本戦SSその2

今は昔。神獣"ヤキソバノオロチ"、大地より現るる。
そのもの、あらゆるヤキソバを統べ、世界をパンに包まんとするものなり。

そこへ現れたるは華麗尊(かれいのみこと)、みごとヤキソバノオロチを退治せしめる。
華麗尊、討伐の証にヤキソバノオロチの尻尾を斬ると、そこより出たるは伝説の焼きそばパンなり。


――希望崎学園歴史部・編著『ホントはスゴい!古事記のひみつ』より





須楼望 紫苑


須楼望紫苑は昔から何かと遅い子だった。

寝坊もしてないのに遅刻をし、時間切れで給食を残し、
テストでは答えを知っている問題すら解き終わらない。徒競走なんてビリ以外とった事がない。
周囲からの評価も概ね「できない子」で固まっていた。

優しい性格や癒し系の容姿からいじめられる事こそなかったものの
マスコット的に扱われたり、何かとネタにされたり、
同学年の友達からも常に少しだけ下に見られているような……そんな雰囲気を紫苑は感じていた。
仲の良い千恵ですら、そうなのではないだろうか。

さすがにそれはちょっと、面白くない。

できないんじゃない。遅いだけなのに。
自分だって、他のみんなと同じように十六年の人生を重ねてきたのだ。
だから伝説の焼きそばパンにしても、この学校の誰かに買えるものなら、自分が買えたっていい。
そう思った。

作戦も考えた。

『夢心地悠長空間』はそれなりに射程のある能力だ。
発動すればこの教室に限らず、かなりの人数のスタートダッシュを遅らせる事ができるだろう。
そう、きっと序盤から使っていくのが良いはずだ。

授業中だと、授業妨害と見なされて怒られる。だからタイミングはチャイム直前だ。
精神にも作用し、相手によってはやる気を削ぐ事もできるかもしれない。
これは競争だ。自分が遅くても、相対的に前に出られれば良いのだ。チャンスはある。

なお、ここまでを考えるのに十時間近くを要した。

……とにかく。この能力を持つ自分はかなり有利に違いない。
自信を持とう。きっとできる。いける。やれる。
そして千恵に、クラスのみんなに、両親に、認めてもらうんだ。

――私、やりますよ……!



そうして彼女が拳を握りしめた時、すでに昼休みのチャイムは鳴り始めていた。



「……あら……? これは………………」

あたりを見回すと教室の大半の生徒の姿は無く、廊下や天井からは地響きのような足音が聞こえてくる。
それから二秒かけて紫苑は理解した。レースはとっくに始まっており、自分が置いていかれている事を。
衝撃の! 事実だった!

「い、いけません……!」

紫苑は椅子を倒しながら立ち上がり、のたのたと教室の出口へ向かう。
しかしドアの前で彼女の足は止まった。今、この教室からは出ない方が良い。
境界線の一歩外は、もはや混沌と化していたのだ。

「アナルパッケージホールド!!」

美声とともに、筋骨粒々とした肉体が踊り出る。両脚をピンと伸ばした美しき競歩。
眼前をブリーフが通過し、紫苑は言葉を失った。

「どくでヤンスどくでヤンスーー! てめぇら頭が高いでヤンスよーー!!」

さらにその変態を追うように、外国人モデルかと見紛う美女が現れた。
なぜか早歩きでリヤカーを引いており、その上では茶髪の女子生徒がふんぞり返っている。
人一人乗せたリヤカーを片手で引いているのだから大したパワーである。
そしてもう片方の手では、長めの鎖を縦横無尽に振り回している!

「キヒヒィー! 邪魔者はオイラの殺人ロレックスでミンチにしてやるでヤンス~~!!」

鎖の先には、凶器とするには不相応な程に光り輝く、金属の輪。
その1000万円はしようかという腕時計にはダイヤモンドが散りばめられている。
ダイヤモンドといえば世界一硬い物質である。極めて危険!

美女はその残虐成金武器を前方の変態に投擲した。変態は流麗なステップで回避!

「ヤンス~!」「アナルパッケージホールド!!」

投擲、回避、投擲、回避! 残像で次々に増えるアナルマークの筋肉男!
とばっちりで殺人ロレックスを受けた生徒達が倒れ、ゾンビの肉片が飛ぶ! 地獄とはこの事か!

「待て~! 待つでヤンス! 偉大なるオヤビンのお通りでヤンスーー!」

下品に涎を散らし、武器を振り回す美女は輝かんばかりの笑顔である。楽しくて仕方ないのだ。
なおこの涎は後に秘密裏に回収され、好事家たちの間で1mlあたり500万円で取引される事になるのだが
それは本人の知るところではない。



彼らの通った後は、激戦のレースが嘘のような静寂が残った。
紫苑ならずとも、こんなものを見せられれば動くことを忘れて固まるだろう。
彼女は首を振り、そして能力を使う事すら忘れていたのに気付いて、慌てて発動を念じた。

――『夢心地悠長空間(トロイメライ)』。

まだ、諦めるには早すぎる。



カレーパン


走ってはいけない。歩くのでは遅い。ならば、泳げば良い。

今日の彼の動きはほとんど完璧と言って良かった。
まずチャイムの鳴り始めの一瞬を、顔のサクサクの衣で的確に感知する。
そして即時行動を開始。この争いは初手が肝心だ。手をかざす。

「華麗砲――『大鍋』!!」

かつての華麗砲とは比較にならぬ、カレーの大波が現出した。
先の連休中に山ごもりした結果、身につけた技である。
奥深い山林にて彼は無心にカレーを作り続けた。
この大地にカレーの恵みを与えてくださるカレー神に感謝し、祈り、カレーを作り、祈る。

この修行の結果、彼の内臓カレー量、そしてカレーの味は飛躍的に向上した。
なお大量に生産されたカレーについては森のどうぶつ達がおいしく頂いたため
一切の無駄が発生しなかった事はここに付記しておこう。

華麗砲・大鍋はカレーの激流となり、周囲の競争者たちを飲み込んだ。
「うわあああああああ! う……うめぇ!?」「ウ、ウメェー!!」「ギャアアアア美味!!」
次々に上がる悲鳴と、賞賛の声!

その隣を、カレーパンは手持ちのまな板をサーフボード代わりに悠々と滑ってゆく。
カレーは彼の友だ。思い通りの方向へ進む事はたやすい。
不利な三階からのスタートにも関わらず、校舎を出る頃には、彼はほぼ先頭に近い位置にいた。

校舎を出る瞬間、一瞬の減速を彼は感じた。
後ろを振り返ると、校舎内の一団が急激にスピードダウンし、もつれているのが分かった。
何らかの能力であろうか。あれに捕らわれたら危なかった。

周囲にはまだ上位集団がいる。気を抜く事は出来ない。
彼の動機は食欲ではない。名誉欲、娯楽、大切な誰かのため。いずれも違う。

宿命。そして信ずる神のため。
彼が背負うのは(カレーパン)の十八年ではない。『カレーパン』の百二十年なのだ。



下ノ葉安里亜


オヤブンこと緒山文歌は気紛れな人物である。
即断即決のその行動は理不尽に見えることも多い。
命令の取り消しや変更は日常だが、敬愛するオヤブンの言う事ならばヤスは従うだけだ。

今回の争奪戦にあたっても、当初ヤスは一人で臨むつもりだった。いつものパシリ感覚だ。
だがオヤブンがそれはつまらないと言い出した。
ただの昼飯ではない、"伝説"に立ち会うのだ。自分の手で買わなくては面白くない、と。

そこで三年のヤスがまず二年の教室にオヤブンを迎えに行き、そのまま向かう事にした。
二人で移動するにあたりヤスはオヤブンを背負うか抱えるかするつもりだったが、
「それはダセェ」との意見があったため、リヤカーを用意する事になった。

準備をするのは心底楽しかった。オヤブンのために尽くせている実感が活力を与えてくれる。
途中でオヤブンを拾うのは明らかな遠回りだったが、後ろにオヤブンがいる方が
遥かにパフォーマンスが増す、とヤスは思い込んでいた。
彼女が本気で思い込んでいるという事は、つまりそれは事実であるのと同義である。

実際ヤスの身体はよく動き、廊下の有象無象を蹴散らすのも容易かった。
ただ一人、謎のアナル男が異様に強く速いため現在は追う展開だが、
グラウンドに出れば全力疾走できる。とにかく校舎を出る事だ。

そう思った矢先だった。後ろの荷台からこんな声が聞こえてきたのは。

「……やっぱつまんねぇな」

その声は僅かな怒気を含んでおり、ヤスはびくりと肩を震わせた。

「ヤス、いっぺん止まれ。ストップだストーップ」
「へ? い、今止まるとだいぶ不利でヤンスよ?」
「いいから止まれッつったんだよ」
「へ、へい」

リヤカーが止まる。オヤブンは荷台から身軽に跳び下り、スカートの埃を払いながら言った。

「やっぱ一人で行く事にするわ。こっからは別行動な」
「…………へ?」
「座ってるだけッてのもクソダセェし。イライラしてきた」
「え? え?」

「じゃあな」

そうしてオヤブンは、ひとりスタスタと下駄箱を目指し始めてしまった。
ヤスは慌てて追う。

「お、オイラ捨てられたでヤンスか? 殺されるでヤンス?」
「別にそうは言ってねェだろ。欲しけりゃお前はお前でパン目指せよ」
「そ、そんなこと出来ないでヤンスよ~!」

ヤスは珍しく、素直に従わず食い下がった。大きな瞳が潤み、今にも泣き出しそうだ。
せっかくの準備が無駄になったとか、そのような事は些事にすぎない。
それよりも、オヤブンに助力を拒否されるという今までにない事態が彼女を狼狽させた。

