本戦SSその7

予告編



きっとここは地獄なのだろう――少女は迷いなく確信した。
踏みしめた地面は灰一色。辺りには、荒涼たる死のにおいが漂っている。
なにより、目の前には首揃えたアバズレビッチども。それだけで、分かった。

「――なにやってんの?」

少女は声をかけた。
学校制服を華やかにアレンジした、ガールズバンドのステージ衣装を纏っている。
胸には新品ピカピカのギター。さも大事そうに両腕で抱いている。

「……なんだ、MACHIじゃん」
「あはっ☆ おっそーい☆」
「もうライブ、始まって……はいねーけど。ハハ! もうちょっと早く来ると思ってたぜ」

声に反応したのは、少女と同じ衣装を身に纏う3人の少女だ。
それぞれ、ドラムスティック、ベース、ガイコツマイクを手にしている。
MACHIと呼ばれた少女は、懐かしそうに笑う。

「うん。ちょっと……やらなきゃいけないことがあったから。
 みんなへのファッキン手土産が必要で」
「そうなん? まあいいや、じゃあ行くとすっか!」

マイクを握った少女――KIKKAが踵を返し、他の2人も続こうとする。

「行くってどこに?」
「決まってんだろ? 地獄にゃ、かつて大暴れしたファッキンロッカーどもがごろごろいるに違いねえからな! 全員ぶっとばしてやろうぜ!」

MACHIは思わず噴き出した。
脳みその足りない女だとは思っていたが、まさかここまでとは。

「楽しみだよねえ~っ☆ TIARA、また新しい奏法マスターしたんだよっ☆」
「『God Wind Valkyrie』の伝説、第二章開幕……腕が鳴るね」

TIARAもMEGUも超乗り気のようだった。
だろうとは思っていたけれど。なにせ、この2人もとびきりのアホだからだ。

だけど、私だって負けてない――MACHIは笑う。
私だって、みんなに負けないくらい、クソッタレのロックンローラーだ。
MACHIは口を開いた。



ダンゲロスSS裏Race 『Rock 'n' Roll Never Die!』



TRACK01



その日は、雲一つない晴天であった。
○○日和などと形容したくなるようなカラリと晴れた空の下、ぐいと伸びをする小さな人影があった。

お天道様から見下ろすと、人影がいるのはちょうど林の中から綺麗に切り拓かれた広場のやや奥、プレハブ小屋の前だ。
広場からは、一本の道が続いている。緑化委員(≠園芸部)によって用意された花壇に彩られた石畳の舗装路は、やや湾曲しながら3階建ての建物へと約3kmに渡り伸びている。
建物には下から1年生・2年生・3年生がそれぞれ押し込まれ、現在は4限目の授業のラスト5分を行っているところだった。

もう少し視線を引いてみれば、これらは全て、ひとつの小さな人工島の上にあることが分かる。
東京湾に浮かぶ夢の島、それをまるまる使用した大きな学園島。
その名を、私立希望崎学園。戦闘破壊学園ダンゲロスの異名をとる、魔人学園である。

「怖い通り名ついちゃあいるけど、昨日は至って平和だったねえ~~~っと」

人影は、少女であった。
アニメから飛び出してきたようなロリロリしい声。すとんとした凹凸のない身体を純白の割烹着に包む。
伸びをしたときに、黒くて長いツインテールがぴょこりと揺れる。

どこからどう見ても、とってもあざとい女の子。
しかしてその正体は、このプレハブ小屋――希望崎学園購買部の主である“購買部のおばちゃん”なのだ。
漆原佐代子――実年齢・家族構成・経歴、一切不詳の合法ロリであった。

「『今日の昼はご用心』なんて言われたけど、今のところは可愛いもんさね」

いわくつきの一品、伝説の焼きそばパンが入荷する今日に備え、希望崎学園がどこからか招聘したおばちゃんは、昨日から購買に入っている。
その伝説の焼きそばパンを欲したのだろう、昼休みを待たず購買部にやってきた不届き者も何人かいたが、
みな素直なよい子であり、おばちゃんと和やかにお話ししたり、軽~く運動したり、青春を謳歌した。
学内において、モヒカン十傑集だとか校則違反四天王だとか名を馳せていた連中であった。

さて、これから来る子らは、一体どんな子だろうか。
緩みそうになる頬を指先で諌め、おばちゃんは『準備中』のプレートをくるり。『開店』へと変えた。

やがて、遠くの校舎からチャイムの音が聞こえた。
その音は、ある者にとっては試合開始を告げるホイッスルのように聞こえたかもしれない。
あるいは、名探偵の「さて」の口火かもしれないし、美味しい料理を前にした「いただきます」の挨拶かもしれない。
もしかしたら、ドラムスがスティックを打ち鳴らす音だったかもしれない。

いずれにせよ、多くの者にとって、祭りの開始を知らせる音であった。

「開店だよおおおぉぉぉ!」

そして、チャイムの音を吹き飛ばす程の極ロリボイスが学園敷地内に響き渡った。





よおおぉぉ……
ょぉぉ……

今朝も聞いたが、どうにも慣れんな――男は苦笑した。
時代錯誤なバンカラスタイルに身を固めたその巨体は、窓側最後尾の席に落ち着いている。
得物たる、身の丈をも越さん勢いの長刀――七尺之巨大牛刀『錬児』は、邪魔だからと掃除用ロッカーにぶちこまれていたが、特に気にしていなかった。

3年17組、鬼無瀬塵観。
生徒会役員にして調達部副部長を務める、鬼無瀬時限流門弟である。
此度の伝説の焼きそばパンを巡る一件では、その調達及び保管、搬送を担った。
思い返せば、想定よりも面倒な仕事であった――塵観は瞠目し、この数日を振り返った。

調達部の問題児・久留米を騙し四国くんだりまで遠ざけ、部長と共に焼きそばパンを討伐。
中々に大物だったが、『一撃虐殺』の鬼無瀬の剣技の前には大きさなど無意味だった。
無事に納品したかと思えば、怪盗ミルキーウェイからの予告状が届いた。
塵観はその怪盗には詳しくはなかったが、話ではターゲットに予告状を送り付け、それを遵守するなんとも洒落た盗人らしい。
ならば少なくとも当日までは無事では、そもそも悪戯では、いやいやそれでも用心を、などと生徒会室で交わされた対策会議は喧喧囂囂たる有様で、塵観は眩暈を覚えたものだった。
ミルキーウェイの予告状の件はその日のうちにネットでも話題になってしまっていたようであり、結局、念には念をということで、伝説の焼きそばパンは当日まで別所にて保管する運びとなった。
その保管役を誰に依頼するかでまた揉めかけたが、いい加減議論を終えたかった塵観が立候補。
学園でも随一の使い手であり防衛の腕は充分、そして伝説の焼きそばパンを調達してきた張本人ならネコババされる危険も無かろうと、満場一致で塵観がこの光栄ある任務を拝命した。
そして今朝、生徒会が手配した護送車と共に登校してみれば案の定襲撃があった――無論、あの程度の与太者ども、塵観の敵ではなかったが。
購買部に再納品したときには、おばちゃんが交代していた。
見てくれは少女であったが、相当に経験を積んだ使い手であることは一目で分かった。
これならば、流石の怪盗氏も観念するだろう――塵観は安心して伝説の焼きそばパンを引き渡した。

――全く、なぜ準備段階でこれだけ苦労させられなければならないのか。
塵観が嘆息し目を開くと、伝説の焼きそばパンを狙う同輩たちは既に教室を飛び出しており、いつになくガランとした昼休みだった。
尤も、足音や怒号、なんらかの衝突音などは微かに聞こえてきてはいたが。

さて――あれだけ俺の手を煩わせたのだ。
せめて、昼餉の見世物にはなってほしいものだ――鞄から重箱を取り出しながら、塵観は窓の外を見下ろし、

「ほう?」

そこに、見知った顔を見た。





時を少々戻し――12時17分。
4限の終了まで、あと3分であった。

一之瀬進は一心不乱にシャープペンシルを走らせ、ノートを黒い文字で埋めてゆく。
流石は3年生、伝説の焼きそばパン販売というイベントにも惑わされず受験勉強とは感心感心――というわけでは、もちろんない。
ノートに踊る黒鉛は、新校舎から購買までの図に走る際のペース配分、校内の要注意魔人リスト……と、少なくとも英語の授業内容とは似ても似つかぬものだった。

一之瀬の伝説の焼きそばパンに対する本気度は、校内でもトップクラスであると言えた。
彼は3年前の『大災厄』の唯一の生存者であり、『大災厄』を引き起こした――と彼が考えている――伝説の焼きそばパンを封印し二度とと『大災厄』を起こさせぬため、全てを賭けて争奪戦に挑むつもりであった。

様々な不運が重なり、一之瀬は伝説の焼きそばパンが販売される当日になって、今月初めての登校を果たした。
それ故に情報戦において数歩劣ったことは否めない。だが、彼はもう割り切った。
そして、その分を巻き返すため、午前の授業はすべて捨て、ひたすら今回の争奪戦を勝ち抜く策を練っていた。

頭に入っている限りの学内の生徒・教師のデータを洗い、休み時間にはそれだけでは手が回らない分の魔人の情報を友人に訊き、さらには体験入学を隠れ蓑に侵入するであろう外部勢力の算定なども行った。
額に刺さったチョークの数すら覚えていないほどの演算の結果、導き出した解は――

(――結局、『これ』か。……そうだな、これっきゃねえ……!)

覚悟を決めた。それと同時、チャイムの音が鳴った。
間髪入れず響き渡った購買部のおばちゃんの極ロリ絶叫の中、生徒たちは一斉に動き出す。
3年の教室は3階だ。下級生に比べ、スタート位置のディスアドバンテージは大きい。みな、我先にと廊下側へ急ぐ。

その人波に逆らって、一之瀬は窓側へと向かった。
身体を捻じ込むようにして進み出で、窓へとたどり着くと、

「……うっし、やるぞォオラァーーッ!!」

決意の咆哮をあげ、窓から飛び降りた。
一之瀬の決断は、『開幕全力ダッシュ』――作戦とも呼べぬ、単純な一択だった。

自分の魔人能力すら把握できていない一之瀬にとって、一番の武器はやはりこの健脚。魔人の中でもかなり速い方だ。
開幕で殲滅能力をぶっ放してくる者の存在も考えたが、まず大規模能力者は絶対数がそれほど多くなく、その中で争奪戦に興味を持ち、校則違反にならない程度の範囲・火力調節が可能で、加えて開幕というタイミングで札を切れる胆力の持ち主と絞り込んでゆくと、1人いるかいないかだろうという結論に至った。

それならば、賭けるべき場面だ。そう判断した。
教室が2階にある2年生ならいざ知らず、3階の教室から飛び出すなどという全くの暴挙も、勝算あってのことだった。

(やってやるさ……! 俺は『大災厄』の生き残り! 生命力だが幸運だか悪運だか、何が強いのかなんざ知らねーが、
 3階飛び降り程度、チャレンジの内にも入らねえーーんだよッ!!)

半ば己を鼓舞するように、一之瀬は心中で叫ぶ。
叫びながら、下を見る。怖くて目を逸らすなんざ、負け犬の思考だ。着地点を見極め、最適な次の手を――

「……あン?」

一之瀬は、そして一之瀬同様に飛び降りを敢行した耐久自慢の同輩たちは、それぞれの着地予定地点に、それを見た。
先に新校舎を出た、下級生たち。彼らがいるのは当然だった。
しかし彼らは、何故か一様に倒れていた。白い狼に、身体を噛まれた状態で。

「コイ……ツ、はッ!」

一之瀬たちも、雪原のような白狼の群れに飛び込もうとしていた。
その中に立つ、レイピアを佩いた白髪の少女が号令をかける。

「行け」
「「グルルルゥゥーーッ!」」
「「ウギャアアアーーッ!」」

白狼は、落ちてくる一之瀬たちを的確に捉えた。
咄嗟の迎撃行動も、自由落下中という不安定な状態では大した効果をあげられず、牙で、爪で、次々と地面に縫い付けられる。
中には、襲い来る白狼を撃退せしめた者もいた。だが、1匹が倒れようとも別の白狼がすぐさまカバーに入る。完璧に統率された、群れの動きだった。

「ッ……て、テメエ、狼瀬ッ!!」

白狼の牙が押さえつけられたまま、一之瀬は叫んだ。
狼瀬――白狼の騎士(ナイト・オブ・ホワイトウルフ)の異名を持つ3年の狼瀬白子は、冷ややかな表情を浮かべていた。
クラス委員も務める彼女は、同級生・下級生を問わず慕われ、教師からの信頼も厚い、清廉潔白にして高潔なる魔人であった。
だが今、彼女は能力の産物たる白狼の群れを操り、購買部への舗装道を封鎖していた。

「こりゃあ、一体……どういうことだ!?」

特筆すべきは、この展開速度。
真っ先に飛び出した一之瀬たちを、完全に待ち構えていた布陣だ。授業が終わってからの構築ではとても間に合わない。
必然、4限の授業をサボタージュしている。“あの”狼瀬白子が、である。
一之瀬でなくとも、どういうことだと問うただろう。

「『どういうことだ』、か……。理由は、済まない。明かせないんだ」

白子は長い睫毛を伏せる。
普段なら、その憂いの仕草だけで彼女のファンの何割かが卒倒しそうな勢いだったが、この異常状況下では、やはり不審さ・不気味さが目立った。

「そして、もうひとつ済まない。ここから先は……通行止めだ」

そう言って、佩いたレイピアを抜き、中空を数度斬る。
すると薄く開いた断面より新たな白狼が生じ、彼女の傍に控えた。

これが彼女の魔人能力『ジャック・ロンドンの告白』。白狼を呼び寄せ、従わせる。
群狼の脅威さは言うまでもなく、術者たる白子を倒せば消えるとはいえ白狼を掻い潜っての打倒は極めて困難。加えてレイピアを用いた彼女の防御性能は非常に高く、オマケに白狼が敵を食らうことで彼女の体力・疲労が回復する効果まである。
早い話が、クソキャラであった。

「う……ウオオーーッ!」

1年の教室から何人か、それと上方からもさらに何人かが飛び出し、果敢にも白狼の巣へと強行突破を試みる。
ある者は手に武器を、ある者は炎などの能力攻撃を、ある者は一気に飛び越そうと全力跳躍を――それぞれの持ち味を活かし、白狼陣を攻略せんとした。

「強行突破(それ)は、勧めない」

だが――どれも、届かない!
白狼の1匹を倒すことができても、すぐさま他がカバーに入る。動きのしなやかさも、まさしく野生のそれだ。ヒトの身では敵わない。
瞬く間に、辺りには白狼の牙で、爪で、地面に縫い付けられた生徒の海が広がる。

「この子らは、些か空腹だ。昼時だからな」

立ちはだかる狼瀬白子。
その横を、黒い霧のようなものが通り過ぎていった。



TRACK02



(――クソッ! 狼瀬白子ッ! 完全にノーマークだった!!)

有名人であり校内有数の手練れでもある白子のことは、もちろん一之瀬も真っ先に検討した。
だが、人望厚く完璧超人然としている彼女に伝説の焼きそばパンを狙う特別な理由があるとは思えず、
また狙っていたとしても、白狼の餌食になるのは足の遅い者から。
つまり開幕ダッシュなら自分に分があるはず、と考えそれ以上の検討を行わなかった。
よもや、4限をパスしてまで妨害布陣を敷いてくるだなどと、一体誰に予想できようか――

(よりもよって、だ……クソ! なんて不運だ……!!)

なおご存じのとおり、一之瀬進の能力『千丈一穴』は「予想した物事が外れやすくなる」能力である。
であるからして、今後も一之瀬が予想した全校生徒の最適解予想はドカドカ外れていくので、覚悟しておくように。
不運を嘆く一之瀬が、自分の努力をことごとく水泡に帰す存在が自分の半身たる魔人能力であることを未だ知らないことだけが、彼の唯一の幸運と言えた。

(狼瀬の狙い……未だに皆目見当もつかねーが、どっちにしろこのままじゃ伝説の焼きそばパンにはたどり着けねえ……!)

