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日記。11月

    

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11/9

利害関係。
結局それが一番強いと思う。
自分に利益があるから、ないから。
それは、かなりの出来事の根拠となり、正当化される。
利害関係。
ビジネスだけではない。ともだち関係も。
だってあの人嫌なんだもん、その気持ちはどうすることもできない。
そう思うことは、それぞれの自由として、憲法で保障されてるし。
(たぶん、ね)
それを前提に、社会は作られているともいえるし、
そうじゃないともいえる。
わたしは、その…感情を、持っていないから、
正当化も何もできないのかも。
―なんでそれやってるの?
「だって楽しいんだもん」
―なんでできないの?
「だって無理なんだもん」
そこから始まる、すべての解決方法は。
意見がない、はっきりしない、それは、
わたしが、感情という実は大事なものを、あまり、
重要視してこなかったから。
おおきな人は、その感情というところに、丁寧に目を向ける力を持っている。
自分の感情を大切にし、相手の感情を大切にする。
そこから始まる、ということをわかってるから、
建設的な議論ができる。
「まぁまぁ、感情的にならずに…」
けど、冷静に、お互いの感情を見つめ合う。
それが、建設的なのか。
感情を見る力、それに対応するパターン、これは、教わらなきゃできないこと。
親から、周囲から、
教わりながら育つこと。
教われなかったら、できないこと。
臨界期超してても、ほら、EQは育つっていうじゃない。
そうなんじゃないだろか?
さぁ。
わからんが。
「もっと自分を大切に」
いろんな人に言われる。
わたしは、自分を大切にしていると思う。
だけど、そうは見えないらしい。
それは、いわゆる、↑そういうことなのだろうか。

だってそうだよね、「好き」って気持ちは、
感情だけのもの。理屈じゃないもの。
感情を大切にするからこそ、それを根拠に、
いろんな大胆な行動が生まれてくる。
自分の気持ちを大切にできない人に、恋愛なんて、できないんだよ。

11/9

殻を破りたい。破りたい。
破れないよう、破らないよう、生きているから、つまんないんだ。
破っちゃえ。覚悟だ。
その覚悟がイマイチできてないから、この状況が続くんだ。
今の状況につかれ、新しい状況へジャンプしたくなるまで待つのか…
どうしよう。
殻を破れば、どんなに楽か。
そしたら、今までのわたしはどうなるの。我慢してきた日々は、どうなるの!?
その惜しみがあるから、きっと、ずーーっと、、ジャンプできてないのかも。
思い切りは、必要だ。
今まで投資した分を、すべて、あきらめる。
時には、そんな覚悟も、必要だ。
いちから、スタートする。
そうだったじゃない、あのときは。
いつも、これが最後のチャンス、今だからできること、やっちゃえ!!
その勢いで、何でも来た波に乗っていた。
そして、乗り切れていた。
あんなやつらにやられてたまるか。
あんなやつらがわたしの人生面倒見てくれるわけではなし。
やっちゃえよ。
時々、そう思うんだけど、思い切れないところもあったんだよね。
そんなとき、漠然と胸の中にしまいっぱなしだったから、
言葉にしなかったから、うまく先に進めなかったんだよね。
やりたいこと、やればいいじゃん。

そう、わたしは、やりたいことを存分にやってきて、それを認められていたときと、
やりたいことができなくて、まったく認められなかったときの、両方を、
経験している。
だからこそ、今度はうまくいく。
わたしなりの積み重ねは、ほかの人のそれと同じくらい、そして
まったく質の違う、わたしだけのものとして、ここに、ほら、キラキラ存在している。
この静かな輝きを、見過ごすの?
美しさ、センスのよさ、それにはっと目を奪われるみたいに、
わたしの心の中にあるとても素敵なキラキラを、もう少し素直に表に出して、
互角に渡り合っていければいいじゃない。
すべてがうまくいく。うまくいかないけど、そんな気分にもなれる。
きっと、わたしが思っている以上に。

11/17

わかったよ。
わたしは、嫌われたんだ。
わたしは、嫌わない。これだけは、誓える。
わたしは、あのひとに気に入られるために生きてるんじゃない。
だけど…
つらいよ。かなしいよ。さびしいよ。
わたしはあのひと、尊敬してる…
わたしは馬鹿だから。
賢いひとはすごいと思うよ。
同じ言葉を返してあげるよ、
「できる人には、出来ない人の気持ちがわからないでしょ」
この言葉に立ち向かう術もなくさまよっていたあの頃、
でも今はこの言葉でしか表現できないこの気持ち。
さみしいよ。つまらないよ。
やろうとしないのがいけないんだ、というそのご指摘、
有無を言わせぬ正論。
わたしにはわたしのやり方がある。
…昔からの、解決していない問い。
○ここでやっていけなかったら、他がある
○ここでやっていけなかったら、他もない
どちらをどのように解釈して、生きていけば、いいんだろう?
世の中を動かすのは、できる人。
そこを利用するか、あえて気にしないでいくか…
わたしが無視し続けているものは何だろう。
自分で気付いてないのかもしれない。他の人は気付いているのに。
そこを、でも、指摘されることは、あまりないし、
これからも、してはもらえないだろう。
共存、共生という言葉の美しさ、それは
自分自身と対峙できるかどうかの厳しい現実。
「考えがネガティブにすぎるようです」
そりゃそうだ、こんな状況になってネガティブにならないほうがどうかしてる。
「静かなコミュニケーションを好む人も少なくありません」
わたしは静かなだけではない。
「自分なりの方法を考えてみてはいかがですか」
そうですね…

自分自身をみつめる力、あるというなら、これは何?
できない屈辱、これは、何?
あのひとに会えば、かならず説教口調で諭される。
ただの相談をしたいだけなのに。
あのひとに会えば、無言の圧力を感じる。
わたしの理解を超えている。
あのひとに会えば、言いくるめられる。
ああ言えばこう言う、できないとだめですか。
どこで狂ったんだろう。そしてわたしのせいにされる。
自分に責任はないと。
わたしが情報発信しないからか…
できない理由もわかってよ…
今は相手を優しく受け入れる状況ではとてもない。
付け入らせているのは、わたし自身も利用しているから
あのひとに対する優しい笑顔は、社会的な戦略から、心の奥の恐れから
わたしは何を恐れているの?
何を利用しているの?
利用しているからされるんじゃないのか。
いえいえ、自分の思い通りになるなんて、思いあがってるからつらいんだ。
他人は、基本的には、自分の手に負えない存在。
それがわかって始めて、自分は自分の人生を生きていけるのだと思う。
わたしは、ネガティブにすぎますか?
ここから脱出できない理由は、わたしだけではないんじゃないですか?
個人的なことは社会的なこと。
何かあるでしょ。
言葉を探したい…。