本戦SSその5

お詫び
プロローグSSにて須楼望紫苑も登場させるようなことを書きましたが、このSSには登場していません。
話の方向性がプロローグ執筆時点のイメージ通りにいかず、自分には無理なく組み込むことが出来そうになかったためです。期待してくださった方、すみません。

5月7日、12時23分――希望崎学園新校舎。

「伝説の焼きそばパン」を求める者達は授業終了と同時にドアから窓から飛び出して行き、外では爆発音や怒号に悲鳴、喘ぎ声が聞こえてくる。
数にして生徒総数の半分ほど。残った半数は校舎に残り、争奪戦を話の種に、概ねいつも通りの昼休みを過ごそうとしていた。


「めろんちゃん、あれだね、『購買』」
「本当だ」

2階フロアから見下ろす形で小松純が指さし、甘粕(あまかず)めろんが目をやる。
吹き抜け構造の1階ホールには「購買部 出張販売所」と書かれたテントがあった。
この日の購買部にはとても近づけないが、購買が無いのは不便、という生徒のための措置だ。
長机にはおにぎりにパン、飲み物などが数種類ずつ並び、生徒たちがそれを買い求めに訪れている。

――緒山さん?

小松は買いに来た生徒の中に、自分と同じくらい小柄な人影を認める。
その女生徒、緒山文歌はどこの学校にもいそうな半端にヤンキーぶった少女だが、超美人の先輩をパシリにしているという他にはない特徴があった。
同じ空間にいるだけで僥倖というくらいの美貌に容赦なく拳を振るう神をも恐れぬ所業で知られている。
しかしこの日は自分で買い物に来ているらしく、財布を片手に机の上のパンを選んでいる。先輩はどうしたのだろうか。

「純」
「ん?」

なんとなしに緒山を見ていた小松をめろんが呼んだ。

「先に家庭科室行ってて。私、飲み物買ってくから」
「一緒に行くよ。私も飲み物欲しいし」

二人はクラスこそ違うが、調理部とパン研究会、共に調理系の部に所属していることもあり仲が良かった。プライベートで一緒にパンを焼いたりお菓子を作ったりということも珍しくない。
この日は互いの慕う先輩が争奪戦に参加していることから、家庭科室で軽食でも作って帰りを待とうということになったのだった。
どちらが伝説の焼きそばパンを得ても――或いはどちらも得られなくても――お疲れ様でしたと笑顔で迎えようと。

1階へ降りる階段へと向かう直前、小松はまたなんとなしに出張販売所を一瞥する――その視界を、人影が一つ落ちていった。

「え?」
「ファーーーーック――」

3階フロアから飛んだその少女は大上段に構えたエレキベースを、出張販売所のテントに

「イエエエエッ!!」

容赦なく振り下ろした。

「きゃあっ!!」「うわっ!!」「ひぃっ!!」

金属質な衝撃音と悲鳴が重なる。
その一撃を受けた屋根の骨は容易く圧し折れ、衝撃で4本の脚までも大きくひしゃげ、テントは半壊状態となった。魔人として見ても恐るべき膂力である。

狂気のガールズバンド「God Wind Valkyrie」――「ゴッヴァル」にはTIARAというベーシストがいた。
そのスラップ奏法(ベースでぶん殴る)の威力をとあるブディズムパンクロッカーは「悟るかと思ったぜファック」と評している。
少女の一撃が今は亡きTIARAに捧げたものであることを、知る者はこの場にいない。
彼女の名はMACHI。
「ゴッヴァル」のイカれたメンバー、その唯一の生き残りである。

「な、ななななんですかあなた!?」

ひっくり返って腰を抜かしていた購買部の1年生・河合爽(かわいそう)は震える声で少女に言う。
購買部の精強な先輩たちは「伝説の焼きそばパン」関係の仕事にかかりきりのため、出張販売所での接客を任されていたのだ。
気性の荒い魔人はほぼこっちに回るから魔人じゃないお前でも大丈夫、と聞いていたのに、蓋を開ければ狂人が降ってきた。
それもモヒカン頭に肩パッド姿ならまだわかるが、少女の格好は着崩した制服に青のメッシュ、手首はファッションメンヘラ御用達の包帯グルグル巻き……さらにはエレキベースを手にしながらギターを背負い、首からドラムスティックとマイク、なんかハーモニカまで下げている。
怖い。口から小便を漏らしそうだ。

「おい、てめー何やってんだよ! 買い物できねえだ……ぶえっ!!」
「あっ」

背後から歩み寄り少女の肩を掴んだ緒山文歌は、無造作なギターの一撃を受け、吹っ飛んで転がった。

「あ……うっ」

気を失った緒山の手から、クリームパンが二つ、ボトリと落ちる。いつもならすぐさま彼女のかたきを討ってくれる「ヤス」はこの場にはいなかった。

アイプチの施された少女の目は緒山に一瞥をくれることもなくこちらを見下ろしていたが、突然涙が溢れ、頬を伝った。
固く閉じていた口を開き、言葉を発する。

「……んで……ばパン……ってるの?」
「はい……?」
「なんで焼きそばパンなんか売ってるの!!??」
「は? えっ?」

わけがわからない。たしかに商品には伝説でないノーマル焼きそばパンもあったが、だからなんだというのか。

「KIKKAもTIARAもMEGUも、天国で泣いてるよ!! 焼きそばパンなんかがあるから、世界はこんなにクソまみれなんだよ!?」

ポロポロと涙を零しながら、少女はゼロ年代っぽいことを訴えてくる。
と、今度は手にしていたベース――まっ白いフライングV――を抱いて激しくかき鳴らした。
鳴らした、と言っても出るのはピックがカチャカチャと当たる音だけだが。
思い切り叩きつけた衝撃でネックはポッキリいってしまい、6本ある弦は4本が切れている。そもそもアンプに繋いですらいない。
後ろの生徒からはボディ裏に「軽音楽部備品」とシールが貼ってあるのが見えた。泣いているのは軽音部員だろう。

