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 少女の名を、ティルエルティカという。
 金髪碧眼。髪は短めのセミロングで、大きく愛くるしい目が特徴的な、いかにも〝美少女〟という呼び名がしっくりとくる少女だった。
 身に纏っている服には、手の周りと首周りに目立たない程度のレースがついており、とてもこれが軍服だとは思わせないような着こなしを見せている。
 彩色の王国〝ライラック〟の王、ディスベルクの血を正統に引き継ぐ王女であり、生まれたその時から十九年間、大切に育てられてきた。
 ライラックは平和な国だ。他国との交流関係は常に良好な状態にあるし、城下町を隅々まで見渡しても廃れている場所など一切ない。勿論、衣食住に困っている国民などいようはずもなかった。
 それでも一応その身を守る為にと、ティルエルティカは幼い頃から護身用に剣術の鍛錬を積んでいた。
 始めこそ、重い剣を振るうこと、積極的に体を動かすことを嫌がった彼女だったが、めきめき上達していくことが楽しくなっていったのか、直ぐにその実力を開花させ、気付けば彼女の腕は、かつて剣豪と謳われた父・ディスベルクの腕とさほど違わないとまで言われるようになっていた。
「はぁ…」
 そのティルエルティカは、王城にある自室で、雲一つない青い空を眺めながら、深い──本当に深い溜息を隠さずに漏らしていた。
 自分ではそれなりに充実した日々を送っているつもりではある。
 毎日の剣術の鍛錬は楽しいし、城の暮らしに文句があるはずもない。それでもやはり、人間の欲というのは絶えないものなのかもしれない。
「退屈ですわ…」
 王女らしからぬその発言を世話役のセイランが聞いたら、きっと顔を真っ赤にして叱られるのだろうと想像して、苦笑を漏らす。
 平和なことは良い事だと思う。勿論戦争など起きて欲しいはずもない。けれど刺激の無い毎日は、年頃の乙女にしては退屈すぎるのだった。
 大好きな剣術の稽古も、決められた時間内しか出来ない。
「折角お父様から譲り受けたこの剣も、使いどころが全くありませんわね…」
 ティルエルティカは、自分の腕の中で静かにその存在を示しているライラック王国に伝わる宝剣《トランクイリティ》を眺める。
 今は鞘をしているため刀身を覗き込むことは出来ないが、もし刀身を覗き込もうものなら、どんよりと憂鬱そうな顔をした自分が映ることが容易に想像できた。
 その《トランクイリティ》は、柄の部分を豪奢な薔薇の装飾で鮮やかに飾られていた。──遥か昔、まだライラック王国が繁栄を迎えたばかりの頃、当時の国王が王都中に報せを出したことがあったそうだ。
 曰く、“花のように美しい剣を作ってみせよ”
 ──そして出来た剣が、この《トランクイリティ》という話だった。当時の王は《トランクイリティ》の出来栄えに心底満足し、これを作った鍛冶屋に、莫大な報奨金を与えたと言う話だが、それは余談。
 そして、見た目も然る事ながら、剣の切れ味も相当なものがある。
 《トランクイリティ》が作られてから、既に数百年という歳月が流れているのにも関わらず、その切れ味は全く衰えるところを知らず、むしろ歳月を越えるごとにその切れ味が増しているとまで言われている。一説では、空をも斬ったとかなんとか…。これも余談ではある。
 更に、この宝剣はただ斬れるだけではない。
 使用者が灯した心の色をその刀身に宿し、それを具現化することが出来るのだ。
 例えば、ティルエルティカが《朱》を心に灯したとする。すると、《トランクイリティ》はその刀身に燃え滾る炎を宿す。《蒼》を灯したとすると、その刀身に清く穏やかな水を宿す──と言うように、理屈では到底考えられないような現象を起こしてしまう。学者たちは代々この謎を解明しようとしてきたのだが、ついに解明されぬまま、仕方なくさじを投げる形となってしまった。