緒山文歌が何かをしようというのに、それを手伝えないというのは
彼女にとって存在意義を失うのと同じなのだ。
まして今日は、ただの昼休みではない。"伝説"の賭かった一世一代の昼休みだ。

そんな重要な日に、オヤブンはついて来るなと言う。いったい何を間違えたのだろう。
考えるだけで血の気が引き、喉が渇く。ヤスはなんとか引きとめようと言葉を継いだ。

「お、お願いでヤンス! 好きに使って欲しいでヤンス~!
 オイラの力はぜんぶオヤビンの力でヤンスよ! だから……」
「今回はいいッつってんだろ」
「で、でも! それに……」

それに。
思わず口から出かかった内容をヤスは飲み込んだ。

――それに、あんな凶暴な連中の群れに、オヤビンが一人で突っ込んだりしたら……

成績優秀、才色兼備のヤスには勿論それが分かっている。
だけど、言えるわけがない。
手下として、それだけは言ってはいけない。

「う、う゛う゛」
「あ、そうだ。アレだけ貰っとかねえと。頼む」
「や、ヤンス~……」
「よし、オッケー」

ヤスは涙をぽろぽろと溢しながら、オヤブンに自らの能力を使用した。
オヤブンの胸中は計り知れない。だが、それでもやはり従わねばならない。
命令に従えないようなら、それこそ手下としての価値は無くなる。
ヤスの行動はすべて、オヤブンの意志のままにあらねばならない。

オヤブンは泣き出したヤスを一瞥だけして、一瞬何か考えるような素振りを見せた。
だが決定は覆らなかった。

「ま、放課後には自慢してやっから。楽しみにしとけ」

そう言うとオヤブンは足早に去り、ヤスはそれを黙って見送った。
足場を失い、虚空に投げ出された気分だった。目の前が真っ暗になった。
そしてやがて彼女は全てのやる気を奪い去るような減速空間に飲み込まれ、
その場にへたり込んで動かなくなった。


購買部


「――その昔」

男……購買部「部長」は両手の指を組み、椅子に深く腰掛けた。

「天の神"カレー"が大気と水をもたらし、地の神"ヤキソバ"は森と土をもたらした」
「普く生命は天地の調和のもとに生かされた。――調和ある限りは」
「世界のバランスが乱れると神獣"ヤキソバノオロチ"が現れ、警告したという」
「その首は切り取られると独立し、堅固な殻と鋏を持って生物の形を成した」

「……荒唐無稽な話だろう。真実だと思うかね?」
「はあ」

向かい合う男はおぼろげに応じた。

「全てが真実かは、計りかねます」
「それは誰にも解りはしないさ。だが、話としては面白いだろう?」

「ヤキソバノオロチの尻尾かもしれないよ、このパンは。神の一端だ」


天ノ川浅葱


「ああーーーーーーもうっ! 完ッ全に始まってるじゃない!」

授業を受けるのは天ノ川浅葱でなくてはならない。
焼きそばパンを手に入れるのは怪盗ミルキーウェイでなくてはならない。

勿論、怪盗たるミルキーウェイは焼きそばパンを買うのではなく盗むのであるから
校則を守る必要など無く、つまり4限の授業を受けてやる義理などどこにも無いのだが、
残念ながら天ノ川浅葱は授業を受けなくてはならない。

優等生たる委員長が授業を受けていないのは不自然きわまりない。
そこに浅葱に似た背格好の怪盗少女など現れようものなら、誰だって疑いたくもなるだろう。

よって怪盗ミルキーウェイは、スタートラインを他の生徒と同じ位置に引かざるを得なくなった。
いや、むしろハンデ戦と言っても良い。ミルキーウェイとして参戦するためには、
着替えなくてはならないのだから。

争奪戦開始から1分ほど。こうして怪盗ミルキーウェイは、息を切らせて新校舎屋上に参上した。
残念ながら華麗に参上とはいかなかった。若干汗だくですらあった。
高いところに登ったのに注目もされていない。怪盗としては悔しい話だ。

グラウンドを見下ろすと、誰もが校舎を背に走っている。これでは注目されようがない。
先頭集団で波に乗っているカレーパンのほうが、よほど華麗と言えた。まったくなんなんだ。
とにかく、あれに追いつかなければならない。人目を忍ぶ理由も余裕も、もはやない。

だから、屋上に来た。

「よっし。じゃあ、いきますか! せーー――……のッ!」

しなやかな両脚に力を篭める。そして夜色のドレスが、晴天を舞った。

落下しながらの滞空。スカートをはためかせ、空中で一回転。
彼女の脚力ならば、一気に先頭集団のただ中へ着地する事も容易い。
ミルキーウェイは着地点を見定めるべく空中から状況を観察する。

ほぼ先頭と言って良い位置にいるのは波乗りするカレーパンだ。
自分で観察しておいてどういう単語の組合わせなのか全くわからないが、
さすが希望崎学園、とだけ思っておくことにする。

その後ろに先頭集団。陸上部やサッカー部、高速帰宅部、半身をバイクに改造部など
スピード自慢の魔人たちに加え熊、ゾウ、キリン、パンダ等が続く。

そして先頭集団最後尾。今まさにそこへ追い付こうとしているのが……

白ブリーフ! 白靴下! そして顔に燦然と刻まれしアナルのマーク!
見よ、一切言い訳のきかぬその勇姿。これを変態と呼ばずして何であろうか!!
彼は叫んだ。

「アナルパッケージホールド!!」

痛烈な前蹴り! 陸上部のアナルが破砕!!
前方の集団が何事かと振り返る。だが既に遅かった!

「アナルパッケージホールド!!」
「ギャアアアーーッ!」

サッカー部のアナルが破砕!!

「アナルパッケージホールド!!」
「ヒイィィィーーーー!」
「オッ……オウフ…………!!」

高速帰宅部のアナルが破砕!!
半身をバイクに改造部の排気口が破砕!!

「アナルパッケージホールド!!」
「ちょっと何すんのよー」

ゾンビ女子高生の肉体がアナルを起点に四肢断裂! すぽーんと首が飛ぶ!!

「アナル!!」
「ガオオォォーーーーッ!!」

「パッケージ!!」
「パオォォォオオン!!」

「ホールド!!」
「キッ、キリイィィィンン!!」

死屍累々!! 一切の慈悲無し、容赦無し!

「ひっ、ひぃぃいいい!!? い、嫌ッ、やだ…………!!」

ミルキーウェイは涙目で青ざめ、戦慄した。
もちろん怪盗たるもの、多少の危険は折り込み済みだ。
高額のお宝を狙うのであるから、どんな目に遭っても不思議ではない。

でもこれは、その、こう……なんか違う!
あそこにだけは絶対混ざりたくない!!

盗人とはいえ十代半ばの乙女である。
ブリーフ一丁の変態にアナルを差し出せというのは酷であろう。
先頭集団を避けてアナルマンの遥か後方に着地した彼女を誰が責められるだろうか!

「う、ううっ……やばい」

距離的には不利な位置への着地となってしまった。
後方からは、遅れて校舎から現れた集団――謎の減速空間に飲まれていた連中である――が迫り、
すぐに彼女に追い付いた。これ以上遅れをとるのは本意ではない。こんな集団、すぐに抜けてやる。

ミルキーウェイは右足に体重をかけ、前のめりになる。
そして前方へ跳躍しようとした瞬間、その足が少し重いのに気がついた。

「……よオ、怪盗さん。アタシも連れてってくれよ」
「ひえっ!?」

茶髪の女子生徒が足を掴んでいる。
その小柄さゆえだろうか、全く気づかなかった。
威圧的に笑う表情はガラの悪さを感じさせ、少々恐ろしい。

「ちょ、ちょっと! そんなの困り……ますっ!」
「のわあッ」

だがミルキーウェイがその手を弾くと、存外に容易く外させる事ができた。
再び跳躍体勢に入りながら、ミルキーウェイは足下の少女を一度振り返る。

足を掴まれた時ついでに読み取ってみた、彼女の悩み(じゃくてん)の内容が気になったのだ。

「あなたは……」

少し、目の前の彼女のことが心配になった。
普段のおせっかい好きが首をもたげ、つい天ノ川浅葱は声をかけそうになる。

だが、

「あア!? ふざけんなクソビッチ!!」

当の本人から罵声を浴びせられ、そんな気持ちは霧消した。

「な、なにィー!? ふんだ! もう知らない!!」

ミルキーウェイは舌を出して別れの挨拶とし、爆発的に跳躍した。


緒山文歌


「スゲェヤツ」になりたい。

実績、評価、実力……何をもって「スゲェ」とするかは正直答えが出ていないが、
とにかく「スゲェ」と確信できる何かになりたい。スペシャルになりたい。
惰性で有象無象のまま生き続ける人生は彼女にとってクソにあたる。
緒山文歌はクソを許さない。

魔人でもないのに希望崎学園に入ったのも、ここにはスゲェ事のヒントがあると思ったからだ。
あわよくば魔人に目覚められれば、という思いもあった。

魔人になれば全てが解決するとは思っていない。
だが魔人になれば根本的に肉体が強化されるとも聞く。
それは絶対に何かの足掛かりになる筈だ。
魔人になればこの、小さくて非力な身体を恨めしく思う必要もなくなるのだろうか。

彼女の目指す「スゲェ」の条件を挙げるのは難しい。だが実例を挙げるのは簡単だ。
間違いなく「スゲェ」と思える人物はいる。例えば怪盗ミルキーウェイ。God Wind Valkyrie。
そして、下ノ葉安里亜。

ヤスはどういうわけか文歌に心酔し手下を名乗っているが、
本来あらゆる点で向こうが上である事はもちろん文歌も理解している。
うっかり羨ましく思った事も一度や二度ではない。

