晴天に上がった太陽が徐々に沈み始めていた。
 質素な外観ながらも快適な座り心地の高級椅子に軽く腰掛け、険しい顔に色濃い疲労を浮かび上がらせる男は窓越しにそれを確認する。次いで壁にかけられた時計を見やれば、時刻は午後三時丁度。もうじき昼が終わり、夕刻へと差し掛かろうという時間だ。
 人通りの多い時間帯である。いつもならば、通りを行き交う人々の穏やかな賑わいの音が聞こえてくることだろう。しかしこの日に限っては、その喧騒は些か趣を異としていた。
 浅野はおもむろに窓へ歩み寄り、ブラインドを指で開け階下を見下ろす。そこには、列を連ねる多くの人々が渦巻きのように、この鎌倉市庁舎を取り巻いていた。そこでは常ではあり得ないと思えるような怒号であるとか、あるいは焦燥や憤懣といった表情を湛えた人々による様々な声がざわめきとなってここら一帯を埋め尽くしているのだった。未だ途切れぬ人の流れは、けれど数刻前よりは大分落ち着いてきているのだ。災害から逃げてきた者は最寄りの避難所へと誘導し、事件の詳細を確かめに来た者については市役所側で現時点での発表を行ったことで数が緩和された。現在ここに残っているのは、未だ確認が取れていない親族知人の安否を確かめようと待っている者か、意訳すれば詳細不明という結論となる公的発表に納得できない者、そうした者らに埋もれて非難誘導が終わっていない非難民がほとんどである。
 そんな群衆を見下ろし、浅野は微かに顔を顰めた。喧騒とは言いかえれば街の活気であるが、これは明らかにそうしたものとは違っている。いわば不健全な喧騒だ。今更義憤を抱く感性など残していないつもりではあるが、単純に不快である。喧騒が、ではなく、それをもたらす鎌倉の現状が、であるが。
 鎌倉の街には、人智を超えた災害によって言い知れない混沌がもたらされていた。頻発する怪事件と厄災は、鎌倉市行政の最高権限を持つ彼のデスクに大量の紙束をうず高く積みあげるに至っていた。
 材木座海岸や鎌倉駅東口方面市街地での大量破壊事故、相模湾沖の正体不明の戦艦による攻撃行為、残忍極まる殺人事件の横行、市民はおろか職員にすら目撃例が報告される異形の屍食鬼の噂、にわかに活性化する指定暴力団の一群。そしてそんな大量の事件と噂の中にあって暗躍する、明らかに人ではない者たちによる闘争の跡。
 最早隠蔽はおろか、事態の収拾さえ可能かすら怪しいほどの危機的状況だった。

「だが、解せないな」

 しかしだからこそ、彼には拭いきれない疑惑が存在した。

 まず大前提として、浅野がいるこの鎌倉はれっきとした現実世界である。
 これは異世界が如何ということではない。文字通り、仮想現実や電脳世界の類ではないということだ。
 浅野がこの鎌倉に招かれた当初、彼の前に現れた『言峰綺礼』を名乗る男は、自らを聖杯戦争の監督役であると称した。問題なのは、彼がこの聖杯戦争に際して構築された仮想の人格であったということだ。この時点で、浅野は聖杯戦争とその成り立ちについていくつかの疑念を抱くに至った。
 御伽噺でしか聞き及ばない「魔術」であるならば、そうした存在を創り上げることもできる「かもしれない」。所詮浅野は外様の一般人、魔術のことなど何も知らず、だからそうした非常識な事柄も「魔術ならば」と受け入れるしかない。しかし、浅野はそうした楽観や思い込みというものを抱かなかった。むしろ、言峰綺礼という存在を通して疑いをこそ持ったのだ。
 故に浅野は、まず最初にこの鎌倉が仮想現実の類ではないかという当たりをつけた。仮想的な人格、すなわちAI。そこから連想されるものとしては、至って順当なものだろう。本物と見分けのつかない高度な仮想現実世界という発想は魔術と同程度には荒唐無稽な代物であったが、しかし浅野は月を破壊したという超生物とそれを取り巻く一連の騒動を通じて、政府機関の技術力の高さを知っている。幸いなことに浅野に宛がわれたサーヴァントは電子戦を本領とする死線のバーサーカー、この手の調査にはうってつけの従僕であった。
 結論から言えば、その疑念は全くの杞憂でしかなかった。聖杯戦争の舞台となる鎌倉市は立派な現実世界であり、少なくとも電脳に類するものではないということが分かった。
 そして、だからこそ次の疑念が浮かぶ。ここが現実世界であるならば、やはり不可解な点がいくつも存在するのだ。
 バーサーカーの戸籍改竄により市長職へと就き、鎌倉市内の情勢を把握できる立場にある浅野は、今日一日で発生した事態を受けて災害派遣を名目に自衛隊の投入を"上"が決定するだろうと予測していた。
 それだけの規模の破壊が、今日一日だけで鎌倉市内に発生したのだ。極めて局所的な、一市町村という狭い範囲でしかないが、そうした広さを度外視すれば受けた被害は未だ記憶に新しい大震災のそれにも匹敵するだろう。端的に言って、都市機能の存続も危ぶまれる事態であるし、そもそも「正体不明の戦艦」などというものが大々的に鎮座しているのだから、自衛隊が出張るのは当たり前だ。場合によっては在日米軍に協力を仰ぐ可能性とてあるだろう。
 しかし上からも外からも、鎌倉への干渉は皆無であった。浅野から働きかけても、上からの返事は曖昧なものでしかなかった。ばかりか、このような状況であるにも関わらず市民の市外への流出の動きすらないに等しい。
 この聖杯戦争を国が主導しているのだ、という推測は即座に切り捨てた。何故なら自分たちのような異邦人を使う意味がないからだ。国が主導するならば、それこそ国が選んだ人員だけで行えばそれでいい。
 それもこれも魔術によって都合よく収まっているのだ、という結論も切り捨てた。魔術という「よく分からない凄いもの」ならば何とでもなる、などというのは思考停止でしかない。結果が存在する以上、それに伴う手段と動機が必ずあるはずなのだ。

 このことから、浅野が確信した事実は一つ。

「やはりと言うべきか。この聖杯戦争には裏がある」

 そして恐らく、いやほぼ間違いなく、それは言峰綺礼を生み出した者と繋がっている。
 言峰綺礼は自身を監督役と言った。そして自身を造られた存在であるとも。それはつまり、言峰綺礼を含めた「聖杯戦争」の舞台そのものを創り上げた者が他にいるということの証左である。
 その存在―――仮称「黒幕」の目的が何であるのか、未だ推測の域を出ない。完成した願望器の掠めとりというのがまず思い浮かぶが、それとて確信に至るほどではない。
 黒幕が何を思い、何をしようとしているのか。鎌倉などという聖杯伝説とは関わりのない一地方都市を舞台に、わざわざ異世界から参加者をかき集め、それだけのことをするほどの価値が果たしてここに存在するのか。

