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     きっとこのヒトは、いつもこんなふうだったんだ。胸にあるのは自分の言い分だけ。

     見るものも、自分の見たいものだけ求めるものも、自分のほしいものだけ。

     傷つくのも、いつも自分だけ。思いどおりにならないものを捨て、気に染まないものを切り離し、そこにあっても見ないふりをして、

     ひたすらに求めるものはただひとつ。自分が求めるにふさわしいものだけ。それでは何処にも居場所なんかつくれるわけがない。

     誰の親切も届かなければ、誰に裏切られようと、その兆候を感じることだってできるはずがない。

     そして、ようやくたどり着いた安息の地は、女神との盟約という、燦然と輝く空虚だ。

                                              ――宮部みゆき、ブレイブ・ストーリー









◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「問おう。君が、私のマスターかね」

 この世に、美しさを比喩する言葉は、枚挙に暇がない。
宝石に例える事もあれば、樹木に例える事も、動物に例える事も、ロマンチックに、星の光に例える事も、少なくない。
人類が考えて来た、美醜の表現技法、修辞法。それら全てをひっくり返した所で、この男の美は、表現も不可能であろう。

 群青色の鍵に拠りて導かれて来たその男は、白いケープを纏っていた。
夜の闇の中にあって、白く輝く綺羅星の様にそのケープは輝いていたが、何よりも目を引くのが、ケープから露出された男の手と、その貌。
まともに向き合ってしまえば、己の醜さを自覚し、その場で燃え上がるのではないかと言う自意識に人を囚わせかねないその美貌。
同じ人間のそれである筈なのに、全く異質の、穢れのない『何か』で出来ているとしか思えないその皮膚。

 この男は間違いなく、その姿形だけを見れば、人間のそれである事は疑いようもなかった。
ではこの男が、本当に人間なのかと問われれば、きっと多くの者は、違うだろうと答えるに相違にない。
同じ人間の枠組みに押し入れるには、余りにも、その男は美し過ぎた。余りにも――恐ろし過ぎた。
美と言う概念を濾過し、濾過し、また濾過する。その様な過程を一万回程繰り返して最後に残った、最後の一かけら。
それを丹念に集めに集め、人の形に構成させた存在こそが、この男なのではないか。そう、錯覚せずにはいられない。そんな男が、このサーヴァントであった。

「そのようだね」

 心のない物質にすら。デジタルの世界に格納された情報にですら、影響を及ぼしそうなその美を受けて、彼のマスターは、平然とした態度を崩さない。
男の白いケープに対応するかのような、漆黒のスーツを身に纏った、黄金色の髪の男性。
何処のテーラーに仕立てて貰ったのか、誰が見ても一目で高級品と解るスーツと、とても和合する美しい顔立ち。
目の前に佇む、白い魔人がいなければ、この世界で最も美しかったのは、きっと彼であったと言われても、万民は納得する所であろう。

 そんな男を見て、白いケープの魔人は、一瞬だけ眉を顰めさせた。その表情の変化を、黒いスーツの魔人は、逃さない。

「不満でも、あるのかね?」

「貴方は――」

 其処で、一秒程ケープの男は言葉を区切った。

「此処に来る意味が、果たしてあったのか?」

「ほう」

 面白そうに、口の端を吊り上げた。愉快でしょうがない、と言う感情が、これでもかと匂い立つ。

「この場に私が何の為に呼び出されたのか。私も理解している。そしてこの街が曲りなりにも<新宿>であると言うのならば、私も此処に来るのは必然だったのだろう」

 そう、この男は何故、自分が<新宿>に呼び出されていたのか。全てを理解していた。
そしてこの街で何を成すべきなのか、そして、この街が何の為に在るのかも、だ。
マスターもそれなりに丁重に扱うつもりであった。自分の欲する所を、邪魔しない限りはだが。
だが――人間以外の存在に呼び出されるのは、さしもの彼も、予想外だったのだ。特に、今まで幾度となく名を聞いて来た、あの悪魔に呼び出された、等と言うのは。

「改めて、私は問おう」

 呼吸を置いてから、魔人は訊ねた。

「何を成しに、此処に来た。■■■■■」

 一層笑みを強めて、黒いスーツの■■■は、語り始めた。騙り始めた。

「私が欲する所を、ただ成さんが為に」

 一切の嘘は許さぬ、と言った風に口にした、白魔人の言葉に臆しもせず、黒魔人は言葉を返した。
それ以上の事は最早聞き出せぬと悟った白いケープの男は、何も問わなかった。

「……嘗て、『神』が生み出した最高傑作である究極の人間(ホムンクルス)であるアダムは、最悪の発明であるイヴ(おんな)によりて、堕落させられた。蛇が良かれと思って、知恵の果実を齧らせたからだ」

 バサッ、と、白いケープを翻しながら、魔人は黒いスーツの男に背を向ける。

「蛇よ。貴方が何を思い女を誘惑したのかは知らないが、私が思うに、貴方が当初に考えていた、イヴを誘惑して成そうとしていた事は、失敗に終わっているぞ」

「つまり、何が言いたいのかな?」

「『此度も失敗する』。神の怒りに触れ、今度こそ永遠に蛇の姿にされぬ事を、祈っておこう」

 其処で、白いケープのキャスター、メフィストは霊体化を始めた。
霊体化してもなお、世界には美の名残が満ちていた。陰鬱なコンクリートは輝き、淀んだ裏路地の空気は清澄な山の空気の如くに澄み渡っている。
そして、明けき月の光は、青く光って澄んでいた。それを一身に受ける男は、誰に言うでもなく、口を開くのだ。

「アダムはリンゴが欲しかったから食べたのではない」

 口の両端を吊り上げて、男は笑った。美しくそして――禍々しい、魔王の狂喜。

「禁じられていたから、食べたのさ。メフィスト。老教授に禁忌を授けた悪魔と、同じ名を冠する魔人よ」

 愉快なサーヴァントを引き当てられて、魔人は――ルイ・サイファーは、何処までも満足そうであった。
スーツのポケットで、青色の鍵は、拍動するかのように淡く光り輝いているのであった。



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