生物の営みにおいて、闘争と言う行為は生きる上で欠かせぬ行為である事は論を俟たない、と志希は思っている。
闘争とは戦いであり、マクロ・ミクロレベルでの種の保存を語る上で欠かしてはならない要素である。
種を残さんが為の戦いは、地球上の至る所で見られる。植物は種子を効率よく、そして広範囲に渡らせる為、様々な進化を遂げて来た。
生き物が排出する糞に種子を混じらせる為、食べられる為に果実を甘く美味しくさせたもの。遠方目掛けて種を飛ばしたりするもの。
これらは全て、自分と言う種を広範囲に広めさせ、自分が生きて根ざしている土地を広げさせようと言う工夫であり、彼らにとってこれらの進化の道程は戦いの歴史だった。
動物の間では特に、この進化の歴史は苛烈を極める。図体を大きくした者もいれば、樹上での生活に適するようになった者。
素早く動けるようになった者もいれば、長時間に渡り走り続ける事が出来るようになった者もおり、種族としての脆弱さを補うが如くに、多産と成長の早さを選んだ者。
これらは全て、この地球で生きられるようにそれぞれの生物が、辿って来た歴史の中で取捨選択して来た末なのであり、その選んだ結末に、一つとして正解もなく間違いもない。
だからこそ、地球に芽吹く命は多様性に満ち溢れているのであり、自然の彩りをより鮮やかにするのである。一ノ瀬志希は、そう言った闘争に関しては否定しない。生きる上で不可避の闘争は、寧ろ肯定的になるべきだろう。

 しかし、生きる上で不要な闘争。
即ち、喧嘩や戦争の類となれば、志希は難色を示す。元々身体能力自体、大の大人を打ちまかす、などと言うレベルに彼女は到底達していない。
そもそも同年代の少年少女と比較しても、特に並外れた知能の持ち主である彼女は、傷付くだけで、徒労に終わる喧嘩を、無為で無駄な物だと認識していた。
当然、殺し、などと言う行為も否定する。エキセントリックな言動と行動から誤解されやすいが、根っこの所では、流石に年相応かつ、相応の良識の持ち主。
反社会的な行動の一切に関してを認められる程、彼女は道を外していなかった。喧嘩や殺し合いは、一ノ瀬志希は嫌いであった。

 ――だが、現実には、一ノ瀬志希は殺し合いを強要されている立場の人間であった。
万能の願望器をかけての戦いこそが聖杯戦争。らしいレトリックを用いてはいるが、結局の所は、聖杯と言うパイにありつく為に行われる殺し合いと一緒である。
平和的な性格が強い志希には到底受け入れられない戦いだった。受け入れられないが、この狂った世界から抜け出すには、聖杯戦争を勝ち残らねばならないと言うのも事実。
戦いに乗るのが、遅いか早いかの違いでしかない。結局志希は、何れかの時期において、聖杯戦争の狂った世界観に順応しなければならないのだ。
そして、これに順応すると言う行為が如何なる結果に繋がるのか。その惨過ぎる洗礼を、今しがた一ノ瀬志希は受けて来た。

 心が、折れそうであった。いや、折れそうと言う言葉はある種の見栄であり、本当を言えば既にもう折れているに等しい状態だ。
士気を萎えさせ、意気を圧し折り、明朗快活な性分を暗く陰気なものにする程の力が、宮本フレデリカの死にはあった。
そして、彼女を葬り去ったのが、己が従えるサーヴァントである、と言う覆らない事実もまた、志希の心に暗い翳を落としていた。
永琳を責められない事は解っている、あの志希に忠実なアーチャーは、彼女の事を慮って、そしてフレデリカを楽にする為に、悪魔と化したハーフの少女に引導を渡したのだ。
それは、解っている。解っていても、一ノ瀬志希の精神は摩耗している。永琳がフレデリカを殺したと言う事は、即ち志希がフレデリカを殺した事とニアリーイコールである。
殺されるべきであったとか、救えぬ存在であったとか、そもそもあのフレデリカはNPCであったとか、言い訳の言葉など幾らでも立つが、そんな事は問題にならない。
フレデリカと言う少女が聖杯戦争に関わったばかりに惨たらしく殺され、しかも殺した存在が自分の使役するサーヴァントであった、と言う事実が、一ノ瀬志希を完膚なきまでに打ちのめしていた。

 もう、戦い何てしたくなかった。
自分が痛い目に遭うのも勿論の事、サーヴァントである永琳がそんな憂き目にあうのも嫌だった。
永琳は、どんな痛みを負っても、どんな哀しい場面に出くわしても、痛みも悲しみも何処かに置き忘れてしまったかのような無表情で耐えていて、
まだ大丈夫だと志希に思わせてくれる頼もしいサーヴァントだ。だとしても、心や体が少しづつ削れ落ちて行っているのは、確実なのだ。
そんな目に、自分も永琳も遭いたくないし、遭わせたくない。戦わないで、<新宿>で行われている聖杯戦争を、無事に終えたかったのだ。

 だが、思い通りにも行かなかった。
実際にはまたしても、いや、先のフレデリカとの悲愴な離別から十分の間も置かないで、志希と永琳は戦闘に突入していた。
一ノ瀬志希からは既に、戦意が失せている。戦い何て、もう二度とやりたくない……筈だったのだ。

 志希は、目の前で繰り広げられている、サーヴァント同士の戦いと言う物に、眼を奪われていた。
凄い、と思った。そうとしか、思えない。三人の女性サーヴァントが繰り広げる戦いは、詩人や文筆家が見れば、神話や英雄譚の再現と表現するやも知れない。
今時の子供が見れば、アニメや漫画から飛び出て来たような戦いだと、思うかも知れない。
それ程までに、熾烈な戦いであった。――見る者の心を奪い、そして、先程までもう戦いたくないと落ち込んでいた事実を忘れ去らせる程に、壮観な戦いぶりであった。

 右腕全体がおぼろげな残像としか見えなくなる程の速度で、八意永琳が右腕を動かし、左手に持ち構えた和弓に矢を番え、マシンガンの如き速度で矢を連射する。
矢は、弦から放れると同時に『矢』としての存在を失い、矢の形をした細い『光』になり、それが三十m頭上を浮遊する敵アーチャー、魔王パムへと殺到するのだ。
一秒の間に平均して十数もの光矢が、三枚の羽を持つ魔王へと伸びて行くその様子は、大量のレーザーガンを照射する様に似ていた。
だがそれを、魔王パム――正確には、自動防御機能を付与させた彼女の黒い羽が尽く吸収、無効化してしまう。
想像以上に厄介な能力だと、永琳が考える。射出している矢は全て、局所的に時間流を操作して物理法則を無視した超加速を得させ、音の十三倍の速度で放ち続けている。
更にそれだけでなく、放たれた矢には様々な属性を付与させている。神性、竜種、獣種、魔、聖、等々、数え上げればキリがない程の特攻属性を矢にエンチャントしていたが、
どうもあの黒羽は、単純な反応速度の点でも優れているだけだけでなく、特攻攻撃でも打ち破れないらしい。パム本体には、どれかしらの攻撃が通用するのだろうが、どちらにしてもあの黒羽を攻略しなければ、意味がない。永琳の端正な顔が、面倒臭そうなそれに歪んだ。それを見て、パムが満足そうな笑みを浮かべる。自身の能力に絶対の自信を持っている事が窺える、強気の笑みだった。

 永琳の矢が放たれ終えるのと殆ど同時、攻勢の交代でも予め示し合わせていたように、彼女の右隣十m程の地点にいたチトセ・朧・アマツが攻撃に出た。
決然たる輝きを左眼に湛えさせたチトセが、空を舞うパムを睨む。己の星辰光を用い、魔王の頭上のみに局所的に展開させていた雨雲から、白色の稲妻が迸った。
これをやはり、自動防御機能を付与させた黒羽がオートで落雷の着弾ルートに移動、防御してしまい、肝心要のパムはノーダメージと言う結果に終わってしまった。
しかしチトセは、向こうもそう簡単に落雷に直撃してくれるとも思っていない。魔王パムの強さと厄介さは肌で実感している、この程度じゃ不覚を奪えない。

 パムは悠々と、余裕を持って地上に降り立った。
パムが降りた地面は、耕運機で耕された後の畑のように、白と黒い土でグチャグチャになっていた。
果たして誰が、つい一分ほど前まで其処に石畳が敷き詰められていた、と思うだろうか。
黒羽を銃口や砲口に変化させ、其処から放った弾丸砲弾の驟雨で、地面は粉々に砕かれ、周りの街路樹や露店も全て破壊されてしまっていた。
空爆を思わせるような火力攻撃を行うパムもパムだが、それを防ぎ切り、捌き切る永琳とチトセも怪物だった。三人は未だ、息切れの一つも見せていないのだから、信じられぬタフネスさである。

「刃桜(コノハナサクヤ)」

 羽の一枚の形状が、粘土でも捏ねるように変形して行く。
原形質の物質が高速で蠢くように羽は形と、その性質とを急速に変えさせて行き、一秒経つ頃には――信じられない話ではあるが、羽に『桜』が咲いていた。
羽の至る所からフラクタル図形めいて、桜の花弁によく似た桃色の小片を携えた小枝が飛び出しており、その状態でパムは、桜の苗床となっている黒羽を振って見せた。
正に、桜吹雪の如くに桃色の破片が飛び散り、永琳とチトセの下へとそれらが殺到。即座にチトセは己の星辰光を発動させ、目の前に局所的な猛風の結界を産み、
迫る花弁をあらぬ方角に吹っ飛ばした。永琳も同様に、身の回りに何らかの力場を創造させているのか、桜吹雪は彼女だけをピンポイントで避けるようにして逸れて行く。
花弁が、地面に触れる。ザクッ、と言う音を立てて、土に深い亀裂が走った。パムの生み出した桜の花弁に似た破片は、紙の様な薄さと軽さを持ちながら、
ステンレス鋼の二十倍以上の硬度を持ち、十分な微風に乗せて舞い飛ばさせたそれに掠るだけで人体は勿論鋼の塊すら難なく切り裂く切れ味を誇る、必殺の花弁であった。

 身体に風を纏わせ、刃桜を触れさせぬようにしながら、チトセも動く。
パムの回りに目に見えぬ真空のナイフを配置させ、これを飛来させる。これを、桜の枝を生やさせた黒羽を高速で振り回し、迫る真空の刃を破壊してしまう。
自動防御機能はその羽には付与させていない、完全にパムは己の実力のみで破壊してしまった。最早見切ったと言うべきか。
そして、桜の枝の伸びている羽を振ってしまえば、どうなるか。当然、人体など容易く輪切りにしてしまう桜色の破片が舞い散ってしまう。
鉄をも切り裂く桜吹雪は、ピンポイントで、永琳のマスターである志希だけを避け、永琳とチトセの方に向かって行く。
が、やはり結果は先程同様、バリアーの役割を果たさせている力場や風防で軌道を逸らされ、攻撃は失敗に終わる。

 ――分別のある性格のようだな、目の前の悪魔は――

 今回と、そしてこれまでのパムの立ち回りを見て、解った事が一つあった。そしてその考えには、永琳も既に至っている。
それは、パムは、力のない相手に対して己の力を行使し、危害を加える事をよしとしない女性であると言う事だ。
永琳とチトセがそんな結論に至った理由は単純明快、『パムは志希に一切攻撃をしようともしない』のである。
パム程の戦士であるならば、マスターを狙った方が速い事は承知の上だろう。それを承知で攻撃に移ろうとしないのは、二つの理由が考えられる。
マスターなど取るに足らない存在と考えているか、無辜の人間には暴威を振いたくない、かのどちらかだが、魔王に立ち向かう女傑二名は、
この二つの理由どちらもが正しいと思っていた。実際パムは、見る者が見たら神経質を疑う程に、志希に攻撃を仕掛けようとしない。
今行った桜吹雪の攻撃にしてもそうだし、永琳と合流してからパムが行って来た砲撃や火炎、真空刃を伴った暴風の攻撃等にしても、志希だけは攻撃の対象からわざと外していた。
其処から導き出せる事柄。それは、パムは志希の事を本当に何の力もない人間だと見抜いている事、そして、無力な一般人を襲わないと言う誇り高い性格の持ち主である事。
この二つが上げられる。その性質上マスターが存在しないチトセには関係ない事だが、マスターの魔力を糧に現界している上に、そのマスターが非常にか弱い永琳にとって、パムの性情は非常に有り難い事であろう。全霊を以って、目の前の敵を叩き伏せられるのだから。

 パムの性格は、聖杯戦争を生き抜くと言う意味では不都合な面があるのは事実である。
だがそれで、二名……特にチトセの戦局が明るい物になるのかと問われれば、それは否であった。
認めるのは業腹と言う物だが、チトセもいよいよ受け入れねばならなかった。目の前のサーヴァント、パムには自分では先ず勝てない。
チトセと言うセイバーの強みとは何か、と言われたらそれは、己の星辰光の圧倒的な汎用性である。つまり、全方位に隙がないのだ。
しかし、この手の『何でも出来る』と言う条件を満たすのは必然的に、『全ての能力値が殆ど同じ値か技量である』事が多い。
この、全ての能力値が同じと言う所が曲者である。そうなると往々にして、全ての能力が平均的である故に器用貧乏に陥ってしまうと言う欠陥が多々見られるからだ。
世の中と言うものはそう簡単に出来ている物ではない。仮に、能力の値を十段階評価のパラメーターで表すなら、今言ったような能力者は精々が、
全ての能力値が十段階評価の内四~五程度が関の山である。チトセが優秀と言われる所以は、先程の十段階評価の下りを用いるなら、軽く六以上、それ所か七~八は確実だからに他ならない。つまりは、あらゆる面で高水準、ハイ・スタンダードなのである。

