PREV:死、幕間から声がする(前編)






【点在、非在、偏在を確認】

【監視継続】

【時間流への介入を開始】

【……】

【時間軸・■■■■■】

【アクセスしますか?】

【……】





 ………。

 ……。

 …。





【少女の旅の終着点】

【雛見沢村 入江診療所】





 ………。

 ……。

 …。





 その少女は、二つの世界を同時に観測していた。

 一つは希望の世界。
 あらゆる悲劇が人々に降り注いで、しかし仲間との絆を信じた者たちによってあらゆる不幸が打破された、約束された勝利の世界。

 一つは幸福の世界。
 あらゆる悲劇は最初から存在しなかった。身内の不幸、犯した罪、課せられた咎。そんなものは何もなくて、だからこそ紡いだ友誼すら存在しない世界。

 そのどちらも、惨劇の影など見当たらなくて。
 そのどちらも、少女が望んだ世界だった。

 しかし、少女はどちらかを選ばなくてはならなかった。
 選ばなかった世界は消えてしまう。二度と観測されず、カケラの海に沈んでしまう。
 少女は苦悶した。百年の旅を終えて、掴んだはずの未来は二つに枝分かれして。
 悩んで、悩んで、悩み抜いて。

 その果てに、少女は「希望の世界」を選び取った。

「私はこの世界を選んだ」
「沙都子がいつも一緒にいて、部活メンバーがみんないて、私に優しくしてくれる世界」
「……みんなの罪や、不幸の上に成り立つ世界」

 選んだあとも、少女の苦悩は続いた。自分の選択は、ただのエゴでしかないのではと。
 「幸福の世界」は、文字通り皆が幸福だった。惨劇もなく、悲劇もなく、罪も不幸も何もなく、皆が心からの笑顔を浮かべていられる世界。
 ……代わりに、皆が少女との友誼を持たない世界。

 けれど。

「ありがとう」
「梨花ちゃんは、私たちのことをせめて夢の中だけでも幸せにしてくれたんだね」

 少女の話を聞いた、橙髪の少女は。
 彼女を責めるでもなく、笑顔でそう言ったのだ。

「もしも私にも選ばせてもらえるとしたら、やっぱり私は梨花ちゃんと同じで、こっちの世界を選んだと思うの」
「確かに私にとって、お母さんの離婚はとても悲しいものだった。それで変わっちゃったことも色々あった」
「けど、そのおかげで学びとれたこともある。だから、きっとそっちの世界の礼奈は未熟なままだったと思うんだ」

 橙髪の少女は、滔々と語る。
 二つの世界をどっちがいいか比べる時点で、それは人の身には過ぎたことなのだと。
 世界を比べ悩むことは神さまの仕事であって、自分たち人間の仕事ではない。だから人間にできることは、与えられた一つの世界で懸命に幸せを見つけることなのだと。

 それを聞いた、百年を生きた少女は。
 ただ一人、心の内でこう思ったのだ。

「私は、百年の時を生きた」
「私は、数多の世界を生きた」
「だからこそ億の選択に打ち勝ち、必ず幸せを掴める特別な存在なのだと信じてきた」

「けど」

「人は生きる世界に懸命であるべきで、そうでなければ幸せを掴めないのだとしたら」
「百の時と数多の世界を渡り歩いた"魔女"の私は」
「幸せを掴むという事については、誰よりも劣っていたのかもしれない」

 そこで、老獪な笑みを湛える魔女の貌が。
 ふっと力が抜けたように、外見通りの"少女"の顔に戻って。

「私は、魔女をやめるわ」
「何度も時を繰り返して、百年を生きた私はもう終わり」
「ベルンカステルの魔女なんて必要ない。これからは、一人の"古手梨花"として、この世界を懸命に生きる」

 ───そうして少女は呪いより解き放たれて。
 ───真の意味で、光り輝く「希望の世界」へと足を踏み入れた。

 それはありえたかもしれない未来の話。聖杯の恩寵を望み、百年の旅の途中で異邦の鎌倉へと迷い込んだ小さな魔女が、たどり着くかもしれなかった旅の終わり。
 旅の果てに魔女は少女へと姿を変えて、今度こそ掴み取った幸せを享受するだろう。



『ふ、ふふ、ふふふふ』
『あっははははははははははははははははははは!!』



 ───切り捨てられた"魔女"の半身が。
 ───永い永い時の果てに、新たな惨劇を生むことも知らずに。





   ▼  ▼  ▼





【現時刻】

【地上、あるいは───】





   ▼  ▼  ▼





 ───信じられないものを、見た。

 "それ"が現れた瞬間、梨花はおろかスイムスイムまでもが驚愕に目を見開き、硬直した。声も出ないとはこのことだった。呼吸が乱れ、足が震える。何かを言おうと喉が動いて、けれど意味のある言葉として形にはならない。
 聞き覚えのあるような、ないような。そんな少女の声が頭上より聞こえてきたかと思った瞬間、梨花の眼前に"それ"は現れた。突如として眩い光が柱となって立ったかと思いきや、一瞬の後にそれは人の形を取ったのだ。
 数は、都合四つ。
 それは、この百年の中であまりにも見慣れてしまったもので。
 しかし、だからこそ彼女が追い求め、そしてこの場所には決してあり得るはずのない人影だった。

 それは───

「圭、一……」

 それは、あの雛見沢村で共に過ごした。

「魅音……」

 あの光り輝く日常を駆け抜けた。

「レナ……」

 誰一人として欠けることなく、あの惨劇を抜け出したいと願った。

「沙都子……!」

 かけがえのない、仲間たちの姿だったから。

「あんた、よくも……よくもオオオォォオオォォッ!!!」

 梨花は、沸々と湧き上がる衝動のままに、この見も知らぬ、姿さえ見えぬ何者かに対して激発した。
 目の前に起きた現象の理屈は分からない。だが、一つだけ分かることがある。
 頭上より聞こえる声の持ち主は、よりにもよって何より大事な部活メンバー達を弄んでいるのだと。

『あは、あははははははははははははは!!』

 空、哄笑するは魔女の声。
 大上段から人の運命を弄ぶ女の嗤い声が、梨花を見下して止まらない。

『愚かしいわね古手梨花。いつまでそんなガラクラに縋っているのかしら。
 もうとっくのとうに手放して、何度も何度も彼らを見殺しにしてきた貴女に、激昂する権利などないのではなくて?』

 嘲笑の声は止むことがなく、嚇怒の念に憤激する梨花の声など掻き消して響き渡る。
 一見すれば諭しているかのように聞こえなくもない声ではあるが、騙されてはいけない。この魔女は自分以外の知性など認めないし、存在を慮ることなどありえない。
 権利が云々と言っているのも、そのほうがより深く梨花の精神を抉れるからという、ただそれだけの理由でしかない。退屈に飽いた奇跡の魔女は、故にこそどこまでも残酷であれるのだ。

 だが、そんなことなど梨花は知らない。
 あるのは一つ。自身の大切な思い出を穢した魔女への怒りのみ。
 そうして嚇怒の念が赴くままに、その叫びで喉を突き破らんとして───

「まあ落ち着けって、梨花ちゃん」

 そんな、我知らず激昂する梨花を制する手が一つ。
 それは梨花の横合いから伸ばされていて、告げる声は酷く懐かしく、暖かなもの。
 思わず振り向いてしまう梨花の目に飛び込んできたのは、人形のように立ち尽くす駒などではなく、自らの意思で動き、そこに立つ一人の少年の姿。

 ───前原圭一の姿だった。

「正直、俺だってこの状況はよく分からねえ……そして、あいつに怒ってる気持ちは俺達だって同じだ」
「でもね」

 続く声があった。少年ではなく、その背後から。

「今ここでいくら喚いても、それはあいつを喜ばせるだけ。そんなものに意味はないし、ただ疲れちゃうだけだよ」
「けど、あたしらにはそんなムカつく奴の鼻っ面を明かせる手段があるわけさ」

 竜宮礼奈と園崎魅音、二人の少女がそこにはいて。
 圭一と並ぶように立っていた。

「このゲームに勝てばいい」

 すとん、と。その言葉は梨花の胸に綺麗に落ち込んだ。
 そうだ、その通りだ。考えてみれば簡単なことじゃないか。ゲームに勝てば官軍、それは自分たち部活メンバーに共通した―――

「全く、いつも冷静な梨花らしくないですわね」
「沙都子……」

 そして最後の一人、みんなの中で一際小さな体躯の、金髪の少女が呆れたような表情で現れた。
 それは仕方ないですわとでも言いたげに、けれど惜しみない親愛の情を以て、梨花へと静かに語りかける。

「わたくし達がなんでこんな場所にいるのか、それはわたくし存じ上げませんわ。けど目の前にゲームがあって、戦うべき敵がいる」
「そんなの、やることは一つに決まってるよね!」

 屈託なく笑い合う部活メンバーたちを前に、梨花もまた、つられるようにして笑みを浮かべた。
 それは今までのような魔女の嗤いではなく、焦燥に狂った引き攣った笑みでもない。
 仲のいい友人たちと遊ぶかのような、それは純粋な子供の笑顔。

 恐らくこのみんなは本物の彼らではない。
 分かっている。それは十分すぎるほどに分かっている。
 けれど、それでも……!

