一般人が遠坂凛と言う少女を比喩する言葉を探した場合、一番相応しい言葉は才色兼備だろう。
可憐な容姿、明晰な頭脳、優れた運動神経、何をやらせても卒なくこなせる多方面への才能。
それに加えて、典雅流麗たるその立ち居振る舞い。異性からの好意を一纏めにするだけでなく、同性からも憧れの対象と見做される程の、優等生であった。

 魔術師が遠坂凛と言う少女を評価した場合、天才以外の評価は下しようがないだろう。
一属性操れるのが普通、二属性も扱えれば上等な魔術師の世界にあって、五つの属性全てを平均的に扱えるアベレージ・ワンと言う才能を持った彼女は、
誰が文句を吐けようかと言う程の超一級の天才児だ。魔術回路の数も胸を張って自慢出来る程多く、家格も魔術師の世界では広く名が知れている。
遠坂凛はとどのつまり、表舞台の世界でも、一般人から見れば裏の世界と言ってもいい魔導の世界に於いても、極めて優秀な人物なのであった。

 いつか来るであろう聖杯戦争に向けて、独自のルートから宝石を仕入れていた時の事である。
遠坂の魔術師は転換、特に宝石を用いた魔術を得意とする一族。魔力を移し、溜めておくのも宝石なら、攻撃に用い、儀式の触媒とするのも宝石である。
所謂宝石魔術と呼ばれるそれを操る魔術師は兎に角宝石を掻き集めなければならない。当然タダではない。
純度の高い宝石を仕入れる以上、莫大な金が入用になる。宝石魔術を生業とする魔術師は、兎に角収入と金策の管理をしっかりとし、余計な出費を抑えねばならない。
当然遠坂凛も、その常道に外れていない。なるべくなら安く、それでいて質の高い宝石はないかと目を光らせてはいるのだが、実際そんな美味い話などある筈もなく。
結局、値段が安い宝石と言うのは、それ相応の質と純度しかないのだ、と言う当たり前の現実をまざまざと見せつけられるだけだった。……あの日までは。

 遠坂家が代々贔屓にしている『そっちの筋』の宝石商が持って来た宝石の中に、純度・質共に、今まで見た事もない程見事なサファイアで出来た鍵があったのだ。 
それの出所が気になった凛は、如何なる代物なのか宝石商に聞いて見た所、スコットランドのピトロッホリーに広がる荒野で拾ったのだそうだ。
こんな上物をただで拾うなど、何と運の良い商人であろうか。凛はこの鍵が気になった。このサファイア、ただクオリティが高いだけではない。
凛が目を付けたその時点で、既に莫大な魔力を有していたのだ。さぞや高い値段で売り付けるつもりなのだろうと思い、商人に値段を聞いて見た所、これが安い。
正味数千万、事によっては億の額は堅い、このサファイアで出来た鍵を、商人は百万ぽっちの値段で捌こうとしていたのだ。
本人曰く、宝石商の勘が、この鍵は不吉極まりない代物だと警鐘を鳴らしているのだとか。凛は構わずこの宝石に食いついた。
これだけの代物、今自分が抑えておかねば、宝石魔術を専門とする魔術師でなくとも手を伸ばすのは自明の理。
それに魔術師が、曰くつきの代物を怖れるなど笑止千万。宝石商からその鍵を即決価格で買い取り、我が物としたのである。

 ――神が遠坂凛と言う少女に対して課した運命を言い表した場合、一番相応しい言葉は『過酷』だろう。
彼女が手にしたその鍵こそが、数か月後に冬木の街にて起こる聖杯戦争とは違う、別の世界の聖杯戦争への片道切符である事を知っていたのならば。
凛はその宝石鍵をツンと無視したであろう。宝石商がスコットランドの荒野で拾ったその宝石の名前は、サファイアで出来た宝石細工ではなく契約者の鍵。
遠坂凛が生きていた世界とは別の世界へと赴く為の、彼が商っていた宝石の正体なのであった。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 遠坂凛は単刀直入に言って、相当困惑していた。
一地方都市である冬木市から、日本の首都東京の新宿区……ではなく、<新宿>に何故か転送された事もそうである。
この<新宿>が凛の知る新宿区ではなく、元いた世界の新宿とは全く異なる歴史を歩んでいるという事もそうである。
目玉が飛び出る程に地価の高い神楽坂の一等地に、冬木の街に居を構えていた遠坂邸が寸分たがわぬ外観と内装で建てられていた事もそうである。