「どちらにせよ、私には関係のないことだ」

 そうした思索の一切を───しかし浅野は「下らない」と投げ捨てた。
 何故なら浅野學峯とは勝利し続けなければならないのだから。
 例え黒幕の思惑が何であろうと、その正体が誰であろうと関係なく、彼はその全てに勝たねばならない。彼にとって勝利とは、生きることそのものであるために。
 それら思索はあくまで勝利への道筋を作るために必要だから行っただけで、思惑や正体如何によって何かを思うということはないのだ。
 だから"関係ない"。どのような存在がどのような論理で待ち構えていようと、自分はそれに勝つだけである。
 故に。

「ところで、いつまでそこに座っているつもりかな。さあ、こちらに入ってくるといい。あまり物はないが歓迎しよう」
「いや、俺はここでいい」

 背中越しにかけた言葉は微塵の揺れもなく、自負と自信と余裕に満ちたものであった。
 デスクに手をかけ静かに目を伏せる浅野の後ろ、陽射しの差し込む窓際には、豪奢な飾り付けをした偉丈夫が、不敵な笑みと共に鎮座しているのだった。





   ▼  ▼  ▼





「聖杯って、なんなんでしょうか」
「はあ?」

 唐突な疑問符だった。
 現在、アイとセイバーの二人は鎌倉の市街地を離れ北上していた。奇妙な熱気に包まれているような気配こそ漂えど、通りを歩く人の姿自体は極めて少ないという、妙に静かな道のりを往く中、アイの疑問が言葉となったのだ。

「いえ、ふと気になったんですよ。私はここに来てから聖杯戦争の知識を無理やり叩き込まれたわけですが、聖杯については願いが叶うくらいのふわふわした知識しかなかったわけで」

 よっ、と一声。ようやく痛みの引いてきた足で歩きながらアイは言う。

「聖杯が実際どういうものなのか、なんで願いが叶うのかっていうのが分からなかったんです。私は当然聖杯なんて使うつもりありませんけど、そういうのも一応知っておかなきゃと思いまして」
「そういうことか」

 セイバーは一応納得したように、一つ頷き。

「簡単に言っちまうと、大量の魔力だな」
「……え、それだけですか?」
「より厳密に言えば何にでもなれる大量の魔力だ」
「えぇー……」

 訝しげ、というよりは困惑の表情でアイは声をあげた。セイバーも自分の回答があんまりにもあんまりなのを自覚しているのか、やや面倒そうにしながらも話を続ける。

「順を追って話していくとだ。人が何かをするには、時間とか手間とか金とかが必要だってのは分かるよな」
「ええ、まあ。それくらいは」
「聖杯の魔力はそういう、願望成就に必要なもの……つまりリソースを肩代わりするわけだ。
 時間が必要なら時間の代わりに、何か素材が必要ならその素材の代わりに。とにかく足らないものを魔力で埋めて無理やり願いを叶える。まあそういうもんだな」

 うーん、とアイが唸る。

「……なんだか、思ってたのとはちょっと違いますね。私は例えば、世界中のみんなが幸せになれますようにって願ったらポンってみんな幸せになれるみたいな、そういうものを想像してました」

 言うなれば、一切の理屈も過程もすっ飛ばして、結果だけがもたらされるような。アイが思っていた聖杯とはそういうものだったのだが、どうやら違うらしい。

「でもお話を聞いてると、なんだかお粗末なものに思えてきました。それってつまり、お金や時間や手間暇をかければ聖杯じゃなくても叶えられることしか、聖杯は実現できないってことじゃないですか」

 アイが驚きだったのはそこだった。万能の願望器、などと聞こえだけはいいくせに実際はどうだ。人の及ぶところまでしか手が届かないというのなら、そんなの全然万能でもなんでもない。
 かつてアイの世界を見捨てた、あの神さまのような力ではなかったのだ。

「そりゃ、魔術ってそういうもんだからな。魔術は基本等価交換、他でも出来ることを魔力で起こしてるだけであって、不可能を可能にしてるわけじゃない。
 聖杯はそんな魔術を、規模だけ大きくしたってだけだ」

 セイバーの言い方は乱暴ではあったが、本質的には決して的を外してはいなかった。
 端的に言ってしまえば、聖杯は人類に達成不可能なことはできないのである。万能と呼べるだけの汎用性こそあれど、決して全能ではない。

 セイバーの説明を頭の中で咀嚼し理解してか、アイは納得したような面持ちでうんうんと頷いていた。

「なるほど、分かりました。ありがとうございますセイバーさん」
「ああ。
 ……ところで、この手はなんだ?」

 前を歩くセイバーは、訝しげな言葉をアイに投げかけた。若干面倒臭そうに振り向いた彼の前に、元気いっぱいなアイの手が、握手を待ちわびているかのように伸ばされているのだった。

「なにって、握手ですよ握手!」
「だから、なんで?」
「改めてこれから頑張りましょうってことです!」
「いや、意味分かんねえんだけど」

 疑問が氷解したようにすっきりとした笑みを浮かべるアイとは対照的に、セイバーは文字通り意味が分からないといった具合に困惑のまなざしを向けている。それに対しアイは、やはり元気よく、胸につっかえていたものが晴れたような笑みで言った。

「実は私、今までちょっとだけ悩んでたんです。何でも願いが叶う聖杯なんてとびっきりのチャンスがあるのに、みすみすそれを見逃していいのかって。
 もしも、仮に、万が一に、私が世界を救えなかったとして。でも聖杯を使えば世界が救えるとしたらって。ほんのちょっぴり、心のどこかで思ってたんです」
「……」

 滔々と話されるのはアイのささやかな、けれど決して無視できない苦悩であった。セイバーはそれを、黙って聞いていた。

「でもセイバーさんの言葉で、やっと分かったんです。仮に世界の救済が人では不可能だとしたら、それを叶えられない聖杯は必要ありません。そして……
 人が世界を救えるんだとしたら、やっぱり聖杯なんて必要ないんですよ」

 満面の笑顔だった。アイは、一片の曇りも迷いもなくそれを口に出していた。

「私は多分、この聖杯戦争で自分の目指す場所が何であるのかを、ようやく理解できたんです。うじうじ悩んでた今までの私とはさよならです。
 そういうわけで、私達聖杯要らない同盟の新たな一歩を祝してもう一回を握手をですね!」
「……お前な」
「? なんですか、セイバーさん」
「……いや、なんでもない」

 絞り出すように呟いて、蓮はアイの手を掴むことなく前に向き直って歩き出した。
 ちょっとセイバーさん! という憮然とした声に振り向くことなく、その目元を影にしたまま、セイバーは無意識に歩を早める。彼の心は、アイに対する言いようのない感情で埋め尽くされていた。


 アイの聖杯否定の言葉は、言いかえればこういうことだ。例え可能性が限りなく0に近かろうと、否、完全に0であろうと、自分はその道を外れるつもりはないということ。
 例え報われることがないとしても。例え果てに待つのが絶望だけだとしても。
 自らの生き方を違えるつもりはないのだという狂気でしかない"夢"を、普通の人間なら投げ出すのが当然でしかない受難の人生を。
 年相応の少女のような満面の笑顔で、アイは受け入れているのだ。

