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プロローグ


「杜莉子さん! しっかりして! 杜莉子さん!」
「あ……う……」
 小松は激しく揺すって名を呼ぶが、返ってくる声はひどく弱々しかった。
 巌のように逞しい杜莉子の肉体は今、血と泥に塗れてボロ雑巾のように転がっている。

「こまっ……ちゃん、逃げ、て……」
「ダメです! 杜莉子さんを置いて逃げるなんて出来ません!」

 忠告を無視し、小松はこちらへと迫り来る巨大な影をきっと睨んだ。
 杜莉子をこんなにした怪物がゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。自分にあの怪物と戦う手段はない。杜莉子を置いて逃げれば、たしかに狙われずに助かるかも知れない。

 けれども小松はその場を離れなかった。それは心情的な理由からでもあったし、もう一つ、まだ自分に出来ることがあると思うからでもあった。

「杜莉子さん……言ったじゃないですか、一緒に『アレ』食べようって。死んじゃったら食べられないですよ?」

 杜莉子は反応を示さない。まだ生きてはいるようだが、その瞳は虚ろだった。
 小松は手にしていた、白い紐状のものを口に含む。
 それは戦いの中で怪物の体から零れ落ちた物であり、彼女らが欲する「食材」でもあった。

「ああ、美味しい……。ねえ、杜莉子さん。こんな美味しいもの、残して死ぬなんて嫌ですよね? 一緒に食べましょう」

 そう言うと、小松は再び杜莉子に視線を落とし……。
 その血に濡れた唇に、自分の唇をそっと重ねた。


 小松純が「彼女」に初めて出会った場所は、希望崎の森の中だった。

「いやあああっ!!」

 その時の小松は、野生の触手に襲われていた。
 森に自生しているという香草を摘みに来た帰り、部の先輩に教えてもらった道を外れてしまい、この触手地帯へと迷いこんだのだ。
 白く滑りを帯びた触手が手足に絡みつき宙空に縛り上げられ、無理やり開かされた脚の間に一際太く、青筋だった逸物が侵入しようと伸びてくる。

「やだ……やめてっ!!」

 身を捩り脚を閉じようとするが、それも叶わない。魔人能力「フレイザーズキッチン」の炎熱も冷気も「攻撃」には使えない。
 先端がスカート内まで這い登ってくると観念し、ギュッと目をつぶる……その時。

「ナイフ」

 女性の声、そして風を切る音が重なって聞こえ、直後右足の拘束が緩んだ。

「え?」

 驚きに見開かれた小松の視界――そこには眼鏡の女生徒が1人。
 腕章からすると2年生らしい。彼女は右腕を高速で振るい、手にした刃物で小松の手足に絡みついていた触手、股ぐらを狙っていた触手を切断。
 支えを失った小松の体はそのまま宙に投げ出される。

「わっ!!」

 落下する小松の体を彼女は簡単に受け止める。小柄で軽量とはいえ、左手だけで。
しかしそのまま下ろすことはなく、抱きかかえたままで言う。

「大丈夫? 怖かったでしょ。もう少し、大人しくしてて」
「は、はい……」

 気遣う言葉と整った横顔に小松は思わずドキリとするが、同時に、自分を抱く左腕の異常な逞しさを衣服越しに感じてもいた。
 そして。
 彼女の右腕――さっきは「刃物を手にしている」と思ったが、実際には手首から先に巨大なナイフが生えていた。これで触手を斬ったのだろうか。
 周囲に生い茂る他の触手たちは、まだレイプを諦めない。今度は小松でなく彼女に狙いを定めたらしく、数本が蛇のように地を這いその足下へと伸びてくる。
「逃げなきゃ――」
「懲りないのね。ダメでしょ……おイタしちゃ」

 彼女は右手を頭にやる。ナイフだったはずの手首は、いつのまにか普通の手に戻っていた。その指が前髪を何本か摘んで抜き取ると、また変化が起こる。
 ただし今度は手ではない。
 綺麗なキューティクルだった毛髪が一瞬で針のように真っ直ぐに伸び、金属質な銀色の輝きを放つ。
 料理人の小松には馴染み深い形だった。

 ――鉄串……?

