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 そして彼らは此処に降り立つ。

 重き木霊は哀絶を奏で。

 灰燼と骸は嘆きを湛え。

 此処は退廃の夢に沈んだ異形都市。

 血肉の雨が、降り注ぐ街。





   ▼  ▼  ▼





 その閑散とした通りにぽつんと建てられた大きめの邸宅は、昼光がさんざめく穏やかな午後の時間帯にあって、しかし何かを拒むかのように硬くその門戸を閉ざしているのだった。
 白く清涼感を思わせるその邸宅は、個人の家屋ではなく児童福祉の法に従って運営されている孤児院だ。常ならば庭先や大きく開かれた窓の向こうからは就学していない子供たちの遊ぶ無邪気な声が、爛漫な雰囲気と共に辺りに広がっているはずである。だからこそ今この瞬間において、この孤児院が重い沈黙と閉塞感に包まれているという現状は、非常に奇異に見えた。
 種を明かしてしまうなら、その理由は至極単純である。ここ一週間ほど鎌倉の街を騒がす不確かな噂どころではない、現実として行われた大規模な破壊行為が、孤児院のすぐ近くで巻き起こったのだ。

 院長を務めるおばあちゃん先生と懇意にしていた名家のお嬢様が、この孤児院を訪れてから幾ばくか。もうすぐ朝が終わろうかとしていた時間帯に、その音はやってきた。
 何かを爆発させ、大きなものが崩れ落ちるような音。工事の時に聞こえるようなものとはそれこそ次元が違う轟音が、一度ならず数えるのも億劫になるほどたくさん鳴り響いた。そして音が鳴る度に、建物自体が揺れ軋み埃が落ちてくるほどの激震が、孤児院を襲ったのだ。
 この時点で、院に残っていた子供たちの多くは恐慌状態に陥り、年長の者に縋りついて離れなくなっていた。そも、この昼間の時間帯において院に残っている子供は、その多くが就学していない幼児であるか、あるいは心に傷を負った不登校児である。こうした非常時に平静に対応できるはずもない。宿直の職員は、必死で彼らをあやしていた。
 その様子をキーアは、周りが感じている不安と同じように優れない表情で見つめていた。

【本戦が始まって半日。この段階で既に、か】
【うん……】

 霊体化し傍に侍るセイバーの声ならぬ声に、キーアは力なく答えた。
 キーアの様子が優れないのは近場で発生した破壊事故だけでなく、聖杯戦争が本格的に始まってしまったこと、そしてその戦火が自分たちの想定以上に急速に広がっている事実を、否応なく実感してしまったことに起因していた。

 原因不明の轟音に際し、職員の一人が情報を得ようと点けたテレビからは、緊急速報が流れていた。
 その内容は、材木座海岸付近の港町の一角が、大規模な竜巻にでも巻き込まれたかのように破壊され、多くの住民が死亡したというものだ。
 現在では消防隊による救出活動と並行して、警察が緊急捜査と現場検証にあたっているという。通行も遮断され、その一角は半ば陸の孤島と化していると、テレビ画面に映し出された無機質な白文字は語っていた。
 すわ災害か事故か、どちらにせよそれに遭遇したのは自分たちだけなのではと考えていた孤児院の住人は、そこで自分たちの所以外にも被害が出た地域があったことに驚愕した。しかも災難はそれだけに終わらず、通常の番組編成を休止して緊急特別番組を敢行したテレビによって、更なる事実が告げられた。
 この鎌倉において、今日半日で発生した重大事件は『四つ』あった。うち二つは言うまでもなく、前述した港町の突風事故と孤児院近くの破壊事故である。しかし更にあと二つ、異常極まる破壊行為が鎌倉では起こっていたのだ。
 一つ、鎌倉市街中央部、鎌倉駅東口方面にて大規模な火災と爆発事故が発生。現場は非常に危険で現在も人が立ち入れず、目撃者によれば「巨大な火柱が上がった」という。
 一つ、数日前から相良湾沖に駐留する正体不明の戦艦が、ついにその沈黙を破って砲撃を開始。稲村ケ崎の住宅街及び電鉄線が車両ごと破壊されたこと。