 ティルエルティカは鞘から刀身を抜き、心に《様々な色》を灯す。
 《トランクイリティ》はそれに答えるように、刀身を淡く輝かせ、そしてそこにたくさんの“花”を生み出した。
 その花たちの香りを胸いっぱいに吸い込むと、窓から外へと放り投げてやる。花たちは風に乗り、その勢いを失わぬまま、城下町へと流れていった。
「ティルエルティカ様、入ります」
 流れて行く花たちを眺めていると、部屋の外からセイランの声がした。
「どうぞ、お入りなさい」
 小さな音も立てずに、静かに部屋に入ってくる世話係の少年セイラン・ランフォードは、抜き身の《トランクイリティ》を目に留めると、溜息を漏らす。
「相も変わらず、美しい剣でございますね」
 手にもっていた大量のドレスを丁寧な手つきでベッドの上に横たえると、少女のような少年は、その目をうっとりとさせる。
 セイラン・ランフォードは、代々このライラック家に仕える家系の跡取りだった。年の頃はティルエルティカと四つ違いの十五歳。物凄い童顔の為、たまに少女に間違われることもある。
 ティルエルティカが幼い頃からずっと世話を焼いてきているので、彼女が一番信頼の置ける人物と言っても過言ではないかもしれない。
「ええ。けれど、使われぬこの子自身としては、不本意ではないかしら…」
「そんなことはありませんよ。きっとその剣は、ティルエルティカ様の周りに纏わりついてくる、全ての災厄を祓っているのでしょう」
 そういうセイランの表情は、有無を言わせ自信が漂っている。だからティルエルティカは、
「そうですわね」
 と、苦笑混じりに返すことしか出来なかった。
「ところで…そちらのドレスはなんですの?」
「あ、これですか?」
 セイランが入室時に持っていた大量のドレスを目線で指して、ティルエルティカは問う。
「そのドレスは確か、式典用のものでしたわよね? 近くに何かありましたかしら」
「いえ、そういうわけではないのですが。ティルエルティカ様も、来年はご成人なされるでしょう? だからそのための衣装合わせを思いまして」
 その答えに、ティルエルティカは愕然とする。
 確かに来年彼女は成人する。しかしまだ誕生日も迎えていない今の時期から、衣装合わせをする必要があるのだろうか。
「いくらなんでも、早すぎはしませんこと…?」
 ティルエルティカの素直な問いに対し、セイランの表情が一変した。
「いいえ! 今からでも遅すぎるくらいです! お城の衣装部屋にはまだ何千着というドレスがあるのですから、本当だったらティルエルティカ様が自我をお持ちになったころから、少しずつ決めていきたかったのですが…」
 こと関して、セイランはティルエルティカのことになると性格を変える。ティルエルティカが特に大雑把とか、そういうわけではない。セイランが几帳面すぎるのだ。
 食事の好き嫌いを筆頭に、喋り方、服のセンス、髪飾り、耳飾り、首飾り…etcetc。それら全ては、殆どセイランの言を軸にして作られたものばかりだった。実際セイランの趣味は抜群なので、ティルエルティカはそれで満足しているのだが、たまに行き過ぎではないかと思うことがあるのも否めないでいた。
 例えば、今がいい例である。
「じ、自我を持ち始めた頃…ですか。いくらなんでも、それでは衣装の寸法もありますし…」
「そんなものは、縫い直せばなんとでもなるのです。大事なのはどれが一番ティルエルティカ様に似合うかということですから、大きさなど大した問題にはなりません」
 そういうと、セイランはベッドに横たえてあった一着のドレスを取り、ティルエルティカに近寄る。
「これなんてどうですか? 少し地味な気もしますが、ティルエルティカ様の気品を漂わせるには、これくらいの方がいい気がするんですよねぇ」
「そうですわね…いいのではないかしら?」
