花が咲き誇る丘を、風が吹き荒れていた。

 木々の枝葉も、色とりどりの花弁も、等しく風に揺れている。自然の香りが運ばれて鼻孔をくすぐり、谷間から覗く夕陽が明るくそれらを照らしていた。
 それは、記憶にある通りの、アイの故郷そのもの。
 春風にそよぐ丘を、アイは見下ろす。花も、木も、土もみな、寂しげな夕暮れの赤に染まっている。

 そして、視界に映る全てのモノには、まるで正体を無くしつつあるかのように、黒い砂嵐のようなノイズが走っていた。


「これでようやく、終われる」


 それは、目の前に立つ男にも同じことが言えた。
 ジジジジジとノイズに塗れる掌を見つめて、その男はそっと呟いた。

 綺麗な男の人だった。髪も肌も死人のように白く、目は血のような赤だった。きっと幾千の死体を山と築き、幾万の鮮血をその目に焼き付けてきたに違いない。そうでもなければ、これほどまでに幽玄な色にはならないだろう。
 死色の白と赤。着古した服の黒さとのコントラストも相まって、およそ現実的ではない美しさを、その男は纏っていた。

 ノイズ塗れの掌を見つめる表情は、奇妙なほどに穏やかなものだった。
 まるで、百年を生きた人であるかのように。
 まるで、天寿を全うした人であるかのように。
 まるで、全ての願いを叶えた人であるかのように。
 人食い玩具と呼ばれた男は、柔らかく笑っていた。


「悪いな、よりにもよってお前にこんな役目を押しつけちまって」
「いいえ」


 アイは、ふるふると首を振った。見えなくとも、自分が今どんな表情をしているのか分かった。

 それはとても素晴らしい笑顔。
 逝ってしまう者に、一抹の不安も与えない幸せの形。


「あなたの決断はとても悲しいものです。でも、それが心からの願いであるならば、私はそれを叶えます」


 手にしたシャベルをくるりと回し。
 麦わらを直してにこりと笑う。

 自分の願いを言うことはなく。
 自分の救いを求めることもなく。

 アイは、完璧な言葉を発した。


「だって、それが私の夢ですから」


 それは、あの時言うことができなかった言葉。
 自分が夢を抱くきっかけとなった人に、伝えられなかった言葉。

 それを聞いた男は、そうかと呟いた。


「なら、お前は俺を埋めてくれ。その選択が間違いじゃなかったんだと、俺に信じさせてくれ」
「ええ、勿論です」


 笑顔。笑顔。それは、決して変わることはない。


「私は、私の夢のためなら、お父様だって埋められるんですから」


 理性的に整えられた、作り物の笑顔。


「そうか」
「はい」
「それじゃ、頼む」


 そう言って、男は静かに横たわった。アイはショベルを反転させて地面に突き立てる。
 ずしゃり、突き立てられたショベルを中心に、まるで書き換わるように大地が別の色に染まって行った。それどころか木々も花も丘も消え去って、周囲は見たこともない建物と朝焼けに変わる。


 風。


 それは、どこかの教会だった。古めかしい建物と隣接した墓地は朝焼けに染まり、辺りには真新しい石造りの墓標が都合47個。

 男はいつの間にか墓穴の底にいた。
 姿さえも書き変わり、白髪は黒髪へ、瞳は赤から青へ。首には長い白布が巻かれ、傍には飾り物のように綺麗な剣が供えられていた。
 でも、綺麗な顔はそのままで。
 神さまのような男は、穴の底からアイを見上げていた。


「すまない」


 そう謝った、青に変じた左目から。
 血のように赤い雫が一筋、つぅーと垂れていた。


「なんのことですか?」


 アイはとぼけた。笑ったまま。アイはずっと笑っていた。欠片もその表情を崩すことはない。
 死者がそっと目を閉じる。アイはもはや言葉もなく、最初の土くれを穴へ落とす。
 土砂が舞う。ショベルが回る。黒い髪へと変じた新たな死者は、静謐の表情で徐々にその姿を土に隠していった。
 穴はあっと言う間に土に埋もれて、死者は本当に誰だか分からなくなってしまった。