 これらの事故が一体何を意味するのか、およそ市井の住民では理解できるはずもないだろう。
 しかし他ならぬ聖杯戦争の参加者であり、伝説に生きた騎士のサーヴァントを従えるキーアには、それが何によって齎されたのか理解できてしまっているのだ。
 すなわちサーヴァント。聖杯が招く奇跡の恩寵を求め、この鎌倉を跳梁する幻想の産物たち。人の手の及ばぬ彼らによるものであると、キーアには分かっている。

 だが、それ以上に。
 キーアがここまで心を不安に染め、その表情を優れないものにしている理由の最たるものは、そんな聖杯戦争によって引き起こされた災害そのものではなく。
 テレビに映る災害現場に集う一般市民たちの表情が、隠し切れない喜悦と興奮に染まっているのだという歪さでもなく。
 つい先刻、この孤児院において親交を深めた"とある少女"に起因するものであると、彼女を見下ろすセイバーは知っていた。

【通常七騎で行われる聖杯戦争の定石を覆し、数十にも及ぶ英霊を競わせる此度の戦……半ば予想はしていたけど、どうやら此方の想定以上に戦火の広がりは早いらしい】
【セイバー、あたし達もやっぱり……】
【巻き込まれる、それは避けられないだろうね。現にこうして、すぐ近くにマスターが存在した】

 セイバーの言葉が指し示すのは、言うまでもなく古手梨花のことだ。キーアに曰く、ドウメイやサーヴァントという単語を使い、見知らぬ男が急に現れたという。たったそれだけではあるが、彼女が聖杯戦争の関係者であることを証明するには十分すぎるほどの状況証拠が存在した。
 先刻の砲兵との邂逅において、セイバーもまたその気配を現出させている。故に、ほぼ確実にこちらの存在は捕捉されていることだろう。悠長にしていられる時間は、極めて少ない。

【きみの命は僕が守る。かつて誓ったその言葉に嘘はない。けれどキーア、きみには選ぶ義務がある】
【義務?】
【そう。戦うか、戦わないか】

 サーヴァントとは守護し戦うものだ。守護し戦うだけのものだ。だから、その力をどう振るうかを決めるのは、全てマスター次第。
 キーアは自身に願いはなく、ただ生きて帰りたいと言った。誠実で優しく、そんな彼女だからこそ、セイバーは心よりの忠誠をキーアに誓ってはいるけれど。
 彼女が一体どうしたいのか。それを決めるのは自分ではなく、彼女自身であるべきだ。

【僕が成せる範囲で、きみには全てが許されている。戦うことも逃げることも、あるいは歩み寄ることも。いずれにせよ、今ここで決めなければならない】

 何故なら戦況とは刻一刻と変化していくものだから。聖杯戦争は容易にその参加者の命を食らい、奇跡へ至るための残骸としていく儀式だ。答えを出せないままでは、キーアに命はない。

【けど安心して。きみがどんな選択をしようとも、僕はそれに尽力しよう。決してきみを裏切ることも、危険に晒すこともない】
【……うん、ありがとう、セイバー】

 言って、キーアは顔を上げて。
 毅然とした表情で告げた。

【話してみるわ、リカと。彼女が何を望んでいるのかは分からないけど、でも何も知らないままじゃ駄目だもの】
【……了解した。ならばその間、きみのことを守るのは僕の役目だ】

 頭に響くセイバーの声。そこには何の不純物も含まれておらず、清廉なまでの誠実さだけが伝わってきた。
 それをキーアは、とても頼りに感じると同時に、何か尊いものを思った。それは例えば御伽噺の王子さまのような。正義に輝く、聖なるものであるとか。

 ───ありがとう、セイバー。

 心の中で感謝を告げる。面と向かっては、もう何度も言ってきたから。きっと彼は「当たり前のことだよ」と言って、困った顔をしてしまう。だから心の中でだけ。
 キーアは椅子から立ち上がり、梨花の姿を探す。孤児院はそう広くもないから、きっとすぐ見つかるはず。


