胸に手を当てて現在の状況について考えてみた。といっても、実際には腕は組んだまま動かないため、「胸に手を当てて」というのは物の例えだ。
 今、自分たちはとある廃校の一室にいる。僻地までの避難の途中、突如としてサーヴァントの気配を感知して、退くに退けない状態になったからここまで来たのだ。
 そして、目の前にその主従がいる。
 これは間違いない。マスターと思しき少女が椅子にちょこんと座っていて、傍にはそのサーヴァントらしき少女も存在する。
 恐らく彼女らこそが、先ほど自分が感知した気配の持ち主なのだろう。接触する直前には戦闘に入る可能性も考慮し臨戦態勢を取ってはいたが、互いに戦闘の意思がないことを確認した現在は休戦状態になっている。

 と、ここまではいい。問題は次だ。
 おやつを食っている。

 大量の10円駄菓子が、机の真ん中にでんと鎮座している。ボロボロの机はかつては学校の備品だったのだろう、セイバーにも見覚えのある形をしていて、つまりは菓子類を多く置けばもうそれだけで肘を置く場所もない狭さだった。
 自分のマスター……アイ・アスティンは机の前の椅子に座って、周囲に満ちる困惑など物ともせず菓子に手をつけている。顔に浮かべるのは満面の笑みだ。
 そして机の向こうでは、変な帽子を被った、全く別の少女がにこやかに笑っていた。

 手をせわしなく動かし菓子の消費に余念がないアイも、やたら幸せそうにそれを見つめる少女も、外野三人の視線など一切気にしていない。なんというか、ある意味大物だと思う。
 何ともなしに自分以外の外野二人に視線を向ければ、マスターの少女からは曖昧な笑みを返され、サーヴァントの少女はなんとも微妙な表情を浮かべていた。
 ちなみに机には菓子だけでなく、簡単な飲み物類も置かれている。数は五つで、なんとそのうちの一個は自分の分だったりする。

 さて、改めてこうなった経緯を簡単に思い出してみよう。
 サーヴァントの気配を辿ってここまで来た。
 戦闘になるかもしれないと、覚悟を決めて赴いた。
 そしておやつを食っている。

(……なんでだ)

 右手のクッキーを、じっと睨む。
 ふと気が付けば、アイともう一人の帽子の少女がこちらを見ていた。

「……甘いの、苦手?」

 不思議そうに、少女は言った。

「いや、そうじゃなくてだな」

 上手く言葉が出てこないが、この状況はおかしい。絶対に何かが間違っている。はずなのだが、何が間違ってるかと聞かれても上手く説明できない。何もかもが間違いすぎていて、どこから突っ込めばいいか分からない。
 少女は依然、こちらを見ている。
 そして、アイが何故か糾弾するような目でじっとりと睨んでいることに気付いた。

"……セイバーさん、人の好意は素直に受け取るものですよ"
"いやお前な、それ以前にこの状況はなんか違うだろ。というかお前も少しは警戒しろよ"
"警戒……ああ、毒なら心配いりませんよ。この通りピンピンしてますし、何より美味しいですからね。大丈夫です"
"お前の中の毒ってのは美味い不味いで判別するものなのかよ"

 念話で益体もない会話を繰り広げ、当然の如く特に進展もないままセイバーは言葉に詰まる。
 気付けば残る二人からも視線を向けられており、ひどく居たたまれない雰囲気だ。
 最早進退窮まったと判断したセイバーは、手に持ったそれを口の中へと放り込んだ。
 市販のクッキーはほんのり甘く、噛み砕けば軽い舌触りのそれが口の中へ溶けていく。

 飲み込んだ。

「クッキー、美味しいよねぇ」

 にへら、と、少女が笑う。
 ……真面目に警戒していた自分が馬鹿らしくなってきた。





   ▼  ▼  ▼





「これは学校……ですね」
「ああ、学校だな」

 それは剣の英霊が頭を抱える十数分ほど前のこと。
 呟き会話する二人の前にあったのは、言葉の通り学校であった。いや、厳密に言えばその成れの果てか。
 そこは荒れ果てていた。正門に柵を失い、建物の壁はだらしなく煤けて窓は砕け、芝生は野生の植物との領土争いに負けて庭の隅に追いやられている。偉人の石像は今や頭部を失って性別すら分からず、校庭には未開の大地かと見紛うばかりの藪が生い茂っていた。
 見事なまでの廃校であった。建物全体が暗い影を落とし、午前中のはずの現在ですらも薄暗い雰囲気を醸し出している。