どのようにしてこの白狼陣を切り抜けるか――打開策を探す一之瀬の頭上を、楕円形の物体が飛んでいった。
それは、焼きそばパンだった。
ソースの香りの軌跡を残し斜方運動するそれに、一之瀬に噛みついていた白狼がパクリと飛びついた。
一之瀬の思考が「不可解な飛来焼きそばパン」から「白狼に解放された安堵」に切り替わる刹那、白狼の顔面が爆発した。

「――どわあーーッ!」

至近距離にいた一之瀬もまた爆風を受け、軽く吹き飛ぶ。不運!
ごろごろと転がる一之瀬の上を、またも焼きそばパンが飛ぶ。今度は複数だ。
腹を空かせた白狼たちは、当然それに群がる。そして、等しく顔面や腕を吹き飛ばされ、霧散する。
バリケードの一角が、空いた。

「チッ――!」

異変に対する白子の動きはさすがに機敏であった。
振り向きながらレイピアを一閃。空を切り裂き新たな白狼が生じる。
その牙の先には、おそらく異変の下手人。1年教室の窓から飛び出す少女の影があった。

「ファック、」

少女は――ギタリストだった。
ギターケースを背負い、斜めに掛けたギターストラップを身体の前でムリヤリ結んでいる。
身に纏うは、希望崎学園のいくつかある制服タイプのどれとも異なる、鮮やかに装飾されたガールズバンド衣装風制服だ。

おかしな点を挙げるとするなら、ギターストラップにギターはなく、何故か大量の焼きそばパンがくっついていた。
その異様な風体と決断的な横顔に、狼瀬白子は唾を飲み込んだ。
少女は素早い動作でストラップから焼きそばパンを抜き、足元に放る。飛び込んできた白狼の、目鼻の先だった。

「イエーーッ!」

焼きそばパン爆発!
その衝撃で白狼は身体を仰け反らせながら吹き飛び、放った少女もまた爆風に煽られる。
しかし少女は爆風を靴の裏で受け、爆風を推進力に転換。前傾の姿勢のままに前方へと加速跳躍!
つんのめるように着地した時には、白狼の包囲網の遥か向こうにいた。

走り去る少女――復讐のロックンローラー・MACHIは、即死能力者である。
その能力『KILLER★KILLER』は、接触した「その時MACHIが最もムカついてる相手」を、乱雑な指定の死因で確実に殺す。
焼きそばパンを喉に詰まらせ大切なバンドメンバーを喪った彼女は、焼きそばパン及び伝説の焼きそばパンをぶっ殺したいほど憎んでいた。
ぶっちゃけ逆恨みであった。

が、しかし、この争奪戦において、その能力は殺すの正反対、『活かす』ものとして最大の効力を発揮していた。
例えば先程は、MACHIが焼きそばパンを『爆殺』したいと願うことで、それを食った白狼の顔面をファッキンぶっとばしたり、
生じた爆風に乗って前方に大ジャンプしたり、厭わしい能力をこれ以上なく有効活用していた。

MACHIの突破に呼応するように、白狼のバリケードはあちらこちらで波乱が起きていた。
さらに向こうでは黄色い小津波が噴き出し、また向こうでは「アナルパッケージホールド!」……謎の雄叫びと、狼の悲痛な叫びが聞こえた。

「くっ、ならば――ッッ!?」

焦りつ、群狼を指揮せんとした白子に電流走る。
――比喩ではない。青白い閃光が迸り、レイピアを持つ右手を撃ったのだ。
白子はレイピアを取り落とす。その眼前に、金髪のメガネっ子が現れる。

「――風紀委員の天雷テスラです。校則違反者・狼瀬白子、神妙にお縄についてください」

風紀委員――校則違反者の取り締まりを行う、戦闘破壊学園の秩序の担い手。
暴徒の鎮圧を旨とするだけあって、その平均戦闘力は並の魔人を上回る。
手錠や刺又が躍り、他の風紀委員たちの手によって白狼たちは次々と掃討されてゆく。
その間に、足止めされていた生徒たちは堰を切ったように走り出していた。

「……誰にだって、求めるものと、求める理由がある。悪いが、退けないな」
「そうですか。残念です……テスラ、狼瀬先輩のこと、尊敬してたんですよ。お姉様の次くらいに」

テスラの右手に青白い電光が瞬く。電撃を操る彼女の能力『電流戦争』だ。
対する白子は無手を構え、自嘲気味に笑った。

「……済まない。だけど私は、君たちが思うような誇りある女じゃあ、ないんだ」
「えっ?」
「――やッ!」

白子が踏み込む。右腕を地面と水平にした刺突撃。レイピアはないが、攻撃の鋭さは変わらない。
テスラは危うくこれを躱し、電撃を放った。白子は歯を食いしばって耐える。
体勢を変え、次の刺突を見舞おうとして、その頭を拳骨が打った。

「ッッッ!!」

身の毛もよだつような激突音と共に地面に叩きつけられた白子の傍に、風紀委員の2年生・車口文華が着地した。青緑色の長髪がふわりと広がる。
とても、能力『デモリッシュハンマー』による地獄拳を落とした者とは思えない、美しい少女だった。

「……狼瀬先輩、こんなところにいたんですね……
 授業に出ていなかったと聞いたから……おなかが痛いのかと思って、心配していたのですけど……」

とても、今さっきその狼瀬白子の顔面で舗装路に罅を入れた者とは思えない、ぼんやりした発言だった。
そんな文華に、テスラはぷりぷりと文句を言う。

「まったくもうっ、お姉様! 大事な日なんですから、今日くらい少しはシャキッとしてください!」
「……そうですね……ごめんなさい」
「ま、まあ、そんなところもお姉様の魅力的なところではありますけど……!」

周囲にお花のエフェクトが散るような微笑ましい会話を交わしながらも、テスラは白子の拘束を終えていた。

「……こちら側の後処理は私たちがやっておきますので……テスラは予定通り、争奪戦に混じって校則違反者の確保をお願いしますね」
「了解です、お姉様!」

先を行く争奪戦参加者の中にも、遅れを取り戻そうと校則違反を犯す生徒が出る恐れがある。
絶対任務遂行! ピシッと敬礼ひとつ、テスラは購買部への舗装路を走り出した。

(……ふふ。私は、可憐塚さんの役には立てたかな……いや、どうかな)

狼瀬白子は、静かに共犯者の少女に思いを馳せた。
これ以上の抵抗は無駄と悟ったのか、彼女は大人しく地面に転がったままだ。

(彼女はきっと、私を便利な、都合のいい食料としか思っちゃいないかもしれない。
 ……でも。それでも、私は……)
「失礼します。少しよろしいですか?」

白子たちの元へ、ひとりの少年が駆け寄った。
丸みを帯びた体型の、冴えない外見の少年だ。
少年は穏やかな笑みを浮かべて文華を伺い、何らかの了承を得た後、白子の傍に跪く。

「では……スゥゥーッ、セイッ!」

少年が裂帛の気合と共に“何か”を行った。白子の身体がビクンと跳ねる。
周りからは、息を吸って、叫びながら吐いたようにしか見えなかったことだろう。
だが、白子にははっきりと、何かが起こったことが分かった。

「っ……これ、は……!」

あるいは、些細なことかもしれなかった。白子の心の、一番奥の気持ちは変わらなかったからだ。
だが、その周囲に蔓延っていた、校則違反に加担してまで快楽をねだる程の熱情や、それに伴う暗澹たる後ろめたさなどは、綺麗に霧散していた。
そして後に残った、この純粋な想いは――?

「では、私はこれで失礼します」

ペコリとお辞儀して、少年――霊能力者の雲水は駆け出した。
他者の精神に巣食う負の感情を取り込む特異体質を持つ彼は、白子の中の負の感情を己が内に取り込み、浄化したのだ。
この体質は、志が似る風紀委員には知られている。雲水の行為により、白子の再犯の可能性が低いと見なされれば、もしかすると減刑となるかもしれない――一刻を争うこの争奪戦においても、雲水はお人好しであった。

(……それにしても。私もまだまだ、精進が足りませんね……)

白子から取り込んだ負の感情は、言うなれば、熱くて深い『淫気』であった。
精進・禁欲を旨とし日夜修行に励む雲水も、美しい女子高生同士による吸血プレイ、それも凛々しく気高い白子が美麗で魔性な下級生に主導権を握られ一方的に搾取されるというシチュエーションにより醸成された極上の淫気には、流石に愚息が反応してしまうのだった。
やや窮屈そうな足取りで、雲水は先行者たちを追っていった。



TRACK03



(痛い……痛いっ……!)

購買部へと続く舗装路を、MACHIは涙目で走る。
それも当然だ――彼女はぶっ殺した焼きそばパンの爆風を至近距離で受けたのだ。
まだなんとか形を保っている靴の向こう、MACHIのソックスには血が滲んでいた。

(でもっ……負けない! あのゴミカス野郎は、私が絶対ぶっ殺すんだから! ファックイエー!)

ギターケースに手を突っ込み、新たな焼きそばパンを取り出してはストラップに補充する。
その姿は、さながら焼きそばパンの弾帯を巻き付けた怒れる女ランボーであった。





(……この姿、かなり無敵なのはいいんだけど、足が遅いのが難点だよねー)

そんなMACHIの前方、黒い霧が、風に煽られているかのようにのろのろと漂っていた。
しかしこれはただの霧にあらず。その正体は、希望崎学園1年生・可憐塚みらいである。

多様な効果を内包したみらいの能力『ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュに捧ぐ』

一言でまとめると「吸血鬼っぽくなる」能力だが、その効果のひとつに「自身を黒い霧に変える」というものがある。
この効果で白子の操る白狼の中を擦り抜け、他の生徒が足止めをくらっている間に独走ゴール――というのが、2人が立てた作戦だった。

(っていうか……あーあ。狼瀬先輩は抜かれちゃったかぁ)

少し前から、後方が騒がしかったことには気付いていた。
いよいよ近づいてきた足音に、みらいは後ろを振り返る(霧状でも知覚を保有しているのだ)。
ひー、ふー、みー……とにかく、結構な人数が追ってきている。このままでは追いつかれそうだ。

(仕方ないなあ。ま、元々どこかのタイミングで解く予定だったんだけど、っと)

黒い霧が収束し、人型をとる。すると、一瞬の後にそれは本当に人の姿に変じた。
闇夜のような黒髪は長く、妖刀の刃のように恐ろしく白い肌の美少女。
紛れもなく可憐塚みらいである。霧化を解除したのだ。

「ッ、あれは……1年の可憐塚みらい!」

トップグループからやや遅れた位置。一之瀬進は驚愕した。
校内有数の美少女・可憐塚みらい。その存在は、当然一之瀬の耳にも入っている。
魔人であるという噂はあったが、よもや霧状に変身する能力者だったとは――!

(だが、それを解除したということは、時間か環境か、それとも性質か……とにかく、なんか制限があるってことだ。
 それに、魔人の能力と本人の性質にはある程度の関連があるのが常……!
 『霧に変身して漂う能力』の持ち主で……それに、あんな肌も白くて身体も細いんだ。
 十中八九! 可憐塚の身体スペックは魔人でも下位ッ! いけるッ!!)

一之瀬が確信した瞬間、みらいは力強く加速した。一之瀬、再度驚愕!

「…………な、なにィ~~~ッ!?」

可憐塚みらい――魔人吸血鬼の少女。
その身体スペックは、ただの魔人を大きく上回る!

その腕力は、大型アメリカンバイクーーたとえばハーレーすらも軽々と持ち上げッ!
その握力は、大型アメリカンバイクーーたとえばハーレーすらも粘土のように捻じ曲げッ!
その脚力は、大型アメリカンバイクーーたとえばハーレーで日本の公道を走る時の速度に匹敵するッ!

「っ、ま、待って!」

MACHIが慌てて焼きそばパンを掴んで投げる! ナンバーは『銃殺』!
どこからともなく飛んできた銃弾が焼きそばパンに風穴を開けその先のみらいをついでに撃ち殺そうとしたが、
みらいは既に遥か先を爆走中! 銃弾は空しく舗装路の石畳を穿つのみ!
「ファック!」と悔しがるMACHIは腹いせに別なる焼きそばパンを後方へ放り爆殺! 俄かに悲鳴!

嗚呼、恐るべし! 吸血少女・可憐塚みらい!
後続をぐんぐん引き離し、購買まで残り2km地点を悠々通過――!

「ふふっ! もうすぐ伝説の焼きそばパンがみらいの手に♪
 食べられるといいな……きっと食べられるよねっ。あ、そうだ、お願い事も考えなきゃ!」

今や争奪戦は、完全にみらいの独壇場であった。既に、暫定2位のMACHIに500m以上の差を付けている。
このまま独走ゴールか――多くの生徒が危ぶんだ。
特に一之瀬の危惧は深刻だった。彼の無駄によく回る頭脳は、瞬時に状況を理解してしまった。

(あの可憐塚を、止める手段ッ……! あ、あるのかンな魔法みてェなモンが!?
 走りながらだが明らかに警戒は怠ってねェ! 特にコース上の俺たちは完全にマークされてる!
 さっきはああ予想したが、霧化を解いたのはその方が速度は出るからだ……! その気になれば、
 おそらくいくらでも霧になって無敵になれる! そう考えた方がいい!
 ……霧化を使う間もなく可憐塚を無力化するには……可憐塚の警戒が薄い上空の方から、
 対応しきれねェ程のスピードで不意討ちをかますしかねェ……!
 人間の反応速度はおよそ0.2秒らしいが、可憐塚なら0.1秒程度だろう。
 反応してから回避できる距離は、不意討ちだとしてもおそらく20m程度だ。
 ……つまり、大型アメリカンバイク――たとえばハーレーの最高速度の3倍以上、
 具体的には時速700kmオーバー、秒速で言えば200mクラスの不意討ちをかますしかねェ!)

全ての演算を終えた一之瀬は、心の底からこう叫んだ。

「――そんな都合のいい展開、あるはずねェッ!!」

そして次の瞬間、独走する少女の元へ流星が降った。

「「――ウギャアアーッ!!」」

おぞましいまでの激突音と、ハミングした悲鳴が希望崎学園島にこだました。
突然の事故の一端を辛うじて見とめた生徒は、後にこう証言した――
『突撃槍みたいな機械に乗ったヘルメットを被った女生徒が、すごいスピードで可憐塚さんに突っ込んできた』と。

悲鳴の残響も消え、もうもうたる土煙も晴れたとき、そこにはヒト2人分に相当しようバラバラの肉片が散らばり、ヘルメットが填まった首がゴロリと転がっていた。

……なんということだろう。
可憐塚みらい、無惨――!! そして、
当SSで未だ一言もしゃべることなく――メリー・ジョエル死亡!!





なお、言うまでもないことだが、あれはメリーではない。
その正体は、出来損ないの貴種ホスト少女・安出堂メアリだ。
彼女が如何にして可憐塚みらいを轢殺せしめたか、少々時間を巻き戻して解説しよう。

伝説の焼きそばパン争奪戦においてメアリが採った作戦は、題して『ぴょーーん☆とジャンプで焼きそばパンげっちゅa&大作戦』。
その内容はシンプル――校舎の屋上から大ジャンプし、なんか伸びる気がする飛距離で大幅ショートカットをし、伝説の焼きそばパンを狙うという作戦である。

頭を潰されない限り死なない能力『リターンオブザドランカー』に飽かせた、すこぶる頭の悪い作戦であった。
――諸君らは次の慣用句を思い出してもよい。『バカと煙は高いところが好き』

しかし、結果的にこれは大正解だったと言える。
メアリがたどり着いた屋上には、メリー・ジョエルが時空超越登下校に使用し、そして今日のこの決戦でも当然に使用しようとして光学迷彩装置で隠蔽しておいた、乙女の必勝武装が眠っていたのだ。

その名も“魔女の箒”。秒速たったの200mで空を飛ぶ、高速飛行用デヴァイスである。
本来であれば、これを見つけることも、ましてや操縦することも、常人には不可能なはずだった。
だが、実に運の悪いことに、この安出堂メアリという少女は常人の外にいる存在であった。

ホストという種族は、いつ・いかなる状況であっても、彼らが同伴すべき姫を迎えに参上しなければならない。
それは、女を食い物(リアルな意味のほう)としか考えていないメアリとて、その身にしっかりと刻まれている。
故に彼の者たちは、麗しのジュリエットの元へ迅速に馳せ参じるべく、周辺にある乗り物の類いの位置からその操作方法に至るまで、完璧に知覚し、理解する。
その技の名は――ホスト神拳奥義『お迎えにあがりました、ジュリエット』!

そうして見つけた“箒”に、メアリは嬉々として騎乗した。こっちの方が早そうだし、カッコ良かったからだ。
惜しむらくは、このデヴァイスが直線加速のみを生業とするほとんど欠陥機体であり、『翅』無きメアリでは、精々屋上から一直線に降下して偶然そこにいたみらいを自分ごと全力で轢殺するくらいにしか活かせなかったことか。





「う……嘘でしょ……」

同刻――新校舎内。屋上へと至る途上、3階の廊下。
“魔女の箒”本来の持ち主である未来少女――メリー・ジョエルは愕然と呟いた。

だって、突然の轟音と衝撃に足を止めて窓から外を見てみれば、購買部への舗装路に小さなクレーターがポッカリとあいている。
そこにはミートソースをぶちまけた様な血だまりが広がり、中心には愛機が地面に半分ぶっ刺さっているのだ。

(……“箒”が勝手に使われた!? いやいやありえない……ちゃんと隠しておいたし……
 電脳系の能力者――は、“衛星”でわりと対処できるから……すごく高位の能力者か、
 もっと別のロジックの能力……? でもそんな都合のいいちからって……!?)