 だが一番の当惑の原因は、恐らくは並行世界の新宿区と思しきこの場所で、聖杯戦争が開催されていると言う事実の一点に他ならなかった。
脳内に刻み込まれた聖杯戦争への知識及び、その舞台となる<新宿>の知識が、凛の脳髄に刻まれていた。
特に聖杯戦争に関する知識は、冬木で学んだそれとほぼ同じそれ。聖杯戦争に参加し、聖杯を勝ち取る事は父の代からの遠坂の悲願だ
それに対して参加する事自体に、不満はない。――問題は、冬木の聖杯戦争ではなく<新宿>の聖杯戦争である事だ。
つまりそれは、今までシミュレートして来た、冬木での聖杯戦争でどう立ち回るかと言う計画が、全て水泡に帰してしまった、と言う事を意味する。

 聖杯戦争において聖杯を勝ち取ったり、聖杯を例え取れなくても無事生き残ったりする為には、サーヴァントの優秀さが明暗を分けると言っても過言ではない。
無論マスター自体の優秀さも勘案されるべき事柄なのではあるが、しかしそれは、優れたサーヴァントを引き当てているか、と言う事実の前では瑣末な事。
例え<新宿>で行われる聖杯戦争であろうが、サーヴァントを宛がわれる、と言う根幹は全く変わらない。つまりここでも、サーヴァントの強さは最も大きいファクター。
遠坂凛は優れた魔術師である。そんな彼女の下へとやって来るサーヴァントだ。きっと優秀な存在に違いない。……違いない。

「えーっと、貴女が私のサーヴァントですか?」

「私はマスター!!」

「そうでしたか」

 「私は遠坂凛よ……私は優秀な魔術師……、だから私の引き当てたサーヴァントは優秀なのよ優秀……」。
恐い位の勢いで心の中でそう念じ、自己暗示する凛であったが、とてもではないが目の前にいるサーヴァントが、優れたサーヴァントである風には、見えなかった。

 アイロンなど全くかけていないのだろう、よれよれの礼服を着用した、百九十は堅いであろう大柄で、骨太の体格の男だった。
彫りの深い端正な顔立ちをした男だが、切れ長の瞳は何処か眠たげで、間抜けな印象を凛に与える。
床屋や美容院などで髪を切らず、自分で散髪しているのだろう。男の髪は、一目見て解る、左右不均等でかっこの悪い髪型であった。

 とてもではないが優れたサーヴァントには……いや、訂正しよう。
優れている風には、見えない。見えないのだが同時に、この男を見ていると凛は、底知れぬ不安感に覆われるのだ。
何が面白いのかは知らないが、淡い笑みを浮かべて此方を見下ろすこの大男は、ひょっとしたら引き当ててはいけない存在だったのでは、と。凛の直感は告げていた。

「……で、よ。貴方のクラスを教えてくれるかしら?」

 強いサーヴァントを引き当てるのは勿論の事だが、それと同じ位に大事なのが、そのサーヴァントのクラスである。
呼び出されたクラスによって、聖杯戦争とどう付き合って行くかが大きく変わって行く。
ただ単に強いサーヴァントを引き当てて、片っ端から喧嘩を売って行くと言うスタイルでは駄目なのだ。そのクラスにあった運用法を無視すれば、最悪格下にすら不覚を取りかねないのだから。

「確か私は、バーサーカーでしたか」

 最悪だ、と凛は思った。バーサーカー、つまりは狂戦士のクラスだ。
あわよくば最優のクラスであるセイバー、妥協点でアーチャー・ランサー、ライダーが欲しかった凛にとっては、頭の痛くなる現実である。
バーサーカーとは理性や言語能力を失わせる事で、弱い英霊を強化する為のクラス。これまでの聖杯戦争でバーサーカーを引き当てた魔術師は、
結局は彼らを御し切れずに自滅してしまったケースが殆どである。こう言う過去の事例を知っていたからこそ、凛は最優のクラスであるセイバーが――

「……あれ?」

 このバーサーカーとどうやって聖杯戦争を付き合って行くか、右脳左脳をフルスロットルで回転させていた凛であったが、ふと気づいたのだ。

「貴方、何で喋れてるの?」

 バーサーカーとは先述したように理性と言語能力を引き換えに強さを得るクラスなのである。
故に、通常彼らはマスターとコミュニケーションが取れない傾向にある。なのに、何故このバーサーカーは、言葉を喋れて、理性の喪失が全くないのか?