 ……アイが、諦観の欠落した無機的な笑みを浮かべているということが、蓮にはどうしても我慢がならなかった。

 ………。

 ……。

 …。

 ――――――――――――。








「ところで」
「なんだ」
「あの人たちはいつまで付いてくるんでしょうか」

 アイの言葉とほぼ同時に、ぞろぞろと現れたのは数人の男たちだった。皆一様に黒服を纏い、人相を誤魔化すサングラスをかけ、不自然に懐を盛り上げた、明らかに堅気ではない雰囲気の男たちであった。
 見計らったかのようなタイミングだった。周りは人の気配がない薄暗い裏路地で、道幅の狭い通路は逃げ道の確保すら難しい。アイと蓮がここに入るのを狙っていたのは確実であった。

「こいつらが……?」
「例の……」
「若が言っていた……」

「? いったいなんなんでしょう」
「……面倒だな」

 男達は確認するかのように、小声で何かを話している。それを前に、アイは事情のよく分かっていない顔で首を傾げた。セイバーは呆れたような疲れたような様子で嘆息するばかりである。
 風の噂には聞いたことがあった。それはこの鎌倉でにわかに勢力を増しつつあるヤクザ者の噂だった。縄張り争いや他の組との抗争ではなく、何故か一般市民を無差別に殺しているのだというそれは、疑いようもなく聖杯戦争に参加するマスターの炙りだしである。

 やがて男達は話が纏まったようで、代表の一人が一歩前に出て、言った。

「若のご命令だ。嬢ちゃん」

 彼の右手は懐へと入れられて。

「ここで死ね」

 抜き放たれた黒い光沢を持つ拳銃が、轟音と共に火を噴いたのだった。





   ▼  ▼  ▼





「単刀直入に言おうか。俺と手を組もうぜ『新市長』さんよ」

 窓際の縁に腰を下ろし、不遜に足を投げ出した姿勢のまま、余裕の笑みを絶やすことなくその男───ドンキホーテ・ドフラミンゴは大上段から浅野に提案した。それを見つめる浅野の表情は小揺るぎもしない。
 浅野としては、元より自身がマスターであることの隠匿などできないと踏んでいた。聖杯戦争開始に合わせたかのような市長交代、そして就任早々から浮浪者排除の強硬政策。例え半信半疑であろうとも、市庁舎に忍ばせたバーサーカーの魔力を感知すれば大抵のサーヴァントは浅野がマスターであることを看破できるだろう。
 だから目の前の男───視界にはライダーと表記されている───が来たこと自体は驚くに値しなかった。むしろ浅野としては、予選期間中に他のサーヴァントと遭遇しなかったことのほうが驚きであったくらいだ。
 そして他の陣営が自分に接触して来るとすれば、襲撃ではなく同盟等の提案になる確率が高いであろうことも織り込み済みだ。身分の保証されないこの鎌倉においてそれでも市長という公的立場を得たことを鑑みれば、無為に争うよりもその恩恵にあずかったほうがいいと判断するのは極一般的である。無論、そうならない可能性を考慮して浅野なりの対策もしているが、どうやらライダーはある程度は常識があるらしい。
 故に問題は、ここからどう出るかということだが。

「おォっと、勘違いされちゃ困るが、俺は別にお前らの立場にただ乗りしようってわけじゃねェ。それなりに旨みのある話を持ってきたつもりだぜ?」
「随分と自信があるようだね。"元村組の若旦那"」
「ほォ……」

 引っ掛かった。
 趣を変えたドフラミンゴの声と態度に、浅野は知らず一心地をついた。この局面で最悪の展開は、ドフラミンゴが浅野への興味を無くすことである。
 この場で攻撃されるならまだいい。後ろ手に隠した令呪を切ることになるが、死線の寝室での屈服だろうが破壊担当のバーサーカーによる戦闘だろうが取れる手段はいくらでもある。しかし、こちらを敵ないし排除すべき障害と認識された上で逃げ帰られてはどうなるか。そしてそれを防げなかった場合どうなるか。こちらと同等の組織力を敵に回すのは、通常の主従を敵に回すのとは比較にならない困難となって浅野の前に立ちふさがるだろう。
 まずはそれを避ける必要があった。そして、交渉事において主導権の有無は重要である。少なくとも、相手の気勢に呑まれればその時点で終わりだ。

「流石は流石の新市長サマってところか。結構な情報通じゃあねェか」
「何処の英霊かは存じないが、あまりこの国の警察組織を侮らないほうがいい。君の"部下"は幾人かこちらで身柄を預かっている」

 元村組の組長が殺害され、しかし組員の活動が活発となった事実は、当然ながら鎌倉の警察組織は既に認知している。多くの人員を動かすだけでも相当な波紋が広がるが、彼らが行っているのは市民や"浮浪者"の無差別な殺害である。いくら隠蔽工作を施したところで、市井はともかく警察の目をごまかすことは不可能に近い。
 そして浅野は市長に就任した時点で警察上層部に「働きかけて」いる。警察内部で判明した情報は、ほぼ全てが浅野の元まで直通で送られるという寸法だ。故に浅野は、元村組を襲撃したのが出自不明の怪人物であることも承知している。
 予選期間内において彼らが複数の隠れ潜む主従を発見し殲滅できたのには、バーサーカーによる監視網以外にもこうした理由が存在した。

「フッフッフ、そう殺気立つなよ。俺としちゃァあんな木っ端がどうなろうが知ったことじゃねェし、別にそいつらのことで物申したいわけでもねェ。
 さっきも言ったろ、俺は話し合いに来たんだってな」
「手を組む、つまりは同盟締結の交渉というわけか。君らの動向を見るに、まさか戦争否定派ということはないだろうが」
「フフ、あんまり急くんじゃねェよ。お互い初対面なんだしよ、まずは自己紹介と洒落込もうぜ。
 俺はライダー。お前も知っての通り、あのシケた組の頭をやってる。狙いは勿論聖杯だ」

 なるほど、と浅野は一人得心する。そして一切の素振りを見せないまま、表向きは穏やかに話を進めた。

「次は私の番か。とはいえ君がこうして此処にいる以上、わざわざ名乗る必要があるとも思えないが、礼儀として言っておこう。
 私の名は浅野學峯、未熟な身ではあるがこの鎌倉市の市長を任されている。最終的な狙いは君と同じ、聖杯だ」

 白々しいやり取りだ。自己紹介などせずとも、両者は既に互いのことを調べ尽くしている。

「共に聖杯を狙うというなら、いつまでも手を取り合うという選択肢は存在しない。そして私も君も、このように積極的な姿勢を示している以上、そんなことは最初から予想できていたこともである。
 その上で同盟を結びたいということなら、具体的に『この陣営を倒すまで協力したい』という目的はあるのかな? 尤も、そうなると真っ先に挙がる陣営はいくつかあるが」
「あァ、そこんとこは別にいい。悪目立ちするような馬鹿が単騎だったら考えたが、いくらなんでも多すぎだからな。派手に暴れて勝手に潰し合ってくれるだろうよ」