 ティルエルティカより頭ひとつ分くらい小さな少年は、大きすぎるドレスをいっぱいに引っ張って、ティルエルティカの体に合わせようとする。
 しばらくその衣装を眺めていたセイランだったが、どうも気に食わなかったらしく、次のドレスを持ってくる。
「これはどうですか? さっきとは一変、随分派手な気がするんですが、それでもティルエルティカ様の気品を漂わせるには、このくらいの方がいい気がするんですよねぇ」
 さっきとまるで真逆のことを言う。これから数時間はこの少年に付き合うことを覚悟して、ティルエルティカは内心溜息をつくのだった。

 ──五時間。
 あれから、たっぷり五時間たった。
 青を基調としていた空はすっかり真紅に染まり、そろそろ夕闇が迫ろうとしていた。
「ん~、これもイマイチですね」
 もう、何度目の言葉だろうとティルエルティカは思った。
 セイランは、まるで機械仕掛けの人形のように、
「これなんて~……~気がするんですよねぇ」
 を繰り返し、それに対してティルエルティカは、
「そうですわね…いいのではないかしら」
 を繰り返した。
 剣の鍛錬の成果もあってか、ティルエルティカは大分忍耐強い自分を得ていると思っていたが、しかしこの五時間で全てを覆された感じすらしていた。
 つまり、そろそろ限界だったのだ。
「ん~…これもダメですね」
「セイラン…」
 最後の理性を心に宿し、ひたすら同じ動きを繰り返し続ける機械人形に、制止の声をかけた。
「なんですか?」
「そ、そろそろ夕闇も迫ってきたことですし、今日は一旦やめにしません? 私疲れてしまいましたわ…」
 しかしその機械人形は、ティルエルティカの気持ちには答えてくれなかった。
「いえ、今日はまだ時間がおありのはずでしたよね。剣の稽古も午前中には終わっていましたし。後数十着はお付き合いくださいませ」
 ──すうじゅっちゃく。
 ──すうじゅっちゃく?
 ──すうじゅっちゃく…?
 ティルエルティカの脳内に届くまで、おおよそかかった時間は十秒足らず。脳がその単語の意味を理解したとき、ティルエルティカの中で何かが弾けた。
「い、いい加減になさいっ!!」
「う、うわっ!? ティルエルティカ様? ど、どうしたんですか?」
 次のドレスをどれにしようか迷っていたセイランは、ティルエルティカの突然の奇声に、驚きを隠せずに振り返る。
「お黙りなさいっ!!」
 しかしティルエルティカはセイランに喋る暇を与えず、鞘に納まっていた《トランクイリティ》を抜き身にすると、何が起こっているか理解出来ていない少年に詰め寄る。
「え? ティルエルティカ様? どうしたんです? え? 水? 水を宿してどうするんですか? ちょ、え、う、うわっ! いやっいやあぁぁぁぁぁぁ………」
 夕闇の空の下、少年の悲痛な叫び声は、その日城下町の端まで響き渡ったと言う──。


 セイラン・ランフォードは、ティルエルティカに水攻めにされた後、着替えを済ますため、王城内にある自分の一室へと足を運ぶ途中、主であるディスベルク王に呼び止められた。
 そこで余りにも突然に、世界の情勢を知らされる。
 そして、王は言う、
 ──ティルエルティカを守ってくれ。
 と。
 主の命は絶対だ。家臣の身で命令に逆らうことなど出来ようはずがない。だから、セイランは一言だけ、
 ──かしこまりました。
 そう、言うのだった。


 ──翌日。
「ティル、話がある」
 朝食後、ディスベルクに呼び止められ、ティルエルティカは足を止めた。
「改まってどうしましたの? お父様らしくありませんわ」
 冗談めかしたティルエルティカに対して、しかしディスベルクの顔は真剣そのものだった。
 ティルエルティカもその雰囲気を察知できないほど鈍くはない。直ぐに真面目な話だと判断し、黙って歩きだしたディスベルクの後を追う。
(真剣な話…?)