「で、ここからどうするかってことになるわけだが」
「行きましょう」
「そう言うと思ったよ」

 間髪いれないアイの答えに、セイバーもまた当たり前のように返した。答えを予想していたというのもあるが、実際ここで退くという選択肢は無いに等しかった。
 彼らが廃校の前にいるのは、そこにサーヴァントの気配を感じたことが原因だ。鎌倉市街から移動しようとした矢先、セイバーは市役所の北西から強い魔力反応を感じ取った。
 サーヴァント同士の感知能力は、逆に言えばこちらが探知できたなら相手もまた自分に気付いているということでもある。ならば不用意な逃走は、むしろ隙を晒して危険を招くことにもなりかねない。相手がアーチャーのように遠距離を攻撃する手段を持っていたなら尚更だ。
 相手の出方がどうであれ、こうして自ら接触するという選択肢はそれなりに常道ではあった。セイバーの横で使命感に鼻息を荒くする少女が、そこまで考えているかは分からないが。

「言っとくけどな、今から戦闘になる可能性だって十分あるんだ。そこんとこしっかり肝に命じておけよ」
「そんなことセイバーさんに言われなくても分かってます。ほら、早く行きますよセイバーさん」
「お前な……」

 やたら足取り軽やかにずんずんと突き進むアイに、セイバーは嘆息しかけた。昨日別の学校に寄った時から分かっていたことだが、この少女は学校というものに多少の興味を持っているようなのだ。
 本人に曰く、「私が通う暇なんてありませんけど、学校だって私の知らない場所ですからね」とのことだ。要は、知らないことは知っておきたいと、まあそういうことなのだろう。
 そんなことを考えている間にも、アイは早足でどんどん先へ進んでいく。敵襲の可能性があることくらい知っていると言ってはいたが、この様だけを見ればとてもじゃないがそんな風には見えない。あるいは、本当に理解した上で尚この態度なのか。
 間違いなく後者なのだと断言できるからこそ、この少女は危ういのだと、セイバーは思う。

 既に門としての機能を失った正門から足を踏み入れ、腰丈ほどに伸びた雑草を横目に昇降口に入る。校舎の中は外観の粗末さに比べれば大分整理がされていて、倒壊しないよう最低限の修繕がされているのだと分かる。しかしそれでも放置されて長い年月が経過していることに変わりはなく、歩くだけでも床がぎしぎしと嫌な音を立てる始末であった。
 今にも崩れそうな階段を昇り、廊下を歩くこと暫し。二人は『学園生活部』と銘打たれた紙片の貼られた教室の前で止まった。目の前には他より比較的修繕の為された壁。扉に備え付けられたガラスは経年で曇り、中の様子をうかがうことはできない。
 けれど向こうには、明らかな人の気配が存在していた。そして、サーヴァントの気配も、また。

「ここだな」
「こんにちは! 私、アイ・アスティンといいます!」
「おい待てこら」

 躊躇なく扉を開け放つアイを止める間もなく、教室内部が目の前に解放された。
 そこには、三人の少女が思い思いの表情で存在していた。















「ごひほうひゃまです、あひはほうほひゃいまふ!」
「どういたしましてー。やっぱりお菓子はみんなで食べたほうがおいしいね」


 そして現在に至る。
 無駄に元気よく挨拶したアイを、中にいた少女の一人───ゆきが、これまた無駄に元気よく返し、あれよあれよと言う間に客人用の菓子を御馳走される流れと相成ってしまった。
 朝から何も食べていなかったアイは口いっぱいに菓子を頬張り、対面に座るゆきは何が楽しいのかその様子を笑顔で見つめている。
 背格好も似通った二人が仲睦まじく会話する様は、周りの景色や置かれた状況を度外視するならまるで小学校の一風景のようにも見える。
 そして二人から若干離れた場所にはもう一人のマスターであるすばるという名前の少女が、遠巻きに小さく笑いながらそれを見ている。そして残る最後の少女、アーチャーに時折視線を送り、アーチャーがそれに微妙な笑みを返すという工程を何度か繰り返していた。