「みんなは泣いてるのに、フライングV(このコ)全然鳴いてくれない!!」

「それはMCか何かのつもりなのか」「頭がおかしい」――周囲の誰もが思った。
そして、彼女は机の上に手を伸ばす。

「こんなものが! こんなものがあるから!!」
「あ、ちょっ……」

少女の手が掴んだもの、それはもちろん、焼きそばパン。

「『KILLER★KILLER』ッ!! 『ナンバー:爆殺』」
「ギャアーッ!!」

小爆発。
机までもフライングVのように折れ、パンに麺、具が飛散し、河合はゲロと小便を漏らした。

「今のはKIKKAの分!!」
「これはTIARAの分!!」
「そしてこれは、MEGUの分だー!!」

少女が次々に魔人能力を行使した結果、周囲はもうもうとした煙に包まれる。
河合は失神。机の上に並んでいた焼きそばパン、親戚のナポリタンドッグは揃って爆破され、凍りつき、ドロドロに溶解して刺激臭を放っている。
あたりには他の食品も撒き散らされているが、あとで食べてくれるスタッフなど存在しない。
その地獄にあって、少女の流す涙は、なによりも輝いて見えた。

「みんな、まだ、まだやるからね……次は――」

袖で涙を拭い、顔をあげる。
希望崎の焼きそばパンはこれで終わりではない。真の巨悪が残っている。
死んだ木と化したフライングVをその場に捨て、走りだそうとした時。

「スゥーーッ……セイ!!」


12時25分。
新校舎からグラウンドを横切り、舗装路を進む……それが購買部への最短ルートだが、その途上は死屍累々と呼ぶに相応しい有り様だった。
殴られ、蹴られ、魔人能力で攻撃され、バイクに跳ねられ、誰かが仕掛けた地雷を踏み、落とし穴に落ち、「くさむすび」ですっ転び、アナルにバイブを挿入され……。
他者を蹴落とした者もまた別な誰かに蹴落とされる、この世の縮図、弱肉強食、阿鼻叫喚。
参加者の七割近くはグラウンドを越えることなく再起不能(リタイア)――保健委員に回収された。

その先の舗装路にもクラッシュしたバイクや自転車、動けなくなった参加者が転々と続く。
そして、最前線……新校舎から2km弱の地点。

「ひで……ぶっ!!」

なんかよくわからない巨大なマシンで覇道を爆進していたモヒカン十傑の将星・性帝FUCK郎(髪型はオールバックである)は眼前に立ち塞がった少女に敗れ、その場にどうと倒れた。

「愛や情は悲しみしか生まぬ……なのに、どうしてお前は……」

自分を見下ろす、白い狼に跨った少女に問う。
狼と同じ白い髪の少女は何も言わないが、拭いた風にスカートがめくれ上がり、上手い角度で倒れていたFUCK郎の目に下着が映る。

「お師さん……もう一度、温もりを……ゲフッ!!」

遠い日に見た幼稚園の先生(お師さん)のパンチラを思い出し、涙を流したFUCK郎は、狼に蹴られて気を失った。

狼を駆る少女――狼瀬白子(ろうぜはくこ)は見る者もいないのにスカートをパッと抑え、顔を赤らめる。羞恥心もあるが、FUCK郎の魔人能力「昇天十字棒」の影響も残っていた。

「あらかた片付いたようだ……お疲れ様、ドゥン=スタリオン」

白子は顔をあげ、愛狼の頭を撫でてやる。
その目に映るのはリタイアした参加者やマシンの残骸の転がる道。
これより先には誰一人として通していない。
白狼の騎士(ナイト・オブ・ホワイトウルフ)の武名に恥じないだけの務めを果たせた。そのことで真っ先に胸に浮かぶのは、高揚よりも安堵感であった。

さて、彼女は何をしたいのか。先に進みもせず、他の参加者の進路を塞ぐ……自身の焼きそばパン購入は初めから捨てた態度だった。彼女は何のためにここにいるのか。

「ああ……」

白い頬に再び赤みがさす。漏らした吐息はどこか甘い。
一旦安堵した彼女は、務めを果たしたことで「あの子」からもらえる「ご褒美」を想像し……それだけで昂ってしまっていた。

――いかんいかん!

まだ戦いは終わっていない、と邪念を振り払い、再び白狼の騎士の顔へ戻る。
そして、まだ来る者がいることに備え、新校舎の方角を睨むと……。

「ん? なんだ、あれは」

校舎の屋上から何かの影が空に向かって放たれるのが見えた。



――ご褒美にいっぱい吸ってあげますね、狼瀬先輩。

可憐塚みらいは森の上を飛びながら、自身の下僕――狼瀬白子の奮戦を称える。
まだついてこそいないが、購買のプレハブ小屋は目と鼻の先。このまま飛べば1分もかかるまい。

今の彼女の姿は、1羽の蝙蝠だった。
魔人能力『ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュに捧ぐ』は、彼女に吸血鬼(カーミラ)としての能力と性質を与える。コウモリ、ネズミ、クロネコといった動物への変身もその力の一部だ。
狼瀬白子を始めとする彼女の血の下僕たちが参加者の数を減らし、舗装路をバイクで、という最短ルートを潰してくれるおかげで、彼女はこうして悠々と空から購買を目指すことが出来た。

――よかった、あのころ読んでいたのが「ドラキュラ」じゃなくて。

「ドラキュラ」は「カーミラ」の影響を強く受けた吸血鬼だが、弱点の数は格段に多い。
特に最大の弱点が太陽光では、そもそも争奪戦に参加すら出来なかったろう。

幸運に感謝しつつ、みらいは今や目と鼻の先のプレハブ小屋へ向け、高度を下げる準備に入る。
と、その時――。

何か飛んでくる。
風を切る音を、コウモリの鋭い聴覚が捉えていた。 
みらいは宙でひらりと身を躍らせ、「それ」を躱してみせる。ピンポン玉ほどの小球だった。

「はじけてまざれっ!!!」

叫びに合わせて、球が宙で爆ぜた。
それは無数の微粒子となって拡散し、周囲の空域を包んでしまう。

――これは? うっ!!

みらいの失敗は、息をしてしまったことだった。
吸い込まれた粒子が鼻孔の粘膜に付着すると同時、刺すような痛みが脳天を貫いた。
もはや臭いとも言えぬ知覚を介したダメージにみらいの意識は遠のき、コントロールを失って落下していく。

「ギィッ……ギ……ミィアアーーッ!!」

落下する間、みらいはコウモリから中型犬ほどもあるネコへと姿を変える。
普段なら難なく着地できていただろうが、今はそれにも失敗し、落ちた木の枝をへし折って地面に叩きつけられる。

「うっ……ああ、なに? あの粉……」

元の姿に戻ると「耳抜き」の要領で鼻から粉末を噴き出す。
さっきよりはマシだが、それでも頭痛が激しかった。無様な姿だ。

「それが正体か。コウモリにしちゃ飛ぶのが速過ぎると思ったが」

声にやや遅れて、藪を掻き分け、男が歩いてきた。
3年生の腕章をつけた男子生徒。それはいいが。

 ――カレーパン……?

