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プロローグ


「おはようございます、狼瀬(ろうせ)先輩」
「おはよう」

五月六日水曜日、標準的な登校時間からは30分ほど早い、新校舎の玄関口。
狼瀬白子(ろうせ・はくこ)は、後輩の少女からの挨拶に笑顔で応じた。

希望崎学園3年17組クラス委員である白子は、白狼の騎士(ナイト・オブ・ホワイトウルフ)と呼ばれる高潔なる魔人能力者である。
威風堂々。優雅にして華麗。もちろん容姿端麗であり、下駄箱には下級生からのラブレターが絶えない。
もちろん、外見だけでは希望崎学園のクラス委員など出来るはずもない。特に彼女は、鉄壁の防御力と脅威の回復力で弱き者の盾となる、まさに生徒の模範とでも言うべき淑女であった。

「狼瀬先輩、おはようございます!」
「ああ、おはよう」

何か用事でもあるのだろうか、白子の前方から駆けて来た女子生徒が、すれ違いざまに挨拶をする。
笑顔で返す白子。
緩やかな風が吹き、白子のセミロングの白い髪を軽く揺らした。
白子は髪を手で押さえ、ふと校舎入り口の方に目をやる。
その表情が凍りついた。

「ごきげんよう、狼瀬先輩」
「あ、ああ……ごきげんよう、可憐束(かれんつか)さん」

可憐塚と呼ばれた女子生徒は、にこり、と笑みを浮かべた。
制服の意匠から、今年入った新入生である事がうかがえる。
長い黒髪、抜けるような白い肌。校舎入り口の短い階段の手すりに腰掛ける様は、黒い花が咲いたよう。
可憐塚という姓に反し、可憐と言うより美麗という言葉がしっくりと来る。そんな美少女だった。

「お早いんですね。でもよかった。みらい、探してたんですよ、先輩の事」
「私をか……何か用事でもあるのか?」

自らをみらいと呼ぶ可憐塚……可憐塚みらいの言葉に対し、白子はぶっきらぼうな口調で返す。
少々硬いこの口調は、いつもの白子と変わらない。
だが、もし誰か白子を普段から知る者がこの声を聞いたら、普段の彼女と違う雰囲気がこの声に混じっている事に気がつくだろう。
それは、少々の怯え。そして、それよりさらにかすかな期待の声音。
そして、可憐塚もそれを感じ取り、微笑む。それは、可憐と言うにも、美麗というにも、少々まがまがしい微笑だった。

「ええ。ちょっとしたお願いなんですけど。詳しい話はいつもの場所で、ね?」


**********


新校舎屋上への入り口に続く階段。
その一番上まで上りきった先、屋上の入り口のやや横にある、薄暗いスペース。
その場所に、床に倒れ小刻みに痙攣する三年の女子生徒と、それを見下ろす一年の女子生徒がいる。
狼瀬白子と、可憐塚みらいだ。

「うふふ、狼瀬先輩ったらうれしそう。そんなに気持ちよかったんですか? こ、れ」

みらいはにこりと笑う。その口元からは、八重歯と言うには少々鋭く、長すぎ、そして血にまみれた2本の牙が覗いていた。
よく見れば、倒れた白子の首筋には何かが突き刺さったような傷跡が二つある。
だが、その表情に苦痛はなく、むしろ快楽への喜悦に緩んでいた。

「先輩は気持ちよくて、みらいはおいしい血をもらえる。二人はwin-winって奴ですよね、これって!
 あ、でもいつまでも寝てないでください。お願いしたい事があるんですから」

転がった白子を足蹴にするみらい。白子はのろのろと顔を上げ、みらいを見る。

「あ、あ……わ、私は何をすればいいんだ」
「みらい、焼きそばパンを買いたいので、ちょっとそのお手伝いを」
「焼きそばパン……伝説の焼きそばパンか」
「はい! 狼瀬先輩は察しが良くて助かります」
「学校中の噂だからな。食べたものはすべてを手に入れられる伝説の焼きそばパン……」
「手伝ってくれますよね?」

