日本有数の観光地である鎌倉の中心に位置する鎌倉駅は、二重の意味で交通の要所である。人の行き来が激しく、外部からの流入も多い環境であるために、当然のことながら周辺には多くの飲食店が店を開いている。
 ラーメン屋やカレー屋、大衆食堂のようなありふれたものから、ちょっと支出に寛大になればフレンチやイタリアンなんかもより取り見取りだし、カフェやケーキ店のような洒落た店も多い。夜になれば居酒屋やワイン店が門戸を開け始める。
 それだけに、親の小遣いに頼っていたこれまでと違い懐に余裕がある今のヤヤたちには、何を食べようか、などという贅沢な悩みが付いて回っているのだ。
 本屋、音楽ショップ、あとはライダーにねだられてお土産店をいくつか。まあそれなりに楽しみながら回ってきたヤヤたちだったが、そろそろお昼時ということでここにやって来た。
 この時間になるとどこの店も混み始めるものだし、できれば早いところどの店へ入るか決めたいものであったのだが。

「あ、ねえねえマスター、あそこなんかいいんじゃない?」
「またアンタは適当に決めて……ていうかいっつも思うんだけど、なんでアンタばっかり行くとこ決めてんのよ」
「えー、でもマスターだってなんだかんだ楽しそうだし別にいいかなって」
「そういう問題じゃなくて、あーもうっ」

 と、ちょっとしたいざこざこそあったが、時間が押していることもあってライダーの指差した店に入ることになった。
 ヤヤはほんの少しだけむくれた様子で「あんまり高かったら却下だからね」と嘯きながら、はしゃぐライダーに引きずられるように店へと連行されていった。

 ライダーが選んだのは、鎌倉駅前のハンバーガーショップだった。聞いたこともない店名からフランチャイズではないらしく、字面から連想される安っぽさとは無縁な、センスのある内装をした店だった。
 店内には既に人が並び始めていたが、混雑しているというほどではなくそう長くない待ち時間で座れるだろう。そう考えたヤヤは、お財布事情と相談しつつ、まあいいかと妥協して並ぶことに決めた。

「ねえ見なよマスター! "鎌倉で一番空に近いテラス"なんだって! いいよねこういうの、なんだかワクワクする!」
「お黙り、ハウス、口チャック!」

 ……そんなこんなで。
 予想通り大して時間もかからずに席へ案内されて、幸運にもライダーが言っていたテラス席。そこは確かに"鎌倉で一番空に近い"という謳い文句に違わずいい景色で、ガラス張りの天井からは吹き抜けるような青空が煌々と見渡すことができた。
 鎌倉は景観保護のためか、四階建てのビルまでしか建てられなくて、だからこのような眺めは珍しいものだった。今日は天気もいいから、一望できる景色の綺麗さにも磨きがかかっているように見える。

 さてそれでは何を頼もうかとメニュー表に目を通して、ランチタイムということでサイドディッシュ二つとドリンクが付くバーガープレートランチを注文することにした。おすすめの一品として紹介されてるクリスピーベーコンチーズバーガーを嬉々として注文するライダーを横目に、ヤヤはマッシュルームク?ラタンハ?ーカ?ーを注文することにした。
 待つこと数分、存外に早い時間で注文の品が運ばれてきた。ランチサービスのドリンクは当然のように二人ともソフトドリンク。サイドディッシュが二つもついて食後にはデザートのクッキーまでついてこの値段なら悪くないかも、などと考えるヤヤを知ってか知らずか、ライダーは相変わらずのテンションで口いっぱいにバーガーを頬張っていた。

「んーうまー、チーズのびーる」
「はいはい、美味しいのは分かったからあんまり下品なことしないの。ほら、口にソース付いてるわよ、ちょっとじっとしてなさい」
「むふふー、この時代の食べ物ってみんな美味しくていいよねえ」
「ああ、そういえばアンタって昔の人間なんだっけ。やっぱり食糧事情も今とは違ってたり?」
「うーん、どっちかっていうと新鮮さの問題かなぁ。ボクらの時代にも美味しい料理はたくさんあったけど、それはそれとして知らない味に出会うのもすっごい楽しいし」

 そんな他愛もない話をしながら過ごして、追加注文を敢行するライダーをジト目で睨みつつ、ヤヤは食べ終わって手持無沙汰になった思考に埋没する。考えるのは当然、聖杯戦争のことについて。
 これまで幾度も考えて、時にはライダーに相談しては「するんじゃなかった」なオチに見舞われてきたヤヤの思考。それは、要約してしまえばこのようなものだった。

(訳も分からず拉致されて、生き残るには戦えなんて言われて……他に方法がないから従わざるを得ないって感じだけど、やっぱり胡散臭いにも程があるわよね)

 つまりはそういうこと。異世界に飛ばされました、なんて昨今SFでも少しは捻ってくる非日常に巻き込まれて、ヤヤだけじゃどうしようもできないから聖杯獲得を目指すしかなくなってはいるものの、少し考えれば「生き残る」以外でわざわざヤヤが戦ってやる理由なんてないし、そもそも胡散臭すぎて何も信じられないのが現状だ。
 ぶっちゃけて言えば、やる気がない。殺し殺されなんてゴメンだし、叶うならばさっさと帰りたい気持ちでいっぱいだ。そりゃライダーのことはす……嫌いじゃないし、彼女とさよならするというのも、なんだか寂しい話ではあるけど。それとこれとは話が別だ。

 例えば。
 そう、例えば。某未来の猫型ロボットが登場するアニメに出てくる何処にでも行けるドアみたいなのがあって、それを潜れば元の世界に帰れますよと言われたら。一二もなく飛びつくのに。

 と。
 そこまで考えて。

「…………あー!」
「わっ、どうしたのさマスター」

 天啓を受けたかのようにヤヤは声を上げ、思わずガタッと椅子を鳴らして立ち上がっていた。
 次の瞬間には自分が何をしたのか自覚し、ちょっと顔を赤らめておずおずと座る。周囲の目線が痛かったが、それもすぐに無くなった。

「それで、いきなりどうしたのさ」
「……ねえ、アンタって魔術に詳しかったりする?」
「ううん、全然」

 はぁ~……と、ヤヤは思いっきり脱力したように項垂れた。ライダーはちょんちょんとヤヤの頭をつついている。

「ま、ボクは一応騎士だからね。色々と不思議な冒険はしたけど、まじないのほうは門外漢かなぁ」
「……なんて役に立たない(ボソッ」
「うわーひっどいなぁ、確かにボクはひ弱かもしれないけど、ボクの宝具はみんなみーんな凄いんだから。
 ……あ、そうだ! そんなマスターには、はいこれ!」
「えっと、本? そういえばアンタの宝具って色々変なのばっかあるわよね」
「その通り! これは魔術万能攻略書(ルナ・ブレイクマニュアル)って言って、真名を解放すれば色んなことができるんだけど……」
「できるんだけど?」
「ボク、本当の名前忘れちゃってるんだ。てへ」
「駄目じゃん! そんなのさっさと仕舞いなさい!」

 満面の笑みで取り出したる古びた本を、その当人に命じて仕舞わせた。ライダーは「だって仕方ないじゃんかー」などとぶーたれている。

「さっき思い出したんだけど、ほら、前に私達が戦った魔術師がいたじゃない?
 あいつ、自分のサーヴァントが負けた途端にいきなりワープみたいなことしてて、あれが使えれば私も元の世界に戻れるんじゃないかって思ったのよ」
「なるほどなるほど。それでボクに魔術に詳しいか聞いたんだね」
「ま、結果はこんなんだったけどね」

 不貞腐れたように頬杖をついてストローを口に含む。世の中そう何でも上手くはいかないということか。
 まあ自分が前に見たあのワープだって、本当はこの世界を脱するような代物じゃなく、単に鎌倉の何処かに逃げるだけのものだったかもしれないし、あまり過度な期待はしないほうがいいのかもしれない。
 そういえばあの魔術師が逃げ帰った後、いきなり無関係な一般人が出てきてライダー共々慌てたっけ、などと思いだす。あの時は幸運にも何も見られていなかったみたいだけど、これからも何かするときは一般市民に見られないようにしなきゃいけないな、なんて述懐した。

「そういうわけで私達の方針に新しい目的を付け加えるわ。魔術師かキャスターと会ったら協力できないか話してみること。
 なんか無理っぽい空気がひしひしと感じられるけど、やる前から諦めてちゃどうしようもないしね」
「うんうん、何にせよ前向きなのはいいことだよマスター」

 変わらないニコニコ顔でこちらを見つめるライダーに適当に返事を返しつつ、ヤヤは残ったジュースを一気に飲み干した。
 先の読めない混沌とした状況ではあるけれど、まあできるだけ何とか頑張ってみようと。

 そう思って。

「……マスター、サーヴァントの気配を感じたよ。だんだんこっちに近づいてくるみたい」

 珍しく真剣味を帯びたライダーの声に、弛緩した精神が嫌でも硬直する。
 この世界に来た初日以来、ずっと目にすることのなかった自分たち以外の陣営―――それが近づいているという事実を前に、ヤヤはただ表情を硬くするしかなかった。