 そうして墓は完成した。
 墓標に刻まれた名前は、見たこともない書式のたった三文字。

 ふぅ。アイは白い息を吐いて昇り始めた太陽を見つめる。朝日があまりに明るくて、辺りは真っ白なもやに包まれているようだった。


『さて』

『お前は』

『これから、どうする?』


 光の中で誰かが聞いた。
 チクタク。チク・タク。時計のような声で。


「決まっています」


 アイの答えは、どこまでも完璧だった。




「私は世界を救います」




 ─────────。




 ───光の中で。
 ───嗤う声と嘆く声の両方を、アイは聞いた。



 ………。

 ……。

 …。





   ▼  ▼  ▼







 燦々と陽の光が差し込む雑木林の中。
 市街地から離れ、人の手もほとんど入らないこの場所は喧騒とはかけ離れた静けさを保っていた。
 聞こえるのは葉が風に擦れる音か、あるいは茂みの揺れる音か。
 聖杯戦争などという非日常の戦乱が持ち込まれるどころか、およそ人という異分子さえもが徹底的に排除された空間こそが、今アイと蓮が坐する場所であった。
 鬱蒼とした、けれど雑多という印象を受けない、不思議な落ち着きのある地帯。
 暗くはあったが閉ざされてはいない。少なくとも、一つ場所にいて気分が悪くなるとか、心根まで暗鬱になるとか、ここはそういった性質とは無縁の場所であった。

 廃校での戦闘を終え、事実上の敗走を強いられた蓮は、気を失ったアイを抱きかかえる形でここまで移動していた。
 宝具によって負った傷、身動きのできないマスターというこれ以上ない足枷、アサシンというある意味において最も警戒しなければならないクラスのサーヴァントの奇襲、目下の救出対象であった丈倉由紀の戦線離脱。
 ここまで条件が揃ってしまえば、最早あの場に留まる意味は皆無だった。どころか、アイの身を危険に晒しかねない。だからこその逃走である。
 そんな彼がこの場で何をしているのかと問われれば、それは自身の傷の回復と、他ならぬアイの目覚めを待つことだった。
 エイヴィヒカイトの恩恵により、本来ならば多少の傷など瞬時に回復可能な蓮ではあったが、諧謔の影響で負った傷ともなるとそうはいかない。単純な傷の規模以上に、そこに込められた性質と情念により、著しく回復の速度が低下するのだ。
 とはいえ今回の発動においては、展開時間が数秒にも満たなかったがために、こうして少しの時間を置けば十分回復可能な程度に収まったが。これが長時間の展開ともなればどうなるか、自壊の特性が付属したのがサーヴァント化した後である以上、今の蓮にはまるで想像もつかなかった。
 そして、彼にとっては傷の治癒以上に重要な事柄のほうと言えば。


「……むぐ」


 見下ろす視線の先には、実にアホ面のアイがいた。
 木の根元に腰かける蓮は、それを微笑ましいのやら見苦しいのやら微妙な表情で見つめていた。
 ラフな服装は更に捲れて寝相の劣悪さを露呈し、それを隠すはずの、蓮がかけておいた墓守の服は蹴っ飛ばされて足の向こう。口は喉の奥まで全開で、汚い涎が口の端からたらりと垂れている。

 寝ていた。明らかに、気絶から回復して何故かそのまま睡眠へと直行していた。
 人体の構造的にあり得るのかそれ、と思いつつも、現に目の前でそれをされては蓮も呆れを通り越して尊敬の念を覚えてしまう。
 だらしなく開けられた口から漏れるのは、涎と同価値の見え透いた寝言。