「……?」


 と、そこでキーアは、自分のことを見つめる視線に気付いて。
 ふと振り返る。そこには、怯えと共に何かを遠慮するかのような表情の小さな子供たちが三人、身を寄せ合ってこちらを見ていた。

「どうしたのみんな。何か私に」

 用があるの、と。そう続けようとして。

「……キーアおねえちゃん」

 ひしり、と。
 抱きつかれてしまった。腰のあたりを三人に。見れば目元には涙を湛えて、今にも泣きだしてしまいそうなほどに。
 えっ、と困惑してしまう。次いで、ああと納得することもあった。

「こわいよ、おねえちゃん……」
「みんなどうしちゃったの、せいせいは……」
「もうやだよ、こわいよぉ……」

 心細いのだ、この子たちは。こうも立て続けに災害に見舞われて、大人たちも皆血相を変えて。
 子供は大人が思うよりもずっと、周りの人を観察している。頼れる大人が慌ててしまえば、その気配は容易に子供たちにも伝播してしまう。
 何が起こってるのか分からないけど、大人がみんな惑っている。
 だから自分も惑うのに、その理由が分からないから尚更こらえようのない恐怖が沸き起こる。
 そんな、子供たちが抱える不安というものを、キーアも感じることができたから。


「───大丈夫」


 ふわり、と。
 風に舞う清涼な外布のように、柔らかな動作で。
 院の外で今なお囀る小鳥よりも、愛らしい声で。
 キーアは縋る三人の子を優しく、優しく抱きしめた。

「きっと大丈夫よ。おばあちゃん先生もお姉さん先生たちも用務員のおじちゃんだって、みんなみんな頑張ってるんだもの。
 先生たちがあたしたちに嘘ついたこと、駄目だなんて言ったこと、今まで一度だってあった?」

 ううん、と微かに首を振る感触。それを見て、キーアは大きく破顔した。

「でしょう? だから信じて待ちましょう。大丈夫、先生だけじゃなくて、あたしだってついてるんだから」

 だから安心して、と。告げるキーアの表情は、笑み。
 光そのものである輝きを背に、彼女は笑っていた。
 姿なく見守るセイバーは、そこに暖かいものを思った。木陰に差し込む陽だまりのような、そんな暖かさを。
 やはりこの子には物憂げな顔よりも、こうした笑顔こそが似合う。

 きっと、孤児院の皆はキーアの優しさにこそ惹かれたのだろう。今はもう落ち着きを取り戻した三人の子供たちを見て、思う。
 彼女は決して居てはならない人間ではなかった。例え招かれざる異邦の異物であろうとも、それだけは胸を張って言えた。
 そしてその想いは、これからも曲がることはないだろう。そう、決して。
 少女の輝きに誓い、セイバーは一人、そう述懐した。





   ▼  ▼  ▼





(やっぱり、慣れるようなもんじゃないわね)

 吹き抜けになった二階から、階下のキーアたちを見下ろして、梨花はそうひとりごちた。
 やはりというべきか、キーアを見る度に感じる苛立ちにも似た悪感情は、収まりも慣れることもなく梨花の心中に暗い影を落とすばかりである。
 その感情が何であるのかを、梨花は知っていた。それは自分が手放し、二度と手に入らないものを持っている彼女への抑えきれない羨望と、それに付随したどうしようもない嫉妬の念なのだ。
 彼女を見てると、どうも昔のことを思い出す。自業自得とは重々承知してはいるが、しかしそれが腹立たしくて仕方がないのだ。

【よいよたいぎぃ奴ぁのう。百も昔に失ったもんのことなんぞ、今に思っても仕方ないに決まっとろうが】
【うっさいわね馬鹿。そもそもあんた、さっき勝手に動いたのだってまだ詳しいこと聞いてないんだけど。一体何考えてんのよ】
【そがァなことは決まっちょるよ。俺ぁ何も考えちゃおらん、それがこの俺壇狩摩じゃからのォ。うははははははは!】

