一筆メモ
日記。9月
最終更新:
gran_mar
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9/3
8月が終わりました。
色々と、ひとに説明するには事欠かない、忙しさをあっぴーるするには事欠かない
スケジュールを送ってきたつもり。
色々と、ひとに説明するには事欠かない、忙しさをあっぴーるするには事欠かない
スケジュールを送ってきたつもり。
ただ。
それが、楽しかった!よかった!まいっか!で終わってしまっては、よくないものが、
いっぱいあるのかなー ってね。
カッコつけようとすればする程、
カッコ悪いところがじわじわにじみ出てくる。
なんでカッコつけたいかって、そりゃあ、
格好悪いところを見せたくないからでしょ。
ひとは、ひとの格好悪い所を見て、自分を安心させている部分もある。
わたしは、他人様のカッコ悪いところを見て、
自分を保っているところもある。
その事実を認めるか?ほっとくか?
…
認めるとすれば、それ相応の、わたしのカッコ悪さを、
あえてさらさなくてもいいけれど、晒してしまうことに敏感になりすぎては
いけないとも思う。
ほら、この文章、すでに意味がおかしい。(笑)
格好悪い。(笑)
わたしは、格好いい文章しか、おもてに出したくない。
できるだけ、ハイクオリティを目指したい。(またデカいこと言って。笑)
だから、このHPを隠している…つもり。実は誰かに見つかってたりして。
ただ、格好悪い文章と、格好いい文章とは、紙一重。
わたしは、わたしのかっこわるさを隠すために、今まで一生懸命になってきた。
そうだなー、だいたい、中学後半くらいから。
そして、その頃から、かっこわるさを堂々と晒していたそれまでの自分に、
嫌気がさしたり、後悔したり、当時の自分の姿を直視できないように
なっていたんだ。
かっこわるさをちょくししない
これが、予想外にも、自分の格好良さから目を背けることになっていったんだ。
自分のかっこわるさをひたすら隠そうと躍起になっている間、
それまでのかっこ悪かった時代の輝きとみずみずしさを失っていった。
やっぱり、若いって、格好悪い。
だけど、若さの利点も、それなりにある。
わたしは若さに憧れながら、若さを恥じていた。
そして今、ある程度の若さを通り過ぎて、
若いなりの成熟した時期に辿り着こうとしている。
やはり、若さは抜けない。
でも、やみくもに恥じることはちょっと違うんではないかと、
気づき始めている。
…
それが、楽しかった!よかった!まいっか!で終わってしまっては、よくないものが、
いっぱいあるのかなー ってね。
カッコつけようとすればする程、
カッコ悪いところがじわじわにじみ出てくる。
なんでカッコつけたいかって、そりゃあ、
格好悪いところを見せたくないからでしょ。
ひとは、ひとの格好悪い所を見て、自分を安心させている部分もある。
わたしは、他人様のカッコ悪いところを見て、
自分を保っているところもある。
その事実を認めるか?ほっとくか?