 ……なんだ、これ。

 セイバーの胸中を占める思考はそれだった。目の前で展開される光景があまりにも滑稽すぎて、いっそ自分のほうが場違いなのではないかとさえ思えてくるほどだ。セイバーとしては居心地悪いことこの上ないし、いつまで経っても話が進まない。
 色々と埒が明かないのでアーチャーに話を聞いたところ、「私達もつい先ほどここに来たばかりなんです」とのことだ。ゆきに対する対応を考えあぐねていたところにサーヴァントの気配を感じ取り、戦闘態勢を取っていたところに自分たちが来たということらしい。
 これだけなら、特に問題はなかった。すばる、アーチャーの両名共戦いには懐疑的で鎌倉の舞台から逃れる手段を探していると自称しており、現在は互いに休戦ということで納得している。無論、それを全面的に信用するわけではないが……少なくとも今この場において、アーチャー陣営に問題はない。
 そう、つまりは別の場所にこそ問題があるわけで。

「そういえばね、セイバーさんもアーチャーさんもアサシンさんと同じサーヴァントなんだよね?」
「はい、そうですよ」
「そっかぁ、じゃあアイちゃんとすばるちゃんも私と同じマスターなんだね!」

 ゆきとアイは、さも世間話のような気軽さでそんなことを話していた。実際、少なくともゆきの側は完全に世間話のノリなのだろうが、会話の内容はそんなものでは済まされないものだ。
 これが問題の一つ。ゆきもまた、聖杯戦争に参加するマスターであるということ。こちらから詰問するまでもなく、単なる世間話の端からポロポロと「マスター」だの「アサシン」だのと情報が漏れ出る始末だ。
 そして厄介なことに聖杯戦争のことを全く理解しておらず、それも使役するサーヴァントがアサシンで、なおかつ現状近くに存在していないというから恐ろしい。
 これにはセイバーもアーチャーも思わず天を仰ぎそうになった。よりにもよってアサシンのサーヴァントが、そのマスターすら関与していない場所で野放しになっているのだ。自分たちのマスターの身の安全を考慮するならば最早一刻の猶予もなくこの場を離脱するか、またはマスターであるゆきをどうにかする必要があるのだが……

(こいつが素直に言うこと聞くとも思えないしな……)

 そこで二つ目の問題が発生する。セイバーのマスターであるアイの頑固さだ。
 既に彼女には念話で幾度となくこちらの考えと現状の危険を伝え、上述の手段を行使すべきだと言っているのだが、全く相手にされない。
 これはアイと行動を共にして痛いほど分かったことであるが、アイ・アスティンは相当な頑固娘である。
 一度決めたら梃子でも動かない我の強さ。それに加えて元々の来歴と「世界を救う」という夢のせいか、こと「他者を見捨てる」ということに対しては異常なまでの拒否感を示すのだ。
 そのような性質であるからして、アイは見知らぬ人に出会えば絡んでいこうとするし、一度見知ってしまえばそいつがアキレス腱になってしまう。そうして救うべき誰かは際限なく膨れ上がり、どこまで行っても自縄自縛、全くもって救えない。
 いざとなれば力づくで連れていってもいいのだが、そうするとほぼ確実に全力で抵抗するだろうし、隙を見て逃げ出しここに戻ってくるだろうことは目に見えている。そんなことをすれば当然大きな隙を晒す。故に、彼女に納得してもらうまで悪戯に動けないというのが現状だ。

 そして、最後の問題が。

「えっと、せい、せい……聖杯戦争! うん、聖杯戦争って凄く物騒な名前だけど、みんな良い人で安心したよ~。
 ───ね、『くるみちゃん』」

 ……その一瞬、場の空気が凍りついたのは気のせいではあるまい。
 朗らかな会話の途中、ゆきは突如として横を振り向くと、誰もいないはずの場所に向かって話しかけた。
 誰もいないはずだ。そこには、アイも、すばるも、セイバーも、アーチャーも、あるいは霊体化したアサシンだって存在しない。
 ただ、錆つき朽ちかけたシャベルが、カランと転がっているだけだ。

 この和気藹々とした空気の中で、それでも未だにぎこちなさが抜けないのはこのせいだ。
 すばるも、アーチャーも、セイバーも、そこに拭いがたい違和感を抱いている。それが故に、アイのように会話に混ざることを躊躇していた。
 まるで動じていないのは、対面に座るアイだけだった。

「……その方は、くるみという名前なのですね」
「うん、そうだよ! くるみちゃんはねぇ、いつもシャベルを持ち歩いてて力仕事はお任せ!ってくらい元気いっぱいなんだよ」

