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*寂光
寂寥の感を抱いて止まらない血が沸き踊る最後の宴
由(ユ)
----
*寂
今回はあえて、一文字にしてみたいと思います。
「寂」、つまり「寂しい」という思いは、
特に故郷を離れ、都市部に住む人たちにとっては、つきものではないでしょうか。
でも人は、一人では生きられないため、仲間を求めます。
今の時代、携帯電話やインターネットが普及したために、
今までではつながり得なかった人たちが、新たなるコミュニティをつくり
お互いの存在を確かめ合ってます。存在価値を確かめるように。
この「寂しい」という思い。
さて、これは人間だけのものでしょうか。
犬がクンクンと泣きます。
いよいよ屠殺されるべくトラックに押し込まれる牛が、主人を前に
涙するといいます。
これらは、人間以外の動物にも「寂しい」思いが
感じられているためでしょうか。
とすると、もしかすると、今は美味しい牡蠣の季節、
その牡蠣も水揚げされるときに、離れ離れになる
隣に住まっていた牡蠣の仲間同士、寂しく思っているかもしれません。
更には、雪の舞う、今日この頃、
上空でランデブーを行っていた、ひらひらの雪同士が
地上に達したときにすでに自分たちより先に舞い降りていた先輩方に埋もれ、
さらに、そのあと絶え間なく舞い降りる後輩たちにのっかられ、
寂しい思いもつかの間、誰がどこにいってしまったのか、
はたまたお互いの境目同士も見分けがつかなくなってしまい、はかない人生を終える、
といったこともあるかもしれません。
日常に至っては、貴方が今朝まさに陽の光を部屋にいれようと、
無神経にもカーテンを両側に勢い良く開けた瞬間には、
カーテンレールのマグネット同士が一夜の恋に無残に引き裂かれてしまうことになり、
彼らの心は、また今日も一日寂寥の念に包まれ、
ましてや貴方が「今日はカレシん家で外泊♪」なんてことになると、
2,3日も寂しくのた打ちまわることになるやもです。
こうして考えると、「寂しい」という思いは、有機、無機物問わず、
「離れる」ことによりおこり得ることになり、重力はもとより、
宇宙全体の法則である、万有引力の摂理を考えると、
その摂理と逆のことをすると、なんとも「寂しい」という良くない思いにさせ、
くっつくことを推奨し、摂理に従うよう働きかける見えざる力があるような気がしてなりません。
皆さん、自然の摂理通りに考え、生きることが大切です、はい。
成
----
*寂聴
「出家とは生きながら死ぬことなり」
先月、フジテレビで放映された「女の一代記」を見て、
初めて瀬戸内寂聴の生き様を知った。
学生結婚、夫と子を捨てて走った年下男性との恋、
離婚、不倫、そして51歳での出家……
なんと波乱の人生を送っているのだろうか。
だが、人を本気で愛し、死ぬほど苦しんだ経験が
あるからこそ、彼女の説法には重みがあり、
多くの女性たちが魅了されるのかもしれない。
改めて、瀬戸内寂聴の著書
『生きることば あなたへ』(光文社)を
読み返してみた。
心に響くことばがいくつもある。
相手が今、何を求めているか、何に苦しんでいるかを
想像することが思いやりです。その思いやりが愛なのです。
つまり想像力イコール愛ということです。
死者の魂は、生き残された者がいかに、
彼らのことを切に思い出すかによって輝きます。
死者を忘れないということは、
自分の原点を忘れないということです。
耐えしのぶことと、犠牲になることとはちがいます。
自分の意志で耐えしのぶ。そこに生きているはりが生まれます。
生きるということは、死ぬ日まで自分の可能性をあきらめず、
与えられた才能や日々の仕事に努力しつづけることです。
もし今、あなたが何かに悩んでいたら、
彼女のことばに触れてみませんか。
きっと何かみつかるはずです。
大ちゃん
*寂光
&html(<img alt="0512_1.jpg" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200604/06/92/f0101092_2263595.jpg" height="150" weidth="200" border="0" align=right />)寂寥の感を抱いて止まらない血が沸き踊る最後の宴