   ▼  ▼  ▼





 居候の身というのは、中々につらいものがある。
 そんなことを、如月は勝手すぎる考えだと理解しながらも思わざるを得なかった。

 それは手伝いによる肉体的な疲労だとか、人間関係の悪化だとか、金銭面でのトラブルということではない。如月の行っているアルバイト作業はそんなにつらいものではないし、職場や居候先にいる人たちとは円満な関係を築けている。金銭面ではむしろ厚遇してもらってるくらいだ。これ以上は文句など言えはしない。
 ならば何がつらいかと言えば、それは精神的な遠慮というか、まあそういうもの。
 仮にも宿無しの自分を善意100%で泊めて貰って、ばかりか仕事まで頂戴しているのだから、受けた恩は計り知れないものだ。端的に言って、何かしらお返しをしないと落ち着かない。
 当人たちは笑顔で「そんなこと気にする必要ないんだよ」と言ってくれてはいるけど、彼らが良くても自分の居心地は悪いのだ。普段はその分を仕事で返しているつもりだし、聖杯戦争が終わった暁には頂いた給金で彼らに何かをプレゼントしようとも考えているけど。心のどこかにある遠慮の気持ちは、どうにも払拭することは難しい。

 つまり、何が言いたいのかというと。

「……ふう、これでメモに書かれてるのは全部かしら」

 大きく膨れ上がった買い物袋を両手で掴んで、うんしょうんしょと言った具合で如月は商店街の道を歩いていた。
 如月の住むアパートは、バイト先の従業員の親類が持つ物件の空き家である。この時点で想像がつくかもしれないが、バイト先の店舗とアパートは地理的に非常に近しい。というかほとんど同じ区画にある。
 如月としては移動にかかる手間が省けるから願ったりなのだが、それが災いして時にはこうして呼び出されることもしばしば、ということもあった。
 今回もそうで、予想以上に客足が伸びたせいか途中で材料が足りなくなり、急遽如月がちょっとした買い出しに呼び出されたのだ。
 急な仕事で悪いね、これで何か美味しいものでも食べていらっしゃい、と買い出しに必要な分以外に3000円ほど渡されたりする場面もあった。

 恩人たちの頼みとあれば、これくらいのことは断るほうが不義理というものだろうと。
 そういう事情で、如月は急な外出に乗り出していた。

 鶴岡八幡宮を前にしたこの商店街「小町通り」は、近年となっては寂れた印象しかなくなった商店街のイメージとは裏腹に、連日多くの人々が足を運ぶ人気スポットである。
 鎌倉の原宿とは誰が評した言葉だったか。色とりどりの華やかな店舗が並び、昔ながらの伝統ある店や流行の最先端を行く店がずらりと並ぶ様は壮観だった。如月のいた日本では、このような光景はよほど内陸に行くか首都まで行くかしなければ見られないものであったため、初めて来た時には驚くばかりだったと記憶している。

 晴天の空の下、今日も小町通りは賑わいを見せている。
 多くの人が行き交う中を、如月は縫うように歩いていた。

 これが終わったら、どうしようか。
 せっかくお金を貰ったのだし、今日はちょっと奮発してどこかで食べていこうか。いやいや今日は何もしないと決めたのだから、大人しくアパートに戻ってじっとしていよう。
 などと、今夜の晩御飯でも考えるような気軽さで、これからの予定をどうするべきか思考を巡らせて。

「あら?」

 ふと。
 自分の懐から何かが鳴動していることに、如月は気付いた。

 それは、出かける時には肌身離さず大切に持ち歩いている"彼"が仕舞われている場所から。
 何かを訴えるように、何かを警戒しているように、その鳴動は主たる如月に何かを伝えてくる。

 彼は物を言わない。意思がないというわけではないようだが、言葉を語らず全てを如月に委ねている。だから、彼が何を言っているかを正確に知る方法は存在しないのだけど。

「……サーヴァントが、近くにいるのね」

 けれど、如月は彼の語る声なき声が何であるのかを、思いあがりかもしれないが大凡理解できると考えていた。
 それは、彼本来の誠実さの現れであるのか。それとも如月が艦娘であるという不思議な共通点からであるのか。それとも如月が彼と同じように、一度"深海"に沈んだからであるのか。
 本当の理由は分からないけれど、それでも訴えかける思念を、如月は相棒の語る声と強く思って。

 ランサー・No.101 S・H・Ark Knightが指し示す方向へと、一心に足を進めるのだった。





   ▼  ▼  ▼





「……」
「……」

 思いのほかあっさりと、二人のマスターは対面することに相成った。

 鎌倉駅東口付近、急いで店を出たヤヤとライダーが辺りを見回していると、一直線にこちらへと近づいてきたのが少女がいた。彼女は今、ヤヤの目の前で警戒心も露わに立っている。
 綺麗な髪の女の子だった。ヤヤも自分の容姿には自信があるし、日々の生活にも気を配っているつもりだったが、これはちょっと敵いそうにないと思えるほどに、彼女は美しかった。こんな感想を持ったのは、人生では脳内ピンクのライダーを引いた時と合わせて二度目である。この街に来てから敗北感が凄いことになっていた。
 それが、目の前の少女と顔を合わせて0.1秒で思ったこと。それ以降は、そんなどうでもいいことなど考える余裕もなく、張りつめた空気の中でさてどうしたものかと取るべき行動を模索していた。

「あなたは……」

 第一声は、相手の少女からだった。
 見た目に違わぬ透き通るような声だった。遠慮がちに何かを聞くように、ヤヤへと声をかける。

「あなたは、どうしてこの鎌倉に?」
「……そんなの知らないわよ。いつの間にか連れてこられてたわ。そういうそっちはどうなの?」
「そうね、私も同じ。気が付いたらもうここにいたの」

 短い会話。それきり二人は黙り込んだ。ライダー……アストルフォはさっきから黙り込んで、じっと少女のほうを見つめている。仮にも英霊、戦闘者故に、敵かもしれない相手の前でふざけるようなことはしないのだ。
 念話に曰く、近くにサーヴァントの気配はあれど姿は見えない、とのことだ。恐らくは霊体化させているのだろう。

「……私は、魔術師かキャスターを探しているわ」

 意を決して一歩を踏み込む。このままにらみ合いを続けても益はないからだ。

「前に一度、魔術でワープしてるマスターを見かけたことがあるの。そいつみたいなことができれば、聖杯なんて無くても帰れると思って」
「そう、あなたの目的は元の場所に帰ることなのね」

 しまった、と思った時には遅かった。勇むあまりに言わなくてもいいことを言ってしまった。
 しかし、そんなヤヤを前に、少女も首を振って。

「私もそう。小さな願いはいくつもあるけど、一番大切なのは生きてみんなのところへ帰ること。だから、聖杯を手に入れなきゃ帰れないというなら、手段を選んでる余裕はないと思ってた」

 ……それは、ヤヤにも痛いほど理解できた。
 元の場所へ、生きたまま帰ること。それを果たすためならば、確かに手段をえり好みできるような余裕は存在しない。人は殺したくないし、傷つけもしたくないけど、それでも自分の命は大切だ。
 いざとなれば、聖杯を獲ることだってヤヤは辞さないだろう。魔術師に会えば何とかなるかも、というのだってか細い希望でしかないということは誰でもないヤヤ自身が理解している。
 けれど。

「でも、その前にやれることは全部やらないとって、そうも思ったわ。私だって、戦わずに帰れるならそれに越したことはないのだもの」

 どれだけ低い可能性であろうとも、試すことがなければ零でしかないのだから、やれるだけやってみる価値があるのだと。
 目の前の少女からも、同じ気持ちを感じることができたから。

「よければ、その話を詳しく聞かせてはもらえないかしら。一つでも可能性があるなら……」

 そんな言葉が告げられようとした瞬間。あまりにも唐突に―――



「サーヴァントの気配を感じ来てみれば、なるほど貴様らがそうなのかね」



「───え?」

 発した声は誰のものであったか。しかし見上げたその先に、決して無視できない異常があることに、その場の全員が気付いた。

 人間が立っていた。鎌倉駅の頂点部分より更に上、およそ人の立ち入れない場所に、しかし場違いなほど堂々と。
 そして気付く。赤い、赤い、紅蓮の陣。駅の敷地全てを呑みこみかねないほど巨大なそれは、内部にいる全ての者を一瞬で消し去れるであろう圧倒的な力を感じさせる。
 まるで巨人の掌にでも乗せられたかのような気分だった。深紅に瞬く方陣は炎の塊。その熱量も禍々しさも、如何な業火ですらも及ばない桁違いのもので。