 彼女はそれを、迫る触手へまとめて投げる。
 それぞれが寸分違わず触手を射抜き、地面へと縫いつけた。

「まだ、ヤる……?」

 冷たい声で言う彼女に、残った触手たちもぶるぶると震え、その場から動こうとしない。根本からは黄色い水たまりが広がった。

「じゃあ、行きましょうか。歩ける?」
「は、はい」

 彼女は小松をさっとその場に下ろすと、今度はパスタなどを掴むトングに右手を変化させる。
 手足に絡みついたままの触手の末端を取ってくれ、地面に落ちていたものと一緒に持参してきた袋に詰める。
 小松も香草の入ったカゴを拾いあげると、二人は連れ立って歩き出した。

「あ、ありがとうございました。何てお礼すればいいのか……」
「別にいいわ。もともと、このために来たんだもの」

 そう言って、先ほどの触手が詰まった袋を掲げてみせた。

「触手を採りに……?」
「そうね。私、燃費の悪い体なのよ。普通に食べると食費が大変だから、今は半分くらい自分で賄っているの」
たしかに希望崎の広大な森には食材になるものも少なくない。
 小松自身香草を摘みに来たのだし、触手だって栽培ものはスーパーにも並んでいる。
 しかし、魔人とはいえ動物を狩るのは危険も大きいだろう。野生の触手も男性が採りに行くのが普通だ(たまに男性がアナルを掘られる事故もあるが)。

「大変ですね……」
「そんなことないわ」
 言うが早いか、彼女の右手が目にも留まらぬ速さで傍の木に伸び、梢のあたりにいた何かを掴んで引き寄せた。
「私……食べるの好きだもの。人よりたくさん食べられるって……すごく幸せだし」
 彼女の手の中にあるもの……それはリスだった。
 右手の五指は小さなアイスピックに変わり、リスを掴むと同時に串刺しにして殺していた。
 刃に変えた爪で手早くリスの皮を剥ぎ、それを口に放り込むと生々しい音を立てて咀嚼する。
「自分で作った料理や、育てた野菜みたいに、自分で獲った食材の味もまた格別だもの」
 呑み込むと、口の端から鮮血を垂らして微笑む。
 あまりに猟奇的な食事に小松の表情は引き攣っていたが、リスを頬張り、嚥下する彼女はたしかに幸せそうで、目の前の笑顔も素敵だった。
 胸の奥に、助けてもらったことへの感謝と合わせ、一つの気持ちが芽生える。
「先輩」
「なに?」
「私、1年の小松純っていいます」
「ああ……私は2年生の久留米杜莉子。杜莉子でいいわ、小松さん」
「……杜莉子さん、私、調理部に入ってるんです。さっきはお礼なんていいって言いましたけど、その……よければ」
「?」

「美味しい! こんなに美味しい触手、はじめて」
 招かれた家庭科室……小松の手料理「触手そうめん」に杜莉子は舌鼓を打つ。
 天然モノの触手は肉厚で、新鮮なためか身の弾力も素晴らしい。
 出汁でさっとゆがいて酢醤油で食べると、白子を思わせる濃厚な旨味とシャッキリポンとした食感を楽しめる。
 切り口の細胞を潰さない包丁捌きや、丁寧な下処理……小松の仕事あっての美味だ。
 天ぷらも海藻との和物も、適当に炒めることしか知らない杜莉子は大いに驚かされた。

「杜莉子さん、これからも……調達部のお仕事じゃなくて、自分で食べられる時は私に食材を料理させてくれませんか?」

 箸を置いた杜莉子に、小松はそう申し出る。

「小松さん」
「私は少食ですけど、食べるの好きだし、料理するのも、食べてもらうのも好きなんです。だから……」

 もじもじした様子の彼女に杜莉子はすっと手を伸ばし、体の前で合わされたその手を取った。
 小さいが、頼りないわけではない。獲物を狩る杜莉子のように、料理に向かう小松のそれは、職人の手をしていた。

「私も、あなたの料理……これからも食べたいわ」

 小松とコンビを結成して以降、杜莉子は以前にも増して部の活動に精を出すようになった。
 いつの日か完成させることを夢見る「人生のフルコース」――それを調理するパートナーとして後に小松を選んだのも、自然なことだった。

 ちなみに、もともと自分で食べてしまうことが多かった食材を、購買部へ卸すことはさらに減ったという。


 杜莉子と小松のコンビ結成から8ヶ月ほど過ぎた。

 GW最終日、全国の学生に労働者が夢の終わりに頭を抱え、5月病に罹る者が出始める頃……。
 しかし、希望崎学園においてはその限りではない。むしろ、多くの生徒が休み明けの5月7日を心待ちにしていた。
 その理由は5月1日、購買前に貼り出された1枚のチラシ。

