鎌倉は逗子市、衣張山中腹。

 杉木立に囲まれた緑の木々の中に、その男はいた。
 四つ角の石碑、上杉朝宗及氏憲邸址碑よりほど近く。経年の劣化が著しい木橋の前に、突如として、その男は姿を現す。
 もしも見る者がいれば───鎌倉中に災厄が跋扈する中、わざわざこのような場所に足を運ぶ者などまずいないが―――何もない場所に男が出現したのだ、と受け取るだろう。例えば、瞬間的に空間を渡ったのだ、とか。
 違う、空間転移ではない。それは魔法の域にある業だ。
 男は霊体化を解いたに過ぎない。
 暫く前からこの辺りを歩いてはいたのだ。ただ、目に見える形ではなかったというだけで。

「相も変わらず」

 言葉が発せられた。
 それは、王たるが如き覇気に満ち溢れ、しかし隠す気もないほどの呆れを伴って。

「醜いものだ。これほどの僻地に足を運ばねば、緑の一つも見れんとはな。五欲だけでは飽きたらず、朧の繁栄を際限なく肥大させるか」
「……貴方は、そんなことを言いたくてこんな場所まで来たの?」

 異なる声があった。それは、王の右隣から。
 白無垢のような少女だった。白銀をした、王の黄金と対を成すような、儚げな少女。

「無論、否だ。人の欲など見飽きたのも事実ではあり、我は無駄好きでもあるが。
 しかし意味なく足を動かしたりなどせん。当然、ここへ赴いたことにも理由はある」
「それは、何?」
「"敵"だ」

 その一言を聞いた瞬間、少女の閉じられた目すら見開かれんと見紛うばかりに、彼女は警戒を露わにした。
 彼女の魔力探知網には、未だ何の反応もかかってはいない。周囲を飛び交う使い魔8体、何の敵影も観測できてはいない。
 およそサーヴァントの気配探知能力に匹敵する索敵能力。その悉くが捉えきれぬ"敵"の姿。
 それを、この男はかくも容易く予見したというのか。

「なに、案ずることはない。
 仮にも貴様は我がマスター。ならば此処に勝利は確約されるが故に、泰然と構えていればよい」

 少女───イリヤの心境を知ってか知らずか、あるいは知った上で尚もその傲慢を崩さないのか。男はただ悠然と、何処かの地平を睥睨する。
 そしてその言葉に合わせるように、一帯の空気が"がらり"と入れ替わった。
 平静を保っていたはずの木々が、木の葉が、風の音が。その身を震わせるかのようにざわめき、いっそ滑稽なほどに揺らめきだす。自然が織りなす多様な音が、視界を失って鋭敏化したイリヤの聴覚が悲鳴を上げるほどに肥大化した。。
 まるで嵐が来るかのようだ───声には出さず、しかし心の中で、イリヤはそんなことを思った。

 そして、呆れるほど唐突に、"それ"は来た。


 ───圧倒的な"圧"そのものが、二人の頭上より墜落した。


 そうとしか形容ができなかった。強いて他に表すならば、それは鋼鉄の豪雨とでも言えばいいか。しかしそれだけに留まらず、内包した魔力と凶念の桁が純粋に違うがために、それは呪いじみた悪瘡が波濤となって降り注ぐにも等しかった。
 その瞬間、イリヤは驚嘆どころか、まず最初に得体の知れない恐怖の感情を抱いた。そしてそれは、決して間違った印象ではないのだということを、訪れた"敵"を目にした瞬間に彼女は確信する。

「やあ、こんにちはお嬢さん」

 それは、一見すれば幼い少年だった。
 イリヤと大して変わらぬ程度の外見だった。そして、見ようによっては少女とも受け取れる、中性的な容姿の少年だった。
 彼は白かった。肌も髪も、全てが白銀の輝きを纏っていた。しかしイリヤは、これを指して「雪のような」と形容したくはないと強く思った。
 これは死だ。全ての血が抜けきって、肌が本来持つ死色の白が浮かび上がったというそれこそが、この少年の持つ白の気配だ。彼の世界に生きている者など誰一人としていない、これは死の気配そのものだ。
 少年は、死の権化だった。

「何処の英雄豪傑が相手かと思えば……なんともはや、魔性退治とはな。英雄たる我の相手に不足も誤りもないが、しかしこれでは興が削げよう」

 言ってギルガメッシュは、指の一本も動かさぬまま目を細め少年を見遣った。
 そう、彼は指の一本も動かしてなどいなかった。少年が放った弾丸の雨すべて、彼は動かず切り払って見せたのだ。それを為したのが何であるのかは、彼の背後に煌めいた黄金の光以外からは推測のしようもない。
 例え挨拶代りの児戯程度であろうとも、少年が放つは等しく魔弾である。ならばそれを事もなげに斬り伏せる彼は一体何であるというのか。サーヴァントという超常のカテゴリにあって、しかし両者は未だ底知れない強者であることに疑いはなかった。

「おや、随分と手厳しいなぁ。これでも英雄の一角だって自負してるんだけど」
「笑えぬ冗談などやめておけ。貴様は違わず人獣、最早人ではあるまい。狂犬、凶獣、そこいらが妥当であろうよ」
「そうかい。じゃあそんな僕に相対する君は一体何なのかな?」

 見下して嗤う少年は、ただ侮蔑と殺意に満ちた瞳を投げかけて。

「我がクラスはバーサーカー。墓の王に侍りし獣の軍勢である。さあ名乗れ、数多の英霊の墓に立つお前!
 まことその身が強者ならば、彼らの殉教者として微塵に砕け散るがいい!」

 その眼光に真っ向受けて立つ英雄王は、ただ王の風格だけを伴って。

「貴様如き狂犬に我が名を拝する資格などない。しかして此処に王名を示すとするならば」

 瞬間、彼の総身が光り輝き。
 黄金の頭髪は逆立ち、古代の王宮に献上された宝物が如き精美な刻印の為された鎧が男の身を包み。
 不遜はなく。
 尊大もなく。
 ただ在るがままにそこに在る、彼こそは───

「我こそは人界に在りて万象を統べる王の中の王。災い為す狂獣を斃すのが、我が役目であると知るがいい」

 この都市へと現界した正真正銘の王。英雄王ギルガメッシュに他ならなかった。





   ▼  ▼  ▼





「ド・マリニーの時計よ、秒針を逆しまに廻せ! 現在時刻を記録するがいい!」

 覇風に満ちた喝破が叫ばれた瞬間、杉木立に囲まれた山景の空間は、音よりも早い速度で『書き換えられた』。
 新緑に映える木々と木の葉、肥沃な土と苔生した石群、吹き付ける風にせせらぐ水の音。それら自然の光景が一瞬にして消えてなくなり、代わりに姿を現したのは異様な世界であった。
 ───紫影の空が天を覆う。
 ───巨大な歯車が地を覆う。
 それはあまりにも荒唐無稽で、しかし機械的な精密さに満ちた世界だった。あらゆる矛盾を内包し、無窮の広がりを見せる、果てなき無限の空間だった。