「地獄……?」

 自然と、それが想起された。地獄、それも大焦熱の。場の全員がそんな想像を脳裏に思い描いた。

「全員動くな。蟻の一匹も逃がさん」

 威風堂々とした声が、開戦の号砲として辺りに轟く。

「我が仮初の契約主より命を受けて推参。もって貴様らを殲滅し、ハイドリヒ卿へ捧げる器の先駆けとする」

 それは、鋼鉄の如き質量を持つ喝破となって響き渡り。

「さあ参れ、一角の英霊たちよ。私の(ローゲ)で英雄の資格足らんか見極めてやる。値せぬというのなら、骨も残らんと思え」

 遥か上空。渦巻く紅蓮の炎を纏い、空間に巨大な穴を穿って現れた焦熱の化身。それを見ただけで確信した。

 既に退路は閉ざされた。今より自分たちは、この正体も分からぬ何者かと戦わなければならないのだと。





   ▼  ▼  ▼





 瞬間、そこは灼熱と化した。
 ただ現れ、腕を揮う。それだけのことで周囲が超高熱に覆われた。
 赤い女の立つ真下、巨大な駅の鉄骨すら溶解を始めていた。飴のように歪みながら、自重で倒壊していく様は幻想的ですらあるだろう。
 しかし、にも関わらず赤騎士は汗の一つもかいてはいない。炎熱の地獄にありながら、こんなものは序の口以下だと、寒くさえあると言って憚らない。
 周囲に発生している火炎流は、赤騎士が手足を動かす際の単なる付属効果でしかないのだ。呼吸をすれば埃が舞うのと全くの同次元。そこには何の意図もない。
 悲鳴と怒号が、辺り一面に飛び交った。我先にと逃げる市民は後を絶たず、その流れの中にあって対峙する四人は静謐の表情。不動の構えを崩さない。
 いや、崩せないのだ。これを前に動けば死ぬと、少なくとも三人は直感で悟っていた。

「……来て、ランサー」

 少女───如月が呟くと同時、光の粒子が舞い踊り、そこに新たな影が生まれた。
 巨大だった。見上げるほどに、その威容は大質量を誇っていた。見ようによっては戦艦にも方舟にも見えるそれは、しかし見た目とは裏腹にランサーのクラスを宛がわれた如月の尖兵。
 No.101 S・H・Ark Knight。それが巨躯に冠せられた名称であった。

「ほう、これはまた変わり種を出してきたものだな。いいだろう、二人纏めてかかってこい。
 ああ心配はするな。これでも敵マスターはできるだけ生きて捕えろと言われているのでね、業腹だがそれに従ってやろう。故に、後願の憂いなく戦うといい」

 それを前に、しかし赤騎士は平静そのものだ。人は巨大な何かを見れば自然と圧倒されるというのに、そこに何も感じ入てはいない。隣に立つヤヤとアストルフォはまさしく呆気にとられたというのに、だ。

 そして二人を同時に相手取るという言葉もまた、思い上がりや慢心の類ではないのだろう。アストルフォとアークナイトは、言われるでもなく無言のままで共闘の体勢へと移行した。
 この赤い女を前にして他のことを考える余裕などない。対峙してるだけで嫌というほど理解できる。
 その魂。規模、密度。全てにおいて尋常ではない。サーヴァントという人智を超越した存在ならばこの聖杯戦争においては普遍の存在だが、これはあまりにも総体が違い過ぎる。
 感じ取れる力の多寡が巨大すぎて全貌がまるで見えない、故に恐ろしい。巨木や霊峰がそうであるように、圧倒的な質量を持つモノは見る者に理屈抜きの畏怖を叩き込む。
 これがそうだ。見てくれは人と何も変わらないにも関わらず尋常ならざるこの圧力。空間そのものが軋み、大気が鋼鉄の質量を有しているとさえ思えるほどの重圧は、決して錯覚などではないだろう。

「どうした、来んのか。そうしていても活路はないと分かっているはずだがな。それとも」

 血のように赤く、業火のように揺れる長髪がざわめき出す。瞬間、その場にいた全員の背筋を悪寒が走った。

「たかが戦前の高揚にさえ耐えられん愚物なのか?」

 言葉と同時、鼓膜が割れんばかりの轟音が空間を埋め尽くした。

「いづッ───!」
「うわッ!?」

 誰も反応はできなかった。ヤヤはただもたらされた鳴動に耳を抑え蹲り、アストルフォは焦燥と驚愕で顔面を埋め尽くす。
 音の発生源はアークナイトの足元だった。突如として噴き上がった巨大な火柱が、一部の隙なくアークナイトの総身を呑みこんだ。
 悲鳴はなかった。上げる余裕もなかった。その炎は下手な宝具の真名解放にも匹敵する威力で以て襲い掛かり、大気の焼け焦げる音と金属の溶ける特有の臭いだけを周囲に残して消え去った。

「意思のみならず勘も鈍いか、くだらん。抗う気概すらないならば、早々に蒸発して消え去るがいい」

 呆れた声に続く爆発は間断なく連続し、ヤヤたちがいる周囲を呑みこんで炎と土煙を巻き上げる。駅前という見慣れた日常の風景が加速度的に崩壊していき、今やこの場は地雷原の有り様だ。
 爆風に弾き出されたヤヤと如月が、もんどりうって転げ落ちる。マスターは狙わないというアーチャーの宣言通りその身に業火で焼かれた痕はない。しかし、最早彼女らに立ち向かうなり逃げだすなりする気力は尽き果てていた。
 違い過ぎる、あまりにも。ヤヤはこれまでの人生における光景と、如月は深海棲艦との戦いで得た経験と、それぞれ照らし合わせてその結論を出さざるを得なかった。答えは同じ、すなわち「違い過ぎる」。普遍を打ちのめす圧倒的な暴力が、倫理を凌辱する殺人行為が、二人が人生の中で培ってきた常識と意思力を根こそぎに奪い尽くす。
 端的に言えば、二人は中てられていた。殺意という毒によってか、少女たちの輝かしいまでの決意は、今や腐泥のように濁り腐っていた。白痴のように震え、恐怖に慄き、ただ目の前の光景をバカ正直に見守ることしかできない。目を逸らすという逃避行為さえ、この瞬間に彼女らは忘却してしまっていた。
 常識的に考えて、最早少女らの命運は風前の灯火だろう。持ち得る力の強さは度外視して、人を生存に導くのはいつだとて意思の力だ。生き抜こうという強い決意、足掻く行為こそが危機にある命を繋ぐのだから。ならば今のヤヤと如月にそれがあるかと問われれば、それは否だ。ただ恐慌に沈み痙攣する姿を見るだけで答えが知れよう。
 彼女らは生き残れない。それは自明の理であり、二人だけではそれを覆すことなど百度生まれ変わろうが決して叶わぬ難行だろう。その事実に変わりはなく、故に儚き命は業火によって燃やされるしかなかった。

 そう、二人だけならば。

「─────────!!」

 爆炎に晒される少女らを守るように、一つの巨大な影が浮き上がり声にならない咆哮を轟かせる。同時、その各部から数えきれないほどの閃光が迸り、レーザーが如き集束線となってアーチャーへと殺到した。
 サイレント・オナーズ・アークナイト、健在。四の星辰より成り立つ静寂の方舟は未だ沈まず、砲火の海の底からさえも奇跡の浮上を成し遂げる。
 放つ無数の光条は宝具『浄滅の洪水(ミリオン・ファントム・ブラッド)』の解放だ。全砲門より解き放たれた魔力渦は指向性の集束光線となって射出・分裂し、視界の全てを埋め尽くす極大規模の絨毯爆撃として機能する。
 この宝具の効果は至って単純、すなわち大火力による敵手の殲滅。特殊な機構や奇を衒った付随効果など一切含まないその連撃は、単純が故に隙のない広域破壊でアーチャーを滅さんと迫り行く。

 そして。

「むぅぅうううううううッ!!」

 攻撃はそれで終わらない。
 アーチャーの初撃より狙いを外されていたアストルフォもまた、当然のように攻撃体勢へと移行していた。
 中空より取り出すは痩身を一周するほどに巨大かつ奇抜な外見の角笛であった。一拍の間を置いて息を吸いこみ、肺に溜めたそれを一切の減衰なく吹き口へと送り込む。
 瞬間、放たれるのは竜の咆哮か神馬の嘶きにも酷似した魔性を含む不可思議な音撃。衝撃を通り越し物理的な破壊すらもたらすそれは、広範囲に拡散して然るべき"音"を、しかし絶対の指向性で以てアーチャーひとりにのみ叩き付けた。
 『恐怖呼起こせし魔笛(ラ・ブラック・ルナ)』の最大解放、その威力の全てがここにある。対象物の肉体を塵と化すほどの暴威を持つそれはアークナイトの砲撃にも劣らぬ破壊となって吹き荒れる。

 ヤヤと如月だけだったならば、この場を生き残るには不適であっただろう。しかしそうではない。ここには彼女らを守護するサーヴァントが二騎、尽きぬ戦意と共に存在している。故に彼女らが死ぬことはない。騎兵と槍兵は倒れることなく立ちはだかり、敵手の攻撃をその背に守る少女たちへと通すことはない。そして持ち得る力の全てを使い、脅威たる外敵を排除しようと戦うのだ。

