本戦SSその9


 5月6日



 夕刻――希望崎学園職員校舎三階、生徒会室。

(い、息が詰まりそう……!)
 敬愛する『お姉様』の隣、天雷テスラは心中で悲鳴をあげた。 


「……ビスマルク風紀委員長、どう思う?」

 専用席で肘をつき両手の指を組む、神経質そうな眼鏡の男――生徒会長・学園型マーリン
 両脇を固め鋭い眼光を光らせる、熊のように屈強な二人の護衛――無言の圧力
=『会長に文句があるならかかってこい、俺たち二人で皆殺しにしてやる』


「校則違反四天王による購買部襲撃計画、怪盗ミルキーウェイの犯行予告。――本来ならば、販売そのものを中止してもらいたいぐらいですな」

 高校生らしからぬ白髭を蓄えた、厳めしい風貌の男――風紀委員長・ビスマルク正太郎
 ソファーからいつでも立ち上がれるよう、中腰の姿勢を崩さない。
 背後にずらりと並ぶ、後ろ手を組んで胸を張った十六名もの風紀委員たち
=秩序の担い手たる正太郎の武力誇示。

 その内の一人、天雷テスラ――気丈な表情を崩さず/内心穏やかではいられない/ささやかなる祈り。
(お願い、はやく終わって)


「それはできませんわ、焼きそばパン販売には購買部の威信が懸かっているのですから。もし生徒会の指示で販売を止めたとなれば、支持率にも関わってくるでしょうね?」

 蠱惑的な自信家の笑み――購買部部長・商屋(あきや)ネネ
 校則ギリギリのスリット入り超ミニスカ+計算し尽くされた足組み角度。
――その背後に血の気の多そうな十三名の護衛たち
会長&風紀委員長(石頭ども)への断固たる意思表示。『こちらに恭順の意思はナシ』


「校則違反四天王をあらかじめ捕えておくことはできないんですの?」
「奴らは神出鬼没ですからな。それに、拘束するならば何かしらの罪状が必要になる」
「いずれにせよ、ミルキーウェイにも対策を講じねばなるまい」

 そう広くもない室内に詰めた三十名あまりの生徒。そして、それ以上に張りつめた空気。
 あからさまに火花を散らす正太郎とネネ/伝染する不穏な空気/平行線をたどる議論。

 そして、永劫にも感じられる時間の末
――生徒会長が購買部側への歩み寄りを見せ、ようやく終結を迎えようとしていた。

「では会長。明日は仮設店舗を設置し、そちらで営業を行うということでよろしいでしょうか?」
「うむ。風紀委員も校則違反者の取り締まりをよろしく頼む」
「……はっ」
「では、これにて解散とする」






 伝説の焼きそばパン入荷を明日に控えたこの日。
 校則違反四天王による放火計画、そして怪盗・ミルキーウェイによる犯行予告を受けて、購買部では特殊措置が取られることとなった。
 すなわち本店舗を囮とし、速やかに襲撃者を捕縛。リスク排除が完了し次第、別の位置に仮設した店舗の位置を全校放送にてアナウンスするというものである。


「あの、お姉様」
 会議を終えた直後の廊下で、天雷テスラは『お姉様』こと車口文華に秘かに問うた。
「……どうかしましたか、テスラ?」
「さっきの話、テスラが聞いていても良かったんでしょうか?」

 テスラは明日、風紀委員としての取り締まり活動と並行し、
 焼きそばパン争奪に参加する手筈となっている。
 生真面目な性根ゆえに、事前の情報アドバンテージを得たことを気にしているのだ。


「……詳細な設置場所は伏せられていますからね。知っているのは購買部のメンバーだけ……公平を期す為、そして情報の漏洩を防ぐため、私たち風紀委員や生徒会にも明かされません」

 厳密に言えば、状況判断に費やす時間分だけの優位はあるだろう。
 しかし、それもほんの些細なものである。
 文華のその答えは、妹分の遠慮を取り払うに足るものであった。
 が、テスラにとって不安の種はそれだけではなかった。

「あの、これって風紀委員の戦力は襲撃者対策に集中するってことですよね? 大丈夫でしょうか?」

 取り締まるべき相手は校則違反四天王だけではない。
『番長グループ』を始めとする普段から素行の悪い者たちはもちろん、焼きそばパンを欲しがるがゆえ非行に手を染める生徒も現れるかもしれない。
 そういった者への抑止力となるのが、風紀委員の本来成すべき仕事ではなかっただろうか?


 文華はふわりとした笑みを浮かべて、テスラの頭を撫でながら答える。
「……そうですね。だからこそあなたに、一刻も早く焼きそばパンを確保してほしいのです。焼きそばパンさえ売れてしまえば、争う理由などなくなるのですから……期待していますよ、テスラ」

「!……はいっ、お姉様!」
 テスラは顔を紅潮させながら、嬉しそうに返事をした。







――希望崎学園、地下。
 黴臭いコンクリート張りの一室――計器の明かりだけが灯る薄暗い部屋に三つの人影。

「ククク、どうだァ『カンニング』、首尾の方はよォ?」
 品のない男の声。
 闇の中でも特徴的なシルエット――高い背丈、ボロボロの学ラン、リーゼント。

「ここまでは計画通りに進行している、『カツアゲ』。購買部は本店舗から退避し、仮設店舗で営業を行うとのことだ」
 無感情な声。
 耳に手を当てる仕草――先の男と比べ、あまりにも特徴のない影。

「ギャハハ、あのマヌケども! よくもまあこっちの思惑通りに動いてくれるモンだよなァ!」
「フン、当然だ。……『放火魔』の様子はどうだ、『人体錬成』?」

「徐々にですが脳波が覚醒状態に近づいていますネェ~~~~~~っ! ”停学”が明ける明日には完全に目覚めるでショウ、イヒヒィーッ!」
 甲高い声。
――機敏なミーアキャットめいて挙動不審に動く/白衣の袖が揺れる。


「……こんな怪物が、本当に我々の手に負えるのか?」
「なんだァ? テメェまさかこんなミイラにビビってんのかァ? ギャハハ! こりゃケッサクだ!」
「ご心配には及びませんよォ~~~~~『カンニング』さァ~~~~んッ! このワタクシの天才的科学知識によって既に制御率は99.99998%に到達しているのですからねェ~~~~~~~ッ」


……ゴポッ……


 強化プラスチック製の水溶液シリンダーの中でひっそりと寝息を立てる、ヒトに似た何か
――その眼が見開かれ、ぎょろりと三人を睨み付ける。

「だと、いいがな……」







――並行世界、山口新世界萬請負事務所。


「~~~♪、~~~~~♪、~~♯♪~~~」

「どうした? 鼻歌なんて歌って」

「なんでもない。そうだ、明日の朝早めに起こしてくれる?」

「いい加減自分で起きろって。まあいいけど……随分ゴキゲンだな、連休も終わりだってのに」

「そうかな? ふふ……」

「学校、楽しいか?」

「うん。……あのね、友達もできたんだよ」

「へえ……! そりゃあ良かった」

「今度連れてきてもいい?」

「ああ、もちろんだ」

「~♪~~♪、~~~~~~♪」







 5月7日



 昼休みまであと3分。
 教室中が、そわそわしている。

 朝のうちはみんな如何にも
焼きそばパン争奪戦なんて俗っぽいイベントには別に興味ないぜ』という態度だったのに、
 二時間目の頃には
『記念に参加してみても悪くないよね』とか、
 三時間目の頃には
『このビッグな祭りに乗り遅れるやつはありえない』みたいな雰囲気が出来上がっていた。

 そして今、四時間目の終了間際。
 誰も先生の話なんて聞いちゃいない。
 いつもイビキを立てて爆睡している番長グループのモヒカン太郎くんは、コンクリート掘削機を思わせるような激しい貧乏ゆすりで騒音レベルをいつもの1.5倍ほどまで引き上げている。


(「ねっ、リリア。もうすぐだね」)
 隣に座るメリーの囁くような声。

(「私語してると購買利用禁止にされるよ、メリー?」)
(「……」)
 こくり、と頷いてすぐに黙り込む。素直でとてもよろしい。


 あたし以外にはきっと分からないだろうけれど、クラスで一番張り切っているのがメリーだった。
 この子は感情があまり顔に出ない。
 じゃあどこで判断すればいいかというと、口にする言葉をそのまま信じてあげればいい。
 それさえ分かっていれば、これほど付き合いやすい子はそうそういない。

 だから、時々不安にもなる。
 この子は嘘もつけないし、人を疑うのも下手すぎる。

 あのいかにも怪しげな、伝説の焼きそばパンとやらのことに限らず。
 いつかどこかで真っ赤な悪意に晒されて、この子は酷く傷つけられてしまうんじゃないだろうか?

 あたしが守ってあげられるだろうか――誰よりも真っ赤なあたしなんかが?
 本当はこうして、隣にいる資格さえないのかもしれないのに。


――キーンコーン カーンコーン


 チャイムの音に意識を引き戻される。
――目の前を銀色の風が横切る。

「行ってくるね」
 透明な翅をその背に生やし、窓枠に足をかけながら、メリーがあたしにひらひら手を振る。
 そのまま勢いよく蹴り出してお空にダイブ――あっという間に飛び立つ。

 クラスメイトたちの唖然とした顔。
 あたしはなんだか、笑いたくなるのを堪えられなかった。

 そうだった。あたしがウジウジ悩んでいても、メリーはやりたい放題で最強なのだ。
 そう、思った時だった。


 ドォンッ――――!!


 窓の外から響く、もの凄い衝撃音。
 砂埃が窓から容赦なく吹きつける。

「ケホッケホッ!」

 何が起こったのか理解できない。爆発? 地割れ? ……メリーはどうなったの?

 次第に晴れていく砂煙……窓の外に広がる光景に、クラッときた。



 購買部のプレハブ小屋。エプロン姿の売り子。

 プレハブ小屋。売り子。プレハブ小屋。売り子。プレハブ小屋。売り子。プレハブ小屋。売り子。
 プレハブ小屋。売り子。プレハブ小屋。売り子。プレハブ小屋。売り子。プレハブ小屋。売り子。
 プレハブ小屋。売り子。プレハブ小屋。売り子。プレハブ小屋。売り子。プレハブ小屋。売り子。

 あたり一面を埋め尽くす真っ赤な購買部の群れ



――ピーンポーン パーンポーン
 全校放送を告げる音。嫌な予感しかしない。


『購買部代表、商屋ネネです。
――私たち購買部は本日皆さんに、特別な趣旨のお祭りをご用意いたしました

窓から見えるどれかひとつだけが、本物の伝説の焼きそばパンを売っています。
――さあ皆さん。見事本物を探し当て、栄光をその手に!


