───"彼"にとって最古の記憶は、桃色に染まる煙に包まれた光景だった。




 そこは一言で形容すれば、矛盾に満ちた空間だった。
 希望に溢れていながら絶望的。至福の極楽でありながら地獄的。渾沌として混じり合うものは存在せず、さりとて争いが起こっているのかといえばそんなことは全くない。
 誰もが愉快に、しかし救いようもなく堕落している。さながら沸騰する渾沌が如く、冒涜的な太鼓とフルートの演奏に狂乱する蠱毒の壺めいた惨状。
 この世のものでありながら、しかし現世とは決定的にかけ離れた白痴の異界。誰も彼もが至福の境地に到達する、それは万人の思い描く幸福の夢であった。

 香を吸えば愉快痛快、苦痛は剥がれて揮発する。
 この楽園は絶対だ。何故なら誰もが閉じている。

 因果? 知らんよどうでもいい。
 理屈? よせよせ興が削げる。
 人格? 関係ないだろうそんなもの。
 善悪? それを決めるのはお前だけだ。

 他我の交わらない心の中で好きに世界を描けばいい。あらゆる者が酔いに酔い痴れ謡いながら、冒涜的な音色の満ちる霞の中で踊っていた。
 それは万人へ分け隔てなく開かれた完全無欠の桃源郷。無償かつ永遠に酒池肉林が広がり続ける"楽"に満ちた仙境は、遍く人々を夢の底へと沈め続ける。

 いつから自分はそこにいたのか。自分はどうやって生れ落ちたのか。そんなことは彼自身にも分からない。
 光差す世界から捨てられた? それともここで泥のように産み落とされた? あるいは自ら足を踏み入れた? そもそもそんなものに意味などあるのか?
 正確な部分など誰にも分からない。知る者など誰もいない。何より疑問に思う者が存在しない。一応母を名乗る女らしきものはいたが、果たしてそれに血縁関係などあるものか。そもそも"彼"に親などいるのか。
 どうでもいいことだった。何せここは天上楽土、桃の煙に揺蕩うだけで世界は幸福なのだから疑問に思う必要はない。正常な宇宙から切り離されたこの場で育ち、彼にとって世界の全てはただひたすら幸福に満ちたまま宴のように進行していく。
 母はいつも幸せそうに笑っている人間だった。夢に包まれ夢に生き、その実何も見ていない白痴の信奉者であった。彼女は"彼"の母親であったが、果たして彼を本当に息子と認識していたのかどうか。しかしそれでも構わなかった。
 何故なら人間とはそういうものなのだから。
 渾沌に生れ落ちた盲目の播神にとって、人間とはそういうもの(・・・・・・)でしかなかった。自己の世界に埋没し完結している、パントマイムの世界。都合のいい独り芝居だけがそこかしこで演じられている。彼にとって世界とはそうであったし、人間もまたそうしたものだった。
 そうだとも。ここは万事、永遠の幸福が約束された桃源郷。困ることなど何もなく、ならば好きにやるがいい。

 母は稀に彼を間違え、打ち捨てられた人形なり死体なりを優しい笑みで愛玩している。いいことだ。
 向かいの男はいつも女へ愛を語り、蛆と蛭の湧いた腐肉へ猛然と股ぐらを突っ込みながら絶頂している。仲睦まじくて素晴らしい。
 隣の老婆は毎日欠かさず、神仙の桃と名付けた馬糞を飽きもせず独り占めしながら貪り食らっている。満足するまで食べるがいいさ。
 不老長寿の小便売りは大繁盛で、通りに座る大将軍は蠅を相手に明日の軍議を説いている。酸で水浴びする女は永遠の美の探求に忙しく、子供は姉の内臓調理に炎で父を洗いながら犬の頭蓋を鍋にしつつ、至高の演奏を披露するは僵屍の群れを前にして、導師が平和を守っているため老人は両目を蠱毒に捧げたのだ。なんて感動的なのだろう。