「みぃ。みんな相変わらずで何よりなのです」
「あははー、梨花ちゃんにそれ言われると参っちゃうねぇ」
「でも、やっとらしくなってきたよ」
「ああ、そうだな。やっぱり梨花ちゃんはこうして明るく笑ってるのが一番だ」

 そこで圭一は言葉を置き、大きく息を吸い込んで。

「聞けぇ! みんなァ!」

 大きな、大きな声で叫んだ。

「ここが何処とかあいつらが何者とか、そんなことは関係ない! ゲームが相手なら百戦錬磨、最終的には勝てばいいのさぁー!!
 会則第一条! 遊びなんだからなんていういい加減なプレイは許さない!!
 会則第二条! 勝つためにはあらゆる努力をすることが義務付けられている!!
 このゲームに敢然と立ち向かう事が俺達部員の使命なのだぁー!!!」
「いいぞ圭ちゃん、よく言った!」

 喝采と気合が声となる。彼らは手と手を取り合って一つの大敵へと挑みかかる。
 一寸先の見えない未知の状況にあって、それでも恐れることなく前へと進むのだ。

 ああ、全く。
 何処の世界に行こうとも───

「この仲間たちがいれば、世界のどこに行っても退屈しない」

 さあ行くぞ、退屈に飽いた悪辣の魔女よ。
 私達部活メンバー全員を敵に回したこと、後悔しながら敗北するがいい。





   ▼  ▼  ▼





「あ……」

 その瞬間、スイムスイムこと逆凪綾名は、そんな知性の欠片もない呆けた声を上げることしかできなかった。
 眼前に、あり得るはずのない光景が飛び込んできた。四つの人影が、そこにはあった。

 幼稚園児ほどの体躯をした、そっくりな外見の双子の天使。
 犬を模した意匠の服を着込んだ、小柄な少女。
 そして、そして。
 綾名にとって唯一無二の、最早永遠に失われたはずの、その者は───

「ルーラ……」

 スイムスイムにとって、ルーラは憧れの存在だった。
 君は今日から魔法少女ですと決めつけられ、困惑していたスイムスイムに魔法少女としての生き方を説いてくれた。その姿は、夢に思い描いていたお姫様そのものだった。スイム・スイムはルーラの教えを忠実に実行した。

【リーダーは憧れの対象でなくてはならない。皆がリーダーのようになろうとすることで組織が活性化されるのだ】

 スイムスイムはルーラに憧れた。ルーラこそがお姫様で、お姫様こそが正義だった。ルーラは強く、賢く、可愛らしく、リーダーシップに溢れていた。
 スイムスイムはルーラを目指そうとしたが、ルーラのようになるためには誰よりルーラが邪魔だった。ルーラが二人いてはルーラはルーラ足りえない。ルーラは頂点に立つからこそルーラなのだから。
 だから、スイムスイムはルーラを殺した。直接手にかけたわけではないが、彼女が巡らせた策略によってルーラはその命を終えた。
 ルーラに憧れ、ルーラを尊敬し、しかしそれを形にするいはルーラを殺すしかなかった。

 ルーラは死んだはずだった。
 自分が殺したということも知っているはずだ。
 その事実に、思わず涙が出そうになった。
 なのに……

「……何を呆けてるの、スイムスイム」

 語りかけるルーラの口調は、記憶にあるかつてと寸分違わぬもので。
 何の確執も、悔恨も、怒りも憎悪も感じられないものだったから。

「アンタ一人だけどこかに行ったかと思えば、こんなところで油を売ってるなんてね。このルーラの配下にあるまじき行為よ、猛省しなさい」

 ……ああ。
 この人は、ルーラだ。

 その事実を今度こそ呑みこむことができて、スイムスイムは我知らず一筋の涙を流した。
 排除したはずの一番の邪魔者が蘇ってしまったことを厭んだ故か、それとも憧れだったルーラにもう一度会えたということが嬉しかったのか。理由は自分でも分からないけれど。
 無表情のままのスイムスイムの頬を、暖かな雫が"つぅ"と伝った。

「何よ。いきなり泣くな、鬱陶しい」
「……ごめんなさい、ルーラ」

 ぐしぐしと涙を拭う。その行いに、ルーラは「ふん」と満足したようにふんぞり返った。その向こうから、双子の天使と犬の少女がいそいそと近づいてくるのを、スイム・スイムの視界が捉えた。

「ねーねーこれなんなの。また新しいミッションか何か?」
「真昼間から呼び出されるって魔法少女にあるまじくない? マジダーティ、ありえねー」
「あう……知らないところ、怖い……」

 双子の天使───ユナエルとミナエルはいつものように悪たれ口を聞いて、犬の少女───たまは生来の臆病さをここでも発揮している。
 彼女らもまた、本当ならば二度と会えないはずの者たちであった。しかし何故か、こうして再びスイム・スイムの前に現れている。
 何故かは知らない。具体的な原理など想像のしようもない。けれどこれが、己が従える奇跡の魔女によるものだということは分かった。

「それで、スイムスイム。これが一体どういう状況なのか、アンタ説明できる?」
「うん」

 迷いなく頷いた。スイムスイムにとって、ルーラとは何時如何なるときでも憧れの対象で在り続けるから。

「あいつらを、倒す」

 単純明快に、明朗快活に。
 果たすべき目標を、ルーラに告げた。

「なるほど。大凡の絡繰りは見えてきたわ。あいつらをぶちのめせばこのゲームは私達の勝ちになるってことね」
「そう」

 見つめるは正面、集い何かを叫ぶ少年少女。
 ルーラは言っていた。勝利こそが自分たちの義務であると。
 故に負けられない。ルーラの名を背負い、その教えを守る自分には。
 他ならぬ、最も尊いルーラには。
 敗北など許されない───!

「行こう」

 さあ行こう、ただ一つの想いを胸に抱いて。
 この世においてルーラこそが絶対であると知りながら敗北するがいい、名も知らぬマスターよ。





   ▼  ▼  ▼





「ほぉ、こりゃたまげた。やりおるのう」

 言葉とは裏腹の、何も動じていないような口ぶりで狩摩は感嘆の声を上げた。
 その体は動かない。棋士を気取っているかの如く対局の椅子から一貫して不動のままだ。
 彼はただ嗤うだけだ。そしてそれは、向かい合うベルンカステルも同様に。

「お褒めに預かり恐悦至極、かしら。だってこれだけじゃ"駒"が足りないんですもの。駒は一つでも多く、暇つぶしの時間は少しでも長く、起こる惨劇は数多く。そっちのほうが面白いでしょう?」

 酷薄なるベルンカステルの見下ろす盤面。そこには、木造のそれに似つかわしくない白銀の輝きを放つ16の駒が新たに配置されていた。
 キング、クイーン、ルック、ビショップ、ナイト、ポーン……それらは将棋どころか大将棋の駒ですらない、チェスに使われるものだ。
 異種ゲームの配合、ベルンカステルが行ったのはそれだった。本来ならば下らな過ぎてゲームとして成立しないものも、しかしこの場においては真理として機能する。
 如何な行動を取ろうが、如何な抵抗を見せようが、狩摩が展開した軍法持用はその度に"そうしたルール"の創界として変化する。ベルンカステルがやったように後付で駒を追加しようと、互いに同じだけの種類と数の駒を持ち、王将を取れば勝利するという条件がイーブンである以上はそのようになるのみだ。
 すなわち何も問題はない。チェスの駒は大将棋盤の上であろうとも常と同じように歩を進め、敵の駒を取ることだろう。

 では、だとすると盤面の世界に生じた最たる異常───新たな8つの人型とは一体何であるのか。
 それこそ今更説明するまでもない。ベルンカステルは駒を追加した、つまりは単純に"そういうこと"である。
 かつて孤島にて行われた盤上の残酷劇において、ベルンカステルは今のように自ら駒を配置することがあった。「古戸ヱリカ」と呼称されるそれは固有のパーソナリティを持ち、故に彼らも同質の存在であることに疑いはない。
 "道具"を創ることなど、キャスターたるベルンカステルにとっては造作もないことである。

「どれ、盤面のあんならも待ちぼうけちょるけぇの、そろそろ始めようや」

 言って狩摩は、手番を指し示し。

「対局始めじゃ。先手はお前らに譲っちゃる。少しゃあ俺を楽しませてくれぇよ」

 開戦の号砲が、駒を進める渇いた音として鳴り響いたのだった。





   ▼  ▼  ▼





「ま、命令じゃ仕方ないね」
「ちゃちゃっと終わらせますか」

 そう言って先陣を切ったのは、双子の天使たるピーキーエンジェルズの二人であった。子供のような体躯に純白の羽根を持つ彼女らは、その外見を裏切らず敏捷性に長けるという特徴を持つ。小回り、飛翔能力、敏捷性の高さに連携の上手さ、ルーラ組において先発として出撃するのに彼女たちほどの適役は存在しない。
 左右対称にそっくりな二人の躍動は、一言"速い"。縦横無尽に空間を翔ける姿は燕かはたまた隼か、そうした猛禽の鋭さを想起させるほどであった。
 空気を切り裂いて飛ぶ天使は、地上すれすれの低空飛行から垂直方向へ一気に上昇、そのまま天から落ちるように飛び蹴りを見舞った。
 速く、鋭く、そして重い。それは寸分違わず最前線の敵───前原圭一へと叩き込まれて。

「甘えッ!」

 いつの間にか圭一の手に握られていた金属バットに、二人の蹴りは諸共に受け止められていた。反響する打撃音、硬直する双子は一様に驚きでその表情を彩り、対する圭一は不敵な笑みだ。

「ちょ、マジすか!?」
「ウチら魔法少女なんですけど!?」

 焦燥に染まる声を無視し、圭一は横に構えたバットを力のままに振り上げた。「うわわわわ」という気の抜けた悲鳴を上げる双子が放り投げられ、ぽてんという擬音と共に地面に墜落する。
 金属バットの先端を、真っ直ぐ相手に突きつける。そして圭一は、毅然とした表情で高らかに声を上げて。

「はっ、軽いぜ。魔法少女だか何だか知らねえが、軽すぎて重石にもなりやしねえ」

 右手のバットを両手で構え直し、腰を落として強く地を踏みしめる。

「行くぜお前ら。梨花ちゃんの、仲間の敵は俺達の敵だ。いくら可愛かろうと容赦はしねえ!」

 そう宣言するやいなや、圭一はスタンディングスタートの姿勢から一気に全速力で飛び出すのだった。



 ───常人でしかない圭一が、人智を超越した魔法少女と互角に打ち合えるのには理由がある。

 まず第一に、これが盤と駒による公正平等なゲームであることが挙げられる。あらゆる駒は該当マスに到達さえすれば全ての敵駒を撃破可能であると同時に、自身もまた全ての敵駒に撃破され得る存在であるという絶対則がある以上、駒として当てはめられた部活メンバーとルーラ組にもそれが適用される。いわば最低勝利確率と最低敗北確率の保障である。
 そして駒に当てはめられるという性質上、その駒が持つ特徴とも言うべき強さが付属されるのだ。結果として、圭一たち部活メンバーは「将」棋の駒として相応しい実力を限界まで引き出されている。そしてそれは、逆に駒の範疇まで力を抑制されることもあるということの裏返しでもある。駒の格に相応しい力しか引き出されず、それは実質的な制限としてルーラ組には機能していた。