「そう言う事もあるのではないのでしょうかな?」

 考える素振りも全く見せずに、バーサーカーが返事をする。
考えるのが面倒くさいだけなのか、それとも理由を隠しているのか。……もしかすると、本当に自分でも解っていないのか。
それは凛には解らない。が、今はそれでも良いかと考える事にした。引き当てたサーヴァントはバーサーカーだが、言葉を交わせるとは言うのは大きいアドバンテージ。
その一点だけでも、凛は良しとする事にした。

「それで、バーサーカー。貴方の真名を教えてくれるかしら」

「真名……あぁ、名前の事ですな。黒贄礼太郎です」

 先ず思ったのは、日本の英霊なのかと言う事であった。
脳裏に刻まれた聖杯戦争への知識によると、宛がわれるサーヴァントは洋の東西の英雄や猛将と言った存在だけでなく、別の世界の強者も呼ばれうるらしい。
凛の引き当てたこの黒贄と言う男も、その類なのであろう。

「黒贄……ね。解ったわ。私の名前は遠坂凛。苗字と名前、好きな方で呼んでも良いけど、相手のサーヴァントの前ではマスターで通して頂戴」

「ほほう、遠坂ですか」

「あれ、もしかして……遠坂の家名って、異世界にも轟き渡ってたりとか?」

「いえ、初耳ですな」

 思わず前のめりにずっこけると言う、一昔前のコミック的表現を体現してしまいそうになる凛。
期待させる様な口ぶりしないでよ、とジト目で黒贄の事を睨めつけるが、彼は意にも介していなかった。

「取り敢えず、バーサーカー。早速だけれども、今後の事を話し合うわよ」

「遠坂さん、私の名前はバーサーカーではなく黒贄礼太郎です」

「馬鹿ね、聖杯戦争ではクラス名で呼び合うのが当たり前なのよ。貴方の真名が露見して、弱点が知れ渡ったらコトでしょ?」

「ははあ、そう言うものなのですか」

 ――もしかして、不安の正体とはこれか? と勘繰る凛。
このサーヴァント、聖杯戦争の戦略上まず考えられる事由について、あまりにも無知である。
幾らなんでもこの程度の事すら考えられないようでは、自分のサーヴァントとしては余りにも不出来である。凛は試しに、黒贄に対して質問を投げ掛けようとする。

「バーサーカー」

「遠坂さん、私の名前は黒贄ですよ」

「……黒贄」

 変な所で律儀な男である。自分の調子が狂うのを凛は感じた。

「聖杯戦争の目的とか、貴方、しっかりと解ってるのよね?」

「もちろん。其処は勉強しましたから」

「流石にその点は大丈夫よね」

「ええ、殺人をしても問題がないなんて、素晴らしいですよね。殺人鬼魂が疼きますよ。戦争、と言う名前が少々アレですが、規模から言って戦争と言うよりは小競り合いのような物ですし、まぁ良しとしましょう」

「んんん~?????」

 致命的な話の噛み合わなさに、凛は間抜けみたいな表情を作ってしまう。
同じ国の言葉を話し、難しい言葉も言い回しも用いていないのに、何故だろう。言葉のキャッチボールが全く出来ていないと言う感触が、否めないのだ。
急速に嫌な予感を感じ取った凛は、恐る恐る口にして見る。

「バーサ……黒贄?」

「なんでしょう」

 薄い微笑みを崩しもせずに、黒贄が訊ねる。

「聖杯戦争が何を目的としているのかは、解るわよね? 貴方の言う通り、人を殺す事も当然あるけれど、最大の目的は聖杯を手に入れる事よ?」

「成程、聖杯ですか」

「それ位は流石に解るわよね」

「いえ、初耳でした」

 ――今度こそ前のめりにずっこけた。
「おや、立ち眩みですかな?」、凛が今直面している、事態の深刻さとは裏腹に、黒贄は実に間の抜けた声色で凛に声を掛けて来た。

「せ、聖杯も知らないサーヴァントって……」

 よろよろと立ち上がり、近くにあった椅子に腰かけ、何とか言葉を紡ぐ凛。
そもそもサーヴァントと言うものは、聖杯に何か願うところがあるか、現世で何かしら成したい事があるからこそ、聖杯戦争の舞台に呼ばれるものなのではないのか?
このサーヴァントが聖杯戦争のセオリーから外れた存在なのか、はたまた、<新宿>の聖杯戦争そのものが異常なのか。
どちらにせよ、冬木で学んできた聖杯戦争の常識は、一部通用しない所がある、と見た方が良いだろうと凛は結論を下した。今怒鳴るには、尚早が過ぎる。