メリーの頭の中は大いに混線していた。

秒速200mを誇る“魔女の箒”で購買部までひとっ飛び、誰よりも先に伝説の焼きそばパンを購入できるはずだった。
1年生の教室は屋上まで最も遠い1階にあったが、それを込みでもぶっちぎりのトップは揺るがないはずだった。

嗚呼――これもすべて、今朝の寝坊のせいだ!
あと10分……いや5分でも早起きできていれば、いつものように芸術校舎の屋上に“箒”を置いてから
(フェデール/エイル)』で新校舎へ渡っても始業ベルに間に合ったのに! 芸術校舎なら、きっと奪われなかったのに!
昨夜のメリーは、伝説の焼きそばパン争奪レースという学園生活初めての大イベントに心を躍らせ、
遠足前の小学生の如く目が冴えてしまい、早く寝付けなかった。

就寝前、ニヤニヤ笑いでホットココアを勧めてきた祥勝の顔を浮かんでくる。
あれを素直に受け取っておけばあるいは……ううう~ッ、祥勝のバカ!(八つ当たり)

『メリー・ジョエルさあぁぁぁん……聞こえてますかあぁぁぁ……?
 別時空で絶賛最後の大大大だァァいバトル中の、綾島聖大せんせェ~~いに、
 熱い熱ゥゥい、励ましのメッセージをお願いしますゥ~~~!!』

とうとう、訳の分からない幻聴まで聞こえてくる始末だった。
あやしま? 誰? 知らないよ! 別のところに行って!!

「メリー、メリー!」

堂々巡りの思考地獄からメリーを救ったのは、彼女と共に屋上を目指していた赤根リリアだった。
リリアはくいくいと袖を引っ張り、窓の外を指さす。

「ヤバいよ! もうみんないなくなっちゃった!」

つられて見てみれば、窓の外を陣取っていた白狼のバリケードはもうすっかり雲散霧消し、
釘づけになっていた生徒も全員出発を果たしていた。
教室のある1階から屋上への道は、当然ながら上がる者よりも下る者の方が多く、移動は困難を極めた。
結果、メリーは現在ぶっちぎりの最下位であった。“箒”もない今、完全に崖っぷちに立たされていた。

「……よしっ」

一刻の猶予も許されていなかった。
メリーは意を決し、窓枠に手をかけ、身体を引き上げた。
その背に2対の透明な薄翅が顕現し、力強く鳴動する。

「メリー、もしかして……」

驚き半分・心配半分な声をあげたリリアに、メリーは振り返って、グッと親指を立てた。

「安心して、リリア。……あいる・びー・ばっく」

そうしてメリーは、凛とした笑顔を残し、『翅』を広げて飛び立っていった。

(――ふ、不安……!!)

それでもリリアは、見送った大切な友だちの無事を祈りつ、レースの行方を見守るのだった。
そしてその視界の端に、手を繋いで空を歩く2つの人影を見て、リリアの不安はさらに色濃くなるのだった。





(や……やばいってこれ! ま、まだ出ていかないの……!?)

新校舎2階、女子トイレの一室――天ノ川浅葱は焦燥に駆られていた。
この場所で済ませるべき任務は既に完了していた。
用を足し終えたという意味ではなく、変身を終えているという意味だ。

そう――それは変装ではなく、変身と呼ぶに相応しかった。
頭にはシルクハット、目元にはマスク。ヘアースタイルはツインテール。
やや未発育の身体を覆うのは、夜空に星を散りばめたような絢爛たるドレス。
内面においても、彼女は『みんなの頼れる学級委員長・あさぎん』から、『天才美少女怪盗・ミルキーウェイ』へとスイッチを切り替えている。

――怪盗ミルキーウェイ!!
昨今巷を賑やかせる義賊怪盗少女。その正体は、希望崎学園2年の天ノ川浅葱なのだ!
伝説の焼きそばパンが販売される今日は、まさにその伝説の焼きそばパンを盗み出すと大胆に予告。
ネット上でも話題となった、まさしく時の人であった。
……まあ、実際のところ予告状を出したのは浅葱ではない何者かで、彼女は偽の予告状を本物にしてやろうという動機で争奪戦に参加しようとしているのだが。

では、その怪盗ミルキーウェイがどうしてそんなにも焦っているのかというと、
端的に言って、いつまでたっても個室から出られなかった。

予告を実行するためにミルキーウェイに換装したはいいが、こんな時に限って女子トイレにはひっきりなしに人がやってくる。
その日は高確率で個室が埋まってしまっていて、入れなかった生徒が何度もやってくるし、その度に鏡の前で身だしなみを整えながら友だちと軽く雑談なんぞしていくものだから、もう出ていく機会が全然ない。
みんなに慕われる人気者、すなわちリア充である浅葱には、こんな大イベントの時ですら便所飯に走るぼっちが一定数いる事実を正しく理解できてはいなかったのだ。

こんな不測の事態に陥った時、浅葱はいつも、そっと胸に手を当てる。
魔人能力『見抜く』。触れた対象の弱点――物体ならば死角や脆いところ、ヒトであれば抱える悩みなどを看破する、怪盗稼業の最大の武器だ。

【ヤバい】【早くスタートしなきゃ】【もう10分以上経ってるよ】【ヤバい】【予告状】【怪盗のプライドが】……

浅葱は腕時計を見た。実際の経過時間は7分程度だった。これくらいなら、私の足なら追いつける。
それに、3年の狼瀬先輩がなにやら騒ぎを起こしていた。トイレに来る途中に見た。きっとそれで進行は遅れてるはず。
だから、きっと大丈夫。まだまだ巻き返せる。そう己を鼓舞する。

焦ってる時って、物事を悪く悪く捉えちゃいがちだよね――自分に苦笑する。
自分の焦りを客観的に見つめ、浅葱は落ち着きを取り戻した。

「……はっ!」

気の向きが変われば事態も好転するのか――ともかく、浅葱は気付く。
今この瞬間、トイレは個室内以外に人の気配はなかった。やっと巡ってきたチャンスであった。
浅葱は遂に個室の扉を開き、出る! と同時、浅葱のランチメイトたちがトイレに入ってきた。

「あ、ミルキーウェイ」「えっ、マジ?」
「――~~~っ!!」

思わず声を上げそうになったのを咄嗟に堪えられたのは浅葱にとって僥倖だった。
もし声を上げてしまったら、正体を知られてしまったかもしれない。
そんな浅葱の心中も知らず、少女たちはトイレの外の知り合いを呼ぼうとしたりLINEで号外しようとしたりしている。

(え……ええいままよーーーっ!!)

浅葱はトイレの奥に飛びつき、窓を開けた。
小さな窓だ。常人ならそこから出入りなどとても出来ないだろう――だが、浅葱は、ミルキーウェイは、怪盗だ。
センサーや銃弾を掻い潜る程の柔軟さと精密な体捌きにより、浅葱は窓から外へと飛び出す!

去り際に、友人たちのちょっと引いたような顔が見えた気がしたが、深くは考えないことにした。
彼女たちを突き飛ばして出るか、もしくはトイレの壁を蹴り壊して出るかの3択だったのだ。
そして、暴力行為も校則違反も厳禁だ。争奪戦的にも、委員長的にも。

新校舎の壁を軽く蹴って衝撃を殺し、見事に着地。そのまま購買部へと走り出す。
こうして天ノ川浅葱――怪盗ミルキーウェイはやっとのスタートを切った。
争奪戦参加者中、最後の1人の出発であった。

ドレスの中の特性万能スマホがLINEメッセージの着信を知らせたが、内容は確認せずとも大体分かった。



TRACK04



全ての役者が舞台に上がった。
これより先は、彼らの踊る様、そして舞台を降りる様をただ楽しむのみ。

時刻は12時30分――争奪戦開始より、10分が経過している。キリのいい時間だった。
それではこれより、ゴールに近い位置から順に、舗装路を走る参加者たちの現在の動向を見てゆこう――





トップグループは、ゴールまで残り1km地点にいる。既にクレーター地帯を通過していた。
現在の先頭は2名――その2名は、交戦状態にあった!

「ファックイエー!」

焼きそばパン復讐者・MACHIが焼きそばパンを投げる。
焼きそばパンはその身に炎を纏い直進する――『焼殺』されている!

迎え撃つは――こんがりきつね色の肌(?)をした、角の丸い四角形型の輪郭(?)の男子生徒だ。
彼の顔は、目も口もとても小さいのか、全然見えないくらい……っていうかないんじゃないのこれ……?
――という容姿から希望崎学園でもかなりの有名パンである、パン作り研究会会長・カレーパンである。

「『華麗壁』ッ!」

カレーパンが叫びと共に腕を振り上げる――と、彼の眼前にスパイシーな匂いを放つカレーの壁が生じ、
焼きそばパンを飲み込んだ。ジュウッという鎮火の音まで飲み込むような、深い茶色の海だ。

「次はこちらの番だ――『華麗砲』ッ!」

海は、カレーパンの言葉を受け突如うねりだす!
まるで意志を持っているかのようにMACHIに迫り、MACHIはこれを焼きそばパン爆殺によって辛うじて相殺。
飛び散った飛沫の一部がMACHIの素肌に当たり肉が焼け、少女は涙を浮かべた。

「――カレーパン先輩! 邪魔しないでください! ファッキンシットですよ!」
「そうはいかん」

この戦いは、カレーパンからMACHIに仕掛けたものだった。
MACHIには狙われる覚えはなかった。確かに、たまに後ろの人たちに焼きそばパンを投げて爆殺しかけちゃったりしたけど、でもそれくらいだ。
もちろんこれは争奪戦。下位が上位を潰しにかかるのは至極当然とは言えた――が、カレーパンには確固たる理由があった。

「その戦闘スタイル……焼きそばパンの男の末裔が放った刺客だな?」
「……ファック?」

カレーパンが自信満々に放った言葉が、MACHIにはよく分からなかった。
MACHIの怪訝な目つきに鼻を鳴らし(あるのかな)、カレーパンは語り続ける。

「とぼけても無駄だ。――伝説の焼きそばパンがカレーパンの末裔たる俺の手に落ちることを危ぶみ、
 保護するために遣わされたのだろう? ならばやはり、ここで潰すしかあるまい!」
「違います! 焼きそばパンなんてクソくらえです! あんなクソボケども――」
「フン、よく訓練されているようだな? だが、問答無用ッ! 行くぞッ、『華麗拳』ーッ!!」
「サノバビッチ! ファックイエー!!」





第2グループ――とも呼び難いが、ここはゴールまで残り1.5km地点。
麻婆豆腐イン中華鍋――またの名を、メアリとみらいのミンチクレーター地帯だ。
2人分のミンチ肉片はそれぞれ再生活動を始めており、うごうご蠢くさまは控えめに言って超グロかった。
なお、焼きそばパンVSカレーパンの攻防からここへの間は、2人の戦いの巻き添えになったモブ参加者が薙ぎ倒されて転がっているのみである。

そこへようやく、凶器となった高速飛行用デヴァイス“魔女の箒”の本来の持ち主が、透かし翅を畳んで降り立った。
時空を飛び越えて通学する、未来少女のメリー・ジョエルだ。

「だ、大丈夫かな……動く……?」

メリーは苦心して“箒”を引っこ抜き、気持ち悪いミンチ地帯からも移動させ、心配そうに調べる。
もしも壊れていたらコトである。争奪戦の勝率が豆粒以下に落ち込むとかそういうレベルでなく、
もっと切実に、家に帰れなくなるのだ。

(そしたらリリアの家に泊めてもらおうかな……あっ、その案貰い)

頭の中は存外お花畑だったが、手付きは的確。
ややあって、メリーは“箒”の起動に成功する。少なくとも、丸っきりダメというわけではなさそうだ。
もしかしたらいくつかの機能が停止していたりスペックダウンしていたりするかもしれないが、とりあえず一安心――というところで、

「やっほーっ! メリー・ジョエルちゃんでいいのかなっ?」

しゅたたんっ、と2人分の着地音。次いで、軽い口調の人物照会。
メリーが声の方へ振り向くと、目の前には手を繋ぐ2人の少女が立っていた。

片方は、見た目はメリーと同年代くらい。綺麗な女性だ。
アッシュグレイの髪をアシンメトリーにしていて、両目が糸のように細く閉じられている。
手を繋いでいない方の手に杖を握っている。おそらく、話しかけてきたのはこっちの人だとメリーは感じた。

もう片方は、メリーよりも遥かに幼い。小学校低学年くらいに思えた。
探偵チックな鹿撃ち帽を被り、これまた探偵チックなケープを合わせている。
その下には何故かサッカーのユニフォームを着用。緊張しているのか無口なのか、唇は真一文字に結ばれたままだ。

メリーの推測を肯定するように、糸目の少女が口を開く。

「ごめんなさいねっ、うちの相方はトゥーシャイシャイガールなんだっ! 可愛いでしょ? あげないよっ!
 そーーんでっ、代わりに助手のあたしが進行させてもらうけど、メリーちゃんね、
 ちょこっっっっと過ぎたオモチャ、使っちゃってるよね?」

ぞくり――! メリーの背筋が『良くない何か』を感じて震えた。
過ぎたオモチャ。それは『ハイライトサテライト』か、あるいはそれを使った時空跳躍のことか。
確かにアレは、数世紀分のテクノロジーをすっ飛ばしている代物だ。でも、どこからその情報を――

「ふんふん、『ハイライトサテライト』。なるほどねっ、名称まではたどり着けてなかった不覚をばっちり挽回だよっ!」
「っ!?」

ここに至って、メリーは相対する者の異常を認識した。
口に出していないはずの単語を読まれた。読心能力の類い――であるならば、
時空跳躍登下校のことも、どこかで誰かの心を読み、知ったに違いない。

「あなたたち……誰?」
「誰と訊かれても、しがない2人で1人の探偵あーんどその助手としかっ。
 あ、逃走も闘争も相当には遠そうだよ? なにせ――」

糸目の目配せ――瞳の動きは見えなかったが、確かにそれを感じた――に釣られ、メリーは他称探偵を見る。
その小さな指はまっすぐメリーを示し、指先に力強い真実と知性の光を漲らせている。

「なあ、推理光線って知ってるか? ――なーんてっ。
 安心していいんだよ、無抵抗な犯人をいぢめる命令も許可も趣味もないからさっ」
「……」

磔にされたように、メリーは動けない。
ただ情報アドバンテージを握られている以上の、得体の知れない脅威を、目の前の2人に感じていた。
特に、この――『人工探偵』の原点にして頂点たる『四季士(枝)』が三女・伊藤風露に対し。





「アナルパッケージホールドッ!」
「ウギャアアーッ!」

第3グループは、第1グループの被害者たち以上に悲惨であった。
舗装路に転がる生徒たちは、皆一様に男子生徒。そして、皆一様に菊門を押さえていた。
女子生徒は恐慌を来して林側へと離脱する者も散見され、多くの生徒が争奪戦から脱落していた。

それらの戦果は、奇妙な風体の男ただひとりによって挙げられたものだった。
筋肉質な男である。奇妙なのは、*(アナルマーク)がでかでかと描かれた白覆面で顔を隠し、
鍛え上げられた肉体を覆うのは、僅か白ブリーフと白靴下のみ。

ファイトスタイルも狂っている。彼は『アナルパッケージホールド』以外の言葉を喋らず、
狙うのも男子生徒の菊門ばかり。これまた鍛え上げられたイチモツはまさしく逸物(イチモツ)と呼ぶに相応しく、
一部のバッチコイな男子生徒やそういう嗜好を持つ女子生徒を除き、みなが恐れ戦いていた。

(ち、チクショウ……! このままじゃ、そろそろ俺ンとこまで来るじゃねえか……!)

冷や汗を流すのは、第3グループ先頭を走る一之瀬進。
白狼の爪牙や至近距離焼きそばパン爆破によるダメージも既に慣れ、ここから巻き返すぞというタイミングでの絶望的追手であった。あまりにも、不運!

だが、一之瀬は諦めない。
伝説の焼きそばパンを封印し、『大災厄』を防ぐ。そのために、あんな淫魔人なんかには絶対に負けない!

(考えろ……考えろ、進ッ!
 あの魔人は身体能力がズバ抜けてやがる。あんな非効率的な戦い方してるにも関わらず誰もヤツには勝ててねェ。
 しかも、アナルを掘りながらだってのに俺に離されねェどころか肉薄してるところもヤベェ。
 走行フォームも綺麗だ。それに、あんなマスクしながらバリバリ戦ってやがる。スタミナも相当だ。
 ……おそらく、ヤツの源流は格闘技ッてよりは、長時間のダッシュと激しいチャージを前提にしたスポーツ。
 ラグビーやアメフト、あとはサッカー、バスケ……その辺だ)

一之瀬の分析が展開される間にも、ひとり、またひとりとアナルパッケージホールドの餌食になってゆく。

「や、やめろ! 参っt、」
「アナルパッケージホールド!」
「ウギャアアーッ!」

とうとう、一之瀬のすぐ後ろを走っていた男子生徒も菊門を貫かれ脱落。
第3グループ、残るターゲットは一之瀬のみ――!

(クソッ! 考える時間が足りねェが、やるしかねえッ!!)

