海の彼方に佇む威容は、沖より遠く離れたこの地でも何ら問題なく視認できるものだった。
 それほどまでにその海上に浮かぶ黒い城は巨大で、それ以上に人の心を埋め尽くす存在感を孕んでいた。
 あれだけの真似をすれば、よほど察しの悪い馬鹿でも聖杯戦争の関連者であると気付いてしまう。
 そんな危険を冒してまでも、あのように目立つ形で自らの存在を誇示する――聖杯戦争の定石から外れていることなど、もはやあらためて語るまでもないだろう。
 彼ら以外の全てのマスターもサーヴァントも、あんなことをする奴は馬鹿だと切って捨てるに違いない。
 だが、同時にとある感情が見据える者達に沸き起こるのもまた事実だった。
 あの黒い威容は、あらゆる人間に、あらゆる英霊に、平等に途方もない威圧感を感じさせる。
 蛇に睨まれた蛙のような、何か形容しがたい天敵を前にしたような、漠然とした不安に駆られるのだ。

「……不吉だな」

 アンジェリカは呟くと、遠方の城へ向けた視線を溜息と共に外した。
 あれだけ目立つのだから、袋叩きにして脱落させてしまうのも選択肢の一つだとは思う。
 しかし、アンジェリカは誰とも分からない馬鹿の誘いに乗ってやるつもりはなかった。
 彼女のサーヴァントたるセイバーが、上陸までに何らかの射撃攻撃を与えられた際には不利だということもある。
 されど、それ以上に……

「あれれ~? もしかして、怖いの~?」

 煽るように実体化してケタケタと笑うのは、見てくれだけは可憐な少女の形をした悪魔だ。
 世界を救う大義を掲げる自分に自惚れたことは誓って一度もない。
 が、それでもよりにもよってこんな邪悪存在と組まされるとは、神の悪意というものを信じたい気分になった。
 不平を垂れても仕方がない以上、アンジェリカはいちいちムキになって応じるような真似はしない。

「セイバー。貴様は、何も感じないのか」
「何が~?」
「とぼけるなよ。あの黒い何か――恐らくは艦だろう――を見て、何も思わんのかと訊いている」

 その問いに、セイバーのサーヴァント。
 もとい針目縫は、苦笑して肩を竦めた。

「まぁ、お近付きにはなりたくないよね」
「そういうことだ」

 針目は生前、忌まわしい敗北を喫している。
 生命戦維という高位存在を巡った人類との対立の末に、彼女は敗れた。
 『なんだかよくわからないもの』などという、ふざけた概念の前に、彼女達は敗北したのだ。
 どれほどの屈辱だったことか、思い出しただけで腸が煮えくり返る思いだが、それはさておいて。
 あの軍艦からは、どうにも針目も不吉なものを感じずにはいられなかった。
 こう書けば些細なことに見えるが、針目縫という存在が敵対者に対して忌避感を覚え、接触を回避する選択肢を取るという時点で、彼女を知る者はその異様性に気付く筈である。

 恐れた訳ではない。
 マスターが戦えというならば、針目は文句を言いながらも行くだろう。
 それでも出来れば、関わりたくない。

 何故か。
 嫌な予感がするからだ。
 あの威容を遠目に見ているだけで、霊核の底からひしひしと、あれは自分にとっての鬼門だという本能的な警鐘が聞こえてくるのがわかる。
 あれは多分、『なんだかよくわからないもの』だ。
 針目縫にとっての鬼門であり、同時に、いずれ踏み潰さなくてはならない記憶の一つでもある。
 だがそれは、決して今じゃない。


 針目は一見享楽的に見えるが、実際は別だ。
 というのも、アンジェリカ以上に彼女の方が後がない。
 アンジェリカは元の世界に帰還することさえ叶えば、聖杯に頼まずとも世界を救える可能性が微量なれども在る。

 針目にはそれがないのだ。
 彼女の敬愛する母は既に散り、生命戦維をめぐる闘争には完全に終止符が打たれた。
 聖杯の力を使わない限り、針目と母、鬼龍院羅暁の望みが叶うことはもう永遠にないのだ。