 頭の中に響く無駄にでかい笑い声に、梨花は思わず顔を顰めそうになった。やはりこの男、自分とはまるで相性が悪い。本当ならば人生の内で1分と関わり合いになりたくない人種だ。
 何せこの男、本当に何も考えてない。やることなすこと行き当たりばったり、どころか常識的に考えて自殺行為に等しいようなことまで平然とやってのけるのだから、見てるこちらとしては心臓に悪いという他ない。
 先ほどだってそうだ。生前の知り合いだかなんだか知らないが、敵マスターの前にいきなり実体化など、仮にもサーヴァントのすることではないだろう。結果的にそのマスターとは同盟関係を結ぶことができたとはいえ、憤懣やるかたなしな思考になるのも仕方ない。
 つくづく、サーヴァント失格な男である。

【まあ、それがあんたの勝ち筋だって言うんなら、私はそれに乗るしかないのは分かってるわ。不本意だけどね。それで、ここからどう動くの】
【さぁてのう。俺ァ反射神経の男じゃけぇ、どう動くかなんぞそん時になってみにゃあ分からんでよ。でもまあ】

 そこで一度、狩摩は言葉を切って。

【探らせとった鬼面共が、さーばんと言うんを見つけてきおったわ。全く幸先がいい話でよ】
【それを早く言いなさい!】

 思わず食ってかかってしまった。しかしそれも仕方ないことだろう。
 何故なら敵サーヴァントの情報は聖杯戦争を勝ち抜くにあたって最重要と言っていい代物だ。敵の容姿、真名、扱う武器に能力の内容。何か一つでも分かれば何かしらの対策を打ち出せる。
 ましてこちらは礼装や陣地の作成など、事前の準備が物を言うキャスターなのだから、そうした情報は何よりも大事にしなければならない。

【そいでじゃが、件のさーばんとゆゥ奴はの……】
【そのサーヴァントは……?】

 そういうわけだから、梨花の顔も自然と真剣なものになる。自分の進退を左右するかもしれない話なのだ、当たり前である。
 そんな梨花に、狩摩は意地汚い笑みを浮かべて。

【なんと、お前にそっくりじゃったそうでよ! うはははははは! お前みとうな陰気臭い餓鬼がもう一人たァぶち笑い種じゃのぉ! じめ臭うてかなわんわ!】

 ……一瞬でもこいつに期待した自分が馬鹿だったようだ。

【……で、スキルや宝具は確認できたの?】
【ん? あぁそうじゃの。なんぞやたら"運"がいいゆゥとったわ。まあ俺ほどのもんじゃないんじゃろうがのォ。きひ、ひひひ】

 爬虫類めいた双眸を細め、何がおかしいのか狩摩はひとしきり嗤う。
 不気味、不審、ここに極まれりといった風情だが、梨花としてはもう慣れたものだった。こんなものに慣れたくなどなかったが、人間というものは存外に適応力が高いものである。要らない知識と実体験が一つ増えた瞬間であった。

 ともかく、梨花は得られた情報を整理しておくことにした。正直情報量自体は少ないが、0であるよりは遥かにマシだ。
 まず第一に、そのサーヴァントの外見は少女であったということ(自分に似ているというのは流石に戯言だろうが)。
 そして、運がいいということ。キャスターに追加で聞いてみたところ、どうやらそのサーヴァントは「偶然性、それも自身に都合のいいことを意識的に発生させられる」力を持つらしい。他にも欠片のような空間障壁を展開する、空間転移を敢行するなど、その能力には列挙するだけでも頭が痛くなるほどに荒唐無稽で、だからこそそれが真実ならば相当な脅威であった。
 およそ戦闘には向かない容姿、不可思議な術式を容易く行使する特異性。それらを考慮すると……

【そのサーヴァント、多分キャスターよね】
【さァて、お前がそう思うんならそうなるじゃろ。お前ん中ではな。それが全てよ】
【馬鹿にしてるの?】
【いやいや、それが中々馬鹿にできたもんでもないけぇ。まァお前にゃ分からんことじゃろうがの】
【やっぱり馬鹿にしてるわね、あんた】