――ピーンポーン パーンポーン
 一瞬、時間が止まったみたいな静寂。そして、


「「「「「「……うおおおおォォォォーーーー!!」」」」」」


 喧噪が爆発した。
 一部の魔人にとって絶対有利のはずの争奪戦が、
 一転して全員が勝機を持つ運試しゲームへ早変わり――んなわけあるか!

 一斉に教室を飛び出すクラスメイトたち。
 あたしは今、何をすればいい?

「……伝えなきゃ」
 回らない頭でなんとか答えにたどり着き、
 そこから更に息を大きく吸い吐きして、ようやっと脚が動く。

 メリー――赤くない女の子。
 何がなんだか分からないけれど。あの子のことを傷つける嘘から、あたしが守ってあげなくちゃ。







 予定にない不可解な校内放送。
――天雷テスラが直後にとった行動=一斉に昇降口へと向かう人の流れを遡行し、二年生の教室へ。

 パルクールめいて壁を蹴り、人波を飛び越える
――重力に逆らうスカート/見えそうで見えない鉄壁のカーテン。
 ひとつ上階の2-3教室へあっという間に到達――僅か20秒足らず。

「何が起きているのですか、お姉様!?」
 セミショートの髪を激しく揺らしながら、叫びと共に教室へ――文華の姿は無し。

 机に一枚の書置き。
『テスラへ 私は放送室に向かいます』


 お姉様のいつもの悪癖――思いつくままフラフラ行動。言葉足らずに周囲を振り回す。
 今から追えばすぐに合流できる
――駆け出そうとして、小さく荒い文字で書き足された続きの文に気付き、はっとする。


『あなたはあなたのすべきと思うことをしなさい』


――テスラとて、文華をただミステリアスで麗しい憧れのお姉様というだけで慕っているのではない。
 たしかに彼女はいつもぼんやりとしていて、何を考えているかよく分からないなんて言われる。

 けれど、いつだって本人なりの意図はちゃんとあるのだ。
 しかも今回は、星空が綺麗だったとか、ピラルクが見たくなったとかよりもずいぶんと分かりやすい。


(分かってます……テスラだって分かってるんです、お姉様……)

 使い勝手の良い戦闘向きの能力を持ち、頭が良く回り、正義感も強い優等生。
 先輩の世話を焼くのが好きな、風紀委員一年生の有望株。
 そんなものは全部周りの評価だ。テスラ自身が一番よく理解している。

 自分は誰かに決めてもらわなければ、何もできない人間だ。
 今こうやって指示を仰ぎにノコノコやってきたことが、それを証明しているではないか。
 状況は既に大きく動いた。ここからどうすれば正解かなど、文華とて分かるものではない。

 だから、あえて自分の頭で考えよと言っているのだ。薄弱な意志を捨て、ここで変われと。
 理屈としては分かる。でも――でも、だからって。

(――ああ、お姉様! よりによって、今じゃなくてもいいじゃないですか!)

 あえて切迫したこの時に試練を課してくる辺りは、いかにも彼女らしい。

(もう! テスラは……テスラは早くこんな騒動を解決して、お姉様と焼きそばパンが食べたいのです)

 書置きをクシャクシャに丸めてゴミ箱へと放り投げ、テスラは再び駆け出した。
 すべきことなんて分からない。
 けれどがむしゃらに走れば、その先に何かが見つかると信じて。







 新校舎二階、女子トイレの個室。

 脱いだ制服をスクールバッグに収め、夜色のドレスを身に纏う。
 目元にマスク/ふたつ結びのウィッグ/洒落たシルクハット。
 誰にも知られることなくひっそりと、少女(浅葱)怪盗(ミルキーウェイ)への転身を遂げる。


――怪盗に最も求められる能力とは、引き際を誤らないこと――
 魔人に覚醒したきっかけ――聖典とも呼ぶべきかの少女アニメ作中においても、繰り返し描写されていた由緒正しきハウツーである。

 ゆえに、狙った標的を一度たりとも諦めたことのない超一流怪盗であるミルキーウェイにとっても、それは絶対の原則である。


『この状況は明らかな想定外だ。偽購買部の大量出現……校則違反四天王の所在も判らん』

 耳元に当てた改造ピンバッジから聞こえる、荒い音声。
 引き際を知るには、情報の収集・統合が不可欠だ。
 例えばこうして、治安機構の通信を傍受することが一番手っ取り早いやり方だった。


『ビスマルク委員長。商屋ネネが、私たちを陥れるために催しを隠していた可能性はありませんか?』
『ゼロとは言わん。だが、限りなく低い。我々を謀れば、生徒会長がそれを看過しないだろう。それを理解できぬほどアレは愚かではない』

(んー、なるほど……購買部にも風紀委員にも、今のこれはイレギュラーってわけね)

 優れた怪盗は時に、探偵としての役割も求められる。
 推理力か直感力、あるいは両方に長けていなくてはならない。

 校則違反四天王による放火計画、ミルキーウェイの名を騙る偽の予告状。
 それに対する購買部の方針――会話から察するに、別店舗を設置して襲撃の矛先を逸らすこと。
 そこまで含めて、やつらの思惑通りだとしたら?


『放送室にいるはずの商屋部長と連絡がつかん。彼女が連れていた護衛たちにもだ。
――車口、現場に向かい他の風紀委員と合流、お前が指揮を取れ。
 念のため一年は使うな、情報がどこかから漏れているかもしれん』

『……既にそう動いています』

(いや、今まさにこうして簡単に盗み聞きされてるんだけど。
……あいっかわらず、どっか抜けてるのよねぇ風紀委員)


 さて、ここからどう動くか。
 浅葱としては、偽の予告状を送りつけた誰かさんさえギャフンと言わせられればそれでいい。
 伝説の焼きそばパンを早々にゲットして、状況を収めてしまうのが一番だろう。

 だが、一体どこにある?
 本物の在りかは風紀委員ですら知らない。浅葱自身も放送室を目指す?
 じっと思案――ふいにピンバッジから響く、許しがたい言葉。

『車口、すまんがしばらく連絡できん。私も動かねばならんようだ。
 怪盗ミルキーウェイから、新たな予告状が届いた







 昇降口を出たすぐ先に、ごった返す生徒たち。
 人の群れを掻き分けながら、なんとか前へと進む。
 メリー、どこまで飛んでいっちゃったの?


「焼きそばパン一個108円! 本物かどうかは買ってからのお楽しみでヤンスよぉ~~~!!」
たった108円で夢があなたのものでヤンスぅーー!!!」

 乱立するプレハブの群れ。店先に出て声を張り上げる売り子たち
 見渡す限りの赤、赤、赤
 誰も彼も、その中へと飛び込んでいく。


「焼きそばパンひとつ!」
「ゲヘヘ、お買い上げありがとうございやんすーッ!」
「こっちにも頂戴!」
「ヘイ! 108円でやんす!」
 大半の生徒――ひとつふたつ、宝くじ感覚で買ってその場で食べ始めるか、あるいはそのままポケットなり鞄なりに突っ込む。

「ブヒヒヒヒ! 箱で持って来い! 箱で!」
「こっちにも! トレーラー一杯分持って来いでヤンス~!」
「ゲヘヘ! 毎度ありでやんすッ!」
 一部の生徒――財力に飽かせて買占める。
 っていうかあんな『毎晩ロマネ・コンティ開けてます』みたいな生徒、うちに居ただろうか?

ファックイエー!
「お、お客さん、お金を払っ……」
ファックイエー!
「ギャァァーーんすッ!?」
 一部の生徒――売り子に殴りかかっては半殺しにし、次々と焼きそばパンを奪い取っている。

ファックイエー!
 かと思えば、食べるでもなくその場で握りつぶして地面に捨てた。
 何がしたいんだろう……?

 あとなんか……よく見るとあの売り子たち全員同じ顔じゃない……?


 あちらこちらの地獄絵図みたいな光景に、足の運びもついつい遅れる。
 ふと、誰かに肩を叩かれた。
――もしかしてメリー? 期待とともに振り返り、一瞬で失望する。

 どこかで見たという覚えだけはある、背の高い女子生徒。ぶっちゃけお呼びじゃない

「やあ、赤根リリアさんだね?」
 妙に馴れ馴れしく話しかけてくる、いかにも会話慣れしてますという態度。
 つまり、あたしの苦手なタイプだ。

「えーっと、あなたは?」
「私は三年の狼瀬(ろうせ)白子(はくこ)。いやなに、ちょっと君に聞きたいことがあるだけで――」

 みなまで聞かず、あたしはそのまま全力で駆けだした。
 今あたしはとても急いでいるし、嘘つきに構っている時間はない。

「っ、待て! 私に害意はない!
――ますます止まるわけにはいかないじゃん!

 あたしが何をしたっていうんだろう。恨みを買ったような憶えは全くないんだけど。
 叫びながら追いかけてくる狼瀬白子――やばい、この人めっちゃ足速い。


「待て、と、言、って……なっ!?」

 狼瀬が何かに驚く。あたしの進行方向――何もいない?
 否。目線を少し上にずらすと、空中に浮かぶ人の影

 残念ながらそれは、あたしが今一番会いたいあの子じゃなかった。

 高校生――どころか、人とも思えないような恐ろしいほどの美貌。
 出るところは出て引っ込むところは引っ込んだ、理想的なプロポーションを強調するサスペンダースカートの制服。灰色の髪にキャスケットをちょこんと載せ、手に握るのは小洒落たステッキ。

 そして――そして。
 見る者をなぜか不安にさせる、固く細く閉じられた両目――糸のような、細目!


「おやおやおやおやァ~~~? あなたはこの一級幻想派探偵助手である伊藤風露の親愛なる相棒・赤根リリアさんではありませんかァ~~~ッ!」

 なっ、なんだこいつ!!?


「なんだとはひどいですねェリリアさァ~~ん!! つい先日、仲良く希望崎学園五〇〇〇m高空を一緒にお散歩したことを覚えていないのですかァ~~~~ッ!!!?」

 ありえないほどに早口で全く身に覚えのない友情エピソードを語り始める自称探偵助手。
 しかも言葉が赤くない――つまり、嘘をついているつもりが一切ない

 希望崎学園名物、野生の狂人だ! お願いだから今すぐその長い舌を噛み切って死んでほしい!


「空を飛ぶ一年生……写真と違うが君がメリー・ジョエルか! 恨みはないがここで討たせてもらう!」
 こっちはこっちでなんかありえない勘違いをしている。
 こいつがメリーであってたまるか!