一之瀬はこの日何度目とも分からない腹を括った。
大丈夫だ。ベストではないかもしれないが、これまでの分析からベターな一手は導き出した。

(ヤツのスタイルを完全看破するには至らなかったが、それでも対策はとれる。ヤツには弱点がある!
 それは、ヤツがアナルファックしか狙ってこねェ正真正銘の淫魔人だってことだ!
 いくら強かろうが、狙いが分かってりゃそこを突くのは俺にもできる!
 作戦はこうだ。まずは一気に加速する。ヤツを振り切るかッてくらいの全力だ!
 ヤツは追おうとしてくるだろう。目の前の獲物が逃げようとしたんだからな。当然だ。
 だが、俺はそこで突如180度の方向転換をする! そして前傾になってるであろうヤツの顔面に、
 全力でドロップキックをブチこんでやるッ! これで攻略間違いな【省略】ウギャアアーッ!!」

一之瀬の悲鳴が響き渡った。





第4グループは上位陣とは異なり、統率された一団だった。
揃いの腕章を身に着けた、風紀委員チームである。率いるは、電撃使いの天雷テスラだ。
彼女たちも懸命に走っていたが、負傷者の保護なども並行して行っていたため、やや遅れ気味であった。

「……しかし、情報通りならとても厄介な相手ですね……その淫魔人モドキは」

通り過ぎた負傷者の多くがアナルパッケージホールドに屠られた者たちであったが、その中から
得た証言によれば、件の魔人は執拗にアナルファックを狙ってくるバトルスタイルだがこれはフェイクであり、
同格以上の相手と見るや、それまでのイメージを布石に真っ当な攻撃を仕掛けてくる、
非常に狡猾なエセ・セックス魔人――エセックス魔人であるというのだ。

テスラは唇を噛む。少し前に、彼女は3年の下ノ葉安里亜と出会った。
彼女はあの下ノ葉グループの会長令嬢にして、神に愛されたと言って差し支えないほどに完成されたスペックの持ち主だ。
容姿は(お姉様には当然及ばないながらも(テスラ主観))美麗の極みを尽くし、身体スペックにおいてもかなり高い。
無所属魔人の中では、間違いなくトップクラスの強さだ。それゆえに、アナルパッケージホールドの初見殺しを受けることになってしまったのだが――

なお、アナルパッケージホールドこと片春人は、正体を隠しアナルパッケージホールドという自分を貫くための特訓の中で完全に性癖を狂わされており、いくら人の身をとった無何有の郷とすら言える純粋完成芸術たる安里亜を前にしても、彼女の貞操を脅かすことはなかった。
それだけは、本当に良かった。

「ですが、尚更これ以上の被害は止めなければなりません。私も出来うる限りの力を尽くします」

風紀委員の一団に混ざる、唯一の非風紀委員・霊能力者の雲水が言う。
彼にも伝説の焼きそばパンを手に入れなくてはならない目的はあったが、それでも、目の前で傷ついている人間は放っておけず、
こうして風紀委員たちと同道していた。どこまでもお人好しな少年であった。

そして彼らが去った後の、舗装路を囲む木々のうちの一本を支えになんとか立つ美少女がいた。
先程から話題に出ていた、下ノ葉安里亜その人であった。が――やはり、手酷く打ちのめされた姿であった。
本来なら、ダメージを負おうともタブレット菓子ひとつで『馬鹿は百薬の長』を発動、全回復してみせるはずだ。
だが、ここでもアナルパッケージホールド――エセックス魔人の隙のない戦術眼により、取り出したタブレット菓子は目敏く奪われてしまっていた。
なお、土に汚れたプラチナブロンドも痣を残した顔も、その美しさを些かも減じてはいなかったことをここに付記しておく。

安里亜はボロボロな姿で、それでも争奪戦から脱落していなかった。
それは彼女の中にいる、唯一無二・絶対の『オヤビン』――緒山文歌のためだ。
オヤビンの役に立つことこそ、自分の喜び。ただひとつの存在理由だ。安里亜はそう考えていた。

「待っててくださいでヤンス、オヤビン……! オイラが、絶対に……!」

手頃な枝を杖代わりに持ち替え、一歩一歩、舗装路を進む。
しかし途中でバランスを崩し、べしゃりと転んでしまう。

「……ううッ。やっぱりオイラは、ひとりじゃ何も出来ないんでヤンスか……?」

安里亜の魔人能力『馬鹿は百薬の長』は、プラシーボ効果を現実に及ぼす。
その気になれば、疲労もダメージも全て取り去れる、強力な能力である。
例えば、安里亜が全幅の信頼を寄せる文歌などが、安里亜の傷痕に人差し指を掲げ「痛いの痛いの飛んで行けー」とでも唱え指をチョイッと振るだけで、
安里亜の負った全てのダメージが文歌の指し示す方角へ射出される、攻防一体の技となるだろう。

――だが今、ここにオヤビンはいない。
オヤビンのために、ヤスの全てを賭けて伝説の焼きそばパンを獲ろうとした。
でも結局、オヤビンがいなければ自分はお遣いひとつ出来なかった。

(……私は…………)
「おい」

這いつくばった安里亜の頭上に、聞き慣れた声が降った。





さて――第5グループ。
勢力的には、最後尾を走る者たちであった。見える影は、2人分。
殺伐たる争奪戦にそぐわぬ、お散歩でもしているかのようにゆったりのんびりと、それでも一応走ってはいた。

片や、ふわふわとした長いの髪を、右にふんわり、左にふんわり、歩を進めるごとに揺らしている。
2年生、須楼望紫苑。眠たげな顔をした、超がつくほどののんびり屋さんである。
紫苑は雲の上でも駆けるようなふんわりした足取りで、並走者に声をかける。

「えっとぉ……怪盗の、ミルキーウェイさん、でしたっけえ……?」
「う う う う う ~ っ !」

――ミルキーウェイ! こんなところにいたのかミルキーウェイ!
のんびりペースで2人が歩くのは、ゴールまで残り2.5km地点。
可憐塚みらいが無力化され、メリー・ジョエルも“箒”を剥奪されていた今、参加者最速なはずだったミルキーウェイこと天ノ川浅葱は、まだ500mしか進めていなかった。

( なっ、 なんで 紫苑ちゃん が …… !? )

思考すらも遅くなる、これが須楼望紫苑の魔人能力『夢心地悠長空間(トロイメライ)』。
紫苑を中心に最大で半径10m程に、万物の動きがのろっちくなる『のんびり空間』を展開する能力だ。
そののんびり度は、驚くなかれ――紫苑の普段ののんびりさと同等にまで、のんびりさせられてしまう。
つまり言ってしまえば、この空間に捕らわれたが最後、紫苑が能力を解除するまでずっと一緒にのんびりお散歩する羽目になってしまうのだ――!
『えっ、それ最高じゃね?』と思ったそこのキミ。筆者も同じ意見です。

それはさておき、早く進みたい浅葱には全く最悪な状況である。
懸命に足を動かしてはいるが、傍目にはのろのろとウォーキングしているようにしか見えない。

多少出遅れたとはいえ、そこからの浅葱の動きは限りなく最適解だった。
舗装路に踏み込む際、しっかりと魔人能力『見抜く』で路面コンディションを走査、
転びそうな段差があるポイントや脆くなっているポイント、隣接した林から不意討ちを行えそうな死角があるポイントなど、この舗装路の弱点を完全にインプットしていた。
ただでさえ速い脚に最適なルート選択。浅葱の逆転の方程式は完璧に組み上がっていたはずだった。

最初に追い抜こうとした相手が、能力を展開して呼び止めてきたりなどしなければ――!

「私、テレビとかあんまり見ないので、詳しく知らなくて申し訳ないんですがぁ……
 有名な、ドロボーさんなんですってねえ。いいですねえ、格好良いですねえ……」

とにかく早くのんびり空間を脱出しなければならない――! そう思うほど、浅葱の中の焦りは質量を増してゆく。
こんな時の習慣、自分の心理状態を客観的に『見抜く』こともしてはみたが、
浮かんでくる言葉ものろのろとしていて、余計にイラついてしまうのだった。

「あっ、そうそう、私のお友達がミルキーウェイさんの大ファンらしくってぇ。
 ミルキーウェイさん、頼めばサインを下さるって。すみませんが、お願いできますかぁ……?」

マイペースなトークを続けながら、紫苑はゆっくりと、抱えていたサイン色紙とサインペンを渡そうとする。

「宛名は、『瀬佳千恵』で……えっと、漢字はですねぇ」
( サイン ? したこと ない ん です けどぉ ~~ っ …… ! )

鈍化させられた思考になんとか鞭を打ち、浅葱は状況を整理しようとした。
紫苑の友人・千恵が本当にファンで、サイン欲しさに紫苑を利用したとは考えられなかった。
浅葱が『見抜く』で見た限り、千恵の思考は常に明瞭。友人を騙してこんな真似をするような人物ではないからだ。

ならば、サインのガセを吹き込んだ者がいる。何か狙いがあって、浅葱を足止めしたかった者が。
おそらくそいつは、偽の予告状を出したヤツと同一人物の可能性が高い。

「……でぇ、『ち』はいち、じゅう、ひゃく、せんの『千』でぇ」

紫苑は説明までどこかのんびりしている。とことんマイペースというか、邪気がない。
浅葱も話したことはあるから、知っている。

――それなら、素直に話せば能力を解いてくれるのでは?
ここにきて、浅葱は正解にたどり着こうとしていた。

「『え』は、海の恵みとか、山の恵みとかの『恵』み……」
「 あのっ ! ちょっと いい かな …… ? 」

浅葱が足を止め話しかけると、紫苑も足を止め、小首を傾げる。
良かった、聞いてくれそうだ――これなら

「 一安心 、 か 。 そう だな 」

ゆっくりと伸びてきた手が、浅葱の肩を叩いた。

「 僕も だ 。 『 買 っ た 』 」

瞬間、浅葱の――怪盗ミルキーウェイのコスチューム、星空をイメージしたドレスが、消えた。
突然のことで、浅葱もすぐには気付けなかった。
なんだか身体に解放感があって、目の前の紫苑が「きゃっ」と自分の瞳を手で隠し、そういえば何かが触れたなあとゆっくり振り向いて、林の中に消えてゆく人影の手に、私のドレスみたいな布が――

「 ―― き ゃ あ あ あ あ あ あ あ あ !! 」

浅葱がせっかくの争奪戦だからとちょっと気合を入れて付けてきた勝負下着を隠すまで、30秒くらいかかった。





「――下心君の注文、『怪盗ミルキーウェイのドレス』。ミッションコンプリートだな」

林の中をジグザグに駆け、もう問題ないだろうという場所まで来て、男はようやく人心地ついた。
ミルキーウェイの衣装を奪うという大胆なことをしたとは思えない、ひ弱そうなメガネ男子だった。
男の名は、仕橋王道。御年21歳(4留中の3年生)。
パシリの王を志す求道者にして、ミルキーウェイの偽予告状を出した犯人であった。

全ては、彼がパシリの王になるために自らに課した試練であった。

巷を賑わせる怪盗ミルキーウェイ。あらゆるセキュリティを突破し、獲物を狩る世紀の怪盗。
そんな彼女と競い、勝つことができれば、自分はパシリの王に大きく近づくだろう。
そのために、王道は伝説の焼きそばパン販売を利用した。

ミルキーウェイのターゲットとなる対象の場所の偏りから、彼女が都内在住の可能性が極めて高いことは明らか。
よって、怪盗を釣る餌は伝説の焼きそばパンに決定。偽の予告状をしたためる程度、彼には一晩もあれば容易だった。
確実に呼び寄せるためにその日のうちにミルキーウェイのファンサイトや掲示板へのリークも行った。

あとは、王道の魔人能力『Pa.Si.Ri』――パシリ行為に限り、強制的に購入を完了させる能力の条件を満たすこと。
これには、彼のお得意様である、旧校舎の一室を根城としたモヒカン十傑集のひとり・下心負彦(したごころ・まけひこ)が役に立った。
下心は、怪盗ミルキーウェイの大ファンであった。昨日のパシリの後、翌日の注文をまとめる際に、下心は仕橋に『ミルキーウェイのドレス』を注文した。

その注文をする時の、下心の葛藤は計り知れない。

下心はミルキーウェイのファンだった。彼女を心から応援していた。
だが、憧れの女の子のリコーダーだとか体育着だとか、そういったものに対する背徳的な欲求は多くの男子が抱いたことがあろう。
古今東西、欲求と理性の戦いは数限りなく繰り広げられてきた。
同じことだ。下心は、ミルキーウェイが手の届く場所にやってくる状況に、心の底から苦悩した。

――だが、彼は理性は惜しくも下心に負けてしまった! そのことを、一体誰に責められよう!!

また、注文の品についても葛藤があったに違いない。

マスク。彼女の秘められた素顔を唯一知る、そのマスク。
彼女の正体が明るみになってしまうのは、期待半分不安半分、そして極上の背徳感があった。

シルクハット。彼女の頭に乗った、そのスマートさの象徴。
可愛らしく揺れるツインテールの、その匂いがたっぷり詰まっているに違いない。

ドレス。彼女の、女性としてもっとも大事な部分を隠す、まさに最重要機密。
その夜空はまさに彼女そのもの。そしてもしかすれば、ドレスの下に隠された秘境を、目にすることも可能かもしれない――!

下心はやはり、激しく懊悩したことだろう。
彼の中の悪魔と悪魔と悪魔がそれぞれ殺人凶器を手に、血で血を洗う戦いを繰り広げた。

どれもミルキーウェイにとって大事なものだ。
マスクは彼女の隠された素顔を見るためのチケットだし、
シルクハットは髪の匂いを詰め込んだ宝石箱だし、
ドレスはその下の身体を隅々まで観察して彼女が本当に発育が遅れ気味なのか確かめたくて仕方ない。
ああ、どれにすればいいんだ!!

――だが、最終勝者はドレスの悪魔だった。どちらかといえば下心に負けてしまったことになるのかもしれない! しかしそれを誰に責められようか!!

注文を受理すれば、あとはミルキーウェイに接触するだけだ。
布石はいくつか打っていたが、その中で最も成功率の高かった須楼望紫苑にかかってくれたのは王道にとって幸運だった。
彼女の友人がミルキーウェイのファンであることとサインを欲しがっていることを吹き込み、あとは2人が立ち止ったタイミングでドレスに触れるのみ。
『夢心地悠長空間(トロイメライ)』は強力な能力だが、それは動いている時が脅威なだけで、止まっていればそれほどではない。
ゆっくりと手を入れ、ゆっくりと出す。金魚掬いの要領だ、と彼は考察していた。

こうして仕橋王道は自らに課した強敵を討ち果たし、パシリの王への道を進んだ。
伝説の焼きそばパンも獲物として申し分なかったが、自分にはまだ時間はある。そのうちまた出会う時もあろう――彼はそう思っていた。

なお、須楼望紫苑は動きこそ鈍いが割と普通の女子高生だ。
騙されたらそりゃあいい気分じゃないし、女の子をひん剥く男もかなりどうかと思う。
「むううう」と頬を膨らませた彼女の怒りが王道に襲い掛かるのは、また別の話だ。



TRACK05



「――はあ、はあっ」

少女――MACHIは満身創痍だった。
ガールズバンド衣装制服から伸びる素肌はところどころが赤く腫れ上がり、瞳には大粒の涙を溜めている。
その向かい、こんがり頭のカレーパンは、表情こそ見えないが纏った雰囲気からは余裕が感じられた。

「この程度か。焼きそばパンの刺客よ」
「ッ……ファック!」

MACHIが焼きそばパンを投擲! しかし、明らかに勢いがない。
カレーパンはやれやれといった態度で、掌を掲げ、

「華麗砲・散ッ!」

すると掌から拳大の激辛カレー塊がいくつも射出!
激辛カレー塊は焼きそばパンを粉砕し、なおも降り注ぎMACHIの肌を焼く!