…
認めるとすれば、それ相応の、わたしのカッコ悪さを、
あえてさらさなくてもいいけれど、晒してしまうことに敏感になりすぎては
いけないとも思う。
ほら、この文章、すでに意味がおかしい。(笑)
格好悪い。(笑)
わたしは、格好いい文章しか、おもてに出したくない。
できるだけ、ハイクオリティを目指したい。(またデカいこと言って。笑)
だから、このHPを隠している…つもり。実は誰かに見つかってたりして。
ただ、格好悪い文章と、格好いい文章とは、紙一重。
わたしは、わたしのかっこわるさを隠すために、今まで一生懸命になってきた。
そうだなー、だいたい、中学後半くらいから。
そして、その頃から、かっこわるさを堂々と晒していたそれまでの自分に、
嫌気がさしたり、後悔したり、当時の自分の姿を直視できないように
なっていたんだ。
かっこわるさをちょくししない
これが、予想外にも、自分の格好良さから目を背けることになっていったんだ。
自分のかっこわるさをひたすら隠そうと躍起になっている間、
それまでのかっこ悪かった時代の輝きとみずみずしさを失っていった。
やっぱり、若いって、格好悪い。
だけど、若さの利点も、それなりにある。
わたしは若さに憧れながら、若さを恥じていた。
そして今、ある程度の若さを通り過ぎて、
若いなりの成熟した時期に辿り着こうとしている。
やはり、若さは抜けない。
でも、やみくもに恥じることはちょっと違うんではないかと、
気づき始めている。
…
わたしは、書いていけばいくほど、
ゆらりゆらり深みにはまり、結論としての建設的な言葉を生み出すまでに、
力つきてしまう。
そして、逃避してしまう。
結論が出ないままだから、ある程度吐き出してエネルギーは発散したけれども、
釈然としないものが残る。
そしてそれを抱えて再び毎日を生きる。
すっきりしないものだから、その上にまた重たいエネルギーがたまり、
またそれを…ゆらりゆらり深みにはまりながら、発散し。
発散しきれず、を繰り返す。
ちょうど、わたしが部屋をきれいにしきれないまま、日常生活をスタートさせて
しまうことのように。
やりきることが、できないわたし。
だからこそ、気が長いのか。ねばり強いのか。
短気がいいとは限らない。しかし、気が長いのがいいとも限らない。
ある程度、短気にしっかりしていかなければ、組織はまとまらない。
わたしは、その組織の持つべき厳しさ、淡泊さに慣れないでいる。
ずるずると、仲良しグループへと引っ張っていってしまう。
わたしは、それが好きだから。
しかし、組織は仲良しグループでは成り立たない。
至極当然の、明解な答え。
そこにわたしが必要とされる意味は、行き過ぎた淡泊さを中和すること。
しかし、影響力が大きくなればなる程、メンテナンス機能ばかりが発揮されてしまい、
目標へ向かって邁進する覇気を抑えてしまうことにもなる。
おそらく、今、わたしがドツボにはまっている理由は、これだろうな。
だからこそ、他のメンバーはそこを見極め、わたしにM機能だけを発揮していても
いい位置にわたしを就かせたのだ。
影響力が、大きくなりすぎた。
これからは、わたしが変わらなければ、組織にはいられない。
変わらないわたしを愛し続けるのなら、
わたしはいないほうがいい。そのほうが、組織のため。
寂しいけれど、事実。
そういえば、気が短い=短気、という言葉はあるけど、
気が長い=長気、という言葉はないね。
ということは、これまでの世の中には、短気な人の方が多かったのだろうか。
気の長い人は、少なかったのかもしれない。
よくも悪くも、わたしは気の長い人間だと思う。
徹底的に、気が長いと思う。
気が長いとは、我慢と、明るさと、信じる心を必要とする。
(いい表現をすれば、ね。)
だからある意味、わたしは、
(結果的に)限界まで突き進む力を持っている。
信じることは、貫き通す。
それは、やりきることが、できないのとは矛盾しない。
やりきることが出来ないことを抱えておくことを、続けることができる。
それが、わたしにはわからないけれど、周りの人に「芯が強い」と
言わせることにもなるんだと思う。
例えば、興味のないものでもモノにするとか。
例えば、その状況で限界までできるところまでいくとか。
そして今、気が長いという限界に、到達した。
これ以上気が長くなることに、メリットを感じなくなってきた。