「黒贄……、聖杯って言うのは、どんな願いでも叶えてくれる器の事よ」

「ははあ、凄いものもあるのですねぇ」

「……欲しくないの?」

 黒贄の言葉には、聖杯に対する執着心がこれっぽちも感じられない。そういうものもあるんだなぁ、程度の感慨しか受け取る事が出来ないのだ。

「逆に問いますが、凛さんは聖杯が欲しいのですかな?」

「えぇ。聖杯を手に入れる事は、遠坂の悲願だから。だからその為には、貴方の力が必要なの」

「ふうむ、それはつまり、依頼と言う事で宜しいのですね?」

「そうなるわね」

「解りました。では、依頼料の方を……」 

「お金取るの!?」

 思いもよらない提案に、およそ優雅を家訓とする遠坂家の女性らしからぬ声を上げてしまう。 
何かしらの生贄や代償、供物を求めるサーヴァントと言うものも、ひょっとしたら呼び出した存在次第ではありうるかもしれない。
しかし、現代に流通している貨幣や硬貨となると、話は別だ。余りにも価値が違い過ぎる。もしかして本当に、凛が生きている時代と、ほぼ同じ時代の英霊なのかも知れない。

「探偵ですからな、ただで仕事は受けませんよ」

「探偵だったんだ……」

 正直、見えない。ボケっとしていてそうで抜け目も隙もない、と言うのが世間一般の探偵のイメージであるが、この男は正直隙だらけだ。
サーヴァントではあるが、凛ですら、黒贄がちょっと向こうを向いている間に殺せそうな、弛緩した空気しかこの男は醸し出していなかった。

「それで……いくら払えば良いのかしら? 二百万円で足りるかしら」

「ではそれで行きましょう」

「(いいんだ……)」

 聖杯戦争の危険性を考えたら、二百万円どころか、遠坂家の全財産のみならず自分の身体すら要求されるものかと凛は危惧したが、そんな事はなかったらしい。
尤も、一千万以上の額を要求されたら、その瞬間凛は、令呪を用いて黒贄を御していたのだが。
二百万。決して安い金ではないが、凛がいつも用意している宝石の値段に比べればまだ許容出来るのであった。

「報酬の方は後払いとかで、大丈夫?」

「結構ですよ。そう言った依頼人も多いですから。では改めて、依頼の方は聖杯、と言う物の捜索で、宜しいですかな?」

「えぇ、問題ないわ」

「了解しました。それでは、この箱の中から選んでください」

 言うと黒贄は、何処からか立方体の箱を取り出して、凛の前に差し出した。箱の上面には、丸い穴が空いている。余裕を持って手を入れられる周径の穴だった。
穴を覗いてみると、折り畳まれた紙片が幾つも入っており、まるでくじ箱のようだと凛は思った。
いつの間にこれを取り出したのか、と一瞬疑問に思ったが、相手はサーヴァントである。それ位の不思議は、まだまだ許容範囲だった。
言われた通り穴の中に手を入れ込み、適当に紙片を一つ摘まみ、それを開いてみる。9番、と言う数字が書かれていた。

「ほう、中々くじ運がよろしいですな」

「あら、そう?」

「えぇ、そうですよ」

 黒贄はそう言って、右腕を高々と掲げると、彼の右手の周りの空間が、水のように揺らぎ始め、そして、歪み始める。
空間の変化からゼロカンマ三秒程経過した後、黒贄の右手に、ある物が握られていた。
やや湾曲した薄い刀身を持った、刃渡り五十cm程の剣。峰の部分はギザギザとした鋸状で、切ると言う行為と引き切ると言う行為の二つを行える代物だった。
凛は知らないが、この剣はマチェットと言い、中南米の国民が農作業や山作業の時に使う山刀なのである。

 突如としてこんな物を出されて驚く凛だったが、よくよく考えればサーヴァントが武器を持つのは当然の事ではないか。
聖杯戦争はサーヴァントを呼び出した時点で、既に始まっているものと見るのが道理。
であるならば、自分のサーヴァントである黒贄が、武器を持ち、警戒に当たるのは寧ろ良い事であろう。
イレギュラーな事態が連続しているとは言え、結局<新宿>の聖杯戦争も、聖杯戦争の基本からブレていない。
凛は聖杯戦争に関する事柄について勉強し、この日の為に魔術の腕を磨く鍛錬をサボった事など殆どなく、その腕前も実に見事な程にまで成長した。
これらの点において凛は、他参加者より一歩所か何十歩も先んでた所にいると言っても良いのだ。
理はまだ此方にある。例え引き当てた存在がバーサーカー、しかもやや常識知らずのサーヴァントとは言え、こちらの優位性がまだ揺らいだ訳じゃないのだと。凛は思い直したのだった。