 第二に、反魔法力の存在が挙げられる。
 それは魔法を信じようとしない力であり、毒素とも形容される「ニンゲンが持つ独自の力」である。いわば認識の力であり、魔法を信じない人間の前では魔女やそれに類する者たちの力は大幅に抑制されてしまうのだ。
 無論、これはルーラたち魔法少女が住まう世界にも、ましてサーヴァントという超常の存在が跋扈するこの鎌倉にも存在しない荒唐無稽な代物である。これはベルンカステルたち「魔女」が住まう世界における法則であり、それはこの世界においては一切機能しないはずであった。
 しかし此処において、その法則は形となって現れた。何故なら此処はゲームを行うキャスター同士の創界、狩摩とベルンカステルが共同して制作した異界であるが故に。
 半分とはいえ、ベルンカステルの力と認識が流れ込んでいる以上、そこに付随する法則もまたここでは現実となる。狩摩の力もあるために魔法や超人的な身体能力の全てが喪失するわけではないが、魔法少女の持つ力もその大半が封じられていると考えて相違ない。

 駒としての力の平均化、反魔法力による力の抑制。その二つが混ざり合ったが故の、これは偶然の拮抗状態であった。

 ───否、偶然などではない。
 天運を持つ壇狩摩、奇跡を司る魔女ベルンカステル。この両者がいる場において、全ての偶然は必然へと姿を変える。
 故に、これは───





「ぶおっふぁあーッ!?!?」

 ところで、駒として当てはめられたが故の制限は、当然ながら部活メンバーにも平等に適用される。
 例えば、今まさに「突如として足をとられ、つんのめるようにすっ転んだ」前原圭一などはまさにそれのせいで行動を制限されていた。
 彼に当てはめられた駒は「歩兵」。知っての通り、一手につきたった一マスしか移動できない最弱にして最多、そして最遅の駒である。
 ならば歩兵の駒に課せられた制限とは何であるのか。それは「急速な移動ができない」というものに他ならない。

「ぶっはー! ダッセェでやんの!」
「あんまりチョーシこかないでよね」

 前のめりに倒れるという隙を見逃すはずもなく、双子の天使はすぐさま立ち上がると猛然とした勢いで圭一へと迫る。彼女らが当てはめられた駒は「ビショップ」であり、斜め方向であるならば無制限な移動が可能であるというアドバンテージを持つ。
 その弊害として真っ直ぐな移動が困難になるという制限を受けているものの、ジグザグという変則軌道は敵に対するフェイントとして機能する以上は俊敏性に富む双子にとって大した障害ではない。
 上空より襲いくる襲撃が、今度こそ圭一の頭蓋へと吸い込まれ。

「おじさんたちを忘れてもらっちゃあ」
「困るよね、よね」

 その足を止める者が、更に二人。
 痩身に似合わぬ武骨な鉈を振り上げるレナと、あろうことか素手で戦いに臨む魅音であった。

「たぁッ!」
「そりゃあ!」

 二人は一瞬の躊躇もなく踏み込むと、鉈の一閃と掴みあげを同時に敢行。レナの攻撃は上背に避けたユナエルの前髪を幾本か切り裂くだけに終わったが、魅音の指はミナエルの細腕を掴むことに成功していた。

「どぉっ、せい!」
「お姉ちゃん!?」

 そして加えられる片手投げ。その背を強かに打ち付けられたミナエルは「かはっ」という呼吸音のみをあげ、ユナエルの喉からは悲壮な絶叫が迸った。

「今よ、圭ちゃん!」
「おうよ、任せとけ!」
「さ、させません!」

 横合いから飛び込んできた「たま」が、今まさに復活せんとしていた圭一に飛びかかる。横殴りに振り抜いたバットが爪とぶつかり反響し、黒板を引っ掻くが如き不快な音が響き渡った。

「よっしゃあ! やったれたま、ぶっ殺せー!」
「え、そ、そこまではちょっと……」
「何ィ、たまだと!? 貴様ァ、纏う衣装と名前がアベコベとはいい度胸だ! それでも魔法少女か恥を知れィ!」
「ひっ! ご、ごめんなさい!」
「だがその愛くるしい反応も併せるとむしろギャップ萌えとして成り立つな。よし、許す!」
「へぇ!? あ、ありがとうございます?」

 正眼に構えたバットと爪持つ手での鍔迫り合いという、一見奇妙な拮抗状態を維持する少年少女が噛み合わない会話をしている最中にも、戦況は刻一刻と変化を見せる。
 戦線へと復帰した双子天使が、左右対称の幾何学模様を描きながら自由に中空を飛び交う。散発的に降りてきては繰り返される攻撃に、レナと魅音は苦戦を強いられていた。

「ったくもう、きちんと降りてきて正々堂々戦いなさいよね!」
「そんなことしてやる義理なんてないしー。飛べないほうが悪いんですよー」
「ほんとそれだよねー。正論かっくいー、お姉ちゃんマジクール」
「ああもう! しつこい!」

 降下のタイミングを狙っての一撃は、風に舞う木の葉のような身軽な動きでひょいと躱される。斬りつければそれでいいレナの鉈はともかくとして、まず掴んで投げるという複数の工程を必要とする魅音は尚更の苦戦を課せられているのが現状であった。加えて敵の天使は、その愛らしい見た目とは裏腹の悪態を吐いてくるのだから、蓄積されるストレスはそれこそ冗談では済まないだろう。
 双子天使の強襲を踏み込んでは躱し、屈んでは躱し、隙を見つけては一撃を加えようと苦心する。しかし嘲笑うかのように飛び交う天使にはまるで有効打を与えられない。
 しかし。
 突如として急襲するものがあった。それは、宙駆ける双子天使の更に上空から。

 ドでかい金ダライが、盛大な音を鳴らしながら天使の脳天に直撃した。

「あだっ!?」
「おぶっ!?」

 ごち~んという間の抜けた音と、それに見合わぬえげつないダメージが天使たちを襲う。目から星を散らして落下するユナエルとミナエル、下で待ち受けるは各々の武器を構えたレナと魅音。

「じゃあ、行くよレナ!」
「せーのっ!」

 一閃一打、渾身の一撃が叩き込まれる。ホームランバットのように振り回された鉈が胴体部へと直撃し、まっさかさまに落ちる天使をそのまま体重をかけて地面へと叩きつける投げ技が炸裂する。
 不思議なことに、二人の天使からは血飛沫も骨の折れる音も聞こえず……しかしその体からは金属が割れるかのような硬質の音が響き、その身を粒子へと変換していた。

「うぅ……やられちゃった」
「マジヘビー、あとは頑張ってねー……」

 最後まで真剣味の感じられない声と共に消えていくユナエルとミナエル。その向こうから、腰に手を当て大仰に笑い声をあげる少女の影が見えた。

「おーっほほほほ! トラップは最後の最後でほんのひとつささやかに。戦場における鉄則ですわ!」

 その影───沙都子は高らかに笑いながら、その指をくるくると回し戦場を見下ろす。
 先の攻撃、金ダライの落下などという荒唐無稽な現象が発生したのは、他ならぬ彼女の仕業である。
 沙都子に宛がわれた駒の役は桂馬。それは一見突飛な場所へと跳躍するトリッキーな駒であり、同時に初心者の目から見ればそれこそ理不尽めいた軌道で襲いくる。
 桂馬の駒による能力付与。それは多次元的な移動、及び攻撃の成就である。

「とぅりゃっ! 前原圭一、パワーアーップ!!」
「ひぅっ……!?」

 そして残る最後の戦闘───圭一とたまの一騎討ちにも終幕が見えてきた。
 互角に打ち合い、鍔迫り合いを行い、一進一退の攻防を見せていた彼らは、実際その通りではあったのだが、しかし少なくとも圭一の側には一発逆転の考えが存在した。
 すなわちそれこそが、敵陣への移動であり、今まさに圭一がたまを押し込むような形で成し得たことである。
 歩兵であるところの彼が敵陣への侵入を果たすこと。それが将棋というゲームにおいてどのような結果をもたらすのか。

 「成金」。一歩前進するしかなかった最弱の駒である「歩」が、一瞬にして「金将」としての性能を獲得する、文字通りの成り上がりである。
 この盤面において成金がもたらすのは、何も移動性能の向上のみではない。駒の格自体が上がることにより、加えられる身体能力もまた増強されるのだ。
 そして、この覚醒劇を果たせたのは何も圭一一人の成果ではない。

「みぃ。これで怖いものはないないなのですよ」
「おう! 助かったぜ梨花ちゃん!」

 圭一に隠れるように、その影に佇む小さな少女が一人。控えめにVサインをしてにっこり笑う。応えるように圭一はサムズアップを返した。
 人目につかないよう立ち回り、こっそりと圭一を支援しその進行方向を誘導していたのは、他ならぬ梨花だ。
 男の圭一のように肉体的に屈強なわけでなく。
 レナのように強力な武器を持つでもなく。
 魅音のように体術を修めているわけでもなく。
 沙都子のように絡め手を使えるわけでもなく。
 そんな梨花に許された特技とは、すなわち百年で得た立ち回りであるのだから。

「クールになれ、なんて。今更自分を自制したりなんかしないさ。
 悪いな子犬ちゃん。俺はもう、この瞬間に全てを燃やし尽くすって決めちまったんだ!」

 滾る熱意が波濤となって、握るバットに込められる。それは真っ直ぐ一直線に、たまの脳天を打ち据えた。
 正真正銘の全力全開。しかしそれは、肉と骨を打つ特有の音など一切発さず、澄んだ清涼な金属音のみを空間に響かせた。

 小さく「ごめんなさい」と呟かれる声を最後に、たまはその肉体を粒子へと変えた。バットを振り抜いた姿勢から立ち上がった圭一は、射抜くような目つきで前を向く。
 その先には、残る二人の敵が存在した。