 考えるが、思い当たる節はなかった。
 父のあのような顔を見るのは、初めてだったかもしれない。
 それ故に、不安に押し潰されそうになる。
 無意識に、腰に挿してあった《トランクイリティ》を腕に抱き、抱え込む。
 変わらぬ足取りで前を行く父は、一体何を考えているのだろう。
 答えの出ない問いを頭の中で繰り返しているうちに、ディスベルクの自室前にまで来ていた。
 ディスベルクが先に部屋に入り、一瞬躊躇してからティルエルティカも足を踏み入れる。
「ティル、お前は今、この世界がどういう状態にあるか知っているか」
 部屋に入るなり、ディスベルクは唐突に話を始めた。
「この世界がですか…? 私の知る限り、特に何の問題もなく、平穏な世界だと思っていますが…」
「そうだな。その認識で間違っていないだろう」
 そこで一呼吸置き、ディスベルクは真っ直ぐにティルエルティカを見る。
「しかし、それはこの国の中だけでの認識だ」
 ティルエルティカは意味を図りかね、ディスベルクの次の言葉を待つ。いつもは涼しげな顔をしている父の顔が、今はとてつもなく怖かった。
「…はっきり言おう。先日、隣国の交友国フェルミナが堕ちた」
 四季の王国〝フェルミナ〟──春夏秋冬全ての季節において、何かしらの作物を育てることが出来る唯一の国だ。それ故に隣国との交友が最も盛んな国であり、この辺りでは一番の繁栄を迎えている大国である。
 その大国フェルミナが、堕ちた──?
 いまいち意味を図りきれないティルエルティカは、父に問う。
「お父様、〝堕ちた〟とは、どういう意味ですの──?」
「そのままの意味だ。何者かの手によって、フェルミナが潰された」
 忌々しげに舌打ちをし、ディスベルクは苦い顔を隠そうともしない。
 ──潰された?
 潰されたというのにも色々意味があるだろうが、父が言う意味での潰されたは、きっと自分が想像しているものなのだろうと確信を得ていた。
 つまり、国を滅ぼされた──と。
「フェルミナだけではない。隣国──殆どの交友国が、その何者かの手で滅ぼされている」
 ティルエルティカは、ただ愕然とすることしか出来ない。
 永遠にこの平和な日々が続くものだと思っていた。それが、こんな形で崩壊していくものとは、考えもしなかった。
「な、何故ですの? 何故国が滅ぼされなければならいのですか?」
「わからん。この辺り一帯の国は全て潤っていたはずだ。他国を侵略して、作物などを奪い取る必要性などない。だとすれば──」
「〝ドライヴ〟──ですの?」
「…他に考えようがない」
 〝ドライヴ〟──簡略に言うと、地底人である。遥か昔、地上を追いやられて地下に潜った人間たちがいる。その経緯は一切が不明で、過去の書物の中で消滅させられてしまった。経緯が不明なこともあり、今では多少の交流も許されているが、やはり完全に存在を許している国は少なかった。
「ですが、何故今頃になって…」
「それも、わからん。単に作物がなくなったのだとすれば、もっと昔にこういう事態になっていたはずだ」
「……」
 ティルエルティカは何も言えない。ただ今わかることは、近いうちこのライラックも、その何者かの手によって堕とされる可能性があるということ。それだけだった。
「……──或いは、復讐かもしれんな」
 父の真意に近い言葉を聞き、背筋に悪寒が走る。
 この平和な国には似つかわしくないその単語。
「──戦争に、なりますの…?」
「…そうなるだろうな。その為に今軍備を整えている」
 ──戦争。
 口にするのは簡単だが、その言葉はあまりに重過ぎる。
 何千、何万という民が死ぬ。
 出来れば避けたかった。投降することで民の死を免れるなら、それも止むを得ないと思った。けれど、隣国の状況を見る限り、それは叶わぬ夢なのだろう。
「ティル、お前は国を出ろ」
 思案に耽っていたティルエルティカの耳に、突然有り得ない言葉が飛び込んできた。
「…今、なんと言いましたの?」
「国を出ろ。と言ったのだ」
 ティルエルティカは、出来れば戦争は避けたいと思った。
 けれど、避けることが出来ない戦争ならば、戦わないと民が死ぬ。
 勿論、人を殺したことなどない。
 それでも、我が国の民を守る為、大事な人を守る為、自分を守る為、その為なら、人を殺す覚悟も出来ていた。
 それなのに、父は今なんと言った──?
