら吹き飛ばされた塞から離れていく、割れた赤いサングラスをみていることしかできなかった。



【塞@エヌアイン完全世界 死亡】



◆ ◆ ◆









攻略失敗






  >今のを無かった事にする










◆ ◆ ◆






【――という未来を見たのよ】

【マジでか】





鈴仙は市ヶ谷と戸山の境界付近にて、『アレ』を使って視ることのできた「遠坂凛へ接触を図った場合」の未来の内容を塞に念話で伝える。

それを聞いた塞は驚きを隠せなかった。
彼らの言う『アレ』とは『紺珠の薬』。鈴仙のもう一つの宝具で、永琳から月の都を侵略していた純狐に対抗すべく鈴仙と博麗霊夢ら人間に送られた未来を視る薬である。
実際のところ「副作用が怖い」という諸々の理由で人間に服用されることはなかったため、仕方なく鈴仙が『紺珠の薬』を使って月の都へ出撃することになったという過去がある。
敢えて付け加えるが、先の「塞が死亡する未来」はあくまで「遠坂凛へ接触を図った場合」というあり得る未来の内の一つでしかなく、現時点では十分に回避可能な結末である。

【まさか俺がそこまであっけなく死んじまうとはねぇ】
【私だってびっくりしたし怖かったわよ。あいつは月の狂気とは違う…なんかこう…とてつもなくドス黒い狂気を纏っていたのよ。
それだけじゃない、私の目でも捉えられない速さと鬼なんてかわいらしく思えるレベルの力を持ってたわ。まともに食らったら私じゃなくてもほぼ即死ね】
【ま、バーサーカーの真名がわかっただけでお釣りがくるレベルの収穫だ。とりあえず、霊体化してホテルに戻ってきてくれ。気配遮断を忘れるんじゃないぜ】

『紺珠の薬』は一部の魔力と引き換えに、未来を視る力を持つ。
それは訪れる死を予め体験して回避することにも使えるが、塞が鈴仙の視る未来に求めたのは「敵と交戦する未来で確認できた敵の戦力」だ。
塞の方針は「無益な戦闘はせず、情報収集に徹すること」だが、この未来視を活用することで交戦せず、尚且つこちらの手の内を明かすことなく一方的に敵の情報を得ることが可能になる。
今回の遠坂凛のサーヴァントの場合は真名を知ることができたので大きな成果を上げることができたといえよう。

「紺珠の薬は使いたくないんだけどなぁ。特に<新宿>みたいな血生臭いとこだと」

霊体化して本拠地の京王プラザホテルに戻る中、鈴仙は紺珠の薬で見た未来を思い返す。
紺珠の薬の副作用が怖かったのは鈴仙も同じだが、それ以上に<新宿>は当時の状況とはかなり異なっていることが大きい。
命のやりとりをしない、あくまで「ごっこ」のスペルカードルールとは違い、聖杯戦争はサーヴァント同士が聖杯を巡って死闘を繰り広げる殺し合い。
かつて月から逃げてきた臆病な自分が忌避していた陰惨な戦場。
スペルカードルールならば紺珠の薬で視る未来はミスをする(=軽い傷を負う)程度であったが、
聖杯戦争ならばマスターの死、果てには鈴仙自身が死ぬ未来をも目の当たりにすることになる。
そう思うと、思わず身震いしてしまう。
黒贄と対峙した時のように怯懦が蘇った感覚を覚えながら、鈴仙は京王プラザホテルへ向かった。






【西新宿方面/京王プラザホテルの一室/1日目 早朝(午前5時半)】

【塞@エヌアイン完全世界】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]黒いスーツとサングラス
[道具]集めた情報の入ったノートPC、<新宿>の地図
[所持金]あらかじめ持ち込んでいた大金の残り(まだ賄賂をできる程度には残っている)
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を獲り、イギリス情報局へ持ち帰る
1.無益な戦闘はせず、情報収集に徹する
2.集めた情報や噂を調査し、マスターをあぶり出す
3.『紺珠の薬』を利用して敵サーヴァントの情報を一方的に収集する
4.鈴仙とのコンタクトはできる限り念話で行う
[備考]
  • 拠点は西新宿方面の京王プラザホテルの一室です。
  • <新宿>に関するありとあらゆる分野の情報を手に入れています(地理歴史、下水道の所在、裏社会の事情に天気情報など)
  • <新宿>のあらゆる噂を把握しています
  • 警察と新宿区役所に協力者がおり、そこから市民の知り得ない事件の詳細や、マスターと思しき人物の個人情報を得ています
  • その他、聞き込みなどの調査によってマスターと思しき人物にある程度目星をつけています。ジョナサンと佐藤以外の人物を把握しているかは後続の書き手にお任せします
  • バーサーカー(黒贄礼太郎)を確認、真名を把握しました。