彼の首から上は、紛うことなきカレーパン。
『東京都 柳瀬嵩(やなせたかし)くんの作品だ!!』とでも言いたくなりそうな雰囲気と華麗臭(加齢ではない)を漂わせている。

「コウモリに変身……吸血鬼ってやつか? にしては太陽の下でもピンピンしてるな」
「どっちかっていうと先輩の方がよっぽど正体気になるんですけど……」

みらいは言葉を交わしつつ、カレーパンの手にした土団子のようなものを注視する。
さっき飛んできたのはあれだろうか。この距離でも鼻に刺さるような匂いを感じる。
嗅覚に優れたコウモリ――それも吸血鬼化のブーストがかかった――の状態で思い切り吸い込めば、あんなことになるのも無理はない。

「何ですか? それ」
「スパイスの中には、単品じゃ刺激が強すぎるものがある。これはそれを固めたものだ。野生動物には強力な武器になる」
「スパイス……」

やはり、彼はカレー(ダジャレではない)に造詣が深いのだろう。みらいもこの体になる以前は好きな食べ物だったが、今は関係ない。
今求めるのは、伝説の焼きそばパンの味だけだ。

「その状態でも効くのか知らんが、まあ……」

男が投げる構えを見せると、みらいが反射的に形のいい鼻を抑えた。
しかし。

「華麗砲っ!!」

逆の掌をかざすと、大量の熱々カレーが虚無から生じ、みらいへと放たれる。

速い。まともに浴びれば再起不能。迫るカレーの津波を前に、しかしみらいは身じろぎ一つしない。
カレーに呑まれる刹那、その体は瞬時に黒い霧へと変わり、文字通りに霧消した。

「なに!?」

カレーパンの顔に初めて動揺が浮かぶ(変化はないが)。
周囲を見回すが、どこにもみらいの姿はない。気配も感じ取れない。
彼女がいた場所へと視線を戻した時、その背後に黒い霧が急速に集まり、人型を為した。
気づけば背後に現れたみらいに両手首を掴まれ、封じられていた。

「くっ……」
「ここですよー先輩」

白くたおやかな彼女の手は恐るべき握力でカレーパンの手首を掴んでいる。
その気になればたやすく腕をねじ切るだろう。
カレーパンの首筋に顔を近づけると、形のいい唇から異常に発達した犬歯を覗かせる。

「キャラ的に男の血ってちょっとアレだけどー、まあいいや。いただきまーす」
「離せっ……う!! ああ……」

犬歯が肌に刺さると同時、注ぎ込まれた麻薬成分がカレーパンを快楽で弛緩させ、そして直後血管から血を吸い上げる。

――おーいしっ……!!

「あ、ぎゃああああああああああああああっ!!」

妖艶な笑みから一転、みらいは目を見開き絶叫してカレーパンから離れた。

「うぇ……えあっ……ぐ、ぶえっ……え、げっげぼぁっ!!」

苦悶に大きく身を捩って地面に崩れ、這いつくばって口の中のものを吐き出す。
犬歯を通じて体内に取り込まれ、内から灼かれるような苦痛を与えたもの、それはカレーパンの血……ではなく。

「辛え……辛え……カ、レェ……?」

カレーであった。
かなり赤っぽいが、たしかにカレーだ。嗅ぐだけで汗が噴き出しそうな程にスパイシーな香りを放っている。
生徒会のカレー魔人・架神恭介の「サドンデスソース」にも匹敵する即死級極辛カレーである(別に死にはしないが)。

「なんっ……なんっ……れ……?」

大量の脂汗と涙、鼻水にまみれた美貌で、みらいは眼前の男を見上げる。

「なんでもなにも……カレーへの信仰は俺の血肉。そりゃ血もカレーになる」
「ひ、ひょんな……っ、あ……」

彼の体への疑問より、今はこの苦痛をなんとかせねばならなかった。
血を吸うための器官に刺激物を注ぎ込まれた。頭が痛い。吐き気がする。頑強な肉体を持つ彼女ではあるが、想定外の苦痛に対しては普通の少女と大差なく脆かった。

「ぢ……ぢぐっ……」
「先を急ぐ。悪いが後は自分で何とかしてくれ」

動けないみらいにカレーパンは背を向け、購買へ向かって走り出す。
その姿に侮辱を感じ、みらいは激高する――が。

「待、あっ……」

間の抜けた声を漏らして、自分の腹部に目をやり、手を当てる。
腹が痛い。
刺激物を摂取すれば消化器官がおかしくなるのはよくあることで、血液以外の飲食さえ数年ぶりのみらいは尚更だった。
「後は」とは、つまりそういうことで……。
苦痛と恥辱に表情を歪め、痛む腹を抑えながら少女は茂みの奥へと消える。

12時28分、可憐塚みらい――再起不能(リタイア)



12時26分。購買まで500m程の地点にて。

「ヤン――スッ!!」

下ノ葉安里亜は足元の倒木を蹴りあげ、右手でガッシリと掴むと全身の捻りと共に対象へスイングする。
迎え撃つ対象――久留米杜莉子の右腕は筋肉が隆起し、肘より先が棘付きの金槌へと姿を変えた。
肉叩き(ミートハンマー)!!

