プロローグ
「カレーパンせんぱーい!」
ある日の放課後、私、甘粕 めろんは3年B組のドアを勢いよく開けて、いつものように窓際にいる先輩に話しかけた。
しかし、先輩はいつになく険しい表情で、腕組みをしながら机の上をじっと見つめている。
……いや、先輩に表情なんて無いんだけど、まあそんな雰囲気が伝わるほどのものだった、ということだ。
「めろんか……」
先輩は微動だにしない。
私はおそるおそる近づいて尋ねた。
「いや、部活に来るのが遅いなーと思いまして。また世界中の貧しい子供達にどうやって美味しいカレーパンを届けるのかの思索中かと」
「ああ……残念だが、今日ばかりはそういうわけにはいかねえ。見ろ、これを」
先輩は首を振り、そのきつね色の顔で机の上を指し示す。
私が目を向けると、そこには一枚のチラシが置いてあった。
「んーっと……『伝説の焼きそばパン、数年ぶりに遂に入荷!! 5月7日販売予定!!』 えっ……これって私が入部した時から噂になってた」
「ああ、俺が学園にいる間に、必ず『奴』がくると思っていた。遂にその時が来たってことだ」
先輩の顔がますます固く、険しくなっていく。
いや、えーっと……先輩の顔はいつもふわっと柔らかく、美味しそうではあるんだけど、それはそれとして。
「先輩は……やっぱり参加するんですか? この焼きそばパン争奪戦に」
「当然だ。それは俺に与えられた宿命である」
……まあ、先輩の『顔』を見れば、大体ほとんどの人が『パン』が関わるイベントには顔を出すんだろうなーと思うだろう。
まして先輩は希望崎学園パン研究会の会長である。伝説の焼きそばパンに興味を持つのは当然だろう。
とはいえ――。
「でも、先輩はどうしてそこまで伝説の焼きそばパンに拘るんです? これを手に入れるのは凄く大変だって聞きます。いくら先輩でも――」
「ん? 話したことは無かったか?」
「いや、私が入部した時に、先輩がこの学園に入学した大きな目標の一つだとは聞きましたが、詳しい理由までは聞いた覚えがないです。その時が来たら話すって……」
「そうか。まあ、わざわざ話して聞かせるほどのことでもないからな。だが、今がその時か……」
先輩は深く目を閉じ(目は無いけど、そんな感じなの!!)、しばらく沈黙すると、やがて語りだした。
「焼きそばパンとカレーパン――その因縁は、実に永きにわたる」
「本当に? 私聞いたことないですけど?」
「ああ、大体120~30年ぐらい」
「長いような、短いような!?」
「それは、日本の夜明けと呼ばれる明治維新の後からだ。文明開化。西洋からやってきた新たな文化はこの国の人間たちの魂を魅了した。我が国に差し込んだ新たな文明の光。それを自分たちの物として取り込もうと、多くの人々が躍起になった」
「なんか長そうな話始まった!」
「パン文化もその一つだ。パンという食品自体は戦国時代には伝わっていたが、広く浸透したのは明治になってからだ。明治2年には、早くも我が国初のパン屋さんが開店した。そこで我が国のパンの祖であるアンパンが開発された。パン文化は瞬く間に我が国に浸透していった……」
「うーん、豆知識」
「そうして、我が国に生まれた多くのパン職人達がパン道(どう)を極めるべく修業の旅へと出た」
「パン道(どう)!? 何それ!?」
「パン研究会に所属しながらそんなことも知らないのか。その中でも飛びぬけて優れた二人の若きパン職人がいた。彼らは我こそ日本最高のパン職人になると互いに宣言し合い、それぞれ別の道を行った。一人は東に渡り、中国大陸へ。一人は西に渡り、イギリスへ」
「イギリスはともかく、パンなのに中国!?」
「敢えて西洋と違う食文化を学ぶことで、既存の枠にとらわれないパン道を開拓しようとしたわけだな。実際、それは正解だった。東に渡った男は中国大陸で至高の焼きソバと出会った。そして、パンと焼きそばを組み合わせた新たなメニューを開発した。それが焼きそばパン発祥の歴史」
「いや、嘘でしょっ!!」
「だが西に渡った男も負けてはいなかった。彼はイギリスで究極のカレーと出会う。彼もまた、パンとカレーを組み合わせた新たなメニューを開発した。これがカレーパン発祥の歴史」
「イギリスで究極のカレー!? カレーってインドじゃないの?」
「にわか知識でものを語るな。当時、インドはイギリスの植民支配下にあった。カレーってのはインドの食文化をイギリス人がアレンジしたもので、日本には元々イギリス料理として伝わったんだ。だが経緯はどうあれ、彼が出会ったカレーから生み出したカレーパンという料理が究極の逸品となったことだけは事実だ」