そろそろ、気が短い一面を、育てて行った方がよいのかもしれない。
ヤラレっぱなしのあの時期を。
リベンジするために。
損して得とれ。基本は、このスタンスでいく。
そのお陰で学ぶこと、たくさんある。
だけど、わたしの人生も、限られている。
いつまでも、のんびりしてはいられない。
「のんびりすること」を味わったなら、次は、徹底的に…
やりきること、を、
「目標へ向かって邁進すること」を、貫いてみようか。
きっとまた、+の面、-の面、沢山でてくるんだろうな。
すべては、自分の好み。
今まで、おっとりした部分を数年間にわたって熟成させてきたから、
今度は攻撃もできるような、牙をむくべき時を選べるような、
そんな能ある鷹に、なりたい。
ずる賢い人には、とうていついていけないのはわかっている。
だけど、少しくらい、どん欲に(狡猾に?だっけ)生きてみてもいいんじゃない、
との友達のアドバイスを、実行してみようかな、と思ったりして。
ゆらりゆらり深みにはまり、結論としての建設的な言葉を生み出すまでに、
力つきてしまう。
そして、逃避してしまう。
結論が出ないままだから、ある程度吐き出してエネルギーは発散したけれども、
釈然としないものが残る。
そしてそれを抱えて再び毎日を生きる。
すっきりしないものだから、その上にまた重たいエネルギーがたまり、
またそれを…ゆらりゆらり深みにはまりながら、発散し。
発散しきれず、を繰り返す。
ちょうど、わたしが部屋をきれいにしきれないまま、日常生活をスタートさせて
しまうことのように。
やりきることが、できないわたし。
だからこそ、気が長いのか。ねばり強いのか。
短気がいいとは限らない。しかし、気が長いのがいいとも限らない。
ある程度、短気にしっかりしていかなければ、組織はまとまらない。
わたしは、その組織の持つべき厳しさ、淡泊さに慣れないでいる。
ずるずると、仲良しグループへと引っ張っていってしまう。
わたしは、それが好きだから。
しかし、組織は仲良しグループでは成り立たない。
至極当然の、明解な答え。
そこにわたしが必要とされる意味は、行き過ぎた淡泊さを中和すること。
しかし、影響力が大きくなればなる程、メンテナンス機能ばかりが発揮されてしまい、
目標へ向かって邁進する覇気を抑えてしまうことにもなる。
おそらく、今、わたしがドツボにはまっている理由は、これだろうな。
だからこそ、他のメンバーはそこを見極め、わたしにM機能だけを発揮していても
いい位置にわたしを就かせたのだ。
影響力が、大きくなりすぎた。
これからは、わたしが変わらなければ、組織にはいられない。
変わらないわたしを愛し続けるのなら、
わたしはいないほうがいい。そのほうが、組織のため。
寂しいけれど、事実。
そういえば、気が短い=短気、という言葉はあるけど、
気が長い=長気、という言葉はないね。
ということは、これまでの世の中には、短気な人の方が多かったのだろうか。
気の長い人は、少なかったのかもしれない。
よくも悪くも、わたしは気の長い人間だと思う。
徹底的に、気が長いと思う。
気が長いとは、我慢と、明るさと、信じる心を必要とする。
(いい表現をすれば、ね。)
だからある意味、わたしは、
(結果的に)限界まで突き進む力を持っている。
信じることは、貫き通す。
それは、やりきることが、できないのとは矛盾しない。
やりきることが出来ないことを抱えておくことを、続けることができる。
それが、わたしにはわからないけれど、周りの人に「芯が強い」と
言わせることにもなるんだと思う。
例えば、興味のないものでもモノにするとか。
例えば、その状況で限界までできるところまでいくとか。
そして今、気が長いという限界に、到達した。
これ以上気が長くなることに、メリットを感じなくなってきた。
そろそろ、気が短い一面を、育てて行った方がよいのかもしれない。
ヤラレっぱなしのあの時期を。
リベンジするために。
損して得とれ。基本は、このスタンスでいく。
そのお陰で学ぶこと、たくさんある。
だけど、わたしの人生も、限られている。
いつまでも、のんびりしてはいられない。
「のんびりすること」を味わったなら、次は、徹底的に…
やりきること、を、
「目標へ向かって邁進すること」を、貫いてみようか。
きっとまた、+の面、-の面、沢山でてくるんだろうな。
すべては、自分の好み。