「――あッ! う、あああっ!」

煙があがるほどの熱とスパイスにMACHIも思わず悲鳴をあげる。
2人の抗戦開始より1分少々――力の差は歴然と言って差し支えなかった。
焼きそばパンを打倒すべく力を磨いてきたカレーパンと、ライブハウスという奇襲に特化した戦場で非魔人のバンドマンだけを相手にしてきたMACHI――その差だった。

「ううっ……負けない……! クソッタレ……!」

それでもMACHIは、不屈だった。
瞳の中の反骨精神――ロックンロールは消えず、カレーパンを睨んでいる。
カレーパンは嘆息し、そろそろ引導を渡してやるか――そう考えた時だった。

「ちょっと、失礼するわ」

その影は、林の中より現れた。
細身の少女だ。眼鏡をかけ、髪を細いお下げに編んでいる。大人しげな印象を抱きがちな外見だが、
制服の下の肉体は、この争奪戦でもトップを争うほどに鍛えられた捕食者のそれであった。
そんな少女が、カレーパンとMACHIの間に立っている。

「久留米か。俺と焼きそばパンの因縁に割って入って、何の用だ?」

久留米――3年の調達部員、久留米杜莉子。
これまでは脇の林を駆け抜けていたため表には姿を現さなかったが、彼女も今回の争奪戦の参加者、
それも、有力な優勝候補のひとりであった。
林の中は日中でも暗く、不思議と磁場の歪みすらある小さな樹海。サバイバル経験のある者か特別なナビゲーションのある者以外は踏破困難だったが、逆に言えばそれらの条件を満たす者にとっては舗装路よりも争いの少ない近道足りえるのだ。

「私が用があるのは、そっちの1年生の子よ。カレーパン君」

杜莉子はMACHIを見下ろす。

「あなた、その焼きそばパンを使って戦ってたわね?」

言葉には、怒気が込められている。
杜莉子は『美食屋』だ。食べ物を投げ、爆殺したり射殺したり、とにかく蔑ろにするMACHIを許せなかった。

「いいこと? 私たちは食材に生かされている……それをもっと自覚して、」
「ファック!」

話の途中にMACHIは攻撃を仕掛けた。
退屈なMCに付き合う必要はない――それがロックバンドの対バンの常だ。
相手が生半なバンドマンならそれで充分だった。だが、相手は、本物の強者だった。

「――――ッ!!」

一瞬のうちに、MACHIは吹き飛ばされていた。
舗装路すぐ脇の木々、その一本に背中を打ち付け、崩れ落ちた。

「……これに懲りたら、もっと『いただきます』と『ごちそうさま』が言える子になることね」

杜莉子の右腕は、巨大なすりこ木状に変化していた。
彼女の能力『食戟のソーマ』。肉体の一部を直線状の調理器具や食器に変える能力だ。
MACHIを神速のカウンターで打ち倒したすりこ木が元の細い右腕に戻ると、杜莉子はカレーパンの方を振り向いた。

「他人の獲物を横取りとはな。テーブルマナーのなっていないことだ。――挑発のつもりか?」
「だったらどうする?」

カレーパンと久留米杜莉子。
同学年であり共に料理・食事系の部活に入っている2人は、その実仲が悪かった。
理由は明白だ。さっきも言った通り、杜莉子は食べ物を粗末にすることを良しとしない。そしてカレーパンの武器は何を隠そう、カレーである。
2人はこれまでも、口喧嘩からちょっとした牽制まで、何度か小競り合いをしている。
だが、本気の戦いというのはこれが初めてであった。

「あなたとは、一度ちゃんと白黒つけなきゃいけないと思ってたのよね」
「フ。いい機会だ。お前を倒し、それを以て焼きそばパンの刺客の首級としよう」

2人の間を静かな緊張が駆ける。
それはカレーパンが最適に揚がるのを待つ時や、極上の料理を前に涎を飲み込む時のような、神聖なる緊張だった。
やがて――2人は新校舎の方角に、大きな『気』の膨れる気配を感じた。それが合図となった。

「『華麗脚』ッ!」
「『フォーク』ッ!」

カレーパンの蹴撃を杜莉子のフォーク状右手が受け止める!

「『ナイフ』ッ!」
「『華麗掌』ッ!」

返しの杜莉子のナイフ状左足をカレーパンの掌が流水の動きでいなす!

目まぐるしい攻防! カレーパンと杜莉子は攻守をたびたび入れ替えながら円舞のように交戦する。
型に忠実で隙がなく中距離攻撃も威力絶大なカレーパンと、高い身体能力とプロの美食屋に劣らない実戦経験を持つ杜莉子。
2人の実力は伯仲している。――その中で、杜莉子はカレーパンの弱点を看破していた。

(1年の子から漂っていたスパイスの匂い――。道中の分は回復されてたとしても、
 カレーパン君のMCP(Max Curry Pointの意)なら、大技はあと一回くらいが限界ね)

杜莉子は鼻が利く。
生来持っていた優れた嗅覚は美食屋としての活動の中で鍛え上げられ、カレーパンが華麗流の技をどれだけ使ったかなど、戦闘を見ずとも手に取るように分かった。

カレーパンにあって杜莉子にない弱点。それは技の弾数制限であった。
『華麗流』の技のうち、カレーを放出する『華麗壁』と『華麗砲』は、カレーパンの体内カレー貯蔵値――CP(Curry Pointの意)を消費して行使される。
必然、それには最大体内カレー貯蔵値、すなわちMCPという限界が存在する。
CPを回復するためには、カレーパンは水分補給をしなければならない。

この隙が看破されていることは、もちろんカレーパンも理解している。
故に、互いの認識は一致していた――補給のタイミングが勝負を決める、と。

カレーパンはCP消費のない『華麗拳』や『華麗脚』をメインに機を窺う。
対する杜莉子は派手に攻めたてる。たまに敢えて隙を見せ、敵の行動を誘った。
それには乗らなかったが、次第にカレーパンは防戦を余儀なくされ――そして、遂に。

「ッ――『華麗爪』ッ!」

カレーパンが鉤状に構えた右手を振り抜くと、カレーの軌跡が杜莉子に襲い掛かる!
『華麗砲』応用、『華麗爪』。
杜莉子はこれを受け、熱とスパイスに顔を顰め――だが、耐えた。

(ここッ!)

補給体勢に入るつもりか、カレーパンはややゆっくりと、下がろうとしている。
このタイミングで攻める! 杜莉子は右手に『食戟のソーマ』を使用し――

「――がボッ!?」

――そして、カレーの海に呑まれた。
カレーパンは腕を振り上げた姿勢で、荒い息をつく。残存CP限界ギリギリの『華麗壁』だった。

カレー闘法『華麗流』。カレーパンはその3段を認定されていた。杜莉子もそれを知っている。
だが、伝説の焼きそばパンの報を知ったカレーパンは来たる決戦に向け大型連休に強化特訓を行った。
山奥の古びた道場。新ヒロインくりむとの共同生活。風変わりな特訓メニュー。道中で助けた老人は、エーッ!?師匠の師匠でくりむのお爺ちゃん!?
――そんな単行本1.5冊分くらいの修行を経て、カレーパンは華麗流4段の実力に目覚めていた。
それに応じてMCPも増大しており、久留米の目算を覆すことに成功したのだ。

『華麗壁』の攻勢応用『華麗牢』――敵を直接『華麗壁』の中に閉じ込める技は、強烈だ。
少なくとも、数秒の時間は稼げる。カレーパンはナップザックから水筒を取り出し、

「――甘いわね」

その顔面を赤く腫らしながら、杜莉子が笑った。

「銀座で戦ったカレーニトロの方が数倍辛かったわッ!!」
「ッ!?」

馬鹿な、カレーの海の中で発声を――否、杜莉子は既にカレーから解放されている。その右手は、お玉。
カレーを高速で平らげながら、お玉でカレーを掻き出して脱出したか。だが、見てから精製したのでは間に合わない速度――
ということは、杜莉子は読んでいたのか。この一撃を。

カレーパンが杜莉子の目算を上回るMCPを備えていたように、杜莉子の嗅覚も、数日前に覚醒したクルメ細胞により鋭さを増していた。
それでも、MCPを精確に測れたわけではない。だが、以前より力量が増していることは明白だった。
そしてそれだけ分かれば、最後の一撃分を温存していることは予想できた。

杜莉子の左手は、MACHIを倒した時と同じくすりこ木に変化している。
『華麗壁』から『華麗砲』への遠隔操作は術者との距離に応じたラグがある。杜莉子の方が速い。
フィニッシュブロー! 繰り出されたすりこ木がカレーパンを打ち据えるよりも先に、前方から放たれた『華麗砲』が杜莉子を吹き飛ばした。

「――なん、でッ……!?」

吹き飛ばされた杜莉子を受け止めたのは、奇しくもMACHIが倒れた隣の木だった。
薄れゆく意識の中で、杜莉子は見た。カレーパンが構えた水筒。その中の、カレーの残滓を。

――体内精製カレーに拠らない、外部カレーの使用。
それが、華麗流3段と4段の最大の違いだった。
カレーパンは予め、切り札用の外付けカレーを水筒にストックしていた。補給用の水筒数本と合わせた重量は中々のものだったが、しかし、準備は人を裏切らない。
『華麗牢』で倒せればそれで良し。突破されても切り札がある。二段構えの策だった。

「……久留米よ。お前は『食べ物で戦うなんて』と言うがな。俺の考えはむしろ逆だ。
 俺はカレーを心から愛している。だからこそ、戦いの場で最も信頼できる相棒に、カレーを選んだんだ。
 苦楽を共にしたからこそ、俺たちは強くなれた。お前に、勝てた――」

久留米の意識は既になかった。
カレーパンは肩を竦め、水分を補給。そして、購買部への道を再び走り出した。



TRACK06



「アナルッ。アナルッ」

規則正しいリズムで、解説する必要もなく誰だか分かる人が走っている。
トップグループではMACHIが倒されたのと同刻――アナルパッケージホールドは、1.5km地点に到着しようとしていた。

貴種ホスト少女と吸血鬼少女が秒速200m衝突してできたクレーターを前に、
人口探偵探偵助手が探偵を伴い、未来少女と睨み合う。
ただでさえ濃い空間なのにアナルパッケージホールドまで来たら、とんでもないことだぞ!

「……アナル?」

そうしてアナルパッケージホールドこと片春人は気付く。前方数mに佇む3人の人影。
全員が少女であることに気付くと、真っ先に浮かんだ気持ちは落胆であった。
有体に言えば、男なら良かったのに。さっきまでの天国を思い出し、春人はまた股間が疼くのを感じた。

「おやっ?」

探偵助手・伊藤風露は軽い驚きを覚えた。
彼女の能力『天・地・則(てん・ち・のり)』は一言で表せば地平認識能力。
ないはずのところに地平を認識して歩むことや、文章の地平たる『地の文』を認識し読むことができる。
メリーが予測した読心能力というのは、当たらずも遠からじ。

故に当然アナルパッケージホールドの接近には気付いている。が、驚いたのはそれに対してではない。
探偵の少女と繋いだ手が、僅かに震えだした。恐怖と絶望が滲んでいる。
風露は最初、やってきた淫魔人の風体に怯えたのかと思った。
が、少し考え、真の理由に気付いた。

「あ、あちゃー。この展開は、あたしら最強探偵コンビでも推理しきれなかったね……!」

メリー・ジョエルも、春人の異常すぎるファッションに多少面くらっていた。
だが、その対面の探偵の心に吹き荒れた嵐は、勢いも性質もそれとは一線を画するものだった。

そういえば、名乗りが遅れていた。
小さな探偵の名を、片ルシスという。あの夜魔口FCの名カタパルト、片春人選手の実の娘である。

「――アナルッ!?」

アナルパッケージホールドこと片ルシスの父親こと片春人も、やや遅れて気付いた。
何故か娘がここにいることに。
この驚愕の事態においてすらキャラを貫いたことを、調教主たる夜魔口悪童は誇ってよい。

(ど、どういうことだ!? 何故ルシスがここに!?)

春人は激しく動揺した――が、自らのやるべきことは、しっかりと理解していた。

まず、絶対に正体がバレてはいけない! 元よりそうだったが、ここにきてその重要性は数段飛ばしでグレードアップした。
父親がこんなド変態みたいな恰好で高校に忍び込んで、うら若き男子高校生たちのアナルを爆掘りヤッホーで悦しみながら焼きそばパンをパシられてるだなんて、絶対に知られてはならない!
もし知ってしまったら、娘が絶望して「もう洗濯物一緒にしないで」とか言われてしまうかもしれない!!

「……うっ、うっ……!!」

幼女探偵ルシスは泣いていた。
その光景に、お父さんまたも激しく動揺!

そ、そうだよな! こんなザ・淫魔人みたいなマッチョ野郎が来たら怖くて泣いちゃうよな! お父さんは結構タイプだが!
えーっとこんなときは……そうだ、ルシスの大好きな怪盗ミルキーウェイの非公式応援ソング! あれを踊れば泣き止むか!?
お父さんな、アレ踊れるようになったんだぞ! 悪童さんと一緒に踊ったり、ミルキーウェイコスした悪童さんをファックしたりしてるうちに、すごく詳しくなったんだからな!
もう夕飯時にサッカーの話ばっかりするようなお父さんじゃないぞ! だから、今度から話しかけたら答えてくれよな!
さあ、一緒にミルキーウェイの話をして、一緒に踊ろう! ホラ、ハイハイハイハイ!!

「う、うわああああああああん!!!」
「わっ、っとっとっとっとーー!」

幼女探偵ルシスは、四季士(枝)が三女・風露に見出される程の素質を備えた有能な探偵である。
この年にして推理光線を使いこなし、どんな凶悪事件にも物怖じせず犯人を躊躇なくしばき倒す胆力を持っている。
だが――それでも、実の父親のこんな有様を見せられては、年相応に号泣しながら逃げてしまっても無理からぬものであった。

「ルッ……アナッ! ルアナッ!」

娘の名前を叫びかけ、寸でのところで軌道修正!
春人の機転のゴイスーさたるや! これには春人自身もクリビツテンギョー! 

娘は傍らの助手を連れ、林の中へと消えてしまった。
アナルパッケージホールドとして伝説の焼きそばパンを狙うべきか。
それとも片春人として、娘を追うべきか。

彼はしばし悩んだ。
そして、

「――アナルパッケージホールドォーッ!!」

絶叫しながら林の中へと走って行った。
やっぱり俺、家族が大事!!





「な、なんだったんだろう……」

一部始終を、メリーは口をぽかんと開けて見ていた。
探偵たちのことは、結局うやむやになってしまったが、なんというか、あんまり考えないようにしようと思った。
メリーは軽い頭痛を感じながらやっとの思いで“魔女の箒”に跨り、伝説の焼きそばパンを勝ち取るべく浮上する。
それからややあって、光の帯が舗装路上を走り去っていった。





それから、さらに数分後の1.5km地点。
今ここに、フォーカスすべき者は誰もいないはずである。
否――いる。それは、バラバラになって久しい安出堂メアリと可憐塚みらいである。

常人であれば一片の希望もなく惨殺死体の有様だが、2人は共に高い生命力・再生力を備えていた。
貴種ホスト少女と吸血鬼モドキ少女――2人の肉体は、ランナーに通り越され探偵と未来少女が交錯し父が娘を泣かせている間も、着々と再生を行っていた。

ただし――似た者同士なこの2人。
ある1点において、まさに致命的な差異を抱えていた。

頭を潰されない限り死なないメアリと、棒状の物で心臓を刺されない限り死なないみらい。
より死ににくいのは、後者であろう。その所為かは知らないが、単純な再生力ではメアリに分があった。
それは五体がすぽーんとバラバラになる程度なら即座に集め直すこともできる程だが、挽き肉くらいバラバラになった今だと、細かな肉片がウジュルウジュルと蠢いて相互にくっついてゆくくらいが関の山だった。
遅々とした足取りながら、それでもみらいの方よりは速かった。だってホラ、もう手くらいは元に戻ってる。

すなわち今、このミートソース2人前なうな一帯において、安出堂メアリが再生イニシアチブを握っていた。

手が復活してからのメアリはさらに速く、ぞわぞわ蠢いては肉片を集めて成形、身体のパーツを次々と復活させてゆく。
しかも、やっぱり恐ろしいのはメアリの頭と品性の悪さで、ぶっちゃけみらいのもののはずの肉片まで一緒にこねこねし、血肉の一部とさせていた。

(これがホントの合挽き肉、みたいなー?)
(えっ、ちょっ!? う、嘘でしょ!?)

みらいも必死に再生を急いでいたが、無慈悲なまでにどんどんメアリに奪われていく。
狼瀬白子を従えチートコンビで争奪戦独走を図ったからと言って、そこまでされる謂われはない!

「う゛あ゛ーー、美味し、美味し」

挙句の果てにはヘルメットのバイザーを上げ、首だけでゴロゴロ転がりながら通ったところの
肉片を根こそぎ食っている。本当に、それはどうかと思う。

――そして、みらいにとって悪夢のような数分が経過して、“それ”は誕生した。
ヘルメットを被った少女だ。烏の濡れ羽のような艶のある黒髪が、ヘルメットから溢れて腰まで流れている。
肌も、病的なまでに白い。それでいて、ホスト神拳を扱うに相応しい、健康的に引き締まった肌だ。
ヘルメット下部、口元からは、だらしなく鮮血が零れている。ホラーここに極まれりであった。

彼女はもはや、安出堂メアリでも可憐塚みらいでもなかった。

ベジータとカカロットが合体してベジットになるように、
ヤムチャと天津飯が合体してヤム飯になるように、
神様とピッコロさんが合体して神コロ様になるように、
彼女もまた、新しく生まれ変わったのだ……そう、その名は、

()()とみら()が合体して、メリー!!
ハッピーバースデー、メリー!!