「う、うん、分かりました……(カレー発祥はともかく、先輩の話の方は事実だとは思えないけど)」
「とにかく、こうして二人の男が別々の道を行き、それぞれの答えに辿り着いたというわけだ。だがその二人の男が日本に戻った時、待っていたのは争いだった……。優れているのはどちらのパンか。雌雄を決すべく、焼きそばパンとカレーパンを持って二人の男が対峙した」
「え、パン持って対峙して何するの? 決闘?」
「『キエエエェェーーーッ!!』無数の焼きそばの麺が伸びる! 触手の様にうねりを持ってカレーパンの男の四肢に絡みつく!『ウオオオオーーッ!!』カレーパンの男が全身から香ばしいカレーの熱を発して触手を溶かす! 『デヤーーーッ!!』『イヤーーーッ!!』カレールーと焼きそばソースがぶつかり合う! 舞い散る火花! 駆け抜ける閃光! 両者の戦いは全くの互角! 一進一退のまま千日にも及んだ……」
「千日もそんな馬鹿ことやってたの!!? てか、パンの味で勝負しなよ!」
「『どうやら』『このままお互いの技を繰り出しても埒が明かぬようだな』 辺りには焼きそばの匂いとカレーの匂いが充満し、両者が戦いに使用した具が散乱していた……。 『ならば』『お互いの真価によって勝負をつける』『俺たちが辿り着いた答え』『それは!』『パンと』『焼きそばの!/カレーの!』『一体化!』二人の体と手に持ったパンから巨大なオーラの光が立ち上る! そして……二人の姿を見た者はそれから誰もいない」
「――――え?」
「だが、二人が生み出した焼きそばパンとカレーパンの伝説はこの世界に残った。ちなみにそのカレーパンの男が俺の祖先だ」
「先輩の!!?」
「男が消えても、そのカレーパンと男の意志はこの世界に残り続ける。だがそれは焼きそばパンを作った男もまた然り。伝説の焼きそばパンは、男が残した最大の遺産の一つだ。俺は現代に生まれたカレーパンの名と姿を継いだものとして、『奴』と決着をつける必要がある」
そこまで話してやっと先輩は一息ついた。先輩の話す伝説の壮大で豪快で雄大で荒唐無稽なスケールに私はただ圧倒された。
「『奴』が販売されるまで、まだ日数がある。それまで俺は何をすべきか……。日々のカレー神への祈りを深めるだけでは足らないだろう。めろん、お前はどう思う?」
先輩は真面目な目で(多分)私に問いかける。
「とりあえず」
私はにこやかに笑って先輩に語りかけた。
「パン作り、手伝ってください」
私はそのまま、先輩を部室へ引っ張っていった。
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「まったく、先輩は思いこむと話が長いから……」
あたりはもうすっかり陽が沈みかけてる。
私はパン研究会の部室を出て、帰路についていた。
先輩はパン作りについてはとても真面目な人で、なんだかんだで色々と教えてくれる。しかし一度話が脱線するととことんまで横道にそれて、今日はカレーパンで異星人と対話する方法について悩みだしていた。
長くなりそうだったので、私は出来上がったカレーパンをいくつか袋に包んで家に帰る事にした。
「はむっ、美味しいー。私の腕も結構上がってきたかな」
私は今日作ったカレーパンを頬張りながら、グラウンドを横切る。
部活に入りたての当初は先輩に怒られてばかりだったけど、最近は少ないアドバイスでも中々のものを作れるようになってきた。
「でも、伝説の焼きそばパンかあ……」
カレーパンを味わいながら、今日の先輩の話を思いだす。
先輩のパンとカレー作りの腕はプロ顔負けだ。そしてそれらが合わさったカレーパンはとてつもない絶品である。
その先輩がライバル視する焼きそばパン……。
「どんな味なんだろう。食べてみたいなあ」
私が呟き、次のカレーパンに手を出そうとしたその時――。
「あ~ん、伝説の焼きそばパンっていったかあ~~」
ふと、私の後ろから野太い声がかかってきた。
振り向くと、モヒカン頭の大柄の男が一人、その両脇にいかにも柄の悪そうな取り巻きの男が二人、立っていた。
「そうかあ。てめえも伝説の焼きそばパンを手に入れようってんだなあ」
「え~っと、どちら様ですか?」
「俺は希望崎モヒカン十傑の一人、丹 楽蔵様よ! 悪いが、伝説の焼きそばパンをいただくのはこの俺だ! 頭の良い俺様はこうして事前に学園中を歩き回って、焼きそばパンを欲しいとか言ってる奴らを闇討ちして潰して回ってるってわけだ!」
「さっすが、楽蔵様ぁ!」
「これで楽蔵様以外にパンを欲しがる奴らがいなくなれば、当日は何もしなくても楽蔵様の一人勝ちってわけですね!」