 いっそ討伐令でも出されたら楽なんだがな、というライダーの言葉に、浅野は半分同意すると同時に、果たして討伐令など出されることがあるのだろうかと思考する。
 本戦の開始以降、つまり今日の午前零時以降であるが、監督役であるはずの言峰綺礼は一切その姿を露わにしていない。予選期間であったならば教会を拠点に様々な案内をしていたはずだが、様子見に送った市役所員からは彼が姿を消しているという情報が入ったのだ。
 高見の見物に移行したと考えるには不自然であった。監督役を名乗るのであれば参加者との接触手段は用意しておかねばならないはずだし、そもそもこの舞台の仕掛け人は高見の見物がしたいからこそ疑似人格などという代物を監督役に宛がったはずなのだ。それを、本戦といういわば本番が始まったというのに引き下げるというのはおかしな話である。
 故に浅野は、監督役及びその裏に存在する何者かは、直接的に聖杯戦争に関わることはまずないだろうと推測していた。討伐令の発布さえないと断言はできないが、干渉は極力抑えられるだろうとは確信できる。

「で、だ。監督役直々の討伐令がない以上、こいつを殺すまで肩を並べて仲良くやろうやってのは"無い"わけだ。もしもそいつらと戦うことがあれば、そんな状況に陥ったテメエの不明を呪えってな。
 俺がお前に提案するのはな、情報の共有だ」
「単なる情報交換、というわけではないのだろうね。共有による対策の迅速化が目的というところか」
「よォく分かってるじゃねェか、新市長さんよ」

 情報というものは、時と場合によっては如何なる資産如何なる戦力よりも有用になることもあれば、そこらの塵屑よりも無価値なものに堕することもある。
 その明暗を分ける要素とは、すなわち速さだ。
 情報とは、それが適用される事態が本格化する前に手に入れるからこそ有用なのだ。それを過ぎてしまえば後手の状態となり、当該情報は当然の如く無価値となる。故に、情報の取得は早ければ早いほどいい。
 双方向による情報の伝達は取得を早め、結果として事態への対処を早めることに繋がる。片側にだけ情報が偏る心配も、互いの立場と権力を鑑みれば杞憂でしかない。直接肩を並べ戦うことはしないが、これも同盟の在るべき形の一つと言えるだろう。

「理屈は理解した。しかし肝心要の"信用"に足るものがないな。
 ……そういえば、君は最初に"旨みのある話"があると言っていたが?」
「目敏いな。その通りだよ新市長、ひとまずの手土産としてお前にくれてやる用意がある」

 言ってライダーは、丁寧に整えられた数枚の書類を手に取ると、上に向かって勢いよく放り投げた。木の葉のように中空を乱舞するそれを、浅野は蛇のように腕を動かし掴み取る。
 そこに書かれていた文面は、その時点で粗方目にし記憶できていた。浅野はにやりと口の端を歪める。

「サーヴァントの情報か。しかもこれは……」
「俺も驚いたぜ。近頃街を騒がす屍食鬼、そいつの本元がマスターだったんだからな」

 桃色の頭髪が目立つ少女の写真の横に添えられた、戯画的に歪み腐敗したゾンビのような異形の写真を見ながら、ライダーは心底愉快気に話す。
 屍食鬼の噂は、当然ながら浅野も承知していた。理性なく人を食らい、際限なく増殖していくパニックホラーの産物が如き悪夢。キャスターかそれに準じるサーヴァントによる仕業と考えていたが、まさかそれがマスターの一人によって持ち込まれたものだとは驚きである。無論、ライダーの言葉が真実であればの話だが。

「そいつらは俺達元村組と敵対状態にある連中だ。午前中に襲撃にあってな、それはもう舐めた真似をしてくれたもんさ……
 結果はこうして痛み分け。戦線を離脱した奴は西に向かって一直線だ」

 痛み分けと言うには、語るライダーの表情は不自然なまでに喜悦に満ちている。しかしそれを敢えて指摘する浅野ではなかった。
 額面通りにこれを信用しろと? と目だけで問いかける浅野に、ライダーは薄く笑って返す。

「ま、こいつをどう取るかはお前次第だ。だが、俺がお前から一方的に搾取するだけじゃねェってことは分かったはずだぜ?
 今すぐに答えを出せとは言わねえさ。組む気があるなら俺んところに話を通せばそれでいい」

 ライダーの本拠地である元村組の所在は明らかである。そして、浅野がいるこの市庁舎もまた。
 それを知っているためか、互いの連絡先などどちらも口に出すことなく、ライダーは窓枠に大仰に足をかけ。

「じゃァな、新市長さんよ。いい返事を期待してるぜ」

 言い終わると同時に踏み出し中空へ跳躍、驚くべきことに凄まじい速度で空を飛翔した。
 あっと言う間に、ライダーの姿は空の向こうへと消えていった。去り際の高笑いの残滓だけが、市長室に残されたライダーの痕跡の全てであった。





   ▼  ▼  ▼





「俗物だな」

 ライダーが去って暫し。一人椅子に腰かけながら、険しい表情を崩すことなく、浅野は呟いた。
 言葉を交わさずとも、一目見たその段階でありありと分かるほどに、あの男は我欲というものに満ち溢れていた。浅野は今までの人生で、あの手の輩をそれこそ腐るほど目にしてきた。

「だが、侮りは敗北に、死に繋がるか。あれを放置すればいずれ私に帰ってくる」

 あのライダーは俗物である。だが。
 取るに足らない小物、というわけではなかった。

 あのライダーは元村組の頭をしていると言っていた。事実、報告される元村組の現状や、拿捕した組員たちの証言からもそれが真実であると分かる。
 つまるところ、あのライダー陣営は主従間の力関係が逆転しているのだ。交渉の場にマスターが赴かなかったのは、それが億劫なわけでも隠れ潜んでいるわけでもなく、行動の主体がライダーに依存しているからだろう。
 そして客観的にここ一週間ほどの元村組の動向を追えば、あのライダーが持つ指揮能力には優れたものがあると言わざるを得なかった。ここまで大々的な活動をしておいて矢面に立たされることのなかった手腕は、他の騒乱の影に隠れていたということを差し引いても評価の対象としては十分だった。生前もそうした役職についていたのだろうことが察せられる。
 何より、あの男は「完成」していた。
 それはライダーが完璧であるということではない。単にライダーは人生を全うしたことによってか「これ以上成長の余地がない」ところまで行き着いていたのだ。
 実のところ、浅野が最も苦々しく思っていたのはその点だった。浅野は会話さえできれば3秒で他者を支配・煽動できるほどの教唆能力を持つ。それは彼が半生を過ごす中で身に付けた「教育能力」の賜物であり、教師としての彼が持つ最大の強さでもある。
 しかしそれは、ライダーを名乗るあの男には通じないと、浅野は認めざるを得なかった。教育とは何かを与え、引き上げることによって「成長」を促すものだが、あの男はこれ以上成長することがない。いわばライダーはライダーとしての到達点に達しているため、教育の施しようがないのだ。
 人外の教育能力を持った、浅野學峯が抱える最大の弱点がそれである。完成した者には通じない、それは「完膚無きまでに破壊し尽くされている」がために教育できなかったバーサーカーとはまた違った、彼の陥穽の形であった。