 視界を埋め尽くさんばかりの光の乱舞と不可視の音撃が、波濤となって赤きアーチャーへと殺到する。
 最早躱せる段階ではなく、当然防ぐこともできはしない。二つの宝具の真名解放は、如何なる障害であろうとも諸共に砕いて塵へと返す。

 地を割る衝撃と空を裂く轟音が、一挙にアーチャーへと叩き込まれて。



「……なんだ、その体たらくは」

 光条と大気の振動が一斉に弾け飛び、一瞬遅れて全ての音が消え去った。次いで聞こえたのは興の冷めた声。

「───え?」

 間の抜けた声は誰のものであっただろうか。しかし声の主が誰であるかなどということに意味はなく、現実は情け容赦のない事実として少女らの前に立ちはだかった。

 不条理が巻き起こっていた。アーチャーの身を砕くはずの光と音の全ては、しかし逆にそれらの全てが砕け散った。
 アーチャーは指の一本も動かしてはいない。ただ、その周囲を覆うように炎が巻き上がったという、ただそれだけ。
 炎が光と音を焼き尽くしていた(・・・・・・・・・・・・・・)。物理的にあり得ないその現象が、しかし現実として目の前で行われた防御行動の全てであった。

「どうした、それで終わりではないだろう。あまり私を落胆させるなよ。
 貴様らそのザマで一端の戦士気取りならば死ぬがいい。生き恥を晒すのも辛かろう」

 戦慄───今まで下から噴き上がるだけだった火柱が、不意に横からのものに変化した。何もない空間から突然に、黙するアークナイトと驚愕に沈むアストルフォを囲い込むような形で四方同時に噴出する。
 躱すには飛ぶしかなかった。アストルフォは自前の足で、アークナイトは元より浮遊して、それぞれ実際に跳躍した結果、辿りついたのは何の遮蔽物もない中空。遮るものがない故に、アーチャーの砲火が阻まれることもなく。

「──────!」
「あ……がッ!」

 狙い穿つ紅蓮の炎。視界を赤一色に染める灼熱に、彼らは文字通り撃墜された。
 木っ端のように吹き飛ぶアストルフォに、無数の破片をばら撒きながらゆっくりと墜落するアークナイト。炎上する鋼の巨躯が地に沈み、轟音と地鳴りが辺りに伝播した。酷く遅々としたものに感じられるそれは、否応なく少女らの耳と肌に届き、彼らがただの一瞬で敗北したのだという事実を叩き付けたのだった。

「───……ッ!」

 動けない。声も出ない。火炎の熱に焼かれるより、まるで転がり落ちる巨岩に衝突したかのような凄まじい衝撃に見舞われた。爆発的な奔流にアストルフォの身は弾き飛ばされて、既に痛みすら感じられない。
 それは恐らく、アークナイトのほうも同じなのだろう。無我にしか思えず、実際声を出すこともないかの槍兵だが、今やその総身は外殻が砕かれ無残な有り様を晒している。当然動く気配もなく、アストルフォと同じく暫しの休止を余儀なくされていた。

「ほう、燃え尽きんか。しぶとさだけは大したものだな。ならばこれはどうだ」

 見上げた視界に映るアーチャー。その前方に炎が集まり、宙に印が刻まれていく。今までとは比較にならない熱量がそこに凝縮していく事実が、アストルフォのみならず魔術の素養もないはずのマスターたちにさえ感じ取ることができた。
 周囲の温度は急激に上昇しているにも関わらず、肌を突き刺す寒気は更におぞましさを増している。駄目だ、駄目だ、あれを発動させてはならないと理屈を越えた本能が最大級の警鐘を鳴らしている。
 動かない四肢を無理やりに動かし、歯を食いしばり、アストルフォは少しでも前進しようともがき足掻く。何故ならば、あれが放たれれば自分は愚かそのマスターの命すら危ういと悟ったが故に。
 だから動け、這ってでも逃げろ。あの直撃を受けたら魂までもが蒸発する───!

「ぐ、う……あ、あああああああああああああああ!!」

 地に両手をつき、絶叫して顔を上げた。こちらに照準を合わせた魔性の焔は、僅かの後にも発射される寸前で───







「───ランサー、宝具の発動を許可するわ。あなたの真の力をここに見せて!」

 刹那、ここに一つの神秘が顕現した。





   ▼  ▼  ▼





 すぐ隣に臥せっていた少女が立ちあがるのを、ヤヤは肌の感覚だけで察していた。
 綺麗な髪の女の子……名前も年も聞いてないけど、多分自分と同じ年の頃だと思う。一目見て綺麗で華奢だなって思えるくらいに、その子は戦いはおろか運動にさえ無縁なのだと確信できて。だからこそ、ヤヤはどうして彼女が立ち上がれたのかまるで分からなかった。

 ヤヤは立ち上がれなかった。立ち上がらなかった。体の節々は痛みを帯びて、意識は朦朧と白く染まりかけてはいるけれど。やろうと思えばそんなもの振り払って立つことができたのに、しかしヤヤはそうすることを心底から拒否した。
 怖いから。何もできないから。怖くて怖くてどうにもならなくて、そんな自分が立ちあがったところで何ができるわけでもない。戦いは全部ライダーに任せて、怖いのも痛いのも全部全部あの能天気なピンクに押し付ければそれでいいじゃないか。
 だってそうでしょ、あいつは私を守ると言ってくれたじゃない。戦ってくれると言ったじゃない。何もできない私は何もしなくていいんだって。戦うことも立ち上がることも逃げることも生き延びることも、全部あいつが何とかしてくれるんだから。
 私は、私だけが綺麗なままで帰りたい。

 そこまで考えて。


 ───……最低だ、私。


 逃避と正当化と自己嫌悪に塗れ混濁した意識を、笹目ヤヤは暗い水の底へと沈めたのだった。









「私はNo101.サイレント・オナーズ・アークナイトでオーバーレイネットワークを再構築! カオス・エクシーズ・チェンジ!」

 雄々しく放たれた宣言と共に、周囲が光で満ち満ちた。
 掲げられたカードは一種の発動体か。手のひらに収まってしまう小さな長方形は、しかし渦巻く大気と呼応して魔力の奔流を一点に集中させている。
 瞬間、頭上の空間が変質した。渦巻銀河にも酷似した魔力の収縮は光を呑みこむ深海のような闇色をして、しかし同時に眩いまでの光を放つという相反した矛盾性をはらんでいた。
 壊れ砕けたアークナイトの総身、膨大な質量の全てが粒子のように溶け消えて渦の中心へと吸い込まれていく。やがてアークナイトを構成する魔力を飲み下した深淵の渦は生きているかのように脈動し、超越の魂を新たな領域へと昇華せしめるのだ。

「現れろ、CNo.101!
 満たされぬ魂の守護者よ、暗黒の騎士となって光を砕け!」

 それは深海の底から響き渡った、まつろわぬ魂を謳った言葉。
 たった数言に圧縮された無念、悔恨、憎悪、負の慟哭。
 満たされぬ想いと共に地を蝕む殺意の奔流が、あらゆる敵手を呪いながら邪悪を氾濫させていく。
 闇色の光から現れたのは、人型をした槍持つ何者か。

 それは騎士。
 それは暗黒。
 沈まぬはずの方舟から解き放たれた、破滅より蘇りし漆黒の槍兵。

 星辰によりて導かれる英霊よ。黒く蠢くは深淵の御使いよ。哀れなる者をその槍で串刺しに貫くがいい。
 仮に、そう仮に。死が地獄への道行であるならば。
 ここが、この世界こそが、辺獄(リンボ)に他ならないのだから。

「カオス・エクシーズ召喚───サイレント・オナーズ・ダークナイト!」

 告げる言葉は荒く、しかし静謐に。
 暗黒へと還る魂魄。闇へと立ちかえった騎士の再誕であった。



「──────」

 それは一見すると、アークナイトとは比較にならないほど小柄な体躯だった。
 全身は黒色の鎧に包まれ、手には三又の黄金槍を携えている。戦艦のような意匠のアークナイトとは異なり、それは正しくランサーの在るべき姿であった。
 縮小した肉体はその分高密度の魔力を保持し、有する力の総量はアークナイトを越えて余りある。質量の差が戦力の差ではないのだと、ダークナイトは声なき体でこれ以上なく如実に示して見せた。

「二重の意味で復活して見せたか小娘。いいぞ、戦士とはそうでなくてはならん。無から振り絞れるものが、その人間の真価だと知るがいい」

 頭上にて睥睨するは未だ無傷のアーチャー。新生したランサーと共にねめつける如月は、言葉を返すことなく佇んだままだった。
 如月が立ちあがった理由。未だ倒れたままのヤヤとの決定的な違い。それは、命がけの修羅場を経験していたかどうかという、ただそれだけの話だ。
 如月は艦娘だ。人類から海を奪い、水底より現れては人を殺していく深海棲艦。その脅威と戦い、駆逐していく一介の兵士に他ならない。
 ここは慣れ親しんだ水面の戦場でもなければ、自らの手に敵手を撃破せしめる単装砲があるわけでもない。それでも、如月は軍属であり、兵士なのだ。如何に少女としての感性と良識を多く備えていようとも、その事実に変わりはない。
 だから立ち上がる。兵士が闘いを、死を恐れる道理などない。常に戦い、戦い、戦って道を切り拓く。それしか知らない故に、今もこうして戦いに赴くのみ。