「フンッ!!」

カウンターの一撃に倒木は砕け散り、粉々になった木片があたりに降りそそぐ。

「ぬうっ……!」
「ずいぶんなパワーね」

杜莉子は安里亜の一撃をそのように評価する。
朽ちているとはいえ大人が腕を回して届くかどうかという大木を片手で振り回してみせた。
魔人オランウータンでもこうはいかないだろう。

彼女がいかにハイスペック魔人とはいえ、杜莉子のような特異体質ではない。にもかかわらずこの腕力。

「やっぱり、『それ』を食べたから?」

それ、が指すのは彼女らの周囲に転がる空き缶。
腕力増強のほうれん草の缶詰、下ノ葉メディカルフーズから発売されている特定保健用食品である。
両者が出くわし、戦いの最中に安里亜がこの缶詰を食ったところ杜莉子にも引けをとらない怪力を発揮したのだ。

「食は力ね」

杜莉子はその一言で片付けたが、実際は当然缶詰にそこまでの効力はない。重要なのは日々の積み重ねだ。
しかし、安里亜の魔人能力『馬鹿は百薬の長』はプラシーボ効果を極大にブーストすることが出来る。愛してるの響きだけで実際に強くなれるのだ。

――厄介な女でヤンス……。

安里亜は表情を険しくする。
久留米杜莉子は強敵だった。能力でドーピングした自分と同等以上の身体能力と調達部での豊富な戦闘経験。
さらに、自分の十八番「フリスクを口に放り込んで下剤だと偽る作戦」を、「私、そんなヤワなお腹じゃないもの」の一言で破ってみせた。
もはや購買は目と鼻の先といえ、こうしている間にも他の参加者たちに先を越されても不思議ではない。これ以上かかずらってもいられないが、かと言って放置して進むわけにも……。

ぐぅ~~

場の沈黙を破ったのは、杜莉子の腹の音だった。
緊張感に水を差す音だが、当の杜莉子は恥じらう様子も見られない。
ただ。

「ああ、お腹減ったわね。朝(ご飯を摂って)から何も食べていないから」

ちなみに朝食はカツ丼15人前だった。焼きそばパンの楽しみを増そうと敢えて絶食していたのだが、ちょっと失敗だったかもと思う。
スタート直後、教室でカレーパンと交戦がてら彼のカレー(ダジャレではない)くらいつまんでおけばよかったかも知れない。

「腹が減っては戦はできぬって、全くその通りね」

その言葉に、安里亜がぴくりと反応する。

「『戦は出来ない』でヤンスか?」
「ええ、もうペコペコ……でも、やっぱりそっちのほうがより美味しい……っ?」

ごく軽い調子で答えていた杜莉子が表情を変えたのは、全身が異常な倦怠感に襲われたからだった。

「これは……え?」

杜莉子はこの感覚を知っている。飢餓状態だ。だが、あまりに唐突すぎる。
流石にもっと動けるだけのカロリーは体内にあるはずだ。

「なんで、ここまで……」
「腹が減ってるんでヤンしょ?」

意識さえも遠のき始め膝をついた杜莉子に、安里亜はごく冷淡に言う。

「あなた、何か……」
「じゃあ、オイラは行くでヤンス。飯なら全部終わってからゆっくり食えばいいでヤンス」

問いに答えることなく、踵を返し去ってゆく安里亜。
伸ばした手は届くことなく、視界は徐々にぼやけていき――。



『パパ……鳩さん食べちゃダメだったの? 杜莉子、悪い子なの?』
『そうじゃないよ。でも、お友達を怖がらせちゃったね』

『パパ……みんなが杜莉子のことお化けだって言うの。みんな食べられるって……。杜莉子、みんなのことも食べたくなっちゃうのかな?』
『杜莉子は優しい、いい子だよ。でも、杜莉子の中には「クルメ細胞」ってものがあるんだ』
『クルメ細胞……?』
『クルメ細胞は、すごく食いしん坊なんだ。杜莉子が力持ちなのも、怪我がすぐに治るのも、すぐにお腹が空くのもクルメ細胞のせいなんだ。
 お腹がすくってことや、食べることに、杜莉子はみんなより用心しなきゃね』



――オヤビン、待っててでヤンス! 

1人の少女のため、安里亜は購買へラストスパートをかけようとした時。

「おい」

知らない声がした。
振り向くと、久留米杜莉子の顔があった。

「えっ」

安里亜が驚いた理由は二つ。
飢餓で行動不能に陥ったはずの彼女が動いていること。
それも同一人物とは思えない、悪魔の如き形相をしていること。

 そして。

「あっ……」

声と共に血が口から漏れる。
腹が焼けるように熱くなり、目をやればぽっかりと穴が空いていた。空洞の周り、白地の制服が赤く染まっていた。

「……オヤビン、ごめんでヤンス」

何もかもわからないまま一言だけ発して安里亜は倒れ、動かなくなった。

12時29分、下ノ葉安里亜――再起不能(リタイア)



「なんだ……あれは?」

舗装路を塞いでいた狼瀬白子は、校舎屋上から砲弾のごとくに射出された何かが斜め上方にぐんぐんと上昇していく様に目を凝らした。
青空に吸い込まれる白い影は一度は見失うような高度まで達すると、そこから射出時と比べ緩やかな角度で降下を始める。
いや、降下というよりは……。

「滑空……?」

高度が下がると、その形状も白子の目にぼんやりと判別できた。
人だ。ムササビが飛膜を広げたような形状の白いスーツに身を包み、揚力を得て空を飛んでいる。
その白い鳥人は間もなく白子の頭上を通過していくだろう。降下地点はおそらく……。

「まずいっ!!」

白い顔に冷や汗が浮かぶ。もうみらいが購買に着いているならいいが、そうでなければ……。
踵を返し、ドゥン=スタリオンを走らせようとした時、ポケットの携帯が振動する。
みらいからの着信だった。

「可憐塚さん、焼きそばパンは……え? 下着の替え?」




白いウィングスーツに*マークの鳥人、アナルパッケージホールド――片春人は高度300mでパラシュートを広げ、購買前へと着地すべく慎重に重心をコントロールする。
ジュニアユース時代からカタパルト一筋15年……その経験とは別に、1週間ほどダイビングの講習を受けて培った飛行勘。付け焼き刃なので不安だったが、上手い具合に着地できそうでホッとする。

ウィングスーツはともかくどうやって独力で高空へ上昇したのか、説明せねばならないだろう。
夜魔口FCが連休中、こっそり屋上に設置しておいてくれた、カタパルト練習用の射出台。そこに重りをくくりつけた人体模型をガッチリと固定するとそれと両足を合わせる形で寝そべり、カタパルトキックの反作用で自身を打ち上げたのだ。
「本当のピンチまで奥義は封印」とかプロローグには書いたが初手ぶっぱして正解だった。
着地まであと30秒ほどだろう。購買周辺に人影はない。
動画配信を盛り上げるため社長にはなるべく他の参加者(出来れば女子)と戦えと言われていたが、難なく購入できるならそれがベストだ。

――栗子、ゴンベ、ルシス、見せられないけど、父ちゃんはや……ん?