「…………ねむい」
「おい」


 中々に度し難い寝言をほざいて、もぞりと大きく蠢く。
 思わず突っ込んだ蓮の言葉も意に介さず、勝手気ままに寝返りを打ったアイが、とうとう膝からズレて地面に落ちた。

 どごん、と。


「……」
「……」


 完全に顔面から行った。
 そのままたっぷり一秒は静止してから、今度は体ごと地面に倒れ込む。


「……」
「……」


 動かない。死んだかもしれない。
 アイはしばらく、そのままの姿勢でモジモジと未練がましく寝転がっていた。だが流石に色々と寝てもいられない衝撃があったのか、緩慢な動作でむくりと起き上がる。

 じとーっと薄く、目が開く。
 そのまま、ゾンビさながらといった風情で辺りを見回した。


「……ぬ?」
「ぬ、じゃねえよ」


 呆れ声が夢の世界にまで響いたのか、そこようやく、アイが目を覚ました。


「……おはようございます?」
「ああ、もう昼だけどな」


 徐々に目が冴えてきたのか、アイはパタパタと体を払い、土だの落ち葉だのを落としながらアイは起き上がった。
 とぼけた言葉とは裏腹に、その表情は不思議と暗いものがあった。端的に言って、気落ちしているようにも見える。
 姿勢を正す動作にも、どこか精彩さが欠けていた。何かを思い悩むような、何かを思いつめたような、そんな心の暗鬱さのようなものが、目の前のアイから感じられた。


「……何がなんだか、状況が掴めませんがとりあえず」


 アイは蓮の真正面に立ち、毅然とした、しかしやはり何処からか暗さを漂わせた様子で、静かに問うた。


「話してください、セイバーさん。あそこで何があったのか」


 そんなこんなで。
 同じ幹を背にして、アイは蓮と並んで座り込んでいた。膝を抱えた体育座り。差し込む陽射しの暖かさと、お尻に当たる土のひんやりとした感触が心地いい。
 服が汚れることは、別段気にならなかった。元々アイは山間住まいだったのだから今さらな話である。
 ただ二人、隣り合って座っていた。いくらか言葉を交わして。

 蓮は、アイが気絶した後のことを語って聞かせていた。
 アサシンの襲撃を受けたこと。ゆきがそのアサシンに連れ去られたこと。アサシンやバーサーカーの攻撃を免れるために、気を失ったアイを抱えて戦線を離脱したこと。
 アイは意外なことに、それを黙って大人しく聞いていた。蓮としては、また勝手に先走って私が助けに行くんですなどと喚くのではないかと半ば覚悟していたのだが、どうやらそのようなことにはならなかったらしい。
 俯いて、聞いていた。本当に耳に入っているのかどうかも怪しい様子ではあったが、きちんと理解はしているらしい。時折相槌を打ちながら、アイはじっと蓮の話を聞いている。


「つまり、ゆきさんもすばるさんも無事ということですね?」


 全てを聞き終えたアイは、ただそれだけを、ぼそりと呟いた。
 蓮は短く首肯する。少なくともその事については断言してもよかった。
 ゆきを攫ったアサシンは、十中八九彼女自身が召喚したサーヴァントだろう。事前に聞きだしたクラス名の一致もそうだが、そもそもそうでなければ殺意を以て攻撃してきたあのアサシンが無力なマスターを手間暇かけて攫うなどということはしないはずなのだ。


「少なくとも、今すぐどうこうってことはないだろうな。仮にも自分のマスター、それもああして生活環境の手配もしていたくらいだ。それなりに大事にはされてるんだろう」


 言って思い返すのは、ゆきたちがいた廃校の一室、学園生活部の部室だ。
 あの部屋と周囲の廊下や隣接教室は、長年放置されていた廃校とは思えないほどに清掃と整理が行き届いていた。ただマスターを隔離・保護するだけならば、ああまで丁寧に環境を整えるようなことはすまい。大事にされている、とはそういうことだった。
 無論、ゆき自身が掃除をしたという可能性もあるにはあるが、眼前の瓦礫すら認識できない白痴と成り果てた彼女にそれができるかと言うと、実に微妙なところだ。
 だから、攫われた彼女が殺害ないしそれに準ずるような目に遭っているとは考えにくかった。少なくとも、今のアイたちが無駄に焦ったところで意味がないということは明らかである。
 それは、筋金入りの頑固頭なアイにも理解することができたようで。


