叢にとって、正義とは絶対のものであった。

 物事は総じて相対的なものであるように、正義という概念もまた相対的なものであるというのが世の通例だ。良かれと思ったことが裏目に出ることもあれば、逆に悪意の行いが他者に利をもたらすこともある。人が持つ正当性とは多種多様なもので、時代や国ごとに比較するまでもなく、それら正しい主張は容易に衝突を繰り返す。
 我も人、彼も人。故に対等、基本である───相手もまた自分と同じ人間である以上は抱いた正義が存在し、守りたいと願う誰かが存在し、貫きたいと思う信念が存在するのだ。抱く情念の多寡や社会的規範に当てはめた場合の正否の違いこそあれど、この不文律は多かれ少なかれ万人に共通するものだろう。
 つまるところ正義とは、そういった個人の主観に依存するものなのだ。誰もが自分の物差しで測ることしかできない、普遍で絶対などでは決してない、相対的なものでしかない。

 そんな、子供にも分かるような理屈が、しかし叢にとっては理解不能の産物だった。いや、そもそも彼女は理解しようとさえしていなかったのだろう。正義とは不変の真理であり、善悪とは世界を完全に二分する絶対の秤であると、彼女は頑ななまでに信仰していた。
 世には善と悪がある。滅ぼさねばならない邪悪がいる。人は二種のみ、ならば我は悪を討つ善であろう。そしていつの日か、悪のない善人だけの世界が来るのだと信じて、彼女は今まで戦ってきたのだ。

 何が彼女をそうさせるのか。何が彼女をそこまで駆り立てるのか。それは、彼女の師にして親のような存在であった黒影の、人生を賭して紡いだ理念を受け継いでのことだった。
 悪忍に両親を殺され、自らの"顔"を失った叢は、己を掬い上げた黒影にこそ光を見た。故にこそ、彼女は迷わない。黒影が抱いた狂おしいまでの渇望を我等が成就させるがため、己が身をただ一振りの刃と化して彼女はひたすらに進み続けるのだ。
 それは世界が違えようとも、変えることのできない彼女の信念であった。


 ───少なくとも。
 ここにいたのが彼女一人でなかったならば。あるいは、万能の願望器などという謳い文句がなかったならば。
 叢はかつてと同じように、悪を滅ぼす善忍として闘いにその身を投じていただろう。悪逆を討ち果たし善を尊ぶ月閃としてあれただろう。
 他ならぬ黒影こそが、その狂信を哀れみ嘆いていたなどと知ることもないままに。
 絶対の正義のまま、その在り方を曲げることはなかったはずなのだ。





   ▼  ▼  ▼





 叢は忍である。それも単なる下忍ではなく、名門・死塾月閃女学館を代表する選抜の一角であり、その実力はプロに比肩するばかりか一流の域に手をかけるほどの使い手だ。
 故に当然、その立場に相応しい諸般の技術と知識もまた会得している。善忍とは、世に蔓延る悪忍を討つための戦闘力があれば勤まるものでは断じてなく、その任務の遂行には多岐に渡るスキルが必要とされる。

 例えば隠形。気配を殺すことは忍にとって基本中の基本であり、叢に使いこなせない道理はない。流石にアサシンのサーヴァントと比べれば遥かに見劣りするが、それでもマスターとしては破格の代物ではあった。
 例えばサバイバル技術。長期任務において食糧切れを起こすことは当然として想定されており、自然の中で生活する術は忍術以前のものとして体に染み込ませている。

 だからこそ、単身一つ街に放り出された叢が、山中を基本拠点に置いたのは至極当然の成り行きと言えただろう。なにせ身を隠すにはうってつけである上に、開発の手が入ったとはいえ人の出入りが極めて少なく、かつ無理なく取れる食糧にも事欠かない。街中に降りる際に多少面倒なのが難点ではあったが、鍛え上げられた脚力の前ではそんな障害はないも同然であった。
 そして何より、山奥の澄んだ空気は黒影と共に過ごした日々を思い起こさせるものだったから。
 聖杯戦争という血に塗れた悪祭の只中にあって、この地は叢にとっては唯一の拠り所であったのかもしれなかった。

「今朝方より本戦が開始されたわけだが」

 木々の間から零れ落ちる燦々とした朝日を浴びて、少女らしからぬ低い声音が響く。
 灰色の学生服という、山中にあっては不自然さしか感じさせない服装に、そんな女学生の姿にはまるで似合わない般若の面で顔を覆っているという、多くの意味でちぐはぐな格好のまま、叢は背後へと向き直った。
 振り向いた先、叢が立つ陽の光が当たる小道とは打って変わり、日中でも陽が差し込むことのない茂みの暗闇に、それは立っていた。
 黒の外套、死体めいた痩身、そして何より髑髏そのものの頭骨で視線をこちらに向ける影。スカルマンという名のアサシンは、気配を伴わぬ実体化で以て己が主と相対していた。

「改めて確認するぞ。日中は隠密と諜報に徹し、陽が沈んだ後に暗殺を開始する。それでいいな」
「構わない。元より我が身はお前の影、何の不平を言うこともない」

 単純な事実として、スカルマンはサーヴァントの中では決して強いとは言えない英霊である。
 そもそもアサシンという暗殺不意打ちに特化したクラスで召喚されている以上、純粋な戦力で他のクラスに差をつけられるのは当然としても、「スカルマン」という英霊が持つ力も、本来であるならば英雄として人理に刻まれるようなものではないはずなのだ。
 スカルマンの力の源泉、ひいてはその正体とは、古代遺跡より出土したマスク型のオーパーツである。装着した人間に人智を超越した身体能力を付与するこのマスクこそがスカルマンという英霊の総体であり、本質なのだ。かの性質と存在を顧みれば、マスクの下の装着者が誰であるかなど、さして意味を為さない事実である。
 それはつまり、極論してしまえばマスクの装着者は誰でもいいということの証左でもある。歴史に名を残さぬ市井の住民であろうが、マスターである叢自身であろうが、ただのつまらない凡人であろうとも容易くインスタントな超人と成り得てしまう。
 無論、一度手にしてしまえば相応の代償と末路が待ち受けてはいるが……誰もが享受しうる普遍の力は、総じて積み上げた神秘という面において他の英霊に一歩劣ると言わざるを得ない代物でもあった。
 何の偉業も成せず、ただ歴史の闇に消えていくばかりだったこの仮面が曲がりなりにもサーヴァントとして顕象された理由には、とある地方都市・大友にて肥大化した都市伝説の存在があるのだが、それはここでは割愛する。