 ボロボロのシャベルを「くるみ」という人格に見立てて話す様は、まさしく狂人のそれであった。いや、実際にゆきは狂人なのだろう。聖杯戦争に理解が及んでいないのも、そこに原因があると推測できる。
 本人曰く学園生活部の面々は、その全てが人間ではなかった。廃教室、プランター痕、小動物の死骸、木乃伊化した女性の遺体……それらを友人や教師だと楽しそうに紹介し、優しく微笑みかける姿からは、何もかもが辻褄の合わない戯画的な気味の悪さが感じられた。

 過去に何があったかは定かではない。しかし確実に言えることは、ゆきの精神はとっくに崩壊しているということだ。
 現実を受け入れず、自分で作り出した幻想に逃避する落伍者。現と夢の境界すら定まらない彼女を、どうやって説得できるというのか。

 故の膠着。常道であるならばゆきは殺害ないし令呪を剥奪するべきなのだろうが、これもマスターである少女らの頑ななまでの善良さ故に行うことができない。
 どうしようもなく八方ふさがりである現状、セイバーらにできることは感覚を最大限に駆使してアサシンの奇襲に備えることくらいだった。

"……おい"
"ふぇ? どうしたんですかセイバーさん"

 セイバーはふと、アイに念話を送った。それは既に何度も却下された撤退要請でもあったが、同時にアイの方針を確認するものでもあった。

"それで、お前はどうするつもりなんだよ"
"どうって?"
"こいつ(・・・)を助けるつもりか?"
"もちろんです"

 セイバーは器用なことに、念話だけで大きな大きなため息をついた。そしてそれを表情にはおくびにも出さないあたり、本気で苦労性が根についているようだ。

"……方法とか、助けた後はどうするんだとか、お前絶対考えてないよな"
"もちろんです"
"だよなぁ……"

 セイバーは言葉尻だけで頭を抱えるという所作を表現すると、お手上げだと言わんばかりにそっぽを向いた。
 もう何度も実感したことだが、このアイという少女はどこまでも頑固で自分の意見を譲らない。
 これはいよいよ強硬手段に出るしかないか、と、セイバーがある種の覚悟を決めようとした時。

「……セイバー、でしたね。あなたに話があります」

 傍らからふと、そんなことを尋ねられた。
 声の主は、アーチャーと呼ばれた少女であった。





   ▼  ▼  ▼





 それはセイバーが訪れる少し前、すばるとアーチャーが夢見る少女と相対して間もない頃。目の前の壊れた少女にどう接していいか分からず、笑顔を浮かべるゆきを前に微動だにもできなかった頃。

「すばるちゃん、サーヴァントの気配を感じ取ったわ」

 その言葉を聞いた瞬間、すばるの体はびくっ、と硬直した。
 笑顔のゆきが「どうかしたの?」と心配そうに聞いてきて、すばるはおっかなびっくりながらも「ううん、平気だよ」とだけ返した。

"アーチャーさん、その気配って"
"ええ、こっちに向かってきてるわね"
"それじゃあ、会ってみようよアーチャーさん!"

 ゆきに悟られないよう念話で話すすばるは、アーチャーの返答を聞くとすぐにそう意見した。
 そもそも、すばるたちがこの場に来たのも他のマスターと会えるのではないかという期待を持っていたがためなのだ。その結果は何とも言い難いものであったが、新たに他の主従が近くにいるというなら会わないという選択肢はない。

"すばるちゃん、それは……"
"うん、確かに危ないかもしれないけど……でも、やっぱり誰かの助けは必要だと思うの。駄目元でも、協力できないかって聞いてみようよ"

 すばるの決意は既に固まり、近づいてくる気配の持ち主と会うのだという方針を変えることはないだろう。ゆきと会った今と同じように。
 その選択が、必ずしも良い結果を出すとは限らないとアーチャーは知っている。すばるの考えを聞いて、アーチャーの表情が僅かに曇ったのを、果たしてすばるは気付くことはなかった。

 そして二人は接近してくる気配から逃げることをせず、ただその場にとどまった。刻々と時間が過ぎ去り、無音の静寂をバックにゆきの楽しそうなパントマイムの声だけ反響する。
 嫌に長く感じられる数分が経過し、いつしかすばるの耳にも床鳴りの音が聞こえてくるほどに気配の主は近づいてきて、すばるは緊張の共に唾を飲み込み───