だが嫉妬はしないと決めていた。敗けを認めた事になるからだ。
本物のスゲェヤツが相手でも、一線を引いて自分を下に置くような真似はしたくない。
だから、虚勢でもあえて尊大に振る舞った。

ヤスは実に良く働いた。出来過ぎなくらいだった。鍛えた令嬢は権力も腕力も強かった。
文歌がクソと判断した不良は例外なく排除された。副次的に「オヤブン」も恐れられつつあった。
彼女は特別な存在に近づきつつあった。

緒山文歌はその状況をクソと判断した。



「チッ……クショウ……」

自らの足で、自らの力で進まなくては意味がない。だがそれは想像以上に難しかったようだ。
文歌はミルキーウェイに弾かれた手をさする。痛みはあるが寝ている暇はない。身を起こす。

「ぐぁっ!?」
「うぁっ」

そして起き上がりざま、のたのたと駆けていたトロそうな女の子とぶつかった。
またしてもフィジカルで負け、文歌は尻餅をつく。女の子は少し心配そうにこちらを振り返りながら、
しかし止まりはせず駆けてゆく。こんなのにすら負けるのが、今の緒山文歌だ。

「ざけンじゃねェぞ……」

文歌は呟き、今度こそ駆け出し前方の集団を追った。
最も好きな歌を口ずさみ、自らを必死に鼓舞しながら。


――クソに塗れた世界に 中指刺してやる
 今こそ砕くよ フザけた運命
 未来を切り拓くのは ボクらの暴力――


MACHI


「なんなのよこのゲロみたいな遅さ! ファック!」

まったくもって下痢便そのものだった。ビチグソと言ってもいい。
必死で体を動かしてもチンカスほども進みやしない。
全てが遅くなるそのキチガイ空間は彼女をファッキンシット苛立たせた。
控えめに言って肥溜め以下の気分だった。

二階でファッキンスローモービッチが能力をファックした際、
MACHIが真下の一階に居た事が痛恨のファックであった。
もがいても、もがいても前に進まず、焦りは募り、クソ以下のクソの味がした。

だから殴った。隣にいた生徒は不運だった。

「ファックイエー!」
「ウギャアアーッ!」

ギターは昨日、今回の競争(ライブ)に備えて軽音部にお邪魔した際に譲ってもらえた。
これがないと始まらない。

でもやっぱりファックオフ。いつもの半分も返り血が付いていない。
スイングが遅いからだ。こんなヘタレたパフォーマンスじゃロックは語れねえ!
だから殴った。

「ファックイエー!」
「ウギャアアーッ!」

すると効果時間が切れたのか、クソの上にクソするような空間は消え去り、
いつものスピードが戻ってきた。じゃあ殴るわ!

「ファックイエー!」
「ウギャアアーッ!」

殴るね!!

「ファックイエー!」
「ウギャアアーッ!」

そして気がつけばどうだろう!
完全にレースからは置いてけぼりだ!!
あたりは殺戮後のライブハウスのような閑古鳥!

「うええ!? も、もお~、私のクソアバズレビッチ! マザーファッカー!!
 焼きそばパン以外をファックしてる場合じゃないって、わかってるのに……!」

彼女は地団太を踏み、殴って殴って殴った! しまったまた殴った!!
なんてことだ! あまりの衝撃に殴る!!

ようやくギターがいつもの色になってきた。そして走り出す!!
校則違反がどうした。今この場に意識のあるヤツはいねえ!

「ファック、ファック、ファック……!」

この手で焼きそばパンに引導を渡す。
そう決めたからには、実行できなきゃクソカスだ。
だのに、MACHIの中のロックンロールときたら耐える事を知らない。
彼女は苛立ちを重ねた。まったく世の中はションベン以下だ。何一つ思うようになりゃしねえ。

苛立ちと焦りが連結し、シックスナイン状にループする。
破裂しそうな怒りの中でMACHIは校舎を脱出し、グラウンドに辿り着いた。

そしてそこで、知っている歌を聞いた。
MACHIは激昂した。


緒山文歌


「ファックイエー!!」

それは覚えのある声だった。
生では一度だけ。動画では何百回も聞いた。

ただしその物理ロックンロールを生身で味わうのは勿論初めての事だった。
めきり、と左肩で嫌な音がした。血管が破れ、血が流れ出す。

「ア…………?」

彼女には僅かなうめき声を発するのがやっとだった。
ハイテンションな悲鳴をあげる余裕があるほど頑丈な肉体ではない。

倒れこみながら文歌は下手人の顔を見た。
最も憧れるスゲェヤツの一人がそこにいた。
傍若無人でブレないロックンロール、そしてそれを通す腕力。
彼女の望む生き様を体現してくれるバンドだ。

全身を衝撃に貫かれながら文歌は脆弱な肉体に鞭打ち、歯を食いしばった。
そして即座に起き上がり、相手を睨み上げる。
ロックには、ロックで返すのが礼儀だ。まして、この相手ならば。

「なんでその歌……クソビッチ……やめろよ……!」

相手……『God Wind Valkyrie』のMACHIは、涙を流しながら目を吊り上げブチキレていた。

ははっ。
文歌は口の端で哂った。光栄じゃねェか。

状況は全く理解できていない。
少し歌っただけでなぜ殴られたのかもわからないが、当然だ。
なぜ殴られたのかもわからないのが『ゴッヴァル』だ。

「おオ……? 何か……悪ィのかよ…………!!」
「ファックイエー!!」

激痛に耐えながら文歌は言葉を返し、更なる激痛を重ねられた。
咄嗟に右腕で受ける。明らかに折れた。
倒れ込む。だが、間髪入れず起き上がる!

今の彼女はそう簡単に気を失ったりはしない。
彼女自身が「まだ動ける」と思いこむ限りは、本当に動けるのだから。

――『馬鹿は百薬の長』。

まったく本当に、ヤスは優秀な奴だ。
頼むから無茶はしないで欲しいでヤンス、と過去何度か頼まれた覚えもあるが、それは無理な相談だ。
世界の下ノ葉製薬でも、バカにつける薬は用意できなかったらしい。
スゲェヤツになると決めたその日から、彼女のブレーキは壊れたままだ。

「ど、けよ……! アタ、シは向こうによ、用があンだ……!!」

視界が赤く明滅する。意識が途切れかける。
ふざけるなよ。まだ気を失うワケにはいかねえ。

「ファックイエー!!」

倒される。起き上がる。
思考が混濁する。焼きそばパンを手に入れなければならない。
そして目の前の少女と同じ、スゲェヤツになるのだ。

「ファックイエー!!」

足が震えてきた。呼吸がうまくできない。でも終わりたくない。
何でこんな事になっているんだ。アタシはなぜ魔人じゃない?
ミルキーウェイにもゴッヴァルにもなれない? 違う、嫉妬しないと決めたのに。

「ク……ソに塗れ……中指…………今こそ…………運命……未来……ボクら……暴力……」
「ファック…………やめろ!!」


MACHI


KIKKAは。

歌詞を一字一句歌ったりはしない。
決して音程を取ったりはしない。

歌というより叫び声に近く。
でもそこに宿る魂は、単なる音の並びを超えたものを伝えてくれる。

音楽としての質は最低で。
ロックンロールとしてのクオリティは最高にクレイジーファッキンシットだ!

だから。あの曲をきちんと歌うことは――侮辱だ。
中途半端にメロディーに乗せて歌うなんて、犬の糞以下のイカレた腐れコピーだ。

今すぐにやめさせる必要がある。
やめてくれ。思い出させないでくれ。考えさせないでくれ。
自分は焼きそばパンに全ての怒りをぶつけなければならない。

MEGUは焼きそばパンに殺された。TIARAは焼きそばパンに殺された。
そしてKIKKAも。KIKKAは……


KIKKAを殺したのは――――!


駄目だ!!!!!! 考えてはいけない!!!!!!!!!

MACHIは目の前の少女の頭を掴んだ。
いくら殴っても起き上がる茶髪の少女、その眼は血走り、壮絶なる形相である。
そこには確かなロックンロールが宿っている。
仲間との日々がフラッシュバックしそうになる。芽生えた記憶を捻じ切って捨てる。

少女はまだ歌詞を呟いている。
どうしても許せなかった。黙らせる必要があった。

「『KILLER★KILLER』ッ!!」

呪いの言葉。

「焼きそばパンの前に試し撃ちしてやる……! 限界まで苦痛を味わいやがれよ!
 ――『ナンバー:毒殺』……!!」






さあ皆様お立会い、本物のロックンロールの時間だ。

クソカスな世の中に呆れてる? 何もかも信用できない?
うまくいかない? 気にくわない? どうすればいい?

簡単さ! ブッ殺しちまえばいい!!
さあ、みんなで声を揃えて叫ぶんだ!!






……せーの!!