「……そう、ですね。釈然とはしませんけど、無事ならそれでいいです。ちょっとだけですけど、安心しました」


 その言葉に嘘はなかった。アイは嘘をつかない。
 少なくとも、ゆきやすばるが死んだという最悪の結果には至っていない。どころか、二人は今も比較的安全な場所で保護されているというのだから、流石にこれ以上を求めるのは酷というものだろう。
 ゆきを"助ける"のだというアイの方針は何一つとして変わってないし、それが達成困難な状況になっているのも事実ではあるが、今はその生存を喜ぶほうが建設的とも言えた。
 だから、アイは蓮が成した結果に何の不満も持っていない。まして、それを疎んだり、絶望的に感じることなどありはしない。


「それはいいんです。ですがセイバーさん、もう一つだけ、聞きたいことがあるんです」


 けれど。
 未だに晴れないアイの憂いた表情は。
 何かを危惧し、言い知れぬ悪寒に耐えているような表情は。
 吉報とも言うべき知らせを聞いてもなお、何も変わってなどいなかった。
 何故ならば。


「その腕のこと」


 アイが最も聞きたかったのは。
 アイが最も絶望的に思っていたのは。

 蓮の右手を覆う、罅割れたかのような損傷のことだったから。


「包み隠さず、教えて下さい」


 今までにないほど、真剣に。
 事によっては鬼気迫るとさえ表現できるほどの剣幕で。
 静かに、けれど有無を言わさぬ力強さで、アイは問うた。


「ああ、これか」


 蓮は心底なんでもないふうに右手を振って。


「別に大したことじゃない」
「嘘ですね」


 即座に断言されてしまった。思わず舌を噛んだような顔になる。


「……嘘ってなんだよ」
「言葉通りの意味です。あれだけ傷ついてボロボロになって、あんなことした人が何言ってるんですか。
 あれが大したことないんなら、この世に大したことなんてありません」
「……」
「……隠さないで、くださいよ」


 アイは膝を抱えて遠くの空を見つめた。
 なんだか、ひどく悲しかった。
 蓮のそんな態度が泣きたくなるくらい、悲しかった。


「……さっきのアレは、なんなんですか」


 思い返すのは先の情景。紡がれる詠唱と共に突如として蓮の右手が罅割れ砕け、敵サーヴァントはそれに十倍する損傷と万倍の重力を押し付けられたように倒れ伏した。
 傍で見つめていたアイと、ゆきやバーサーカーのマスターには何の影響も与えないまま。


「セイバーさんの宝具は、あんなことができたんですね。嘘を吐かずに、教えてください」
「別に嘘を吐くつもりはねえよ」
「そうですね。本当のことを言わないだけです」
「……」
「セイバーさん」
「分かった、分かった降参だ、話す。だからそんな顔すんな」


 心底から参ったというように、蓮は諸手を挙げて降参した。そして請われるがままにつらつらと語り始める。

 蓮は話した。自身の持つ最後の宝具、その渇望の具現たる創造能力のこと。
 狂的なまでに肥大化した渇望はそのまま現実を侵食する。そんなエゴに満ち溢れた世界の展開こそが創造であり、蓮の創造に関わる渇望の内容など、最早言うまでもないだろう。
 死者の否定。死想の渇望から発現した能力は「死者・不死者の消滅弱体化」。
 浄化の世界に在る限り、全ての死者はその存在を根源から否定され、脆弱ならば即座に消滅、そうでなくとも行動に多大な制限が付加される。
 それは逆に言ってしまえばアイのような生きた者に対しては何の効力ももたらさないということでもあった。二騎のバーサーカーが打ち砕かれたあの瞬間、アイの身に何も起きなかったのにはそういった理由がある。