 それらを踏まえて、ライダーとの同盟の提案を受けるかどうかであるが。

「受けるべき、なのだろうな」

 出した結論はそれだった。無論、そこに信頼などありはしない。単に都合がいいからである。
 繰り返すが、身分の保証もされないこの聖杯戦争において、確固とした基盤を持つマスターはそれだけで有用である。それが浅野の市長職と同じくある種の権力を持つものならば尚更だ。
 端的に言えば利害の一致、ならびに利用価値があるという一点に尽きた。それは感情に由来するあらゆる信頼関係よりもずっと信を置ける関係であり、同時にいつでも切り捨てることができるという後腐れのない関係でもあった。
 いざという時は自分が切り捨てられることも覚悟しなければならないが、そんなことは今さらであろう。
 ライダーには機を見て承諾の連絡をしておくべきだろう。無論そのまま受けるのではなく、他陣営との兼ね合いになるだろうが。
 ライダーに関する思考はそこで打ち切って、浅野はおもむろに手元の書類をひらひらと掲げた。

「しかしランサーか……随分と下手を打ったサーヴァントもいたものだな」

 冷たい視線の先には、ライダーとの邂逅よりも前にバーサーカーの監視網で捕捉したランサーの写真があった。
 ライダーが持ち込んだサーヴァントの情報は、既に浅野が掴んでいるものと同一だった。その時点で、ライダーが虚偽を述べている可能性は低くなったと認識している。
 そして、このランサーが霊体化を忘れるほど切羽詰まった状況にある理由も自ずと察することができた。このようなマスターを持っては、如何な英霊であろうともまともに身動きなど取れはしまい。
 だからこそ、浅野やライダーといった複数の陣営に悟られてしまったのか。哀れなものだが、同情はすまい。その立ち回りの愚かさからして、このランサーは言うまでもなく弱者でしかないからだ。

「……」

 言葉無く息を漏らし、浅野は頭を切り替えると、目の前に山積みとなった己が職務に目をやり、手を伸ばす。
 自分にはやるべきことが多くあった。市長としての雑事など及びもしない。聖杯戦争におけるマスターとしての役割もそうだが、こうしてライダーが襲来してきたように他陣営との交渉も一手に引き受けているのだから、些末なことに目を向けていられる余裕などない。
 故に、この哀れなランサーにも、切り捨てるべき弱者以上の印象は持たなかった。
 そのはずで、あったが。

 ふと、心の隅のほんの少し程度ではあるが、浅野はランサーに対してある種の思いを抱いた。それは疑問のようでもあり、期待のようでもあり、自分でも説明の付けづらいものであったが。
 確かなことは、浅野にはランサーに聞きたいことがあったということ。

 ランサーは斯様なマスターを得て、その願いを聞き届けることすらできないような状況に置かれて、尚も奮闘し戦場を駆けている。
 なんともいじましく、そして健気な姿である。それほどまでに叶えたい願いを持っているのか、それとも自分を召喚したマスターへの義理でもあるのか。
 分からないが、だからこそ浅野はランサーに聞いてみたかった。彼女の抱える願いを、その重さを。聞き届け、思考し、自らの糧としたかった。

 それが、願いを持たない自分の「弱さ」から来るものであるということは、浅野自身自覚しているからこそ歯痒いものがあった。



【C-2/鎌倉市役所/一日目 午後】

【浅野學峯@暗殺教室】
[令呪]二画
[状態]魔力消費(大)、疲労(中)
[装備]防災服
[道具]
[所持金]豊富
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争に勝利する。しかし聖杯に何を願うべきなのか―――?
1:ひとまずバーサーカー(玖渚友)の孤児院攻撃は黙認する。
2:ライダー陣営を利用する。次点の接触対象は辰宮百合香だが……
3:引き続き市長としての権限を使いマスターを追い詰める。
4:バーサーカー(玖渚友)への殺意。
5:ランサー(結城友奈)への疑問。
[備考]
※傾城反魂香に嵌っています。百合香を聖杯戦争のマスターであり競争相手と認識していますが彼女を害する行動には出られません。
ライダー(ドンキホーテ・ドフラミンゴ)と接触。表向き彼らと同盟を結びましたが状況次第では即座に切るつもりです。
ランサー(結城友奈)及び佐倉慈の詳細な情報を取得。ただし真名は含まない。





   ▼  ▼  ▼





 閑静な路地裏に乾いた発砲音が木霊した。
 黒服の一人が抜き放った拳銃は狙い違わず、標的の少女に照準されていた。その手際、その腕前は一介の鉄砲玉としては上々のもので、だからこそその場にいた黒服たちの全員が、次の瞬間には少女の眉間に穴が空き血飛沫が舞うのだと疑わなかった。
 しかし。

「わ、わわわ。なんですこれ、ビックリしました」
「……なんだと?」

 銃を構えた黒服も、その後ろで立ち並んでいた黒服たちも、一斉にたじろいだ。全員に動揺が走り、顔を驚愕や疑念の色に染める。
 少女は健在だった。ほんの少しびっくりしたように声をあげて、けれどそれだけだ。眉間にも、体のどこにも、銃痕らしきものは見えない。少女は少し興奮した様子で隣の男に向き直っている。何やらあわあわと話しかけているようで、対する男も何かを言っているようだった。が、黒服たちにそんなことを鑑みる余裕などない。

 ───外した……いや不発か?

 即座に我を取り返し、黒服は無意識に下げていた銃を再び構え、今度こそ仕損じることのないように照準を定め、引き金を引いた。

 響いた発砲音は一つ。
 鈍い金属音も、また一つ。

 少女は……アイは黒服たちのほうを見ようともせずに、右手に持ったショベルを軽くスイングした。
 金属同士がかち合う特有の鈍い音が反響した。弾丸が肉厚のショベルに弾き飛ばされたのだと、嫌でも分かった。
 それを2回。
 そのようにして、アイは凶弾から自分を守っていた。

「お前ら!」

 呆然の域にあった背後の黒服たちはその一言で「はっ」と我に返った。一斉に懐から拳銃を取り出し、一つの例外もなく実弾が込められたそれをアイに向ける。
 本物の殺意の群れが、アイを襲う。
 発砲、発砲、発砲。
 全ての拳銃が火を噴いていた。この少女のようなナニカが何者であろうと、これだけの集中砲火を浴びせれば関係ない。