「では、調査に行きましょうか、凛さん」

「調査って……聖杯の? 聖杯は他のサーヴァントを全員倒さないと……」

 と、此処まで言って、考えた。どうせ黒贄に言った所で無駄だろうと。
それに今の凛は、聖杯の調査など無駄だと解っていても、遠坂邸の外を歩いてみたくなったのだ。
理由は単純明快。彼女は<新宿>の地理に全く疎いからである。見知った冬木の街ならばいざ知らず、今まで足も踏み入れた事のない東京。
しかも、本来の歴史とは異なる歴史を歩んでいる<新宿>で行われる聖杯戦争なのだ。万難は、可能な限り排しておきたい。
土地鑑が弱かった為に負けました、など、笑い話にもなりはしない。だからせめて、自分の家の周りだけでも、見ておきたかったのだ。

「――いえ、解ったわ黒贄。一緒に調査に付き合うわ」

「解りました。それでは」

 言って黒贄は霊体化を行い、物質的な肉体を持たなくなった。
このような機会で東京の街に訪れる事になろうとは凛も思いもしなかったが、この現実、最早受け入れる他はなかった。
これから行われる戦いが凛の知る聖杯戦争であるのならば――彼女も手を抜かない。開催時期が早まり、開催地が違ってしまっただけだと思う事にした。

 ツカツカと歩いて行き、黒贄と今まで話していた遠坂邸のリビングを後にする。
――遠坂凛の安息は、この瞬間に終わりを告げた。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 靴を履き、外に出る。雲一つとない、晴れ模様。洗濯するにも散歩をするにも打って付けの天気である。
この辺りに住む人間は経済的にも時間的にもゆとりのある人物が多いらしく、普通の人間であれば仕事をしている時間であるのに、のんびりと散歩をしている風の、身なりの良い中年や老年の人物が、道を歩いている。

 凛の視界には、見るからに家賃の高そうな、モダン風のマンションが建ち並ぶ光景が広がっていた。
凛が住んでいた冬木市では、少し見られない風景であった。これを見ると、自分は本当に冬木の街とは違う、正真正銘本物の都会にやって来たのだと実感する。
街並みが違う。空気が違う。道路が違う。道行く人が違う。夢でもなければ、幻でもなし。此処は本当に、<新宿>であった。

「こんな状況でなければ……」

 ゆっくりと街を観光出来たのに、と、続けようとした時であった。
霊体化した状態で凛の隣で随伴していた黒贄が、いきなり霊体化を解き始めた。
サーヴァントを聖杯戦争の参加者は元より、聖杯戦争に全く関係のない人物――<新宿>ではNPCと言うらしいが――にすら、見られる事は得策ではない。
理由は単純。目立つからである。特に聖杯戦争のマスター達には、なるべくならその存在を秘匿しておかねばならない。
黒贄の姿は、NPCには「自分の連れ合い」と言う言い訳が通用するかもしれないが、マスターやサーヴァントにはそうも行かない。
「勝手に霊体化を解くな」、と叱りつけようとしたその時だった。

「すいませ~ん」

 と、何とも気の抜けるような、本当にサーヴァントかと疑いたくなるような声で、黒贄は凛ではない、道路を行く赤の他人に声を掛けたのだ。

「はい?」

 黒贄の声に反応したのは、いかにも人のよさそうな見た目をした、中年の女性であった。
一目見て、聖杯戦争とは何の繋がりもないと解る人物。平和な日常の中に生きている事がありありと見て取れる、ごく普通の一般人であった。

「この馬――」

 鹿、と凛が続けようとした、その時であった。

「聖杯と言う物をご存知でしょうか?」

 言いながら黒贄は、右手に持ったマチェットを垂直に振り下ろした。
マチェットの刀身は中年の女性の脳天を裂き、そのまま臍まで、彼女の服ごと裂いた。
チーズの様に身体を裂かれた中年女性は、桶をひっくり返した様に血液をたばしらせる。アスファルトを血液の褪紅色が赤く染め上げる。中年女性が前のめりに倒れた。即死だった。

「な、な……?」

 パクパクと、酸欠気味の金魚の様に口を開閉させながら、凛が言葉にもならない言葉を呟く。
今の彼女は、遠阪家の家訓たる『常に余裕をもって優雅たれ』から、全くもって程遠い、間抜けな姿をしていた。

「ありゃりゃ」

 自らが成した凶行の産物を見下ろしながら、黒贄は、やってしまったと言う風で口にする。其処に、罪悪感など欠片もなかった。
彼はすぐに、道の脇に止めてあったセダン車へと近づいて行く。運転手であろう、年の若い、セールスマン風の男は、黒贄の凶行を目の当たりにしていたらしい。目を丸くし、黒贄と、女性の死体に釘付けであった。