 あなたの、君の、お前の、きっとたぶん、活躍と勇気と幸運で世界は救われたのだ。
 素晴らしい。今日も世は泰平である。
 何もおかしなことはない。世界は幸せと笑顔で満ちていた。



 生まれながらにしてあまりにも巨大な精神と世界観を有していた"彼"は、故にこそ人とはまるで視点の違った遥か高次より世界を俯瞰していた。
 これこそ"彼"の原風景。此度の聖杯戦争において月の裏側にて眠り、万象を彼の見る夢とした播神を形作った世界の在り方である。





   ▼  ▼  ▼





 煙が流れている。

                  ドロドロ。

 命が流れている。

                  ドロドロ。


 何が?
 命が?
 それとも、他の、何か?




 ………。

 ……。

 …。

 ――――――――――――。



『すべて』

『そう、すべて』

『あらゆるものは意味を持たない』



 ………。

 ……。

 …。

 ――――――――――――。





   ▼  ▼  ▼





 これは夢と現に交わる、儚い幻の物語。そうした渦中にある彼らにとって、どんな出会いも重ねた時間も、泡沫のように消えていくだけ。

 利己的な復讐を望んだ悪鬼が、しかし無様に敗残して死んでしまったりであるとか。
 誰かの救済を願った人形が、何をも果たせず消えてしまったりであるとか。
 友誼のために戦った少女が、守ろうとした者にさえ忘れられてしまったりであるとか。
 日常への帰還だけを一心に願った弱者が、それとは対極にある無残な末路を迎えてしまったりであるとか。
 愚かな教えに盲目的に付き従う一際愚かな娘が、しかしその教えさえも奪われて一人惨めに潰されたりであるとか。
 百年の時を超えてなお諦めることのなかった魔女が、結局何をも掴めなかったりであるとか。

 彼女たちは意味なく生きて、意味なく死んでいく。たった一つの願いを懸けて、願い敗れた者たちが死んでいく。

 古都鎌倉、聖杯の恩寵を巡る戦争の舞台。これは、そんな盤面を俯瞰する世界の果て。舞台の遥か上に聳える"塔"の話である。





「……」

 昇る。昇る。昇る。黄金螺旋階段を昇る男が一人。
 それは少年。それは愚者。それは神殺し。世界救済の夢を求めた男が喝采なき時計の音を吟じている。
 彼は黄金螺旋階段を昇る。一歩、一歩と踏みしめて。今も、今も。
 頂上を目指して。いと高き場所に在るものを、目指して。

 ───いいや。いいや。

 そうではない。彼は何をも求めない。
 果て無きものなど、尊くあるものなど。
 彼は求めない。求められない。彼が待ち望んでいるのは、一つだけ。

「……死んだか、壇狩摩」

 ぼそり、と。
 呟かれる声があった。それは心底より驚愕したようにも聞こえて、しかし予定調和であるかのような平坦さも感じられる声だった。

「あいつには期待してたんだけどな。いや、それも含めてあいつの掌の上か?
 どっちにしろ迷惑な奴だよ。あいつのせいで何もかもが狂っていく」

 もしくは、あいつのおかげ(・・・)か。
 独りごちる少年は足を止めることがない。薄暗い紫の闇に覆われる螺旋階段を、彼は一人で昇り続ける。
 一体いつからそうしているのか。一体何が彼をそうさせるのか。
 彼はただ昇るだけだ。今も、かつても、これからも。
 そして頂上に在るものは嗤うのだ。今も。今も。


 くすくす。くすくす。くすくす。


 それは女の嗤う声。幻のように不確かな虚像を伴って、螺旋階段を昇る彼の体に纏わりつく。
 女たちは嗤う。人に非ざる機械の体をしならせて。清らかに、邪悪に、無垢に、微笑む。