 チトセが勝てないと感じている理由は、パムの方もチトセ同様、全ての能力値が万遍なく高い、何でも出来るタイプの能力者だからである。
パムの能力は間違いなくあの黒羽が関係しているのだろうが、発動させる能力に一貫性や纏まりが全くない。
極めて自由にその性質を変化させられる事は、とうの昔に気付いている。其処から、パムが何でも出来るタイプだとチトセは考えた。
パムの場合は己の能力で『出来る』と言う選択肢の数がチトセよりも遥かに多く、しかもこの上単純な能力値もチトセを大きく上回る。
パムの能力値を十段階で評価するなら、その能力値は一番低い物で八、それ以外は全て九~十と言う優秀さであろう。
これこそが、何でも出来ると言う能力者の最大の弱点。己の用意出来る選択肢以上の選択肢を保有し、単純な能力値ですら全て敗北している相手には、先ず勝てないのだ。
自分よりも遥かに優秀な相手を格下が討ち取るには、相手を己の能力で型にハメるしかない。それを行うには、万遍なく同じ値の能力者では駄目。
一つ、或いは二つの能力値がダントツに高く、それ以外の能力が低い――つまりは、『一点特化』の能力。これで突破するしかないのである。
チトセの知る一点特化の極致にいる能力者、それこそが、彼女が宿敵と認めるクリストファー・ヴァルゼライドだ。彼ならば、パムを相手に勝ちを拾える可能性は高いだろう。
だが、チトセでは難しい。彼女も一点特化の鬼札を持ってこそいるが、これを利用しても、パムを相手に勝ちを拾えるか、とネガティヴな思考になる。そう考えてしまう程には、相手は嫌になる位強いのだ。

 ――但しそれは、チトセ単体で戦った場合の話である。『二人がかり』の場合は、この限りではない。

「このままでは埒が明かなそうだな、銀髪の美人さん」

 チトセは誇り高い武人ではあるが、同時に、計算高く強かな戦略家としての側面も有している。
ヴァルゼライドはこの手で、誰の妨害もない所で一対一で倒してやりたいが、それ以外の存在ならば話は別。
本命の抹殺をこの手で行いたいのはチトセの矜持であるが、それ以外の存在は英雄へ至る道に立ちはだかる障害物以外の何物でもない。
これに時間と、魔力と言うリソースを無為に費やす程チトセにも余裕はない。必然、己に不利が蒙らない範囲内で、あらゆる手段を用いて相手を排除すると言う思考に行き着く。
暗殺だって、チトセは辞さない。今回彼女は、八意永琳と共にパムを排除しようと考えた。永琳の動向を見て解った事だが、彼女は少なくとも、パムよりは話が解る。
チトセはそう踏んでいた。発散される雰囲気はパムのそれよりも洗練されて落ち着いたものであり、そして何よりも、解るのだ。
永琳は打算と計算とで動く、自身には及びもつかぬ程の賢い手合いである、と。賢さは兎も角として、前者の性質を持つ人間は生前、アドラー帝国にも見受けられた。
誰がそう言う性質を持っているのかと言う事は、魑魅魍魎の伏魔殿たる国家中枢の政争の渦中で生きて来たチトセは一目で解る。この手の人物に取り入るには、自分と一緒にいると甘い水を飲めるのだと暗に証明するに限る。今の発言にしたって、そう言う意図がある。永琳程の賢い人物ならば、自分が何を求めているのか、あの言葉で察する筈だと、チトセは推察していた。

「全くね」

 そう言って永琳は、鏃の照準を、パムの喉元に合わせた。チトセの方も、相対する魔王の方を睨みながら腰を低く落し、鞘に納められた蛇腹剣の柄を静かに握った。
互いの利害がこの瞬間だけ一致した瞬間であった。チトセの知らない所だが、永琳の方も、チトセはこの瞬間だけ手を組むに値する存在だと認識していた。
永琳と志希は、実を言うとチトセとパムが邂逅した瞬間どころか、それ以前、レイン・ポゥとパムが会話していた時からこの場にいた。
当初はパムとレイン・ポゥの性質を見極める為に傍観していたが、チトセが此処に合流し、二人のやり取りや戦闘の模様を見る内に、永琳は両名の性格をある程度結論付けていた。パムの方は、戦う事が大好きで、他人の事情よりも自分の事情を優先しやすい性格。
チトセの方は、非常に強い目的意識を持ってはいるが、その目的を達成すると言う事以外の執着が薄い性格。
永琳にとってどちらの方が組みしやすいかと言えば、後者、チトセ・朧・アマツの方である。
そも、永琳がパムに対して初めに不意打ちを行ったのも、間違いなくパムとは相いれず、真っ向から交渉を提案しても話にならない可能性が高いと踏んだからである。
永琳は初めから、パムと手を組む気が毛頭ない。チトセの方も油断ならない性格ではあるが、それでも、一時的に手を組むのなら、チトセの方が遥かに信頼出来る、と言う物であった。

「二人同時か。望む所だ、受けて立つ」

 パムの方も、永琳とチトセが何を狙っているのかを得心したらしい。高揚した笑みを浮かべて叫んだ。
間違いなく、このハイレベルなサーヴァント二人は同時に襲い掛かってくる。不利ではあるが、卑怯だとは思わない。寧ろ、心の何処かで望んでいた展開だとすら、パムは思っていた。

「サヤ」

 静かにそう呟き、チトセは、軽く志希の方に目線をやった。
チトセの考えている事を察したのか、彼女から二十m程離れた所で隠形していたサヤが姿を現し、志希の方目掛けて跳躍。
一っ跳びで、志希の傍に着地、傍に佇んだ。ビクッ、と志希が震える。素性の知れぬ、しかも人を容易く殺せる技術を持った女性に急接近されればそんな反応も已むなしだろう。

「ご安心下さい、危害は加えません。貴女を守る為に参上致しました」

 小声で、サヤは志希に告げる。驚きと、疑う様な感情とが同居した表情を浮かべる志希。
パムは今は本気を出していないだけで、先ず間違いなく、無差別かつ広範囲に渡る破壊を齎す術を有しているだろう。
今は自制しているが、何かの拍子でそれが解禁される可能性もゼロじゃない。サヤは、志希をその被害から遠ざける為の保険だった。
この保険には、永琳に対して自分が信頼出来るサーヴァントであるとアピールし、恩を売ると言うチトセの思惑もあった。サヤは、その思惑をも読んでいた。
永琳はチトセにとっては敵対したくない強敵だと言う事を、隻眼の女戦士も、彼女に仕える腕利きの隠密も、それを認めていた。
永琳の方は、チトセが何を思ってサヤを近づけたのかを理解している為、特には何も異を唱えなかった。それに、サヤが何か変な気を起こしても、問題ない。チトセならともかく、サヤ程度の実力なら、いつでも殺せると言う自信があるからだった。一時的な同盟を組んだに過ぎないサーヴァントの息のかかった人物を、志希に近づけさせても何も文句を言わないのには、こうした理由がある。

「心配は無用です。お姉様の懐刀であるこの私が護衛を致します。危難は排されたものとお思い下さいませ」

 サヤは知らなくて当たり前だが、永琳達は事実上、パムとレイン・ポゥがこの場にやってきた段階からこの場にいたのだ。
つまり、サヤがパム相手にボロ負けした瞬間も彼女らはバッチリと目の当たりにしていたのだが……志希がその事を指摘する勇気がない為、自分が大口を叩いている事に永遠にこの女性は気付く事はないだろう。

「さぁ――来い!!」

 その一言を受けて、先に動いたのは永琳だった。
番えていた矢を一射、パム目掛けて放つ。やはり、弦から放れた瞬間その矢はレーザービームとなり、パムへと凄まじい速度で向かって行く。
それに対応しようと意識を永琳に向けるが、彼女の放った光条は、パムに命中するまで後十mと言う所に差し掛かった瞬間、破裂。
パムはそれに反応するが、驚いた様子を見せぬ永琳の立ち居振る舞いから推理するに、この現象は想定内どころか、放った永琳自体が意図して起こしたものらしい。
破裂した光矢は、四つの小さな光の礫となり、それが、放たれた時と同じ音に数倍する速度を保ったまま、地面に伸びるパムの影に衝突。
パムの麗影の中で、光の粒がダイヤのように輝いている。それが煌めいている所は、パムの四肢。両膝と両肘で、礫が輝いていた。

 狙いを外して幸運だった、等とは死んでもパムは思わない。
永琳程の達者が、高々百mもない距離から矢を外すなど、今までの傾向から天地が引っくり返ってもありえないと思っていたからだ。
まさか、と思いパムは手足を動かそうとするも、樹脂で固められたように動かす事が出来ない。言うまでもなく、その原因は己の影で今もほの光る礫が原因だった。
手足が動かせぬ、と言う事実に一瞬意識をやってしまったのが、悪手だった。敵は永琳に一人だけではない。もう一人いるのだ。
――そしてそのもう一人が今、封印していた切り札を切った。

「火遊びを悔いる時間だ、軽率さを死して償え」

 そう口にし終える前に、チトセは、己の右眼を覆っていた眼帯を外していた。
眼帯の裏には、空虚さの象徴である眼窩も無ければ、義眼すらも嵌められてない。
明らかに瞳を模したとは思えない、象形文字か、或いは何かのシンボルめいたマークが赤く爛々と、激発しているのをパムは見た。
そして、その右眼に嵌められた何かしらの装置を中心に、凄まじいまでに洗練された魔力が渦を巻いている事も、認めていた。

「これより放つは女神の裁き、級長(シナツ)の怒り。死しては冥途の土産とし、生きては威力を語り継げ。これが女神の切り札だと!!」

 その口上を述べる頃には、分厚く、そして墨のように黒い雷雲がチトセを中心とした半径三十mに渡り広がった。
今にも、夏特有の集中豪雨が降ってきそうな、不穏な黒雲。しかし、雲の内部に渦巻いているのは、大量の水ではない。
生前、己が力を誇り増長した二人の悪魔に引導を渡した、恐るべき稲妻を孕んだ必殺の魔雲だ。此度その魔雲は、女神の行進を防いだ不届き者を裁かんと、チトセの最後の一声を心待ちにしていた。その声を契機に、裁きは成る。

「神威招来――級長津祀雷命ッッッ!!」

 その一喝と同時に、黒雲から、淡い緑色に激発する極大の稲光が迸った。
自動防御機能を付与させていた黒羽が予め危険を察知し、雷が落とされる前に、軌道上に高速で移動。そして、衝突。
嘗てない程の雷鳴が響き渡り、志希は驚き慌てながら、身体を屈ませ耳を塞いだ。余りの音圧に、競技場が揺れ、土埃を巻き上がる。
大仰な詠唱と、派手さを極めた様な稲光と雷鳴に恥じぬ威力である事を、あらゆる状況証拠が如実に証明していた。

「何ッ!?」

 そして、その威力は真実、パムを驚愕させる程の説得力を有していた。
簡単な話だ。神威招来とまで謳ったチトセの雷霆を防いだ黒羽が、焦げた紙のように焼け落ちているのだ。
これは、パムのみならず、パムの事情を知っている魔法少女であれば、誰もが彼女と同じリアクションを取る。
パムの黒羽を一枚でも破壊する、と言う事はその時点で、魔法少女の中にあって熟達した戦闘能力を誇る者と言う認識で間違いがない。
生前創始した魔王塾の生徒の中ですら、魔王の羽を一枚でも破壊出来る、と言う人物は片手で数えられる程だった。
それだけ、黒羽、特に防御の性質を付与させたパムの羽を破壊する、と言う事は驚愕に値する出来事なのである。
そして、あの雷を防がれたチトセもまた、眼を見開かせて驚いていた。真っ向から防がれるとは思わなかったのだ。チトセの理想としては、あの黒羽を貫き、パム自身を塵一つ残さず消滅させると言う事。それが無理でも行動不能な程の大ダメージを、と思っていたのだ。結果は、黒羽一枚を破壊しただけ。今の技術――もとい宝具こそが、チトセの本当の隠し玉であり切り札である。あれを防がれてしまった、となると、最早チトセには打つ手がない。

 打つ手はないが、負けて死ぬとはチトセは微塵にも思っていなかった。簡単な話だ、今回は幸いにも急造の相方がいるのだ。
しかもその相方は、極めて老練な技術を誇る手練である。自動防御機能を付与された黒羽を破壊された、その瞬間を、彼女――八意永琳が見逃す筈がなかった。

 光矢を何発も何発も連射する永琳。影を地面に縫い付けられた事で身動きが未だ取れずにいるパム目掛けて、十数本もの必殺の光条が殺到する。
超常の身体能力と反射神経を誇る魔法少女の中にあって、最高位の格を誇るパムが、耳から火が噴く程の勢いで思考を高速で回し、この状況の打破をシミュレート。
そして、計算が終わり、それを実行に移した。残った二枚の羽の内、桜の枝を伸ばさせていた羽を一瞬で匙状に変形させ、それを以て影が伸びている方の地面を掬った。
無論ただ土を掬ったのではない、自身の動きを制限させている光の粒ごと、だ。己の影より大きく拡大させた黒羽で、己を縫いつける光の粒を救い、それを放り投げた。
手足の自由が効き始めたと同時に、光の矢が次々と向かって来る。これを、匙状に変形させた黒羽を高速で動かして、叩き落としたり破壊したりして迎撃。
しかし、それは悪手だった。破壊した際に飛び散った破片が、意志を持ったように全て、パムへとホーミングして来たのである。
やろうと思えば、己を縫いつけていたあの破片で攻撃も出来るらしい。普通に考えれば、出来ない事の方があり得ないだろうと、危機的状況であると言うのに、自分の頭の中にいる冷静な魔王パムはそう判断を下していた。