 狩摩のたわ言は聞き流すとして、そのサーヴァントがキャスターであることは、まず間違いないだろう。
 聖杯戦争は通常、同クラスのサーヴァントは重複しないという話であったが、どうやらここではそんな常識も通用しないらしい。魔術闘争なんて非常識の産物に、常識という言葉を適用させていいものか、それは分からないが。

【それで、言っておいた"陣地"ってやつはできてるんでしょうね】
【おう、できとるよ。急造のもんじゃが、まァ問題はなかろうよ。じゃけェそう心配すんなや、重ねた歳がそんならの顔に浮かびおるわ】

 キャスターのクラススキルに、陣地作成というものがある。それは文字通り自陣営に有利となる陣地を作成する技能であり、地力で他のクラスに劣るキャスターに残された数少ない光明である。
 梨花は前日から、狩摩にそれの作成を命じていた。そして意外なことに、この奔放に過ぎるキャスターは梨花の命令に唯々諾々と従い陣地の作成に努めたのだ。
 そうして果たして、その陣地とやらは完成したのだという。
 当初、梨花はその言葉を信じられなかった。というのも、所謂目に見える形でこの孤児院に変化点は存在しなかったからだ。
 梨花としては、陣地というものなのだから、少なくともマスターたる自分には分かる程度には施設に変化があると思っていたのだ。しかし陣地と定めたこの孤児院において、昨日までと今日で一切の変わりはなかった。
 だからこの質問をした時点では、梨花は狩摩が作成作業をサボったとばかり考えていたのだ。梨花の言葉がどこか棘を持っていたのには、こういった理由がある。
 しかし、その予想はどうやらいい意味で裏切られたらしい。狩摩が嘘を言っていなければ、の話であるが。

【しかしまァ、お前もよいよたいぎぃ先行きじゃからのぅ。焦る気持ちゆゥんも分かるわ。俺とは無縁の感情じゃがの。
 現にお前にとっちゃ頭の痛い話じゃろうよ。まァ、これだけは"間"ぁ悪ぅかった思うて諦めェや】
【は? いきなり何言って……】
【"来る"でよ】

 その一言に、梨花は背筋が凍るという感覚を体感した。氷を入れられた、どころの話ではない。椎骨そのものを鷲掴みにされ、髄液の代わりに冬の真水を注入されたにも等しい悪寒が、背筋を走ったのだ。
 狩摩の言葉に恐れを覚えたのではない。それは、彼が"来る"と評したものが、突如としてその気配を露わにしたものが、梨花にも確かに感じ取れたからだ。
 孤児院の外、ここからおよそ百mほどか。そこに、何か"取り返しのつかない"ものがいるということが、理屈ではなく直感として分かった。

 ドッペルゲンガー、という単語がある。
 自己像幻視とも呼ばれるそれは、有体に言えば自分自身の姿を自分で見るという幻覚症状の一種だ。大抵の場合は精神、あるいは脳の障害に起因する錯覚でしかないが、そういた医学的に説明が付く事例もあれば、逆に医学的には説明不能な事例も存在する。
 ある日突然訪れる「もう一人の自分」。二重写し、影、重なって歩く者。それらは時代も国も超越して、数多くの事例と「死の前兆」というモチーフが付随して語られる。
 それを、何故か突然、梨花は想起した。理由は分からない。けれど、梨花は確かに感じたのだ。

 ドッペルゲンガー、もう一人の自分。
 そうした最も自分に近い、しかし最も遠い存在。そうとしか形容のしようがない何かが、そこにいるのだと―――!