「……なるほど、そういうことだったんですね」


 一応、納得した。
 蓮の思想というか、信条というか、その辺の諸々は既にアイも知るところだった。
 だから納得はできる。夢で垣間見たあの狂気がそのまま力になったのだと考えれば。
 極めて不本意ではあったけど、アイは納得できた。できてしまった。


「でも、そんなの……危なくないんですか?」
「平気だっての。こいつはあくまで死人を殺すためのもんだからな。サーヴァント以外だと精々死徒とかにしか」
「あ、いえ、そういうことではなくて」


 再度、言葉を途中で遮った。


「じゃあなんだよ」


 また、蓮はアイの言葉を勘違いしている。
 危なくないか、とは能力のことではなく。


「そうじゃなくて……あなたの体は、大丈夫なんですか?」


 聞きたかったのは、そこだった。
 理屈は分かった。理論も分かった。だが、アイにはどうしても納得できないところがあった。
 死を遠ざけるという諧謔の創造。死者の生を許さない蓮の渇望。それがサーヴァントを塵に還すものだとすれば、蓮だとてサーヴァント……つまりは否定されるべき死者なのだ。
 リスクがないとは思えなかった。右手が砕けたのも、あるいはその力の代償なのかもしれないと。

 だからアイは聞きたかった。
 他ならぬ蓮自身に、大丈夫だと言って欲しかった。


「ああ、なんだそんなことか」


 なんでもないことのように、蓮は頭を振った。
 彼は、まるで安心させるかのような、わざとらしい笑顔を浮かべていた。
 それを見た瞬間、アイは、次に彼が何を言うのか理解できてしまった。




「大丈夫だよ」




 蓮は、言った。


「右手のこれは、単にあいつらの攻撃で出来た傷が限界にきただけだ。魔力があれば治せる程度のもんだし、心配するようなもんじゃない」


 それは、確かにアイの望んだとおりの答えだったのに。


「ま、お前がマスターとして優秀で助かったよ。そうでなきゃ、今頃魔力不足でぶっ倒れてたかもしれないしな」


 アイはもう、蓮の言葉など聞いていなかった。ただ俯いて膝小僧の間に顔を埋めていた。


「他に目立った傷もないから、まあその、なんだ。安心しろ。
 ……って、なんだよ。腹でも痛いのか? やっぱお前、いちいち食い過ぎなんだよ。少しは慎め」


 下手なごまかしのように蓮が笑う。その顔をゆっくり視界に収めて、アイは彼を絶句させた。
 アイは今や、泣きそうなほどに顔を歪ませていた。


「……セイバーさんの、嘘吐きぃ……」
「嘘って、お前……」


 蓮はまだ、自分が何をしたのか気付いていない。


「危険が無いなんて、そんなの嘘に決まってるじゃないですか……」
「…………」


 その顔色が、ほんの少しだけ変化した。


「……セイバーさん。あなたはさっき、どうして私が怒ったのか、悲しかったのか、ちっとも分かってなかったんですね」
「…………」
「私は別に、あなたが危ないことをしたから怒ったわけでも、それで怪我をしたから悲しかったわけじゃないんです」
「…………」
「ただあなたが、それを私に隠そうとしたことが、悲しかったんですよ」
「……そうか」


 それは、アイが人生の大半を過ごしてきた死者の谷でのこと。
 過ちと偽りと虚構によって育まれた嘘っぱちの墓守の娘は、だからこそ嘘というものに敏感だったし、それを悲しいと思っていた。
 例えそれが、自分のためを思ってのものであろうとも。