 自動防御を付与させる間もなく迫る高速の光の破片をパムは、飛び上がり、空を縦横無尽に飛行する事で回避する。
だが、その光礫は対象に命中するまで永続的にホーミングを続けるらしい。避けた傍からUターンし、パムの方へと向かって行くのだ。
そして、群がるのは光の礫のみに非ず。志希の傍に待機していたサヤも、己の星辰光を発動させ、爆発するプラズマ球を殺到させているのだ。
志希の安全を可能な限り確保するのが使命の一方で、機会があらば攻撃にも参加する。それが、チトセの下した命令の一つでもあり、それを忠実に守っていた。
が、永琳とサヤの両名が攻撃を行う頃には既に、パムも呼吸を整え終え、羽の一枚に自動防御の性質を付与させ終えていた。
必然、防がれる。光の破片は攻撃に転用させるのが不可能な程に砕かれて無害な魔力の粒子にされ、プラズマ球についても、ラケットでボールやソケットを弾き飛ばす様に、
あらぬ方向に吹っ飛ばされて、見当違いの方向でその威力を炸裂させていた。これで、パムに余裕が生まれた。
この余裕を、魔王は活かした。パムは素早く、残ったもう一枚の羽根を中頃から真っ二つにし、半分の大きさになったそれぞれの羽を拡大させる。
すると、如何だろう。先程チトセが焼け落した羽が、再生したのである!! パムの黒羽は、本当の意味で自由自在である。
彼女の羽は絶対に消えてなくならない。操れる最大上限は四枚でありそれ以上上限が増える事は無いが、四枚より羽の数が下回ったならば、
残ったその羽を分裂させ、大きさを拡大させる事で、元の羽を再生させられるのだ。そしてそれは、再生させたものとは言え、能力の劣化がない。
真実、分裂前のスペックのままに再現される。だからこそ、魔法少女の中にあってパムは無敵と称されたのだ。極めて汎用性が高く、強力で。しかもその能力を封じ込める事が不可能に近い。最強の魔法少女、外交部門の最終兵器。その二つ名に、嘘偽りは何もないのであった。

 いざ動こう、としたその時だった。
自動防御を担当する黒羽が勝手に動いた。違う、勝手に動いたのではない、『攻撃を防ぐ為に』、パムの頭上へと回ったのだ。
まさか、と意識した瞬間だった。再び天空から、あの雷霆が降り注いだのは。天地が鳴動せんばかりの雷鳴が轟き、網膜が焼き切れんばかりの極光が空で爆ぜる。
チトセの放った稲妻は黒羽に直撃。パムは先程よりも黒羽の防御能力を上げていたが、それでもまだ足りなかったらしい。再び、チトセの雷に自動防御の羽が焼け落された。
己の迂闊さを唾棄するパム。二度に渡りチトセの放った雷が、彼女の真なる切り札だとはパムも思っていたし、その威力の凄まじさも高く評価していた。
直撃していればパムとて如何なっていたか。――パムにとって予想外だったのが、これ程の威力の稲妻を、一分のクールダウンもおかずに連発出来ると言う事実だった。
これだけ途方もない威力を生める攻撃なのだ、反動の様なものがあって然るべきだと思っていたが、実際は予想を裏切る物であった。成程確かに、切り札と称するに足る一撃。恐るべし、黒髪のセイバー。

 ――そして、自動防御の羽が破壊されたと見れば、もう一人の敵対者、八意永琳がどう動くのか。
それを知らぬパムではない。魔王は、見た。美貌に険を宿らせ、鋭い目線を此方に送り続けながら弓矢を構える賢者の姿を。

「在るべき場所へ帰りなさい、サーヴァントですらない者よ」

 酷薄とも言える声音で永琳は言葉を告げ、光の矢を放った。
余分に魔力を搭載させこれを推進力にさせている事と、時間流の局所的な加速場を用意した事によって、先程のそれとは比較にならぬ程の速度でそれが飛来する。
パムが、間に合わないと思った時には、矢は彼女の腹部の柔肌を穿ち、生綿よりも柔らかな彼女の肉を貫いていた。
光条は彼女を貫くと、そのまま魔王の身体を通り過ぎて行き、消えて行く。貫かれた最初の一秒は、パムに痛みはなかった。熱さも寒さも、感じなかった。
それだったら、どれだけよかった事だろうか。パムの身体を今襲っているのは、例え様もない悪寒と頭痛、吐き気に眩暈。
遅れて痛みも感じ始める。ヒビが入っているかのように骨が軋みだし、身体を皮膚から筋肉まで丹念に剥がされる様な激痛が全身を襲い、内臓が圧迫される様な不快感。
常人ならば思考すら定まらない痛みと不安・不快感の中で、自分の身体に何が起っているのかを理解出来ているのは、流石はパムだと言う他ない。

 現状の正体は、己の身体の魔術回路を完全に破壊された事が原因である。メフィストが生み出したある種のホムンクルス・ドリー・カドモン。
それに、アカシア記録の情報を固着させた存在。これが、あの魔界医師が運営する病院で生み出された急造のサーヴァントの正体である。
彼らは他のサーヴァントと一線を画した存在である。彼らは霊体ではなく受肉した生身の存在であり、また彼らにはメフィスト謹製の、
神代の幻想種と同等の質を誇る魔術回路が予め備えられており、これによって正規の手段で召喚されたサーヴァント以上に長く現界出来ると言うメリットを得ている。
何故パム、引いてはチトセが此処にいて、どう言う目的でメフィストに呼び出され――いや、そもそもメフィストが彼女らを呼び寄せたと言う事実すら、永琳は知らない。
知らないが、目の前の二人の存在がどう言う理屈で動いている存在なのかは理解していた。理解していたからこそ、彼らに対して有効打になる一射を放った。
永琳は長年の経験や卓越した魔術の腕、そしてこれまでの戦闘から理解していた。。パムとチトセが、『マスターに依拠しないで動く事の出来るサーヴァントに似た何か』、
と言う事を。彼女らに備えられた魔術回路はそれ単体で魔力を産み出せる、極めて上等な代物である。サーヴァントにも回路はあるが、あそこまで上等な物ではない。
マスターがいなければ行動の大部分が制限される事がサーヴァントのデメリットであるが、目の前の二名にはそんな不利は関係ない。自由に振る舞う事が出来るのだ。

 だが逆に、そのマスターがいないと言う事で発生するデメリットを永琳は利用した。マスターがいないと言う事は、魔力の供給役がいない事を意味する。
それはつまり、『そのサーヴァントを行動させられる為の魔術回路を破壊された時の予備のバッテリーが存在しない』事と同義。
マスターとは言ってしまえば、サーヴァントの緊急・予備のバッテリー、ここぞと言う時の為の電池としても求められるのだ。
これがない状態で、全身の魔術回路を破壊されてしまえば、どうなるか。当然、良くて戦力の大幅減退、最悪消滅だ。
――そう、永琳の放った一撃と言うのは、正にこのサーヴァントの魔力回路を破壊する攻撃であったのだ。
しかしこの攻撃は、『本質が霊体』、つまりこの世の物理法則が当て嵌まり難い要素で構成されたサーヴァントには余り意味を成さない。
霊体は物質に比べて可塑性が高い上、既存の物理法則に囚われない、自由な要素である。故に、魔力さえ潤沢であれば破壊された回路も回復するのだ。
だが、構成要素が完全に『物質』であるパムやチトセはそうは行かない。受肉したサーヴァントに等しい彼らが、魔力回路を完璧に破壊する一撃を貰えば、回路はメフィストや永琳レベルの術者でなければ先ず修復させられない。受肉したサーヴァントと≒のパムだからこそ、功を奏する一撃だったのだ。

「格の違いを解って下さったようね」

 永琳の勝ち誇った声が遠い。
パムは、殺虫剤でも噴射させられた羽虫のように地面へと墜落して行き、両膝から土の上に落ち、膝立ちで呻いた。
パム達、ドリー・カドモンに情報を固着された存在は、マスター不在でも行動出来るだけでなく、体内で魔力を生成出来る為に、
理論上は激しい戦闘等の魔力を消費する行為をしなければ、活動限界が訪れるまで地上に存続する事が出来る。
だが、魔術回路を破壊されたとなれば、待ち受けるのは確実な破滅である。今のパムにとって、魔術回路を断たれると言う事は、人に例えれば血管を全て破壊される事と同じ。
滅びない筈がなかった。――但し、それは現状を如何にかする手段がない場合に限る。パムにはその手立てがない物と、永琳は考えていた。
あの羽は、殺傷目的の使い道であれば何でも使えると推察していたのだ。その推論は、半ば以上的を射たものであり、其処まで辿り着けたのは流石は永琳であった。
――月の賢者とすら称される程の彼女のこの推理の、唯一にして最大のミステイクを指摘するとするのなら。『黒羽は殺傷以外の用途にも転ぜさせられる』と言う事であろう。

 黒羽が回虫に似た細長い、十m程もある紐状に変化した。
魔術回路を破壊する永琳の一射に命中した事で身体に空いた、血色の孔からそれが侵入して行く。この間、半秒にも満たない。
神経を直に触れられ、そのまま指の力で引きちぎられる様な凄まじい激痛が身体にパムの身体に舞い込む。溜まらず、口から血を吐き、瞳を血走らせる。
その痛みが続く事、更に一秒半。痛みが落ち着き、体中を蝕んでいた生理的不快感が、曇天が一陣の神風で雲散霧消するが如くに消えてなくなった。
ふぅ、と安堵の一息を零してから、平時通りの、落ち着き払った態度の魔王パムが此処に復活した。

「……貴女みたいなのを、怪物、と言うんでしょうね」

 マスターの志希ですら、初めて見る、永琳の愕然とした表情。
あの本当に短い時間に繰り広げられた、彼女とパムの行動の意味を、自身が従える賢者だけが理解していたようだった。

「褒め言葉として受け取るぞ」

「実際、褒めたわよ。プラスの意味で怪物って言葉を使ったのは、数千年……いや、万年ぶりかしら、ね」

 パムのした事は、言葉にすれば何て事はない。シンプルな行為である。
『己の黒羽を本物の魔術回路に変化させ、それを体内に没入、肉体及び破壊された回路と同調(シンクロ)させ、回路を破壊前の状態に完璧に修復させた』のだ。 
同調させる事によって生じる不可避の激痛もそうである。だがそれ以上に、己の身体に馴染む回路を一から、それも大がかりな術式(オペ)が必要なこの修復作業を、
一分以下と言う短時間で完成させたと言う事実だ。理論上では可能であっても、実践上不可能に等しい行為である事は言うまでもなく、そしてそれを、パムは難なくやってのけたのだ。

 残った一枚の羽根を、パムが三つに分割させたのを見て、永琳が動く。
開いた左手をパムの方に向けるや、パムは大きく左にサイドステップを刻み、距離を離した。――瞬間、地雷が炸裂したかのように、地面が爆ぜた。
アーチャーとして召喚された永琳が得意とするのは、何も弓術や、弾幕勝負で培われた魔力の飛び道具だけではない。
人の間に伝わる魔術、それが伝える魔術も永琳は簡単に行使出来る。今使ったのはガンドと呼ばれる、魔力の塊を高速で飛来させる、北欧に伝わる魔術だ。
人間が放った所で、良くて拳銃、手練の魔術師が放った所でライフル並の威力が関の山だが、永琳程の技者が放つそれは大砲に匹敵、或いは上回る。
しかもこの、城壁すら粉砕する程の威力のガンドを、当たり前の如く永琳は連発出来るのだ。

 バルカンじみた速度でガンドを放ち続ける永琳と、それを、つい数秒前まで魔術回路を破壊され動く事すらままならなかった筈のパムが、元気に飛び跳ね回避する。
放たれるガンドに、解りやすい色など永琳は付与させない、放つものは全て無色透明。目で見えない上に、飛来する速度は音のそれ。
しかも着弾すればサーヴァントであろうとも良くて骨折、最悪爆散するかも知れない威力であり、それが嘘でない事は、巨人がスコップで掬った跡の様に、
次々と抉れて行く地面を見れば解る事であろう。そしてその威力に臆さず、飛来する無色の殺意に対応し、曲芸師のようなアクロバティックな動きで回避する、パムもパム。
二人はどちらもアーチャーのクラスにあり、そして、数多いる弓兵の英霊の中でも最上位に君臨する猛者達と言う風格と説得力を、これでもかとこの場で証明していた。

 後方宙返りで、斜め上空から飛来するガンドを回避するパム。パムの着地の瞬間を狙い、永琳が再びガンドを放つ。この一発は威力の代わりに、威力を引き絞らせた一撃だ。
着地と同時に、パムが勢いよく拳を振り上げた。手榴弾の炸裂めいた爆音が、パムの右腕の辺りから響き渡る。拳とガンドが衝突し、前者が打ち勝ち、ガンドを破壊した音。
人間を遥かに超える身体能力を保有する魔法少女、その中にあってトップクラスの身体能力を誇るパムだからこそ、永琳のガンドを、魔法を使わずとも打ち壊せるのだ。
殴ったパムの右腕が痺れ、よく見ると右手甲が内出血している事をパムは認識していた。下手な魔法少女なら、右手の骨が砕けているなら一番マシ。
良くて腕全体が複雑骨折、最悪右腕を肩の根本辺りから千切り飛ばされ、『持って行かれた』事だろう。
――そして、今この時。先程パムが三つに分割させた黒羽が、元の大きさ元の性質のそれに復元、此処で十全の状態でパムが復活した。

 ――……嗤っているな――

 獰猛な、笑みだった。
世の女性の全てが羨むような、女性美その物と言える完璧なプロポーションと麗しの美貌。世の男に高嶺の花の何たるやを知らしめる、凛然としたオーラ。
その二つを我が物とするパムの浮かべている表情は、倒れ込んだ草食獣を前にしているライオンが浮かべるが如き、餓(かつ)えた笑みそのもの。
この笑みを、チトセは知っている。戦う事が楽しくて、愉しくて、仕方がない者が浮かべる笑み。パムは、この戦いと、自分に立ち向かう勇者の奮闘を、自らの魔王と言う二つ名が指し示す通り、心の底から楽しんでいるのである。

「楽しいのかしら?」

 見下すような永琳の言葉に、パムは、素直な子供の如くこう即答した。

「とても!!」

 そう告げた瞬間、パムの羽の一枚が独りでに彼女の頭上まで浮遊し始め、其処で一枚の、直径十五m程の黒い円盤に姿を変えた。 
フリスビーに似た形をしている。指を触れれば斬り落とされそうな程縁の部分が鋭い刃状になっている事が、一目で解ると言う点で、ただの円盤ではない事がすぐ解る。