「い、嫌ですわ!! 私も…私だって戦えます!」
「ならん」
 父のその言葉には、有無を言わさず何かが込められている。しかし、当のティルエルティカは納得できようはずもなかった。
「何故ですの!? でしたら、今まで何のために剣の稽古をしてきたのですか! 今こそその腕を振るうときではありませんの!?」
 理にかなったティルエルティカの言葉。しかしディスベルクは、真っ直ぐにその目を見ると、諭すように告げる。
「ティル。お前はこの国を担う存在なのは分かっているな? もし私が今後起こる戦いで命を落としたとき、頼れるのはお前しかいない。それなのに、そんなお前を戦場に出すことなど出来るはずがないだろう」
「それでも、それでも私は……!」
 言葉が続かない。父の理不尽な押し付け。それが悔しくて、悲しくて、ただ涙を流すことしか出来ない。
「分かってくれ。私はお前を失いたくない」
 ゆっくりと父の大きな腕がティルエルティカを包み込む。
 ──私は、この腕に守られてきた。
 ──私も、誰かを守りたい。この偉大な父のように。民を、国を守りたい…!
 誰になんと言われようと、戦う。その小さな胸に、大きな決意を抱いた、その刹那のことだった。
 城の外、城門のある辺りから爆音が轟いたのは。
「何事だ!?」
 ディスベルクは抱いているティルエルティカの体を離すと、部屋の外に向かって声を張る。
「て、敵襲です! 数は不明! 城門が突破されました!」
 兵の切羽詰った様子に、状況が芳しくないと判断したディスベルクは舌打ちを堪え切れない。
「まさかこんなに早く…!!」
 ディスベルクは苦虫を噛み潰したような顔を作ると、すぐさま指示を出す。
「城下町にも兵を出せ! どうなっているか随時報告させろ! 城にいる女子供を城の奥に隠すんだ!」
 王たる権限をかざし、兵に命令する。戦いに慣れていない兵はうろたえるばかりだったが、ディスベルクの命令にハッとすると、すぐに言われた通りの行動に移る。
「ティル! お前も奥に行くんだ!」
「私は…!」
「セイラン! セイランはいるか!」
 ティルエルティカの世話係の少年の名を呼ぶ。すると少年は直ぐにその姿を現した。
「ティルを…、ティルエルティカを…──私の娘を、頼んだぞ」
 ディスベルクは心痛にそう告げると、彼の肩を抱き、部屋を後にした。
「かしこまりました」
 感情を表に出さず、セイランは事務的にそう告げる。その表情は読み取れないが、肩が震えているようにも見えた。
「セイラン! 私は戦います! そこをどきなさい!」
「なりません。あなたは…──ティルエルティカ・ライラック様は、この国を担うお方。ここで死なせるわけにはいかない」
 四つの年の差がある少年の、その勢いに気圧され、尚も詰め寄ろうとしていたティルエルティカは、紡ぐ言葉を失った。
「こちらへ」
 その小さな体からは想像も出来ない力で引っ張られる。こんな状況下の中、今更にセイランが男だということを再認識させられた。
 それと同時に、涙が溢れてとまらない。
 ──これは罰? 退屈な日々を呪った私への、罰なのですか?