今まで、おっとりした部分を数年間にわたって熟成させてきたから、
今度は攻撃もできるような、牙をむくべき時を選べるような、
そんな能ある鷹に、なりたい。
ずる賢い人には、とうていついていけないのはわかっている。
だけど、少しくらい、どん欲に(狡猾に?だっけ)生きてみてもいいんじゃない、
との友達のアドバイスを、実行してみようかな、と思ったりして。
…だから何がいいたいのー。
それは、よく言われるのです。
ある程度の深さの思考を混ぜ込んだとしても、わたしのきれいな文章は、
相手になにも伝えない、と。
必死になって書いた文章を、おそるおそる読んでもらって、
「で、何がいいたいの?」
その悔しさを、相手にストレートにぶつけるだけでは、
それは違う。
わたしはそれをいったん受け止め、少しずつ消化してきた。
いつぞやに、全く形を変えて、再び相手に照らし返せるように。
何が言いたいのか。それは、気の長いわたしのこと、
気の短いあなたにはわからないように仕組んであるんですよー。(笑)
なんて、ユーモアで返せるようになりたい。
ユーモアセンスを育てたい。
ウイットでもいい。でも、ユーモアがいい。
それは、よく言われるのです。
ある程度の深さの思考を混ぜ込んだとしても、わたしのきれいな文章は、
相手になにも伝えない、と。
必死になって書いた文章を、おそるおそる読んでもらって、
「で、何がいいたいの?」
その悔しさを、相手にストレートにぶつけるだけでは、
それは違う。
わたしはそれをいったん受け止め、少しずつ消化してきた。
いつぞやに、全く形を変えて、再び相手に照らし返せるように。
何が言いたいのか。それは、気の長いわたしのこと、
気の短いあなたにはわからないように仕組んであるんですよー。(笑)
なんて、ユーモアで返せるようになりたい。
ユーモアセンスを育てたい。
ウイットでもいい。でも、ユーモアがいい。
決まったバイトにより、わたしは再び、新しい組織の中に入る。
そうだな、今入っているあのボランティア、あれは、M機能がすごく大切にされる場所。
わたしは間違っていなかった。そう信じたい。
そして適切に、相手に伝えられるようになりたい。
仕事ができない、それがわたしのコンプレックス。
それを、このバイトで、いかに克服できるのか。
いくら考えがしっかりしてても、ふわふわのおぼつかない行動をするアルバイトより、
ぱっぱら~でも、しっかり動いてくれるアルバイトのほうが使える。
そんな状況の中へ、自ら入り込む。
組織ありきの中へ。
使える人間になるか、使えない人間になるか、それが判断基準とされる世界へ。
再び飛び込む。
すべては、わたしのやる気次第。それは、去年の職場から学んだこと。
今回、やる気は、…お金を稼ぐこと、そして働くこと。
働くって、組織を作ること。
組織に使われること。
それは、生きる営み。
プライドや自意識だけでふくれあがってしまいやすいわたしを牽制するために、
適度に傷つく環境へ?
そして適度に成長が実感でき、楽しさと、そしてある意味幸せを実感できる環境へ。
わたしが、つくっていけばいい。
そうだな、今入っているあのボランティア、あれは、M機能がすごく大切にされる場所。
わたしは間違っていなかった。そう信じたい。
そして適切に、相手に伝えられるようになりたい。
仕事ができない、それがわたしのコンプレックス。
それを、このバイトで、いかに克服できるのか。
いくら考えがしっかりしてても、ふわふわのおぼつかない行動をするアルバイトより、
ぱっぱら~でも、しっかり動いてくれるアルバイトのほうが使える。
そんな状況の中へ、自ら入り込む。
組織ありきの中へ。
使える人間になるか、使えない人間になるか、それが判断基準とされる世界へ。
再び飛び込む。
すべては、わたしのやる気次第。それは、去年の職場から学んだこと。
今回、やる気は、…お金を稼ぐこと、そして働くこと。
働くって、組織を作ること。
組織に使われること。
それは、生きる営み。
プライドや自意識だけでふくれあがってしまいやすいわたしを牽制するために、
適度に傷つく環境へ?
そして適度に成長が実感でき、楽しさと、そしてある意味幸せを実感できる環境へ。
わたしが、つくっていけばいい。
おっとー、きりがなくなってきたからこの辺にすっか。
わたしも暇だな。さすが学生。
わたしも暇だな。さすが学生。