「我が宝物の黄金に懸けて、現象数式領域の展開を宣言する。叶えるべき願いなど、最早我には存在しないがな」

 遥か高みより睥睨する声は、尽きることのない情熱と自負に溢れている。
 それを真っ向受けて立つシュライバーは、彼にしては珍しい純粋な感嘆と驚嘆を以て応えた。

「覇道創造、固有結界……いや、これは純然たる異界か。中々どうして器用なもんじゃないか」
「然り。貴様を討滅するに最も相応しい狩場というわけだ。もしや臆したか?」
「冗談───」

 溢れる悦と殺意を口調に乗せて、蝕の凶星は六十年ぶりの戦争を予感した。
 そう、戦争。今までのような木偶を撃ち殺すだけの蹂躙ではない。正真正銘の戦争が始まるのだとその野性的直感が告げる。

 ああ、この匂い、この敵意、この重圧、この疾風。
 血と鋼鉄と肉と骨と、硝煙の帳に燃えて砕けろ光輝の戦場。
 遍く総て悉く、我が愛で歓びの内に滅ぶがいい───!

「狂い哭け、黄金を騙る偽なる支配者。
 ここに神は存在しない」
「はッ。斯様なもの、初めから認めてなどおらんわ」

 同時、あらゆる音を無にする轟爆が、両者の間で灼光した。

「はっはァ───!」

 先手を取って駆けるのは、当然というべきか挑戦を申し込んだ側であるシュライバーだった。
 手に持つは血錆に染まり一切の光沢を放つことのない二挺拳銃。ルガーP08とモーゼルC96。一つは英雄王へ、一つはその傍に侍る白銀の少女へ。交差するような構えを取り、硝煙すらも掻き消えるほどに銃口が火を噴いた。
 連続する銃弾は千発以上。それは弾幕という面攻撃ですら形容としては生温く、鋼鉄の壁が落ちてくるが如き圧倒的質量が、一直線に二人を襲う!
 その速度、その密度。最早躱せるものではない。ならば未だ直立して不動なる英雄王は、如何にしてこれを凌ぐというのか。

「さて、気を抜くなよイリヤスフィール。なに、貴様はただ我を見上げていればそれでいい。
 決闘の余波程度で狼狽えるようでは、我が臣下には値せぬと知れ」

 ───着弾、轟音。
 二人の存在する場所を中心に半径五十mの範囲が巨人の槌でも受けたかのように大きく陥没し、大量の粉塵が周囲に充満した。
 空間に染み渡る大気の振動が、そこに込められた威力と速度が如何程のものであったのかを物語っているかのようであった。この破壊を為したのが、少年の手に収まる程度の拳銃二つであるなどと、一体誰が信じられるだろうか。
 華奢な見た目からは想像も説明もつかない、これは魔なる者の武装であった。人智を超越したサーヴァント、あるいは聖遺物の使徒であろうと纏めて鏖にできるこの拳銃は、しかしシュライバーが形成する聖遺物ですらないという事実が、彼の持つ常軌を逸した戦闘力を端的に示していた。
 しかし、しかし。

「へえ……」

 凶獣が瞠目する。何故ならばその視線の先、彼が狙い撃ったはずの英雄王は、傷の一つもなく、後退の一歩もなく、不動のままに存在していたのだから。
 彼らを覆うように囲むのは、都合四枚の白銀の盾。それが前後左右に突き立ち、銃弾の全てを弾いたのだ。

「な、なにが……」
「ふむ、弾丸自体は神秘の薄い量産品でしかないか。しかしこの威力には驚いたぞ、ガラクタであろうが質量の桁が違えば侮れんか」

 驚き惑うイリヤを余所に、英雄王はその指にシュライバーの銃弾を摘み取って値踏みしていた。その余裕、その慢心は全く以て崩れてはいない。
 その光景を一瞥し、シュライバーは再度その銃口を英雄王へ照準し、引き金を引いた。銃声はただ一度、放たれた一発の銃弾は白銀盾の間を縫うように、その射線を形成し───

「無駄だ」

 着弾の音が響き渡る。しかしそれは、人の頭蓋を破壊する粘質の水音ではなく、澄んだ鈴生りの音であった。
 放たれた銃弾は英雄王を貫くことなく、その寸前にて、不可視の障壁に阻まれるように空間へと固定されていた。銃弾と不可視の何かは押し合うように鬩ぎ合い、空間には水面に小石を投げ入れたかのような波紋が、断続的に広がっていた。

「白銀盾アガートラム。世界の果てより取り出せし絶対防御の幻想だ。如何な質量、如何な物量であろうと神秘の薄いその弾丸では貫けまい」
「ははっ」

 それだけで、シュライバーには四枚の盾がどういうものなのか理解できた。つまりあれは、防御という概念の具現化なのだ。盾で防ぐという物理的な防御だけでなく、概念的な防御結界。故に盾の隙間を狙おうが一切の意味を為さない。

「なるほどなぁ。聖餐杯を除けば、こっちには防御に特化した奴はいなかったから、結構意外だったよ。
 それで、君の力はそれで終わりかい?」
「ほざけよ下郎。貴様が王の真価を問うなど厚顔無恥も甚だしい」

 王の振るう右手に合わせ、背後の空間に亀裂が奔った。それは大口を開けるように押し開かれ、輝かんばかりの黄金光を放出する。
 そればかりではない。発生した空間断層四十八列、一面を覆い尽くす光の波濤となった異相空間群の全てから、夥しい数の武器が顔を出したのだ。
 煌びやかに光を放つ宝剣、宝槍、宝斧、短剣、鏃、槌に戦輪、大鎌戦錐方天画戟……数えるのも億劫になるほど無数のそれらは、一つの例外もなく全てが宝具であり、そのカテゴリでも最上級にランクする伝説級の業物であると、放出される圧倒的な存在圧が告げていた。
 これこそは"神の門"。人々の生み出した宝の原典にしてその叡智の結晶。人の可能性を集約した宝物の扉なれば。

「王律鍵バヴ=イルを使用する。我が宝物を死して拝せよ、不敬!」

 ───瞬間、天が堕ちてきたと見紛うばかりの衝撃が世界を埋め尽くした。

 ギルガメッシュが行ったことを一言で説明するならば、大量の宝具をそのまま射出したという、ただそれだけのことである。
 しかしそこに込められた威力と速度、そして何よりも"数"こそがあまりにも違い過ぎたために、単純であるはずの攻撃動作は神域の殲滅現象として具現しているのだ。