 ……覚悟が決まるまで、ちょっと時間がかかっちゃったけど。

 心の中でほんの少しだけ自戒して、如月はアーチャーへと向き直る。
 そして、告げるべき言葉は決まりきっていた。

「行ってちょうだい、ランサー。あなたの勝利を私に見せて!」
「──────ッ!!」

 下された命に、感情無きはずの槍兵はそれでも裂帛の気合と共に地を駆けた。
 音の壁を容易く突破したダークナイトの肉体は一陣の疾風と化し、20mの距離を一息に削り取る。
 突き出されるトライデントの刺突は違わずアーチャーの眉間を照準していた。無我なるものダークナイト、しかしその技巧は熟達の域にまで達しており、彼が機械的なだけの木偶などではないのだと知らしめる。

 そして。

「来い、ヒポグリフ!」

 アーチャーに立ち向かおうと奮起する者は、何も如月とダークナイトだけではない。
 損傷より回復したアストルフォが、黄金に輝く馬上槍を構え跳躍。同時に虚空より現出した翼持つ幻想種の背に跨り、超速の疾走を開始する。
 ヒポグリフ、この世ならざる幻馬。音速を超過する「世界に在り得ざる幻想」は、最大速度で一直線にアーチャーへと突進した。その速度、最早サーヴァントの知覚限界を超えて余りあり、物理的な衝撃は瞬間的にはAランクにも到達していた。

 ダークナイトにアストルフォ、長槍を携えた二人は期せずして全くの同時に渾身の刺突をアーチャーへと突き入れた。技巧を凝らしたダークナイトの槍撃と、純粋に速度と威力のみを追求したアストルフォの槍撃。まるで性質の違う二通りの攻撃は最上のフェイントと化してアーチャーを襲う。力で防げばダークナイトの技が防御をすり抜け、技で防げばアストルフォの突撃が防御を打ち砕く。矛盾して防ぐことの許されない完全同時攻撃はたかが砲兵に捌ける領域を超え、今まさに必殺となって迫り往き―――



「舐めすぎだな」



 ───あろうことか、ここに二度目の不条理が成立した。
 防がれていた。今度は炎すら使わずに、真実生身のままで。アーチャーは左手でアストルフォの喉首を鷲掴みに捕まえ、右手は腰の剣を抜き放ちダークナイトの槍を受け止め、足元にはヒポグリフを踏み砕いていた。

「な、どうし、て……」

 万力のように首を締め上げられるアストルフォが息も絶え絶えに呻く。彼の言葉は尤もなもので、先の突進速度は明らかにアーチャーに反応できるものではなかったはずなのだ。
 どうして、何故読まれた? 偶然にしても避けるならともかく、このような状況に陥るなどありえない。剣と槍の鍔迫り合いが反響する最中、アストルフォの思考は困惑に満ちていた。

 だってそうだろう。突進するヒポグリフの横合いから、すれ違いざまに貫手で以てアストルフォの首だけを的確に掴まれるなどと。超速で空を駆けるヒポグリフを的確に撃墜するなどと、そんな不条理が意図して起こされてたまるものかと。
 そう、視線で訴えかけて。

「私を誰だと思っている。仮にも英雄の一角だぞ。
 千の戦場、万の殺し合い。一言で言えば経験だ。速かろうが見えなかろうが、一直線すぎる殺意など欠伸が出るよ。至極読みやすい。
 力だけの猪武者と、戦士を一緒にされては困るな」
「くあァッ───!」

 そのまま地面に頭から叩き落され、衝撃と共に意識が眩む。凄まじいばかりの握力が、喉元を締め上げる手を振りほどくことを許さない。例えアストルフォが「怪力」のスキルを使おうと、その結果に変化は生じないだろう。

「そして貴様も貴様だよ、ランサー……いや、CNo.101サイレント・オナーズ・ダークナイト。
 確かに貴様は技術も殺意も一流のそれではあった。そこだけは、この薄らボケた戦士気取りとは違うのだと認めよう。だがそれだけだ、まるで信念が足りてないのだよ」

 次いで弛緩したアストルフォを人形のように放りだし、空いた左手を剣の柄へと添える。金属の軋む甲高い反響音が更にその密度を増し、互角だった双方の膂力が急速に片側へとその天秤を傾け始めた。

「貴様には自分の意思がないのだろう。ただ主に使われ、何を思うこともなく命令を聞くだけでいるのだろう。その出自を考えれば酷な話ではあるが、貴様の陥穽はまさしくそれだ。
 自らの内から湧き出た意思でなければ我等は獲れんよ。端的に言って、ぬるい」

 一閃、一息に走り抜けた剣がトライデントごとダークナイトを上下に分割する。漆黒の槍兵はピタリと動きを止め、一瞬遅れて上半身だけが滑るようにズレて地に落ちた。
 喪失したダークナイトの半身の向こうに、呆然と立ち尽くす如月の姿が垣間見えた。誰も動く者はいなかった。あらゆる戦闘行為が、ここに終わりを告げた。

「さて、もう打つ手なしかね。私に"剣"を抜かせるどころか、砲の"形成"さえさせんとは……所詮はその程度かよ貴様ら」

 アーチャーの口調が、戦士のそれから侮蔑へと変化した。いや、これは落胆か。どちらにせよ、今のアーチャーからは敵へと贈る敬意など微塵も感じられなかった。
 "剣"というのは、恐らく言葉通りの代物ではあるまい。何故ならその右手には軍式のサーベルが抜き放たれている。ならばそれは、切り札を指し示す隠語だろうか。切り札どころか捨て札すら引き出せてないのだと、語る彼女は侮蔑に表情を歪ませていた。
 殺害の意思を込めた右手を、ゆっくりと如月へと伸ばす。「やめろ……」とか細い声を上げるアストルフォを完全に無視し、アーチャーの手は唯一己が足で立つ如月へと向けられて。

「……いいえ、お生憎様」

 噛みしめるように、如月が呟き。
 瞬間、"あり得ない"はずの雄叫びが周囲に轟いて。

「私はまだ諦めないわ!」

 体を分割されたはずのダークナイトが、しかし五体無事の肉体で以て如月を抱きかかえ、そのまま後方へと一目散に撤退を開始した。
 『辺獄よりの再臨(リターン・オブ・リンボ)』、ダークナイトが象徴たる宝具の一。それは己が身に蓄えられたオーバーレイユニットを消費することによる、文字通りの蘇りだ。
 例えその身を微塵に砕かれようと、どれほどの敗北を肉体に刻まれようとも。漆黒の槍術師は朽ちることなく辺獄より舞い戻り主を守護する盾となる。

 霊核を貫かれようと構わず復活する様は、まさしく規格外の戦闘続行能力と呼ぶに相応しく。
 しかし、彼の真名を知ったエレオノーレにとっては、その復活劇でさえも既知の範囲でしかない。

 驚くことも慌てることもなく、エレオノーレは逃げ行くダークナイトに、ただ左手を差し向けた。
 そこに集うは焔の魔力。一閃に穿たれる貫光は、ダークナイトの半身を消し飛ばすに十分すぎる威力を湛えて。



「───そこまでだ」



 しかし。
 しかし、その攻撃が放たれることはなかった。

 静謐の佇まいから一転、上半身を反転させて右手を振り抜き、飛来した何かをエレオノーレは斬り落とす。
 甲高い破砕音を響かせて、無色の"それ"は構成する魔力を粒子と散らして宙へと溶け消えた。
 一瞬だけ垣間見えたその形は、矢。

「……ほう」

 微かに瞠目する。それが不撓の赤騎士には珍しい所作であるのだということを知る者は、この場には存在しなかった。

 バサリ、と黒衣を翻す音と共に、それは舞い降りる。
 地に伏せるアストルフォには、それが巨大な蝙蝠にも見えた。しかしそうではない。目の前には、誰かの綺麗な白い手があった。

 蒼白の髪に、鍛えられた痩身。
 王侯貴族が如きマントを身に纏い、黒い剣を携えて。

「きみ、は……」

 アストルフォの呟きに答えるように、その男は手を差し伸べた。

「大丈夫か」

 言うと同時に黒剣が霞み、男の左方一mほどの空間に火花が散る。飛来する炎弾を剣で打ち落としたのだと、アストルフォには分かった。
 ───この人は、味方……?