「すいません、聖杯をご存知でしょうか?」

 言って黒贄が、マチェットを思いっきり突きだす。
サイドガラスを濡れた薄氷みたいに容易く突き破り、マチェットの剣尖がセールスマン風の男の歯突き破り、そのままの勢いで喉元を貫く。
うなじまで、マチェットの剣身は突き出ていた。それを引き抜き黒贄は、凍り付いたようにその場から動けずにいる四人組へと近づいて行く。
見るからに学生風の四人だった。<新宿>の大学と言えば……この辺りで有名なのはW大だ。恐らくは講義をサボってこの辺りをぶらついていたのだろう。不運だった、としか言いようがない。

「もしもし、聖杯と言う物を――」

 今度はご存知とすら言わなかった。既に右腕を横薙ぎに振るっていた。一緒にいた、如何にも今時の服装と髪型をした男の首が跳ね飛ばされ、宙を舞う。
返す刀で一緒に歩いていた女子大生の頬の真ん中より上が地面に落ちた。正確無比に黒贄が、眼鏡をかけた男の心臓をマチェットで貫き、
引き抜いて直に、山刀を袈裟懸けに振り下ろしてやや肥満気味の男の右肩から左腰までを斬った。朱色の線が剣の通った軌道と同じ位置に刻まれており、その線に沿って肥満気味の男の身体がズレて、道路に倒れ込んだ。

「うわぁ殺人鬼!!」

 道行く人の一人が漸く、叫び声を上げた。年の割にはカジュアルで、若々しい恰好をした中年の男だった。

「ラララ聖杯さ~ん」

 黒贄は風のような速度で、先程叫んだ中年の所へと接近し、山刀で腹を裂いた。「うぐぅ」と言って中年は倒れ伏した。
――忽ち、平和な一時で満ち満ちていた神楽坂の往来は、蜂の巣を突いたような大パニックに陥った。
悲鳴や金切り声が空気を切り裂く。「警察に連絡しろ!!」と言う至極尤もな怒号が上がる。倒けつ転びつと言った体で、その場から皆逃げようとする。

「ああ~聖杯さ~ん、貴方は~、ど~こ~に~」

 最早聖杯の所在を聞く気すら、この男にはなかった。如何にも即興で作ったような歌を口ずさみながら、逃げ惑う人々の下へと凄まじい速度で接近して行く。
マチェットを振り下ろす、セールスマン風の女性の身体が頭頂部から股間まで真っ二つになる。マチェットを横薙ぎに振るう、少年の首が刎ね飛んだ。
マチェットを突き差す。杖を突いて歩いていた老婆の胸部に深々とマチェットが突き刺さる。マチェットの柄で殴る、バイクに乗って逃げようとしていた男のヘルメットを突き破り、柄が何cmも頭蓋にめり込んだ。

 凛が一呼吸している間に、平均して一人或いは二人の人間が殺されて行く。
遠坂邸の建てられた通りにいた人間を殺し尽した黒贄は、なおも飽き足らないのか、大通りの方へと残像が残る程の速度で走っていった。
凛がその事に気付いたのは、黒贄の黒い残像が消えかけて行くのとほぼ同時であった。遥か遠くで、凄まじい怒声と悲鳴、そして自動車などのクラクションが鳴り響いている。

 ――拙い拙い拙い拙い拙いッ!!
心臓が早鐘を打つ、大脳がモーターみたいに空回りする。冷たく粘ついた汗が背中をじっとりと濡らし、胃に石でも詰められたかのように呼吸が苦しい。
どうしてこうなっている何でこうなっている!? この後どうしたら良いのか、焦りながら凛は考える。
十秒程経過して、凛はどうしたらよいのか思い付いた。やはり、聖杯戦争の事柄について学んでおいて良かった。決して此処に来るまでの日々は無駄ではなかったのだ。
急いで凛は遠坂邸へと駆け込み、リビングへとドタドタ足を運び、自らの右手に刻まれた令呪に力を込めて祈る。

「令呪をもって命ずる――」

 言った瞬間、凛の令呪が激しく輝く。それは、漢字の『狂』の字を模した令呪。『けものへん』の二本の横線部分が、爛々と輝いていた。

「大人しくなった後、此処へ来なさいッ!! バーサーカーッ!!」

 ありったけの怒りを込めてそう叫ぶと、凛の前に黒贄が姿を現した。
呆けた表情を浮かべながら、「ありゃ」と言って周りを見渡す黒贄の身体は、髪の毛から靴先に至るまで、赤くない部分がない程に血で濡れている。
髪の毛と、血を吸った礼服から、ポタポタと血液が滴っている。これらは全て、返り血であろう。であるのに、血液を満たしたプールで泳いできたかのようだった。
何人の返り血を浴びれば、此処まで真っ赤になれるのか。