「ううーっ、いっけない。ついつい急ぎすぎてドジやっちゃった……私ッたら、あわてんぼ!」

メリーゾンビはきゃぴっ☆とガーリィかつスプラッタにポーズをキメて、ついでにおなかがグゥと鳴った。

「ああー、そうだった。私、伝説の焼きそばパンが食べたかったんだった」

手を打って目的を再確認し、メリーゾンビはクレーターをよじよじ、舗装路に戻る。
そして、ぴちゃぴちゃと血を滴らせながら購買部へ走り出した。

「――と、とんでもないメに遭った……!」

メリーゾンビが充分離れたのを見計らい、“彼女”は脇の林から姿を現した。
その背丈、およそ3cm。長い黒髪に白い肌、背中にはパタパタ動く蝙蝠の羽。
多少疲れ切ってはいたが、危うい美麗さを湛えたその顔。
――可憐塚みらいであった。

メアリに肉片をどんどん奪われ、元の身体への再生が無理だと悟ったみらいは、苦肉の策を打った。
メアリの目が届かない位置の肉片を最低限集め、ミニマムサイズの自分を辛うじて構築。
小さな身体を懸命に飛ばして木の陰に隠れ、なんとかやり過ごしたのだった。

「……みらい、よく生き残れたなあ……ちょっとした奇跡だよね」

他人事のように感心するみらいだが、現象自体はそれほど不思議な話ではなかった。
何故なら、みらいの能力は本来「可憐塚みらいを彼女自身の望む存在に変える」能力なのだ。
生命の危機に瀕し、全部が食い物にされてしまうことだけは防ごうと能力が本来の意義を取り戻したに過ぎなかった。

とはいえ、歪んだ形で固定されていた能力が数年の時を経て蘇った反動も大きく、
先刻まで持っていた能力効果の大部分は失われてしまった。
今のみらいには、血液を好物とする手乗り吸血少女であることしか能力のアイデンティティは残っていなかった。

「焼きそばパン、食べたかったけど……みらいが食べられちゃ、元も子もないもんね……はあ……」

肩を落とし、チビみらいは来た道を引き返すのだった。



TRACK07



またも、MACHIが木に叩きつけられたのと同刻へ戻る――。
ただし、場所は遥か後方。死屍累々たるその場所で、
主と従とが向かい合っていた。

「オ……オヤビン」

安里亜が絞り出すように言う。
這いつくばる彼女の見上げた先には、彼女の主――緒山文歌だ。
まだスタートしてから1kmくらいの地点だったが、文歌は汗をダラダラ、息はゼエゼエ、もうかなりヘトヘトっぽかった。

文歌の顔を見て、安里亜はおどけたように笑い、立ち上がろうとした。

「へ、ヘヘヘ……申し訳ないでヤンス、オヤビン! お見苦しい姿を……!
 でも大丈夫でヤンス! 全てこのヤスにお任せをでヤンス! 必ずや、」
「ヤス」
「アヒィ! はッ、ハイでヤンス!」

文歌に遮られ、ピシッと気を付けする安里亜。
文歌は言葉を続ける。

「前に言わなかったか? 伝説の焼きそばパンなんざいらねェって」
「や、ヤンス……」

確かに、言っていた。
世間話程度に文歌が口にし、安里亜は「欲しいんでヤンスかオヤビン!?」と訊いた。
オヤビンの役に立つチャンスだと思い力が入った。だが、文歌の答えはNOだった。

「ヤ、ヤンスけど、オヤビン、そのあと言ったでヤンス……!」

伝説の焼きそばパンはいらないと言った文歌に、安里亜は問うた。

――なんでも願いが叶うんでヤンスよ? オヤビン、欲しいものないんでヤンスか?

と。
それに対し文歌は、しばし口を噤んだ後、呟いた。

「『強くなりてェな』って……! だから、オイラは……!」
「伝説の焼きそばパンに願うつもりだったのか? アタシが強くなりますように、って」
「ヤンス……」

安里亜の肯定に、文歌は拳を振り上げた。
「アヒィ!?」と身構える安里亜だったが、拳はそのまま止まったままだった。

「お、オヤビン……?」





ヤスは、スゲェヤツだ。
わざわざ言わなくたって、みんな分かってる。
あの日だって、番長グループの魔人を何人も、軽々ぶっ飛ばしちまった。

ヤスは言った。『オヤビンに仇なす愚かなクズども』と。
じゃあ、そいつらに負けたアタシはなんだろうと思った。クズ以下か、と。
ヤスに悪気がねェことくらい分かる。あいつはただバカで、ただアタシを神かそれ以上の存在と思ってるだけだ。

ただ――強くなりてェ、と思った。
本当に神以上の存在に、とは言わねェ。ただ、それでも。
あのヤスに、アタシの超スゲェ子分に恥じないくらい、強くなりてェ。

そう、思った。





「……神頼みとか、そんなモンで手に入った強さを、アタシが喜ぶとでも思ったか?」
「ヤン、ス……」

文歌は拳を解き、手を下ろす。そのままポケットに手を突っ込み、なにかを取り上げた。
そしてそれを、安里亜の顔面に叩きつけた。

「――それじゃア神以下の強さにしかなれねェじゃねーーかァーーーッ!!」
「ヤンス~~~~ッ!?」

バシーーーン!! 安里亜の顔面が小気味良い音を立てる。精一杯の強がりが込められた音だった。
安里亜は顔を押さえゴロゴロ転がったが、文歌のハンドボール投げの記録は2mくらいだし、投げたものも全然重量がなかったので、ダメージはゼロだ。
それでも安里亜は鼻を押さえながら気を取り直し、投げられたものを手に取った。

「これ……オヤビン……!?」

それは、焼きそばパンだった。
スカートのポケットに押し込まれていた所為で結構くしゃくしゃでほんのり生温かったが、焼きそばパンだった。

「もしかしてオヤビン、既に伝説の焼きそばパンを~~~!?」
「違ェーーーよ!! フツーに売ってたやつだ!」

焼きそばパンは、文歌が安里亜への差し入れとして通学時に買ったものだ。
安里亜が争奪戦に参加する予感はしていた。おそらく、文歌のために。
大きなお世話だった。ふざけんなだった。

……それでも、文歌のために頑張る安里亜に、何か出来ることはないか。
慣れない自問だった。
結局、安里亜の言う『勝者の昼食』を差し入れるくらいしか思いつかなかった。

「願いはクソくらえだが、まァ、行って来い」
「い、いいんでヤンスか!?」
「あァ。……ソレは、いらねェならいい。捨てる」
「そんなワケねェでヤンス~~ッ! 命を懸けて頂くでヤンス~~~ッ!!」

安里亜は差し入れの焼きそばパンを、宝物か何かのように見つめ、深呼吸。
ビニールを開け、一気に貪り食う!

「ハフッ! ハムハフ……ガツ! ガツガツ! ハフッ!

 ――――ッ!!」

その時安里亜が受けた衝撃を、精確に言い表すのは難しい。

確かにその焼きそばパンは、くしゃくしゃだし、生温かいし、ぶん投げられてるし、
まるで灰かぶりの召使いのようなみすぼらしさだったはずだ。

――だが、おお!
そのソースのパッションに溢れた甘辛い刺激!
トッピングの紅ショウガと青のりがクールに旨みを調節!
それらを包み込むコッペパンの柔らかさ、まさしくキュート!
まさに――魔法にかけられたような美味しさ!!

「ヤ……ヤンスーーーッ!!」

安里亜、咆哮!
その周囲に、バチバチと強烈な中2力が迸る!

みなが求める伝説の焼きそばパン――その御利益の正体は、諸説ある。
ある者は言う。それは魔人能力であると。
ある者は言う。それは怪しい薬であると。
そして、ある者は言う――壮大なプラシーボであると!

安里亜が神以上に慕う、オヤビン・文歌に貰った焼きそばパン。
そんな代物、伝説の焼きそばパンなんて比べ物にならないくらい極上な、この世で一番強いヤツだ!
そして、プラシーボ効果という点において――『馬鹿は百薬の長』を持つ安里亜こそぶっちぎりの凄い奴だ!

安里亜の身体から、眩い閃光が放たれる!
文歌も咄嗟に目を覆った。数秒後、目を開いた時――そこにいたのは――

見よ! 安里亜の負っていた傷が、全て完全に回復している!
それだけではない――プラチナブロンドの髪は色彩を増し、鮮やかなブロンドに変貌!
そしてその髪は重力に中指を突きつけるかのように逆立っている!
極めつけは、安里亜が纏う強烈な黄金のオーラ!

そう、安里亜は覚醒したのだ――
激しい舎弟魂を持ちながら、それより激しい親分の差し入れによって目覚めた、
伝説のパシリ――スーパーヤンス人に!!

「――オヤビン。行ってくるでヤンス」
「おう」

短い言葉を交わすと、安里亜は飛ぶようなスピードで駆けて行った。
彼女の過ぎ去った道に、細い光の尾が生まれ、すぐに消える。

――慣れないこのひとりぼっちの不良(ピンヒール) 10ヤンスの背伸びを

――誰か(オヤビン)魔法で変えてください 世界でいっとーヤンスな奇跡に

――この世はSAY☆いっぱい輝くでっかい宝島

――運命のドア開けよう そうさ今こそアドベンチャー!



TRACK08



「あねさまー! あねさまー!」

林の中――少女の絶叫が、もうずっと響いていた。

人口探偵・柊車前草(ひいらぎ・しゃぜんそう)はとある任務を与えられており、
林の中を歩む形で伝説の焼きそばパン争奪戦を進んでいた。
だが、食べ物の匂いを敏感に察知した、ヘルメットを被った白肌の少女に捉えられ、こうして物理的に食べられていた。

捕食者を、メリーゾンビといった。
メリーゾンビは車前草を捕まえると、ホスト特有のオラオラにより主導権を握り、
その身体をどんどん食べていった。既に両腕はなく、左足も半分食われている。

「はんむはんむ。あー、この子は脚が美味しーねえー。はんむはんむ」
「あねさまー! あねさまーー!!」

車前草は粗製乱造が著しい人口探偵業界にあってとりわけ低コストで作られた個体で、
専らまともな言葉を話すことができず、「あねさまー」と鳴くことしかできない。
それでもその安価さとどことない可愛さから愛玩用としての人気はそこそこで、
サポート役の探偵を伴う必要のない上位の探偵がマスコット的に携行する場合が多い。

それでも『詩刑宣穀(ロー・シチゴ)』という魔人能力をもつ一端の探偵であり、
この何らかの恐るべき推理能力でふつうの相手なら問題なく処理できる可能性もあった。
全ては相手がメリーゾンビ――頭を潰されない限り死なない貴種ホストだったことが運の尽きだった。

その時、2人の傍の木に矢のような電撃が刺さった。

「んあーー?」
「そこまでです」

次いで、言葉。
メリーゾンビは車前草を一旦捨て、緩慢な動作で振り返る。
セミショートの金髪にナイロールメガネが眩しい、風紀委員の天雷テスラである。

「あはは? いやだなあ風紀委員さん、別にヘンなことなんてしてませんよおー」

何でもないような口調――実際彼女にとっては何でもないことなのかもしれない――で、
メリーゾンビはテスラへと歩み寄る。

「こういう林の中でぇ、盛り上がっちゃってぇ、みたいなの? コーコーセーならあるあるでしょー?」
「なっ……!」

軽薄な言葉に、テスラの頬がさっと赤くなる。
ホスト特有の攻撃パターン――出来損ないながらの色恋営業!
しかしながら、やはり出来損ない。ヘルメットの下からボタボタ垂れる血の所為で、発言信憑性は皆無であった。

「ホラ、言ったとおりだったでしょ? アイツ、超やっばいんだから」

テスラの耳元に小さな声がわめきたてる。
彼女の肩には、手のひらサイズ吸血少女になったチビみらいがしがみついていた。
引き返す最中のチビみらいは走ってきた風紀委員たちと遭遇し、安出堂メアリによってこんな姿になってしまったと泣きつく。
ちっちゃなみらいの小悪魔泣き顔に陥落(おと)された男子たちの懇願により、メアリことメリーゾンビを捜索していたのだった。
なお、雲水はなんとなくチビみらいを見ていられず、ここで別れて先へと進んでいった。

そう――見れば、テスラの後ろには風紀委員たちが勢ぞろい。包囲網を構築していた。
ただし、メリーゾンビにはこれは特に脅威には映らなかった。むしろ、いっぱい食べられると歓喜していた。
ふう、と一度息をつき、テスラはメリーゾンビを見据える。

「それ以上の行為は、風紀委員として見過ごせません。投降してください。さもないと――」
「ええー? どうしよっかなあ」

テスラの手に電光が瞬き、メリーゾンビはにたにたと笑う。
耳元では、チビみらいが「こてんぱんにやっちゃってーっ」と私怨満天で応援していた。

その後方を、スーパーヤンス人・下ノ葉安里亜が走り去っていった。





「――もしもし。もしもし!」

声を掛けられていることに気付いたのは、数度呼ばれてからだった。
身体を引きずるようにして舗装路を進んでいたMACHIは、傍らを見上げた。
丸っこい印象の少年だった。垢抜けてなさから、おそらく1年生だろうと思った。

「大丈夫ですか? その、」
「……今」
「はい?」
「何時か、分かる?」

MACHIの質問に、少年――雲水は腕時計をチェックする。
12時37分だと告げると、MACHIは舌打ちをした。

「ありがとう……ファック、急がなくちゃ……」

雲水はギョッとした。大人しそうな外見の少女が汚い言葉を使ったからではない(それもちょっとあったが)。
目の前の少女は、明らかに満身創痍だ。
華美な制服はところどころ破け、腹のところなど大きく破れている。背負ったギターケースもボロボロだ。
その腹のところには大きな火傷の痕が広がり、血が滲んでいる。それ以外の素肌も火傷と打撲の痕が目立っていた。

なお、腹の火傷の痕は、MACHIが自ら施したものである。
杜莉子の攻撃が命中する寸前、予め腹に仕込んでいた焼きそばパンを『爆殺』し後方へ吹っ飛び、当たりを浅くしていた。
そのおかげかは不明ながら、彼女はカレーパンと杜莉子の決着後程なくして目を覚まし、争奪戦に復帰していたのだ。
それでもダメージが甚大だったことに変わりはない。ストラップも千切れ、どっかにいってしまった。
MACHIは一歩進むごとに辛そうに顔を顰め、目じりから涙を零す。

「……そうまでして」

雲水は呟く。
MACHIは一瞬首を向けただけで歩みを止めなかったので、雲水は小走りで並び、もう一度口を開く。

「そうまでして、伝説の焼きそばパンを?」
「うん」

即答だった。そのまま、MACHIは言葉を継ぐ。

「……ぶっ殺したい」
「!?」
「絶対に。この手で」

雲水はまたも面食らう。
伝説の焼きそばパンを殺す? 食べたいではなく? 彼にはMACHIの言葉の意味が理解できない。
だがそれが本気であることは、こんな状態でも歩みを止めず、涙を零すその瞳が前を向いていることからも分かった。
そして、その身に纏う、確固たる負の感情からも――

実のところ、雲水がMACHIに声をかけたのは、満身創痍を心配したというだけではない。
その周囲に渦巻く大きな負の感情――それも、雲水が近づいても自然消滅しない強固なもの。
黙って取り払うことも可能ではあったが、雲水はそれを良しとしなかった。
まずは、話を聞こう。そう考えた。

「……理由を、訊いてもいいですか?」

雲水が踏み込む。
拒絶される可能性も考えた。だが、MACHIは歩みは止めずとも、少し言葉を探している様子だった。
沈黙は10秒ほど続いた。

「……必要なことだから」
「必要なこと、ですか?」
「うん。……私たちのために」

応答の間、MACHIの雰囲気も、周囲の負の感情の流れも、全くの不変であった。
雲水はかつて、師・龍玄から授かった言葉を思い出していた。

――強い負の感情を持つ者には、過去に大きな不幸を負った者も多い。
――そんな時、無闇にその負の感情を霧散させてしまうのは危険だ。
――その感情が、その者にとっての生きる理由になっていることがあるからだ。
――強い思いには、それだけの理由がある。
――雲水。お前には、『本当の負の感情』を見極めて浄化できる、そんな霊能力者になって欲しいと、私は思っているよ。

師の言葉は、雲水にとって経典にも等しい。自分としても、“そう”ありたかった。
『必要なこと』。『自分たちのために必要なこと』。――雲水は考えようとした。
考えようとしたところで、今度は逆に、MACHIが口を開く番だった。

「……あの」
「! はい?」
「ありがとう。本当に。……心配してくれてる、んだよね?」

MACHIは立ち止っていた。その頬が、微かに染まっている。
身長には差があった。自然、上目遣いにもなっていた。雲水は少しドキッとした。

「っ……そんな、私は、」
「でも、ごめんなさい」

言葉と共に、MACHIの手が動いた。
雲水の口には、MACHIの突っ込んだ焼きそばパンが咥えられていた。

「――ッ!?」
「私、クソなんだ」

同時に、雲水は焼きそばパンを介し口の中が凍ってゆくのを感じた。
『KILLER★KILLER』。MACHIは焼きそばパンを『凍死』させ、雲水の口を塞いだ。

「知ってるの。私。隣のクラスの雲水君……他人の負の感情を、消しちゃうんでしょ?」
「……!」

雲水は困惑し、よろめいた。相手の言ってることも、状況も、何も分からない。
構うことなく、MACHIは続ける。

「すごく、良い人だと思う。……でもね、心の底からクソくらえなの」

MACHIは既に歩き出している。
雲水は困惑した頭のまま、それでもなんとか対話を続けようと足を動かしかけ、
その足元を銃弾が抉った。MACHIの握った焼きそばパンには風穴が空いている。

「この気持ちは……このロックは、私たちだけのもの。
 他の誰にも触れさせない。奪わせない。寄り添わせない。――ファックオフ?」

言い放った表情は、泣く寸前の子どものようだった。
そしてMACHIは痛む足を押して走り出した。



TRACK09



「――待゛って下ざいッ!!」

走り出したMACHIは、直後に急停止を余儀なくされた。
少女は驚いて振り返る。その声の主が雲水だったからだ。

「ッ……痛っ……!」

雲水は口元を押さえた。指の間からボタボタと血が流れてゆく。
舗装路には凍った焼きそばパンが半分ずつ。それと、血に塗れた歯が一本。
――凍り付いた顎を無理矢理動かし、凍ったパンを噛み砕いたのだ。