「さぁて」
「残ったのは、貴方たちだけだね」

 圭一を中心に、部活メンバーが並び立つように集まる。そこに陰りは一切なく、宿すのは純粋な闘志のみ。
 それを真っ向睨み返すのは、ルーラと、スイムスイム。

「ったく、どいつもこいつも使えないわね」
「ルーラ……」

 ルーラ……クイーンの役を宛がわれた彼女は、対局が始まってから一歩も動くことはなかった。
 クイーンは悪戯に動くべからず。それはチェスにおける最も基本的な定石の一つであり、彼女の指し手であるベルンカステルもそう打った結果である。
 しかしそれでも狼狽えない。ルーラは決して怯え、取り乱すことはない。少なくとも、こうして一人でも配下が残っている限りは。
 何故ならリーダーとはそういうものだから。かつてスイム・スイムに教えた魔法少女としての在り方の一つに、そういうものがあったから。
 "だから、このルーラは決して取り乱すことがない"。
 ベルンカステルの駒として生まれ、観測者であるスイム・スイムの認識が入り混じったこのルーラは。

「私がいく」

 そして、だからこそ。
 そんなルーラを前に、彼女が動かない理由もまた存在しなかった。

「ルーラに教えられた通り、かんぺきにこなしてみせる」

 長柄の槍を振り回す。手首を軸にくるくると回る。
 そうしてスイムスイムは、"ルーラ"を手に戦場を睥睨し、その表情を高揚で彩ることなく、突撃を開始したのだった。





   ▼  ▼  ▼





「ひひ、なんとも気張る餓鬼どもよ、泣かせる話じゃけぇ」

 戦場を見下ろす指し手の世界において、狩摩は変わらぬ胡乱気な姿勢のまま、くつくつとその喉を鳴らした。
 大将棋における盤面は、現状狩摩が大幅な優勢を誇っていた。梨花たちに宛がわれた駒の活躍ばかりではない。敵陣地には多くの飛車角が攻め入り、麒麟・獅子・奔王といった見慣れぬ駒たちがベルンカステルの牙城を打ち崩している。
 どれがどう動くのかも分からぬ複雑怪奇な盤面をしていながら、しかし素人目に見ても攻め込んでいるのは狩摩の側であると容易に察することができた。ならば彼の余裕とはそれに起因するものか。いいや違う、何故なら対局相手であるベルンカステルは、ここまで不利に追い込まれながらも一切の不安を顔に出していないのだから。

「あら、貴方その手のお涙頂戴は好まないものとばかり思っていたけど?」
「誰が好くかいあんなもん。じゃが見てみぃや、あんならは百年の陰に終止符打とうっちゅうて戦っちょる。俺ァどうでもいいんじゃがの、朔の毒を呑もうと気張っちょる大将の苦労も少しは晴れるっちゅうもんよ」

 狩摩の言葉はベルンカステルには理解できない。恐らくは彼にのみ通じる事情か何かの話か。正直なところ、そんなものにカケラも興味がないベルンカステルは馬耳東風と聞き流すのみだ。

「まあいいわ。何にしても貴方、相当面白いニンゲンだもの。何年ぶりかしら、こんな愉快な玩具は」

 呟かれるベルンカステルの言葉は本心だ。彼女は本心から、狩摩のことを面白いと思っている。
 この対局において、狩摩が指した手はその全てが出鱈目なものだった。それはイカサマであるとか、または稀代の天才が生み出した全く新しい戦術であるとか、そういうことではない。文字通り全てが出鱈目で適当な、子供が盤に駒をぶちまけたかのような手しか彼は打たなかったのだ。
 理論と効率を知り尽くした魔女から見れば、それは単なる無駄の塊でしかない。飛車を前に出すために直進上の歩を開ける、などという初歩中の初歩すら行使しない有り様には、当初は大きなため息すら漏らすほどであった。
 しかし、蓋を開けてみればどうか。
 すぐさま狩摩が負けるだろうと思われた対局は、すぐさま梨花が討ち取られるだろうと思われた盤面の世界は、現在どうなっているか。
 一目瞭然───何故か、全てが狩摩の有利となって現れていた。

「どんな手を打とうとも、何故かそれがピタリと最適解に収まる天運。なるほどね、それがあなたの有する特異性……いえ、"魔法"とも形容すべきもの、ということかしら」

 このゲームにおけるルールの一つに、次のようなものがある。「指し手が示した駒の動き通りに盤面の者が動くことで、その者の能力に大幅な補正がかかる」というものである。
 無論、これは能動的に活かすのが難しい法則だ。何故なら一手ごとに交代しながら指し合う指し手の世界とは異なり、盤面の世界においては全ての戦闘はリアルタイムで行われる。いちいち意思の疎通を執り行って動いていたのでは結局全ては後手に回らざるを得ない。
 事実、狩摩は今まで部活メンバーと意思の疎通など取っていないし、事前の打ち合わせもしていない。ばかりか彼の指す手は定石外の突飛で考えなしなものばかりで、部活メンバー側が狩摩の行動を予測して動くなどということも不可能である。
 しかし、狩摩が指した手は、その全てが部活メンバーたちの行動と一致していた。
 圭一が進もうと足掻けば、的確に歩兵を前へと進める。
 レナと魅音が同時に踏み込もうとすれば、彼女らに該当する駒を両面的に動かす。
 沙都子が奇襲を仕掛けた時は、桂馬を手繰ってユナエルの駒を取り。
 その盤面を縫うように、梨花の駒を縦横無尽に動かした。
 梨花たち部活メンバーが、仮にも魔法少女という超常を相手に圧倒できたのはこうした理由がある。盲打ちによる天運の支援、それがなくては彼らとてここまで容易に事態を運ぶことはできなかっただろう。
 重ねて言うが、これらは意図して行われたわけでは決してない。狩摩は何も考えることなく、ただ感覚の赴くままに適当な一手を指し続けただけだ。しかしそれら適当な手が、ぴたりと彼に都合のいいように作用したという、これは常軌を逸した幸運の発露である。

 彼の一手は盤面不敗。釈迦の掌を出られぬ猿のように、壇狩摩の裏を取れる者など誰もいない。

「けどご生憎様。最初にも言った通り、私に"そんなもの"は通じないわ」

 けれど。
 ベルンカステルが無造作に指した、次なる一手。何の変哲もない、今までと全く同じはずのそれが行われた瞬間。

「運勢、確率、神のサイコロ……つまるところ奇跡。それらは余すことなく私の領分よ。ニンゲン如きに立ち入られる謂れなどカケラ一つたりとて存在しない」

 ───流れが、変わった。





   ▼  ▼  ▼





 爆音と粉塵が止んだ時、そこには最早動く者は存在しなかった。
 佇む人影は一つ。先程までそこにいた、他の二つの影は跡形もなく消え去っていた。

「……逃げたか」

 誰ともなく、その影、セイバーは呟く。気配探知網には急速に離れていくサーヴァントの反応がある。気配遮断を展開する余力もないのか、しかしそれはある程度のところでふっつりと途切れ、何も感じなくなった。
 遠方よりの攻撃に備え、迎撃態勢を解除せずに立ち尽くす。数分の後、何の気配もないことを確認すると、セイバーは剣持つ手を下げ、ふぅと息をついた。
 不可視の剣を振り払い、その刀身を消し去る。それだけで、辺りに残っていた砂塵は切り裂かれ、吹き散らされて無くなった。

 最後の交錯、17の剣が降り注ぐその中で、彼らは突如爆発する剣の間隙を縫い、その身を逃避させることに成功させた。
 セイバーは、そのミサイルや爆薬めいた剣の激発に覚えがあった。それは壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)と呼称される、宝具に秘められた魔力の暴発である。
 宝具として昇華された物品には当然として莫大量の魔力が込められており、通常は固体として固められているそれを爆発させるのだから、その破壊力は驚異的なものとなる。
 それは下手な攻性宝具による真名解放すらも上回るほどの威力を有する場合もあり、有効な攻撃手段であることに違いはない。
 しかし、この壊れた幻想はおよそ使われることの少ない技法でもあった。
 まず第一に、宝具というのは英霊にとっては生前共に在り続けた半身であり、それを壊すというのはその身を裂くほどの精神的苦痛を味わうため、まずそこで多くのサーヴァントは躊躇う。
 第二に、宝具を破壊するという都合上、即座に修復などできるわけもなく、その後の戦闘は切り札を欠いた状態で行わなければならない。
 上記の理由により、およそ真っ当な英霊であるならばまず使わない手段なのだ。しかしそれを、彼らは全く躊躇せず実行に移した。その行為は少なからずセイバーの目を瞠目させ、そしてその一瞬にも満たない隙を、彼らが見逃すはずもなかった。
 士郎とアカメ、彼らが共に有する技能は心眼・(真)。絶命の窮地において一筋の活路を見出す弱者生存の業である。彼らがこの結末を勝ち取ったのも、あるいは必然と言えるのかもしれなかった。
 退くというならば深追いする理由もない。それでも、一時撤退から更に攻撃を仕掛けてくるというならば、今度こそ一切の加減なく敵戦力を殲滅するつもりであったが、どうやらそういったこともないらしい。

 セイバーは視線を孤児院そのものへと向ける。そこには巨大な光の方陣が、天を覆うように孤児院上空に展開されているのだった。
 あそこに古手梨花が使役するキャスターと、更にもう一体別のサーヴァントが存在する。
 彼らが何を目的に、何をしているのか。その詳細は杳として知れない。しかし、アサシンたちが退避した現在において、その危険度は最も高いと言える。しかし。

(目下、果たすべきはマスターの捜索と保護か)

 目的は変わらず同じ。キーアの安全を確保することである。
 全てはそれを終えてから。あのキャスターへの対処も、古手梨花の処遇も、そしてこれからのことも。
 故に彼は踵を返し、その場を後にしようとした。未だ静寂を保つ閉鎖空間、それよりも先にマスターを保護しようと考えて。
 けれど。

「これは……!」

 異変に気が付いたセイバーの視線の先、孤児院上空の方陣結界が、その姿を急激に崩壊させていくのを見て。
 無意識的に驚愕の念を口に漏らし、セイバーはその歩を俊敏なものへと変えたのだった。





   ▼  ▼  ▼





「うそ……」

 呟きが空しく宙へと消える。現実感の欠いた頭の中で思考が空回りする。
 信じがたい光景が、梨花の目の前に広がっていた。

「うぁ……」
「ぐ、づぅ」
「そんな、嘘でしょ……」

 呻く声が、そこらじゅうから聞こえてくる。それらは全て違わず、部活メンバーたちが上げる声だった。
 終始優勢に立ち回っていたはずの、仲間たちの声だ。それが今や、満身創痍という形容すら生温いほどに、全身に夥しい損傷を負って。
 倒れる者もいた。片膝をついて、尚も戦意を失わない者もいた。けれど、最早その身に抵抗の余地など残されておらず。