「なるほど、ここへ来たのは伊達や酔狂ではないようだな」

 感心したような声が届く。答えるように、男はそちらへと体を向けた。

「アーチャー。形式に従いクラス名を告げよう。さあ、貴様も名乗るがいい」
「奇遇、とでも言えばいいのか。私のクラスもアーチャーだ。不都合だが、しかし名を呼び合うような関係にはならないのだろうな」
「当然だろう。私か貴様か、どちらかが死ぬことでしか我等の縁は紡がれんよ」

 瞬間、急速に高まっていく緊張感。男は片手で制するように、アストルフォへ振り返ることなく告げた。

「すまないが、君たちを庇う余裕はない。今は君のマスターと共に下がっていてくれ」

 携えた剣を一振り、正眼へと構え。

「今からここは、戦場になる」

 黒衣のアーチャー、ローズレッド・ストラウスの言葉と同時。
 地を踏み抜く音が鳴り、戦端の幕は切って落とされた。





   ▼  ▼  ▼





 剣閃が音速を遥か超越して捻り飛ぶ。
 斬撃が空を引き裂き震撼する。
 剣理と剣理、戦術と戦術、気迫と気迫。その全てが三つ巴の車輪となって回転し、交錯と激突を繰り返す。

 エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグとローズレッド・ストラウス。黄金の獣に侍る大英雄と夜の国に君臨せし万能王が刃を交わし始めてから、わずかに十数秒。戦場となる駅前の風景は、既に大規模爆撃を受けたにも等しい損壊状況を呈していた。
 刃が激突する毎に生じる衝撃の余波は、大気はおろか空間そのものの安定さえ許さない。死闘の目撃者であるアストルフォは、同じサーヴァントの身を以ってしても己が主を庇い安全圏を確保するだけで精一杯であった。
 介入するなど全くの論外。あれは既に別次元、彼方に仰ぎ見るだけの闘いだ。

 一合毎に崩壊していく周囲とは対照的に、両雄の身は全くの健在。共に纏う軍服と黒の外装には傷一つさえ付いていない。
 すなわちそれは、必殺の攻撃を繰り出し合いながらも神業に等しい防御を並立させているということ。如何に敵を倒し己のみは生存するかという極限の背理を、彼らは苦も無く実行していた。
 そしてそれは、何も剣だけの話ではない。

 周囲には無数の"弾丸"が浮遊していた。いや、それは弾丸というよりは砲弾であり、巨躯の矢であり、そして浮遊などではなく超速という言葉すら生温い速度で幾重にも飛来し衝突を繰り返していた。
 平静すら許されない空間の中に、無数の波紋が発生していた。一つ一つが魔弾同士の衝突によって生まれた波紋は、広がりきる前に別の波紋によって掻き消された。魔炎の砲と振動魔力の矢は秒間数百発という常軌を逸した速度で連射され、一発一発が攻性宝具の一撃にも匹敵する威力でぶつかり、喰らい合い、互いの存在を抹消せしめている。
 そこに生じる爆炎と魔力嵐は凡百のサーヴァントならば触れるだけで命を失うであろう極悪さを秘めていた。降り注ぐ鉄風雷火の雨の中にあって、それでも両雄は一切の手傷を負うことなく、まるで舞っているかのように剣の舞踏を続けるのだ。

 等しく剣と砲を頼みと置き、駆動を続ける戦乱闘舞。その技量も、有する戦力の質量も甲乙付けがたい両者であった。
 剣ではストラウスに、砲ではエレオノーレに軍配があがれど、総合的な実力は共に伯仲。そんな彼らをあえて柔剛に当てはめてみるならば、剛は正しくエレオノーレ。生じる魔砲の炎熱はあらゆる敵手を屠って余りある代物であり、何者の追随も許さない。まして相手はヴァンパイア、日光とは性質を異とするにせよその弱点に酷似していることに変わりはなく、故に彼女の繰り出す攻撃はその全てが一撃必殺として機能する。
 かと言って力押しの猪武者では断じてなく、むしろ技巧においてさえ最上位のものを有している。中でも恐るべきはその軍略か、周囲の地形や条件を的確に利用し、あらゆる全てを己の利とする観察眼。それは最早一個のサーヴァントではなく、師団にも匹敵する大人数との戦闘を行っているとさえ錯覚するほどだ。
 一人の兵士、死なずの英雄(エインフェリア)として培った膨大な戦闘経験と戦闘技術。それは万能型の理想とも言うべき隙無しの型として成り立ち、どのような戦況においても自分を裏切らぬ確かな強さそのものだ。
 能力頼みの天才風情など歯牙にもかけぬと言うほどに。

 対するストラウスは、比べるなら柔に当たる。
 必殺性や単純火力においては一歩譲るものの、彼が有する真価は変幻自在の魔力資質にこそあった。時には矢として、時には振動波として、そして時には剣として。万能性においてはエレオノーレすらも上回り、彼女が繰り出す攻撃の全てに対応して見せる応用力は絶句するしかないだろう。
 余りにも応用が利きすぎる力とは、扱う者が未熟ならば同じだけの隙を生むことにも繋がりかねないが……彼の場合は無双の剣術と明晰な頭脳によって至高の戦闘技巧へと昇華させ、無数の敵が繰り出すと錯覚する怒涛の連撃すらも汗一つなく軽々と捌ききっていた。

 本来であるなら、如何なる絡め手すらも飲み下す万能の極致───それがここでは互いに喰らい合い、故に極小の差として現れる。
 しかし、共に熟達という領域など遥かに逸脱した両雄にとって、その程度のことは何の優劣にもなってはいなかった。

「───!」

 爆砕しながら吹き荒ぶは破壊の熱波、世界の振動。しかし戦場には常にあるべき怒号というものは一切存在してはいない。
 それはある意味当然のことだろう。何故ならば彼らは未だ全力を出していないのだから。エレオノーレの出力と回転数は先の二対一の戦闘時と比べ十数倍にも膨れ上がり、対するストラウスもそれに拮抗するほどの力量を見せているというのに、それは一体どのような冗談か。
 しかしこれは現実なのだ。彼らは未だ本領を発揮していない。だからこそ、この戦闘は常識外のものであり、空恐ろしい代物と化している。

 戦闘開始より三分、交わした剣戟の数はとうの昔に四桁を上回り、剣速は宇宙速度へ達するほどに加速を続けていた。しかし互いの肉体には傷の一つもついていない。
 両者、放つ攻撃は怒涛にして間断なく。
 距離、僅か一メートル圏内という超至近距離において。
 周囲、無数の魔力が対消滅を繰り返しながら。
 それでも彼らは一度の被弾もないままに殺戮舞踏を続けているのだ。

「私には解せんよ、赤薔薇王」

 刹那、驚くべきことにエレオノーレはそんな言葉を口にした。ストラウスは僅かに目を細める。
 激闘の最中にあって軽口を聞けるという余裕が、ではない。そんなことは英雄たる彼女にとっては児戯にも等しい。
 ならば何が驚異的なのかと言えば、それは彼女が口にした一単語。
 赤薔薇王───それは、対峙するストラウスを指し示す生前の異名であった。

「別段驚くことでもあるまい。その比類なき魔力、夜の国に纏わる外装、何より私の軍略に追随できる戦略眼。
 これだけの条件が揃えば真名の特定など容易いさ。ああ、そこは別にどうでもいいのだよ。解せんのはここからだ」

 語るエレオノーレの口調は一切の毒を含んではおらず、その目は好敵への敬意と、だからこその疑念に満ちていた。
 会話の間にも剣は振るわれ、剣圧でまた一つ巨大なクレーターが刻まれる。舗装された路地など最早面影すらなく、砕かれ舞った瓦礫は中空にて更に百度も砕かれて、砂塵が渦を巻いて宙を流れて行った。

「どうにも貴様、人理に刻まれた風聞とは一致せん。愛に狂った復讐者、などと下らん逸話を持っている輩、所詮は色恋にうつつを抜かす軟弱者と思っていたのだがね。
 しかしこうして見える貴様は腑抜けにはまるで見えんのだ。貴様は紛れもなく強者であり、しかも愛への逃避などという惰弱の気配は微塵も感じられん」

 赤薔薇王───ローズレッド・ストラウスに纏わる伝承は悲哀と悲恋に満ちている。
 余りにも強大過ぎる力を持っていたがため同族にすら恐れられ、その果てに自らを処刑され、妃たるアーデルハイドが狂乱し夜の国は終焉を迎えた。
 暴走するアーデルハイドは同族たちの手により封印され、それを受けたストラウスは王としての地位も愛すべき祖国も守るべき同族たちも切り捨てて、ただ己の愛のためだけに千年間を彷徨ったのだと。それが夜の国と人間世界に伝わるストラウスの全てである。
 それをエレオノーレは、下らない三文小説と切って捨てた。愛などという愚想に縋って幻想に逃避した惰弱、殺すべき害虫でしかないと心底見下げ果てていた。
 しかし、こうして相対する彼は、そんな薄汚さとはまるで無縁の清廉な存在であったが故に。

 薙ぎ、払い、突く。百分の一秒にも満たない間に放たれた三連撃が悉く黒剣によって阻まれるのを見届けると、エレオノーレは更に言葉を続けた。

「ああつまり、私は非礼を詫びたいのだよ。敵を前に油断も慢心もするつもりはなかったが、それでも貴様を侮っていた一面があったのも事実。
 所詮は伝承などという不確かな情報で貴様の度量を推し量った、我が身の不明をここに恥じよう」
「……買いかぶり過ぎだな。風聞の通り、私は救いようのない愚か者でしかないさ」
「貴様が自身をどう評しようが勝手だがね。いや、だからこそか? 私は貴様の行動が理解できん」