「光輪(スダルサナ)」

 そう口にした瞬間、円盤は高速で回転運動を始め、その状態のまま、永琳の方へと高速でカッとんで行く。
「屈みなさい!!」と永琳が叫ぶと、志希とサヤの身体に局所的な過重力が掛かりだし、それに身体が負け、二人は身体の前面から地面に勢いよく転んでしまう。
強かにサヤの方が額を打ったが、身体を切断されるかもしれない未来に比べればマシな方だろう。本人にその気はなくとも、パムの動かし方次第で、
志希とサヤの両名を切断する程の直径を、あの黒円盤は有しているのだから。脅威になる円盤に、永琳が矢を打ち込み、チトセは真空のナイフを叩き込む。
矢に当たった瞬間まるでクレーのように円盤が破壊され、真空ナイフに触れた瞬間ホールケーキのように円盤はバラバラに割断されるが、そうなった傍から、
円盤の欠片は形状を変え、円盤状になって行く。そしてそのまま、しかも小さくなった分スピードも増した状態で、永琳とチトセの方に迫って行く!!
比率的にはチトセよりも、永琳の方に向かって行く円盤の方が圧倒的に多い。素人目でもその数は圧倒的だ。暗に、永琳の方が実力者だと言っているかのよう。
しかし、それに癪に障る程チトセは子供ではない。その判断は正しい物だった。チトセは既に能力の大部分を開帳したが、永琳の方はまるで底を見せない。
その実力の深さは例えるならば、大海原の真っ只中の海溝その物と言ってよいだろう。得体が知れなさ過ぎるのだ。仮にチトセが、パムの実力を持ちかつ、今の様な状況に立たされた場合、この女戦士でも永琳の方を重点して狙っていただろうと彼女は考えていた。

 真空刃を纏わせた蛇腹剣を凄まじい軌道を描いて振わせ、群がる大小の円盤を完膚なきまでに粉々にするチトセと、
彼女の援護と言わんばかりに己の星辰光によるプラズマ球でで残りの円盤を破壊して援護するサヤ。チトセに関しては、この連携で何とかなった。
問題は永琳の方だ。一般人の志希から見ても、殺到する円盤の量が圧倒的に多いのだ。弓を構えるアーチャーに黒い円が集まるその光景は、
遠巻きに見ればきっと、角砂糖に群がる黒蟻の群れとしか見えないだろう。蟻に例えられて然るべき、回転する刃を携えた殺意を永琳は、
矢を次々と連射する事と並行して行っている、ガンドの連発や青色と赤色の弾幕の展開で砕いて行く。しかしそれでも、パムの攻撃の方が圧倒的に物量に勝る。
九割九分は破壊出来たが、残りの円盤が、永琳の身体に直撃。それは腹部に命中するやスルリと通り抜け、それは彼女の首の左側に当たるやスッとすり抜けた。
すり抜けたとしか思えぬ程、スムーズに人体を斬り裂けるのだ。通り過ぎてから瞬刻たった時、永琳の首から血が噴き出、衣服の胴体に黒い血が大量に滲んだ。
首の方は永琳の左側の皮膚から二cmも深く斬り込まれており、これは真っ当な人間であれば自分の首から流れる血で溺死が可能となる致命傷だ。
「アーチャー!!」と、ブリキの板も裂けんばかりの悲鳴が響き渡る。

 全く、心配性なマスターだと笑みを零す。だがこの感覚は、新鮮だと永琳は思う。
生前、と言う言い方は正しいのか解らないが、少なくとも幻想郷にいた時は、この程度のダメージを負った程度では誰も心配してくれなかった。
何故なら彼女、八意永琳は、『死なない』存在だから。それを前もって志希には説明していたし、それを前提とした作戦も多少は伝えていたのに、この反応である。
全く、出来の悪いマスターだと思う。生前永琳の下に集った弟子や生徒は皆、優秀な者ばかりだった為、不出来な弟子達を教える経験が彼女には絶無だった。
一ノ瀬志希は、永琳の弟子として見ても、主君として見ても、類を観ない程出来が悪い。それは、メフィストからも以前指摘された通りであり、その通りだと永琳も思う。
だが、それが見捨てる理由にはならない。今になってこそ、解る。志希の様に不出来で、しかし、自分を信頼し心配してくれる者が弟子。
或いは主になると――不思議と護ってやりたくなる。そして、見せ付けたくなる。お前の引いたサーヴァントがどれ程優秀な存在なのかを。
その優秀さを目の当たりにさせ、驚かせたくなる。それは、パムにも、チトセにも、言える事柄だった。

 グラリ、と後ろに倒れ込むフリをする永琳。 
カタが付いたとパムも思ったのか、意識を瞬間、永琳からチトセの方に向ける。次は私かと、チトセの顔が引き締まる。
あの黒髪の戦士の方も、永琳は終わったと認識しているらしかった。その、意識の間隙を縫って、永琳は地を蹴った。
その瞬間に、永琳は強化の魔術で筋力・耐久・敏捷のステータスをA+相当にまで修正し、それに恥じぬ速度で、パムの方に駆けて行く。
十数mの距離がまばたきを下回る速度で、息が届かんばかりの間合いにまでなった時、初めてパムとチトセが、永琳が倒れていない事に気付いた。

 パムは高速で思考する、防御を選ぶか攻撃を採るか。辿り着いた結論が、『両方を同時に行う』、であった。パムにはそれを可能とする力がある。
黒羽が一枚、永琳の前に立ちはだかる。自動防御の性質の他に、攻撃を跳ね返す性質も付与させている。
今まで自動防御の他に、如何して後者の方の便利な性質を付与させなかったかと言えば、チトセも永琳も全方位から攻撃を仕掛けて来る事が多かったので、
自動防御と反射の性質を付与させたそれで攻撃を防いでしまうと、あらぬ方向に跳ね返させてしまい、結果として無軌道な破壊を振り撒く。これが嫌だったのだ。
が、この超至近距離での攻撃であれば、相手の一撃を反射すればほぼ百%放った当人に攻撃が跳ね返る。此処で初めて、パムは攻撃の反射に打って出た。
永琳は事もあろうに、拳による攻撃を行おうとしていたらしく、右の貫手を放った。しめた、とパムは思う。
拳等の生身の接触による攻撃なら、『ほぼ』百%が『百%』、相手に攻撃が反射するに言葉が変わる。確実に、相手の攻撃を防げるしダメージも与えられる。
指が黒羽にぶつかる。永琳の透き通るように白い人差し指、中指、薬指、小指の四本指が、凄まじく嫌な音を立てて圧し折れる、中頃から骨が突き出た。
それだけならまだ良かったが、右腕全体が、衣服の上からでも解る程滅茶苦茶に複雑骨折を起こしてしまう。攻撃の反射によるダメージはそのまま、
相手が行った攻撃の威力に等しい。どれだけの威力で、永琳が攻撃を仕掛けたのか、彼女の右腕を見れば素人でも窺う事が出来るだろう。

 ――だが、永琳の顔は平然としたものだった。
痛みを感じぬ訳ではない、熱い冷たいを感じぬ訳ではない、疲れを知らぬ訳でもない。彼女は、慣れているだけだ。
不老不死であるが故に自己の命について敬意も払わず重きもおかず、常人が忌避して当たり前の痛みについても甘い・塩辛いなどの味覚と同程度の感覚でしかないと考える。
この程度の痛みは過去に経験している。不老不死であるが故に、無茶もして来たからだ。肉体的な痛みも苦しみも、なんら、八意永琳の攻撃を止める要因足りえない。

 折れたままの指四本で、黒い羽に触れ、物理的・魔術的・概念的構成を破壊する魔術を直接叩き込む。
刹那、防御に使った黒羽が、風化したコンクリートの様に崩れ落ちて行き、パムと永琳との間で黒い砂状の何かの堆積になってしまった。
目を見開かせて驚くパム。この地上における物理的干渉手段では最早破壊出来なくなった羽を、真っ向から破壊されてしまったのだ、その反応も無理はない。
とは言え永琳としても、此処まで無鉄砲かつ無茶な手段を使う羽目になるとは思わなかった。永琳程の魔術の腕前を持つ女性が、直接その手で対象に触れ、
其処を経由して魔術を叩き込まねば破壊出来なかった程、黒羽はあらゆる構成面で優れていたのだ。
パムの意表を突くと言う意味で、自ら接近し、徒手空拳の要領で直接触れて魔術を送り込んだが、結果的にはそれが正解だった。と言うより、これでしか破壊出来なかった。
永琳の行った魔術は直接触れる他に飛び道具として放つ事も出来るは出来るが、直接触れるよりも威力は下がる上に、その足りない威力の故羽は壊せなかっただろう。それ程まで、黒羽は完璧に近しい宝具であったのだ。

「防いでみるかしら? この距離で」

「言われるまでもない!!」

 パムは羽を動かし、何らかの性質を付与させようとしたようだが、思考速度では圧倒的に永琳が勝る。
思考の速度が速いと言う事は即ち、魔術の発動スピードがそれに準ずる事を意味する。
残った二枚の羽に攻撃と防御を命令させ、対応しようとする――が、永琳は切った啖呵とは裏腹に、全く攻撃を行う心算がない。
棒立ちのままだった。しかし、魔力だけは動き続けている。何をするつもりだ、と思うパムだったが、ハッと気付いた。
チトセとサヤの方に、先程とは比べ物にならない練度と密度の魔力が渦巻いている事に。
そう、永琳は黒羽を破壊したすぐ後で、チトセとサヤの二名に強化魔術を行い、全てのステータスを上方修正させていたのだ。
今の彼女達の地力で放たれる星辰光の攻撃は、先程とは比べ物にならないだろう。そしてその事を二人は、身体から漲るその力でよく理解していた。

 永琳の意図する所を察したチトセとサヤは、永琳に命中する事も厭わない程の量の真空のナイフと放電現象、プラズマ球を四方八方から群がらせた。
プラズマ球に至っては永琳の強化の影響か、本来の最大展開数を大幅に上回る量の数が具現化させられており、先程パムに指摘された、
『数をもっと増やせるようになって出直して来い』と言う旨の言葉をそのまま体現していた。
此方に迫りくる圧倒的物量の攻撃を防ごうと対処するが、永琳は残る二枚の羽の内一枚を左手で触れ、黒羽を破壊させた魔術を再び叩き込み、
黒い砂状の堆積にしてしまった。「貴様ッ」、と叫ぶよりも速く、永琳は空間転移の術で真空刃や放電、プラズマの熱球の巻き添えを喰らわない範囲まで逃れる。

 ドーム状に展開してしまえば、視界が塞がれ解除後に何か途轍もない攻撃を叩き込まれかねない。
自動防御では、黒羽が動くよりも速く敵の攻撃が叩き込まれない程の稠密な物量の為、これも却下。

「オオォォッ!!!」

 故にパムは、己の背後に黒羽による直径三m程の円形盾(ラウンドシールド)状に展開させ、後ろから迫りくる攻撃を防御。
そして前方からの攻撃は、何と素手で次々と破壊したり、叩き落としたり、弾き飛ばしたりして最悪の事態を遠ざけて行く。
真空刃に拳が当たる度に、不可視の刃を砕くのと引き換えに鮮血が舞い散り、プラズマ球を弾き飛ばしてあらぬ方向に爆散させる毎に、腕に火傷を負って行く。

 ――それでもなお、魔王パムの表情には笑みが浮かんでいると言うのだから。
全く、呆れ果てた馬鹿である。永琳はそう思いながら、弓矢を構えた。パムを、此処で仕留めると言う決意が、ありありとその構えから発散されているのであった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 戦闘に於けるガンドの利点とは、魔力の消費が少なく、使い方が解りやすく、しかも時と状況次第で消費した魔力以上の『おつり』が帰ってくる事である。
つまりは、ローリスク・ハイリターンを生みやすいのだ。確かにガンドは基本の魔術であり、魔術自体の内容も使い方も、基本と言うカテゴリから外れないほど解りやすく、
それ故に相手の方も読みやすい。ボクシングで言えば、左ジャブ、牽制に等しい基本の技。だが、運が良ければ良い所に『刺さる』可能性も高い。
これが、ハイリターンと言う物である。無論、狙ってそんなものは得られない。あくまでも、そうなったらラッキー程度。
威嚇の為、牽制の為、そして、とどめの一撃の為。ガンドと言うものは、一発当たりの魔力の消費量や魔術その物の内容を加味しても、非常にリーズナブルな術なのである。

 だが、如何にリーズナブルとは言え、こんなにガンドを連発しまくるのは、魔力の無駄遣いだろうと、遠坂凛は考える。
ガンドは消費する魔力も最低限で済むし、凛の魔力量なら機関銃のように連発出来るとは言え、実際にそれを行い続けるのは流石に無駄が多すぎる。
塵も積もれば山となる、と言う諺はさても良く言ったもの。実に、頭の悪いガンドのやり方だと凛は思う。
――そうでもしなければ、自分が殺される程のマスターと戦わざるを得ない、己の不幸を凛は呪った。

 狭い廊下の只中で、凛はガンドを放ち続け、此方に迫ろうとするあかりの事の動きを止めていた。
弾幕、と言う言葉がこれ以上となく相応しい勢いと量数ではあったが、あかりはこれを、うなじに植え付けられた黒い触手を高速で振るい、次々と叩き落とし、砕いて行く。
あかり自体には、拳銃の速度に等しいガンドの弾丸に対応出来るような反射神経はない。それは、殺せんせーと呼ばれる、彼女の最大の暗殺対象の特権である。
だが、彼女には反応出来ずとも、埋め込まれた触手は反応する。反応するばかりか、銃弾に倍する程の速度で触手は振われ、神業の如き軌道で身体に迫るガンドを壊す。
それ自体がある種の自我を持つ触手は宿主――=あかり――に迫る危害を排する。宿主が死ねば、無敵の宿主であろうとも死に至るからだ。触手と宿主であるあかりの関係は、寄生虫の共生関係に似ているのだ。

 ――あぁ、もう!!―― 

 あかりは全く、腹が立つ事この上ない状況に置かされていた。
先程ガンドが脹脛を貫いたせいで、歩くと痛い。同年代の女子に比べれば身体能力で圧倒的に勝るとはいえ、こうなると何処にでもいる小娘と大差ない。
それを大きく埋めるのが触手細胞を埋め込んだ事によって発現した、触手なのだが、知ってか知らずか、凛は絶妙にあかりがフルスペックを発揮出来ぬ状況を演出していた。
簡単な話で、触手を巻き付ける所を尽くガンドが破壊して回っているのだ。全身が触手兵器となっている殺せんせーは、その圧倒的な新陳代謝と特有の体質を利用して、
マッハ二十と言う宇宙速度レベルの移動スピードを可能としていた。人間としての部位が殆どのあかりでは、音速は元より自動車並の速度で走る事すら出来ない。
音速での移動は兎も角、時速数百㎞での移動ならば、触手を何処かに巻き付けて、それが収縮する速度を利用して可能である。それを用いた高速戦闘が、あかりの武器だ。
それを、絶妙に封じて来る凛に苛立ちを隠せない。しかもガンド、と言う飛び道具を扱う都合上、凛はあかりから十数mも距離を離している。
触手の間合いの外だ。振うにしてもリーチが足りない。つまりこの状況は圧倒的に、凛の方が攻め手の状態にあり、あかりの方は防戦一方だ。
走って距離を詰めようにも、あかりの方は脚部に怪我を負っている。向こうの方がダメージは小さい為、走ってもすぐに距離を取られる。このままでは、完璧なジリ貧であった。