「こんにちは! 私、アイ・アスティンといいます!」
「おい待てこら」

 飛び込んできたのは、そんな少女と青年の声だった。
 バーン!という小気味のいい音と共にドアが開き、すばるは愚かゆきやアーチャーまでぽかんとした表情で声の発生源を注視していた。
 小さな、線の細い少女がそこにいた。
 金髪緑眼の、どこか異国の雰囲気を醸し出す少女だった。勢いよくドアを開けた姿勢で堂々と仁王立ちし、端正な顔立ちをやたら得意げな表情で彩っている。
 後ろに立つ青年は、伸ばしかけてやり場を失くした手を微妙に下げ、なんとも言えない顔で固まっていた。なんというか、「やっちまった……」という声が言外に聞こえてきそうな有り様だ。

「初めまして、私はアイ・アスティンです。こっちのちょっと怖い顔した人はセイバーさんで、私のサーヴァントです。
 それでですね、私達は聖杯戦争の抜け道を探して色々回っているんですが、もしかしてあだッ!?」
「いい加減にしろ、とりあえず口閉じとけ」
「はいはーい! 初めまして、私は丈槍由紀っていいます! ゆきって呼んでね!」

 こちらが反応する暇もなく放たれるマシンガントーク、振り下ろされる青年……セイバーの手。そして返されるゆきの挨拶。
 流れるような一連の出来事に、すばるが抱いていた緊張感とか不信感とかその他諸々がほんの少しだけ吹き飛んだような気がした。

「わたしすばる、すばるって言います。よろしくね、アイちゃん」

 涙目で頭を擦るアイに向かって、すばるはそう言った。
 途端に、ほころぶような笑顔が返ってきた。

 そこからはあっと言う間だった。
 マスターである三人の少女がそれぞれ自己紹介し、セイバーとアーチャーの会話によりお互い聖杯戦争からの脱出を目指していることが分かると、ゆきが勧めるおやつタイムにアイが乗っかりそのまま朝ごはん代わりの一時が訪れることと相成ったのだ。
 既に居候先で朝餉を馳走になっていたすばるはやんわりと断ったが、今日に入ってから何も食べていなかったらしい二人は、それこそどこの小動物かと見紛う愛らしさでもくもくと菓子の消費に移った。
 えーっと、などと言いながらアーチャーのほうを振り向けば、こちらもすばると同じくちょっと困ったような表情で見つめている。セイバーの青年は無表情を装ってるが、明らかに呆れている様子だ。
 その光景を見て、すばるは小さく笑った。





   ▼  ▼  ▼





「……さて、おやつタイムもひと段落したところで、お二人に言っておきたいことがあります。
 私は絶対、この聖杯戦争を認めません」

 部室に二人の闖入者がやってきてから幾ばくか、おやつの時間も過ぎ去った頃。アイは唐突にそう宣言した。
 脈絡のない突然の宣誓に、すばるもゆきもぽかんとした表情でアイを見つめていた。アイはそんな聴衆の態度を気にするでもなく、語気を強めて続けた。

「脱出、いいえこれはもうれっきとした反逆です! 断固とした徹底抗戦をすべきです! そもそも本人の希望を聞いてもないのに無理やり連れてきて、横暴です! 不当連行です! 職権の乱用です!」

 全体的に意味不明なことになっているが、アイの言わんとしていることは、すばるにもなんとなく見当がついた。
 もしかして、と希望を持ちつつ、すばるは遠慮がちに尋ねてみる。

「ねえアイちゃん、それってつまり、聖杯戦争の抜け道を探そうってこと?」
「その通りですが、もっと言うなら聖杯なんてこてんぱんにやっつけてやるんです! こんな神さまもどきの聖杯気取り、根こそぎ根こそいで草の根も生えないぺんぺん草にしてやるのです!」

 一息でそう言い切ったアイは、ちょっと息切れしつつすばるの言葉を肯定した。
 なんだろう、言葉は全部間違ってるのに意気込みは凄く伝わってくる……などと、勢いに押されてか、すばるはそんなことを思った。

「そういうわけで、私は今まで協力できる人を探して回っていたんです。途中何度か怖い目には遭いましたがこれでようやく……」
「アイ、俺今からこいつと二人で話してくるけど、お前はちゃんと大人しくして待ってろよ」
「子供扱いしないでくださいセイバーさん!」

 軽く手を振って教室を出ようとするセイバーに、アイは演説を中断してまでガーッ!と唸った。その様は元気に満ち溢れた子供のようでなんだか微笑ましい。
 二人で話してくる、と言うセイバーの横にはアーチャーの姿があった。念話で聞いてみたところ、「サーヴァント同士でちょっとね」という返答があった。恐らく今後のこととか、色々話すことがあるんだろうと解釈する。