【きひ、きひひひひひ。来る、来るでよ。ぶち恐ろしかものがやってきおったわ】

 狩摩は嗤う。口調とは裏腹の、何もかもを愉快がった嘲笑の笑みを絶やすことなく。

【"魔女"が、来おった】

 睥睨して見つめる視線が、孤児院の壁を貫いて彼方を見据えたのだった。





   ▼  ▼  ▼





 かつて神稚児と呼ばれた童がいた。
 七つまでは神のうち。数えで七歳を迎えるまでの稚児は人ではなく神や霊に近い存在である。そんな伝承がこの国にはあった。
 乳幼児の死亡率が極めて高かった時代、子供は人と神の境界に立つ両儀的存在と見なされた。そして真実、それに相応しい生き残りがその地には存在した。
 人の願いを無差別に叶える万能の現人神。人の数だけ存在する願いを、願いの数だけ現実とする"都合のいい神さま(デウス・エクス・マキナ)"。
 その娘は人の姿をして、しかし決して人ではなく。世界の全てさえ左右できるほどの力を宿し。
 しかし彼女自身が願うのは、本当にささやかなもの。


 かつて正義の味方を目指した少年がいた。
 大災害にて家族を失い、自身もまた冷たい死を待つだけの身であった彼は、そんな自分を救った男に光を見た。
 当初はただの憧れだった。何も知らない子供のように、綺麗なものを見つめる少年のように。
 そして想いは順当に受け継がれ、少年はその身に呪いを受けた。男の犯した過ちを、けれど間違いになどさせないという少年の誓い。
 しかし彼はその果てに、正義ではなく人を選んだ。一を犠牲に全を救う正義ではなく、唯一の幸せのために世界の全てを切り捨てた。
 神の子が願ったささやかな願い。人になりたいというその言葉を、彼は笑顔と共に受け入れた。


 かくして正義に憧れた少年は、その味方となる権利を手放し。
 今や悪の敵たる資格すら失って。
 妹を救いたいと願うだけの少年は、世界の敵と成り果てたのだ。











 先の戦いより数時間、士郎の肉体に蓄積された疲労は既に癒えていた。
 拠点よりほど近い市街地にて発生した戦闘……より厳密に言うなら、自分から仕掛けたものであったが、それでも彼らは勝利を手にして戦場を後にした。三騎士たるランサーのサーヴァント、及び準サーヴァント級の規格外マスターを、非才の少年と暗殺者の少女という弱者の牙が打ち砕いたのだ。
 幸いにして、彼らはその戦闘において負傷の類を負うことはなかった。故に彼らは戦闘可能な程度にまで回復すると、すぐさま次の行動に出た。兵は拙速を尊ぶという言葉の通り、生半な作戦を練るよりも、自分たちにはやるべきことがあるのだからと。
 衛宮士郎が望むのは聖杯の獲得にして、世界の救済。より厳密に言うならば、「世界の救済のために犠牲にされようとしている妹に代わる奇跡」である。
 そのためならば、彼は何をも犠牲にしようと構わなかった。聖杯戦争に関わるマスターは元より、それに巻き込まれる無辜の住人であろうとも、彼は一顧だにすることなくひた走ろうとしていた。
 そして。

【アサシン、気配の出所は確かにそこで間違いないんだな】
【そうだ。気配は二つ、微かだが建物内に確認できる】
【二つ、か……厄介だな】

 現在、士郎とアサシンは目下の標的を発見し、その威力偵察を行っていた。
 目標は閑静な土地の通り面した白色の建築物。傍にある看板から、そこが孤児院であることが士郎には分かった。
 なるほど、と納得するものがあった。異世界より召喚され、身分の保障すら与えられない今回の聖杯戦争において、マスターが取れる選択は限られている。
 身分や戸籍を偽装するか、あるいはそうした相手から偽装身分を奪い取るか。そうした力も持たない場合は、素直に路上生活者として活動するか。
 そうした観点から見れば、個人経営の孤児院はある意味うってつけではあった。若年層のマスターに限られるが、孤児として施設に紛れ込むことができれば戸籍や素性の問題に突っ込まれる機会も多くはなるまい。
 しかしそんな与太な思考とは全く別のところに、士郎が危惧する問題があった。すなわち存在するサーヴァントの気配の数である。
 アサシンに曰く、その孤児院にあるサーヴァントの気配は二つなのだという。これは非常にまずいと言えた。何故ならこちらは敵の足を引っ張り隙を突くことしかできない弱兵、正面からぶち当たったのでは万に一つの勝機もあるまい。
 二つの陣営が一つ所に在る理由……同盟か、敵対か、それを知ることは士郎にはできないが、前者であった場合には根本的に作戦を練り直さなければならないだろう。
 無論、後者であった場合には決裂の隙を突くだけの話だが。