地上数mまで至り、五接地転回法の体勢に入ろうとした時、予想外の事態が起こる。
着地点の地面が突如隆起し、そこからスコップを手にした少女が一人、飛び出してきたのだ。

――あれは……。

会ったことはないが、よく見知った少女だった。正確には、そのコスプレをしたオッサンをよく知っていた。
シルクハットに仮面……海綿体へ一気に血液が流入するのを感じる。

つまりは怪盗ミルキーウェイ、その人であった。


天ノ川浅葱が希望崎の地下に広がるダンジョンの一角から掘り進め、購買前へと繋がる坑道が開通したのは連休最終日の朝のことだった。
大した腕力のない彼女にそんな真似が出来たのは、魔人能力によって壁や岩盤の脆い部分を『見抜』いたからだし、独力での作業にもかかわらず崩落などしなかったのも、やはり刺激してはならない部分を『見抜』いたからに他ならない。

――お、これ一番乗り?

太陽の下に出ると、自分以外周りに人影はなかった。
結局どうするか、何も決めていないのだが、それでもこの状況には怪盗としてワクワクしてしまう。
と、そこに。

「ア……」
「へ?」

「影」に気づき、顔をそちらに向けた時には、もはや避けられるタイミングではなかった。
空から舞い降りたピチピチスーツのマッチョマンと、地下から這い出した美少女怪盗――運命を感じさせる出会い。

「アナルッ!!」
「ぐえっ!!」

優雅さの欠片もなく派手にぶつかった二人はパラシュートごと激しくもつれ合い、ゴロゴロと地面を転がる。

「あいたた……ん? この硬い、棒状のものは……ぎゃあああああっ!!」
「アナル……」

 自分が男に馬乗りになり、何を掴んでいたのかに気づいたミルキーウェイは悲鳴をあげて飛び退いた。

「な、な、何なの? あなた」
「アナル! パッケージ! ホールド!!」

無駄にキレキレのポージングつきで男が名乗ると、最後の「ホールド!!」で筋肉が怒張。スーツがビリビリと破け、ブリーフ1枚の肉体美が露わになった。

――へ、変態だ……ていうか。

この男も、争奪戦参加者と見て間違いない。このままでは「伝説の焼きそばパン」をこの男にとられてしまう。
いや、そもそも自分も狙っているわけではないし、買いたいなら買わせてやればいいのだが……。

――なんか、なんか悔しい……。

偽の予告状を出したのがこの男のボスとも知らず、ミルキーウェイは妙な対抗意識から彼に焼きそばパンを渡すまいとしていた。
お互い購買までは数歩の距離だが、ミルキーウェイの方がやや近い。走れば先に入店できるだろう。しかし。

――なんか、背を向けたら危ない気がする。

何がと言えば、お尻が……。
ならば、バックステップで入店だ。いやだから入店してどうする?

「別に、怪盗だろうと何だろうと構わないよ。お金を払って、希望崎(うち)の生徒ならね」

ドア越しに店長の見透かしたような声がした。

――希望崎の生徒……それは……ん? げっ!!

慌てて顔に手をやると、そこにはマスクの感触がない。さっきの衝突時に外れて落ちていた。
見透かされているのは、素性の方だったのだ。

「うごああ~っ」

両手で顔を抑え、身悶えるミルキーウェイ、いや天ノ川浅葱。その隙をアナルパッケージホールドは逃さない。仮面が脱げた彼女相手なら、おっきせずに対処できた。
サッカー選手のフットワークで脇を抜こうと大きく踏み出した――瞬間。
細く鋭い何かが、彼の両股を貫いていた。

「アナルッ!?」

バランスを崩し、勢い余ってどうと倒れる。ドアまであと数十cmというところだった。
ぐるりと首を回し、視線を向けた先、そこには1人の少女がいた。

眼鏡に三つ編み、膝丈スカート……文学少女という感じの容姿だが、上半身はところどころカレーが付着し、そして傷ついた男子学生を脇に抱えていた。
彼の頭部――カレーパンは中身が抜けきったようにべしゃりと潰れている。

「やっと……購買か。待ちわびたぞ……」

少女はその男子を無造作に投げ捨て、こちらに悠然と歩いてくる。
口元に浮かぶ邪悪な笑み、目に宿る黒い光は浅葱も、アナルパッケージホールドも圧倒されるものがあった。

「カロリー補給のために、アイツの吐いた糞を喰うはめになったからな……」

脇に転がるカレーパンに侮蔑的な言葉を投げると、死んだように動かなかった彼はぴくりと身を震わせ、無い口を開いた。

「貴様……久留米じゃ、ないな……」

カレーを糞便に喩えるのはカレー教において最大の罪である。
杜莉子はカレー教徒ではないが、彼女は美味かろうと不味かろうと、食物を軽んじることは決してなかった。

「何なんだ……? 貴様」
「久留米杜莉子の、内側に棲むもの、とでも言っておこうか……」
「……『クルメ細胞』……!」

杜莉子はカレーパンに語ったことがあった。自分に移植されたクルメ細胞は恐るべき食欲を持ち、時に自分を支配しようとしてくると。
実際のところは彼女の父親の創作なのだが、しかし杜莉子の内心においては、それは間違いなく実在するものであった。
だからこそ、下ノ葉安里亜の『馬鹿は百薬の長』がその暴食ぶりを刺激した際、クルメ細胞は杜莉子の体内、その精神に顕現したのだ。
父がかつて語った通りの暴力的な食欲と、圧倒的なパワーを宿して。

動けずにいる浅葱の横を素通りし、悪魔が入店する。

「あんた……何があったんだい……?」
「……店長(あんた)の気にすることじゃあない。ほら」

レジに108円と購入許可書、学生許可書を置く。
聞こえていた話の真偽はともかく、自分の知る調達部の問題児・久留米杜莉子とはあまりに違う。そのことに店長は困惑しつつ、購入条件を満たしているのは認めざるを得なかった。

「……毎度」
「ふ、ふははははは……さあ、来い、焼きそばパン」
「?」

悪魔の言葉に呼応するよう、焼きそばパンに驚くべきことが起きる。
レジ前のガラスケースに収まっていたパンが独りでに浮き上がったのだ。
悪魔がナイフと化した指を表面に当て、すっと滑らせるとガラスは真っ二つに割れ、そこから焼きそばパンが飛び立った。
宙で包んでいたラップが勝手に剥がれ、剥き身の状態で浮遊している。