「―――」

 舞い降りるかのように軽やかに着地するスイムスイムが、いっそ優雅なほど鮮やかに"ルーラ"を振るう。
 その体には、一つの傷も一滴の返り血もついてはいなかった。

 スイムスイムただ一人に、部活メンバーたちは蹂躙されていた。
 梨花は、たった今しがたまで展開されていた悪夢めいた光景を、今さらになってようやく言語化して理解できた。
 分かってしまえば簡単なことだった。こちらの繰り出した攻撃が、あのスクール水着の魔法少女には全く当たらないのだ。
 それは相手のスピードが速いであるとか、回避の技量が卓越しているということではない。文字通り、当たっているにも関わらず物理的な接触ができないということである。
 金となり各種能力が飛躍的に上昇した圭一の振るうバットも、レナが手繰る鉈の一撃も、全てが水を叩くかのように一切の抵抗なくすり抜けた。
 魅音の指はスイムスイムを掴むことすらできず、沙都子のトラップとて結果は同じこと。あとに起こるのは、それこそ一方的な戦いとも呼べない蹂躙のみである。
 防戦一方であった。部活メンバーの奮闘は何ら効することはなく、未だ存命しているだけでも褒め称えるべきなのかもしれない。

 そして、そんなスイムスイムの戦闘を、遥か後方から見据える者が一人。

「よくやったわスイムスイム。あの薄らボケた役立たず共とはまるで違う。それでこそ私の部下、それでこそ魔法少女よ」

 得意げに大上段から語りかけるルーラに、スイムスイムは仕草だけで首肯した。表情の伺えぬ顔ではあったが、そこには喜悦のようなものが浮かんでいるのかもしれない。

 曲がりなりにも三人の魔法少女を相手に互角以上の戦いを繰り広げられた部活メンバーが、こうも容易く一方的な殲滅を受けた理由は、何もスイムスイムの魔法「どんなものにも水みたいに潜れるよ」の相性的なものばかりではない。そこには、三人の魔法少女たちとスイム・スイムとで明確に分けられる差異が存在したのだ。
 部活メンバーの善戦理由の一つに、反魔法力の存在が挙げられる。それは人の認識による幻想否定であり、他ならぬ部活メンバーたちの認識により、魔法少女の力が抑制されたというものだ。
 しかし覚えているだろうか。それはあくまで、ベルンカステルの力とその駒によるところが大きいのだということを。
 部活メンバーとスイムスイム以外の魔法少女は、ベルンカステルの駒ゆえに、彼女の世界が有していた反魔法力という法則が適用された。しかし、当然だがスイムスイムはベルンカステルの主であって、彼女の駒などでは決してない。
 だからこそ、スイムスイムにかかる反魔法力の作用は極めて軽微で済んだのだ。この盤面自体がベルンカステルの力によって生み出された以上は完全に免れることこそできないが、その影響を弱めることはできる。
 ならば、スイムスイムに負ける道理など存在するわけもなく。

「あッはっはははは!!」

 盤面を俯瞰する高みにおいて、この惨状を作り上げたベルンカステルが哄笑する。
 嗤っていた。彼女は、今までの少なくとも表面上は気品を気取っていた微笑みではなく。野卑に、下卑に、大声を上げて。

「ニンゲンと魔女が仲良く対戦ごっこッ!? なんて下らないゲロカスッ!
 バカバカしいわ、笑えるわ! そんなものをこの私が、本気で真面目にやると思っていたのかしらぁ!?」

 豹変、とも言えるほどに。彼女の表情は別人さながらの歪みを見せていた。
 嘲笑、優越、憐憫、愉悦……そうした自己肯定と他者否定がないまぜになり、歪みきった渦と化したものが、今のベルンカステルの表情だ。
 ベルンカステルは知的強姦者である。それは言葉が示す通り、純粋な推理や知恵比べで勝敗を競うなどの健全な代物ではない。心理、論説、あるいは精神面において相手より優位に立ち、自らより下の者を玩弄することで快感を得るという無粋の極みのような精神性を示す。
 だから今、彼女はその本性を露わにして嗤っているのだ。狩摩が仕掛けたゲームの全てを、真っ向から打ち破らんとしている今。

 ベルンカステルと狩摩が囲う将棋盤、そこで行われている打ち合いの戦況は、何故かベルンカステルの圧倒的優位へとその盤面を変貌させていた。
 つい先ほどまでは狩摩の優勢で進んでいたはず。適当な手しか打たないはずが、しかし何故かピタリと嵌る盲打ちの手腕……狩摩が誇る極大の天運が味方した盤面は、しかし今やベルンカステルの掌の上と化している。
 ベルンカステルが持つ将棋やチェスの腕前によるものではない。実のところ、両者のゲーム的な力量にはさほど隔絶した差というものはなく、運の要素を除けばほぼ互角と言っても良いほどであった。
 ならば勝負を左右するのは時の運に他ならず……その分野において狩摩に敵うものなど想像すらつきようがないというのに、彼女は一体何をしたというのか。

 イカサマではない。まして武力的な力を行使したわけでもない。
 簡単な話である。ベルンカステルが司る魔法は、奇跡。極小確率を確実に引き出す願望成就の力なれば―――
 自らの思うように、盤面を操ってみせるのも容易である。

「奇跡の魔法……なんとも眉唾じみた話じゃが、しかし本当におったんじゃのう、魔女っちゅう輩は」
「あらあら、余裕ね。その作られたポーカーフェイスは、果たして何時まで保つかしら?」

 未だ表情を変えることなく駒を指し続ける狩摩に、しかしベルンカステルは何も動揺することはない。
 何故なら、両者の持つ力というのは圧倒的に相性が悪いからだ。
 狩摩が持つのは生まれつきの豪運。それ自体に理屈はなく、ただ何となく運がいいという、あやふやで不確かな代物だ。
 対するベルンカステルの魔法は奇跡。確率操作により、僅かでも可能性があるなら100%にまで押し上げるという規格外の大権能。それを形としたものである。

 形さえない不確かな存在が、形ある確固たる力に敵う道理などない。
 同じ土俵で争う限り、狩摩がベルンカステルに勝てることなど那由多の彼方まで存在しないのだ。

「つまるところ、この私に勝負を挑んだその時点で、貴方の負けは確定していたということ」

 純粋な勝負事に異能を持ち込むこと。それについての恥や躊躇は、ベルンカステルには存在しない。
 掛け金を取り立てるのはいつだってルールじゃない。ルールを遵守させる武力的背景こそがそれを成り立たせるのだ。
 ならば、偉大な魔女たる彼女を縛れる者など何処にもおらず。
 故に、この空間においても異能行使に対するペナルティは一切発生していない。

 ベルンカステルは一手を指す。それと連動するように、盤面のスイム・スイムも行動を開始した。
 狩摩が一手を指す。ベルンカステルの進撃を止めるように配置された駒は、しかし盤面にて同じくスイム・スイムを阻もうと立ちふさがりあえなく斬り倒された竜宮レナの姿が、その未来を暗示しているようにも見えた。

「貴方がすべきだったのは、私の姿を見た瞬間に尻尾巻いて逃げることだった。惨め、惨めね。でも今の貴方はそんなIFよりもっと惨めだわ」

 梨花が何かを叫ぶ。それは仲間の喪失を厭う叫びか。しかしスイムスイムは止まらない。遮る駒の全てを取り去るように、彼女は部活メンバーの悉くをその大槍で刈り取っていく。
 末期の言葉を言うことすら許されず、次々と消えていく少年少女の姿。彼らは皆一様に梨花を庇い、それは梨花にも分かったから、尚更悲痛な叫びを上げる。
 その悲嘆を耳にして、ベルンカステルは愉悦に顔を歪めるだけだ。
 なんて楽しい、なんて安らげる。ああ、ニンゲンの絶望と悲しみこそが我が悦びであるとでも言うかのように。

「逃走こそが最適解。けど貴方はそうしなかった。自信があったのかしら、この私に勝てるなんていう。身の程を弁えない愚かな男、だからこうして全てを奪われる。
 馬鹿なゲームマスター、馬鹿なミス、馬鹿な駒。馬鹿な驕りに、馬鹿な敗北。馬鹿ばっか、くすくすくす!」

 ベルンカステルもスイムスイムも、梨花を直接狙うということはしない。何故なら彼女らが求めているのは共に完璧な勝利だから。ベルンカステルは己の信条ゆえに、スイム・スイムはルーラの教え故に、それを目指す。
 完璧な勝利、すなわち王将たる壇狩摩の討滅である。
 ベルンカステルの指が次々と一手を指していく。狩摩の手はそれを阻むことができず、彼の駒は次々とその数を減らしていく。

「やめて……もう、これ以上は───!」

 叫び、梨花は何も持たぬ徒手のまま、果敢にもスイムスイムへと殴りかかった。その手は何を殴ることもできず、水のようにスイム・スイムの体をすり抜けた。
 スイムスイムは梨花を一顧だにすることなく、振り返ることもなく、先へと進む。自分が障害にもなっていないのだと痛感させられた梨花は、その場に力なくへたり込んだ。