 その一瞬だけで、何万という数の刀剣が地面へと突き立った。大剣が、直刀が、双剣が、長剣が、大槍が、破砕斧が、破城鎚が。シュライバーの存在し得るあらゆる空間座標を舐めつくし、大地に乱立する刃の樹海へと世界を変貌させた。
 そして英雄王の攻撃はこれで終わらない。射出される宝具はその数と速度を目減りなどせず、秒間毎に数百・数千の光条が空間を断割し、その全てがシュライバーというたった一人の標的目掛けて殺到する。

 圧倒的。そう形容するしかないだろう。その質量、その密度。仮にも英霊に使うには不適ではあるが、怪物と言う他はないかもしれない。
 並みの英霊どころか、千の英雄万の軍勢が相手だろうが一網に破滅させる破壊の具現。これを前にして生きていられるサーヴァントなど存在できまい。
 そう、そのはずであるのだが。

「ふふ、ふふははははははは───!」

 生きていた。それも発する声に低落の色はなく、その身に一つの傷も刻まぬまま、ウォルフガング・シュライバーは刀山剣樹と化した世界を縦横無尽に駆け回っていた。
 彼は暴嵐のシュライバー。
 誰よりも速く、誰であろうと捉えられない。
 大気が爆発するような轟音を弾けさせ、地面が、刀剣が砕け散る。まるで見えない巨人が暴れ回っているかのようだ。
 しかし、その正体は重力すら振り切る超加速の切り返し。見る間に瓦礫の山と化していく世界の中で、宇宙速度にも達するだろう“人間”が走り回っているだけにすぎない。

「なるほど、速いな」

 その速度を、英雄王は心より認めた。己が見聞きした中でも、あれは速度という分野においては最上級だ。
 そんな彼の正面に、空間的な波紋が大量に発生する。間断なく響き渡る鈴生りの音、そしてばら撒かれる無数の銃弾。その全てがシュライバーの放つ魔銃の連撃であることは疑うべくもない。

「あ、ぐぅ……何よ、この音……」
「耐えろよイリヤスフィール。確かにこれは魔性を含む音撃ではあるが、致死のものではない。なに、終わらせるまでそう時間は取らせんよ」

 苦悶の表情を浮かべ、耳を抑え蹲るのはイリヤだ。卓抜した魔術師であるところの彼女が苦しむなど、一体何が起きているというのか。
 それは"音"だ。アガートラムの防御と鍔ぜり合う銃弾が奏でる反響音だ。攻撃の意図どころか、そもそも攻撃の体を為していない、戦闘に際する副次効果。そんなものに彼女は苦しんでいる。
 何故ならば、シュライバーの放つ魔弾とはそういうものであるから。それは、何かしらの特異な効果が付随しているとか、そういうことではない。偏に込められた魔力の多寡、質量があまりに違い過ぎて「銃弾が大気を切り裂く音にすら激発めいた魔力の衝撃」が付加されているのだ。
 一挙手一投足、彼の行動は全てが魔業。例え指一本を動かす程度の圧でさえ、余人には致死の猛毒として機能するだろう。
 イリヤは既に防音と対衝撃の防護魔術を自身に架している。にも関わらずこの影響力だというのだから恐ろしい。

「そういうことだ。我としてはあまり時間をかけてはおれんのでな。早々に終わらせてもらうぞ、狂犬」

 瞬間、展開される『王の財宝』がその性質を異なるものにした。
 今までのそれは、ギルガメッシュの背後より展開され、ガトリング砲が如くその財を射出するというだけであった。
 しかし今は違う。財の射出口である空間孔が、まるでシュライバーを囲むかのように球体状に展開されたのだ。
 そして何より"速さ"が違った。放たれる宝具の釣瓶打ちは、今までのそれとは比べものにならないほど速く、シュライバーの元へと殺到したのだ。

 局所的な時間流の操作。宝具内の物理法則を改変することによる時間加速により、その速度は一時的にではあるが駆けるシュライバーに迫るほどの超速を獲得したのだ。
 時間の操作など、無論のことギルガメッシュにできるはずもない。しかし彼にはできずとも、その倉に納められた「人類の叡智」がそれを可能とする。どれほどの未来にあるのかは分からぬ超技術だが、遠き未来において人間は時間軸という神の領域にまで手をかけることに成功するのだ。
 自身を迎え撃った加速宝具群を、シュライバーは息を呑んで見つめた。自らの速度に迫り、かつ凌駕する存在などこいつは見たこともないだろう。故の停滞だ。
 裂帛の存在圧を滾らせ迫る宝剣の切っ先。なまじ脅威のスピードで突進していたシュライバーに、これを躱す術などない。急停止など不可能であろうし、後退するなど以ての外だ。
 左右どちらに避けようとも、続く宝具がそれを見逃さない。
 確信する勝利の手応え。その一瞬、かの英雄王ですらそう認識した。
 しかし。

「―――」

 血走ったシュライバーの隻眼が、真っ直ぐにギルガメッシュを突き刺す。そこに渦巻くのは判別不能な狂気の混沌。
 縦に細長い獣めいた瞳孔が微かに揺らめき、口許が吊り上る。
 笑み。嘲笑。その時、シュライバーは紛れもなく嗤っていた。

形成(Yetzirar)───」

 極限まで遅まった世界の中で、紡ぎだされた呪いの銘は───

    Lyngvi Vanargand
「───暴風纏う破壊獣(Lingvi Vanargand)

 王の財宝が着弾する。大反響の爆発と共に、土砂の粉塵が上空百mに至るまで高く舞い上がる。それだけの威力、それだけの破壊をもたらす一撃を完璧なタイミングで叩き込み、故に英雄王の勝利は揺るがぬものと思われた。
 けれど。

「小癪な……」

 結論から言ってしまえば、王の財宝による加速連撃は一切掠りもせず地を穿つのみであった。シュライバーはあの瞬間、一切の減速をしないまま真後ろへと飛び退ったのだ。
 いや、真後ろに【加速】したのだ。前方に全速力で移動していた状態から、ミリ単位の制動と急停止・反転により真後ろへと加速した。慣性の法則、物理常識を無視した逆走。時の流れを捻じ曲げて、シュライバーへ追い縋った数多の宝剣すら追えない速度でベクトルを反転させた。
 その、異常と言うのも生易しい出鱈目ぶりは……

「ふ、ふふふふふふ」

 立ち込める粉塵、その向こうより健在なままの凶獣が姿を現した。
 駆ける彼の総体は、しかし先までの生身とは違い、彼の全身よりも尚巨大な軍用バイクへと跨り、中空を飛来していた。
 これこそは彼の聖遺物、暴風纏う破壊獣(リングヴィ・ヴァナルガンド)の形成である。魔獣の咆哮めいたエグゾーストが剣戟の音を切り裂き、我ここに在りと自らの存在を如実に知らしめている。