「店内で飲食は禁止だよ」
「……フン」
「この、餓鬼っ!!」

注意を鼻で笑い、焼きそばパンを引き寄せる悪魔に、店長は拳を振るう。
直後、プレハブ小屋の側面が吹き飛び、大穴から店長が飛び出してきた。

「店長さん!!」
「逃げな、アンタ。あっちの子を担いで」

もはや怪盗でもなんでもなく、怯える少女に店長は宣告する。
見れば店長の脇腹からも夥しい流血があった。

「化けモンだねありゃあ……」

何故こんなことになったのか。何があれを生み出したのか、この場の誰にもわからないが、その言葉の正しさは間違いない。
店長が顎でしゃくった先、半壊した店内では悪魔の食事風景が繰り広げられていた。
しかしそれは食事というには、あまりにも禍々しすぎた。

「何……あれ?」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

瘴気の満ちた店内に恐ろしく低い声が響く。
悪魔は焼きそばパンの半分ほどを口に咥え、もう半分をはみ出させている。
そこだけだと滑稽にも思えるが、しかし焼きそばパンから縮れ麺状の茶色い触手が幾十も伸び、少女の全身へと根を張るように繋がっている。
焼きそばパンを食っているのか、焼きそばパンが食っているのか。
杜莉子の瞳の黒はこれまでより遥かに色濃く、眼球の全てが真黒に染まっていた。

「早く逃げな!! 早く!!」

店長の激が飛ぶと、浅葱はハッとしてカレーパンのもとへ駆け寄る。
起こそうと伸ばした手を、震える手が力なく払う。

「俺は……残る……」
「でも、あんなの……」
「『奴』が……『奴』がいるなら……逃げるわけにはいかない……」

萎れた顔は、真っ直ぐに店内を睨みつける。
唸り声はいつしか消え、そこに異形の頭部を持つ少女がいた。
少女の頭は、焼きそばパンだった。

「え? え……」

カレーパンと焼きそばパン、浅葱は二つの顔を交互に見やる。

「決着の時、か……だが、情勢が悪すぎるな……」

苦い声を漏らす。
「伝説の焼きそばパンを奪い合う」――恐らくはそれこそが、アレが顕現するための儀式だった。
中二力渦巻く希望崎という場所で、数多の魔人の愛憎を向けさせ、そして最も適した魔人の肉体を依代に……。

「クルメ細胞、か……」

たしかに杜莉子の肉体は、最も焼きそばパンの意志に愛されるものであったろう。
誰よりも純粋にそれを欲したのだから。
だが、焼きそばパンに愛されるのは、欲した者だけではない。
誰より焼きそばパンを深く憎んだ者もまた……。
3人が同時に喉に詰まらせて窒息死。そんな理不尽すぎる不幸もまた、焼きそばパンの策略とは知らず。

「あれは……」
「アナルっ?」

店長とアナルパッケージホールドが、遅れて浅葱とカレーパンが驚愕する。
顕現を果たした焼きそばパンの横に、もう1人の少女の像が現れたのだ。
実体はなく、消え入りそうに希薄だが、たしかにそれはそこにいた。
青いメッシュに包帯の、ギターを背負った少女。

「あんたも、かい……」

久留米杜莉子に、MACHI……二人の少女がここに、焼きそばパンの意志の器として存在していた。


12時30分、希望崎学園新校舎1階ホール。
少年と少女が対峙していた。

『ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン』
「スゥーッ……セイ!!」
「あはは、何そのお経、中二病? 糞キモいよ」
『ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン』
「スゥーッ……セイ!!」

購買の出張販売所を襲撃し、焼きそばパンを魔人能力で蹂躙していたバンドメンバー風の少女。
そこに現れたこの少年・雲水が試みたのは物理的な制圧ではない。
彼女に魔が憑いていること、魔は焼きそばパンに由来するものであることを少年は感じていたのだ。
電話越しに雲水の師匠・龍玄の唱える真言を浴びせ、彼女に向かって刀印を結ぶと、周囲に渦巻いていた黒い靄が動きを止め、徐々に薄れていくのが周囲の生徒らにも見てわかった。

「ちょっとやめてよー耳に糞がかかるじゃん」
『ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン』
「スゥーッ……セイ!!」
「やめ、やめ……ろっ」

冷たく嘲っていた少女の顔に苦悶の表情が浮かぶ。そして。

『ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタタラタ センダマカロシャダ ケンギャキギャキ サラバビギナン ウンタラタ カンマン』
「スゥゥゥーーッ…………」
「ファッ……」
「セイイイイイイイイイイイッ!!」
「あ゛っ」

MACHIの瞳が光を失う、周囲の黒い靄が一瞬で消し飛び、彼女はその場に力なく崩れ落ちた。
周囲からもあっという声があがり、すぐに雲水を称える歓声が続いた。
しかし当の本人は表情に安堵の欠片も浮かべることなく、倒れたMACHIに歩み寄ると傍にしゃがみ込み、意識を失ったままの彼女に掌を翳す。

『どうだ? 雲水』
「ダメです、師匠。祓えてはいないようです……恐らくは、購買の方へと飛んだだけでしょう」
『焼きそばパンの意志、か……』

「なんですか? 焼きそばパンの意志って」

気絶した緒山文歌を介抱していた小松は、師弟の会話に気になるところがあって悪いと思いつつ口を挟んだ。

「伝説の焼きそばパンって調達部の人たちが獲ってきたものですよね? ご利益があるっていっても……そんなに特別なものなんですか?」
「物としての焼きそばパンが重要なわけじゃないんです。いえ、伝説の焼きそばパンとして一種の信仰を集めていることは極めて重要なんですが……」

小松の問いに雲水は穏やかな口調で答えてくれる。内容は正直よくわからなかったが。

「物としての焼きそばパンの背後にある……連綿と継がれてきた焼きそばパン概念の持つ意志……それが今、姿を現そうとしています」
「そういえば先輩も……似たようなこと言ってたかも」

今度は隣のめろんが反応する。

「とにかく、近くの彼女に気配を感じてこちらに来ましたが、購買の方へ向かわねばなりません……。そちらで戦わねば、焼きそばパンの念を滅することはできない」
「購買……そうだ!」

真の禍根は購買にあり……それを聞いた小松はポケットから携帯を取り出す。
ある人へかけるために。


「パンは終わり……焼きそばパン以外、終わり……」

焼きそばパンの隣に現れた少女の霊(?)が、平坦な口調で呪詛を紡ぐ。

「そんな真似を……させるかよ……」
「カレーパン先輩」

潰れた顔で吠える男を、気づけば浅葱もそう呼んでいた。

「アンパンも、食パンも終わり……お前は……一番どうでもいいけど、ここにいるから、真っ先に殺す」
「……俺には、カレー神への信仰がある。貴様などに負けはしない……」
「神、神」