「あなたのなんか叙述トリックとかに使えそうな素晴らしい魔人能力+第一級人工探偵であるあたしの推理力=学園中を幻想的に赤く染めてバラバラミンチ殺戮ッヒャァ~~~~ッ!!!
 焼きそばパン連続殺人事件のはじまりはじまりィ~~~~~ッ!!」

 前門の(狂人)、後門の(嘘つき)
 絶体絶命の状況に、膝から力が抜ける。
 もう、ダメ――


危ないリリアーッ!

 天からの一声――思わず見上げた。
 三時の方角上空から、銀色に煌めく一陣の風。
 こっちに向かって猛烈な勢いで飛んでくる少女。
 金属製の右足義肢に飛行スピードを乗せた重い膝蹴り(ムエタイキック)が、伊藤風露とやらの顔面に突き刺さる。

「ユメノキュウサクッ!!」
 文学的悲鳴を上げて落下する伊藤風露。

「な……『白き盾持t――ギャアッ!!」
 咄嗟の事に防御系の能力名らしきものを途中までしか言えず、
 勢いよく落ちてきた伊藤の下敷きになる狼瀬白子。


 目を回しながら重なる二人の上に、蹴りでバランスを崩した少女がつま先を立ててピンッと着地する。
「「ぐえっ……!」」
 なんだか嫌な断末魔を重ねて、それっきり二人は動かなくなった。
 し、死んでない……よね?


……まあ、そんなこと今はどうだっていい。
 もっと大事な、喜ぶべきことがあるじゃない!

「メリー! 怪我はない?」
 別れたのもついさっきだというのに、なんだかすごくほっとする。

「……リリア……」
 けれど、メリーは明らかに声に力がない――まさか、誰かに酷いことをされたのだろうか?

「どうしよう、わたし……わたし……」
 メリーはか細い声を上げながら、ぎゅっと自分の身を抱きしめるような仕草を――

 いや、違う。良く見ると何かを抱えているんだ。
 両腕と身体の間に挟まっているのは、いくつもの……焼きそばパンだ、コレ


「……あと、260円しかないの……!」







(まだだ。仕掛けるべきタイミングは、今じゃない)

 芸術校舎の脇を抜ける、部活棟へと続く舗装路。
 学園敷地中心部と比べてプレハブの出現数が少なく、
 故に人気(ひとけ)の少ないその道を、黒天真言はゆっくりと歩む。

 握りこんだ拳の内側に蠢く感触
=魔人能力『Get Midheaven――ルーカー、僕に救いを――』の一端、黒天を導く金色()の輝き。
 大量出現した胡乱な購買部を前に、黒天がそれを使わない理由はなかった。

 蠅の使者は、呼び出してから今に至るまで部活棟の裏側――旧校舎の方角を指し示し続けている。
 プレハブが密集するエリアに居る限り、そこに巡り着くことはおそらくないだろう。

 大量のハズレで目を惹くというやり方が、どうにも購買部として『らしくない』ことは黒天もそれとなく察していたが、そんなことは彼にとって関係なかった。
 それよりも、さしあたり憂慮すべき問題は――

(――二人、かな)

 可憐塚(かれんつか)みらい/久留米杜莉子(くるめとりこ)
 前者は黒天のクラスメイトでもある。

 貧民街時代に培った危機回避のための直感力によって、黒天は己を追跡する二人の狩猟者に気付き、
 同時に悟った。
――この二人は強い。
 直接戦闘はもちろん、恐らく機動力も、自分の敵う相手ではないと。



 可憐塚は、対象に快楽を与える吸血によって、三年の狼瀬白子をはじめ、
 命令のままに動かせる手駒を何人も確保していた。

 彼女らに今日の大一番における実行役を任せることはなかったものの、
 代わりに争奪戦参加者の動向を監視する役目を与えている。

 可憐塚は黒天の能力を知らない。
 だが、彼が争奪戦に静かな闘志を燃やしていたことには気づいていた。

 多くの生徒がプレハブ群に殺到する一方で、
 彼があらぬ方向を目指して歩み出したと聞き、ピンときたのである。

 そして黒天に追いついた時、そこには可憐塚の手駒(監視役)を振り切った久留米(先客)がいた。
 確信が強まる――この二人の行く先に、伝説の焼きそばパンがあると。



 久留米の行動はもっとシンプルだった。
 美食屋として鍛え上げた超人的な嗅覚によって本物の焼きそばパンのおおよその方向を掴み、
 物陰に隠れ隠れしながら歩み出した。

 先行する影があったのでひとまず様子を見ていたら、可憐塚が来てしまった。



 黒天は/可憐塚は/久留米は、まだ走らない。
 走ればそれは、周りの生徒に伝説の焼きそばパンの位置を教える様なものだからだ。

 ゆっくりと、あたかも部活棟に用のある生徒という風に、少しずつ歩を進めていく。


 だが、どこかで誰かが仕掛けるだろう。
 他の生徒たちとの差を十分につけ、
 自分以外の二人さえ振り切れば優勝確実と判断したタイミングで。
 あるいは――何かしら状況が変化すれば。

(切れる(金貨)はまだ二枚ある……ちゃんと使えば、僕にも十分勝機はある)
 黒天の行動原理=贖罪/過去の清算(”僕は罪人だ”)
 振り切れた思考――償いのためならば、三枚全て使うことに躊躇いはない


 黒天は可憐塚は久留米は、まだ走らない







 芸術校舎三階の大ホール、作品展示エリア。
 腕組みし仁王立ちする大柄な男――風紀委員長・ビスマルク正太郎。
 その右手に握られた、ハガキサイズの紙。

『5月7日 12:40
 性技三十六景『(なまめか)しきウロボロス』 戴きに参ります
         怪盗ミルキーウェイ』


 予告状が届いたのは、ほんの十数分前のことだった。

『性技三十六計』とは、希望崎学園OBの有名魔人画家によって寄贈された連作絵画である。

 中でも『嬌しきウロボロス』は、
 ビッチ四大大会制覇(グランドスラム)の最年少記録保持者にして昨年度ついに人類初の宇宙遊泳性交を成し遂げた国際的淫魔人・鏡子の、学生時代の性技にインスパイアされて描かれた作品であり、
 後世のための史料価値も非常に高いとされている。

 ミルキーウェイの本来の手口と違う、あまりにも猶予のない犯行予告。
 ただでさえ焼きそばパン騒動の対応に追われている風紀委員に、人員を裂く余裕など本来は無い。

 だが、本物としか思えない字体と絵画の価値を顧みれば、
 何も手を打たないというわけにはいかなかった。
 故に、必要最低限の戦力――ビスマルク正太郎が、こうして単身で備えているのだ。

(予告状の時刻までだ。それ以上は待たん)

 カチリッ。
 展示物のひとつ――フロアの時計としての役割も備える『螺旋の時計』が、分針を一目盛刻んだ。

 12時37分。怪盗の気配、未だ無し――



 職員校舎地下、資料室。
 強引に破壊された入口の錠――薄暗い部屋に響く、カチャカチャと金属の擦れる音。

 校則違反四天王の一人『カンニング』こと、ラタトスク竹山
――毳毳(けばけば)しく飾った夜色のドレス/目元に華美なマスク/大雑把なツインテールのウィッグ/真新しいシルクハット/胸にやや盛りすぎな詰め物パッド
怪盗少女の仮装。遠目で見れば騙せる程度の最低限クオリティ。


(ふん、こんなものか)
 金庫の一つに強引に金具を指し込みながら、無表情のまま心の中で嘲る。

 偽の予告状に、不良たちに流させた襲撃計画の噂
 治安機構たる風紀委員は、こちらの狙い通りに踊ってくれていた。
――なんと御しやすいことか。
 今日この日の完全勝利をもって、校則違反四天王と風紀委員のパワーバランスは逆転することだろう。


 何でも願いの叶う伝説の焼きそばパンとは、本来たったの108円で売られるべきものではない。
 心に巣食う薄汚い欲望を少し煽ってやるだけで、もっともっと巨額の利益を生み出すことができる――購買部にその気がないのであれば、せめて校則違反四天王が有効に活用してやろうというのだ


 ラタトスク竹山には、尊ぶべき矜持も(こだわ)りもない。
 購買部が築き上げた消費者との信頼も、
 ミルキーウェイの信条も、
 焼きそばパンを巡るロマンも、全てどうだっていい。

 他人のかけた努力や時間を一瞬で踏みにじり、奪い取る。
 それだけが彼の考えるカンニングの本質であり、習性であった。


 計画――偽情報によって購買部に店舗を移動させ、本物の焼きそばパン購入を成立させない。
 そしてその隙に、偽の焼きそばパンを大量に売りつけ、莫大な利益を得ること。

『人体錬成』――クローン偽購買部を配置し、カネを巻き上げる。
『カツアゲ』――放送室を占拠して購買部部長を脅迫、誤情報を流す。
『放火魔』と『カンニング』――状況を攪乱し、治安機構の対応を遅らせる。


 資料室に入ったのは、今ならここが手薄だったからだ。
 テスト問題作成用資料の収められた金庫に目星を付けたのは、カンニング犯としての生態ゆえか。
 だが、それだってなんでも良かった。

 重要なのは騒ぎを大きくすること。
 金庫を破って中身を持ち出したあと、仰々しく犯行完遂の声明を出し、次なる騒動を起こせばいい。

 バキリ、と錠の折れる音。扉が開き――


てやーっ!
 金庫から突如飛び出した影! 危険な蹴り!

「何ィッ!?」
 竹山は間一髪でブリッジ回避!


 天地の入れ替わったブリッジ視界に、竹山はそれを認めた。
 目元にマスク/二つ結びのウィッグ/洒落たシルクハット。
 キラキラに飾った夜色のドレス。バストは控えめながらも、すらりと伸びた優雅な肢体。
 ニコリと上がった口角――少女と怪盗/愛らしさと艶やかさを両立した笑み。

「……馬鹿な、貴様は……怪盗ミルキーウェイ! 何故ここにいる!?」

「あなたの目的は焼きそばパンそのものでなく、混乱を起こすことだった」
 狼狽する竹山/人差し指を立て、飄々と余裕ぶるミルキーウェイ。

「だったら、予告は関係ない。風紀委員にとっての死角(じゃくてん)、一番警備の手薄な所を狙う。そうでしょ?」

 当然と言わんばかりの態度――そんな、馬鹿な。
 百歩譲って、竹山の動きが読めた理由まではいい。
 だが、侵入の痕跡など一切見当たらなかった。

 ミルキーウェイがこの場所にあたりを付けたのは、風紀委員長に予告状が届いたすぐ後。
 それから竹山が入口の錠を壊すまで、たったの数分間。

 その僅かな時間に彼女は痕跡を残すことなく金庫を開け、内側から再ロックし、待ち受けたのだ
――怪盗としての圧倒的な格の違いを、不届きな偽物に見せつけるためだけに!