 折り重なる無数の発砲音を掻き消すように、無数の金属音が響き渡った。
 全ての弾丸は墓守のショベルに阻まれた。銀色の刃が振るわれる度に、空中に円形の火花が散り、あとにはひしゃげた王冠のようにめくれ上がった鉛玉と、潰れた果実のようにくだけた鉄鋼弾がバラバラと落ちるのみであった。

「ば、化け物……」
「む、失礼ですね」

 アイはショベルを下段に構えて残心。

「化け物じゃないです。私です」

 言うが早いか、アイは構えるように身を屈め、思い切り地を蹴って前に踏み出した。
 一瞬で黒服たちの目の前まで接近したアイが、平面に構えたショベルを力いっぱいに振り上げる。風圧に押しあげられるように、最前列で最初にアイを撃った黒服が壁に叩きつけられ、力なくずるりと崩れ落ちた。
 速い、あまりにも。それなりに鉄火場を潜り抜けてきたはずの黒服たちが反応すらできていない。
 そのまま子供のチャンバラのように、アイが次々とショベルを振るう。その度に一人、また一人と黒服たちが吹き飛ばされ、壁や地面に叩きつけられる。全員が気を失うまで5秒とかからなかった。

「お母様から受け継いだこのショベル! 悪党の弾ごとき何ともないのです!」

 ふぅ、と一声。アイはまるで「いい汗かいた」とでも言わんばかりに額を拭い、深い息を一つ吐いた。



 そんなアイを、遠目から見下ろす影が一つ。

「……こりゃ驚いた」

 アイが黒服たちと一悶着した現場からおよそ100m、三階建のビルディング屋上の縁に座り、彼は不遜に睥睨していた。
 派手な男だった。特徴的なサングラスに、鳥の羽根を模った飾り付けを施した、大柄なその男は、名をドンキホーテ・ドフラミンゴといった。

「二人組の時はどっちか一人になるまで待てってよォく言いつけといたんだがなァ。だが、仮にサーヴァントなしでも同じことか」

 黒服たちはドフラミンゴが支配する元村組の組員であった。ドフラミンゴ直々に聖杯戦争の知識を与えられ、マスター暗殺の任を受けている。鎌倉市内には、彼らと同じ任務を賜った黒服たちが、それこそ無数に放たれ、マスターと思しき者たちを無差別に襲っているのだ。
 ドフラミンゴが件の現場を発見したのは、全くの偶然であった。彼は末端の構成員になど欠片の興味も抱いておらず、故に"他のもっと重要なもの"を監視していた最中だったのだが、その途中で目に入ったのがアイたちの姿だったのだ。
 駒どもがこの幼いマスターを殺せたならばそれでよし。そうならなかったならば……まあ、その時はその時だ。そう考えてはいたのだが。

「まさかうちの乱と同程度に動けるマスターが他にもいたとは、少しばかり意外だったな」

 感心するかのような口調。ドフラミンゴのマスターである乱藤四郎はマスターとしては破格とも言うべき身体能力を持っていたが、あの少女もスペックだけを見るならそれに追随する域にあった。
 これではヤクザ崩れの屑共などいくらいようと物の役には立つまい。乱と殺し合わせても、刀剣男士たる彼ですら敗北する可能性があった。少なくともドフラミンゴはそう考える。
 ならば、出てくる答えはただ一つ。

「面倒だが、俺が出張るしかねェか」

 それしかあるまい。幸いなことに奴らを一方的に捕捉している今、アドバンテージはこちらにある。そしてドフラミンゴには、遠方の敵を狙撃する術も存在する。
 人差し指を伸ばした腕を、アイに向かって指し示し。

「……いや、ちょっと待て」

 そこで"ようやく"気が付いた。
 倒れ伏す黒服たち、その脇で一仕事終えたかのようにいい表情をしているガキ。それはいい。
 だが、その隣にいたはずの男の姿がどこにもない。
 何時の間に消えた。ドフラミンゴは、一切目を離していないというのに───!
 余裕そのものだった態度を崩し即座に立ち上がる。

「どこ行きやがった、あの野郎───」
ここだよ(・・・・)

 背後から上がった声を、ドフラミンゴが聞くことはなかった。
 その時既に、ドフラミンゴの額には刃が生えていた。後頭部から突き立った剣先が額まで貫通していたのだ。
 次の瞬間、刃から立ち上る魔力が旋回する戦椎となって放出され、その波濤がドフラミンゴの上半身を消し飛ばした。力と重心を失った下半身が、呆気なく眼下の地面へと墜落していく。

「厄介だな。これ確実にあの連中と繋がってる奴じゃねえか。また面倒なのに目ぇ付けられたっていうか……」

 突き出した剣を魔力の粒子として消し去り、蓮は一人嘆息した。サーヴァントを打倒したにしては、彼の態度はあまりにも達成感に欠けていた。
 それも当然の話である。何故なら今殺害したサーヴァントは『本当の意味で脱落していない』。屋上から地面に落ちた下半身が、粒子となって消滅するのではなく「糸が解ける」ように消えたのがいい証拠だ。
 分身であるのか、特殊な蘇生方法でもあるのか。サーヴァントとしては弱すぎた事実から恐らく前者か。ともかく、あのサーヴァントはまだ生きている。しかも厄介なことに、黒服たちの襲撃のタイミングやそれを俯瞰していたことを鑑みて、両者は確実に繋がっているはずだ。ヤクザによる無差別通り魔事件は小耳に挟んでいる。それらが無関係であると考えるほど、蓮は楽観的な思考の持ち主ではない。
 相手を捕捉したという点においては、蓮の側も同じではあるが。それでも厄介なことに変わりはなかった。

「あ、セイバーさん。そちらも終わったんですか?」
「ああ……少し面倒なことになったけどな」

 アイのもとに戻り、ショベルを下にちょんとさげて待っていたアイに応える。見たところ怪我の類はないらしい。彼女の身体能力を認めていないわけじゃなかったが、だからといって心配しないということもないのだ。
 斃れた黒服たちを見渡して、アイは不思議そうに尋ねる。

「この人たちは一体なんだったのでしょう」
「噂になってた無差別殺人のヤクザ連中だろ。さっきそこでこいつらの元締めっぽいサーヴァントに会った」
「つまり悪人ということですね」
「そういうこと」

 ちょいちょいとショベルで黒服をつつくアイを見ながら、蓮が答える。これまでとは全く違う意味で頭の痛くなるような話だった。

「それで、これからどうするかって話になるんだが」
「なるんですが?」
「サーヴァントがこっち来てる。新手だな」

 蓮が顎だけで指示した方向を、アイが見る。
 そこには何時の間に現れたのか、桃色の髪をした少女が一人立っていた。





   ▼  ▼  ▼





「ちィ、"接続"が切れたか」

 薄暗い王座に座りながら、ドフラミンゴが苛立たしげに舌打ちをした。

 街に放った影騎糸(ブラックナイト)の一人から鎌倉市長「浅野學峯」の情報と交渉結果を受け取ったドフラミンゴだったが、しかしそれら影騎糸のうちの一体が突如として消失し、共有していた視界がノイズめいた空白に切り替わったのだ。
 それはある"もの"の監視のために放っておいたものだった。途中他のサーヴァントを捕捉し、それにかまけたのが敗因だったか。それは、恐らくは敵性サーヴァントの攻撃によって討伐されたのだ。その攻撃を、こちらが感知することはできなかったが。