『くすくすくす。おかしなおかしな拳銃喰らい(ブザー・ビーター)

『くすくすくす。人間のメモリーなんてくだらないのに』

『くすくすくす。声こそがすべて。言葉は偽らないのに』

 くすくす。くすくす。くすくす。
 嗤う声がする。月の王に寄り添う、囀る笑み。
 諦めろと耳元で囁く女たちに、彼は。

「黙れ」

 たった一言。それだけで、女の声と姿は霧散した。

「黙れ、道化にも劣る機械人形共め。月並みに神を恨んで、すなわち全てを諦めろと?
 ふざけるな。俺は俺の世界を救う。ただそれだけを選んだんだ」

 少年は階段を昇り続ける。ずっと、ずっと。
 遥か高みを睨みつけて。ただ一人のことのみを、待ち望んで。

「俺は往くだけだ。散々に歪みきった、堕ち行くだけの、この道を」

 あとはもう言葉はなかった。元より止まることを彼は許さず、故に歩みは続けられる。

「だから……待ってるぞ、■■」

 ……■■。
 黙ってお前の背中を押したのは俺だ。だから、俺も黙って昇り続けよう。
 その果てに、例え桃煙に揺蕩う幻に過ぎずとも。願わくばお前の姿があることを。
 黄金螺旋階段の最奥で待ち続けよう。ずっと、ずっと。




【世界塔内部・黄金螺旋階段/?????】

【『世界救済者』@?????】
[令呪]???
[状態]???
[装備]???
[道具]???
[所持金]???
[思考・状況]
基本行動方針:???
[備考]





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【クラス】
マシーナリー

【真名】
機械姉妹(アイアン・メイデン)@紫影のソナーニル-What a beautiful memories-

【ステータス】
筋力E 耐久E 敏捷E 魔力EX 幸運E 宝具E

【属性】
秩序・悪

【クラススキル】
機鋼の体:A
マシーナリーは生物ではなく完全な機械仕掛けの存在である。
生物に対して働き掛ける干渉を無効化する。

無我:A
自我・精神といったものが極めて希薄であるため、あらゆる精神干渉を高確率で無効化する。

【保有スキル】
幻惑:D
変幻能力。"メモリー"を再生し人間への嘲笑とする■■■■■■の■■。

三位一体:A
マシーナリーの在り方。彼女たちは斯く在れと作られた被造物であるため三体で一体のサーヴァントとなる。

【宝具】
『妄想録音(フォノグラフ)』
ランク:E 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1
人間を"孤独の動物"だとして嘲笑する音の女。
4つの腕を有し、顔面と肩には発声器が取り付けられている。

『妄想幻燈(キネトロープ)』
ランク:E 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1
人間を"忘却の奴隷"だとして嘲笑する幻の女。
フィルムと回転板を身に纏った華やかなようでどこか不気味な印象を受ける姿をしている。

『妄想白熱(バルブガール)』
ランク:E 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1
人間を"恐がり"だとして嘲笑する明かりの女。
顔面が白熱電球であり、感情に応じて発光する。


【人物背景】
チクタクマンの従者。遍く人を嘲笑する作り物の女達。

【サーヴァントとしての願い】
?????





   ▼  ▼  ▼





 "彼"は未だ目覚めぬ微睡みの淵に在りながら、己が視界の真下に広がる世界を溢れんばかりの愛情と慈しみで以て見つめている。
 桃煙に包まれた地上世界、聖杯という奇跡を巡る熾烈な攻防劇、世界の果てに聳える塔とそれらを取り巻く人々の全て。あらゆる全てを見下ろしながら、彼は切に願っているのだ。