「偽の予告状を出したのはあなたね?」

「……フン、それがどうした? 貴様も俺たちと同類の犯罪者だろう。正義ぶって糾弾できる立場か!」
 困惑を振り払うように、威勢よく答える竹山。

「怪盗にはね、誇りがあるのよ。私の名前を騙ったツケ、払わせてあげるからっ」
 あくまで冷静さを保ちながら、ミルキーウェイも負けじと返す。
 矜持を汚され内側で燃える怒り、その一端をわずかに滲ませて。


「ほざけっ!」
 ラタトスク竹山が踏み込む――その動きは驚くほどに(はや)い!
 撃ち出される突きを、ミルキーウェイは紙一重で回避。掠めた服の肩口が裂ける。

「くっ……!」
「確かに貴様は一流の怪盗だろう……だが、腕っぷしの方はどうだ!?」

 魔人能力『パーフェクト・トレース』――身体モーションを思いのままに模倣することができる
 ただし、感覚や知識までは真似できない。

 前の席の生徒に発動することによって、答案を書く指の動きをコピーするカンニングは勿論、
 筆跡を真似する程度ならば、メディアに公開された予告状の文面を見るだけでも発動可能。
――更に、このように武術の達人の動きを再現することもできる、恐るべき能力である!


「貴様の怪盗スキルもコピーさせてもらおう! さあ、足掻いてみせろ!」
 両腕を広げた低い体勢から、竹山が突進する。

「残念だけど」
 少女――危機的状況にも、不敵な笑みを崩さず。
「超一流の怪盗は、自分の仕事を他人(ひと)に見せないのよね!」

 ミルキーウェイが耳に手を当てた。イヤリングを外し、床に投げる。
 瞬間――強烈に広がる光!

(なっ、閃光弾か!)


 そして後方に、カツン、という靴の音。

「馬鹿め、そこだァーっ!」
 振り向きざまに放たれる手刀。手ごたえ――無し。
 ミルキーウェイの身体を強かに打つはずの一撃は、宙を切っていた。

 そして竹山の首筋に、衝撃が走った――ぷつん、と何かが切れる感覚。

(何……が……っ!?)
 視界が暗転し、竹山の意識はそこで途絶えた。



「はーっ、割と危なかったわね」
 気絶したままの竹山を麻縄で簀巻きにしながら、ミルキーウェイは戦いを振り返る。

 放り投げたシューズが床に落ちる音に反応して相手が大振りの一撃を放った所に、
 ハイキックで意識を刈って決着。

 訓練を積んだ武闘者ならば、不用意に振り返ったりはせず、ガードを固めて視覚の回復を待つ場面。
 もしもラタトスク竹山が達人の真似事だけでなく、
 真に鍛錬を積んでいれば結果は違ったかもしれない。


(うーん……今から焼きそばパンを探しにいくのもなぁ……正直疲れたし)

 予告状を遵守しなければならないのであれば、『嬌しきウロボロス』だって盗み出さなくてはならない。けれどそちらはもう時間切れだ。

(ま、偽物も突き出したし……オッケーってことでいっか)

 怪盗に最も求められる能力とは、引き際を誤らないこと
 こんな奴らのバカげた陰謀に、どうしてこれ以上付き合ってやる必要があるだろう?

『私の名を騙る不届きものは捕まえておきました――怪盗ミルキーウェイ

 簀巻きで転がる男の横に書置きを残して、
 天ノ川浅葱はその場から静かに立ち去った。







 学園敷地の中心に位置する噴水、希望の泉。
 いつもの昼休みは生徒たちの憩いの場であるが、
 今日に限ってはみな焼きそばパンを追い求め、そこかしこに建つプレハブに群がっている。


 ときに。
 魔人建築家によって造られたこの噴水は、人を惹きつける力を秘めていた。
 特に自我の希薄な者に対しては、その効果も非常に大きい。

 幽鬼の様にフラフラと泉の近くを彷徨う、ローブを着た人影
――目深に被ったフードの下に、即身仏めいて窪んだ眼窩、こけた頬。
 顔から首筋にかけて刻まれた、禍々しい呪詛の文様。
 ボロボロの袖から覗く、黒ずんで骨ばった腕。


「スゥーッ……」
 渦巻く熱気の中、霊能者・雲水は大きく息を吸い、それを見据える。

 雲水をこの場へと導いた邪悪なプレッシャーは、確かにそこから放たれていた。
 確信めいた想い――あれが己の討ち果たすべき存在か。


――遡る事、およそ千年前。
 平安京の風紀委員長であった魔人・安倍晴明はその命と引き換えに、
 一体の恐るべき悪鬼を『停学』処分とし、昏く冷たい海底の洞に沈めた。

 時折地脈から力が漏れ出し、歴史に爪痕を残すほどの大火を引き起こしつつも、
 晴明の魔人能力『陰陽師と風紀って、同じなのか!?』は、
 本体の死後千年もの間、正常に機能し続け、その力を抑え込んでいた。

――希望崎学園校則違反三人衆の一人、『人体錬成』の沼田が、
 危険な知的好奇心によってその封を破るまでは。


 千年の停学(ねむり)から解き放たれたかの者の名は、ダークインフェルノ熱海。
 校則違反四天王最強の存在『放火魔』である。

「あ”あ”……あ”あ”~”~”~”~”……」
 しわがれた唸り声をあげ、ダークインフェルノ熱海が枯れ枝のような右腕を振り上げる。
 熱エネルギーがコロナ光の形を取り、指先に収縮した。

 膨張した空気が光の屈折を歪め、
 微小な意志しか持たぬはずの顔に、ぞっとするような笑みの虚像を結ぶ。


 雲水は思わず息を呑み、その額に大粒の汗がすう、と流れた。
 だが彼は、片時も目を逸らしはしなかった。

「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”っ」

 熱海が腕を振り下ろす。
 コロナ光は指の先から空間へと迸り、近くに生える樹へと吸い込まれた。
 一瞬の沈黙――突如として轟音を立て、激しく燃え上がる樹。

「……なるほど、ものすごい力ですね」
 誰ともなしに雲水は呟く。
 垣間見えただけでも、これまでに祓った悪霊とはレベルが違う。

 悪霊の炎を操るEFB指定能力――『死魔殺炎烈光(ディアボリック・デスバースト)
 師匠の龍玄いわく。生徒たちの情熱を喰らい、やがて学園全体を飲み込み滅ぼす、大いなる影
 雲水の調べた文献によれば、周囲の人間から悪意を吸収するほどにその力は強まるという。


「あ”あ”あ”あ”あ”ー”ー”ー”……」

 再び振り上げられ、下ろされる腕。近くのプレハブを焼き払うべく放たれる閃光。
 しかし――

「スゥゥーー……ッセイ!」

 開いた窓の隙間に煙が吸い寄せられるように、コロナ光が雲水へと引き込まれる。

「……っぐぁぁっ!」
 ()けつくような悪意の奔流が、雲水の体循環を駆け巡る。
 しかし、コロナ光が物質に対して引き起こすべき、超自然の発火現象は起こらない。

 心臓が熱い。煮えたぎるマグマを血管に注がれたかのような感覚。だが、同時に確かな手応え。
――己の魔人能力は、目の前の相手に通用する!


 平安京の偉大なる風紀委員長ですら完全には封じ切れなかったEFB能力者を、
 雲水はなぜ制することができるのか。

 厳密に言えば、魔人能力に強弱の概念はない。
 あるのは「自身の能力とはこういうものである」という『認識』のみであり、
 ゆえに完全なる上位・下位互換はよほど偏った認識を持たぬ限りあり得ない。

 雲水が修行すら終えぬ身であったとしても、
 悪意を取り込み浄化する魔人能力『行雲を留め流水に濯ぐ』は、悪意を元に炎を生み出すダークインフェルノ熱海に対して、一流の霊能者以上の銀の弾丸(メタ能力)となりうるのである。


「あ”……あ”……」
 三度(みたび)腕を振り上げる熱海
――薄弱な意識ゆえに能力不発への動揺もなく、淡々と次の一撃を放つ。

「スゥーッ……セイッ!」
 雲水の呼気――悪意をその身に取り込む。玉汗が額を流れる。

 腕を振り上げる。コロナ光が迸る。
「スゥーッ……セイッ!」
 悪意をその身に取り込む。

 腕を振り上げる。コロナ光が迸る。
「スゥーッ……セイッ!」
 悪意をその身に取り込む。

 腕を振り上げる。コロナ光が迸る。
「スゥーッ……セイッ!」
 悪意をその身に取り込む。

 腕を振り上げる。コロナ光が迸る。
「スゥーッ……セイッ!」
 悪意をその身に取り込む。

 腕を振り上げる。コロナ光が迸る。
「スゥーッ……セイッ!」
 悪意をその身に取り込む。

 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
「あ”あ”……あ”あ”あ”~”~”~”……」
 腕を振り上げる熱海。淡々と能力を発動――もはや、疲れを知らない機械のよう。

「……スゥーッ……、……セイッ! っ……」
 雲水の呼気――何度目かも分からない熱の奔流。
 滝のように汗が噴き出す。膝ががくがくと震える。

(お、終わりが見えない……なんて妖力だ!)