【歌舞伎町、戸山方面/市ヶ谷、河田町方面との境目付近/1日目 早朝(午前5時半)】

【アーチャー(鈴仙・優曇華院・イナバ)@東方project】
[状態]魔力消費(小)、若干の恐怖
[装備]黒のパンツスーツとサングラス
[道具]ルナティックガン及び自身の能力で生成する弾幕、『紺珠の薬』
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:サーヴァントとしての仕事を果たす
1.塞の指示に従って情報を集める
2.『紺珠の薬』はあまり使いたくないんだけど…
3.本拠地の京王プラザホテルへ戻る
4.黒贄礼太郎は恐ろしいサーヴァント
[備考]
  • 念話の有効範囲は約2kmです(だいたい1エリアをまたぐ程度)
  • 未来視によりバーサーカー(黒贄礼太郎)を交戦、真名を把握しました。






◆ ◆ ◆



「ううむ、誰もきませんねえ」

豪邸の前にはうろうろしながら、退屈そうに欠伸をする黒贄がいた。
遠坂凛から護衛の依頼を受け、外の見回りに出たはいいものの、サーヴァントやマスターのような人物は誰も来ない。
左右非対称な髪をポリポリと掻き毟りながら眠たげな眼が一層弛みを増す。
塞とそのサーヴァントがここに来ることもあり得たのだが、彼はサーヴァントを本拠地に呼び戻してしまったため、黒贄の敵サーヴァントとの遭遇数は未だにゼロだ。

右手にはボーリング玉が握られていた。
『狂気な凶器の箱』で凛が引き当てた五十三番に対応する凶器だ。

「ああっ!!あんたは!!」

ふと、黒贄の右側から若々しい声が鳴った。
声がした方へ目を向けてみると、朝のジョギングをしていた体格のいい二十代前後の若者の男のようであった。
黒贄のことはニュースで見たことがあるようで、警察に電話しようとしているのかポケットから携帯電話を取り出している。

「ほうれストライク」

黒贄が軽い声で右腕を振ると、ボーリング玉が男の頭へ向かって寸分の狂いもなく飛んでいき、投げてからコンマ1秒も、
「あっ」と言う間もなくゴギュン、という生々しい音とともに男の頭から赤い脳漿のジュースがこぼれ出た。
携帯電話の画面には『11』と入力されていた。

「ありゃりゃ、頭が潰れてしまった。作業には使えないですが記念に持って帰っておきましょう」

そういって黒贄は男の死体を抱え上げ、豪邸へと入っていった。
見回りに出てから豪邸にある死体の数が既に3体増えていた。






【市ヶ谷、河田町方面(暴力団から奪った豪邸の門前)/1日目 早朝(午前5時半)】

【バーサーカー(黒贄礼太郎)@殺人鬼探偵】
[状態]健康
[装備]『狂気な凶器の箱』
[道具]五十三番『ボーリング玉』
[所持金]貧困律でマスターに影響を与える可能性あり
[思考・状況]
基本行動方針:殺人する
1.殺人する
2.聖杯を調査する
3.凛さんを護衛する
4.ひとまず豪邸周辺の見回りをする
[備考]
  • 不定期に周辺のNPCを殺害してその死体を持って帰ってきます
  • 塞&アーチャー(鈴仙・優曇華院・イナバ)の存在には気付いていません



時系列順


投下順



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00:全ての人の魂の夜想曲 16:カスに向かって撃て
アーチャー(鈴仙・優曇華院・イナバ)
06:笑顔の絶えない探偵です バーサーカー(黒贄礼太郎) 25:虹霓、荊道を往く