 対峙するギルガメッシュは、その機体のフォルムが何であるのかを知っていた。
 ZundappKS750……殺戮の戦場を電撃の速度で駆けた軍用二輪。
 現存する数多のモンスターマシンに比べればむしろ小型とさえ言える設計だが、その禍々しいフォルムと重苦しい排気音は魔性のものとしか思えない。
 これが駆けるのは公道でも競技場でもなく、競争などという遊びを目的に創られた玩具とは明らかに一線を画している。
 言うなれば、戦車や戦闘機と同じモノだ。戦争のために生み出され、その存在証明として血肉を貪る鋼の魔獣―――

「臭うな。それが貴様の宝具か、凶獣」

 その顕現と笑い声に、知らず英雄王は顔を顰め、曇りなき侮蔑の言葉を吐き捨てた。
 この世のあらゆる悪意の精髄を抽出し、その選りすぐりを大釜で煮詰めたかのような哄笑。そして鼻孔を抉り抜く、吐き気どころか骨の髄まで腐り落ちそうな血の匂い。
 最早誰にも想像できない域でおぞましく血を啜ったであろう殺戮兵器が、あの凶獣の跨るモノなのだと、英雄王はその慧眼を以て一瞬の交錯で理解せしめた。

「出させたね、これを」

 シュライバーが放つ狂性の念がその密度を増す。今までの彼が発揮していた力が常軌を逸した走力であるならば、この疾走兵器がもたらす効果もまた一目瞭然であった。
 そして今、それを形成したことにより、狂った嵐はその狂気と速度を爆発的に増大させて。

「それじゃあ再開しようか。戦争をさァ!」

 吼えるヴァナルガンドの轟音が鳴り響き、一瞬前まで彼がいた場所が抉り取られ消滅していた。シュライバーの肉体は流星と化し、その姿を消失させる。
 速い、あまりにも。疾風より、迅雷より、かつてのシュライバー自身より───三千世界の遍く総て、これほどまでに速さというものを突き詰めたモノなど存在しないだろう。
 先ほどシュライバーが放った銃弾程度、鼻歌混じりに軽く追い越す神速に、天を覆い尽くす王の財宝群ですら触れることはおろかその影を視認することすらできていない。比較対象となる先の銃弾ですら、音の数百倍という常軌を逸した速度を叩きだしていた事実を鑑みれば、この事態がどれほど異常なのかは追って知るべしというものだろう。
 爆撃めいた轟音と共に、地面がシュライバーの進行方向に併せて捲れ上がる。突き立った宝剣の数々、吹き散らされる木の葉の如く無残に砕かればら撒かれる。音の壁を超えたソニックムーブのみで巨大な爪痕を穿ち、そうした亀裂は一瞬毎にその数を増していく。
 三次元的な移動、そしてそれに付随する爆発的な衝撃波。大気どころか空間さえも砕きながら、その破壊すらも後追いにしかならない速度でシュライバーは剣の樹海と化した現象数式領域を跳ねまわっている。

 シュライバーの魔的な移動に伴って、それ自体が音速を遥か超越した突風が、ギルガメッシュたちの元へ殺到した。
 玉鋼で拵えた頑健なる古代の巨城ですら一秒とて耐えられないと思えるほどの勢いを誇る大嵐は、刀山剣樹の大森林を根こそぎ砕き崩壊せしめる。それは最早風というよりは真空の刃であり、刃が集合した「切っ先の壁」とも言うべき剣呑なるものであった。
 人間はおろかサーヴァントですら、その直撃に晒されれば紙屑のように宙を舞い、五体は瞬きをする間もなく挽肉と化すだろう。
 そんな烈風の最中にあって、しかしギルガメッシュは重ねて不動。一切の後退をすることなく、一切の躊躇をすることもなく、腕を組み仁王立ちのまま戦場を俯瞰しているのだ。
 驚嘆なりしはその周囲を囲む白銀の大盾の権能か。中心に立つギルガメッシュはその頭髪を揺らがせることも、眉根を動かすこともない。その様は、まるで彼だけがこの世の物理法則の外側に存在しているのではないかと思わせるほどに、戦場に似つかわぬ静謐さを保ち続けている。

 俯瞰する表情は静謐。しかし彼は無感に非ず。滾る情念、戦場に懸ける想いの多寡は、むしろ殺意に狂う凶獣すら上回るほどに膨大なのだ。

「抜かせよ狂犬。ならば味わうか、我が宝物庫の真髄を」

 言葉と同時、黄金放つ異相空間より、緑色に光り輝く「糸」が射出された。
 総数およそ五千八百。無尽蔵に伸び続け、放射状に広がり続けるそれはシュライバーが駆ける半径数百mを覆い隠すように殺到する。
 これこそは、かつて天神の手により滅びへ差し掛かった世界において、人類文明圏を守護せし力の「開花」。その発露にして、人を滅ぼす化身を打ち倒せし勇者の力である。
 ならば今この場において、殺戮に酔いしれる人獣を狩るに相応しきはこれを置いて他にない───!

「さあ、いざ花開き舞うがいい翠緑の勇者よ! あれを見逃せん気概は貴様とて同じであろう!」

 ギルガメッシュの持つ宝具『王律鍵バヴ=イル』と『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』とは、生前の彼が蒐集した宝物を収めた倉とその鍵であるが、しかしより厳密に言うならば収められているのは財宝ではなく「人類の智慧の原典」に他ならない。
 例え彼の死後に作られたものであろうとも、この世の全てを背負いし真実の王たる彼の所有物に変わりはなく、故にその宝物庫はその貯蔵を増し続けるのだ。
 時間軸など関係なく。世界の違いすら関係なく。
 この世の全ては彼のモノであるがために。
 人の生み出す可能性の結晶。その真髄。その全ては彼の手中にこそ握られる───!

「それがどうした劣等ォ! たかが綾取りで僕をどうにかしようってんなら百年早い!」

 だが、それでも。
 鋼糸結界の繭の中から螺旋状に飛び出し、まさしく鋼鉄の竜巻と化してシュライバーは疾駆する。
 捕えられない───十重二十重に殺到する糸の奔流、絡め取らんとする幾千条の瀑布はその全てがすり抜けられ、あるいは轢殺する破壊獣の威力によって引き千切られ、まるでその役目を果たせていない。
 いや、違う。よく見ればシュライバーの総体は糸に触れてすら(・・・・・)いない。今や魔性の速度領域に到達したシュライバーは、身に纏う爆風と衝撃波だけで群がる糸の奔流を切り刻んでいるのだ。
 その速度、最早サーヴァントに出せる限界をとうの昔に超越している。攻撃を当てることは愚か、目で捉えることすら不可能なのが現状だ。
 しかし、相手に対し有効打を与えられないというのはシュライバーの側も同じである。
 彼の有する攻撃手段とは、二挺拳銃による射撃、移動に際する爆発的な衝撃波、そして形成した聖遺物による轢撃である。しかし現状、その全てはギルガメッシュの展開する白銀盾によって無効化され、その衝撃の1%すらも彼らに届けられていない。
 それはギルガメッシュの傍に侍るイリヤが、轟音に耳を塞ぎながらも未だ健在であるという事実が何よりも物語っているだろう。単純な破壊力という一点において、シュライバーは黄金の近衛たる三騎士の中で最も脆弱な立場に位置する。
 故にこれは千日手。どちらも相手を傷つけられず、悪戯に損耗を繰り返すだけの泥臭い消耗戦。