「おや、これは凛さん」

 軽く会釈する黒贄。血液は今もぽたぽた滴っている。
爪が割れるのではないかと言う程の勢いで両拳を固く握りながら、凛はブルブルと震えていた。
恐怖から来る震えではない。鬼相の刻まれた表情を見れば解る。彼女は――嘗てない程の勢いで憤っていた。

「馬鹿ああああああぁぁぁぁぁぁッ!!!!」

 喉から稲妻が迸ったのでは、と思う程の声量で凛は叫んだ。肺に溜まった空気を全て、この一言を発するのに費やした。
室内の調度品や窓ガラスがビリビリと小刻みに振動する。人は大声で、物を揺らす事が出来るのだ。

「アンタ何やってるの!? どんな悪党だって、普通は目立つだろうなって考えて、真っ昼間の往来で人なんか殺さないでしょ!? そんな事も考えられなかったの!?」

「いやぁ申し訳ございません。つい発作的に、八津崎市にいた頃のような振る舞いをしてしまいました」

「やつざき市ぃ? そんな冗談みたいな街があってたまるか!!」

「はぁ」

 過去此処まで、暖簾に腕押し、と言う諺を体現した存在がいただろうか。
目の前の男は凛の烈火の如き怒気を浴びても、春風駘蕩とした態度を崩しもせず、飄々と、薄い笑みを浮かべるだけであった。

「ああ~もう最悪……聖杯戦争に備えて、抜かりのない聖杯獲得の計画をシミュレートして来たのに、一瞬で台無しじゃない……」

 頭を抱えて唸り出す遠坂凛。
この家にテレビがないのが悔やまれる。もしもこの家にテレビがあり、適当にチャンネルを回したのならば、間違いなく黒贄の凶行について緊急特番が組まれ、
放送中の番組を中止してまで、彼の犯した大殺戮を報道している事であろう。
目立たない、水面下でやるのが鉄則の聖杯戦争、その一端が事もあろうに近代メディアの俎上に上がるのだ。これ程最悪な状況は、先ずないであろう。

「まあいいじゃないですか凛さん、私は楽しかったですよ」

「私が楽しくないの!!」

 本当に、人の神経を逆なでする才能は天下一である。
凛は自分が、令呪を使ってこのサーヴァントに自殺を敢行させないでいる自らの我慢強さに、我ながら心底驚いていた。

「第一、聖杯の事を赤の他人に聞くのならまだしも、何で其処で手が出るのよ!! アンタ本当に生前は探偵だったんでしょうね!?」

「すいません、私は探偵は探偵でも、世界に一人しか存在しない特別な推理を得意とする探偵ですので」

「……それって?」

 じとついた瞳で黒贄を睨めつけながら、凛が口にする。

「私は『殺人鬼探偵』です」

 ――余りの言葉に凛は思わず仰向けにぶっ倒れそうになる。いや、と言うより、後ろに倒れた。仰向けにならなかったのは、丁度その位置に椅子があったからであった。
ストレスやら頭痛やら展望の真っ暗さやら初手でサーヴァントがやらかしたと言う絶望感やら。もう意識はブラックアウト寸前。

 ――お父様ごめんなさい、私遠坂凛は聖杯を勝ち取る以前にもう駄目かもしれません――

 血を滴らせる黒贄礼太郎を、椅子に座った状態で見上げながら凛はそんな事を考えた。
家の外でけたたましく鳴り響く、パトカーのサイレン音すらも、今の凛には遠い音なのであった。






【クラス】

バーサーカー

【真名】

黒贄礼太郎@殺人鬼探偵

【ステータス】

筋力A+++ 耐久EX 敏捷A+ 魔力E- 幸運E- 宝具D

【属性】

混沌・中庸

【クラススキル】

狂化:EX
バーサーカーでありながら意思の疎通も言葉によるコミュニケーションも可能。
但しバーサーカーの思考は『殺す』と言う思考のみに特化されており、損得勘定など一切無視して、ありとあらゆる人間を殺害してしまう。
状況次第ではマスターすらも殺害対象になり、実質上このバーサーカーを制御する事は、不可能に近い。

【保有スキル】

不死
不死。葬る手段がない。
首を斬られようが体中を燃やされようが、身体の半分近くをひき肉にされてもライフル銃で胸を撃たれても、バーサーカーは死ぬ事がなかった。
傷の再生には魔力を消費し、死亡からの復活となると、莫大な魔力を消費する。バーサーカーの特技は、誰も知らない所でこっそり復活である。

戦闘続行:EX
往生際が悪すぎる、と言うより往生際がない。どんなに身体をズタズタにしても、首を切断しようとも、戦闘を続けようとする。
四肢の一部が極限まで炭化したり、骨だけの状態になり神経や筋肉がない状態でも、十全の状態で戦闘が可能と言う怪物。
足止め程度の攻撃では、バーサーカーの殺害意欲は先ず削ぐ事は不可能。