 過ちを認めてからは、彼は早かった。いっそ清々しいほどに謝罪の言葉を投げかけた。


「悪い、俺が間違ってた」
「やっぱり、危険がないなんて、嘘なんですね……」
「……まあ、少しだけな」
「あなたはいつもそうですね」


 死想清浄・諧謔。蓮の創造能力は遍く全ての死者を破壊せしめる。
 そう、全て。全ての死者にこの創造効果は適用される。彼の渇望に例外はない。だから当然、その対象には藤井蓮自身も含まれる。彼はサーヴァントなどという存在を真の意味では決して認めないし許さない。死想の祈りは例え自分自身であったとしても逃さずその牙を突き立ててしまう。
 だからあの時、刃持つ蓮の右手は諸共に砕け散ったのだ。死者の生を認めないという自滅の渇望に蝕まれて。

 微動だにしない隣に向かってアイは全く容赦なく言葉を吐く。許してなんかやらないのだ。


「何もかも一人で背負い込んで、周りの人には何でもないよって、危険があったことさえ隠し通す。それは誇り高い、とても優しいことだと思います……
 でもね、セイバーさん。それがバレた時、周りの人は、私は、どんな気持ちになると思いますか?」
「…………」
「知りませんでしたか? こういうとき、私は、悲しくなるんですよ」


 言葉と共に、更に顔が歪んだ。
 泣きはらした後のような、今にも涙が零れ落ちてきそうな。
 けれど、それでもアイは泣かなかった。


「私が危険を避けられたって、あなたがその分危なくなったら……全然、嬉しくなんか、ないんですよ」
「悪かった」


 謝る蓮の表情は苦渋に満ちていた。
 アイへの反発ではない。
 それは、自らの陰我を直視しなければならないが故の苦渋。


「セイバーさんの渇望は、死んだ人の生き返りを認めないというもの。だったら、同じ死者であるあなた自身も傷つけてしまうなんて、そんなのちょっと考えればすぐにわかることですよね」
「……ああ、そうだ。所詮は魔道で無理やり自分の願いを叶えるなんて歪んだ代物だからな。元が歪んでるんだから、叶った形が歪むのも当然の話だ」


 ひらひらと、蓮は右手を軽く振った。
 そこにはもう傷のひとつも見当たらなくて、アイはほんの少しだけ安堵の念を覚えたけれど。

 でも、胸の奥に芽生えた不安は、そう簡単には払拭することはできなかった。


「だったら、これからはできるだけ使わないようにしてください」
「……ああ」
「でも、それでもまたやっちゃったら、その時は素直に白状してください。誤魔化そうとしたら、酷いんですから」
「……そう、だな。分かったよ」


 そこで蓮は、途方に暮れたように溜息をついた。
 アイは一瞬だけビクッとしたけど、それはアイに対する呆れの感情ではなかった。

 それは、約束の一つも守れそうにない情けない自分へと向けた、自嘲の溜息。


「……悪いな」
「なんです、いきなり」
「先に言っとくけど、俺はその約束をきっと守れない」
「ちょっと、止めてくださいよ」
「できるだけそうならないように努力はするさ。けど、土壇場のところで、俺はきっと自分の命を軽く見積もる」


 勿論、自分の死がアイの死に直結するという聖杯戦争の不文律がある以上は、そうそう簡単には死んでやらないし汚く生き足掻くつもりではある。
 けれど、自分とアイを秤にかけて、どちらの命がより大切かと問われれば、そんなことは今さら比べるまでもないだろう。


「そもそも、俺は死人だからな。今更守るべき自分の命なんて、無いも同然だ」


 それは誰にも譲れない藤井蓮の願い。死者は死に還れという、現実から地獄を遠ざけた人喰い玩具の祈り。
 描いた夢は歪に捻じれて、残骸だけが無様に打ち捨てられて。
 そんな残照に、最早自分は価値を見いだせないから。