「ああ、そうそう。言い忘れていたけど、私は絶対に勝てるゲームが好きよ。だってそうでしょ?
 勝てないかもしれないゲームなんて面倒臭いじゃない」

 ベルンカステルの猛攻は止まらない。スイムスイムの猛進は止まらない。

 梨花は叫んだ。届かない手を伸ばして、ふざけるなと悔しさに顔を歪ませながら。
 ベルンカステルは笑った。愚かなニンゲンよ、せいぜい惨めに泣きわめけと。


 そして最後の一手、ベルンカステルが持つ「ナイト」の駒が、狩摩の王将を上から粉々に踏み砕き。

 盤面の最奥へと至ったスイムスイムが、その空間へと鋭い一閃を放ち。

 梨花が、敗北の悔恨を叫んで。


「それじゃさようなら、下らないゲロカス」


 心底より見下した顔で、ベルンカステルは自身の勝利と共に、ゲームの終了を宣言するのだった。





























「おう、お前がな」





























「が、アァ……!?」

 不可思議なことが起こった。それは、ベルンカステルの胸元から。

 "刃"が生えていた。内側から突き破るように、その霊核を貫くように。

 跳ね上がる体。迸る血飛沫。鮮血が盤上にぶち撒けられ、魔女の体躯は力を失って倒れ込んだ。

「……お前も、所詮はその程度じゃったか」

 心底より見下げ果てたと言わんばかりの狩摩の声が、ベルンカステルにかけられる。いや、そもそも彼は最初から、彼女のことなど見ても聞いてもいなかったのだろう。

「なに、が……?」

 ベルンカステルの思考は、困惑と疑念と混乱に満ちていた。一体何が、自分の身に起こったのか。
 いや、それは分かる。自分は攻撃されたのだ。背後から……いや体内から、突如として。刃が生えて。
 だが、それこそが分からない。だってそうだろう? このゲームは、"相手への直接的な攻撃は禁じられていたはず"なのに。
 狩摩の豪運や、ベルンカステルの確率操作とは話が違う。あれらはあくまでゲーム進行それ自体には支障をきたさないために許された例外的なもので、こんな風に対戦相手を殺害するなどということが。
 知的遊戯そのものを愚弄するような真似が、許されるはず……

「……あ」

 そこで、ようやくベルンカステルは気付いた。
 なんてことはない。自分が言ったことではないか。

 賭け金を取り立てるのはルールではない、それを可能とする武力的背景なのだと。
 それがない限り、ルールの遵守など戯言でしかないのだと。そう言って、自分は奇跡の魔法の行使という禁じ手スレスレの行為をした。
 なら、だったら。
 負けた側が敗北を認めず賭け金の支払いを拒否するのも、道理なのではないのかと。

「ようやく気付いたか、ボケが」

 何の感情も含まず、ただ目を細めて彼は睥睨し。

「要はこういうことよ。お前、いつからこの遊戯で全てが決まると思っとった?」

 哀れむような瞳を、魔女へと向けた。

「将棋で勝っても、殴られて泣かされちょったら負けじゃろう」

 ひひ、と嘲笑う。

「球技で負けようが、そこで相手の連中を皆殺しにしてしまえば俺の勝ちじゃろう」

 嗤う。それは止まることがない。

 ───軍法持用・金烏玉兎釈迦ノ掌には、隠された最後の力が存在する。

 この世界において勝敗が決した場合、敗者の側に世界を構築していた全ての力が流れ込む。その点については公平であり、負けた側がその負けを認めた場合、敗者は力の全てを注がれて死に至る。
 しかし敗者がその敗北を認めなかった場合にはどうなるか?
 普通ならばどうにもならない。負けは負けであり、そこに異論をはさむ余地はない。しかしこの世界において、敗者が敗北を認めなければ、その力の全ては勝者の側へと流れ込むのだ。

 「勝敗が決定した瞬間、敗者が負けを認めていなかった場合、勝者を殺すことが出来る」。それこそが狩摩の急段の正体であり、このゲームの本質であった。
 反則どころかゲームの根幹そのものを揺るがす蛮行である。当然、単独の力ではこのような法則を作り上げることなどできない。
 だが強制協力にはめ込んでしまえば、その問題点も解消される。"壇狩摩は型に嵌らない"という共通認識において互いが合意するという強制協力が為されたならば。
 ベルンカステルは当初、こう思考した。「聖杯戦争という武力が幅を利かせる戦場においてそれでもゲームで勝負を仕掛けるなど、この男は型に嵌らぬニンゲンだ」と。
 その時点で強制協力は為されていたのだ。対局を始めるよりも前に、狩摩と顔を合わせるよりも前に、ベルンカステルは既に罠へと落ちていた。狩摩は型に嵌らないと合意が成立している以上、それはゲームの世界においても適用される。

 ───壇狩摩がゲームに負けた程度で賭け金を支払うなどという、型に嵌った行動を取るはずがないのだと。

「分かっちょるよ。お前が頭良いっちゅうことは」

 ベルンカステルは数多のゲーム盤を玩弄し続けた魔女である。知的遊戯においては他の追随を許さない。
 それを、狩摩は分かっていた。

「分かっちょるよ。お前が奇跡を手繰れるっちゅうことは」

 ベルンカステルは奇跡の魔女である。求めたものは必ず形となり、如何な難行であろうと必ず現実とする。
 故に今もそうなった。壇狩摩との対局に勝利するという奇跡を、彼女は確かに現実とした。

「で、それがどうしたんなら。俺ぁそんなもんで勝負する気なんぞハナからカケラもありゃせんでよ」

 ───それで?
 ベルンカステルは確かに狩摩との指し合いに勝利した。だが、それがどうしたという。指し合いに勝利したのは、単にそれだけのことでしかないだろう。

 他ならぬベルンカステルが言ったことである。ゲームにルールがあるとして、しかしそれを守らせる武力がなければ意味がない。
 故に彼女はルールを無視し、狩摩は"そもそもゲームをするつもりがなかった"。

「お前の敗因は囚われたことよ。遊びに勝てば相手が素直に命まで差し出すなんぞと考えた、その時点で視野が狭い証でよ」

 ベルンカステルは知的強姦者である。知を何よりも重視するその有り様は、つまり知に固執し知に囚われていることと同義でもある。
 故にこそ、彼女は囚われたまま順当にこの結末へと至り、その身を無様に晒して。

「───殺すッ!!」

 そして同時に、彼女は自らの智慧の否定を何よりも嫌悪しているがために。
 血泡を吹き、眼球からは血涙を迸らせ、放つ語気は荒々しく。
 ベルンカステルという名の魔女は、剥き出しの憎悪と殺意を、恐らくは今生において初めて露わにした。

「愚弄したな……ッ! この私を、物語をッ!
 私はこんな結末を綴るために現界したんじゃない! あんたのせいでッ、全部台無しよッ!」

 怨嗟の声は止まらない。知的活動という存在理由の全てを否定された彼女にとって、眼前の男は何にも勝る仇敵と化していた。
 空間が、次々と罅割れていく。勝敗が決し、世界を構築していた力がベルンカステルへと流れ込んでいるのだ。空間が一つ罅割れる度、ベルンカステルの体が大きく跳ねる。
 世界が崩れる。世界が終わる。それを前に、魔女は滂沱の血涙を撒き散らし、尚も途切れぬ憎悪を漏らす。

「宣言するわ───あんたたちはすぐに死ぬ! 何が来ようと、どんな加護があろうと、私はあんたらを絶対に殺す!
 呪いよ、これは魔女の呪い! 穢れた奇跡を勝ち取ったあんたらへの、相応しい末路を用意してあげるわ!」

 中空に奔る軋みがついに限界を迎え、ガラスが砕け散るように世界が割れた。薄暗い指し手の小部屋に、眩い光が雪崩れ込む。
 輝かんばかりの白光を全身に浴びながら、影絵のように黒く染まる魔女はのけ反るように立ち上がり。

「ニンゲンは過去を向きながら後ろ向きに未来を歩む哀れな生き物、だから簡単な落とし穴に気付けず無残に無様に転落する! 百年を歩んですら何も学ばないあの小娘のように!
 見ててあげるわ……あんたらが絶望に喘ぎ、惨めにのた打ち回るザマをねぇッ!」

 最期までその呪詛を止ませることはなく。
 光の中に、その姿を塵と霧散させたのだった。





   ▼  ▼  ▼





 崩れゆく世界を見つめ、全ての力を使い果たし、魔法少女の姿さえ解除されたスイムスイムならぬ逆凪綾名は、がっくりと膝をついた。
 世界は末端からその姿を失くしつつあり、最早座っていられる場所さえ限られている。膝からぺたりと座り込み、呆然と上を見上げた。
 体に振動を感じ、視界に映る景色が激しくぶれる。とうとう世界の崩壊は終わりに差し掛かったらしく、その消失は綾名の体の末端にまで及んでいた。断続的な衝撃に襲われ、その度に体が崩れていく。

 これが彼女の末路だった。王将の敗残は、すなわち配下たる駒も連動して死に絶える。
 それがこの世界のルールだった。魔女は守ろうともせず、盲打ちは最初から認識してもいなかった、世界のルール。
 そんなつまらないものに巻き込まれて、今から綾名は死ぬ。

 痛みは感じない。
 ただ、自分が消えていくことだけが分かる。
 恐怖は感じない。
 ただ、ルーラの教えを守ることが出来なかったと考えると、胸が締め付けられるようだった。

「ルーラ……」

 傍らにあるそれを、綾名は撫でる。それは、先ほどまでルーラと呼ばれていたもの。今は単なる無機質な駒。掌に収まるくらいの、白銀に輝くクイーンの駒。
 ルーラや、ルーラの教えと共に在れるなら、自分は何も怖くない。
 けれどルーラは単なる駒で、ルーラの教えを自分は守ることができなくて。

「ごめんなさい……」

 逆凪綾名は最早言葉なく、空を見上げる。何も見えない、崩れ落ちる闇と溢れ出る光とだけが満ちる、何もない空虚な空を。
 何も残されていない空を、綾名は最後まで見上げ続けた。

 見えない目で、見上げ続けた。





   ▼  ▼  ▼





「……ふぅ」

 街路の目立たぬ場所にて、疲労と焦燥の色を濃くする少年、衛宮士郎は深い息を吐くと共に言った。
 自分たちがほぼ無傷であの場を切り抜けられたのは、最早"奇跡"と形容してもいいだろう。それほどまでに、あの状況は窮地であったし、あのセイバーは強敵だった。