『5月7日 昼休み「伝説の焼きそばパン」(¥108)販売予定』

 「美食神」明石家もその味を称えたと言われる伝説の魔パン。
 味のみならず、食べたものに幸福をもたらすと言われる霊験あらたかな食物である。
 多くの生徒が焼きそばパン獲得に燃える中、それを知らない者がいた。

 調達部部室。

「ぶ、部長……どういうこと……? 伝説の焼きそばパンってあの……?」
「あの焼きそばパンだ。5月1日に告知済みだ」

 久留米杜莉子は部長から告げられた言葉にわなわなと震えていた。
 彼女はこのGW前日の5月1日から高知県は早明浦ダムまで出張しダム湖を空にして成体となった15m級サヌキウドンと三日三晩の死闘の末に瀕死の重傷を負うも小松から口移しで食べさせて貰ったうどんでクルメ細胞が覚醒し勝利を収めて讃岐うどんを持ち帰りつい先ほど完成した小松お手製の「讃岐うどんパイ」をお土産の「ごっくん馬路村」と共に部室へ届けに来たところだった。

「伝説の焼きそばパンは調達部が調達するはずじゃあ……」
「昨日、俺と副部長で調達してきた。8mの大物だったぞ」
「な、何でそんな重大な任務があるのに、私は公欠まで取って香川まで行かされたの!? ま、まさか――」

 平時は穏やかな物腰の杜莉子だが、今は目に見えて取り乱し、部長に詰め寄ってその肩をガタガタと揺する。
 騙されていた。自分に与えられた遠征任務は、焼きそばパンの情報から遠ざけるための奸計だったのだ。

「ひ、卑怯よ!」

思い至った杜莉子は部長をそう糾弾するが。

「食っちまうだろ……。お前が来たら」
「……っ! わわわわ私がそんなことするわけないでしょ!!」

 声は裏返り、目を激しく泳がせながら叫ぶ。前科があり過ぎるのが苦しかった。

「お前……その讃岐うどんも食っちまって本当は市販品だろ」
「な、何故それを!? ……はっ!!」

 全てを見透かされ、がっくりとその場に崩れ落ちる。
 そんな杜莉子の横を部長は通り過ぎ、部室を出て行った。
 サヌキウドン狩りの出張手当が入った封筒と、彼女への希望の言葉を残して。

「調達部は基本的に争奪戦には参加しないことになってるが、あくまで慣例だ。別に禁止じゃあない」
「っ!!」
「食いたければ、狩る。それがお前だろう。久留米」

 部長がいなくなると、一人残された部室で杜莉子は顔をあげ、決意していた。

「そうね……手に入れる……自分の力で、手に入れる。ねえ? こまっちゃん」

 立ち上がった彼女の手は、右がナイフ、左がフォークへと変わっていた。
 その二つを、トリコは激しく擦り合わせる。部室にはけたたましい金属音が響いた。
 無人とはいえマナー違反極まりないが、これは彼女が集中力を高める「プリショットルーティーン」と呼ばれる行為であり、自分の中の神へと祈る、一つの儀式でもあった。

「この世の全ての食材に感謝を込めて……いただくわ、焼きそばパン!」

 美食神の像が見守る部室で、杜莉子は自身の分厚い胸に誓った。


「へ~、6年前にそんな人がいたんすか」
「江別先生から聞いた話だけどな」

 当時と変わらぬ調達部の部室。机を挟んで向かい合う現部長・大山田末吉と、女子部員・舟行呉葉は人づての昔話に花を咲かせていた。
 目前に迫った焼きそばパン争奪戦に向けての作戦会議中、呉葉が「前回の争奪戦はどうだったんすか?」と聞いたのをきっかけに、当時の女子部員・久留米杜莉子のエピソードに触れることとなったのだった。

「困った先輩っすねえ」
「お前もあんま変わらんと思うが……」
「それで、焼きそばパンゲットできたんすか? その先輩は」
「ん――」

 今はそんなことを話している場合じゃない、と言いたくもあったが、呉葉は身を乗り出し、目を輝かせている。興味津々な後輩に大山田は一つ溜息を吐き、自分の知る顛末を語ろうと、机の上の味噌カツ味ソーダに手を伸ばすのだった。