「ファックイエー!!!」






下ノ葉安里亜


たまに、夢を見る。
ありきたりな悪夢だ。

暗い道を歩いている。
いつものようにオヤブンの後ろをついて歩いている。
ところがオヤブンはスタスタと加速し、いつのまにか手の届かない遠いところまで行ってしまう。

追いかけようとしてもうまく前に進まない。
叫ぼうとしてもしてもうまく声が出ない。
そしていつしかオヤブンの姿は見えなくなって、
涙を流し、息を切らしながら夜中に目覚めるのだ。

「オヤビン……オヤビン……」

うわごとのように呟く。寂しくて仕方ない。早く学校に行って奴隷のように使われたい。
キングサイズの天蓋つきダブルベッドも、希少な羽毛の枕や布団も、この不安を癒してはくれなかった。

「オヤビン…………」

そして今。
ヤスは悪夢にうなされる夜と同じように呟きながら校内をさまよっている。

減速空間が消え、へたり込んでいても仕方ない、と立ち上がってはみたものの、
身の置き場がまるでわからなかった。足元が覚束ない。
ここしばらく、昼休みを一人で過ごした事など一度もないのだ。

目的地もなく徘徊するのは辛かった。万能の神童と言われた令嬢も、気力を失えば何にもならない。
彼女は光に誘われるまま校舎からグラウンドに出た。

そしてそこで、絶対に見たくなかったものを見た。



「オ…………ヤ…………ビン…………?」



グラウンドに転がる脱落者の群れに混じってその女子生徒は倒れていた。
全身は血と泥で汚れ、両腕はあらぬ方向へ曲がっている。

「う……そでヤンス…………オヤビン……オヤビン…………!」

近寄って抱き起こす。驚くほど軽い。

まだ息はあるようだった。体のあちこちが震えている。
だがほとんど放心したような顔には表情と呼べるものはなく、
時折呻くように口を動かそうとするが声にならない。
血混じりの泡を吐く事すら満足にできてはいなかった。
何秒かに一度、跳ねるように痙攣する細い胴体だけが彼女の苦痛を物語っている。

「オヤビン……あああ……あああああ……!」

たとえ嘘でも、思いこむ事で本当にしてしまうのが下ノ葉安里亜の能力だ。
だが既に本当である目の前の現実を無かった事には、彼女でもできない。



「ヤ……………………ス……………………」



「!!」

震える唇がかすかに発音したのをヤスは聞き漏らさなかった。
オヤブンは右腕を上げて右方を指し示そうとした、ように見えた。
実際には殆ど腕は上がらなかったし、折れた腕で正確な方角を指し示す事は不可能だったが、
ヤスは右を見た。

そこにはオヤブンがいつも飲んでいる、パックの牛乳が転がっていた。
未開封のようだった。焼きそばパンと一緒に飲もうと思っていたのだろう。

そして糸が切れたように右腕が落ち、オヤブンは放心状態に戻った。

「……オヤビン……!!」

思わず叫ぶ。
このままではいけない。

「…………大塚! 小林! 参天!!」

ヤスは突如、叫んだ。人の名だった。
呼ばれた三人のSPは、それが自分たちを呼んでいるのだという事に気付くのが僅かに遅れた。
今まで、安里亜お嬢様が自発的にSPを使う事は一度もなかったのだ。

彼らは飛ぶように集い、オヤブンの処置を行った。
三人はいずれも下ノ葉薬科大や下ノ葉医大を出ているエリートだ。
だが…………そのうちの一人、小林が黙って首を振った。

彼女は助からない。

「!! ……そ……んな」

オヤブンが死んでしまう。下ノ葉安里亜の上に立ってくれる人が。

――大好きな人が。

「……………………。」

ヤスはしばらく黙って、己の中の感情と戦った。
今すぐ泣き崩れてしまいたかった。だがそれは今すべき事ではなかった。
何をすべきか。答は一つしかなかった。

ヤスは立ち上がった。
涙を拭う。それまでと明らかに顔つきが変わっていた。
彼女は三人のSPに向き直る。そして、口を開いた。



「――三十分。彼女の命を保たせなさい」



下ノ葉安里亜は、生まれて初めて、人に命令を下した。

購買部の方角から地鳴りのような轟音が響き、波乱の展開を予感させる。
彼女は何としても"伝説の焼きそばパン"を手に入れなくてはならなくなった。


カレーパン


「ファックイエー!!」
「アナルパッケージホールド!」

「ファックイエー!!」
「アナルパッケージホールド!」

彼の背後では地獄の競り合いが繰り広げられていた。
ギターを振り回す暴徒と化した少女が、筋骨隆々としたブリーフ男と打ち合っている。
言葉にすると益々わからないな、と波に乗るカレーパンは思った。

恐ろしいのは、彼らは激しく争いながらも距離を詰めてきているという事だ。
身体能力のみで言えばカレーパンを凌駕するかもしれない。彼は危機感を覚えた。
だから、対策の手を打った。

「同時使用は容量を食うんだがな……。華麗壁――『業務用』!!」

ぶあついカレーの壁が現出する。
これだけあれば、四人家族を一週間カレーだけで生活させる事ができるだろう!
だがこの技は、最悪の結果を生む事となってしまった。

「ファアアアック……! ざ! けンじゃ! ねェエエーー!!」

MACHIは叫んで華麗壁に突っ込んだ。元の彼女とは態度が少々変わっている。
より凶暴さを増した暴虐の徒は、容赦なくカレーを食い進んだ。

「こんなファッキン美味ェ壁で私を止められると思うんじゃねェー! こんなモン……」

彼女は口の中のカレーを飲み込み、そして言い放った!

「クソくらえだぜエェェェーーーーーー!!」

ああ、お前は今、自分が何を食べているかわかっているのか! わきまえろ!!

だが悲劇はそれで終わらなかった。何しろもう一人、突っ込んできたのは……!
カレーの壁を突き破って飛び出したのは……!

「 ア ナ ル !!! 」

やめろ! やめるんだ! 単語をそこで区切るな!!
嗚呼! あってはならない組み合わせだ!!

無理にカレーの壁を突破したせいで、覆面のアナルマークの周辺は茶色く汚れてしまっている。
いったいなぜここまでクソな状況に!!

あるいは、彼自身にとっても不本意な結果であったのかもしれない。
だがこの言葉は社長との契約なのだ。社会人である以上、いかなる状況でも他の言葉は発せない。
なんと……なんと世知辛い! これが社会の現実だとでも言うのか!
こんな世の中間違ってる!!

しかしそれにしても、この言語の罠といえる状況においてなお、カレーパンはクールである。
彼はこれで十分と考えたのだ。
一瞬の足止めは、成った。もはや購買部は目の前。彼は既に先頭でゴールインできる体勢にあった。

この一瞬までは。

「いえーい! いただきぃー!」

その瞬間、カレーパンの頭上を夜色のドレスが飛び越えていった。

「何っ!」

あれは噂に聞く怪盗ミルキーウェイ。その脚力を活かした機動力は魔人でも上位だ。
まさかここで抜かれるとは。
どうする。華麗砲で撃ち落すか? 残弾は足りるか?

後方のMACHIとアナルパッケージホールドも怪盗のゴールインを問題視したようだった。
それぞれギターと手刀を構える。
どこで仕掛ける? 誰から仕掛ける? 間に合うか?

而して、それらの逡巡は、全て無意味に帰した。



ズ ズ ズ ズ ズ ズ ズズ ズズズ



大地が唸っているような低く激しい音だった。
購買部に達そうとしていた彼らの目の前の地面が、裂けた。

カレーパンは己の顔の、サクサクの衣がざわつくのを感じた。
ミルキーウェイが跳び渡れずにその場に着地する。
目の前で大地が持ち上がっていく。いったい何が起きているのか。
この状況を一言で言うと、こうなる。



――購買部が、浮上していく。


購買部


「ほう、あのカレーパン男、相当に練れているな。面白い!
 なあ紅よ、お前は誰が勝つと思う」

「……それは無意味な問にございます」

「確かにそうだが、良い見世物ではないか」

「……哀れではあります。
 誰も、伝説の焼きそばパンを手に入れる事などできはしないのですから」

「うむ。まあ見世物だな。首尾はどうだ」

「整ったようでございます、部長。いつでも開始できます」

「そうか。名残惜しいが、娯楽の時間も終いだな。もはや生地は熟した……ゆくぞ」

「御意に」

購買部長が司令席から令を下すと、配下の小男は文字盤を操作した。
PC等とも違う、見慣れない配列のキーボードだ。
するとディスプレイに激しく文字列が走り、すぐに大きな数字が表示された。

『3』

『2』

『1』…………

大仰なカウントダウン。そしてゼロと同時に、購買部長がひときわ大きな声で宣言した。



「購買部――発進!!」



どこに口があるのかもわからない顔にしては堂々とした発声であった。
司令を終え、満足げに席に着くその顔は、縦長のパンに茶色い麺を挟んだような形状をしていた。

彼こそは、本日の購買部を預かる一日購買部長。

その名を、"伝説の焼きそばパン"という。


メリー・ジョエル


――ゆっくりと瞼を開く――



古びた木と鉄パイプの机/がたがたの椅子/白く汚れた黒板/日直の文字
――いつもどおり。

カーテンをとおりすぎて来る、刺すような日差し。
窓の外から喧騒。黒板の上の時計。
教室の主のようにわたしをじっと見下ろし、教えてくれる現在時刻

=P.M.0時15分。



――――――――寝過ごした。



「…………焼きそばパンっ!?」

机を叩いて跳ね起きる。ひびが入る机/横であきれた顔のリリア。

思い出す。

楽しみで眠れなかった夜/目覚ましを粉砕し気合で起きた朝/ギリギリで間に合った登校/
頬をつねって耐えた一限/ツケがまわってきた二限/催眠音波を発する国語教師/
遠のく意識/重くなる瞼/そして――

「うわああああっ」

もう何もかもが遅かった? すべては終わってしまった?
あわてて外を見る。グラウンドのむこう。購買部。

ない。

地面にぽっかり穴があいている。
購買部のあった周辺の地面がなくなっている。
穴の淵にいる生徒たちが、みんな上を見上げている。自分も見てみる。

購買部が、浮いてる。

プレハブの建物に、その根っこの地面が逆三角形にくっついて、
アニメで見た何かのお城みたいだ。
生徒たちは焦るようにあわてている。たぶん、まだ終わってない。

一大イベントと聞いてはいたけど、こんなアトラクションまでついてくるなんて。
さすがは希望崎学園/わくわくがたくさんあるところ。

わたしは魔女の箒をひっつかむ。


焼きそばパン


"伝説の焼きそばパン"には複数のルーツが存在する。

古代パン神話にある、ヤキソバノオロチの尾から出現したとされる個体。
ヤキソバノオロチの頭部が変化したという甲殻類から採れる内臓ヤキソバを
パンに挟んだもの。
そして、それらを真似て人為的に精製したもの。