「……とにかく、です。私の目標は最初に言った通り、聖杯戦争から抜け出すことにあります。私は、誰にも不幸になってほしくないのです」
「うん、うん! そうだよアイちゃん、絶対こんなのおかしいよ。わたしも誰かを殺したりなんかしたくないし、目の前で誰かに死んでほしくないもん!」
「え、えと、よくわかんないけど、暴力はんたーい! ってことならわたしもそう思うよ!」

 誰にも不幸になってほしくない。そんな一言で締められたアイの演説に、すばるはおろかゆきも(意味が分かってないにしろ)賛同を表した。
 それを目の当りにして、すばるは素直に嬉しくなった。

(良かった……わたしだけじゃなかったんだ)

 自分のように聖杯戦争から抜け出そうと考える人がいてくれたことが本当に嬉しかった。もしかしたら自分の周りはみんな敵なのではないかと、そんな不安に苛まれたのは数えきれないほどにあった。
 だからこそ、アイとセイバーのような主従がいてくれたことが喜ばしいと、そう思う。
 ゆきは、まだ分からないけれど……でも悪い子ではないのだから、きっと彼女とだって上手くやれると思うのだ。
 ちょっと前までは一寸先すら見えない状況だったけど、これなら何とかなるのではないかという希望が湧いてくる。

 この時、すばるの気持ちは確かに上向きとなったのだろう。それは間違いない。
 けれど、いいやそれ故にか、すばるはアーチャーがいったい何を望んでいるかを知らなかった。

 アーチャーは自身を、すばるが思うような完全無欠の聖人であるとは決して思わない。いいやむしろ、我欲のために他を踏みつけにせんとする醜悪な存在であると自嘲している。
 今回ゆきやアイと会うことを容認したのも、己の願いを叶えるために使えるかどうかを見極めるためなのだ。一から十まで打算によるものであり、そこにすばるが考えるような無償の善意など存在しない。
 すばるは気付かない。己のサーヴァントが何を思い、何を願っているのかを。
 自分に向けてくれていた笑顔の裏に潜む、どうしようもない罪悪感すらも。





   ▼  ▼  ▼





(……さて、ここからどうしたものでしょうか)

 演説を終え、笑顔で接して来るすばるとゆきを前にして、アイもまた笑顔で手を取り合いながら一人そう思考する。
 自分と方針を同じくする者がいて嬉しいという感情はアイもすばると等しく感じていたことだが、それと同じくらいに、アイは目の前の現状を冷静に見定めていた。
 それはつまり、丈槍由紀をどう助けるべきか、ということ。

 アイは何かを一度決めたら頑として譲らない。まず第一に成したいと願う目的があって、現実的にそれを達成できるかどうかなどは二の次三の次。無理なんて言葉は自慢のシャベルでブッ飛ばしていく気概だ。
 けれど、それはアイが手段を一切考えないまま目的に向かって邁進する馬鹿であるということでは決してない。「目的達成のためのビジョンと手段が見えないから諦める」ことをしないというだけで、いざ完遂を目指す段階になれば必死になって手段を考えるのだ。
 だからこそ考える。丈槍由紀という、自ら生み出した欺瞞で己を囲ってしまった少女を助ける算段を。
 絶対に諦めない。助けるのだと心に誓う。セイバーへと断言したように。

(私は絶対に"助け"ます。ええ、誰が何と言おうと)

 セイバーはここで、ひとつ思い違いをしていたことになるだろう。
 彼はアイがゆきを助けるのを容認した。しかし彼の考えた助けとは、あくまで「ゆきと敵対せず、同盟または休戦状態を以てゆきを殺さない」というものである。
 だが実際はそうではない。アイの考える救いとは、「ゆきが作り出した虚構を破壊し、人としての救いをもたらす」ことなのだ。

 アイは一人、笑顔の裏で狂念にも似た義憤を抱く。
 人を助けるのだという「どうしようもない正しさ」は、今まさにアイの中に昇らんと輝きを増している。

 確かに、今のゆきはどうしようもない心の傷を抱えていて、それが癒されるまで己を欺瞞で覆っているだけなのかもしれない。
 嘘の霧を晴らしたところで、ゆきの心は更に傷つくだけなのかもしれない。
 誰もアイに感謝などせず、結ばれるはずだった友誼は永遠に失われるかもしれない。

 それでも「助ける」のだ。
 かつて欺瞞の中で育てられ、秘密の中で溺愛され、真実を知ることのなかった自分のようには、しない。
 だから、アイは今こそ「かつての自分」に似た少女を救うのだと決めた。