 つまるところ、スカルマンとは徹頭徹尾暗殺者であり、暗殺者でしかないのだ。正面切っての戦いなど分が悪いにも程があり、まるで得策とは言えない。だからこその隠密、夜の闇に紛れての暗殺こそが本領なのである。
 叢とスカルマンが交わした会話の内容は、その確認であった。彼らは共に忍ぶ者、故に相応の戦い方というものが存在し、これからもその本分を崩すことはないのだという事実確認。
 合理と効率のもとに他者を殺してまわって聖杯を手にするのだという、意思表示を兼ねた会話であった。

「……よし。ならば早速、他の陣営に関する情報を収集するとしよう。善は急げ、とも言うしな」

 唸るような声一つ。踏み出す叢の一歩に、惑いは微塵も含まれてはいなかった。
 何故なら、彼女が掲げるのはまさしく彼女にとっての悲願だったから。

 「黒影」の蘇生。それこそが、叢が聖杯に願うべき奇跡の内訳だった。
 黒影は、叢の全てであった。共に育った四人の仲間たちと同じほどに、幼き頃自らのために仮面を被ってくれた無二の友人と同じほどに。いいや或いは、それら一切合財とさえ釣り合わないかもしれないほどに、黒影の存在は叢の中で重く、重く、その重量を増していた。
 もっと教えを請いたかった。もっと同じ時間を過ごしたかった。もっと一緒に生きたかった。失われてしまった命を、時を取り戻すために、叢は聖杯などという奇跡に縋らなければならないほどに強く渇望し焦がれている。

 悪は須らく滅ぶべしという、黒影の教えに背いてまで。
 最も憎むべき悪そのものに己が身を窶してまで。

 叢は、一筋の光をこそ掴み取らんと、ただ一心に聖杯を目指し駆けるのだ。





   ▼  ▼  ▼





 言葉少なく歩を進める主を背を、霊体化したスカルマンは同じく言葉もなく、ただじっと見据えていた。
 白貌の眼窩から覗かせる赤い眼光は鳴りを潜めて、投げかけるは哀れみの視線か、虚無の空洞か。
 いずれにせよ、彼が何かを言うことはあるまい。その資格を彼は持っていない。とうの昔に失ってしまった故に。

 彼ら主従は、ある強い一点において強い結びつきを保持していた。
 それは闇に忍ぶ者であるということでも、共に仮面を被る者であるということでもなく。
 彼らが共に、悪を討つ者であるのだという、それこそが縁によってスカルマンが呼び出されることになった最たる所以なのだ。



 けれど。
 けれど、ほんの少しの、だからこそ決して相容れない小さな小さな差異が、彼らの間には存在していた。



 叢は、悪を滅ぼし善を成すことが善忍だと言っていた。自分はそう在ろうとして、けれど我欲のために悪を成さんとしているのだと、自嘲するように呟いていた。
 自分は悪を滅ぼす者にはなれないのだと、諦めるように吐き捨てていた。

 そうなのだろうと、スカルマンは思う。他の何を否定しようとも、その一点だけは肯定せざるを得ない。
 叢は悪を滅ぼす者にはなれない。何故なら、悪を滅するのはいつだってそれ以上の悪なのだから。
 その意味で、叢は悪滅には不適だった。無口な外面は仮面に過ぎず、その奥に隠された素顔はあまりにも多弁に過ぎたから。

 仮に、彼女が真に悪を滅ぼす者であったならば。
 あるいは、それは救いになったのかもしれない。心は動かず、惑わず、ただ己の存在意義を全うする者であったならば。軋む願いにそれでも尚と縋ることはなかったのかもしれない。
 だが、そうはならなかった。彼女は狂信者足り得なかった。悪を滅ぼす光であるには、彼女はあまりにも弱かった。その心を、素顔を、仮面で覆わねば絶えられなかったほどに。

 陽の当たる獣道を二人は往く。眩い朝日を一身に浴びる叢と、それを避けるように茂みの影に立つスカルマンの姿は、それこそが二人が立つべき世界の境界線であるかのように、決して交わることはなかった。




 ───結局のところ、善忍や正義である前に。叢はどうしようもなく、一人の気弱な女の子でしかなかったのだ。




【B-4/天台山中腹/一日目 午前】

【叢@閃乱カグラ SHINOVI VERSUS -少女達の証明-】
[令呪]三画
[状態]健康
[装備]包丁、槍、秘伝忍法書、般若の面
[道具]死塾月閃女学館の制服
[所持金]極端に少ない
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を手にし黒影様を蘇らせる。
0:街に降りて情報収集。
1:日中は隠密と諜報に徹する。他陣営の情報を手にしたら、夜間に襲撃をかける。
[備考]



【アサシン(スカルマン)@スカルマン】
[状態]健康、霊体化
[装備]
[道具]
[所持金]マスターに依拠
[思考・状況]
基本行動方針:マスターに従い、敵を討つ。
1:……
[備考]




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アサシン(スカルマン)

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