 なんと哀れな。救ってやろう。報われてくれ愛しい君よ、俺はお前たちの幸せだけを、いつも変わらず願っている。
 ああ、だから、いったいどうした楽しめよ。お前の世界はお前のもので、お前の形に閉じているのだからお前の真実はお前が好きに描けばいいのだ何を必死に争っているのかなぁ。
 俺はお前たちのことがとても好きだしお前たちも聖杯(おれ)を好きなのだからきっと楽しめるに決まっているのだよそうだ素晴らしいではないか善哉善哉。
 飲めよ吸えよ気楽に酔えよ。さすればそこは羽化登仙。お前だけの仙境はいつもお前も待っているのだ。至福は約束されている。
 丹が欲しいか? 視肉はどうだ? 霊芝はいくらでも揃っているし、艶が好きなら虹の仙女でも呼んでやろう。
 紅衣、青衣、素衣、紫衣、黄衣、緑衣、なんでもよりどりみどりなのだよ、遠慮をするな派手にいこうか。
 一つ蟠桃会と洒落込んでみるのも悪くはあるまい。俺は西王母とも最近懇意になってなぁ。これがどうして、なかなか気前のよろしい瑶池の金母であることよ。めでたい、めでたい。
 聖杯、聖餐、ダグザの大釜。奇跡が欲しいならいくらでもやろう。世界を救う? 妹に幸せを? 母の悲願を? 世の全てを? 輝ける日常を? 一心不乱の闘争を? 未来を希望を尊厳を? いいぞいいぞ、好きなように願えばいい。聖杯(おれ)は全てを叶えてやれる。
 だからなあ、笑ってくれお前たち。世界はこんなにも輝いているのだから。わざわざ他人と関わって悪戯に傷つき惑う必要など何処にもないのだ。他我と交わり争い血を流し、願うものを得られず死んでいくなどと、そんな悲しいことを言わないでおくれ。
 人とは見たいものだけを見て信じたいように信じる生き物なのだから、自分の中の真実だけを見ていればそれでいい。
 ここは太極より両儀に分かれ四象に広がる万仙の陣。故に不可能など何もないのだ。

 遥か高みの渾沌にて。
 今も、君臨する者は語る。救われてくれと。
 今も、君臨する者は囁く。俺を使うがいいと。
 慈愛の王は、ただ募り行く悲しみを惜しんでいる。



『故にこそ、この舞台はすべてが偽りなのだ』



 そこは、世界の果ての塔。その最頂。黄金螺旋階段を昇りきった更に奥。
 睥睨する万仙の王の視線を受けて、今も嗤う男が一人。紫影の玉座に座って嘲笑だけを浮かべ続ける。
 それは裁定者。それは《王》。沸騰する渾沌に微睡む仙王とはまた違う、時に這い寄る月の王。
 箱庭世界の支配者にして、観客にして、自らもまた演者。
 ───ルーラーと呼ばれる者。

『果てなきものなど。
 尊くあるものなど。
 すべて、すべて。
 あらゆるものは意味を持たない』

 静かに告げて、玉座の主は告げる。
 この聖杯戦争に集う演者の全て。それらを睥睨して、嘲笑して。

 聖杯戦争───"勝ち残った一人"があらゆる願いを叶えられる奇跡の争奪劇。
 この世界をそんなもの(・・・・・)だと勘違いしている全ての演者を、嘲笑って。

『例えば───』

 人とは見たいものだけを見て、信じたいように信じる哀れな生き物。だが。
 朔とは暗夜。目に見えるものなど何もない。見たいものなど見えるはずもない。
 そう、真実など見えるはずはないというのに。

『夢から醒めてしまえば何の意味も、ない』

 いったい何を鵜呑みにしている。
 愛いぞお前ら、永遠に踊れ。そしてそれこそが、この聖杯戦争の真実である。





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033:白紙の中に 投下順 035:存在する必要のない存在
039:落魂の陣 時系列順

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018:狂乱する戦場(前編) ロード・アヴァン・エジソン 0:[[]]
参戦 マシーナリー(機械姉妹) 0:[[]]
参戦 『世界救済者』 055:世界救済者を巡る挿話・その2

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