 両者の思惑を知ってしまえば、この戦いの本質が、ある種の根競べに近い事が解るだろう。
切り札である宝石を温存し、なるべくならガンドだけであかりを倒したい凛。魔力と言うリソースが底を突いた瞬間、彼女の敗北だ。
一方、距離を詰めて触手を振い、今度こそ勝利を得たいあかり。此方の距離を詰めようにも足を怪我し思うようにいかず、かつ、
凛の乱射で移動の為の足がかりを破壊されている始末。本質的には生身の人間と変わらない為、ガンドが身体の何処かに命中すればその時点で勝負は決する。
ガンド程度で魔力が底を尽きるような甘い修練を、今までして来た覚えは凛にはないが、ガンドであろうとも魔力を微量ではあるが消費する。
あかりの方も、触手を振い過ぎれば、どんな不利益を被るか解った物ではない。これは元々人に埋め込む事自体が危険な代物。戦況が進めばそのデメリットが牙を向きかねない。
魔力の枯渇が先か、デメリットで身体の方が悲鳴を上げるのが先か。この二名の戦いは、ある種の持久戦であった。

 じりじりと距離を詰めようとして来るあかりに対し、凛は急いで距離を取る。あの触手に当たれば、今度は骨折では済まないと警戒している為だ。
実戦経験こそこれが初めてではあるが、あの恐るべき鞭の間合いの外を保つようにしなければ拙い、と言う事位は解る。
最低でも十二、十三m程の距離をキープする事を意識しながら、後ろ歩きをしながら移動を続ける凛。

 後退を続ける内に凛は、周りの廊下に既視感を覚え始めた。
目に余る程、鉄筋コンクリートの壁が破壊された通路……今の学校指定制服になる前に確認した、大量のアイドルが意識を失ってしまっている大部屋の近くであった。
あの部屋に追い込まれては、逃げ場がない。逃げ場がないだけならまだしも、あの部屋には触手を巻き付けられる箇所が多すぎる為、凛では今度こそ対応出来なくなる。
尤も、後者の方は凛としては与り知らぬ所なのだが、どちらにしてもあの部屋に移動してしまうのは得策ではない。
手近な所に、上階へと移動する為の階段があった筈。其処を経由して広い所に移動しなければならない。

 ――と、言う事を考えていた時であった。 
己の背後……つまり、大量のアイドル達が昏睡しているリハーサル室に、ズゥンッ……、と、内臓が揺れんばかりの重低音と、正真正銘物理的な激震が走った。
震源は言うまでもなくそのリハーサル室。何が起こった、と、ガンドを放ちながら頭をその方に向けると、絶望したような表情を凛は浮かべた。

「凛さ……あれ、何時の間にそんな服装にお召し替えを……そ、それより、幽霊ですよ幽霊!! この目で見ました!!」

 其処には、部屋一帯を埋め尽くす程の瓦礫の上に立ち尽くす、己の従えるバーサーカー、黒贄礼太郎がいるではないか。
しかも、普段から何が面白いのか解らない不敵な微笑みを浮かべ、それ以外の表情の浮かべ方を忘れているとしか思えない彼が、珍しい。
凛から見ても、何かに怯えている様な表情を明白に作っているのだ。その事も確かに、凛にとっては驚きではあった。
――だがそれ以上に、今黒贄がしでかした事。瓦礫――天井の物であろう――を崩落させて此処にやって来た事が、問題であった。
恐らくは黒贄はその凄まじい膂力を以って、床を殴打し、そのまま一階部分から此処にやって来たのだろう。その移動方法を其処でやるのは、拙い事この上ない。
単純である。リハーサル室には……『昏睡したアイドル達』が床に倒れ伏していたのだ。そんな所に、部屋中を埋め尽くす瓦礫が落ちてきたら、どうなるのか。
子供でも、そんな事は解る。つまり遠坂凛は、またしても、人殺しのカルマを背負ってしまったと言う事になる。

「ば、馬鹿贄……何て事……」

 絶望からガンドを打ち止めしかけるが、それだけは気合で防いだ。それを行ってしまうと自分の命がないからだ。
凛が如何して、青褪めた様な表情を浮かべているのか黒贄には解らない。彼も知らないだろう。自分の攻撃で崩落させた上階の床、その瓦礫の先に、
意識不明であった多くのアイドルがいた事など。目測で量る事の出来る瓦礫の量と重さから行って、生き残っているアイドルなど五人といるまい。
殆ど即死、生存した者にしても、今後深刻な障害と付き合って行く事を余儀なくされるだろう。当然、アイドルとしての活動など望むべくもない。

 そもそも凛が此処に来た理由は物見遊山ではなく、現状の自分の行動を大きく阻害する討伐令のレッテルを他者に転嫁させられる、と言う打算があったからだ。
その為にはなるべくなら人を殺さずこの競技場で立ち回る必要があったのだが、今の黒贄の行動で、凛の意図していたもの全てが水泡に帰した。
責任を擦り付ける為に此処であれこれと活動する筈だったのに、また新たに、しかも正真正銘黒贄が数十人もアイドルを殺してしまえば、言い逃れが出来ない。
もう目ぼしいNPCは流石に逃げただろうと考え、黒贄を単騎で別方向から回らせた事が拙かった。まさか、内部にまだ、しかも意識不明で動けない者達がいたとは思わなかったのである。

 ――人殺し!!――

 先程自分の事を悪罵した、煌びやかなアイドル衣装に身を包んだ少女の言葉が頭の中をリフレーンする。
頭蓋にヒビが入ったような鈍い頭痛が凛を苛む。あの時、橘ありすと、彼女と一緒にいたアナスタシアの言葉に、凛は『違う』と言った。
何が、違うと言うのだろうか。今の自分は誰がどう見ても、殺人鬼のサーヴァントを駆って被害をいたずらに拡大させる、人殺しそのもの。
この汚名を返上する為に此処に来たと言うのに……、その展望が、音を立てて崩れて行くのを、凛は肌身で実感する。最早、取り返しはつかない。

 黒贄が人を殺したと言う事実よりも、黒贄自体が此処に現れた、と言う事実にあかりは戦慄している。
初めてステータスを目の当たりにするが、単純な近接戦闘ならば、彼女の自慢のバージルですらも黒贄は容易く上回り得る。
この上、神秘を帯びない攻撃手段では人間はサーヴァントを害せないと言う事実。この状況、万に一つもあかりには勝ち目がない。
念話を行おうにも魔術の素養がない為、この距離からではバージルに念話は届かない。此処に来て、自分ならマスターとの一対一の戦いに勝てると踏み、
バージルとは別行動に出ると言う作戦が裏目に出た。此処は如何やら、あかりの予想を遥かに超えて、サーヴァントが集まる所であったようだ。

 凛は、考える。
黒贄が幽霊が如何のと馬鹿げた事を言っており――そもそもサーヴァント自体が一種の幽霊のようなもの――、それが気にならない凛ではない。
何があったのかを問い質したい所であるが、正味の話、凛としては黒贄が此処に来る事は予想外でもあり、同時に、嬉しい誤算でもある。
幾多のアイドルを犠牲にしての登場は大幅な原点であるが、それを除けば、予想外の強者であるあかりと戦っている所に、自分のサーヴァントが到着したと言う構図になる。
必然、有利不利の天秤が大きく変動する。当然、有利の方向に傾くのは凛の方だ。サーヴァントとマスターとの戦闘力の差は最早論ずるに能わず。
見た所あかりのサーヴァントは近くにいる様子もない。斃すのなら、今であった。

「黒贄!!」

 そう叫び、ガンドをあかりの方に連射するのを止めず、凛は、己のサーヴァントの方に走って行く。
あかりの方はそれを阻止しようにも、近付きたくても近づけない。前方から迫るガンドの弾幕は、此処に来て激しさを増し、あかりに一歩も歩ませてくれないのだ。
瓦礫で埋め尽くされたリハーサル室に入ると言う事は、瓦礫の下のアイドルを踏み拉く事をも意味する。
歩き難い事この上ない建材の礫の下から、死肉の嫌な感覚が伝わってくる。これが、自分のサーヴァントの齎した物かと自己嫌悪しかけるも、グッと堪える。
黒贄の所まで近づいた凛は、あかりの攻撃から身を守る縦になる様にこの殺人鬼の後ろに立ち、一先ずの安心を得る。
これで少なくとも、事態の好転は約束された。――黒贄のコンディションを詳細に確認する、今この時までは。
黒贄の事をよくよく観察出来る距離にまで足を運んで、凛は再び愕然とする。黒贄の首からは折れた頚骨が飛び出、胴体の辺りには血色の孔が空き、其処から血液や肉片がボロボロと零れ落ちている。交戦した後である、と言う事がありありと見て取れる。誰かと戦って敵わなかったから、逃げて来たのである。

「おいライダー、此処……」

 黒贄が空けた穴から、同年代のものと思しき青年の声が聞こえてきた為、バッと凛は上を見上げた。
すると、頭上から先ずは、パーカーを身に纏うオレンジがかった茶髪の青年が事もなげに瓦礫の上に着地。
脚部に纏われた特徴的な装備と、数m頭上から極めて劣悪な足場に難なく飛び降りられるその身体能力、何よりも、凛の視界に飛び込んでくるステータス。
彼がサーヴァントである証拠は、十分過ぎる程揃っていた。クラスはライダー。その外見から、近現代にルーツを持つ英霊であろうと凛は推察した。
だが、今の青年の声を上げたのは、彼ではない。黒贄の空けた大穴から顔を除く、帽子を被った無精ひげの青年の物であった。どうやら彼が、ライダーのマスターであるらしい。

「解ってる。アイドル達がいた部屋だろうな……この分じゃ全員……」

 酷く痛ましい顔と声音で、ライダーのサーヴァント、大杉栄光は、マスターである伊織順平の言葉に返した。
正義感に溢れるサーヴァントであるらしい事が、今のやり取りで伝わってくる。そしてすぐに、先程まで戦っていたサーヴァントである黒贄の方を栄光は睨みつけた。

「り、凛さん、あちらですあちら!! 私の攻撃が通じないなんて、幽霊ですよ幽霊!!」

 サーヴァントがそんな滅茶苦茶に怖がるなと念話を送りそうになる凛だったが、攻撃が通じない、の部分が引っかかり、グッと堪えた。
黒贄と栄光が交戦をしたのはほぼ確実である。そしてその様子を、当然の事ながら凛は目の当たりにしていない。
ならば自分が見ていないところで、黒贄の攻撃がてんで通用しないようになる技を、目の前のライダーは使って見せたのかも知れない。
それを指して、幽霊と呼んでいるのだろう。元々黒贄は魔術の類は愚か、聖杯戦争についての知識ですらあやふやな男だ。勘違いするのも、無理はない。

【!! ライダー、其処にいるの……】

【解ってる、遠坂凛だ】

 当然、栄光達も凛の姿に気付かぬ程節穴ではない。それに、順平の位置からでは見えず、栄光の位置から見える所。
つまり、黒贄達よりも後ろの位置になるが、其処に、雪村あかり――先程栄光が競技場のフィールドで会話したアーチャーのサーヴァント、バージルのマスターがいる事も、
栄光は認識している。あの時栄光は、バージルのマスターを目にする機会がなかったが、解法の技術で魔力の経絡(パス)を解析すれば、彼女がバージルを従える人間である事は御見通しである。彼女の首部に植え付けられた謎の兵器の存在も勿論、その触手上の兵器が、彼女の命を蝕んでいる事もだ。

 問題なのは、凛の方だ。
彼女の方も解析しているが、明らかに、魔術回路が何本も体の中に備わっているのだ。
それも、備えられているだけで使われた形跡がないと言う事もなく、完全に使い慣れている事が明白な回路である。
と言うより、つい先程まで使っていた事が、回路に残存している魔力の形跡から御見通しである。
此処から解る事は、二つである。一つ、凛は明確に魔力を用いた何らかの術や技を使う事が出来ると言う事。
そしてもう一つ。体中に備わっている魔術回路から考えて、凛は、栄光のマスターである順平と同等、或いはそれ以上に魔力の保有量やその扱い方で勝るかもしれない事。
この二つの事実を合算して考えると、二つ、栄光は思う所がある。凛と順平はなるべく戦わせたくないと言う老婆心と、凛は下手をしたら、黒贄にわざと大量殺戮を命じた可能性も捨てきれないと言う事だ。栄光もまた、嘗てのあかり同様、遠坂凛は無力な一般人だと考えていたのであるが、その前提が覆された。凛の態度を見るに、大量殺戮を態々行った可能性は低いのだが、ないとも言い切れない。

「あ、あなたは、私のサーヴァントと一緒に話してたライダーの人ね!?」

 あかりはこの場に突如として現れたライダーを救い船と認識。
人の良さが見た目からも伝わって来るし、何よりもフィールド場での偽黒贄(タイタス10世)とのやりとりで、此方に友好的な性格なのも把握している。
この場においてライダー、大杉栄光程現状を打破出来る事に打ってつけな存在もいないだろう。触手と言うあかりにとっての隠し玉を完全に露出させ、認識されてしまっているが、もうこの際触手の隠匿については、あかりはスッパリ忘れる事にした。命の有無に比べれば、些細な問題であるからだ。