 そうであるかのように、思われたが。

「否───」

 それでも、黄金なりし英雄王は微塵も臆することはなく。
 この状況の全ては掌の上にあるのだと言って憚らない。

 まず結論から言ってしまえば、彼が展開した糸の多重包囲網はシュライバーを捕えるためのものではなく、進行方向の誘導のために放ったものだった。
 何故ならシュライバーはこちらの攻撃全てを躱す(・・)から。直撃しても大した痛手にならないような小技であろうと、身に纏う暴風で容易く無効化できるような代物であろうとも、彼は敵に与えられた攻撃の全てを躱している。いいや、躱すことしか選択肢に存在しないのだ。
 戦略を考えるならば、躱すよりも敢えて受けたほうが有利になるような場面においても、彼は攻撃を躱し続けた。まるで飛散する汚物を避けて通らねば気が済まない潔癖症患者であるかのように。一種病的なまでに。
 考えてみれば最初からおかしな話であったのだ。シュライバーの最たる強みとはその速度であり、速度とはすなわち破壊力。軽量だろうとなんだろうと、桁外れの速さに乗せれば関係ない。シュライバーの肉弾は、それこそ外見や印象以上に剣呑であって然るべきもののはずだ。
 にも関わらず、シュライバーの主武装は拳銃だった。肉弾よりも明らかに威力が低く、そもそも弾丸より早い奴が銃器で武装して何になるという。
 ここまで戦った上で出せる答えは一つ。こいつは他者との接触を忌避している。
 攻撃の全てが躱されると最初から分かっているなら、いくらでもやりようはあるのだ。

 ギルガメッシュは異相空間を操作し、展開する多重鋼糸を旋回。ランスが如き円角錐へと変化させシュライバーを取り込んだ。否、シュライバーだけでなく自分ごと、その円角錐状の糸繭に覆いこんだのだ。
 それはまるで、ギルガメッシュへと続く直通の道のようで。
 シュライバーがそれを悟るよりも早く、英雄王はトリガーとなる言の葉を紡ぎ出した。

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 ───瞬間、世界から一切の音が消失した。

 爆轟する炎幕が眩いばかりの白光を振りまいて、シュライバーの背後から連鎖的に襲いくる熱量と爆風が追い立てるように彼の体を突き動かした。
 爆発そのものを砕かれて脱出されることはない。何故なら彼は「全ての攻撃を躱さざるを得ない」から、その不文律に従うならば、前に進むしかない。
 前へ、ギルガメッシュのいる場所へ。

 そして、待ち受ける彼は不敵に笑みを浮かべ。
 その眼前に、一際巨大な黄金光放つ異相空間を展開していた。

「さあ、来い。狂気に揺れしウェー・イラの生まれ損ないよ。
 貴様には我が財において最奥の一つを見せてやろう」

 言葉と共に、溢れる光がその光度を爆発的に増大させ。
 空間の軋みが、割れんばかりの振動さえをも伴って。

「此処に下るは実行者の裁定である!
 汝は死滅の使徒、ならば癒者を絶ちて終焉への道を為さん!
 されば我は深淵なりし権能を代行しよう、憤怒王の名の下に!」

 ───そしてこの場に、神体から流れ出る意志が一つの"超越"を具現した。

 空間を引き裂き現れたのは、黒色の巨大な腕だった。鋼鉄の、重く強固な右腕。それが現象数式領域と宝物庫とを繋ぐ空間断層から姿を現した。
 それは今までの宝具と同じプロセスであったが、しかし顕現する位相がズレていた。それが証拠に鉄の腕が奏でる金属音は深く奈落のように、何処までも何処までも落ちていく殺意と深淵の歌だった。
 今まで彼が扱ってきた宝具は、そのどれもが一級品。遍く万象において最も優れたる幻想に疑いはない。しかし、この腕に限って言えば次元が違った。
 指先を現したというそれだけで、前方の空間が文字通り砕け散った。目に見える光景すらも罅割れ、世界そのものが軋みをあげている。
 あまりの規格外に、ギルガメッシュ本人でさえ完全な形でこれを呼ぶことは叶わない。真名の解放はおろか、それが持つ本領の万分の一すらも発揮できず、本来両腕揃ってこその"腕"は右腕のみの顕現に留まるけれど。
 それでもなお、腕の持つ力は凡庸なる万の宝具を束ねたものよりも遥かに強大で。

「故にこそ、我は貴様に勅命を下す」

 その腕を、仮に人の言語で名付けるとするならば。

「王の巨腕よ、打ち砕け───!」

 ───《万象打ち砕く王の腕》

 ───鋼鉄を纏う王の右手。
 ───それは、時空間すらも打ち砕く。
 ───御伽噺の鉄の王の腕。

 シュライバーに向かって一直線に突き進む。黒きイリジア鋼を纏う巨神の右腕。
 それこそは遥かカダスの地にて眠りについた旧き支配者、その神体。人が作り上げし憑代の鋼鉄にして、大いなりし《星砕きし水の塊》が持つ影の右腕。
 世界に在らざるもの。
 現実ならぬ幻想。
 存在することを許されぬ異形であった。

 腕を構成するのは、イリジアに名高き超鋼のみではない。
 影。そう、影だ。現実には存在し得ぬ超常の存在であればこそ。
 影は立体の存在ならざる平面として───
 空間と時間の制約すらも、一切無視して。
 襲い掛かる。襲い来る!
 万象を打ち砕く。時間と空間さえ砕いて───!

 例えシュライバーが回避行動を取ろうとも、そんなものでは躱せまい。
 超高速移動───無意味。
 空間転移───無意味。
 すべて、すべて。
 意味はない。回避も防御も。
 無意味───

 時間と空間を超越して、絶対必中の咒さえも伴って。
 夜よりも尚昏い影が、白銀の騎士を砕くべく迫る。迫る。迫る───!
 迫り、ただ一撃の下に。砕きつくす概念、事象───!

 人が持つ可能性の前に、いざや斃れろ超越者(まけいぬ)よ!