【アサシン、お前は引き続き偵察を続けてくれ。動きがあったら教えてほしい】
【了解した、士郎】

 念話でアサシンに命じて、士郎は一人双眸を細めた。強化された視界の先に映る孤児院の姿は、彼に一つのことを思い起こさせた。

(美遊……)

 彼には救いたい者がいた。その者は神としてこの世に生を受け、神としての力を望まれ、人であることを許されなかった。
 世界を救うために犠牲となるただ一人。その者は殺されるために生まれたのだと言われた。
 士郎は、それを許すことができなかった。全を救うために一を犠牲にするという理論、彼が憧れた正義の男と同じ理屈を、しかし彼は受け入れることができなかったのだ。
 その者の名を、朔月美遊。神稚児信仰の体現たる朔月家唯一の生き残りにして、今や一人の人間となった少女。
 衛宮士郎に残された、世界にたった一人の大切な妹だった。

(待っていてくれ、俺は必ずお前を救い出す)

 美遊もまた、孤児と言っていい身の上だった。だからだろうか、孤児院を見ているとそのことを思い出してしまう。
 あそこに住まう子供たちも、恐らくは美遊と同じ年頃なんだろうか―――
 ふと湧き上がった思考を、士郎は冷酷に消し潰した。彼女を救うために悪となった自分には、もう許されないものだったから。

(だからこそ、立ち塞がる敵は総て討ち倒す。そこにどんな正義があろうとも……)

 例えどれほどの正義があり、どれほど正当な大義名分が掲げられようと。
 最低の悪たる自分には通じはすまい。一のために全を殺す自分には。

 いずれ訪れるかもしれない機会のために、士郎はただ待ち続ける。
 救うべき大切な者の影だけを、その瞳に映して。
 正義の味方に焦がれた少年の面影は、最早どこにも残されてはいなかった。











 正義の味方の男は言った。自身の生は、見えない月を追いかけるが如き暗闇の旅路であったと。
 世界の敵の少年は言った。例え月が見えずとも、それでも人は星を仰ぎ見るのだと。
 暗闇の中であろうとも、人は星に願いを託す。正しく在ろうと足掻いた男の生涯は、決して間違いなどではなかったのだと。

 けれど、けれど───

 人が月を見ることができずとも。
 月は人を見下ろしている。
 正義も悪も嘲笑い、慈愛と侮蔑の視線で睥睨している。
 今この瞬間も。
 月は、人々を見下ろしている。
 昼光に遮られ、暗闇が視界を閉ざし、星の輝きさえ届かぬ深淵の玉座から。



 ───《月の王》が見下ろしている。





   ▼  ▼  ▼





「あら、一足遅かったみたいね」

 破壊の限りを尽くされた市街地を見下ろして、少女のように可憐な、しかし暖かさの一切を感じさせない嘲笑の声が響いた。
 声の持ち主は人ではなかった。黒き肢体をしなやかに躍動させ、黄金の瞳で全てを見通しながら、獣の口元を愉悦に歪ませている。
 書割のように背景から浮き出た黒猫が、人の言語を解していた。

「混沌の坩堝と化した都市……そこで行われる人間たちの狂騒。醜いわね、とても醜い。けれど、いいえだからこそ、観覧の種としては見るものがある」

 黒猫───奇跡の魔女がこの戦場に望むのは娯楽である。
 彼女自身は知的遊戯を尊び、推理を愛し、他者の知性を嘲笑う魔女ではあるけれど。
 だからこそ、その脳髄を満たす娯楽に関しては貪欲だった。愚かな人間と英雄などと持て囃されている愚者が手を組み殺し合うなどと、なんと暇の潰しがいのある趣向であろうか。
 故に彼女は傍観者の地位に座りながら、そのゲーム盤を睥睨するのだ。将棋かチェスを観覧する淑女のように。

