手を伸ばせば掴める未来が、目の前にあるさと嘘を吐いた。
 これはきっとその罪の履行。陶酔を願う余り性命双修を怠った外法者へ下される、幸福というカタチの罰である。
 痴れた音色に包まれた地球上に蠢くは、只覚めない極楽の夢に酔う――夢想の成れの果て、だけ。



 ◆  ◇  ◆  ◇



 鎌倉市――
 凡そ十七万人もの人口を抱えるこの街では、とある都市伝説が流布している。

 曰く、夜の高徳院で剣を携えた鎧武者を見た。
 曰く、八幡宮の屋根上より光の矢が舞い、遥か先を歩く人間を撃ち抜いた。
 曰く、黄金の輝きを放つ槍を担った、西洋風の騎士に遭遇した。
 曰く、早朝の空を天馬を駆って駆け抜ける、天使のような美少女の姿を捉えた写真がある。
 曰く、廃墟と成り果てた屋敷で、得体の知れない土の化物と、陣に座ってそれを生み出す魔女へ行き遭った。
 曰く、髑髏の面を被った黒子に触れられた男が、たったそれだけで息絶えた。
 曰く、天すら震わす嘶きをあげる怪物が夜な夜な現れ、それと出会った者は生きては帰れない。

 全てを挙げればキリがないほどの、フォークロアの数々。
 場所も、怪奇事象の姿形も、犠牲者の有無も、何もかもが一致しない。只一つだけ共通点を挙げるとするならば、それは"深夜の鎌倉市にて、現実の物とは思えない怪人・怪物と遭遇する"というコト。
 極東の島国と関係があるとは到底思えない、西洋風の騎士や聖女。
 生物学の何たるかを完全に無視した速度と軌道で天を翔ける異形、そしてその駆り手。
 そう来たかと思えば魔方陣を用いて土細工(ゴーレム)を生成し、近寄る者を食み殺す魔術師。
 果てには無差別に生命体を強襲する理性なき怪物と来た。――普通、こういった眉唾物の民族伝承というものには、その国家の国風、或いは伝説、宗教……等々、自ずと一定の共通点が生まれてくるものだが、鎌倉伝説にはそれがない。
 これを調べた民俗学の専攻者は、皆一様に頭を抱えたという。

 分からない。
 この時世、この日本という国、そして鎌倉という土地で。
 何故、こんなにも荒唐無稽な噂話が、伝説が……さながらパンデミックのように拡大しているのか、とんと見当すら付けられない。彼らに言わせれば、これは『明らかな異常事態』であるそうだ。
 そう。それこそ――語られる目撃談のその全てが、嘘偽りなき真実でもない限りは。


 そして、彼らが肩を竦めながら口にしたその喩えこそが、この鎌倉伝説の全てである。



 日本。
 中国。
 ロシア。
 ヨーロッパ。
 中東圏。
 地球各所に伝わる古代神話。
 ――そして――この世界の人間には決して知る筈もない、別な次元世界より招来された者達。

 彼らは英雄。
 彼らは悪鬼。
 彼らは女神。
 彼らは天使。
 彼らは愚者で、彼らは英雄。
 形はどうあれ、世界へ名を刻み込むに値する所業を成した『価値ある魂』。
 本来無意識の底で眠り続ける筈のそれらが、三者三様の祈りを掲げて再び常世へと現界すること。
 そして彼らの影には、都市伝説を語る者すらも未だ気付いていない、そんな魂達を使役する資格を有す主が存在すること。
 何ら変哲のない街であった筈の鎌倉に異常事態を持ち込んだのは、大きく分けてこの二種の来訪者の所為である。

 叶わぬ願い。生前遂げられなかった宿願。若しくは大それたものなどではなく、ほんの気の迷いで抱いてしまった小さな祈り。素体は問わない。どんな矮小なものであれ、願いを抱いた時点で全ての人間が、この鎌倉へ招かれる資格を得る。
 では、己の祈るままに足を踏み入れた彼らが何をするのか。
 泰平の世――平和主義という微温湯で培養されたこの鎌倉市で、何を成そうとするのか。

 この『伝承』の頁を開いた読者諸君にとっては、最早論ずるまでもないだろう。



 それが聖杯戦争――――ヒトの願望が生む、戦争なのだ。




 「満たされぬ現状の打破を、覚めない夢へ委ねるのは――果たして罰せられるべきコトであるのかな」





 神すら問い殺す求道者と称された、黒衣の神父が言い嗤う。
 市内の教会にて神父を務めるこの男は、しかしながら言ってしまえば『人形』でしかない。
 鎌倉の地へ出現した聖杯が創り上げた、聖杯戦争を監督するに最も相応しい擬似人格。
 さりとて、愉悦を含んだ笑みに貌を歪めるその姿から無機的なものを感じ取る輩は居ないだろう。

 鎌倉伝説とは――ひいてはその原因となった、聖杯戦争とは何なのか。
 何故この鎌倉に、奇跡の願望器と謳われる聖遺物が顕れるのか。
 己は何から生み出され、何を以って終焉を迎えるのか。
 そして……鎌倉の聖杯戦争を望み、引き起こしたモノが何を考え、何を願うのか。
 彼は全てを識っている。全てを知るからこそ、公平なる審判者として、これより始まる戦争を見届けるのだ。
 召喚された主従は、開幕の日から着々と潰し合いの中でその数を減らし……今となっては既に当初の三分の一ほどとなっていた。真なる聖杯戦争に必要な英霊の数は、都合二十三。謂わばこれまでの戦争は全て、来る本選へ名を連ねるに足る願いを選別する為の『予選期間』であったと言ってもいい。


 「好きに願いを抱けばいい。この地に於いて、それを憚る必要など何処にもありはしない。
  おまえ自身の理想を求めて痴れろ、悦楽の詩を紡ぐがいい。
  おまえがそう願うならば、おまえの中ではそうなのだから」


 おまえがそう願うなら、その願いはきっと正しい。
 誰に憚ることがある――さあ、奏でろ。痴れた音色を聞かせてくれ。

 『言峰綺礼』という人格を越えた何処かから響くそんな声と、歪にゆがんだ二つの燃眼。
 太鼓とフルートの音色が響く月の中枢で、酔いの微睡みに揺蕩うソレが、聖なる杯の顕現を待っている。

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