人は、神話の産物を作り出す事すら可能な域に達していたのである。
ただし、それは現代の技術で可能なわけではない。

パン神話の発祥とも言われる古代ヤキソバ文明。
その遺物であるオーパーツ。
古のパン職人が作り上げた超科学のパン焼き窯……

それがこの機動購買部、『空中要塞メガヤキソバノオロチ』だ。



司令室にて彼は、巨大な鉄板に油を引く。
ジュウという力強い音とともに油が跳ね踊る。
そしてソバを焼く。鉄のヘラで混ぜ、ソースを絡める。香ばしい匂いが空間を支配する。
素早くソバを引き上げ、次々とパンに挟む。それを繰り返す。

まだだ。まだこれは"伝説"とは呼べない。

伝説の焼きそばパンの精製は古代文明によってのみ可能となるのではない。
調理者の圧倒的な技術が前提にある。
だがあと少しで、届くはずだ。何しろ彼の肉体は「特別」だ。

――パン道を極めるべく中国へ渡ったパン職人は地の神"ヤキソバ"の伝承に触れ、
至高の焼きそばパンを持ち帰った。

だがそれを以ってしても究極のカレーパンを持つ男との間に決着はつかず、
千日の争いの末に姿を消した。それから、彼を見た者は誰もいない。

それはそうだろう。パン職人はあの瞬間、この世から消えてしまったのだから。

あの時、立ち上るオーラの中で何が起こったのか。
彼は焼きそばパンに食われたのだ。頭部を取り込まれ、首から下には焼きそばの根が張り、
頭部のパンの意のままに動くようになった。

首から上は"伝説"のパン力を持ち、首から下は熟練のパン職人の業を持つ。
無敵のパン生命が誕生したのだ。

今年の購買部は不運だった。いつもは調達部から甲殻類産の「伝説の焼きそばパン」を
仕入れている。だが今年、「伝説」は自ずから購買部に現れたのだ。
焼きそばパンはその圧倒的パン力によって瞬く間に購買部を掌握した。
元の購買部員たちは今頃、地下の動力炉に焼きそばパン(一般のもの)をくべ続けているのだろう。

そうして焼きそばパンは、購買部長の地位と目的の古代空中要塞を手に入れた。
何のために?

「伝説の焼きそばパン」を量産する。それをこの神の箱舟で世界中に届ける。
他のすべての食糧は焼却する。
焼きそばパンを……全人類の主食とする!

野望の準備は今整った。彼は焼きそばパンを作り続ける。



ビーッ ビーッ



突如、無機質なサイレンが司令室に響いた。
部下の男、紅が報告する。

「こちらに侵入を試みている者がいるようです」
「飛行型の魔人か? 羽虫め。撃ち落せ」
「防衛システムは作動しているようです」
「手こずるほどの相手なのか?」
「速度が凄まじく、捉えるのが難しいようです……が」

紅はこともなげに言い下す。

「時間の問題です。障害にはならないでしょう」


安出堂メアリ


「おおー高い高い」

まったくついてないったらありゃしない。

争奪戦が始まってからというもの何かと巻き込まれ、高そうな時計に手足を砕かれるわ
カレーの波に流されるわ、謎のアナル仮面にアナルを貫かれて五体バラバラになるわ。
まったく女子高生をなんだと思ってるのか。失礼しちゃう。

そんで極めつけは、この状況である。
メアリの視線の先にはただ空があるばかりであった。高度はどんなものだろう。

アナル男に全身をバラバラにされ、フルフェイスのこの頭部だけが購買部に辿り着いた。
一番乗りだ。イエーイ。ただし首だけでパンは買えない。しょんぼり。
結果として焼きそばパンどころか、大好きなお肉の一かけらにさえありつけてない。

しかも続けて、彼女の首だけを乗せたまま購買部が浮上を始めてしまった。
手足と胴体はどっかに飛んでった。回収もできない。動けない。
このままじゃあ帰ることだってできない。一介の女子高生にはつらい状況だ。

もう何でもいいから助けてよ。そう思った。
その矢先だった。

光の筋みたいなもんがこの購買部に接近し、弾かれて飛び離れていった。
それが空を飛んでる女の子だと理解するのには結構かかった。だって速いんだもん。
女の子は再挑戦とばかりに突入し、また弾かれ、なんだか格闘している。

そうだ、あの子に助けてもらおう。

ところが女の子はなかなかこちらまで来れなかった。
購買部に備わった対空砲みたいなの(なんでそんなもん備わってるんだ)が狙いを定め、
砲身からは長い長い麺みたいなもんが飛び出し、女の子を襲った。

その威力はとんでもなく、女の子は腕を掴まれたり羽をもがれたり大変そうだ。
メアリはちょっと変わった女子高生だからそうでもないが、
普通は体の一部が取れたりしたら痛いらしいし。

何度かの応酬の後、女の子と、その乗り物から煙が噴出し始めた。
背後から対空砲の麺が迫る。よくない感じだ。

「あぶない! 後ろ後ろー!」

声をかけてあげると、届いたようだった。お、これはいける。
しばらく「右ー!」とか「上上!」とか指示して応援してあげた。
女の子は善戦し、対空砲は全部潰せた。

でも、相打ちだった。
女の子はバランスを崩した。煙を吹きながらこっちに来る。めっちゃ速い。
おいおい危ないって。

ぶつか……


アナルパッケージホールド


「アナルパッケージ……ホールド……!!」

浮上していく購買部を、片春人はそう呟きながら見上げる事しかできなかった。
しかも空の上では、飛行物体と空中要塞による死闘が繰り広げられている。
完全に、彼の立ち入れるレベルではなくなってしまった。

一目見ただけでもわかる。あれは異次元の応酬だ。
校舎から爆発的に飛び出した少女の推進力は異常だった。
彼女が初めから本気を出していれば、片らの奮闘など無意味であったろう。

だがその飛行少女でさえ、あの要塞には侵入できずにいるのだ。
むしろ劣勢であるようにすら見える。
少女を攻撃する麺のようなものは一本、二本と破壊され、ついには無くなったが、
当の少女も飛行姿勢を保てず、光と煙の尾をひいて要塞の上へ墜ちていった。

ここから打てる手はあるのだろうか。

「アナルパッケージホールド…………」
「あ、あの」

そんな彼に、おずおずと話かける声があった。
見るからにビクビクしており、マスクで隠れた顔が狼狽しているのが伝わってくる。

「アナル?」
「すっすみません! ……えっと、その、お願いがありまして……」

動画で何度も見た怪盗少女だった。実物は映像を遥かに上回る女子のオーラを纏っている。
異常に恐縮させてしまっているようだが、どうしたのだろう。勃起しているのがバレたのだろうか。
少女、怪盗ミルキーウェイは声のトーンを一段落とし、言葉を継ぐ。

「私を、あそこへ飛ばしてもらえませんか」
「!!」

「私……その……わかるんです。貴方の、正体(じゃくてん)が」
「アナルパッケージホールド!」

そう、ミルキーウェイは追い越す際に、指先で彼らに軽く触れていたのである。
何という事だ。彼は正体を知られるわけにはいかない。
これを公にされれば、二度と家族とは会えなくなってしまう。

断る選択肢が、ないではないか。

「か、勝手にこんな事言って、脅しみたいな事もしたくないんですけど……
 私は、何としても焼きそばパンを手に入れたいんです。
 その……あなたの会社に不利益になるような事もしないですし……」

片は驚愕した。怪盗とはここまで出来るものなのか。
あの戦いを見せられてまだあの要塞へ挑もうという心意気にも驚いた。
これが盗人なのかと思えるような、まっすぐな瞳。行かせてみよう。そんな気になった。
確かに自分なら……アナルパッケージホールドではない、片春人になら、それができる。

彼は仰向けに横になり、膝を曲げて構えた。
その状態でサムズアップした。

わかった――いいだろう。行って来るが良い。

片はそう言いたかった。でも、言えなかった。
それでも彼は伝えた。せめてもの、応援の言葉だ。

「アナルパッケージホールド」


須楼望紫苑


「は……はあ~~~~……」

自分にもできる。そう思って挑戦する事にしたこのレース。
確かに頑張れているとは思う。

能力で周囲を大きく遅らせることができた。
焦らせたり、やる気をなくさせたりする事もできた。戦況に影響を与えられた。
あまり勝負事などはしてこなかったが、今までにない感覚だった。

せいいっぱい急いでグラウンドに出て、必死で走る。
途中で、いかにも自分みたいなのを苛めてきそうなヤンキーっぽい女子にぶつかった。
恐かったが、意外にも競り勝つことができた。
すこし、自信になった。

自分は誰よりも弱いんじゃないだろうか、と思っていた。
そういうふうに周りからは扱われてきた。でも、そうとは限らないのだ。
ほら、もう先頭集団が見えてきた。決して遅れていない。

ところが、ここにきて購買部が浮くとは。

前方の先頭集団だった四人……半裸の男、怪盗少女、カレーパン、ギター少女ですら
何もできずに見上げている。

「焼きそばパンは……どうなってしまうんでしょうか……」

すると四人が何やら会話し、半裸の男が寝転がると、その足で怪盗少女を射出した。
カレーパンも何事かを語り、射出された。ギター少女はドサクサで飛び込み、
なし崩し的に射出された。

なんと、購買部が飛んでもなおレースは終わらないらしい。
すごいなあ、と紫苑は思った。
だがそこで気がついて、ゆっくりと首を左右に振った。

すごいなあ、と他人事にしてしまってはいけない。
レースは終わっていないのだ。ならばまだ焼きそばパンを目指さなければ。
ここでとぼとぼと逃げ帰れば、結局「できなかった」思い出にしかならない。