 雲水自身は否定するであろうが、彼が元来持つ体質と日々のストイックな鍛錬により、その霊能は十五歳にして既に非凡の域に達している。
 少なくとも体内に霊的な流れを留める容量(キャパシティ)という点においては、師匠の龍玄にすら引けを取らない。
 が、それ以上にダークインフェルノ熱海の力は底知れなかった。


 焼きそばパンを求める生徒たちの欲望の強さは、『人体錬成』にとってすら予想外であった。
 状況を掻き回すため、建物のひとつふたつでも焼き払えば良しと放たれたダークインフェルノ熱海だが、大量の負の感情を吸い込んだことによって、既に四天王の制御すら離れて力を振るっている。
 もしも雲水が止めていなければ、既に希望崎学園全体が灰燼と帰していたであろう。

(だめ、だ……今、倒れたら……師、匠……)
 だが、もはや限界だった。
 私立希望崎学園は、いや、日本列島は、このまま世界地図から消滅してしまうのであろうか。


――その時である。

「君が雲水くんだな!」
 誰かが名を呼んだ。
 振り向いた先に立つ、スーツのようにピシッと制服を着こなした三人組。

「事情は君の師匠から聞いたぞ。よくぞ今まで食い止めてくれた!」
 神経質そうな眼鏡の男、希望崎学園生徒会長・学園型マーリン――その眼に宿る義憤の炎。

 両脇を固めるのは、いかにも屈強な筋骨隆々の二人
――雲水を認めるかのようにぐっと親指を立てる(サムズアップ)


「後は任せろ。我々生徒会がそいつを倒す!」
 ああ、ああ……なんと頼もしい言葉。
 雲水は意識を手放そうとして――その背筋に、ゾクリと悪寒が走る。

「あ”……あ”あ”……!」

 ダークインフェルノ熱海の魔人能力『死魔殺炎烈光(ディアボリック・デスバースト)
――周囲の人間から悪意を吸収するほどに、その力は強まる
――たとえば、自分に向けられる殺意などはその最たるものだろう


「みなさん、下がってください!!」
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!」
 しわがれた叫び――熱海の全身から噴き出すコロナ光。

 両手を広げ、震える足を叱咤して立ち向かう。
「スゥゥーーーー……ッ、セェイ!!」
 雲水を飲み込む撃流
――歯を食いしばる/引き込み切れない光が周囲に飛び散る/アスファルトが燃え上がる。
 熱いという感覚を通り越して、ズタズタに刺すような痛み――雲水の脳裏に響く声

『こわい』『殺さないで』『殺す』『こんな力いやだ』
『殺す殺す殺す』『やめて』『痛いよ』『殺さないで』

たすけて

 その瞬間、雲水は理解した。
 どうして誰もダークインフェルノ熱海を倒すことができなかったのかを。

 悪意を吸収するほどに強くなる魔人能力は、
 トドメを刺そうする瞬間の敵対者と、
 熱海自身の『殺されないために殺そう』とする殺意によって、最も大きく膨れ上がる。

 ゆえに。だからこそ。
 雲水は、それを止める答えを始めから持っていた。

「君は……僕と同じだ……! 力に振り回されているだけだったんだ……だからっ!!」


 長く厳しい修行を、雲水はずっと耐え抜いてきた。
 自分と同じく苦しむ人を救いたいという一心で。

 燃え盛る中を、雲水は腰を落とした低い体勢で突進する。
 鋭いタックルで、ダークインフェルノ熱海を押さえつける。
 害意を持ったままでは、触れることすら叶わなかったであろう――身体の内側から、不思議な勇気と力が湧き上がってくる。

「僕が君を、その苦しみから解放する……! スゥゥゥーーー……ッ!!

……セェェェェーーーイッッ!!!

――雲水の両手から放たれる暖かく青白い光波が、ダークインフェルノ熱海を包み込む。
 取り込んできたあらゆる負の感情が、蒸発するように融けてなくなってゆく。

 そのまま、重なるように倒れた。


「なんてことだ……本当に一人で、EFB指定能力者を……雲水くん! おい、しっかりしろ! ……治療能力者を早くこっちに!」

 会長の声が遠く聞こえる。
 ぼやける視界――今度こそ限界か。
 ああ、せめて、ここからどけなければ……自分の下敷きになっていては、さぞ重かろう。

 手をつく場所を求める――探り探り動かす掌に、柔らかい感触

「えっ?」

「すー……すー……」
 可愛らしい寝息を立てる、フードの下の素顔。
 眼窩の窪み、こけていたはずの頬――憑き物が落ちたというように、自然な肉付きを取り戻している。
 整った顔立ち、サラサラの黒髪。花のように瑞々しい小さな唇。

 では、掌に収まりきらないこの柔らかくて大きな感触。これは、これは――

「ぼ、僕は……なんて、こ、と……を……」

「う、雲水くーん!!」

 眠っている間に女の子の胸を揉んだという、修験者にあるまじき行いの強烈な罪悪感に苛まれながら。
 希望崎の危機を人知れず救った、
 漢気ある、
 けれど少しヘタレな霊能者は、とうとう意識を手放した。







 職員校舎二階、放送室。

 普通の教室よりもやや狭いという程度の、窓のないカーペット張りの部屋。
 猿轡と対魔人手錠を掛けられたまま、部屋の隅に転がされている者たち――購買部部長・商屋ネネ/血の気の多そうな購買部員/放送部員。

 風紀委員二年・車口文華は、動くこともできずただただ立ち尽くしていた。


「ったく、ツレが使えねえやつらだと最悪だぜ。なァ、そう思わねェか?」

 ボロボロの学ランを羽織った、背の高いリーゼントの男
――校則違反四天王の一人、『カツアゲ』ことタイラント粕屋(かすや)
 影を踏みつけた相手の動きを奪う、恐るべき魔人能力『ソウルキャッチャー』の持ち主である。

 頭上で点けっぱなしのまま設置された幾つもの演出照明が、多角度から室内を照らす。
 部屋のどこに立っていても、粕屋の足元まで影が延びる配置だった。

 無抵抗の文華に手錠をかけながら、粕屋が下卑た手つきでわざとらしく身体に触れる。
 文華の反応――ポーカーフェイス(何考えてるのかわからない)と称される、いつもの無表情まま。

 粕屋がつまらなそうに舌打ちする。


「……こんな状況、いつまでも続きませんよ。すぐに風紀委員の救援がここに来るでしょう」

「そうだよなァ、こんなはずじゃなかった! 『カンニング』と『放火魔』のやつらがあっさりやられてなけりゃ、もうちょっと遊べるって段取りだったんだ」

 交渉担当の役員でなくとも、風紀委員はみな簡単な対話訓練を積んでいる。
 文華の分析――この男は、あまり思慮が深くない。
 話し相手になってやれば情報を引き出せるかもしれない。


「……どうやって購買部の情報を得たのですか?」
 文華の問いに、粕屋は躊躇いなく口を開く。

「購買部員にスパイがいてなァ、ありゃ俺から見ても可哀想なやつだった。
 不当な条件でコキ使われて雀の涙みてえな給料しかもらえないってんで、分け前の一部をやるって誘ったら簡単に食いついたぜ、ギャハハ!」

 床で転がったままの商屋ネネが、バツの悪そうな顔で文華を見る。
 もっとも希望崎学園に労働基準法に相当する校則は存在しないため、風紀委員に部内ルールを取り締まる権限はない。


「……なぜ、こんなめちゃくちゃな真似を? 特にあなたは、普段からお金にも困っていないのでは?」

「一番カネを欲しがってるのは『人体錬成』の野郎だよ、アイツはまァた研究スポンサーに捨てられたって話だからなァ! だが、カネだけじゃない。分かるか、なあ? 数年に一度のお祭り騒ぎに、最初っから蚊帳の外なオレたちの気持ちがよォ!」

「……それは、あなたたちの自業自得でしょう」

「ギャハハ! だよなァ~~! 言ってみただけだ! オレは自分が楽しけりゃどうでもいいんだ」

 物憂げな顔で文華は思う――この男はクズ野郎だ。
 どうしてこんな奴らの横暴に、私たちがつき合わされなくてはならないのだろう。
 世界に必要なのは、やはり鉄拳だ。

「さァて……言ってたよなァ、風紀委員が捕まえにくるって。その前に楽しませてもらうとするか」

 タイラント粕屋が文華へと手を伸ばす。
 訂正――この男は最低のゴミクズ野郎だ。

 身体の自由さえ利けば、今すぐ手錠を引きちぎってその顎を砕いてやりたいのに。
 ああ、車口文香は果たしてこのまま、毒牙にかかってしまうのか――?


 ドゴゴガッシャーン!
 猛烈な勢いで鍵ごとぶち破られる、放送部入り口の金属ドア。

「汚い手で触らないでください、肥溜め以下の最低ゴミクズクソ虫野郎!」
 文華の内心を1.8倍盛りぐらい修飾した言葉で代弁する、赤縁眼鏡をかけた金髪の少女。

 風紀委員一年生・天雷テスラが、なぜか人差し指を頭上に突き立てたポーズをキメて飛び込んできた。
 その影は、既に粕屋の足元に延びている。

「……いけませんテスラ、離れ」「ギャハハ、バーカ!」

 魔人能力『ソウルキャッチャー』発動――少女の自由を奪う。
 ああ、天雷テスラは果たしてこのまま、お姉様と仲良く毒牙にかかってしまうのか――?


「甘いっ!」
 魔人能力『電流戦争』
――頭上を指したまま固まったテスラの指先から指向性を持つ電流が放たれ、照明を破壊する!


「な、んだとォ!?」
 一瞬で暗転――放送室に窓はない。照明を破壊されれば、入口から僅かに光が差すのみ。
 当然、粕屋の足元に届く影などない。
 闇の中で閃光が走り、咄嗟に逃げようとした粕屋を捉えた!

「ギャアアアアアッ!」
 痙攣しながら床をのたうちまわる! スタンガンダンスだ!
 テスラは電撃を緩めず、かといって魔人の致死出力を超えず、動けないだけの威力を保ち続ける。


「……殺してはダメですよ、テスラ」
「わかっていますお姉様」

 苦痛(でんげき)の中で聞こえた微かな希望――そうだ、はやくコレをやめさせろ!

「……その人には私が直々に、拳をくれてやらないと気が済みませんからね」
 ゴキリ、と拳を鳴らす音に、『カツアゲ』タイラント粕屋は絶望した。



「あ、ありがとう……」
 懐中電灯の明かりの下、手錠と猿轡を外されて、商屋ネネはようやく一つ息をついた。
 そりの合わないあの白髭ビスマルク――その部下に、完全に助けられてしまった形になる。


「怪我はありませんか? この男、一発ぐらい殴っておきますか?」
 床でぷすぷすと煙を上げる物体を、テスラが指さす。

「いえ、遠慮しておくわ」
 正直男への腹立たしさはあったが、それがトドメの一撃になりそうなので断った。

「さて、あとは全校に正しくアナウンスすれば一件落着ですね!」
 朗らかに声を上げるテスラに、文華が首を横に振った。

「……テスラ、まだ私たちの仕事は終わっていませんよ」
「えっ、お、お姉様……?」

「四天王はまだ一人残っています。私たちの本来の役割は校則違反者の取り締まり……でしょう?」
「そ、それはそうですけど……」

 ネネにもテスラの気持ちは分かる。土で薄く汚れたスカートの裾、擦りむいた痕。ここに来る前にも、校庭辺りをひとっ走りしてきたのだろう。
 その上で校則違反四天王の一人を討ち、重要拠点を制圧したのだ。大仕事をやり遂げた気になって、あとは争奪戦の行方をお姉様とゆっくり観戦、という気分にもなるだろう。

 ただまあ、風紀委員の仕事も遊びではない。
 活動予算から日当などを貰っているはずだから、嫌な仕事だってやり遂げるのが筋というものだろう。


「……テスラ、確かに私たちの仕事は命がけな割に無償奉仕だし、どれほど頑張っても報われないものかもしれません」
「お姉様……」
 ツッコミたくなる衝動を、ネネはなんとか抑える。