威勢を張るモヒカン男とはやし立てる取り巻き二人。
はう……。この学園、気の良い人も多いけど、こういう変な人たちも多い。
「効率悪っ! わざわざ焼きそばパン欲しいって言ってる人を探すのにどんだけ時間かかるの! てかパンは誰でも買えるんだから、それでも当日一人勝ちには絶対ならないよ!」
盛り上がる不良達に私は丁寧にツッコんであげる。
「お、おお、そうか。てことは全校生徒を潰せばいいのかあ。そいつは大変だなあ」
「大丈夫です!」
「楽蔵様ならできますぜえ!」
「おお、そうか! ガハハ!」
(うわあ、短絡……)
更に頭の悪い方へ転がる男たちに心の中で溜息をつく。
モヒカン十傑というのは初めて聞いたけど、多分学園の下から数えたバカ十人という意味なんだろう。
「あの、陽も暮れるので、私もうこれで……」
男たちを華麗にスルーして、私は再び家路につこうとする。
「おっと待ちな! どさくさに紛れて帰んじゃねえ! 手始めにまずはてめえからだ! くらえい!!」
モヒカンの男が指を突き出すと、そこからバチバチ、と鋭い電撃が放たれた。
私が振りくやいなや――
「ぎゃびっ!」
電撃が直撃し、激しい閃光が全身を走る!
私はその場に倒れ伏した。
「これが俺様の能力!『電撃レイプ作戦』よ! 始めて女を襲おうと思った時、スタンガンの使い方が分からなくて、まどろっこしいと思ってた時に目覚めた能力だぜ!」
「さっすが楽蔵様ぁ! スタンガンいらず~~!」
「楽蔵様はこの能力で十傑に選ばれたんですぜぇ!」
「おうよ! こいつがありゃあ、他の焼きそばパン争奪者共を潰して回るのなんざ簡単だぜぇ! さあおめえら! 後は自由に楽しみな!」
「ヒュウ! 楽蔵様ぁ! 痺れますぜぇ!」
「一生ついていきますぜぇ!」
取り巻きの男二人がヒャッハ―と飛び回りながら私の方へ向かってくる。
(くっ……こんな奴らなんかに……悔しいっ!)
痺れでまったく身体が動かせない私。震えながら、カレーパンの入った袋をぎゅっと握る。
すると……。
「そこまでだっ!!!!!」
突如、甲高い声が響いた。
「な、なんだぁ?」
「どこだあ?」
「あ、あそこだぁっ!!」
不良達の一人が、天に向けて指を刺す。
皆の視線が向かう先は、グラウンドで最も高い木の頂上。
いつ登ったんだ、あんた。
「な、あんだありゃあ!!?」
「カ、カレーパン! あれはカレーパンですぜ、楽蔵様!」
「あん? 何言ってんだ? ありゃ、人間だろ。カレーパンは食いもんだ、バカ」
「い、いや……そうじゃなく、顔がカレーパンです!」
「ああ? なんでカレーパンが人間の顔なんだ? 外国人か?」
「それは違うと思いますぜ、楽蔵様ぁ」
混乱する不良達。
まあ、そりゃそうだろう。この希望崎学園、私の目の前にいる人達も含めて変わり者が多いが、それでも顔がこんがり焼けたカレーパンそのものの男は流石に珍しい。
「ふんっ!」
不良たちの混乱を他所にカレーパン先輩は木からストンと地面に飛び降りた。
「不良ども、狼藉はそこまでだ」
「な、何者だ……てめえは」
「見ての通り、ただのカレーパンだ。それ以外の何物でもない」
「ふざけんじゃねえ。カレーパンが喋るか!」
「そこについて気にしてもらっては困る。ただのカレーパンを愛する者、とだけ思ってもらえれば、幸いだ」
「お、おお。そうかい」
あ、納得するんだ。
「あ、楽蔵様ぁ~! 俺、こういう奴を見たことありますぜぃ!」
取り巻きの一人がカレーパン先輩を指さす。
「確か弟がTVで見てた、カレーパンマ……」
「華麗靠っ!!」
その名前を言いかける前に取り巻きの男がぶっ飛んだ。
カレーパン先輩が一瞬で距離を詰め、強烈な体当たりを喰らわせたのだ。
「俺はただのカレーパンだ。それ以外のなんでもない」
先輩は腕組みをして、モヒカン男達の前に立ち尽くす。
「て、てめえ、何しやがるっ!!」
「不良ども、もうお家へ帰れ。俺は無駄な争いは好まん」
「舐めんなっ! このカレーパン野郎っ! 黒焦げにしてやるぜ! 『電撃レイプ作戦』ッ!!」
モヒカン男が両腕を突き出し、私が受けたものよりはるかに激しい放電を行った。
バチバチと大きな音を立てて、電流が先輩へ向かう。
「華麗壁っ!!」
しかし、カレーパン先輩が腕を振り上げると、その眼前に大きなカレーの壁が迫り上がり、電撃を遮った。
「な、なんだあっ!!」
電撃を放ったまま、固まるモヒカン。
「華麗砲っ!!」
先輩が叫ぶと、巨大なカレーの壁は宙空でそのまま濁流となり、モヒカン男に流れかかる!