さらばヴァルハラ、光輝に満ちた世界(Fahr'hin,Waihalls lenchtende Welt)





 けれど。
 その祝詞が唱えられた瞬間、激震する世界は再度の変貌を遂げはじめた。





聳え立つその城も、微塵となって砕け散るがいい(Zarfall'in Staub deine stolze Burg)





 速度という概念すら超越し迫る巨腕が、しかし何故かその間合いを詰めることができていない。
 両者の相対距離は高々二十m。王の腕ならば、それこそ正真正銘の0秒で踏破可能な距離であるはずなのに。





さらば、栄華を誇る神々の栄光(Leb'wohl,prangende Gotterpracht)





 遅々と紡がれるシュライバーの詠唱、常人ですら容易に聞き取れるほどに遅いはずのそれよりも、超速のはずの巨腕が遅いなどと一体どういうことなのか。
 まるで、"こちらがどれだけ加速しようとその上を行かれる"かのような……





神々の一族も、歓びのうちに滅ぶがいい!(End'in Wonne,du ewig Geschlecht)





 進行上の空間を硝子のように砕き割りながら。
 世界そのものを崩壊させて迫る鉄の王の腕を前に。





創造(Briah)───』 





 ヴァナルガンドが更なる変形を遂げる。
 エンジンが、ハンドルが、シュライバーに絡みついて融合し。
 砕け散る豪風の中、破滅の御名が告げられる。狂乱の白騎士ウォルフガング・シュライバー、その奥義がここに。





死世界・凶獣変生(Niflheimr Fenriswolf)





 遍く総て悉く、我が牙で轢殺の轍となるがいい───!
 創造位階───何よりも早く誰にも触れられないという、等身大の"世界"が誕生したのだった。





「はッ───!」

 その瞬間、此度の戦において幾度となく起こり続けてきた不条理が、再び形を成して現実となった。
 何者であろうとも避けられぬはずの鉄の王の腕。シュライバーより明らかに先んじていたそれを、何故かシュライバーが先を取って追い越していた。
 後が先を追い抜いた(・・・・・・・・・)。その不条理を前に、ギルガメッシュの思考が、時間軸に変調をきたしたかのような不可思議な感覚に囚われた。

 見上げた遥か上空に、虚神の腕が打ち砕いた空間が大小様々な破片となって舞い上がる。紫天は硝子のように大きく罅割れ、崩れた空の先にあるのは、宇宙空間のように先の見えぬ暗黒を湛えた外世界。
 舞い散る欠片は花々の散華を連想させて、只中にて君臨するは白騎士の矮小な体躯一つ。

 それを前に、英雄王はただ不遜な哄笑をあげて。

「なるほど得心したぞ。貴様が忌むは接触、そしてその渇望を根源とした独自法則の異界を創り上げたか!」

 ───創造と呼ばれる位階が存在する。

 これは聖遺物を扱う魔術体系「エイヴィヒカイト」における第三位階にして、根源に到達する前段階である「己が世界の創造」を可能とする術式だ。
 この位階に達した術者は、既存の常識を己が理想で粉砕することができるようになる。その結果、心の底から願う渇望をルールとする“異界”が創造される。
 無論、理想であればいくらでも構成可能であるとか、そのような利便性に富んだ代物ではない。必要となる願いは常識を度外視した「狂信」の域にあることが求められるため、一人の術者が使えるのはせいぜい一つきり。渇望の深度の変化による能力の上昇を鑑みても、類似した力があと一つ、というのが限度である。
 術者の心象に依存した固有世界の展開、という意味では固有結界にも近しい大禁呪とも形容可能か。創造にはそうした「己が世界で既存の世界を上書きする」覇道創造と、「己の中に理想世界を展開する」求道創造の二種類が存在する。
 シュライバーが保有する創造は、後者。
 「誰にも触られたくない」という狂信的な渇望が生み出したそれは、文字通り「誰にも触られない」世界へと彼自身を変貌させるのだ。

「ふ───はははははははははッ!!}

 誰にも触られないこと。最速であること。シュライバーが思うその定義とは、単純加速による光速超えなどでは断じてない。
 触れられないようにするにはただ一つ。相手より早くなればいい。
 ただそれのみを求めた。それのみを願った。過不足なく単純に、自らを犯そうとしてくる者にさえ捕まらなければそれでいい。
 だから、ここにその渇望を形としよう。
 あらゆる鎖と枷を断ち切って、天地を食らう狼となろう。
 そう、それすなわち───この世の誰よりも早く、誰からも触れられない存在(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)となることで!

 瞬間、比喩ではなく食らいつく獣と化したシュライバーは誰にも認識できない速度で以てギルガメッシュへと追い縋り、囲う四枚の白銀盾へと殺到した。

 ───轟音が、鳴り響く。

「ぐ、お……!」

 この戦闘が開始されて以来、恐らくは初めて英雄王の口から苦悶の声が漏れた。そしてそれと呼応するかのように、シュライバーの騎乗するヴァナルガンドが激突した白銀盾に、ほんの少しではあるが亀裂めいた傷が刻まれたのだ。今までどのような攻撃ですら小揺るぎもしなかった盾が、ただの一撃で砕けた。
 そして次の一瞬が経過した時には、既に百を超える亀裂が刻み込まれた。それと同じだけの攻撃が、その一瞬で叩き込まれたのだ。あまりにも速すぎて損傷の認識すら追いつかない。絶対防御の幻想たるアガートラムが、凶獣の牙に耐えきれず悲痛な叫びをあげる。

「……大したものだな。その特異性、その強制力。我が手繰る不完全な偽神の腕では太刀打ちできんのも道理よ」

 絶対必中の咒式がかけられた鉄の王の腕と、絶対回避の強制力を持つシュライバーの創造。矛盾の故事成語めいたこの二つの激突が起こればどうなるか、答えは一目瞭然であった。
 単純に、質量の桁が多いほうが勝つ(・・・・・・・・・・・・・・・・)。いわばレベル、両者の持つ力量差こそが矛盾構造を打ち砕くのだ。
 ギルガメッシュは数多の宝具を持つが、彼はあくまで所有者であり使い手ではない。真名の解放は行えず、平時における性能も本来の使い手に握られた場合とは比較にならない。
 まして聖杯戦争においては限定的な顕現ですらキャパシティオーバーとなる神体の腕である。先の一撃は、本来発揮されるべき実力の万分の一にすら届いてはいないだろう。
 ならばこの場において、どちらの強制力がより強いかなどは論ずるまでもなく。
 極めて順当に、腕の一撃をシュライバーが回避せしめたという結果に終わったのだ。

「だが、同時に底も見えたか。"平凡"すぎて欠伸が出るぞ、駄犬」

 だが、それと同時に。
 創造とは術者の渇望を曝け出すものであるが故に、自ずと見えてくるものもあった。

「愛されるがために生き足掻き、しかして真実より目を背けたか。醜悪だな、だが珍しい話でもない。
 逃避者が英雄面をするとは、嗤わせる」
「……何を訳の分からないことを言ってるんだい?」

