「随分と大仰な真似をなされたようで」

 十代の若々しい少女のような、と形容するには年齢に不釣り合いなほど洗練された気品と優美さがそうは思わせず。かといって三十路を越えて酸いも甘いも噛み分けた人生の重みを感じさせるにはあまりにも幼く。そんなアンバランスさを秘めた雰囲気を纏った彼女は、まさしく深窓の令嬢とも言うべき美貌に呆れの感情を隠すことなく、不平の声を私室に響かせた。
 良く通る声だった。生来の美しさもあったが、どのようにすれば人は己の言葉を耳に入れるのかという人心掌握の術を知り尽くした上で放たれる、これはそういった高い教養に基づいた声だ。上流階級ともなればそうした裏芸の一つも身に付けておくのが嗜みであるのか、驚くほどに"様"になった所作は一流の女優にも劣るまい。本人がその気になれば、大舞台の上であろうと十分に通用するだろう。
 しかし現実にはそうではない。彼女はあくまで名家の淑女。花よ蝶よと愛でられるだけの世間知らずのお嬢様に過ぎない。少なくとも、この家に住まう「無関係な」人間は皆そう認識している。

「それがどうした。今更貴様が気にするようなことでもないだろう」

 少女の声に対してそう答えたのは、妙齢の女性だった。
 盛りの時期である二十代はとうに過ぎた年齢であることが、その立ち振る舞いから伺える。彼女の所作は例えて鋼。それも硝煙の臭いが染みついた武骨な戦争の産物とも言うべき剣呑さである。身に纏ったドイツ第三帝国の軍服がそれを如実に表していた。
 かつては美麗であったことを窺わせる顔面は、しかしその半分が見るも無残に焼け爛れ、さながら地獄の悪鬼めいた相貌に歪めている。そこに浮かべられている表情は、少女に対する掛け値なしの侮蔑であった。

「どだい戦争とはそういうものだ。家々は焼かれ、人命は藁のようにくべられる。そこには貴賤も善悪もなく、ただ当たり前の現実として存在する」

 二人が語っているのは、先刻発生した鎌倉市街における爆発事故についてのことだ。午後12時20分に突如として発生した鎌倉駅東口方面市街地の大破壊は、周囲一帯を覆うほどに巨大な爪痕を穿つに至り、消化活動はおろか現場に立ち入ることすら困難な有り様で、未曽有の人災として報道されていた。
 邸宅に引き籠り続けていた少女───辰宮百合香であってもほぼリアルタイムで耳に入ってきた程度には、この破壊は大々的なものであった。生じた犠牲者に至っては未だ正確な数字が出ていないのが現状である。
 なんとも痛ましい、と普通なら思うかもしれない。しかし百合香が危惧しているのはそういった良識とは多少外れたところにあった。

「ええ、それは承知しています。わたくしとて何の犠牲もなく勝ち抜けるなどとは思っていませんから。
 しかしこれは些かやり過ぎでしょう。物的人的な損失が、ではありません。貴女という存在の誇示についてです」

 聖杯戦争に際して、暗黙の了解というものがいくつか存在する。そのうちの一つにして最たるものが、聖杯戦争とは秘密裡に行われなくてはならないというものだ。
 魔術の世界において神秘とは秘匿されるべきものであり、当然それは聖杯戦争においても平等に適用される。故にサーヴァント同士の本格的な戦闘は、本来それがもたらす大規模な破壊とは対照的に夜間あるいは人目につかない場所でひっそりと行われるのが定例なのだ。
 それをアーチャーは知らぬと言わんばかりに打ち破った。彼女の能力が広域破壊に適しているのは事実だが、彼女はそもそもそういった常道を守る気すらないのだろう。

「監督役、そして召喚されているはずのルーラーは現在は沈黙を保っています。ですが何時それが破られるのかは定かではありません。あるいは討伐対象としてやり玉に挙げられる可能性も否定は……」
「重ねて言おうか、売女」

 淡々と続けられる百合香の言に、アーチャーは侮蔑と嘲笑も露わに口許を歪め、返す。

「それがどうした。騒ぎたいだけの輩など、勝手に騒がせておけばいいだろう」

 その返答はあまりに単純で、だからこそ正気の口で言っているとは思えない内容であった。

 ルーラーとは聖杯戦争の裁定者にして絶対者である。何故なら彼らは独自の特権として各サーヴァントに対し、それぞれ二画の令呪を有している。極端な話、ルーラーが自害を命じれば大多数のサーヴァントはそれで終わってしまうのだ。
 無論、令呪には令呪で対抗可能であるし、高い対魔力を持っているなら単独でも抵抗は可能となる。だが、ルーラーに敵対するのは無意味かつ踏破困難な厄災を呼び込むのと同義であることに疑いはない。
 加えて悪戯に目立つことは敵対者を一挙に呼び込むことに等しい。討伐令がその最たる例だが、そうでなくとも当面の仮想敵として想定されてしまうことは否めまい。一対一が基本のサーヴァント戦において、複数の敵を同時に相手取る危険性は飛躍的に増しただろう。
 アーチャーとてそれが分からないほど愚かではない。彼女は卓抜した戦略家であり、故にそれらも余さず承知している。
 承知した上で、知ったことではないと切り捨てたのだ。