「……でも、私は頑張るあなたの姿が好きですよ」
「お姉様……!」
 見つめ合う二人――ネネは二人の背後に謎の薄桃色空間エフェクトが広がるのを幻視し、クラクラしそうになる。

「……この件が終わったら、そうですね……一日膝枕の権利をあげましょう」
「お、お姉様ぁー!!」
 その一言でテスラはオチた。ネネも別の意味でオチそうになって、なんとかこらえた。


「……良い子ですね、あなたは私の自慢の妹分です」
「え、えへへ……!」
 穏やかな顔で頭を撫でる文華。顔を赤くして喜ぶテスラ。
 その様子を、ネネは頭を抱えながら冷ややかな目で見つめる。

 第三者視点で見ていて分かった。
『絆』とか『熱意』とかで人を動かそうとするのは、歪んでいる。

 これからは『勤労の喜び』とか『部への貢献』とかいった言葉を極力使わず、
 労働に見合った対価で応えよう。
――そうすれば、今回のような事件は起こらなかったかもしれないのだ。


「……では、商屋購買部部長。仮設店舗位置のアナウンスをよろしくお願いします」

「ええ」
 責任は後々、何らかの形で取ることになるだろう。
 今はただ、この騒動に収束を。







 誰もいない新校舎の屋上。
 つま先から下りて、踏みしめた地面の硬さに安堵する。

 メリーがあたしをゆっくりと離す。
 あたしもそろそろ、メリーの代わりに抱えたこの大量の焼きそばパンを手放したいんだけれど。


「ここなら多分大丈夫。変な人も追ってこないよ」
「そうかな……うん。そう、だね」

 見下ろす景色。プレハブ売り子、混ざり出した嘘つきたち。
伝説の焼きそばパン、もう売れたらしいぞ!
向こうの方に、怪しい店があったって!
 微かに聴こえる声。騒音に掻き消されては、また生まれる嘘。

 一面を埋め尽くす赤、赤、赤、赤。
――何度目かも分からない溜め息をつく。

 ちらりと横に目配せ――本物の購買部をじーっと探すメリー。

 言うべきか、言わざるべきか。あたしは悩んで、悩んで、も一つ悩んで、結局言うことにした。

「……あのさ、メリー。もうやめにしない?」

 振り向くメリー――あたしを見つめる澄んだ瞳。生まれたての雛鳥と目が合ったような気分。
「なんで?」

「なんでっていうか……もう260円しかないんでしょ? これ以上はお金の無駄じゃない?」
「ううん、あと140円。あ、これいる? 飲みかけだけど」
「いつの間にジュース買ってたの!?」

――ああ、もう。そうじゃなくて。

「いいじゃない別に、普通の焼きそばパンで。あたしはなんかお礼とか、全然気にしてないし。そんなことより、メリーの隣で一緒に食べられればそれでいいな」

「リリア、けっこう恥ずかしいこと言うね」
「う、うっさいわ! お前がゆーな!」

 メリーが笑う。あたしも釣られて笑う。いつかの日の逆パターン。
 そうだ、あたしにはこれがあればいい。これだけでいい。


「確かにリリアの言うとおりかも。こんなにパン買わなければ、新しいスカート買いにいけたと思うし」
「行こうよ、二人で。今度の土曜日。スカートは買えなくても、一緒にお店を冷かしてこようよ」

 ぱあっと表情が明るくなる――もうひと押し、あと一押しだ。 

「でもどうせあと一個しか買えないんだし、だったら挑戦したいな」

 違う、違うよメリー。
 あと一個しか買えないんじゃない。
 まだ一個、買えちゃうんだ。

 今は焼きそばパンだからいいかもしれない。
 有り金全部っていったって3000円そこらとか、笑って済ませられる程度かもしれない。
 けれどいつか――メリーから根こそぎ全てを奪おうとする本当に真っ赤で悪い奴が現れた時、同じことが言えるだろうか?

 漠然とした不安だとは自分でも思う。
 けれど、もしもここで最後の一線を止められなかったら、
 あたしは肝心な時にもメリーを助けられない気がする。


 あたしは誰よりも嘘つきだ――メリーみたいにはきっとなれない。
 けれど、この子を傷つけようとする嘘から守ってあげられるなら、
 一緒にいても許されるような気がしてた。

 それでもまだ、メリーが行くというのなら。あたしは――

「聞いて、メリー。あの放送も、購買部も、全部嘘っぱちなの。伝説の焼きそばパンなんて、本当はどこにも売ってないの」

 もう傍にいられなくたっていい。メリーがこの先、人を疑うことを知って、悪意に傷つけられることなく生きていってくれれば、それでいい。

「嘘を見抜く魔人能力――『ベビーマーカー』……あたしには、人の嘘が分かるの



「ねえ、知ってる? 誰でもメリーみたいに真っ直ぐに、素直に生きてるわけじゃないんだよ」
 伝えなくちゃ、人を疑えと。嘘つきたちの食い物にされるなと。

「みんながみんな相手のことを疑って、自分だけは騙されたくないって思いながら、
 結局嘘に嘘で応えてる。だから」
 世の中は嘘つきに溢れかえっている。たとえ良い人そうに見えても、表面(おもてづら)に騙されてはならないと。

「拒まれたくなくて、誰にも言えなかった。友達にも、パパにも、ママにも」
 違う。今はあたしのことはいい。メリーに教えるんだ。あたしの個人的な想いなんてどうだっていい。

「メリーと会って、びっくりした。少しも赤くない人なんて、初めて見たから。それで声をかけたの」
 言葉が止まらない。涙が止まらない。後ろめたいものを今ここで、全て吐き出してしまいたかった。

「心のどこかで、たぶんずっと、あたしはみんなのことが許せなかったんだと思う」
 自分勝手な嘘をついて、他人を傷つける人たちが許せなかった。

「でも、こんな能力を隠してるんだから、ダブルスタンダードってやつ。
 結局あたしが、一番ひどい嘘をついてるんだ」
 パパに嘘をつくママ。
 友達をダシにするクラスメイト。
 メリーの気持ちを踏みにじる偽の購買部。
 そんな人たちよりもずっと真赤く染まった醜い自分が、他の何よりも許せなかった。

「嫌だよね、こんな嘘つき。友達でなんていたくないよね」
 いっそ思い切りあたしを責め立てて、ここから突き落としてほしいぐらい。
 許してほしいのかどうかさえ、もう分からなかった。


「ねえ、リリア」

 そっと肩を抱く感触――どうして? もしかしてほんとに、あたしを突き落としてみるとか?

「わたし知ってたよ」
 そんな馬鹿な。一体何を言い出すんだろう、この子は。

「あたしが、嘘を見抜けるってことを?」
「ううん」
 だったら何を知っているっていうのか。
 どうしてこの子はこんなにも、穏やかな声をしているの。

「リリアが、やさしいこと。
 だから嘘をつくとしても、きっとそれは人を傷つけるためのものじゃないってこと」
 嘘を見抜ける自分の能力を、これほどありがたいと思ったことはない。
 そうじゃないとひねくれたあたしにはきっと、心の底から信じることはできなかったから。


「リリアはきっと相手のために、自分が傷ついても構わないって思える人。そのための嘘をつける人
 だからリリア、わたしね――」
 人の夢を壊したくなかった。
 パパとママに、仲良くしていてほしかった。
 あたしは外側にいてもいいから、みんなには綺麗な輪っかを作っていてもらいかった。
 この気持ちをあたしはずっと、自分ではない誰かにも認めてほしかった

「わたし、そんなリリアと友達になれたの、とっても誇りに思ってるんだよ」
 こんなにも幸せなことが、あってもいいのだろうか。
 あたしが一番欲しかった言葉を、一番言ってほしかった相手が、本心から伝えてくれている。


「もう大丈夫だよ」
「分かってる」
 メリーがあたしをぎゅっと抱きしめてくる。
 さすがにちょっと恥ずかしくてなってもがくけど、しっかりロックされてて外れない。

「わたしはリリアの事、嫌いになんてならないから」
「分かってるよ」
 身体を捻ひねって振り切ろうとする。もがけばもがくほど逆にひっついてくる。
 なんだかあたしの方が、駄々をこねてる子供みたい。

「リリアも自分のこと、もう嫌いにならなくてもいいからね」
分かってるってば、もう!
 最後の方はもう意地になって、それでもメリーは離してくれなくて。
 あたしはそのまま、メリーの胸でワンワン泣いた。



 それからしばらくあたしたちは、どうでもいい話をしながら雲を眺めたりしてた。
 下で響く喧噪も、視界をチラつく赤いものも、もうあんまり気にならない。

――ピーンポーン パーンポーン
 スピーカーから響く、全校放送を告げる音。

『本物の伝説の焼きそばパンは、旧校舎裏に仮設された購買部店舗にて販売されています。
 昼休み開始時に出現したプレハブ群は、当部とは一切関係ありません。
――繰り返します。
 本物の伝説の焼きそばパンは、旧校舎裏に仮設された購買部店舗にて販売されています。
 昼休み開始時に出現したプレハブ群は、当部とは一切関係ありません』

「今の放送は、ほんとの?」
「うん、間違いない。行くの?」
 メリーがこくりと頷く。今度はもう、止める理由は何もなかった。

「ねえリリア。今度の土曜日、一緒に出掛けよう」
「うん」
「見ててね、私が本気で翔ぶところ」
「うん」

 メリーの背中に透明な翅が生えた。ぐぐっと膝を曲げて、そのまま跳躍。
 あっという間に翔んでいく――旧校舎とは、反対の方向へ。







 毎朝必ず訪れる場所――新校舎の昇降口脇にある駐輪場
 自転車の群れの中、立て掛けられた突撃槍
 アクセルグリップに吊り下げられたお気に入りのヘルメットを被り、バイザーを下ろす。

(回路形成)

 神経の速さでオーダーを伝達――暖気を開始。
 魔女の箒が唸る/胸の鼓動が高まる。


>【転送】【開封】


 暖気の合間に勝負服を転送――少しでも速く、正確な飛翔を求めて。
 袖先から置換されていく制服/光の泡になって弾ける眼鏡
――一瞬の解放感ののち、全身を締め付けるタイトな感触。


 わたし⇔外界を隔てるただ一枚の被膜――エナメルの光沢を放つ、白金(プラチナ)色の耐Gスキンスーツ
  ×(かける)
 超視力の裸眼で、遥か先までをくっきりと視認
(イコール)最速飛行のための最適解。


 ふいにビジョン/記憶の中の鐘の()
(「――遅刻、遅刻ーーーー!!!」)/掻き消える声/早回しで蘇る失速のイメージ。


(――まだだ。こんなのじゃまだ、足りない)