「う、うぎゃああーー! あ、あちゃあああーーーーーー!! 」
電撃を受けたカレーは湯気が立つほどに煮えたぎっていた。
ただでさえ激辛な先輩のカレーに沸騰の温度が合わさっては地獄だろう。
「黒焦げになるのはお前だったな、丹 楽蔵」
地面に転がり、のた打ち回るモヒカンを見下ろして呟く先輩。
「カ、カレーを浴びせるだとお。てめえ、やっぱりあのアニメの……」
「華麗脚っ!!」
当然の感想を述べた不良達の最後の一人に、先輩の華麗な回し蹴りが飛ぶのだった。
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「大人しく家に帰って、ママのカレーを食べるんだな」
激辛激熱カレーを浴びたモヒカン男、楽蔵は全身大火傷でそのまま取り巻きの二人に抱えられて帰っていった。
あの様子では伝説の焼きそばパンの販売日まで入院だろう。まあ無事だったとしてもあんなのが伝説の焼きそばパンを手に入れられるとは思えないが。
「めろん、もう大丈夫か」
「はい、何とか……。ありがとうございます、先輩」
私は身体の痺れが何とか取れて、先輩に助け起こしてもらっていた。
「気にするな。悪を許さないのもまた、カレーパンの使命だ。しかし伝説の焼きそばパン……『奴』の意志は、やはり人々の心を惑わせるか」
「え~っと、さっきの人達のこと?」
「そうだ。焼きそばパンは元々、俺が話した焼きそばパンの始祖の男……その悪の意志が強く残っている。焼きそばパンと言えば、不良たちがパシリに使う道具のシンボルだろう? あれも奴が焼きそばパンに残した呪詛が現在にまで残っている証だ」
「そ、そうなんだ……」
「そして伝説の焼きそばパン……『奴』が現在においてその最も象徴的な存在だ。願いが叶う、全てが手に入るという甘言で人心を惑わし、今人々を争いへ駆り立てようとしている」
「また無駄に壮大な話に」
「やはりカレーパンの意志を継ぐ者として……いや、それ以前に一人の男として捨て置くわけにはいかない……。今はっきりと分かった。『奴』との決着だけじゃない。悪心を持った者にそれが渡れば大変なことになる」
「……そこは同意です」
「俺の直感が告げている。この学園で奴を手に入れる可能性と力を持った者は少なくとも十人程度はいるだろう」
「モヒカン十傑ですか?」
「あの程度の連中は自然に淘汰されるさ。だが、もっと手強い魔人達と『奴』を求めて争うとなると……当日まで準備を怠るわけにはいかない。悪いな、めろん。しばらく部活には顔を出せそうにない」
先輩は私に背を向けて歩き出す。
こうなると、もう私には止められないだろう。
「先輩、頑張ってください。私は応援ぐらいしかできないですが」
「心配するな、めろん。その気持ちだけで十分だ。カレーパンを愛する者がいれば俺は戦える」
そう言って、先輩はしゅたっと飛び立ち、登場した時の樹の上にまた登った。
「めろん、俺が『奴』を手に入れたら、味ぐらいは見させてやるよ。まあ、俺が作るカレーパン以上のものではないだろうがな。ではっ」
いつの間にか日は沈み、月光が先輩を照らしていた。
先輩はそのまま、夜の闇の中へ消えて行った。
「先輩……」
私は先輩を見送りながら、再び袋の中のカレーパンに手を伸ばす。
はむはむと味わいながら、私は心の中で呟く。
(先輩、ありがとう。でもごめんなさい。ずっと黙ってたけど、私本当は……)
(メロンパン派なんです)
私は目を伏せつつも、先輩の運命に幸あることを願った。