彼女は購買部のあった地面にまで追いついた。仰向けになったまま、覆面の男が聞いた。

「アナルパッケージホールド?」

ちょっと……いやかなり、怖いけど。
紫苑は唇を結んで、頷いた。

「お願い、します!」


天ノ川浅葱


「よっし、ちょっち調子狂ったけど……第二ラウンド開始ね!」
着地すると同時、すぐに地面に触れる。

この要塞の弱点が見えてくる。そしてその弱点へ続く、侵入経路(じゃくてん)も。

飛行少女が対空砲を破壊してくれたのは幸いだった。

既に対空防御手段がないという事も、施設の(じゃくてん)として見えてきた。

空中要塞が弱点としているのは地下、中央の底部にあるようだった。
そしてそこへ続く道は……。ミルキーウェイはすぐに、
彼女らが購買部と呼んでいたプレハブ小屋へ突入する。

怪盗には既に答えが見えていた。ここの床には一箇所だけ、床板の薄い箇所(じゃくてん)がある。
背後から着地音。他の二人も飛んで来たか。だが先を譲る気はない。
予定していた争奪戦とは随分変わってしまったが、未知の施設への侵入ならば怪盗の得意分野だ。

トン、トンと床を蹴って位置の確認。間違いない。
怪盗ミルキーウェイに腕力はないが、脚力はある。

「せーーーーー…………のっ!!」

狙い通り! 簡単に床を突き破り、地下の領域に着地する。

「わーーお……これはこれは」

黒ずんだ金属で四方を覆われた通路。壁の隙間から怪しく漏れる緑色の光。
いかにもな感じだ。さすがの怪盗ミルキーウェイも、こんなSFじみた建物を相手にした事はない。
しかし、

「でもまあ、やる事は同じっしょ!」

そう。弱点を発見し、対策を講じ、破る。この手順は不変だ。
中央部への道筋はこの廊下で合っているようだ。
進む。やがて大きな扉が見えてくる。重々しい鉄扉に、焼きそばパンの紋章。

「……む、見えた! 待て!!」
「逃がすかこのファック野郎ーーーーーー!!」

背後から声。やはり追いついてきた。負けるかっ。怪盗は自慢の脚力で駆け、
そして大仰な扉を、蹴り開けた。視界が開ける。

広大な司令室に飛び込んだミルキーウェイは素早く周囲を見回し状況を確認した。
確認できた状況は、首から上が焼きそばパンの焼きそばパン人間が一心不乱に焼きそばを
焼いている、というものだった。

怪盗ミルキーウェイは思考を停止した。


焼きそばパン


「な……バカな!! 焼きそば砲が全門破壊されたというのか!?」
「…………ほう」

取り乱す紅に対し、焼きそばパンはソバを焼きながら感心したように呟いた。
金属のヘラが甲高い音を立てながらリズミカルに踊る。

「あれを突破するほどの魔人だと……! ここを目指していた中には
 いなかった筈です! 現代人ごときがこの古代ヤキソバ文明の遺産を……」
「良い。相手が魔人なら、すべてが『起こりえる事』だ」
「しかし……」

実際のところ、確かにこの要塞の守りの要は対空ヤキソバ砲だった。
内部の守りを固めるより、まず侵入を全力で防ぐのがこの要塞の設計思想だ。
古代ヤキソバ文明のおそるべき兵装は、並の現代魔人ではまず突破しうる代物ではなかった。
ただ、不運にも最初の相手は現代人ではなく、戦闘力も並どころではなかったのである。

「内部に守りが無いわけではあるまい?」
「勿論です……。赤外ソバによる感知に光速ソースレーザー、まず逃れられるものでは
 ありません。必ずや」

その時である。バァン! というけたたましい音とともに侵入者が現れたのは!

「なっ何イイイイイイイ!?」

驚愕のあまり叫ぶ紅! お手本のような声色、声量、タイミング! 彼こそは参謀の鑑といえる。
侵入者がトラップにかかる筈など、そもそも無かったのだ。
ミルキーウェイの選ぶ道にそのような物はない。
そう、登場したのはあの、怪盗ミルキーウェイだった。

「怪盗ミルキーウェイだと……まさか本当に現れるとは……!」

司令室に飛び込んできたミルキーウェイは素早く周囲を確認し、固まった。
まず焼きそばパン男を見て固まり、そして驚愕している参謀らしき小男の顔が
紅しょうがそのものである事に気がついて二度固まった。

その隙に後続が部屋に入ってくる。追ってきたカレーパンとMACHIである。全部で三人。
緊急事態だ。

「おのれ……部長、私は『下』を!」
「そうだな、頼む」

焼きそばパン男はヘラを置いた。カン、という金属音。
それが合図になった。それぞれの動きが交錯する。

紅はディスプレイ前の文字盤を操作し、足元に開いた穴に吸い込まれた。
ミルキーウェイは会話の中にあった自らの名を聞き逃さなかった。
直感的に彼女は紅しょうが男を追う事にした。彼の落ちた穴を目指す。

しかし焼きそばパン男が悠然と動き出し怪盗少女を遮った。
ゆらりと身を動かしたその動きだけでも、ただ者でない事がわかる。

「焼きそば……パン……」

だが。

「見つ……けたぞ………」

ミルキーウェイは止まる必要がなかった。背後からの気配を感じていた。

「このド腐れファッキン人殺しパンがアァーーーーーーーー!」

ギターを大上段に構え、異常な殺気とともに飛び込んでくる少女!

「ファックイエエェェーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

だが焼きそばパン男は両腕を組んだまま。顔面から一本の麺が伸び、MACHIの攻撃を払った。

「アアアアアアァァァァァーーーーーーーーーーーーーー!?」

彼女は弾かれ、対角線の壁に激しく衝突して動かなくなった。
ミルキーウェイには、それだけの時間があれば十分だった。
焼きそばパンの横をすり抜け、彼女も紅の落ちた穴に吸い込まれた。

「む、一人逃がしたか……。やはり現代魔人も侮れんな」

焼きそばパン男はゲームでも楽しむように言った。
そしてこれまで冷静に状況観察に徹していた、同類のような姿の男子生徒を見た。

「君は、どうするね?」


下ノ葉安里亜


空を睨む。

空に浮いている購買部を睨む。

ヤスは手にしたパック牛乳を開封し、ストローを差した。

オヤブンには聞かなければならない事がたくさんある。

なんで手下にしてくれたでヤンスか。
オイラのことはどう思ってたでヤンスか。
どうして急に、別行動なんて言い出したでヤンスか。
なんでそんなに無茶ばっかりするでヤンスか。

――最後、何を言おうとしたでヤンスか。

ヤスはオヤブンを本心から格好いいと思っていたし尊敬していたが、
考えてみると、驚くほど彼女の本音を知らなかった。

聞かなければならない。
後で、ちゃんと聞かなければならない。

ストローを口につけて牛乳を吸う。

オヤブンは必ず、パシリで買ったものは分けてくれた。
オヤブンにもらう牛乳は特別な味だった。
あれがオヤブンの手下である事を一番実感できる時間で、
喜びとともに力が湧いてくるような気さえした。

この人の手でありたい。
この人の足でありたい。

牛乳を飲む。
空を睨む。


カレーパン


「君は、どうするね?」

目の前の男がパン道の極みにいる事は即座に理解できた。
この部屋に入ってからというもの、彼の顔のサクサクの衣はずっとザワついている。

「ここは……何なのだ。俺もパンの歴史については知っているほうだ。だが、こんな……」
「君のいう歴史は何年前からだ? 神話の勉強が足りないのではないかな」

「こんな大げさな調理具……何に使うつもりだ」
「調理具である事は理解できるのか。流石だね。決まっている。焼きそばパンを作るのだよ」
「……はぐらかすな」
「本当の事さ。焼きそばパンを作る。世界中……全人類の分をね」

「まさか」
「この記念すべき日に『カレー神』の手の者と会えたのは嬉しいよ。運命すら感じる」

彼はひと呼吸置き、

「――焼きそばパンが、世界を掌握する日に」
「貴様!」
「さあ、前祝いだ。遊ぼうじゃないか。頭がカレーパンだなんて君はユニークだな。
 さしずめ呼ぶとすれば、カレーパンマ」
「うおおおおお華麗脚!!」

カレーパンが動いた。体重と旨みの乗ったハイキック。
だが洗練されたこの技でも、焼きそばパンに腕を使わせる事すらできない。
焼きそばパンは腕を組んだまま、顔から伸びるソバで蹴りをいなす。

「華麗拳! 華麗掌!!」

二撃、三撃。だが届かない。
間髪入れず、今度はソバが攻撃に移る。
しなやかなソバが香ばしいソースの香りとともに伸びる!

「!! ――華麗壁、『弁当』!!」

小型の華麗壁を出現させ、数箇所をガードする。だが貫かれる!

「ぐっ…………!」
「ははは、甘い甘い。おっと、カレーには失礼だったかな?」

彼我のパン力の差は無慈悲なほどに明確であった。
華麗流四段にも近いと言われるカレーパンの攻撃は、軽々といなされ続ける。
対抗策すら思いつかない。あまりにも単純な、パワーと技術の差。

「どうしたカレーパン君! 食感もコクも深みも、何一つ足りぬぞ!」

ソバが次々と襲い、容赦なく彼の体を削り取っていく。

「ぐっ……ぐああああああ……!」

おぞましきまでの力だ。思わず屈しそうになる。
だが、その選択肢は、ない!
この焼きそばパンの目的は、パン道の理念に反する。

彼の動機は食欲ではない。名誉欲、娯楽、大切な誰かのため。いずれも違う。
宿命。そして信ずる神のため。

彼が背負うのは(カレーパン)の十八年ではない。『カレーパン』の百二十年なのだ!!