「だったら私が、あなたを守りますよ」


 だがここに、そんな残照にこそ価値を見出す人間が一人、いた。
 全てを終えて永遠の眠りについた残骸を掘り起し、形を成してここに蘇らせた少女がいた。

 パチン、と。
 セイバーの頬を、熱くて小さな両手が勢いよく挟み込み、燃える瞳が覗き込んだ。


「あなたが内緒で危険を被ろうとしても、もう無駄です。私が必ず気づきます」
「……」
「あなたが自分だけを傷つけようとしても、もう無駄です。私も、一緒に傷つきますから」
「……」
「だから、自分の命に価値がないなんて、守る自分がないなんて、そんな悲しいことは言わないでください」


 言って、アイは氷のように固まった蓮の顔を真正面から見つめる。
 なんだか凄く嫌そうな顔をされたけど、そんなの構いやしない。


「あなたを起こしてしまったことを、私は後悔していません。申し訳ないって思うことはあっても、後悔なんて絶対しません。
 逢えて良かったです。一緒にいれて嬉しいです。そして、私はできれば、あなたのことも救いたいって思ってます。だから」


 言って、アイは笑った。
 泣きそうだった顔など面影も見当たらない。
 それは、日向にほころぶ童女のような。
 何の屈託もない、純粋すぎるほどに純粋な笑顔。


「安心してください。全部終わったその時は、私があなたを埋めて(・・・)あげますから」


 その笑みは。
 その言葉は。
 どうしようもなく、何の不純物も混じっていないものだったから。


「……期待しないで待ってるよ」


 ここで失ってしまった死者としての安息と、少女に享受してほしいと願う"人"としての生。自らの抱く二つの救いを矛盾と痛感しながら。
 蓮はただ、そう返すことしかできなかったのだ。



【C-2/雑木林/1日目 午後】

【アイ・アスティン@神さまのいない日曜日】
[令呪] 三画
[状態] 疲労(中)、魔力消費(小)、右手にちょっとした内出血、全身に衝撃
[装備] 銀製ショベル
[道具] 現代の服(元の衣服は鞄に収納済み)
[所持金] 寂しい(他主従から奪った分はほとんど使用済み)
[思考・状況]
基本行動方針:脱出の方法を探りつつ、できれば他の人たちも助けたい。
0:すばるたちと合流したい。然る後にゆきの捜索を開始する。
1:生き残り、絶対に夢を叶える。 例え誰を埋めようと。
2:ゆきを"救い"たい。彼女を欺瞞に包まれたかつての自分のようにはしない。
3:ゆき、すばる、アーチャー(東郷美森)とは仲良くしたい。
[備考]
『幸福』の姿を確認していません。



【セイバー(藤井蓮)@Dies Irae】
[状態] 魔力消費(小)、疲労(中)
[装備] 戦雷の聖剣
[道具] なし
[所持金] マスターに同じく
[思考・状況]
基本行動方針:アイを"救う"。そのために……
1:あいつらと合流か……
2:聖杯を手にする以外で世界を脱する方法があるなら探りたい。
3:悪戯に殺す趣味はないが、襲ってくるなら容赦はしない。
4:少女のサーヴァントに強い警戒感と嫌悪感。
5:ゆきの使役するアサシンを強く警戒。
[備考]
鎌倉市街から稲村ヶ崎(D-1)に移動しようと考えていました。バイクのガソリンはそこまで片道移動したら尽きるくらいしかありません。現在はC-2廃校の校門跡に停めています。
少女のサーヴァント(『幸福』)を確認しました。
すばる、丈倉由紀、直樹美紀をマスターと認識しました。
アーチャー(東郷美森)、バーサーカー(アンガ・ファンダージ)、バーサーカー(式岸軋騎)を確認しました。
アサシン(ハサン・サッバーハ)と一時交戦しました。その正体についてはある程度の予測はついてますが確信には至っていません。



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020:善悪の彼岸 投下順 022:嘘つき勇者と壊れた■■
019:焦熱世界・月光の剣 時系列順 009:播磨外道

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セイバー(藤井蓮)

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