「この人殺しから私を助けて!! 聖杯戦争の参加者と解るなり、急に襲ってきて……アイドルも、殺して……!!」

 最後の方は、悲壮感溢れる語調であった。清い涙すら流している。が、これは無論の事演技である。凛をカタにハメる為だ。
対して、凛の方は「何言ってるのコイツ!?」と言う顔を隠せもしていない。何から何まであかりの言っている事が嘘八百であるからに他ならない。
天才子役だと持て囃されて来た経歴は伊達ではない。一流の子役に求められる資質である、涙を意図的に流すと言う事など数秒でカタがつく。
そもそも先に襲って来たのはあかりであるし、遠坂凛自体はそもそも此処に来て誰も殺していないのだが、凛がどう釈明した所で信じて貰えないだろう。
現に栄光は、あかりの方を信じていた。先程ガンドで貫かれたあかりの脹脛が決定的な要因で、先に襲って来たのは嘘じゃないのかも知れないと、あかりの肩を持っているのである。

「黒贄、解るでしょ? 護衛の仕事を果たす時よ、あのライダーを倒しなさい!!」

「え、いや、その……幽霊を相手にするのはちょっと」

「マスターを攻撃すれば成仏するわよ!!」

「あっ、そっかぁ。いやはや、流石は凛さんですなぁ」

 その事に気付いた様子で、黒贄があっけらかんと返事をする。
サーヴァントは愚か、真っ当な聖杯戦争の参加者であるのならば誰しもが思い浮かぶ基本の戦術すら、失念していたらしい。本当に探偵なのかと疑いたくなる。
改めて、あかりと、栄光の方に目線を遣り、すぅ、と深呼吸を行った後、決然たる表情を浮かべる凛。

「黒贄」

「はい」

「――殺人鬼らしく、皆葬りなさい」

 其処で凛は懐から、見事なまでのブリリアント・カットが施されたダイヤモンドを取り出し、それをあかりの方に投擲した。
下手投げで放り投げられたそれを、キョトンと見つめるあかり。銃弾にですら反応する触手であるが、余りに意表を突いた遅さの為、咄嗟の反応が遅れた。
栄光だけが、凛が投げた代物に反応していた。ただの宝石ではない。大量の魔力を溜めこんだ、本人の意思次第で家屋を容易く吹き飛ばす爆発を炸裂させられる、
極めて危険な代物だ。そしてその宝石は――ライブイベントが始まる前にメフィストから貰ったスピネルのそれと、よく似ていた。

 こんな使い方も出来るのかと、栄光は舌を巻く。栄光は急いで地を蹴り、凛の目では捉え切れぬ程の速度で、彼女の放擲したダイヤモンドの所まで接近。
如何なあかりと言えども、凛の宝石魔術に直撃すれば即死は免れない。自分の命を助けたサーヴァントのマスターを見捨てるのは、栄光の信条に反する。
宝石に亀裂が入り、其処から光が噴き出る。その瞬間に栄光は、解法を纏わせた右足で思いっきり宝石を蹴り上げる。
崩を叩き込まれたダイヤはそのまま、軽石の如く粉微塵になった。内部で渦巻いていた魔力もまた、崩の影響を受け無害なものとなって空中に溶けて消えて行く。
自身、いや、遠坂家が最も得意とする宝石魔術の神髄を、当たり前のように無力化された事に、凛は愕然と戦慄を憶えるが、今はそれ所ではない。
信条に悖る行為ではあるが、今は黒贄と栄光の激戦が繰り広げられるだろう戦場から離れる事が先決だ。興が乗った黒贄と共にいれば、自分も被害を蒙りかねない。

【……勝手に死ぬのは許さないわよ】

 この場を去ろうと栄光達から背を向けながら、凛はそう念押しした。

【それは大丈夫です。殺人鬼は、死なないものですので】

 それが、不思議と凛には頼もしい言葉に聞こえて来た。
殺人鬼は、死なない。理屈も根拠も何もないのに、それが事実であるのだから笑えてくる。
不安ではあるが、最低最悪のサーヴァントであるバーサーカーに任せ、凛はこの場を後にした。
走り難い瓦礫の上を走ると言う行為に、これからの前途を予想しながら。背後で今繰り広げられた、サーヴァント同士の戦いの轟音と音響に、自分の歩む<新宿>での未来が平穏な物ではないと、予想しながら。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

【オラ、私より前行くんじゃねぇってのメカゴリラ!!】

【でも私は前衛で、貴女は後衛ですし】

【何処の世界に他人を強化する術持ってないサーヴァント引き当てたマスターが前に出てくるって言うんだよ!! 私の後ろに下がってろ馬鹿!!】

 魔王塾の塾生になろうが、純恋子は純恋子。
マスターの癖に前に出ようとするその性格だけは、何があっても変わらないらしい。
パムとコネクションを得てしまった今、今後そんな傾向がより強まるのだと思うと、レイン・ポゥはゾッとする。サーヴァントに胃薬は効かないのだ。

 競技場内部は、伏魔殿と言う言葉ですら生温い、殺意と敵意と覇気とが嵐の如くに渦巻く魔界であった。
今の所、サーヴァントに全く遭遇していないのにしかし、此処には数多のサーヴァント、それも、
魔法少女の世界観から考えても凄まじい強さを誇る怪物達が跋扈している事が、魔法少女の優れた第六感で解るのだ。
彼らとの直接戦闘は、避けるべきなのは言うまでもないし、そもそもそんな風に争う計算もレイン・ポゥにはない。
言うまでもない事だが、マスターである純恋子を前に立たせて戦わせるなど愚の骨頂、絶対に許さない。最悪両脚に装着された機械の義肢を切断して動きを止める事も辞さない心構えだった。

 これは認めるのも癪な事であったが、パムの言っている事は、一理ある。自分には強いサーヴァントの後ろ盾が欲しかった。
生前でも、身体能力面では兎も角、固有の魔法を含めれば、自分より優れた魔法少女など大勢いた。
聖杯戦争は数多の世界観から選りすぐりの強者共が集まる。自分より総合的に遥かに優れる者など、それこそ山程いるであろう。
断言しても良いが、自分は兎も角、その選りすぐりの強者の中にあっても、魔王パムは有数の実力者であろう。
魔法少女として彼女の勇名を聞いていたレイン・ポゥにとって、この認識は揺るぎない。パムはそれ程までに、魔法少女の中でも別格の存在なのだ。
性格はこの際置いておくとして、戦闘能力とそれに付随する実力面も超一級の存在である、あの魔王を味方に引き入れられたのは、正直大きいメリットだ。
レイン・ポゥの暗殺はリスクが大きい。通常暗殺は人目に隠れてやるものだが、虹の魔法少女の行う暗殺は、相手とコミュニケーションをとり、
油断してから行うと言う真正面からの暗殺だ。普通の暗殺に比べ、初動の段階で殺される可能性が遥かに大きい。
その、自分が殺されると言うリスクを、あの戦闘狂の魔王様が全部受け持ってくれると言うのだ。これ程頼もしい――コキ使いようがある申し出もない。

 結局レイン・ポゥの至上命題は、聖杯への到達である。
それが成し遂げられるのであれば、手段は別段何でもよい。元より聖杯戦争は普通に駒を進めてもそれなりの苦しみや痛みが付き纏う。重々承知の上だ。
その苦しみや痛みを低減させ、栄光の杯を手に入れる為の階段を速く駆け上がれる手段が自分能力以外に何かあるのなら、ためらう事無くこの魔法少女はそれを用いる。
クレバーで、リアリスト。それが、レイン・ポゥという魔法少女の本質であった。

 真正面から戦う事はしない。
サーヴァント同士の戦いを気配遮断スキルを発動させ遠方から眺め、どう言う戦い方をするのかと言う事を観察した後、パムに報告させる。
取り敢えず自分が此処でやる事は、これで十分達成出来るだろうとレイン・ポゥは踏んでいた。
それを考えた場合、自分達が真っ先に向かう場所は、競技場のフィールドであろう。現にあそこは、黒贄礼太郎――と、思しき存在――が現れ大暴れを見せた場所。
まさか此処が空白の場所になっているとは考え難い、サーヴァント同士が何らかのアクションを見せていると考えて間違いない。故に二名は、其処を目指して走っているのだった。

【解ってると思うけど、今回は様子見だからな。様子見だからな?】

 改めて、レイン・ポゥは念押しする。懸念は其処だ。自分のマスターであるところのメカニコングの迂闊な行動一つで、全てが台無しになりかねない。

【二度も訊ねなければならない程信用がありませんの?】

【我が身を顧みろ馬鹿マスター、そんなのがある程慎ましく行動して来たかお前】

 どうにも納得が行かないと言う様子で、首を傾げる純恋子。これを素でやっていると言うのだから始末に負えない。
知っていてやっているのなら大物、知らないでやっているのなら途方もない天然の上大馬鹿としか言いようがない。つくづく、二重の意味で凄いマスターであった。

 気配を殺しつつ、目的の場所まで駆けるレイン・ポゥ。
フィールドへと近付く度に、叩き付けられる殺意の密度が倍々ゲームの如くに濃くなって行く。
向かう事すら気が引けるが、向かう事によるメリットが大きいのも事実だ。まさか此方に足を運んでいる間に、パムが不覚を取るような事はあるまい。
最強レベルの実力を誇るパムに戦闘を任させると言う事に勝ち筋を見出しながら、その場所へと向かって行こうとした――その時である。

【――下がれ】

 目的の場所まで後数十m、と言う所で、レイン・ポゥは急停止、後ろから追随して来る純恋子を制止、動きを止めさせる。

【何が?】

 訊ねる純恋子。

【……サーヴァント、に近い気配がある。息を潜めてろ】

 近い、と言うのには訳がある。その気配が自分から見て十m程先にある十字路の曲がり角。
つまり、レイン・ポゥからは見えない位置に存在する事が一つ。本当にサーヴァントなのかが解らないのだ。
発散される気配は、間違いなくNPCのそれではありえない。十中八九は聖杯戦争の関係者、それも相当な手練の者。油断など、出来る筈もなかった。

【暗殺、ですか?】

【無論。直接の戦闘何て期待するな】

 この新国立競技場での目的は、魔王パムにどんなサーヴァントがいるのかを報告する程度にとどめるつもりではある。
が、自分でも殺せそうな、或いは、油断し切っているサーヴァントやマスターがいた場合は、この限りではない。
迷う事無く、己の魔法で相手を背後から暗殺し、勝ち星を一つ得させて貰う。勝つべき勝負には勝ちに行く、この大胆さ。レイン・ポゥが一角の魔法少女たる所以である。

 暗殺の基本は『死角』からだ。物理的な意味でも、心理的な意味でも、この死角が重要な意味を持つ。
今回は物理的な死角を利用しての暗殺である。此方からは対象の姿は確認する事が敵わないが、条件は向こうも同じの筈。
壁越しに相手を視認出来る能力を持っているとかであるならそれまでだが、そんな可能性を考慮して一歩踏み出さないままでは何も勝ち得ず終わってしまう。
此処で、一つの白星を付けられる可能性にレイン・ポゥは賭けている。この競技場に入ってから気配遮断スキルの発動は欠かしていない。
自分達の存在に気付けているサーヴァントは先ずいないと見て間違いないだろう。そして、気配遮断スキルの最大の欠点、発動時に攻撃を行うと、
気配が現れる為に相手に暗殺が発覚してしまう、と言うデメリットをレイン・ポゥはスキルによって克服している。
今回はスキル・『魔王殺し』の効果が十全に発揮出来る状態。後は息を潜め気配を殺し、その瞬間が訪れるのを、待つだけである。

 正体不明の気配が、徐々にではあるが近付いてくる。呼吸に乱れもなく、心臓も早鐘を打たない。
暗殺者として経験を積んで来たレイン・ポゥは、緊張がピークに達するシチュエーションになっても、平常心を失わぬ立ち居振る舞いが出来るようになっている。
所謂『テンパった』状態になって、暗殺が失敗、剰え殺し返されましたなど全く笑えないからだ。こう言った資質は、固有の魔法よりもずっと重要なのである。

 ――そして、件の人物が姿を現した。
レイン・ポゥや純恋子よりも、頭一つ半以上も大きい偉丈夫だった。二mを優に超す身長を誇る、屈強な男である。
フードが一体になった黒灰色のローブを身に纏い、灰を塗りたくったような暗灰色の肌を持った、見るからに戦士然としたその姿はただ者のそれではない。
だが何よりも目を瞠るのは、その手に持った、下手をすればレイン・ポゥの身長程もあろうかと言う程の大剣。間違いなく、手練。それも、信じられない程の。
レイン・ポゥは現れた男、魔将ク・ルーム目掛けて七色の殺意を延長させた。熱も持たず、音も立たさず、そしてその上、殺意すらも感じさせず。
ただ物理的に非常に鋭利で強固と言う性質にのみ重きを置いた、魔王を殺した美しい刃が、時速数百㎞程の速度でク・ルームの方に伸びて行く。

 バッ、と。レイン・ポゥ達のいる方向に顔を向けた時にはもう遅い。
ク・ルームは虹に真横から直撃。上半身を両の上腕ごと宙を舞わされ、下腕二つが床に落ちた。
下半身は両膝をついて崩れ落ち、それらの様子と抜群の手ごたえを見て感じた瞬間、仕留めた!!、とレイン・ポゥは考えた。
客観的に誰が見ても、敵対者はこれで消滅しただろうと思うだろう。

 男の肉体が一瞬で塵と灰になり、巻き上げられたその塵埃がローブに集まって行き、人の形に凝集されて行くまでは、だが。
そしてその灰が集まるや、外衣の内側に、魔将ク・ルームの肉体が再生されて行く。
灰が、内臓、骨格、中枢・末梢神経、血管、リンパ管、筋繊維、皮膚、と。身体の内側を構成するものから順繰りに超高速で転じて行く。
そして、一秒以下の速度で、ク・ルームは完全たる状態で復活。其処に、レイン・ポゥが与えたダメージを見出す事は、出来なかった。

「嘘だろ!?」

 そう叫んだ時には、ク・ルームはレイン・ポゥの下まで駆けていた。 
――速いッ!! 歴戦の魔法少女が高速でそう思考しなければならない程、竜殺しの魔将の速度は卓越していた。
両方合わせて五十kgにも届きかねない程の大剣を両手に握っているとは思えない程の軽やかなフォームと速度。
十mの距離は一瞬で、大剣の中頃がレイン・ポゥの首を刎ね飛ばす事の出来る間合いにまで詰められてしまった。