(想え――片時も休まず想え――)
(そして、集中――)

(俺は――『カレーパン』だっっ)

瞬間。
焼きそばの一本が切断された。

「……何だと」

焼きそばパンは思わず反応した。それはごく少量の、しかし今までにないスパイシーさを持つカレー。
それを高速で奔らせ、焼きそばを切断してみせた。
目の前のカレーパンの周囲では、少量ずつのカレーが細長い奔流となって渦巻いている。

ただ量を増すばかりだった今までとは違う、繊細で精緻なる味の境地――!

「華麗流 四段 ――『隠し味』」
「面白い……!」


安出堂メアリ


「で、ここどこなのさ」
「……わかんない」

空中要塞上で遭遇したメリーとメアリは地下フロア内で右往左往していた。
最初、メリーに拾われたメアリはこりゃア儲けたと思い、
地上につれてってくれと頼んだのだが、メリーはどうしても焼きそばパンが欲しいのだという。

仕方なく首だけのメアリはメリーの腕に抱えられ、地下ダンジョン探索みたいな事を
させられるハメになってしまった。
ちなみにメアリは高速戦闘するメリーの事を「こっわー」と思っていたが、
メリーも首だけのメアリの事を「こわい……」と思っていたためそのへんはお互い様だ。

適当に歩いていて地下に侵入する階段を発見したまではよかった。
しかしその後は散々だ。

彼女等の辿り着いた通路はトラップだらけで、5メートル進むごとに
レーザーが飛び出したり地雷が爆発したりというひどい仕様だった。
これゲームだったら絶対苦情きてる、とメアリは思った。

探索は遅々として進まなかった。
流石のメリーも先の戦いで体のあちこちを損傷しており、歩き方もぎくしゃくしている。
せっかくの魔女の箒も杖がわりにしている有様だ。

ああ、せっかく人に会えたのに。いまいち助かっていないこの感じ。
えっと……誰かいないかなあ……。

「こらぁー! 待ちなさーい!」

するとまあなんと都合の良いタイミングか。人の声がする。
しかしこれはいけない。待ちなさいと言われて待つ人間など古今東西いたためしが無い。
あと、リアルで「こらー」って使う人、初めて見たかも。

声のしたほうの通路を覗いてみる。走って逃げてくる人影が見えた。
首から下は普通の人間。ところが、首から上は巨大な紅しょうがだった。
メリーとメアリは少しの間絶句した。そのあと、声を揃えた。

「「……こっわー」」


下ノ葉安里亜


空を睨む。牛乳を飲む。
あそこへ行くにはどうしたらいい? あそこへ届くにはどうしたらいい?
既に答えは出ていた。

オヤブンがいつも飲んでいた牛乳。
味も好きだったのだろうが、オヤブンはある目的を持って飲んでいた。

牛乳に期待する効果といえば、何だろうか。
豊富な栄養。骨が丈夫になる。そして、

背が高くなる。大きくなる。

彼女は牛乳を飲みきった。パックを片手で潰して捨てる。
すると、ほら、もう大きくなってきた、気がする。気がすれば十分だ。

みるみるうちにヤスの身長は大きくなる。
体型はそのままに、ぐんぐんと、ぐんぐんと――
服が破れ、生まれたままの姿となり、それでも成長は止まらない。

やがてその身体は校舎を見下ろす程になり、
東京本土からも視認できるようになり……



その日、世界は見た。全長15メートルの全裸美女を。



それは地上で最も大きな美女。あらゆる芸術家が後に嘆息したという至高のオブジェ。
だが美女は、ただ美となるために大きくなったのでは、ない。

「焼きそばパンを――よこすでヤンス!!!」


MACHI


目を開ける。直後、クソにクソを混ぜたような激痛に顔をしかめる。
最悪中の最悪中の最悪の気分だ。MACHIは奥歯を強く噛みしめる。

怨敵に一太刀すら浴びせてやれなかった。

目の前ではまだ、憎き焼きそばパンが戦っている。
本当なら今すぐにブチ殺しに行ってやりたい。
だが先ほど感じた力の差。単なる実力差を越えた、生物種としての根本的な差を感じた。
心が殺せ、殺せといきり立っていても、身体がいうことをきかない。

焼きそばパンの優勢は動かなかった。
だが、戦闘スタイルを変えてからのカレーパンは随分と食い下がっていた。

「強い、強いな……! ははは! 旨さと辛さの止揚……『旨辛』という事か!」
「ヌ、ぬおおおおお……華麗、流……!」

焼きそばパンがソバを伸ばす。複数方向からの不規則軌道!
カレーパンは顔の、サクサクの衣を研ぎ澄ます。全ての方向を捉えろ――今だ!
瞬間、大半のソバが切断される。だが数本は彼の身体を貫いた。

「グッ……!」
「どうした、まだまだ本数は増えるぞ」
「オオオ……!!」

またしても焼きそばがうねり、今度は鞭のようにカレーパンの全身を乱打した。
その激痛は計り知れない。カレーパンの膝が震え始める。だが――倒れない。
カレーパンは二本の指を天井に向ける。

瞬間、カレーの大波が床から噴出し、焼きそばパンの全身に旨みを届けた。
防御を捨てた、攻撃!

「ぬ、ぬうっ、生意気な……」
「おおお……おおおおお……! 華麗流……! 『カレー三昧フルコース』!!」

チキンカレー!
野菜カレー!
ビーフカレー!
シーフードカレー!
王道ポークカレー!

これぞ奥義。一つ一つが絶品であるカレーの波が、色彩豊かに浴びせられる!
焼きそばパンが後ずさる!!

「グウ…………ッ! う、美味………………!! ハッ」

しまった、と焼きそばパンは気付いた。
カレーパンは聞き逃さなかった。
彼は息も絶え絶えの壮絶な声で言った。

「美味…………? 美味、何と言ったのだ………………?」
「調子に乗るなアァーーーーーカレーパン風情がアァーーーーーーーー!!!!」

焼きそばの奔流がカレーパンの全身を貫く。
全身の生傷からカレーを流しながら、カレーパンは哂った。

「ふ…………見ろ、貴様とて……焼きそばパン以外の味を認めないわけではないのだ」
「ハァッ、ハァッ……! 邪魔をするな。我が焼きそば千年王国の野望は絶対だ……!」

「傲慢な……! 食物のために……生命は、在るのではない……!」
「そうだな。食物ではない。神……! 我がヤキソバ神のために生命は存在する!!」
「それは驕りだ……! 全ての人が、焼きそばパンのみを愛すわけではない……!
 焼きそばパンが好みでない人はどうなる……!」

「……フ。愚問を」

焼きそばパンは嘲笑った。

「焼きそばパンに適合できぬ者など無価値!! 死ぬしかなかろうがアァーーー!!」



その言葉は、MACHIには聞き流せなかった。

MEGUは。TIARAは。KIKKAは。
真っ暗でシットそのものな世界から私を救い出してくれた恩人……最高のクソアバズレビッチなんだ。

それが、死ななければならない?
焼きそばパンを上手く食べられなかっただけで?

「ファックイエー!!」

想いながら、すでにMACHIの身体は動いていた。
ギターをあえて捨て、生身で踊りかかる。

「しつこいぞ!!」

焼きそばパンが一喝し、彼の顔面から全方向にソバが射出された。
そのソース味の花火は、MACHIとカレーパンの全身を蜂の巣にした。
MACHIは笑った。焼きそばパンは彼女を遠ざけるべきだった。

「キミから差したー……確かなヒカリー……」

MACHIは自らを貫くソバを掴む。

「眩しくてー、でもー……見つめ続けたー……」

手繰る。焼きそばパン男が近づく。

「My precious stars……woo……」
「何のつもりだ!」

焼きそばパンはさらなるソバでMACHIを貫いた。だが遅かった。
彼は頭部のパンを掴まれた。
MACHIは、泣いていた。

KIKKAを殺したのが誰か、本当はわかってる。
でも、それを理解したら、壊れてしまうから。
逃げるために全ての罪を着せ、こいつを殺す。
結局私は、殺すことでしか前に進めない臆病者だ――

「ナンバーは……腐食死……! 食いモンとして最悪の屈辱を胸に死にやがれ!」
「や……やめろ!! やめ……」



「ファックイエー」


天ノ川浅葱


「さあ! ここまでよ!」

言ってみたものの、ミルキーウェイは迷っていた。
紅しょうが男はあえてこの袋小路へ逃げ込んだ。
ただ逃げるのならこんな所へは来ない。つまり目的があってここへ来たのだ。
この地点が、当初見た要塞の「弱点」の座標と一致している事も彼女を不安にさせた。

「クク……怪盗ミルキーウェイ……単なる客寄せパンダのつもりがここまで来るとはな」
「!! それって……!」
「今さら隠しても仕方あるまい……! この記念日には注目が必要だ……
 そのためなら恥ずかしい予告状くらい書いてやるとも。
 焼きそばパンに今後ひれ伏す愚民どもに思い知って貰わねば、」

ビシ。

乾いた打擲音がし、紅の言葉は遮られた。
脚力に秀でた怪盗の、あえてのビンタ。明確な攻撃と抗議の意思だった。

「そんな事のために……!」
「フン……貴様の怪盗ごっこのほうが私には遊びに見えるがね」
「…………っ。あなたは……何なんですか……!」

「何を。見たままだ。我が名は紅生牙(くれないしょうが)
 焼きそばパン族に仕えてきた者の末裔よ」

「それに……あなたの劣等感(じゃくてん)……これは……!」
「ククク……噂どおり、触れた私の何かを盗み見たか。
 本場中国……真の『伝説』に対抗するには……これしか」