 中空にて視線を交差させたシュライバーは、淡々と告げるギルガメッシュに、心底から理解できないという侮蔑の言葉を吐き捨てた。

「逃げた? この僕が? 馬鹿を言っちゃいけないなぁ。逃げたんじゃない、誰もついてこれなかっただけだ。だから僕の後ろには、轢殺された轍しかない」
「痴れ者が。そのザマを指して逃避者であると、そのようなことすら分からぬか。ならば」

 暴風が如き連撃に晒され、今にも砕けそうな白銀盾アガートラム。その最中にあって、ギルガメッシュは今再び、王律鍵バヴ=イルを振るう。
 その両眼に宿るは尽きぬ恒星にも似た激情だ。それは憤怒にも似て、しかし我を忘れる短慮とは程遠く、それをあえて形容するならば。

「死の淵より口にて嘆け!
 己の存在というその矛盾を噛みしめろ!
 そして思い知るがいい───貴様の生誕そのものが、凡庸の二字に堕するということを!」

 ───それは、王者のみが持つことを許された、覇気と称せるのだろう。

 言葉が放たれ、悲痛な軋みをあげるアガートラムが遂にその総身を真っ二つに断裂されたと同時、ギルガメッシュが繰り出したのは"声"だった。
 言うまでもなく、ギルガメッシュ自身のものでも、イリヤのものでもない。それは戦場に響き渡るにはあまりにも無垢で、しかし何よりもおぞましい"破壊"に満ちた声だった。

 ───《赫炎穿つ命の声》

 ギルガメッシュを中心に彼ら主従を除く全方位、半径500mに"それ"は隙なく展開された。
 それは音にして振動であった。大気の震えであると同時に、形容すらできない遥か高次に位置する粒子の波だった。
 それは、"咆哮"だった。

 周囲の空間が軋んでいく。
 周囲の物体が崩壊していく。
 無垢なる声が響いた空間、その全てが崩れていく。地面は一様に細かな粒子となって散り行き、回収しきれず突き立ったままの無数の宝剣すらも例外ではない。
 閉ざすのではない。破壊しているのだ。
 《赫炎穿つ命の声》。それは万能なる者が数億の日々の果てに生み出した機械仕掛けの偽神、その内部に搭載された機能の一つ。あらゆる分子間結合を崩壊させる超振動。
 すなわち、人類がいずれ辿りつく機関文明の果てであった。

 その声が轟いた瞬間、シュライバーの肉体は一瞬にして命の声の効果範囲外にまで退避していた。コマ割りの最初と最後だけを繋ぎ合わせたかのようなタイムラグのない転移であったが、しかしこれは転移ではない。展開される命の声すら超越した速度による、純然たる移動の結果だ。
 唸りをあげる二挺の拳銃が、振動結界の周囲を旋回しながら幾千幾万と降り注ぐ。しかしその全ては結界の端に触れただけでその姿を消失させ、ギルガメッシュたちに届かせることは不可能であった。
 魔術的な必中が効かぬなら、物理的な必中を食らわせるまで。
 ギルガメッシュが取ったのは、そんな子供でも分かる単純明快な論法である。少なくともシュライバーがギルガメッシュに攻撃するには、この命の声が展開された空間を渡る他はなく、故に千日手を嫌うならば当たりに行くしか道のない、攻防一体の攻撃であった。
 そんな荒唐無稽な術式を可能とするギルガメッシュも凄まじいが、尋常なる勝負をこそ望む彼にそこまでさせるシュライバーもまた凄まじい。神代の絶滅戦争すら幻視しかねない規模と密度を誇るこの戦いは、まさしく現代に蘇った人類神話と呼称しても過言ではなかった。

 ならばこの均衡はどちらへと傾くのか。
 あらゆる攻撃が届かず、故に誰にも冒されないシュライバーであるのか。
 あらゆる智慧の結晶を持ち、故に求道の凶世界にすら手を届かせんとするギルガメッシュであるのか。
 ここに展開されるは互いに互いを害せない千日手。どちらかの魔力が尽きるまで消耗を繰り返す泥仕合であるのか、それともどちらかが起死回生の一手を打ち出すのか。
 その勝負の行方は、しかし。


「───ぁ……」


 そんな、誰にも聞き届けられないほどにか細い少女の声が、決定づけた。

 今まで必死に防護の魔術をかけ、辛うじて立ち続けていたイリヤが、ついにその身を崩れさせて。

「ふむ、ここが限界か」

 それでも、聞き届けた者が一人。
 膝から崩れ落ちるイリヤの体を、ギルガメッシュは片腕で受け止めた。

 イリヤの顔は、蒼白だった。
 完全に血の気が引いて、ただでさえ白かった肌は今や死人のよう。浮かんだ汗で前髪が額に張り付き、言葉もなく荒い息を吐き続ける。
 魔力の欠乏というわけではなかった。それは単純に、肉体的なダメージだった。
 吹き散らされる魔力嵐、魔性を含む音撃、そしてアガートラムですら砕け散るほどの衝撃波。それらに立て続けに晒された結果が、この有り様であった。

「儚き造花も考え物よな。しかし、それでも尚狼狽えぬ胆力は良し。それでこそ我がマスターよ」

 腕の中に眠るイリヤを見下ろすギルガメッシュの視線は、衰えぬ絶大の覇風に満ちて、己が主を慮る奉仕の心など微塵も存在しないままであったが。
 同時に、平時の彼を見る者には信じられないほどに穏やかなものでもあった。

「悪名高き狼よ。人界に仇為す不遜の獣よ。その根源こそ凡庸なれど、貴様が強者であるのも事実。ゆえ、今暫し戯れるのも一興ではあるが」

 ギルガメッシュは中空より一振りの剣を取り出した。それはまるで鍵のような形をして、しかし宝物庫の扉を開ける王律鍵ではなく。
 なぞるように唐竹割りに斬りつける。ただそれだけで、空間に一筋の線が走り、等身大の空間孔と化した。その先に見えるのは、元の穏やかな杉木立の風景。
 異界を切断し扉を創る、それは世界開錠のための鍵剣であった。

「しかし最早、貴様に付き合う義理も果てた。些か過分ではあるが、手向けとして貴様には"世界"をくれてやる」

 その腕にはイリヤの痩身を掻き抱き、ギルガメッシュは身を投げるように軽く後ろへと跳躍。空間に開いた孔より"外"へと脱出して。

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 "異界"を造り出せし宝具そのものを対象として、そこに込められた幻想全ての破壊を命令し。

 ───世界が弾けた。





   ▼  ▼  ▼





「下らん閉幕だ。まさか我の財を二つもくれてやることになろうとはな」

 涼やかに風が吹く衣張山の山景を背後に、英雄王は心底興が醒めたと言わんばかりの口調で言い放った。
 その手にはイリヤの体が抱えられ、服装は元の現代風の仕立てに戻っている。つい先ほどまで命を賭けた大戦争をしていたなどと露とも漏らさず、至って平時の態度のまま彼は鎌倉へと続く道を降りていた。