 平和だった。幸せだった。それで満足しなければいけないはずだったのに、ティルエルティカはそれ以上のものを望んでしまった。それ故の、この結果なのか。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
 嗚咽を漏らしながら謝り続ける年上の女性。何を謝っているのかは知らない。けれどセイランは、彼女は悪くないと確信していた。自分が信じている人だから。誰よりも大切な人だから。──だから、セイランはその手を強く、強く握り、走るのだった。

「ここにいてくださいませ」
 王城の奥の奥、最も奥にある、人が一人いるのには大きすぎる四方を壁に囲まれた一室。ティルエルティカですら入ったことのない部屋を、セイランが知っていた。そのことも気になったが、それよりも、その部屋に誰もいないことの方に思考を持っていかれた。
「他の──他の者はどこにいるのです」
 セイランは答えない。ただ真っ直ぐにティルエルティカの目を見、告げる。
「ここには食料も水もあります。数ヶ月は耐えられる設備が整っておりますので、誰かがくるまでここから出ませんよう…」
「セイランっ! 答えなさい! 他の者はどこにいるのですか!!」
 ティルエルティカは殆ど叫ぶようにセイランに詰め寄った。しかし、セイランは答えない。
「私だけに…私だけに生き残れと言うのですか!!」
「貴方は、この国を担うお方です。その自覚をお持ちくださいませ」
「民を虐げておいて何が王ですか! 私はそんな国の王になどなりたくはありません!」
「いい加減になさい!!」
 セイランの一喝。今まで幼いころからずっとセイランを見てきたティルエルティカだが、ここまで本気で怒鳴ったセイランを見たことなど一度もなかった。
「分かってください。私たちは、あなたの為にいるようなものなのです。そのことを忘れず、どうか、どうか生き延びてください」
「セイ…ラン……」
 ティルエルティカはその場で崩れ落ち、言葉を紡げなくなる。
「次にお会いするときまでには、成人式の衣装を決めておきます故…楽しみにしておいてくださいませ」
 そうにっこり笑うセイランの瞳は、王女を見る瞳ではなかった。
 そして、重厚な扉が音を立てて閉められる。
「セイラン……。セイラン…! セイランっ!!」
 その名前を呼び続ける。何度も何度も呼んだ名前だったが、まだ呼び足りない。
 いつも傍にいてくれた小さな少年。時には喧嘩もした、一緒に泣いたこともあったし、笑ったことだってあった。王族と臣下という壁を越えた一瞬だって、何度もあったはずだった。
「────ッ!!」
 一人でいるには広すぎる部屋で、ティルエルティカは泣き続ける。
 泣いていれば、誰かが迎えにきてくれるかもしれない。
 そんな子供じみた考えをどこかに浮かべながら、ひたすらに、泣き続ける。


 ──見慣れない天井があった。
 いつの間に寝ていたのだろう。ずっとあのまま泣いているものだと思っていたが、これが人間というものなのだろうか。
 未だ覚醒しない意識を奮い立たせ、なんとか体を起こす。
 果たしてそこは、先ほどまでいた部屋とは全てが違っていた。
 石で作られていたはずの四方は、全て鮮やかなレンガで囲まれていた。趣味は悪いが、見るからに高価な調度品を所狭しと並べている。この部屋を飾った住人の趣味が伺える内装だった。
 いくつかある小さな小窓から外を覗くと、石造りで作られた円形の舞台が視界いっぱいに広がる
 明らかに、ティルエルティカの知らない場所──。
 激しい焦燥感に駆られ、思わず《トランクイリティ》を抜く。
 動悸が収まらない。
 まさか奴らに見つかって──?
 何もかもがわらかないまま、部屋に唯一ある出入り口の扉に目を留める。
 動かないことには始まらない。扉に手をかけ、静かに扉を開ける。

 そこに広がる世界は────