※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

プロローグ


 霊能者 雲水の目覚まし時計は、午前五時半にアラームを鳴らす。だがそれが鳴るのは週に一度ほどだ。雲水の起床時間はそれより早い。アパートの他の住人に迷惑をかけないためにそうするのがクセになってしまったのだ。
 起きた雲水は顔を洗って作務衣に着替える。恵方に敷いた手習いの霊壇の前に正座し、経典片手に経文を唱える。自分の記憶に刻み込むように。
 それを終えれば、ジョギングだ。初夏といえど朝の風は心地良い。師匠、龍玄に言われた通りの量の運動を終えると息が上がるほどだが、健全な精神は健全な肉体に宿ると言う。精進しなくてはならない。
 作務衣から学生服に着替え、一汁一菜の簡単な朝食を終えれば、学校――希望崎学園に向かう時間だ。
「行って参ります」
 部屋に向けて一礼すると、カバンを手に雲水は走りだした。

 雲水は霊能魔人である。
 負の感情を内に取り込み浄化するというその特異な魔人能力により、幼少期に悪霊に身体を狙われた事がある。悪霊とはすなわち負の感情の塊であり、内に取り込むという事は人間の魂が本来持ち備えている鍵と扉が常に開いているようなものであり、浄化されきれぬ強い悪霊にとって、雲水の肉体はこのうえない器なのだ――恩師の龍玄はそう説明してくれた。
 そう、肉体を乗っ取られかけるという存在の危機は、偉大な霊能者である龍玄により防がれた。そして彼は、雲水の能力に制限を施し――先の例で言えば鍵と扉を設け、彼が二度とその身体を狙われぬようにしてくれた。普通に生活する分には、何も問題がないように取り計らってくれたのだ。
 だが、雲水は『普通の生活』を選ばなかった。自分を救ってくれた龍玄の、その姿に憧れた。
『厳しい道ですよ』
『私の周りでも何人もの人間が駄目にされてきました』
『きっとその選択を後悔する時が来るでしょう』
 穏やかな制止は、雲水にとってさしたるブレーキにならなかった。その後に続く厳しい修行も、彼は耐え抜いた。自分と同じく苦しむ人を救いたい。その一心で。

 ――現在。雲水、15歳。
「雲水っちオハぁ~」
「おはようございます、首飾さん」
 無表情な隣の女子に挨拶する。彼女は首飾 ギョロ子。本来の顔は無表情で一切動く事はないが、彼女の首にかけている目玉型のペンダント(呪われており、外せないらしい)はその代わりに感情的に激しく動く。そういう魔人能力の持ち主だ。一ヶ月前、初めてこのペンダントを見た時はひどく動揺し、彼女には気を使わせてしまった。ちなみに漫画家である。
 彼は希望崎学園に通学していた。これも龍玄の指示だ。霊能者として必要な対応力と精神力を身に着けるためだという。幸い、雲水の体質は魔人能力と見なされ、入学は容易であった。
「雲水っちぃ~、あたし昨日、ちょっち徹夜明けでさぁ~」
「また締め切りに追われていたんですか?」
「えへへェ~。仕事と関係ないマンガ描いてたら、ついついさぁ~。頼んで良いぃ~」
「仕方ありませんね」
 雲水は席を立ち、ギョロ子の背後に立つ。教室の喧騒から意識の階層を一つ上に。研ぎ澄ます。
「スゥゥ―――」
 長く息を吸い
「ッセイッ!」
 鋭く息を吐く。ギョロ子はビクンと身体を震わせたが、相変わらずの無表情で雲水を振り返った(身体まで振り返ってくれないと表情がよく分からないのが困る)。
「ありがとぉ~。すんごい楽になったよぉ~。眠気もなくなったしさぁ~」
「いえ。また授業中に、目を開けてこっちを凝視しながら寝られては集中できませんから」
 これは雲水の能力応用『放気』。霊能者の単純にして最大の奥義でもある。本来は霊を祓う技術だが、雲水の場合はその魔人能力によりありとあらゆる『悪いもの』を自身に取り込み、浄化できるのだ。
「あ、今雲水スゥーッセイ!やってた?」
 それを目ざとく見つけたクラスメイト、性帝 SEX衛門が腰を振りながら近づいてくる。
「雲水ィー俺にもスゥーッセイお願いしたいなッ? 昨日の夜腰振りすぎて腰痛でさー」
 へらへらと笑うSEX衛門。しかし雲水は首を振る。
「いけません。このような力はみだりに振るうべきではないのです。あなたの腰痛、自己責任でしょう?」
 授業に集中できないからと使うのは『みだり』ではないのか、とか、それを言ったらギョロ子だって自己背筋じゃないか、など、ともすれば反感を買いかねない断定。しかしSEX衛門は、嫌な顔一つせず頷く。
「分かったぜッ。ま、そういう事なら仕方ないなッ」
「腰痛なら、湿布を買ってきてあげましょう。購買部で売っているはずですから」
「いや俺が買って自分で貼るよッ」
「いえ、私にできるのはそれくらいですから」
 結局雲水は強弁し、自ら購買部へと向かい始めた。SEX衛門が抱いたささやかな反感を即座に取り込み、浄化してしまった事にわずかな負い目を感じながら。

 穏やかな学校生活を終えた、夕方。
「あれ、雲水っちぃ~?」
「ギョロ子さん」
 夕日に染まった校舎裏で二人は出会った。性格には、校舎裏を掃除していた雲水の元にギョロ子がやってきたのだ。
「何か御用ですか?」
「うーん、インスピ探しぃ~? 雲水っちはぁ?」
「掃除です」
 こういう『裏』には悪いものが溜まりやすい。なので雲水は定期的に巡回し、物理的な掃除のついでに自分の能力で悪いものの掃除をしていたのだ。そこへ、雲水の携帯電話が鳴る。発信先は――龍玄。
「師匠?」
『雲水。落ち着いて聞け。希望崎に恐ろしい影が迫っている』
「……え!?」
 師匠、龍玄の言う所には、この五月の連休が明けた後、大いなる影が希望崎学園にやってくるのだという。その影は生徒の情熱を喰らい、やがて学園全体を飲み込み、滅ぼすと。
『連休明けだ。何か心当たりはないか?』
「何か……連休明けと言いましても」
「それってェ~、伝説の焼きそばパンじゃない~?」
 ギョロ子の言葉に雲水は瞠目する。伝説の焼きそばパン。それは噂でしか無いが、人々の『欲望』を惹きつけてやまない――恐らくそれには多くの『情熱』が注がれ、最も強い情熱の主が手にし、食する……己の内側に、自ら迎え入れるだろう!
『間違いないな……雲水。私は霊脈の動きを乱せない。そちらへ迎えるのは、当日の夕方だ』
「そんな。師匠、私はどうすれば」
『恐らく、お前であれば。悪を己の内に留め、濯ぐお前ならば、伝説の焼きそばパンの力を削ぎ、逆に喰われる事はないだろう。良いか、雲水。お前がそれを手にするのだ。それを手にし、食するのだ』
 ……こうして、雲水の戦いは始まった。希望崎を滅ぼす『影』の権化。伝説の焼きそばパンに秘められた悪しき野望を、阻止するために。