 だからこそ。
 エレオノーレも認めるところの"英雄"たる彼が。
 何故、そうしたのかを理解できない。

「何故そこの小娘どもを助けに入った。ああ、確かに英雄的な行動ではあるがね、それ以上に愚かだよ。魔術師でもなければ強者でもない連中を救ったところで何の益もなかろうに」
「言ったはずだがな、砲兵。私は誰よりも愚かなのだと。故に、私のこの行いに深い意味などない」

 不意に、ストラウスの口元が歪む。
 それは苦笑であったか、自嘲であったか。いずれにせよ、その選択を取った己自身を、実のところ彼自身が最も信じられず、驚愕の念を覚えていたがために。

「───ただそうしたかった。理由などそれだけで十分だろう。例えこの世界の全てが胡蝶の夢に過ぎずとも、私はこの選択をこそ尊ぼう。
 ああ全く、この程度の本音を誰憚りなく口にできることが、今は無性に愉快でたまらない」

 それは、王としての責務でもなく。
 同族を守るための離反劇でもなく。
 まして、使命や同情などでもない。
 ただ己がそうしたいからという、それだけの理由でしかないのだ。

 全てから解き放たれた今、このくらいの我儘を通しても罰は当たらないだろうと。
 そんな諧謔味を言外に含ませて。

「……まあいいさ。私好みではないが、それでも貴様が強者であることに変わりはあるまい。英雄の一角、その資格たるを持つことを認めよう。
 故に、だ」

 一瞬だけ、何の感情によってか目を細め。
 エレオノーレはストラウスの剣を捌き後方へと跳躍、纏う膨大な魔力を一点に凝縮し始めた。

 それは猛る炎となって、意図せず周りの熱量を天井知らずに引き上げていく。

「貴様は私の聖遺物を以て討ち取ろう。先の非礼の詫びとして一切手は抜かん。それを、手向けと受け取るがいい」



 ──────。



 最初、それは中空に刻まれた赤の線だった。
 線は二つ、四つと枝分かれし円を描き、やがては複雑な紋様を湛えた、これまでに倍する巨大な魔法陣となって現出した。

 ───浮かび上がった赫炎の巨大魔法陣。
 ───そこから。光が、差して。

 眩いほどに紅きもの。
 眩むまでに黒きもの。
 重厚なほどに鈍きもの。
 それは、陣の中心より現れ出でた一つの砲口であった。

 空間を押しのける威容が視界の全てを埋め尽くし。
 陽炎のように揺らめいて、史上最大の火砲が姿を現す。

 黒く、形を成すもの。
 赤く、人を殺すもの。
 鋼鉄で編み上げられた、それは純粋なまでの暴力の化身。戦略兵器。

 名を、ドーラ列車砲。80cmの砲弾が走り抜けるバレルが旋回する。
 第二次世界大戦においてマジノ要塞攻略のために建造された、正真正銘『最大』の聖遺物。あまりの大質量が出現したことにより、高熱に溶けかかった地形が今にも崩れそうなほどに揺らいでいた。
 見上げるほどに巨大なそれは、黒き砲口をストラウスへと照準して。

「───形成(Yetzirah)

 歓喜に震える声と共に、空間の全てが沸騰した。

極大火砲・狩猟の魔王(Der Freschutz Samiel)



 ………
 ……
 …



 ──────。





   ▼  ▼  ▼





「逃げたか、赤薔薇王」

 そこは今や、元の原型を保ってはいなかった。形成されたドーラ列車砲の一撃は、正しくその真価を発揮した。
 全てが消失していた。地面は溶解と蒸発を繰り返して硝子質へと形質変容を果たし、見渡す限りにおいて命の気配は存在しない。
 陽の光と硝子の大地以外の全てが消え去った、美しく空虚な死の世界。
 その中心に一人、煙を燻らす赤騎士だけが屹立していた。

「そしてそこな恥知らずも連れて行ったか。全く、よほど余裕があったと見える。ならばよし、次に会う時を楽しみにしているがいい」

 言葉通り、ストラウスのみならず、傍で倒れていたはずのアストルフォとそのマスターの姿も消え去っていた。
 蒸発したのではない。かの赤薔薇の手によって連れ去られたのだと確信できる。何故なら手ごたえがまるでない。
 あの一瞬、爆砲を察知し、魔力で防御を押し固めてなおかつ倒れる二者を回収、全力の遁走と気配の隠蔽を同時に敢行するという離れ業を、赤薔薇は見事にやってのけたのだ。
 その技量、その判断力。やはりというべきか、赤騎士の目から見ても尋常ならざるものだと認めざるを得ない。故にこそ、ハイドリヒ卿の近衛たる自分が散らせるに値する強者なのだと改めて心の刻む。

 白鎧の剣騎士に、夜に名高き赤薔薇王。英雄とは名ばかりの愚物ばかりが跋扈するこの鎌倉で、ようやく巡り会えた本物の輝ける魂に、騎士の矜持が昂ぶることを抑えきれない。
 赤騎士にしては珍しい、牙を剥くかのような獰猛な笑み。それだけを残して、エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグはその姿を消失させた。

 後には何も残らなかった。ただ衣張の流れを吹く風が、細かな粒子となった地の上を、まるで箒で片寄せるようにあちらこちらへ小さな吹き溜まりを作っていった。
 誰の声すら、最早どこにも届くことはなかった。


【C-3/鎌倉市街跡地/一日目 午後】

【アーチャー(エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ)@Dies irae】
[状態]魔力消費(小)、霊体化
[装備]軍式サーベル
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:闘争を楽しむ
1:セイバー(アーサー・ペンドラゴン)とアーチャー(ストラウス)は次に会った時、殺す
2:サーヴァントを失ったマスターを百合香の元まで連れて行く。が、あまり乗り気ではない。
[備考]
ライダー(アストルフォ)、ランサー(No.101 S・H・Ark Knight)、アーチャー(ローズレッド・ストラウス)と交戦しました。
No.101 S・H・Ark Knight、ローズレッド・ストラウスの真名を把握しました。

一日目・午後12時20分頃、C-3鎌倉駅東口方面の市街地が壊滅しました。





   ▼  ▼  ▼





「どうにか逃げ切れた……みたいね」

 一目のつかぬ路地の裏にて、その少女の影はあった。
 恐怖と緊張に硬直した体が一気に弛緩する。周囲に危険がないことを確認するや、力が抜けたようにその場へペタリとへたりこんでしまった。
 今まで呼吸すら忘れていた肺が急激に酸素を取り込んで、あまり急に吸い込んでしまったものだから大きく咽こんでしまう。荒い息を何度か吐き、震える両手を地面について何とか呼吸を落ち着けることに成功した。

「あ……」

 立ち上がることは、できなかった。力が入らないくせに、震えだけは滑稽なほどに強さを増していく。このようなザマで、立ち上がれるほうがおかしかった。

 先の戦闘において彼女が何を思い、痛感したかと問われれば、それは自分が思いあがっていたのだという事実をこそ、如月は思い知らされていたと言えるだろう。
 有体に言ってしまえば、自分は心の何処かで聖杯戦争というものを舐めていたのだ。曲がりなりにも深海棲艦という異形種との闘いを経験し、それなりに修羅場を潜り抜けてきたという自負があった。自分は魔術師でないにせよ、戦闘という場面においては一日の長があるのだと、高を括っていたのかもしれない。
 それがとんだ勘違いであると、嫌でも思い知らされた。恐怖の残滓は脳髄に、骨髄に、肉の一片血の一滴に至るまで余さず刻みつけられた。

 赤のアーチャー、如月にとっては記憶に新しいナチスドイツの軍服を着込んだかのサーヴァントの姿は、炎の記憶と共に如月の瞼の裏に焼き付いていた。何の不純物もない純粋なまでの暴力、殺意、死の気配。深海棲艦との戦闘ですらついぞ味わうことのなかった恐怖が、今も体を震わせて止まらない。
 今の如月に、傷はなかった。胸を締め上げるような魔力消費の痛みも、内に蓄積する疲労の色も少なかった。それはランサーが保持する宝具『辺獄よりの再臨(リターン・オブ・リンボ)』による回復効果の恩恵であったけれど。肉体の消耗以上に、精神面の疲弊が大きく目立つ結果となっていた。

 戦いを侮った、これが自分の限界だった。死の危険を忘れ、戦いの骨子を忘れ、浮かれ気分で死地に臨んだ、これがその結果なのだろう。
 死とはかくも恐ろしいものなのだと。
 自分は、自分だけは、嫌というほど知っていたはずなのに。

「情けないわね……こんな駄目なマスターで、あなたは本当に良かったのかしら……」

 憔悴しきった表情で、如月は手元に残された長方形のカードに語りかけた。何とか笑顔を浮かべようとして、けれどまるで笑顔の体を成せていない。
 カードに描かれたランサーの姿は、今や方舟から勇壮なる鎧の騎士へと変じていて。感じられる頼もしさは前と何も変わらないけれど。