クスクス……と少女の口から嘲笑が漏れた。

「ただの化けもの、でしょう?
 私と同じ、こっちの女の中にいたのと同じ」

少女に指されて、杜莉子の頭部の焼きそばパン、その面がうねうねと蠢いた。
割れ目から溢れた縮れ麺が宙に躍り、そしてカレーパンの方へと伸びていく。

店長がその前に立ち塞がり、浅葱が逃げようとするが、カレーパンの口から拒絶ではない言葉が漏れる。

「……ガーラムマーサラー ハルディ クミン ダニヤ ソンフ」
「!?」

聞いたことのない言葉だったが、カレーパンは経文や祝詞でも詠み上げるようにそれを唱えた。
カレー神なるものへの祈りの言葉だろうか。
その詠唱に対し、焼きそばパンからこちらへと伸びていた麺の動きが目に見えて鈍った。

「無駄なあがきを……」
「無駄というなら、なんだその反応は? カルダーモン アニス ミルーチ カーリー チリ ピアジ……」
「ノウマク・サマンダ・ボダナン・ラタンラタト・バラン・タン」
「シンケンナ ケツメンド イジビ・ドンズ イゴンス・イド 」
「くっ」

カレーパンに続くように店長、そしてアナルパッケージホールドまでもが怪しげ言葉を唱えだし、そしてなんだかわからないが効果を発揮しているようだった。
浅葱も小さい頃に見た魔女っ子怪盗アニメの呪文とか唱えてみたくなったが、流石に効かないのではと思って断念する。

「俺の神が化けものだとして……それでもお前よりは信じられる化け物だ」
「なら、それもろとも滅ぼす」

他二人の詠唱が続く中、カレーパンは自身もチャントを唱えることはなく、さらなる言葉を投げた。
ただし、焼きそばパンに対してではなく――。

「だいたい、お前もお前だ……久留米」
「!?」
「クルメ細胞だかなんだか知らないが、お前はそれでいいのか。食欲に支配される。それでいいのか?」
「この女は……もういない。何を言っても……」

『杜莉子さん!! 杜莉子さん!! そこにいますか? 杜莉子さん!!』

カレーパンが手にしているのは、杜莉子が戦闘中に落とした携帯電話。
そこから漏れるのは、杜莉子とコンビを組む料理人・小松の必死な声。

『焼きそばパンが、大変らしいんです! 今、雲水くんって子がそっちに向かってます! 手に入れても食べないで!』

こちらの状況も知らず、危機を訴えてくる声。杜莉子を思う小松の声。
だが。

やはり、杜莉子がその声に答えることはない。
響く呪言にチャントの中、触手が元の動きを取り戻そうとしていた。

「もう、いないの……この女も、この子も、もう……」
「いるでヤンス!!」

新たな者の声が、その場に響き渡った。
森から現れたのは「血まみれでもきみはうつくしい」でお馴染み、下ノ葉安里亜。

「何故、生きて……」

腹を腕で貫かれて、常人が生きていられるはずがない。
それはたしかだが、しかしほうれん草を食ったからという理由で失血死を免れ、バンドエイドを貼れば傷が完治する。下ノ葉安里亜は下っ端に相応しい頑丈な体質であった。

「自分は消えないでヤンス!! オイラも、その女も、どんな時だって消えないでヤンス」
「…………あ゛」
「っ」

安里亜の叫びにはもちろん相応に狙いがあるのだが、しかし同時に、彼女の魂の叫びでもあった。
焼きそばパンと化してから初めての声が杜莉子から漏れ、そして隣の少女も、その目にかすかなヒカリが宿る。

『馬鹿は百薬の長』。

この能力によって実在化し、宿主の身を支配したクルメ細胞の悪魔が、それと融合した焼きそばパンの意志が、今この能力によって肉体をおいやられようとしている。

「あ……うっ」

先に消えたのは、隣の少女の方だった。その場から少女がふっといなくなると、杜莉子の頭部の焼きそばパンも、徐々に崩れていく。
それでもその身を離れまいと、再び彼女の身体に触手を伸ばし、自身の存在を固定しようとする。
と、そこに。

「スゥーッ……セイ!!」

大気を裂く声。
全員が振り向いた先、ベスパに跨った少年が片手で印を結びながらこちらへ疾走してくる。
そして、危険なことにベスパは二人乗り。後ろには何故かギターを担いだ、先程まで(霊が)そこにいた少女が乗っていた。
少女はさらにシートの上で素早く立ち上がると。

「スゥーッデッ!!」

少年――雲水の頭を踏み台に跳躍!! 理不尽!!
放物線を描いて跳びながら、少女は背にしたギターに手を伸ばし――

「ファックイエー!!」

杜莉子の頭部の焼きそばへ、満身の力で振り下ろした。
1発で砕けるギター!! 飛び散るキャベツ!!
全員が呆気に取られる中、少女はギターを手放すと、その「焼きそばパン」へと手を伸ばす。

「『KILLER☆KILLER』!! 『ナンバー:地獄へ堕ちろ(ゴー・トゥ・ヘル)』」

少女が叫ぶと、突如空間に歪が生じ、そこから這い出すようにして白い腕が伸びてくる。
その白い掌は焼きそばパンを捕まえると、杜莉子の顔から引き剥がし、力任せに引きずり込んでいった。
境界の向こう、自分たちの棲む世界へ。

焼きそばパンを捉えた手が向こうに消えると、歪もすぐに消えてなくなった。
見る者に戦慄の記憶を残しながら、まるで何ごともなかったように。

「未来を切り拓くのはー! ボクらの暴力ー!」
「切り拓かれちゃったねえ……」

壊れたギターをめちゃめちゃにかき鳴らしながら熱唱するMACHIに、おばちゃんは呆れ半分、感心半分の視線を送る。

そして、焼きそばパンから解放された杜莉子は呆けたようにその場に座り込んでいたが。

「わ、私……」
「気がついたか、久留米」
「きゃっ!! カ、カレーパンくん!? 何その顔?」
「お前が蚊みたいに全部吸いやがったんだよ……それより」

カレーパンはさっきから持ちっぱなしの杜莉子の携帯を彼女に見せる。

『杜莉子さん! 杜莉子さん! どうなったんですか!? 誰か――』

電話の向こうの小松は、相変わらずわけもわからないまま杜莉子を呼び続けていた。

『杜莉子さ――』
「ここにいるよ……こまっちゃん」

カレーパンから携帯を渡され、後輩の呼びかけに応える。
向こうで息を呑む音がした。

『と、杜莉子さん!? よかった!! 大丈夫です?』
「うん……大丈夫。こまっちゃん、ありがとうね……ホントに」
『杜莉子さん……? 泣いてるんですか? あ、焼きそばパンのことなら、気にしませんよ、私』