 そして彼女は―――新たな娯楽の種を見つけた。
 この地よりほど近い場所にある、幼子を収容する白箱を視界に収めて。
 そこに集う超常の者の気配を悟って。
 奇跡の魔女は、残酷に冷酷に、弦月の形に笑みを歪ませた。

「ふふふ……楽しみだわ。どこのカケラか知らないけど、まさか"あの子"に会えるなんてね」

 その声は。
 その愉悦は。
 遥か昔に置き去った"何か"を想うようで。

「待っていなさい、■■■■」

 そこ名を聞き取れた者は。
 少なくとも、この場には誰も存在しなかった。





【B-1/孤児院/一日目・午後】

【古手梨花@ひぐらしのなく頃に】
[令呪]三画
[状態]健康、苛立ち
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]子供のお小遣い程度
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を手に入れ、百年の旅を終わらせる
0:魔女……?
1:キャスター……もうこいつについて深く考えるのは止めにするわ。
2:百合香への不信感。果たして本当に同盟を受けて良かったのか。
3:キーアに対する羨望と嫉妬。
[備考]
※アーチャー陣営(百合香&エレオノーレ)と同盟を結びました
※傾城反魂香に嵌っています。気に入らないとは思っていますが、彼女を攻撃、害する行動に出られません。

【キャスター(壇狩摩)@相州戦神館學園 八命陣】
[状態]健康
[装備]煙管
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を楽しむ。聖杯自体には興味はない。
[備考]
※アーチャー陣営(百合香&エレオノーレ)と同盟を結びました
※彼は百合香へもともと惚れ込んでいる為、傾城反魂香の影響を受けていません。
※孤児院を中心に"陣地"を布いています。


【キーア@赫炎のインガノック-What a beautiful people-】
[令呪]三画
[状態]健康、混乱
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]子供のお小遣い程度
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争からの脱出。
1:梨花と一度、話してみたい。
[備考]
古手梨花をマスターと認識

【セイバー(アーサー・ペンドラゴン)@Fate/Prototype 蒼銀のフラグメンツ】
[状態]健康
[装備]風王結界
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:キーアを聖杯戦争より脱出させる。
1:赤髪のアーチャー(エレオノーレ)には最大限の警戒。
2:古手梨花とそのサーヴァントへの警戒を強める


【B-1/高所の物陰/一日目・午後】

【衛宮士郎@Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ】
[令呪] 二画
[状態] 魔力消費(小)
[装備] なし
[道具] なし
[所持金] 数万円程度
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争に勝利する。手段は選ばない。
1:孤児院への奇襲を仕掛けたい。しかしサーヴァントの気配が二つあることを憂慮。
[備考]
アサシン(アカメ)とは数㎞単位で別行動をしていますが、念話・視覚共に彼女を捕捉しています。


【アサシン(アカメ)@アカメが斬る!】
[状態] 健康
[装備] 『一斬必殺・村雨』
[道具] 『桐一文字(納刀中)』
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:勝利する
1:士郎の指示に従い、孤児院の様子を探る。


【キャスター(ベルンカステル)@うみねこのなく頃に】
[状態] 健康、黒猫
[装備] なし
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を楽しむ
1:面白そうなので観覧する。
[備考]
※『杜に集いし黒猫の従者』に綾名を護衛させています。
※黒猫に変身した状態ではサーヴァントの気配を発しません。




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026:獣たちの哭く頃に 投下順 028:陥穽
025:幸福の対価、死の対価 時系列順

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002:錯乱する盤面 キーア 029:死、幕間から声がする(前編)
セイバー(アーサー・ペンドラゴン)
古手梨花
キャスター(壇狩摩)
015:暗殺の牙 衛宮士郎
アサシン(アカメ)
010:穢れきった奇跡を背に キャスター(ベルンカステル)

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