「ファック!? 何考えてんの!?」

MACHIは軽く引いていた。自分でやっておきながら、である。
『放気』――雲水の技さえ防げれば、邪魔さえされなければそれでよかったのに。

「っ……私、は」

雲水は血が流れ続ける口を動かす。

「伝説の、焼きそばパン……に。集まった……負の感情を、浄化したい――
 他の者が食べれば、強い負の感情をその身に宿し……災いが、起こってしまう」

MACHIは足を止め、聞き入っていた。
自らの口を破壊してでも伝えたいのだろう、雲水の言葉に。

「……あなたは、伝説の焼きそばパンを殺害すると言った……それは、どういう意味なんですか?」
「えっ……どうもファックもなくて、そのままの意味、だけど」
「食べるつもりはない、と」
「うん」

頷いたMACHIに、雲水は「なら良かったです」と言った。
MACHIには、やはり理解できない。気でも狂ったのかと思った。

「な、なにが『良かった』なの?」
「私たちは、利害が一致したということですよ。
 私は、他の者が強い負の感情を取り込まないでほしい。あなたは伝説の焼きそばパンを食べない。
 ……違いますか?」
「違わない、けど……それが、あんなクレイジーなことする理由になるの?」
「ええ」

雲水は強いて笑顔を浮かべた。

「それならば、私たちはただ利害が一致しているだけの関係。
 私も、私自身のために……あなたの嫌がることをせず、あなたを支援できる。そうでしょう?」

雲水の言葉に、MACHIはしばし呆然とし……そして噴き出した。
身体の痛みも忘れ、しばし笑っていた。笑いすぎて涙まで出てきた。
心から笑ったのも、笑って涙を流したのも、『みんな』といる時以外では、初めてだった。

「……?」

笑っていたMACHIを、雲水は不思議そうに見ていた。
何故笑っているのかも分かっていないのだろう。口からは未だに血が垂れているし、前歯も欠けてる。
それが、ますます可笑しかった。

「雲水君、見かけによらず、超ロックだね」
「えっと、褒められてます?」
「ファックイエー!」

MACHIは雲水に肩パンし、また笑った。
そんなMACHIを、雲水はなんとか宥め、説明する。

「――というわけで、私の『放気』は肉体的疲労を取り去ることが可能です。
 そうすれば、ダメージを負っているMACHIさんもこの先を戦いやすくなるかと」

雲水の言う支援。それは、MACHIの疲労回復。
確かに今のままでは、MACHIは走ることすら覚束ない。それは確かだが――

「でもそれって、その」
「ええ」

MACHIの懸念は雲水にも分かっていた。
強い負の感情――焼きそばパンに対する復讐心。大切な仲間たちの鎮魂ロック。

「努力します」

雲水は神妙な顔で言った。
MACHIは呆れそうだった――根拠のない、ミスったら最悪、ぶっつけ本番のような感覚。
ああ、だがそれこそロックだ。

「……じゃ、ファッキン頑張ってね」

雲水はMACHIの背後に立つ。
雲水は集中し、呼吸を練る――いざ!

「スゥゥーッ……セイッッ!!」
「――っ!!」

強い震えを伴って、何かが突き抜けるような感覚がMACHIを席巻した。
それが通り過ぎたとき、MACHIの肉体からは疲労が失われていた。
――怒りの感覚は、まだある。『努力』が成功したのだ。ファックイエー!

ぱたり、と音がして、MACHIがそちらを振り返ると、雲水が気を失って倒れていた。
消耗した肉体でMACHIの疲労まで引き受けたのだ。浄化するとはいえ、その一瞬で力尽きてもおかしくない。

「……ありがとう。じゃあ、行ってくるね」

MACHIは改めて走り出す。その足は、少し前より格段に軽い。
残された雲水の傍らには、未開封の焼きそばパンが置かれていた。
メモもついている。曰く、『起きたら食べて下さい』、『喉に詰まらせないように』。





「――ようやく見えたか」

先頭をひた走るカレーパンの前に、開けた場所が見えてきた。
昼食を自前で賄うことが多いカレーパンにはあまり馴染みのない場所ではあったが、
それでも何度か来たことはあったし、昨日のうちに下見もしておいた。

間違いなく、購買部広場だ。勝利の時は近い。

「――ッ!?」

広場までもう少しというところで、カレーパンは異様な気配を後方に感じ、振り返った。
まだ、やや距離は離れているが、凄まじいスピードでこちらに迫ってきている。
黄金のオーラを纏ったその少女こそ、スーパーヤンス人・下ノ葉安里亜であった。

(下ノ葉……か。よく分からんが、力を増しているようだな。まあ俺には関係ない――)

踵を返しかけ、カレーパンは気付く。
安里亜の纏うオーラの中に混じった、ソースの匂いに。

「……なるほどな。下ノ葉」

カレーパンは改めて安里亜に向き直る。
走る安里亜も、目の前の存在が自分を待ち構えていることに気付き、徐々に減速する。

「お前は……カレーパンでヤンス」
「そうだ下ノ葉。カレーパンだ」
「はじめましてでヤンス」
「はじめまして」

カレーパンと下ノ葉安里亜。学園生活3年目にして、初めての会話であった。
3年生は17組まであるため、3年間一度もしゃべったことがないという相手も、たまにいる――

「そこを退くでヤンス! オイラは購買部に用があるんでヤンス!」
「退くわけにはいかん。下ノ葉……まさか貴様が、焼きそばパンに魂を売るとはな」

安里亜が緒山文歌から貰った焼きそばパンでパワーアップしたことにカレーパンは気付いていた。
カレーパンにとってそれは『焼きそばパンに魂を売る』と表現するに相違ない状況だったが、
もちろん安里亜はそんなこと言われたって意味が分からない。

「訳分かんねえ言ってンじゃねえでヤンス! 大人しく退くなら半殺しで済ませてやっても構わねえでヤンスよ!」
「……凶暴な。もはや人格まで焼きそばパンの魔道に落ちたか……!」

カレーパンが『華麗流』を構える。安里亜も臨戦態勢だ。
購買部は目と鼻の先――全ての決着の時は近かった。



TRACK10



テスラVSメリーゾンビは、意外にもテスラの圧勝であった。

テスラはメリーゾンビのヘルメットに包まれた頭部を中心に電撃を浴びせ続けた。
他の風紀委員たちは中距離以上を保って援護。
メリーゾンビは意に介さず暴虐を奮っていたが、その動きは次第に鈍っていった。

「あ、あれぇーー? な、なんか……風邪っぽい……??」

頭部を潰されなければ不死身なメリーゾンビは、言い換えれば頭部こそが弱点。
だからこそ特注のヘルメットで防衛を行っていたわけだが、テスラに対してはそれも無意味だった。
放電に次ぐ放電。帯電に次ぐ帯電。それによりヘルメットは熱され、メリーゾンビの脳にダメージではない負荷を与え続けた。

要は、電子レンジ化されていたのだ。2人は相性が極めて最悪だった。
それでも『風邪っぽい』という感想レベルの損傷に抑えていたのは、さすがは貴種ホストといったところか。
ともあれ、争奪戦が集結するころには、テスラはメリーゾンビの無力化に成功した。

(伝説の焼きそばパンは無理でしたけど、テスラ頑張りましたから、きっとお姉様に褒めてもらえますね!)

次代の風紀委員会を担う少女はポジティブだった。





(――馬鹿な)

「ウラーーッ! 死にやがれでヤンスーーッ!」

(――なぜ、この俺が)

「くらァーーッ! 脳漿ブチ撒けるでヤンスーーーッ!」

(――焼きそばパンのともがらなどに圧されているッ!?)

カレーパンVS下ノ葉安里亜――その戦いは、カレーパンが防戦一方であった。

カレーパンも強者である。それは揺るぎない事実だ。
ただ単純に――安里亜が、恐ろしく強い!!

「ヤンスッ!」
「ッ!!」

金色を纏った拳を、『華麗掌』で受け流す――が、受け流しきれない。
嫌な感触があった。指にヒビでも入ったか。
CP消費の技を使えばまだなんとかなるかもしれない。それは分かっている。
だが、使う隙を与えてくれない! 安里亜の苛烈な攻めを、なんとか防ぐので精いっぱいだった。
パワー、スピード、攻撃のキレ、戦闘思考、エトセトラ――
全てにおいて、スーパーヤンス人安里亜はカレーパンを上回っている。

それでも、カレーパンは必死に勝機を探した。
華麗流4段の俺が、こんな焼きそばパンに魂を売った、そのうえヤンスヤンス言ってる阿呆のような魔人に、負けてたまるか!!
その一心で、抗い続け――僅かに、身体が泳いでしまった。致命の隙を生んでしまった。

「――ヤンスッ!!」
「ガハァーーッ!!」

安里亜の黄金鉄拳がカレーパンの鳩尾を穿つ!
カレーパンは舗装路を削りながら転がってゆく。身体が、購買部から遠ざかってゆく。

「ッ……クソッ……!」

強大な敵を前に、バラバラになりそうな身体をそれでも奮い立たせるカレーパンは、尊敬すべき男だった。
ところがどっこい、そんな戦いの美学など、品性最低の不良である安里亜には関係なかった。
安里亜は小者じみた高笑いと共にここぞとばかりに罵る!

「ケッヘヘヘヘヘーッ! これで分かったでヤンスか~~?
 カレーパンなんて負け犬の食べ物でヤンス~~ッ! オヤビンだって絶対食べないでヤンス~~~!
 所詮カレーパン風情じゃ、焼きそばパンには勝てないんでヤンスよ!!」
「!! そんな、はずはッ……!」

カレーパンは否定しようとした。そんなこと、絶対に認めるわけにはいかない。
しかし、ここまで一方的にノされていたこともあって――
一瞬、『そうかもしれない』と思ってしまった。カレーパンは、焼きそばパンより下等なのか、と。
こんなヤンスヤンス言ってる使い捨て魔人みたいなやつ以下の、ゴミカスかと。
ほんの一瞬だけ、そう思ってしまったのだ。ただの一時の気の迷い。本来なら気にするまでもない些事。

――それで、全ては終わりだった。
下ノ葉安里亜の能力『馬鹿は百薬の長』――その真髄は、効果対象に『他人』を選べることである。

「だが、それでもオイラは負けるわけには――ッ!? ヤンスッ!?」

今の発言は――驚くなかれ、カレーパンのものである。
尤も、一番驚いたのは当然カレーパン本人であった。彼は大いに取り乱した。

「や、ヤンスッ!? どうしてこのオイラが……ヤンスなどとヤンスッ!??」

カレーパンは自身の耳を疑い、頭を疑い、現実を疑った。
何故、『俺』が『オイラ』で『ヤンス』が『ヤンス』!?

そう――これこそが『馬鹿は百薬の長』の必殺応用、その名も『ヤンス化』。
一人称『オイラ』、語尾に『ヤンス』などという見るからに劣等魔人な相手に圧倒され、
『それ以下』だと、一瞬でも思ってしまった者は、安里亜の能力によってその最悪の想像を現実のものとされてしまう。

「や、ヤンス…………!!」

カレーパンは絶望のあまり、身体中の力が抜けたかのように崩れ落ちた。
それと同時、安里亜の黄金のオーラも、解れるように霧散した。

「――ヤンスッ!?」

スーパーヤンス人。そのちからは、見た通り絶大であった。
しかし、過ぎたる強さにはリスクが伴うのが常である――というか、単純な話で、
運動量を賄うためのカロリーを生み出すために、プラシーボ効果の源である焼きそばパンが既に消化されてしまったのだ。

リスクというなら、なるほどあった。
自身の限界を超えた運動で、安里亜の四肢は疲労の極みにあった。
普段の能力媒介であるタブレット菓子は、先述の通り失われている。今は立ち上がることもできない。

にもかかわらず、安里亜は喜色満面を浮かべた。

プラシーボ効果が切れても、立てなくても――でも、私の勝ちだ。前には、誰もいない。
このまま這ってでも進める。低姿勢をとらせたら、私の右に出る人はいない。

酷く時間がかかる。それでも、少しずつ前に進んでゆく。
舗装路をじりじりと進んでいた安里亜の頭上を影が覆った。
すぐ脇の林の中から出てきた、人影だ。

「…………」

ぼうっとした少年だった。どこにでもいそうな風貌に、どこにもいなそうな存在感。
襤褸のようなマフラーだけが唯一の個性を現している。
その少年は、数匹の蠅が彼と共にあった。うち一匹は、金色であった。

名を、黒天真言といった。


TRACK11



赤根リリアはその後、新校舎3階の窓から争奪戦の様子を眺めていた。
その手には双眼鏡。昨夜、父親に言って借りてきたものだった。
言うまでもなく、友だちのメリー・ジョエルの活躍を見るためだ。

お腹は減っていたが、昼食は摂っていなかった。
メリーが伝説の焼きそばパンの購入に成功したら共に勝利を祝い、
もしダメだったら、残念会をしよう――そう思って、健気にも我慢していた。

(んーー。メリー見えないなあ……大丈夫なのかな……)

そうしてどうなるものでもなかったが、リリアは窓を開け、少し身を乗り出す。
ちょっと危ないかな? とも思ったが、後ろから押されでもしなければ落ちないだろう。
ヘーキヘーキ、と双眼鏡の中の景色に集中していた。

見続けて、もう何分経ったか――というところで、木々の隙間からメリーが見えた。
“箒”に跨り、少し眉をしかめて何かの操作をしていた。
ある程度の高さに上がったところで、メリーはこちらに視線を向け、手を振ってきた。
リリアも双眼鏡を外し手を振り返す。
一分一秒を争う争奪戦において、しばし流れた微笑ましい時間は、メリーの死角から放たれた探偵によって脅かされた。





後に鬼ごっこ系アダルトホモビデオにおいて最大のセールスを獲得することになるホモビ男優・アナルパッケージホールド氏は、とあるインタビューにおいて次のように語った。

――たとえ家族であっても、些細なことで擦れ違ってしまうことはある。
――仕事のこととか、趣味のこととか……あと、性癖のこととかね(笑)
――でも、そんなときも、決して家族を疑ってはいけない。
――信頼を失わず話し合えば、絶対にまた、理解し合える。

探偵・片ルシスとその助手・伊藤風露。彼女たちを追った、アナルパッケージホールドこと片春人。
3人の間にどのようなドラマがあったかについて、ここで言及することはない。
ただひとつ、現実として――ルシスと風露、2人は空中を凄まじいスピードで飛んでいた。

春人が夜魔口パンFCのカタパルトたるその証左、魔人能力『カタパルトキック』。
ルシスは幼女で風露は体重の軽い人口探偵。結果、2人分でも能力は十全に発揮され、
さらに空中すら地平と定義し歩むことができる風露の『天・地・則(てん・ち・のり)』でさらに踏み込めば、
2人はかつてないほどのハイスピードで、執着するメリー・ジョエルを、確実に検挙できる。
そのはずであった。

「――メリー危ない!!!」

大気を震わせる大声を、メリーは完全に信じ切ったように跳んだ。
“箒”を踏み台に『翅』すらも動員した緊急回避により、高速射出された探偵とその助手は、
ちょうどメリーと“箒”の間を通過し、空の彼方へと消えた。





(アブな、かった……!!)