 何としても、針目縫は聖杯を手にしなくてはならない。
 気紛れに暴れ回って、笑いながら遊んでいられる時間はもう終わった。
 そういう点を含めても、彼女はあの『馬鹿』を後回しにする判断を下した。

「それで? 今日はどうするつもりなのさ、マスター・アンジェリカ?」
「策敵し、敵を殺す。それだけだ」
「脳筋だねえ」

 アンジェリカと針目縫の性格面の相性はまさに最悪といえる。
 片や世界の救済を、片や実質的な世界の滅亡を願っているのだから無理もない話だが、戦力面では彼女達は隙のない主従でもあった。
 アンジェリカは、マスターとしては破格の強さを有する。
 英雄王のクラスカードこそ持ち込めなかったものの、それでも生半可なマスターでは、無銘のクラスカードにすら太刀打ちは出来まい。
 だから、彼女達はこれでも成り立っているのだ。
 どれだけちぐはぐで咬み合わない歯車だったとしても、戦力の高さというただ一点だけで成り立っている。




「……!」

 それに気付いたのは、アンジェリカだった。
 こめかみに手を当て、眦を顰めて冷静に事態を確認する。
 その動きから、針目も何が起こったのかを察した。
 此処が聖杯戦争という舞台である以上、答えなど一つ以外にない。

「サーヴァント?」
「ああ。こちらへ接近しつつある。察知されたようだな」
「都合がいいじゃない」
「……そうだな」

 アンジェリカは、静かに抜き放ったクラスカードにより、名もなき刃を具現化させる。
 彼女やその同胞に言わせれば、省みる必要のない、価値の低いカードだが、腐っても英霊の刃だ。
 当たればサーヴァントだろうと傷付けるし、事実として彼女はそれで敵に深手を与えたこともある。
 針目のサポートに回るなり、マスターの迎撃に回るなり、出来ることには暇がない。
 それを携え、針目は半身の欠けた片太刀の鋏をぶんぶんと素振りしながら、彼女達は『受けて立つ』事にした。


 ――開幕で響き渡ったのは、破裂する銃声。共に舞い飛ぶ、弾数数百を優に越す魔弾の雨霰。


 豪雨の類を連想させるそれは、アンジェリカ達をして驚嘆せざるを得ないものだった。
 わずか一瞬の内にこれだけの手数を発射できる性能も然ることながら、その威力もまた凄まじい。
 現れたサーヴァントが担う武器は何処からどう見ても単なる二丁拳銃にしか見えないにも関わらず、その手数は機関銃さえ凌駕しており、威力に至っては散弾銃(ショットガン)のそれを完全に超越している。
 アンジェリカは防御の為に無銘の槍を振るい、どうにか難を逃れて、槍が中心からへし折れるのを見た。
 先の銃弾だ。あれを止めただけで、程度が低いとはいえ、クラスカードの刃が簡単に決壊してしまったのだ。

「やあ、初めまして」

 ぱちぱちと柏手を叩きながら現れた英霊は、白髪に眼帯の似合った、見ようによっては少女的な外見をした少年だった。その華奢な体格も相俟って、両手の銃が余計にアンバランスな印象を見る者へ与える。
 よもや、その見た目で彼を侮る者など存在するまい。
 戦場に精通する者ならば尚更だ。

「あははは! 随分可愛い子が来たんだね~。ボク、大丈夫? おうち分かる?」

 針目の軽口に淀みはないが、彼女も同じことを思っているだろうとアンジェリカは感じた。

 この少年を見て思い浮かぶ単語は――悍ましい、の一言だ。
 少なくとも彼は、間違いなく自分達にとって格上の相手だった。
 第一に、何をどうしたらこれほどに濃密な『死』を背負えるのかがとんと分からない。
 死という災厄概念が服を着て歩いているような、それほどの桁違いさを感じさせる。
 彼に殺された者は、きっと百や二百では利かないに違いない。
 数千、数万、……下手をすればそれ以上の人数が、彼の手に掛かって地球上から消えている。

