News【改正児童ポルノ法案】児童ポルノ法改正案という本末転倒(2008,03,24)


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【眼光紙背】児童ポルノ法改正案という本末転倒 2008年03月24日11時00分
http://news.livedoor.com/article/detail/3565850/
(web魚拓)http://s01.megalodon.jp/2008-0324-1249-54/news.livedoor.com/article/detail/3565850/

記事抜粋
そもそも、『児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律』というのが、問題となっている法律の正確な名前だ。この法律には2つの立派な目的がある。
(1) 売買春や人身売買・ポルノの被写体となる「児童」の人権を守ること
(2) 「児童ポルノ」の蔓延を防いで健全な社会風俗を守ること
ケチのつけられないような立派さだが、この法律には、ちょっとした「論理のねじれ」がある。

まず(1)の目的について考えてみよう。「児童」を売買春や性的虐待から守るため「児童の」売買春や性的虐待を禁止する、という論理に異論を差し挟むものはいないだろう。そして、「児童」の人権侵害を防ぐために、それらを記録した写真やビデオなどのポルノグラフィの売買禁止することについても、理解できる。

一方、(2)の目的において注意しなければいけないのは、「児童ポルノ」を取り締まるのは「児童」を守るという目的のための一つの手段であって、「児童ポルノ」を取り締まることは、「児童」を守ることとイコールではない、というところだ。つまり、「児童」の売買春や性的虐待が無くなれば、そうしたシーンを撮影した「児童ポルノ」は必然的に消えて無くなる。しかし、「児童ポルノ」だけを取り締まって見かけ上何も起こってないように見える世界にしたとしても、もしかしたらそれは「児童」への性的犯罪が単に撮影されなくなったというだけの話かもしれない。

だから、重点を置くべきは、「児童ポルノ」を禁止することではなく、「児童」を守ることであり、売買春や「児童ポルノ」の禁止は、その手段でしかない。
「児童」を売買春や性的虐待から守るには、まず何よりも売買春や性的虐待といった行為自体を取り締まる必要があるだろう。

この法律の改正を推進する人達は、勘違いしているのか、意図的に捻じ曲げているのか、「児童ポルノ」を取り締まれば、「児童」を性的虐待などから守れるのだと考えているようである。

しかしながら、例えば、18歳未満に売られることがないよう自治体の条例や業界団体できつく規制している架空の美少女マンガやゲームの絵を、販売のみならず、個人的に描くことすら禁止するような法律は、一体誰の利益を守っているのだろうか。それでは思想警察そのものではないか。あるいは、アイドルの写真集を販売した人間のみならず、購入・閲覧した人間全員を逮捕できる法律は、本当に「児童」を守っているのだろうか。しかも、成人したタレントであっても、18歳未満に見える童顔のモデルは違法にしようというのである。それでは、容貌による差別ではないか。マンガやアニメ、ゲーム、アイドルなどの娯楽産業が潰れ、「児童」の人権侵害とは何の関係も無かった一般市民までもが、逮捕の危険に晒されるだろう。

この「児童ポルノ法」の改正案について、インターネット上で侃侃諤諤と戦わされている議論を、筆者は延々眺めてみたが、規制賛成派と反対派でさっぱり議論がかみ合わない。その理由は簡単だ。規制賛成派は、「児童ポルノ」の取締りが「児童」の権利のためであると信じそれを表明する一方で、規制反対派は、「児童」のためになることと「児童ポルノ」の規制がイコールではないという事実を、統計やら事例やらで様々に指摘する、というバトルになっていたからだ。つまり、信念対事実の争いになっていて、両者の依って立つ議論の前提がそもそも異なっているのだ。規制派は根拠の不要な信念の提示、反規制はその信念を揺るがす根拠の提示、そして飛び交う罵声。これは建設的な議論にならない。まるで、天動説と地動説との争いのようなもので、片方が意固地な信念を捨てて事実と向き合わない限り、議論はずっと平行線のままだろう。

次世代を担う「児童」を守ることは、社会として必須である。だが、「児童の『人権』を守る」という一見美しい錦の御旗が、一体誰の権利を守っているのか、今一度確認してみる必要があるだろう。
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