 魔女の箒に掛けられた限界速度制限=秒速たったの200m。
 他の生徒たちもまた、死にもの狂いで争奪戦に臨んでいる――これではとても間に合わない。


速度制限を解除
>【申請を受諾】

 本来の速さ(超音速)に耐えうる飛行制御能力は、とうに喪われた
――何も知らなかった、かつてのわたし自身といっしょに。

 もう一度、父さまと母さまを取り戻す?
――違う。ふたりはずっと、わたしとともにある。


 囚われるのではなく、切り捨てるのでもなく。思い出はいつでもわたしの中に。
 未来(過去)からの重力を振り切って、どこへでも行きたい場所へ翔んでゆけるように。

 今変わるべきは、わたし自身だ。


(「見ててね、わたしが本気で翔ぶところ」)
(「うん」)


 リリア――だれよりやさしい女の子。
 他人を傷つけたくなくて、本音をしまいこんで。きっと自分を一番傷つけていた。
 あの子がわたしにくれたものを、わたしもあの子に返してあげたい。


 透き通る四枚の前翅+後翅(フェデール・エイル)――付け根から翅先へ、ゾクリッ、という感覚。
 鱗粉をバラ撒くようにぼろぼろと剥がれ、零れ落ちる光の粉
――頭と背中の皮膚を掻きむしるような痛み。


「……っ、ああああああああっ!!」


 痛覚遮断をオーダー――否。これはわたしのものだ。
 だから、痛みごと受け入れる/一体化する――わたしが変わるべき姿を、この痛みが教えてくれる。

 未来世界の科学者、その執念の結実たる究極機能/父さまがわたしをだれより愛してくれた証し。
 より状況に適した形態へと、翅は無限に自律進化する。


ああああああああああああっ!!!


 そしてふと、(さなぎ)が脱げるように――驚くほどあっさりと消える痛み。
 爽やかな心地――ブランケットを放って伸びをする、土曜日の朝のよう。
 得るべきものを既に得た、という確信。


 作り変えられた前翅(フェデール)後翅(エイル)――見ずとも、触れずとも、その姿を感じ取れる。
 よりシンプルに、よりコンパクトに/一回り小さく洗練された四枚翅――駆動性を改善。
 そして、腰に更なる一対髪の毛と同化した棍状の膨らみ

 羽ばたきに合わせて振動し、飛翔感覚をフィードバックするための退化翅(ハルテール)
――制御能力の劇的な向上=超音速飛行に対応可能


 はやくこの翅で翔んでみたい――抑え切れない人造心肺(むね)の高鳴り。
 暖気完了――魔女の箒を掴む。


「わたしはだれなの?」
 唇が紡ぐ問いかけ――かつて心の底から求めたもの/今はただ、繰り返し唱えるための勇気の呪文(モージョー)
 わたしはそれを知っている。自分がだれなのかを。わたしはわたしに答えられる。


 遠い世界の遠い未来に生まれた、父さまと母さまの娘でもあり、
 超時空ネットワーク・ハイライトサテライトの担い手、掃き溜めの構成員でもあり、
 山口新世界萬請負事務所の居候でもあり、
 馴染おさなの幼馴染でもある。

 それから。

(わたしがこれからも、リリアをそばで守るんだ。安心してって言うんだ。だから――)
今からあの子の目の前で、わたしがだれよりも強いところを見せつけるんだ!


 私立希望崎学園に通う、ふつうの高校1年生でもあり、
 赤根リリアの友達でもある。

 それが、今ここに居るわたし=メリー・ジョエル



 推進器が吸気を開始



 コンプレッサーがそれを圧縮



 ブレイトンサイクルに従い燃焼



 ジェット噴流を排出



=急速爆進!!!







 校則違反四天王・『人体錬成』こと沼田人道にとって、最大の誤算とは何であったか。

『カンニング』の陽動失敗――元より計画の本筋に絡むものではない。
『放火魔』が制御を離れたこと――雲水の健闘により、その事実さえも知らない。
『カツアゲ』が放送室を再制圧され、間もなく全校生徒に仕掛けがバレる――少々痛いが、時間が早まっただけのこと。

 誤算とはつまり、もっと根本的なもの。偽焼きそばパンの販売そのものが、奮っていないこと。
 そしてその原因は――一人の少女であった。

「ファックイエー!」
「やんすーッ!?」
 少女が偽購買部員を殴りつけ、焼きそばパンを強奪。
「ファックイエー!」
『ギャァァァァァ!!』
 握りしめた焼きそばパンが、悲鳴を上げながら爆死。 656回目の殺害。

「ファックイエー!」
「やんすーッ!?」
 少女が別の偽購買部員を殴りつけ、焼きそばパンを強奪。
「ファックイエー!」
『ギャァァァァァ!!』
 握りしめた焼きそばパンが、悲鳴を上げながら中毒死。 657回目の殺害。

「ファックイエー!」
「やんすーッ!?」
 少女が更に別の偽購買部員を殴りつけ、焼きそばパンを強奪。
「ファックイエー!」
『ギャァァァァァ!!』
 握りしめた焼きそばパンが、悲鳴を上げながら焼死。 658回目の殺害。

 彼女の名はMACHI。
 アマチュアガールズバンド『God Wind Valkyrie』のギターボーカリストである。
 否――だった、というべきか。

 何せ今の彼女は痛ましい事件によってバンド仲間を失い、
 ムカつくファック野郎どもをぶっ殺したはずみでギターも失っている。
 つまりバンドメンバーでもなければギタリストですらない。

 今や彼女を彼女たらしめるアイデンティティは、
 己から全てを奪った焼きそばパンたちに復讐することのみである。


「ファックイエー!」
「やんすーッ!?」
 MACHIが更に別の偽購買部員を殴りつけ、焼きそばパンを強奪。
「ファックイエー!」
『ギャァァァァァ!!』
 握りしめた焼きそばパンが、悲鳴を上げながら溺死。 659回目の殺害。

「ファックイエー!」
「やんすーッ!?」
 MACHIが更に別の偽購買部員を殴りつけ、焼きそばパンを強奪。
「ファックイエー!」
『ギャァァァァァ!!』
 握りしめた焼きそばパンが、悲鳴を上げながら転倒死。 660回目の殺害。

「ファックイエー!」
「やんすーッ!?」
 MACHIが更に別の偽購買部員を殴りつけ、焼きそばパンを強奪。
「ファックイエー!」
『ギャァァァァァ!!』
 握りしめた焼きそばパンが、悲鳴を上げながら衰弱死。 661回目の殺害。

「ファックイエー!」
「やんすーッ!?」
 MACHIが更に別の偽購買部員を殴りつけ、焼きそばパンを強奪。
「ファックイエー!」
『ギャァァァァァ!!』
 握りしめた焼きそばパンが、悲鳴を上げながら轢死。 662回目の殺害。


 当初沼田は、マンホール下にある彼の研究ラボから、不慮の事態によって行動不能となった偽購買部の代わりを地上に送り出す作業をしていた。
 だが、何かがおかしい。
 あまりにも次々と偽購買部が倒れていく。
 様子を見るため地上に出た沼田が目にしたのは、偽購買部員をぶん殴って焼きそばパンを残虐グラインドミキサー殺するMACHIの姿であった。

 しかもこともあろうかこの少女、
 その少し前まで周りの購入者を殴りつけて焼きそばパンを強奪、即殺害していたのだ。

 おかげで周囲のものは焼きそばパンの購入そのものを恐れ、
 少女が働いた強奪行為の数以上に実際の売り上げは伸び悩んでいた。


(きィ~~~~ッ! ゆ、許せませんねェ~~~~~~、あの小娘、私のカワイイ培養モルモットたちをよくもォ~~~~~~~~)

 沼田はマッドサイエンティストである。偽購買部として配置されたクローン実験体『YNS-04』たちは彼にとって我が子も同然の存在であり、故に愛ある己のメスでズタズタに切り刻む以外の方法でいたずらに苦痛を与えることを良しとしていない。

(ワタクシの科学力で直々に捻り潰して差し上げますよぉ~~~っ!)
 MACHIが次に狙うであろうプレハブに当たりをつけ、沼田はその中でひっそりと時を待っていた。

 筋肉増強注射薬によって瞬間的に膨れ上がる圧倒的筋肉の小宇宙が、
 彼女を無残な肉食モルモット用の餌に変えるだろう。


 ザッ、ザッ……薄い壁越しに聞こえる足音。
 沼田が腕に注射針を当てる。そして――

「ファックイエー!」
 プレハブが爆発。
「ウギャァー!」
 圧倒的な熱と衝撃の嵐が沼田の全身へと降り注ぐ。破けた壁の隙間から聴こえる少女の声――

「もう……もう! 私ってホント馬鹿! ファッキン蛆虫!
 なんでもっと早く気付かなかったんだろう……」

こう(プレハブごと爆殺)した方がずっと早いじゃん!」――663回目の殺害。
 燃え盛るプレハブの中で、沼田は意識を失った。


 気付きを得たMACHI――もはや止まらない勢い。

「ファックイエー!」
「やんすーッ!?」
『ギャァァァァァ!!』
 少女がプレハブに手を当て、そのまま爆殺。
 爆風が焼きそばパンを吹き飛ばし、店員が生き埋めに。 664回目の殺害。

「ファックイエー!」
「やんすーッ!?」
『ギャァァァァァ!!』
 少女がプレハブに手を当て、そのまま爆殺。
 爆風が焼きそばパンを吹き飛ばし、店員が生き埋めに。 665回目の殺害。


 その時――校内全域に響き渡る、スピーカーからの音。

――ピーンポーン パーンポーン

『本物の伝説の焼きそばパンは、旧校舎裏に仮設された購買部店舗にて販売されています。
 昼休み開始時に出現したプレハブ群は、当部とは一切関係ありません。
――繰り返します。
 本物の伝説の焼きそばパンは、旧校舎裏に仮設された購買部店舗にて販売されています。
 昼休み開始時に出現したプレハブ群は、当部とは一切関係ありません』

「……ファック……!? ちょっと、どういうこと……!!」

 MACHIはそもそも、今までも状況を全く把握していなかった。
 足りない脳ミソで考えた結果、プレハブで売られる全ての焼きそばパンが本物であると認識し、
「殺せる焼きそばパンが増えた! ラッキー!」という
 ボーナスステージぐらいの雑さで理解していたのである。
 それを今更、本物の伝説の焼きそばパンの在り処などと――しかもその位置は明らかに遠く、MACHIが一番乗りで到着する可能性は限りなく低い。


「ファックイエー!」
「やんすーッ!?」
『ギャァァァァァ!!』
 少女がプレハブに手を当て、そのまま爆殺。
 爆風が焼きそばパンを吹き飛ばし、店員が生き埋めに。