 果たして自分は戦えるのか。勝利することができるのか。そして生きて皆のいる場所へ帰ることができるのか。
 固く誓ったはずの心は、ただ一度の蹂躙だけで呆気なく揺るがされ、自らの道行に暗雲が立ち込める気配を、色濃く察することができてしまって。



 覆水は盆に返らない。
 失ってしまったものは戻らない。
 そして───死んだ者は生き返らない。

 それは当たり前の摂理であって、故に誰もが目を逸らす真理であった。
 彼女は未だ気付かない。あまりに単純すぎるがために、取りこぼしてすり抜けては消えていく。
 今朝垣間見た真実の一端を、彼女が思い出すことはなかった。


【B-3/人気のない路地裏/1日目 午後】

【ランサー(CNo.101 S・H・Dark Knight)@遊戯王ZEXAL】
[状態] 魔力消費(中)、オーバーレイユニット喪失、宝具『混沌昇華せし七皇の魔剣』使用済み、未召喚状態
[装備] トライデント(損壊)
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:命令に従う


【如月@艦隊これくしょん(アニメ版)】
[令呪] 三画
[状態] 疲労(小)、精神疲労(大)、魔力消費(小)
[装備]
[道具] なし
[所持金] 贅沢をしなければ余裕がある程度
[思考・状況]
基本行動方針: 聖杯を手に入れ、睦月ちゃん達のところに帰る
0:今は逃げる。
1:魔術師かキャスターの協力を得る、という手段を留保しておく。しかし過度の期待はしない。
2:赤のアーチャー(エレオノーレ)を最大限に警戒。
[備考]
アーチャー(エレオノーレ)と交戦しました。真名は知りません
ライダー(アストルフォ)を確認しました。真名は知りません
笹目ヤヤをマスターと認識しました
買い出しの荷物は置き去りにされました。多分灰になってます。





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「随分と、無茶をしたものだ」

 荒涼とした死の大地を遠目に、ストラウスはただそれのみを言った。左の小脇にはヤヤとアストルフォの二人を纏めて抱え、苦も無く民家の屋根上を駆ける。
 無茶、とは二つの意味を含んでいた。一つは当然、これだけの破壊を生み出した赤のアーチャーへの皮肉と警戒。如何にルーラー側からの警告提示がないとはいえ、無辜の一般市民を巻き込んでの大量破壊を涼しげに敢行するその精神は、単純な武力以上の危険があった。
 そしてもう一つは他ならぬ自分のこと。ストラウスは少女たちを抱える左とは逆の、右手を眼前にまで持ち上げた。

(これの修復には、恐らくあと半刻ほどかかるだろうな。掠っただけでこの威力とは、恐れ入る)

 その右手は肘より先が完全に炭化していた。表面だけでなく、骨の髄までもが歪な炭と化している。人とは比べものにならぬほど頑健な吸血鬼の肉体を、しかも魔力防護の上からここまで焼き尽くす火力の高さはストラウスが想定していた水準を軽く二つは上回る代物だった。
 難敵、と言う他ないだろう。単純なスペックだけならいざ知らず、かの者はそれをカバーする優秀な技量と頭脳、そして何より悪辣を容認する精神性を持ち合わせている。次に出会えばどうなるか、さしものストラウスでさえその命の保証はできなかった。

「さて……」

 延々と続きそうになる思考を一旦打ち切り、改めて小脇の二人を確認する。
 両者共、見事に気絶していた。マスターの少女は当然として、そのサーヴァントたるライダーすらも。
 けれどそれも致し方ないことだろう。何故なら彼は、あの激戦の最中でずっとマスターのことを守っていたのだから。常人ならば一秒とかからず魂までもが焼き尽くされるであろう余波の中にあって、マスターたる少女が五体無事で生存できたのはひとえにライダーの努力の賜物だった。
 アストルフォの宝具が一、魔術万能攻略書(ルナ・ブレイクマニュアル)は保有しているだけで持ち主の魔力耐性を限界まで引き上げる。その効能を以てして、彼は己が主を守り抜いたのだ。
 代償に、一時的に宝具を失った彼は炎の暴威を一身に浴びることになったけれど。

「サーヴァントとはマスターをこそ第一に考えるもの……そんな題目を持ち出すまでもなく大したものだよ、本当にな」

 ストラウスが魔力による防御障壁を張らなければ、ライダーは間違いなく余波に呑まれて消滅していた。そしてそれは、当のライダーとて承知の上だったことだろう。
 それはつまり、ライダーは己の命と願いを犠牲にしてでもマスターを助けたかったということ。マスターが死ねばサーヴァントも消えるとはいえ、サーヴァントは自分だけが消えてしまっては聖杯獲得による願いの成就を受けることができないことを加味すれば、自己犠牲の精神などサーヴァントが持つはずもないというのに。
 そうなるに足るだけの信頼と絆が、二人には結ばれているということなのだろう。人と人との繋がり、その大切さ。それはストラウスには紡げなかった未来だが、だからこそ尊いと思う。

(私はともかくとして、二人には十分な休息が必要になる。一度、陽が沈むまで拠点に戻るべきか)

 我が身に流れる魔力、それに肉体置換と回復促進の属性を付与して二人へと流し込む。恐らくはそう時間もかからず、話を聞ける状態にまで落ち着くはずだ。
 何も純粋な善意だけで、ストラウスは彼女らを助けたわけではない。悪いようにするつもりはないが、話せることは全て話してもらう。
 そう、例えばこの世界が■■■■であるかどうかの見極めであるとか。
 あるいは───

「あるいは、亀裂とする楔をこそか。いや、そこまでは期待すまい」

 今はただ、彼女らの安全と息災をと。
 焼け付いた黒衣を翻し、ストラウスは音もなくその場を離れるのだった。



【C-2/市街地/一日目 午後】

【ライダー(アストルフォ)@Fate/Apocrypha】
[状態]気絶、疲労(大)、魔力消費(中)、全身に炎によるダメージ(大)、頸部及び頭部にダメージ(中)、それらすべてが回復中。
[装備]宝具一式
[道具]
[所持金]マスターに依拠
[思考・状況]
基本行動方針:マスターを護る。
0:……
1:基本的にはマスターの言うことを聞く。本戦も始まったことだし、尚更。
[備考]
アーチャー(エレオノーレ)と交戦しました。真名は知りません
ランサー(No.101 S・H・Ark Knight)を確認しました。真名を把握しました。


【笹目ヤヤ@ハナヤマタ】
[令呪]三画
[状態]疲労(大)、精神疲労(大)、魔力消費(中)、気絶、全身に複数の打撲と軽度の火傷、それら全てが回復中。
[装備]
[道具]
[所持金]大分あるが、考えなしに散在できるほどではない。
[思考・状況]
基本行動方針:生きて元の場所に帰る。
0:……
1:聖杯獲得以外に帰る手段を模索してみたい。例えば魔術師ならなんかいいアイディアがあるかも
2:できる限り人は殺したくないからサーヴァント狙いで……でもそれって人殺しとどう違うんだろう。
3:戦艦が妙に怖いから近寄りたくない。
4:アーチャー(エレオノーレ)に恐怖。
5:あの娘は……
[備考]
鎌倉市街に来訪したアマチュアバンドのドラム担当という身分をそっくり奪い取っています。
D-3のホテルに宿泊しています。
ライダーの性別を誤認しています。
アーチャー(エレオノーレ)と交戦しました。真名は知りません
ランサー(No.101 S・H・Ark Knight)を確認しました。真名は知りません
如月をマスターだと認識しました。


【アーチャー(ローズレッド・ストラウス)@ヴァンパイア十字界】
[状態] 陽光下での活動により力が2割減衰、魔力消費(小)、左腕が完全に炭化(急速再生中)
[装備] 魔力で造られた黒剣
[道具] なし
[所持金] 纏まった金額を所持
[思考・状況]
基本行動方針:マスターを守護し、導く。
0:?????
1:騎兵とそのマスターの少女を安全な場所まで運び、改めて話を聞く。
2:赤の砲撃手(エレオノーレ)には最大限の警戒。
[備考]
鎌倉市中央図書館の書庫にあった資料(主に歴史関連)を大凡把握しました。
鎌倉市街の電子通信網を支配する何者かの存在に気付きました。
アーチャー(エレオノーレ)と交戦しました


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018:狂乱する戦場 投下順 020:善悪の彼岸
018:狂乱する戦場 時系列順 022:神さまがくれた木曜日

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017:旅路 笹目ヤヤ 025:幸福の対価、死の対価
ライダー(アストルフォ)
006:ヒュプノスの誘惑 如月 023:嘘つき勇者と壊れた■■
ランサー(No.101 S・H・Ark knight)
002:錯乱する盤面 アーチャー(エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ) 035:存在する必要のない存在
012:熱病加速都市 アーチャー(ローズレッド・ストラウス) 025:幸福の対価、死の対価

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