「お喋りに付き合うのもいいんだけどさ、僕のマスターはそれを望んでないみたいなんだ。ちっちゃい子なんだけどねぇ、これがなかなかどうしてキマってる。だからこそ彼女は僕を喚べたのかもしれないな」
「……何が言いたい?」

 アンジェリカの投げた問い。
 それへの返答は、宝具の発動という形で成された。

「――君達に明日はない、ってことさ」

 魔力が集約する。
 溢れ出す、怨嗟の気配。
 魂の嘆きと恐怖の叫びが、空間へ溢れ出す。
 なんだ。
 これは。
 なんだ、これは。
 アンジェリカすら、こんなものは見たことがない。
 ――滅び行く世界の中にすら、こんな地獄絵図が果たしてあったか。
 それほどまでに、桁が違った。次元が違った。
 だから――

「殺せ、セイバーッ!!」

 アンジェリカが叫ぶと同時に、針目は地面を弾けさせるロケットスタートで少年へ吶喊する。
 その速度は時速数百キロに達しており、生半可なサーヴァントでは対応すら出来ないほどのものであったが、白髪隻眼の殺人鬼、餓えた狼を相手取るには余りにも不足過ぎた。
 彼にとってそれは、鳥が止まって囀り始めるほどに遅く、陳腐なものとしか見えない。
 それを証明するように、嘲笑うように、少年――ウォルフガング・シュライバーが跳ね飛んだ。

「ちぃ!」
「どうしたの、ダンス・マカブルの方がお好みだったかい?」

 嘲笑いながら、シュライバーの鋭い蹴撃が針目の持つ刃へと突き刺さった。
 超質量が衝突したような衝撃。
 踏み堪えたまではいいが、駄目だ。

 アンジェリカは悟る。
 そして予定調和のように、次の瞬間、懐へ潜り込んだシュライバーの穿手が針目縫の腹腔へと突き刺さった。
 ぞぶぞぶと肉を掻き分け、それは更に奥へと侵入する。

「――あれ」

 だが、それは愚策だった。
 針目の口許が歪み、その手は瞬く間に眼前の少年を斬首すべく動き出す。
 ぶおんと響く、空気を切り裂く音色。

「なぁんだ、つまらない。君、そもそもまともな人間じゃないんだね」

 少年の首の皮一枚というところまで刃が迫ったところで、針目の視界がぐるりと逆に回転する。
 シュライバーは鷲掴みにした彼女の腹を起点に、大きくその体を投げ飛ばしたのだ。
 空中へ投げ出された痩身がどこかへ着地するのを待たずに、シュライバーの銃撃が逃げ場のない針目へと降り注いでいく。その様は、まさに蹂躙としか言いようのない光景であった。
 一切の途切れなく打ち込まれる魔弾に、墜落することすら許されないのだから。

「これが良いんだろ。ほらほらァ、嬉し涙は? はしたないよがり声は? ……つまらないなあ、そんなんじゃお客さんは喜ばないよ。君、玩具にするには少し面白味が足りないなあ」

 針目縫は、英霊になる以前から人間ではない。
 その特性が顕れたのが彼女の宝具、『生命戦維の怪物(カヴァー・モンスター)』だ。
 一定ランク以上の宝具を用いた攻撃でない限り、とある例外を除いて針目を抹殺することは不可能だ。
 だからこの場でウォルフガング・シュライバーという強敵に彼女が嬲り殺されるということは、少なくともない。
 だがそれは、決して事態の好転を意味してはいなかった。
 猿でも分かる理屈だ。
 サーヴァントを殺せないのなら、マスターを狙えばいい。

「悪いね、死なないって奴は見飽きてるんだ」

 ぐるりと。
 その、視線/死線が。
 ――向いた。

「だからさあ、君はもうちょっと面白い声で啼いてくれよ。
 そうじゃないと、僕としてもやり甲斐がないからね――」


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セイバー(針目縫)

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