怪力:A+++
一時的に筋力を増幅させる。魔物、魔獣のみが持つ攻撃特性……なのだが、バーサーカーは何故か人間なのに有している。
使用する事で筋力を向上させる。バーサーカーの場合は発動した場合相手を殺すか、その相手に逃げられでもしない限り、永続的に筋力が向上し続ける。
更にバーサーカーは、怪力スキルを筋力だけでなく敏捷にも適用させる事が出来、瞬間的に凄まじい速度での移動をも可能とする。

貧困律:D
人生においてどれだけ金銭と無縁かと言うスキル。ランクCは、纏まった金が入り難いレベル。
バーサーカー自体の宿命もそうであるが、探偵の仕事を依頼して来た依頼人を、報酬金を支払う段階で殺してしまうなど、バーサーカー自体のせいによる所も大きい。

威圧:C
普段のバーサーカーは眠たげな瞳をした気だるげな男であるが、殺人の際になると、絶対零度の冷たさを宿した、機械的な瞳をするに至る。
ランク以下の精神耐性の持ち主は、その余りの眼力に即座に怯んでしまう。

【宝具】

『狂気な凶器の箱(凶器くじ)』
ランク:D+ 種別:対人宝具 レンジ:1~3 最大補足:5
生前バーサーカーが殺人に使っていた道具の数々が、宝具となったもの。
バーサーカーは依頼を引き受ける度に、依頼人にくじを引かせ、引いたくじの番号に対応した凶器で、事件を(力技で)解決させてきた。
相手サーヴァントと対峙する度にマスターにくじを引かせ、そのくじ番号と同じ武器が、何もない虚空から出現。それを握ってバーサーカーは戦闘に臨む。
チェーンソーやククリナイフ等のいかにもな武器もあれば、スプーンや着ぐるみなど、およそ武器とは言えないものまで、実に多種多様な凶器が揃っている。
凶器くじで選ばれた凶器は、Eランク相当の宝具として扱う事が可能。

【weapon】

凶器くじに収められた武器の数々:
色んなものが入っている。因みに探偵業の収入の殆どを、この武器の購入に充てている。

【人物背景】

史上最強の殺人鬼。最悪の破壊者。異世界アルメイルの元魔王。第一回世界殺人鬼王。世界を破壊しかけた男。
様々な呼び名を持っているが、一つ確かな事は、彼は何処までも殺人鬼であると言う事だ。

【サーヴァントとしての願い】

不明




【マスター】

遠坂凛@Fate/stay night

【マスターとしての願い】

聖杯の獲得。かける願いはない

【weapon】

アゾット剣:
魔術師の世界ではよく使われ、師匠が一人前となった弟子に贈ることが多い。凛の場合は、兄弟子の言峰に手渡された。
父である時臣の遺品として渡された品だが、実は彼の直接の死因となった武器がこれである。この事実はまだ知らない。

【能力・技能】

ガンド:
指差した相手に対して呪いの弾丸を放つ魔術。呪いの種類は様々だがそれ自体で致死に到るものではない。
しかし凛は、高い魔力のおかげで拳銃並みの威力のダメージを与える、フィンの一撃を放つ事が出来、しかもこれを機関銃のように連射が可能。

宝石魔術:
宝石に蓄積していた魔力を解放、破壊や治癒など様々な用途に利用する。
聖杯戦争に備えて今日まで練り上げて来た、サーヴァントの頭すら吹き飛ばす程の魔力の籠った宝石を複数所持している。

この他にも、五属性全てを扱える魔術師の為、火や風、水などの様々な属性を操る事が出来る。早い話が天才

【人物背景】

冬木の管理者・遠坂の六代目継承者。父に魔術師の遠坂時臣を持つが、既に故人。
家訓の「常に優雅であれ」を実践し、学園内では非の打ち所のない優等生として男子生徒の人気も高い。
しかしそれは表向き振る舞っている性格で、実際には競争相手がいるならば周回遅れにし、刃向かう輩は反抗心をつぶすまで痛めつける事に、抵抗を持たない。
やるからには徹底的に、を信条としている。が、実際の所お人よしで甘い所が見られる上に、ここぞの場面で大ポカをやらかす、詰めの甘い少女。

アーチャー召喚から数ヶ月前の時間軸から参戦。

【方針】

聖杯戦争は勝つ……勝つけど、サーヴァントがアレだしどうしようもう。



時系列順


投下順



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遠坂凛 全ての人の魂の夜想曲
バーサーカー(黒贄礼太郎)