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ゼラニウム・プロローグ(流血少女SS)


母は、とても気難しい人だった。

父が亡くなってから、それに拍車がかかったように思う。四六時中けわしい表情をしていて、常に怒られているようで居心地がわるかった。
毎晩、二人きりで食事をとるのが嫌で仕方がなかった。(それでも、母の作る食事は得難いほどおいしかったが)

とはいえ、怒鳴られたり、手を上げられた記憶は一度もない。
同じように、会話というものもほとんどなかったように思う。

母から話しかけてくることなどまずないし、わたしが話しかけても一言二言返して、それで終わり。
とても会話とは呼べないものだった。無視されていないだけマシ、なのだろうか。

いつのことだったか、わたしが珍しく算数のテストで100てんを取った時の話だ。(わたしは当時からあまり頭がよくなかった)
舞い上がっていたわたしは、何を思ったか、母に算数のテストを自慢してしまったのだ。

みてみて、おかあさん、わたしさんすうのテストで100てん取ったんだよ、と。

母は、誇らしい大きな花丸に目をやることもなく、「そう」と一言つぶやいて仕事に出かけてしまった。
何を、期待していたのだろうか。母が、よくやったね、と言ってくれることを浅はかにも期待していたのだろうか。
好きの反対は嫌いではなく無関心だと誰かが言った。そうかもしれない。


次の日わたしは、学校をサボった。グレてやろうと、そう思った。

行くあても無くフラフラと商店街を歩いた。平日の昼に出歩くことはとても新鮮であったが、道行く人の影が、目が、わたしの不良行為を諌めているように感じて、とても後ろめたかった。当てもなく歩いて辿り着いた、人けのない川端の土手で膝を抱えた。手には、学校の花壇から拝借してきた、赤い赤いゼラニウム。
ああわたしは、なんとわるいことをしているのだろうか。今お巡りさんに見つかったら、きっと逮捕されて牢屋に入れられてしまうに違いない。涙が少し滲んだ。

やがて、景色が赤から黒へ変わっても、わたしは動き出せずにいた。カラスの鳴き声が、風が木々を揺らす音が、何もかもが怖くて仕方がなかった。
どこからか漂ってくる、知らない家の晩御飯の香りが、わたしの涙腺をひたすら攻撃し続けた。



わたしがとぼとぼと帰路に着いたのは、いったい何時ごろだったろうか。(今となっては地元の治安が悪くなかったことに、ただただ感謝するばかりだ)
もう、民家の電気もぽつりぽつりとまばらだった。頭の中で母のことがグルグルとうずまいていた。一体どうなってしまうだろう。
ついに怒鳴られるかもしれない。頬をはたかれて、あなたなんてうちの子ではないと追いかえされるかもしれない。もう枯れたと思っていた涙が、再びジワリと滲んだ。


母は、家の前に立っていた。わたしに気付き駆け寄ってきた母に、思わず体が強張る。震えが止まらず、俯いた顔は鉛になった。
しかし、怒鳴られることも、平手が飛んでくることもなかった。母は固まった私の前にしゃがんで、何かを言おうとして、目をそらした。
どうしたらいいか分からない、というふうだった。とても、とても不器用な人だったのかもしれない。

ややあって、母がわたしの握っていた花に気付いた。母の頬が緩んだのを見たのは、これが最初で最後だった。



葵ちゃん、きれいな花、もっているね。お母さんね、その花、大好きなの。







数日後、母は他界した。

女手ひとつでわたしを育てて、そうとう無理をしていたのだと後で知った。(父の残した借金もあったようだ)
少しだけ広くなった家でひとり、膝を抱えて、母のことばかり考えていた。来る日も、来る日も。

母がわたしのことを無関心だなんて、何故思えたのだろう。どんなに忙しくたって、わたしとの夕飯の時間を、一度も欠かすことはなかった母のことを。


もう流れない涙の代わりに、わたしの目からハラハラと花びらが舞い落ちた。止めどなく、止めどなく。
やがて一輪の花が咲いた。赤い赤いゼラニウム。一輪、また一輪と増えてゆき、わたしの顔を覆い尽くした。



――――――――――



一仕事を終えたわたしは、制服の袖で――少しはしたないが――汗をぬぐって近くのベンチに腰を下ろした。
この学園は敷地が広いうえ、そこかしこに花壇があり、一通り手入れをするだけでも随分と骨が折れるのだ。

それでも花壇の手入れを、入学してから今日まで一日も欠かすことなくやってこられたのは、何か使命感のようなものを感じていたからだろうか。
わたしがやらねば誰がやる、的な、なんかそういうやつだ。実際、最初はお世辞にも手入れが行き届いているようには思えない状態だった。

あと、たぶん、単純にわたしはお花が好きなのだ。顔面をお花畑にしてしまうくらいには。

少ししおれてきた顔面の花壇に霧吹きをかけながら、明日からの懸念事項について頭を巡らせていた。
明日から臨海学校、すなわち、その間学園の花壇の手入れをどうするかということだ。

頼めそうな知り合いは……あんまりいない。それでもこの学園に入学する前よりはマシだった。
以前はこの容姿のせいで気味悪がられていたが、この学園は変わり者が多く、顔が満開なくらいでは特別視されなかった。

「やあやあ、朝も早よから精が出るでありんすなあ」

扇子をパタパタとさせながら、第一変わり者が話しかけてきた。金髪に赤いサングラス、二つのたわわがまろび出そうなほど着崩した着物。
どう見ても変人に違いなかった。わたしは嫌そうに顔の花をしおらせたが、彼女は気にしたふうもなく、花壇(わたしの顔でない方)を眺めていた。
返事変わりに霧吹きで水でも吹きかけてやろうかと思ったが、やめておいた。

「おお、この花、天竺さんの顔の花と同じ種類でありんす。かいらしいでありんすねえ」

顔の花がわかりやすく水気を取り戻し、咲き誇る。ええ、ええ。そうでしょう、そうでしょう!



この花はね、わたしが、この世でいちばん大好きな――