「なんとか逃げ切れた、か」

 敵味方を無差別に転移させる現象、恐らくはあの孤児院に陣を敷いたキャスターの仕業か。そこに一体どんな意図があったのかは分からないが、しかしそのおかげで自分たちは一気に窮地に陥った。
 万全を期し、細心の注意を払い、気配遮断の通じぬ場合をも想定し、それでもサーヴァントの起こす現象は容易くこちらの想像を上回る。
 それはキャスターによる転移もそうだが、相対したセイバーの強さもそうであった。
 アカメは並みのセイバークラスなら上回りかねないほどの剣腕を持つ。事実、予選期間において彼らが倒してきた中にはセイバーを従えるマスターも存在した。村雨という一撃必殺の刃を持たずとも、彼女はそれだけの強さを持つ破格の英霊なのだ。
 それでも、あのセイバーにはまるで敵わなかった。宝具やスキルがどうのという問題ではない。恐らくあの騎士は、セイバーというカテゴリーでも最上位にランクするサーヴァントだろう。複数本の宝具の投影、そして連鎖する壊れた幻想。鶴翼の三連撃を以てしても討滅どころか傷一つ与えられなかった相手をそれで倒せるとは思えないが、それでも逃走の一助にはなったらしい。
 厄介な、と率直に思う。敵が弱いことを期待して戦ったことなど誓って一度もないが、しかしこれほどの敵が同じ聖杯戦争内に存在するとあれば、聖杯獲得までの道行が険しくなることは否めない。

 そしてだが、あくまで推測の域を出るわけではないが、士郎にはあのセイバーの真名に心当たりがあった。
 それはかつて彼が経験した聖杯戦争での出来事。7騎の英霊の力を取り込み戦う戟剣の戦場において、彼が最後に刃を交えた敵のこと。

『ジュリ…アン…を……頼む……』

 想起される、その言葉。
 そのことについて更に思考の海へと埋没しそうになって。

「士郎、呆けている時間はないぞ」

 アサシンの言葉に、我知らず考え込んでいた士郎は即座に目を晴らしたのだった。
 こういう時にひとり思考に埋没してしまうのは、よくない癖だった。今まで一人で戦ってきたから、それが染みついてしまった。
 けれど今はそうではない。サーヴァントという頼りになる存在が、こうして共に戦ってくれるのだから。

「……ああ、そうだな」

 答えを一つ、それで二人は路地の向こうへと踵を返した。
 半日に満たぬ短い間での二連戦、そしてそのどちらもがこちらを上回る強敵だったこと。幸いにして致命的な損害こそ出ていないものの、蓄積された疲労と消耗は無視できるものではない。
 一度拠点に戻ってしっかりとした休息を取るのがベストだろう。そのためにも、まずはこの場所より一刻も早く離れなければ。

【B-1/路地裏/一日目・午後】


【衛宮士郎@Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ】
[令呪] 二画
[状態] 魔力消費(大)、疲労(中)
[装備] なし
[道具] なし
[所持金] 数万円程度
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争に勝利する。手段は選ばない。
1:撤退し、休息する。
[備考]
セイバー(アーサー・ペンドラゴン)を把握しました。真名について心当たりがあります。


【アサシン(アカメ)@アカメが斬る!】
[状態] 疲労(中)、腹部にダメージ
[装備] 『一斬必殺・村雨』
[道具] 『桐一文字(納刀中)』
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:勝利する
1:士郎の指示に従う。










   ▼  ▼  ▼





 終わってみれば、何かもが味気ないものだった。

 盤面より帰還すると、そこはもぬけの殻となった孤児院の中だった。人の気配は何処にもなく、伽藍とした空気だけが張りつめて、暖かな季節であるというのに何処か冷たい印象を受けた。
 何もなかった。それはまるで、さっきまでの自分のようだ。何もかもを失い、何もかもを奪われて、そうした無機的な無感だけが支配する空白の思考。

「……結局のところ」

 ふと声が漏れる。渇いた唇に息がかかって、かさりという感触が肌を撫でた。

「最初から最後まで、あんたの掌の上だったってことね」
「きひひ、当たり前のことを何呆けて言っちょるんじゃ。例え仏や天魔とて、俺の裏を取るなんぞできんわい」

 何とも間抜けな話だった、ということになるだろう。何せ自分は柄にもなく熱くなり、仲間の残影に追い縋り、その喪失を厭い、けれど全ては最初から仕組まれた茶番だったのだから。
 そのことについて文句の一つも言ってやりたいところではあったが、彼らを駒として現出せしめたのはあの正体不明のキャスターだった以上、それを狩摩に言ったところで何にもなりはしないだろう。
 それに何より、なんだか疲れてしまった。肉体面もそうだが、それ以上に精神が。
 正直なところ、もう何をしたいとも思えない。ベッドか布団があるならすぐさま寝転がりたい気分でさえあった。

 けれど。

「……ああ、来たのね」

 その足音に、梨花はゆっくりと振り返る。
 気だるげな視線をやると、そこには一人の少女の姿。

 キーアが、そこには立っていた。

「……梨花」

 キーアの格好は、それはもう酷い有り様であった。
 恐らくは山道でも駆けてきたのだろう。服のところどころは引っ掻き破れ、泥がはねて汚れが目立つ。休まず走り続けたのであろう、息は荒く乱れて脂汗が滲んでいる。
 いつもの彼女ならば考えられない、泥臭い姿だった。
 そうなってまで、急ぐ必要が彼女にはあったのだ。

「梨花、あのね」
「来ないで」

 語りかける声を、梨花は一言で切り捨てた。
 冷徹に、冷酷に。できるだけ厳しく聞こえるよう、心がけて。

「あんたと話すことなんてないって、さっき私言ったわよね? それは今も変わらないわ」
「……うん、分かってる。梨花があたしのことを、嫌っていることも」
「それさえ分かればもういいでしょ。いいからさっさと―――」
「でもね、梨花」

 そこで一旦、キーアは言葉を切って。

「ならなんで、梨花はあたしを殺さないの?」
「……は?」

 言葉を失った。
 その時の梨花の心境を表すなら、その一言が最も妥当だろう。
 だって、意味が分からないだろう。こいつは一体何を言っている?

「あたしは今、セイバーを連れていないわ。梨花がその気なら、あたしはもう殺されてるはずよね」
「……なに、あんた自殺願望でもあったの? だったら生憎だけど」
「いいえ。あたしは死にたくないし、その気もないわ。ただね、梨花」

 俯くように伏せられていたキーアの顔が持ち上がって。
 真っ直ぐに、梨花の目を見た。

「あたしは貴女と、ちゃんと話したいの。きちんと、今度こそ二人で。
 話せば必ず分かるはずとか、そういうんじゃないの。でも、貴女に歩み寄る努力もしないなんて、あたしにはできない」

 こちらを向く視線はまっすぐで、毅然として。
 意思の強さを滲ませていた。良いところのお嬢様だなんて、思えないくらいに。

「だって、梨花。貴女はこの街に来て初めてできた、あたしの友達だから」

 ああ、それは。
 それは、かつて梨花も見たことのあるもので。
 それはそう、あの雛見沢で。惨劇が起こり、けれどそれに屈することなく立ち向かった、あの。
 あの───

「キーア、あんたは……」

 無意識に呟かれる声。意識、多分していない。
 懐かしいものを見たような、そんな気がした。いいや、いいや、懐かしくなどない。それは、つい先ほど、確かにこの目と耳で感じたもので。
 つまり、それは───

 けれど。

「話しちょるところ悪いんじゃがの」

 それは、空気を読まない男の声が、二人の間に割り込んだことで。

「もう時間じゃ。諦めい」

 唐突に、終わりが来てしまって。


「……ごふっ」


 まるで先ほどの魔女の焼き増しのように。
 少女の胸元から刃が生えた。

 おぞましい吐血の音が、辺りに響き渡った。





   ▼  ▼  ▼





「……え?」

 その事実に、キーアは数瞬呆然としたままだった。
 理解できなかった。発生したその事実が。

 だって、直前までは本当に何もなくて。
 普通に話していただけで。
 そんな気配も何も、存在などしていなかったというのに。

 ───梨花の胸に、大きな刀が突き刺さっていた。

 まるで背後から刺されたように、梨花の胸から切っ先が生えていた。
 視界の一面が、鮮血の赤に染まった。

 キーアは知らない事実であったが、それは投影魔術により生み出された一斬必殺・村雨という銘の宝具であった。
 先刻まで近場で行われていた戦場、そこで大量に投影された村雨のうちの一本。矢のように飛ばされ、勢いよく弾かれ、それが故に村雨は今この時間この場所に飛来する可能性が、天文学的極小確率で存在した。
 無論、そんなものが現実になる道理などない。村雨を投影した衛宮士郎も、宝具の持ち主であるアカメも既に退避し、ここには村雨の残滓すら残ってはいない。けれど、ほんのわずかであっても可能性があるなら、それを形とできる者が一人だけいた。
 ───この現象こそが、奇跡の魔女が遺した呪いであった。

「梨花!」

 崩れるように倒れ掛かる梨花を、駆け寄るキーアが支えた。
 手に掛かる血液が暖かく、それが言いようのない生々しさを感じさせた。

 赤い、赤い。迸る血は止め処なく、梨花を抱きすくめるキーアすらも真っ赤に染め上げていく。
 キーアは気付かない。梨花に穿たれた胸の穴、そこから黒い楔のような紋様が走っていくことに。村雨の呪毒が巡っていることに、気付かない。
 梨花が手遅れであることに、気付かない。
 だから叫ぶ、駄目、死なないで、しっかりして。けれどその声は何処にも届かず、聞き入れられず。

 ───そんな彼女たちの頭の上から。
 ───突如として現れて、雨のように降り注ぐ剣の群れ。

 その気配に、キーアは気付いて。空を裂く音をその耳で聞いて。

「あっ……」

 頭上に見える剣の群れ。
 危ない、と頭では分かっているのに、突然の事態に体が言うことを聞いてくれない。
 キーアは為す術なく、呆然と頭上を見上げ。

 正面から、誰かに突き飛ばされた。


 そして、キーアは見た。
 無数の剣に貫かれる、梨花の姿を。


「り、か……?」

 何が起こったのか、分からなかった。
 どうして、と思った。
 梨花は、自分のことを拒絶していたはずなのに。
 話すことも、目を合わせることも、嫌悪の表情で拒んでいたはずなのに。
 それなのに、どうして……

「キー……ア……」

 今にも消えそうな、梨花の声。
 貫く無数の剣が光る粒子となって消え去り、体中に穿たれた傷跡から止め処なく血が滴り、膝が崩れる。
 無我夢中で手を伸ばし、その体を抱きとめた。