 縦から大剣を振り下ろすク・ルーム。
これに即座に反応し、頭上に虹を展開させ、攻撃を防ぐレイン・ポゥ。攻撃の威力と言うか、破壊力や衝撃力については、恐れる所はない。
目の前の戦士の腕力では先ず虹は破壊出来まい。この点については、先に戦った黒贄礼太郎の方が余程恐ろしい。
が、大剣と言う巨大な得物を振っているのにも関わらず、凄まじいまでの剣閃の鋭さと振う速度が驚異的だ。
少し気を抜いただけで、先程ク・ルームに齎した末路を即座に自分も辿る事になる。それだけは、避けたかった。

 一m程虹を左手から伸ばし、それを横薙ぎに振るうレイン・ポゥ。
虹はレイン・ポゥが振う分には重さもない為、常識ではありえない程の速度で振るう事が出来る。
ク・ルームの振るう大剣に勝るとも劣らぬ速度で迫りくる七色の殺意を、この魔将は即座にバックステップで回避。
三m程後ろに飛び退いた後、彼の背後に数本の、蒼白い魔力で練り固められた、矢に似た形の何かが展開され、それが射出される。
魔術にも堪能なのかと思いながら、レイン・ポゥは虹を振い、八本の魔力矢を砕いて迎撃する。

【ステータスを教えな、マスター!!】

【……見えませんわ】

【何!?】

【嘘じゃありません、本当にステータスが視認出来ませんの……】

 声のトーンから、純恋子が嘘を吐いていない事がレイン・ポゥには解る。この場で嘘を吐いてもメリットなど何もない。
そして実際、本当に純恋子にはステータスが見えていない。と言う事は目の前の存在は、サーヴァントではなく、何らかのサーヴァントの手によって生み出された、ある種の使い魔かパートナーと言う事になるのだろうか。どちらにしても、レイン・ポゥと戦っても何の問題もないその強さは、これを生み出した術者の技量をありありと窺わせるに足るものだ。

 ――なおさら殺しておかないと拙いな……――

 そう決断するレイン・ポゥ。
このままク・ルームを主の下に帰還させてしまえば、自分の能力と本性が露見する。
是が非でも、目の前の存在はこの場で葬っておきたい。暗殺者は、自分が暗殺者だと露見していない時にこそ初めて真価を発揮するものだからだ。

「死んどけや」

 そう凶悪な表情で告げると、レイン・ポゥの懐から、パチンコ玉に似た大きさの黒い球体が飛び出、それが球状のまま一気に拡大。
直径一m半の真球になるや、これまた一瞬で黒球はレイン・ポゥと同じ身長と同じ背丈程をした、角ばった所もなく全体的にツルリと滑らかなフォルムをした、
人型の何かに変身した。まるでそれは、レイン・ポゥの影法師めいたもののようだ。魔王パムがその羽の形状を変化させて、レイン・ポゥに仕込ませた自律兵器だ。
入ってすぐに邪魔だった為に懐に忍ばせるよう大きさと形を変えさせていたが、今はまさに、この自律兵器を活用させる時だ。

 パム謹製の黒い影法師が、弾丸めいた速度でク・ルームの方へと迫って行く。
自律兵器の接近に合わせて左の大剣を振い上げるク・ルーム。まともに直撃していればそれは、人型の股から肩までを真っ直ぐ切り裂いた事であろう。
しかし人型は、左膝より下をロングソード状の剣身に変化させ、これを以って大剣を蹴って弾いて防いで見せる。
此処で体勢を崩さないのが、流石に討竜の英雄と言うべき所だが、敵はこの自律兵器一体だけではない。レイン・ポゥもまた彼の敵だった。

 音もなくク・ルームの方へと虹の刃を伸ばすレイン・ポゥ。
しかし、一度虹の攻撃方法、その恐ろしさを味わってしまえば途端に、彼女の魔法は効力が落ちる。
恐るべき暗殺道具が、とても鋭利で頑丈な厄介な武器程度にしかならなくなるのだ。この点において彼女の宝具は、『初見』である事を重視せねばならぬ宝具だった。
その初見をしくじれば、どうなるか。対応されてしまうのが当たり前だ。現にク・ルームは即座に地面を蹴り跳躍。
自らの胴体を真っ二つにせんと迫るそれをジャンプで回避してしまった。そしてそのままこの魔将は空中で体勢を整える。
より詳しく説明すると、両足を上、頭頂部をしたと言う風に体勢を変えさせたのだ。そして、そのまま足で天井を蹴り、矢宛らの速度でレイン・ポゥ目掛けて急降下。
そのまま彼女の顔面に蹴りを放とうとするが、寸前で虹のバリケードを展開させ、防御。やはり虹は、破壊されない。黒贄の方が異常な腕力だったのだと改めてレイン・ポゥは認識する。

 攻撃を防御され、後は地面にク・ルームが落ちるだけ。
引力に負け地面に落ち始める、その一瞬の間にク・ルームは虹を蹴り、レイン・ポゥから距離を取るように着地。
虹の魔法少女との距離、四m。ク・ルームの背後から、影法師が迫り来て、彼の胸部を、ドリル状に変化させた左腕で貫こうとするが、
まるで後ろに目があるような気配察知能力で、彼は左に飛び退き攻撃を回避。避け様に大剣を振うク・ルーム。
回避と反応が遅れ、自律兵器はその脇腹を五cmも深く裂かれてしまう。生身の魔法少女ならこの手傷で勝負ありだが、魔将が斬り裂いたのはそうじゃない。
痛覚も感情もないただのマシーンである自律兵器。故に、即座に反撃に打って出れる。自律兵器を無効化させたいのなら、完膚なきまでに破壊して機能停止させるしかない。

 自律兵器の両腕を馬上鞭に似た武器の形に変形させ、それを交差させる様に振るうパムの自律兵器。
大剣を回転させ、両腕を肘からク・ルームは斬り飛ばすが、今度はレイン・ポゥが彼の頭上から虹をギロチンの要領で落下させてきた。
これを、地面を蹴り、虹の魔法少女の下へと急接近する事で回避。レイン・ポゥに近付くや、右膝蹴りを彼女に叩き込もうとするも、虹で防がれる。
虹を破壊する程の突破力がなく、しかも攻撃方法が近接攻撃に限られる存在が相手の場合、虹によるバリケードの耐久力はまさに無敵に近しいそれを誇る。
竜殺しの英雄が元となった魔将と言えど、彼女の虹を突破するのは並大抵の事では出来はしないのである。
但しそれは、攻撃手段を物理攻撃に限らせた場合、であるが。そして、ク・ルームも、今や狙いを完全に変えた。
サーヴァント同士の戦いの際、狙うべきはサーヴァント当人よりも、彼らを従える『マスター』を狙うべきだ。それは、主であり、友誼を交わした男の影武者たる始祖帝からも教えられている。

 体内の魔力を燃焼させ、魔術を構築。それを発動させる。
ク・ルームの身体に紫色の稲妻が纏われた時、拙いと思ったか、レイン・ポゥは虹のバリケードを自分と純恋子の前後左右頭上に展開させた。
瞬間、彼を中心として廊下中に、紫色の稲妻が轟いた。それは焼き菓子のように容易く、天井を破壊し、床を砕き、周りの頑丈な鉄筋コンクリートの壁を粉々にしてしまう。
魔将の発動させた、天雷陣の呪文は虹の薄壁に直撃するが、その表面を微かにとろとろに溶かした程度に終わる。直撃していれば、レイン・ポゥも無事ではなかったろう。
勿論、魔法少女である彼女ですらが直撃してもただでは済まない魔術だ。純恋子であったのなら、その結果は言わずとも、と言う物であった。

 一方、天雷陣の直撃を防げなかったのはこの場で唯一、パムの黒羽の自律兵器だった。
左肩から脳天に稲妻の直撃を受け、頭の半分近くが消し飛ばされているが、身体全体を完璧に破壊せねば動きは止まらない為、まだまだ活動出来る。
自律兵器にはある種の学習システムが搭載されており、その学習力は極めて高度。この影法師が破壊されて機能停止に陥らない限りはいつまでも学習し続ける。
そう、戦いが長引けば長引く程強くなってしまう事と同義だ。今この瞬間も自律兵器は、ク・ルームの挙措を見て、行動パターンを急速に最適化させている。
が、如何に自律兵器の戦闘練度が上がろうが、その大本であるパムには遠く及ばない。強さの限界値にも限度があり、この自律兵器はパム以上には強くなる事は無い。
学習され切る前に破壊されてしまえばもうおしまいだ。そうなってしまえば、レイン・ポゥはこの心強い、パムの影とも言うべき自律兵器抜きで戦わねばならなくなる。こうなってしまえば要らぬリスクを背負ってしまうので、レイン・ポゥとしても望むべく所ではないのだ。

 両腕を、今度は片刃の剣に自律兵器は変えさせていた。しかもその両肩からは、長さ一m程の触手を伸ばさせている。この自由な肉体変化もまた、この影法師の強みだ。
両腕の刃、撓る触手。計四本の武器をそれぞれ異なる速度、異なる軌道で振るい続ける。真っ当な戦士なら、速度差と変幻自在な軌道に惑わされ、忽ち腑分けされる事だろう。
況してこの自律兵器は動物である以上逃れられぬ、体内の関節の駆動関係と言う問題が全く意味を成さない。
従って、人間ならば絶対に曲げられない方向に、何体生物の如く身体を曲げたりする事が出来るのだ。誰もが対応出来ぬ程の奇怪な動きを、卓越した精度で行われれば、
誰もが無抵抗のままに屠られる事であろう。しかし、相手は始祖帝タイタスがその実力面に置いて万斛の自身を置く魔将ク・ルーム。
関節と言う制約があるにもかかわらず、眩惑的な攻撃を行い続ける自律兵器の連続攻撃を、単純な技術とステータスで防ぎ続けていた。
迫る刃を両手の大剣で弾き飛ばす。左上段から袈裟懸けにされた自律兵器の刃を大剣の刀身の中頃で弾き、横薙ぎに振るわれた刃を大剣の腹で受け流す。
水銀の鞭めいた撓りを上げて迫り来る触手の方は、小ぶりなナイフでも取り扱うような器用さで軽々と大剣を、触手の軌道に合わせて振るって斬り飛ばす。
尤も、斬り飛ばした先から触手が再生するので意味はない。そしてこの性質は、触手だけでなく両腕にしても同じ事であろう。
何れにしてもク・ルームは四つの武器の猛攻を、二つの腕のみで防ぎ続け、拮抗している形となる。当に何十合も、彼らはその攻防を続けていた。

 それに水を差す様に、レイン・ポゥは虹を何本も高速で伸ばしてくる。真上から二本、ク・ルームの左右からそれぞれ三本づつ。
だが、虹の魔法の弱みが此処で響いてくる。ク・ルームや自律兵器の変幻自在な攻撃と比べて、レイン・ポゥの魔法は不意を打たない限りその軌道は素直そのものだ。
速い話、戦闘経験が豊富な存在には先ず当たらない。以前パムに虹を放ち、簡単に避けられてしまった事例が好例である。
結論を言うと、ク・ルームは既にレイン・ポゥの戦闘力の底を垣間見ていた。そしてそれは、彼女の魔法にも対応してしまったに殆ど等しい。
一瞬でその場で屈み、横転する事で自律兵器の攻撃と虹の攻撃を回避した彼は、瞬時に立ち上がり、レイン・ポゥの方へと向かって行く。
前面に、三枚重ねにした虹の壁を作り、攻撃の防御を試みようとするレイン・ポゥ。虹は重ねれば、余程の腕力でなければ破壊は不可能な強度になる。
彼が、彼女に近付いて行ったのと同時に、自律兵器も、魔将を葬らんと追跡を開始する。位置関係から言って、このまま影法師が攻撃を行えば、
背後からク・ルームを攻撃出来る事になる。この絶体絶命のピンチを、ク・ルームは――己の純粋な剣技で切り抜けようとした。

 腕が消えた、と同時に、虹の壁に衝撃が叩き込まれ、壁と剣身の衝突音が響き渡る。衝撃と音とに終わりはなく、継ぎ目なく連続的にそれらは発生していた。
そのままレイン・ポゥは、大剣の間合いの外まで飛び退き、壁を解除させたその瞬間――驚きに目を瞠らせた。
パムの自律兵器に、紙をデタラメに鋏で切りまくった様に切れ目が大量に入れられているのだ。両腕は斬り落され、頭には幾つも、人間であれば致命傷になる傷を負わされていた。
レイン・ポゥは展開させた壁のせいで視界を防がれ、壁の先で何が起っているのか理解していなかった。まさか、あの一瞬で此処まで損傷を負わされていたとは。
レイン・ポゥが知らなくて無理からぬ事だが、今ク・ルームが行った剣の技こそが、彼のいた世界で『八連剣陣』と呼ばれる奥義である。
優れた身体能力と研ぎ澄まされた技術が両立されて初めて成立する奥義。振う剣次第であるが、この技を習得してしまえば、
鋼より硬いとされる竜種の鱗すら薄い木の板のように割断しその下の筋肉を斬り裂き、地面を舐めるが如き低さで飛ぶ何十羽の燕すら全て斬り落とすと言う。
そして、上に語ったこの技の凄まじさは、ただの人間が放った場合に過ぎない。これを、超常の膂力と比類なき技術を持つク・ルームが行えば、どうなるか。
至近距離からのショットガンの発砲にすら対応可能な自律兵器に反応すら許させず攻撃を叩き込み、剰え行動困難にさせる程のダメージを負わせる事は造作もない。
そして、レイン・ポゥは気付いていなかったが、三枚重ねにした虹の一枚を、ク・ルームの奥義は、確かに割断していたのだ。枚数を重ねていなかったら、レイン・ポゥはこの場で命を終えていた事を知らない。