 アーチャーは端的に言えば自尊と自負が肥大化した、傲慢が服を着て歩いているような女だった。無論のこと自負とは自己の研鑚に必須の要素であるし、その自尊に見合う程の実力も有している。しかしそれらを加味してもなおマイナスに傾いてしまうほどに、アーチャーの精神性は悪辣と称していいものだった。

 人命と都市に対する被害など考慮するつもりもなく、一般的に尊いとされるものをいくら踏みつけようと欠片も良心が傷まない。彼女が力を振るう度に発生する度外れた破壊は無論数多の者に見られており、大混乱どころではない騒ぎを起こしていたがそれでいったいどうしたという。
 秘匿? 隠蔽? 笑止千万。これは覇者の進軍である。一般社会の裏で匹夫の如く隠れ潜む必要など何処にもない。

「故に貴様はもう喋るな。盟約によりこうして顔を突き合わせてはいるが、私に貴様と慣れ合う義理はないのでな。今まで通り、その薄汚い口を閉じたまま坐しているがいい」

 それ以外の価値など、貴様にはなかろう。

 それだけを言い残して、アーチャーは霊体化しその場を去って行った。サーヴァントとしての定例報告、それのみを義務的に果たし、再び戦場を求めて彷徨うのだろう。
 百合香は数瞬前までアーチャーのいた空間から目を逸らし───完全に興味を失くしたように、小さくため息をついた。

「あの方にも困ったものです。これではいざという時、狩摩殿を殺してしまいかねませんね」

 言葉とは裏腹に、百合香の眼には空虚なものしか映っていない。万事が万事、まるで他人事とでも言うかのような態度であった。
 実のところ、先ほどは人命や被害、秘匿がどうのとは言っていたが、百合香はそんなことに一切興味がなかった。どれほどの人間が死のうが、どれほどの建物が倒壊しようが、ルーラーに討伐令を出されようが特に気にも留めなかっただろう。
 百合香とはそういう女だ。現状は生存優先の方針で立ち回ってはいるが、それも単なる惰性に過ぎない。義務があればそれに従うが、この地はどうやら百合香が元いた場所ではなく、そうした柵も大半が消えていた。責任感や我執というものが欠如した有り様は、仮にここがサーヴァントに攻め込まれ首元に刃を突きつけられたとしても、ああそうかと思うだけに終わるだろう。邸宅全域に広がる百合の香りに抵抗し彼女に刃を向けられるサーヴァントがどれほどいるか、という問題は別として。
 故に当然、アーチャーから向けられる殺意と嫌悪も、そもそもアーチャーという存在そのものも百合香は一顧だにしていなかった。彼女は自分の言うことを聞きはしない。今もどこかへ誰かを殺しに行ったのだろう。それで? 知らんよ勝手にすればいい、その勝敗にすら興味はないのだ。

 ───どうせ自分が何かをしなくとも、壇狩摩がいる限り事態は勝手に転がり落ちていく。

 百合香にはそうした確信があった。壇狩摩が召喚されたというそれだけで、この聖杯戦争は根幹からその存在を怪しいものとしていた。百合香が彼と同盟関係を結んだのは、生前における知己であるという以上に、彼だけが持つ特異性を誰よりも理解していたからに他ならない。
 余談だが、百合香は狩摩との同盟締結の件をアーチャーに伝えてはいなかった。伝える気も、必要性もないからだ。狩摩がアーチャーの襲撃に遭って殺されるという可能性は考慮に値しない。何故なら狩摩はそんなたちの悪い偶然には遭わないし、仮にそうなったとしても、それは狩摩にとっての最善解が「それ」だったというだけの話だろうから。

「……あら?」

 不意に、私室のドアがノックされる音が響いた。声をかけると、老齢の執事が静かにドアを開ける。

「失礼いたします、お嬢様」
「構いません。何かありましたか?」

 透き通るような声で、内心は気だるげに、百合香は焦燥の色を隠し切れていない執事に向かって尋ねた。
 はて、仮にも熟達の心得を持つ彼がこうも狼狽するとは、一体何があったのか。

「たった今、かねてより懇意にしておられました児童ホームより連絡がございました」

 そして続けられるように告げられた内容は、百合香をして驚愕に値するものだった。というよりは、つい先ほどの思考がそのまま現実となって現れたのだ。

 ───狩摩殿が、逝った……?