その時だった。

ゴ ゴ ン

衝突音とともに、要塞が大きく傾いた。
紅が倒れ、ミルキーウェイもバランスを崩す。
壁の影からこっそり覗いていたメリーとメアリも転がり出てきた。

「な……なんだ!?」

紅は驚き、この袋小路に備わった壁面の操作盤で、ディスプレイに外の様子を映す。
この高度で何かにぶつかるなど――
しかしディスプレイに映し出されたのは、あまりにも巨大な、人間の瞳だった。

「何いいいいいいいい!」
「うわあっ」
「「こっわー」」

その場の四者すべてが驚いた。

「おのれ……まだこんなヤツがいたのか! こうなれば最終手段を……!」

狼狽した紅は操作盤を激しくタイピングする。
よからぬ予感がした。メリーがメアリの頭部を投げる!
しかしメアリが紅にぶつかるのと、紅がエンターキーを押したのは、同時であった。

「ここから先は私も解析できていない機能……さア、どうなる……フフハハハ」
「な……何が起きるっていうの」

『コマンド ヲ ニンショウシマシタ』
機械的なメッセージ音声。

『ダイニケイタイ ニ イコウシマス』


下ノ葉安里亜


巨大全裸美女は、ちょうど眼前に浮かぶ空中要塞を一度掴んだ。
しかし突如、目の前の要塞が激しく発光した。
不意打ちの眩しさにヤスは手を離してしまう。

その瞬間。要塞の下部から、一斉に焼きそばの麺が伸びた。
それらは規則性をもって伸縮し、絡み合い、あたかも筋繊維のような形を構成し――



ズ ウ ン



そして降り立ったのは、焼きそばの巨人であった。

「…………な、何でヤンスか…………!!」

その姿、まさにルネサンス彫刻。
細部まで美しく作りこまれた筋肉は、言い知れぬ威圧感をそなえる。
地の神ヤキソバがもたらした、ヤキソバの巨神兵。
もっとも、頭部は購買部のままであったが。

そしてその筋肉は、見た目通りのパワーを持っていた。
焼きそば巨人は右腕を振りかぶった。同じく巨大なヤスに向けて。

打ち出されるパンチを、ヤスはギリギリでかわす。
大量のプラチナブロンドがなびき、あたりに異様に良い匂いを撒き散らした。
そして、

拳の延長にヤキソバの麺がまっすぐに射出され、射線にあった東京スカイツリーをへし折った。

その場の全てが仰天した。

「…………!!」

ふたたび巨人が振りかぶる。これ以上はいけない。ヤスは意を決し、敵の右拳を掴んだ。
そして空いた右手で攻撃を狙うが、今度は相手から掴まれた。
全霊の力比べ。

「ふん、ぎぎぎぎぎ…………!!」

しかし不利であった。筋量が違う。いや……筋肉ではない。それは焼きそばなのだ。
即ち。

巨人の筋繊維の一部が、意図的にほどけた。全身、数箇所。
そしてそれら麺類は狙いを定め、ヤスの柔肌を何箇所も貫く!
全裸であるがゆえ、敵の攻撃を隔てるものは布一枚すらない!

「ぐっ! あああああ…………!!」

巨大美女は苦悶に顔を歪めた。
しかし。ここで負けたら、誰が。どうやって。オヤブンを救うというのだ!!

ヤスはこらえた。

オヤブンを想えば、耐えられる気がする。
オヤブンを想えば、まだ動ける気がする。
オヤブンを想えば、もっともっと、力が湧いてくる気がする。

――それらの気のせいは、全て事実となる!!

ヤスは前進した。だが巨人は、次の焼きそばを全身からほつれさせる。
また全身を貫かれる? 何度もこのような攻撃を受けては……しかし……!



その時。



焼きそば巨人の上半身の動きが、大きく減速した。

巨人の頭部にあたる購買部、その床にびくびく震えながら手を当てる須楼望紫苑。

続いて、巨人の顎のあたり、購買部の地下部分から飛び出してくる魔女の箒。
煙を吹きながらのガタガタ飛行でヤスの顔付近に近づく。
そこに跨る少女=メリー・ジョエルが何かを叫んでいるが、小さすぎてヤスには聞こえない。

するとメリーは右手を振りかぶり、何かを――投げた。
その球体、安出堂メアリの頭部は、見事にヤスの耳の穴にホールインした。
見事なコントロール! そしてメアリは、叫んだ。

「そいつの! 弱点は! 顎んとこの動力部だーーーーーーーっ!!」

ヤスはほとんど反射的に、狙いの場所に拳を叩き込んだ。


天ノ川浅葱と須楼望紫苑


ボン、という短い破砕音とともに、要塞は全てのエネルギーを失った。
超自然の筋肉ソバは小麦の塊となり、無惨に崩れていく――。

「これはさっさと逃げるしかなさそうね……!」

メリーとメアリは飛んでここから降りた。紅しょうが男は、崩壊に呑まれて見えなくなった。
既に、弱点である動力部から逃れていたミルキーウェイは、脱出するべくあたりを見回す。
他の連中はどうなっただろか。巨大美女が小さくなるのは見えた。
彼女は急ぐように、地上に崩落した要塞の残骸の中へ突っ込んでいった。

それにしても。
まったく、これだけ動いて結局何も手に入らなかった。
偽予告状の犯人はわかったが、予告通りの焼きそばパンは、結局奪えていない。
しかし、ヒントは得た。

さっきの紅しょうが男の発言と、ビンタした時に見た彼の劣等感(じゃくてん)
(本場中国……真の『伝説』に対抗するには……)
彼はそう言った。こうなったら、行くっきゃないか! 中国!

前向きに今後を想像しながら崩落するソバを飛びわたるミルキーウェイ。
すると、プレハブ小屋のあたりで泣きそうな顔でわたわたしている女の子を発見した。

さっきの、ゆっくりな子だ。

ミルキーウェイはそちらへ迂回して、女の子……紫苑を抱きかかえた。

「あっ、す……すみません……」
「ううん、こっちこそ。さっき、助けてくれたでしょ」
「はい……あの……咄嗟に……」

あたりは崩落するソバのかけらで危険な状態だ。
だが彼女の周りはあらゆる落下がゆっくりで、なんだか優しい空間だった。

「お役に……立てたでしょうか……」
「もっちろん! それに今だって!」

「そう、ですか」

私にも、できた。千恵はわかってくれるだろうか。
焼きそばパンは手に入らなかったけれど、胸を張って自慢してやりたかった。
ゆっくりだって、いい事はあるんだよ。

紫苑は満足げに微笑んだ。
浅葱は、少女の悩みが薄れていくのを感じていた。


赤根リリア


「メリー!!」

泣き出しそうになりながら、リリアはメリーのもとへ飛びついた。
メリーはほとんど落下するように帰ってきた。
彼女はあちこちから煙を吹いて、歩くのもままならないほどフラフラになりながら、

「パン、ダメだった」

と力無く笑った。バカだなあ、と思った。リリアにとってはそれは重要ではなかった。
元々、期待などしていなかったのだから。
空中要塞に突っ込んで、撃ち落されたように見えた時はどうなる事かと思った。
わりと、本気で泣いた。でも、それはナイショだ。

彼女らはグラウンドの隅で無事を喜んだ。
すると隣にも、待ち人の元へ帰ってきた影があった。すぐにわかった。さっき巨大化してた子だ。

憔悴しきった様子でふらふらと歩み進むその子は、真っ赤だった。

「…………オヤビン」

彼女は手に焼きそばパンを持っていた。
そしてグラウンドに倒れている女の子の側にしゃがみこんだ。
周囲に居るSPらしきスーツの人たちが下がる。

伝説の焼きそばパンでヤンス

真っ赤な女の子は、真っ赤な言葉を紡いだ。

手に入れたでヤンス

これで、全部なおるでヤンスよ

見ていられない。
リリアは目をそむけた。
倒れているそこ子のために、戦っていたのか。でも彼女の持つパンは、赤い。

「さあ、食べるでヤンス」

真っ赤なパンを開封する。小さくちぎって、自らの口に咥え。
ほとんど意識がなさそうに見える倒れた子の口へ、口移しで与えた。

「信じてほしいでヤンス」

彼女は震える涙声で、縋るように語り続ける。

「きっと気になるでヤンスよ」

リリアは目を見張った。言葉の色が、変化している。

「ほんとうでヤンス……! だから……」

そう――
彼女の力は。


もしも赤い焼きそばパンを食べる女の子が、
彼女の事を心から信じているのなら……









緒山文歌と下ノ葉安里亜


その後。

アナルパッケージホールドは任務自体がうやむやになったとして、片春人として再出発した。
須楼望紫苑は変わらぬ日々を送っている。ただし少し、以前より積極的だ。
怪盗ミルキーウェイは「真の伝説」を求め、中国へ旅立った。

カレーパンは死の淵を彷徨っているところを保護され、華麗流の皆伝を認められた。
MACHIの行方は知れない。ただし、福岡県で焼きそばパン工場の放火が報じられている。

メリー・ジョエルはしばらく学校を休んだ。赤根リリアとは仲良くやっているが、
彼女は最近できた安出堂メアリという友達には、ちょっと引いているそうだ。

そして――






「おいヤス」
「へい」


「アタシが頼んだの、クリームパンだよな」
「……えっ!? そうだったでヤンスか?」
「テメェまたか……!」
「ヒイィ……ッ!」


「…………ッ あれ? 殺されないでヤンス?」
「お前何でニヤニヤしてんだよ。気持ち悪ぃ」


「だ、だって……」
「あ?」
「だって……」


「…………。」
「ヤンス……」


「……なあヤス」
「へい?」










「……やっぱ何でもねえ」

「な、何でヤンスか~~! やっぱり殺されるでヤンス!?」
「メシにする。たまには焼きそばパンも悪くねえ」



「…………!!」



「はいでヤンスっ!」



おわり