普段の澄ました様子が嘘のように、ポロポロと泣きながら杜莉子は小松の声を聴いていた。
カレーパンはそれを黙って眺め、小松の作るカレーも今度食べてみようと、めろんの作る甘ったるいメロンパンを今日くらいは褒めてやろうと思っていた。

「 キミから差したー確かなヒカリー 眩しくてでも見つめ続けたー 
  My Precious Stars woo…… 」

「ファックイエー」

((((台無しだよ))))


味噌カツコーラのボトルは空になり、時計が一回りする頃、大山田の昔話は終わりを告げた。

「え!? 伝説の焼きそばパンヤバくないすか? また邪悪な意志に憑かれる人いるでしょ!?」

そこで語られた焼きそばパン真実に、舟行呉葉はけっこう引いた風なリアクションを見せた。まあ、当然かも知れないが。

「大丈夫だよ。その雲水さんの師匠の龍玄先生がお祓いもしてくれたらしいし……」
「ホ、ホントっすか……」
「それに、今は焼きそばパンが別の意味でヤバいしな。誰かさんのせいで」
「ぐぬぬ……」

大山田の嫌味に呉葉は何も言い返せず黙りこんでしまった。
話すことは話し終えたと思ったのだが、どうもこの後輩の興味はまだ尽きていないらしく。

「その先輩たちがどうなったかって部長、知りません?」

口を開くとまたこれだ。

「知らんよ。昔話より会議の続きだ」
「むむぅー」
「全部終わったら先生に聞いてみろよ」
「そ、そうっすね!!」

呉葉は目を輝かせ、机の上のエビフリャー煎餅へと手を伸ばすのだった。
果たして、明日の争奪戦は勝てるのか。このお調子者の後輩を、大山田はやや不安な目で見つめていた。


静岡県富士宮地方の山中。

「出来ましたよ杜莉子さん!! 『伝説の焼きそばパン』」
「伝説、じゃあないわこまっちゃん。ただの天然焼きそばパンよ」

杜莉子が狩った「フジノミヤヤキソバ」を小松が焼きそばパンへと調理した。
パンに挟むだけじゃね、などというのは素人考えである。

「懐かしいわね。6年前は大変なことになったわ」

今でも思い出す、高校生の頃のこと。
今では杜莉子は美食屋、小松はプロの料理人になった。
カレーパンとめろんはパン屋を開き、小松の働く店にもパンを卸している。
雲水は龍玄と共にバリバリ人助けに勤しんでいるらしい。
MACHIはなんやかんやあってアメリカの刑務所に懲役350年で収監中だが、獄中でも音楽活動を続け、糞ブレイキン脳ブレイキンLyricsを世界に垂れ流している。
アナルパッケージホールドはあれ以降見たことがない。いったいどんな人だったのだろうか。
全く関係ない話でなぜここで思い出したか自分でもわからないのだが、ついこの間、夜魔口パンFCの片春人選手が35歳にして日本代表チームの10番に選ばれ話題になっていた。
下ノ葉安里亜は下ノ葉家の養子になった緒山(下ノ葉)文歌のメイド兼運転手という倒錯した仕事に就いているそうだ。
購買のおばちゃんは今でも変わらない。

「あの時は、本当にダメだったなあ、私」
「何言ってるんですか。私、あの後も杜莉子さんに何度も何度も助けられてるんですよ?」
「私だって……」

下ノ葉さんは、「自分はいなくなったりしない」なんて言っていたけれど、自分は小松がいなければ、また食欲に呑まれて自分を失っていたかも知れない。
これまでもこれからも、小松は美食屋としての、いやきっと、自分の人生のパートナーだ。

焼きそばパンを始め小松の手料理も食べ尽くし、食休みもしばし経つと、杜莉子はその場ですっと立ち上がる。
この後は、いくつか依頼された食材を狩る手はずになっているのだ。

「ねえ、杜莉子さん……伝説の焼きそばパンって願い事が叶うって話でしたよね?」

並んで歩く道すがら、小松は懐かしい話を杜莉子に振った。

「そういえば。でも、あんなことになった私がお願いなんて気が引けるわね。
 こまっちゃんは何かあるの? ミシュランの星?」
「た、たしかに欲しいですけど! もっとちょっとしたっていうか……杜莉子さんへのお願いなんです」
「私に、何?」

尋ねると、いやにもじもじしだして、頬を赤く染め、軽く視線を逸らしまでして、小松は告白した。

「名前で……呼んでくれませんか?」
「…………」

口にすると、いっそう赤くなってしまう。
名前で呼んで――「こまっちゃん」で不便しないので思うこともなかったが、彼女もそういうのを望むのだろうか。
顎に手をやり、しばし黙って歩く。

「あ、あの……やっぱり!」
「純ちゃん」
「……」

初めて名前で呼んだ。
呼ばれた小松は目を見開き、再び顔を真っ赤にする。

「あ、その……」
「純ちゃん、純ちゃん、純ちゃん」
「な、なんですか?」
「いえ、呼んでみただけよ」

一度呼んでみると存外気持ちよくて、なんだか楽しくなってしまう。
その新鮮な響きと、呼ぶたびあわあわと反応する小松に。
お互い慣れてしまわぬうちに、この響きをもっと口にしておきたかった。

「純ちゃん」
「も、もう……」

やはり赤い、困ったような顔で、しかし口元を綻ばせて見上げてくる。
そのことに、胸のうちで湧き上がる感情(もの)があった。
人生で意識したことのない感情だった。

「ど、どうしたんです? 杜莉子さんも顔……赤いですよ?」
「そ、そうかしら」

たしかに顔が熱くなって、今度は自分がパッと目を逸らす。
ああ……ああ……。自分がまさか、食事以外のことに興味をもつなんて。
色気より食い気、ずっとそう言われてきたが。
久留米杜莉子、24歳にして、(いろ)を知る年齢(とし)!!