 戸惑いも露わに古手梨花の怪死を告げる老爺を前に、百合香はただ訪れた事態に対し、その意識を思考の海に埋没させるのであった。





   ▼  ▼  ▼





 ところで、辰宮百合香という女は酷く歪んだ、筆舌に尽くしがたい醜悪さを誇る人間である。

 名家に生まれ、美貌を持ち、ありとあらゆる人間に頭を垂れられてきた彼女だが、あまりにも恵まれすぎた環境に置かれたせいであらゆる物に価値を見いだせない価値不信に陥っている。
 どのような好意、どのような愛情ですら自分ではなく家柄に向けられたものであると、真贋を見極める程の見る目も無い癖にそう信じ込んでしまっている。
 ここまでなら単なる世間知らずの馬鹿娘でしかないが、更に性質の悪いことに彼女は自分をそんな境遇から連れ出してくれる「王子様」を求めている。
 他人からの好意を信じられないくせに、誰かありのままの自分を見てと訴えている。
 まず嫌われなければその相手を信じられないくせに、自分を嫌うその人に救ってほしいと訴えている。
 自分からは何もしないくせに、何故何もしてくれないのかと不満に思っている。
 あまりにも愚かしすぎるその有り様は、なるほど確かに、かのアーチャーをして売女と呼ぶにすら値しない汚物と評されるだけのことはあった。

 そう、辰宮百合香は愚かしく、醜い。それは事実である。しかし、ここで疑問が一つ。
 百合香が相手を信じるためには前提としてまず嫌われることが必須となるが、ならば何故彼女はアーチャーを軽んじているのか。
 アーチャーは百合香を忌み嫌っている。そのザマを醜悪と切って捨て、嫌悪と侮蔑も露わに見下している。
 反魂香にすらかからない忠節の魂を以て百合香に厭忌の念を抱くアーチャーは、確かにその条件を満たしているというのに。百合香はアーチャーのことを、有象無象と同じ雑草程度にしか認識していないのだ。
 条件を満たしているというだけで、そこから好くか嫌うかは別問題───そうではあるだろう。
 サーヴァントなど何処まで行こうとただの贋作、物に傾慕する趣味は百合香にはない───確かにそれも頷ける。
 しかし、しかし。ここに一つ、百合香自身も知る由のない事実が一つ存在した。

 彼女が元いた世界において、傾城反魂香にかからない人間は二人いた。そのどちらもが、彼女に惚れ、そして彼女を拒絶する男であった。
 二人の男と辰宮百合香。三人を取り巻く愛憎劇は渾沌と熾烈を極め、その果てに一人の男が命を散らした。それは醜悪なるも美しい、報われない悲恋の幕切れであった。
 無論、そんなことを今ここにいる百合香は知りもしない。その出来事が起こるのは時系列で言えば未来の話で、これから百合香が辿るかもしれない可能性の一つに過ぎない。
 その可能性を知る者はいない。とうの本人である百合香すらも。

 けれど。

 知る者がいた。望む者がいた。"斯く在れかし"と百合香の愛憎を規定し、"そうあってほしい"と切に望む者がいた。
 故に百合香は"そう"なった。彼女が真に愛情を向けるのは未来に訪れし二人の男のみであるのだと。
 これは単に、それだけの話。ささやかで取るに足りない、けれど聖杯戦争という舞台を解き明かす上で重要なファクターと成り得るかもしれない、それだけの話。

 ───桃色に染まる月の中枢にて、盲目白痴の渾沌が地上を見下ろし哂っている。
 ───王を取り囲む無数の奉仕者たちが、喝采の声と共に哂っている。




【C-2/辰宮邸/一日目 夕方】

【辰宮百合香@相州戦神館學園 八命陣】
[令呪]三画
[状態]健康
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]高級料亭で食事をして、なお結構余るくらいの大金
[思考・状況]
基本行動方針:生存優先。
1:古手梨花、壇狩摩との同盟はとりあえず遵守するつもり、だったが……
[備考]
※キャスター陣営(梨花&狩摩)と同盟を結びました
アーチャー(エレオノーレ)が起こした破壊について聞きました。
孤児院で発生した事件について耳にしました



【アーチャー(エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ)@Dies irae】
[状態]魔力消費(小)、霊体化
[装備]軍式サーベル
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:闘争を楽しむ
0:闘争を求める
1:セイバー(アーサー・ペンドラゴン)とアーチャー(ストラウス)は次に会った時、殺す
2:サーヴァントを失ったマスターを百合香の元まで連れて行く。が、あまり乗り気ではない。
[備考]
ライダー(アストルフォ)、ランサー(No.101 S・H・Ark Knight)、アーチャー(ローズレッド・ストラウス)と交戦しました。
No.101 S・H・Ark Knight、ローズレッド・ストラウスの真名を把握しました。



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034:世界救済者を巡る挿話・その1 投下順 036:夢は巡る
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002:錯乱する盤面 辰宮百合香 051:盤上舞踏
019:焦熱世界・月光の剣 アーチャー(エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ) 044:深蒼/真相

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