 今のが通算666回目の殺害――その時、奇跡が起こった


 MACHIの目は確かに一瞬だけ、その姿を捉えた

――突撃槍に跨り上空を一瞬で横切った、銀色の戦乙女の姿を。
 その背で羽ばたく、天使のごとき六枚翅を。

「あ……ああ……KIKKA……TIARA……MEGU……ッ!!」

 間違いない――あれは『God Wind Valkyrie』。
 ひたむきに焼きそばパンを殺し続けたMACHIの想いが、
 遂に三人の魂をあの戦乙女の姿で呼び出したのだ。
 それ以外に考えられない。

 戦乙女は、旧校舎の方へと飛んで行った。
 おそらく、伝説の焼きそばパンを直々にぶっ殺すために。

 ならば――自分はこの歌を捧げよう。
 三人の魂が、あの世でもサイコーのロックンロールを奏でられるように。


――キミから差した 確かなヒカリ――

――眩しくて でも 見つめ続けた――

――My precious stars woo――







『本物の伝説の焼きそばパンは、旧校舎裏に仮設された購買部店舗にて販売されています。
 昼休み開始時に出現したプレハブ群は、当部とは一切関係ありません。
――繰り返します。
 本物の伝説の焼きそばパンは、旧校舎裏に仮設された購買部店舗にて販売されています。
 昼休み開始時に出現したプレハブ群は、当部とは一切関係ありません』


 響き渡る放送音声。もはや何の遠慮も必要無し
 争奪戦を静かに先行してきた者たち――黒天は/可憐塚は/久留米は、一斉に走り出す


 旧校舎まで、残り約800m。おそらく購買部はそのすぐ裏。

 先頭を行くのは黒天――その脚部に、久留米が腕を変質させた『ナイフ』を投擲。
 キィィンッ――乾いた金属音とともに弾かれる。脚周りを守る蠅の兵士たち。


 久留米――舌打ちしながら思考
(なかなかの防御力、部位狙いは厳しいわね)
(でも、脚の速さは大したことない。もう一人を潰してから一気に追い抜くのも手だわ)


 黒天――同様に頭を巡らす
(ここは『剣』で正解だ。脚を潰されるたびに自殺即蘇生回復していたら、金貨が持たない)
(けど、これで残るは一枚――使い切るとしても、あと一回きり)
(僕は攻撃ができないし、脚も一番遅い。一度抜かれたら終わりだ)
 冷徹に冴える脳/己の命すら躊躇いなく手札として認識する。


「あらっ、考え事してていいんですか?」
 可憐塚――一気に追い抜きに掛かる。
 黒天がルートを塞ぐように前を行く/久留米が飛び道具で牽制する。
 即席のコンビプレーでなんとか抜け駆けを回避。


 可憐塚――息一つ切らさず。
(一対一なら勝てる相手ね。どちらかに先に脱落してもらいましょうか、ふふ……)

 久留米――狩人の経験則/読み合い。
(やっぱり先に潰すべきはあの女。でも、だからこそ、男の方を狙う
(正確には狙うフリをする。確実に一対一を作るために、あの女も私に合わせて男を攻撃するだろう)
(その瞬間を、切り返しで仕留める)

 黒天――ただ一人、異質な発想。
(僕だ。僕を同時に狙ってこい


 黒天の魔人能力『Get Midheaven――ルーカー、僕に救いを――』の第四能力。
 死亡時にコインを一枚消費することによって、その場で蘇生することができる

 黒天はこの能力にこそ今回の秘策を見出していた。
『蘇生能力』は、死んでから生き返る。言い換えれば、生き返ったとしても殺人は殺人なのである。
 つまり敢えて自身に隙を作り、二人の攻撃を誘う。
 フェイントでもなんでもいい。
 自分から当たりに行ってでも、とにかく二人の放った攻撃で致命傷を負えばいい。

 それによって死亡した瞬間二人は焼きそばパンの購入権利を失い、黒天の勝ち抜けがほぼ確定する。
 既に布石は張った――蠅の兵士を見せた以上、彼女らは足を狙わない。
 黒天にとって致命傷(デッド・ボール)を貰いやすい、頭部や心臓への攻撃を引き出せる。

 三枚目を使い切ることが前提の作戦――けれど、迷いはない。
 僕は死んで当然の人間だから。
 このやり方でしか贖えないというのなら、命を使い切ったって構わない。

 ただし――本当に死ぬのは、あの女の人に焼きそばパンを届けてからだ。


 残り300m。
 意を決して、黒天はわざと転びそうなフリをした。
(さあ来い。僕を殺しに、二人まとめて来い。最高の死に様芸を見せてやる……)

――だが、沈黙。いつまでたっても攻撃はない。

(そんな馬鹿な、もう残りわずかだぞ。ここで仕掛けないでいつ仕掛けるんだ。
――くそっ、わざとらしすぎたのか?)

 黒天――振り返る。そして、やっと気付く。
 可憐塚と久留米が、足を止めていた。二人はじっと、後方を見ていた。

(何を――?)
 二人が見つめる先を、黒天も見た。部活棟の陰から現れたその物体は――

――ッュン!!

(な……ん……っ――)

 一瞬にして黒天の頭上を通過し、旧校舎の裏に消えていった。







「お買い上げありがとうございましたー!」

 愛想よく挨拶してくれた店員さんにお辞儀を返して、プレハブ小屋を出た。

 わたしの手には今、あの伝説の焼きそばパンが――ああ、なんだか勝手に顔が笑ってしまう。
 焼きそばパンが潰れるとまずいから、帰りは歩かなくちゃ。
 肩に突撃槍を担いで出発進行。

 お財布も軽いけれど、それ以上に心が軽い。
 思わず鼻歌を口ずさむ。Twinkle, twinkle,フンフンフーン♪
 あとはこれを、リリアと二人で分けて、その後、あの……――



「ああーっ! い、いたでヤンス~~~!」
 舗装路脇の草むらの中で、プラチナブロンドの少女・下ノ葉安里亜が殺しきれていない声を上げた。

「ちょっと、うるさい。後から遅れてきたくせに」
 久留米がそれを一喝――幸いメリーは上機嫌な足取りで、物陰から己を見つめる四人に全く気付くことなく、鼻歌など歌っていた。

 下ノ葉――能天気な声。
「お、遅れてきたのは関係ないでヤンス! アンタたちだって結局負けたんじゃないでヤンスか~」

 黒天――思案気な表情。
「もうちょっとだったんだけどな……」

 可憐塚――諦念混じりの溜め息。
「あのままいけばみらいが勝ってましたけどね」


「で、どうするでヤンスか?」
 下ノ葉のその問いに。

「どうって……どうもこうもないでしょ。
 焼きそばパンはあの子が勝ち取った。力づくで奪うつもりなんてないわ」

「みらいも、もういいかなって……そうだ、狼瀬先輩は結局しくじっちゃったってことなのかな。
 後でたっぷりオ・シ・オ・キ、してあげなくちゃ。うふふふ」

「僕は、ちょっと身の振り方について考えようかな。今回は、もうどうしようもないですけど」

 三者三様に消極を見せる。
 ちっちっち、と下ノ葉が指を振った。

「甘いでヤンス! ここからが真の焼きそばパン争奪戦でヤンスよ!」

「声でかいってば。真の争奪戦? 何それ?」

財力、政治力、権謀術数! なんとかしてあの子から焼きそばパンを手に入れるでヤンスよ! オイラは絶対に諦めない。伝説の焼きそばパンを、必ずオヤビンに!」

「そういう俗っぽいもので手放しそうなタイプには見えないですけどね……」
「いかにも純真って感じの子よね。……あの子の血はどんな味かしら」

「何事もやってみなきゃわかんないでヤンス! ってなわけで……」
 立ち上がる下ノ葉。その眼には不屈の光が宿っていた。

「早速、本人に交渉してくるでヤンス! ……お~い!」
「権謀術数ね……そういえば、ハズレた焼きそばパンぐらいなら、いつもより安く手に入るかも」

 無謀な第二ラウンドへと駆け出す下ノ葉の背を見送りながら、久留米はあまり夢のないことを呟いた。







 5月8日



「ねえ、伝説の焼きそばパンでさ。メリーが叶えたい願いって、なんだったの?」
 買い物の途中、ベンチでジュースを飲んで休んでる時に、ふと思い出したのでメリーに聞いてみた。

 メリーは珍しく、少し言葉を選ぶようにうーん、うーんと悩んでから。
「こうやって、友達と。リリアと一緒に、遊びに出かけたかったかな」
 なんて、漫画のお嬢様みたいなセリフを真面目に答えた。

「ねえ、リリアは?」
「あたしは別に、元からそこまで欲しがってなかったでしょ」
「えー? じゃあ、今決めて」
 なんだか今日はぐいぐい推してくる。

「じゃ、あたしは不老不死ってことにしておこうかな」
「ふふ、ほんとに言ってる?」
「ごめん、嘘」
 こんな他愛のない話をいくつもして、たくさんメリーの服を買って、日が暮れる前に笑って別れた。



 ――外行きの服を着替えもせず、そのままベッドに突っ伏した。
 友達と出かけたのなんて、いつ以来だろう。
 いつの間にか、あたしは人を避けるようになっていたから。

 首だけぐいっと曲げて横を見る――ちゃぶ台に置いたままのビニールゴミ。
 半分もらったレアアイテムの残渣。

 包装ビニールに踊るデザイン文字。
伝説の焼きそばパン!
 正真正銘、購買部が保証する、たった一つの本物の印。

 手を伸ばして掴み、包装を広げる。捲れた部分に隠れてた前半部分。
願いが叶う! 伝説の焼きそばパン!
 たったひとつの本物ですら、嘘っぱちだったっていう印。

 こういうの、出すとこに出せば追及できちゃうんだろうなあ。


 嘘を許すっていうことは、とても難しいことだと思う。
 許していい嘘と、許しちゃダメな嘘があって。その線引きだって人によって違って。
 理屈では分かっていても感情がおっつかないことや、たぶんきっとその逆もあって。

 今のあたしにとって、こいつは、どーかな。

(「リリアと一緒に、遊びに出かけたかったかな」)

 嘘から出た真……まあ、ギリギリセーフってことで。

 あたしはそれを許してやることにして、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱にシュートした。

 鏡に映る真っ赤な女の子はまだ半べそをかいていたから、あたしはにっこり笑ってピースしてやった。


FIN







――並行世界、山口新世界萬請負事務所。


「ただいまー!」

「おかえり。楽しかったか?」

「うん。ちょっと買いすぎちゃったかな?」

「……おいおいおいおい、本当に大荷物だな!?
……なあ、こんなに買ってくるようなカネ、一体どこから……」

「……ふふ、内緒!」

(了)