 壊れた幻想、ブロークン・ファンタズムは通常の英霊にとっては敗北以上の屈辱と成り得る。それは数えきれない財を持つギルガメッシュと言えども例外ではなく、破棄したのが取るに足らない木っ端の武装であろうともその内心は憤懣やるかたなしといった風情だ。
 より厳密に言えば、彼が抱く不満とは、半身となる宝具を失ったことへの悔恨や屈辱というよりは、たかが半獣に手を焼いたという事実に対して向けられたものであったが。

「我が最強たる事実に変わりはない。ないが、しかし……盲点ではあったな。サーヴァントというのは要らぬ制約に塗れている。なんとも窮屈なものよな」

 言って見下ろすのはイリヤの顔だ。今は容態も落ち着いてきているのか、先ほどよりは穏やかな表情をして意識を失っている。
 イリヤはマスターとしては破格に過ぎる存在であるが、しかしその身はあまりにも脆弱だった。それはギルガメッシュとて理解していたつもりではあったが、無意識のうちにかつて己が治めたウルクの民を判断基準としていた節があったらしく、シュライバーとの激闘に際して無自覚のうちに酷使を強いてしまった。
 そのことに対し罪悪感を感じることはないが、しかし他ならぬ己自身が見積もりを見誤った結果であるからして、責任の所在が己にあることを彼は誤魔化すつもりはなかった。
 故に、彼は退いたのだ。これが単にイリヤの怠慢や力不足の結果ならば、例え彼女が死そうとも構いはしなかったが、自らの不足によるものならば話は別である。
 彼は冷酷ではあれど残忍ではない。そして市井の道理も十分弁えている。

「面倒なものだが、仕方あるまい。万能に過ぎる我が身を思えば、鎖に繋がれる経験も一興ではあろうよ。そして」

 言って、彼は彼方を見遣る。それはかの地に遺したシュライバーでも、あるいは大規模な破壊が為された市街地でもなく。
 遥か洋上、相模湾沖に浮かぶ黒き鋼鉄の戦艦。

「遂に動き出したか、始まりにして最強の■■よ。開戦の号砲を上げ、貴様は坐して待つのみか。ならば───」

 英雄王は睥睨して哂う。何故ならば、それは彼を含めたすべての英霊に対する挑戦状であったから。
 彼は王である。王であるが故に、戦う機会も命を賭ける場面も数えきれないほどに経験してきた。しかしそれは、王として"挑まれる"側であるのがほとんどであった。
 挑むことなど、本当に久方ぶりのことだったのだ。故に戦意が駆り立てられる。戦士としての矜持が臨界に達し今にも弾けそうだ。

「待っているがいい、王なき城にて君臨する支配者よ。貴様の挑戦、この我が受けて立とう」

 纏う王者の覇風は揺るぐことも減ずることもなく。英雄王ギルガメッシュは新しい戦場を俯瞰して立ち去るのだった。



【C-4/衣張山麓/一日目・午後】

【イリヤスフィール・フォン・アインツベルン@Fate/stay night】
[令呪]二画、魔力消費(中)、疲労(大)、意識朦朧
[状態]健康、盲目
[装備]
[道具]
[所持金]黄金律により纏まった金額を所持
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を手にし、失った未来(さき)を取り戻す。
1:ある程度はアーチャーの好きにやらせる。
[備考]
両目に刻まれた傷により視力を失っています。肉体ではなく心的な問題が根強いため、治癒魔術の類を用いても現状での治療は難しいです。

【ギルガメッシュ@Fate/Prototype】
[状態]健康
[装備]
[道具]現代風の装い
[所持金]黄金律により纏まった金額を所持
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を勝ち抜き、自分こそが最強の英霊であることを示す。
0:?????
1:自らが戦うに値する英霊を探す。
2:時が来たならば戦艦の主へと決闘を挑む。
3:人ならぬ獣に興味はないが、再び見えることがあれば王の責務として討伐する。
[備考]
叢、乱藤四郎がマスターであると認識しました。
如月の姿を捕捉しました。
バーサーカー(ウォルフガング・シュライバー)を確認しました。





   ▼  ▼  ▼





「あーあ、つまんないなぁ」

 衣張山の山頂、その場所でも一際高い樹の頂点に座り込み。
 ウォルフガング・シュライバーは見た目通りの子供であるかのように、幼稚な仕草で抱える不満を表しているのだった。
 ぶらぶらと足を揺らし、不貞腐れて顎に手を着く姿には、驚くべきことに一切の傷はおろか爆炎の痕跡すら付着していなかった。異界という決して逃げられぬ世界そのものの自壊を受け、されど一筋の疵をも受けぬ様は一体何であるというのか。

 これこそ死なずの英雄が持つ絶対的な固有法則。「何物にも触れられない」という独自法則によって編まれた等身大の異界たる彼を討つというならば、それこそ因果を逆転させ得る領域の業が必須となるだろう。

「いいとこまで行ってたのに、いきなり逃げるだなんて酷いじゃないか。全く、こっちは欲求不満だっていうのにさ」

 その顔は稚気に満ちて、およそ英霊にも殺人者にも見えないけれど。その内に渦巻くのは混沌の様相を呈した狂気に他ならない。
 何故なら彼はバーサーカー。一切の狂化もなしに、しかし狂戦士として呼ばれるほどの精神異常者であるために。

 風が吹いた───その一瞬で、彼は瞬く暇もなくその場から消失した。
 文字通り、掻き消えるように。一切の残像も痕跡もなく、彼の存在は消え去ったのだ。
 彼が何処に赴くのか、彼が誰をその牙にかけようとするのか。
 それは他ならぬ彼自身であっても窺い知れぬ事象であった。


【C-4/衣張山/一日目・午後】

【バーサーカー(ウォルフガング・シュライバー)@Dies irae】
[状態]魔力消費(中)
[装備]ルガーP08@Dies irae、モーゼルC96@Dies irae
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:皆殺し。
1:サーヴァントを捜す。遭遇次第殺し合おうじゃないか。
2:ザミエル、マキナと相見える時が来たならば、存分に殺し合う。
[備考]
みなと、ライダー(マキナ)を把握しました。ザミエルがこの地にいると確信しました。
イリヤ、ギルガメッシュの主従を把握。



前の話 次の話
031:世界で一番近い君 投下順 033:白紙の中に
時系列順

BACK 登場キャラ NEXT
023:嘘つき勇者と壊れた■■ イリヤスフィール・フォン・アインツベルン 048:星に願いを
アーチャー(ギルガメッシュ)
026:獣たちの哭く頃に バーサーカー(ウォルフガング・シュライバー) 040:微笑みの爆弾

|