由(ユ)
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*寂
今回はあえて、一文字にしてみたいと思います。
「寂」、つまり「寂しい」という思いは、
特に故郷を離れ、都市部に住む人たちにとっては、つきものではないでしょうか。
でも人は、一人では生きられないため、仲間を求めます。
今の時代、携帯電話やインターネットが普及したために、
今までではつながり得なかった人たちが、新たなるコミュニティをつくり
お互いの存在を確かめ合ってます。存在価値を確かめるように。
この「寂しい」という思い。
さて、これは人間だけのものでしょうか。
犬がクンクンと泣きます。
いよいよ屠殺されるべくトラックに押し込まれる牛が、主人を前に
涙するといいます。
これらは、人間以外の動物にも「寂しい」思いが
感じられているためでしょうか。
とすると、もしかすると、今は美味しい牡蠣の季節、
その牡蠣も水揚げされるときに、離れ離れになる
隣に住まっていた牡蠣の仲間同士、寂しく思っているかもしれません。
更には、雪の舞う、今日この頃、
上空でランデブーを行っていた、ひらひらの雪同士が
地上に達したときにすでに自分たちより先に舞い降りていた先輩方に埋もれ、
さらに、そのあと絶え間なく舞い降りる後輩たちにのっかられ、
寂しい思いもつかの間、誰がどこにいってしまったのか、
はたまたお互いの境目同士も見分けがつかなくなってしまい、はかない人生を終える、
といったこともあるかもしれません。
日常に至っては、貴方が今朝まさに陽の光を部屋にいれようと、
無神経にもカーテンを両側に勢い良く開けた瞬間には、
カーテンレールのマグネット同士が一夜の恋に無残に引き裂かれてしまうことになり、
彼らの心は、また今日も一日寂寥の念に包まれ、
ましてや貴方が「今日はカレシん家で外泊♪」なんてことになると、
2,3日も寂しくのた打ちまわることになるやもです。
こうして考えると、「寂しい」という思いは、有機、無機物問わず、
「離れる」ことによりおこり得ることになり、重力はもとより、
宇宙全体の法則である、万有引力の摂理を考えると、
その摂理と逆のことをすると、なんとも「寂しい」という良くない思いにさせ、
くっつくことを推奨し、摂理に従うよう働きかける見えざる力があるような気がしてなりません。
皆さん、自然の摂理通りに考え、生きることが大切です、はい。
成
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*寂聴
「出家とは生きながら死ぬことなり」
先月、フジテレビで放映された「女の一代記」を見て、
初めて瀬戸内寂聴の生き様を知った。
学生結婚、夫と子を捨てて走った年下男性との恋、
離婚、不倫、そして51歳での出家……
なんと波乱の人生を送っているのだろうか。
だが、人を本気で愛し、死ぬほど苦しんだ経験が
あるからこそ、彼女の説法には重みがあり、
多くの女性たちが魅了されるのかもしれない。
改めて、瀬戸内寂聴の著書
『生きることば あなたへ』(光文社)を
読み返してみた。
心に響くことばがいくつもある。
相手が今、何を求めているか、何に苦しんでいるかを
想像することが思いやりです。その思いやりが愛なのです。
つまり想像力イコール愛ということです。
死者の魂は、生き残された者がいかに、
彼らのことを切に思い出すかによって輝きます。
死者を忘れないということは、
自分の原点を忘れないということです。
耐えしのぶことと、犠牲になることとはちがいます。
自分の意志で耐えしのぶ。そこに生きているはりが生まれます。
生きるということは、死ぬ日まで自分の可能性をあきらめず、
与えられた才能や日々の仕事に努力しつづけることです。
もし今、あなたが何かに悩んでいたら、
彼女のことばに触れてみませんか。
きっと何かみつかるはずです。
大ちゃん
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