 視界の消失を確認したドフラミンゴは、即座に新たな影騎糸を生成し、街へと放った。固執するほどではなかったが、リソースが余っている現状敢えて放っておくという選択肢もなかったのだ。それに、自分が目を放しているうちに"アレ"が何をするかも分からないのだから。
 消失した影騎糸が見張っていたもの。それは、野に放したランサー、すなわち結城友奈であった。

 結論から言って、ドフラミンゴは既にランサーから利用価値を見いだせずにいた。
 確かに、ランサーは一陣営を討ち取ることに成功した。彼女が対峙したサーヴァントの情報も得られた。が、その一戦だけでランサーは満身創痍、これ以上戦いを続けても碌な戦果を挙げられるとは思えない。
 元より、ドフラミンゴが友奈陣営に期待していたのは屍食鬼という「無尽蔵に増殖可能な死兵」の大本であり、結城友奈のマスターである"それ"を確保できた以上は友奈は半ば用済みなのだ。
 戦力として期待できず、反旗を翻す可能性もある扱いづらい正義の味方。それを生かしておく理由はどこにもない。
 だからこそ、彼女からは目を離しておきたくはなかったのだが。

「まァ、そっちはどうとでもなるが、問題はこっちのほうだ」

 それよりも、勘案すべきは新市長のほうであった。何故なら浅野學峯という男、あれはどうにも侮れない。

 市庁舎に潜り込ませた影騎糸には、市長室を一通り見てまわらせたが、浅野學峯という男は情報の痕跡というものを一切感じさせなかった。内装は全く弄られておらず、知らず拝借したPCにも鍵がついているフォルダはなし。
 無能なわけではない。むしろ逆だ。恐らくあの男は、得た情報を全て自分の頭の中に叩き込んでいる。自分が死ねばそこで終わりの聖杯戦争において、極めて合理的な思考である。
 だからこそ気に入った。あの男は、自分と組むだけの価値がある。

 そしてドフラミンゴの計画は、おおむね順調に進んでいた。

 複数のサーヴァントの情報を得るという目的は達成された。
 ランサーを使い他陣営を脱落させるという目的は達成された。
 新市長という公的権力を持ち合わせる陣営とのパイプ繋ぎは達成された。
 用済みのランサーをさも有用な情報と見せかけて新市長との交渉に使うという目的は達成された。
 更なる他陣営への当て馬とするために、反旗を翻しかねないランサーの戦力を削るという目的は達成された。
 屍食鬼を使い、いざという時の死兵を増やすという目的は今もなお順調に稼働中だ。

 ただ一点のみ。ほんのわずかな時間であるが、ランサーに対する監視網が外れたことが想定外の出来事だった。
 ドフラミンゴ自身、重要とは全く思っていないその一点だけが、彼の犯した過ちであった。



【B-4/元村組本部/一日目 午後】

【ライダー(ドンキホーテ・ドフラミンゴ)@ONE PIECE】
[状態]健康
[装備]
[道具]
[所持金]総資産はかなりのもの
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を獲得する。
0:新市長……乗るか、乗らないか。
1:ランサーと屍食鬼を利用して聖杯戦争を有利に進める。が、ランサーはもう用済みだ。
2:『新市長』に興味がある
[備考]
浅野學峯とコネクションを持ちました。
元村組地下で屍食鬼を使った実験をしています。
鎌倉市内に複数の影騎糸を放っています。
ランサー(結城友奈)にも影騎糸を一体つけていました。しかしその影騎糸は現在消滅したため、急遽新たな個体をランサーの元に派遣しています。
上記より如月&ランサー(アークナイト)、及びアサシン(スカルマン)の情報を取得しています。

※影騎糸(ブラックナイト)について
ライダー(ドンキホーテ・ドフラミンゴ)の宝具『傀儡悪魔の苦瓜(イトイトの実)』によって生み出された分身です。
ドフラミンゴと同一の外見・人格を有しサーヴァントとして認識されますが、個々の持つ能力はオリジナルと比べて劣化しています。
本体とパスが繋がっているため、本体分身間ではほぼ無制限に念話が可能。生成にかかる魔力消費もそれほど多くないため量産も可能。










   ▼  ▼  ▼





 両者は対峙したまま、無言で時を過ごしていた。
 桃色の少女だった。アイと蓮の目の前に立っていたのは、アイよりも少し年上といったころあいの、未だ幼い少女の姿をした、奇妙な装いのサーヴァントだった。
 クラスはランサー。彼女が持つ力量の断片が、アイの視界に滔々と映し出される。アイはごくりと唾を飲んで目の前の現実を見つめていた。
 そしてそれは、目の前のサーヴァントも同じだった。蓮だけが、静かに剣を具象化して隙なく事態を見守っていた。

 そうして誰もが無言のまま、一秒、二秒と時が過ぎ。

「あ、あのっ!」

 と。
 サーヴァントの少女が、意を決したといった面持ちで話を切り出した。
 それを見て、アイは彼女なりの決心がついた。というのも、この少女の様子があまりにも不安と焦燥に満ちていたから、そんな人物を前にした自分が何をすべきかなど、考えるまでもなかったのだ。

 故に、自分の行動など一つしかなく。

「……おい、待て」

 一歩進もうとする肩を、蓮が強く押し留めていた。

「ガキの姿だからって甘く見るな。相手はサーヴァントだ」
「そんなの関係ないですよ。私は相手が赤ん坊だろうとお化けだろうと、態度を変えたりしませんもの」
「だから待てって、せめて俺が前に出る」
「いえいえ、私が行きますよ」
「は?」
「え?」

「あの、良ければ私の話を聞いてくれませんか……!」
「待て」

 踏み出そうとした少女を、しかし蓮は剣を突きつけ制止する。アイと不毛なやり取りをしていたとは思えないほどに、その佇まいに一切の隙がなかった。

「俺がいいと言うまでそこから一歩も踏み込むな。魔力も昂ぶらせるな。
 改めて聞くぞ。お前は誰だ? 何が目的だ? そしてその返り血はなんだ?」

 何か下手な真似をすれば即座に攻撃するという意思を叩きつけ、蓮が詰問する。彼がここまであからさまに少女を警戒するのには理由があった。それは彼が言った通り、少女は夥しい量の返り血を浴びていたのだ。
 こうして距離を開けていてもなお、濃厚に香ってくるほどの血臭。かつては清廉であっただろう意匠の服は見る影もなく穢れ、疲労の色を湛えた顔に染みついた赤色の飛沫が悲壮な気配を漂わせている。
 明らかに尋常じゃない様子だった。サーヴァントであることや状況の一切を度外視しても、怪しさが服を着て歩いているような少女を近づけさせないのは当然の話である。