笑顔で言うみらい。白子を踏みつけた足はそのままだ。
だが、白子は反発するでもなく、ただ薄ら笑いでみらいにこう言うだけだった。

「……分かった。全力を尽くそう。だから、もっと……」

それを聞いたみらいは、笑顔で足をどけ、代わりに体を重ねていった。


**********


懸命な読者の皆さんはお気づきだろうが、可憐塚みらいは吸血鬼である。
正確には魔人能力の結果吸血鬼となった存在なので魔人吸血鬼とでも言うべきだろうか。
みらいの吸血は強い快感を与える。これが、難攻不落の白狼の騎士を陥落させたのだ。

では、いかにしてみらいはそのような魔人能力を手に入れたのか。その由来について解説するには、少々の文章量を要する。
彼女が「本来の」魔人能力に目覚めたのは早く、小学3年生の頃、将来の夢について考える宿題を出されたのがきっかけである。
当時のみらいは、「お花屋さんとケーキ屋さんと看護師さんと婦警さんと……(以下略)」と、羅列するだけで5分はかかる沢山の夢を持ち、しかもその全てに同じぐらいなりたいという夢多き少女であった。
夢多き、そして再放送で見た変身系魔法少女アニメのファンでもあったみらいは、テレビの中の魔法少女のような、自らを望む存在に変える力を望んだのである。
だから、みらいの魔人能力は、そのような能力となった。彼女の能力は「彼女自身を、彼女の望む存在に変貌させる力」であった。
みらいは能力の覚醒に気がつかなかったが、能力は十全に発揮され、すぐに彼女自身も気がつくはずだった。
が、悲劇はその直後に起こる。魔人覚醒から数週間後、みらいは動物園から逃げ出した凶暴な巨大吸血コウモリに襲われ、瀕死の重傷を負ったのだ。
コウモリに噛み付かれ、血を啜られ、生死の境をさまようみらいに対し、みらいの魔人能力は解決策を講じた。
みらいを「コウモリに噛み付かれ、血を啜られ、死んだとしても無事でいる存在」に変貌させたのだ。
結果としてそれは功を奏し、みらいは一命を取り留めた。
唯一の、そして最大の問題は、当時のみらいの記憶の中のそのような存在が、数日前に偶然読み終えた本の中のとある怪物しかいなかったことだ。歩く死体と言われる、吸血鬼しか。
みらいのつたない知識では、一度死体になった者が再び元に戻る事はない。
そして、みらいの能力では「自らを望む存在に変える」事は出来ても、「同時に二つの存在になる」ことはできない。
つまり、彼女はずっと吸血鬼になったのである。
みらいは悲しまなかった。そもそも彼女は、自らの魔人能力がどのような物か、そもそも能力に覚醒しているのかどうかを正確には把握していなかった。
だから、彼女はこう解釈した。「私は吸血コウモリに噛まれて、吸血鬼になる魔人能力に覚醒したんだ」と。

このようにして、可憐塚みらいは吸血鬼と化した。
読んでいたのがブラム・ストーカーでなくジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュの作品だったため、太陽の光に弱くならなかったのはみらいにとっては不幸中の幸いだろう。もっとも、彼女の犠牲になる者にとっては不幸でしかないだろうが。
今の彼女は、自らの姿を霧や動物に変え、怪力を初めとする高い身体能力を持ち、爪を刃とし、歯を牙とし、そして、少女の血を啜る。
今の彼女は、化け物なのである。


**********


白子の血を再び啜りながら、みらいはまだ見ぬ焼きそばパンに思いをはせる。

「(伝説の焼きそばパン……淡白なパンと濃い味付けの焼きそばが奏でるハーモニー……おいしいんだろうなあ……)」

思い返すのは、かつて吸血鬼となる前に食した、一つの焼きそばパン。
初めて食べたそれは、彼女にとって天上の食べ物にも等しい美味だった。
あれから、一度も食べていない。
吸血鬼となった彼女は、一般の食物を受け付けない体に変貌してしまっている。食べても吐くだけだ。だから、今まで諦めてきた。
でも、なにしろ伝説だ。ひょっとしたら、吸血鬼の彼女でも食べられるかもしれない。それはとても素敵な想像だった。

「(食べたいなあ……狼瀬先輩の血よりおいしいんだろうなあ……うん、がんばって食べよう)」

再び痙攣する白子を胸に抱き、血を啜りながら、彼女は決意を新たにした。