 アイは止まらない。過去に救えなかった自分と似た少女を救えるかもしれないチャンスを前に、猛る想いは激しさを増しつつある。
 救済の手がもたらすのは、必ずしも優しい未来であるとは限らない。





   ▼  ▼  ▼





「お互い、微笑ましいマスターを持ったようですね」
「能天気すぎるのも考え物だけどな」

 姦しい三者三様の声をバックに、教室の外へと出た二人はそんなことを口にした。外見こそマスターの少女らと変わらない彼らであるが、しかしその実それぞれの生涯を全うした英霊故に、教室で甘い理想を謳う少女たちの中にあっては浮いてしまうところがあった。
 世に擦り切れた老人のつもりはないし、ましてや彼女らの純真さを嗤うつもりもないが、自分たちとはジャンルが違うのだということは重々承知している。
 だからこその、これはそれぞれ見合った土俵での話し合い。夢を見るマスターたちには彼女たちなりに話し合えばいい。汚い現実の話は、従僕たるこちらが引き受けよう。
 彼女には、すばるには、少しでも綺麗なままでいてほしいから、と。アーチャー―――東郷美森はそう述懐する。

「それで、わざわざ連れ出して話ってのはなんだ?」

 大体予想はつくけどな、と続けるセイバーに、アーチャーは口元を引き締め、言った。

「色々と話したいことはあるけど、まず最初に彼女……ゆきちゃんのこと。彼女をこのまま放置しておくのは危険だわ。けど」
「俺もそっちもマスターの方針上、下手に手出しができない。確かにな、俺もそれは考えてた」

 アーチャーの言葉をセイバーが引き継いで言い切る。水面に落とした墨のように異様な存在であるゆきを、真っ先に対処しようとするのはある種当然の話であった。

「普通なら殺害が常套手段になるんだろうけどな。あるいは令呪の移植ができれば良かったんだが、少なくとも俺にその手段はない」
「ええ。そして私にも令呪の移植は不可能。いいえ、厳密には無理やりやれないこともないけど……そんなことをすれば、殺すのとほとんど変わらない結果になるわ」

 令呪は宿主の魔術回路と一体化している。それ故に令呪を剥すという行為は神経そのものを引き抜くのと同意義であり、最悪の場合対象人物は廃人と化してしまう。
 マスターが他者を思いやるがために強硬手段に出れない両者にとって、それは殺害や令呪発現部位の切り落としとなんら変わらない下策である。彼方を立てれば此方が立たず、万事するりとまかり通る理想の方法など存在しない。

「だからこそ私は尋ねるの。セイバー、あなたはこれからどうするつもり?」
「……正直なとこ、さっさとここから出ていきたいな。俺の目的はあくまでマスターの帰還だ。必ずしも他のサーヴァントを脱落させる必要はない」

 セイバーの返答は妥協案としては上々のものだろう。そも彼の言う通り、アイとセイバーの目的は鎌倉からの脱出であり、聖杯を手にすることではない。極端な話、鎌倉から抜け出せる手段があれば他のサーヴァントがどれだけ生き残っていようが関係ないのだ。アイは元の鞘へ収まり、セイバーは晴れて消滅、聖杯など欲しい連中だけで奪い合っていればよい。
 そしてそれは、アーチャーとて同じこと。彼女のマスターであるすばるを無事に帰還させることがアーチャーの目的であり、その点で言えば両者の足並みは揃っていると言える。
 無論、アーチャーにはすばるにすら話していない真の目的が存在するのだが。

「そうね、私も同感。私もすばるちゃんを元いた場所に送り返すことができれば、もうそれだけで十分だもの」
「……いい加減、本題に入ったらどうなんだ?」
「なら、お言葉に甘えて」

 教室の外へ出て以降、憮然とした態度を崩さないセイバーに苦笑しながら、アーチャーは続けた。

「ここはひとつ、同盟というものを結んでみては如何かと」
「同盟、ね」
「ええ。私たちは目的も方針も同じくしている。お互い争い意思がない以上、協力しない理由はないわ。それに」