 ――チッ、ヤバいなアレ!!――

 レイン・ポゥが案じている事は、自分とそのマスターの安全もそうだが、自律兵器がじきに行動不能に陥るかも知れない事も大きい。
ク・ルームは強い。平時のレイン・ポゥであるのならば互角以上の勝負を演じられるかも知れなかったが、今回は純恋子が近くにいる。
つまり、彼女を守りながらの戦いは余り自信がない。対して目の前の魔将は、マスター自身が存在しない。厳密にはそれに類する存在はいるのだが、
あらゆる点で聖杯戦争におけるマスターとサーヴァントの関係が当て嵌まらない故に、常に本気で戦う事が出来る。
マスターを守りながらのレイン・ポゥでは、実力の全てを対象の撃滅に充てて行動すると言う事が困難である。これでは、勝機は拾えない。
これをカバーするのが、パムの用意した自律兵器であった訳だが、これを破壊されてしまえば此方の戦況はかなり不利に傾く。
現状を打破させようと、レイン・ポゥは必死に事を考え――一番窮状を打破出来るだろう作戦が、捨て身のものしかない事を知る。
溜息を吐きたくなるが、純恋子――馬鹿――共々両倒れになるよりはずっとマシだ。

「マスターを護ってろ!!」

 自律兵器目掛けて叫ぶ虹の魔法少女。 
採るべき作戦は、影法師の行動をマスターの保護に完全に傾倒させ、レイン・ポゥ自身が全力でク・ルームの抹殺に取りかかると言う事。
確実に言える事は、ク・ルームは、レイン・ポゥが生み出す魔法の虹を破壊出来る手段が極めて少ないと言う事。ならば、勝てる可能性はある。
此方の虹はク・ルームには通用し、相手の攻撃は滅多にレイン・ポゥを害せない。ならば、自分が打って出るのが一番勝てる可能性が高いと言う物だった。

「解りましたわ、アサシン。私も戦えと言うのですね!!」

 と、此方に向かって迫る影法師を見ながら、合点したような表情で純恋子が言った。
当然レイン・ポゥは、合点してない表情どころか、額に青筋を走らせ舌打ちをしていた。対照的に純恋子の表情は、晴れやかな物だった。

「良いでしょう、そのオーダーに応えましょう!!」

「応えなくて良いから(良心)」

 当然、レイン・ポゥの言う事を素直に聞く様な性格なら、虹の魔法少女にストレスが溜まる訳がない。 
影法師の接近に合わせて、両腕をバッと広げる純恋子の様子は、遠方から久々にやって来た恋人を抱きしめようとする動きに似ていた。

「――蒸着!!」

 そう純恋子が叫ぶと、影法師が、爆ぜた。その様子を見て「は?」と言葉を浮かべるレイン・ポゥ。
爆ぜて破片になったパムの自律兵器は、純恋子の身体に纏わりつき始め、首より下の身体の全てを余す事無く墨を塗った様に真っ黒にする。
まるで、墨の溜まったプールに浸かった後のようだが、直に、今の様子を何処かで見た事があるのをレイン・ポゥは思い出した。
この地で初めてパムに出会った時に、あの魔王が見せた、ライダースーツ状の防護服である。影法師はそれになって、純恋子に装備されているのだ!!

「如何です、アサシン。これで私は、貴女に守られるだけの女王蜂でなくてよ。これで私はファイヤー純恋子……いえ、ダークネス純恋子と言うべきでしょう!!」

 この女王も女王で、ネーミングセンスが魔王並に馬鹿のようだ。
ダークネス純恋子……女子プロレスラーのリングネームか何かかと本気でレイン・ポゥは思っていた。
純恋子は、この場におけるレイン・ポゥの健闘と、苦戦ぶりを見かねて、何か自分にも出来る事は無いかと考えていた。
女王の思考が行き着いた結論は、『自分も一緒になって戦う』と言う物だった。一対一より、二対一の方が有利である、と言うのは当たり前の話である。
だが、ただ戦うだけでは迷惑になる。其処で目についたのが、パムの自律兵器だ。元を正せばこの自律兵器は、パムの黒羽である。
そしてこの黒羽は、性質を自由自在に変化させられると言う大きな特徴を持つ。そしてその性質は、自律兵器と言うキャラクターを与えられた今でも変わる事がない。
それを、純恋子は利用しようとしたのだ。元々パムが生み出した自律兵器だけあって、その行動パターンもパムのそれによく似た影法師は、
純恋子の思う所を察知し、自分から目の前の選択を選び取り、純恋子の装備となったのである。純恋子の身体能力にそのまま、自律兵器の身体能力をプラスした形になり、これなら理論の上では、サーヴァントともある程度は戦える事になるだろう。

「これで私も、貴女と肩を並べて戦えますわよ!!」

 当然、レイン・ポゥが望む純恋子にして貰って一番嬉しい事は、眼につかない所に慎ましく隠れて、事が終わるのを待つと言う物なのだが。
言った所で聞き入れる筈がない。結局またしても英純恋子と言う女性は、レイン・ポゥの怒りのツボを千枚通しで貫く様な真似を行ったのであった。
青筋がビキビキと、虹の魔法少女の可愛らしい額に走って行く。対して純恋子の表情は、およそストレスとは無縁そうな楽しそうな表情なのがまた対照的だった。
ク・ルームの表情は、目深に被ったフードのせいで全貌を窺わせる事は出来ないが、それでも、マスターの余りにカッ飛んだ行動に、呆れた様子を隠せていないようだった。

「ダアァアアァァッ、クソがァッ!!」

 フラストレーションを叫び声へと変換させ、レイン・ポゥは敵対者である魔将ク・ルームへと特攻。
八つ当たりと言わんばかりに、虹の刃を全方位から射出させ、彼を切り刻もうとする。が、やはり軌道を読んでいるらしい。実に見事な体捌きで回避して行く。
後ろから迫る虹を身体を半身にして回避する、頭上から迫る物を飛び退いて躱す、左右から迫る物を低い姿勢のタックルでやり過ごす。
タックルでレイン・ポゥの体勢を崩そうとするが、急速に虹の壁を産み出させて彼女はそれを阻止。
ク・ルームがそれを見て立ち止まった瞬間、再び虹が全方位から伸びて行く。そしてそれを、神が降ろされているような動きで回避して行き、避け様に、魔術を発動。
先程廊下中を蹂躙した天雷陣の呪文が再び成立、アメジスト色の稲妻が廊下を蹂躙して行く。魔力が収束して行くのを感知したレイン・ポゥは、
寸での所で頭上に虹の天井を作っていた為雷撃の命中を免れたが、その瞬間を狙って、ク・ルームが接近して行く。虹の壁が間に合うか否か、と言うギリギリの隙を狙った、
見事なタイミング。間に合え、間に合え、と心の中で祈り続けるレイン・ポゥ。ク・ルームが大剣を構え、振り下ろそうとした、その時だった。
レイン・ポゥとク・ルームの間に、防護服となった自律兵器を身に纏う、虹の魔法少女のマスター、英純恋子が立ち塞がった。

「援護を!!」

 そう言って純恋子は、ク・ルームの大剣の一撃の軌道上に、両腕を交差させる様に配置。
衝撃が、機械の両腕を通じて彼女の胴体に伝播する。生身の両腕なら、余りの衝撃に腕が痺れ、小さな調味料の瓶すら持てない所だったろうが、
純恋子の腕は生理的な不利益を全く蒙らない、機械の義肢。攻撃の直撃を受けても、破壊されない限りは即座に行動に移れる。
そして、纏われるライダースーツ上の防護服が、衝撃の吸収剤となったおかげで、機械の腕には傷一つついていない。即ち、直に反撃に移れるのだ。

 純恋子の喝破を受け、言われるまでもないと言うように、レイン・ポゥは虹の刃をク・ルームの左右から延長させる。
バックステップでそれを回避する魔将に合わせて、先程の意趣返しとでも言うように純恋子は彼目掛けてタックル。
速い。自律兵器によって身体能力及び機械の性能を極限まで高められていると言う事もあるだろう。時速百㎞以上は優に出ている、正に弾丸と形容すべき速度のタックルだ。
彼の両足を引っ掴み、そのまま彼を仰向けに倒れさせる純恋子。彼が体勢を整え終えるよりも速く、純恋子はマウントポジションを取り、動きを拘束。
そのままク・ルームの顔面に右拳を叩き込もうとするが、彼女の拳を、大剣を手放した右掌で彼は受け止めた。
攻撃を防御こそしたク・ルームだが、拳を受けとめた衝撃が背中から伝わり、床に亀裂が生じる。まともに直撃していれば、どうなっていたか。その威力が窺い知れよう。
このまま右手で純恋子の手首を掴み、ク・ルームは彼女を持ち上げて、マウントを無理やり抜け出す。
そのまま彼女をレイン・ポゥの下へと投げ飛ばした後、彼は手元に放置させていた大剣を握り、体勢を整え立ち上がる――その瞬間、虹が頭上からギロチンめいて落下!!
これを大剣で防いだのと、レイン・ポゥが生み出した虹の壁をクッション代わりに衝突、己のアサシンとの激突を純恋子が免れたのは殆ど同時だった。

 再び虹を前後左右から伸ばしまくるレイン・ポゥ。それを大剣で防御したり、大きく移動して回避させたりなどしてやり過ごすク・ルーム。
この瞬間を狙い、純恋子が再び飛び出して行った。遅れて、レイン・ポゥも彼女に追随。ク・ルームの下まで接近したのはレイン・ポゥの方が速かった。
両掌から伸ばした一m程の長さの虹剣をク・ルーム目掛けて乱雑に振うが、やはり剣に関してはあちらの方に分があるらしい。その尽くを弾いて行く。
そんな事は、この魔法少女は織り込み済み。癪だが此処は、彼女に見せ場を作ってやらねばならないらしかった。
床を蹴りその勢いで純恋子は何と、先程ク・ルームが天雷陣の呪文で天井に空けた穴までジャンプ。
紫雷は二階の天井まで破壊しており、その先のまだ無事な階の天井、三階部分の其処にまで跳躍。自分の足型が残る程の力で今度は天井を蹴り抜き、
流れ星の如き勢いで純恋子はク・ルームの背後に急降下。両サイドの壁を用いた三角飛びではなく、天井と床を用いて行う三角飛びである。
この恐るべき軽業を成すのに要した時間は一秒以下、防護服の賜物だった。ク・ルームが背後に気配を感じた時にはもう遅い。
純恋子は右ミドルキックを放っており、それは見事に、ク・ルームの左腰にクリーンヒット。そのままサッカーボールの如き勢いで吹っ飛んで行く!! 
恐るべきは、純恋子の膂力と、それを高めるパムの自律兵器。これらが合わされば、竜を打ち倒した英雄であるク・ルームにですらも、一泡吹かせられるのだから。

「これが……私の力、ですの……?」

 恐ろしく調子に乗った発言だ。アニメや漫画、小説であれば、次の登場シーンで命を失う者が口にする台詞を驚きながら口にしている。縁起が悪すぎる。

「素晴らしい……今すぐ追って決着を付けましょうか!? アサシン!!」

 声のトーンから言って、お前が追跡して戦いたいだけだろと言う事は、レイン・ポゥにも伝わった。
ク・ルームとの遭遇はある種の事故のような物だった上、サーヴァントやマスターですらない単なる端末に過ぎない存在だった為に行っただけで、
本来先程の戦闘は犯さなくても良かったリスク、運が良ければ避けられた危難なのだ。つまり、戦闘を行うと言う事自体、レイン・ポゥ達にとっては想定外の出来事なのだ。

 ……とは言え、あの戦闘が無駄であったのかと言われれば、それは違う。
あの恐るべき魔将との戦いで得た真実は、レイン・ポゥにとっても得難い財産となった。それは、この聖杯戦争には自分の能力が本当に通じない存在がいると言う事である。
即ちそれは、『虹で致命傷を与えても死なないサーヴァント』、と言う事。最初に戦ったサーヴァントである黒贄にしてもそうだし、先程のク・ルームにしてもそうだ。
前者は異常なまでのタフネスで戦闘を続行し続け、後者に至っては殺したと思ったら即座に復活を果たして来た。
どんな魔法少女でも、一部の例外を除けば、虹で急所を抉られれば死ぬ。生物として当たり前の事である。その当たり前を踏まえた攻撃をクリーンヒットさせたのに、
死んでくれないと言うのはレイン・ポゥとしても肝が潰れる。魔法少女にとって己の魔法が通用しないと言う事は、それ程までに恐ろしい事態なのである。
こんな存在が当たり前のように跋扈しているとなると、レイン・ポゥが取るべき最適解は、やはりマスターを優先的に殺害すると言う事だ。
時と場合によってはサーヴァントを狙った方が早い事もあろうが、どちらかを狙える状況になったのならば、やはりマスターを葬った方が遥かに事は早く済む。

 どちらにしても言える事は、やはり前情報の重要性だ。純恋子も今回の一件で、情報を集める事の重要性を……理解している筈がないんだろうなぁとレイン・ポゥは思った。
ウキウキワクワクと言った風に瞳を輝かせながら、先に進みましょうと言う風なオーラを彼女は発散し続けているのだ。

「……あれを仕留めに掛かるよ、マスター」

「まぁ、アサシン!! 遂に、女王としての哲学を学ばれたのですね……!!」

 感動した風な語調で純恋子が、レイン・ポゥの成長を喜んだが、当の本人は成長した訳でもなければ、女王の哲学とか言う初出かつ要出典の言葉を学んだ訳でもない。
純粋に、ク・ルームを葬っておきたいのだ。あの男は此方の本性を垣間見た。そしてもしも、あれがサーヴァントの使い魔や端末だとしたら、
これを主であるサーヴァントに報告する蓋然性が極めて高い。それは、己の魔法を知られるより避けたい事柄だ。自分の正体を知った者は、確実にその息の根を止める。
生前から己に徹底させてきた、鉄の掟である。何故なら暗殺者とは、暗殺者と知られていない時にこそ、その仕事を遂行出来る人種であるからだ。

「……足手まといにならないでよ」

 とウンザリしたような声音でそう言ってから、レイン・ポゥは、ク・ルームの吹っ飛んだ方向に身体を向ける。
――刹那、一際巨大な轟音と激震が新国立競技場を横に縦にと揺らしたのは、彼女が身体を向けたのと殆ど同時であった。
「何事ですの!?」と純恋子が至極当然の反応。此処から先に進むのは、心底気が進まない。可能な物ならバックレたいなぁ、と、レイン・ポゥは疲れ切った顔をしながら、重い足取りでその方向に走って行くのであった。