「───梨花っ!」

 今は何が起きるか分からないとか。
 次の攻撃が襲ってくるかもしれないとか。
 そんなことは、どうでもよかった。

「梨花、しっかりして……梨花!」



「梨花!」

 呼びかけられる声に、梨花は薄っすらと目を開ける。
 視界が霞む。目の前が茫洋として、何がなんだか分からない。
 耳元で叫ぶ喧しい声も、最早遠い。血が足りてないのか思考すら覚束ない。

 自分が何故そうしたのか、分からなかった。
 どうして、と思った。
 自分は、キーアのことを疎んでいたはずなのに。
 話すことも、目を合わせることも、黒いものが浮かんでくるからできるだけしないようにしていた。
 それなのに、どうして……

(……ああ、そっかぁ)

 霞む意識の中で、しかし梨花は、ようやく"それ"の正体に行き着いた。
 今まで自分がキーアに対して抱いていた感情の根源。嫉妬とも羨望ともつかないこの感情が、一体何であるのか。

(私は、ただ……)

 それは、一言では形容し難い心の表れ。
 嫉妬とも羨望とも似た、しかし実際はまるで違う。それは最早手の届かない場所へと行ってしまった人へ、それでも手を伸ばすかのような。
 遠い故郷に想いを馳せるような。そんな郷愁の念。
 なんてことはない。梨花はただ、キーアを通してその向こうにみんなのことを見ていただけなのだ。
 部活メンバー。誰よりも大切な仲間たち。キーアからは、彼らのような明るさと暖かさを、どうしても感じ取れてしまうから。
 久しぶりに"彼ら"と会って、だから分かった。
 だから、梨花はキーアに対して、好意とも嫌悪ともつかない感情を抱いてしまって。
 最後にこんな行動を取ってしまったのだ。

(まったく……なんて無様)

 そのことに思い至った瞬間、梨花は内心のみであったが、僅かに苦笑めいた響きを漏らした。
 百年の時を生き永らえて、それでもこんな簡単なことに気付けないなんて。やはり自分は特別でもなんでもない……一人では何もできない、仲間がいるから歩いていける、そんなどこにでもいるただの人間なんだなぁと。
 そう思うことが、できたから。

(キーア……)

 見えない視界で、彼女を見つめた。
 馬鹿みたいに泣き叫んで、レディがそんなんじゃみっともないでしょうと、ふとそんな場違いなことを思ってしまう。
 しっかり者かと思えばどこか抜けているようで、苦手なのに何故か目が離せなかった少女。
 百年をかけて誰も救えなかった自分が、それでも最後に助けられた少女。

 一度分かってしまえば、あとは簡単だった。

(だからあんたは……)

 力を振り絞り、梨花は口元を動かす。
 声は最早出ないけれど、それでも彼女に伝わるように。
 それは……

「―――――」

 五回、梨花の唇は動き。

(にがて、なのよ)

 何かをやり遂げたかのような微笑みを浮かべ。
 血塗れた瞼が、閉じられた。



「梨花……?」

 抱きとめる少女の唇が、音にならない五文字の言葉を紡いだのを、キーアは聞いた。
 それが最後だった。
 呼びかけに、答えは返ってこない。
 もう二度と、返ってこない。
 二度と笑ってくれることもない。
 怒ることも、泣くことも、嫌悪の表情でこちらを見ることもない。
 それが死ぬということ。
 そんな当たり前のことが、ようやく分かった。

 ───涙が止まらなくなった。





   ▼  ▼  ▼





 キーアが泣いている。
 声を張り上げ、息を詰まらせ、子供のようにキーアが泣きじゃくっている。
 それを、セイバーは何を言うこともなく見下ろしていた。

 キーアは泣きじゃくる。声を殺すことも、感情を抑えることもなく。
 この子の、こんな声を聴くのは、初めてのことだった。

「……」

 声をかけることはしない。キーアには、涙を流す権利がある。
 涙は不安の排出路だ。悲しみも、切なさも、涙は全てを押し流す。泣くという行為は、生者が死者を想い、そして立ち上がるための儀式でもある。
 それを邪魔することは、セイバーには許されない。

(戦闘が行われた、というわけでもないらしい)

 異空間の崩壊を目の当りにし、そこに走る影を見たがために駆けつけた、陽射しに影を落とす孤児院の中。荒れた様子はまるで見えず、そこにはただ血を流し倒れる少女と、それに縋るキーアだけがあった。
 この状況に、キーアの責任はないだろう。
 恐らく彼女は何もできなかったはずだ。倒れる梨花の傷を見れば、それが無数の剣による刺突痕であることが分かる。尋常なるものではない。先ほどの剣製のマスターのような異能によって貫かれたか。それは、例えその現場にセイバーが立ち会っていたとしても防げるものではなかったと、他ならぬ"直感"がそう告げていた。

 まるでそうなるように、運命を捻じ曲げたかのように。
 その結末になるように、神の賽子が振られたかのように。
 古手梨花が相対した敵とは、恐らくそういった手合いの者だったのだろう。ならばその時点で、どうなろうと梨花は"そう"なる運命にあったのだ。

 セイバーは運命論が好きではない。しかし聖杯戦争には人の想像も及ばぬような魑魅魍魎が数多犇めいている。
 ならばこれは、そんな魔道の結果であるのだと一人納得し。

「おら、そこの優男。こっち向かんかい」

 己にかけられる声に、セイバーは振り返るのだった。

 そこには一人の男が座り込んでいた。面倒そうな声音はそのままで、自分の状況を知ってか知らずかぼやく。
 彼の不敵さ、その笑みだけは何時如何なる時も変わらない。己の勝利を自然体で受け止めているため、精神的に追い込まれるという事態とは生涯無縁な男なのだ。
 例え、その胸の中心を日本刀で貫かれるという、今のような状況に陥っていたとしても。

「私に、何か用でも?」
「おうよ。お前に一つ、助言でもと思うてなぁ」

 呵呵と笑うその姿は、一周回ってどこか清々しささえ感じさせるものだった。胸を貫く刃は間違いなく霊核を貫通し、全身に呪毒が拡散している。その身に受ける苦痛は尋常ならざるものであることに疑いはない。しかし、それでも狩摩は苦痛など露とも感じていないかのように笑った。

「意図が読めないな。最早死にゆくだけの貴方が、敵とも知れぬ私に助言だと?」
「お前が敵かどうかなんぞ俺ァ知らんわい。いや、敵じゃろうが何じゃろうがどうでもええわ。大事なのは、俺がお前を選んだっちゅうことよ。
 お前が誰かなんぞ知らんが、俺が選んだんならお前は"当たり"じゃ。何せ俺がやることじゃけぇの、最後は上手く嵌るじゃろ」

 狩摩が言いたいことは、つまるところこうだった。俺がお前に助言を残せば、それが巡り巡って俺の勝利に繋がるのだと。
 その言葉に根拠などあるまい。しかし、彼は自身の勝利を疑ってなどいない。そこは今も不変のまま、これまでもこれからも、彼に真なる意味で敗北を味わわせる者などいないのだろう。

「ちゅうわけで、今から言うことをよぉく聞けや」

 そうして、狩摩は二言三言、セイバーに何かを告げた。彼はそれが何を意味するのか理解できていないようだったが、狩摩はそんなことどうでもいいのか呵呵と笑うのみであった。

「おら、聞いたんならさっさと前向けい。やらにゃあならんことは知っちょろうがい。
 さっさと片ァつけるんじゃ。出来るよのう?」
「貴方が何を言っているかは知らないが」

 セイバーは揺るがぬ毅然の瞳で、狩摩を真っ向見つめ返し。

「僕がすべきことなど百も承知だ。そして、できるとも。貴方に言われるまでもない」
「く、かかっ」

 胸に刃を突き刺したまま、セイバーを見上げ狩摩は笑った。徐々にその姿が薄れていく。

「真面目じゃのう、まるで大将みとォじゃ。全くアレじゃのう、たまに自分が怖ォなるでよ。
 こうまで嵌るたァ、よいよ俺も天才ゆうかなんちゅうか……」

 消えていく。それを前に、セイバーは何も言わず見守るだけだ。

「精々気張れや。万仙はえげつないで。俺もあんならも、そしてあの魔女も、結局は桃煙に揺蕩う霞よ。俺の仕事はここで終わりじゃけぇ、あとは知らんしなるようになるがや。
 じゃがまぁ、結局は」

 狩摩の笑みが、とうとう極限まで深まり。

「最後に笑うんは俺に決まっとろうがのう! この壇狩摩の裏ァ取れる奴なんぞ何処にもおらんわい! うは、うははははははははははははははは!!」

 ───消滅する最期の最後まで、彼は自身の勝利を疑わず。
 全ては自身の掌の中に収束すると確信したまま、セイバーへと託した何某かが実を結ぶと信じたまま。あるいはそれ以外の何かすらも自身に味方すると盲信したまま。

 盲打ちのキャスター、壇狩摩はその姿を幻のように消し去ったのだった。




【逆凪綾名@魔法少女育成計画 死亡】
【キャスター(ベルンカステル)@うみねこのなく頃に 消滅】

【古手梨花@ひぐらしのなく頃に 死亡】
【キャスター(壇狩摩)@相州戦神館學園八命陣 消滅】


『B-1/孤児院/一日目・午後』

【キーア@赫炎のインガノック-What a beautiful people-】
[令呪]三画
[状態]健康、呆然
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]子供のお小遣い程度
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争からの脱出。
1:……
[備考]

【セイバー(アーサー・ペンドラゴン)@Fate/Prototype 蒼銀のフラグメンツ】
[状態]魔力消費(小)
[装備]風王結界
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:キーアを聖杯戦争より脱出させる。
1:赤髪のアーチャー(エレオノーレ)には最大限の警戒。
2:キャスター(壇狩摩)が遺した言葉とは……
[備考]
衛宮士郎、アサシン(アカメ)を確認。その能力を大凡知りました。
キャスター(壇狩摩)から何かを聞きました。



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028:陥穽 投下順 031:世界で一番近い君
028:陥穽 時系列順 031:世界で一番近い君

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027:抽象風景 キーア 037:夢に墜ちていく
セイバー(アーサー・ペンドラゴン)
古手梨花 GAME OVER
キャスター(壇狩摩)
衛宮士郎 043:機神英雄を斬る
アサシン(アカメ)
キャスター(ベルンカステル) GAME OVER
010:穢れきった奇跡を背に 逆凪綾名

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