『翅』でホバリングしながら、メリーは額を拭う。
避けられたのは、リリアの大声のおかげだった。

購買部へと向かう前に、一度リリアの顔を見ておこうと、メリーは振り返った。
目が合って、手を振ればリリアも振り返してくる。それが嬉しかった。

が、すぐにリリアは表情を青ざめ、身を乗り出して叫んだ。
危ない、と。

何が起こっているのか、メリーには分からなかった。
だが、反射的に“箒”を蹴って跳んでいた。結果的に、完全に正解だった。
“箒”は落ち続けていたから、すぐ回収しなくちゃと思いつつ、
きっとリリアじゃなかったら、こうは行ってなかったな――なんて思ってみたりした。
あと、まあ、祥勝も。

そしてメリーは、リリアに「ありがとう」と「やったね」の意を送ろうと、そちらに目を向けた。
リリアは、新校舎から落下していた。





逆さまになった視界の中で、リリアはぼんやりと思考する。

咄嗟だった。メリーに、何かが迫っていた。
それが何かなんて考えもせず、すっごい声で叫んでしまった。正直、引かれてるかもしれない。
しかも、その勢いで窓から落っこちてしまうなんて。いくらなんでも考えなさすぎって、笑ってしまう。

私、3階から落ちてる。それも、身を乗り出していたから、頭が下だった。
魔人は普通の人より頑丈って言うけど、流石にムリかなあ。3階だもんなあ。頭からだもんなあ。

そうだ、パパの双眼鏡。
落っこちるときに手放してしまった。壊れちゃったら謝らないと。
……謝れるのかな。

でも、悪いことばっかりじゃなかったかも。
友だちを、メリーを救えた。
これから死んじゃう私が、唯一残せたモノ。それが嬉しかった。

さあ、もうすぐ地面かな。
せめて痛くないといいな。

――ゴメンね、メリー。結局あたしの秘密、打ち明けられないままで。





死を覚悟し目を瞑ったリリアだったが、地面に激突するような衝撃はいつまでたっても訪れなかった。
それでは無痛のうちに死ねたのかというと、どうにもそうでもなさそうだった。
背中と腰に独特の衝撃――というか、それはまるで幼い頃、まだパパとママが仲良かった頃、抱きかかえられた時のような。
ようなっていうか、まんまっていうか――

「リリア」

メリーの声がした。『翅』の微かな嘶きも聞こえる。
リリアが目を開けると、そこにはメリーの顔があった。
背中と腰にはメリーの腕があって、そこでようやく、自分はメリーに助けられたことに気付いた。

「ふふ。おあいこだね」

悪戯っぽく笑うメリーに、あんな状況のすぐ後だというのに、リリアも笑ってしまった。

「おあいこって、何ソレ?」
「ヒーローだよ。リリアがわたしを助けてくれて、わたしがリリアを助けた。おあいこ」

ヒーローって。
やっぱりメリーには幼いところがあるなあ、とにやにや。
メリーは少し不機嫌になって、早口になる。

「いるもん。ヒーロー。わたし知り合いだもん」
「はいはい」
「本当だよ! ブラストシュートっていうんだけど――」





――結論から言って、メリーとリリアは決着に全く間に合わなかった。

リリアを助ける際に、メリーが全力以上の勢いで『翅』を動かした所為だ。
多くの場合、魔人能力行使には当然疲労が伴う。戦場に舞い戻るには、出力が不足していた。
明日は筋肉痛だよ――メリーは笑っていた。

その代わり、2人には別のものがあった。
互いの秘密をシェアするに足る、たっぷりの空中遊泳の時間だ。

「――メリーの、幼馴染?」
「そう。おさな」

どこかの時空にいるという、メリーの幼馴染に会いに行くこと。
それが、メリーが伝説の焼きそばパンに託そうとした願いだった。

「……大切な、人なの?」

リリアは、おそるおそる訊いた。
まるでその答えが、自分の中の大切な何かを揺るがしてしまうことを恐れるかのように。

「うん」

メリーは、確かに頷いた。

「……すごく。だからわたし、おさなに会わなくちゃ」

言い切ったメリーの横顔は、どこか遠くを――それがどれほど遠いかも分からないような『どこか』を、
それでも心から信じているような、そんな横顔だった。
リリアはその横顔をじっと見つめていた。彼女は、そこにあってほしかった『何か』を求めて。

(……やっぱり、赤くない)

心が沈んでゆく感触をリリアは自覚した。
身勝手だ、とも自虐した。浅ましい思いを抱いてメリーの近くに居続け、その思いを押し付けていた。
そんな資格もないのに、目頭まで熱くなってくる。まるで失恋みたい、なんて、自分を茶化してみたりして――

「そのときは、リリアも一緒に来てね」

続くメリーの言葉に、

「…………えっ?」

思わず間抜けな声を発してしまった。

「『えっ?』って、えっ、い、嫌だった!?」
「嫌っていうか……そ、そっちこそ、嫌じゃないの!? た、大切な人なんでしょ!?」

互いに予想外の返事に、揃ってあたふた。
あたふたしながらのリリアの言葉に、メリーはいつもと変わらない声音で答える。

「うん。だから紹介するの。わたしの大切な幼馴染に、わたしの大切な親友を」

――結局、一人相撲だったのかもしれない。
能力の所為で心から信じられる相手を見つけられなかったリリアにとって、やっと出会えたメリーは
無自覚に依存してしまいたくなる相手で、対するメリーはそんなことどこ吹く風で、ひたすらに、メリーだった。

「……うん。そうだね。あたしも、メリーの幼馴染に会いたいな」
「やった。約束だよ」

僅かに滲んだ涙を拭い、2人は笑い合った。
そしてメリーが

「そういえば、リリアも何か言いかけてたよね? 何?」

と、とうとう問うた。
リリアは今度こそ、意を決した。自分を大切な親友と言ってくれたメリーに、隠し事は、絶対にしたくなかった。

「実は……あたし、嘘を見抜く能力を持ってるんだ」
「へえー。なんか、かっこいいね」

…………ん?
リリアは大いに肩透かしをくらった。あれ、あたし、間違いなく言ったよね……?と反芻し、
やっぱりちゃんと言ったよね!?、とメリーを二度見した。

「あっそうだ。リリア、今度お泊り会しようよ」
「えっ!? いや全然いいけど……えっ、それだけ!? この話もう終わり!?
 あたし的にはこう、一世一代の告白というか……き、気持ち悪くないの!?」

慌ただしく捲し立てるリリアに、メリーはやはり、いつもと変わらない風に頷いて、こう言い放つのだった。

「うん。わたし、嘘つかないし」

照れも衒いも少しの赤味もなくそれだけ言って、お泊り会の日取りについて語りだすメリーを見ながら、リリアは改めて思った。
――やっぱり最強だなあ。あたしの親友。



TRACK12



争奪戦中、黒天はひたすらに林の中を歩いていた。

始まる前から、舗装路を行った方が速いだろうことは分かっていた。
それでもそちらへ行く気にはなれなかった。
黒天にとって、花壇に彩られ太陽を浴びて、大勢が通り賑やかしい舗装路は、『光の道』だった。
自分が通るべきではないと思っていた。

幸いにして黒天には、状況に適った能力があった。
魔人能力『Get Midheavenーー ルーカー、僕に救いを ーー』。
三種の蠅を使役する効果と、再生の効果を持つ能力だ。

林の中をしばらく進み、黒天はポケットから一枚の金貨を取り出す。
『星』印の金貨だ。
黒天は襤褸のマフラーをずらし、胸骨上部の穴に金貨を滑り込ませた。

それが能力発動の条件だった。黒天の下に金色の蠅が生み出される。
彼の持つ効果はナビゲートだ。目的を定め、そこへ誘導する。
黒天は迷いなく『伝説の焼きそばパン』を指定した。
鬱蒼と茂る林の中でも、蠅の金色は追い易かった。木々を掻き分け進んで行った。

一人と数匹の行軍は、ひたすらに沈黙していた。
蠅の羽音がいつも以上にうるさく聞こえていたことだろう。
黒天にはいつものことだったので、気にも留めなかった。

黒天のペースは、とても遅かった。道程は効率的でなく、途中アクシデントもあった。
今にも誰かに先に買われてしまうかもしれない。それでも黒天は一切構わず進んだ。
それだけの存在となっていた。

全ては、贖罪のため。





購買部は目と鼻の先。
その段になって、黒天は林を出て安里亜のところへ歩いた。

下ノ葉安里亜。下ノ葉製薬グループの会長令嬢。
その名は黒天でも知っている。
彼は、金持ちが嫌いだった。

「……戦る気でヤンスか!?」

黒天にそういうつもりはなかった。
彼は金持ちが嫌いだったが、自分から直接危害を加える意思は希薄だった。
ただ、這いつくばる金持ちという、珍しい光景を見ておこうと思っただけだった。

眼下の金持ちは、ヘロヘロのファイティングポーズをとり、なにか汚い言葉を叫んでいる。
はっきり言って虫の息だった。
そして、“あの”サイコ学生たちにとって、自分や『彼女』も同じような存在だったのだろうと思った。

彼らにとって自分は、とるに足らない虫けらで、気分次第でどうにでも出来る存在だったのだろう。
ちょうど、今のこの金持ちのように。
――なら、ひとつ踏んでみようか。
そうすれば、少し分かるかもしれない。

黒天は足を持ち上げた。
安里亜は大仰に喚きながら防御の姿勢をとった。

黒天は構わず足を踏み下ろそうとして、購買部へ走り出した。
安里亜は、黒天が何かを見て、急に走り出したのに気付いていた。だからそちらを見た。

「――ファック!」

目の前に焼きそばパンが飛んできて、爆発した。

「イエーッ!!」
「ヤンス~~~ッ!!?」

吹き飛ばされた安里亜がいた場所を、少女が走る。
ボロボロのガールズバンド衣装にボロボロのギターケースを背負う、ロックンローラーMACHIだった。

――そして、その背後からもさらに人影。
思えばこの男こそが最も大きなものを背負って戦っていた。
だからこそ、男はまさに不屈であった。

「三年前のッ……ハアッ、『大災厄』に比べりゃアよォ……!」

白狼に噛まれようが、爆風に吹き飛ばされようが、
エセックス魔人の初見殺しに蹴散らされようが、おまけにアナルを掘られようが、
彼の予想が――何度裏切られようが、

「ンなモンッ! 屁でもねェンだよオッ!!」

最後の男は、一之瀬進。

以上、三名。
伝説の焼きそばパン争奪戦の、最終決戦のエントリー者だった。



TRACK13



購買部に一番近いのは黒天であった。

さっきの自分を、今更客観視し、少し反省した。
第一の目的を忘れ、無駄なことをしようとした。
無様な金持ちを前に、熱くなっていたかもしれない。

少なくとも――この最後の戦いではしくじれない。
黒天は後方を窺う。

女も男も、自分より速い。
距離の差こそあるが、このままのペースでは抜かれるかもしれない。

特に女の方は、さっき見た爆発の能力を持っている。
背中を晒し続けるのはよくないと考えた。

つまり――黒天は金貨を取り出す。
マフラーをずらし、胸骨上部スロットに装填。

『剣』の金貨に備わった効果が発動――
黒天の周囲に、剣を構えた蠅たちが召喚される。
その数は22匹。蠅の王ベルゼブブが復讐に際し連れてきた仲間と同数。

黒天は、追いすがる二人に視線を向ける。
蠅の兵たちは、そちらに一斉に襲い掛かった。





「――オイッ!」

一之瀬は叫んだ。
MACHIを呼んだつもりだった。しかし彼女は反応を返さなかったので、もう一度叫ぶ羽目になった。

「オイ!! 聞こえてんだろ!」

MACHIは視線だけで振り向いた。
一之瀬はなんか、バカにされてる気がした。

「アレ! 何とかしろ!!」

蠅の兵たちは、十分な距離を開けて散開し、二人を狙ってくる。
一之瀬ではどうしようもなかった。
それはなんとなくMACHIにも分かっていたが舌打ちはした。

MACHIはギターケースに手を入れ、焼きそばパンを取り出した。
ひとつだけだ。一之瀬は不安になる。それでいけるのか、と。

「――『KILLER』ッ!」

走りながら、MACHIは焼きそばパンを振りかぶる。

「『KILLER』ッ!!」

一言ずつに全力を込めるようにして、MACHIは、その焼きそばパンを投げた。
殺害コマンドのインプットは既に完了している。
焼きそばパンは大きく広がった蠅たちの中心を飛び――次の瞬間、いくつもに増殖した。
よく見ればその焼きそばパンたちは、どれも同じ製造ナンバーを持っていた。

「――ハアッ!?」

驚愕する一之瀬の前でその全ての焼きそばパンが発火。
蠅の兵たちを、敢え無く燃やしてゆく。

――『KILLER★KILLER ナンバー:一家心中』。
それは、MACHIを魔人に覚醒させ、両親を殺害させるに至った導因だった。





『剣』の蠅兵が、次々と焼き払われてゆく。
それは、黒天が予想だにしなかった展開だった。

故に、黒天の足は一瞬止まっていた。
その隙を――蠅が焼け落ちる炎の壁から現れたロックンローラーは見逃さなかった。

黒天は咄嗟に防御姿勢をとった。
腕を掲げ、急所を守る。

「ファック――」

MACHIの手は、やはりギターケースの中にあった。
そこから振り抜かれたのは――至極当然のもの。ギタリストの正統なる武器。
ネックとボディで折れたギターだった。

ボディの背面には焼きそばパン数個が貼り付けられ、そこから伸びる麺は弦に沿ってネックへ。
ネックを握るMACHIの右手は、背面の焼きそばパン本体への能力行使を可能にした。

「――イエーーッ!!」

『爆殺』の速度で振り抜かれたギターはガードした腕を圧し折りながら黒天を過剰にぶっ飛ばした。
MACHIのギターは今度こそ、完全に粉砕された。

「オ、ラァッ!!」

――決着を狙いすましたように一之瀬が襲う!
MACHIは転がり、背後からの不意討ちを避けた――が、気付いた。
この攻撃の、本当の狙いに。

「ハッ……! さあ、どうする1年坊!」

一之瀬は、最初から目を付けていた。
自分から最も狙いやすく、MACHIにとって致命的なもの――すなわち、ギターケースに。
それは今や、一之瀬の手中にあった。

「……ファック」

MACHIは吐き捨て、スカートのポケットから焼きそばパンを取り出す。

「やっぱ隠し持ってるよな! 当然だよなァ! だが後いくつあるかァ!?
 服の中!? 靴の中!? 下着の中はどうだァ!? ハハ! 手品は得意かァ!?」

――それは、正真正銘最後の焼きそばパンだった。
MACHIがすぐには使用しないところからも、一之瀬はそれに感づいている。
購買部まで、残り10m――互いに足を止めていた。

「なあ、来いよ! いつも見たく景気よく爆発させてみろよ!
 それとも燃やすか!? さっきのはヤバかったよなァ! 他には何ができる!?」

一之瀬はステップを刻みながら、言葉で攻める。そこに勝機を見出していた。
実際のところ、不利なのは一之瀬だ。
最後の焼きそばパンとはいえ、射程的にもイニシアチブを握っているのはMACHIだ。
だからこそ、一之瀬はMACHIの最後の一撃を切り抜けることに全てを賭けていた。
身体スペックとダメージの状況とを考えみれば、僅かに自分が上――そう見ていた。

見苦しくても構わない。全ては『大災厄』を防ぐため……一之瀬は煽り倒す!

「オラオラ! ビビってんのかお嬢ちゃんよォーーッ!」
「…………」

遂に、MACHIは焼きそばパンの包装を破った。

「おッ、とうとうやる気ンなったか! さア何を見せてくれる、」
「いただきます」

そして、静かに焼きそばパンを食べた。
能力は使っていない。敢えて言うなら、自前での『食殺』――食い殺しているとでも言うべきか?

「……は? オイ、はァ?」

一口一口、喉に詰まらせないように用心し、それでいて手早く食べた。
食事はすぐに終わった。何故なら、お腹がすいていたからだ。

4限終了と同時、昼食を食べずに飛び出したのは一之瀬もMACHIも同じだった。
すきっ腹で3kmを走り、その中で数多の苦難を乗り越えてきた――共に限界ギリギリの二人だからこそ、その差は一之瀬の予想した『僅か』を覆す程度には、大きい。

――ふつう、お腹ぺこぺこの人間より、ちょっとでも食べた人間の方が、よく動ける。





「――お?」

広場が静かになった。
お祭り騒ぎをBGMにしていた購買部のおばちゃんは、ようやく仕事かと腰を上げた。

購買部に入室してきたのは、見るも無残なほどにボロボロな女の子だった。
全身にまんべんなく怪我を負った姿は、しかし、悲惨さは微塵もなく、
神風の如く争奪戦を駆け抜けた、誇り高き戦乙女だった。



BONUS TRACK



きっとここは地獄なのだろう――少女は迷いなく確信した。
踏みしめた地面は灰一色。辺りには、荒涼たる死のにおいが漂っている。
なにより、目の前には首揃えたアバズレビッチども。それだけで、分かった。

「――なにやってんの?」

少女は声をかけた。
学校制服を華やかにアレンジした、ガールズバンドのステージ衣装を纏っている。
胸には新品ピカピカのギター。さも大事そうに両腕で抱いている。

「……なんだ、MACHIじゃん」
「あはっ☆ おっそーい☆」
「もうライブ、始まって……はいねーけど。ハハ! もうちょっと早く来ると思ってたぜ」

声に反応したのは、少女と同じ衣装を身に纏う3人の少女だ。
それぞれ、ドラムスティック、ベース、ガイコツマイクを手にしている。
MACHIと呼ばれた少女は、懐かしそうに笑う。

「うん。ちょっと……やらなきゃいけないことがあったから。
 みんなへのファッキン手土産が必要で」
「そうなん? まあいいや、じゃあ行くとすっか!」

マイクを握った少女――KIKKAが踵を返し、他の2人も続こうとする。

「行くってどこに?」
「決まってんだろ? 地獄にゃ、かつて大暴れしたファッキンロッカーどもがごろごろいるに違いねえからな! 全員ぶっとばしてやろうぜ!」

MACHIは思わず噴き出した。
脳みその足りない女だとは思っていたが、まさかここまでとは。

「楽しみだよねえ~っ☆ TIARA、また新しい奏法マスターしたんだよっ☆」
「『God Wind Valkyrie』の伝説、第二章開幕……腕が鳴るね」

TIARAもMEGUも超乗り気のようだった。
だろうとは思っていたけれど。なにせ、この2人もとびきりのアホだからだ。

だけど、私だって負けてない――MACHIは笑う。
私だって、みんなに負けないくらい、クソッタレのロックンローラーだ。
MACHIは口を開いた。

「じゃあ……新曲でやろうよ」

MACHIの言葉に、三人は一斉に振り向く。
ぽかーん……と、いつにも増してアホ面を晒してた。

「言ったでしょ。ファッキン手土産。今までのサムい曲なんて、メじゃないよ」
「ほォ~ッ! 言うじゃねえか!」
「MACHIの新曲かーっ☆ 初めてだよね、楽しみっ☆」
「お手並み拝見だね」

MACHIはギターを構える。息を吸って、鋭く吐く――精神統一もバッチリだ。

「……いくよ。タイトルは――」



『Rock 'n' Roll Never Die!』 了


最終更新:2015年06月07日 14:26