 と、そこでアーチャーは目を逸らし、窓のほうを見る。視線の向こうに映るのは、由比ヶ浜の海原だ。

「……あんなのがいる以上、少しでも戦力が欲しいと思うのは卑しいことかしら」
「……まあな」

 アーチャーに続き、セイバーもまた同様に視線を向ける。
 穏やかな午前の海であるはずのそこには、漆黒の威容が瘴気すら感じさせるほどの圧を放ち存在していた。鋼鉄の戦艦、名を伊吹。彼らはその名を知らないが、朝の陽射しすら常闇に呑み込むその巨躯が、聖杯戦争に組する全てを打ち砕かんとしていることは否応もなく理解できる。
 なるほど確かに、立ち向かうかどうかはともかくとして、あれを前に単騎で勝ち抜けると考えられるほど、セイバーもアーチャーも楽観的ではない。
 とはいえ。

(こいつのことを完全に信用できるかと聞かれたら、それは違うとしか言えない)

 これもある意味当然の考えだ。そもそも両者は出会ってまだ1時間も経っていないのだ。互いに聖杯戦争という椅子取りゲームの参加者である以上、完全な信頼など不可能である。
 アーチャーに願いはないと言うが、自分のように死後の願望を否定する人間のほうが希少種なのだということは、セイバーとて十分自覚している。
 差し出された手を取るか否か。
 どうかしら、と目だけで問うてくるアーチャーに、しかしセイバーは無言のままだった。



【C-2/廃校・学園生活部部室/1日目 午前】

【アーチャー(東郷美森)@結城友奈は勇者である】
[状態] 健康
[装備] なし
[道具] スマートフォン@結城友奈は勇者である
[所持金] すばるへ一存。
[思考・状況]
基本行動方針: 聖杯狙い。ただし、すばるだけは元の世界へ送り届ける。
1: アイ、セイバー(藤井蓮)を戦力として組み込みたい。いざとなったら切り捨てる算段をつける。
2: すばるへの僅かな罪悪感。
3: ゆきは……

【すばる@放課後のプレアデス】
[令呪] 三画
[状態] 健康、戸惑い
[装備] 手提げ鞄
[道具] 特筆すべきものはなし
[所持金] 子どものお小遣い程度。
[思考・状況]
基本行動方針: 聖杯戦争から脱出し、みんなと“彼”のところへ帰る
1: 自分と同じ志を持つ人たちがいたことに安堵。しかしゆきは……


【アイ・アスティン@神さまのいない日曜日】
[令呪] 三画
[状態] 健康、満腹
[装備] 銀製ショベル
[道具] 現代の服(元の衣服は鞄に収納済み)
[所持金] 寂しい(他主従から奪った分はほとんど使用済み)
[思考・状況]
基本行動方針:脱出の方法を探りつつ、できれば他の人たちも助けたい。
1:生き残り、絶対に夢を叶える。
2:ゆきを"救い"たい。彼女を欺瞞に包まれたかつての自分のようにはしない。
3:ゆき、すばる、アーチャー(東郷美森)とは仲良くしたい。
[備考]
  • 『幸福』の姿を確認していません。


【セイバー(藤井蓮)@Dies Irae】
[状態] 健康
[装備] 戦雷の聖剣
[道具] バイク(ガソリンが尽きかけてる)
[所持金] マスターに同じく
[思考・状況]
基本行動方針:マスターを守り、元の世界へ帰す。
1:アーチャー(東郷美森)の提案に対処。
2:聖杯を手にする以外で世界を脱する方法があるなら探りたい。
3:悪戯に殺す趣味はないが、襲ってくるなら容赦はしない。
4:少女のサーヴァントに強い警戒感と嫌悪感。
5:ゆきの使役するサーヴァントを強く警戒。無力化させるか、あるいはこの場から即時離脱をしたいところ。
[備考]
  • 鎌倉市街から稲村ヶ崎(D-1)に移動しようと考えていました。バイクのガソリンはそこまで片道移動したら尽きるくらいしかありません。現在は廃校の校門跡に停めています。
  • 少女のサーヴァント(『幸福』)を確認しました。


【丈槍由紀@がっこうぐらし!】
[令呪] 三画
[状態] 健康、超ご機嫌
[装備] お菓子(全滅)
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針: わたしたちは、ここにいます。
1: すばるちゃんにアーチャーさんかあ。いいお友達になれそう!
2: アイちゃんにセイバーさんもいらっしゃい! 今日はお客さんが多いねー
3: アサシンさんにも後で紹介したいな……


前の話 次の話
010:穢れきった奇跡を背に 投下順 012:熱病加速都市
020:善悪の彼岸 時系列順

BACK 登場キャラ NEXT
004:ここには夢がちゃんとある すばる 018:狂乱する戦場(前編)
アーチャー(東郷美森)
丈槍由紀
001:夢見る魂 アイ・アスティン
セイバー(藤井蓮)

|