 しかし。

「待ってくださいセイバーさん。そんな聞き方ってないですよ。もうそんなカンジじゃないんですから」

 と、そんなボケた言葉が蓮の背後からあがった。言うまでもなく、アイだ。

「うっせぇ、何が"カンジ"だ。これは俺たちの安全のためにも聞いとかなきゃいけないことなんだよ。どう考えても怪しいだろこいつ」
「そりゃ私だって色々と気になることはありますけど。でもこの人は絶対大丈夫ですよ。捨てられた子犬みたいな雰囲気丸出しで困ってる人に悪い人なんていません」
「それを確かめるために俺が聞いてるんだろうが。いいから黙ってろよお前、ほんと頼むから」

 剣を突きつけ視線は少女を見据えたまま、二人は平行線のまま変わらない意見を戦わせた。なまじ二人共互いのスタンスを理解しているから埒が明かなかった。

「そんなこと言ってセイバーさんのやることって結局は全部自分が背負い込んで駄目になっちゃう系じゃないですか! その変なところで生真面目な性格いい加減にしてくださいよ!」
「おま、そんなこと言ったらお前なんざ勘とフィーリングだけで生きてるファンタジスタじゃねーか! 少しは先の予想とかしろ!」
「あーあーあー、言っちゃいますかそれ! 言っちゃうんですか! だったら私も言わせてもらいますけど―――」

 台無しである。アイは変わらず「ふんす」と息巻いて、蓮はもう勘弁してくれ頼むからと言わんばかりに叫んでいる。

「えっと……」

 そんな二人を前に、少女はなんだか脱力して、元より戦うつもりなど微塵もなかった態度を更に軟化させた。
 気配でそれが分かったのか、蓮はおもむろに舌戦をやめて少女へと意識を集中させる。少しの異変も見逃さないという意思の現れであった。見事なものだと、そう思う。彼は自分のマスターと口論しているように見えて、しかし今に至るまで一瞬の隙すら見せなかった。

「私は見ての通りサーヴァント、クラスはランサーです。真名は……ごめんなさい、今は言えません。
 私に戦闘の意思はありません。私はただ、お二人に話を聞いてほしくてここに来ました」

 少女の言葉は真実である。彼女は孤児院へと向かおうとしていたが、その道中において彼女を監視していたと思しきライダーの分身を、眼前のサーヴァントが消滅させた場面を目撃したのだ。
 自分に監視がついていることは分かっていた。だからこそ、ライダーの意にそぐわない行動を取ることはできなかった。
 しかし、今ならば。次の分身が放たれ追いつかれるまでの短い時間であるが、その間隙たる今ならば。

「お二人とも関係のある話だと思います。あのライダー……サングラスをかけた男のサーヴァントについて」

 ライダーへの反旗を翻す、絶好の機会であったから。

「お願いします……」

 友奈は、一縷の望みを懸けて。

「私のマスターを、助けてください……!」

 ただそれのみを願って、彼女は懇願したのだった。


【B-2/路地裏/一日目 午後】

【アイ・アスティン@神さまのいない日曜日】
[令呪] 三画
[状態] 疲労(中)、魔力消費(小)、右手にちょっとした内出血
[装備] 銀製ショベル
[道具] 現代の服(元の衣服は鞄に収納済み)
[所持金] 寂しい(他主従から奪った分はほとんど使用済み)
[思考・状況]
基本行動方針:脱出の方法を探りつつ、できれば他の人たちも助けたい。
0:眼前のサーヴァントに対処
1:世界を救うとはどういうことなのか、もう一度よく考えてみる。
2:すばるたちと合流したい。然る後にゆきの捜索を開始する。
3:生き残り、絶対に夢を叶える。 例え誰を埋めようと。
4:ゆきを"救い"たい。彼女を欺瞞に包まれたかつての自分のようにはしない。
5:ゆき、すばる、アーチャー(東郷美森)とは仲良くしたい。
[備考]
『幸福』の姿を確認していません。


【セイバー(藤井蓮)@Dies Irae】
[状態] 魔力消費(小)
[装備] 戦雷の聖剣
[道具] なし
[所持金] マスターに同じく
[思考・状況]
基本行動方針:アイを"救う"。世界を救う化け物になど、させない。
0:眼前のサーヴァントに対処
1:聖杯を手にする以外で世界を脱する方法があるなら探りたい。
2:悪戯に殺す趣味はないが、襲ってくるなら容赦はしない。
3:少女のサーヴァント(『幸福』)に強い警戒心と嫌悪感。
4:ゆきの使役するアサシンを強く警戒。
5:市街地と海岸で起きた爆発にはなるべく近寄らない。
6:ヤクザ連中とその元締めのサーヴァントへの対処……だが、こいつは何か知っている?
[備考]
鎌倉市街から稲村ヶ崎(D-1)に移動しようと考えていました。バイクのガソリンはそこまで片道移動したら尽きるくらいしかありません。現在はC-2廃校の校門跡に停めています。
少女のサーヴァント(『幸福』)を確認しました。
すばる、丈倉由紀、直樹美紀をマスターと認識しました。
アーチャー(東郷美森)、バーサーカー(アンガ・ファンダージ)、バーサーカー(式岸軋騎)を確認しました。
アサシン(ハサン・サッバーハ)と一時交戦しました。その正体についてはある程度の予測はついてますが確信には至っていません。
C-3とD-1で起きた破壊音を遠方より確認しました。
ライダー(ドンキホーテ・ドフラミンゴ)を無差別殺人を繰り返すヤクザと関係があると推測しています。


【ランサー(結城友奈)@結城友奈は勇者である】
[状態]覚悟、ダメージ(中)、精神疲労(小)、左腕にダメージ(小)、腹部に貫通傷(外装のみ修復、現在回復中)
[装備]
[道具]
[所持金]少量
[思考・状況]
基本行動方針:マスターの為に戦う
0:目の前の主従に話を聞いてもらいたい。
1:ライダーは信用できない。いずれ必ず、マスターを取り戻す。
2:マスターを止めたい。けれど、彼女の願いも叶えてあげたい。
3:敵サーヴァントを斃していく。しかしマスターは極力殺さず、できるだけみんなが助かることのできる方法を探っていきたい。
4:あの女の子の犠牲を無駄にはしない。二度とあんな悲しいことは起こさせない。
5:孤児院に向かい、マスターに協力を要請する。
[備考]




前の話 次の話
032:血染めの空、真紅の剣 投下順 034:世界救済者を巡る挿話・その1
時系列順 039:落魂の陣

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024:地に堕ちて天を想う星 アイ・アスティン 036:夢は巡る
セイバー(藤井蓮)
028:陥穽 浅野學峯 044:深蒼/真相
023:嘘つき勇者と壊れた■■ ライダー(ドンキホーテ・ドフラミンゴ) 044:深蒼/真相
028:陥穽 ランサー(結城友奈) 036:夢は巡る

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